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谷口参考人 谷目安平でございます。
京都大学で
民事訴訟法の
研究と
教育に当たっております。
私は
法制審議会の
民事訴訟法部会の
委員でもございますが、本日は個人の一
研究者としての
立場から
意見を述べさせていただきたいと思います。
今回、
民事訴訟法が
改正の運びになりまして、私どもは今回の
改正が、現在の
社会情勢、
経済情勢、
国際情勢の中で十分やっていける
民事訴訟法になることを
期待していたわけでございます。そのような
期待点はいろいろございますが、そのうちで最も重要な点の
一つだと考えておりましたのは
証拠の収集ということでございます。
現在の
民事訴訟法は十九世紀的と申しましょうか、もともと一八七七年のドイツの
法律をもとにしてつくられたものでございまして、その当時の
社会思潮と申しますか、これをもとにして基本的な枠組みができているわけでございます。その後、
世界の情勢を見ますと、二十世紀初頭、特に戦後に至りまして
社会経済構造の根本的な変革ということがございまして、いわゆる
証拠の偏在現象というものが顕著になってきたわけでございます。これに対処いたしまして、既に戦前から諸外国におきましては、これを
法律によって是正して、
民事訴訟の当事者間の実質的な平等をいかに確保するかということに努力をしてきたわけでございます。
我が国では、そのようなことが切実な問題となりましたのは戦後でございまして、戦後の一九六〇年代から公害
訴訟などが起こりまして、切実な問題となって、
裁判所がその対処に苦慮しつつ一定の展開をなし遂げてきたところでございます。この際、二十一世紀を間近に迎えまして、
我が国の
民事裁判制度をいかに変えていくべきかというときには、この問題は避けて通ることができないものでございます。
そのような観点から、私ども
民事訴訟法部会でもいろいろ
議論を重ねてまいりました。その結果、最終的に
証拠収集問題についてできました
法律案につきまして、私は個人としては疑問の点がございますので、その点を申し上げたいと思います。
まず、ここで問題になりますのは、
法律案の二百二十条に書いてございます
文書提出命令でございます。従来の
文書提出命令は十九世紀的と申しましょうか、本来は当事者が
自分の持っている
証拠を
自分で出してお互いにやり合うということを前提にしておるわけでございまして、もともと
自分の持っているものしか出せない。だけれども、ある種のものにつきましては、相手が持っているものあるいは第三者が持っているものも出すことを強制できるという例外的な
規定としてつくられております。
その例外にはいろいろございますけれども、一番よく問題になっておりますのが、
法律関係文書とか
利益文書とか言われております現在の三百十二条の三号に
規定されている
文書でございますが、これはもともと相手方あるいは所持者とそれから立証しようという人との間のいわば共通のものであって、たまたま相手あるいは第三者が持っているけれども、それは本来
自分の
文書でもあるというふうな色彩を、性格を持っている
文書につきましては、これは出すことを強制されても仕方がないじゃないか、それはもともとの伝統的な考え方のもとでもフェアなことではないかということでつくられた条文であるわけであります。
ところが、そのような考え方では今日の
証拠の偏在のもとでは十分にやっていくことができないということでございまして、
我が国の
裁判所もこの
利益文書あるいは
法律関係文書の範囲をいろいろな理屈をつけまして拡大する努力をしているわけでございますが、何分この条文の文言が非常に制限的でありますために、
判例は必ずしも統一がとれておらず、矛盾するものもありますし、それから、多くの場合において
文書提出命令は
却下されるという事態に至って、
証拠を持たない当事者は、結局
自分の主張を立証する手段を持たないまま敗訴せざるを得ないということになっているわけでございます。
ところで、今回の
改正案はこれをどういうふうに扱ったかと申しますと、まず、一号から三号という点は、従来の、
現行の
民事訴訟法と同一でございます。それで、それに第四号というのをつけ加えまして、ここで、その他どんな
文書でも
証拠として
提出を求めることができる、これがいわゆる
一般義務化と言われることでございますけれども、その場合にいろいろ除外がございまして、イ、ロ、ハ、ニとございまして、そのうち、公務
秘密文書と俗に言われております公務所の
文書というものについては、
監督官庁が
承認しなければ
