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1996-07-23 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第32号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年七月二十三日(火曜日)     午前十時一分開議 出席委員   委員長 和田 貞夫君    理事 衛藤 晟一君 理事 木村 義雄君    理事 鈴木 俊一君 理事 青山 二三君    理事 石田 祝稔君 理事 柳田  稔君    理事 横光 克彦君 理事 荒井  聰君       伊吹 文明君    狩野  勝君       久野統一郎君    熊代 昭彦君       近藤 鉄雄君    七条  明君       田中眞紀子君    高橋 辰夫君       竹内 黎一君    長勢 甚遠君       堀之内久男君    持永 和見君       保岡 興治君    渡瀬 憲明君       赤松 正雄君    粟屋 敏信君       大野由利子君    鴨下 一郎君       北村 直人君    久保 哲司君       坂口  力君    高市 早苗君       福島  豊君    山本 孝史君       五島正規君     田邊  誠君       森井 忠良君    枝野 幸男君       岩佐 恵美君    土肥 隆一君   出席国務大臣         厚 生 大 臣 菅  直人君  委員外出席者         証     人 郡司 篤晃君         証     人 安部  英君         証     人 塩川 優一君         郡司証人補佐人 井口 克彦君         安部証人補佐人 弘中惇一郎君         厚生委員会調査         室長      市川  喬君     ――――――――――――― 委員の異動 七月二十三日 辞任       補欠選任   戸井田三郎君     久野統一郎君   根本  匠君     七条  明君   山下 徳夫君     渡瀬 憲明君   桝屋 敬悟君     坂口  力君 同日 辞任       補欠選任   久野統一郎君     戸井田三郎君   七条  明君     根本  匠君   渡瀬 憲明君     山下 徳夫君   坂口  力君     桝屋 敬悟君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  厚生関係基本施策に関する件(エイズ問題)  厚生関係基本施策に関する件(病原性大腸菌  O-157による食中毒の発生状況及び対応)      ――――◇―――――
  2. 和田貞夫

    和田委員長 これより会議を開きます。  この際、申し上げます。  本日は、委員室での喫煙は御遠慮願いたいと存じます。  また、報道関係者方々にお願い申し上げます。傍聴人の方を撮影することは御遠慮願いたいと存じます。  なお、傍聴人に申し上げたいと思います。御静粛に傍聴されるようお願いいたします。  以上、御協力をお願い申し上げます。     ―――――――――――――
  3. 和田貞夫

    和田委員長 厚生関係基本施策に関する件の調査に関し、エイズ問題について、郡司篤晃君より証言を求めることといたします。  この際、証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によって、証人証言を求めるときには、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人または証人配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人後見人後見監督人または保佐人並びに証人後見人後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師歯科医師、助産婦、看護婦、弁護士、弁理士公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。  証人宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。  証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  以上のことを御承知おきください。  次に、証人補佐人助言を求めることが許される場合について申し上げます。  すなわち、証人は、宣誓及び証言の拒絶に関する事項に関し、補佐人助言を求めることができることとなっております。  助言は、その都度証人委員長にその旨を申し立て、その許可が得られた後に認められるものであります。  なお、補佐人は、みずから発言すること及びみずから証人助言することはできないことになっております。  次に、今回の証人喚問に関する理事会申し合わせについて申し上げます。  その第一は、資料についてであります。  証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。  その第二は、証人メモをとることについてでありますが、尋問項目程度は結構でございます。  なお、補佐人メモをとることは構いません。  以上の点を御承知おきください。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めることにいたします。全員起立をお願いいたします。     〔総員起立
  4. 和田貞夫

    和田委員長 議院証言法第五条の三の規定により尋問中の撮影許可しないことになっておりますので、これより郡司篤晃君の証言が終了するまで、撮影は中止してください。  それでは、郡司篤晃君、宣誓書を朗読してください。
  5. 郡司篤晃

    郡司証人      宣 誓 書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、  又、何事もつけ加えないことを誓います   平成八年七月二十三日                郡司篤晃
  6. 和田貞夫

    和田委員長 宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  7. 和田貞夫

    和田委員長 御着席を願います。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。  なお、こちらから質問をしているときは着席のままで結構でございますが、御発言の際には起立してください。  委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で重要な問題について証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないように特に御協力をお願いいたします。
  8. 和田貞夫

    和田委員長 これより証人に対して証言を求めます。  まず、委員長より委員会を代表して総括的にお尋ねをして、その後、委員各位発言を願うことといたします。  それでは、私からお尋ねいたします。  あなたは郡司篤晃君ですか。
  9. 郡司篤晃

    郡司証人 はい、そのとおりです。
  10. 和田貞夫

    和田委員長 生年月日住所職業をお述べください。
  11. 郡司篤晃

    郡司証人 生年月日は、昭和十二年七月十六日。住所は、神奈川県藤沢市辻堂一二七三号。
  12. 和田貞夫

  13. 郡司篤晃

  14. 和田貞夫

    和田委員長 それでは、お尋ねいたします。  血液製剤の投与によるエイズ問題を今日のような深刻な状態に至らしめた主な要因のうち、あなたが生物製剤課長に在任当時かかわった次の事項についてどのように考えているのか、お尋ねいたします。  第一に、いわゆる帝京大症例疑似症例判定が、当時において、逆に安全宣言的なものとして受け取られ、問題への取り組みをおくらせることになったのではないかということです。  この症例判定スピラ博士によればエイズであり、また疑似症例とは、あなたを初め衆参両委員会での各参考人の答弁によっても、エイズを完全に否定したものではありません。厚生省は、エイズ研究班と共同して、帝京大症例の正確な認識とその後の一層の警戒の必要性を周知徹底すべきではなかったのですか。  第二に、旧日本トラベノール社の非加熱製剤自主回収の事実をエイズ研究班報告をしなかったことです。  あなたは、その理由を、この自主回収の事実は当時におけるエイズ医学的解明に何の意味もなかったからとしていますが、参議院において芦澤参考人は、この事実はエイズ原因を究明する上で有意義な情報であったと述べられておられます。常識的に考えれば、当時、エイズ医学的解明が進んでなかったからこそあらゆる情報研究班に提出することが必要であったと思われますが、いかがですか。  以上二点について、簡潔にお答えください。
  15. 郡司篤晃

    郡司証人 まず第一点、帝京大学疑似症例と言われている症例についてでありますが、この疑似症例という言葉がいつから使われたのか、私は存じ上げません。医学の上では、疑似症例というのは似て非なるものであります。  したがって、疑似症例という名前を使えば、これはエイズではないということを意味してしまいます。私たちの当時の認識は、この症例アメリカに見るような典型的なエイズとは言えないという、そういう結論だったというふうに理解をしております。  また、スピラ博士日本にいらっしゃったときに、みんなでこの症例について意見を聞こうという話になりまして、意見を交換しました。その当時の、そのときの状況を私はよく覚えております。彼は、残念ながら、アイ・アム・ソーリー、これはアメリカではエイズに入れるというふうに言われました。  私は、この差は結局、本質的にはエイズ確定診断ができないということにあったと理解をしております。つまり、エイズ本態がわからない。  したがって、アメリカにおいては、カポジ肉腫とかカリニ肺炎とかといった症状中心に、そして本質的には原因不明の細胞性免疫不全という、そういった症状中心にした概念として仮に定義をし、そしてそれに当たる症例をできるだけたくさん集めて研究しようという、そういう目的の概念設定であったということであります。  しかし、日本におきましては、この症例自身がまず大変複雑な症例であったために、かつ、日本の第一例目であると言っていいかどうかということを大変厳密に考えたために、必ずしもエイズという断定するには至らなかったということであります。  周知すべきかどうかということにつきましては、その当時のことを思い出しますと、この症例の検討の結果につきましては、委員長並びに私も同伴をいたしまして記者会見をしておりますので、十分広く認識されたというふうに私は理解をしております。  第二に、トラベノール回収報告でありますが、これは厚生省からの文書による問い合わせに対しても私がお答えをしておりますが、これはかなり後になって私は知らされたということがまず一つございます。  それから、意味がないと申し上げたことは、若干説明をさせていただきたいと思います。  当時、私たちは、エイズ本態が何であるか、もしウイルス感染症であれば、その感染力はどのぐらいのものか、あるいはまた潜伏期間がどのぐらいなのか、発症率がどのぐらいなのか、そういった情報を一生懸命、論文やその他の中から読み取ろうとしていたわけであります。しかし、一社が製品を回収したという情報は、これらの情報に何の貢献もしないわけであります。  また、当時、論文の上で、エイズHTLVのI型ではないかというガロ論文が出ます。これは御存じのとおり、日本で言うATLV、成人型白血病原因となるウイルスでありますが、これは発症率が文献によって違いますが、三千分の一から数千分の一と言われているものであります。つまり、一人発症しても残りの二千九百九十九人あるいは数千人は発症しないで一生を終わるという、そういったものでありました。  当時、ある地域においては、HTLVキャリア率が二〇%というような地域もございましたが、その血液はスクリーニングをされることなく患者に輸血をされていたわけであります。  そのようなわけで、HTLVという類似性におきまして、また、先ほど申し上げましたように、当時重要な科学的知見と考えていたものに対してこれらは何の情報をつけ加えることもないということから、私は意味がなかったというふうに判断をしたわけであります。
  16. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもって、私からお尋ねすることは終わりました。  次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。衛藤晟一君。
  17. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 早速、郡司証人質問をさせていただきたいと思います。  エイズ危険性についての認識について、まず第一点、お尋ねいたしたいと思います。  証人は、エイズ実態把握及び血液製剤の問題を議論するために、一九八三年、昭和五十八年六月にエイズ研究班を設置いたしました。証人エイズ研究班を設置した時点、一九八三年の六月の時点エイズについての認識及び一九八四年七月に生物製剤課長を交代するまでの間にその認識はどのように変化したのかについて、まずお伺いしたいと思います。
  18. 郡司篤晃

    郡司証人 一九八三年六月十八日の時点という限定でございますと、恐らく、先ほども私が申し上げました「サイエンス」の二つ論文、つまりガロ及びモンタニエの論文が出た直後だと思いますので、その辺が一番新しい認識ではなかったかと思います。  つまり、エイズウイルス感染症である可能性が高い、しかも、それはインフルエンザやはしかやあるいはB型肝炎のように感染力のかなり強いものではなくて、かなり弱いウイルスではないかという、そういう認識だったと思います。  一九八四年七月に離任、私は確かにしておりますが、それ以前、八四年の、正確に私は月数が今は思い出せませんが、恐らく、テレビ発表が四月だったと思いますが、論文は五月に出たと思いますが、ガロHTLVのⅢ型という確定をしたというニュースが流れ、あるいは論文が出された時点ではないかというふうに思います。
  19. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 もうこの時点において、後で質問させていただきますが、この時点においては、あなたがやめる前においては、相当エイズウイルスの固定がされ、非常に危険性がはっきりわかっていた時期であるというぐあいになると思います。そして、そのことを前提として今から質問をさせていただきたいと思います。  エイズ研究班における帝京大症例の扱い、あるいはクリオ製剤への転換加熱製剤緊急輸入をめぐって外部からの圧力があったのではないかと言われております。例の七月四日付のペーパー及び七月十一日付のペーパーはそれを裏づける資料であるというぐあいに言われております。  そこで、再度、これらの中において、証人生物製剤課に在籍していた期間中、帝京大症例の取り扱い、クリオ製剤への転換加熱製剤緊急輸入に関連して外部からの圧力はあったのかどうか、感じたのかどうか、説明をいただきたいと思います。
  20. 郡司篤晃

    郡司証人 はっきり申し上げますが、圧力はございませんでした。
  21. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 どうしてもやはりそのことがつじつまが合わないわけですね。これだけの危険性認識していながら、何も圧力がなくて何もしないという結果になったということの方が極めて不思議であります。  それでは、これにかわる何かあったのですか。例えばお医者さん同士の争いだとか、そういうようなものをあなたは感じましたか。
  22. 郡司篤晃

    郡司証人 私は感じておりませんでした。むしろ、科学的といいますか医学的な考察の結果、そのような結論になったというふうに私は受け取っております。
  23. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 それでは、クリオ製剤への転換についてお尋ねをいたしたいと思います。  一九八三年当時、エイズ原因が不明であり、その感染力発症率が低いと考えていたという御発言がございました。しかし、濃縮製剤有用性の大きさのゆえに、エイズ研究班においてクリオ製剤への転換を否定されたようであります。  しかしながら、エイズの重篤性については既に明らかになっており、少なくとも一部の患者についてクリオ製剤への転換は早期に可能であったというのが、多くの参考人の今までお話をいただいた認識であります。例えば大河内参考人は、「子供に使うとかそれから軽症の人に使うとか、そういうところの分に関しては恐らくうまく供給できたんじゃないかと思います。」と発言しております。風間参考人も、「小さい子供さん、新生児、小児あるいは四歳以下とか未成年の子供とかいうのがクリオ適応である、」というぐあいに発言しておられます。委員の一致した意見であったというぐあいに私は認識をいたしております。  証人は、エイズ研究班において幼児、軽症例新鮮例についてクリオ製剤に戻ることは必ずしもしないということが雰囲気で決まったというような発言をしておられますが、エイズリスクについては関係者が皆認識をしているのですから、エイズ研究班のそのような結論にかかわらず、厚生省としてクリオ製剤への転換を図るべきだったというぐあいに思いますが、それについてどう考えますか。
  24. 郡司篤晃

