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国井正幸君 新緑風会の
国井正幸でございます。
住専の問題についてお伺いをしたいというふうに思います。
今、
国民は
住専の問題に対して大変な関心を持っておるわけでございまして、マスコミも連日
住専の問題を報じているわけでございます。
私のもとにも、
民間会社である
住専の経営破綻になぜ
国民の
税金を使うんだ、あるいは借りたものを返すというのは当たり前のことではないか、借りた者が返すそぶりも見せずに借金玉だなんということで豪華な邸宅に住んで高級車を乗り回している、そんなことは許されていいんだろうか、ぜひ社会正義を貫いてほしい、こういうふうな意見もあるわけでございます。
あわせて、
住専の経営
責任を初め、母体行なりあるいは行政の
責任というのが非常に不明確なんではないか、今になってだれがどうだこうだという話で一向にらちが明かないんじゃないか、こういうふうな意見なんかも強く出されておるわけでございます。
最近、特に
政府並びに与党の
関係者から、
財政資金の
投入は農協のいわゆる救済だと、こういうふうな発言がマスコミ等に載っているわけでございまして、私は大変遺憾なことだというふうに思っています。
と申しますのは、十二月二十六日の本
委員会において、私は村山総理にもこの問題に対して
質問をしました。村山総理が当時、
朝日新聞にこの
財政資金の
投入は農政上の判断だ、こういう記事が載っている、どうなんでしょうと言ったら、そういうことではないと、こういうふうな
答弁も実はこの
委員会でいただいているわけなんですね。そういうことからしますと、大変ここへ来て農協救済と言った方が通りがいいようなごとき話をしている。あるいは
答弁が変わってきている。これは私は大変遺憾なことだというふうに思っています。
住専七社の経営が破綻したというのは、これはもう御承知のとおり、母体行がみずからの子会社である
住専の本業の住宅ローンに進出をして、子会社の仕事を奪って無謀な不動産投資に走らせたことによるのが非常に私は大きいというふうに思っています。さらに、本来の業務はそういうことでもともと
住専は
大蔵大臣の直轄会社にしてきたわけでございますから、そういう本来の役割を終えた
住専というのを整理すべきであったというふうに思うんですね。
それを整理もしないでそのまま放置をしてきた、そして時には母体行の別働隊として自分の銀行の利益を図るために使って、あげくの果ては
住専を
不良債権のごみ箱のごとく使ってきた。これはいろんな報道によっても私は明らかだというふうに思うんですね。そして、行政においても次々に
住専に対して通達を発してきたわけですよね。
昭和四十八年五月には
大蔵大臣の直轄会社にするという指定をしたし、あるいは四十九年九月には銀行
局長の通達で、
金融機関以外では
住専のみが住宅抵当証券の発行が認められたし、さらに五十年七月、これはやはり銀行
局長の通達で、銀行の付随業務を行う銀行の関連会社という位置づけをしてきたし、そして五十五年には
大蔵省の銀行
局長と
農水省の経済
局長の両
局長通達によって、いわゆる農協の員外利用規制の枠外に置かれた、こういうことをずっとやってきたわけですよね。
そういう中で、五十年代の半ばには既に母体行である銀行が住宅ローンを始めているんですよね。いわゆる競合する
関係にあるわけです。このときに
住専と親会社である母体行が業務を
調整した形跡は見られないわけでございます。
こうした一連の
措置を行政が発してきたというのは、
国民の住宅取得を容易にするために、昭和四十八年ですか、金融制度
調査会の答申で、
住専は存在意義があって今後育成すべきだと、こういうふうなことがあったことに基づいているんだろうというふうに思うんですね。
住専が
国民のために、
国民が必要とする業務を行う、だからこういうふうなことでお墨つきを与えてきたんだろうというふうに私どもは
理解するわけですよ。
しかし、もうこのときに別にかわり得るようなことを母体行が始めてきて、もう一定の役割が終わったんじゃないかと私どもは思うわけです。しかも、目的外のことを始めるような
状況になってきているときに、なぜこれを整理しなかったんでしょう。いわゆる
住専というものを育成してきた、そしていろいろな通達の中で
住専というものに社会的な信用を与えてきた、しかしその業務が違ってきた、そのときに、なぜ当初の目的から外れたのに行政としてきちっとした対処をしなかったんでしょうか。その辺をお伺いしたいと思います。