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萩山委員 時間も私の
持ち時間がもう十分食い込んだように錯覚を受けますが、今から二十分の
質問をさせていただきます。
大臣の
所信表明の中に、
国民一人一人が安心して暮らせる
社会を確立するということをうたってある。そしてまた、
各種犯罪に厳正に対処していかなければならない、
治安の
確保、
法秩序の
維持に万全を尽くさねばならない、これは
法務省の全くの
基本方針であると私は思っております。そしてまた中には、異例ともいえる、
大臣の
所信表明の中に、去る二月十二日発生いたしました
東京拘置所における
イラン人集団脱走事犯について、
近隣住民の
方々はもとより
国民の
皆さんに多大の御
心配をおかけした、まことに申しわけなくということがここに明記されております。
まことにもってそのようなことが今度起こったわけであります。それは今回の
麻薬事犯における
重要犯人、
被疑者でありますけれども、
イラン人七人が
東京拘置所を脱走したという重大な
事件であります。これがその
被疑者の写真であります。これは
亀有署が作成し、全国に、都内に配布したものであります。どうしてこの
事態がこうして起きたのかということでありますが、まずもって私は先に断っておきますけれども、私の
持ち時間は二十分でありますから、二十分全部
質問に充てて、後は回答していただきたい、お答えしていただきたいと存じます。
大体、今まで
拘置所というのは鉄壁を誇る、堅固にして頑固な、いわゆる
監獄というイメージがあったわけであります。ですから、
明治時代のあの
監獄法、今も続いておりますけれども、昔は典獄と言って、それはそれは厳しいおきての中で
収容者が中に収容されていたというのが通例になっております。そしてまた、
東京拘置所というのは、
皆さん御存じのように、非常に明るく、そしてまた快適な、快適と言ったら非常に失礼でございますけれども、中の
収容者に対してはすばらしい
施設であったと言われておるわけであります。大震災によってもあの塀はびくともしませんでした。そして、
明治時代に建てられた建物が現在七十年経過し、老朽化しておるわけであります。その中にあって今回の
事件が発生いたしました。
どうしてこういう
事犯が起こったのか、初歩的な問題が私は視察をする中で見てとらえてきた気がいたします。それは、普通ならば
外国人はばらばらに
独居房に収容するはずのものが、なぜ六十人も収容されている
イラン人の中に八人だけ
雑居房に集めたのかということであります。日本人が収容されている中に一人ずつはめ込むということは常識であります。
ロシア人がいろいろとあちこちで、
北陸方面で逮捕されておりますけれども、すべて
拘置所の支所では、あるいは
拘置所では、
刑務所ではすべてが
独居房に入れられて、それぞれの
連絡がとれないようにされておるわけでありますけれども、
東京拘置所はなぜ八人も
雑居の中に入れておいたのかということが一点。
そしてまた、あの頑固、堅固な
刑務所をたった二分と五十秒で七人が四十センチと三十二センチの間をかいくぐって逃走した、脱獄したという事実であります。これは、あの
拘置所の
窓枠はこれくらいの鉄棒でされているわけであります。これを切ると大変な時間がかかります。果たして金のこだけで切れたのかという問題でありますけれども、金のこだけではなかなか切れるものではございません。そう簡単に切れません。だけれども、
拘置所の
説明ではこれは五十分で切れたと言われております。それは
ダイヤモンドの刃じゃなかったかということが言われるわけであります。どこから入ったのか。
面会のときにでも厳しくチェックをされておりますから、
看守が立っておりますし、そしてまた、
面会のときにでもお互いに音声が通じ合うように穴がありますが、穴は完全に通っておりません。クロスされております。ですから、あそこから入れるのも至難のわざである。ですから、
面会のときはほとんどないと思います。
じゃ、どこから入れたのかということになりますと、やはり
差し入れではなかろうかなという思いがいたしました。そして、
差し入れの中で、今、昔と違って
センサーが置かれております。本をあの
センサーを通しますと、大体こういう平たいところに隠したものはすぐレントゲンで発見されます。だけれども、一冊の本で高い本は、ここに挿入されるとあの
センサーを通っていってしまいます。全然発見されません。
大阪拘置所に私も勤務しておりましたが、昔ならば破ったものです、全部。襟も外します。こういうものも、
差し入れてきた場合には襟も外す。
石けんに加工してきた場合は
石けんもぶち壊す。
すべて昔は
差し入れがなされましたから、すべてのものを破壊してその
捜検をしたものでありますけれども、今回私は見てまいりまして、これならば容易に