    郡司証人 いわゆるクリオ製剤への一部転換についてのお尋ねでございます。  確かに、一九八二年の十二月だったと思いますが、アメリカのNHFから、子供、四歳以下だったと思いますが、新鮮例あるいは軽症例につきましてはクリオに戻るべきではないかというようなリコメンデーションが出ていたと記憶しております。  また、一九八三年の春、三月だったと思いますが、ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスンというアメリカ東部大変権威のある雑誌に、二つ論文一つ意見が発表されます。それらは、濃縮製剤を使っている血友病患者さんに比べてクリオを使っている患者さんは細胞性免疫の低下が少ない、そういう論文であり、一つ意見と申し上げますのは、この際、アメリカ現実に行われております、現在行われております濃縮製剤自己注射をやめるべきではないかという意見があったわけであります。  日本におきましては、その八〇%の製剤製品あるいは原料としてアメリカから輸入されているわけでありますので、もしこの意見が正しいとするならば、日本でも正しいわけでございます。したがいまして、私は、この点につきまして、まず、委員会あるいは血液製剤小委員会議論をしていただいたつもりであります。  その結論は、ある意味で私の認識も間違っていたというふうに思ったわけであります。つまり、私たちは、危険サイドだけを認識しておりましたが、血友病治療専門医たちは、濃縮製剤というのはこれまでの治療法の進歩である、そして、これが基本であって、クリオ適応はかなり限られるのだという御意見でございました。したがいまして、私は、自分の意見を修正したわけでございます。
  25. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 意見を修正した方がむしろおかしいと思うのですね。これだけエイズについての危険性を察知していながら、そして非常に早くからそれを、恐らく一番あなたが早くそういう資料を手にしていながら、そしてその危険性を否定できないというところまで来ていながら、何ゆえに、一部でもいい1全部転換というのは、血液行政の中において、非常にまだ当時においては問題があったと思います、確かに。しかし、一部でもいいから戻すということを何ゆえにしなかったのか。これは私は、明らかにやはり足りなかった部分だというぐあいに思います。  むしろ、あなたも薬事法改正が行われてきたということについての認識をちゃんとしていなかったのではないのかというぐあいに思います。スモンの反省に立って昭和五十四年の薬事法改正で新たに設けられた緊急命令、六十九条の二には、医薬品がある時点安全性に問題があることが相当の根拠をもって判明した場合には、その時点で直ちに、科学的評価確定するまでの間、販売の一時停止等のいわば現状凍結を図るということが、危害の発生または拡大を防止する上で必要不可欠であるという認識に立つ規定であります。  裁判所所見において、血友病患者エイズについて、「ウイルスによるものとみるのが科学者常識的見解になりつつあった。」郡司課長は、エイズ原因血液または血液製剤を介して伝播するウイルスであるとの疑いを強めていたということをはっきり言われております。その判断がなされておるわけでございまして、国内献血血液による濃縮製剤クリオ製剤の自給、または加熱製剤製造承認促進といった代替製剤確保のための緊急措置、あるいは緊急命令の権限を行使しての非加熱製剤販売の一時停止措置等措置が期待されたというぐあいに裁判所でははっきりと指摘をしているところであります。  証人は、薬害を再び発生させないという薬事法改正趣旨を十分認識した上で、所見で指摘されたこうした措置、いわゆる国内血による濃縮製剤あるいはクリオ製剤の供給、加熱製剤製造承認促進等措置に努めたというぐあいに言い切れるのかどうか、これについてお答えをいただきたいと思います。
  26. 郡司篤晃

    郡司証人 私は、さきに資料厚生省から出されたりいたしまして、少しそれを見直す機会を与えられました。それを見てみますと、一九八二年の段階では、アメリカにおきましても、治療方法を変えるなということがまず専門家の間の基本的な意見でございました。また、FDAにおきましても、生物製剤基準を変える必要はないという意見でございました。また、一九八三年六月の世界血友病連盟の大会におきましても、現在の治療方 法を変えない、変える場合にはリスクとベネフィットをちゃんと比較をして変えるようにという意見だったというふうに思います。  したがいまして、その当時、世界におきましては、この治療方法国家権力をもって変えるという考えは存在しなかったのではないかというふうに私は理解をしております。  また、先ほど私が触れました二つ論文一つ意見につきましては、後日、同じ雑誌の中にたくさんの反論が載せられて医学的な議論が進められたというふうに理解をしております。
  27. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 あなたの今の発言の中で、やはりこの五十四年の薬事法改正趣旨が、私は、行政責任者としてちゃんと理解をされていなかったのではないのかという感をどうしてもぬぐうことはできません。私は、これはやはり極めて大きな行政における問題に挙げられるというぐあいに確信をいたします。  さらに、この血友病患者症状はいろいろ異なりますけれども、治療についてはさまざまな意見があったというぐあいに聞いております。厚生省はもっとイニシアチブをとって、ドクターレターとか添付文書などを通じてエイズ危険性について広く情報提供した上で、治療方針を個々の患者医師判断に私はやはりゆだねるべきではなかったのかというぐあいに思います。  エイズのこれだけの問題がある、あるいは治療についての利便性も一部あったというのであれば、それらすべてのデータを一つのものにして、そして患者さんに、あるいはお医者さんにこのことの情報提供を図って、その上で合意をされて治療をやるべきであったというように思いますけれども、このような情報提供ということが全くこの当時なされておりませんが、それについて郡司証人はどう考えますか。
  28. 郡司篤晃

    郡司証人 確かに、厚生省が正式にそのような情報提供したことはないかもしれません。しかし、その当時、エイズに関しましてはジャーナリズム等におきましても大変大きな報道が行われており、また、医学界雑誌におきましても、エイズに関する論文は大至急載せるという、そういう原則で速報しておりました。  したがいまして、ある意味では、素人の厚生省情報を整理して流すということよりも、そのような専門雑誌の中でより多くの報道が行われていたということの方が現実でございまして、そのような情報提供必要性を感じ、あるいはそのような能力が厚生省に必ずしもなかったということだと思います。
  29. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 私は、多くの先生方、また参考人にお越しをいただいた方々から、一部の血友病先生方あるいは学会等において、確かに今証人からお話しされたような治療についてのお話はございましたが、もっとちゃんと情報が開示をされて、あるいは患者さんにもそのことがちゃんと伝わっていたならば選択ができたというように思いますが、結局、患者さんにしてみると、一方的に決定されて、一方的に感染をさせられたというのが実態でございますから、これはやはり非常に大きな問題だったというように思います。  そしてもう一点、先ほどの薬事法改正の問題に絡みますけれども、やはり、先ほど申し上げましたように、郡司証人もこの五十四年の薬事法改正について極めて認識が甘かったというぐあいに私は感じます。そして、それに伴って、この薬事法改正された後も、例えば厚生大臣がこれだけの権限を発動できるようになったというようなことについて、例えばこの後証人として御発言をいただけるでありましょう安部先生、塩川先生といったエイズ研究班関係者方々にもそのことが十分に伝わっていたのかどうか極めて疑問に思うのですが、この点については、郡司先生、どう考えておられますか。
  30. 郡司篤晃

    郡司証人 その当時、私が薬事法を隅々まで承知していたかどうかわかりませんが、今回、いろいろ資料が出てまいりましたり勉強する機会がありまして、そのような、薬事法の精神はそうなっているということはよく理解をしておるつもりであります。  しかし、また一方で、その当時、世界じゅうの専門家意見に反して行政が特別に権力を行使して薬剤を市場から云々するというようなことにつきましては、なかなか困難な状況であったということも御理解をいただきたいというふうに思います。
  31. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 帝京大症例についてお尋ねをいたします。  先ほど委員長質問にもお答えがございましたが、これは、一般的には疑似症例とされ、エイズであるということが完全に否定されたわけではない、エイズ患者であるという疑いは残っていた。塩川参考人も、限りなくクロに近い症例であるというぐあいに認識していた旨を発言しているところでございます。  証人は、血液製剤によりエイズが伝播する危険性について十分認識しており、現にエイズと疑われる患者報告された以上、国内血による血液製剤の供給やクリオ製剤への転換といった血液製剤安全性確保に万全を尽くすべきであったというぐあいに考えますけれども、これについてお答えをいただきたいと思います。
  32. 郡司篤晃

    郡司証人 クリオヘのまず全面転換という点が一つ事項だと思いますが、これはほとんど考えられない意見でございました。  つまり、先ほど申し上げましたように、全血から血漿に行き、血漿からクリオに行き、クリオから濃縮製剤、そして自己注射というのは、血友病治療の技術の進歩である、これで初めて血友病患者さんたちが一般の人と同じように生活ができるようになったのだという理解がございました。したがいまして、それをその時点で、つまりアメリカにおいて十人台の血友病患者さんにエイズが出た段階で、これを全面的にクリオに切りかえるという政策は考えにくかったのではないかと思います。  しかし、先ほど申し上げました部分転換、これについては十分検討に値するというふうに私は考えましたので、それを超専門家先生方お尋ねしたがったわけであります。その結果につきましては、先ほど申し上げましたとおりでございます。
  33. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 やはり、これだけの危険性認識していて、そして、一部でも転換をしなきゃいかぬ、全面転換は当時難しかったかもしれませんが、一部転換でもしなきゃいけないとするならば、それは行政責任者としてちゃんとその方針を打ち出して実行させるべきであった。これはもう私は明確だと思いますね、むしろ行政としては。  やるべきことははっきりしている。危険性がこれだけ認識された以上、その除去について何らかの手を打つということは必要である。そのときに、どんなに最小限見ても可能であった手は、クリオヘの一部転換だけは可能であったというぐあいに思います。そのことをやはり明確にやらなかったということは、私は、これは厚生行政における残念ながらエラーであったというぐあいに認めざるを得ないというように思います。  それから、トラベノール社の自主回収措置について、証人は、先ほどもお話ございましたが、原因感染力発症率等の知見に何ら影響を与えない情報であるという判断をして公表しなかったというぐあいに言っておられます。  しかし、一方で、芦澤参考人は、疫学的には有用な情報であるというぐあいに言っております。トラベノール社の山本参考人も、エイズ研究班はポリティカルである、報告されればどうなったかわからないというぐあいに発言をされております。トラベノール社が回収したのは、エイズウイルスが混入しているということがはっきりわかったから回収したのではありません。混入の可能性が否定できない、混入していないということが立証できないから回収したと言っているわけでございます。これがやはりトラベノールの今回の回収に当たっての基本的な考え方であったと思うのですね。  そうであるならば、これは明らかに、研究班の全員に対して、こうこうこういう理由で回収になりましたよということを知らせるだけの値打ちのある情報だと思いますが、それを判断しなかったという、公表しなかったということについて、私はどうしてもこれは理解いきません。これは何ゆえにこうしなかったのですか。証人は、ひょっとすると、パニック等を恐れてこの回収措置を公表しなかったのではないですか。
  34. 郡司篤晃

    郡司証人 先ほどの答弁を私は繰り返さざるを得ないわけであります。  つまり、この回収されたという情報が、当時私たちがどうしても知りたいと思っていたそのことに何の情報もつけ加えなかった。これは事実であり、また、多くのこの問題を科学的に考えようとしていた人たちにとっては、それは同じ意見ではないかと私は思っております。事実、その後のエイズの問題に大きな転換を迎えるのは、ウイルスの固定であり、かつ検査方法の開発ということではなかったかというふうに私は思っております。  しかし、それを知りたかったのだと言われれば、お知らせしなかったことは悪かったかもしれません。しかし、そのことによって、じゃ、どういう政策が別にあり得たのかということについても、私はちょっと今思い当たらないわけでございます。  そういうわけで、先ほどの答弁を繰り返して申しわけございませんけれども、私自身はそのように考えていたということでございます。
  35. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 その認識は、やはり私は、この薬事法改正を読むと、科学的にはっきりわかる前にそういう危険性がある場合は緊急措置がとれるというぐあいにしているのです。だからこそ、トラベノールは自主的にこういう緊急措置をとったのです。そのことは、エイズの感染を防ぐという意味から極めて大きな情報になるはずです。私はやはり、ここに郡司証人認識における問題があったのではないのかというぐあいに思わざるを得ません。  それから、トラベノール社と厚生省の交渉について、トラベノール社の山本氏は、八二年から生物製剤課トラベノール社との間で加熱製剤の取り扱いを検討されていたと発言しております。それで八三年夏には、加熱製剤の一変での承認申請書案を厚生省に提出したというような発言をいたしております。これに対して証人は、治験が必要であるとの認識をずっと持っていたというような発言をしております。  八三年当時、生物製剤課で、一変による加熱製剤の承認を検討したことはないのか。証人は、トラベノール社から一変での承認申請書は提出された事実はないというぐあいに言われるのか、お尋ねをいたします。
  36. 郡司篤晃

    郡司証人 まず、一変の製造承認が既に出ていたかどうか、ちょっと私は今確認できませんので証言を差し控えさせていただきたいと思いますが、その前に、それではこの一変ということの意味でございます。  私も、厚生省から文書で回答を要求された時点、あるいはその前に裁判所証人として証言をさせられた時点におきましては、実はこの点、詰めて調べておりませんでした。裁判所におきましては、できるだけ調べることなく記憶のまま証言をしようと私は心に決めておりましたので、そういう方針でおりましたので、調べておりませんでした。  しかし、今回、いろいろな資料が出てきたり、また文書で回答を求められたりする中で、いろいろ調査を私なりにさせていただきました。その結果、一変イコール治験なしということではございませんということが明らかになりました。  つまり、薬は医療用医薬品と一般医薬品、これに分かれますが、医療用医薬品は、さらにいわゆるミーツー・ドラッグという、ゾロ品ですね、それと新規医薬品等というふうに分かれまして、その新規医薬品等の中には本当の新規物質もありますが、いわゆる一変というものが含まれております。そして、これらはすべて治験が要求されているわけであります。ただし、生物製剤につきましては、その規定が別にございましたが、その中に新規医薬品とミーツー・ドラッグ、つまりゾロ品しかなかったのであります。そこで、この生物製剤における一部変更という製剤につきまして、どのような取り扱いをしたらいいのかということを取り決めたということだと思います。  結論は、生物製剤ではない一般的な医薬品の剤型変更ということをそれに準用した、こういうことでございますので、まあ比較的紋切り型の役所的な処理をしたということでございますので、何か特別な意図や何かがあってそういう取り扱いをしたものではないということを私は今回確認をいたしました。
  37. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 じゃ、一部変更でやろうかという議論があったということを知っていますか、知っていませんでしたか。
  38. 郡司篤晃

    郡司証人 剤型変更に当たるということでありますので、これは広い意味での一部変更でございます。おっしゃるとおりでございます。
  39. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 時間でございますので以上で終わりたいと思いますが、総体としてやはり私は、薬事法の五十四年の改正についての、極めて当時の我が厚生行政において認識が甘かったのじゃないかというぐあいに、今証人とやりとりをしておりましても、そのことを強く感じました。  以上で終わらさせていただきます。
  40. 和田貞夫

