○玄葉
委員 玄葉光一郎でございます。
宇野会長には、取りまとめ役として、これまでの御功績に対しまして、心から敬意を申し上げたいと思います。
この問題については、戦後、浮かんでは消え、浮かんでは消えしてきた問題であります。しかし、やっと現実的な話題に上がってきたのには、二つ理由があるのかなと思っています。
一つは、先ほど来先輩方の御
質問がありましたけれ
ども、その御功績にもよって、
平成二年十一月七日に
国会決議をして、新しい
政治の都を
国会の
意思としてつくるんだよということを決めた。それで、その決議によって
法律をつくって、
平成四年に
調査会をつくって、御案内のような
選定基準を出されたということが
一つあろうと思います。
もう
一つは、私も若干関与させていただいたのですが、与野党、特に最初は与党だったと思いますし、あるいは新
首都懇だったとも思いますけれ
ども、二年という数字を出して
移転先を決めるんだということを
提案し、
合意をしていった。そして、今回の
報告書にもそのとおり二年を
目途にということで出されてきた。この二年という具体的な数字が出てきたというのが
一つ現実的な話として俎上に上った理由かなというふうに今考えて、認識を新たにしているところであります。
先ほどこれもお話がありましたけれ
ども、七九四年に平安京、そして一一九二年に鎌倉幕府、一六〇三年に江戸幕府、四百年ごとに新しい
政治の都ができております。今回は皇居は移らないということでありますから
国会等移転ということでありましょうが、四百年というのは本当にある
意味で偶然なのか歴史的必然なのか、いろいろ感慨を感じるものであります。かつては、
報告書にもありますとおり戦争や混乱時だったわけでありますけれ
ども、今回は平和裏に行うということであります。しかし共通項は、先ほど
宇野会長もおっしゃったように、
人心一新ということであります。
私は歴史が好きなものですから、ベネチアの歴史とかあるいはオランダの歴史とか、あるいは
都市国家、小さな国家ですけれ
どもカルタゴの歴史とか調べさせていただきますと、我々のようなこういう小さな資源のない国が次の時代に的確に
対応していくためには、不断の、いわゆる絶えることのない時代への
対応、これが欠かすことのできない大事な要件といいますか、絶対
条件だと私は思っております。
したがって、私は、この機に変革というのはまさに大切な話であると思っております。その変革の方向性というのは、私ははっきり申し上げて出ているんだろうと思っております。それは、もう陳腐な
言葉になってしまいましたけれ
ども、
規制緩和であるとか
地方分権であるとか、あるいは最近大蔵省の解体論が出ていますけれ
ども中央省庁の再編成とか、そういう
言葉にある
意味では集約をされていくんだろうなというふうに思っています。そういう問題が、新しく
政治の都をつくりますよというときに、特に中央省庁の再編成なんというのはまさにそのとおりでありますけれ
ども、改めて必ずやらなければならない
課題に上がってくるわけで、私は、
国政全般の
改革と
一言で言いますけれ
ども、まさに大きな
契機になるというふうに思っております。
あるいは、先ほど来話が出ておりますように、危機管理の問題あるいは景気対策という
観点もあるでしょうし、私はまた
東京のためにもいいんだろうというふうにも思っております。何か
東京都は反対のような、あるいは
東京都議会も反対だということでありますけれ
ども、私は、都民は必ずしもそうではないんだろうというふうに
理解しておりますし、また、
首都高の問題あるいは地下鉄のそういった混雑率の問題を考えても、
東京のためにもいいんだろうというふうに思っているところであります。
したがって、今回の
報告書、一章から七章までありますけれ
ども、私は、率直に申し上げて賛意を申し上げたい気持ちでおります。
これまで
意義と
効果とか新
都市の
あり方とか既に
報告を受けておりますし、したがって、また
質問もさせていただいておりますから、今回は、特に
選定基準の問題について若干
質問をさせていただいて、また今後の進め方についても、
質問というよりは御
意見をお伺いをしたいなという思いでおります。
一つは、恐らくこの
選定基準をつくるときに一番のポイントになったところは
東京からの
距離、この六十キロから三百キロの
範囲だというところではないかなと推測をしているわけでありますけれ
ども、これは
審議の中でどのような
意見が交わされ、どのような経過を経てこのように集約をされたのか、まずお伺いをしたいと思います。