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1996-04-17 第136回国会 参議院 厚生委員会薬害エイズ問題に関する小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年四月十七日(水曜日)    午後二時開会     ――――――――――――― 平成八年四月四日厚生委員長において本小委員を 左のとおり指名した。                 阿部 正俊君                 石井 道子君                 大島 慶久君                 清水嘉与子君                 長峯  基君                 釘宮  磐君                 田浦  直君                 水島  裕君                 朝日 俊弘君                 竹村 泰子君                 西山登紀子君 同日厚生委員長は左の者を小委員長に指名した。                 釘宮  磐君     ―――――――――――――    小委員異動  四月十七日     辞任         補欠選任      竹村 泰子君     上山 和人君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     小委員長        釘宮  磐君     小委員                 阿部 正俊君                 石井 道子君                 大島 慶久君                 清水嘉与子君                 長峯  基君                 田浦  直君                 水島  裕君                 朝日 俊弘君                 上山 和人君                 西山登紀子君    事務局側        常任委員会専門        員        水野 国利君    参考人        東京HIV訴訟        原告団団長   高原 洋太君        東京HIV訴訟        原告弁護団事        務局次長     保田 行雄君        大阪HIV薬害        訴訟原告団代表  家西  悟君        大阪HIV薬害        訴訟原告     花井 十伍君        大阪HIV薬害        訴訟弁護団弁護        士        徳永 信一君        前帝京大学副学        長        安部  英君        帝京大学医学部        第一内科助教授  松田 重三君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○薬害エイズ問題に関する件     ―――――――――――――
  2. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) ただいまから厚生委員会薬害エイズ問題に関する小委員会を開会いたします。  まず、小委員異動について御報告いたします。  委員異動に伴い欠員となっております小委員補欠として、本日、上山和人君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 議事に先立ちまして、一言あいさつを申し上げます。  このたび小委員長に選任されました釘宮磐でございます。  小委員長といたしましては、小委員各位の御支援、御鞭撻を賜りまして、公正かつ円満な運営に努め、職責を全うしてまいりたいと存じます。  何とぞよろしくお願いいたします。     ―――――――――――――
  4. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  薬害エイズ問題に関する調査のため、本日、参考人として、東京HIV訴訟原告団団長高原洋太君、東京HIV訴訟原告弁護団事務局次長保田行雄君、大阪HIV薬害訴訟原告団代表家西悟君、大阪HIV薬害訴訟原告花井十伍君、大阪HIV薬害訴訟弁護団弁護士徳永信一君、前帝京大学学長安部英君及び帝京大学医学部第一内科助教授松田重三君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――
  6. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 薬害エイズ問題に関する件について調査を行います。  本日は、本調査のため、参考人として、まず東京及び大阪HIV訴訟原告及び弁護団方々から御意見を承ることといたします。  この際、小委員長から、本委員会運営に関し、御協力をお願い申し上げます。  本日は、参考人プライバシー保護観点から後ろについ立てを設置いたしておりますので、当該参考人につきましては直接の撮影は御遠慮ください。  また、報道関係者におかれましては、音声につきましても変更して放送していただくようお願いいたします。  この際、参考人方々一言あいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、当小委員会に御出席をいただき、ありがとうございました。  当小委員会におきましては、薬害エイズ問題に関する調査を進めておりますが、本日は特に参考人方々から御意見を拝聴いたしたいと存じます。  参考人皆様には忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。  それでは、議事の進め方について申し上げます。  まず、高原参考人及び保田参考人順序で、お一人十五分程度の御意見をいただきたいと存じます。次に、家西参考人花井参考人及び徳永参考人順序で、お一人十分程度の御意見をお述べいただきたいと存じます。  それでは、まず高原参考人にお願いいたします。
  7. 高原洋太

    参考人高原洋太君) 本日、この場で私ども発言機会を与えてくださいまして、ありがとうございます。また、プライバシー保護観点で私どもに配慮していただき、まことにありがとうございます。  私は、東京HIV訴訟原告番号十二番、仮名ですが、高原洋太と申します。  ところで、ことしになって菅大臣のもと厚生省では調査プロジェクトを立ち上げ、遅まきながら薬害エイズ真相究明に乗り出しました。私もその調査に期待を寄せたのですが、残念ながら失望の連続です。  私は、薬害エイズのことが問題になった一九八三年、八四年、八五年と東京血友病患者の会、東京ヘモフィリア友の会役員をしていました。  血友病患者エイズ関係新聞等報道されました一九八三年春、四月、五月以降は、私はほかの役員一緒に正しいエイズ情報対策を求めて東奔西走の毎日でした。もちろん、厚生省生物製剤課にもたびたび出かけました。そのとき私たち厚生省などで現実に受けた対応と今回調査プロジェクトが得た回答との余りの格差、乖離に愕然とするばかりであります。  時間の制約もあり、そのすべてをここで申し上げることはできません。ここではその一つのエピソードとして、八五年加熱製剤認可後の非加熱製剤回収について、当時の松村明仁生物製剤課長対応安部英先生加熱製剤治験調整の問題について述べたいと思います。  一九八五年七月一日、危険な非加熱輸入血液製剤加熱になりました。私はほかの役員一緒に八月一日に、再三通っていました厚生省生物製剤課に行きました。七月の末ごろ、オーストリア、西ドイツのワインに有害な不凍液が入っていて、厚生省緊急通知を出して店頭や家庭内に持ち込まれた製品の回収を徹底させていました。新聞紙面に載った回収通知報道を見聞きしていて、なぜ命に直結するのにエイズ入りの危険な製剤回収が放置されているのか松村生物製剤課長に詰め寄りました。  安全な加熱処理製剤が出るようになっても、厚生省はその回収命令は出しませんでした。私たち血友病患者エイズ感染被害を追及しましたが、松村課長は、これまでも言っていましたように、製剤エイズの汚染はないと平然と言うのです。危ない製剤をなぜ回収しないのか、すぐに回収の広告を出しなさいと言いましたら、ワイン一般国民が飲むものだけれども凝固因子使用者は限られているからと、血友病患者には緊急対応はしないという返事でした。血友病患者日本国民じゃないのかと強く抗議しました。  後で知ることになったわけですが、この時期も、次の年も、次の次の年もエイズ入りの危険な米国由来の非加熱濃縮製剤の出荷を認めていた感覚は、どうせ対象は病人なのだからという人権無視感覚と、命を守るために最善方策を尽くす使命感がない人たちの集まりだということでした。  その場で被害患者治療はどうするのかと聞けば、厚生省にその担当部局はないと言うのです。  彼らには、私たち薬害エイズ被害者全力を挙げて救おうなどという気持ちはこの時点でも全くなかったのです。  それが、その後十年間、裁判で国の加害責任が指摘されて初めて重い腰を上げ始めたのです。本当に次々と被害者を見殺しにしていって、積極的な治療全力を挙げようとしない、命を何としても守ろうとしない、早く死んでくれてうやむやになればと願っていたに違いないのです。伝染病を国の認可した製剤血友病患者にまき散らし、配偶者や恋人の二次感染被害者をつくり、最悪の事態を国がつくっていた感覚姿勢松村課長や法廷で証人に立った郡司課長象徴的にあらわれています。  特に松村課長は、その後、保健医療局長となり、我が国のエイズ対策責任者となるわけです。エイズ医療が全く進展するはずがないのがよくわかります。被害を拡大させた張本人が被害者の命の見張り番になっていたわけですから、命を全力を挙げて救おうとする手だてを厚生省がやるわけがないはずでした。  松村課長は、調査プロジェクトのアンケートに、エイズと非加熱製剤との関係原因と結果の一つの組み合わせではないかと不安を感じていたなどと答えていますが、余りにもばかにした話です。  彼は私たちに、八五年当時でも従来の非加熱製剤エイズウイルスに汚染されている危険性はない、だから回収命令は出さないと言い張っていたのです。  次に、加熱処理製剤治験調整について私が実際に聞いたことをもとにお話しいたします。  加熱製剤については、トラベノール社員は早くに日本に出せると言っていました。米国本社役員厚生省に早く出せるように申し入れに来たとも言っていました。それは緊急輸入とか、剤型変更とかの形でとのことでした。しかし、その後加熱処理製剤治験を経て供給されることになったのです。  一九八五年七月になって第Ⅷ因子製剤加熱処理製剤が一斉に認可されまして、加熱製剤安全性や供給などを尋ねて製薬各社を回りました。化血研に行ったとき、化血研はもっと早く加熱処理製剤を出したかったが、開発がおくれたミドリ十字に合わせるために遅くなったのですと言われました。うわさ情報として、ヘキスト以外、トラベノールが早く、カッターがおくれ、ミドリ十字はかなりおくれているということでした。やはりうわさ真実に近かったのです。ヘキストは七〇年代後半に開発を成功していて、日本にも出したかったそうですが、この安全な薬が日本に入る壁は相当厚かったとも言っていました。血液製剤協会厚生省利権絡みの壁のことを言っていたのかもしれません。  一九八五年八月十五日、当時の東京ヘモフィリア友の会会長F氏と帝京大学安部先生のところに行きました。初め、医学部長室に通されてそこで待っていました。応接セットテーブルの上にカルテの山がありました。F氏はそのテーブルに行き、全国の患者カルテだ、治験のためのカルテだと言って次々とめくって見ていました。私は何か恐くて、上にあるのをちょっと見ました。  名古屋の患者さんのカルテでした。その場には安部先生は来ないで、女性秘書が私たちを副学長室に案内しました。  安部先生と会ってF氏が加熱治験を話題にしましたら、安部先生は誇らしげに、ようやく加熱認可になった、私が責任者として治験を取りまとめたと言いました。私が、でもトラベノールはもっと早く出せると言っていましたよと問いかけると、安部先生は次第に興奮して、みんなに公平に行き渡らなければ大変でしょ、ですからこれまで出していた全社の態勢ができるまで待たせたんだ、そうしないと皆さんがお困りでしょうと言いました。でも、私は納得がいかず、先生、それよりも輸入製剤は危なかったのだから輸入禁止にしてほしかったですと口を挟むと、君は手術なんかで製剤が足らなくなって死ぬような患者が出たらその患者に対して切腹できるのかと怒り出してしまったのです。私は、じゃ先生エイズで死んだ患者に対して切腹できるのですかと反発しましたら、だから君たちと会うのは嫌なんだと怒ってしまいました。この加熱治験調整の話は、その後新聞記事でも見ました。  しかし、なぜ全社が足並みがそろわなくてはいけなかったのか、エイズを早くに大変な病気と認めていた医師が、その危険性を置いて一番おくれている会社の可能時期に合わせたなんて、犯罪的です。安部先生は、今ごろテレビのインタビューなどで、私が治験を調整したことなどは何であり得ましょうかなどと白々しいうそをついています。私は、この耳で彼が治験調整自慢気に語っていたのを聞いていました。  私を初め患者は、安全な薬を一社でも出してくれれば、互いに融通し合い命を守る方策を立てました。トラベノールが足らなければ、もう完全な製剤としてできていたヘキスト液状加熱製剤緊急導入もできたのです。それよりも日本製薬のような凍結乾燥クリオをもっとつくり、また日本人の血液でできた濃縮製剤ハイクリオやPPSBを使って緊急時をしのげばよかっただけです。患者に正確な情報真実を言わず、勝手に患者の命を握りつぶそうとしたその対応は絶対に許されるものではありません。これは厚生省もそうですし、製薬会社も同じです。  これだけ申し上げただけでも、厚生省血友病専門医がいかに事実をうそでねじ曲げているかおわかりいただけるものと思います。当時、現実厚生省などとの交渉、陳情を担当していた者として、これらのうそ発言回答は断じて容認できません。  それから、八三年夏、帝京大学症例エイズと認定しなかったこと、国内で危険な非加熱製剤を一部回収しながら厚生省がその情報を握りつぶしていたことについては、本委員会で徹底的に究明してほしいと思います。これらの出来事は、私たち血友病患者五千人の運命を決定的に変えてしまった悪魔の選択だからです。  血友病患者の世界は連帯感が強く、患者会を通じて情報もよく伝わります。仮に、帝京大学症例についてCDCのスピラ博士の認定に従いエイズ患者であると発表してくれていたなら、私たち成人患者は間違いなく自己防衛策をとれたのです。  未成年患者やその家族に対して、危険な米国由来製剤を使わないよう説得して回れたのです。死んでいった仲間たちのためにも、本委員会における真相究明を大いに期待しております。  次は、恒久対策について、特に責任に基づく医療保障を述べさせていただきたいと思います。  薬害エイズ被害者を国挙げて全力で救おうというかけ声はこれまで一度も厚生省から出ませんでしたし、態度もありませんでした。これまでの裁判などを通じて薬害エイズを何とかしてもみ消そうとする逃げの姿勢では当然あり得なかったことです。一九八五年に松村生物製剤課長に聞きました。そして、厚生省対応する部局がないということで、本当かと疑って感染症対策課に行き、熊谷課長森尾課長補佐などに伺いました。これは生物製剤課の問題だと言われ、交渉に来た患者家族は怒りに燃えました。恐ろしい感染症製剤でうつされ、その疫病を治療するところはどこかと聞けば厚生省にはないと言われたのです。予防キャンペーンはすさまじい予算を投入し、エイズの差別の象徴的存在になる予防法を施行し、薬害被害を訴えづらくしたのです。  この十年以上の命を見捨てた厚生省姿勢は、十年前から二千人の薬害被害者存在を確認しておきながら、厚生省が直接指導管轄できる国立病院被害者の命を守る最大限の、最善努力をしてこなかったことに尽きます。最先端医療先駆的医療の実際的効果を発揮して日本エイズ治療の指針を導き出した東大医科研医療は、熱意ある医療スタッフ患者エイズ治療に対してあきらめることをしない治療努力姿勢がつくり上げてきました。それは、カウンセリングでごまかすあきらめの治療とは決して違います。しかし、文部省の管轄など、エイズ医療に関心のない教授が選考されたり、命がけ患者の望んだエイズ診療部臨床研究のため立ち上げても、野心のある所長と院長で実質的に診療ができるスタッフを追い出すなど、被害者救済の立場の届かぬところで私たちは苦しみました。一般診療エイズ医療は大切ですが、国の加害行為被害を受けた者に最大量善医療を提供し、命を保障することがその加害責任を果たす根源です。  このたび、七年に及ぶ薬害エイズ裁判被告国らの加害責任を明らかにした裁判所所見を伴う和解が成立して、裁判所被害救済恒久対策として医療に対する被告の責務を指摘しています。  私たちは、被害者の命を守る最後機会として、国挙げて被害者の命を最大量善の総力を結集して守り抜く誓いと、その具体的実効性としてエイズ治療研究開発センターを独立の組織と力を持ったものとして、かつ最新の医療開発などのエイズ臨床研究の最前線として行い、また地域拠点病院などをネットして的確な診断とその診療方針を判断、決定できるリアルタイムの情報ハイウエーを整備して、地域医療格差の解消と命の保障に努め、またエイズ治療ができる医師医療スタッフを育て、かつ派遣するなどの実際的効果をねらったものとしてその設置を強力に求めてきました。  これを放送局に例えるならば、番組をつくるキー局とその受け皿となる地方局のような関係です。エイズ治療医療の面でも、最先端治療研究、実践するキー局と、それを全国展開するための地方局とが必要なのです。この責任ある医療保障こそが、雪の降る二月の三日間の命がけの座り込みをかけての責任明確化を基盤とした第一の要求でした。  もう薬害被害者の命を守る最後機会はことししかありません。ことしにこのセンターを立ち上げて診療を始め、具体的に治療を開始して地域との連携を早急につくることを国が強力に指導力を発揮して行われなければ救われません。その象徴としてのこのセンターを始動し、実際に臨床研究に当たるスタッフをそろえて私たちに提示していただきたい。また、それは拠点病院充実とその中核となるミニセンター的地域核病院設置も当然その即応すべき問題です。  和解に当たり、厚生省治療研究開発センター設置拠点病院充実を確約しました。しかし、これが現実に具体化するかどうかは不明です。私たちに二度とうそをつくような厚生行政を見せないでください。過去の真相を明らかにして責任の所在を明かし、その厳しい反省の上に立って最善行政を行うことを誓ってほしいのです。  責任ある医療の根幹は責任ある行政実行です。国会から行政の正すべき点などをさらに積極的に指摘いただき、私たち国民が安心して医療を受けられる環境をぜひつくり上げていただきたいと思います。そのためには、さらなる薬害エイズ真相究明薬害根絶の礎になるに違いないと確信しています。  御清聴ありがとうございました。
  8. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) ありがとうございました。  速記をとめてください。    〔速記中止
  9. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 速記を起こしてください。  次に、保田参考人にお願いいたします。
  10. 保田行雄

