○宮尾
公述人 宮尾でございます。
私は、お配りした経歴から見ていただけるように、海外での研究の期間が大変長うございまして、十年ほど海外で経済的な問題を研究し、教えてきた立場から、この問題のいわば本質というものが非常に私自身よく見えるというふうに、この問題に関しては自負をしておりまして、きょうは、この問題の本質は何かという私なりのお話をさせていただきたいというふうに思います。
この問題の本質は、決して国内の
金融問題や国内の税金問題じゃないという点を踏まえないとこの問題の出口は見えないわけでして、これはすぐれて国際問題という視点から出発しないと問題の出口はない。
その一つは、私が、長年海外にいた仲間から、ここの
公聴会の
公述人として出るからというので、私は電子メールやファクスで内外の仲間に、英文で一体この問題はどう書かれているかというのをファクスでこの三、四日送ってもらったのがここにあるんですが、ほとんど内容はもう
住専問題ではなくて
大蔵省問題になっています。つまり、海外では
住専問題の本質は国際的に見たら大蔵問題であるというふうに認識をされています。ますますこういう国際的な
意見というのは強まってまいります。
したがって、私は、そこら辺に出口を見出そうということで、きょうは少しこの経緯を私なりの解釈でお話ししたいというふうに思います。
まず、もともとこの
住専問題というのは、ジューセン・プロブレムという英語で知られておりますように、昨年までの
日本の経済が大変
低迷をして
金融破綻にまで至ったということについて、まず海外の当局者が大変心配をする。そして
日本の
大蔵省もついに音を上げまして、もう少し本音でこの問題を
解決しなければ結局は自分たちの問題として
解決できなくなるということで、極端に言えば、白旗を上げて海外の政策当局に助けを求めたというところがこの問題が表に出る出発点だったわけです。これが昨年の超円高の四月、五月。
そして、幸い、
日本の
金融情勢その他、不動産情勢、資産デフレ情勢が海外に伝わりまして、これを放置しておけば
日本だけの問題に限らない、これは海外に飛び火をして国際的な
金融の
破綻、不安につながるということで、渋々海外の当局が協力をして、そのためにまず超円高を、国際的な協調介入等政策協調で七十九円七十五銭という異常なレートから少なくとも百円のレートまで
日本はいわば下げてもらったわけです。
そのいわば私の言うところの
日本の条件降伏、無条件降伏ではなかったのですが、今回条件降伏をしたかわりに、
日本で一体どういう条件を満たすということを約束していたか。
これは明らかに、
日本の中の資産デフレをとめて
金融の
破綻をこの際何とか防止をして、そして
不良債権問題を長期的に
解決していく筋道を立てるということを、いわば対外的に公約をしたわけです。その当時はまだ公約ではなくて、
日本の自助努力をいたしますという
程度だったのですね。ですから、日銀が公定歩合を〇・五まで九月に下げて、そして、いわばリフレ政策、調整インフレといいますかデフレをとめる政策を今日まで続けています。
大蔵省は、あれほど嫌がった赤字国債を九月二十日の
景気対策で、むしろほかの省庁に、もっと
予算はないか、出せというぐらい積極的に赤字国債を出してデフレをとめるという策をやったわけです。
そして、いよいよ
不良債権問題の入り口として
住専問題を
大蔵省の管轄下の問題として対処しようというときに、大和銀行事件というのが起こったのですね。これで今回の問題の性格ががらりと変わりまして、これは単に
金融当局の政策レベルの問題ではない、もっと根本的な
日本の
金融当局の
誤りがあるということが国際的にはっきりしてしまったのですね。それで十月のG7で
日本はこの
住専問題を初め
不良債権問題を公約として持っていって免罪符を得たというのが、今回の問題の一番本質だというふうに私は考えております。
したがって、海外の評価は、今回の
住専処理において
