運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1996-02-23 第136回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年二月二十三日(金曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 上原 康助君    理事 桜井  新君 理事 近岡理一郎君    理事 深谷 隆司君 理事 保利 耕輔君    理事 今津  寛君 理事 草川 昭三君    理事 野田  毅君 理事 三野 優美君  理事 五十嵐ふみひこ君       相沢 英之君    伊藤 公介君       江藤 隆美君    小澤  潔君       越智 伊平君    越智 通雄君       菊池福治郎君    栗原 博久君       後藤田正晴君    志賀  節君       高鳥  修君    谷川 和穗君       村山 達雄君    谷津 義男君       若林 正俊君    安倍 基雄君       愛野興一郎君    伊藤 達也君       石井 啓一君    石田 勝之君       上田 清司君    太田 昭宏君       川島  實君    左藤  恵君       谷口 隆義君    西  博義君       平田 米男君    前田 武志君       松岡滿壽男君    山口那津男君       山田  宏君    今村  修君       佐々木秀典君    坂上 富男君       田中 昭一君    細川 律夫君       錦織  淳君    松本 善明君       矢島 恒夫君    吉井 英勝君       海江田万里君  出席公述人         慶應義塾大学経         済学部教授   池尾 和人君         株式会社野村総         合研究所政策研         究センター長  富田 俊基君         法政大学経営学         部教授     野田 正穂君         東京大学経済学         部教授     植田 和男君         経済評論家         有限会社経済政         策総合研究所         ハーベイロー         ド・ジャパン代         表       財部 誠一君         筑波大学教授  宮尾 尊弘君  出席政府委員         内閣官房副長官 渡辺 嘉藏君         総務政務次官  赤城 徳彦君         防衛政務次官  中島洋次郎君         環境政務次官  中島 章夫君         国土政務次官  御法川英文君         法務政務次官  河村 建夫君         外務政務次官  小川  元君         大蔵政務次官  鉢呂 吉雄君         大蔵省主計局次         長       林  正和君         厚生政務次官  住  博司君         農林水産政務         次官      小平 忠正君         通商産業政務次         官       遠藤  登君         運輸政務次官  北沢 清功君         郵政政務次官  山口 俊一君         労働政務次官  坂井 隆憲君         建設政務次官  沢藤礼次郎君         自治政務次官  山本 有二君  委員外出席者         予算委員会調査         室長      堀口 一郎君     ――――――――――――― 委員の異動 二月二十三日  辞任         補欠選任   村岡 兼造君     栗原 博久君   石井 啓一君     西  博義君   谷口 隆義君     太田 昭宏君   松本 善明君     吉井 英勝君 同日  辞任         補欠選任   栗原 博久君     村岡 兼造君   太田 昭宏君     上田 清司君   西  博義君     石井 啓一君   吉井 英勝君     松本 善明君 同日  辞任         補欠選任   上田 清司君    谷口 隆義君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた案件  平成八年度一般会計予算  平成八年度特別会計予算  平成八年度政府関係機関予算      ――――◇―――――
  2. 上原康助

    上原委員長 これより会議を開きます。  平成八年度一般会計予算平成八年度特別会計予算平成八年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。  この際、公述人各位一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成八年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。  御意見を承る順序といたしましては、まず池尾公述人、次に富田公述人、続いて野田公述人順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、池尾公述人にお願いいたします。
  3. 池尾和人

    池尾公述人 慶應義塾大学池尾と申します。きょうはよろしくお願いします。  私は、平成八年度予算一般会計歳出のうち、いわゆる住専処理に関連します緊急金融安定化資金六千八百五十億円の支出に関連して専ら意見を述べさせていただきたいというふうに思います。  本日、私が申し上げたいことをあらかじめ一言で要約しますと、本当に抜本的な対策をとっていただきたいということであります。  今回の住専処理案に関しまして政府説明を伺っていますと、放置するわけにはいかない、だから決断したんだというふうな説明が行われているわけですが、それに関しまして、私は、本来なら三年前にそう言っていただきたかったというふうに思いますと同時に、今回の案に関しましても、実のところ、決断に値するのかどうかといった点に関して疑問を持っております。  すなわち、今回の処理案も、ある意味では新たな先送り策でしかなく、びほう策でしかないのではないかという疑念を抱いております。言いかえますと、そうした疑問を禁じ得ないほど、日本不良債権問題は深刻で根深いものではないかというふうに考えております。  これは、昨日、別の公述人の方も御指摘になった点かというふうに伺っておりますが、国会議員の皆様にまずお願いしたいことは、日本不良債権問題の全体としての規模を明確にする、そうした努力をしていただきたいということをお願いしたいと思います。  すなわち、大蔵省から公表されております不良債権の総額は四十兆円程度ということになっておりますが、ある米国調査機関による調べでは百四十兆円といった数字も出されているわけであります。いずれの数字が正しいかによって住専問題の相対的な比重が全く異なってくるわけであります。  一般論として言いましても、問題の規模によって当然対策あり方は違ってくるはずです。しかるに、住専問題の相対的な規模がどのようなものであるかを見きわめないままに処理をめぐる議論が進められているような気がいたします。これは決して好ましいことではありません。  したがって、繰り返しますが、まず第一に、個別住専問題を超えて、日本不良債権問題の全体像を確認するということを審議の中で徹底して行っていただきたいというふうに思います。  次に、仮に最も控え目と思われます大蔵省の発表の数字をとりましても、住専問題は日本不良債権問題全体の中の三分の一を占める問題にすぎません。言いかえますと、住専問題がたとえ解消されましても、少なくともまだ三分の二の問題が残されることになります。  しかるに、今回の処理案に関連した説明では、公的資金投入は今回限りで、今後のノンバンク処理には財政資金は使わないといったことが表明されております。しかし、本当に、今後は公的資金を使わないということで日本不良債権問題のすべてを解決して、日本金融システム健全化を達成することが可能なのか。  住専に関しましては責任関係が複雑なので公的資金投入も仕方がないけれども、他のノンバンク責任関係がはっきりしている、したがって責任者負担させるんだというふうな説明がされておりますが、たとえ責任関係が明確でありましても、その主体が残りの不良債権処理できる能力があるということには直ちにはならないわけでありまして、徹底した不良債権処理を進めれば、当然破綻する金融機関が出現するおそれもありますし、破綻しないまでも多くの金融機関が極めて脆弱な状態に陥ると見られます。  そうした状態をどのようにするのか。単に放置すればよいということでないとすれば、どのような対策を今後とっていくのかというふうな全体的なビジョンを含まない形で住専に対する処理を考えるということは、極めて不十分な態度であるというふうに思います。すなわち、日本不良債権問題を全体として解決することにつながるような内容を持った提案でなければ、真の意味での政治的決断とは言えないと思いますし、抜本的な対策であるとは言えないというふうに考えます。  今回の住専処理案は、当面のつじつま合わせをしただけの先送り策に終わってしまうおそれが非常に大きいというふうに懸念しております。例えば、今回の処理案では救済されることになります農林系統金融機関を今後どうするのかといった点は不明確なまま置かれております。こうした点の展望抜き財政資金を用いることは、非常に非効率な、いわばむだ金になりかねない懸念があるという点で反対の感を持っております。  ただし、誤解をされないようにお願いしたいのですが、私は公的資金投入すること自体に反対しているというのではなくて、展望を持たないままに使うこと、つまりきちっとした原則にのっとったような形の支出をすべきであるというのが私の真意でありまして、日本不良債権問題を全体として解決するためには、今回の処理案を上回る額の財政資金投入が不可避であろうというふうに私は考えております。  そうであるがゆえに、膨大な国民負担国民に納得していただかなければいけないわけでありまして、そのための最低限の必要条件として、財政資金投入に当たっては原則をかたくなに堅持するということが必要であると思います。その場しのぎ原則を曲げた対応をとっておりますと、国民の反発を招く結果となり、たとえ経済合理的な対策であっても、今後は痛みを伴うものは実施できないというふうな非常に困難な状況に陥る可能性があり、財政資金投入が今後必要と見込まれるがゆえに、投入に当たっては原則をかたくなに堅持するということが必要であると思います。  それでは、財政資金投入に当たっての原則とは何かという点でありますが、その点は既に金融制度調査会報告書の中でも確認されております。すなわち、破綻した金融機関は存続させない、救済の対象とは決してしない、ただし破綻に伴う損失預金者に及ぼすことはできないわけでありますから、預金者保護に必要な限りで公的資金の使用はあり得るというのが金融機関破綻処理にかかわる公的資金の導入の原則であります。  住専をこの原則の例外としなければならない理由は私には理解できないわけでありまして、この原則からすると、住専には預金者はいないわけですから、一般事業会社の場合と同様に法的に処理を行うのが当然であるということになります。その上で、住専処理に伴う損失を吸収できずに破綻する金融機関が出現したときに初めて、預金者保護に限って財政資金投入するというのがこれまでの原則に従った対応ということになると思います。  もっとも住専の場合、破産申請に伴う当初の損失配分と、破産裁判の結果として最終的に得られる損失配分とは、かなり異なる可能性があるというふうに予想されます。私も、いわゆる母体行の責任は、単なる貸し手責任よりも重いと思っております。そこで、当初の損失配分の重い農林系金融機関に対して一定の財政支援を行い、破産裁判の結果が確定した時点でその返済を求めるといった政策的配慮を行うことは十分に考えられるというふうに思っております。  しかしながら、住専本体処理に関しては法的に行うというのが正しい態度ではないかというふうに考えております。といいますのは、重要なのは、だれにどれだけの責任があるのかという点は、法治国家である以上、最終的には司法が判断すべき点であるということからそう考えるわけであります。  司法的判断を求めることを忌避したまま、特定の主体責任があるというふうに決めつけて事態の処理を進めるというのは、法治国家自己否定にほかなりません。今回の住専処理案を正当化しようとする説明の中には、残念ながら、こうした法治国家自己否定につながるような説明がしばしば見かけられ、非常に残念に思っております。  私は、住専法的処理をすべきであると言いましたが、そうすることに何の実務的な困難もないとか、リスクが伴わないというふうに楽観しているわけでは決してありません。むしろ困難は非常に大きいというふうに考えますが、住専問題の先にある問題を考えますと、困難を回避しているわけにはいかないというのが私の真意でありまして、今必要なことは、困難を回避することではなくて、困難を克服するための準備を行うということだと思っております。  我が国では、戦後一貫して、金融機関はつぶれないし、つぶさないんだという金融行政がとられてきたために、金融機関破綻社会的混乱を招くことなく処理するための体制組織破綻処理のための体制組織がほとんど準備されていないという現状があります。したがって、確かに破綻処理体制がないところで金融機関破綻が起これば、それは混乱を招くおそれがあるわけです。しかしながら、だから金融機関破綻を避けなければならないというふうに言うのであれば、それはこれまでどおりの問題先送り策を繰り返すことにほかならないわけであります。  今必要であるのは、破綻処理体制組織の整備を行うということだと考えます。単なる住専処理のためだけの機構づくりでは決して十分ではなくて、かなり規模の大きな金融機関破綻、あるいは多数の金融機関が同時に破綻するケースにも対処できるような体制づくりが求められているというふうに考えております。  私自身も参加しましたが、昨年秋から金融制度調査会のもとに金融システム安定化委員会というのが設けられて、そこでそうした破綻処理体制づくりについての議論を行ってきたわけですが、結果として、信用組合に関する破綻処理体制の青写真をかいたところで昨年末に議論は時間切れになってしまったというのが実情でありまして、信用組合を超える規模の業態の金融機関破綻に対する処理体制をどうするのかということは、全く十分な検討さえいまだ行われていないという状態にあるわけであります。  金融機関破綻処理体制あり方をどうするかということは、行政にゆだねておけばよい日常業務の範囲に含まれるような課題ではなくて、まさに政治基本方針を示すべきレベルの課題であるというふうに考えております。現在議論され始めております金融行政の見直しという点に関しましても、金融機関破綻処理体制をどうするかということを抜きにして語ることはできないのではないかというふうに思っております。  繰り返しになりますが、住専問題を孤立的な問題のように議論するということは正しくなく、あくまでも日本不良債権問題の全体像の中に正しく位置づけて、その上で解決あり方議論する必要があるというふうに考えております。そうした場合に、かなりの負担と犠牲が避けられないということが予想されますが、そうであるとしても、不良債権問題の全体としての徹底した解決を目指す必要があるというふうに思っております。  なお、その際に我々が自覚しておかなければならない点があると思います。それはどうした点かと申しますと、プラザ合意後十年といいますか、不良債権を積み上げ、そしてその処理に手間取っているこの十年の間に、我が国金融制度が国際的な基準から見ると極めて時代おくれなものに既になってしまっており、他の先進国経済制度に比べて日本金融制度が極めて立ちおくれたものに既になってしまっているということを忘れてはいけないと思うのです。つまり、一九八〇年代から世界的に金融変革動きが進行しておりまして、金融業あり方そのものが大きく変容しております。ところが、日本金融業は、そうした国際的な金融変化に対して十分な適応を怠ったまま十年間を過ごしてきたという現実があるわけです。  したがって、ここでさらに長い時間をかけて不良債権問題の処理を行って、それが実現できたとしても、そのときに、日本金融制度がもはや博物館にでも入れた方がいいような古臭いものになっていたり、日本には全く脆弱な、国際競争力の全くない金融機関しか残っていないというふうな状況になっていれば、これは国民経済的に見て大変困ったことになるわけだというふうに思います。  したがって、こういう意味で、将来の日本金融業を効率的で頑健なものにしていく、そのためのはっきりとした方針を持って不良債権処理にも取り組む必要があるというふうに考えております。  こうした観点から申しますと、とりわけ陥りやすい誤りとして、不良債権処理が済むまで大変だろうから金融自由化を少しおくらせようとか、制度改革を少し先延ばしにしようというふうな議論が行われがちであると思いますが、そうした誤りは厳として避けるべきであるというふうに考えております。  というのは、我が国が立ちどまっている間にも他の先進諸国はどんどんと前に進んでいるわけでありまして、米国及び欧州の金融機関が、日本金融機関が苦しい状況にあるからちょっと待っていてやろうというふうなことは絶対にあり得ないわけでありますから、不良債権問題を口実に制度改革及び金融自由化をおくらせるというふうな姿勢をとっておりますと、どんどんと格差がつき、我が国金融制度がどんどんと立ちおくれたものになってしまうという点があるかと思います。  したがって、日本金融制度を現代的なものにするための改革はどしどし進めるという姿勢が必要で、そうした改革についてこれない金融機関に関しましては、財政資金投入しても積極的に整理を行うというのが真の意味での抜本的な対策ではないかというふうに考えております。  最後にもう一度繰り返しますが、日本金融システムの将来を考えた上で、今回の提案のようなびほう的な対策ではなくて、本当に抜本的な対策をとっていただきますように重ねて要望したいというふうに思います。  以上で私の公述を終わらせていただきます。(拍手)
  4. 上原康助

    上原委員長 ありがとうございました。  次に、富田公述人にお願いいたします。
  5. 富田俊基

    富田公述人 御指名をいただきました富田俊基でございます。  「平成八年度の総予算について」という表題のもとに、日本経済財政運営あり方について意見を申し述べさせていただきます。お手元の資料も御参照ください。  バブル崩壊後にさまざまな問題が発生しまして、それに国民の耳目が集中している間に、世界経済は大きな構造変化を遂げてまいりました。そのきっかけとなったのは冷戦終えんです。  冷戦終えんは、東西の壁を崩壊させ、同時に南北の壁をも消滅させました。計画経済のもとにあった国々は、市場経済への移行を進め、二十数億人もの人々が世界経済に参加し始めたからであります。これによって、労働集約的な財の生産世界で急拡大しており、世界は歴史的な構造変化を遂げようとしております。特に東アジアでは、中国経済改革・開放、その加速を中心としてアジアの全域で急速な生産力拡大が起こり、日本を含むこの地域の産業構造は大きな変貌を遂げつつあります。  この世界的な構造変化が、我が国では景気低迷となってあらわれてきたと思います。  図の一にごらんいただきますように、輸入増大が顕著です。景気ボトムであった九三年十-十二月期から九五年七-九月の間に、実質ベースで内需が二%の増加であったのに対しまして、輸入はその十倍ものテンポ拡大を遂げてまいりました。この結果、実質国内生産GDPはこの二十一カ月で一・三%の拡大にとどまりました。  また、図の二に見ますように、景気回復局面、過去と比較しましても、今回の輸入拡大テンポは極めて顕著で、GDPに対する輸入の比率が急速に高まっております。  製造業生産について見ますと、景気ボトムから昨年十-十二月期までの二年間で、全体で七・四%の増加であるが、図の三に見るように、アジアと競合する耐久消費財生産は一・七%減少しております。この一方、技術集約的な資本財生産は二八・七%も拡大しております。このように、冷戦後の新しい国際分業に向けて、日本でも産業構造の転換が進みつつあります。  これらの財政政策へのインプリケーションについて述べてみたいと思います。資料の二ページ目をごらんいただきたい。  第一は、景気判断が悲観的に偏りがちだということであります。  これまで合計六回、事業規模にして六十四兆円に上る景気対策が発動されました。これは、景気低迷の要因として、バブル崩壊という需要サイドの問題を強調するが余り、冷戦後の世界経済構造変化という供給サイドの問題が見過ごされがちであったことにも原因があります。  また、日本が他国に対して比較優位を持っております資本・技術集約的な産業生産拡大する一方、エマージングエコノミーズから激しい追い上げを受ける産業では生産が減少します。このため、すべての産業で全般的に日本経済が回復するというのは起こりにくいということでございます。このため、とかく悲観論が台頭いたしまして、財政政策を絶えず絶えず拡張的なものにしてきたのではないかと思います。  第二は、国際資本移動活発化、そして先ほど述べました輸入増大によりまして、公共投資と減税の波及効果が従来よりも一層低下してきたことであります。  過去六回の大規模景気対策は、景気底割れは防いだとしても、波及効果は著しく乏しかったわけでございます。さらに、財政による需要刺激策は、現在の我が国が直面する供給サイドの問題、これに非力であるばかりか、古い産業構造を温存しかねないという問題を持っております。  第三は、貿易黒字貯蓄超過というこれまでの日本経済の体質が急速に変化を始めたということであります。  表の一にごらんのように、アジアからの輸入急増が著しゅうございます。過去三年間、輸入と輸出の伸びは、ドルベースで見てそれぞれ年率で一三・三%、九・三%でありました。このテンポが続くという機械計算を行いますと、昨年の一千七十億ドルもの貿易黒字は、七年後の二〇〇三年には赤字化いたします。過去二年、つまり九四、五年のテンポが続くとなりますと、さらに目前の二〇〇〇年に貿易収支は赤字に転落いたします。  こうした対外黒字縮小傾向は、高齢化に伴います家計貯蓄率の低下と表裏一体をなした動きでございます。六十歳以上の世帯貯蓄率は、壮年層に比べて低いわけでございますけれども、今後の高齢化に伴いまして日本全体の家計貯蓄率が低下するという傾向は不可避でございます。  総務庁の家計調査報告を見ますと、八〇年から九四年までの十五年間の平均で見まして、三十歳から五十歳代の家計黒字率、これが二三・九%であったのに対しまして、六十歳以上の世帯貯蓄率は一七・二%でありました。このため、今後の急速な高齢化、特に団塊の世代と言われるベビーブーマーズが第一線から退き始める二〇〇五年前後から、貯蓄率は急速に低下する可能性があります。  このように、我々がいつも前提としておりました貯蓄超過というのは、過去の幻影のように消え去ろうとしております。したがって、現在経常収支大幅黒字であるといって大規模景気対策が必要だという考えは、妥当性を失いつつあります。  日本にとって必要なことは、冷戦後の新しい国際分業の中に我が国経済を位置づけ、結果として成長率が高まることであります。冷戦の時代に形成されたキャッチアップ型の経済システムの成功神話に固執し、公共投資と減税の継続によって成長率の数字を何が何でも人為的に高めるということにどれだけの意味があるのか、私には疑問であります。  また、景気が全般的に回復した時点で財政支出の抑制を始めればよいという旧思考、古い考えにこだわっておりますと、国債が火だるまのように累積し、国債の負担の重圧によって、日本経済は長期衰退の道を歩んでしまうかもしれません。  資料の三ページにお移りください。  国債の負担がもたらす第一の問題は、国債費の増加です。国債費は、他の予算費目とは異なりまして削減の対象とはなり得ない唯一例外の費目であります。  今から三十年前の昭和四十年度の予算ではほとんどゼロであった国債費が、その後の国債発行によって拡大を続け、平成八年度予算では税収の三二%も占めております。その結果、財政の自由度を著しく束縛しております。この経緯は、国債の増発が景気拡大に功を奏さず、税収もその結果伸びなかったことを示しております。特に、利子率が成長率を上回る状況は、事態を深刻なものにいたします。  国債の負担がもたらします第二の問題は、世代間の不公、平をもたらすことです。  国債は税金に比べて負担がないという錯覚に陥りまして、例えば、景気対策という名をかりて、国債増発により現世代がメリットを享受しようという傾向に傾きがちであります。この財政錯覚は、歳出拡大に対します歯どめを失わせます。この結果、現在選挙権を持たない人々は、みずからの意思とは無関係に、国債の元利償還のために税金を支払うという不条理な状況に置かれることになります。  第三は、金利上昇による民間投資の締め出し、クラウディングアウトであります。  これまでの日本貯蓄超過であったこと、また財政拡大と同時にパッケージとして公定歩合が引き下げられてきたことによって、この問題は余り顕在化しませんでした。しかし、先述しましたように、他の先進国と同様に、財政赤字の弊害が顕在化する危険が高まってきております。  昨年、IMFは、先進工業国全体の国債残高がGDP比で一%ふえると、世界の実質金利が約〇・二%も上昇し、中期的に世界の経済成長を阻害するという研究レポートを発表いたしました。これは、一九七〇年代後半のいわゆる機関車論が百八十度間違っていたことを示唆しております。この観点から、冷戦世界での国際協調は、財政健全化を前提としたものでなければなりません。既に、EU、ヨーロッパ連合諸国及び米国では、財政健全化が進められております。  平成八年度の予算は、これらの観点から検討されねばならないと思います。  国債発行額は、八年度予算で二十一兆円に拡大いたしました。このうち赤字国債は、構造赤字が一挙に表面化し、十二兆円に達しました。十五年もかけてやっと赤字国債から脱却できた平成二年度の決算と比べますと、国債は十四兆円の増発です。この最大の要因は、税収の減少です。平成二年度の六十兆円から九兆円ほども減少いたしました。この半分は、先行減税によるものであります。また、平成二年度との比較で歳出を見ますと、全体で五兆八千億円増加しました。うち、国債費が二二兆円、一般歳出は五兆四千億円増加しております。一般歳出のうち、社会保障費が二・七兆円、公共投資が二・六兆円、文教科学振興費が〇・七兆円増加しております。なお、この間に恩給関係費、食糧関係費などは減少しております。  このように、過去六年間に赤字が拡大した要因は、景気後退によります税収の落ち込み約四兆五千億円、国債費と社会保障費の増加四兆九千億円、そして景気対策によります増加、これには公共投資拡大と先行減税、これによりまして七兆円分赤字が拡大しております。  さらに過去にさかのぼりますと、歳出が傾向的に拡大してきたにもかかわらず、たびたびの減税実施の結果、租税負担率がほとんど上昇していないことがわかります。平成八年度の国民所得に対する一般会計税収の負担率は、昭和四十九年度あるいは昭和五十五年度という二十年前後も前の水準とほぼ同じであります。また、ついに平成七年度には、厚生年金などの社会保険料が一般会計の税収を上回っております。  平成八年度予算が置かれた状況は、その姿を将来に投影することによって浮き彫りにすることもできます。一月二十六日に発表されました「財政の中期試算」で示されましたように、七年後に赤字国債の発行をゼロにするには、国債と地方交付税を除いた一般歳出を向こう七年間にわたって少なくとも横ばいにしなければならないということであります。  七年後の平成十五年とは、さきに述べましたように、過去三年間の輸出入の伸びが継続するという機械計算によって、貿易収支が赤字化し、日本に超過貯蓄がなくなるという年であります。という意味で、財政再建の目安になる年として、一応の合理性はあるように思います。  しかし、一般歳出を七年間も横ばいにすることは可能でありましょうか。過去、七年間で一般歳出は九兆円も拡大しました。今後は、高齢化の進展によって、さらに財政需要は増大するでありましょう。このため、「財政の中期展望」が我々国民に選択肢の一つとして示した一般歳出を七年間も横ばいにすることは、ほとんど実行不可能かと考えられます。  また、四ページにごらんのように、中期展望の検討に際しては、これまで毎年試算されてきた 「財政の中期展望」には、税収の過大見積もりというバイアスがあったことに留意すべきです。  表の二にありますように、例えば三年前の中期展望では、この平成八年度の税収を七十一・四兆円と展望しておりました。八年度予算では、それよりも二十兆円も少ない五十一兆三千億円の見積もりとなっております。また、歳出も、当初予算で抑制されても、補正予算で大幅な追加が繰り返され、結果として、中期展望の歳出には過小見積もりというバイアスがありました。つまり、中期展望には、歳出、税収の両面に財政赤字を過小に見積もるという傾向がありました。  五ページにお移りいただきたく思います。  税収の過大見積もりの原因は、成長率の過大な見通しにありました。それを避けるには、冷戦後の世界経済構造変化という現実を踏まえる必要があります。労働、資本、技術進歩という中期的な成長要因を検討いたしますと、日本も他の先進工業国と同様な環境に置かれるようになったということを認識しなければなりません。  経済企画庁の新しい経済計画には、二〇〇〇年までの年平均成長率一・七五%というケースがあります。それは、規制緩和、構造改革が進まないケースと呼ばれています。それを前提にして延長しますと、たとえ二〇〇三年まで一般歳出を横ばいに保つとしましても、年々一兆円から三兆円もの増収策を実施しないと、二〇〇三年に赤字国債をゼロにすることはできないということになります。  また、平成八年度予算の制度、施策を前提とした一般歳出が年率三・八%増で拡大する場合には、図の四にごらんのように、十年後の二〇〇六年の国債発行額はGDPの八・三%相当の四十九兆円、国債残高は同九二%相当の五百四十兆円にも達してしまう。その時点で財政再建、財政構造改革を叫んでも手おくれであります。数年後に何かをするから当面は減税といった議論が現在も見られます。しかし、将来世代に負担を先送りする、旧思考の先楽後憂の議論はもう許されません。  現段階では埋めようがない巨額の歳出入のギャップが存在することを考えますと、平成八年度予算は、補正予算を組まないということを前提に成立することを期待します。  構造的な財政赤字は、八年度予算で巨額の赤字国債として表面化しました。それが今後、安易な歳出拡大につながらないように、そして、選挙権を持たない人々とまだ誕生していない将来世代に巨大な国債の負担として先送りされて、新世紀を担う国民の選択と行動の自由を奪うことにならないように、財政健全化への取り組みを着実に進めていかねばならないと思います。  御清聴ありがとうございました。(拍手)
  6. 上原康助

