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鮫島委員 新進党の
鮫島でございます。
きょうは、
我が国の
大学院の抱える
問題について少し
お尋ねをしたいと
思います。
大臣も御承知だと
思いますけれども、
平成七年の六月末に
大学審議会の答申が出まして、
教員の任期制についてとかあるいは
大学運営の円滑化について
提案がなされたところでございますけれども、この同じ
大学審議会の答申の中に、実は
大学院の
問題についても一部触れられております。
ただ、今まで多分この
文教委員会でも、むしろ小
中学校の
教育の
問題が中心で、
大学院の
問題というのは、
関係している人も少ないしということもあって、あるいは国
会議員的にいえば票にならないというようなこともありまして、余り取り上げられたこともないのかもしれませんけれども、先ほども西
委員の話に出ておりましたけれども、昨年の十一月に科学技術基本法が超党派で通りまして、いよいよ科学技術創造立国に向けて
我が国が本格的な歩みを始めようというときに、やはり良質な若手研究者の育成、その育成の場である
大学院のあり方、あるいはその内容の
充実というのが、私は大変重要な
問題として今俎上に上るべき時期に来ているのではないかという気がいたします。
この審議会の中の
大学院部会においても、
大学院の機能として一番重要なのは「学術研究の高度化と優れた研究者養成機能の強化」。当然、そういう機能が満たされれば
教育研究を通じた国際貢献も果たせるし、あるいは民間セクターに対して高度な専門職業人の卵を供給する機能も果たせる。そういう
意味で
大学院というのは大変大事だという認識が語られた後、現在の
大学院の抱えている
問題点ということが六点整理されております。
その中で、六点だけ簡単に繰り返しますと、まず、カリキュラムの
問題として「どのような人材を育成するのか、課程の目的が明確ではなく、目的に沿った体系的なカリキュラムが編成されていない」というのが第一点目。それから二番目に、「学生・
教員の同質性が高すぎて、学問的刺激が弱い」。これは
大学院
制度の
充実と裏腹の
関係にありますけれども、新制
大学も随分自前で供給できる体制が整ってきたために同一
大学の出身者で講座なりユニットを独占してしまうという、同質性の過剰という
問題があります。
それで、それとの
関係でどうしてもなれ合い的な
関係になって「
評価システムが十分でなく、競争原理が働かない」。それから「国内・国際的交流、
社会との連携協力が不十分」。あと、施設面でいえば、
教育研究
環境が、施設の老朽化、狭隘化、あるいは最近の視点でいいますと安全性という観点からも、
大学院の施設の中で
問題を抱えている施設がかなりふえている。それから六番目に、「学生が経済的に自立していない」という
問題が
指摘されています。
初めに、
大学院の学生の経済的な
問題についてお伺いしたいと思うのです。
大学院は、私きょうは主に理科系の
分野に限って御
質問したいと
思いますけれども、修士課程が二年間、博士課程が三年間というのが一応標準コースになっていますけれども、二十二で
大学を出たとしても、それから五年間、二十七歳まで月謝を払いながら
大学院に行くわけですから、かなり太いすねを持った親でないと、なかなか
大学院を
卒業するまで学生を経済的に庇護することができないという
環境にあると
思います。
大学院生というのは、もちろん
大学院の学生ですから学ぶ人という
側面はあるわけですけれども、同時に、若手研究者として働く人、情報生産という労働にも従事しているわけです。
そういう
意味では、同じ例えば
大学を出ても、国の研究機関に行った場合、それから民間の研究機関に行った場合、あるいは
大学院に残った場合。前二者の場合は、採用された最初の年から普通のほかの営業で入った人と同じような給料が支払われる。ところが最初の二、三年は大体使えなくて、半人前ですから先輩
たちが面倒を見たり上司が面倒を見て、一人前の研究者になるようにその組織内で
指導するのが一般的ですけれども、
大学院生の場合は、そういう
意味では、全くその五年間給料は保障されていなくて、いわば学ぶ人という
側面だけが
評価されているというのが実態だと
思います。
私、プラントサイエンスといいますか植物科学の
分野にいましたけれども、今国内の学会で、この植物科学の
分野全体でさまざまな学会がありますけれども、発表される論文のうちの七割近くは、すべて何らかの形で
大学院生が関与している論文でございます。ですから、そのぐらいある
意味では研究労働者として情報生産に貢献しているわけでして、働く人という
側面が全く無視されている今の
大学院
制度というのは、今後の科学
技術立国を
考えたときに、あるいは優秀な若手研究者をもっと養成しなくてはいけないというときに、
問題になってきているのではないかという気がいたします。
今、一番そういう
意味で
生活面をカバーしているのは
日本育英会の奨学金でして、修士課程の学生が年間百万近く、ただ、受け取っているのが二三・二%。それから、博士課程になりますと年間百三十万ぐらい、月十一万程度ですけれども、この場合ですと、受領者の比率が五三・一%という数字が出ております。この奨学金というのは、貸与ですから、いずれ返さなければいけないわけでして、また、こういう低金利の時代の中で、育英会も資産の管理になかなか苦労しているというのが実態だと
思います。
これ以外に
大学院生の、働く人という
側面を
評価しなければいけないのは特に博士課程に行ってからだと
思いますけれども、修士の二年間はある
意味では本当に学ぶ人という要素が強くて、ところが、博士課程になりますと、大体どの
大学院崖でも卒論の学生を一人が一人ずつ持ちますし、かなり独立した発想でできるようになってくるという
意味では、特に
大学院の博士課程で働く人という
側面を
評価する
制度が、今
文部省としてどんな
制度が用意されているのか、御
紹介いただきたいと
思います。