ダイヤモンドのこぎりが入るということを、私は、そのときは言いませんでしたけれども、見てまいりました。だから、あの
センサーが
ブザーが鳴らない、なぜ
ブザーが鳴らないと言ったら、ホチキスでも反応するから
ブザーが鳴らないというような笑い事を言っている。これは言語道断なんだ。骨身惜します
捜検しなければならぬのです。本が何百冊入ろうと全部ばらせばいいのです。本をばらすぐらいのことは何でもないのです、復元してやればいいのだから。それを怠ったばかりに、
拘置所の中に
ダイヤモンド刃が入られてしまった。
そして、この一点と、三点目。あの
雑居房の中に、常時大体十五分程度で
巡回をいたしております。この脱走した日は
振りかえ休日であり、三連休であります。ですから、
捜査があるいは
巡回が手薄になっていたのではないかな。当然謀議をして、これに私は当てはまるものと思います。そして、
のこぎりで切る。これは昼間切る。水を流したと言われておるのですけれども、水道の水でこの音をかき切ったと言われております。確かにあの広い房の中ではこの音はかき切ることは簡単であります。そして、
イラン人はコーランを歌いながら、合唱しておったということを言われております。
そこで、十五分ずつ
巡回に来るということが事前に
イラン人の
被疑者にわかっていた、だから時計をはかりながら
十分ごとに作業をすれば、またもとに戻っておればできるわけであります。
独居房ならば小さな
窓一つでありますけれども、
雑居房なら両脇に窓があるわけでありますから、回って、
刑事のような鋭い勘を働かせれば、ちょっと不審ならば六感が働くわけでありますけれども、そこを
巡回したのは二十五歳の青年である。
経験不足も甚だしいわけでありまして、老練なというか練達の士はその日は三
カ日振りかえで休んでおったのでしょう。そんなことではどんな強固な
刑務所でもやすやすと脱獄されてしまうのです。
そしてまた、
刑務所の中に、大体一月(
ひとつき)
捜検というものを行います。
捜検というものは、部屋の中を全部改めるわけです。そしてまた、窓を手でたたきます。たたけば、小便をかけてここを腐食させるあるいはみそ汁をかけて腐食させる、そのうちにこれがぽろんと落ちる、そのときに
看守が行ってそれをたたけば未然に防ぐことはできるわけてあります、
そしてまた、今
刑務所の盲点になっているのは
シーツであります。
シーツは、汚れるから
シーツを与えているんだということになっておりますけれども、
シーツがすべての自殺の道具にもなり、そしてまた脱獄の道具にもなっております。
悪いことに、所長さんも非常にかわいそうであった。悪条件が重なるとああいうことになるんだなということを私はつくづく思いました。
彼らは、七人
雑居房に入れられて、謀議をして、そして外との
連絡をとった。どんな
連絡を取り合いしたか、私は保安部長にも、課長にも聞きましたが、わからない。私は、思うに、あのスペイン語で入っていた書物の中に、あいうえと、日本で言うならあいうえおになっている、その中に、頭に点を打っているはずです、よく熟読すれば。それをつなぎ合わせると、いつ幾日脱走するから外に待ち受けてくれということの暗号が書かれているはずであります。それすら調べていない。その本は私は見ることができませんでしたけれども、警察に押収されていると言われておりました。
そしてまた、二分五十秒で脱走したその
被疑者がどこに到達したか。中に塀が幾重にもあるわけです。ニメートルの塀もあれば、外の外壁と同じ塀がもう一個、五メートルの塀があるわけですから、そんなにたやすく逃走できるものではないのです。
それが、幸運にも、彼らにしたら幸運にもというか、そこに工事現場があった。私も見てまいりました。こんなところに工事現場を置いて放置しておったらこれは脱獄は容易だということを私は改めて
認識をしてまいりました。この中に鉄さくのあのパイプがたくさん置いてあり、工事現場に使用されている、それを二本ぐらい継ぎ合わせれば、五・四メートルぐらい幾らでもはしごができるわけであります。
それで、はしごをつくって、八枚の
シーツを持って出たのでしょう、それではしごをつくり、第一のハードルを何で越したか。最初は二メートルの塀垣でありますけれども、二メートルの塀垣は簡単に、彼らははだしで、刑場の方、死刑執行場の方に消えているのです。
そこから、今度は第一のハードル、五メートルの大きな塀を乗り越えるわけでありますけれども、はしごをかける。そして、みんなが向こう側の外側におりる。そのときには、その
シーツを縛ってありますから、簡単に、しかも
東京拘置所というのは七十年もたっているから塀垣は府中の
刑務所のようなつるつるじゃありません、がさがさです。ですから非常に摩擦があるから脱走しやすい。その上に彼らは一たんおりて、今度はそのはしごを最後の者が持ち上げて、その次の瞬間にまた次の塀に行くわけです。塀に行って、また同じことをやって、彼らは堂々と逃走してしまった、脱獄してしまった。