    上原委員長 ありがとうございました。  次に、野田公述人にお願いいたします。
  7. 野田正穂

    野田公述人 法政大学の野田正穂でございます。  私は、平成八年度予算、その中でも、特にいわゆる住専破綻処理に関する六千八百五十億円の財政支出について述べさせていただきたいと思います。  まず、破綻した住専処理につきましては、その破綻の原因及び責任を徹底的に究明し、筋の通る、道理にかなった処理をすることが、金融秩序に対する国民の信頼を回復する上で絶対不可欠であるというふうに考えております。  特に、この住専は民間の企業でありますから、当然自己責任原則、後で述べますように、住専は母体行の子会社でありますから、住専の自己責任原則は同時に母体行の自己責任原則、いわゆる母体行責任原則に立って処理が図られるべきであるというふうに考えております。  それで私は、母体行の責任を、住専破綻はバブルに関係があるわけですが、このバブルを引き起こした社会的責任住専を経営破綻に導いた経営責任との二つに分けて、これから述べさせていただきたいと思います。  一九八〇年代後半の株式や土地、いわゆる資産価格の異常な高騰がバブルであったことは、今では万人の認めるところとなっております。土地について申し上げますと、八七年一年間だけでも実に三〇%という値上がりが起こったのであります。当初、学者の間でもバブル説と非バブル説がございましたけれども、その場合のバブルとは、理論価格から実勢価格が著しく乖離し、その開きが主として投機取引によるものである場合を指しておりますが、今ではバブル説が万人の共有するところとなっているというふうに思います。  一九八〇年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカのローレンス・クラインは、資本主義の構造的な不安定をもたらしている要因といたしまして投機活動を挙げ、日本のバブルにも触れて、八〇年代以降、投機活動が経済の撹乱要因になっている場合が多い、このように指摘しているのであります。  問題は、土地の投機取引は、株式やその他の投機取引と異なりまして、株式の場合の先物取引のように空売り、空買いができないということであります。すなわち、俗に土地転がしと言われている土地の投機取引は、取引の規模に見合った資金を必要としている。そして、それは主として土地を担保とした金融機関からの融資によって賄われているのであります。このことは、国土庁が九〇年に発表されました土地白書からも明らかであります。  事実、八〇年代後半のバブルを通じて、金融機関の不動産関連の融資は、一般の融資の伸びを大幅に上回って増加しております。金融機関の不動産会社や建設会社に対する融資を見ますと、九一年末の残高は約五十八兆円という巨額に上っております。このような不動産関連の融資の拡大が投機的な土地取引を支えたことは明らかでありまして、この点で、住専の母体行を初め金融機関の社会的責任は大きく、また、不動産関連融資のいわゆる迂回融資のルートとなったノンバンク、特に住専も、同様の社会的責任を免れることはできないと考えます。  なお、地価のバブルの結果として、国民、中でも中堅勤労者の住宅取得、マイホームの夢の実現が困難となっただけではなく、土地を持つ者と持たない者との間の資産格差が大きく拡大するといった、国民経済あるいは国民生活にも大きな被害をもたらしたことを一言つけ加えておきます。  ところで、不良債権増大金融機関破綻はバブルの崩壊に原因がある、バブルの崩壊がなければ不良債権の問題は起こらなかったという説もございますけれども、バブルは永遠に続くことはないのでありまして、必ず破裂する、バブルはバブルなるがゆえに崩壊する、これがバブルの自律的な運動であります。  八〇年代後半の資産価格の異常な高騰がバブルであることが明らかになった九〇年ごろ、高騰した価格がどこまで低落するかについてさまざまな予測がなされました。五〇%、つまり半分に値下がりするであろうという予測もあり、三菱銀行系の調査機関は、五〇%に下落した場合の国民経済に対する影響についてのレポートを発表しております。当時、三重野日銀総裁は、二〇%の低落が許容限度であると述べましたが、その後の経過は、二〇%をはるかに超える低落が起こり、不動産関連の融資を拡大した住専その他の金融機関に四十兆円あるいは五十兆円と言われる巨額の不良債権が発生した、これが現実であります。  以上のように、八〇年代後半のバブルは、公定歩合が二・五%という歴史的な低金利、金余りと言われた金融緩和を背景に、住専を含む金融機関が不動産関連の融資を大幅に拡大したことの結果であります。  本来、金融機関は、その公共的性格からいいまして、高いモラルと節度が要求されているのでありますが、銀行がサウンドバンキングの原則、資産の安全性、流動性を図るという健全経営の原則から逸脱し、土地の投機取引に深く関与したことは重大であります。また、これを許した金融当局の責任も重大であると考えております。  次に、子会社である住専の経営に対する母体行の責任について述べたいと思います。  簡単に住専の歴史を振り返ってみますと、一九七〇年代、銀行などが住宅ローン専門のノンバンクの設立に乗り出した当初、日本長期信用銀行のように、単独で住専を設立する、これは東京住宅ローンという会社でありますが、そういう銀行もございましたけれども、多数の住専の設立による過当競争を排除し、住専の経営の安定化を図ることを理由に、複数の同種金融機関による共同設立を原則とするという大蔵省の強い指導によりまして、住専の設立は八社に集約されたのでありますが、その結果、住専八社の信用力は著しく高まり、規模も大きく拡大することになりました。他方、このことが大蔵省からの役員の受け入れ、いわゆる天下りを容易にしたと言われていることも見逃すことはできません。  住専は、もちろん母体行とは法人格を異にしておりますけれども、以上のような設立の経緯、資本関係、役員の構成、資金の調達、経営方針の策定、あらゆる点から見まして、母体行とは一体の子会社であり、また、今回、法人税法基本通達の無税償却が母体行に認められたことからも、住専が子会社であることは明らかであります。  また、住専は、行政上、大蔵大臣の直轄会社の指定を受け、その監督下に置かれる一方、銀行だけに認められていた住宅抵当証書の発行も認められるなど、銀行並みの扱いを受けてきたことも周知の事実であります。そして住専は、母体行や大蔵省から金融業務に精通した専門家を役員として受け入れただけではなく、母体行の信用力、その広大な店舗網を利用して業務を順調に拡大し、八〇年代初めまで大きな利益を上げてきたのであります。  もっとも、住専の住宅ローンにつきましては、金利は銀行よりも二%以上高く、また期限前の返済に違約金を徴収するなど、利用者の間の不満も少なくなく、七七年二月、この委員会におきまして住専問題が取り上げられたことは御存じのとおりだと思います。  その後、八〇年代半ばになりますと、折からの企業の銀行離れ、金余りの中で、銀行などは住宅ローンを初めとする個人向けの融資や中小企業向けの融資の拡大に乗り出し、住宅ローンの借りかえ競争が起こったのであります。銀行などからねらわれたのは、もちろん金利の高い住専の特に優良な顧客でありまして、逆に、問題のあるリスクの大きい顧客を住専に紹介することが始まりました。  このような融資の紹介は、住専が不動産関連の融資へと傾斜を強める中で、個人の住宅ローンから不動産会社などへの融資に持ち込まれ、特に九〇年三月の総量規制以降、問題の多い紹介融資が大幅に増加することになりました。大蔵省の調査によりますと、昨年六月末で一兆七千二百八十七億円、実にその九一%が不良債権となったのであります。  以上、住専の歴史を簡単に振り返ってみたのでありますが、一言で申し上げますと、当初は長期プライムレートを基準とした金利での住専向けの資金供給で安定した収益を上げた母体行は、八〇年代後半以降は、住専の顧客を横取りするだけではなく、母体行が当然負担すべきリスクを転嫁する、あるいは新たなリスクを持ち込む、いわゆる俗に言うごみ箱としてこれを利用し、住専破綻に導いたのでありまして、この点で、住専と一体となった母体行の責任、その経営責任も重大であると言わざるを得ません。  この間、金融の常識からは想像を絶する放漫融資、過剰融資、乱脈経営が行われたのでありますが、このバブル期の金融機関の過剰融資は、何も一〇〇%という担保掛け目に象徴される不動産向けだけではなく、個人に対しても、節税対策のリースマンションの建設など、返済能力を超える過剰融資が行われ、バブルが破綻した後、返済不能に陥った個人から過酷な取り立てを行い、生活破壊、中には自殺にまで追い込むなど、現在、消費者の金融被害、銀行の貸し手責任の問題として裁判に持ち込まれるなど社会的にも問題になっていることを一言つけ加えておきます。  次に、ノンバンク破綻処理につきましては、従来母体行責任原則がとられてきましたし、また現にそれがとられていることを指摘しなければなりません。金融機関以外では、子会社の破綻に対して親会社が有限責任の限度を超えて子会社の損失負担することは当然のこととされており、法人税法基本通達でもその損失負担を無税扱いとしております。  金融機関の場合、母体行責任原則行政上も明確にされたのは九一年十月のことでありまして、当時、静岡信用金庫の子会社である静信リースの破綻に関連しまして、大蔵省は、銀行系ノンバンクについては、最終的に親銀行がその経営に責任を持ち最悪の事態を防ぐ必要があるとしたこと、この点からも明らかであります。  ところが、昨年三月、大阪、福徳、阪和の関西系三行がそれぞれの系列ノンバンク合計十一社を整理した際、母体行以外の金融機関にも負担を求める残高母体行責任、いわゆる修正母体行責任の方式が導入されたのであります。当時大蔵省は、これはあくまでも銀行の自主的な経営判断によるものといたしましたが、三行はいずれも日銀と大蔵省から役員を受け入れており、また三行が期せずして足並みをそろえたことからも、大蔵省の強い指導があったことは疑う余地がありません。この方式の導入が住専処理に向けた金融当局の布石というのが金融界の常識となっております。  しかし、この修正母体行責任は、従来からの母体行責任方式による損失負担が母体行の負担能力を超え、母体行自体が破綻することが客観的に明らかな場合の例外措置でありまして、その後も、銀行系ノンバンク不良債権処理につきましては、従来どおり母体行責任が踏襲されております。  私は、以上の三点、住専破綻に至った経過の中での母体行の社会的責任と経営責任、そして銀行系ノンバンク破綻に対する母体行責任の三点から、住専についても母体行責任による処理が当然かつ合理的であると考えます。  政府が策定した処理スキームは、財政資金投入し、農林系の元本を保証するという点で、修正母体行責任のさらなる修正というふうに見ることができますが、当面、このスキームを前提にした上で母体行責任原則に立つとすれば、財政資金六千八百五十億円は母体行の負担とすることとして、予算から削除することを求めたいと思います。  既に九二年以降、金融機関不良債権処理のため、さまざまな形態での公的支援や公的資金投入がなされており、特に金利の低目誘導による低金利がもたらした巨額の業務純益の増大、雑誌「東洋経済」は、九五年度の大手二十一行の業務純益は史上最高の四兆四千四百六十五億円に上るであろうと予測しております。また、郵便貯金や簡易保険など公的資金による株価のてこ入れ、いわゆるPKOは既に八兆円を超えておりますが、これによる含み益の増大も見逃すことができません。その他、巨額の内部留保もございます。  以上勘案いたしますと、母体行には十分な負担能力があるというふうに考えております。もちろん、母体行といっても、住宅ローンサービスのように都市銀行七行が母体行となっている場合と、地銀生保住宅ローンのように地銀六十四行と生保二十五社が母体行となっている場合がありまして、住専を同列に扱うことには問題があるとは思いますが、全体としては、六千八百五十億円を案分して負担することは決して不可能ではなく、十分可能であると考えます。  なお、国会の御審議によりまして乱脈経営の実態などがかなり明らかになりましたが、住専破綻の原因と責任を究明するという点では、なお多くの点が残されております。  例えば、暴力団が関与したと言われる実態もほとんど明らかにされておりませんし、また特に重要なのは、住専破綻以降の母体行と住専との間の資金の流れ、大変不透明でありますが、この資金の流れも明らかにされておりません。一部地銀による資金回収の例が報道されておりますが、ほかにそのような例がなかったかどうか、ぜひともこの国会におきまして徹底的に究明されるようにお願いしたいと思います。  最後に、平成八年度予算の全体について一言申し上げたいと思います。  一方で住専処理のために六千八百五十億円の財政資金が計上される反面、中小企業対策費は四年連続の減少でわずか千八百五十五億円、私が所属しております私立大学に対する経常費補助は、私学振興助成法成立の際の二分の一助成という参議院の附帯決議の水準をはるかに下回る二千八百七十五億円、また、高齢者対策の新ゴールドプランも六千九百九十六億円ではありますが、甚だ不十分であります。  国債残高が今年度末で二百四十兆円に上るという財政危機を打開するため、国民生活の向上、福祉と教育の充実、内需拡大による景気の回復、そして当面、阪神大地震の被災者の皆さんに対する救援を主眼にして、本年度予算の抜本的な組み替え、特に五兆円近い軍事費の削減を初め抜本的な組み替えを強くお願いいたしまして、私の公述を終わらせていただきます。  御清聴ありがとうございました。(拍手)
  8. 上原康助

    上原委員長 ありがとうございました。     ―――――――――――――
  9. 上原康助

    上原委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。栗原博久君。
  10. 栗原博久

    栗原(博)委員 ただいま各公述人の先生方のお話を承りまして、本当にもっともであるというふうに実は思うわけでございます。  それで、各先生にお話をお聞きする前に、若干私の考えを述べながらお聞きしたいと思います。  本委員会におきましてもずっと住専問題が論議され、そしてまた我が党におきましても、やはり国際社会におきます金融の秩序を守るためにもということで苦渋の選択をしておるわけでありますが、しかし、その中にもやはり住専責任の解明、そしてこれに至る事実の解明というものがどうしても必要と私は思います。  我が党は、六千八百五十億のこの公的資金の導入につきまして、それなりの責任を母体行に求めておるわけでありますし、また、この審議を通じまして紹介融資等の巨額な融資が出てまいった以上、私個人の考えでもございますが、さらなる責任を母体行に求めねばならないと思っておるわけであります。  野党の方々のお話を承りますと、破産宣告をやるとか、あるいはまた会社の更生手続にのっとってやるとか、あるいはまた我が党と同じようなお考えを持っている方もおられるようですし、あるいはまた感傷的に淡路大震災をとらえながら、農家に対する甘えがあるというようなことを言う方もおられるようでありますが、私もその点を聞きますと、やはり地方出身の国会議員として大変残念でならないわけであります。  さて、全国津々浦々に、住専に対して税金を使うなという反対があるというようなことを言っておりますが、私はそれよりも、さらにもっとそのほかに見えないものがある。それは、高いときに住宅ローンで土地の資金を借りまして、そして返せなくて困っている。ですから、裁判所に参りますと、融資を受けて返せなくて競売にかかっているのがたくさんあるわけですね。そういう方は、必死になって返したんだけれども、どうもだめだった。なぜ住専が、あるいはまた金融機関だけが生き残れるんだ、そういう偽らざる気持ちもやはりあると思います。  あるいは、会社を必死になって経営している方々。手形決済が迫ってくる。それはもう夜眠れなくて、脂汗を流しながら翌日の決済、三時に間に合わなくて翌日の九時に決済する方もおられる。そういう方から見ましたら、この委員会における中身は実は全く異様に映っているのじゃなかろうかと思うのであります。  こういう中で、そういう方々がやはり納得されるような形で本委員会でその結末をつけねばならない。それには、景気をよくして安定的な我が国の、先ほど各先生からもお話ありましたが、特に池尾先生からも国家財政の問題についていろいろ話があったわけでありますが、あるいはまた富田先生からも国債についても厳しく将来の不安感をお述べになりましたが、まずこれを問わねばならぬ。景気を回復するために万全を期して、前向きの予算審議を進めねばならないと私は思います。  ただその中で、こういう責任を、そしてまた事実関係を解明するということについて、これからもやはり多くその任を我々国会議員も果たさねばならぬと思うのでありますが、しかし最大の責任は、私は政治にあると思います。政治家が官僚をリードしていなかった、官僚を制することができなかったということを私どもは率直に認めながら、今後再びそういうことが起きないように対処することがどうしても必要でなかろうかと思っております。  ただ、第一次再建計画の平成二年から第二次再建計画の平成五年三月までの間に、母体行がその紹介で一兆五千億近い金、あるいはまた平成五年から昨年の九月までに至る間に約二兆円近い紹介をして、住専が貸し付けして不良債権が起きている。この前の参考人のお話を聞きますと、実に九〇%近くも、紹介したものが全部パアになったということを聞くと、本当に私はびっくりしたわけであります。  例えば、普通民間においても、紹介する、ひとつこれを何とかこの会社に融資をしてくれとお願いした場合は、当然お願いされる側は、では、あなた裏書きをやってくれ、紹介する以上はやはり裏書きをする。例えば手形でありますが、手形に裏書きをして、この人は間違いないからひとつ金を貸してやってくれ、これが実体経済の実情であります。  そして、全くそれをしないで、口一言で金を出すということは、まさしく住専は母体行の子会社以外の何物でもない。保証してくれる者が金を貸せと言うのだから、もうこれはそこに民法上の契約が成り立っているわけでありますから、そういう中で私は、やはり母体行というものの責任は本当に大きいものであるというふうに実は思っておるのであります。  私は、自分事で大変お恥ずかしい話でありますが、私の関係者、支援者が、名前を言って大変恐縮ですが、住宅ローンサービスから昭和五十三年に千三十万の金を借りました。これは窮余の一策に借りたのでありますが、ずっと返してきた。ところが、半年返せなかったら、保証会社であります東京海上にそのまま債権を移した。五十三年ですから、もう約十七年近く返しているのですが、それでも四百万の金が残っておりました、ずっと利息を払ったわけですから。それが東京海上に債権が移された。すぐ東京海上はそのものに対して競売に出てしまった。  当然、住宅ローンを返せないということはいろいろ事情があるわけで、私は実は東京海上に行きまして、何とか競売を解除してほしいと。東京海上はこう言いました、では、あなたが保証人になってください。私は保証人を受け継ぎまして、毎月今五十万ずつ返しておりますが、こういうふうに、口でも言った以上これは責任をとらねばならない。これを見ても、これは私のみならず、一般の住宅ローンの住専から借りた方々の保証人は、その義務を遂行しているわけであります。ですから、私はこの母体行の責任は極めて大きいということを思っている。  あるいは、こういう中で会社を守るために、私も実は当選するまで十六年かかってこの場所に来ておるわけでありますが、多くの方と知り合ってまいりました。私も、自分の支援者が会社の給料を払えない、そして本社社屋を売らねばならない、しかしながら営々と築いたものは売ってはならない。これは病気になったと思うのですが、何人かの人が自殺を見ております。一人は入水自殺、一人は首を切って亡くなっている。そういう方々の遺族は、この実情を見ていますと、自分たちの夫はそこまでしても借金を返したんだ、自分の命を絶っても。私の周りには六人ほどおります。  そういう方が今のこの国会審議を通じて、特にこの前の参考人陳述の中で、各参考人が参りまして、いろいろまるで他人事のような、私はもう二十年前から社長になっている、しかし彼は、名前を言いませんが、大蔵省の職員であったからこそ社長になれたわけであります。それを全く他人事のようなことを言っておる。借りた側も、それは経済政策の失敗だ。しかし、そうだけれども、少なくとも他人様の金を借りた以上は、どんなことをしても返さねばならぬ。これが経営者の当然の姿である。そして、国民の血税で賄うためには、当然その責任を問わねばならない。  私は、そういうことで、ぜひ本委員会におきましても、やはりこの責任と事実の解明をさらにしていただいて、ひとつこの予算を執行していただきたいと思うのであります。  それについて、各先生方から大変御高説を賜りましたが、先生方から、この住専について、責任問題、事実解明をどのようにお考えになっているかお聞きしたいと思いますが、まず池尾公述人からお願いいたします。
  11. 池尾和人

    池尾公述人 今、栗原先生から御指摘がありましたように、個別の住専問題に関しまして、まだまだ解明しなければいけない点というのはたくさん残っておりますし、それは非常に重要な問題でありまして、住専問題についての究明ということは徹底して行っていく必要があるというふうに考えております。  これは、本来なら司法的な処理を通じてその点の解明を行っていくというのが極めて有効であると思いますが、もしそれがかなわない場合には、ある種の専門調査機関を設置して、責任のあるレポートが出るまで究明をするというふうなことが必要であるというふうに思っております。  本日の公述で私が強調したかった点は、個別住専の問題だけがすべてではないということでありまして、個別住専に関して極めて大きな問題があることは確かでありますが、それがすべてではなくて、日本経済はもっと大きな不良債権問題を抱えているのではないかということであります。まさに御指摘がありましたように、財政支出をする限り、例えば景気の回復につながる等の形で国民にそれだけの見返りがなければいけないわけであります。  ところが、住専さえ処理すればそれで日本金融システムの機能不全がなくなるのであればいいのですけれども、そうした形で楽観することが許されないような状況に現在あるのではないか。日本不良債権問題全体像の中でどう問題を処理していくのかというふうな展望を同時に持たないことには、個別住専に関しての責任究明は極めて重要でありますが、それだけでは公的資金の導入というふうなことを行う際の十分な国民に対する納得を得るための材料を与えることにはならないのではないか、不良債権問題全体に対する解決策の提示ということが同時に必要ではないかというのが本日の公述で私が強調したかった点であります。  以上です。
  12. 富田俊基

    富田公述人 この負担分担のあり方ということの問題、そして事実関係の追及ということは、やはり深く十分にこの民主主義のプロセスで検討する必要があるというふうに私も思います。  ただし、昨年、いわゆるジャパン・プレミアムというのが発生いたしました。これは、日本金融システムが大きくほころび傷んでいることをマーケット、市場が評価したものであります。何らかの解決を市場は求めていた。住専処理案が発表されまして、それが大きく縮小に向かったということは、マーケットはこうした処理策を評価しているというふうに私は思います。  この問題、非常に個人的には、感情的にはいろいろといらいらすることもあります。ただ、冷静に考えますと、日本経済の動脈であります金融システムが弱いところからほころびる、そしてそれが波及するということは極めて危険であります。という意味で、ウォームハートとクールヘッドではありませんけれども、やはり国民みんなが非常に厳しく、温かいハートに立脚するのか、冷静に判断するのかということを問われているというふうに思います。
  13. 野田正穂

    野田公述人 現在、金融機関不良債権が四十兆円あるいは五十兆円という巨額に上っておりますので、住専問題だけでこの不良債権問題がすべて解決されるのではもちろんございません。当然、まだまだ解決しなければならない不良債権は残っていると思います。  ただ、その場合に、やはり問題の処理に当たりましては、その原因と責任を徹底的に究明するということが前提でございまして、そして、先ほど申し上げましたように、住専の場合につきましては私は専ら責任の問題を中心にお話をしたわけでございますけれども、現に銀行系のノンバンク不良債権処理につきましては、母体行責任原則に基づいて処理が行われております。  昨年の七月、三菱銀行がダイヤモンド抵当証券その他の不良債権処理した際もそうでございますし、それから十一月に富士銀行が芙蓉総合リースなど三行の不良債権処理した際も、いずれも母体行責任原則に基づいているのであります。  あくまでもその原則に立って、どうしても母体行が負担能力を超えるという場合に、先ほど申し上げました静岡信用金庫の静信リースのような法的な処理も当然考えられますが、あくまでも原則はやはり母体行責任に基づいて処理していくというのが、これは国民から見てもやはり納得のいく方法ではないか、このように考えております。
  14. 栗原博久

    栗原(博)委員 私は、責任論、それから事実解明、今各先生方のお話を承りまして、同感の至りでありますが、ただ、やはりこの問題は、マクロ経済の中における政策的な失敗もあったと思うのですね。こういう問題も、実は先生方からちょっとお聞きしたがったわけでございますが、また機会がありましたら、後日お聞きしたいと思います。  さて、昨日も、我が党の志賀節委員からも、国際社会における日本の立場、そしてその責任のとり方等におきまして、与党が苦渋の中で六千八百五十億の公的資金の導入ということを実は決めておるわけであります。これについては、先般私、スイス銀行の日本の駐在員の責任者の方とお会いしていろいろお話を承ったのでありますが、彼らが異口同音に申されることは、やはり国際社会において、日本公的資金の導入に踏み込んだこと自体が評価される、あくまでも日本政府責任を持ってこの問題に対応するんだと。  話を聞きますと、日本には百五十兆円近い外貨が投資されているというふうに承っておりますが、日本金融市場がおかしくなりますと、こういう方が一番不安を持っている。だから、ジャパン・プレミアムのように、ああいうふうな高金利を求められて、利息を求められてくると思うのですが、そういう中で、国際社会の秩序における中で、やはり確かに政策的な判断の誤り、あるいはまた住専会社の極めて乱脈といいましょうか、実体経済を無視した中での貸し付け、そしてまた、それを安易に運用しました借り手側の責任等も問われておるわけですが、そこに国民から大変理解しにくい姿が映っている。  しかしまた、それを飛び越えて、私どもやはり、池尾公述人にもちょっとお聞きしたいのでありますが、先生は先ほどリスクの問題で、公的資金預金者保護でやる、それにのみ使うべきだというようなお話を承りました。  実は先生が「銀行リスクと規制の経済学」とか「金融産業への警告」というような本を発行されておりますが、私も先生に質問するということできのう拝読させていただいたわけであります。その中で先生は、やはり公的資金につきまして、預金者の保護というものも大事だ、あわせて決済システムを守るということ、それも大事なんだというふうにおっしゃった。  私は、決済システムというものは、各金融機関預金者からお金を預かって、そしてそれを運用する、あるいはまた、それを貸し付けしながら、企業預金、企業との間のやりとりもあるわけであります。あるいはまた、銀行間の行き来もありますが、私は、外国の企業が、外国の国が日本に対して不安を持つのは、先ほど申しました約百五十兆円のお金、あれはやはり企業が、万が一安易に預金者保護という名目で銀行をおかしくした場合、そこに手形決済、いろいろ関連産業がたくさんあるわけですね。その関連産業が実はそれによって倒産の憂き目を見るわけでありますが、先生の特に「金融産業への警告」の中で記されておりましたその一文をとりながら、先ほど先生の御説明で、あくまでも公的資金は預金保護のみに使うという、こことの違いをちょっとお聞きしたいと思うのでございます。
  15. 池尾和人