    和田委員長 これにて衛藤君の発言は終わりました。  次に、山本孝史君。
  41. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 新進党の山本孝史です。  お伺いをさせていただきます。  あなたは、研究班行政の諮問機関でも何でもないのに「結果的には、その研究班が大変重要な意思決定をする結果になってしまった」、さらには、「意思決定機関でない研究班に重要な意思決定をさせてしまった」と述べておられますけれども、そのようなことになってしまった原因をどのように考えておられますか。
  42. 郡司篤晃

    郡司証人 まず、この研究班が設置されましたのは、血液事業研究費という、そういうものだったと思います。この研究費の趣旨は、例の血問研で、国立の血液研究施設をつくれという助言が、勧告がございまして、意見具申がございましたが、これが実際には実現しませんでした。そこで、そのかわりと私は聞いたのでありますが、血液事業の、科学的な血液事業の推進ということを促進するためにこの研究費が創設されたというふうに理解しております。  したがいまして、この研究費におきまして、よりましてこの研究班を組織したというのは、当時の、エイズがまだ全体がよくわからない時期におきまして、そのリスクを評価し、治療方法について考察するということは、私は趣旨にかなったことだったのではないかというふうに理解をしております。
  43. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 質問にきちっとお答えをいただきたいのですね。重要な意思決定をさせてしまった、すなわち、あなたの行政上のミスですよね。その点をどういうふうにとらえておられるのかということをお聞きしているのです。
  44. 郡司篤晃

    郡司証人 研究班というのは、その当時の最高の知恵と知識を持った人たち判断を下すわけでございまして、私がその判断に全く逆の判断を、素人として、たとえ行政権限があったとしても、するわけにはなかなかいかなかったということが現実の姿でございます。
  45. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 今、血問研の答申についてお触れになりましたけれども、この血問研の答申、すなわち「医療用血液国内自給体制の確立」という答申が昭和五十年に出ています。でも、それがずっと実現しないでやってきました。そこは一体どういうことだったのか。供給一元化に反対している業界や政界の動きがあったのか、あるいは日赤の無気力さか、血液製剤を使い放題のお医者さんの姿勢なのか、それとも厚生省の怠慢ですか。
  46. 郡司篤晃

    郡司証人 大変複雑な内容についての御質問です。(山本(孝)委員認識を聞いております」と呼 ぶ)私は、そのすべてが当たっておるのではないかというふうに思います。
  47. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 血友病患者へのエイズ感染の拡大を防ぐための緊急対策と国内自給体制の確立というこの長期的な対策と、お二つ、課長としてお考えだったというふうに思うのですね。緊急対策として、どのような施策をどの順番でおとりになろうというふうにお考えになったのか、お聞かせください。
  48. 郡司篤晃

    郡司証人 まず緊急対策として私が考えましたのは、先ほども申し上げましたように、クリオ製剤への部分転換でございます。
  49. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 そのクリオ製剤への部分転換ですけれども、先ほど、全面転換ははなからなかったというふうにおっしゃいましたね。ということは、後でもう一度お伺いしますけれども、そのクリオ製剤への部分的な転換も、班会議の早い時期に、雰囲気として、だめなんだというふうに決まったのだというふうに受けとめられているわけですけれども、この班会議の早い時点というのはいつのことを証人はおっしゃっていますか。
  50. 郡司篤晃

    郡司証人 私の記憶では、研究班の第一回の会議でもそのクリオ議論は出たと思います。しかし、本格的な議論、そして最終的な結論といいますか、そういった印象を私が得ましたのは血液製剤小委員会の第一回目の会議時点でございます。
  51. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 先ほどの質問に戻りますけれども、そのとろうとせられた緊急対策、クリオヘの部分的転換、それだけだったのですか。あるいは、そのほかにも緊急対策をお考えになっていたのですか。
  52. 郡司篤晃

    郡司証人 それだけだったと思います。
  53. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 すると、クリオヘの部分転換が否定された時点で、次の対策として何をお考えになったのですか。
  54. 郡司篤晃

    郡司証人 二つほどあると思います。一つは中長期的な対策、これを急いだということが一つでございますが、もう一つは、状況もいろいろ変わってまいりましたので、加熱製剤にやはり取り組まなきゃいけないのじゃないかという方針転換を次第にしていくということがあったと思います。
  55. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 すると、今のお答えですと、その加熱製剤への転換というものは、研究班を設置された当時はお考えにはなかったわけですね。
  56. 郡司篤晃

    郡司証人 実は、私の記憶では、何か大きな出来事があってこの加熱製剤にどうしても取り組まなければいけないことになったという記憶はないのであります。だんだんと、やはり加熱をやらなければいけないかなというふうに思っていくわけでありまして、夏ごろというのはちょうどデリケートな時期ではないかというふうに私は思います。
  57. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 トラベノール社が早くにアメリカ加熱製剤を開発して、日本にも売り込みに来ていますね。それで、八三年の五月だと思うのですけれども、トラベノール加熱製剤について説明をお受けになったときに、これは治験が必要だと確信したというふうに述べておられますけれども、なぜそのときに治験が必要だというふうに指示をなさらなかったのですか。なぜ十一月までこの加熱製剤の治験を待たせるような形になっているのですか。国民が選択できるように加熱製剤も最初から提供すればよかったのではないか、そういうふうに思うのですけれども、その点はどういうふうにお考えですか。
  58. 郡司篤晃

    郡司証人 実は、先ほど申し上げましたように、今までの証言裁判所における証言あるいは厚生省に対する文書回答等におきましては、製剤についての印象について主に述べました。そして、薬事制度、つまり一変ですべて、一変の場合ですね、すべて治験が要求されるのだというようなことをちょっと調べておりませんでしたので、何かこの製剤の性質から私が治験が必要と判断をして、そして治験を課したというふうな回答になっているかと思います。しかし、先ほど申し上げましたように、一変というのは基本的に治験が必要なのであります。まずそれが基本だと思います。  それから、製剤について私が得た印象は、一部間違いがございますが、ほぼ概論的には、全体的には正しいものだったというふうに思います。  例えば間違っていた点は、私はチンパンジーが二頭だというふうに記憶しておったわけでありますが、全体は六頭やっておりました。しかし、肝心なのはその二頭でございます。つまり、少量の、大量をやった場合には全部感染するわけでありますが、少量のB型肝炎ウイルスを混入させて加熱して二頭のチン。ハンジーに接種をしております。そうすると、一頭はかなり早い時期に発症し、もう一頭、これは私は文書の回答では発症しなかったと回答しておりますけれども、最終的には、どうもデータを見てみると発症しております。そういうことで、かなり不完全な技術だなという印象.を私は得たのであります。  また、血中濃度の上昇、あるいは血液の中からなくなっていく半減期というのがございますが、このデータについても処理がどうも恣意的だという印象をそのとき持った記憶がございます。今回調べてみましても、若干その心配はぬぐい去れないデータだというふうに私は思いました。
  59. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 そういうふうな印象を持たれたということをトラベノール社にお伝えになったのですか。
  60. 郡司篤晃

    郡司証人 そのときはディスカッション、口頭によるプレゼンテーションでありましたので、議論した可能性が十分にございます。
  61. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 加熱製剤に関係してですけれども、ミドリ十字の加熱製剤の開発状況ですけれども、安部氏によれば、ぐんとおくれていた状態だったというふうにおっしゃっています。どのくらいおくれていたのか、どういう状況だったのか、加熱製剤はどの技術でいつできたというふうに御記憶ですか。
  62. 郡司篤晃

    郡司証人 ミドリ十字社の加熱製剤の開発状況については、私は知らない、存じ上げません。
  63. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 血液製剤課長として随分、国内のメーカーの供給状況であるとかあるいは技術の開発状況製品提供状況であるとかということを知らないということは、どういうふうに理解をすればいいのでしょうか。
  64. 郡司篤晃

    郡司証人 加熱製剤の開発に努力をしているという話は聞いておりました。しかし、どの段階にあるかということについてはよくわかりませんでした。例えば、加熱にいろいろな方法がある、液相加熱とか乾燥加熱とか、あるいは安定剤というようなものが重要だ、そういう話は聞いておりましたが、どの段階まで進んでいるかということについては、私は正確には存じておりませんでした。
  65. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 最終的には加熱製剤はいつできたというふうに御記憶ですか。
  66. 郡司篤晃

    郡司証人 トラベノール社につきましては……(山本(孝)委員「ミドリ十字です」と呼ぶ)ああミドリ十字ですか。ちょっと私は今存じ上げません。
  67. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 あなたのこれまでの陳述の中で、安部先生で困ったことはありませんでしたというふうに参議院参考人招致のときに述べておられるのですけれども、本当に困ったことはなかったのですか。  実際には安部氏は、あなたの言葉で言えば治験と進行形で寄附を要求していて、あなたがお金をもらうのはまずいというふうに注意をすれば治験の総括医を辞退されて治験の開始がおくれてしまう、そういう医師だったわけですよね。  この安部氏に金を要求されて困っているというふうに言ってきた企業は一体どこの企業だったのか。また、そのお金はどういうような種類のお金だったのか。財団の設立資金だったのか、あるいは運営費だったのですか。あるいは幾らぐらいのお金を要求されているのだというふうなお話だったのでしょうか。教えてください。
  68. 郡司篤晃

    郡司証人 私の記憶では一社ではございませんでした。複数の外国系の企業だったというふうに記憶しております。  金額等については、私は聞いておりません。ただ、かなりの金額であったのであろうという想像はいたしました。
  69. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 ということは、安部先生というのは困った先生だったのですよね。
  70. 郡司篤晃

    郡司証人 安部先生は、エイズに関しては極めて当初危機意識が強くて、大変リーダーシップの強い先生であったというふうに私は理解をしておりますが、おっしゃる点に関しましては、ああ困ったなと思ったことは事実であります。
  71. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 ですから、前回の参考人でお述べになっていることと違うということを申し上げているのです。  先ほどからお聞きしていますと、トラベノール社の回収報告ですけれども、後になって知ったというふうにいつもおっしゃるのですけれども、後とはいつなのか、なぜ後になって知ることになったのか、そこを教えてください。
  72. 郡司篤晃

    郡司証人 後になった理由は、係から私のところに報告されたのがおくれたということでございます。どのぐらいおくれたかということについては、かなりおくれたなという印象が残っているだけで、具体的にどのぐらいという期間まで実は覚えていないのであります。  記録を見ますと、トラベノール社の回収の報告が六月二日に出ているようですね。それから、七月の末に、厚生省から、証明書つきの血液のみを輸入するようにという通知を出しております。文書による厚生省に対する回答の中で、私は、この回収があったという報告を受けたときに、あの証明書添付を通知しておいてよかったなというふうに思ったというふうに答えているわけであります。ですから、それが一つ可能性であります。つまり、七月末以降に聞かされた可能性があるということであります。  しかし、よく考えてみますと、この回収報告は、基本的に私の記憶に残っているのは、よかったなという印象が基本であります。したがって、このよかったなという記憶は、通知を出していてよかったのか、それとも市場に出なかったのでよかったと感じたのか、具体的な資料を見るとわからなくなりました。  その二つ可能性がありますが、それを確認する方法は今ないのであります。
  73. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 あの六月二日付のトラベノールの書類は、郡司課長名で出ている書類ですね。それが課長のところに来ないで、後になって知ったというふうにおっしゃっている。  これまでの動きをずっと見ていますと、課長はこの一変あるいは加熱製剤の導入に極めて積極的、今の証人の御発言でいくと、当初全くお考えになっていないということで、課長補佐が勝手に方針を決めて仕事をしていたというような状況なんですか。あるいは、課長としてあなたは課長補佐にどのような指示をしておられたのか。一体この生物製剤課という中はどうなっていたのですか。教えてください。
  74. 郡司篤晃

    郡司証人 生物製剤課の中の雰囲気は、大変みんなが自由に議論する雰囲気だったというふうに思います。  私は、二年半ですか、もっとですか、の在任期間中、技官補佐が三人かわっております。最初の補佐は、血液行政に関して全く興味を示さないということを私に言いましたので、私が自分で取り組みました。  その次に来た補佐が藤崎補佐と言われる方であります。彼は、来るなり、自分は血液やりたいということで、大いに勉強をし、いろいろな紙を書いては自由に課内で議論をするという、そういう雰囲気だったというふうに思います。
  75. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 課内で自由な雰囲気の中で議論をされるというのはいいのですけれども、その結果として、血友病患者さんへのエイズ感染が防げない、緊急対策が的確に打てないというところに問題があるというふうに思うのですね。  それで、ジャーナリストの池田房雄さんが一九八六年にあなたに取材をしたところ、帝京大症例エイズ第一号と認めてしまうと行政の責任に火がついてしまう、困るんだというふうにお答えになったというふうにおっしゃっているのですけれども、このことは事実なのかどうかの確認と、事実でないとしても、血友病患者からエイズ患者が出るということは、もう一度お聞きをしたいと思ってもいますけれども、血液行政の問題というのが浮き彫りになって厚生省としてはやはり困るなというお気持ちだったのか。ここのところはどうでしょうか。
  76. 郡司篤晃

    郡司証人 まず、池田さんという方に会ってそのような話をしたという記憶は、全く私は今持っておりません。ただ、御指摘のように、血液行政が構造的に多くの問題を抱えていた、これはもう事実であります。  それで、私は、今まで厚生省に聞かれた文書による回答などの中では一貫して、エイズに対して緊急対策が否定されたので中長期的な対策に移行したというふうに申し上げましたが、今度資料がいろいろ出てまいりまして、それを見たところ、いろいろ思い出しまして、これはむしろもっと早くからやっていたのであります。  例えば、成分献血の基準などというものが、どうも八二年のうちに私が自分自身で書き上げたらしいのであります。それで、清水勝先生にそれを手直しをお願いして返ってきた日付が三月になっておりましたので、「入るをはかり、出るを制する」という、その入るをはかるの方はもう相当早くからやっておった。それから、出るを制するも、輸血学会の理事会にお邪魔したのが五月だということがわかりましたので、かなり早い時期からそういう中長期の対策、血液対策には取り組んでいたので、血液事業が大変問題な状況であるという認識ははっきり持っていたということは事実でございます。
  77. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 ですので、ずっとこれまで血問研の答申を実現しようという方向でやってこられた。それはそうだとわかるのですよ。  でも、研究班をおつくりになったのは、血友病患者さんのエイズ感染を防ごうということで研究班をおつくりになったわけでしょう。そのところで、血友病患者からエイズ患者が出ると血液行政が問題になるということが、これが外に向かって明らかになるのじゃないかというふうに、そういう気持ちをお持ちになったかどうかということなんですね。
  78. 郡司篤晃