    参考人保田行雄君) 本日、このような形で発言機会を与えていただきまして、ありがたく思っております。  去る三月二十九日、HIV薬害訴訟和解解決しました。国会の議員の皆様にも和解解決へ向けて多大な御支援をいただき、この場をかりてお礼を申し上げます。  この三月二十九日の和解の際、原告団厚生大臣及び製薬企業との間で確認書が取り交わされました。その確認書の中で、「厚生大臣は、」「再び本件のような医薬品による悲惨な被害を発生させるに至ったことを深く反省し、その原因についての真相究明に一層努める」という一項が入りました。これは極めて異例のことであります。  では、なぜこのような解決に際してなおも真相究明が必要とされるのか、それが被害者によって求められ、これが明記されたのか、その理由です。  まず第一に、なぜに日本血友病患者の四割、二千人に及ぶ被害者が生み出されたのかという問題です。裁判所所見によればエイズという死の病、この被害が何ゆえ発生したのか。この原因の徹底した解明なしに、二度とこのような悲惨な薬害を繰り返さないための制度の改革は到底できないからであります。  また、二千人に及ぶ被害者のうち、既に四百人を超える人たちエイズを発症し命を絶たれています。そして、今も五日に一人の割合で新たにエイズを発症し、また発症者の中から死亡者が出ているのです。このようないわば虐殺とも言える凄惨な被害を生み出した責任者究明されず責任が問われないということであれば、この国に正義はないと言っても過言ではありません。原告被害者正義を求めているのであります。  第三に、真に揺るぎのない恒久対策を実現するためには、真相究明は不可欠であります。  さきの確認書作成作業の中で、厚生省は将来にわたる恒久対策、つまり被害者最高水準医療保障する、医療生活支援をする、その責任を負うことに対して極めて執拗に抵抗を示しました。これは、口では責任を認め謝罪したとしても、まだまだその加害責任に対する痛切な自覚が足りなかったものです。原告被害者は、将来にわたり厚生省恒久対策実行を怠ることがないよう、その真相究明を求めているのであります。  そして、この間の厚生省の動きを見れば、厚生省にみずから原因解明を求めることは愚かなことであることが明らかになっています。ここは、国権の最高機関であり、国政調査権を有する国会真相究明役割を果たすことが求められています。  この点で、この後予定されています安部英エイズ研究班班長郡司篤晃生物製剤課長らに対する調べが参考人にとどまるということに被害者たちは強い不満を持っています。任意の供述を求めるだけでは真実を語らないことは、厚生省調査プロジェクトに対する彼らの回答で明らかであります。また、二千人に及ぶエイズ感染被害、このことにかかわった人物が参考人にとどまることに対して強い不満を覚えます。原告被害者たちが望む証人喚問をぜひ実現していただきたいと思います。この場で強く要求しておきます。  では、何をどういう方法で解明すべきでしょうか。  私は八年前、エイズ予防法案の審議の際、当時社会労働委員会参考人として呼ばれて薬害エイズ解明を訴えました。厚生省は、その後今日まで資料を隠し続け、うその答弁に終始してきたのであります。そして、三月二十九日の和解成立を待つかのように新たな資料を公にしました。それは、いわゆる訴訟対策ファイルと言われるものです。また、この事件で重要な役割を果たしたと思われる藤崎生物製剤課長補佐ファイルを含む二十数冊であります。今、TBSの事実隠しが問題となっていますが、和解成立前に厚生省責任にかかわる資料存在を知りながら隠すこのような厚生省のやり方は、その悪質さにおいて比べようがありません。  東京地方裁判所薬害エイズ裁判の中で、私たち研究班資料など薬害エイズにかかわる資料開示を求め、裁判所もその開示を促してきました。  厚生省存在が確認できないとして提出を拒んできました。しかし事実は、訴訟対策を練る部署のロッカーに三十冊ものファイルがあったのです。  この七年間に及ぶうそをつき続けてきた責任はどうなるのでしょうか。今になってもまた繰り返される資料隠匿が徹底的に解明され、その責任が明らかにされない限り、この事実解明は進みません。  また、今まで厚生省が公開してきた資料を見ても、一見して情報操作の疑いが濃いものです。エイズ危険性にかかわる一九八一年から一九八三年にかけての公衆衛生局保健情報課の資料はほとんどありません。また、日本エイズ第一号認定や非加熱製剤回収と関連してくる一九八四年九月に設置されたエイズ調査検討委員会に関する資料は一切出されておりません。真相究明のためには、これらの資料の公開が不可欠であります。  これができるのは国会をおいてはほかにありません。  次に、ぜひ解明をしていただきたい点です。  いわゆる郡司ファイルにあった七月四日付の「取り扱い注意」と書かれた「AIDSに関する血液製剤の取り扱いについて」と題する書面についてです。  私はこれを見て大変驚きました。そこには、当時私も含めて血友病の患者たちエイズの緊急対策として考えたすべての点が盛り込まれています。米国原料を用いたものについては取り扱わないように業者に対し行政指導をすると事実上の輸入血液製剤の輸入中止が考えられ、加熱製剤の早期導入と国内原料による製剤の供給確保で対応しようとしています。これらの対策がとられていれば血友病患者の運命は変わっていたことは明らかです。  この点に関連して、二つの事実が何ゆえ隠されたのか徹底的に究明される必要があります。  まず、一九八三年六月から八月にかけてのトラベノール回収報告書が何ゆえに隠されたのかということであります。当時、アメリカの製剤回収でさえも新聞の一面を飾る事実でした。厚生大臣、通産大臣が例外輸出許可をし、公の手続を経て行われたにもかかわらず、なぜこれが隠されたのか。  だれが知り、だれが隠していたのかはっきりさせる必要があります。  そして、血友病のエイズ第一号患者がCDCのスピラ博士によって認定されながらも、そこには郡司氏や安部氏ら多数の関係者が参加していながらなぜに隠されてきたのか。  また、一九八四年から八五年にかけての不可解な事実の解明は不可欠であります。八四年九月、既にエイズウイルスは固定され、検査法も確立しています。九月には帝京大学血友病患者の多数がエイズに感染していること、その後鳥取大の栗村教授により日本血友病患者エイズ感染していることがわかっています。  厚生省にこれらの事実が報告されながらなぜに隠されたのか。そして、今日では既に明らかになっていますが、エイズ発症者ではない、単に感染者であるホモセクシュアルの男性がエイズ第一号患者としてなぜに認定をされ大々的に宣伝をされたのか。これらは、厚生省加熱製剤認可後も非加熱製剤回収指示を出さず、ミドリ十字が一万本に及ぶ非加熱製剤を新たに出荷していたのか、これらの事実と密接に関連するものであるというふうに確信をしています。そして、これらはフランスで刑事事件になったと同様に厚生省の犯罪にかかわる重要な事実であります。  薬害エイズでは、最初から最後まで血友病患者の一人でもエイズに罹患させてはならないと、そういう立場から施策がなされたということはありません。そこには、長年にわたり輸入売血を容認してきた厚生省血液行政の誤り、ミドリ十字厚生省の癒着など、構造的なものを含んでいます。  そして、一九八四年の九月以降に見られるように、危険であることを承知の上で、いや殊さらうその安全宣伝をしてまで使わせ続けてきた極めて悪質な犯罪性を持った事件であります。  これらにメスを入れられるかどうか、その点に関しては国会の力量がまさに試されていると思います。国会被害者原告たちが求めるその真相究明の痛切な思いにこたえられて、真に関係者を証人尋問されて徹底的に真相究明されることを期待しまして私の陳述を終わります。  御清聴ありがとうございました。
  11. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) ありがとうございました。  次に、家西参考人にお願いいたします。
  12. 家西悟

    参考人家西悟君) 三月二十九日に和解成立する運びになりました。皆様の御尽力、また御配慮に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。  それで、私の方としまして、今この和解が成立して思うことは、決してこれで終わったわけではないということです。これは私、マスコミにも記者会見で申し上げたとおりで、今第一歩が始まったと、真相究明は徹底してやっていただきたいということと、それと私たちはこれだけの重荷を背負わされたわけです。そのことに対しての、今後生きていくためにやはり真相を明らかにして、なぜ自分たちがこれだけの被害をこうむらなきゃならなかったのかというのをやはり知りたい。知らないと、やっぱりこのまま死んでいくわけにはいかないという思いがひしひしとしています。そうでないと、自分たちはこの被害をこうむるために生まれてきたのかと思います。  そして、今は亡き、私の前任になります大阪HIV訴訟原告代表をしていました石田吉明氏と一九八三年八月に国会、また厚生省に対しまして安全な血液製剤をという要望書を持ってまいりました。そのときになぜ私たちの声を聞き入れていただけなかったのかという思いがずっとしています。厚生省に持っていったときにも、担当局が違う、これは私どもではありませんというようなことも言われました。そして、それを持っていくのは別の場所だと。場所を教えてくださいと言っても当時の担当者には教えてもらえませんでした。  それはあなたたちが勉強して持っていくものであって、私が言うべき問題じゃないということで突っぱねられました。もしこのときに郡司課長もとへ私たちの声が届いていたならば大勢は変わったのではないかという思いはずっとしていました。  ですけれども、今回資料で出てきたものを見ますと、そうではないと。八三年に患者に対して指導するとか指針を決めていたということを読みました。こういうことをやっていたのかという思いがしています。そして、一九八三年の血友病の全国友の会拡大理事会の場において、きょう参考人として呼ばれています安部英氏によって、三千人に一人だという話を私は直接聞いています。たった三千人に一人の問題だ、だから心配する必要はないんだということを明確に安部氏は言っています。私はそのときに、本当にそうなのか。でも三千人に一人でもあったらそれはよくないんじゃないか、やはり一人でもあってはならないというふうになぜ考えていただけなかったのかというふうな思いがずっとしています。  そして、今、厚生省責任を認めて我々に対して謝罪したわけですけれども恒久対策というものは余りにも不明確、不十分です。やはり、我々は生きるための方策として、先ほど東京原告団の方から言っていました治療センターの確立は確実にやっていただきたいということと、そして治療を受けられる環境をつくっていただきたい。それは生活支援も含めてそういう場をつくっていただきたいと思います。  私たちはやはりこの被害を持ってこれからも生きていきたいし、当然自分の人生を歩みたいわけです。八三年の段階でしっかりと情報を公開してやっていただいたら、私はこの場でこういうふうな発言をする必要もなかったわけです。そして、エイズによって私たちの多くの仲間が死んでいく必要もなかったわけです。それが悔やまれて仕方がありません。  なぜ薬害が起こるのか。スモン、サリドマイドと経験してきて二度と薬害を起こしませんという約束をしながらなぜこういうふうになるのかというところについては、非常に私は憤りと悔しさがあります。そういうことをどうか酌んでいただいて、真相究明という部分については徹底してやっていただきたいと思います。  そして、一九八三年からずっときて一九八八年ですか、エイズ予防法のときにも私たちは大きく反対しました。そして、私たちに救済をしてほしいという要請をしてまいりました。その結果、今現在支給されています友愛財団からの給付というものができました。そのかわりエイズ予防法というものも通りました。このエイズ予防法に対しても、私は決して予防する目的ではなかったというふうに思います。それはあくまでも患者の口封じにしょせんすぎなかったというふうに思っています。  なぜこういうことを言うかというと、我々はエイズ予防法を担当されていた厚生省の高級官僚の方々が、このエイズ予防法可決成立後に祝賀会というか、そういう慰労会を兼ねた席上で発言されたという内容を少し聞いています。その発言というのは、人間のごみの問題は終わった、次は本当のごみの問題に取り組むんだという当時の担当者の発言があったと、その席上。我々はごみなのか、人間扱いはされなかったのかという思いがひしひしとしています。その結果、私たち裁判はするんだ、しないということはしないんだ、必ずやるんだという思いを当時しました。  そして、当時の厚生省血液事業対策室長ですか、の方は、あなたたち裁判できないでしょうということも言われました。プライバシーの問題からあなたたち裁判できないんでしょう、だからこういう救済でいいじゃないかみたいな、そういう話もされました。これは交渉の中で、実際私の前でそういう発言をされました。私たちは決して人間として扱われなかったんだなというふうに、当時悔しい、余りにも悔しいという思いがしています。  そして、製薬企業もそうです。在庫を処理するという、今回資料の中にも出ています、在庫の数というものを処理するためにやったと。これは私たちは言っていました、在庫整理するためにやったんだろうと。在庫の売り上げと今後裁判でかかる費用とを計算したときにどっちが安くつくんだということで、彼らはそういう試算をした上でやったんじゃないのかと。その結果、裁判される方がはるかに安くつくという試算をしたんだろうというようなことを私たちは推測していましたけれども、今回の厚生省資料にやはり在庫処理の資料がある程度出ています、在庫との兼ね合いが。  やはり、そういうふうに我々は人ではなくて物、金もうけの道具程度にしか考えられなかった。また、厚生省としてはあくまでも我々を人間として扱わずに、そういう企業の営利目的のために使う物であって、たかが五千人という程度に考えたんじゃないかという思いがひしひしとしています。  やはり、こういうような体質であれば、薬害の再発防止というものはただのうたい文句、お題目程度に終わってしまう。これではよくないと思います。やはり、実効性ある、具体的に二度と薬害を繰り返さないための厚生省なりの体質改善、また企業のそういう改善を法的に、またこういう国会真相究明する中で改善していただきたいと思います。  そして、最後に申し上げますけれども、私たちは決して自分の命が終わったとは思ってはおりません。まだまだやることはあります。こういうことだけにかかわり合いたくないんです。私自身はそう思っています。やはり、治療に専念して、自分の人生というものをもう一度しっかりと歩んでいきたい。  そのためにも生活支援を含めて恒久対策はしっかりやっていただきたいし、今支給されている五万円でどうやって生活するんだという意見も出ています、健康管理手当というものを。介護費用で十五万、これも発症基準というものがあってかなり厳しいです、はっきり言って。やはり、アメリカの新CDC基準であるCD4二百を切れば発病とみなして、そういうものの支給というものをぜひともやっていただきたい。そうでないと私たちは死んでも死に切れないし、何のために生まれてきたんだと。結局は企業、厚生省のそういう道具に使われていったのかという思いがどうしても抜けません。どうかその辺を御理解いただいて、その辺も含めて御検討いただければ幸いです。  ありがとうございました。
  13. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) ありがとうございました。  次に、花井参考人にお願いいたします。
  14. 花井十伍