    池尾公述人 従来からも、金融業に対してさまざまな公的な関与が行われる際の、なぜ関与を行うのか、関与するのかということの根拠として、預金者保護と信用秩序の維持ということが言われてきたわけであります。しかしながら、従来は、銀行を守ることを通じて、結果として預金者を保護するという政策をとってきたわけであります。それがいわゆる護送船団行政でありまして、確かに銀行を守れば、結果として預金者は保護されます。しかしながら、そうしたやり方がどういう結果を生んだかということを考えますと、それがまさに現在の状況を招いたということになっておるわけです。  したがって、私が申したかったことは、銀行を救うという、銀行とは限りませんが、金融機関を救うということの結果として預金者を保護するという政策ではなくて、直接預金者を保護するというところに限って財政資金を使うべきであるという主張をしているわけであります。  そして、その決済システム等に関しましても、公述の際にも最後の方で申したわけですが、日本金融制度は非常に古めかしくなっているわけです。そして、決済に関しての制度等に関しましても、従来の護送船団行政を前提としたような古臭い制度になっているわけです。つまり、銀行、金融機関はつぶれないという建前、前提のもとで、したがって、そうしたリスクに対する対処を全く考慮しないようなシステムになっているわけです。  そうしたシステムのままで金融機関破綻があり得るということになりますと、全く制度がそういうことを考慮しないような、そういう意味で欠陥のある制度になっているわけですから、参加者、特に海外からの参加者が非常にそれに対して危惧を抱くということは御指摘のとおりだと思うのですね。  その場合に、では、対応あり方として、そうした欠陥のある、リスクの存在を考慮しない制度をそのままにして、そういう制度のもとだと金融機関がつぶれては困るから金融機関を守るんだという対応をとるのか。それは全く旧来の護送船団行政を続けるということになってしまうことでありまして、私としましては、公述の中でも強調しましたように、まさに制度を現代的なものに改めて、金融機関の経営破綻があったとしても、それが社会的混乱につながらない形できちっと処理できるような体制組織を整え、決済システムに関しましてもそうした制度整備を行うということこそが、危惧を、懸念を解消させる道ではないかというふうに考えておるわけです。  そして、実際、決済システム、日本の場合、代表的なものとして全国銀行システムというのがありますが、それに関しましても、徐々にではありますが、そうした金融機関破綻があった場合でも、決済システム全体の混乱につながらないような制度整備が進められているわけです。  そうした動きをさらに強力に推し進めて、たとえ個別金融機関破綻したとしても、そのことによって預金者に損害が及ばないし、決済システムも揺るがない、そういうふうな頑健な、現代的な制度整備を進めることこそが必要であって、そういう制度整備を怠って、金融機関がつぶれたら困るというふうな議論をするのは転倒しており、旧来の護送船団行政に立ち戻ることになってしまうのではないかというふうに考えておるわけであります。
  16. 栗原博久

    栗原(博)委員 では、もう一度池尾公述人にお聞きしたいのでありますが、先生は、この国会がスキャンダルのみに関心を引き寄せられて重大な本質を忘れているのではなかろうか、大変それに対して危惧をしているというようなこともまた申されているようでありますが、その中で特に、危険の存在から目をそらしてはならない、この危機の深刻さをあからさまに国民に示すべきだということもその本の中でお書きになっておられます。  それでは先生にお聞きしたいのですが、特に都市銀行二十一行は自己管理能力の範囲にあるけれども、都市銀行以外の地域あるいは中小の金融機関は、ディスクロージャーもないかもしれないけれども、危機管理能力の範囲外にある懸念もあるというようなことをお話しされておりますね。  今回も、先般、実は昨年八月に兵庫銀行が破綻しました。みどり銀行として一生懸命やっておるわけですが、当時も大蔵省は、確かに六百億前後が実は不良債権だ、ところが、引き継いだら七千九百億近い不良債権があったということであるし、あるいはまた東京コスモも、東京都の最初の審査では二十四億程度のものが最後には二千四百億であった、このようになっているわけであります。  ですから私は、今約三十七、八兆円の我が国不良債権損失があると言われておりますが、先生はこの中で、地域の中小、二十一の都市銀行以外において、やはり中身には大変不明朗なそういう損失があるやにこの本の中でお書きになっているふうに私は、私の解釈が間違っているかもわかりませんが、受けるのですが、その点について、この損失分、我が国は三十七、八兆円と言われているけれども、それ以上にあるというふうに先生はお考えでございましょうか。どのように見ているかお聞きしたいと思うのです。
  17. 池尾和人

    池尾公述人 まさにその点が非常に重要な問題であり、住専処理対策あり方を考える際にも、最も基本といいますか前提になるべき認識であるというふうに思うわけであります。したがって、公述の中でも最初に申し上げましたように、日本不良債権問題の全体的規模を明確にするという努力をぜひお願いしたいというふうに思うわけです。  私は一介の大学の教師をしておりますので、その範囲で可能な限り情報を集めたりとか、人から話を聞いたりして、その感触では、日本金融システムというのは思われている以上にさらにかなり大変な状況にあるのではないかという懸念を個人的には確かに抱いております。  しかしながら、その点に関して最も情報をよく持っているのは、銀行に対して直接立入検査を行っている大蔵省でありますし、考査を行っている日本銀行なわけであります。そうしますと、例えば大蔵省は確かに三十八兆円の不良債権ということを公表しておりますが、それとは別に、大蔵省の大臣官房の金融検査部は定期的に金融機関に対して検査に入っており、金融機関の資産を分類しているわけです。今回の住専に関しても出てきましたように、いわゆる第三分類、第四分類といったような不良債権についての認定を行っているわけです。  そうしますと、個々の金融機関について、第三分類の額が幾らある、第四分類の額が幾らあるというのをディスクローズするというのは信用秩序との関係で問題があると思われますが、しかしながら、銀行検査の結果、検査の対象となっている金融機関に関して、総額として第三分類の不良債権がどれだけあるのか、それから総額として第四分類の不良債権がどれだけあるのかということは公表を求めていい数字だというふうに思います。  それで、これは全く公表されていないのであくまでも風聞といいますかうわさとしてしか言えないわけですが、そうした第三分類、第四分類の額の単純な合計額は三十八兆円をはるかに上回るというふうなことがまことしやかに語られている、それがうわさとして語られているというのは非常におかしな事態だと思うのですね。それはまさにどうなのかという数字を明確にする、それを踏まえて住専というのを位置づける。  例えば、アメリカの調査機関が出しております百四十兆円という数字がもし本当だとしますと、住専はたった十分の一以下の問題でしかないということになってしまうわけです。その場合と、住専大蔵省の公表の数字で三分の一のウエートを占める問題だというときでは、当然扱いは違ってしかるべきでありますので、国会で処理案を決められる過程で、その処理案の最も基本的な前提認識となる日本不良債権の全体像ということの確認をぜひ行っていただきたい。私は個人的には非常に危惧しておりますので、ぜひやっていただきたいというのが私の要望であります。
  18. 栗原博久

    栗原(博)委員 富田公述人にちょっと聞きたいのですが、先ほど冷戦構造の解消によって新しい金融秩序が求められているというようなお話を承りました。特にまた先生は、公的年金制度と貯蓄の問題とか、あるいはまた医療の、高齢者の問題について大変お詳しいと伺っておりますが、先ほどの先生のお話を賜りますと、お年寄りの貯蓄の率が、六十歳以上が一七・二%である、勤労者の、要するに働く世代が二三・九%であるように承りました。  我が国も一九七〇年代の前半には貯蓄率が三八・三%。徐々に落ち込んでまいっておるのですが、こういう中で、特に私どもの田舎に参りますと、郵便貯金とか農協の貯金とかに大変な信頼を寄せておったわけですね。お年寄りが貯金をして老後に備えようという中でこういう住専問題が起きますと、やはり老後に大変な不安も出てくる。特に預貯金の金利が下がっておりますから、公的な年金だけじゃなくてやはり利子収入によって生活していた高齢者の方々が将来に対して極めて不安感を抱いておるわけであります。  先生のいろいろな御高説を承りまして、国債発行によって将来にやはり負のものを残すべきでないというようなお話も承っております。先生はこういう中で健全財政を先ほどもお話で訴えておりますが、その中で、では、将来我が国の高齢社会における年金制度はどうあるべきか。働く者とそれからもらう者、事実今若い方々が、女性が一生のうちに産むのは一・五人でございますから、働く人はこれからどんどん少なくなっていく。それに対して国家財政上どのような政策をとるべきかということをひとつお聞きしたいと思うのであります。
  19. 富田俊基

    富田公述人 今御指摘ございましたように、高齢化いたしますと、家計貯蓄率は高齢世帯ほど低いわけですので、我が国全体としても貯蓄が減っていく。それで貯蓄率が低下する。そういう中で、今非常に金利が低いことがいろいろ影響を及ぼしているのではないかという御指摘であったかと思います。  まず考えるべきは、物価を一方で見ますと上がっていないという事実でございます。これこそが平和の配当であったかなというふうに私は思います。  先ほど申し上げましたが、冷戦終えん世界産業構造を変えまして、そして安く良質なものをどんどん先進国が買えるようになった。我が国のみならず他の先進国でも物価は非常に下がってきております。これは、我が国がこれから高齢化を迎える上で非常にプラス材料であると私は思います。  問題は低金利だということなんですが、実は金利と物価を比べると、金利の方が三%も高い。長期の国債の金利と物価を比べた場合ですが、これはいわゆる実質金利と言われるものでございます。この実質金利が、国債が大量に出る前と最近を比べますと、最近の方がどこの国も高くなっているわけです。このことがやはり市場経済が送り出す財政膨張に対する危機のシグナルであるというふうに考えております。  そういう意味で、そういう中で年金制度も考えていく必要があるのではないかと思います。これまで保険料が非常に上がってきた。この年金制度、このままの制度を維持いたしますと、将来世代は、現在受益を受けております高齢者に比べまして世帯当たりで一千二百万円台の負担増加になるということを昨年の経済白書で言っております。したがって、これから、これまでどおりの年金制度が維持できるのかどうかということを検討しなければならないというふうに思います。  そういう意味で、冷戦構造の終えん高齢化といったことが我が国財政、年金制度のあり方に大きな影響を投げかけている。物価が下がっているわけですので、年金の物価スライドといったことも、十分に検討して実施しないと後年度に非常に大きな負担となって発生するという危険があると私は思います。
  20. 栗原博久

    栗原(博)委員 大変ありがとうございました。
  21. 上原康助

    上原委員長 これにて栗原君の質疑は終了いたしました。  次に、前田武志君。
  22. 前田武志

    ○前田委員 きょうは、先ほど来、池尾先生、富田先生、野田先生の御高説を拝聴しておりまして、この委員会でずっと審議を続けてきたわけですが、私どもが審議していたことをそれぞれ深い学理に基づいて体系づけて御講義をいただいたような感じがいたします。そういった意味では非常に勉強させていただいたと思うのです。  池尾先生におかれましては、この不良債権問題というのは住専問題だけではとどまらない、もっとこの全体像を明らかにして、そしてその全体像の中で日本金融システム不良債権問題をどう解決していくのか、金融システムをどう再構築していくのか。しかし、そのベースには政治の大きな責任があって、将来方向をきっちり指し示し、そしてこの一億二千万の国民の皆様方の、ここまで日本の民族、国家が発展してきたベースにある倫理観といいますか、そういった信頼感というものをどうつないでいくか、それが大きな責任なんだろうというふうに受けとめた次第でございます。  また、富田先生には、「財政の中期展望」等にのっとって、冷戦崩壊後の大きな市場の動き、まあグローバリゼーションと申しますか、それと情報化というものも私は非常に大きいだろうと思うのですが、私も年来これを主張しているわけですが、そういった大きな市場の変化、そういった中でこの住専問題というものも位置づけをしていかにゃいかぬのかなということをつくづく感じた次第でございます。  また、野田先生におかれましては、住専の設立経緯からいかにその母体行がかかわってきたか、そういったことを簡潔にまとめていただいて、今さらながら母体行の責任の重さということを認識した次第であります。  まず、池尾先生にお聞きするわけでございますが、私もこの委員会において何度か質疑をさせていただいて、不良債権問題、その全体像というものを把握したかったわけなんですが、これがなかなか明らかになっておりません。大蔵省に聞いたところ、三十七兆八千億円だったですか、約三十八兆円もの積算が出てきただけでございまして、そのほかいろいろな不良債権というものがあるわけでございまして、先生が御指摘の、アメリカの委員会で指摘された百四十兆、これはまあダブりがあるということらしいので、その間に何かがあるわけでございましょう。実態はどの程度なのか、その辺について先生独自の御見解がおありだろうと思うのですね。その不良債権というものの全体像、一般金融機関、しかもその先は、実体経済としては、優良な住宅開発をしようとしていたところもあったでしょうし、大きな町の開発をやろうとしていたところもあったでしょう。我々、選挙区に帰ればそういった実例はもう本当に枚挙にいとまがないわけですね。  やっとすばらしい町の整備が始まると思っていたところ、バブルがはじけたというだけでこれがもう塩漬けになってしまって、今やもうこれは無理だということになってしまう。しかし片一方で、我々の地元の方々も一生懸命働いて、世界の一流経済国、経済大国だと言われて、皆さん方も最近はよく海外にいろいろな機会に出ておられますが、日本よりはるかに国民所得の低い国々が、風格のある、落ちついた、それぞれの地域のすばらしいその特徴を持った町で過ごしておられる、それに比べて我々のこの地域は一体どういうことだというふうな矛盾も感じておられるのですね。それはまさしく、私は、せんじ詰めていくと政治責任であろう、こういうふうにも思うわけでございます。  前置きがいささか長くなったのですが、まずは不良債権の実態、どういうような構造になっているのかということも含めて、量的にはなかなか難しかろうと思いますので、定性的に、そういう構造がどういうふうになっているのか。大体どういうところにどんなぐあいになっているのか、しかもそれが固定的なものであるのか、あるいは経済の動向によってこれがますますふえたり、あるいはうまくいけば意外と減っていくものであるのか、その辺のことも含めて、先生の御見解をお聞きいたします。
  23. 池尾和人

    池尾公述人 今前田先生の御質問の中にもありましたように、数字的なことについては、大学の研究者という立場で誠実に言うとすれば、これはわからないとしか言いようがなく、責任を持った発言はできません。それ以上の特別な数字等が私に入手できるわけではありませんので、数字的には大蔵省が公表している以上の情報を持っているわけではありませんので、それ以上のことは責任を持っては発言できません。  ただし、私は、不良債権問題への取り組みというのは、ある意味で危機管理だというふうに思っておりまして、マクロ的な危機管理政策であるというふうに位置づけるべきだというふうに考えております。  そうしますと、その不良債権問題に対する対策が危機管理であるとしますと、危機管理のABCといいますか、もう改めて言うまでもないことですが、危機管理のその第一の基本原則として、最悪の事態を想定して行動するということが必要だというふうになるかと思います。  危機管理を行うに際して、楽観的な展望に立ってそれを行うというのは最悪の対応であるということでありまして、不良債権問題に関しても、大蔵省が公表している三十八兆円余りの数字をそのまま前提にして対応を考えるというのは、危機管理としてはやはり不十分であろう。危機管理としては、より深刻な事態を想定した上で対策、制度整備を進めるべきではないか。その結果思っていたよりも実際の不良債権問題が深刻でなければ、それは結果としてよかったということであって、最初から良好な事態を予定して、例えば経済動向に関しましても資産価格の動きに関しましても、資産価格は上がるんだとか、景気はこれから絶対によくなるんだとかいうふうな都合のいい経済のシナリオを前提にして対策を考えるということは、危機管理としてはやってはいけないことである。そういう意味で、公表されている数字よりも事態が数倍深刻であったとしても、それに対応できるだけの制度というものをつくっていくということが必要ではないかというふうに私は考えております。  その際に、繰り返しになりますが、日本金融制度は本当に、グローバルスタンダードから見ますと古臭い、時代おくれの制度になっているということであります。それは、細々としたところから全体の制度の骨格についても共通して言えることでありまして、それを現代的なものに直していくということを不良債権問題の処理とあわせて進めていくのが本当の意味での根本的な対策ではないのだろうかというのが私の考えであります。
  24. 前田武志

    ○前田委員 同様のことなんですが、富田先生は、たしか野村総研ということで、随分といろいろな資料、データを集めておられる立場にあると思うのですが、同じように、不良債権問題の全体像について先生の御見解をお聞きしたいと思います。
  25. 富田俊基

    富田公述人 内部ではさまざまな議論をし、資料を集めたりもしておりますが、それぞれ意見がばらばらであります。  そういう意味におきまして、どれが幾らかということはなかなか特定できないのが現状でございます。
  26. 前田武志

    ○前田委員 野田先生はいかがでございましょうか。
  27. 野田正穂

    野田公述人 日本の過去の歴史を振り返ってみますと、非常に多くの銀行が破綻をしております。それぞれ破綻の原因がございますが、現在問題になっている不良債権問題について言いますと、やはり一九八〇年代後半のバブルのときに、金融機関が、本来持つべきモラルと節度から逸脱しまして、投機的な土地取引に深く関与したということがこの不良債権問題の一番根底にあるのではないかというふうに考えております。先ほど別の委員の御質問にありましたように、私は母体行責任を少し強調し過ぎた面もありますが、大蔵省責任も極めて大きいというふうに思います。  それで、九〇年の十月に行われました金融学会におきましても、「資産価格変動と金融政策」という共通論題のテーマで討論が行われましたけれども、地方銀行と大蔵省日本銀行、それから上智大学に属する報告者がこの問題について報告しておりますが、大蔵省の銀行局の担当官が、大変私も重要な発言だというふうに思うのですが、実は、大蔵省は早くから金融機関の間で「投機的土地取引の助長等の社会的批判を招かないよう配慮する」、こういう局長通達を出しておりました。これは八六年であります。  その後、九〇年までに三回も同じような局長通達を出しているのですが、九〇年の時点で、この大蔵省の担当官は、「現時点から見てみると、結果的にはこれらの通達が守られていなかったケースもあり、当局としては遺憾に思っている。」三年も四年もたってから、「守られていなかった」。そういうような守られないような通達なら出さない方がいいし、通達を出した以上は守らせるというのが大蔵省責任ではないかというふうに思います。  特に、大蔵省は、銀行法に基づいて大変強力な、強大な権限を持っております。検査、調査、勧告、命令、場合によっては認可を取り消すとか業務を停止するとか、そういう処分の権限も持っているわけですから、そういう意味で、大蔵省としては当然、通達を出すだけではなくて、それを守らせるような努力をすべきであったというふうに思います。それが結局なされないために、バブルが一層ひどくなり、現在のような不良債権問題を引き起こしたというふうに考えております。銀行の責任ももちろんですが、同時に大蔵省責任も大きいというふうに考えております。
  28. 前田武志

    ○前田委員 今先生方からの御指摘を聞いておりますと、全く大蔵省の公式発言以外はわからないというようなことなんですね。結局は、情報がほとんど開示されてない、そういう実情の中で、全体像をわからぬままにこの国会が議論をしているのですよ。  だから、与党にも責任があるのですけれども、どうも、聞いていると、理事会なんかでなかなか出させない。そういうような中で、国民が本当にこの委員会で議論されていることに透明性と信頼性を持って見てくれているのか、その辺が疑問なんですね。  だから、これは委員長にも、私は、資料提出等については、これはやはりよほど積極的に指導をしていただかなきゃいかぬ、こう思います。  さて、そんなことを前提に考えますと、やはりこれは、大蔵省のスタンスといいますか、行政のそういったことを指導できなかった政治にも大きな責任があるということを痛切に感じるわけなんですが、先ほど富田先生が、きのうの大場公述人の話にもありました、ジャパン・プレミアムがかなり解消されたというようなことを言っていましたが、それはあくまでも日本政府として世界の市場に対し、グローバルになった、一体化した市場、金融市場が中心なんでしょうが、そういったところに対して、断固不退転の決意でこの金融危機の問題は処理するぞというメッセージを出せば、それでよかったんだろうと思うのですね。  私は、一年前の決算委員会の総括質疑でも、ちょうど政府が緊急経済対策を発表する直前だったものですから、質問に立って、実は政府景気対策等を質疑したのです。要は、政府として断固たる態度世界に対して、心配するな、日本は持てる総力を結集してこの危機に対して対応するんだというメッセージが届くようにしてくれということを言ったのです。  例えば、例としては金利を下げる、公定歩合を下げる、あるいは、当時この不良債権問題というのは土地の問題が実質経済として全部裏にあるということがわかっていたから、地価税は凍結するだとかということを世界に対して言うだけで大分違いますよということを言ったのですが、政治としてはようやらなかった、時の大蔵大臣も総理大臣も。結局、何を言っているかわからぬような、今までの延長線上の景気対策しか出せなかったということがあるのですね。  そういったことも考えますと、今の公的資金投入ということについては、何も税金で六千八百五十億をどうこうしなければ世界のマーケットに届かないとかいうことじゃないんだろうと思うのですね。やはり全体像を明らかにして、責任も明らかにして、そして抜本的な対策池尾先生がおっしゃるような金融機関全体に対する対応策というものをこれから敏速に打っていく。その間もしも資金的にショートするようなところについては、それこそ日銀特融であってもいいし、無利子融資であってもいいし、そういったいわゆる公的なもので、税金ではなしにそういったものできちっと対応するんだ。全体としては、断固これは処理するんだということさえメッセージとして出せば、私はそちらの方がもっと効果があったと思うのですが、富田先生、いかがですか。
  29. 富田俊基

    富田公述人 先ほど、市場経済の送り出すシグナルということを、私そういう表現で申し上げたのですが、例えば為替市場への介入も、あれは口先介入だけじゃないかというふうなことでありますと、これは効果がないわけです。これだけ世界じゅうの注目を集めているということは、何らかの形でフィックスされた、きちんとした、口先だけじゃなしにフィックスされた形でないと市場は信用しないということがあると思うのです。  その意味で、これ、危機がこれだけで終わるかどうかというのはまた別の問題といたしまして、そう望みたいわけでございますけれども、今回はそれによってジャパン・プレミアムが縮小に向かったということは、市場の評価として受けとめる必要はあるというふうに私は思います。
  30. 前田武志

    ○前田委員 それで、富田先生、今のお答えで、私もそのとおりだと思うのですね。ただ、スキームとして税金でなければならないということはないと思うのですよ。  要するに、公的資金を用意してでも、そして、それは明らかになってくるにつれてどれだけの量になるかというのはまだ確定するようなものではないだろうと思うのですね。だから、政府としては、最終的には公的資金もつぎ込んででも断固対応するのだということでよかったのではないか。要するに、税金でなくても、公的資金政府がちゃんと始末をするということでよかったのではないか、こうお聞きしているわけです。同じ効果があったのではないのか。
  31. 富田俊基

    富田公述人 これも、だれが、どこに責任があって、どういう形でそのバードンシェアリングをするか、それが具体的に決まっていませんと、やはり口先介入だなというふうなことで不信を招いてしまうのではないかというのが私の個人的な考えでございます。
  32. 前田武志

    ○前田委員 野田先生にちょっとお聞きしたいのですが、先ほどお伺いしておりますと、二十一行で四兆四千何百億ですか、低金利のために、低金利に誘導したことでそれだけの銀行の純利益が上がったと。  この間も私しつこく質疑をしたら、これは前年度に比べて七〇%の純益増大だと言っていましたですね。それから、PKOで政府資金を八兆円ぐらいつぎ込んだ、これが結局は含み資産として金融機関に相当の額が益出しされているわけですね。それがどの程度かというのがもしも推定されるなら、あるいはその大ざっぱな、どういう仕掛けで含み資産を増すことになったかということ。  それからもう一つは、これもまたべらぼうなことなんですが、実際に不良債権をきっちりと始末して、どこかに売却して、売却してからその損分を税の還付をするということであれば、実際の不良債権を実体経済の中できっちりと処理をしていくというインセンティブも働いて、責任を持ってやると思うのですね。  しかし、共国債権買取機構にしろ、それからこの間からの、あの例の大阪、東京の信組の破綻に対する債権放棄等にしろ、これは要するに貸倒引当金を無税で積まして、そこで償却させているわけですね。不良債権そのものは実体経済の中で処理されたかというと、そうなっていないわけですよ。そうすると、銀行にしてみたら、これは国民に入るべき法人税の、まあ五〇%ぐらいになるのか知りませんが、莫大な量をもう既に税金から支出していることと一緒なんですね。しかも、実体経済の方にはそれはつながっていない。  その辺も含めて、母体行の方に一体どの程度の手厚いそういう対策を講じさせているとお思いでございましょうか。その辺のことをちょっとお聞きします。
  33. 野田正穂

    野田公述人 御質問にありました含み益の問題でございますが、PKO、郵便貯金とか簡易保険の公的資金投入することによって株価の維持が図られたことによってどの程度の含み益が増大したかということを計量的に把握することはなかなか困難ではないかというふうに思います。  ただ、一言言えることは、昨年の初めまでで先ほど申し上げたような金額になるわけですが、その後、株価も上昇しております。現在、平均株価で二万円を超えるというような状況になっておりますし、これは景気の回復を先取りして株価が上昇しておりますから、さらに含み益も増大しているんじゃないかというふうに思いますが、それがどのくらいかということは、これは一つ一つの銀行の保有している株式の取得原価が幾らであったかということによって決まってくるわけですが、そういうデータも持ち合わせておりませんので、残念ながら、幾らであるかということをお答えすることは私としてはできません。ただ、含み益がふえていることはもう間違いないところであるというふうに思います。  それから、共国債権買取機構の問題につきましても「もし不良債権処理した場合、時価で売却した場合の損失がどのくらいであるかというようなことも、これもなかなか、我々学者としては、そういうことについて計量的に把握するだけの資料を持っておりませんので、大変抽象的な言い方で恐縮でございますけれども、そのようにしかお答えできないのが現実でございます。
  34. 前田武志