提出を求めることができないという条文になっております。
この点につきましては、従来はそれほど
裁判例が多いわけではございませんけれども、
裁判所の
解釈は、
秘密に当たるかどうか、あるいは隠しておくことができる
秘密に当たるかどうかということを
裁判所が判断した上で、
提出を命じるべき場合には命じるという
解決をとってきた。この点につきましては恐らく異論がないのではないかと思うわけでございます。
それで、
公務員の証言義務につきまして、
公務員が
職務上の
秘密に関して証言する場合には
監督官庁の承諾を得なければならないという
規定がございますが、その
解釈といたしまして、
秘密に属するかどうかということはその
官庁そのものが判断をするのであるという見解が、どちらかといえば有力であっただろうと思うわけでございますけれども、この
文書提出命令の場合につきましては、少しそれとは違うと申しますか、
秘密で
提出させてもいいものかどうかということを
裁判所が判断するという
立場をとってきているわけでございます。したがいまして、この新しい
法律によりますと、この三号の
利益文書ないしは
法律関係文書として従来は
提出が認められてきたようなものも、四号のロというところに
規定されております
文書として
監督官庁の
承認が条件になるおそれがあるということでございます。
これにつきましては、立法の整合性ということから、
証人となるにはその
監督官庁の
承認が、承諾が必要であるということと
文書提出について
承認がなければ
提出を強制されることはないということとは整合していることであって、したがって新しい
法律案の四号のロというところで言っていることは
現行法の体制として全く矛盾することではないのである、むしろ整合的なことなのであるという説明がなされているようでございますけれども、もしそうだといたしますと、従来の
裁判所が行ってきました
解釈、つまり
秘密であるかどうかということについて
裁判所が判断をしていたということは、実は既に
現行法のもとでも違法な、あるいは許されないことをしていたということになるのではないかと思われるわけでございまして、もしそういうことだといたしますと、従来の
解釈は、新しい
法律ができたということによって全面的に変更される、これは立法者の意思がそういうことだということで今後は変更されるということにならぎるを得ないのではないか。少なくともそのおそれが大きいということが言えるのではないかと危惧するわけでございます。
ですから、もともと
証人となるということと
文書を
提出するということとは少し性格の違うものであるということを、
裁判所自身、従来の
判例を通じて明らかにしてきたところではないかと思うわけでございます。
それからもう
一つ、この新しい
法律案が他の
法律と整合的であるという説明として、
刑事訴訟法上の扱いというものが言われております。
刑事訴訟法でも、
公務員が
証人になる場合あるいは公務所に差し押さえ、押収をする場合には
監督官庁の
承認を得なければならないということが書いてございます。そのこととも整合的であると言われているわけでございますが、この刑事上の押収というふうなことになりますと、これはいわば国家機関同士のことでございまして、検察庁なりがどこかの
行政官庁に捜索に入って何か押収してくるという場合には、押収した方も、それはそれ自体公務所でございまして
秘密を守る義務があるわけでございますから、信頼関係といったようなものもそこには存在するし、公務所を捜索するというようなことはよっぽどのことでございますから、従来もこれについて
余り問題になった事例はないのでございます。
ですから、これを
民事訴訟という全く
証拠の偏在のもとで私人たる当事者が
官庁の
文書を
証拠として必要とするという場合に、類推あるいはそれを同じ原理のもとで考えるということは適当ではないのではないかと思っているわけでございます。
それからもう
一つよく言われておりますことは、現在
情報公開法というものが
審議中でございますが、これができたときには、それと整合的な
民事訴訟法の
法律をつくらなければならないのであって、それが現在進行中であるときに、
民事訴訟法の方で先走りをして何か新しいことをするというようなものではないという
議論がしばしば行われておりますが、私は、これもそれほど説得力のある
議論ではないのではないかと思うわけでございます。
と申しますのは、
情報公開法というものは、これは、だれでもいつでも何のためにでも
情報の公開が一般的に認められるということでございまして、これは非常に広い
意味での開かれた
行政、開かれた