    参考人花井十伍君) きょうは、私のような者にこのような発言機会を与えてくださって、ありがとうございます。  私たち薬害によるHIV感染者は、いわば単なる病人にすぎません。本来、病人というものは治療に専念しながら平穏に生活する、これがあるべき姿だと思います。そして、単なる病人である私のような者がこのような場においてこのように話している、この現実は極めて異常なことだと思います。  しかし、この異常なことというよりもはるかに異常な状況がこの国では行われていました。すなわち、国民の健康を守るべき厚生省は、一九八二、三年当時、非加熱血液製剤危険性を熟知していながら何ら対策をとることなく放置したばかりでなく、ミドリ十字を初めとする被告製薬企業の利益を最優先する諸策を採用し、血友病患者及び非血友病患者の非加熱製剤使用者のHIV感染を拡大していきました。被告製薬企業は、非加熱製剤危険性を私たち患者に隠したばかりではなく、むしろ積極的に安全キャンペーンを展開し、あまつさえ一九八五年加熱製剤認可後も、回収どころか在庫処分に奔走していました。その結果、一九八八年までこの危険な非加熱製剤は使われ続けていました。  私も八五年の冬、十二月に初めて加熱製剤を、ドクターからもう安心だよと言われた瞬間、私は今まで非加熱を使い続けていたという事実に震えました。すなわち、この薬害感染という事実、この責任を一切認めなかった国と製薬企業を相手に私たち裁判を闘ってきたわけです。その間、国は目と鼻の先に明らかにある資料を、その存在はないと偽って一切提出してきませんでした。そのせいで裁判は長い時間を費やし、多くの仲間たちが死んでいきました。  これらおおよそ人間の所業とは思えない異常な事態を訴えるために、裁判を闘い抜くために、恐らくは赤瀬さん、石田さんを初め家西団長や川田さんはみずからの病気を積極的に口に出して訴える、このような異常な形で闘ってこざるを得ませんでした。  もちろん、そのような形でマスコミの前に姿をあらわしていない多くの原告被害者も、それぞれの極めて激烈な厳しい環境の中でぎりぎりの闘いを強いられてきたわけです。すなわち、この薬害の全体像、だれがいかなる責任を持って何を判断したのか、すべての関係者が、官僚、製薬企業の人間がどのような責任を持ってどのような判断をしたのか、これが究明されない限りやはりこの事件の全体像というのは決して明らかになっていかないと思います。  先日、大臣を初め諸先生方の御協力もあって、裁判和解が成立しました。厚生大臣は法的責任を認め、謝罪しました。被告企業も最終和解案の中で明確に法的責任を認め、謝罪しました。  しかし、この異常な薬害事件によりHIVに感染した、そしてHIV感染症という病名の病人になった私たちは、診療拒否、就職差別、学校内での差別等、一病者として背負うには余りにも厳しい現実に長い間直面してきました。そして、和解が成立した現在においても、この現実というのは必ずしも改善されたとは言えません。  一九八三年時点で日本存在していた多くの血友病患者のHIV感染者の存在を、国みずからが招いた薬害の事実を隠ぺいするためになきものとして扱ってきた。そして、そのことが日本におけるHIV感染者の実態そのものを歪曲し、日本エイズ政策そのものを大きく誤った方向に導く原因となったと考えています。  患者存在を無視した結果、治療よりも大きく予防に傾いた見当違いのキャンペーンは、むしろ予防という観点から見ても成功したとは言えません。また、典型的な重度のカポジ肉腫の映像で恐怖をあおったり、差別的にハイリスクグループを印象づける報道を助長し、感染者に対する差別をむしろ増長させる役割を国は果たしたと思います。  国のエイズ対策、本当に必要だったエイズ対策、それは現に存在する病者である私たちに対する医療への取り組みだったはずです。しかし、その解怠は、本来、世間がたとえ差別その他さまざまな偏見を持ったとしても、論理的、冷静にこの病気を位置づけて対応できるはずの専門家たち医療従事者、これらの人たちがきっちりオピニオンリーダーとして振る舞い、診療し、むしろ差別をその中からなくしていくという、そういう役割を担うことすら国の政策によって遮られていったんです。「正しい知識が差別をなくします」、このようなキャッチフレーズは、結果的にだれよりも正しい知識がある専門家集団によって否定されてきたわけです。  例えば、きょうお配りした一九八三年五月二十五日付の資料があると思うんですけれども、そこに、血友病患者の扱い、すなわち血友病患者の感染は容認しつつ、社会防衛論の中で彼らは、彼らを管理する指針を決める、管理してどうにかなる、感染するのは仕方ないと、はなからもう感染は容認しつつ、我々は管理すればいいと。そういった国の体質、そういうあり方、それが医療の専門家たちにも伝播し、最終的には社会の体質にも伝播していった、そう断言できると思います。  その間、多くの患者、感染者は十分な治療を受けないまま命を落としていきました。和解を機に、本当におくればせながら、治療センタープロジェクト、そして全国百八十八の拠点病院が選定されました。しかし、これは本当に遅過ぎました。既に四百人以上の仲間がこの世にいません。さらに、生存原告の平均CD4陽性細胞数も三百三十六個となっています。この現実を考えると、一刻の猶予もならない。この医療充実、立ち上げということは、私たち感染被害者に残された最後の生きるチャンスだと了解しています。  私たちが望んできたものは、いわば普通に診察券を出して普通に診療を受け、さらには必要があれば普通に入院したい、たったそれだけでした。  しかし、この十年間、今まで言ったような国の政策により、全くそれは閉ざされてきました。余りにも遅過ぎた。しかし、今から全力を尽くして、僕ら感染被害者が生き残る道を何とか先生方の力で立ち上げに御協力をお願いしたいと思います。  それと、そもそもこのような薬害を生んだ原因一つに国の間違った血液行政のあり方というものがあったと思います。  一九七五年以来、具申、答申等、数度にわたり国みずから国内自給を目指す血液事業の答申を出しておきながら何ら実行せず現在に至る、このような状況の中でやはりこのような薬害というのは引き起こされてきたと思います。  現在、血液製剤、輸血に関しては国内血でほぼ一〇〇%賄われております。しかし、例えばアルブミンの自給率はまだ二〇%にすぎません。こういうことも含めて、この機会日本医療血液行政、それの根本的見直しというものを考えていただきたい。  これからなお医療はハイテク化、専門分化していきます。その中で、遺伝子治療、遺伝子製剤、そういったものがどんどん導入されていきます。  その中で、やはり今までのような人間の命を人間とも思わないようなそんな行政のあり方、また医療現場のあり方、こんなものが続けば、幾ら法律とか制度とかをいじったところで絶対薬害というのはなくならないと思います。人の命を人の命として大切に思うというこの当たり前なこと、この基本的なことが守られるようなそんな医療行政、薬事行政、こういうものができて初めて薬害根絶というのはできるんだなとつくづく思います。  ぜひとも先生方のお力でそういう業務行政医療行政を推進していただきたい。私たち患者も命が続く限りそれに協力したいと思います。今までみたいに受け身の患者という立場ではなく、積極的にそれが治るんだったら幾らでも協力していく、そういう意気込みがあります。一緒につくり上げていきたいと思います。  ありがとうございます。
  15. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) ありがとうございました。  次に、徳永参考人にお願いいたします。
  16. 徳永信一

    参考人徳永信一君) 私は、七年間薬害HIV訴訟を闘ってきた弁護士の一人として意見を述べさせていただきます。  七年前、やむにやまれぬ気持ちで裁判に踏み切った経緯については先ほど家西代表の方から話があったと思います。  裁判が始まった後、しかしながら厚生省の応訴態度というのは非常にひどいものでした。エイズというのは、当時対岸の火事であった、またエイズ研究班や血液製剤委員会といった専門委員会を設けて検討した、そして最善を尽くしたんだと言うばかりであって、何ら真相を明らかにしようという姿勢を見せませんでした。我々弁護団の手元には、悲しいかな、ほとんど証拠らしい証拠がないというのが当時の実情でした。  厚生省に対して、当時の専門委員会のあり方等について、また意思決定のプロセス等について、また厚住省が把握していた危険情報等について資料を明らかにしなさい、またはそのことについて事実関係を明確にしなさいと釈明を求めても、これに全く応じようとしませんでした。もちろんのこと、資料についてはそれがないというふうな対応を貫きました。  私たちはやむを得ず、真実を求めてアメリカやヨーロッパといった外国に証拠、資料情報を探しに行きました。そして、そこで情報公開に基づいて公開された公文書や製薬会社の内部資料、またアメリカのCDCの専門家の政府委員等に取材する等をし、また証人として日本に招請する等をし、真実を少しずつ明らかにし、結審にまで持ち込み、そして和解勧告にこぎつけたのでした。訴訟資料の、証拠書類のほとんどは外国の文献です。  それと翻訳です。日本で起こった薬害責任を問う裁判だということを考えれば、これは明らかに異様です。  本年の二月、厚生省のロッカーの中から今までないと厚生省が言い続けてきた資料議事録、そういったものが出てきたときには怒りよりも悲しさ、ないしはせつなさといったそういう感情を持ちました。ある種のそれは無力感だったように思います。ばかにされたのは患者、弁護士だけでなく、三権の一つであるはずの司法そのものが愚弄されたのです。七年間にわたる奔走は一体何だったのか。私たちにとって厚生省はアメリカやヨーロッパよりも遠い存在でした。  当時の情報につきましては、なぜ感染の危機が迫っていたとき、それが明らかになりつつあったときにその危険情報開示されなかったのか、私たちにはそれはわかりません。また、裁判で国が何をやってきたかということが問われているそのさなかであっても、そういった意思決定のプロセスに関する情報開示されなかったということはなぜなのかわかりません。その求めている情報の内容はまさに薬品の危険に関すること、またはそれに対して政府がとった対応の政策決定についてのことです。なぜそれらのことが隠されたのか、いまだに納得できません。  厚生省は、とりわけエイズ研究班、血液製剤委員会、そういった専門委員会の結論があったんだということをその免責の口実にしています。他方、エイズ研究班、血液製剤委員会の側は、自分たちは学問的研究を行うそういう委員会であるということをもってみずからの責任を逃れようとしています。  そして、そこでいつ、何が、どういう資料に基づいていかなる議論がなされたかということについて、長い間隠されて明らかにされてきませんでした。専門家が専門知識と、そして専門家としての責任で検討したのであればどうしてそれが明らかにされなかったのか、いまだもって納得できません。  厚生省では現在も私的、公的なものを含めて多数の専門委員会が開かれ、それぞれが政策決定に関与しています。そして、その多くは国民の健康や生命に直接、間接に関与するものです。  しかし、だれが、一体どういう基準で、何を、どういう責任に基づいて、どういう議論をしているのか全くわからない状況です。厚生省に問い合わせましたところ、昨年、一体どれだけの数の諮問委員会、専門委員会が開かれたのかということについて尋ねましたけれども厚生省はこれを把握していませんでした。現在のところ、厚生省があらかじめ出した結論、あらかじめ出したいと思っている結論についてお墨つきを与えて、その責任をあいまいにするブラックボックスとしての役割をそういった専門委員会が果たしているというふうに言わざるを得ません。  政策決定にかかわる専門委員会のあり方、役割、そして責任、これらを明確にし、少なくとも事後的に情報公開を義務づける、そういうことによって国民の民主的な監視といったものが絶対必要だというふうに思います。  本件では、これから参考人として証言されることになっている安部英氏がこの政策決定に大きくかかわっています。彼の行動は矛盾に満ちており、数々のなぞを秘めています。問題は、かかる人物によって政策決定がゆがめられたというのであれば、そのことを許したシステム自体が問われなければなりません。  情報公開、専門家委員会のあり方と、そしてそれをめぐる責任の問題といったことを語りましたが、最後に、厚生省の現状の体質の問題について触れておきたいと思います。  この裁判をめぐる報道の中で一番驚いたことは、一九八五年に加熱製剤が承認された後、その販売が開始された後もミドリ十字が非加熱製剤の出荷を継続していたということでした。厚生省回収命令を出さずに企業の自主回収にゆだねるという政策をとったことがその原因でした。そのため、非加熱製剤はその後二年十カ月余りも市場で使われ、被害を拡大し、そして血友病患者ではない肝臓疾患の患者さん、そして新生児出血症の患者さん等にも被害が拡大していきました。  これはなぜこういうことが起こったのか。今回明らかになった資料の中に、一九八三年十月にスクリーニングが未了の製剤についてどうするかということについて検討した報告があります。そこでは、スクリーニングが未了であってもそれが大量にある、そしてその金額は三十数億円に上るということを分析した後で、そのまま使用を継続するという結論がなされています。人命よりも企業の利益が優先されたとしか思えません。  こうした方針がとられた背景には、厚生省が、国民の安全といった課題と同時に、企業の育成、企業の保護という目的も有しているという事実があると思います。国民の安全を守る役目を持つ者が同時に企業の保護という役割を持つとき、一たん薬害の問題が、そしてその危機が起こったときに両者の調整という見地で問題が解決されてきた、このことは本件の薬害を通じて一番明らかになった問題だと思います。厚生省の中に国民の安全を守るという立場の確立を求めます。  現在、薬事法の改正ということも準備されているというふうに聞きますけれども、本件薬害がスモンの薬害を教訓にして改正された薬事法のもとで行われたということを決して忘れないでください。法律の改正だけではなく、それを運用する厚生省の体質といったものについて十分な検討が加えられなければ薬害の再発は防止できないと思います。  情報公開、専門家委員会のあり方、厚生省のあり方、体質といったものについてるる述べてまいりました。関係者の個人責任については現在進行している刑事司法の場でその追及が進められていきます。しかしながら、薬害を生んだ構造そのものにメスを入れ、そして新たな制度改革を実現していくのは国会の場しかないと思います。薬害エイズ真相究明、そしてそれに基づく薬害再発の防止、そのことについての参議院に期待するところは大であります。  よろしくお願いします。
  17. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  参考人方々一言御礼を申し上げます。  本日は、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。  本日は、質疑を行う機会がございませんでしたが、小委員会といたしましては、お述べいただきました御意見を参考としながら、今後の調査を進めてまいりたいと存じます。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  参考人方々は御退席くださって結構でございます。  速記をとめてください。    〔速記中止
  18. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 速記を起こしてください。     ―――――――――――――
  19. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは次に、参考人として、前帝京大学副学長の安部英君から御意見を承ることといたします。  この際、参考人一言あいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、当小委員会に御出席をいただき、ありがとうございました。  当小委員会におきましては、薬害エイズ問題に関する調査を進めておりますが、本日は特に参考人から御意見を拝聴いたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  この際、小委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で参考人に対し質疑を行うのでありますから、よろしく御協力をお願いいたします。  また、参考人におかれましては、委員の質疑時間が限られておりますので、答弁は簡潔、明瞭にお願いいたします。  それでは、参考人に対する質疑に入ります。  まず、小委員長の私から参考人に対し質問をいたします。  参議院の厚生委員会薬害エイズ問題に関する小委員会設置されましたのは、薬害エイズ事件の真相究明することにより、薬害の再発を防止する観点から薬事行政のあり方等について調査検討するためであります。薬害の根絶を図ることは厚生行政の重要な課題であるとの認識のもとに、国会に当時の関係者を参考人としてお招きし、徹底的に真相究明しようというものであります。  さて、薬害エイズ事件には解明されなくてはならない多くの疑問があります。  まず第一に、エイズウイルスに汚染されたおそれのある非加熱製剤をなぜ厚生省は使用を禁止しなかったのか。第二に、安全な加熱製剤への移行が急がれていたにもかかわらず、加熱製剤の臨床試験、いわゆる治験の開始がおくれたのはなぜか、またその治験に長期間を要することになったのはなぜか。第三に、加熱製剤の承認後も危険な非加熱製剤回収されなかったのはなぜか。大別すると、以上三点であります。  中でも、厚生省に「AIDSの実態把握に関する研究班」が設置された八三年当時、非加熱製剤血友病患者治療に用いられており、帝京大学では血友病の患者さんがエイズで亡くなられております。いわゆる帝京大症例と呼ばれる事例でありますが、当時この血友病患者さんがエイズと認定されていれば、その後の血友病患者への被害の拡大は防げたはずであります。  そこで、研究班の班長で帝京大学症例の主治医でもある安部参考人にお伺いをいたしたいと思います。  まず第一点でありますが、いわゆる帝京大症例について一九八三年当時エイズ研究班で議論が交わされ、結局この研究班では認定が見送られました。しかし、この研究班で検討された血友病患者の症例は一九八五年になってエイズ患者と認定されています。  参考人は今でも、御自身のこの症例が研究班で討議された当時、エイズであったと考えていますか。また、どうしてこの症例がエイズ認定を見送られたのですか。その点についてお答えをいただきたいと思います。
  20. 安部英

    参考人安部英君) 委員長先生にお答えを申し上げさせていただきます前にお許しをいただきとうございます。  私は、今お尋ねをいただきました患者さんを含めまして、長い間自分自身が治療をいたしてまいりました。例えば、あの症例などは三十年、家族的なつき合いもいたしてまいったわけでございます。そういう方に対して、私が行いました治療によりまして患者さんに感染を起こさせている、起きてしまったのでございます。私は本当に残念でたまりません。  また、この感染をもとにして多くの患者さんがエイズを発症されておりまして、中にはお亡くなりになりました方さえもおられます。これは医者としてはまことに断腸の思いでございます。今、もしお許しがございましたならば、この場で私、この患者さん方に心からお見舞いを申し上げたい。それから、御本人様及び御家族皆様に心からお悔やみを申し上げたいと思う次第でございます。  ありがとうございました。  さて、委員長先生の御質問でございますが、私の帝京大学症例が認められなかったのでということについて、今どのように思っておるかということでございますが、私はその当時エイズであると、エイズではないだろうかと非常に心配いたしておりました。現在の時点におきましてはそのHIVの感染を証明することができますので、今はエイズであると言っていいわけでございますが、その当時はHIVそのものがわかっていなかったものでございますから、私は心配はいたしておりましたけれども、これを科学的な認識をするという方法がなかったのでございます。そこは心配をして、それではないかということは十分に考えましたけれども、この裏づけはございませんでした。
  21. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、引き続きお尋ねをいたします。  スピラ認定についてお伺いをいたしたいと思います。  一九八三年の八月、アメリカのCDCのエイズ診断の専門家であるトーマス・スピラ博士が来日いたしました。そのとき、安部先生帝京大学の症例について診断を頼んでいますね。そのとき、スピラ博士は当症例についてエイズであると認定しました。それにもかかわらず、このスピラ認定は認められませんでした。どうして認められなかったのか。また、このとき認定を認めるとだれか困った人がいたのですか。それはだれですか。  その点についてお伺いをしたいと思います。
  22. 安部英

    参考人安部英君) 認定が行われなかったというのは、日本式の診断基準と米国のCDCが決めておられます診断基準とに少し違いがございました。それが二つの国の間のエイズであるという認定の差が出た理由であると私は思います。  それはそれぞれに理由がございますので、私としては、自分の考えとしては残念でございましたけれども、私は、先ほど委員長先生のお話しありましたように班長でございましたから、班長というのは班員の全体の意向を言わなきゃなりませんでしたので、これをそのままのんで了解いたしました。  それから、だれか困った人がいるかという御質問でございましたが、私はそういう人はちょっと思いつきません。
  23. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、続きましてギャロ氏の抗体検査についてお伺いしたいと思います。  参考人は、八四年八月に帝京大学血友病患者血液をアメリカのウイルス学者ギャロ氏に送って抗体検査を依頼し、同年九月に四十八検体中二十三検体が抗体陽性であるとの結論を得ました。  その件について、参考人厚生省に報告をしたと述べておられますが、いつごろだれに報告をなさいましたか。また、この報告書の写しは今回発見されたファイルの中にもありますが、報告を受けた厚生省はなぜこれを無視したのでしょうか、お尋ねをいたしたいと思います。また、サーベイランス委員会はこのことを知っていたのですか。
  24. 安部英