    ○前田委員 今のお話をずっと聞いていまして、不良債権の全体像はなかなかわからない、しかし相当の額になっている。そしてまた、そういう重荷を抱えた中で、確かに国民の預金は守らにゃいけませんし、何といってもこの大きな、グローバル化した経済の中で、金融機関の持っている役割というものはますます大きくなってきている。その金融機関というのがどうも時代おくれになってしまっている、そういうことが明らかになってまいりました。  そういう中で、やはりこの母体行の責任住専問題については非常に大きい。その辺のところも自覚した上で、銀行がみずからも切開手術をする。そして、行政政治を通じて、国民経済の一番の基盤に当たる、インフラに当たるところを、この苦しい試練を乗り越えて、国民経済が活力を取り戻すようにしていくのが私はこの委員会、政治責任だろうと思うのです。そういった御示唆を先生方からいただいているわけです。  そして、私は素人でございますからよくはわからないのですが、確かに市場というものがグローバル化したのと、それから情報化したというのも大きいと思うのです。これは、それこそインターネット時代、単にテレビで遠い異国のことが我々の茶の間に映るというだけではなしに、そういった新しいネットワーク時代というのもありましょう。そんなことのすべてが、いわば五十数億人の世界じゅうの人々の持っている価値観が何らかの格好で市場に投影されていく、そういう時代なんだろうと僕は思うのです。  そういうことを前提にこの住専問題というものも、基盤にそういうような大きな変化が出てきて、世界がそういうふうになってきているんだから、そういう中で日本金融問題全体をとらえてやっていかにゃいかぬという池尾先生の御説は、もう全く私も賛意を表する次第なんです。  ただ、ここでずっと私も何度か議論をしてきた一番の基本は、どうもこの不良債権というのは、先ほどの無税償却ともちょっと関連するんですが、不良債権そのものをどこかに移したとしても、それだけでは問題が解決しない。全体像はもちろん明らかにせにゃいかぬですが、不良債権というのはいろんなところにあるんでしょうね、金融機関。そして実態は、先ほど申し上げたような、住宅開発をしようとしていたところであったり、町開発をしようとしていたところができなくてそのまま抱え込んでいてというようなところなんでしょう。ところが、そういうものが進まなければ、本当の意味での不良債権解決にはならないだろうと思うのです。そこは、そういう実体経済のところに国民経済というものがどんどん出ていくような、そういう装置にしていかにゃいかぬのだろうと思うのですよ。  ある意味では、日本の市場というものは非常に、何か閉じた、いびつなものになってしまっていて、例えばアメリカなんかに行くと、ああいう赤字の国でありながら、町づくりなんというのはどんどん進んでいますね。新しいショッピングモールを中心に交通機関ができて住宅開発がなされている。聞いてみたら、そんなものは、ごく基盤のインフラだけは公共事業でやっていますが、ほとんどは民間の資本がそこに投入されて、要するにもうけ仕事になってすばらしい町づくりができている。中国の沿岸部を初め東南アジアの町の開発なんというのも大体そのようでございますね。そういうところにむしろ日本の資金がどんどん投入されている。  ということになると、どうも日本の市場メカニズムというものには欠陥があるんじゃないのかなとすら思うのです。その市場をオープンに、時代に合うように、国民経済がそこにどんどん入ってこれるようにする。その責任を負っているのが、多分大半は大蔵省であり、そして政府なんだろうと思うのですが、実は逆のことをやっているんじゃないのかな、こういうふうに思うわけです。  そこで、まずは池尾先生に御質問したいのは、そういった実体経済の中でこの不良債権問題が処理されていく、土地の付加価値がついて、すばらしい風格ある町づくりも進み、そして本当に住宅を持ちたい方々が堅実な生活の中でちゃんと住宅が持てるようにしていく、そういうような市場が形成されてしかるべきじゃないか、それがないんじゃないか、こう思うのですが、その辺については、それがなければ不良債権問題もなかなか実体経済の中では進まないんじゃないかという私の考えに対して御見解を。
  35. 池尾和人

    池尾公述人 御指摘のとおりだというふうに考えます。  私は常々よく使う例えとしまして、金融機関が膨大な不良債権を抱えているというのは、人間の体に例えると高い熱が出ているのと同じことだという例えをよく使っているんですが、確かに、高熱が出ているというのは大変な事態ですから、熱を下げる必要はあるわけですが、人間の体についてそうでありますように、単に熱を下げればそれでいいのかということになりますと、決してそうはならない。金融機関不良債権問題につきましても、不良債権を抱えているということ、それ自体大変な問題ですけれども、だからといって、不良債権さえバランスシートから消せばそれで問題が解決するということにはならない。  つまり、どういう原因で熱が出ているのか、ちょっとした軽い病気で熱が出ているんだったら熱さえ下げればそれで大体問題は終わると考えていいんでしょうけれども、もしかなり重い病気を抱えていてそれが理由で熱が出ているのであれば、熱だけ下げるというふうな対策をとるとかえって逆効果になって体力を弱めて、経済でいいますと、今御指摘にあったように、実体経済をかえって悪くしてしまう。  結局のところ、不良債権処理するという名目で、土地を塩漬けにすることを促進するような政策をとってしまって、土地が動かなくなる。そうしますと、国民経済全体からいいますと、せっかくの資産である土地は活用されてこそ国民経済にとって利益を生むわけですから、不良債権処理ということだけを優先させて、つまり熱を下げることだけを優先させて塩漬けにするようなことを促進するような対策をとってしまうと、国民経済的には、むしろせっかくの資産が使われないまま遊休してしまうというロスを招くわけですね。したがって、そこはやはり、不良債権問題というふうに世上言います、私も呼んでいるわけですが、不良債権問題と言っているからといって、不良債権があるということだけが問題じゃなくて、それがなぜ出たのかという、その病気の原因を取り除くということが大事だというのがまさに御指摘のとおりのことだというふうに思っております。  ちょっと関連してもう少し発言させていただきたいんですが、市場メカニズムを円滑に効率的なものとして働かせるというためには、やはりその市場メカニズムが円滑に動くことを可能にする制度的な基盤というのが整備されないといけないと思います。単に規制を撤廃するとか、そうしたことだけやれば市場経済が円滑に作用するようになるというふうなことは言えないと思います。  もし規制さえなくなれば市場経済が円滑に働くというふうなことが言えるのであれば、旧ソ連、東欧諸国があれだけ市場経済の移行に苦労するということはあり得ないわけでありまして、社会主義をやめると言えばすぐに市場経済になれるのであれば、あんな苦労は生じないわけですね。  だから、市場メカニズムが公平で効率的なものとして機能するためには、それをサポートするような制度的基盤というのが十分に整備されなければいけない。まさに政府、国のやるべき仕事はそうした市場機構を支える制度基盤の整備をやるべきであって、今まで、市場における参加者の行動をコントロールするといいますか、市場参加者の行動をチェックするというふうなことが仕事かのように誤解されていたところがある。そうではなくて、ちゃんとした基盤、もちろんそれはルール違反をした人間を摘発するというようなことも含めた基盤ですけれども、そういう制度基盤を整備する。  言い方をかえますと、市場メカニズムを円滑に働かせるためのインフラづくりということこそが政府のやるべき仕事であり、これからの金融行政というのも、そういう意味では、金融システムにおける市場メカニズムが円滑に作用できるような、それを支えるルール、インフラづくりに徹底するようなものに改編されるべきではないかというふうに考えております。
  36. 前田武志

    ○前田委員 池尾先生から、まさしく明快な御指摘があって、私もまことに同感をするわけであり ます。  富田先生のあの分析の中でも、中期経済展望を踏まえて、非常に先行きが暗い見通しになっていますね。確かに、このままいくと大変なことになると私は思うのです。その中でも、需要サイド、需要拡大策というものを、例えば予算の中でもどんどん景気刺激としてやってきたけれども、その乗数効果もどんどん落ちていって、実際にはグローバルマーケットの中で、たしか供給サイドの方の構造もどんどん変わってきている、当然そういうふうになってしまうんだという御指摘であったと思うのですね。  今の池尾先生のお話を聞いておりましても、いわば政府政治としては制度基盤をしっかりとつくっていって、市場そのものが日本の活力、私はまだまだ日本のポテンシャルはあると思っているんですが、そのポテンシャルが生かされるような市場にしていく、その基盤を整備していくのが政治の役割だ、こういう御指摘だったと思うのです。  さて、ところで、先ほどから議論しております、実体経済にこの不良債権問題というものをどういうふうに吸収させていくか。その原因、もうはっきりしているわけですね。本当に小さなこの四つの島国の中で土地の有効利用を図り、それを通じて日本の国の最後のチャンスを生かして、町づくり、我々の生活基盤を整えていく、こういうことになるかと思うのですが、そのときの公共事業の乗数効果が落ちてきているということは、とりもなおさず、アメリカの例を出したように、幾ら街路をつくり、公園をつくり、下水道をつくっても、そこに民間の活力が引き出せないような状況になっている。  駅前だって、下水道もついたし、ここに大きなショッピングモールやらあるいはそこを基点とするいろいろな地域というものは、文化施設だって皆さん要求しているわけですから、そういうものができればきっとうまくはやるのにな、こう思うのですが、実はいろいろながんじがらめの制度や何やらで、そしてまた、もちろん税制のこともあれば規制もあれば、いろいろなことがある。そして、その先に、池尾先生が御指摘されたそういう基盤、インフラストラクチャー、むしろソフトのそういう制度的なものを含めて、そういう視点すらないものですから進まない、そんなふうに私は感じておるところなんです。  富田先生に再度お聞きしたいことは、要するに、今のままでは公共事業なんというのは呼び水にならない。しかし、最後のチャンス。一千百兆円あるという国民貯蓄というもの、ほっとけば、おっしゃるように二〇〇〇年超えるとそれがどんともう構造的になくなってしまう。今あるうちにそれをいかに国民経済の中に取り込んでいくか。そのための呼び水としての公共事業、基盤整備もあると思うのですが、しかしそうなっていない、その構造というものについて先生の御見解をお聞きしたい。
  37. 富田俊基

    富田公述人 御指摘ございましたように、公共投資波及効果というのはどんどん低下しております。これはまさに我が国経済の国際化と表裏一体をなしたものでございます。  他の国の公共事業と比較いたしますと、日本は戦後一貫して高水準、大体GNPの八%ぐらいを公共投資に向けてまいりました。欧米先進国は大体二%程度という低い水準です。にもかかわらず我々社会資本に充実感がない、そういうことがよく指摘もされます。これには、やはり歴史的な、地理的なことが大きく作用しているように思います。とりわけ欧州の先進国では、十六世紀、十七世紀、十八世紀ぐらいから営々とインフラストラクチャーを整備してきたということでございますし、また地理的には、非常に山がちの中で公共投資にお金がかかるということも事実であったかと思います。  そういう意味で、これまで背景とする貯蓄超過に恵まれまして、公共投資を大幅にどんどん拡大することを続けてきた。しかしながら、これが貯蓄率の低下とともにだんだん難しくなってくるという状態であると私は思います。  その意味で、私がきょう申し上げたかったことは、国債で公共事業をやりますと、えてしてそれが拡大方向に傾いてしまうのではないかということであります。そういう意味で、税そして国債、財投といったものをそれぞれ事業の性格に合わせて計画的に遂行する必要があるということでございます。  また、波及効果の乏しい理由として規制が邪魔しているのではないかという御指摘もございましたが、やはり一定のルールのもとに自由に企業が競争し、よりよい商品をつくり、サービスを提供するという原則が大事でありまして、そのことがやはり公共投資波及効果をこれまで阻害していた一因であったかもしれないというふうに存じます。
  38. 前田武志

    ○前田委員 私自身は、これからの町づくり等については、むしろ市場原理が働いて、それが働くような基盤整備、セキュリタイゼーション等も含めて、いろいろなそういったことを通じて市場メカニズムでやっていく時代だろう、その一番の基盤の呼び水、公共でやらざるを得ないところだけはそれでやるというような考えを持っているわけです。先生方のお話を聞いてそれの裏打ちを得たような気持ちがするわけですが、特に池尾先生が言われた、今のままだと法治国家自己否定につながる、私もそう思うのですね。  これはきのう、たしか清水先生、弁護士ですが、来られて、法的処理あり方というものについて非常に示唆に富んだお話をされたわけなんです。処理のためのスキーム、いろいろ政府が今考えておられること、それ全体がどうかというよりも、まずは法的処理を講ずることによって、預金者の保護等はもちろんのことでございますが、どこに原因があるのか、責任がどこにあるのか、そして存続し得ないところは破綻させる、しかもそれをソフトランディングさせることができる、そういったことを通じてこの問題の具体的な実態というものが明らかになってくる。  そして、先ほど野田先生がおっしゃっていたように、母体行の責任と、それからそういう金融機関に対する特別の手厚い体力強化というものもしてあるわけでございますから、きのうのその清水先生のお話では、エクイティーという概念、単にのっぺりとした衡平ということではなしに、そういった経緯、野田先生御指摘のこの住専設立の経緯だとかあるいは大蔵、農林の覚書だとかいろいろありますね、そういうことを踏まえていけば、エクイティーという概念でやっていけば、むしろ法的なきちっとした制度の中で、三権分立の日本のこの法治国家の中でそれも解決されていくと思うのですね。そういった手続を踏んでできるだけの知恵を出してやっていかなければ、日本国民のすばらしい倫理観というものをこれはもう本当にひっくり返す話になるのじゃないのかな、私はこう思うのですね。  けさもちょっと二、三の方から電話があったのですが、一つは、一般の方々は借りた借金は返すものだ、それを政治が勝手なことをするならもう私たちは信用しませんよというのが一つあった。それから、地元の材木屋さんですが、自分たちはそんな借金を無税償却なんというのはなかなかさせてくれぬ、こんなものはあり得ない、こういうことも言っておられました。  そういう全国各地で一生懸命堅実に頑張っておられる国民の方々から見ると、先生が御指摘になるように、ここでびほう策をとって、そんなことをしてしまったら、これは単にこの場しのぎの与野党のどうのこうのということにはとどまらない、日本政治そのものが私はもうこれで信用を失墜することになるのではないのかなと思うのですね。しかも、こういった案をもう予算編成の最後の場において急遽政治が認めた。しかも、その認めた責任の大蔵大臣も総理大臣も逃走してしまった。これでは本当に政治責任を放棄したことに違いないのです。  そういった意味において、私は政治責任というのは非常に重いと思うわけでございますが、池 尾先生に最後に、こういった政治責任、基本的方向をどういうふうに示していくかということも含めまして、先生の御見解をお聞きして終わります。
  39. 池尾和人

    池尾公述人 私も、先ほども申しましたが、個人的には母体行の責任は非常に重いのじゃないかというふうに思っておるのですが、しかしながら、みんなが母体行の責任が重いと思うからそれでもう母体行に責任があるんだというふうにしてしまうということになりますと、これは法治国家と本当に呼べるのであろうかという疑問がわいてくるわけであります。  ある人間が、例えばAという人がいて、周りのみんながAが悪人だと思っていればもうAは罪人になってしまうということでは、これは法治国家とは言えないわけでありまして、母体行に責任があるのであれば、それこそ責任が重ければ重いほど法的にしっかりと制裁を受けるということでなければ社会正義が貫徹したということにならないのではないかというふうに思うわけです。  裁判にすると責任が軽くなってしまうというふうな議論がたまに聞かれるわけですけれども、もし本当に日本司法制度がそういうものであったとすれば、それは司法制度の信頼が揺らいでいるわけでありまして、本当に悪い人間に対しては本当に責任が問えるような司法制度をつくっていく必要があるわけでありまして、ちょっと転倒した議論ではないかというふうに私は思っております。  それともう一点だけ、補足ですが、母体行に責任があるということと、だから母体行に資金を出させればいいという議論の間には若干の飛躍があると考えております。  というのは、銀行のお金というのはこれは預金者のものであり、残りは株主のものなわけです。だから、母体行に責任があるとしても、そのときに、だから母体行の経営者に私財を出せというふうに言うのであればある意味で論理は通るわけですが、そうではなくて、母体行にとにかく金を出せというふうな議論をしますと、それは預金者、母体行の株主に責任を問うということになりますので、そうなりますとこれは、単に株主代表訴訟云々、されるかされないかという問題ではなくて、やはり権利の問題になりますので、そこのところはやはり最終的には司法的に判断を求めるということが必要なことになるのではないかというふうに思っております。  誤解のないように、個人的には母体行に責任があるとは思うのですが、それだけでいくと、言葉は悪いですけれども、リンチの論理になってしまいかねないというところがあるので、そこを避けたいというつもりであります。
  40. 前田武志

    ○前田委員 時間が来ましたので、とにかくこの国会を通じて、日本の経済の再生、そして基本的には日本の道徳基盤を崩すようなことがないように、我々もしっかりと責任を感じてやっていかなければいかぬということをつくづくきょうは感じた次第でございます。  どうもありがとうございました。
  41. 上原康助

    上原委員長 これにて前田君の質疑は終了いたしました。  次に、松本善明君。
  42. 松本善明

    松本(善)委員 池尾公述人に伺いたいと思います。  まず第一に、母体行責任の問題でありますが、この委員会でも再々議論されまして、子会社、別働隊、あるいは母体行の一業務部門が住専だ、私どももそう思いますが、自民党の議員もそのような立場で質問をされるという状況であります。総理も子会社であるということを否定はされません。私は、母体行は債権者の立場ではなくて経営責任を問われる立場のものだ、こういうふうに見ないと住専問題は間違うのではないか、こういうふうに思います。  これとの関係で、この母体行の責任をどう見るかということと、それから、不良債権全体を見なくちゃいかぬ、これは私、そのとおりだと思います。だからこそ、今回の処理が悪しき前例となるという非常な危険がある。それで、母体行責任とのかかわりでお聞きしたいのは、モラルハザードの問題であります。  母体行が子会社の問題を自分で処理をしなければ、これは金融機関に対する信頼がなくなってしまいます。それで、アメリカの元RTCの総裁のシードマン氏が日本の大新聞で、八〇年代のSアンドLの問題について、公的資金の支援は金融機関の安易な体質を生んで、何をやっても救われるという経営倫理の欠如を引き起こしたということを言っておりました。この母体行責任とモラルハザードの問題について、不良債権全体の処理の中でモラルハザードをどう考えるか、この点が一点。  もう一点。お話を伺っていますと、六千八百五十億の予算からの削除が必要だということであろうと思いますが、明言はされませんが、この点もはっきりさせていただきたいと思いますし、その場合に政府が言いますのは、特に大蔵大臣など、これは為替レートだとか株価などに影響する、日本経済に悪影響がある、こういう話であります。私どもは、この実態が外国の指導者や投資家に知れていけば、今はいいかもしれないけれども、逆になるんではないか、こういうふうに思います。  このモラルハザードの問題と日本経済への影響の問題についてお答えをいただきたいと思います。ほかの公述人にも聞きますので、できるだけ簡潔にお願いをいたします。
  43. 池尾和人

    池尾公述人 御指摘のように、モラルハザードを防ぐためには、起こってしまったことは仕方がないという態度をとりますと、次のモラルハザードを惹起しかねないわけです。したがって、起こったことに対してきっちりと責任を追及するということこそが、次のステップでのモラルハザードを防ぐ方策になるというふうに思います。そういう意味で、経営責任について徹底して追及することは必要だと思います。ただそれは、一番いいのは法律であろう、司法判断であろうというふうに私は思っているわけです。  それから、六千八百五十億円の予算からの削除の件に関しましては、私は、案を撤回するだけでは非常に危険でありまして、撤回と同時に対案を出さない限りは金融システムに対する混乱を招きますので、早急に対案を準備していただいて、その上で削除するというふうな形をとる必要があるというふうに考えます。  それから、海外からの反応ですが、先ほどもあったんですが、海外の投資家は何でもいいわけですね。とにかく自分が貸した金が安全であるという保証さえ日本政府がしてくれればそれでいいわけですから、効率的な処理がされようがむだ遣いされようが海外の投資家は知ったことではないわけです。安全であればいいわけです。しかしながら日本国民は効率的な処理をしていただかなければ困るということがあると思います。
  44. 松本善明

    松本(善)委員 法的処理では、住専の経営者の責任は問えますが、母体行の経営者の責任は問えないんですね。時間がありませんので、お聞きはいたしませんけれども。  それから、富田公述人に伺います。  一点伺いたい。きょうは、財政危機の問題を中心にお話がありました。まさに重大な状況で、財政制度審議会の報告では、時限爆弾を抱えているようなもの、こういうふうに言われています。全く重大なことだと思いますが、こういう状況でありながら六千八百五十億を国債で賄う、これは財政論という点からいいましても、非常な暴挙ではないかと思います。この点につきまして公述人はどうお考えになるか。
  45. 富田俊基

    富田公述人 まず、この今の日本金融システムにかかわります危機ということがうまく早く改善されませんと、日本経済がもっと大きな危機に立ち入る危険というものをはらんでいるということを最初に認識しておく必要があると思うのです。それで、その象徴が、先ほども申し上げましたジャパン・プレミアムということがそのシグナルを送ったわけでございます。  その意味で、その負担をどう分担するかというのは極めて難しい問題なわけですけれども、手を打つ必要はあるというふうに考えております。  それで、この問題も先送りすればもっと傷が大きくなるかもしれない。しかし、十分議論すべきは、筋立った解決も必要だ。この筋道の立った解決の方法と、先送りするとより負担、傷口が大きくなるということとのバランスのぎりぎりではないかというふうに私は思います。
  46. 松本善明

    松本(善)委員 野田公述人に伺いたいと思います。  大きく言えば、先ほど池尾公述人にお聞きした二点についてお聞きしたいのでありますが、特に今度の住専問題、不良債権問題を議論をする中で、やはり金融機関国民の預金を預かっているという、その公共性の自覚というものが全くないといいますか、これは日本金融秩序を破壊していくことになるのではないか、ここが根本問題なんじゃないだろうか。そこを本当に、日本の将来の金融秩序のあり方ということで根本的に考えませんと重大なことになるんではないかというふうに思いますので、この点と、それから先ほどお聞きいたしました、この六千八百五十億を削除した場合の日本経済への影響、どういうふうにお考えになるか、お聞きしたいと思います。
  47. 野田正穂

    野田公述人 金融機関国民から預金をお預かりしているという点では、預金者に対する保護、特に小口の一般国民に対する預金の保護ということは金融機関の重要な責任であるというふうに思います。であるからこそ、その預金の運用に当たりましては、先ほど申し上げました健全経営の原則、すなわち資産の安全性、流動性を根本に置いて経営に当たるということが当然要求されるわけでありまして、まず第一に、その点で今までのこの不良債権問題で明らかになった点は、そういう金融機関が、当然のモラルと、それから経営を行うについてはいろいろなルールがございますけれども、そういうルールから逸脱したという点に大きな問題があるというふうに思います。  それから、もちろん破綻を来した場合に、それではどうするかという問題がございますが、これは第二次大戦前から実はたくさんの銀行が破綻をしております。数え切れないほどの銀行が破綻しておりまして、有名なのは昭和二年の金融恐慌でございますけれども、一貫してやはり、もちろん日本銀行が特別融資をするというようなことはございましたけれども、自己責任原則処理をしております。  それで、第二次大戦前は預金保険制度がございませんでしたけれども、やはり小口の預金は保護する、まず優先的に返済する。そういう点で、重役が私財を提供するとか、減資をして株主にも相応の負担をお願いするとか、そういうことはございましたけれども、やはり小口の預金を優先的に返済するということは行っておりました。ましてや今日、預金保険制度もございますので、そういった点で、今後ともそういう自己責任原則に立って一般大衆の、一般国民の預金を保護する、そういう姿勢で経営が行われることを強く望んでいるわけでございます。  それから、六千八百五十億円を削除した場合、もちろんこれは先ほど私が申し上げましたように母体行の責任負担をしていただくということですから、そのことが日本経済に特に影響があるというふうには考えておりません。むしろ、責任をとるべきところが責任をとるということによって金融秩序に対する信頼が回復することの方が大事ではなかろうかというふうに考えております。
  48. 松本善明

    松本(善)委員 終わります。
  49. 上原康助

    上原委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  午後一時三十分から公聴会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三十分休憩      ――――◇―――――     午後一時三十一分開議
  50. 上原康助

    上原委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  平成八年度総予算についての公聴会を続行いたします。  この際、公述人各位一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成八年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。  御意見を承る順序といたしましては、まず植田公述人、次に財部公述人、続いて宮尾公述人順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、植田公述人にお願いいたします。
  51. 植田和男