    郡司証人 私は、そういう意図によって第一例目の認定を左右したというような記憶は全くございません。  本当に日本にいるかどうかというような調査を例えば第一回と第二回の委員会の一カ月の間にやっておりますし、また、その結果、委員会で客観的にみんなに言って相談をしておりますし、その後記者会見もしておりますので、私はその症例を隠そうなどという意図は全くなかったということを明言させていただきたいと思います。
  79. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 この帝京大症例ですけれども、塩川先生の順天堂大学で病理判定をするということになりますけれども、ここの経緯ですね。塩川先生が自分の大学の病理教授に相談をしてみよう、診させようということになった経緯ですけれども、だれが、順天堂大学で病理診断をしようというふうに言った人がいるのか、あるいは塩川さん自身が、じゃ自分の大学で診るわというふうにしてお引き取りになったのか。これはどちらでしょうか。
  80. 郡司篤晃

    郡司証人 その辺の細かいことにつきましては、私はちょっと存じ上げないのであります。
  81. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 このエイズ感染の緊急対策の中で最初に考えたのはクリオヘの部分的な転換であった、加熱製剤の導入は自分の頭になかった、クリオヘの転換がだめになった時点で次は何をしようかというふうに考えたということですね。どう考えても、やはりその対応としてまずいのではないですか。  どんどん感染が広がっていくという危機認識を持ちながら、一番それを強くお持ちであっただろうというふうに私たちは思うのですけれども、その課長が、そういう目的でもって研究班をおつくりになって、そして最終的にこの研究班のメン バーの決定に従ってしまう、あるいは研究班の方が主導権をとってしまう。そこのところに今回のエイズ薬害の、このお話をお伺いをしていても、余りにも厚生省の姿が見えない、リーダーシップが全く発揮されていないということを強く感じるわけですけれども、証人はその点はどういうふうに今お考えでしょうか。
  82. 郡司篤晃

    郡司証人 結果的にはおっしゃるとおりだと思います。しかし、行政基本的に素人集団でございまして、専門家意見というのは大変重いものだというふうに私は考えております。
  83. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 その素人集団の中ではありますけれども、そういうふうにクリオヘの部分転換をまずやってみようということでお考えになったその政策の選択は、当時の薬務局長と相談をされて決められたことですか。
  84. 郡司篤晃

    郡司証人 私の記憶では、薬務局長までそのことについて相談した記憶はございません。
  85. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 先ほど私の方からつらつらと言ったので、もう一度お聞かせいただきたいのですけれども、血問研の答申が実現しなかった理由ですね。いろいろなことが考えられる。私、四つ理由を挙げたら、その全部が当たっているだろうというふうにおっしゃったのですけれども、血問研の答申が実現できなかった一番の理由は、証人は何だというふうにお考えでしょう。
  86. 郡司篤晃

    郡司証人 血問研の答申の中には、保存血あるいは成分製剤、これにつきましては日赤がやるように、しかし、分画製剤についてはこれから需要が大変伸びるだろうから、それについては財団法人のようなものをつくってそれに生産をさせなさいという、その程度のことしか書いてないわけであります。  しかし、財団法人をつくってやるということがどれほど厚生省の中で議論されたか、実は私はそこまでちょっと調べておりません。しかし、財団法人をつくったからといって、こういう高度な技術をすぐさま製品にまで持っていくということは恐らく大変なことではないか、大変困難なことではないかというふうに思います。  それから、赤十字社は、血液事業を任されてはおりましたけれども、技術を持っていなかったのであります。なぜ技術を持っておらなかったのかということまでいきますと、これはなかなか難しい問題で、いわゆる株式会社とそれからそういったいわゆる福祉法人ですか、そういうものの技術開発に対するインセンティブの差といいますか突進力の差といいますか、そういうものが基本的にあったのではないかというふうに思いますが、いずれにしろ、日赤が原料を全部独占的に集めていながら技術がない、メーカーの方は技術はあるけれども原料がない、こういう状況ができ上がって、一方、需要はどんどんふえる、需要がふえるので、そのかなりの部分が外国からの製品あるいは原料の輸入という形になってしまったということであります。
  87. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 最後の質問ですけれども、衆参両院の参考人招致で、いつもこういうふうにおっしゃっていました。「当時の行政の担当者として最大限の努力はしたつもりでありますが、結果的にはこのように大規模な感染という事態を避けることができなかったことを心から悲しく、残念に思っております。」というふうにおっしゃいました。これは、みずからの責任について全くお触れになっていない発言だというふうに思いますけれども、あなたは行政担当者として責任をお感じになっていないのか。  あなたが言うように、これもあなたの言葉ですけれども、「血友病の皆さんでエイズに感染してしまわれた方々、また既にお亡くなりになっておられます方々には、本当に無念で悲しく、また心から怒りを覚えていらっしゃることと思います。」私は全くそのとおりだというふうに思うのですね。患者の皆さんは一体この怒りをどこに、だれにぶつけたらいいのですか。どうぞ、あなたの今のお気持ちをおっしゃってください。
  88. 郡司篤晃

    郡司証人 一番厳しい質問だと私は理解をしております。  結果責任ということであれば、私はそれに責任があると思います。しかし、結果責任というのをだれがどういう形で追及することができるのか、そういう問題ではないかなというふうに私は理解しております。神様が追及するというのであれば、私は甘んじてそれを受けますし、国民全体がそれを追及するということであれば、また私はその責任を負いたいというふうに思います。
  89. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 終わります。ありがとうございました。
  90. 和田貞夫

    和田委員長 これにて山本君の発言は終わりました。  次に、横光克彦君。
  91. 横光克彦

    ○横光委員 横光克彦でございます。  御質問させていただきます。  今、山本委員質問に、あなたは行政は素人の集団であるというお言葉がございました。この言葉は、今の薬害に遭われた方たち、被害に遭われた方たちにとっては耐えられない言葉じゃないかと思うのですね。行政を担当する人はその道のエキスパートであり、卓越した人たちと皆信じているのですよ。その人がみずから素人である、そのようなことを言っていいのですか。どうぞ今のその言葉、どうかあなた撤回してもらえませんか。でなければ余りにもかわいそうです。
  92. 郡司篤晃

    郡司証人 御存じのとおり、厚生行政の中には事務官とそれから技官という者もおります。事務官がこういった技術的な問題について素人であることは、これはやむを得ないことだと思うのですね。技術を持っている技官にいたしましても、それはそれぞれにある程度の専門性というのはございます。もちろん、ない人もおりますが。しかし、その専門性というのは相対的な概念でありまして、非常によくわからない情報が科学技術的な問題として上がってきたときに、それを判断するということは、専門家の中でもさらに超専門家判断が私は必要だというふうに思われます。そういう意味で、厚生省の技官といえども私は素人に属するというふうに申し上げたわけでございます。
  93. 横光克彦

    ○横光委員 今、山本委員から、本当に厚生省は何をやってきたのかという思いの質問がございましたが、まさにそのとおりで、その行動が今の言葉一つに私はあらわれているのじゃないか、如実にそれを証明しているのじゃないかという気がしてなりません。  郡司君ならと期待したが結局だめだった、非加熱製剤を継続したのは郡司君が上から圧力をかけられたために違いない、献血供給事業団の元理事の村上省三氏の言葉でございます。非常にそう言って残念がつたそうです。  証人は、村上氏とともに東京女子医科大に在籍したことがありますね。八二年の末ごろから、その村上氏からエイズ関連の海外文献があなたに送付され始め、そしてその送付は、あなたが八四年七月に異動するまで続きましたね。これは事実ですか。
  94. 郡司篤晃

    郡司証人 事実でございます。
  95. 横光克彦

    ○横光委員 その村上氏は、証人エイズ関連文献を送付するに当たって手紙をつけた。その書き出しは今でもはっきり覚えていると村上氏が言っております。  その手紙は、「既に安部氏」、安部英氏だと思うのですが、「安部氏あたりから駆け込みの訴えがされていると思うけれども、アメリカで妙な病気がはやっている」、こういうものだったわけです。これは覚えていますか。
  96. 郡司篤晃

    郡司証人 前半の部分についてはちょっと記憶にございませんが、アメリカで変な病気がはやっているよというところはよく覚えております。
  97. 横光克彦

    ○横光委員 この手紙のように非常に心配され、そしてまた、あなたに期待していたのですね。ところが、その村上氏の努力は報われなかった。やはり非加熱製剤を継続したのは、村上氏の言うように、上からの圧力があったと、これはだれでも考えるわけです。  第二回の班会議に関する報告書や、これまで厚生省が公表した資料には、世界血友病連盟のストックホルム会議報告については何度も記載され ックホルム会議報告については何度も記載されております。この安部英氏の報告、一九八三年七月十九日付の第二回班会議についての文書には、血液製剤については現状のままでよいというのが各国の意見血友病の従来の治療方法を変えるべきではないとの意見、こういうふうに要約されております。  証人は、非常にこの報告に、大きな意味がある報告であったと評価している。この会議報告が、私は、それ以降の日本厚生省の薬害エイズに対する政策決定に非常に大きな影響を与えたと考えております。証人はどうですか。
  98. 郡司篤晃

    郡司証人 その影響、私はその会議に実は出席はしておりません。報告があったことは議事録等で確認をしておりますので、そういう趣旨報告委員会でなされたことは間違いないと思います。そして、そのことがかなり委員会に影響を与えた可能性というのは、私は直接記憶しているわけではありませんが、資料等を確認すれば、大きな影響があったのではないかなというふうに推察いたします。
  99. 横光克彦

    ○横光委員 大きな影響があったと推察される、それはずっと安部英氏の影響につながる、私はこのように受け取っております。  先ほど多くの同僚議員がトラベノール社の回収の件を質問しておりましたが、この生物製剤課報告した件を後で知ったというのは、これはどうしても私も納得いかないのですね。一番早く情報をキャッチできる立場にいたのですね、あなたは。その一番早く情報をキャッチできる立場にいたあてに報告が来たにもかかわらず、あなたに来た報告がおくれていた。まさに、あいた口がふさがらないというような状況じゃないかと私は思うわけですね。  そして、あなたは、自分では特別な意味がある情報ではない、あるいは何ら意味がないという理由報告しなかったと言っておりますが、この研究班の目的は、危険をどう評価し、どのように治療方法を考えるかということをあなたはこの研究班の目的の一つに言っているわけです。危険をどう評価し、どのように治療方法を変えるか。  この回収報告は、アメリカでも、そして日本でも、危険な可能性があるから回収して報告したわけでしょう。あなたは科学的な知見がないからという理由情報意味がないと言っておりますが、そんなことではいつも行政はおくれを、後手後手になるのじゃないですか。疑わしい危険は除去する、これが薬害を根絶する基本ではないのですか。ですから、何ら意味がないというのは到底わからない。非常に意味がある。ですから、あなたは絶対にエイズ研究班にこの報告をまずすべきだった。  まあこれは、結果的には大変な、私は、ここから大きな一あなたはそのことによって治療方法転換は考えられなかったと言うけれども、それはあなたが考えるのじゃない。あなたがさつき言ったように、エキスパートの人たちが、すぐれた人たちが集まった研究班だと言いましたね、そういう人たちに投げかけることがあなたたちの仕事でしょう。治療方法転換とかいうのはそこで論議してもらう、その前に投げかけることをしなかった、これは大きな行政の失敗だと私は思います。  これは、証人は、今から見るとやはり問題提起すべきだったと思いますか。
  100. 郡司篤晃

    郡司証人 芦澤先生を初め何人かの先生が、それを知りたかったのだというふうにおっしゃっていることはよく存じております。したがいまして、申し上げるべきだったのかなというふうに思いますけれども、私が申し上げることも、これもまた事実ではないか。つまり、新しい医学的な、基本的な知見に関しては何の知識、情報をつけ加えるものでもない、そして、それによってこの大きな何か政策転換があり得たのかというと、私はちょっと思い当たらないということを申し上げているわけであります。
  101. 横光克彦

    ○横光委員 あなたは、報告により委員会が別の結論を出すというふうには私は考えなかったと言っていますが、そんなことは報告してみなければわからないじゃないですか。現に芦澤先生や塩川先生のように、もしこの報告があったら結論は変わっていたかもしれないと言う人もいるのですから、エイズ研究班の班員に。ですから、どうかここのところは、やはり私はあなたの一つの失敗になるのじゃないかという気がしてならないわけです。  次に、スピラ認定のことについてちょっとお伺いします。  これは厚生省研究班のメンバーに呼びかけた非公式の会合であった、そして証人も出席した、ステロイド剤を使用していてもアメリカではエイズと呼ぶのだとこのスピラ博士発言した、これはもう先ほど間違いないとおっしゃいましたね。この呼びかけた厚生省あるいは研究班出席者を覚えていますか。
  102. 郡司篤晃

    郡司証人 名前までは覚えておりません。そこは、出席できる人が集まりましょうといって集まった、そういう会だったということだけは記憶しております。
  103. 横光克彦

    ○横光委員 塩川委員は出席していましたか。
  104. 郡司篤晃

    郡司証人 ちょっと記憶にございません。申しわけございません。
  105. 横光克彦

    ○横光委員 記憶にないのですね。  このスピラ認定の後に開かれました第四回の研究班会議で、安部英先生がコメントを報告したとおっしゃっています。そして、その報告安部先生によって研究会でなされたようである、あなたはそう言っている。まあ、記憶がないと言う人もいるが、そういった報告があったということを言っている人もいる。ただ報告があって、そこで論議されていないのですね。非常にここでは、私は、厚生省行政は消極的だったのじゃないかと。  スピラ博士の件は厚生省が主体的に呼びかけたわけですね、班員に。そして、そういった内容を、厚生省行政みずから第四回の班会議で内容を詳しく説明して、そして、大変問題になっておりました帝京大症例、非常にエイズに近いと言われた帝京大症例を再検討する提案をなぜしなかったのですか。
  106. 郡司篤晃

    郡司証人 この症例につきましては、私の理解では、第一回目と第二回目の委員会の間に行いました大変急いだサーベイの中から上がってきたものであります。したがって、第二回の会議からずっと検討をして、続けてまいりました。  したがいまして、私は、十分議論し尽くされたというふうに思っておりますが、これは、先ほど申し上げましたように、第一例であると断定するに至らなかったということであったと思います。
  107. 横光克彦