    参考人安部英君) 私は年をとりましたので記憶が非常に悪くなりましたから、ちょっとその点は割り引きをしていただきたいと思うのでございますけれども、実は、とにかくどこかでこれは当然報告すべきであると思いまして、ちょうどそのときには先ほどお名前が出ました郡司課長さんに電話をいたしたように思います。  けれども、ちょうどそのときは課長さんがおいでにならなかったんじゃなかったかと思うんでございますが、どなた様かがお出になって、私の要領を、内容をお話はいたしましたけれども、それではその書類をお送りしなさいというふうにお答えがあったのではないかと思います。  私は、そういうことはあってもなくても、その書類、私の手紙が、向こうから来ました手紙がございますものですから、それをお届けいたしたのでございます。
  25. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 最後に、帝京大学の症例がエイズであるとエイズ研究班でそのとき認定されていたならば、その後血友病患者対策に変化があったというふうに思われますか。
  26. 安部英

    参考人安部英君) 委員長、それはちょっと私は何とも申し上げられません。  けれども、私は自分の患者さんを、まさにこの非常な状況においでになることを、毎日毎日診療しておるわけでございますから、そしてこういう方が次から出てこられる可能性もあると思っておりましたから、これを何とかいい方法はないかと非常に悩みました。そして、多少心に思うこともあったのでございますけれども、しかし私の立場は研究をする人としての意見を求められているものと自分は理解しておりましたから、結局行政的なことは私には何にも言う権限もない、それは慎むべきであるとさえも自分ではちょっと思ったこともございまして、委員長先生のお尋ねにちょっとお答えができません。
  27. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 小委員長からの質問は以上でございます。  それでは、参考人に対し質疑のある方は順次御発言願います。
  28. 長峯基

    長峯基君 自民党の長峯基でございます。  きょうは、わざわざ参考人として御足労いただきまして、ありがとうございます。  いろいろ先生の過去の御業績、論文等拝見させていただきました。ただ、今は先生に対するいろいろな御批判とかあるようでございますので、名誉のためにもぜひ真実をお述べいただきたい、最初にお願いを申し上げておきます。
  29. 安部英

    参考人安部英君) はい、わかりました。
  30. 長峯基

    長峯基君 今、小委員長の方から質問がございましたので重複を避けまして、ただ関連をまず最初に御質問申し上げたいと思います。  ギャロ博士から四十八人中の二十三人が陽性であると、こういう結果をお知りになって、先生が血友病の専門家として、あるいは良識ある医師として、なぜこの結果を厚生省にちゃんと報告をし、あるいは治療方針を変更する、そういう方法をおとりにならなかったかが一点。それから、もう一点は患者さんにいわゆる告知ですね、当時はどのような御判断かわかりませんが、患者さんにお伝えになったのかどうか、二点についてお伺いいたします。
  31. 安部英

    参考人安部英君) お答え申し上げます。  厚生省に私が報告いたしましたことについては先ほど申し上げましたからお許しを願いたいと思いますが、これによって私の治療方針を変えなかったか、どうして、なぜ変えなかったかという御質問は、結局は変えようがなかったのでございます。  先生方のお手元にお届けしておりますのでございますが、私がちょっと用意してまいりました資料がございまして、そこには私ども血液学の教科書として使ってまいりましたウイントローブ先生の、アメリカのユタ大学の大先生でございますが、この人が出した本がございます。このときは一九五六年、というのはそんなに昔じゃございませんね、その五六年の第四版にはもう大変、そのときは先生ね、八〇%が二十歳までに血友病の方はお亡くなりになったんです。それで、ひどい〇%という患者さんはもう一歳の誕生日を迎えるということすら大変難しゅうございました。  でございますから、これを変えようということが考えられましても、今の濃縮製剤をやっておったので、それから八一年になりましても同じ先生が、前回は四版でございましたけれども、八版では今はもうすっかり普通の人と同じように生活ができて、しかも後遺症もなくて人生を楽しむことができるというふうに書いておられるのでございます。ですから、それを変えるわけにはまいりません。
  32. 長峯基

    長峯基君 私も本職は薬剤師でございまして、ある程度専門的なことはわかりますので、きょうは学会じゃない、国会の場でございますから、そのときに先生がどうお感じになったか、どう判断なさったか、そのことをぜひ御答弁をお願いしたいと思います。  それでは、血液製剤によるエイズウイルスの感染の危険性について、先生が認識なさった時期をちょっと教えていただけますか、いつかということ。
  33. 安部英

    参考人安部英君) この製剤の中にビールスがいると、あるいはHIVが証明をできましたのは一九八四年でございます。八四年ももう五月、あるいはそれもただギャロとかモンタニエという大学者がちょっと自分の患者さんから見つけた程度でございますから、実際に私が使います製剤の中にそのビールスがいるかどうかということを証明することは私にはできません。
  34. 長峯基

    長峯基君 先生は一九八三年の……
  35. 安部英

    参考人安部英君) 八三年でございます。訂正いたします。
  36. 長峯基

    長峯基君 六月の十八日に、略称でエイズ研究班の班長に御就任なさいましたそのときの新聞のインタビューで、「厚生省が非常に機敏で周到な配慮で設置したもので、高く評価できます」、「輸入に頼っている血液製剤で感染する危険もあるので、私としては、もう居ても立ってもいられない」、「輸入血液を六十度で十時間加熱し、ウイルスを不活性化する方法をとりたい。」、こうインタビューにお答えになっておりますが、この事実は間違いございませんか。
  37. 安部英

    参考人安部英君) 私は、その当時はそのように想像いたしておりました。
  38. 長峯基

    長峯基君 はい、わかりました。  それでは、年代別にちょっと御質問していきたいと思うのでありますが、八三年の八月に全国ヘモフィリア友の会より要望書が出ておりますね。  これは先生御存じだと思います。  それで、最近厚生省から出てまいりました資料の中に、安部先生あての手紙も入っております。  東京ヘモフィリア友の会先生の理事会でのいろいろなお話で全国から集まった方々も非常に安心したというような患者さんのお手紙でございますけれども、これは北村会長から先生に御相談があると思いますというような手紙でございます。  そして、この要望書は患者さんの方から一応四点出ている。一つ製剤及び原料血漿安全性に関する明確な基準をつくってくれということと、アメリカ合衆国のFDAの勧告前の製剤回収するように、それから三番目に国内血液を原料とする製剤の安定的な供給をしてほしい、四番目に加熱処理製剤の早期許可、こういうのでございますが、その要望書の五番目に先生の方で、血友病治療の水準を後退させないでほしいというようなことを先生が書き込まれたというか、そういう報道があるのですけれども、これはいかがでございますか。  事実であるかそうでないか、御答弁をいただきたい。
  39. 安部英

    参考人安部英君) 私は、今お伺いをいたしておりますうちに、そうしなければいけないんだと今も思います。  血友病友の会の方々が私にそのことを進めてくれとおっしゃいましても、先ほども申しましたように、私は研究班の世話役はいたしておりますけれども、これは行政的なことには何の力もないわけでございますので、それは私が学問的な立場でそのように書いたり口で話したりすることはできますけれども皆様のおっしゃるとおりにできるかどうかは私にはわからないというところが私のそのときの心境であるし、ただいまもそうでなきゃならないと思っております。
  40. 長峯基

    長峯基君 はい、わかりました。  それでは、エイズ研究班の報告書が出ておりますけれども、この議論について一、二点お伺いをしたいと思います。  このエイズ研究班の資料の中で、これは安部先生がおまとめになったと思いますが、実はクリオの問題でございますけれども、「医学的見地および社会的、経済的見地から限界があり、実地臨床ではこれを全面的に採用することはむしろ時代逆行」というふうにこの報告書では述べられております。  ただ、細かく読んでみますと、日本赤十字の中央血液センター徳永栄一先生、あるいは国立予防衛生研究所の安田純一先生の論文では、クリオも十分賄える、あるいは今後クリオの使用を積極的に図るべきであるというような話もございまして、かなり議論されたのではないかということを想像するわけでございますけれども、もしこのときの御記憶があれば少しお話をいただくとありがたいと思います。
  41. 安部英

    参考人安部英君) 実は、クリオを日本で最初につくりましたのは私でございます。  私は自分の血液をとって、そしてクリオをつくり、それを日赤に行きましてこのようにつくるんだというふうにデモンストレートいたしまして、それをつくってもらうようにお願いをいたしたのでございますが、その当時日赤では献血の量が足りない。それで、献血されました血液は、クリオをつくりますのはこれを血漿と血球というところに分けて血漿部分からつくるのでございますが、もうその当時は全血を輸注しておられるということで、もういっぱいでございましたようでございます。ですから、私が幾ら申し上げましても、少しぐらいはお分けいただけるかもしれませんけれども、それは非常に難しかったのでございます。  それは、ほかの先生方がもっと言えば出せたかもしれないとおっしゃいますけれども、私は自分でこのようにとって、毎週二百ccあるいは四百ccずつとって、ついには私は貧血になった。そうして私は自分の研究をした。そして、やっているうちには日赤からもいただけるようになるんじゃないかと思ってやったんですけれども、それがなかなかうまくいかなかったんです。ですから、先生の今御質問のような御印象をいただいたということになるのではないかと私は思います。
  42. 長峯基

    長峯基君 先生の御判断はよくわかります。  ただ、こういう議論というのは、患者さんもいらっしゃるし、大変これはつらいんですけれども、つまり、たとえエイズウイルスが非加熱製剤に入っていたとしても、それしかなかったという論法は、亡くなっていかれる方々にとっては許しがたい結論なんですね。ほかに何かなかったかというのをやっぱり日本の最高の学者としては模索し研究すべきではないかという、こういう議論になってくるわけでございまして、ただ、先生の御判断はよくわかりました。
  43. 安部英

    参考人安部英君) ちょっとそこで、よろしゅうございましょうか。  お言葉のとおりでございますけれども、血友病をずっとやってまいりますと、血友病というのは先ほど申しましたように非常に危ない病気でございます。そして、その命を支えるためには絶えず注射をしていかなければならないのでございます。ですから、もし今、加熱製剤が仮にいいと、そのときには私ども加熱製剤ということすらも知らなかったのでございますね。それで、加熱製剤がいいといたしましても、それを入手できなければ、私どもはあるもので命を長らえていただくということを考えなければ仕方がなかったのでございます。
  44. 長峯基

    長峯基君 よくわかります。先生のおっしゃっていることはよくわかります。ただ、結果としてこれが正しかったのかということになりますと、死んでいく患者さんがおられるわけですから、これは非常に厳しい、つらい質問だと思いますので、結構です。  それでは、加熱製剤治験の問題について、ちょっと時間もありませんので先生一言お伺いをしたいと思います。  厚生省は、八三年の十一月十日にこの説明会をいたしまして、第一相試験をやらないということだったのでございますけれども先生の方は第一相試験が必要だということで、いろいろ議論があったようでございます。  どうもこの時期の、感情的な対立といいますか、先生厚生省のそこら辺の行き違いというか何かがあって治験が時間的に非常におくれたというところがいろいろな資料から推察されるのでございますけれども、しかもその中に、安部教授の了承なしには治験ができないというようなメーカーからの話とか、そういうものも現実にはこの厚生省資料で出ているわけでございます。  それで、結局最後にこの治験をやるということになったのは一九八四年の三月ということですね。そこら辺のところをちょっと御説明いただきたいと思います。
  45. 安部英

    参考人安部英君) それは、今お尋ねのようなことは、今から否定をしてまいりますけれども、実は私が了解をしなければできないなんというものではございません。  というのは、治験を頼まれましたのは薬屋さんからでございます。厚生省から頼まれたのでも命令を受けたのでもございません。ですから、薬屋さんと私との間で相談をして決めていくのでございます。  それで、各社から依頼がございまして、そして治験をやることになりまして、全国のお医者さんを集めて、そして治験のチームをつくりまして、そしてそのところで説明をして、これは早く、私は加熱製剤を一刻も早くやりたいという気持ちでございましたから、先ほどのお引きになりました新聞記事にもちゃんと書いておりますので、あれを変えたことはないのでございます。私が加熱製剤をとめたなんということはとんでもないことでございまして、私としては残念でたまらないわけです。  それでございますが、そうしてスタートしようと思いましたところが、皆さんは、治験をやります先生方は、これは一相をやらなければ患者さんに対する責任がとれないというふうにおっしゃいまして、そして難色をお示しになったわけです。  私は非常に困りました。というのは、私もお話を聞きますと、なるほどと思わざるを得ないわけでございます。たんぱくを熱して、そしてそれに害があるかないかを調べなかったらどうするんだということになるんですね。  私は、仕方がないから、それではというので一つの法案というか、一法を考えまして……
  46. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 安部参考人にお願いいたします。簡潔にお願いをいたします。
  47. 長峯基

    長峯基君 大体もうそれから先はわかりますから結構です。
  48. 安部英

    参考人安部英君) 私はいろいろなことを調べさせてもらいまして、もう一度皆様に集まっていただきまして、そして実際に加熱製剤を使った人がどうだったかというのを調べて、それで報告で納得してもらってスタートしたわけでございまして、私が特に治験をおくらせたということも絶対にございません。
  49. 長峯基

    長峯基君 私に与えられているのは二十四分でございまして、時間があれば先生とゆっくり御議論をしたり御指導をいただくのでございますが、大変申しわけございません。  一応私どもの解釈ではそういう解釈をしておりますので、そこはお許しをいただきたいと思います。  それでは、財団法人血友病総合治療普及会というのを先生がおつくりになりました。一九八三年の五月から十一月に基本財産ということで製薬会社六社から五千三百万円お集めになったということは事実ですね。事実関係を申し上げますけれども、それは事実ですね。  それと、治験をやりながら、少なくとも一つの企業が一千万を出すということは、企業というのは自分から進んで安部先生一千万円持ってきますということはないと思うんですね。その目的について要求があるから出す。しかし、企業というのは何のメリットもないものにお金を出すということはありません。  そういう意味で、この基本財産の形成について、しかもそれが時期を一にしているということが非常に疑問があるということでございますが、先生の常識からいったらこういうことは当たり前だと、そのようなお考えなのか、やっぱりこれはおかしいとお考えなのか。
  50. 安部英

    参考人安部英君) 私は、この財団法人血友病総合治療普及会の基本金を集めることと治験とは全く関係がありませんということを何回も繰り返して言いたいのでございます。これはとんでもないことで、私としては非常に侮辱された気持ちでおります。  そして、それはこういうわけでございます。  例えば、これは八三年の五、六、七月にお金は企業からその財団に基本金としていただいております、一千万円当てですね。ところが、そのときにはまだ治験の話は全然出ておりません。また、委員会すらもまだできていなかったわけでございますね。  ですから、治験委員会とは別でございましたけれども治験の話は全然出ないときに、もう既にそれはそれよりも一年も前にその財団法人をつくりなさいと、そして患者さんのために努力をしてくれとおっしゃって、私がそれに乗っていったわけですね。  だから、それを後の治験のときとつなげて同じ時期であるなんとおっしゃっていただくということは非常に心外でございます。
  51. 長峯基

    長峯基君 いやいや、心外とか、そうじゃなくて、事実がその時期だということを言っているんですよ。
  52. 安部英

    参考人安部英君) いやいや、時期も違うわけでございます。
  53. 長峯基

    長峯基君 いや、日にちがね。
  54. 安部英

    参考人安部英君) 日にちは、だって、それはうんと違います。治験をやるのは十一月でございますし……
  55. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 参考人にお願いをいたします。指名を受けてから発言をしてください。
  56. 安部英

    参考人安部英君) ごめんくださいませ。
  57. 長峯基

    長峯基君 それから、この血友病総合治療普及会というのは、私の調査では一九八六年から一九九五年まで、平成七年ですね、賛助会費と寄附金を総額で五千六百七十万集めておられるんです。  平成七年度は賛助会費が二百万、寄附金が百九十万ですね。もちろん、活動報告書もございます。  しかし、そういう医学界の血友病の最高の権威者が研究をするということで製薬会社から基本財産としての基金を募ると、次は毎年製薬会社から賛助会費あるいは寄附金という名目でお金を集めると、そのことを世間の常識では癒着と言うんです、少なくとも。本当は必要ならこれは国が出すべきですよね。しかも非加熱製剤を販売している製薬会社からずっと今日まで資金を集めている。  このことについて、現実はそのとおりだと思いますが、先生は医者の良識として、やっぱりこれはおかしいとお考えなのか、このようなことは当たり前だとお考えなのか、その一点を御答弁いただきたいと思います。
  58. 安部英

    参考人安部英君) 内容を少し説明させていただいて、それから私の結論を出させていただきます。  と申しますのは、財団法人というのは、私が一銭も自分の関係のお金を使用できるものではございません。それで、これは結局は研究するお医者さんたちに、三名か四名の方ですが、五、六十万当ての奨学金を差し上げるとか、あるいはほかのところへ講演会に行っていただくとか、いろいろ外国の本を読むときにプールをするところで回し読みにするとか、そういうふうにしておりましたためにそれだけのお金が要ったわけでございます。何も……
  59. 長峯基

    長峯基君 内容はわかっていますから。
  60. 安部英

    参考人安部英君) それでございますから、これがおかしいとおっしゃるというんじゃなくて、仕方がなくこのようにしたわけでございます。
  61. 長峯基

    長峯基君 わかりました。  つまり、目的が正しかれば手段はどうでもいいということはこの世の中で通らないと思うんですね。ですから、仕方がなかったと言うけれども、そういう企業からお金を集めて研究をする、そのことに私は大きな疑問を持っております。  ただ、時間が参りましたので、これで質問を終わりたいと思います。
  62. 田浦直