政府というものを実現するというためのものでございます。ところが、
民事訴訟で
文書提出命令が公務
文書について求められるというときには、既に一定の
法律上の
利害関係というものがはっきりとそこでは
提出されているわけでありまして、だれでもどんな
訴訟でも起こせるということではございません。
民事訴訟法には訴えの利益という要件がございまして、訴えの利益がない場合には
訴訟は
却下されるということでございます。ですから、訴えの利益もあってこれは十分調べて
判決をする必要があるという場合に初めてそこで
文書提出命令ということも問題になるわけでございまして、そういう既にチェックがあってそこで問題になっておりますのは、国の
法律のもとで保障されている
権利というものがあるかないかということを調べているわけでございますから、これは一般的な
情報公開の問題とは違うわけでありまして、
情報公開で、ある一定の範囲の
情報公開が行えるとしても、それよりももっと進んだ
文書提出命令を
民事訴訟法で
規定するということは何ら矛盾することではないと考えるわけでございます。
これについて少し付言いたしますと、
行政文書についての
情報の公開につきましては
行政庁は従来大変消極的であるわけでございますが、これはもちろん
行政庁の
立場になってみればよく理解できるところでございます。そういうことがありまして、なかなか出してくれない。そして、出してもらうための
法律を何か考えるというときには、それは従来だんだんと先延ばしにしてきたわけでございます。
近いところでは、製造物責任法というものが最近できております。あの成立の過程の中でも、製造物責任
訴訟の中で、
行政庁が持っているような書類とか、この場合は企業が持っている場合の方が多いと思いますが、これを出せ。出させるための
手続上の
規定を製造物責任法に
規定すべきだという主張もあったようでございますけれども、それに対しては、いや、現在
民事訴訟法で根本的な
改正を考えているから、そちらの方でやるのが本筋であって、製造物責任法のような
部分的なところでやるべきことではないといって先延ばしになったと聞いておりますが、
民事訴訟法の
改正が問題になりましたら、今度は
情報公開法でやるから今はやらないというふうな
議論が出てくるのはどうも納得のできないところでございます。
時間がちょっと延びますが、もう一点、二百二十条の四号につきまして申し上げたいのは、自己の利用のために作成した
文書というものが
一般義務化した
文書提出命令の中からはまた除外されております。これは
官庁文書とは必ずしも関係ございませんが、企業に対する
訴訟のような場合には大変問題になってくるかと思います。これは自己利用
文書、あるいは場合によりますと内部
文書というふうな形でしばしば
裁判例にあらわれてきておりますが、この概念は、従来の
法律が
利益文書とか
法律関係文書という形で非常に限定的に
規定しておりました。これは
利益文書であるかないかということを考える場合の
一つのアプローチとして、これは内部的な
文書であるから
法律関係文書でないとかいうふうに使われてきたと思うわけでございます。
ですから、今や、四号によりますと、
一般義務化した、どんな
文書でもいいということでございますから、これが内部であるかどうかということ自体は基準になるべきものではないのではないか。もちろん個人のプライバシーに関するものとか営業
秘密に関するものとか、いろいろ排除されるべき
文書というものはございます。ございますが、それは内部
文書というふうな従来
裁判例が用いてきた名称で、自己利用
文書という名称で呼ぶべきものではない。もしこの名称を使いますと、従来使われてきた、つまり従来
現行法のもとで使われてきたものと同じ
意味でそれが理解されるおそれがある。この点は考え直す必要があるのではないかと思うわけでございます。
どちらにいたしましても、今回の
民事訴訟法の
改正に対しましては諸外国も大変注目をしているところでございまして、どんなものができるかということによりましては
日本の国の
あり方というものが問われるという面がございます。
民事訴訟法を、使いやすいだけじゃなくて、現代
社会のニーズにより適切に対応できるものとするということは、これは一九九一年ごろでしたでしょうか、アメリカとの間のいわゆる構造協議のフォローアップの
会議のところで
日本政府が約束したことでもございます。そういうことでございますから、ぜひともこの点を御考慮いただきたいと思うわけでございます。(
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