    ○横光委員 あなたは先ほど、第一号認定断定だったので非常に慎重になったというお言葉がございました。それじゃ、その後に結局第一号認定がされた同性愛患者を認定するときは慎重だったのですか、あれであっちの方が慎重じゃなかったでしょう。それを、なぜそのときには、そんなに慎重だという理由で提案しなかったのか。私は、これは一度決まったものでも覆すぐらいの大きなインパクトのある事例だと思うのです。  CDCの主任研究員なんですよ。当時あなたたちが非常に頼っていたCDCの主任研究員。しかも、研究が先行していたアメリカ専門家意見なんです。それをあなたたちはほとんど無視してしまった。これも私は、ここでも大きな失敗じゃないか。現に塩川先生は、スピラ博士がちゃんと言われたのであればみんな賛成しただろうという意見もある。ですから、何か厚生省が、行政がやることは慎重過ぎて、消極的だったのですね。私は、もっともっと引っ張って、主導的にやってほしかったなとつくづく思うわけです。  次に、治験なんですが、あなたは八三年十一月に加熱治験説明会をしておりますが、厚生省としては、治験に入れるメーカーから順次やるべきだと考えていたのか、それとも、安部氏が表明したような全社共同治験を考えていたのか、どちらですか。
  108. 郡司篤晃

    郡司証人 治験につきましては、十一月にいろいろな諸条件の説明をいたしました。基本的に は、治験はそれぞれの社がやることでございます。  しかし、この技術に関しましては、単純な加熱、つまり合成するとかというそういう技術ではございません、単純な加熱をするという技術でございましたと私は理解したので、共同でやれば、二施設四十例というようなものはすぐ集まるのではないかなというふうに思ったわけであります。  そこで、血液製剤協会を通じて、前例もあることでありましたので、共同治験などを考えたらいかがですかということも申し上げました。
  109. 横光克彦

    ○横光委員 なぜですか。それは安部氏の意見に従ったのじゃないのですか。先行できる会社があったのです。そして、一日も早い治験開始、そしてその認可を待っている患者もいたのです。そういったことはわかっていたのでしょう。それなのに共同治験ということは、結局、先行できる会社は待たされるわけですね。なぜ一日も早く安全な加熱製剤を導入する道を選ばなかったのか。これは本当に、安部氏とあなたのあれじゃないですか。何か安部氏の意見に従ったとしか思えないのですが。どうぞ。
  110. 郡司篤晃

    郡司証人 共同治験イコール先発メーカーを待たせるということには私はならないのではないかというふうに思います。先発をしている社が独自にやるということであれば、それを抑制するような意味での共同治験ではございませんでした。  それから、血液製剤協会にそういうふうに申し上げたその答えは、共同治験はできませんという答えが返ってきましたので、私は、そのようなものなのかなというふうに理解をした次第でございます。
  111. 横光克彦

    ○横光委員 あなた、安部氏の財団設立の基金集めについて、複数の企業から疑問が寄せられた、そこで注意をしたら安部氏は怒って治験をやめてしまった。このときに、あなたどう思いました、安部氏の人間性について。このことで治験をやめてしまったのですけれども、どう思いました、安部氏の人間性を。
  112. 郡司篤晃

    郡司証人 人間性ということについて何か考えた記憶はちょっとないのでありますが、困ったことになったという記憶は残っております。
  113. 横光克彦

    ○横光委員 恐らくそうでしょう。それはゆゆしき事態ですからね。常識では考えられない形でこのような行動をとるわけですね。とってきているわけです、安部先生は。  そして、安部先生は血液製剤協会から自発的に寄附金の提供があったとおっしゃっていますが、自発的に出すなら、こういつて企業から疑問が寄せられるわけがないのですね。ですから、あなたは、やはりそういった疑問が寄せられたということは、これはかなり安部氏が製薬業界に無理強いしている、強制的にお願いしているというふうに察知しましたか。
  114. 郡司篤晃

    郡司証人 恐らく、ある社にとっては大変無理な要求だというふうに思われたので、私のところに来られたのだというふうに理解いたします。
  115. 横光克彦

    ○横光委員 私はやはり、そこが一つ圧力であろう、このように思います。  最後に、「原告からの手紙」という本の中の一節、ちょっと読みます。聞いてください。   国や製薬企業は、エイズ危険性を察知して  いながら、なぜアメリカからの輸入を止めなか  つたのか。そして、その事実をなぜ、僕たち患  者に伝えなかったのか?   この薬害は防げなかったのではない。防がな  かったのだ。それが僕には許せない。   製薬企業は、僕たち患者の命よりも自らの利  潤を追求した。それが僕には許せない。  この患者の手紙、あなた、どう申しわけしますか。
  116. 郡司篤晃

    郡司証人 重く、心に重く受けとめざるを得ません。  しかし、アメリカから輸入をとめるという事柄自身につきましては、その当時、八〇%以上をアメリカからの輸入に頼っていた日本としては、濃縮製剤の輸入を頼っていた日本としては、それはなかなか困難だったのではないかというふうに思います。
  117. 横光克彦

    ○横光委員 まだそのようなことをおっしゃるようでは、患者の皆様方は救われないと思います。  終わります。
  118. 和田貞夫

    和田委員長 これにて横光君の発言は終わりました。  次に、荒井聰君。
  119. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 新党さきがけの荒井聰でございます。  郡司証人に、私の時間は十三分と短いのですけれども、少しばかりお聞かせ願いたいと思います。  八三年当時、郡司証人生物製剤課長であります。生物製剤課というのは、血液事業について総責任というか、実務担当の総括責任であろうと思います。当時の血液事業についての基本的な政策は何であったのか、それをお聞かせ願いたい。
  120. 郡司篤晃

    郡司証人 当時の血液製剤に対する基本的な政策は、構造的ないろいろな矛盾というものを直すことでありました。それは、先ほどもちょっと申し上げましたように、血液の原料は献血で独占的に日赤が集めていながら技術がない、メーカーはという、そういった事柄などであります。
  121. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 証人は、参議院の方で、当時の基本的な政策は国内の自給であるというふうにおっしゃっています。そうだと思います。国内の自給体制を整えるということが生物製剤課基本的な政策だろうと思います。  ところで、この問題とそれからこのエイズの危機管理の問題とが、私は、当時、証人の中では矛盾が生じているものの一つとして出てきたのではないだろうかなと。つまり、輸入からどうやって国内自給に切りかえるかということは、例えばクリオの体制に一部でも切りかえていく、あるいは国内血液製剤に切りかえていくということが必要だったのだろうと思うのですけれども、それが技術的に難しかった。そして、それでは加熱製剤を緊急に入れようかというと、加熱製剤を緊急に入れるとむしろ日本国内血液事業全体の国内自給体制にとって矛盾が生じる、そう考えたのじゃないですか。
  122. 郡司篤晃

    郡司証人 国内自給が基本的政策だった、それはそのとおりだと思います。  加熱製剤緊急輸入、これによって国内の自給がまたさらにバランスが崩れるというような御指摘だと思いますけれども、私は、必ずしもそういうことを基本的な政策の判断の基準にはしておりませんでした。
  123. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 それでは、なぜクリオの使用というものにもつと力を入れていかなかったのですか。一部使用でもいいからクリオ転換するという当初のあなたの考え方を私は正しかったと思うのです。それがなぜ妨げられたのか。当時の研究班の班員の方々意見を聞いて撤回したと言っておりますけれども、それは間違いだったのじゃないですか。
  124. 郡司篤晃

    郡司証人 結果的には、転換しておけばよかったのではないかというふうに思います。しかし、その当時、世界じゅうの医師も、日本医師も含めて、血友病治療基本濃縮製剤だというふうに考えていたことも事実でございまして、一課長がそういった世界の常識を覆すということには結果的にならなかったということではないかと思います。
  125. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 あなたは、血液事業の最高責任者として、自分の意思を通すべきだった。国内血液事業を国内自給をするという課の基本的な方針と、そしてエイズを防ぐという危機管理、両方から考えて、国内自給を進めるためにも、一部でもいいからクリオ転換するというその方針を貫くべきであった。  しかしそれが、先ほど、専門的な知識を持っておられる方々、恐らく安部先生とおっしゃるのでしょうけれども、そういう方々意見によって方針を転換された。私は、あなたは医学界の権威に負けたのだと思うのです。医学界の権威によって、権威主義が大変、私は、ほかの業界よりもさらに一層激しい権威主義が医学界の中にあると思 います、特に大学病院を中心にして。そういうものにあなたは負けたのではないのですか。
  126. 郡司篤晃

    郡司証人 クリオの一部転換の中には自給の考え方もあったのではないかという御指摘でありますが、おっしゃるとおりであります。そう考えました。それから、そのような趣旨で全面転換議論もあったわけであります。  それから、後半の御指摘の、権威に負けたという表現でありますが、そういう表現であればそうかもしれませんが、私は、権威に必ずしも実体がないというふうにも思いません。
  127. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 厚生省の内部資料、薬務局の内部資料の五月二十五日という資料に、非加熱製剤継続の理由一つに、「血友病患者の日常の管理を強化することにより、他者への感染の危険性を極めて少なくすることができる」のだという文章があります。私は、うつるかもしれないけれども管理を強化するという、この言葉自体に権威主義を感ずるのですね。病人を、もっと優しさを持って扱っているというよりも、そうではなくて物として扱っているのではないかというにおいすら感じるのです。  ところで、先ほど同僚の横光議員からも質問がございましたけれども、安部さんの寄附金の話について少し聞かせてください。  安部さんの寄附要求に対して、郡司さんがそれを知って、そして、人を介して安部さんに対して注意をいたしましたですね。どうして人を介したのですか。
  128. 郡司篤晃

    郡司証人 そこは、私が考えたのは、後輩の課長に直接そういうことを言われるのは嫌だろうなという配慮をしたつもりだったのでありますが、今考えると、私は直接言うべきだったかなというふうにも思っております。
  129. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 あなたは直接言うべきだったのです。それが行政官としてのあなたの役割だった、役目だったと思います。  ところで、あなたが人を介してその話をしたのは、恐らくその話をすると安部さんが治験の統括管理官をおりるというおそれを持っていたからではないですか。
  130. 郡司篤晃

    郡司証人 そこまでは考えませんでした。
  131. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 安部さんは統括管理官をおりたばかりではなくて、この血友病患者治療に当たっていた、治験に当たっていた人々も、安部さんがおりるならばおりるということを多くの治験を担当している医者が言いましたですね。それについてはどう考えますか。
  132. 郡司篤晃

    郡司証人 まず、そのような事実があったかどうか、私はちょっと存じ上げておりません。申しわけございません。
  133. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 私は、あなたは行政官として大きなチャンスを二つ逃していると思います。  一つは、先ほどお話しいたしました国内自給についての考え方というのをもっと強く言って、国内自給体制を早急に改めるべく国内の世論を統一させるというそのチャンスがあったと思うのですけれども、それをあなたは逃したのじゃないかと思います。  もう一つは、治験のあり方、治験の手法について、たった一人の医者が嫌だと言ったら全員おりてしまうといったような我が国の治験のあり方そのものに疑問を投げかけるべきだったのではないですか。治験のあり方について、この方法では薬の開発はうまくいかないですよ、あるいは薬害はいつまでも続きますよ、この治験のあり方自体についてあなたはここで重大な発言行政官としてするべきだったのではないですか。どうですか。
  134. 郡司篤晃

    郡司証人 正直申し上げまして、安部先生が治験をおりるというようなことまでされるとは私は想像しておりませんでした。  治験のあり方につきましては、この議論とはちょっと別な議論として、綿々と薬務局の中で続けられているというふうに私は理解しております。
  135. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 私は、この問題は、基本的には、治験のあり方、そしてその治験のあり方に基づいてお医者さんと、あるいは医学界大変権威のある方と製薬会社とが不明朗な関係につながっていく、それが治験というものを通してそういう不明朗な形が強化されていったというふうに見るべきなのではないか。ここの関係を厚生省は、あるいは当時の血液行政を預かっている郡司さんがしつかりそこを指摘しなければ、だれが指摘するのですか。それを改めなければならない立場にいたあなたがそれを怠ったと私には思えてなりません。いかがですか。
  136. 郡司篤晃

    郡司証人 御指摘のような指摘を私もすべきだったかもしれませんが、今御指摘の点は、治験制度全体のあり方に関する大きな問題提起でございまして、私として、そのことに関して今ここで全面的な意見の開示といいますか、それをすべきかどうか、ちょっと今当惑しているところでございます。
  137. 荒井聰

    ○荒井(聰)委員 私は、この薬害エイズ問題というのを単にエイズの問題としてとらえるのではなくて、厚生省の治験にかかわる行政組織の改革、行政の改革の一環としてこの問題をとらえていかなければならないだろうというふうに思ってございます。  どうもありがとうございました。
  138. 和田貞夫

    和田委員長 これにて荒井君の発言は終わりました。  次に、岩佐恵美さん。
  139. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 八四年四月に、証人が大変信頼すべきと言っていたギャロ博士によってエイズウイルス株が固定されました。そのとき、何をしなければならないと思われたか。証人が一〇〇%エイズを否定したものではないと考えていた、アメリカのCDC代表のスピラ博士アメリカではエイズ患者判断すると診断をした帝京大症例について、何らかの対策をとって見直しをすべきだったというふうに思いますけれども、その点どうでしょうか。
  140. 郡司篤晃

    郡司証人 確かに、一九八四年の四月、ガロエイズ原因HTLVのⅢ型であるということを固定した、この事実は大変大きなことでございます。  そしてさらに重要なことは、それに伴ってHIVの3型の特異的な検査方法というものが発表されたということ、これはさらに重要でございます。なぜならば、それによって確定診断ができ、さらに、確定診断ができることによって感染の範囲とかあるいは発症率とかそういうものを調べる可能性ができてきたからでございます。  したがって、私は、この発表は大変衝撃を持ってといいますか、すばらしく早くやったものだなというような意味での印象を持って、重要な発表として受けとめたのであります。  ただ、そのことによって直ちに帝京大症例の診断が今すぐできるようになるということには必ずしもならないわけでありまして、その原理的にできたものが、今度は製造され、一定量確保されるということがない限り、世界じゅうのそういった疑い症例について検査することができない。したがって、私はそのとき得た印象は、これで、原理的にできたから、もうすぐそういうことが現実にもできるようになるなというふうに感じたというのが正直な印象でございます。
  141. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 現実的にはできるなと思って、それで見過ごしたのですか。例えば、あなたはその当時課長だったわけですね。課長としてこれはもうあらゆる手を打って、とにかくエイズウイルス株が固定されたのですから、日本でどういう実態になっているのかということについて手を打たなければいけない、手を打つべきだったというふうに思うのですけれども、どうですか、何もやらなかったのですか。
  142. 郡司篤晃