    田浦直君 平成会の田浦でございます。  きょうは、安部先生、本当に御苦労さまでございました。  先生の前に原告の方の御陳情があったわけですけれども真相究明のためにぜひこの帝京大症例がなぜ認定されなかったかということを徹底的に究明してくれということがありました。私も、実は医者でございますので、我が国でどの症例が本当にエイズの第一例であるのかということは後世のためにもきちんとしておかなければならないというふうな気持ちを持っておるわけでございます。そういった意味で、先生がキーでございますので、ぜひ正直にお答えいただきたいというふうに思います。  先ほど小委員長の方から質問がありまして、エイズ研究班で先生の症例を提出されたときに自分はエイズではないかという心配をしておったというふうな御答弁をされましたんですね。私はこれちょっとニュアンスとしては非常に弱くなっている、トーンが弱くなっているという気がするんです。  先生は「臨床成人病」という雑誌に、一九八一年からこの症例は見ておる、そして八三年にはこれはもう間違いないというふうに思ったと書いておられるんですよ。それから言いますとちょっとこれはトーンが落ちているんじゃないかなというふうな気がするんですが、本当にその時はこの症例は間違いないというふうには思われませんでしたでしょうか。
  63. 安部英

    参考人安部英君) 田浦先生、大変私としては非常にありがたい御質問でございます。  先生、まず第一に、私がそういうふうに書いておるということは本当でございますね。しかし、これは私の個人の意見として書けるわけでございます。ところが、その後の総括報告でございますとか、そのほかの班長という立場でいたしますときは、これは私の意見を一〇〇%に出すわけにまいりません。でございますから自然に、トーンダウンしたと先生がおっしゃれば、そういうこともやむを得なかったというふうに申し上げさせていただきます。
  64. 田浦直

    田浦直君 先生、当時はエイズの専門家というのはそんなにおらなかったと思うんですね。研究班を見ましても、例えば肝炎の専門家だとかあるいは疫学の専門家だとかという方が入っておられましたけれどもエイズの専門家といえば先生ぐらいしかおらなかったはずだと思うんです。それを、先生が自信を持って出されたのをどういう理由で、だれがといいますか、CDCの基準に載っていないから、のっとっていないからという理由だけで断られたのでございますか。
  65. 安部英

    参考人安部英君) CDCに載っていないということを申し上げますと、その私と意見の違う方に対しては、自分たちは自分たちのクライテリアがあるんだと。でございますから、それもCDCはそう言っているんだというふうにお考えなんでございます。
  66. 田浦直

    田浦直君 私はちょっとその流れとしてやはり何か、この症例を認めたくなかったのではないかなと、その場で、という雰囲気はございませんでしたでしょうか。
  67. 安部英

    参考人安部英君) 申しわけありません。私はそれを察知することができませんでした。
  68. 田浦直

    田浦直君 じゃ、次のスピラ診断です。  スピラ博士というと、これはもうエイズの全く本当に世界的な権威でございます。その方が認定をした。これは書いてありますね。「Dr.Abe, we are very sorry」と、こう書いてあるんですね。  これはもうエイズだと発言されておられるにもかかわらず、一体だれがこれを否定したんですか。
  69. 安部英

    参考人安部英君) 私は、スピラさんが質問をして、お前のプレゼンテーションをやれということでございましたから、私は自分のケースを普通の学会のようにお話しいたしました。そうしましたら、それを聞いて、アメリカ式ではこれはエイズであるということでございます。  ところが、日本先生方には、その同じCDCの条項をフォローアップされまして、そしてこれは違うんだと。例えば、ステロイド剤を使っていると。これはステロイド剤がその細胞免疫機能を下げたんじゃないのかと、これを証明しなければこれは言えないではないかと、こういうふうにおっしゃいますと、これは私は班長であるから、あるいは多少はエイズのことを、血友病のことを知っておると申しましても、それを自分の主観でこれを葬り去るわけには、先生、まいりません。
  70. 田浦直

    田浦直君 それは、例えばステロイドを使って免疫が低下したからというふうなことで否定されたということになりますね。しかし、先生は「臨床成人病」の中ではCDCの条件は十分に満足していると自分では思っている、こうおっしゃられているんですよね。だから、私からしますと、スピラ博士もこれはエイズだとおっしゃった、先生も自信を持って出された、そして本当に専門家のいないところでこれをエイズではないと言ったというのはどうも納得できないんですね。  スピラ認定を覆したというのはどんな理由で、やっぱりCDCだけですか、例えばほかのところの病理の検査をしてそれがだめだと言われたとか、そういうことはございませんでしょうか。
  71. 安部英

    参考人安部英君) 非常に私としてはデリケートなところでございます、先生。  というのは、そのスピラ先生の発表されましたその先ほどのコメントを皆様に報告いたしました。ところが、皆様は自分たちの立場では正しいとおっしゃいます。そうすると、先生、私はどうすることもできないんです。私はそんなにタイラントでもドグマチックでもございませんというつもりでおりますから。
  72. 田浦直

    田浦直君 じゃ、次に進みまして、それからもう一度また、今度はギャロ博士のところに先生の検体を送ってこれを見てもらったらもう抗体陽性だと。これは臨床経過から見まして陽性であるならば患者には間違いないですね。だけれども、その時点でもこれが第一号になっていない。これは一九八四年の九月ですよね。第一号が出たのは一九八五年の三月ですから、先生のが半年ぐらいこの時点でもまだ早いんですよ。  抗体も出ている、経過も全くエイズ、それでも認定していない。これはちょっともうどうしても理解できない。その辺はどうなんですか。
  73. 安部英

    参考人安部英君) 私もそこは答えられません。答えられないというのは、どう言っていいのかわからない、こういうわけでございます。  とにかく、今、先生がそのときにどうして認めなかったのかとおっしゃいましたけれども、私はその八四年の九月とか何とかにはもう班長ではないのでございます。
  74. 田浦直

    田浦直君 これは医学的に、学問的に言いまして、班長だから、あるいは班長でないから第一号の症例になるとかならぬとかいうことはないと僕は思うんですね。症例として全く第一号に十分値する。それが認定されなかったというのは、私は何か働きかけがあった、先生はしたがったけれどもどうしてもできない、そういうものがあったのではないかなと、何かわかりませんが、そういうことはないんですか。
  75. 安部英

    参考人安部英君) 先生、同じことを繰り返して済みませんけれども、結局はこの判定を認めるとかいわゆる認定をするというのは、これは政府の方の関係がございまして、ですから私はそのときには一介の医者にすぎないのでございます。だから、これは私は私なりに報告したり、それからすぐ同じように私はNIHでHIVの国際シンポジウムでこの報告をいたしておるのでございます。
  76. 田浦直

    田浦直君 それでは先生、この順天堂から出ました症例、これは突然出てきて、先生のは二年間ぐらいかかっていろいろやったけれどもエイズの一号にはならなかった。ところが、順天堂から出てきた症例は出てきて瞬く間にエイズと認定されて、またもうアメリカに帰ってしまった、今どうしておるのかわからない。これは先生、どう思われますか。
  77. 安部英

    参考人安部英君) 先生、それは、順天堂のケースは、これは私は全然関係がございません。ちょっと先生、それをお答え申し上げることは私にはできない。
  78. 田浦直

    田浦直君 いや、先生、班長としてじゃないんですよ。先生が血友病の、そしてエイズの学者として、第一人者として、こういうものは本当に第一例としていいのか、そういうところを私はお聞きしたいんです。その辺はどうお考えでしょうか。
  79. 安部英

    参考人安部英君) それは、また繰り返しますけれども先生、私に関係が、私はその患者さんを全然診たことがないわけでございます。ですから、それについて何にも、イエスとかノーとかと言う権限がないわけでございますし、そういうことを知るチャンスもなかったわけでございます。  したがって、先生が私のそれに対する意見を求めておいでになりますけれども、私としてはどう言うこともできません、わからないのでございますから。
  80. 田浦直

    田浦直君 もう時間ですから。  先生がこの症例が否定されたときにこういうふうな発言をされているんですよ。これは私には何ともできないと、これには厚生省の意向も十分酌まなければならないし、大変苦しみました、患者さんに対しても爆発的に患者が出たら自分は大変だということで悩みましたと書いてあるんですよ。  その厚生省の意向も酌まなければならないというのはどんなことなんでしょうか。学問的に解決することではないんですか。
  81. 安部英

    参考人安部英君) 私が関係をいたしますのは、厚生省の意向を考えるといいますのは、学問的な立場では報告を、見解として報告をその班会議に提出まではできます。しかし、その結論は、もう私はただまとめるだけでございますから、ですから厚生省がそういうまとめたものをどのように扱うかというのは、班会議そのものは厚生省に属しているわけでございますから、厚生省のことを考えるべきであろうと思ったのでございます。
  82. 田浦直

    田浦直君 じゃ、先生、もう最後ですから、厚生省のやっぱり意向が要るわけだということですね、今の御発言だと。第一号を決めるというのは学問的に決めるだけではなくて、今、先生厚生省のやっぱり意向はどうしてもあるんだというような御意見でした。  先生、これでもう終わりにいたします、時間ですので。
  83. 水島裕

    水島裕君 私は、三十年以上も先生とおつき合いをしていただいて、先生と同じ頭脳を持っている科学者、理屈のわかる科学者でございますので、先生もそういうふうにひとつお答えいただきたいと思います。  先生方が関係してこのような事件が起きたことは本当に残念に思っております。それですから、先ほどの帝京大の症例がもしエイズと認定されればその後の血液対策が変わったかどうかわからないというようなことは昔の先生でしたらおっしゃらなかったことだと思いますので、ひとつこの次の質問にはちゃんと答えていただきたいと思います。  それで、地方の医学会じゃなくて本当の行政の中枢であの症例が、非常にクロに近い先生の症例が出たわけでございます。それですから、それを契機に、少なくとも仮にシロと認定いたしましても、血液製剤は危ない、対策を立てなくちゃいけない、それからもう一つ本当にその症例がエイズじゃなかったのかということを引き続き検討なさらなくてはいけなかったはずでございます。  それを班会議の方々及び厚生省方々はどういうふうに対応なさったかだけ一言おっしゃっていただいて、私の感想を後で述べさせていただいて終わりにしたいと思います。
  84. 安部英

    参考人安部英君) ありがとうございました、水島先生。  私どもがこの問題を扱います時期、いわゆる八三年の六月でございますね、そのときにはまだ加熱製剤というのは、エイズのための加熱製剤はございませんでした。ほかの加熱製剤、B型肝炎のものは試みられておりましたけれども。  ですから、そこのところは何とも言えないわけです。ですから、これをさらにどのようにするかということは私ども研究をしなきゃしようがありませんですね。だから、この班会議で云々というわけにはいかない。
  85. 水島裕

    水島裕君 私は、それ以後今の研究も含めていろいろ対策を立てるべきだったと思います。  やはり先生方は専門家でありましても余りにも当事者で、いろいろ皆さんとの関係もございましたので、私の意見は、やはり専門家ではあっても当事者じゃないところでもう一度いろいろ考え直すというシステムがあったら、そのときもあるいは結果が違っていたんじゃないかというふうに思っておりますけれども、ぜひ御賛同いただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。簡単に。
  86. 安部英

    参考人安部英君) 水島先生の今のお言葉は、私は、そういう立場に置かれたら私はもっとやれたかもしれないと思っております。
  87. 水島裕

    水島裕君 わかりました。  これで終わります。
  88. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 社会民主党の朝日でございます。  どうも御苦労さまでございます。  きょう参考人にお尋ねしたいことを先ほどからいろいろ考えておりましたが、少し角度を変えてお尋ねをいたします。  まず第一点。  参考人はこの研究班が設置される以前、昭和五十七年度の厚生科学研究であったと思いますが、血友病患者の中に、多分先生が直接診ておられた患者さんも含めて、免疫欠損もしくは免疫異常が認められるという学会への報告を出されておりますが、まずそれは事実でしょうか。
  89. 安部英

    参考人安部英君) 私が記憶いたしますところでは、それはエイズのつもりで記憶したつもりではないのでございます。ですから、あるいはちょっとそこのところの記憶は私は明らかでありませんから、おまえはそれを覚えているかとおっしゃいましても、ちょっと私は、先生がお調べになったら、それはそれに従うしかないと思います。
  90. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 今、私はあえてエイズという言葉を使いませんでした。血友病患者の中に免疫欠損もしくは免疫異常が認められる例があるというふうに申し上げました。  確かに、この段階ではHIVの確定もあるいはエイズという診断基準も必ずしもきちっとでき上がっていなかったわけですから、それが今から考えてどうであったか、エイズであったかという議論は、この当時としてはそれぞれその難しさがあったと思いますが、少なくとも先生血友病患者さんの中に免疫欠損もしくは免疫異常が認められる場合が少なからずあるという認識はお持ちでしたね。
  91. 安部英

    参考人安部英君) 私どもが調べましたものの中にはそういうケースもあったということだけは言えると思います。
  92. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 そのようなケースが、例えば血液製剤治療のために使っている薬と関連があるというところまではわかりませんでしたか。どのように御認識でしたか。
  93. 安部英

    参考人安部英君) それはわかりませんでした。
  94. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 そうすると、免疫欠損あるいは免疫異常があるという事実だけを御認識されていて、その原因までにははっきりした所見は得られていなかったと、こういうふうに理解してよろしいですか。
  95. 安部英

    参考人安部英君) そのとおりでございます。  調べようがないのでございます。
  96. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 次に、先ほども問題になりましたクリオ製剤のことについてお尋ねします。  先ほどのお答えでは、先生はむしろクリオについてはみずから率先してやってきた、いろいろ日赤にも持ち込んでみた、こういうお話でございました。  一つは、このエイズ研究班の論議の中でも、少なくとも一部にクリオ製剤の使用を中心とした血友病治療に切りかえるべきだという意見もあったと思います。そこで、もう一度このクリオ製剤の使用ということについて、改めて日赤に相談をするなり、改めてその体制をつくることができないかどうか検討する余地はなかったんでしょうか。
  97. 安部英

    参考人安部英君) 大変厳しい御質問です、私にとりましては。  と申しますのは、私の班の中に血液製剤委員会というものをつくりました。それは、そういうことを検討していただきますためにつくったわけでございます。でございますから、私が皆様と相談をいたしましてつくりましたのに、私が真っ先に、あれはもうほったらかして、自分たち意見を言って、そしてこのようにしてくれと、ちょっと言うことは私としては慎みたいと思いました。
  98. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 その後においても、あるいは今日においても、こつこつとクリオ製剤を中心に治療をされておられる臨床の先生もおいでになるというふうに伺っております。返す返すもこのときにもう一度改めてクリオ製剤中心の血友病治療へという方向転換ができなかったことを大変残念に思います。そのことについてあえてこれ以上質問は申し上げません。  ただ、一点だけ申し上げますと、先生は濃縮製剤による家庭療法の維持あるいは普及に積極的にこれを重視して進めようとされていたというふうに伺っておりますが、それは事実でしょうか。
  99. 安部英

    参考人安部英君) 私は、家庭療法をやることがいいことだ、大事なことだと思いました。  それには理由が二つあります。一つは、患者さんが早く治療ができますから、痛みもなければ、それから後遺症もなければ、それによってあたら別のところに出血をして、例えば脳の中でも心臓の中でも起こるとか、臓器出血なんということがない、起こるのが少ないということが一つでございます。もう一つは、早く治りますから経済的にも御本人たちに大変助かると、こう思いましたから。
  100. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 そのこと自体は私も認めますが、ただ、今から考えますと、濃縮製剤による家庭療法を重視する余りに、結果としてより大きなレベルでの判断をゆがめることになったというふうに思えますが、いかがでしょうか。
  101. 安部英

    参考人安部英君) 私はそうは思いません。  というのは、家庭療法を一番容易に、家庭療法というのは患者さん自身がおやりになるわけですから、クリオを私は自分でやって、そして患者さんにもやらせて見ておりますというと、必ずしもそのときは、クリオのときはいつも満点でできるというわけにはいかないのでございます。ところが、濃縮製剤のときにはこれが比較的よくいきますから、私は余り変えるという考えはそのときに出ませんでした。
  102. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 そこで用いられた濃縮製剤が相当にリスクを有する輸入非加熱濃縮製剤であってもですか。
  103. 安部英

    参考人安部英君) 私は、患者さんの生命を救わなきゃいけません、生命を保たせなきゃいけません。とにかく私どもは、私の師匠からも、それから私の学生にも教えてきましたことは、医者は患者の苦痛を除かなきゃいけない、それから後遺症を起こらないようにしなけりゃいけない、命を救わなければいけない、この三つをやることが前提でございます。この前提をやりまして、その上にもしエイズが起こるということは、私は非常にそれは悩みましたですね。悩みましたけれども、それはそのときにまたエイズに対する対策もいろいろあるから、それでやろうというふうに考えました。
  104. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 じゃ、次に移ります。  先ほどの議論と同じ課題ですが、加熱製剤治験の問題にかかわって、先ほどの先生のお答えは、先生自身も一刻も早く加熱製剤に切りかえていくということを求めていたというお答えでございました。決してその治験の時期を調整するようなことはしていないというふうにおっしゃいました。  しかし、結果として、五社ですか、六社ですか、ほとんど同じ時期になっていますね。ということは、これは企業側が談合したということですか。
  105. 安部英