公的資金を入れたということについて海外では非常にいいレスポンスがあったということをおっしゃった方が昨日いらっしゃいましたが、それは見方としては、間違ってはいないのですが正しくもない。それはある
意味では、いわば執行猶予を受けた、犯罪人というのはちょっと言葉が悪いのですが、執行猶予を受けた人が、執行猶予中言われたとおりやっているから、執行猶予中なかなかよくやっとるわという
程度の評価なんですね。仮にこれをやらないと、逆に執行猶予でなくなるという危険があるわけです。
具体的に申し上げますと、海外では、
金融当局あるいは
金融界では、この
程度の
公的資金では
大蔵省は
責任をとっていないという認識が非常に強まっています。したがって、今この
公的資金によって
国民が
大蔵省批判に向かっているのは、ある
意味ではその中のシナリオの一環なわけですね。
この批判のもとに、大蔵
行政、
大蔵省の
あり方が国内で変わることが海外でむしろ期待をされているということが、これだけの最近の記事になってあらわれています。例えば、一番新しいタイムズ誌、今出ていますが、「ハウ・ザ・マイティー・ハズ・フォールン」、いかに
大蔵省の巨大な権力が落ちたかと、もう完了形になっていますね。
その他、もろもろの記事が出ておりまして、これは有名なユーロマネーというヨーロッパの
金融の雑誌なんですが、これは一月号で、
大蔵省の解体がことしの終わりまでにあるというふうに予測をしているのです。その予測の理由を、余り報道されていないので、ここで改めて見たいと思うのですが、理由はこういうふうに書いてあります。ことしのユーロマネーの予測は、一九九六年の終わりまでに
大蔵省が解体される、その理由は、
政治家がやっと次のことを悟るだろう、それは、この五年間、
日本の経済がこれだけ
低迷して惨状をきわめたことの
責任が
大蔵省にあるということを
政治家たちが気づくであろうから解体するというふうになっているわけです。
したがって、この五年間いかに
大蔵省が、単なる
金融行政という狭い範囲だけではなくて、
日本の資産デフレをこれほど悪化させ、次々と
大蔵省の各局が
誤りた政策を続けてきたかということを見直すことから、この問題の本質の出口がやっと見えてくるというふうに私は考えております。
少し話を急ぎ過ぎましたが、ジューセン・プロブレムが今や
大蔵省プロブレムになっているということを申し上げました。
これとの関連で、もう一つのJP、ジャパン・プレミアムというのがございますね。このジャパン・プレミアムの解釈が、私は余りよく伝わっていないと思います。これは決して、昨日またどなたかが言われましたように、これで
日本の
金融不安が解消されそうなのでなくなってきたということではなくて、もともとジャパン・プレミアムが出てきたのは、昨年の六月ごろから七月ごろにあらわれてまいりました。
これは実は、その前に
大蔵省の失敗がありました。どういう失敗かというと、五月から六月にかけて、ムーディーズという外国の格付会社がございまして、これが
日本の三つの
金融機関の格付を下げるという予告をしたんですね。これに対して六月に、五月の末でしたか、
大蔵省が、そんなことはない、その格付はおかしい、ムーディーズがそんなことをやったら
日本の格付のところから締め出すぞというおどしをかけたんです。これが欧米の格付機関だけではなくて
金融界に猛反発を招きまして、そんなことであればジャパン・プレミアムがつくぞということで、それからジャパン・プレミアムが始まったのが非常に大きいんですね。
ですから、このジャパン・プレミアムというのは、実は
日本の
金融機関のバックにある
大蔵省に対する批判という面が非常に強いんです。そうでなければ、
日本の
不良債権問題というのはそれ以前からずっと、三、四年もう海外に明らかになっているわけですから、そのころからジャパン・プレミアムがついてよかったはずなんですね。ところが、そうではなくてここに来て急に、去年のそのころから出てきたというのは、その前の失政が非常にあるわけです。
ですから、今回の
住専処理法案で初めて、
大蔵省が
国民の批判を浴びることを覚悟で
公的資金を一部でも入れたということで、