    郡司証人 これが現実に検査が可能になるためには、一定の、物量としての一定量が確保される必要があるというふうに理解されましたので、特段、帝京大症例行政が直接そこへ送るというようなことはしていなかったと思います。
  143. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 帝京大症例に限らず、その後だって、安部氏はギャロ博士に自分の検体を送っているわけですね。そういう手を打っているじゃないですか。何も物量的に一定量確保できなければで きないという状況じゃなかったはずですね。それでもあなたは何もしなかったのですか。
  144. 郡司篤晃

    郡司証人 研究者ベースでそういった仕事が、そういったことが行われているというのは、いつの日か私は伺ったことがございます。しかし、行政として、大量の血液をそのラボに送るというようなことは、これはしませんでした。
  145. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 私は、その重大な局面に当たって、厚生省がやるべき手を打たなかった、特に郡司証人が打たなかったというのは、本当に重大だというふうに思います。  次に、八三年六月設置のエイズ研究班では、八三年一月にアメリカ血友病財団が勧告したように、幼児等のクリオヘの転換について検討すべきだったというふうに思います。これは当時でも可能だったという答弁があるわけです。日本においては、血友病Bについては国内血による濃縮製剤の使用で十分対応をできたはずであります。結果的に、それがやられなかったために、日本は米国に比べて血友病Bの発症率が高くなってしまいました。  先ほどのトラベノール自主回収への対応について、証人は、知らせることによってどういう対応があり得たのか思い当たらないとかという、そういう回答がありましたけれども、知らせることによって、少なくとも部分的転換をする、そういうことはできたはずだと思うのですね。トラベの事件だって大きな警鐘だったと思うのです。それを真っ正面からとらえ切れなかった、私はそういう証人の姿勢に大きな問題があるというふうに思うのですけれども、その点どうですか。
  146. 郡司篤晃

    郡司証人 姿勢ということでありますと、確かに私は少し技術に偏り過ぎて考えていたかもしれません。知りたいと言っている人がいた以上、知らせるべきだったのかもしれません。
  147. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 私は、それは技術に偏り過ぎていたということではなくて、国民の命の重みを真正面から受けとめていなかった、そういうことだというふうに思います。  厚生省内の検討メモと言われる七月四日のメモでは、加熱製剤転換によって「国内メーカーへの打撃」という、そういう部分が言及されています。証人はミドリ十字など国内メーカーが打撃を受けると考えていたのかどうか、その点について伺います。
  148. 郡司篤晃

    郡司証人 そういうメモに御指摘のような文字が書いてあったことは事実でございます。しかし、私の中にある記憶としては、そういったことを重要な政策の柱として議論した記憶は全くございません。
  149. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 議論をしたかどうかを聞いているのではなくて、証人はそう思ったか、思わなかったかを聞いているのです。
  150. 郡司篤晃

    郡司証人 私は思っておりませんでした。
  151. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 最後に、証人は、九四年、保険会社ユナム・ジャパン傷害保険に頼まれて、松村氏を紹介をして謝礼を三百万円受け取っており、国家公務員の兼務禁止規定に違反をする行為ではないか、そういうふうに言われているわけですけれども、どのような依頼をしたのか、このようなことをいいと思っておられるのかどうか、伺いたいと思います。
  152. 郡司篤晃

    郡司証人 そのことについては、平成六年か五年のことでございまして、これは、きょう私はエイズの問題について衆議院議長から証言をせよということで参っておりますが、したがって、時間的にも内容的にも全く私は関係ないと思いますので、証言することを控えさせていただきたいというふうに思います。
  153. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 証言を拒否をされたわけですけれども、私は、証人の、本来からいえば、そういう問題についても誠意を持ってきちっとやっていく、それが真摯な姿勢だというふうに思いますけれども、以上で、時間が参りましたので、終わりたいと思います。
  154. 和田貞夫

    和田委員長 これにて岩佐君の発言は終わりました。  次に、土肥隆一君。
  155. 土肥隆一

    ○土肥委員 時間ございませんから、端的にお答えいただきたいと思います。  結局、これだけの大量の、血友病患者さんの中から、HIVウイルスの、そして発症なさった方、死亡なさった方も出たわけでありまして、結局何が原因なのかということになりますと、きょうの郡司さんの発言からも出てこないわけでありまして、一体何が原因なのかということを郡司さんは御自身ではどういうふうにお考えでしょうか。
  156. 郡司篤晃

    郡司証人 これにつきましては、もう既に参考人として二回、衆議院と参議院意見を述べさせていただいておりますが、基本的には、私は構造の問題だというふうに理解をしております。  そして、世界じゅうは、国営の、献血を中心にした国営の血液事業をやれというふうにコンセンサスがあったにもかかわらず、アメリカは、それを独禁法違反である、これ、ひっかけてしまうということから、私企業がはやる、その私企業が技術開発においてまた極めてすぐれていた、そしてその中に、たまたまアメリカではやった妙な、妙なと言ってはいけませんね、アメリカで流行した同性愛という習慣が、恐らくアフリカかどこかのローカルな地方病であったものを増幅してそれが混住してきたという、そういう出来事ではないかというふうに私は理解をしております。
  157. 土肥隆一

    ○土肥委員 血液事業全体の責任になさいますけれども、厚生省あるいは薬務局の責任はどうですか。
  158. 郡司篤晃

    郡司証人 厚生省薬務局の仕事は、有効で安全な医薬品を確保する、これが基本であったというふうに思います。
  159. 土肥隆一

    ○土肥委員 エイズ研究班をおつくりになるわけですけれども、それは郡司さんがヘゲモニーをとってつくられたと認識しておりますけれども、この研究班をつくったことの責任はどうですか。研究班が薬害エイズの究明をする、特に非加熱製剤を早期に転換するというような目的を持った研究班としてその研究班を設置したことは成功なさったのですか。所期の目的に合っているのですか。その責任はないのですか。
  160. 郡司篤晃

    郡司証人 とにかく、エイズというそういう病気がアメリカにはやった、日本は大量で輸入者である、したがって、しかもいろいろ製剤の特徴を考えれば、血友病、抗血友病因子製剤、これがハイリスクになるということは明らかでありましたので、その段階で、つまり一九八二年後半から三年の初めにかけて、この危険はどうしても評価をして、そして治療方法を再検討しなければならないというふうに思いましたので、研究班を組織いたしました。しかし、研究班は、世界血友病治療をやっていらっしゃる先生方とほぼ同様の常識的な判断をしたということと私は理解をしております。
  161. 土肥隆一

    ○土肥委員 それはちょっといただけませんね。そうすると、結局、またもとへ戻りますけれども、原因血液事業全体で、そして薬務局が適切に機能して、エイズ研究班世界の常識の判断に従ったのであるから、二千人の薬害のエイズを感染させられた血友病患者さんは仕方がなかったのだということになるわけであります。  私は、それでは事柄の問題を解明したことにはならない、そういうふうに拡大してはならないと思うのであります。  エイズ研究班は、結局、八四年の二月には加熱製剤の治験の開始を決定するわけです。そうすると、六月にエイズ研究班ができて、そして、それから八カ月後は治験が開始される。しかも、郡司さんは、最初のエイズ研究班の設立のときにクリオしか考えていなかったと言いますけれども、私から言えば、かなり早期に加熱製剤の治験が開始されているのですが、それはどういう経過だったのでしょうか。
  162. 郡司篤晃

    郡司証人 クリオについては先ほど申し上げましたとおりでございます。  加熱について若干の補足をするとすれば、トラベノル社から乾燥加熱という技術の話を聞いた。これは、最初は、加熱イコール失活して三分 の一ぐらいの収率になってしまう、つまり、輸入を三倍にふやさなければならないというふうに直結して考えておりましたが、必ずしもそうではないということであったので、私は大変興味を持った。そのほか、だんだん血友病患者の中にエイズ症例がふえていく。緊急対策もない。そういうことから、それから、B型肝炎対策としてだったらワクチンができるというようなことがありましたが、だんだんそういうエイズ関係の情報がふえていく中で、私もだんだん加熱をやらざるを得ないと思うようになっていったのではないかと思うのであります。  したがいまして、それがいつかということになりますと、トラベノール社の説明は恐らく初夏でありますし、緊急対策がないというのが秋でありますし、十一月にはこの最終的な報告を、企業を集めてこういう方向でやれと言っているわけでありますので、その間の間に私が考えを変えていったということは間違いないのであります。
  163. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうすると、加熱を決断する時期はいつの段階ですか。もう一遍はっきりおっしゃってください。
  164. 郡司篤晃

    郡司証人 今手元に資料がないので日時はちょっと申し上げられませんが、まず一つは、第一相試験というものが必要ないじゃないかということを決めるというその行動に出る、それから、治験の症例数を二施設各施設二十例以上ということを決める、そういった記録が残っていれば、その時点はもう確実に私は加熱に取り組んでいる時期でございます。
  165. 土肥隆一

    ○土肥委員 もう時間が経過して大変恐縮ですけれども、私は、それじゃエイズ研究班はその間何もしなかったというふうに認識するわけですが、あなたは、安部さんがエイズ研究班の班長になること、あるいは研究班員になることを余り望まなかったのではないかというふうに思うのです。後輩でもあるというようなこともあるし、また、血友病界の天皇とも言われている人ですから。結局、あなたは、そういう研究班に引きずり回されて、今おっしゃったような早期の加熱製剤導入をおくらせてしまったという責任はお考えになりませんでしょうか。
  166. 郡司篤晃

    郡司証人 私は、結果的にどうかという問題は別にありますが、加熱製剤を故意におくらせようと努力したつもりは全くございません。
  167. 土肥隆一

    ○土肥委員 終わります。
  168. 和田貞夫

    和田委員長 これにて土肥君の発言は終わりました。  以上をもちまして郡司証人に対する尋問は終了いたしました。  御苦労さまでございました。御退席くださって結構でございます。  午後零時三十分に委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十五分休憩      ――――◇―――――     午後零時三十二分開議
  169. 和田貞夫

    和田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  厚生関係基本施策に関する件の調査に関し、エイズ問題について、安部英君より証言を求めることといたします。  この際、証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によって、証人証言を求めるときには、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人または証人配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人後見人後見監督人または保佐人並びに証人後見人後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師歯科医師、助産婦、看護婦、弁護士、弁理士公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。  証人宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。  証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  以上のことを御承知おきください。  次に、証人補佐人助言を求めることが許される場合について申し上げます。  すなわち、証人は、宣誓及び証言の拒絶に関する事項に関し、補佐人助言を求めることができることとなっております。  助言は、その都度証人委員長にその旨を申し立て、その許可が得られた後に認められるものであります。  なお、補佐人は、みずから発言すること及びみずから証人助言することはできないことになっております。  次に、今回の証人喚問に関する理事会申し合わせについて申し上げます。  その第一は、資料についてであります。  証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。  その第二は、証人メモをとることについてでありますが、尋問項目程度は結構でございます。  なお、補佐人メモをとることは構いません。  以上の点を御承知おきください。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めることにいたします。全員起立を願います。     〔総員起立
  170. 和田貞夫

    和田委員長 議院証言法第五条の三の規定により尋問中の撮影許可しないことになっておりますので、これより安部英君の証言が終了するまで、撮影は中止してください。  それでは、安部英君、宣誓書を朗読してください。
  171. 安部英

    安部証人 宣 誓 書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います   平成八年七月二十三日                安部  英
  172. 和田貞夫

    和田委員長 宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  173. 和田貞夫

    和田委員長 御着席を願います。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。  なお、こちらから質問をしているときは着席のままで結構でございますが、御発言の際には起立してください。  委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で重要な問題について証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないように特に御協力をお願いいたします。
  174. 和田貞夫

    和田委員長 これより証人に対して証言を求めます。  まず、委員長より委員会を代表して総括的にお尋ねをして、その後、委員各位発言を願うことといたします。  それでは、私からお尋ねいたします。  あなたは安部英君ですか。
  175. 安部英

    安部証人 安部英でございます。
  176. 和田貞夫

    和田委員長 生年月日住所職業をお述べください。
  177. 安部英

    安部証人 大正五年五月十五日生まれでございます。住所は、東京都世田谷区北沢一丁目三十六番五号でございます。
  178. 和田貞夫

  179. 安部英

    安部証人 職業は、医師でございます。
  180. 和田貞夫

    和田委員長 おかけください。  それでは、お尋ねいたします。  いわゆる帝京大症例の認定に関連してお尋ねいたします。  あなたは、衆参両院の参考人質疑において、帝京大症例エイズであるという判断のもとに当該症例エイズ研究班に提案したが、研究班では種々の議論がなされ、さらにスピラ判定の結果も報告したが、研究班結論は変わらず、疑似症例の認定がなされた、したがって、研究班長の立場としては、エイズ患者が存在することを仮定して血友病治療方法の変更等の対策を主張することはできなかった旨の陳述をされました。  しかしながら、他の研究班員は、両院の参考人質疑において、疑似症例とは、クロに近いか、シロに近いかは別として、エイズを否定したものではないこと、予想される危険に対応して予防対策を検討することは当然である旨の陳述をされておられます。  ただいま申し上げた、あなたの疑似症例についてのそのような考え方が研究班エイズ問題に対する取り組みを消極的方向に導いたのではありませんか。御所見を簡潔にお答え願いたいと思います。
  181. 安部英

    安部証人 委員長先生、ちょっと確認をさせていただいてよろしゅうございますか。  私が私どもの帝京大学症例エイズではないかと思いましたことはそれといたしましても、これを基本にして積極的な何か対策を講ずることが当然であると私が思ったというふうにお伺いいたしたように思うのでございますが、それでよろしゅうございましょうか。
  182. 和田貞夫