    ○植田公述人 東京大学の植田でございます。  本日は、こういう機会を与えていただきましてありがとうございます。  私は、住専問題を含めまして日本金融の問題についていろいろ意見を申し上げるようにということですので、お手元にお配りいただきました要旨あるいは資料等に基づきまして、少し広い観点から、やや抽象的になるかもしれませんが、私の意見を申し上げさせていただきたいと思います。  まず初めに、全体を見る際の視点ないし注意すべき点ということですが、当面は住専問題が非常に大きな関心を集めているわけですが、これ以外にも非常に大量の不良債権日本金融システムには存在するということであります。したがいまして、この残った不良債権処理、あるいはその後の日本金融システムの姿等に悪影響が及ばないような形で住専問題も処理するということが望ましいというふうに思うわけであります。  そこで、もう少し話を進めまして、現在の不良債権問題を中心としますような日本金融システムが直面しています問題の根源がどこにあるかということに関しまして、いろいろな問題があるわけですが、一つのポイントを指摘させていただきたいと思います。  それは、大まかには、戦後つくられました非常に古いシステムが、当時はある種の目的を果たしていたのでありますが、その目的が必要でなくなった現在でも残存しているのではないかということであります。  より具体的には、資金不足あるいは銀行が一本立ちできないような非常に脆弱な状況にあった時代、これに合わせてつくられましたシステム、よく使われる表現では護送船団方式という言葉がありますが、これがいまだに、ある程度は形を変え、ある程度は薄められつつも残存しているということであります。  さらに具体的に申しますと、資金の借り手、それから貸し手である銀行、特に中核になりますメーンバンク、そしてそれを管轄する行政当局、さらには銀行に資金を提供いたしております預金者、これらの間のある種の無責任責任転嫁体制というものが、結局は護送船団方式が残存する中でできてきてしまったのではないかということであります。  例えば、借り手が倒れましたときにメーンバンクがその他の貸し手の面倒まで見る、あるいは銀行が危なくなれば政府行政当局が国民にはよくわからない不透明な方法で面倒を見る。こうしたある種の責任転嫁の体制の中で、銀行の貸し手としましてのリスクに対する意識が徐々に麻痺してきまして、不健全な融資であっても皆が行っていれば怖くない、何か非常にひどいことがあれば政府が面倒を見てくれるのではないかという形で無責任な融資がふえていったのが典型的には一九八〇年代後半のバブル期であります。さらに、そのツケが最もひどい形であらわれたのが住専問題ではないかというふうに思うわけであります。  つけ加えますと、預金者も最終的には預金が完全に保証されるという中で銀行の選別をきちんと行ってこなかったという意味で、預金者にもある種の無責任という問題が指摘できるのではないかというふうに思います。  さて、話をもう少し進めます前に、不良債権問題についての現在世間に広まっております幾つかの、私の考えでは誤解どいうふうに思われるものについて指摘させていただきたいと思います。  一つは、資金の借り手を非常に厳しく追及する、いわゆる借り手責任と呼ばれるものでありますが、あるいは銀行の経営者の責任を追及して彼らのボーナスを取り上げる、あるいは銀行の賃金が高いから賃金をかなりカットさせるというようなことをしますと、不良債権がかなり回収できるのではないか、あるいは大半が何とかなるのではないかという誤解があるように思われます。  しかし、これは私の感じでは間違いであります。すなわち、地価や株価のピークで銀行が貸してそういうところへ回ってしまった資金は、それらは現在半分前後の水準にある、そして当面ピークは戻ってこないというふうに予想される中では、どう頑張っても一部しか返ってこないということであるかと思います。  あるいは、銀行の賃金が高過ぎるという批判がありますが、一部正しいとは思いますが、私の計算では、銀行の人件費全体の不良債権額に占める比率はせいぜい一〇%前後であります。したがいまして、人件費全体を一〇%カットする、あるいは銀行職員を一〇%首にするということをいたしたとしましても、不良債権の一%に当たるにすぎないわけであります。到底これだけでは不良債権問題の処理はできないということであります。  つまり、借り手や貸し手の道義的な責任等を追及するということは非常に重要であるかと思いますが、それと不良債権問題の解決は別の問題であるというふうに思うわけであります。基本はもちろん銀行が自己資本、利潤等を削って不良債権問題に地道に対処していくということしかないわけでありまして、これは多くの銀行が現在行っていることであります。  二番目の誤解としまして、公的資金の導入は税金でもって借り手や銀行を救うものだという見方があるのではないかというふうに思います。一部正しいわけですが、おおむね誤解と言った方がよろしいのではないかというふうに思います。  例えば、東京協和、安全に始まりまして、ここ一年強の間に四つの信用組合、兵庫銀行、住専等で、大まかには十兆円くらいのある種の処理をしたという計算をすることができるわけであります。この十兆円の処理のうち、非常にこれはコントロパーシャルな点でありますが、公的資金が今後住専の二次損失についても使用されるという部分を含めますと、私の考えでは二兆円くらいは使われるということになるのではないかと思います。預金者の直接の負担はゼロであります。したがいまして、残りの七、八兆円は銀行システム内部で処理したということであります。すなわち、金銭的な負担でありますが、銀行部門はかなりの負担不良債権問題処理に関して既に行ってきているということであります。  一方で公的資金投入されたといっても、これも不用意な発言かもしれませんが、金額は諸外国のそれに比べますとまだまだ非常に低い水準であります。残りは、預金者がほぼ完全に保護されてきたということであります。すなわち、ある意味では、一番責任が追及されていないのは預金者であるという見方もできるわけであります。責任を追及するということはどういうことかといえば、法律上は一千万円の預金までしか保証されていないということでありますので、そこまでは保証するけれどもそれ以上は、ペイオフをした場合には少なくとも一部返ってこないということになるわけであります。  しかし、預金者責任を追及してこない、こなかったという道を選んだには理由があるわけでありまして、預金者は銀行を選別しようにもディスクロージャーが不十分であった、あるいは、よく言われますように、信用秩序維持のためにこういう預金者保護がやむを得なかったという面があるかと思います。  一つだけ、それに関連します資料をごらんいただきたいと思いますが、二枚目に「預金の減少率別信用組合数」という資料を用意してまいりました。  これは、半年ごとの信用組合の預金の量を見まして、その前の半年に比べまして預金がかなり大幅に流出した信用組合の数をグラフにしたものであります。四つありますが、各半年ごとの決算について三つの棒グラフが立っておりますが、一番左側が一〇%以上半年間に預金が流出した信用組合の数であります。真ん中が五%から一〇%、右側が三%から五%。ごらんいただきますと、一九九五年三月から九月の間に急激に預金の流出が信用組合で起こっているということがおわかりいただけるかと思います。  これが直ちに日本金融システム全体の非常に大きな問題に結びつくかどうかは議論のあるところでありますが、非常に危ない状態であるということは間違いないかと思います。逆に言いますと、こういうことを行政当局が十分説明してこなかったことが不良債権問題に対する理解が十分得られなかったということの一つの要因でもあるわけですが、もちろん説明をし過ぎますと逆に危ないということもありまして、その辺は悩ましいところであります。  さて、それではそういう状況をにらみまして、望ましい対応はどういうことかという点に移らせていただきたいと思いますが、私の考えでは、まず不良債権問題全般を見た場合には、住専については後で申し上げたいと思いますが、最初に申し上げましたような、ある種の無責任の連鎖体制のようなものを打ち切って、もう少し自己責任を徹底させるようなシステムに移行するということが必要ではないかと思います。  その内容は、明らかかと思いますが、借り手の責任は追及されるし、貸し手も当然貸した額が返ってこないというリスクを十分意識して行動すること、預金者も場合によっては預金の一部が返ってこないということを認識して行動するということであります。さらに、行政はそういう護送船団方式を改めて、市場での自己責任に基づいた取引を側面から支援するという行動に徹するべきであるということであります。  ただし、ここ数年間はシステム全体が非常に危ない状態にあるということで、預金者責任はしばらく問わないでおこうという選択が一応やむを得ず正当化できるのではないかというふうに私は思うわけであります。しかし、長期的にはそうでないということであります。  こういう点を考えますと、それでは住専問題についてどういう話になるかということでありますが、住専問題について批判が集まっております一つの大きな理由は、銀行はつぶれていないのに公的資金支出をするということが、支出とそれによって便益を受ける人あるいはシステム、これの対応関係を不明確にしているということであります。  私の考えでは、世間でも言われておりますが、よりその対応関係をはっきりさせる簡単な方法があるかと思います。それは、先はどのような原則にのっとって関係者が責任をとるということであります。すなわち、その中には貸し手責任も問われるということになります。昔、何かわけのわからない覚書があるから、無理をして経済原則を外れた不透明な解決をするというような悪習は断ち切るべきではないかというふうに思うわけであります。  そこから出てきます結論は、損失負担につきましては、プロラタ、あるいは会社更生法的な手続をとった場合に対応します修正母体行主義がせいぜいではないかというふうに思うわけであります。この結果、言われていますように、もし農林系の金融機関の一部が危機に陥るというようなこ とであれば、そこで預金者保護のために公的資金を導入するという方法をとるのが、一番すっきりした方法ではないかというふうに思うわけであります。  逆に言いますと、この案を修正というときに、母体行の負担はもっと多目に出させるという方向の案をどなたかが提案されたというふうにしますと、そういう方々は、不透明な行政を温存する、あるいは日本経済の根本的な改革に反対の立場をとっていらっしゃる、そういう方々ではないかというふうに私は思うわけであります。  以上、いろいろ申し上げましたが、住専問題にもあらわれていますように、どちらかといいますと、経営の健全な銀行へのある種の奉加帳的な資金負担の強制を続けていきますと、これらの銀行も不健全な経営状態となりまして、金融システム日本のシステム全体が国際競争力を失い、結局損をするのは国民であるというふうに思うわけであります。  以上、いろいろお話ししてきましたが、最後に、これらをまとめてもう一度確認させていただきたいと思います。  まず、原則としまして、何かあればお上が助けてくれるという甘えが金融システム全体にあり、これが不良債権問題、住専問題のこじれている大きな一因ではないかということであります。今後はこれを断ち切り、長期的には預金者も含めて自己責任原則を基本とすべきであるというのが基本であります。その上で、貸し手責任、借り手責任行政政治責任、これらを追及しないといけないと思いますが、これらを追及しても不良債権問題自体は残るということであります。  公的資金は、現在のようなある種の非常事態のもとで、信用秩序の維持のため、不良債権の自力処理ができない、そして実質的には倒産せざるを得ないような銀行の預金者責任を一時的に追及しないということのために基本的には使われるべきですし、これまでも一応そういう原則に近い形で使われてきた、あるいは今後もそうだと思います。  しかし、この原則からしますと、住専についてのロス負担は、私の考えでは修正母体行主義程度がぎりぎりではないかと思います。残りは農林系の負担とすべきであります。これで対処できない銀行、金融機関が発生したときに公的資金を使うというのが、原則に一番のっとったすっきりした解決であります。  それでは、現在の政府から出されております処理案が全くのめないかということになりますと、これは私の個人の考えでは非常に難しいということであります、のめないというふうに言うのは勇気が要るということであります。  今度の処理案は、ある意味では、農林系に数兆円前後の補助金を出すとともに、最初に倒産させてその後で公的資金を使うというシステムと比べますと、逆に公的資金投入を先にしたという性格のものであります。  しかし、これを放棄してしまうということになりますと、新しい処理案の提出に時間がかかり、そしてそれはさまざまな市場、株式、外為あるいは銀行間のマーケット等に非常に大きな悪影響を及ぼすと思います。さらに、預金者心理が動揺する。こういうようなことから金融システム不安が広がるという可能性があります。  したがいまして、大幅な修正が難しいならば、多少でもロス負担を農林系に多目にするという形に変えつつ、さらに、農林系の金融機関あるいはシステムを大幅にリストラするというような条件つきで賛成できなくもないかなというふうに思うわけであります。  最後に、それ以外にも実質的な債務超過に陥っている金融機関は多数あると見られますので、これらの早急な処理が急務であるということをつけ加えたいと思います。  ありがとうございました。(拍手)
  52. 上原康助

    上原委員長 ありがとうございました。  次に、財部公述人にお願いいたします。
  53. 財部誠一

    ○財部公述人 財部誠一です。  本日は、お招きいただきましてどうもありがとうございました。  この予算委員会において討議すべき案件は多々あろうかと思いますが、中でも最も重要な議題は、言うまでもなく、住専処理支出される六千八百五十億円の税金をどう扱うかということに尽きるのではないかと私は考えております。したがいまして、きょうは、その六千八百五十億円に関する私の考えを明らかにした後に、住専問題並びに不良債権問題全体をいかに解決していくかということに関する私の具体的な私案を持ってまいりましたので、その説明をさせていただきたい、このように考えております。よろしくお願いいたします。  まず、結論を申し上げます。六千八百五十億円の支出は、私は予算案から即刻削除すべきであるという態度でおります。  お手元の、「住専処理に関する一私案」というこのペーパーをごらんいただきながら話を聞いていただければと存じます。まず、なぜ私が反対であるか、問題は大きく分けて三つございます。  まず第一に、住専処理案の背景にある考え方や、あるいは作成のプロセスが余りにも不透明である。これは、私は実際に講演会等々あるいは取材を通じて一般の方々とお目にかかる機会がたくさんありますが、今国民の八割から九割はこの不透明感にどうしようもないやはりいら立ちを感じています。これはぜひ先生方に訴えたい一点であります。  それから二点目。これはとても大事な問題でございまして、公的資金を使うということに関して、私自身は全くはなから公的資金は必要ないあるいは使えないという立場ではございません。必要があればそれは使うというのはあり得るという立場をとっております。しかし、公的資金を使うという際には、少なくともどんなときにどんな条件のもとでだれにお金を使うのかというルールあるいは原理原則が明示されないままの公的資金投入というのは、これは基本的にお話にならないということでございます。  それから三点目。これは大変大きな問題でありまして、住専問題というのは不良債権問題の一部にすぎないということです。例えば、百歩譲った議論としまして、すべて公表された数字だけを使いまして考えましても、大蔵省が公式に認めた不良債権の総額は三十七兆円です。一方、今回の六千八百五十億円の公的資金、税金の根拠になっている不良債権は幾らかと申しますと、約六兆円です。つまり、たかだか六分の一の問題にすぎないということなんです。  ここが大変大きな問題でございまして、六分の一の問題に拘泥して残りの六分の五に一切触れない、これは国会の責務を果たし得ないと私は思っております。しかも、とても重要なポイントは、今不良債権問題を国民挙げて解決しようという機運が盛り上がっているがゆえに、ここは大局的な見地に立って、まさにその六分の五の問題にまでメスを入れていくということなしには意味をなさないだろうというふうに考えております。  二枚目の、ではどうしたらいいのかというところで、具体的には私は法的処理ということを考えておりますが、これについては種々申し上げたいこともあるんですが、ちょっと私欲張り過ぎまして、どうも二十分間ではお話が終わりそうもないので、ここは簡単にここに書かれている部分だけ申し上げたいと思います。  「法的処理の優位性」、これは何がいいかと申しまして、透明かつ公正な決着が期待できるというところが最大のメリットだと思います。  それから、「法的処理の優位性」の二番目、これは管財人に強い法的権限が与えられる。つまり、今大蔵省の案で言っているところの住専処理機構という民間企業がやるよりも、法的な権限が与えられた管財人が処理に当たった方がはるかに処理は早く進むあるいは強烈に進むということは間違いございません。  それから、今のは三番目を含めてですが、四番目、法的処理をすると時間がかかるからだめだ、こういう議論がございますが、これは法律の専門家の方に伺っても大体五年と言う方が非常に多いです。破産法によると十五年と言う方もおりますが、そもそも大蔵省案は十五年を前提にしているわけですから、まかり間違っても大蔵省案が最長限度だということを考えますと、はるかに法的処理の方がいい。  実は、私がきょう参った中で、最も先生方に強調したいと申しますか、ぜひお話を申し上げたかった点が三枚目でございます。これは、今の金融システム破綻あるいは金融システム不安の問題と申しますのは大変専門的な領域であるために、金融に特別御関心のない先生はなかなかわかりにくい部分がおありになろうかと思います。その中で、必ず御理解願いたいと思っている点が実はこの点でございまして、これは金融システムがどうすると破綻をするかということを書いたものでございます。  まず、これは具体的には、現在問題になっている住専処理をそのまま法的処理にした場合どうなるか、信連がどうなって、その後単協がどうなって、最終的に金融システム破綻するかということを書いたものです。  まず第一段階は、法的処理が開始される。これは当然なんですが、第二段階、管財人の処理案が決定される。これは会社更生法を一応前提にしておりますが、まず第一の入り口としまして、法的処理をすると農協系金融機関負担が莫大になる、これは全くの誤解です。  法的処理というわけですから、しかも会社更生法ということになりますと、管財人が間に入って農協系金融機関の言い分を全部聞いてくれます。私が知っている限りでも、全部の母体行というわけではございませんが、母体行の中には相当あくどいことをやっている銀行もあろうかと思います。農協系金融機関の方がおっしゃっているとおりの事実であれば、これは当然その管財人の判断として、やはり母体行主義というものに近い形の判断というのが下される可能性も当然あるわけです。ですから、入り口で法的処理を否定するというのは、私は農協系の立場としても全くおかしいというふうに言わざるを得ません。  しかし、結果的にやはり農協系の負担は厳しいという結論が出た場合、その場合は第三段階に進むわけです。ここでは、償却負担から赤字になる信連が続出する。では、赤字になる信連が出るとこれでおしまいか。実は、これは全く当たり前の話でございますが、赤字イコール倒産ではない。全く当たり前の話です。しかも、そういうときには、必要ならば資金手当てをすればよろしいわけです。これは資金手当てをすればいいし、また私は、そういうときがあれば資金手当てはすべきだとも考えています。  その次、しかし資金手当てをしたけれどもどうもうまくいかなかった。その結果、赤字に陥った信連が資金繰りに支障を来して経営そのものが破綻をする、これが第四段階です。  そうしますと、次に第五段階に進みまして、信連が破綻をして、その結果農協の貯金が焦げついて赤字に陥る農協が出てくる。しかしここでも、またもう一度思い出してほしいのですが、赤字イコール倒産ではないということですね。当然ここでも、やはり資金繰りの支援をすれば相当部分救済できる。  しかし、それもできない、できなかった。それで第六段階、赤字になった農協に貯金をしている人々が貯金の引きおろしに走る。つまり各単協で言ってみれば取りつけ騒ぎが起こる、こういうことです。しかし、それだけではまだこれは救いがあるわけです。取りつけ騒ぎをしたらもうおしまいでしょうか。とすれば、去年のコスモ信組の取りつけ騒ぎで日本金融はもう破綻していなきゃいけない。その後、木津信組、兵庫銀行、こう続いておるわけですから、もうとっくに日本金融システム破綻していなきゃいけない。しかしそうはなっていません。  それは次の段階に進んで、一部の農協だけではない、今度は一部の農協の破綻を見て他の農協の貯金者が取りつけ騒ぎを起こす、これが第七段階です。さらにそれを見て、これは銀行も危ないのではないかといって経営内容の悪い銀行に取りつけ騒ぎが発生する、これが第八段階です。さらに悪くなりますと、第九段階、経営内容のいい銀行に対しても取りつけ騒ぎが起こる。こうなりますと、日本の決済システムといいますのはここで完全に破綻をします。これが金融破綻ということでございます。  つまり、私はここで何を言いたいかと申しますと、今大蔵省を初めとする、法的処理をすると信連が赤字になって金融システム破綻をするというロジックというのは余りにも飛躍があり過ぎるということです。今は第一段階に入ると既に第十段階に行ってしまう、こういう話になっているわけです。これは私はどう考えても非現実的と言わざるを得ません。  しかし、もちろん現実の社会ですから何が起こるかわかりません。第一段階からいきなり第十段階に行ってしまうこともないとは断言できない、これは間違いないです。しかし、それと同等あるいはそれ以上に、途中で知恵を使って資金繰りの手当てをするということさえできれば間違いなく確実に破綻の進展をとめることができるということもまた事実だと思います。そのためには、必要ならばあらかじめ適切な措置を講じておくということもできるわけです。  それで、次のページに、四番目に進んでいただきたいのですが、そこで私はぜひ先生方に御提案したいのですが、私は預金者保護法という法律の立法をぜひともお考えいただきたいと考えています。これは非常に単純な話でございまして、今大蔵省あるいは金融制度調査会等々の議論を見ましても、向こう五年間以内には預金者を全部保護しよう、こういう話になっているわけです。また、政府・与党もそのようにおっしゃっていらっしゃると思います。であるならば、これを立法してはどうかという提案です。  つまり、向こう五年間のある一定期間は時限立法で預金者を全部保護する、元利金ともに完全保証をしましょうと。これは私は、今政府あるいは大蔵省が考えていらっしゃる政策と全く合致するものだと思っております。これを立法することによって、預金者が何のいわれもなくただあたふたと慌てふためいて取りつけ騒ぎが起こるということは極めて低くなると思うわけです。言ってみれば、預金者保護ということを国が立法するというのは決して私は悪いことだとは思っておりません。  と同時に、ただ預金者を保護すればいいと言っているわけでもございませんで、その一方で預金者保護機構という、つまり預金者をきちっと保護していく、それとモラルハザードにならないように、破綻をしていった銀行なり金融機関なりをきちっと監督していくために預金者保護機構というものをつくってはどうかというふうにも考えております。  以上、私が今まで申し上げてまいりました形で、一回まとめてみますと、まず法的処理というものをやってみる。その結果、破綻が起こらないような措置として預金者保護法の制定を提案したい。それから一方で、じゃ農協系金融機関の資金繰りをどうするんだ、これは私は今考えておりますのは、ウルグアイ・ラウンドの六兆円、これを原資にして資金繰りの手当てをするということは決して不可能ではないのではないかと思っています。きのうの日経新聞にも随分、ウルグアイ・ラウンドの資金が使えない、使えなくて困っておるという記事も出ておりましたけれども、であればそういうことをまさに私はウルグアイ・ラウンドのお金でやってもいいのではないかと考えています。  実は、そういう処理の中で、今私がここまでお話ししたのは六分の一の話でございます。大事なのは、実は残りの六分の五、つまり住専問題に限らず不良債権問題全体をどう解決していくかというところの話でございます。  ぜひここで私が強調したいのは、不良債権問題というのはなぜこんなに深刻化したかということです。これは一般的には問題を先送りしたからだ、こういうことを言うわけですけれども、どうもこれはわかったようでわからないわけです。何がわからないかと申しますと、何を先送りしたのかということなんですが、これは一言で言いますと償却ということです。どういうわけか日本金融界は、償却をしなければならない状態になったときに即時の償却をしていない。これが実は大変な問題でございます。  例えば償却をするとなぜいいのかと申しますと、これは五ページ目の(2)になるのですが、不良債権の即時償却をしますと、これはみんな赤字決算になります。しかし、赤字決算になることで無配転落し、そこで配当を払うというむだなことをやらなくて済む。それから、無理やり黒字決算をつくって法人税を払ってなおまた体力を落とす、こういうこともやらなくて済む。  しかも、これは今一般論として銀行批判に非常に強く出ておりますが、銀行の給料が高過ぎる。高いなら高いで私はいいと思っています。ただ問題なのは、実質赤字なのにその償却をしないで黒字にしてみんなで高い給料を取り続けているところが問題なんです。  償却というのは、私が申すまでもなく、商法二百八十五条ノ四の第二項にありますように、必ず即時償却をしなければいけないというのが商法の精神です。ということは、償却を、今期は利益がないからしないとか、いや株の含み益がないから延ばすとか、あるいは三年間かけてとかという考え方は、全くこれは商法違反ということになるわけです。ですから私は、銀行の不良債権問題に関する罪がどこにあるかといいますと、ここに尽きると思っています。償却をしてこなかった、これが問題をかくも大きくしてしまった最大の背景だろう、このように考えておるわけです。  じゃ即刻償却をさせろということになるわけですが、償却を進めさせるためには、どうしてもそれに必要な環境の整備ということが必要になってくるわけです。その際、私がぜひ提案申し上げたいのは資産の再評価ということです。  まず、銀行があれだけ不良債権を抱えていながらも非常に自信を持って経営が続けていられる背景は、実は資産、特に土地の含み益というのを膨大に持っているからです。どういうときが来ても大丈夫というふうに彼らは本音で思っています。であれば、本来ならその持っている資産を売却して不良債権の償却に臨めばいいわけです。しかし、今残念ながら地価は下がり、不動産市況は全く動いていない。とすると、流動化していない現状の中で土地を売って償却原資を賄うというのはなかなか難しいわけです。そこで、地価への悪影響をも勘案して、持っている土地の含み益を会計上表に出す、つまり含み益を表に出す。あるいはもっと言いますと、実際の不良債権という含み損を含み益で相殺していく。こういうことをやれば、銀行は自己責任原則で全部不良債権の償却をできるところが相当出てくると思います。  今時間が参りましたので、あと二分ほどいただきまして、最後に結論だけ申し上げたいと思います。九番をごらんいただきたいのですが、私案のまとめでございます。  まずは、預金者保護法というものを制定して、今後五年間以内の一定期間に限り預金の元利を保証する。一方、破綻銀行の経営者に対しては、賠償責任というものを考えてもよいのではないかと考えています。  また、(2)、預金者保護機構の設立。これは、実際に預金の払い戻し等、実務的にも遅滞なく行われるようなものを含めてこの機構がすべて責任を持っていく。  問題は、実はファイナンスです。つまり、お金をどうするかというところなんですが、私は、預金者保護機構に政府保証債を発行させるということを考えています。必要に応じて政府保証債を発行する。  しかし、問題は、では償還原資をどうするんだということになりますが、今私が考えておりますのは、これはちょっと八番に戻るんですけれども、八番の(2)、償還財源。私は、先ほどの資産再評価をやったときの資産再評価税並びに銀行特別法人税というものを新設してもよいのではないかと考えています。それから、預金保険料率の引き上げによる収入アップ、これも充てる。それから、これは公的資金というものに一歩入り込みますが、日本銀行の国庫納付金というものも必要ならば考えてもよいのではないかと考えております。  全く同じような形で、貯金者保護機構というものを使って、農協系金融機関に対しては原資はウルグアイ・ラウンドの六兆円でというのが私の考えでございます。  以上、随分駆け足で早口で話しまして、大変わかりづらい部分もおありだったかと思いますが、私の意見とさせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  54. 上原康助