大蔵省の
責任をある
程度認めたということでプレミアムが少なくなっているという解釈が一番一貫した解釈でございます。ですから、問題は既に
住専問題から
大蔵省問題に移っているという
意味はそういうことでございます。
それで、
大蔵省批判はわかったとして、それでは一体どこが問題なのか。
具体的には、一九九〇年の三月、四月の総量規制あたりからもともとは
大蔵省がやるべきでない方向に走っていった。つまり、
金融政策は、公定歩合を上げる、
金融を引き締めるという役割は日銀が本来負っているものであります。日銀は当時いろいろ批判はあるにしてもそれなりにやろうとしていたわけです。それに対して、もともと
大蔵省というのは、
政府の一部としてそういうものが行き過ぎないように、
金融当局の一方的なインフレを引き締める行き過ぎなどに対するカウンターメジャー、バランスとして常にどの国でも日銀と
大蔵省というのは分かれているわけです。
八九年まではそのバランスがある
程度いっていたのですね、まあ行き過ぎた面もありますが。ところが、九〇年の春になって
大蔵省も日銀と同じことをやり始めたわけです。つまり、日銀も
大蔵省も首を絞め始めたわけです。ところが、そのころ
世界各国は既に資産価額が崩れ、俗に言われるバブルの崩壊が
世界的に起こりまして、もう不動産市場はどの国でもどんどん奈落の底に行っている。
金融不安もどんどん起こってくる。アメリカでは、あのSアンドLの問題が一番深刻になった時期ですね。そのときに
日本は逆療法をやってしまった。そこら辺がボタンのかけ違いです。
そして、まだ総量規制が続いている間、今度は証券局が証券スキャンダルを誤って株式市場を殺してしまった。銀行局が総量規制を誤る。証券局が証券スキャンダルを誤る。その後さらに主税局が、下がり続けている土地をさらに下げるということで土地税制を異常に強化する。それから最後に、主計局があくまで
景気対策をやらない。赤字国債による所得税減税も最後までこれはつぶして回って、
景気は常に年の中央から回復するという大本営発表を流し続ける。これを四、五年続けたということで、すべての局がそろって誤った結果こういう事態を招いたということが、海外の観点から既に明らかになっているわけです。
したがって、私は、こういう観点から
大蔵省解体論というのを初めから唱えていた一人でございます。単に、
金融行政が悪かった、やれ
住専を先送りした、だから
金融行政だけどこかへ持って
いって強めろ、こういう話ではなくて、それだったら証券スキャンダルで証券取引監視機構ができたのと同じような
解決になってしまうわけですね。下手をするとトカゲのしっぽ切りで、主計、主税はメーンで残ろう、
金融のことはちょっとどこかへやろうということで本質的な
解決にはならない。したがって、ここでは、抜本的な
日本の政策決定機構の
改革という、これはもうすぐれて
政治的な問題ですが、ここに本当に踏み込むときが来て、これを海外が注意深く見守っている段階である。
そこで、
大蔵省の解体は、基本的には
大蔵省という中に、非常に
政治的な決定が必要な部分、例えば
予算の問題、税制の問題というような
政治的な直接の決定が必要な部分と、それからすぐれてマーケット、国際的な市場に左右される部分、特に
金融の問題、これが同じ省の中で混在していて、それがあらゆる人脈と間違った考え方によってそれぞれゆがめられておるという前近代的な
体制になっている。諸外国は、すべてそこら辺は、少しずつ過去の三十年、四十年、五十年という長い間かけてそこを分けて、きちんと中央銀行の役割、議会の役割、それから
大蔵省と言われる財務省とか、その役割を分けてまいったわけです。
したがって、おくればせながら
日本も、
政治的な決定が必要な、例えば
予算の編成権というようなものは内閣にできるだけ早く移行する、内閣の
予算局というようなものをつくって、そこで本当に
政治的に
国民に訴えて政策を反映した多年度
予算というようなもので争う。もし税制と切り離すのが問題であれば、税制の企画等の頭脳部分も内閣に持っていけばいいわけで、そこはきちんとした
