○
平田委員 大変
審議が続いているわけでございますが、さまざまな事実がこの
審議を通じまして明らかになってまいりました。
九三年二月の三日の覚書、これの効力についても先般
大蔵大臣と農水
大臣の食い違いが大分ございましたが、最終的に笹川
委員の
質問に対しまして、言外には、
系統側からいたしますと、当然元本が保証されるという期待感があったものと思います、そういう経過にかんがみて、今回の
住専問題
処理に当たりましては元本は返還されるという
措置を取り決めたものであります、このような御
答弁がございました。もう事実上保証をしたに等しい、こういうお話でございました。
ずっと
審議を通じまして、なぜ
系統がこんなに保護されるのか、なぜ覚書で事実上の保証をしてしまったのか、この
理由がまた新たな疑問として出てまいりました。
確かに、そのときに
系統の資金を
住専から引き揚げる、もしそういうことを言われれば
住専はそのままではつぶれてしまいます、こういう話もあったかもしれませんが、しかしそれが果たしてできるのか。
系統はもらうべき金がないわけでありまして、
住専が払うべき金を持っていない。そういう
状況の中で、その
系統の、まさに駆け引きというのはほとんど効果がなかっただろう、こう私は思うわけであります。
そういたしますと、そういう
状況の中で、なぜこんなにも最終的に
大蔵省が譲歩をいたしまして、農水省側、
系統の
金融機関を保護する流れをつくってしまったのか、その疑問が私はわからなくてわからなくて考えておりましたところ、はてと、こういう事実といいますか、記事を見たわけでございます。
これは、ある県の県信連の前常務
理事でございます。一九八六年から九三年の間常務
理事をやっておられまして、
住専に対する貸し付けを実際やっておられた方でございます。この方が、朝日新聞のインタビューに対してこのように
お答えになっておいでになります。
「
住専への融資はどのように決めていたのか。」この
質問に対しまして、
信連から
住専にいくら融資するか、という枠があった。不動産融資の総量規制があった九〇年三月前後から、九一年夏ごろまで続いた。
融資は三年から五年ものの証書貸し付けが中心。返済期限がくると、同じ額で再契約したり金額を上乗せしたりする。例えば二十億円から三十億円に増やそうと思えば、全国信連協会に要望する。協会は全国の要望をまとめて農水省へ、農水省は
大蔵省に上げる。そして逆のコースで、おたくは二十五億円にしろ、と協会から返事がくるわけです。そういうことが毎月のように行われて、少しずつ融資額が増えたのです。
このようにはっきりおっしゃっております。
このように
大蔵省が最終的に
住専への信連の融資に直接
関与をしていた。この事実があればこそ
系統金融機関を擁護せざるを得ない、いや
大蔵省が責任をとらざるを得ないその構造が見えてくるわけであります。そして今、私
たち国民はその
大蔵省のツケを回されている、このように言えるのではないでしょうか。
この前提でずっと経過を見ますと、物事がよくわかってまいります。
九〇年三月に総量規制が行われました。そして、三業種規制も行われましたが、しかし
系統だけは外されました。外された
理由についてはおっしゃっておいでになります。しかし、実際上は穴があいたわけであります。そして今、前常務
理事がおっしゃったように、このときから融資枠のチェックを
大蔵省が行うようになりました。そして、約一年半たった翌年の九一年夏までこのチェックが行われた。そして、この間に信連の融資は
住専に対してどれだけふえたのか。恐るべきことに二兆二千百億円でございます。総量規制の前はまだ一兆二千億円でございました。二倍近い融資額がわずか一年半の間に伸びてしまったわけであります。
私はこれも不思議でなりませんでした。なぜこんな短期間に、いかに審査能力がない信連、いや、ないと言ったら失礼かもしれません、
官房長官がおっしゃったように、融資能力の劣ると言われる信連であったとしても、こんなめちゃくちゃな貸し付けをするはずがないじゃないか、このように思っておりました。しかし、前常務
理事のお言葉のとおりであるならば、まさに安心して融資を拡大したであろう、このように思うわけであります。
そして、その間
大蔵大臣は、橋本総理でございました。橋本総理は九一年十月に
辞任をされたわけでございます。この信連の
住専に対する驚くべき融資の拡大の全期間において、橋本総理が
大蔵大臣でいらっしゃいました。そして、おやめになった二カ月後の九一年十二月に総量規制はなくなりました。
そして、同じその月、九一年十二月三十一日
基準で、先般公表されました第一次立入調査の結果報告が行われております。これを実際行ったのはいつかと
大蔵省に聞いてみましたところ、
基準日は九一年十二月三十一日であるけれ
ども調査開始は翌年の一月の二十七日であります、そして報告書ができ上がったのは、日にちは定かではありませんが二、三週間で作成をいたしましたというお話でございます。そしてこの報告書が上がってきたわけであります。
そして、この報告書を見る限り、もはや日住金の
経営状態は極めて悪い、まさにほとんど無審査の状態と言ってもいい、担保掛け目はほとんど守られていない、貸付業務を専ら行う
会社としては危機的な状態である、もう非常に厳しい評価でございました。
それをもとに、日住金の
母体行の中心
銀行であります三和
銀行は、九二年五月に再建案を
大蔵省に
提出をいたしました。しかし、これは
大蔵省によってけられてしまいました。
この中身はどういうものかと申し上げますと、三和の案は、まず、日住金につきまして清算
会社と日住金と二つの
会社に分ける、そして清算
会社に一兆二千億円の
不良債権を移して、日住金は個人向け住宅ローンと抵当証券販売に業務を絞るもので、計画では日住金は分離後一年目から二十億円以上の黒字を出すことができる、こういう案でございました。そして、清算
会社は一兆二千億円の融資残高のうち毎年千二百億円ずつ
債権を回収し、金銭信託や有価証券、保有不動産を処分し債務の弁済に充てていき、
母体行の責任で、
母体行の責任だけで債務の清算をするというものでありました。
一般行にも
系統にも一切迷惑をかけない、こういう案でございます。
そして、その三和
銀行の案にはもう一つ付言されておりました。
不良債権を分離せずに
銀行等
債権者の金利減免をやるという策では具体的な再建のための案とは言いがたく、
銀行等
債権者の了解が得られない。逆に、得られないと言っているのです。今までの
大蔵省の
説明とは全然違います。そして一、二年で日住金の体力は完全に消耗するおそれがある、そしてその結果、将来上場廃止になるであろう、ここまで予測していたわけであります。
しかし、無謀にも
大蔵省は、これをだめだと言ったわけであります。そして、この三和
銀行案でやってはいけないと言っておりました金利減免策、それを第二次再建計画として、まさにあの覚書でございますが、あれをつくったわけでございます。この覚書どおりに第二次再建計画をやるとどうなるかということは、もう既に
大蔵省はわかっていた。
日住金は、一万人を超える株主があります上場
企業でございます。その
企業の再建は、上場
企業の責任としては当たり前の話であります。
経営者としては、株主に迷惑をかけない、多くの利害
関係人に迷惑をかけないという点で、上場
企業として一刻も早く有効なる再建策をとらなければならない、こう思って
大蔵省に提示し、そして、とってはならないという案まで示しながら、
大蔵省はその警告の案をとってしまった。
大蔵省の大失策でございます。これは、だれの目から見ても明らかでございます。
それで、法務省にお伺いをいたします。
日住金の
会社はこのような
状況の中で国家賠償請求ができる、私はそのように考えますが、いかがでございましょうか。