    上原委員長 ありがとうございました。  次に、宮尾公述人にお願いいたします。
  55. 宮尾尊弘

    ○宮尾公述人 宮尾でございます。  私は、お配りした経歴から見ていただけるように、海外での研究の期間が大変長うございまして、十年ほど海外で経済的な問題を研究し、教えてきた立場から、この問題のいわば本質というものが非常に私自身よく見えるというふうに、この問題に関しては自負をしておりまして、きょうは、この問題の本質は何かという私なりのお話をさせていただきたいというふうに思います。  この問題の本質は、決して国内の金融問題や国内の税金問題じゃないという点を踏まえないとこの問題の出口は見えないわけでして、これはすぐれて国際問題という視点から出発しないと問題の出口はない。  その一つは、私が、長年海外にいた仲間から、ここの公聴会公述人として出るからというので、私は電子メールやファクスで内外の仲間に、英文で一体この問題はどう書かれているかというのをファクスでこの三、四日送ってもらったのがここにあるんですが、ほとんど内容はもう住専問題ではなくて大蔵省問題になっています。つまり、海外では住専問題の本質は国際的に見たら大蔵問題であるというふうに認識をされています。ますますこういう国際的な意見というのは強まってまいります。  したがって、私は、そこら辺に出口を見出そうということで、きょうは少しこの経緯を私なりの解釈でお話ししたいというふうに思います。  まず、もともとこの住専問題というのは、ジューセン・プロブレムという英語で知られておりますように、昨年までの日本の経済が大変低迷をして金融破綻にまで至ったということについて、まず海外の当局者が大変心配をする。そして日本大蔵省もついに音を上げまして、もう少し本音でこの問題を解決しなければ結局は自分たちの問題として解決できなくなるということで、極端に言えば、白旗を上げて海外の政策当局に助けを求めたというところがこの問題が表に出る出発点だったわけです。これが昨年の超円高の四月、五月。  そして、幸い、日本金融情勢その他、不動産情勢、資産デフレ情勢が海外に伝わりまして、これを放置しておけば日本だけの問題に限らない、これは海外に飛び火をして国際的な金融破綻、不安につながるということで、渋々海外の当局が協力をして、そのためにまず超円高を、国際的な協調介入等政策協調で七十九円七十五銭という異常なレートから少なくとも百円のレートまで日本はいわば下げてもらったわけです。  そのいわば私の言うところの日本の条件降伏、無条件降伏ではなかったのですが、今回条件降伏をしたかわりに、日本で一体どういう条件を満たすということを約束していたか。  これは明らかに、日本の中の資産デフレをとめて金融破綻をこの際何とか防止をして、そして不良債権問題を長期的に解決していく筋道を立てるということを、いわば対外的に公約をしたわけです。その当時はまだ公約ではなくて、日本の自助努力をいたしますという程度だったのですね。ですから、日銀が公定歩合を〇・五まで九月に下げて、そして、いわばリフレ政策、調整インフレといいますかデフレをとめる政策を今日まで続けています。大蔵省は、あれほど嫌がった赤字国債を九月二十日の景気対策で、むしろほかの省庁に、もっと予算はないか、出せというぐらい積極的に赤字国債を出してデフレをとめるという策をやったわけです。  そして、いよいよ不良債権問題の入り口として住専問題を大蔵省の管轄下の問題として対処しようというときに、大和銀行事件というのが起こったのですね。これで今回の問題の性格ががらりと変わりまして、これは単に金融当局の政策レベルの問題ではない、もっと根本的な日本金融当局の誤りがあるということが国際的にはっきりしてしまったのですね。それで十月のG7で日本はこの住専問題を初め不良債権問題を公約として持っていって免罪符を得たというのが、今回の問題の一番本質だというふうに私は考えております。  したがって、海外の評価は、今回の住専処理において公的資金を入れたということについて海外では非常にいいレスポンスがあったということをおっしゃった方が昨日いらっしゃいましたが、それは見方としては、間違ってはいないのですが正しくもない。それはある意味では、いわば執行猶予を受けた、犯罪人というのはちょっと言葉が悪いのですが、執行猶予を受けた人が、執行猶予中言われたとおりやっているから、執行猶予中なかなかよくやっとるわという程度の評価なんですね。仮にこれをやらないと、逆に執行猶予でなくなるという危険があるわけです。  具体的に申し上げますと、海外では、金融当局あるいは金融界では、この程度公的資金では大蔵省責任をとっていないという認識が非常に強まっています。したがって、今この公的資金によって国民大蔵省批判に向かっているのは、ある意味ではその中のシナリオの一環なわけですね。  この批判のもとに、大蔵行政大蔵省あり方が国内で変わることが海外でむしろ期待をされているということが、これだけの最近の記事になってあらわれています。例えば、一番新しいタイムズ誌、今出ていますが、「ハウ・ザ・マイティー・ハズ・フォールン」、いかに大蔵省の巨大な権力が落ちたかと、もう完了形になっていますね。  その他、もろもろの記事が出ておりまして、これは有名なユーロマネーというヨーロッパの金融の雑誌なんですが、これは一月号で、大蔵省の解体がことしの終わりまでにあるというふうに予測をしているのです。その予測の理由を、余り報道されていないので、ここで改めて見たいと思うのですが、理由はこういうふうに書いてあります。ことしのユーロマネーの予測は、一九九六年の終わりまでに大蔵省が解体される、その理由は、政治家がやっと次のことを悟るだろう、それは、この五年間、日本の経済がこれだけ低迷して惨状をきわめたことの責任大蔵省にあるということを政治家たちが気づくであろうから解体するというふうになっているわけです。  したがって、この五年間いかに大蔵省が、単なる金融行政という狭い範囲だけではなくて、日本の資産デフレをこれほど悪化させ、次々と大蔵省の各局が誤りた政策を続けてきたかということを見直すことから、この問題の本質の出口がやっと見えてくるというふうに私は考えております。  少し話を急ぎ過ぎましたが、ジューセン・プロブレムが今や大蔵省プロブレムになっているということを申し上げました。  これとの関連で、もう一つのJP、ジャパン・プレミアムというのがございますね。このジャパン・プレミアムの解釈が、私は余りよく伝わっていないと思います。これは決して、昨日またどなたかが言われましたように、これで日本金融不安が解消されそうなのでなくなってきたということではなくて、もともとジャパン・プレミアムが出てきたのは、昨年の六月ごろから七月ごろにあらわれてまいりました。  これは実は、その前に大蔵省の失敗がありました。どういう失敗かというと、五月から六月にかけて、ムーディーズという外国の格付会社がございまして、これが日本の三つの金融機関の格付を下げるという予告をしたんですね。これに対して六月に、五月の末でしたか、大蔵省が、そんなことはない、その格付はおかしい、ムーディーズがそんなことをやったら日本の格付のところから締め出すぞというおどしをかけたんです。これが欧米の格付機関だけではなくて金融界に猛反発を招きまして、そんなことであればジャパン・プレミアムがつくぞということで、それからジャパン・プレミアムが始まったのが非常に大きいんですね。  ですから、このジャパン・プレミアムというのは、実は日本金融機関のバックにある大蔵省に対する批判という面が非常に強いんです。そうでなければ、日本不良債権問題というのはそれ以前からずっと、三、四年もう海外に明らかになっているわけですから、そのころからジャパン・プレミアムがついてよかったはずなんですね。ところが、そうではなくてここに来て急に、去年のそのころから出てきたというのは、その前の失政が非常にあるわけです。  ですから、今回の住専処理法案で初めて、大蔵省国民の批判を浴びることを覚悟で公的資金を一部でも入れたということで、大蔵省責任をある程度認めたということでプレミアムが少なくなっているという解釈が一番一貫した解釈でございます。ですから、問題は既に住専問題から大蔵省問題に移っているという意味はそういうことでございます。  それで、大蔵省批判はわかったとして、それでは一体どこが問題なのか。  具体的には、一九九〇年の三月、四月の総量規制あたりからもともとは大蔵省がやるべきでない方向に走っていった。つまり、金融政策は、公定歩合を上げる、金融を引き締めるという役割は日銀が本来負っているものであります。日銀は当時いろいろ批判はあるにしてもそれなりにやろうとしていたわけです。それに対して、もともと大蔵省というのは、政府の一部としてそういうものが行き過ぎないように、金融当局の一方的なインフレを引き締める行き過ぎなどに対するカウンターメジャー、バランスとして常にどの国でも日銀と大蔵省というのは分かれているわけです。  八九年まではそのバランスがある程度いっていたのですね、まあ行き過ぎた面もありますが。ところが、九〇年の春になって大蔵省も日銀と同じことをやり始めたわけです。つまり、日銀も大蔵省も首を絞め始めたわけです。ところが、そのころ世界各国は既に資産価額が崩れ、俗に言われるバブルの崩壊が世界的に起こりまして、もう不動産市場はどの国でもどんどん奈落の底に行っている。金融不安もどんどん起こってくる。アメリカでは、あのSアンドLの問題が一番深刻になった時期ですね。そのときに日本は逆療法をやってしまった。そこら辺がボタンのかけ違いです。  そして、まだ総量規制が続いている間、今度は証券局が証券スキャンダルを誤って株式市場を殺してしまった。銀行局が総量規制を誤る。証券局が証券スキャンダルを誤る。その後さらに主税局が、下がり続けている土地をさらに下げるということで土地税制を異常に強化する。それから最後に、主計局があくまで景気対策をやらない。赤字国債による所得税減税も最後までこれはつぶして回って、景気は常に年の中央から回復するという大本営発表を流し続ける。これを四、五年続けたということで、すべての局がそろって誤った結果こういう事態を招いたということが、海外の観点から既に明らかになっているわけです。  したがって、私は、こういう観点から大蔵省解体論というのを初めから唱えていた一人でございます。単に、金融行政が悪かった、やれ住専を先送りした、だから金融行政だけどこかへ持って いって強めろ、こういう話ではなくて、それだったら証券スキャンダルで証券取引監視機構ができたのと同じような解決になってしまうわけですね。下手をするとトカゲのしっぽ切りで、主計、主税はメーンで残ろう、金融のことはちょっとどこかへやろうということで本質的な解決にはならない。したがって、ここでは、抜本的な日本の政策決定機構の改革という、これはもうすぐれて政治的な問題ですが、ここに本当に踏み込むときが来て、これを海外が注意深く見守っている段階である。  そこで、大蔵省の解体は、基本的には大蔵省という中に、非常に政治的な決定が必要な部分、例えば予算の問題、税制の問題というような政治的な直接の決定が必要な部分と、それからすぐれてマーケット、国際的な市場に左右される部分、特に金融の問題、これが同じ省の中で混在していて、それがあらゆる人脈と間違った考え方によってそれぞれゆがめられておるという前近代的な体制になっている。諸外国は、すべてそこら辺は、少しずつ過去の三十年、四十年、五十年という長い間かけてそこを分けて、きちんと中央銀行の役割、議会の役割、それから大蔵省と言われる財務省とか、その役割を分けてまいったわけです。  したがって、おくればせながら日本も、政治的な決定が必要な、例えば予算の編成権というようなものは内閣にできるだけ早く移行する、内閣の予算局というようなものをつくって、そこで本当に政治的に国民に訴えて政策を反映した多年度予算というようなもので争う。もし税制と切り離すのが問題であれば、税制の企画等の頭脳部分も内閣に持っていけばいいわけで、そこはきちんとした政治上の責任政治責任をとった改革を行うべきだ。  それから、逆に今度は、金融の方はできるだけマーケットに即した形で再編する。これは、実は日銀というものがあるわけですから、アメリカではFRBが、先日の大和銀行事件で象徴的なように、あれほどの強い力を持って国内の金融の秩序とか不安の解消を図っているわけですから、日銀法を改正して、日銀に相当な責任と権限を持たせる。それと同時に、今回の住専処理法案で重視されております預金保険機構というものも、アメリカではこれに対応するものが、預金保険公社みたいなものが重要な役割を果たしていますから、日銀とそれから預金保険機構みたいなものが両輪になって金融、銀行関係の市場の監視、検査等を行う。  そして、証券については、前回非常に中途半端になった証券取引監視委員会みたいなものは、アメリカのSEC、証券取引委員会のような、本当に証券行政を全体として市場に即して見て、しかもきちんと監視もするという機構につくり上げる。このように、本格的な大蔵省の解体というのが今こそ叫ばれているわけです。  ところが、大蔵省解体論という、看板は大蔵省解体論なんですが、実はトカゲのしっぽ切り的な話が今日本の中で出てきているのは大変危惧するべきことで、今や、大蔵省を解体すべきかどうか、イフの問題ではなくてハウの問題であって、どのように解体するかということこそこの国会のこういう場で議論すべきときです。そのときに、そのまだまだ前の段階の住専処理に税金云々、やれどうこうという話は、もう実は三年ぐらい前にやっておかなければいけないわけで、この問題を早く終えて、そして本格的な大蔵解体のスキームをぜひ政治主導で実行していただきたいというのが、私の切なる願いでございます。  そして、最後の締めくくりとして、大蔵省解体はわかったという方もいらっしゃると思うんですが、それではその先どうなるのか、大分不安ではないか。例えば、予算を内閣に持っていくのはいいけれども、やはりそこは政治の場で筋が通らない、いわゆる妥協的な予算ができてしまって、アメリカのように税制と切り離しますと支出ばかりふえて財政破綻するんじゃないか。それから、今回の金融問題でも、これだけ大きな金融の問題が、傷が残っているわけですから、これを単に日銀とかそういうSECに持っていっちゃっただけで、残りのものはどうするんだ、この傷を治す責任はどこにあるんだという問題がございます。  私は、それに対する答えは、ちょうど五十年前、日本が敗戦を迎えたわけで、私は今回のことを第二の敗戦、経済敗戦と呼んでいるんです、少なくとも金融については。この敗戦の惨状から立ち上がるためには、ちょうど戦後、マッカーサーのGHQのもとで超法規的に相当強力な復興本部をつくって復活したというようなことから学んで、当時、安本、経済安定本部というのがGHQの力のもとに予算権も持つし、規制の力も持つし、輸出入のいろんな権限を持ったということがありますが、今日本の、特に金融面で置かれている状態はまさにあの状態です。もう一歩間違えれば国際的に金融破綻するほどの問題点を抱えています。したがって、これは到底大蔵省だけでは乗り越えられませんし、大蔵省を解体しても乗り越えられない。  それではそれを乗り越えるために何が必要かというと、これは一国の首相のリーダーシップのもとに平成版の安本のようなものをつくって、そこで特に金融にかかわるもの、資産デフレにかかわるもの、不動産にかかわるもの、こういうものを政治主導でこの危機を乗り切る、党派を超えてこの危機を乗り切るということをやることが必要である。その力がなければ、逆に言えば大蔵省の解体もできない。  つまり、猫の首に鈴をつけるのは一匹のネズミではできないわけで、ぜひネズミが一緒になって、海外の犬と一緒になって猫を解体する、ことしはたまたまねずみ年に当たりますので、恐らくそういうことをやる年ではないかというふうに考えております。(拍手)
  56. 上原康助

    上原委員長 ありがとうございました。     ―――――――――――――
  57. 上原康助

    上原委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。五十嵐ふみひこ君。
  58. 五十嵐ふみひこ

    ○五十嵐(ふ)委員 さきがけの五十嵐ふみひこでございます。ねずみ年でございます。公述人の先生方には、大変貴重なお話をありがとうございます。  私は、この住専問題、税金を入れるべきか入れるべきでないかという話だと、入れるべきでない方がいいに決まっているというのは、みんな同じなんだろうと思いますね。そうじゃなくて、住専を早く処理しないとだめなんだ、住専問題を。早く処理するには、関係当事者の合意が要る。合意をやるには、その間責任が一番重かった大蔵省のチョンボがあるので、そのチョンボ料を払わなければ合意ができない、こういうことなんだろうと思いますね。ですから、入れるべきかどうかという議論をしていくと、必ずそれは入れるべきでないという話になるわけで、それは国民共通の話題なんだろうと思います。  そこで、問題をもっとえぐっていかないといけない。  まず、日本金融システム全般をやはり反省していかなければいけないということなんだろうと思いますが、植田先生にまずお伺いをしたいと思うのですが、先生の「変革期の金融システム」という御本を拝読をいたしますと、日本金融システムはもう国際競争力を失いつつあるのだということが、種々そういう御指摘があったかと思います。規制が多過ぎて、もともと緊急避難的なシステムであったのを継続してきたために、どうも時代の変化、特に僕はWTO条約というのは非常に重視しているのですが、あのWTO条約の批准から、明らかに我が国金融、サービス、財、物、すべての面で国際競争の中に裸で入っていかなければいけない、あるいは裸で乗り込まれるという状態に入ったわけですから、その中にあって、日本だけが行政と密着して、癒着して守られるという姿ではとても競争力を持てないのではないかということを思っているわけです。  その辺のところ、今の日本金融システム、一見強そうに見えて、もう強そうに見えなくなってきたところですけれども、実態はどうなのかということを植田先生からお伺いをしたいと思います。
  59. 植田和男

    ○植田公述人 日本金融システムあるいは金融業国際競争力が落ちているということは、私も同じ認識を持っておりまして、ある意味では非常に深刻な状況にあると思います。  例えば、一昨年中国の十二の国営企業が資金調達を国際市場でしたわけですが、十二の企業のうち、八つが香港マーケットを使い、四つがニューヨーク・マーケットを使った。日本のマーケットを使ったものはゼロであります。主幹事として入れたのは、日本からは大和証券一社で、ほとんど残りは米系の投資銀行であるというようなのが例でありますが、非常にゆゆしい状況にあるというのは確かであります。  この根本的な原因としまして、先ほど私の話でも申し上げ、今五十嵐議員の話にもありましたが、自己責任原則で自分でリスクをとるという経営姿勢がもう一つ不足していた。何らかの場合には、政府がリスクをとってくれるということが多かったのではないか。しかも、最近の金融業の技術革新の多くが、リスクを商売にするというところで起こっております。デリバティブ等はそういう商品であります。したがって、リスクにやや鈍感な日本金融機関がそういうところでの商売の競争力が落ちてきたということにつながるのではないかと思います。  そこで、私も申し上げましたように、もう少し自己責任原則、リスクに敏感に対応できるようなシステム、そして金融業の自己責任を追及するようなシステムへの移行が必要であるということではないかと思います。
  60. 五十嵐ふみひこ

    ○五十嵐(ふ)委員 ありがとうございます。  そのとおりなんですね。デリバティブでも日本はとにかく百戦百敗ですよ。私が金融業界にいる友人に聞いても、もう負けっ放しだ、大蔵省と今一緒にやっているけれども、同じ船に乗っていると確かに居心地がいい、居心地がいいけれども泥船だということはわかっている、すべての金融機関の経営部門にいる人たちはみんなそう言います、泥船なんだと。だけれども、これに逆らうと意地悪されるから逆らえないんだという形で、泥船とわかりながら一緒に行っているというのが今の実態なんだろうと思います。  そして、今中国の例を植田先生挙げられましたけれども、ヨーロッパでも負けに負けているわけですね。全くかなわないのです。これが、裸でこれから競争していかなければいけないわけですから、これを早く変えていかなければいけない。  リスクに鈍感だというお話がありましたけれども、まさにリスクに鈍感。今までは、土地の含み益、値上がり益に頼っていたから鈍感でよかったんです。しかし、それがなくなったから今深刻に日本金融機関の弱点がもろに出てきた、これが今の状態なんだろうと思います。そして、その含み益に頼る金融業経営というのをやらせてきたのは、大蔵省金融業界をかわいがりたいという体質がもたらしたものだと思います。  財部先生も、実は「金融改革はこうなる」という御本がございまして、読むと、大蔵省金融行政は省益優先だ、省益イコール国益と少なくとも錯覚しているんじゃないか、そういう趣旨の内容だと私は承知しているわけですけれども、また、大蔵省のキャリア官僚は政治の領域に足を踏み込んでいるという意識がおありだと承知しています。こういうことを続けていればモラルハザードが起きるのは当たり前だ、私はそう思っておるわけですけれども、その観点でのお話をお伺いをしたいと思います。
  61. 財部誠一

    ○財部公述人 今、先生おっしゃられたとおりだと思います。  ただ、私は一つおもしろい変化の予兆というのを感じていまして、実は、大和銀行事件がありまして、大和銀行がアメリカからの全面撤退という結論が出た直後に住専処理の話が出まして、そのときに銀行側から法的処理も辞さないという言葉が出たのは、これはそれっきりで終わってしまった話なんですが、それでも、大蔵省のもとで今までぐっと抑えられてきた銀行界が、一応面と向かって法的処理も辞さないと言えたということ自体は、私は、銀行自身ももうその限界を超えてしまったという認識を持ったのかなということでは、その大和銀行事件という不幸な事件が、不幸の中でも幸いな一つのものになっておるのかなという気はしております。
  62. 五十嵐ふみひこ

    ○五十嵐(ふ)委員 そうなんですね。大蔵の後をくっついていけば間違いないと思っていた神話がガラガラと崩れた、これが大和銀行ニューヨーク支店の事件なんだろうと思います。  これはまた、大蔵官僚のモラルハザードでもあるのですね。その間に、七月の下旬に五百億円もの社債を大和銀行は発行している。これは明らかに、逆の意味でのインナー取引ですね。私は問題があると思います。これをディスクローズしていれば、いい条件で、大和銀行が望むような条件では発行できなかったはずでありますから、これはアメリカのみならず世界の常識では許されざる犯罪的行為。それを大蔵省が指導して行った、隠したということについては、やはりこれは厳しく指弾をされてしかるべきだ。しかも、にもかかわらず、追放まで至るだろうということを予想できなかったというところに、日本の官僚機構の鈍感さといいますか、それがあるのだろうと思います。  それで、どういう金融システムを新たに構築をしていかなければいけないかというのは、目標ははっきりしていると思うのですが、宮尾先生に御専門のところをお伺いをしたいと思うのです。  まず、日本金融政策なんですが、どうも日銀が大蔵省の植民地になっていて独立性がない、哀れな日銀という感じが私はするわけでございます。国際的にも、日本の日銀は中央銀行の地位を与えられていないのではないかという疑問を持っておりますが、その点について宮尾先生のお話を伺いたいと思います。
  63. 宮尾尊弘

    ○宮尾公述人 全くそのとおりだというふうに思います。  例えば、よくアメリカの例を引きますが、アメリカとの差は明らかですね。アメリカは、FRB、今回の大和銀行に象徴されるように、あれだけの大きな権限を持っている。それに対応したのは日本大蔵省だったわけです。本来あれは日銀が対応すべき問題であるのが、日銀と大蔵省がそれぞれ監査とか考査をしてやる。まあよく大蔵省日銀局と言われているようですが、そのような状態。  ヨーロッパはどうか。これも、例えばドイツの場合なんかはブンデスバンク、ドイツの連銀が非常に強力な独立性を持って、やはり当時異常なインフレを招いたことに対する反省もあって、これは独立させてきちんと見守らなければいけないということで、各国、三十年、四十年、五十年の苦汁をなめてそのような制度ができ上がっておるわけです。ですから、日本もやはり日銀をこの際独立させる。  今回の議論で割と盲点になっておりますのが日銀であって、これはまあ日銀がこういう議論に余り自分自身積極的に参加しない方がいいというもしかしたら思惑があるからかもしれませんが、やはり大蔵行政が問題になっている暁には、日銀法の改正、日銀がかなりの金融行政の責務を負う、そしてそれでカバーできないところ、日銀が行き過ぎるところをどう工夫するかということを議論すべきである。例えば、預金保険機構のようなものもその周りに整備するというようなことを考えるべきだというふうに思います。
  64. 五十嵐ふみひこ

    ○五十嵐(ふ)委員 諸先生がおっしゃるように、まず日本金融行政というのは、殖産興業、明治時代から早く産業を強くしなきゃいけないという観点から国策として金融を守った。それは、今の銀行法も日銀法も恐らく戦時立法に立脚をしている。形は少し変わってきていますけれども、根本は変わっていない。そして、戦後も早く復興しなきゃいけないという形で、やはり国が手とり足とり金融の面倒を見ていかないと国がもとに戻らないという形できたのだろうと思いますね。  それは明らかに保護行政なのですね。業界を手とり足とり指導していくということで、日本においては全く自己責任原則ということが働いてこなかった。自己責任原則を働かせていくならば、これは保護する巨大な行政機構というのは要らないのですね。ほんの小さなシステム管理というか、そういった企画面の分野だけ置けばいいわけです。あとは監視をし、検査をし、監督をするという機構が強くなればいいのですが、そっちの方は発達してこなかった。そして、保護する方の大蔵省が、そのほか予算とか税務とか強大な権限を持っているために保護色ばかり強くなってきて護送船団方式が生まれたということなんだろうと思います。  そこで、今大蔵省の分割論というのがあるいは解体論というのが大変外国からも注目をされているというところでございますけれども、宮尾先生の御著書によりますと、やはり政策決定機構に構造的な欠陥があるのだということでありまして、大蔵省が強過ぎる、強過ぎる上に逆に政治家を使っていて政治世界に足を踏み込んでいる、これをばらしていかないと、国全体の保護システム、管理監督している業界をそれぞれ縦割り省庁が保護していくという形が崩れていかない、官庁の中の三様であるまず大蔵省にメスを入れなければいけないというお考えかと思いますが、先生の御著書には、予算庁、財務庁、それから日銀の独立的なものと金融委員会、証券取引委員会といった金融財政に関する構想がおありになるようでございますが、このところをもう少し詳しくお教えをいただけませんでしょうか。
  65. 宮尾尊弘

    ○宮尾公述人 これは先ほどのお話でも多少触れた点ですが、基本的な考え方は、先ほど強調いたしましたように、大蔵省の中で全く異質なものが混在をしていて、その混在が単なる混在ではなくて、人脈とか考え方とかスタイルによってお互いにマイナスの面を出しているのが今の日本の現状であって、それが財政面でも金融面でももはや大蔵省がコントロールできない状態にまで立ち至ったというような状況にあるというふうに思います。  したがって、改革の方向は明らかですので、それぞれ分けて、政治的決断が必要なものはなるべく政治決断に近い方向に持っていく、市場に即したものはなるべく市場に近い方向に持っていくという原則で具体的なことを考えますと、当面、予算については内閣の方に移転するということが一番明確に出てまいります。それから、金融の方はできるだけ自己責任、もちろん競争原理に任せますが、しかし、金融政策という点では日銀が責任を持っておりますので、それにかかわる金融の検査その他のものはなるべく日銀の周辺に集めるという両端ははっきりわかっております。  しかし、中間的なところが実はこれからもっと議論を詰めるべきところで、例えば財投をどうするかというような問題は両方にかかわるわけですね。国債の発行、これはプレーヤーとしての大蔵省という側面があるわけですけれども、ここが実はかなり難しい点で、ここが利益相反も起こる。自分がプレーヤーであると同時に、アンパイアでもあるし、マネジャーでもある。ここに非常に不透明なものがあって、しかも財投は予算の方では第二の予算として非常な裁量権も持っている。ここが実は伏魔殿と言われるようなところですね。ここにも踏み込まないといけない。  しかし、市場的な側面と政策決定の側面とがまさに重なっていますから、この辺に早く踏み込んできれいに、市場に即したものは市場に即する。例えば特殊法人の問題というものの中にも、政策的に一般財源でやるべきものは一般財源でやる。それから、もしも資産金融などによって証券化して、証券を発行して自己調達できるような部門、公団公社があればそこは自分でやらせるあるいは民営化するというような方法にできるかもしれません。また、郵貯の問題、その問題も今度は入り口の問題として議論をすべきである。そのようにこれから具体的なことを検討していくべきだという段階でございます。  ただ、大枠は今言いました予算庁、それから主税の方も税の企画の方はなるべく内閣の方に移す、そして金融と証券というものはそれぞれの専門的な委員会あるいは日銀の近く、そして、それでも残る問題は財務庁、あるいは私は冗談半分に小蔵庁と呼んでいるのですが、大蔵省は庁に落として小蔵庁にしろと、小蔵庁という形でもしかしたら日本の中に残るかもしれませんが、そのような大ざっぱな区画は考えております。
  66. 五十嵐ふみひこ

    ○五十嵐(ふ)委員 私も、先生のそのお考えには賛成でございます。  特に財投の問題というのは非常に深刻だと思います。これはやはり民間との金融の分野の仕分けの問題がありますし、民間の圧迫ということがありますし、また財政の硬直化につながってくるわけですね。どうしたって、これは目に見えない形で利子補給だとかいろいろな形で財投が膨らめば膨らむほど一般財源も投入せざるを得なくなってくるわけですから、これはやがてあるところへ来たらばたっと全体が倒れてしまうということになりかねないのだろうと思います。  ただ、これを一挙に余り戦線を拡大しますと、肝心の大蔵省改革というものができなくなってくるのじゃないかなということを僕は心配をしております。戦線拡大論がもう既に大蔵省の中で出ているようですから。  それと同時に、大蔵省側から今出ているのが焼け太り論でございまして、焼け太りになりかねないから大蔵省については改革しなくていいんだという論議が出てきているのですね。これは僕は本末転倒だと思うのですね。しかも、大蔵省自身が焼け太りするぞと言っているわけですから、これにおどされて本当の議論がなくなるというようなことがあってはいけないのだろうと思います。焼け太りをさせない方法は、それこそ幾らでもあるのだろうと思います。  それから、金融に関して申しますと、私は幾つかの案があるのですが、日銀に相応の力を持たせるというのはそのとおりだろうと思います。それから、内閣にごく小さくした企画部門を持っていくという案もあると思います。それから、監視機能については今のようなSECではなくて本格的な日本版のSECですね。これは強制権限を持つようなSECも必要ですし、FDICというものですね。預金保険機構を公社化して、ここにかなり強い権限を持たせればいいかな、できればこれも独立した三条委員会、国家行政組織法の中で国家公安委員会と公害等調整委員会と公取委と三つの三条委員会がありますが、同じような三条委員会をつくって、これは金融に関する検察だ。そしてまた、ここに加盟しないと場合によっては預金保険の恩恵にあずかれないといういわゆるクローズドショップ的なことをすれば、かなりこういう面では透明性が高まって、自己責任原則が確立てきるのではないかなということも考えているわけでございます。  こういった考え方を一応持っているわけですが、こうした大蔵省改革について、それぞれ三人の先生方から、どんなものだろうかということを、御感想を伺いたいと思います。
  67. 植田和男