    参考人安部英君) 私が関係をいたしますところは、治験を始めてください、スタートというところで、各社が、また各先生がその患者さん、自分の担当の患者さんにこの治療を、その治験を始めなきゃいけません。治験を始めるためにはいろいろ条件がありますけれども、始めなければいけませんが、私は、始めてください、それでは始めますと言っていただきさえすれば、後は私はもう全然関係が、影響はなくなるわけでございます。  というのは、お医者さんと患者さんと製薬会社との三者でもうすべてを進めていらっしゃるのでございまして、私自身はそれには何にも容像をするチャンスもなければ、その権利も何もないのでございます。
  106. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 ちょっとそのお答えでは納得できないんですが、最後に、先ほど来、研究班の班長としての任務の限界等についておっしゃっておられますが、先生は班長をお引き受けするに当たって、この研究班がどういう性格のもので、どういう役割を期待されているというふうにお考えになってお引き受けになったのか。  今日の段階で振り返ってみますと、この研究班が出した結論がもたらしたその後の大変不幸な事故を考えますと、この研究班の出した結論の意味は先生がそのときにお感じになっていた以上に大変大きな意味を持っているというふうに思わざるを得ません。ややもすれば、班長としての任務の限界を強調されて、あたかもその責任厚生省側にというふうにも聞こえたのですが、その辺について最後にお伺いします。
  107. 安部英

    参考人安部英君) 私が班長になりましたのは最初の委員会の八三年六月十三日であったと思いますが、そのときに聞かされましたことは、この委員会日本エイズ患者さんがいるかいないかということを決めてくれ、しかしそれは学問的な立場である、それで行政的なことは関係がないと、これは郡司先生がその後厚生省のプロジェクトチームの報告の中に述べて、書いておられます。  どこでどのように書いておられる、述べられたのか知りませんが、とにかくそういうふうなところにもそれがちゃんと出ておるわけでございます。  私はそのように理解をしてまいりました。これを大きくその意味合いが違ってきたとかなんとかおっしゃいましても、私はそうは思わないのでございます。
  108. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 終わります。
  109. 西山登紀子

    西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子です。  安部参考人にお渡ししていただいたと思いますけれども、私、ミドリ十字の社内文書を二つきょうお見せをいたしたいと思います。  先ほども先生がお認めになりましたように、先生ミドリ十字からたくさんの寄附金をもらっていらっしゃるわけですけれども、一九八三年当時のミドリ十字の社内文書、これは五月三十日、ミドリ十字の当時副社長の須山さんがお出しになっている文書です。この文書は、エイズとは死亡率の高い疾患であって、そして米国での血友病患者エイズ発症者の死亡率というのは十一名中八人、実に七三%と非常に高い死亡率である、そして感染経路はエイズ患者からの血液及び製剤から感染する、最近FDAは加熱処理を許可した、こういうように当時の情報を、最も早い情報を社内報として出しているのが五月三十日の文書です。  もう一つの文書は、同じ年の七月にミドリ十字が出している文書ですけれども、これは社内教育用として病院からの問い合わせに役立てるということでつくられている文書なんですが、その文書はこのように書いてあるわけです。「AIDSの日本上陸・発症の可能性は皆無に近い。ほとんど考えられない。」、結論の部分では、「輸入血漿およびその製剤による日本でのAIDS発症はほとんど考えられない。」、これが七月のミドリ十字の社内文書です。  五月には大変な危険性、これを社内には通知をしておきながら、七月には社外向けには安全だ安全だということで販売をしている。この行為というのは本当に患者の生命の安全を無視した犯罪的な行為だというふうに思われないでしょうか。参考人の御意見をお伺いいたします。
  110. 安部英

    参考人安部英君) 私は、先生、どうしてこういう同じところから出てきた文書にこんなに違ったことが書けるのであろうかということがわからないのでございます。  それで、私は、一つの方にはあるいはそうかもしれない。というのは、上陸するチャンスが皆無に近いなんというのは、ちょっと私の今まで申し上げました立場から見ればそれは賛成ができかねますのでございますが、先生、先ほどギャロの場合もございましたが、感染をするということと発症するということは、これは全然違ったことでございます。でございますから、これをちょっとどういうふうにその点をはっきりと分けて理解をしておいでになるのかというのが私としてはちょっとわからないのでございます。違うということもさることながら、その解釈の仕方がわからない。
  111. 西山登紀子

    西山登紀子君 参考人もお認めになったように、この七月の全く安全だというのは確かに断定過ぎると参考人もおっしゃるわけですね。  そこで、お聞きいたしますけれども安部参考人自身が非加熱製剤危険性をいつ認識されたのか。私は、その危険性を認識して、そして医の倫理に従うならば、その危険な非加熱製剤を使用しないという判断を参考人がなさる機会が幾つかあったと思います。八三年の八月、スピラ博士があなたの症例をエイズだというふうに認めたとき、それが一つです。もう一つは、八四年の九月にギャロ博士があなたが送られた四十八人の抗体のうち二十三人が陽性、HIVに感染していると判定したときがその二つ目です。それから三つ目は、アメリカにおくれること二年四カ月、日本でHIV対策として安全な加熱製剤が承認されたとき。そのように私は考えるわけですけれども参考人はいつ御自分がその汚染製剤危険性を認識したというふうにお考えでしょうか。
  112. 安部英

    参考人安部英君) いつということを申し上げます前に、今その質問をなさいます前提条件に、先生のお話では……
  113. 西山登紀子

    西山登紀子君 質問にだけお答えください。いつ認識されたか。
  114. 安部英

    参考人安部英君) それは認識をする力はありません。結局、認識というのは実際に科学的な根拠を持って認めなきゃならないのですから、これがHIVの実体がつかまって、それに対する抗体を調べることができるようにならなければ本当の認識はできません。  ただ、可能性があるということを考えることは、それは考えましたですよ。
  115. 西山登紀子

    西山登紀子君 時間がありませんので、最後にお伺いいたします。  安部参考人は、御自分のエイズの症例を公表しない、私はこれはエイズの症例隠したというふうにも思います。また、危険な非加熱製剤の使用をむしろ奨励をしていく、幾つかのこれは事実がございます。それから加熱製剤の承認を意識的におくらせた。こういうふうな参考人のとられた一連のその行為というものは、これは日本の業務行政に大きな影響を与えたわけです。  日本血友病患者の方がHIVに感染したその比率は四〇%です。外国では多くても八%、少ない国では一%というふうな数字もあるわけです。  日本はなぜ血友病患者の四〇%もの人たちがこのHIVに感染しなければならなかったのでしょうか。その点で、先生のとってこられた行為、その責任は非常に重いと思うのですけれども、いかがでしょうか。
  116. 安部英

    参考人安部英君) 西山先生に申し上げます。  先生のお話の中には、感染という言葉と発症という言葉が私にははっきりと分けることができないんです。ですから、これはそういう意味で先生がちょっともう一度私に御説明をしていただきたいと思うんですが、これはこれでよろしいです。  それからもう一つは、私が何かその非加熱製剤を使わないようにするにはストップしなければならないかのごとくおっしゃったかもしれませんね。もし、そういうことをおっしゃるのでありますならば、私はその患者さんを別の立場で失うかもしれません。どちらが正しいか、先生は医の倫理というようなことをおっしゃいましたけれども、果たしてどちらが医の倫理に合うのかという問題についても私はもう一度お話を伺わなければならないと思いますよ。
  117. 西山登紀子

    西山登紀子君 御自分の責任についてお答えいただきたいのです。
  118. 安部英

    参考人安部英君) 失礼でございますが、どういう責任でしょうか。
  119. 西山登紀子

    西山登紀子君 先ほど私が指摘をいたしました三つの点です。
  120. 安部英

    参考人安部英君) もう一度おっしゃってみてください。
  121. 西山登紀子

    西山登紀子君 小委員長、いいですか。
  122. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 時間が参りましたので。  以上で安部参考人に対する質疑は終了いたしました。  安部参考人には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  安部参考人は御退席くださって結構でございます。
  123. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 速記をとめてください。    〔速記中止
  124. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 速記を起こしてください。     ―――――――――――――
  125. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 次に、参考人として、帝京大学医学部第一内科助教授松田重三君から御意見を承ることといたします。  この際、参考人一言あいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、当小委員会に御出席をいただき、ありがとうございました。  当小委員会におきましては、薬害エイズ問題に関する調査を進めておりますが、本日は特に参考人から御意見を拝聴いたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  なお、質疑時間が限られておりますので、参考人の答弁は簡潔、明瞭にお願いしたいと思います。  それでは、参考人に対する質疑に入ります。  まず、小委員長から参考人に対し質問をいたします。  その前に、松田参考人から発言を求められておりますので、これを許します。松田参考人
  126. 松田重三

    参考人松田重三君) 本委員会での喚問に先立ちまして、現在の心境をこの席をおかりして述べたいと存じます。  私は、一九八三年に、安部班長より要請を受けまして、エイズ研究班の事務取扱を兼ね班員になった者であります。  さて、エイズ研究設置当初、厚生省が目指したはずの血友病患者に対する安全な血液製剤の確保の話、あるいはいわゆる帝京大症例のエイズ認定の話など、重要な課題がなぜかことごとく無視され、また否定されたことは御承知のとおりでございます。  このように、私を含めたこの研究班の不適切な判断によって罪のない多くの血友病患者がHIVに感染してしまったことに対し、深く反省をしておりますし、またこの席をかりて心よりおわびを申し上げたく存じます。  私は、臨床免疫学やアレルギー、膠原病などを専門とする医師でありまして、従来血友病患者治療には携わってはきませんでしたが、現在までに帝京大学においてHIVに感染した患者さんの治療に積極的にかかわるようにしてきました。HIVに感染した血友病患者とともにその苦悩を分かち合い、病気と闘っていくことが私にできる現在唯一の蹟罪と思ったからであります。  今回、原告団患者さん方が訴訟において和解をかち取り、また厚生省製薬会社が非を認めたとはいえ、HIVに感染したという事実はこれによって消えるものではありません。これからも感染者は今までと同じように日夜死の恐怖と闘っていかなくてはならないことを思うとき、国による十分な治療を受けられる医療機関のいっときも早い確立、整備の必要性は申すまでもありません。  さらには、このような薬害をもたらした真相解明がこのような患者さんたちの無念さを少しでもいやせるのではないかと考えるに至ったわけであります。  よって、私が知る限りの真相を述べることは、私にとって当時を反省するよい機会にもなりますし、また私が現在できる唯一の償いと考え、この小委員会出席しております。  私のこの小委員会での発言が、安部先生が反省をされ、また心を本当に開いて真実を語るきっかけになってほしい、さらには今もってかたく口をつぐんだままの元研究班の班員、あるいは厚生省関係方々真相解明への前向きな姿勢をもたらすことを願ってやみません。  以上、現在の心情を申し上げましたが、患者さん方、皆様方、ぜひ健康に留意されて安穏な日々を送られんことをお祈りいたします。  以上です。
  127. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、私からの質問をいたしたいと思います。  一九八三年六月十三日、実態把握研究班、いわゆるエイズ研究班第一回目の会合で郡司篤晃課長のあいさつがあり、そのとき加熱製剤緊急輸入、クリオヘの復帰もあるとの発言があったと言われていますが、そのことを聞いてどう思われましたか。このことは、当時、厚生省が相当の危機感を持っていたことのあらわれだと思います。にもかかわらず、その後この流れが変わり、非加熱製剤の継続使用や帝京大症例の認定見送りという結論になっていきますが、なぜそうなったのか。参考人は何か上から大きな力が加わったのかなとの発言をなさっておられますが、改めてお聞かせをいただきたいと思います。
  128. 松田重三

    参考人松田重三君) 当時の研究班の班長に血友病の大家である安部先生がなられたことと、それから先ほど委員長がおっしゃったように、郡司課長が冒頭に、血友病患者エイズがアメリカで広がっている、もしそうであるならば現在使っている濃縮製剤が非常に危険であるので、今後加熱製剤の超法規的緊急輸入等の措置、あるいはクリオヘの復帰に関してぜひ検討していただきたいというような申し出があったことから、血友病と血液製剤との関連において厚生省は非常に真剣に考えているんだなという印象を受けました。  しかし、第二回の研究班会議あるいは第三回の研究班会議において帝京大症例がエイズであるということが認定見送りになったことが悲劇の始まりであったわけであります。もしこのときに帝京大症例がエイズと認定されていたならば、郡司課長がおっしゃったように、加熱製剤緊急輸入という措置がとられたはずであります。しかし、当時、日本製剤メーカーには加熱製剤をつくる技術はありませんで、大変おくれていたことは事実であります。もし加熱製剤が外国から輸入された場合には、このような国内血液製剤メーカーが大打撃を受けることは火を見るよりも明らかであります。恐らくはこれを危惧した厚生省より天下りした製薬会社方々、あるいは厚生省の上層部からエイズ認定あるいは加熱製剤緊急輸入等に対する圧力がかかったと推察しております。  さらに、これに追い風となったのは、第二回に安部班長が世界血友病会議で結論を出した当面非加熱製剤治療を続けてよろしいという結論を班会議で発言したために、これが厚生省の意を強くさせて加熱製剤への変換のシナリオを書きかえたのではないかと私は考えております。
  129. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは、次の質問に移ります。  エイズ研究班内での議論について伺いたいと思います。  第一回目の会合では、その後、加熱製剤への転換や帝京大症例のエイズ一号認定について消極的な姿勢へと転じた塩川優一研究班員、この方は後にエイズ調査検討委員長となられる方でありますが、この方の発言の中に、エイズがもし感染症だとしたら他人にうつすからはっきり発表した方がいいと発言するなど、危機感が相当あった。にもかかわらず、第二回目には雰囲気ががらりと変わったと言われています。いわゆるなその一週間を経ての方向転換です。  結局、研究班では加熱製剤緊急輸入をやめ、非加熱製剤の継続使用を決定しました。当時、研究班の事務局的立場にあった参考人研究班の中で感じ取られたことをありのまま述べていただきたいと思います。
  130. 松田重三

    参考人松田重三君) ただいま委員長がおっしゃったとおり、私には到底理解できない不可解な塩川班員の態度の変換があったことは事実でございます。第一回目に安部班長がいわゆる帝京大学症例のことについて簡単に報告いたしましたが、その席上、塩川班員は、もしエイズ感染症であるならば、ウイルスで発症するとするならば、他人に感染させるおそれがあるので早く討議してエイズと認定し、国民に知らせた方がよいというような積極的な姿勢を見せられました。しかし、第二回目の班会議になりますと塩川班員はがらりと態度を変えまして、エイズ認定の反対派の方に回ったわけでございます。今までエイズ認定に積極的な態度をとられた塩川班員がなぜこれほどまでに態度を変えるのかと私は非常に不思議に思ったことを強烈に認識しております。  その第二回の班の席上、かなりの激論の末、帝京大症例は御存じのとおりエイズを否認されます。認定されなかったわけでありますが、この判定に対しまして安部班長は納得しなかったのであります。しかし、記者会見の時間が迫っていたために、そこで塩川班員が発言されまして、それほどエイズとして報告したいのなら記者会見でそのように発表すればいいじゃないかという発言をされたわけであります。これに対して安部班長は最終的には折れまして記者会見に臨んだわけでありますが、その席上、私は、班の見解だけではなくて私見を述べるおそれもあったために、塩川班員を同席したらどうかということを提案したわけでございますが、最終的には安部班長お一人で記者会見に臨み、帝京大症例はエイズではない、エイズ疑似症例であるということを発表したわけであります。
  131. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) それでは最後に、生物製剤課の藤崎清道氏、この方は、七月四日付のファイル、さらに七月十一日付文書の筆者でありますが、この方が、八三年四月に着任したにもかかわらず、同年十月にはわずか半年で岐阜に転任しています。また、通常三年続くはずのエイズ研究班が一年でなくなってしまった。極めて異例なことが起こっていますが、この件について感想をお聞かせください。
  132. 松田重三

    参考人松田重三君) 私の記憶が正しいとすれば、第三回の班会議の折に、血液製剤委員会設置とともに、クリオ製剤に関して安部班長と藤崎補佐が、安部班長がかなり激怒するほどの激論が交わされたわけであります。最終的にはそれでおさまったわけでありますが、後で聞くところによりますと、これが原因で藤崎補佐は岐阜に転任したとある有力者に聞いた覚えがございます。  また、安部班長が、研究班というのはほぼ三年周期で二回あるいは三回継続することに通常はなっているわけでありますが、わずか一年で班長をおろされたということについては、私が聞くところによりますと、製薬会社からの献金問題、あるいはその当時の治験開始時期の調整の問題、それから厚生省に対して盾突くと申しましょうか、言うことを聞かないというようなことから、表向きは藤崎補佐とのいさかいを理由にけんか両成敗されたということをある有力者から聞いております。  この間、さらに大学関係の有力者でありますが、その方がおっしゃるには、その方のところに塩川班員が訪ねてきて、厚生省が非常に困っているのでぜひ先生から安部班長にエイズ班長をおりるように説得してほしいというような依頼があったそうでありますが、その有力な方はその場で断ったということも聞いておりまして、いろいろな方が暗躍していたんだなというような印象を持っております。
  133. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) ありがとうございました。  私からの質問は以上でございます。  それでは、参考人に対し質疑のある方は順次御発言願います。
  134. 大島慶久