政治上の
責任、
政治的
責任をとった
改革を行うべきだ。
それから、逆に今度は、
金融の方はできるだけマーケットに即した形で再編する。これは、実は日銀というものがあるわけですから、アメリカではFRBが、先日の大和銀行事件で象徴的なように、あれほどの強い力を持って国内の
金融の秩序とか不安の解消を図っているわけですから、日銀法を改正して、日銀に相当な
責任と権限を持たせる。それと同時に、今回の
住専処理法案で重視されております預金保険機構というものも、アメリカではこれに
対応するものが、預金保険公社みたいなものが重要な役割を果たしていますから、日銀とそれから預金保険機構みたいなものが両輪になって
金融、銀行関係の市場の監視、検査等を行う。
そして、証券については、前回非常に中途半端になった証券取引監視
委員会みたいなものは、アメリカのSEC、証券取引
委員会のような、本当に証券
行政を全体として市場に即して見て、しかもきちんと監視もするという機構につくり上げる。このように、本格的な
大蔵省の解体というのが今こそ叫ばれているわけです。
ところが、
大蔵省解体論という、看板は
大蔵省解体論なんですが、実はトカゲのしっぽ切り的な話が今
日本の中で出てきているのは大変危惧するべきことで、今や、
大蔵省を解体すべきかどうか、イフの問題ではなくてハウの問題であって、どのように解体するかということこそこの国会のこういう場で
議論すべきときです。そのときに、そのまだまだ前の段階の
住専処理に税金云々、やれどうこうという話は、もう実は三年ぐらい前にやっておかなければいけないわけで、この問題を早く終えて、そして本格的な大蔵解体のスキームをぜひ
政治主導で実行していただきたいというのが、私の切なる願いでございます。
そして、最後の締めくくりとして、
大蔵省解体はわかったという方もいらっしゃると思うんですが、それではその先どうなるのか、大分不安ではないか。例えば、
予算を内閣に持っていくのはいいけれども、やはりそこは
政治の場で筋が通らない、いわゆる妥協的な
予算ができてしまって、アメリカのように税制と切り離しますと
支出ばかりふえて
財政が
破綻するんじゃないか。それから、今回の
金融問題でも、これだけ大きな
金融の問題が、傷が残っているわけですから、これを単に日銀とかそういうSECに持っていっちゃっただけで、残りのものはどうするんだ、この傷を治す
責任はどこにあるんだという問題がございます。
私は、それに対する答えは、ちょうど五十年前、
日本が敗戦を迎えたわけで、私は今回のことを第二の敗戦、経済敗戦と呼んでいるんです、少なくとも
金融については。この敗戦の惨状から立ち上がるためには、ちょうど戦後、マッカーサーのGHQのもとで超法規的に相当強力な復興本部をつくって復活したというようなことから学んで、当時、安本、経済安定本部というのがGHQの力のもとに
予算権も持つし、規制の力も持つし、輸出入のいろんな権限を持ったということがありますが、今
日本の、特に
金融面で置かれている
状態はまさにあの
状態です。もう一歩間違えれば国際的に
金融が
破綻するほどの問題点を抱えています。したがって、これは到底
大蔵省だけでは乗り越えられませんし、
大蔵省を解体しても乗り越えられない。
それではそれを乗り越えるために何が必要かというと、これは一国の首相のリーダーシップのもとに
平成版の安本のようなものをつくって、そこで特に
金融にかかわるもの、資産デフレにかかわるもの、不動産にかかわるもの、こういうものを
政治主導でこの危機を乗り切る、党派を超えてこの危機を乗り切るということをやることが必要である。その力がなければ、逆に言えば
大蔵省の解体もできない。
つまり、猫の首に鈴をつけるのは一匹のネズミではできないわけで、ぜひネズミが一緒になって、海外の犬と一緒になって猫を解体する、ことしはたまたまねずみ年に当たりますので、恐らくそういうことをやる年ではないかというふうに考えております。(拍手)