    ○植田公述人 これは大変難しい問題でありまして、慎重な検討を要すると思いますが、私のとりあえずの反応は次のようなものであります。  財政金融が一体でやられているということから、もちろんメリットは場合によってはあると思いますが、ある種の利益相反が発生している。したがって、それを分けるということによってよりすっきりとした行政が可能となるという案には筋があると思います。したがって、その案はまず検討に値するというふうに思います。  二番目に、金融行政だけをとってみますと、単に力を弱めるとか、そういう観点からだけ大蔵省の再編を考えるということは将来マイナスになる可能性もありますので、経済原則にのっとってどういう、例えば金融庁が望ましいかということを考えるべきかと思います。  その際、二つあるいは三つのポイントがあると思いますが、第一に、現在例えば銀行、証券、国金というふうに大蔵省の中は分かれているわけですが、これが金融取引の実態に合わなくなってきているということで、その三つがそっくり残るとしましても、その中での再編が大きく必要になるということかと思います。  第二に、これは焼け太り論に若干なりますが、その他の省庁にある金融機能、これの再編も、全部をまとめて一つの金融庁にするかどうかは別にしまして、まあ二つ、三つに分けてもいいかとは思いますが、全体をもう一回再編して金融業の実態に合わせた金融行政に進むということは必要かと思います。  最後に、マーケットは行政の先を走ってどんどん、特に国際的な部分ですが、進んでおります。役所のそれに関するノウハウが非常に足りない、時代におくれているということが大きな問題ではないかというふうに思います。したがって、もちろん役所の内部でそういう、例えばデリバティブ等について知識の豊富な役人を養成するということも必要でありますが、場合によっては外部から役所にそういうノウハウを注入する。現在でも、例えば課長補佐以下くらいのところではかなりやられていますが、もう少し責任のあるポジションに、場合によってはパラシュート的に外から専門家を呼んできて行政に当たらせるということも考えてもいいのではないかというふうに思います。
  68. 財部誠一

    ○財部公述人 私は、結論から申しますと、やはり今このタイミングをとらえて大蔵省組織を考え直すというのが必要だろうと思っています。あるべき形としては、私は、例えば財政省と金融省といったような、いわゆる財政当局と金融当局という二つの顔を分けるというのが一つあろうかと考えています。  その理由なんですけれども、それは、何も一連の住専なりあるいは銀行倒産劇で大蔵が失敗したからその罰として解体するというのではなくて、私も、今植田先生がおっしゃいましたが、実は理由が二つございまして、理由の一つは利益相反です。金融当局と財政当局とが同じ組織におりますと、やはりどうしても利益相反が起こってくる。  例えば、銀行が償却を一気に進めて赤字決算をするということが、どうも税収が減っている主税局を大変おもんばかる余りそういう政策がとれない。あるいはまた逆に、では税金を住専処理で使うといったときに、銀行局の身内の失敗を、まあ主計局がとらざるを得ないというふうな、ここの両方で利益相反が起こっているというところを考えると、やはり分けたいなというのが一つです。  それからもう一つは、これは一言で言うと経営指南行政というか、もう少し言いますと素人行政からの脱皮。つまり、大蔵省組織を見ますと、財政当局というのは、実は主計局にしても主税局にしても、これは日本の最高のエキスパーティーズを持った組織なんですね。それは、大蔵省の外に予算をつくれる組織は一つもない。税法をつくれる組織もない。ところが一方で、金融はどうかといいますと、これはプロが全部外にいまして、民間業者がプロ、アマチュアが官僚、ここが非常におかしな話になるところでありまして、そうしますと、人事政策上、いかにプロを育てるかというと、一年、二年でどんどんかわっていくのでは不可能なんですね。そうしますと、人事政策も抜本的にプロを育てる人事政策とすると、やはり同じ組織では無理があるだろうというその二つから考えまして、やはり分けた方がいい。  私は、冒頭、財政省と金融省と、省と申し上げましたのは、やはり完全に分割しない限り焼け太りということはあり得ますし、またせっかく分ける意味が半減してしまう、そういうことでその二つに分けるのがよかろうと考えています。
  69. 宮尾尊弘

    ○宮尾公述人 私は、既に私の考えをある程度申し上げましたので、それを繰り返すことは避けて、もう少し戦略論、どうしたらいいかということに踏み込みたいと思います。  私がさっき比喩的に申し上げましたように、どうやってネズミが猫に鈴をつけるかという問題ですが、これはこのままこの場で議論して終わってしまってはまたしりすぼみになってしまいます。この問題の指摘がやはり海外発で出てきたということを認識することが非常に重要で、実は今アメリカ議会の会計検査院、GAOですが、これが日本金融大蔵省、日銀の銀行監督に対する報告書を作成中でございまして、これを来年の五月ぐらいに議会に出すわけです。それは、当然日本の国内のこのような議論もフォローされているはずです。  ですから、実はその意味での大変な外圧がかかっておりまして、それはいい意味でも悪い意味でも我々はそれを念頭に置いて、そしてアメリカの議会に対応するのはこの国会でございますから、国会の主導でそういう専門的な委員も招きながら、しかもなるべく海外の専門家を招いて、大蔵省がどうあるべきかという議論をやはりすべきではないか。  例えば、私のいつも懇意にしておりますディビッド・アトキンソンさん、アリシア小川さんとか、そういう日本にいらっしゃる外国人アナリストの方というのは非常に大蔵省に対して批判的でありますが、そういう方々は、実は昨年の六月にアメリカのFRBと財務省の高官がひそかに日本に参りまして、アメリカ大使館にヘッドクオーターを構えて聞き取り調査をしたときに、率先して意見を述べた外国人アナリストの代表でございます。彼らがその後、アメリカの大和銀行の問題で、アメリカの議会で再び行って議論を重ねているわけです。  ですから、そのような専門家を招く、内外に透明な形でこの大蔵の解体もやっていくような場を、議会の主導で、国会の主導でつくっていただいて、そして、ぜひこの問題を年内に解体に持っていく。そうすると、初めてユーロマネーのあの予測が当たるということになるのではないかというふうに思っております。
  70. 五十嵐ふみひこ

    ○五十嵐(ふ)委員 くしくもお立場の違う三人の先生方が、一様にやはり大蔵省については見直しが必要ではないかという点では一致していると思うのですね。  私の方も、最初に組織分割論ありきではなくて、これはシステムの再生を考えていくなら、あるいは時代への対応を考えてくれば、これは必然的にそうなっていかざるを得ないのだ。また、システム全体を変えていくのだ、保護する行政から監視をし自己責任原則を確立する行政へ変えていかなければいけない。そういう意味では法律も、日銀法あるいは銀行法も変えていかなければいけないのだろう、私はそう思っております。  それからもう一つ、この住専問題で出てくるのは、農業系の系統金融の問題でございますけれども、私は、今回の住専問題ではっきりしてきたのは、やはり本来に戻っていただきたい、相互扶助組織に戻っていただきたいな、やはり農業系統は普通の金融機関として働くにはやはり無理があるんだなというふうに思っているところなんですが、系統金融機関の位置づけについてお話を伺いたいと思います。やはり三先生方から短くお伺いをしたいと思います。
  71. 植田和男

    ○植田公述人 先ほど申し上げましたように、さまざまな省庁に散らばっている金融行政を場合によっては一本化した方がいいという立場から申し上げますと、農林系も含めまして、信用組合、あるいは場合によっては郵貯も入ってくる話になるかと思いますが、これが本来の金融機関としてある程度営業していくということであれば、一本化された行政機構の中で整合的な監視を受けるということが望ましいかと思います。  そうでない場合は、若干公的な色彩がある機関ですので、おっしゃいましたように、場合によっては低所得者層、預金残高の少ない方々向けのサービスを提供するという役割に徹すべきである。そのどちらかではないかというふうに思います。
  72. 財部誠一

    ○財部公述人 これはなかなか難しい問題だと思っていまして、一般的によく言われておるように、仮に信連という組織を改めて、農林中金にあるいは単協にというふうに二つに分けるということをよく言われておりますけれども、それは一つの選択肢だとは思います。  ただ、一番のポイントは、お金を受け入れた後にいかに運用するかというその運用のノウハウがどこまで持てるのかということが、今後、これはもう農協系金融機関に限らず、一般の銀行その他の金融機関についても全部言えると思うのですね。  ですから、お金を預かってどう運用するかというその運用の能力をどうはかって、あるいはそこでルールを定めて、どういうふうな事態になったらすぐ業務停止とか、あるいは預金と決済の業務はあるけれども、それ以上の、新しいディーリングをするとか新しく融資をするというのはとめる、そういうルールづくりというのがまずあってしかるべきなのかなというふうに私は考えています。
  73. 宮尾尊弘

    ○宮尾公述人 また再びちょっと戦略論的になって恐縮なのですが、また初めの話にちょっと戻るようなのですが、私は、今回の問題を、大蔵省の中の銀行行政が問題だからというふうに問題を特定化して、小さくして、その延長線上でほかの金融問題もというふうにやっていくのは、出口がないと思います。そういうものはある程度議論はできますけれども、全然実際的に意味を持たないというふうに思います。  したがって、私は、これは戦略論的には、むしろ大蔵省の解体ができるぐらい強い政治的な決定ができる機構、主体ができて初めてほかの省庁の政策が変えられる、農水省の政策、郵政省の政策。そのように、実は上から政治主導でそれぞれの省庁のあり方を、解体し、改革していく今回が第一歩である。それが第二歩、第三歩のときに初めて本来の農政のあり方や郵貯、情報産業あり方というものが見直されていく。その主体ができるかどうかが実は今一番問われているのであって、その意味では、本来の大蔵省解体論そのものが本質の問題というよりは、そういうものができるかどうかという政治的な、政治的決定機構の体制づくりが問われているんだというふうに考えております。
  74. 五十嵐ふみひこ

    ○五十嵐(ふ)委員 宮尾先生から大変おしかりをいただいた、まさにそのとおりなんだろうと思いますね。政と官の問題、だれがどういう政策をどこで決定をしているのかというのがどうも明確でなく、そして最終的にはそれは政治家に帰せられるべきものだろうと思います。  そういう意味で、私どもは、まず内閣が実質的に重要政策を決定するという仕組みを日本に確立するということが先なんだろうと思います。ですから、内閣法を改正して官邸機能を強化する。  それから、単なる役人いじめになってはいけませんから、公務員法を改正して公務員のライフスタイルを変えてやる。勇気があって、日本全体のために提案ができる、仕事ができる人はどんどん先輩を追い越して引き上げてあげられる、あるいは場合によっては六十過ぎまでも働けるというような仕組みに変えてやらないと、今の仕組みの中ではどうしたって後輩が天下り先を探してやらなきゃいけない。そして、そのために行政がゆがめられるということが起きてしまうわけです。そうしたことがないようにするためには政治家がまずしっかりしていかなければいけないし、政治責任があるんだということを私も反省を込めてお話をさせていただいて、また先生方のきょうの貴重なお話に感謝を申し上げて、私の質問とさせていただきます。  ありがとうございました。
  75. 上原康助

    上原委員長 これにて五十嵐君の質疑は終了いたしました。  次に、山口那津男君。
  76. 山口那津男

    山口(那)委員 公述人の先生方には貴重な御意見の陳述を賜りまして、本当にありがとうございます。私の方から、皆様の御意見に対していろいろまた御質問をさせていただきたいと思います。  まず初めに、財部公述人にお伺いいたします。  この政府の示した住専処理案、これに対する評価はさまざまでありますが、きのうきょうの公述人の皆様の意見の中には、G7でも高い評価を得ているとか、あるいはでき上がったスキームをここで変更することは海外の信頼を裏切ることになる、このような御意見も見られたところであります。しかし本当にそうなのかどうか、これは私は得心がいっておりません。大ざっぱなことを申し上げますと、国内の評価とそれから国際的な評価というのは次元が別でありまして、大きな違いがあるように思われます。  その政府のスキームに対する国際社会の評価というものは、これがベストだ、こう言っているのか、それともほかに幾つかの選択肢が示されればそれはほかの判断もあり得るのかどうか、この辺について先生の御意見を承りたいと思います。
  77. 財部誠一

    ○財部公述人 非常に象徴的な話としまして、宮尾先生も先ほどお話しされていましたけれども、ジャパン・プレミアムというものがなくなった、住専処理案を発表したと同時に消えたというお話がございますが、実は正確には〇・一、二%はまだ残っておりまして、実際国際金融の場で働いている金融マンに話を聞くと、〇・一、二%は随分かたい、これは底がたいなというのが金融マンの正直な答えです。  ジャパン・プレミアムが減った理由というのは、実は金利のグラフと並べてみると、物の見事に金利の上り下がりとジャパン・プレミアムの上り下がりというのは一緒なのですね。つまり、金利が下がってきたからジャパン・プレミアムが下がってきたというのはやはり否定できない部分としてはあると思います。  ただ、では住専処理案は全く海外で評価されてなかったのかといいますと、そうではなくて、公的資金を使ってでも住専処理するという意思決定というのは、これは間違いなく海外で評価をされました。  ただ、では今掲げているスキームを変更したらこれで国際的な公約違反になってマーケットが下がるとかそういうマイナスの方向に動くのかといいますと、私はそうは思えません。  むしろ、実際にきょう私は参る前に証券会社のディーラーであるとかあるいは銀行でディーリングをやっている人たちにも話を随分聞いてきたのですけれども、ほとんどの方が言っておられるのは、今まで処理をしてこなかったところが新しく具体的に処理を始めたというところでの評価はまず高い、これはあるわけです。しかし、中身について評価をしているというわけではないのです。  というのは、住専処理案というのが、一次損失とか二次損失とか、これはほとんど海外では理解されていません。それで、これはなかなか難しくて国内でもわからないのと同じように、海外ではもっとわからない。あるいは法的処理がなぜいけないのかというのは欧米の各国ではさらにわからないというふうになっておりまして、そういう意味では、始めるというところでは評価があった。  しかし、ではその中身についてマイナーチェンジをする、あるいは一部分の解決ではなくて不良債権問題全体を解決するスキームに話を置きかえていくんだということになれば、これはさらに評価が何倍も高まるということは、私は間違いないというふうに思っております。
  78. 山口那津男

    山口(那)委員 今私たちがこの国会で議論をして求めている終着点というのは、やはり我が国処理スキームというものが、国際社会からも、また国内からもともに満足される、高い評価を受ける、こういうことでありますが、残念ながら政府案はギャップがあり過ぎるわけであります。そこで、国際社会が一応の評価はしている、しかしべストかどうかはわからない、他の選択肢に対する評価も同等以上にあり得るかもしれない、こういう財部公述人の御意見でありました。  そこでさらに、今度はお三方に同じ質問をいたしますけれども、国際社会は一体何を求めているのか。それは、細かい処理スキームの内容ではなくて、例えばこの不良債権全体、今回の住専ばかりではなくて、残余にも相当隠れた不良債権があると言われております。政府が認知しているものはそのうちの多分一部であろう、こういう言われ方もされているわけですね。そうしますと、この不良債権のこれからの処理に対するいわば予測の可能性がつくこととか、あるいは海外からの投資その他が彼らの満足のいくように処理されるというようなこととか、どの点に最低限の条件というものを求めているのか。質問の趣旨がうまく伝わっているかどうかわかりませんが、この点をそれぞれお三方に御意見を伺いたいと思います。では、まず植田公述人から。
  79. 植田和男

    ○植田公述人 お答えします。  幾つかあると思いますが、私の考えでは、もちろんまず第一に、不良債権問題全体に大まかな処理がつくというある種の安心感が得られるということが必要かと思います。  しかし、海外ということですので、彼らが気にしておりますのは、どこが総体的に健全な銀行で、どこが総体的に危ない銀行かというのがはっきりするということかと思います。すなわち、ディスクロージャーの程度等が非常に低い。まあ改善されてきていますが、低い。  そして、先ほどからも申し上げておりますように、悪い銀行の処理に、場合によっては不透明な手段でよい銀行へ広い意味での税が使われるというようなことから、よい銀行がどこであるのかはっきりしない。あるいは、ある程度はっきりしてきても、本当に長期的に生き残っていけるのかどうかはっきりしていない。こういうことが、非常な不安感を日本金融システムに対して与えているのではないかというふうに思います。その点が非常に重要かと思います。
  80. 財部誠一

    ○財部公述人 私は、一言で申しますと、やはりルールの国際化ということになるのかなというふうに思います。  といいますのは、実は昨年大和銀行が米国からの全面撤退という判断を下されたちょうどその日に、私はニューヨークからワシントンと取材をする機会があったのですけれども、やはり行ってみて非常に強く感じるのは、あの大和銀行の事件が起こったときに、アメリカの社会が日本に一番強く求めていたのは国際ルール、みんながわかっていて、みんながそのルールに従えばみんなが了解を得られるというルールがあるのだからそれに従ってくれという、ここが一番大きかったのではないかという気がします。  あの当時は確かに、うそをついたからいけないとか、英語ではカバーアップという、次から次へと意図的に隠していくということが非常に罪深く問われたというふうな報道が強く出ましたけれども、しかしそのもう一歩奥に立ち入って考えてみると、ルールの国際化というのは、もう一方で言葉をかえて言いますと、日本流の行政手法といいますか、つまり私は、日本行政手法というのは全く悪い、世界的に見て意味がないとも思わないし、だめとも思っていません。ただ、日本流の行政手法というのは、いい悪いではなくて、まず物事が起こったときに、まずは一体どういう解決策があるのかということを決めて、落としどころが決まってから初めて出す。これは、世の中の混乱を避けるという点では私はなかなか知恵のある方法だと思うのですけれども、ただ国際的な場で起こった事件にこの手法で解決をしようと臨むと全く通用しない。ここが大和銀行事件が残した最大の教訓だったのではないか。  また、今国際社会がどうもよくわからないと言っている、ディスクロージャーという言葉の裏側にある彼らの意図というのは、どうも単に数字を言っているとか言わないとかということではなくて、そういう手法そのもの、ルールがあるのだから国際的なルールに全部標準を合わせてほしい、そういうことなのかなというふうに考えています。
  81. 宮尾尊弘

    ○宮尾公述人 私は、海外がこの問題について見ている見方に、二つのポイントがあると思います。  一つは、既に出ましたように、日本の制度や、特に金融行政あり方というものがおかしいというかなり構造的な長期の問題が一つあります。これは何もここ一、二年始まった問題じゃなくてもうずっと続いておりまして、年々日本に対する批判が強まってきております。大蔵省の問題というのは以前から海外で問題にしていた、そこがここまでひどくなってきたという側面が一つございます。  これに対して、もう一つ次元の違った問題が今あらわれているのが、我々がこれだけの議論をして問題に直面しなければいけない理由になっております。それは、危機管理の問題です。  今は長期的な構造問題、政策問題に加えて、今危機が訪れているという認識が昨年の春から夏にかけて起こりました。当面はその危機感は日本だけだったわけです。日本がこれだけの資産デフレの上に超円高でぎりぎり締めつけられて、その上、もしクリントン政権があのとき自動車交渉で制裁を発動していたら日本は本当にどうなってしまうのだろうか。それであのとき、大蔵省のOBの行天豊雄氏とか、昨日出ました大場氏とか内海氏とかそういうOBが出まして、それで現役の大蔵省の頭をたたき、海外にもルービン長官につないだりしてさまざまな動きがあった結果、危機管理なのだということがアメリカでも認識されたわけです。したがって、アメリカ側は渋々自動車交渉に対する制裁をやめ、しばらく日本を執行猶予に置こうということになって今執行猶予中なのですね。そのために、円も今当面円安にしてもらっているわけです。  ですから、その執行猶予中の危機管理の体制のもとに置かれている。私は敗戦して占領下だという極端なことを言っていますが、その観点からこの問題を考えていく。その解決の基本の筋として、もともとの構造問題を解決する方向に持っていくという視点が非常に必要なわけです。それを、今の危機管理の状況を忘れますと、実は二十年、三十年やってきた議論ですね。いわゆる日本行政そのものはおかしいから、その問題を倒すためには筋を通してどうこうという、はっきり申し上げて悠長な話になります。悠長な話も必要ですが、当面危機管理をどうやって乗り越えるか、乗り越える仕方として、筋を通して長年の問題を解決する方向で危機管理を乗り越えるかという難しい問題に直面しているというふうに私自身は考えております。
  82. 山口那津男

    山口(那)委員 お三方の御意見を伺っておりますと、それぞれ御視点が違っているように思われます。  例えば植田先生ですと、ディスクロージャー、これによって正確な判断ができるようにすること、こういう趣旨と承りましたけれども、残念ながら、現行の制度とそれからその運用状況というものは、我が国金融機関は落第だろうと私は感じます。  また、国際的なルールに合ってない、こうした面でも確かに我が国金融制度が、あるいは行政当局の運営が国際ルールから共通の評価を得られるというところには至っていないだろう、こう思います。  またさらに、宮尾先生のお話で、執行猶予を受けているような状況である、こういうことで、危機管理面からこの刑を受けないで済む、あるいは刑を受け終わったと同じ状態になるというのにももう一歩も二歩も大きな改革が必要ではないか、こう思うわけであります。  そういたしますと、いずれにしても、国際社会から今回の政府のスキームがこれで高い評価を得て変える必要はない、こう言い切れるほどの代物ではないということがお三方の御意見からもはっきりしていると私は思うわけですね。いずれにしても、これからの見通しが立つようなそういうスキームというものをつくり上げるということが最低の条件ではないか、こう思います。  そうした意味では、私は違ったスキームというものも選択肢として複数あり得る話ではないか、そうしたスキームの比べ合い、優劣の議論というものが今まで余りにもなされていなかったのではないか、こう思います。  ところで、財部公述人から貴重な私案をいただきました。これまで政府のスキームに対して明確な試案を持って議論をするということも、これもまた十分にはなされてこなかったところであります。あるいは法的処理に任せるべし、こういう御意見をおっしゃる方はいましたけれども、それで完結できるというものではないわけでありまして、それによって起こってくる、例えば個別の金融機関破綻に対してどう対応するか、最終的には預金者をどう保護するか、こうした視点をも、また具体的なシステムをも提示してこそ、初めて私は対案たり得るものだろうと思うわけであります。そうした意味で、財部公述人のこの私案には極めて敬意を表する次第であります。  そこで、細かい点についてもるるお伺いしたいわけでありますけれども、まず基本的な前提として、政府のスキームの問題点を挙げていらっしゃいました。その中で、この公的資金、特に財政資金を導入するためにはその理由あるいはその額、基準というようなものが明確に定まっているのが望ましい、本来あるべきだろうと思うわけですね。ところが、何のために公的資金が使われるのか、財政資金が使われるのか、これがまずはっきりいたしません。例えば、住専は預金を受け入れる機関ではありません。ですから、これの救済だとするならば、これは預金者を保護するというところにはストレートにはつながっていかないわけでありまして、ここが財政資金投入する理由として一つ不明確だろう、これは先生のおっしゃるとおりだろうと思います。  それからもう一点は、二次損失が確定していない。漠然と二分の一負担ということをもう決めてしまったようでありますけれども、これは最近の議論にもありましたように、今回のスキームを決めるに当たって、昨年八月の時点での評価をもとに数字をはじき出したということであります。しかし、その債権の担保となっている主たる土地の評価額がその後どんどん下がり続けておりまして、この数字というものが、例えば現在の基準点でやり直せば、相当また変わってくるだろうと思われます。それを政府の方では、一次損失処理数字は動かさないで、二次損失拡大するか否か、また債権回収の努力にもよる、こういうことであいまいにしているわけでありますけれども、いずれにしても、この二次損失の額というものを確定しないで損失の割合のみ決めてしまっている。こういったこの財政資金投入の決め方というものに対しては、私は相当外れた決め方であろう、こう思っているわけですね。この点についての御意見をもう一度明快にお伺いしたいと思います。
  83. 財部誠一

    ○財部公述人 やはり公的資金というものを、仮に税金であろうと何であろうと、とにかく公的資金という名のつくものに関しては、最終的に今のこの不良債権問題を本当に解決していくためには、アメリカあるいはイギリスあるいは北欧、日本よりも以前にバブルが起こり、破綻し、不良債権問題を抱えたという各国の例を見ても、全く公的資金の導入なしにこの問題を解決した国はないのですね。それを思うと、大変先行き苦しい部分というのはもちろんあるのですけれども、であればあるほど逆に、その公的資金を使うときには最低限のルールというものを、この原理原則を示さなければ全くそれは国民に対して私は信が問えないというふうに思います。  実は、よく早急に不良債権の問題を片づけなければいけないという議論があって、だから今決まったスキームをいじっていく、あるいは、またここで原理原則をと言っても時間がかかり過ぎる、こういう御批判はありますけれども、実は、経済の実態とか、あるいは特にマーケットですね。株式のマーケットであるとかというところを見ますと、マーケットというのはとてもすばらしいところがございまして、国が本当に不良債権問題の解決に本腰を上げた、抜本的な解決をするに足る原理原則を打ち立てようとしている、あるいは打ち立てたという段階で、マーケットは回復していくのですね。これは間違いございません。マーケットというのは、必ずその現実を先取りして動いていくものですから。  ですから、私は、不良債権問題の解決というのは、全部が全部解決したときに景気がよくなるあるいはマーケットが解決するという認識が実は誤っていると思っていまして、本格的な原理原則が打ち立てられさえずれば、これは早急にマーケットは明るくなるし、景気も回復していく、そういうふうに考えています。  そのためには、まず具体的には、私は、公的資金を使う際の最低限のルールとして、それを投入する先は預金者保護に限定するということはもう最低限のルールだと思います。それから、どういう形であれ、法的処理であれあるいはそうでないにせよ、金額が確定する、確定してから初めて議論ができるわけですね。金額が確定した段階で、だれが払うのか、あるいは足りないのか、どうしても公的資金が要るのかという議論が初めてそこでできるわけですから、この二点です。金額の確定、それから投入する先は預金者の保護のみ、この二つの原則は明快に国として定めてほしいなと思います。
  84. 山口那津男

    山口(那)委員 財部私案によりますと、この住専不良債権処理は法的整理を行う、これは会社更生的な再建型と破産という整理型とどちらも可能性はあるわけでありますけれども、いずれにしても法的整理を行う。そして、それによって生じるかもしれない金融機関破綻状況に対する対応策というのは別なスキームをお立てになる、それは預金者保護という観点から制度化する、こういう二本立てであるように思います。  そこで確認なんですが、この先生のスキームというものは、単に住専不良債権から生じてくるものだけに適用されるものなのか、それとも、そのほかいろいろ言われている不良債権全般の処理についても広く応用のきくそういう制度なのか、この点について確認をしたいと思います。
  85. 財部誠一