    大島慶久君 自由民主党の大島慶久でございます。  きょうは、松田参考人におかれましては、大変お忙しいところを御出席いただきまして、ありがとうございます。  また、ただいまは本当に医師の良心に従うといいますか、まことに真摯な御発言が冒頭にございまして、私どもも以前は先生のことを余りよく存じておりませんでしたが、最近、先ほども参考人としていろいろと質疑をさせていただきました安部先生とのいろんな深い人間関係、それを乗り越えて、いろいろと違った意見先生の方から週刊誌等にいろいろと出てまいりました。  そういった観点から、こういった再発防止あるいは原因究明に違った観点のまた我々の参考的な意見が聞かれるんじゃないか、そんなことを期待申し上げまして、極めて率直に簡潔に質問をさせていただきたいと存じますので、どうぞそういったお気持ちを重視してお答えをいただけたらと存じております。  まず第一点でございますけれども、当時のエイズ研究班の議論の状況について伺います。  参考人は、厚生省のプロジェクトチームの調査に対し、エイズの伝播の危険性やとるべき対策についていろいろとお考えを述べられておりますが、肝心のエイズ研究班の中でどうだったかという点になりますと、エイズ研究班ではそのような意見を述べたかに関しては記憶にないと、こういうお答えがあるわけでございます。エイズ研究班の中では参考人御自身意見を述べられた経緯があるのか、また記憶にないということはどういうことになるのか、その点から伺いたいと思います。
  135. 松田重三

    参考人松田重三君) エイズ研究班において私が意見を述べたかどうか記憶にないということは、不確かだったからであります。エイズ研究班の中において議論が進む中で、私が適切な場所で意見を述べたことは間違いございませんが、エイズ研究班の大半の時間は安部班長がお一人でずっとおしゃべり続けた、こういう事実がございます。  そして、その合間を縫って研究班員が意見を述べざるを得なかったということであります。私が合間を縫って意見を述べたことは間違いございません。
  136. 大島慶久

    大島慶久君 エイズ研究班の中で、参考人意見安部班長の意見と異なる点はありましたのでしょうか。参考人は当時エイズ研究班の結論は妥当なものと考えておられましたのか、それともそうではなかったと思われたのでしょうか。
  137. 松田重三

    参考人松田重三君) 私は、帝京大症例についてはエイズであると確信しておりました。その点においては、今、安部先生がどのようにお考えになっているかは存じませんが、その当時は安部先生と同じ考えであったと思います。そして、最終的にエイズ研究班で帝京大症例を認定しなかったということに関しては、私は承服しがたい気持ちであったと思います。
  138. 大島慶久

    大島慶久君 そういたしますと、当時の安部班長のもとでなかなか議論がしにくかった。もう少し砕けて言えば、いろいろ言い分はあったけれども、やはりあれだけの日本的な権威者の前で、班長みずからどんどんとおしゃべりになられると、それに反論したくても余り反論もできなかった、そういう当時の、心境、今とはお変わりはございませんか。
  139. 松田重三

    参考人松田重三君) ありません。
  140. 大島慶久

    大島慶久君 わかりました。  それでは第三点目でございますけれども血液製剤を通じたエイズ危険性についての認識を前提にした場合、当時どのような対策をとるべきと参考人自身お考えであったのでしょうか。クリオ製剤加熱製剤への転換について当時参考人自身はどのような意見を持っておられ、エイズ班ではどのような発言をされておられましたか、お答えをいただきたいと思います。
  141. 松田重三

    参考人松田重三君) 研究班の発足当時、既にアメリカで血友病患者さんがエイズにかかっているということを知りまして、やはり原因一つとして非加熱製剤が非常に疑わしいということは認識しておりました。  その後、帝京大症例がエイズを否定されたわけでありますが、やはりこのまま非加熱製剤を使っていくことに対して非常に懸念は抱いてはおりましたが、私は血友病の治療に直接携わってなかったということもありまして、血液製剤に関しての発言力はほとんどなかったわけであります。しかし、折に触れて安部先生加熱製剤についてのこと、あるいはクリオに復帰することなどについて提言はしておりましたが、頭から一蹴されてしまったということであります。
  142. 大島慶久

    大島慶久君 その当時、きょうは参考人への質問ですから他のメンバーの方のことに言及するのはいかがかと思いますが、今お答えをいただいたように、かなり御自身の意見というものをしっかりと述べられた。ほかの班員の場合はいかがだったのでしょうか、もし差し支えなければ。
  143. 松田重三

    参考人松田重三君) 当時、血液製剤に関して、特に非加熱製剤に対する懸念は、私の記憶する限りでは、大河内班員が非常に強い意見を述べられておりました。現在使っている製剤は非常に危険であるのでクリオに戻すべきであるとかなり強い主張をされて、安部先生としばしば激論を闘わされておりました。
  144. 大島慶久

    大島慶久君 今お話に出ました大河内先生先生とはそういった面では非常に意見がよく合致していたといいますか、安部先生と見解を異にしていろいろ提言を申された、そういうふうに確認をさせていただいてよろしいわけですね。
  145. 松田重三

    参考人松田重三君) 意見は同じでありますが、私は研究班の中においてまだ四十にも満たない若い医学徒でありまして、大河内先生と同じように発言することは気おくれがしてできなかったわけでありまして、意見は一致しておりましたが、大河内先生ほど発言はしておりません。
  146. 大島慶久

    大島慶久君 週刊誌の取材を対象にして質問するのはいささかどうかと思わないわけでもございませんけれども、これは我々の一つの大きな情報源であることも確かでございますので。  ある週刊誌の取材に対して参考人は、クリオヘの転換の議論について、エイズ研究班では「薬の安全性ではなく、利便性によって結論が出された」、こういう発言が報じられております。これは確かなんでしょうか。
  147. 松田重三

    参考人松田重三君) 確かにクリオに関しては非常に安全であるということはだれでもが認めるところでありましたが、濃縮製剤開発され患者さんに使われるようになってから、血友病専門医の間での意見として、非常に患者さんに福音をもたらしたということがしばしば言われているところでありまして、私もそのような血友病専門医の話を聞くとそうかなという気持ちがあったわけでありまして、そういったことからクリオに復帰せずに血友病専門医が答申したような非加熱製剤をずっと使い続ける、すなわち利便性のみを追求して判定したのではないかと、そういった意味でお答えしたわけであります。
  148. 大島慶久

    大島慶久君 そうしますと、今のそういった週刊誌からの取材に対しては、私が今質問申し上げたそのとおりだというふうに認識をさせていただいてよろしいわけですね。
  149. 松田重三

    参考人松田重三君) はい。
  150. 大島慶久

    大島慶久君 また参考人は、非加熱製剤の使用継続を阻止できなかったことは医師として深く反省をしている云々という、こういうことも報ぜられておりますけれども、これは事実でしょうか。
  151. 松田重三

    参考人松田重三君) そのとおりであります。
  152. 大島慶久

    大島慶久君 参考人御自身、エイズ研究班での発言について記憶にないということとどう関係するのかということを先ほどちょっと私触れさせていただきまして、確実じゃないからそういうふうに申されたと、こういうふうになったわけですが、発言しなかったら阻止できなかったということにはそれはつながるんでしょうか、いかがでしょうか。
  153. 松田重三

    参考人松田重三君) ちょっと私の理解が足りないのでありますが、記憶にないということは、確かなことをはっきり書かないとまずいと思ったから記憶にないと書いたわけでありまして、決して逃げているわけではございません。
  154. 大島慶久

    大島慶久君 先ほどの安部参考人のいろいろ御意見をいただいている点からいたしますと、松田参考人の場合は極めて簡単、明瞭にお答えをいただいておりますし、こういうやりとりならもっとたくさんの質問を用意すればよかったなと思って、ちょっと私が反省をいたしているところでございます。  きょうは、原告弁護団を通じて本当に御苦労いただいた方たちの苦しみも直接この小委員会でお聞かせをいただきました。いろいろお聞きしております私の気持ちの中には、本当にあのときもっともっと頑張ってだれかがこういう発言をして転換をすべきものは転換する、その危険性というものを体を張って阻止するような意見が出されたならば、あるいは今の被害はもっともっと少ないところでとどめることができたんじゃないか、こんなことを思いながらずっときょうは過ごしております。  そういった面では、きょう松田参考人は、冒頭の御自身のごあいさつの中でもそういった極めて強い反省の念も感ぜられましたし、今私が極めて端的に質問をさせていただいた点にも簡単、明瞭にお答えをいただいております。我々、こうした小委員会一つの勉強会を兼ねて、そして少しでも原因究明あるいは再発防止につながればということでいろいろとみんなで考えながらやっているわけでございます。将来にわたってまた違う観点からそういったことで参考人にお話を伺いたい、こういうようなことが参りました折には、ぜひきょうと同じようなお気持ちでまた御協力をいただければなと、こんなことをお願いしながら、大分時間を残しましたけれども、私の質問はこれで終えさせていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  155. 田浦直

    田浦直君 平成会の田浦でございます。  きょうは、松田参考人には、大変御苦労さまでございます。  先生が冒頭に発言されましたけれども、この帝京大症例を見送ったということは悲劇の始まりであるというふうにお話をされました。もしこのときにこれが認定されておれば、この血友病の対策というものは随分変わったというふうにお思いになられますか。
  156. 松田重三

    参考人松田重三君) 私は、帝京大症例がその当時エイズと認定されていたならば、こんな悲劇は起こらなかったと深く反省しております。  というのは、もし帝京大症例がエイズと認定されていれば、郡司課長が班会議の冒頭で述べられたごとく、すぐさま加熱製剤に変換するか、あるいは少し利便性が悪くなってもクリオに復帰することができたわけでありまして、これによってどれほど血友病患者さんのHIV感染が防げたかと思いますと、非常に胸が痛みます。
  157. 田浦直

    田浦直君 私ももう全く同感でございますですね。我が国で第一例が認定されたのはこの後、約二年近く後ですから、その間に本当にこの対策が手おくれになったというふうに理解しておるわけです。  先生が今発言されました中で非常に気になりますのは、初めはこれを認定しようという空気が研究班の中には満ちておったのに一週間後にはがらりと変わった、これはどういうところからそういうふうになったというふうな感じを持たれますか。
  158. 松田重三

    参考人松田重三君) おっしゃるとおり、第一回目の班会議の雰囲気と第二回目の班会議の雰囲気では帝京大症例に対する対応の態度ががらっと変わったことは事実であります。  私が考えますには、やはり帝京大症例がエイズと認定されると困る方、あるいは困る企業、あるいは困るその他もろもろの事情があったからではないかと推察するわけであります。  第一点は、もし帝京大症例がエイズと認定されると、先ほども申しましたように、大打撃を受ける、特に国内の製薬メーカーが大打撃を受けるという事実であります。これによって、やはりこれを危惧した厚生省から天下った方々が、製薬会社に就職されているわけであります。そういった方々、あるいは厚生省の上層部の方々が帝京大症例を認定しないように圧力をかけたことは想像にかたくないと思います。  さらに、帝京大症例をエイズと認定すると血液行政に汚点を残すことになりますので、これはやはり厚生省にとってもゆゆしき問題となるので、できたら帝京大症例は第一例目になってほしくないという考えが働いたかなという印象を持っております。
  159. 田浦直

    田浦直君 今、天下った方々あるいは官僚の上層部の方々というところから何かあったんじゃないかと。  その心証を得るような何かがございますですか。
  160. 松田重三

    参考人松田重三君) これもある大学の有力な方、薬事審議会の委員をなさっている方が私との雑談の中でおっしゃったことですが、製薬会社の社長が直談判に時々来たということをおっしゃっておりました。特にこの血液製剤のことではなかったと思いますが、そういったことが日常茶飯事に行われていたんだなという印象を受けております。
  161. 田浦直

    田浦直君 それで、この帝京大症例をずっと私もそれなりに調べてみたんですけれども、これは認定されるチャンスというのが何回もあっていますね。研究班のところで認定される、あるいはスピラ博士の診断のところでも認定される、あるいはギャロ博士に検体を送って抗体陽性だと出たときでも認定される。当然されてしかるべきと思うんですね。  にもかかわらず、三度とも全部いろんな理由で認定されなかった。ここがどうしても私は不自然な感じがするんですけれども松田参考人、そのときそういう感じを受けませんでしたでしょうか。
  162. 松田重三

    参考人松田重三君) 帝京大症例がエイズと認定されなかったエピソードというのは各班会議の席上でありました。  第二回目のエイズ班会議において、これはCDCのエイズ診断基準にのっとって検討されたものでありまして、まだその当時は我が国のエイズ診断基準は作成準備中でありましてできておりませんのでCDCの診断基準にのっとって審議したわけでありますが、帝京大症例に関しましてはステロイドを使っていると、これはエイズを否定する条項にCDCが書いてございますが、ステロイドを使ったということ。それから、今までエイズとして報告された症例に比べて帝京大症例のリンパ球の減少の程度が低過ぎるという理由。それから、エイズでは絶対カリニ肺炎がなくてはならないというみんなの思い込みですね。それから、さらに不幸だったのは、帝京大症例は血友病Bの患者さんだったんですが、血友病Bではアメリカではほとんどエイズの症例は報告されていないと、そういった根拠を振りかざしてかたくなにエイズであることを否定する二、三の班員がいたからでありまして。
  163. 田浦直

    田浦直君 全くそうだと思うんですね。  そして、ギャロ博士のときはもう既に抗体陽性が出ているわけですね。そして、私も「臨床成人病」という雑誌の中でその患者の経過をずっと見てみましたけれども、これはもう明らかに発病している、もう亡くなっているわけですから。そうしますと、これを認定しないというのは全く医学的にあり得ない、考えられないんですね。  これがどうしてこの時点で認定できなかったのかと今もって不思議なんですが、その点は松田先一生はどうお考えでしょうか。
  164. 松田重三

    参考人松田重三君) 第二回の班会議で否定されたのに引き続きまして、第三回目でもかたくなに否定するグループができていたんですね。その方々が強固に反対した。  さらに、そのスピラ判定を受けて安部班長が、たしか第四回目の班会議でスピラ博士が帝京大症例をエイズと判定したと報告したのでありますが、第三回目の班会議において帝京大症例を解剖した病理の教授がつくった病理標本がございました。そのときに、病理標本を私が示しまして、病理の教授はエイズに間違いないと、ステロイドを使ったとしてもこれほど重篤な日和見感染症を起こすわけはないということを申し添えたのですが、やはりそのあるグループの先生方が頑固に否定した。  さらに第四回では、塩川班員がその帝京大症例の病理標本を、では別の者に見せて診断を仰ごうということで順天堂大学病院の病理の教授に標本を持っていったわけでありますが、第四回目の報告では、塩川班員からの報告では順天堂大学病理の教授の診断はエイズではないということから、最終的に帝京大症例はエイズということを否定されてしまったわけであります。
  165. 田浦直

    田浦直君 そこにやっぱり作為的なものを私はどうしても感じるんですね。  結果として我が国第一例はその順天堂大学から出ているんですね。しかも、それはアメリカ在住の方が日本に来て、そしてたまたま順天堂で診断を受けて、またすぐ帰っておられる。まるでその第一号の認定を受けるために日本に来たような感じがする。しかも、その人は長く生きておる。エイズ患者がそんなに、十年も何十年も発病して生きているというのは、これは今の医学ではちょっと理に合わないと私は思うんです。  この第一症例にもいろいろ疑惑がある。私はこれはちょっと認めにくいなというふうに思いますが、松田参考人はどうお考えでしょうか。
  166. 松田重三

    参考人松田重三君) 先生のおっしゃるとおりでありまして、帝京大症例、すなわち血友病症例を認定しなかったということは血液行政に汚点を残さなかったことであって、しかも順天堂大学症例を第一例と認めたことは血友病患者エイズはないということを隠ぺいする目的があったのではないかと。やはり、今考えますと、我々はつくられたストーリーの上で審議を重ねてきたように、非常に残念に思います。
  167. 田浦直

    田浦直君 第一号症例はホモの患者なんですね。血友病患者ではない。先生がおっしゃられるように、血友病をしたくないという働きがあったんじゃないかという気がしますですね。しかも、厚生省森尾課長補佐発言によれば、大体対策ができたころに軟着陸できるような態勢で第一号が出てくるのが一番いいということを発言されておりますけれども、全くそのとおりになっている。  先生がおっしゃられるように、何となくつくられたんじゃないかな、それは血友病からエイズだというのを出したくないという配慮があったんじゃないかなという、私もこれは推測ですが、この点を最後先生、お尋ねして私の質問を終わりたいと思います。
  168. 松田重三