    和田委員長 あなたが研究班長として、先ほど申し上げましたように、エイズであるという判断のもとに研究班に提案したが、種々の議論がなされて、さらにスピラ判定の結果も報告したが、研究班結論が変わらず、疑似症例の認定がされたということは事実でしょう。
  183. 安部英

    安部証人 それは事実でございます。
  184. 和田貞夫

    和田委員長 その上に立って、研究班長の立場として、エイズ患者が存在することを仮定して血友病治療方法の変更等の対策を主張することはできなかった旨を今まで述べておられるわけですね。ところが、他の研究班の皆さんがそうでない御答弁をされておられるわけです。その間についてのあなたの考え方を述べてもらいたいということです。
  185. 安部英

    安部証人 はい。ちょっと繰り返すようになりましてまことに恐縮でございますが、私がエイズ
  186. 和田貞夫

    和田委員長 簡潔に願いますね、簡潔に。
  187. 安部英

    安部証人 エイズ患者さんではないかと思いましたことは確かでございますが、これを否定されたこともまた確かでございます。したがって、これをさらに私が、その研究班会議で、この症例エイズ患者さんであるということに基づきましたいろいろの代案とか対策を提案することはいたしませんでございました。  それは、否定されておりますものですから、そういうことで、エイズでは皆さんはないとおっしゃるのでございますので、私が皆様にエイズの対策を論じようといたしましても、皆様はそれに乗っておいでにならないのでございました。
  188. 和田貞夫

    和田委員長 これから各委員の方から具体的に質問があろうと思いますので、私の方は以上でお尋ねすることは終わらせていただきたいと思います。  時間の関係もございますので、次に、発言の申し出がありますので、順次これを許したいと思います。田中眞紀子さん。
  189. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 委員長、ギャロ質問はなさらなくてよろしいのですね、二つ目は。委員長二つ目の質問はなさらないのですね。
  190. 和田貞夫

    和田委員長 はい。いいですか。
  191. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 わかりました。  自由民主党の田中眞紀子でございます。  安部先生、きょうは高齢のところお出かけくださって、ありがとうございます。  先週の金曜日、七月十九日でございますけれども、先生は司法記者クラブにおいて記者会見をされまして、毎日新聞社等を相手取り、損害賠償の請求及び謝罪広告の掲載を求められました。そのときに、八十歳を超える自分を魔女狩りの魔女にしていいのでしょうかという発言をなさっておられます。  私どもも、今回、国会でいろいろと審議をやっておりますに従いまして、この薬害エイズ問題というものはたった一人の人の責任で起こったことではなくて、産官学、そしてひょっとすれば政界も一体となって起こった、この癒着構造の中に大きな原因があるというふうな認識をしてきております。決して安部先生お一人に全責任をかぶせようなどと思っておりません。ですけれども、むしろ先生御自身が魔女にされないためにも、ぜひきょうこそ真実をお述べいただきたいというように思いますので、御協力をお願いいたします。  最初の問題でございますが、今の帝京大症例につきましてお伺いいたします。  先ほど郡司証人がお出になりましたときに、この帝京大症例については、これは疑似症例である、疑似症例というのは専門的な目から見たらこれはエイズを否定するものであるということをお答えになっておられるわけなんですけれども、先生は、その中で、いろいろ前回、国会にいらしたときの発言等もございますけれども、今回の薬害の悲劇の最大のスタートの原因は、この帝京大症例エイズ患者の第一号であったということが認められなかったことに原因があるというふうなことを繰り返しおっしゃっていると思います。  その辺、私は、今回の質問の中で一番先生に伺いたいことは、エイズ研究班、その中で大変強力な発言権とリーダーシップを持っていらっしゃった安部先生と行政とのかかわり、それからメーカーとの関連はどうであったかということについて伺いたいと思うのですが、もう一度この帝京大症例について忌憚のない御意見をお聞かせいただきたいと思います。
  192. 安部英

    安部証人 田中先生の御質問は、私が非常に残念に思っておりましたところを先生がかわって質問していただいたようなという気持ちも少しは、大いにございますけれども、その実際のところを申し上げます。  私は、もし、これは仮定でございますけれども、もし認めてもらっておれば、それをもとにして、厚生省さんにも、それからメーカーさんも入るかもしれませんが、そういう方々と御相談をして、いろいろとお願いができるところはお願いしてまいりたいと思ったことも二、三ございましたけれども、しかし、これは私の努力が足りなかったのか何か知りませんけれども、とにかく認められなくて、エイズであるということが認められませんで、それ以上私は自分の考えを申し述べるチャンスがなくなりました。でございますから、それは先生のおっしゃいますとおりでございます。
  193. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 予防対策について、エイズ確定はできなくても、予防対策についてやはり万全を期すべきであるというような御意見があったというふうに承っておりますが、いかがでしょうか。
  194. 安部英

    安部証人 先生、私は心の中では、HIVの感染がもとであったのではないかということを想像いたしましたり、その可能性があるというところまでは、これは考えることができたのでございますけれども、実はHIVもそのときにはわかっておりませんし、それから、これがエイズであるということを説明いたしますためには、やはりHIVが原因でそのようないろいろ症状が起こってきたということがもとになって、それでなければエイズということは言えないわけでございます。したがって、感染対策も、そういうことがはっきりいたさなければできませんのでございます。  ただ、一つだけここで申し上げさせていただけるのは、それでは、同じような状態でありましたのに、アメリカではかなり、エイズということを想定をされまして、そして、いろいろと対策をしておられたのではないかと私は思いましたものですから、そういう意味で、想定は想像でございますから学問的な根拠はないわけでございます。  学問的な根拠は、いわゆる原因菌、原因のビールスもわかっておりません。それから、実は当時は、何か、ビールスが原因であろうか、感染症であろうかということはアメリカでもいろいろ議論されておりましたけれども、これは特定のビールスであるということがわからないものですから、果たして特定のビールスによる病気であるのか、今まであったビールスのために起こった、結局、生体側の反応の仕方が少し病的になったためにそのようになったのではないかというようないろいろな議論がございましたものですから、私といたしましては、その点は心の中の想像はいたしましたけれども、しかし、実際にそれを皆様の前で主張するということになりますと、大変根拠が薄いものになるわけでございます。
  195. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 そうしますと、先生と厚生省側の考え方はぴったり一致した、全然ほかの考えが入り込む余地はなかったというふうに理解してよろしゅうございますか。
  196. 安部英

    安部証人 先生がぴったりとおっしゃいますのがどういう意味であるのかというのが、そういうことをお伺いしてよろしいのかどうか、こんな場所ではどうかと思いますのですが、私の判断では、とにかく厚生省は、私には、私の理解では、また一般の、それまでにも私は厚生省の班会議の班長さんも少しは経験がございますが、そのときも学問的なことだけを質問された、また、そのことを議論してまいったわけでございましたので、そういう意味では、私は、厚生省のお考えをそのまま受けて同じように考えて言ったものだと思っておりますが。
  197. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 この問題につきましては、次々とほかの委員が御質問なさると思いますので、次の問題に移ります。  ここに一つ書類がございます。平成三年の七月二十六日に、先生御存じの日本輸血学会の村上省三先生が証言をしていらっしゃるもののコピーでございますが、村上先生は、一九八四年九月六日付のギャロさんからの返信というものを見て安部先生が、ミュンヘンでございましたでしょうか、での国際会議、国際輸血学会において、大変困ったというふうなことの相談を村上省三先生に持ちかけられたということが載っております。  そのことを簡単に読み上げますと、その会議でもって帝京大学の安部先生にお会いして、先生ちょっと相談があるのだが聞いてくれませんかと言われまして、廊下のいすに二人で腰かけて話し合ったことがあります。そのとき、安部先生が、自分の受け持っておる血友病患者の血清をアメリカに送って調べてもらったら、どうも三分の一ぐらいはHIVに感染しているらしい、どうしたらいいだろうかと言われた。それで村上先生は、それは大変なことだ、こんな重要なことを隠しおおせるものなら隠してもいいけれども、いっかばれる、ばれるのなら早く公表してしまって、みんなでどうすればいいかという対策を考えたらどうかというサジェスチョンを与えた。  こういう事実はございますか。
  198. 安部英

    安部証人 全部がそのとおりであったかどうかというのは、私は、少し記憶もないところもありますし、それから、ちょっと違った感じのところもございますけれども、大体、ミュンヘンの学会で村上先生にお目にかつて今の問題をお伺いしたことは事実でございます。
  199. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 この村上先生は、多分日本に帰ったころには日本がひっくり返るような大騒ぎのことが起こるだろうということを御自分が友人にも話しておられるのですね。その理由はなぜかというと、安部先生あたりが厚生省とすぐに相談をして、話が公表されて漏れるだろうというふうに想像なさった。  ところが、ちょっと公表を待てというような横やりが役所から入ったのではないかと思うというほど、安部先生からの相談があったにもかかわらず、公表がされずにうやむやになってしまったということを裁判所証言していらっしゃるのですが、この事態について、どのようなことだったか、おっしゃっていただけますか。
  200. 安部英

    安部証人 お答え申しますと、私は、その公表をしようというようなことをどのように公表していいかということから考えますというと、やはり委員会はございますものですから、その委員会で皆様に御納得をいただいて、そしてそれを公表するようにいたすべきではないかと思いました。
  201. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 委員会はもちろんスペシャリストがそろっていらっしゃるわけでございますし、午前中の郡司証人の話を聞きましても、私ども行政は素人の集団であるがごときことをぬけぬけと言ってとんでもないわけでございまして、先生方ももちろんエイズ班の中でも話をなさると思いますけれども、行政との話し合い、接触は当然頻繁におありになったと思いますけれども、この辺の先生の悩みと申しますか、その時点の困っていらした状態を行政はわかっておられましたでしょうね。
  202. 安部英

    安部証人 先生の御質問が厳しいのですが、私は、行政の方がそれをどのようにお考えになっておったのかというのはよくわかってはおらぬ、自分にはわかっていなかったのではないかと思う。  けれども、私は、行政の方へお願いしたりお届けしたりするためには、まだギャロ先生の話は後でございますから、そのときには、私の症例のデータとかそのほかの内容をその委員会で申し上げて、そこに厚生省から郡司先生あたりもちゃんと出ておられるのでございますから、それで十分に聞いていただけると思いましたのでございます。  ところが、それが、帰りましてすぐ、その学会から帰りましたらすぐに、それをまた繰り返し報告いたしました。というのは、症例の状態をですね。けれども、それでも認めていただけなかった。
  203. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 厚生省報告をなさったと理解してよろしゅうございますか。
  204. 安部英

    安部証人 私は厚生省さんも、厚生省さんの会議でございますから、厚生省さんがちゃんと出ておいでになりまして……
  205. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 そのときの厚生省の窓口の方たち、それから、どういうふうな発言があったか、記憶にある限りで結構ですからお述べいただきたいと思います。
  206. 安部英

    安部証人 そのときには、厚生省さんの方々は、私どもの議論はじっとお聞きになっておったと思いますけれども、余りそれについてのコメントはおつけ加えにならなかったように思います。
  207. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 私ども、今回、ずっとこの議論をしてまいりまして、いろいろな方の発言を伺いまして、厚生省はやはり血友病患者から第一号を出してしまっては困るという思惑が非常に働いていただろうというふうに思います。厚生省血液行政に汚点を残したくないという、役人独特の防衛本能というようなものがあったのではないかということを感じております。  先ほど午前中の郡司証人発言を聞きましても、えらく御自分たち行政は素人だ素人だと言って過小評価をなさってのことを、自己評価を勝手にしておられますけれども、むしろ逆に、ふだんあれだけ尊大な態度をとって、今回の事件をここまで混乱に陥れているにもかかわらず、私どもは素人でございますなんてことをおっしゃっていましたが、そんなことはちょっと感じられないで、むしろ、この公表を待ってくれというようなことが厚生省の内部から先生に働きかけがあったのではないかと思いますが、例えば、そういう具体的な表現でなくても、厚生省内部の当時の動きはどんなであったか、お述べいただきたいと思います。
  208. 安部英

    安部証人 私のただいまの印象として残っておりますのは、それを厚生省さんははっきりとは何もおっしゃったことはございません。  それから、厚生省の方の私に対する何かサジェスティブな何かあることも、私はなかったように思います。
  209. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 なかった理由は、先生が非常に強力なドクターでいらっしゃって、郡司さんいわく、素人集団としての行政は物が申せない雰囲気であったというふうに理解してよろしいのでしょうか。
  210. 安部英

    安部証人 私は、郡司先生よりももっと行政は素人でございます。私は行政は何も知らないわけですから。ですから、その程度の比較を、先生、私にお求めいただきましても、私は何とも申せませんよ。私は自信がございません。
  211. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 何か事が起こると行政も素人、ドクターも素人じゃ、本当にこれじゃ被害者も国民も目が当てられないわけでございまして、やはり先生、魔女にならないために、私どもも八十を過ぎた男性の魔女が見たいと思っているわけじゃございませんので、ぜひはっきりおっしゃっていただきたいと思うのです。  安部先生に対して、このときは、安部先生はとにかく村上先生にも御相談なさっているわけでございますし、そのときの安部先生の動転なさったといいますか、困っていらっしゃった状態は、このステーションホテルでの家庭療法促進委員会の会話、録音テープもございますが、その中でもいろいろと述べられておりますので、先生は本当にドクターのモラル、良心として、これは大変なことになったとお感じになっていたのじゃないですか。
  212. 安部英

    安部証人 私は、委員長になりましたときはもちろんでございますが、それ以前にも、私の、今帝京大学症例は私がそれまでに三十数年ずっと診続けてきておりました患者さんでございますから、私が一番、それだけでも大変に心を痛めたことは確かでございます。
  213. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 ドクターのモラルとして、心を痛めっ放しては解決しないわけでございまして、早速、手を臨機応変に打っていかなければいけない。もしも怪しいことがあった場合、これが広がれば大変な事態でございますから、そういう認識があって先生は当然ギャロに検体をお出しになったというふうに私は理解をいたしておりますけれども。  そして、そのギャロさんの四十八分の二十三というものが陽性と判定されて返ってまいりました。その二十三人の陽性者に対して、先生は第二次感染防止等のために具体的に告知をしたり、どういうように対応なさいましたか。
  214. 安部英