そのときに触れたのが、いわゆる非常線という
刑務所の外に張られております防犯線であります。この防犯線たるや、どれだけ鳴ったのかチェックをされているのは所長から見せていただきましたが、ハトがとまっても鳴る、ネズミが通っても鳴る、昼間野球ボールをぶつけても鳴る。鳴るから安易に考えていたということが言われるわけであります。日ごろの訓練がなっておらぬ、大体。
大体、ここの総理官邸でもそうですが、同じものが張ってあるのです。一たび鳴ったら、内側に飛び出すんじゃだめなんですよ。特警隊は外に飛び出して、直ちに外を検索するような行動力があってほしかったなと私は思う。
それはなぜできなかったのか。結局、この
刑務所から脱獄はできないんだ、安易な勤務、マンネリ化してしまった、
一つのノルマを消化すればいいんだという
看守の——昔は
看守といったのですよ、今は刑務官というけれども。そういう連中が、今日の日本をして
法秩序を乱すようなものを、世界からも笑われ物になるような大
事犯を引き起こしてしまったのです。
大体七人も逃走した
事件がいまだかつてありますか、どこかに。集団脱走ですよ、これは。アメリカならカ−ビン銃でだだっとやりますけれども、日本ではそういうことはないんだから。七人も脱走したのは前代未聞なんです。これを、
法務省は襟を正して、矯正業務——今までは
監獄であり、応報刑であった。今の
刑務所というのは教育刑であり、矯正して
社会復帰をさせるというのが目的でしょう。その点について甘くはなかったかということも言われるわけであります。
ですから、私は、今
皆さんに
質問いたしましたいわゆる
のこぎりの所内に持ち込みの件、そしてまた、十五分ごとの見張りというものをもう少し不定期型に、相手にはいつ来るかわからないという判断をさせるように、十五分ごとに来たら、もう十五分来たらもういいな、
看守来ないな、はい、やれよ、やれよ。また十五分、はい、ストップ。はい、寝ましょう。はい、水とめて。こんなもの簡単に彼らはやってのけるのですよ。どうしようもない。本当にどうしようもない。
だから、こういうことを、やはり今までどおりのマニュアルではなくて、今度は改めて、そういうものは囚人あるいは
被疑者に対して知識を与えないようにしておく。いつ来るかわからないぞという間隔でいわゆる
巡回をしなければならない。
捜検も、一月二回というのは大体少ないですよ。二回というのは、これはもってのほかだ。我々のときは、昔はもう毎日やったぐらいですから。徹底的に
捜検しました。たばこ一本のんだって——拾ってくるのですから、公判廷の中から。草履の後ろに飯粒をつけていって、そして
看守に見えないようにたばこを押さえて持ってくる。それを口の中に入れて知らぬ顔をしている。舎房に来たら火をおこす、まさに原始
時代の火をおこすようなことをしてたばこを吸う。それを私たちは発見して、罰として懲戒房にほうり込んだものです。
厳しかった
時代を思い出しておりますから、今の
看守は一体たるんでいるのではないかと、私はそう思わざるを得ない。そしてまた、サラリーマン化しているのではなかろうかと思われます。我々は今日、この
政治を眺めながら、
政治家もそうですが、経済界もそうである、日本全体がおかしくなっているのじゃないかなという気がいたします。その中にあって、いわゆる法務官僚は襟を正して厳しく対処していただきたいと思っておるわけであります。
最後に、私から要望いたしておきますが、官房長もきょうは来ておられますから、
拘置所が老朽化しているというか、雨漏りも激しい。一度官房長見ていらっしゃい。三階は使いものにならない。雨漏りしている。このバケツは何だいと言ったら、雨漏りのために置いてあります、どこの
拘置所に雨漏りするような
拘置所がありますか。早速大蔵省と折衝して予算をつけてもらって、政務次官にも一生懸命、力になっていただいて、あの
拘置所をやはり立派なものにして、
収容者が、あるいはまた付近の
方々が安心して枕を高くして寝られるようにしなければならない。その予算どりについての御
説明をお願いしたいと思います。
そしてまた最後に、この
事犯によって第二次
事犯が起こらなかったこと、都民に迷惑はかけなかったことがせめてもの私は幸せだと思っております。これがまだ、一人逮捕され、あと六人残っているわけでありますから——イランは麻薬に対する刑は極刑であります。厳しいのです。だから彼らは、日本にも極刑があるのかなという思いと、彼らは
不法入国いたしておりますから、何とか逃走すれば、今まで逃げおおせてこれたのだから逃れれば何とかなるという考えで彼らは脱走したに違いありません。
そしてまた、
東京拘置所の六十人もの
イラン人、韓国人、
ロシア人、たくさんおると思うのです。その方をやはり分類をして、各部屋、個別に
独居房に入れるように、ひとつこれからも
法務省の直轄的な指導をお願いしたいと思っております。
要望し、この
質問に答えていただきたいと存じます。