    ○財部公述人 これは、先ほどちょっと時間に追われて非常に駆け足でお話ししましたので、非常にわかりにくかったと思うのですけれども、私の考えでいるこの私案と申しますのは、これは住専に限定されたものではなくて、むしろ今後発生する不良債権問題全体に対するスキームというふうにお考えいただきたいと思います。その中で、個別の破綻処理をどうするかというときには、私は、基本は全部法的処理と考えています。ですから、今回の住専についてもその原則に従って法的処理というふうに考えておるわけです。  先ほど言葉が足りなかったのですが、その場合、イメージとしてぜひお持ちいただきたいのは、私の示した私案と申しますのは、不良債権問題をここまで悪化させた一番の原因は、不良債権の償却をひたすら先送りをしてきた銀行にあるということは私は間違いないと思っているのです。ですから、今後の不良債権処理につきましては、オール金融界といいますか、まずそこで全部解決に当たるというのが私のスキームの根本的な思想です。ですから、私二つ、預金者保護法というものをまず立法して、今後五年間は元利金とも預金者は保証されるという手当てをまず一つする、その一方で、預金者保護機構というものをつくって、では破綻していった金融機関をどういうふうに処理していくのか、というよりも破綻した金融機関預金者をどう保護していくかという、その実務を預金者保護機構がやるということを申し上げたのです。  そのときに一番の問題になりますのは、やはり財源です。ここで、どうするかということですべてが決まってくるのですが、私はそれは全部銀行界の中で処理をしていくと考えておりまして、具体的には、まず個々の金融機関破綻をしたときに、その都度必要な資金を、政府保証債を、預金者保護機構と私勝手に名前をつけておるのですけれども、その組織政府保証債を発行する、それで資金調達をして、必要な資金をその破綻した銀行に融資をする、あるいは実際に預金者に対して預金の支払いに応じるための原資とするというふうに考えているわけです。  問題は、その政府保証債の償還の財源をどうするかというところなんですけれども、ここで私は、銀行の特別法人税というものを実はこれは私現段階では仮に二%ぐらいというふうに考えておりまして、それから資産再評価税、これも約二%くらいかと、それに預金保険料の分、それから日銀納付金の分というふうに考えていまして、これは、本当に御参考までにざっくりとした数字をちょっと申し上げてみたいと思います。  例えば資産再評価税というのはどのくらい入るだろうか。これは非常にざつくりした数字で恐縮ですけれども、今主要二十一行の土地の含み益というのは約七兆円というふうに言われております。これに二%税金をかけますと千四百億円。しかし、銀行だけに再評価を認めるというのは非常に公平感を欠きますので一般企業にも認める。そう考えますと、大体ざつくりとその二倍、約三千億円ぐらいの収入というのは考えられます。ただし、これはたった一回の話です。  そうではなくて、毎年毎年入ってくる銀行特別法人税はどのくらいになるだろうか。これは、九五年九月の数字をもとにしますと、当期利益が全国銀行全部で五千億円ございますので、仮に二%としますと半期で百億円、一年で約二百億円という数字になります。また、預金保険料はどのぐらいになるかと申しますと、これは金融制度調査会議論の中に出てきておりますけれども、約二兆円から二兆五千億円ぐらいふえるのではないかというふうに言われていますので、これを仮に五年間で均等に分けても五千億円。それに日銀納付金が幾らか。これも大変幅がある数字なのですけれども、三千億円ぐらいは今の納付金の金額からして可能であろう。  そうしますと、全体で見ますと、初年度は一兆千二百億円、二年度以降は資産再評価税の三千億円を除いた約八千億円が毎年収入として期待ができる。実際は、銀行はかなりこの数年償却を進めていますので、銀行の特別法人税がさらにこれからふえていくというふうに考えられますので、年間八千億円から一兆円くらいの収入というのは十分考えられるのではないか。  そうしますと、これは毎年毎年入ってくるお金ですから、必要に応じて政府の保証債を発行していく中で償還しなければならない負債がふえていくわけですけれども、とにかく最終的に全部完済するまでこれを続けるわけです。そうしますと、直接的な税金の投入というものなしに不良債権の償却が可能になるということが私の試算ではできるというふうに思っております。
  86. 山口那津男

    山口(那)委員 先生の提案されたスキームというのは、政府の案と比べまして大きな特徴がございます。それは、これまでの政府信用組合処理に当たりましても個別にそれぞれのスキームをつくってきたということであります。しかし、今回の先生の御提案は、今後明らかにされるかもしれない不良債権処理全般に通じる制度である、こういう御主張であります。  今国民が不安に思っていることは、今回大きな税金が投入されるという政府の案に対して、二次処理で二分の一負担ということも決めていることも相まって、これから一体不良債権処理等にどれだけの公的資金投入されるのか、それがひいては国民にどういう負担となって返ってくるのか、ここが不明確、不透明である、こういう不安であります。したがいまして、今後のことも見据えたルール、原則というものが打ち立てられるということは一つの大きな前進になろうと思います。  そこで、土地の含み益を利用して一括償却を進めよう、こういうお話でした。つまり資産の再評価をしていく、これについては課税もしてそれを預金者保護の機構に使っていこう、こういう御構想だろうと思います。  しかし、この資産の評価ということはなかなか難しい面もありまして、金融機関のみ含み益を全部吐き出させるという制度をつくるのがいいのかどうかとか、あるいは一部には大和銀行の負債処理に当たっては含み益を実際に換金をして出してこれを処理した、こういうことがありました。ですから、現行法の中で処理をするとすれば、現実にキャッシュフローを伴う益出しをしてやるという方法になるわけですね。先生の御提案ですと、そういうものを伴わないでいわば評価がえだけでやる、こういうお話になるのだろうと思います。  この点についての批判も踏まえた上で、先生の反論も含めて御主張をもう少し明快にお聞かせいただきたいと思います。
  87. 財部誠一

    ○財部公述人 資産再評価と申しますのは、土地の含み益を実際に表に出してその評価益を利用しよう、こういうことになるのですけれども、実は、この資産再評価に対して、今先生の方から御指摘がありましたように、キャッシュフローを伴わないので意味がないのだという御指摘が、これはいろいろな、さまざまなところでそういう御批判を受けるのですけれども、今の不良債権の問題の処理の中で、会計上の処理ができないがゆえに実体が動かない、こういう事実があるわけです。  と申しますのは、非常にわかりやすく申し上げますと、土地の流動化を進めるために国が土地の買い上げ機構をつくったらどうだ、よくこういうアイデアがあるのですけれども、実は、この土地の買い取り機構のアイデアというのはなかなか私は機能しないと思っているのです。それはなぜかと申しますと、買ってくれる人がいないから土地が動かないのではなくて、買ってくれる人が買いたいという値段で売る側が売れないから土地は動かないのです。ここが大問題なんです。  つまり、例えば債権の担保として仮に一億円の担保価値を持った土地があったとします。これが一億円で売れれば何も問題ない。しかし実際は一千万円になってしまっている、あるいは二千万円、あるいは三千万円だ。仮に三千万円ですと、その土地を売りますと七千万円のロスが出てしまう。このロスが嫌だから銀行は処理ができないわけです。  ですから、仮に国が土地の買い取り機構をつくって買うよと言ったときに、三千万円の時価のものを国が三千万円で買うと言ったら土地は絶対に売れません。なぜならみんなロスが出るのが嫌だから売らないわけです。もし国が、いや一億円で買ってあげる、時価三千万円だけれども一億円で買ってあげると言えば、これは売れるわけです。つまり何が問題かといいますと、そこのロスが出てしまうというところが厳しいわけです。つまり、このロスというのは極めてこれは会計上の話なんですね。  ですから、会計の処理にすぎないのだけれども、その会計の処理ができないから実体が動かないという事実に着目をすれば、まず再評価という形で、それはディスクロージャーということにもつながりますから。その銀行が一体どれだけ含み益を持っているのか、土地の資産を持っているのかということが今は明らかになっていないわけです。これもおかしな話で、そういう意味では、そのディスクロージャーを進めるという意味でも資産再評価をして土地の含み益を表に出すというのは意義があると思います。それで、実際に不良債権というのは会計上で見ると含み損ですから、含み損と含み益を相殺するというのは決しておかしな考えではないと思います。
  88. 山口那津男

    山口(那)委員 次に、先生の預金者保護法の構想ですが、これは今後五年以内は預金者を全面的に保護する、こういうことを御主張になっております。これは、昨年の十二月でしたか、金融制度調査会で出された答申と似ている面もあるわけでありますけれども、先生のこの私案と金融制度調査会で答申している内容と、大きな違い、特徴をそれぞれ述べていただければありがたいと思います。
  89. 財部誠一

    ○財部公述人 実は、私の私実は、その金融制度調査会が昨年十二月に出しました答申をやはり当然のことながら踏まえて考えてございます。  ただ、非常に端的に申し上げますと、金融制度調査会の中で示されたものをより透明度を高くしたというのが特徴であろうかと思います。例えば金融制度調査会の中では、いざ金融機関が個別にどんどん破綻したときには関係金融機関負担をする、こういう非常に不明瞭な表現になっています。実際これは、金融制度調査会議論の中ではそこをはっきり定義づけしてほしいということを金融界は随分主張したというふうに聞いています。それが、例えば私の場合はそれを銀行特別法人税という形にするわけです。非常にここはクリアにする。  それから、今後五年以内のある一定期間までは預金者を保護するのだというふうに金融制度調査会の答申は言っておりますけれども、一体だれがどういうふうに判断をして確実にそれは実行されるのかというのがどうもよく明確になっていないわけです。ですから、その点で、私の方はそういうところを預金者保護法という形で立法することによって、だれかれに依存して保護されるのではなくて国の法律で守られるというところはクリアである、そういうふうなところに力点を置いて考えた案になっております。
  90. 山口那津男

    山口(那)委員 植田公述人にお伺いしたいと思います。  先生の御意見ですと、「住専問題への対応」というところで、損失負担はプロラタあるいはせいぜい修正母体行方針だ、こういうことであります。そして、農林系金融機関の一部が危機に陥るならその時点で預金者保護のために公的資金投入するというのが筋である、こういうふうに受け取れるわけでありますけれども、もしこのような方法を進めた場合に、預金者保護のための公的資金投入あり方、具体的なシステム、方法というものは何かお考えでありましょうか。
  91. 植田和男

    ○植田公述人 それは結局、今お話しいただいた内容も含めまして、今詳しくお話のありました預金者保護法を制定するとかそれに関する財源をどういうふうにするかという話と議論のポイントは近くなってまいります。  財源をどういうふうにするかということであれば、結局は私は昨年末に金制が出した案に近くならざるを得ないと思います。すなわち、一部は預金保険制度を活用した金融システム内部での負担、これは先ほどの特別法人税を銀行に課すという話と若干近いわけであります。それで無理な場合は公的資金ということにならざるを得ないと思いますが、その公的資金が幾らになるかということを現在の時点で確定することはほとんど不可能ではないかと思います。  すなわち、もちろん今後の不良債権回収の努力次第でありますが、同時に地価動向等の動き次第でありますので、最初に公的資金の額が幾らになるか決めないと処理が進まないという意見には、私は反対であります。
  92. 山口那津男

    山口(那)委員 もう一点、植田先生に伺います。  住専関連の不良債権のみならず、その他の不良債権処理、残りの不良債権問題も早く整理すべきである、こういう御主張ですが、では、具体的に住専処理も共通した何らかのシステムをつくって整理を急ぐべきだというのか。それとも、今後残りの不良債権の内容をまず明らかにさせて、その上でそれに応じた方法を考えようというのか。または具体的な内容まで、システムまでお考えなのかどうか。この点について御意見を伺いたいと思います。
  93. 植田和男

    ○植田公述人 住専と近いスキームを私は考えたいと思いますが、もちろん明らかな違いは住専が預金を集めている金融機関ではないということでありますが、別にしますと、私の大まかな考えは、現在の時点できちんとした検査、調査をいたしまして、債務超過の金融機関をアイデンティファイいたしまして、それについてはなるべく早い時期に、できれば即刻実質的な閉鎖を命じる。そして、預金者を保護するために、差額分といいますか足りない額は、預金者を保護するというはっきりした目的がありますので、公的資金投入せざるを得ないと思います。  そして、不良債権回収に当たりましては、いろいろな銀行あるいは住専等から出てきます不良債権の回収を別々にやりますと効率が悪いということがありますので、そちらは何らかの共通の仕組み、協力し合って一括してやるという仕組みをつくって不良債権回収をなるべくたくさん進めるということが可能ではないかと思います。
  94. 山口那津男

    山口(那)委員 植田先生と財部先生のお考えを伺っておりますと、いずれにしても、住専不良債権に限ったスキームをつくったとしても、しかしその後の不良債権処理でまた大きな問題に突き当たる、したがってこれは共通の解決のスキームをつくることの方がむしろ金融不安に対する信頼の回復、安定というものに寄与する、こういうことになるのではないかと私は思うのですね。  そうした意味で、今この政府提案に賛同すべきかどうか、これは意見の分かれるところでありましょうけれども、しかし、住専の問題については法的整理を進める、その上で今後の不良債権も含めた共通の救済制度、預金者保護制度というものは別途もう少し制度の有効性等ももんでつくり上げる、こういうことを同時並行でやっていって、そしてなるべく近い将来に全体の構想というものが明らかにされた方が、国内及び国際社会を説得するにはそちらのやり方の方が妥当ではないか、今お伺いしていて私はこう思うわけであります。ですから、近視眼的に住専処理一山越えた、こういうことではなくて対応すべきであろうと思います。  仮に政府案のスキームを採用したとしても、昨日清水公述人が述べられましたように、法的整理で当面会社更生手続を開始して、そして住専の再建案なり財産の保全なりあるいは過去の責任追及なり、こういうものに早く着手した方が住専の問題の対応という面では早くスタートできる。いずれ会社更生でスタートした場合には再建案というものをつくり上げて裁判所の認可をとるわけでありますけれども、その間、政府案でスタートしたよりも会社更生でスタートした方が当面の財産保全や全容の解明について明らかになるだろう、早いであろうということを御主張されていただろうと思うのですね。  ですから、私はここで、これから我々が模索すべきは、住専の問題については法的整理、特に会社更生、これは最終的には整理の方向へいくということも当然考えた上での話でありますけれども、こちらでスタートをして、そしてまた不良債権全体の処理スキームというものをいち早く確立する、こういうことを検討すべきではないかと思うわけであります。この点について、結論的な感想でも結構ですので、三人の先生方にお一言ずつコメントをいただきたいと思います。
  95. 植田和男

    ○植田公述人 住専以外の処理案につきましては、私の理解するところでは、住専政府案が通りました直後に政府の方から法律が出てまいりまして、どういう形で処理するかという議論が始まるのだと思いますが、そこで出てくる案は、資金調達に資産再評価の部分を使うかどうかという点を、あるいは預金保護を法律できちんと明示するかどうかを別にしますと、財部公述人のおっしゃったのにかなり近い話ではないかと思います。ただ、完全な法律的な措置ではなくて、ある程度政府あるいは役所が司法手続に近いものを開始できる、それで代替するというところはちょっと違いますが、大筋では似ているのではないかというふうに思います。  それでは、同じような話を住専にやはり適用した方がいいかどうかということでありますが、先ほど申し上げましたように、その方が筋が通るという面がありますが、現実問題として本当に筋が通る案が短期間に提出できるかどうかという問題があります。それから、ほかの金融機関がぽつぽつとつぶれるというのに比べますと、例えば農林系の多数の金融機関が同時に処理を必要とする事態になる、あるいは中小金融機関にそういう大量の問題が発生するという場合に対応が追いつかない可能性もあるというようなことで、住専については特別の処理を、若干不透明という批判を受けつつも政府は提出してきているのだと思いますが、それについて私は賛成か反対かというのは、先ほど申し上げたとおり、非常に消極的に賛成ということであります。
  96. 財部誠一

    ○財部公述人 私は、今の不良債権問題全体に対する問題解決の道筋をつけるということの意義というのをやはり考えたいと思っています。  それは、今日本経済は、いろいろな意味で物すごい経済構造改革というものがさまざまな局面であるいは場面で求められているわけです。しかし、抜本的に構造改革をするというのはなかなか難しい。その意味では、今日の前にある不良債権問題というものを抜本的に解決しよう、そのためにどうするんだという姿勢が示されることが日本の経済構造改革全体へのいわば第一歩になり得るという点で、ここはぜひともないがしろにせずに、何が何でも、苦しくてもこの一歩は踏み出さなければならないというふうに考えております。
  97. 宮尾尊弘

    ○宮尾公述人 今やりとりを伺っていて率直に私の感想を申し上げますと、この議論がなぜ九二年あるいは九三年の二月までに行われなかったのかということを悔やみます。そのときであれば、今のような議論は十分可能でした。そして、それがあの当時から深刻であったほかの不良債権問題についての筋道を立てるという議論は非常に正論でございます。しかし、もうその段階を超えております。  そしてその後、実はもう手おくれになっているのですが、それでも手おくれになる段階以前の問題は、実は昨年の四月、五月までの段階でございました。金制調の九月二十七日でしたか、中間報告が出た段階では、まだここで行われているような議論をやられる余地がありました。しかし、その後大和銀行事件が起こって、既に選択の余地はなくなりました。したがって、これは完全な国際危機管理のもとで、この問題は、海外が要求することをとにかく後払いでこたえなければいけないという事情に陥っているということから議論を出発させなければ問題の出口はないのです。  したがって、この問題というのはやはりここで、先ほどちょっと出ましたが、銀行、金融界でこれを負担させるというようなことをやりますと、海外の目から見ますと、また大蔵省は自分の責任を逃れたのか、自分の配下の銀行をごり押ししてお金を出させて、それじゃ一体どこに大蔵の責任があるのか。そして、しかも銀行に問題があるということであれば、それは監督官庁の大蔵省はまた責任を逃れるわけで、これは海外が要求しているのはここで公的資金を入れろ、そしてその責任大蔵省はとれというシグナルを送っているわけです。  ですから、この問題というのは、危機管理の問題として現在考えられている住専処理は即刻に行って、そしてここまで日本を、状態を追い込んでしまった責任というものの中核として大蔵省の問題に主導権をとられるのが、はっきり申し上げて野党の一番やれる仕事であるし、その方が長期的には最も国民の支持を集めるものだというふうに考えております。
  98. 山口那津男

    山口(那)委員 お三人の公述人には貴重な御意見、ありがとうございました。これで終わります。
  99. 上原康助

    上原委員長 これにて山口君の質疑は終了いたしました。  次に、矢島恒夫君。
  100. 矢島恒夫

    ○矢島委員 公述人の皆さん、御苦労さまでございます。日本共産党の矢島恒夫でございます。  最初に植田先生にお聞きするのですが、情報開示の問題、ディスクロージャーの問題についてお聞きしたいと思います。  住専問題というのは、いわゆる金融機関が抱えている不良債権問題全体から見ますと氷山の一角だということになるわけですが、では、そのたくさん抱えている不良債権はどれくらいかという問題がきょうの午前中の論議の中でも出ました。皆目わからないと。三十七兆円というのを大蔵省では出しているが、それで済むのかという意見もあるわけです。そういう意味では、この大蔵省の情報開示ということがまず一つは必要だ。  それからもう一つ、先生の、前にちょっと読ませていただいたのですが、日本破綻処理とモラルハザードの問題で、特に銀行経営情報開示の促進も必要だ、こういう論文を読ませていただきました。やはり預金者責任というものを考える場合にすべてをディスクロージャーしていくということが非常に大切なことだと私も思うのですが、ただ、要するにどこまで情報開示をさせるのかという問題等も具体的な問題になればあろうかと思うのですけれども、やはりそういう方向が確立しないと、どうも小手先の、住専の問題だけの処理はやるけれども全体的な問題はどうなっているんだ、こういうことも起こり得るのです。情報開示の問題ということで先生にちょっとお聞きしたい。
  101. 植田和男

    ○植田公述人 おっしゃいますように、日本不良債権が本当にどれくらいあるのかというのはかなり不透明であります。ですから、大蔵省といいますか、これはむしろ銀行が自主的に出してきた数字大蔵省が集計しただけでありますが、これが下限で、上限がちまたに出ている数字の中の上限、すなわち百兆円強、現実はそのどこかにあるということですし、さらにその数字も地価動向次第で変動し得るということだと思います。  より中長期的にはディスクロージャーをもっと進めるべきだということには賛成でありまして、一つはルールをはっきりするということだと思います。あるいは改善する。すなわち、現在ですと金利減免等債権、不良債権は公定歩合以下ということですが、もう少し厳しい基準、例えばマーケット金利からある程度以上割り引いたら金利減免債権とするとか、あるいは非常に不当な、間違った、知っていた情報を隠すというようなディスクロージャーを行った金融機関にはある種の罰則を科するとか、そういうようなこともあってもよろしいのではないかというふうに思います。
  102. 矢島恒夫

    ○矢島委員 そこで、私は、今度の住専問題処理に当たっては、やはりその原因と責任というのをはっきりさせないと、何回もこんなことを繰り返したのではとんでもないことですから、原因と責任をはっきり解明していくという点が非常に重要だろうと思います。その上に立っての処理の仕方については、それぞれ意見が異なるところということになります。  この責任という問題を考えますと、やはり責任には軽重がある。重い責任もあれば軽い責任もある。もちろん政治家本人や時の政府大蔵省、こういうところの責任も本委員会でいろいろと論議されているところですし、母体行の責任もあれば住専責任もあれば借り手の責任もある、いろいろな責任があります。それらが非常に不明確なまま処理策だけが進むということについては、やはり国民の納得が得られない非常に重要な一つのポイントだろうと思うのです。そういう意味からして、私たちは母体行責任というのが非常に重要だ、こう考えているのです。  そこで、植田先生、先ほど政府案が最善だというか、消極的な賛成ということでお答えになったのですが、私たちは母体行責任において処理すべきだと考えております。  といいますのは、やはり母体行があのバブルの時期に、実際の商法上の問題はともかくも、子会社として住専をつくりそして甘い汁を吸った、しかし危なくなったら紹介融資や危険な融資はどんどん住専に回してしまう、既にその紹介融資の九一%は不良債権になっている、そこで終わりそうになったら一兆円引き揚げたとか資金を引き揚げてしまう。こういうことと、それから母体行自身 は十分に体力があると私は思うわけなんです。  その思い方はいろいろあろうかと思いますが、既に金利が史上最低の状況の中で所得の移転が行われております。本来ならば預金者のところへ来るべきものが銀行に入っている、こういう状況もありますし、税制上の優遇措置もあります。そういうような問題で十分体力はあると思うので、私たちは母体行の責任において処理するということを提案しているわけですけれども、このことについてはどういうふうにお考えか、ひとつ植田先生よろしくお願いいたします。
  103. 植田和男

    ○植田公述人 そういうふうにお考えになるのももっともだと思いますが、私の意見は次のようなものであります。  確かに、非常にある種の責任あるいは道義的な責任があるということは明らかかと思います。しかし、日本において、いわゆるメーンバンクが責任をとる、あるいは母体行が責任をとるというルールは、はっきりと法律等に書かれているルールではありませんで、そういう責任をとるということが経済的に母体行にとって可能であって長期的にプラスになる、例えば責任をとるので長期的にその母体行を信用して取引がたくさん来るというようなプラスを見た上で、母体行が場合によっては責任をとるということであります。ですから、現在のように、ある程度の含み等があるといいましても非常に厳しい中で、そのルールをこの場合も使うべきだという主張は外から必ずしも言いにくくて、本当に母体行責任を貫くかどうかは銀行側が自分で判断すべきではないかというふうに私は思います。  その場合に、責任をほかの貸し手にも負担してもらうということをしますと、母体行は違うことでコストを払います。すなわち、中長期的にレピュテーション、信用を失うということでコストを払うわけであります。まずそれで、かなりの責任を結局はとらされることになるということであります。  それから、別の責任のとり方といたしましては、当時そういう間違った経営判断をした経営陣はやはり何らかの形で、道義的になるかどうか、あるいは法律的にどういう責任のとり方があるのか、だれがそういうイニシアチブをとるかという問題はありますが、ある種の責任は問われてしかるべきだと思いますが、経済的には先はどのような話かと思います。
  104. 矢島恒夫

    ○矢島委員 宮尾先生に聞きたいんですが、実は私は持ち時間が非常に少ないので、余り大きなことでお聞きするので申しわけないのですが、実は先生の論文で日本の経済は三つのKに苦しむというのを前に読ませていただいております。空洞化とか価格破壊の問題です。きょうの先生の最前のお話の中で与えられましたこの資料によりますと、四つのKになっています。価格破壊、金融の崩壊、空洞化、それと国際的孤立。  私、これを全部聞いている時間が到底ありません。申しわけないのですが、三番目の空洞化という問題で、これをどういうふうにとめていくのか、その方法だけについて先生のお考えをお聞かせいただきたい。
  105. 宮尾尊弘

    ○宮尾公述人 大変重要なポイントを指摘していただきました。  実は、日本の空洞化というものとこの金融の問題というのは、我々が考えている以上に密接に絡まっております。それは、しばしば空洞化というのは、アジアのコストが安いところが云々という話がありますが、日本が物価が高い云々という話がありますが、実は本質は日本経済がこの五年ぐらい低迷低迷を重ねてきたということの結果、企業活動が国内ではなくて成長性が高い海外に行っているという点が非常に大きいのですね。単なる価格が安い高いではなくて、これからマーケットが広がる、ビジネスがこれから成長するところに企業というのは参ります。日本経済は、この五年間ぐらいは下り坂を続け、今後先が見えないということで出ていっているわけです。  ですから、この五年間政策が誤り、その結果いろいろなところに破綻が来ております。その一つがこの金融破綻です。それから、産業界では空洞化です。その他もろもろの、雇用の問題、そういう問題が出てきておりますから、五年間の失政を正すというのは実は政治責任なんですね。  ですから、これは海外が最も強く言っておりまして、一番最近でもサマーズ財務副長官がスイスの会議ではっきりと二月ぐらいに言っておりますが、日本はこの五年間経済力を急速に低下させてきた、そしてアメリカがそれを逆転して今後アメリカはますます強くなる、日本はこのままいけばさらに五年間浮かび上がれないだろうと、ここ五年間悪いということをきちんと言っているわけです。先ほど私が紹介しましたユーロマネーの一月号、この五年間の失政を政治家はわかるだろう、その失政のもとをたどると大蔵省の各局の政策の誤りが指摘され、それを放置していたやはり政治家の責任というものも問われるのではないかというふうに思っております。
  106. 矢島恒夫

    ○矢島委員 ありがとうございました。終わります。
  107. 上原康助

    上原委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は、来る二十六日午前九時四十分から委員会を開会し、住宅金融専門会社問題等について集中審議を行います。  本日は、これにて散会いたします。     午後四時五分散会