    参考人松田重三君) 全く先生がおっしゃるとおりだと私も思います。
  169. 水島裕

    水島裕君 平成会からの質問を続けます。  私は、このエイズのシナリオというのを五つの点に分けて、それぞれ真相解明をしたいと思っております。時間があれば全部お伺いするところでございますけれども、時間がある限りでお尋ねしたいと思います。  まず一つは、先生は、私と同じように免疫学を専攻していらっしゃいますので、安部教授のところの血清をお送りして、二十三人陽性だったと。  これは特異抗体で調べたものであります。その後、栗村教授も同じようなことをやりまして、お聞きしますと何百例、それは外国のものも入れて、それからさまざまな患者の血清もやってそういう結果であったということでございますからどの一例が何というわけじゃありませんけれども、血友病の方が当時血液製剤でHIVに感染したということはほぼ一〇〇%確かというふうに我々は考えるわけですけれども、御意見いかがでございましょうか。
  170. 松田重三

    参考人松田重三君) ギャロ博士のところに検体を送ったのは私ではありません。血友病専門ではないので、その検体を扱っているのは血友病グループでございますが、ギャロ博士からの結果は後ほど私も知るところになりまして、これほど多くの血友病患者がHIVに感染しているということを知って、非常に漂然としたことを覚えております。  この結果については、安部先生は非常に小まめな方でございますので、その場で厚生省に電話をなさって、さらにギャロからの手紙とそれから結果を厚生省に持参したと聞いております。  このように重要なデータが厚生省にも渡っていたにもかかわらず、何で即座に対応しないかということに関して非常に疑問に思ったことを覚えております。  さらに、非加熱製剤を使い続けることがこれほどまでに危険であるならば、これは安部先生に提言したわけでありますが、今、加熱製剤治験が進んでいるけれども、この結果を踏まえて、治験を中止して加熱製剤あるいはクリオ製剤に転換すべきではないかということを申したのでございますが、安部先生は現在正式な治験が進行中であって途中ではやめられないということから、私の意見は取り入れられないままに進んでしまったということであります。
  171. 水島裕

    水島裕君 私の質問でもう一回確認したいのは、そういう結果でHIVに感染したということは、免疫学の立場からいって、一九八四年の九月の時点ではわかっていたということでよろしゅうございますですね。
  172. 松田重三

    参考人松田重三君) そうでございます。
  173. 水島裕

    水島裕君 それでなおかつ、栗村教授は厚生省にも十一月末までには報告したということでございますから、一九八四年の十一月の時点では行政の中枢はHIVが血液製剤によって感染した、あるいはし得るということを認識していたという認識でよろしゅうございますですね。
  174. 松田重三

    参考人松田重三君) 十一月ではなくて、もっと早い時期に知っていたはずであります。
  175. 水島裕

    水島裕君 それから、第一点で確かめたいことは、一九八三年の五月以前に厚生省を中心に血液製剤危険性を認識していたかどうかというのが非常に問題なわけでございますけれども、それは先ほどのお話からいって、郡司課長もそういうふうにおっしゃっていたということで厚生省全体あるいは班員もよく知っていたということで、確認でございますけれども、いかがでございましょうか。
  176. 松田重三

    参考人松田重三君) そのとおりでありまして、厚生省は十分なデータを得ていたものと考えます。
  177. 水島裕

    水島裕君 時間ですので、終わりにいたします。
  178. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 社会民主党の朝日でございます。  きょうは大変御苦労さまでございます。  少し古い話からちょっと一つ一つ確認をさせていただきたいと思いますが、参考人は昭和五十八年度の血液研究事業でエイズの実態把握に関する研究、これを行って帝京大学第一内科に通院中の血友病患者二十一症例に関する免疫調査の報告をなさっておられますね。  まず、それは事実ですね。
  179. 松田重三

    参考人松田重三君) はい。
  180. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 この調査はいつからいつまでのことで行われたんでしょうか。ちょっとまずその点、大体の時期で結構ですが。
  181. 松田重三

    参考人松田重三君) 私が免疫機能を調べたのは、恐らくはリンパ球の数を中心に、かつツベルクリン反応とかそういった免疫機能を調べたものだと思いますが、短期に調べて報告したものと思います。
  182. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 そうすると、報告がされたのが昭和五十八年ですから、その年かその前の年ということでいいですね。
  183. 松田重三

    参考人松田重三君) はい。
  184. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 その報告の結論の中で、こんなふうに記載があると理解しています。その症例のすべてにおいて免疫異常が認められた。そのすべてというのは二十一症例についてということだと思います。しかし、これらを潜在性エイズと認定するに足る積極的な情報は得られなかったものの、免疫機能の低下と血液製剤の輸注との関連性について、その可能性があるというふうに指摘されておるというふうに理解をしていますが、間違いございませんか。
  185. 松田重三

    参考人松田重三君) はい。
  186. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 その先生のなさった調査研究と、それから一つ前の年、昭和五十七年度の厚生科学研究で先ほど参考人としてお答えをいただいた安部先生研究報告をされておりますが、その研究先生研究とは別物ですか。
  187. 松田重三

    参考人松田重三君) 別物だと思います。
  188. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 わかりました。  先ほど安部参考人は、血友病患者さんの中に免疫欠損あるいは免疫異常があるということについては御認識があったということですが、それが輸注との関連性についてはわからなかったというお答えがあったんですが、研究が別物であったとすればそういうこともあり得るかなというふうに思います。  では、次の問題に移ります。  これは全く素朴な質問なんですが、先ほど来何度も話題に上っていますいわゆる帝京大の症例についてですが、これ確定診断としてはエイズというふうに診断できないという結論に落ちついたわけですけれども、かなり疑わしいという話は当然の前提としてあったのではないか。多分、診断をするためには何項目かの診断基準があって、これとこれとこれは満たしているけれども、こことここが満たしていない、だから完全には確定診断できないという形でいわゆる疑似症例というふうになったと思うのですが、そのように理解してよろしいですか。
  189. 松田重三

    参考人松田重三君) 私の当時の印象では、第二回の研究班はどちらかというとエイズを認定しようという姿勢ではなくて、エイズを否定しようというネガティブな方向にどちらかというと進行していたように思います。  例えば、帝京大症例は確かにステロイドは使っておりましたが、私免疫をやっているのでわかるのですが、あのくらいの量を使ったとしてもあんなに重篤な免疫不全は起こり得ないということが第一。それから、リンパ球の減り方が少ないといっても今考えればかなり減っておりますし、それからカリニ肺炎がないと言われましても、その当時多分CDCの診断基準に載っていたと思うんですが、カンジダ症が全身にあったと、それからサイトメガロウイルスという感染症もあったということから、ポジティブに考えていけばエイズと診断するに十分な証拠がそろっていたわけであります。
  190. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 仮に幾つかの基準を満たしていないからエイズという確定診断が下されなくとも、今のお話でいけば限りなくクロに近い灰色というふうな印象を持つわけです。とすれば、ごく普通に考えれば、確定診断までは至ってないけれども限りなくクロに近い灰色であれば、それに準じた何らかの対応が求められてしかるべきだと思うんですが、これが一気にシロというふうになっちゃったような印象を持つんですが、いかがでしょうか。
  191. 松田重三

    参考人松田重三君) そのとおりであります。  これほど限りなくクロに近い灰色症例を疑似症例としたことが間違いだったと思うんですね。もし命名するならば、エイズ疑い症例で発表すべきだったと思うんです。疑似というのは似ていて非なるものという言葉でありますので、そういった認識でだんだんとシロに、限りなくシロに行ってしまったんじゃないかと思っています。
  192. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 おっしゃるとおりで、そういう意味で私はどうも、仮に確定診断が満点でつかなくとも八十点なり九十点のレベルでかなり近いということであれば、一定の蓋然性をもって、そのことでもって何らかの対策を講ずるべきであったというふうに思います。なぜそうならなかったのかということについてはもうお答えになっておられますので、質問は省略します。  さて、最後にお尋ねいたしますが、参考人は臨床免疫学の立場でこの研究班に参加をしておられ、先ほど来申し述べておられますように、かなり非加熱濃縮製剤危険性あるいは血友病患者さんのHIV感染の危険性について強い危惧の念を抱いておられたと理解します。  ただ、そうした先生の危機意識が研究班全体のものとしては共有されず、結果として現状維持あるいは従来どおりの手法という形で落ちついてしまった。これはさまざまな舞台裏の動きがあったようだというお話は先ほど伺ったわけですが、そもそもこういう研究班という極めてあいまいな性格の研究班の設置の仕方とか、あるいはそのメンバーの選定の仕方とか、あるいはある段階で特にこれは非常に重要な政策判断が必要だという段階では単なる研究班ではなくて別の組織できちっと検討するというようなことがあってしかるべきではなかったかと思うわけです。  つまり、そういうさまざまなところでいろんな舞台裏の動きがあったようだということのほかに、そういう研究班の設置の仕方、あるいはメンバーの選定の仕方、あるいは研究班の任務と役割の限定の仕方、そして政策判断が必要な段階では改めて別の組織、レベルで検討すべきであったのではないかという、いわゆる政策決定プロセスにかかわって御意見があれば伺っておきたいと思います。
  193. 松田重三

    参考人松田重三君) 私もそのとおりと存じます。  厚生省研究班というのはあくまで研究する場でありまして、行政的な方策を決定する機関ではございませんで、ただし、重要なエイズについて検討するものであったならば研究班という名前ではなくて諮問機関として正式に発足させるべきであったと考えておりまして、それによってやはりそこに参加されたメンバーの方々はより責任を持った行動をなさったんじゃないかと思われて、研究班という名前をつけたのがそもそもの間違いであったと感じております。
  194. 朝日俊弘

    朝日俊弘君 ありがとうございました。
  195. 西山登紀子

    西山登紀子君 松田参考人が医学界といういわゆる縦の系列が非常に強い、そういう場にありながら現在唯一の贖罪として真相を語る、この真摯な態度、非常に私は敬意を表したいと思います。  どうかそういう立場をこれからも持ち続けて真相を語り続けていただきたいと思います。  まず、なその一週間に関連する問題で質問をさせていただきます。  このなその一週間、つまり厚生省が発表いたしました郡司ファイルの中に七月四日のメモがありました。そのメモには、当時、非加熱製剤危険性を正しく認識をして、そして加熱製剤の早期の導入だとか国内血の活用についてかなり的確な方針がメモされておりましたけれども、それが七月十一日にいきなり百八十度違うような、どんでん返しといいましょうか、そういう非加熱製剤の継続使用というような方針転換が行われるわけです。  そのことにつきまして、そういう時期と時期を同じくして、先生が四月二十七日号の週刊現代に櫻井よしこさんのインタビューにお答えになっていらっしゃるその点についてお伺いしたいと思います。  そのなその一週間にかかわってですが、松田参考人ミドリ十字の社長松下氏ほか副社長、専務三名が厚生省にある働きかけを行ったことは間違いないというふうにインタビューにお答えになっているわけですけれども、そのある働きかけというのは当時おくれていたミドリ十字加熱製剤開発のおくれ、それに関しましてトラベノール社に先行されないようにという、そろえてもらうように、こういう働きかけではなかったか、そういうふうに思いますけれども、どうでしょうか。
  196. 松田重三

    参考人松田重三君) 私はミドリ十字方々が三人そろって当時の局長のところに行ったということは確認しておりませんが、私が考えるには、やはり中央薬事審議会等に当時の社長が委員に対していろいろな働きかけをしていたということから推察したわけでありますが、やはりその当時加熱製剤をつくる力量がなかった国内の製薬会社が、外国から加熱製剤が輸入されると大打撃を受けるということから、やはり加熱製剤緊急輸入並びに治験をできるだけそろえて開始するように働きかけたという想像をすることはかたくないと思われます。
  197. 西山登紀子

    西山登紀子君 この週刊誌には、この三名が当時業務局長の持永氏を訪ねた、持永氏もお会いしたということを述べているという報道がされているわけですけれども、次に移りたいと思います。  そこで、先ほど来お話に出ております、がらっと雰囲気が変わったというエイズ研究班のその当時のことですけれども参考人はある取材に対しまして、郡司さんは加熱製剤緊急輸入で非加熱製剤から加熱製剤にチェンジする心づもりがあったと感じた、その意味で初めに結論があった研究班であったように思う、それが次の回で雰囲気が変わってしまった、こんなふうにこのテーマについてもおっしゃっているんですが、そういう点についてもう少し詳しくお話しください。
  198. 松田重三

    参考人松田重三君) 第一回目の班会議で郡司課長は、非加熱製剤危険性について認識しておられ、研究班の冒頭でもおっしゃったわけであります。したがって、第二回目の班会議ではもっと突っ込んだ提案ないしは議論が行われるものと私は想像していたわけでありますが、第二回目の班会議は、帝京大症例の検討に時間がとられたこともあってではありますが、製剤についての検討はほとんど行われなかったと記憶しております。それにもかかわらず、当面は非加熱製剤を使い続けることにするというようなたしか結論が出されていると書いてあると思いますが、十分な検討はされない、その後もこの加熱製剤について、あるいはクリオの復帰についての検討はほとんどと言っていいぐらいなされておりません。
  199. 西山登紀子

    西山登紀子君 スピラ博士が来日された八三年八月のことですけれども松田参考人はそのとき同席をしておられたということなんですけれども、この会合というのはどなたがセットをされて、そして先生一緒に同席されていた方はどなただったのか、教えてください。
  200. 松田重三

    参考人松田重三君) 当時のスピラ博士との会合は厚生省がセッティングいたしました。安部班長がセッティングしたと郡司課長はおっしゃっているようですが、当時は安部班長はアメリカCDCとの接点は全くありませんで、ましてやスピラ博士とのコンタクトはできなかったはずでありますので、厚生省がセッティングいたしました。  それから、出席者についてでありますが、厚生省側から郡司課長、それから森尾補佐以下数人の厚生省側の人と、それから班員では東京在住の者、すなわち安部班長と私と、それから芦沢班員、それから恐らくは塩川班員と西岡班員が同席していたと思います。
  201. 西山登紀子

    西山登紀子君 その席上で松田参考人スピラ博士とステロイド剤の使用についてやりとりをされたと聞いているんですけれども、そのやりとりの中で御自分のいわゆる症例についての認識がどのように変わったでしょうか。
  202. 松田重三

    参考人松田重三君) スピラ博士は、たとえステロイドを使用していたとしても、帝京大症例の臨床経過あるいは病理所見から見てアメリカではエイズと診断すると述べられたことから、私は我々の帝京大症例をエイズとする考え方は間違っていないんだなということをさらに認識を深くしたと思います。
  203. 西山登紀子

    西山登紀子君 先生が認識を深められたわけですので、御一緒に同席されていらっしゃった皆さんもそのことは聞いていらっしゃったわけですよね。その点はどうでしょうか。
  204. 松田重三

    参考人松田重三君) そのとおりだと思います。
  205. 西山登紀子

    西山登紀子君 スピラ博士のその診断がエイズ研究班で報告されたのは第四回の研究班ですか。
  206. 松田重三

    参考人松田重三君) はい、そうです。
  207. 西山登紀子

    西山登紀子君 安部氏が報告したのは第四回ということだったわけですけれども、その中で、四回目に報告されたときもそれはやはりエイズではないということにしようというふうに、先ほども御質問ありましたけれども、そういう結論になってしまったわけですか。
  208. 松田重三

    参考人松田重三君) そのとおりであります。  同じ反対する西岡班員と塩川班員によってエイズであることを完全に否定されてしまったわけであります。
  209. 西山登紀子

    西山登紀子君 その際には、ステロイド剤の使用、最初にエイズの症例ではないというときの大きな理由がスピラ博士によって一応否定をされているわけですが、それでもなおエイズの症例ではないというふうに結論づけるんだという結果になったわけですね。
  210. 松田重三

    参考人松田重三君) そのとおりであります。
  211. 西山登紀子

    西山登紀子君 非常に残念だというふうに私は思います。その時点で、本当にその時点でなお公表がされていれば、大きな被害の拡大というのは防げたというふうに思うわけです。  もう一度先生最後にお伺いしたいと思いますけれども、この被害の拡大についての先生の御反省点、最初にもありましたけれども、特にどういう点を今強く反省しておられるのか、その点をお伺いして御質問を終わりたいと思います。
  212. 松田重三

    参考人松田重三君) 一言、先ほどのスピラ博士の件についてつけ加えさせていただきますと、厚生省はもっと早くスピラ博士なりアメリカの専門家を招いて帝京大症例を検討してもらうべきであった、少なくとも第二回目の班会議においてスピラ博士を呼んで帝京大症例を検討しておればこんな悲劇は起こらなかったではないか、そういうふうに残念に思うわけであります。  また、私は、冒頭にも述べましたように、我々の不適切な判断によりましてこのような薬害を起こしてしまったことに対して十分反省をしておりますし、また今後二度とこのような薬害を起こさないためにもできる限り真相解明に協力していきたいと存じております。
  213. 釘宮磐

    ○小委員長釘宮磐君) 以上で松田参考人に対する質疑は終了いたしました。  松田参考人には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十一分散会