    安部証人 私は、行政的なことは、これは先生、何もできませんので。でございますから、この患者さんについて、エイズであるということを厚生省やらそれからそのほかの関係の方々にいろいろと信用していただけるような、バックグラウンドと申しますか、結局この際は、私の研究班エイズであるとお認めいただくということが、これが一番大事で基本的である、それ以外のことは私は思いつきませんでございました。
  215. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 研究者として行政にわからせるという御努力はよくわかりますが、今私がお尋ねした質問はそうじゃございませんで、少なくとも二十三人陽性だということが判明したわけですから、その方たちにお医者様のモラルとしてどういう対応をなさったかと。もう一回伺います。
  216. 安部英

    安部証人 私、こういう場合に私は何をしたらいいかということが今お尋ねになっておることだと思いまして、私もそれを非常に考えたのでございます。それで思い余りまして、それで村上先生にも御相談申し上げたのでございます。  けれども、私、そのことを言いますためには、まず少なくとも私の班で、これはエイズに、あるいはエイズ可能性があるかもしれない何か、そういう少しでも私にプラスになるような条件がそろえばいいがというふうに願ったことは確かでございますね。
  217. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 いや、願ったことではなくて、具体的に軽症者にはクリオを使えるということを先生何度かおっしゃっておられますので、患者の感染を防ぐために、一体具体的にどういうメディカルトリートメントをなさったかについて伺っております。
  218. 安部英

    安部証人 今度はメディカルトリートメントということでございますから、これは私自身の商売でございますからあれでございますが、そのときに私どもが持っておりました薬は、結局、非加熱の濃縮製剤がございました。そのほかに、クリオはございました。  それで、私は実は、こんなことを言っては失礼でございますけれども、日本クリオを、日赤へ行ってっくらせてもらったわけです。一番クリオに対しては愛着がある。ですから使いたいのでございますが、クリオは私がやりました範囲内では使えませんでした。少なくとも今の患者さんで、それはA型の方、B型の方と血友病にございますけれども、B型の方は仕方がありませんが、A型の方に対してもクリオは使えなかったのでございます。  それは、使おうと思って一生懸命に努力をいたしましたけれども、クリオそのものの質的な条件のためにクリオは使えなかったのでございます。私どもは、便宜的に非常にクリオを使うと面倒だとかなんとかというようなことで使えなかったということではございませんで、注射をしようと思っても、先生、その注射器の中で固まってから出てこないわけですから、これでは注射ができないわけでございますね。
  219. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 今の発言は最初のころにおっしゃったことにまた戻ってしまうと思いますが、最近先生は、やはり軽症の人には使えるんだということを言っておられると思いますし、そのような発言もほかのドクター方からも聞いたことがございます。  むしろ、国産の濃縮製剤のPPSBというのが日本製薬でもって一九七五年ごろから使用されていて大きなシェアを占めていたということもありますし、これの材料は九五%が国産で賄っていたりしたわけですから、非加熱の危険な可能性のあるものを使うよりも、やはり使える人には血液も、いっときは先生は血液が足りないという発言を国会でなさったというふうに承知しておりますけれども、日赤の方は、そんなことはなくてプロバイドできた状態であったということをおっしゃっておりますから、ですから、やはりできる方にはクリオ、そしてそのPPSBというふうに切りかえていくというような御努力をなさるべきではなかったか。  お医者様が患者さんに対しての責任というものをお考えになった場合に、そういうふうな御判断はできなかったものでしょうか。
  220. 安部英

    安部証人 先生、だから申し上げておるのでございまして、先生、クリオを、血友病Aの患者さんにクリオを使おうと思うのでございますけれども、それを溶かして、そして注射をしようと思いましたらば、ものの二十分も、十五分も、いや十分もたたないうちにもう試験管が動かなくなつちゃうのです。だから、それでもなおやれとおっしゃいましたって、入らないのでございますから、いたし方がございません。
  221. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 この質問は長引きますので次の委員にゆだねるといたしまして、ギャロ報告でございますけれども、これは結果を先生は厚生省にお届けになっていますね。だれに、いつごろ、どういう形で、手交でしょうか、郵送でしょうか。厚生省側は何度も何度もいいかげんなことをおっしゃったのはテレビでも先生もごらんになったと思いますけれども、具体的にお述べくださいますか。
  222. 安部英

    安部証人 先生からもたしかお聞きいただいたことはあると思うのでございますけれども、これを聞かれると非常に困るのでございますが、私がもう一回繰り返して自分は真実を述べるという立場で申し上げますと、とにかく、ギャロの手紙をもらいまして私は非常にびっくりして、悲しくなりました。  それで、どうしたらいいかということは、結局、私といたしましては二つしか道がない。一つは、 厚生省にこの手紙をお届けして、こうであったと、これでその行政的な対策やその他は厚生省がお考えになるでしょうけれども、とにかく、私といたしましては、この事実を厚生省にお届けしなければならない。それで、私は直ちに郡司先生にお電話を申し上げたのでございます。  ところが、郡司先生はもうお席においでになりませんでした。後で伺いましたときには、郡司先生はそのときには……(田中(眞)委員「いや、経過は結構ですから、結論は、どなたに、いつ、どこで」と呼ぶ)それで今度は、電話をいたしましたけれども、郡司先生はおられないということでございましたから、今度はだれがそのときの電話にお出になったかということが、私ちょっと覚えがないのでございます。
  223. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 大変な報告をお忘れになってしまうのは残念でございますけれども、じゃ、いつごろで、どういう形でございますか。書類自体をお届けになった、それはファイルから出てきているわけですから。それはどなたに、いつごろお渡しになりましたか。どこで、どういう方法で。
  224. 安部英

    安部証人 私は、いたし方がございませんでしたから、郵送いたしました。
  225. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 どなたあてでございましたか。受け取った反応はございましたか。
  226. 安部英

    安部証人 あて先は、郡司先生あてにいたしました。
  227. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 お返事は。
  228. 安部英

    安部証人 ございませんでした。
  229. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 郡司さんはそれを黙殺なさったわけですか。
  230. 安部英

    安部証人 いえ、郡司先生はどこにおいでになったのか、郡司先生はどこに、果たして郡司先生がごらんになっていただいたかどうかというのも、私はわかりませんでした。
  231. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 そんな大事なものを送られて、郡司さんが異動しておられて、どうなっていますかぐらい、先生ほどお偉い先生が、もう厚生省を呼びつけて、どうなっておるかというようなことをおっしゃったと思いますが、いかがでしたか。
  232. 安部英

    安部証人 先生、そんなに偉くもありませんし、私は主張もできません。だって、私はもう一生懸命に、それをお届けするだけでも一生懸命でございます。  それともう一つ、私ができましたことは、これを早く学会に発表して、お医者さんたち意見も求めたいと思ったのでございますけれども。
  233. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 治療方法の見直しをなさったかどうかということについて伺ってみたいと思いますが、自己注射法を控えるとか、クリオヘの切りかえとか、新鮮な凍結血漿の活用をするとか、お医者様として最善どういうふうな、危険を認識した後にどういうふうなことを具体的になさいましたか。
  234. 安部英

    安部証人 これは前回にも先生の御質問、そのほかの先生からも御質問をちょうだいしましたのでございますが、私といたしましては、先ほども申しましたように、普通の、私のところは成人の、いわゆる大人の患者さんでございまして、そしてそれも長くつき合っておりますからかなり時間がかかっておりますし、同じように注射をしてまいりましたのでございますね。でございますから、そうクリオをやるということについては、私はできなかったのでございます。  したがって、もう今残っておりますのは、残念でございますけれども、非加熱の濃縮製剤しかない。これを使いました。
  235. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 加熱製剤をぜひ使いたいというふうにお思いになりませんでしたか。
  236. 安部英

    安部証人 先生、そのとおりです。  しかし、加熱製剤は、実はその当時に、いわゆる八三年のその当時はトラベノールさんがつくっておいでになりましたけれども、それはB型肝炎の予防をするためにおつくりになったということでございまして、そして実はB型肝炎の実験も、一部それをチンパンジーでおやりになったところでは陽性になったわけでございます。でございますから、これは人間にやるということは非常に難しいということで、その加熱製剤そのものにつきましても、私どもは大変もう慎重でございました。  けれども、これがエイズで、完全にエイズが撲滅できるということがわかっておれば、それはまた考えたかもしれませんけれども、先生、エイズでは、エイズB型肝炎とは病気が違うわけでございます。
  237. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 そうでありましても、患者がどんどん感染していく可能性がある中で、臨機応変に待ったなしの対応というものをやはりお医者様はなさなければいけないと思います。  ここで治験の問題についても伺いたいと思ったのですが、時間が短くなりますので、簡潔にお答えをお願いしたいと思います。  トラベノール社の山本社長に、私は六月四日に参考人質問をさせていただきました。その中で、山本社長が非常に明快におっしゃったことなんですけれども、八三年の五、六月ごろでしたか、厚生省アメリカに、エイズ情報がもっと欲しいんだということを非常に言ってきていたわけですね。にもかかわらず、対応ははっきりしなかった。そのときの窓口は郡司課長であり、平林課長補佐でありました。そして、この時期にトラベノール社は例の全製品回収ということをしていたわけですけれども、そのころが一九八三年の八月、ちょうど夏ですけれども、そのときに平林さんが、厚生省ですけれども、承認の申請案を早く出してくれ、非常にアージェントで急いでいるような督促が来たと。  それで、これは一部変更がそれまでの了解事項であった、すなわち、山本社長は、一部変更というものはすなわち臨床試験なしたというふうに自分は理解していたというふうにおっしゃっているのですが、先ほど郡司課長は、一変イコール臨床試験ありなんだというようなことをおっしゃっていたのです。  その辺の何か、メーカーと行政の真ん中におられて一番御存じだったのは安部先生だと思うのですが、こういう急を要する事態において、突然九月になったら、ここが核心なんですが、安部先生御本人がトラベノールの薬事部に連絡をなさって、臨床でやりたいと、一変ではなくしかもフェーズーからやりたいということをおっしゃってきたので、トラベノール社は極めて重大でショッキングな指示だというふうにショックを受けたというふうにおっしゃっています。  そして、山本氏の発言でいきますと、大きな動揺、失望感が走ったというふうにおっしゃっておられますけれども、こういうような状況の中で、先生がどうしてここで急変なさったのか、一言だけお答えいただいて、次の質問者にかわりたいと思います。
  238. 安部英

    安部証人 先生、私は一度も急変したことはございません。  大体、こういう、薬屋さんが自分の製剤に自信をお持ちになっているのはよろしゅうございますけれども、その製剤を使うのは医者でございまして、これを一変とか、そんな簡単な、そういう書類、そういうことで私に口頭でおっしゃって、これをやってくれとおっしゃいましても、これは医者の立場で考えると無理だという判断をすることも十分にあり得るわけでございます。  でございますから、先生が、きょう、急変をするようなことを私に御期待になるというのであれば、私はその部分では、医者としての常識も、医者としての良心も、皆失い去らなければならないことになるわけでございます。
  239. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 途中ですが、質問を終わります。ありがとうございました。
  240. 和田貞夫

    和田委員長 これにて田中さんの発言は終わりました。  次に、坂口力君。
  241. 坂口力

    坂口委員 新進党の坂口力でございます。  前回は参考人として御出席をいただきましたが、今回は証人として御出席をいただきまして、再度質問する機会を得ました。御苦労さまでございます。  安部証人は、一九八三年の六月、いわゆるエイズ研究班の班長を務められました。前回もお聞きをいたしましたが、その研究班の目的につきまして、日本エイズ患者がいるかいないか、学問的に研究してほしいということであったと参考人出席のときにお答えになっております。しかし、当時の厚生省生物製剤課郡司課長さんは、アメリカで十数人の血友病患者エイズ発症があったので、血友病患者治療方法を変えるべきかどうかを研究してもらうことであったと述べておみえになります。  研究目的につきましてもう一度お聞きをしたいと思いますが、それはどなたから、どんな形でお聞きになりましたのか、もう一度確認をしておきたいと思います。
  242. 安部英

    安部証人 坂口先生、また繰り返して申しわけございませんけれども、これは、第一回の委員会が、研究会がございました。そのときに、郡司先生がごあいさつをなさいました。その中で、エイズ、後天性免疫不全症候群の実態を検索するためにこの研究班を設置することになった、こういうふうにおっしゃいました。私は、それを私の、何と申しますか、テーマというふうに受け取ったわけでございます。
  243. 坂口力

    坂口委員 それでは重ねてお伺いをいたしますが、班の中に血液製剤小委員会ができました。エイズ患者がいるかいないかを研究することが目的でありましたならば、血液製剤小委員会は要らなかったのではないかと私は思います。  「厚生省血液研究事業 昭和五十八年度研究報告集」というのがございまして、その中に、「後天性免疫不全症候群AIDSの実態把握に関する研究 総括研究報告」というのを安部証人がしておみえになります。「主任研究者 安部英」と書いてございます。  当然あなたがお書きになったものだというふうに思いますが、その中で三つ書いてございまして、一つは「AIDS患者実態把握」、それから二番目が「AIDS診断基準の設定」、三番目に「血液製剤に関する研究」というのがございまして、その「血液製剤に関する研究」についてだけ読みますと、  製造過程における収量が多く、本病病原体を含  有する可能性の少い血液製剤を検討し、その供  給体系を考究して、これを具体的に推進する方  策を検討した。そのため本研究班内に別に小委  員会を設けて、安全かつ高収率で、血友病患者  に対する実地診療上適切な血液製剤と、それの  本邦における供給対策を検討した。こう先生はお書きになっておみえになります。  したがいまして、このエイズ患者がいるかいないかということもその一つではあったかもしれませんけれども、「血友病患者に対する実地診療上適切な血液製剤」とは何かということが議論をされたことも事実でございまして、ここに主眼があったのではないかというふうに思いますが、いかがでございますか。
  244. 安部英

    安部証人 お答え申し上げますが、先ほどの第一回のときは、私は、先ほどお答え申し上げましたように理解をいたしました。また、私の第一の報告、その第一回の報告にもそのように書いたのでございますけれども、しかし、これを一回、二回、三回と繰り返してまいりますというと、実態把握ということのためにはどうしても診断基準ということを確立しなければならないわけでございます。でございますから、それの研究を、自然にその議論が出てまいりました。  それからその次は、こういうふうになりますと、どうしても当面は血液製剤を使っておるということの対象であります血友病が問題になるわけでございますから、そのことになりますとどうしても血液製剤について検討をしなければならない。そういうためには何を目的として調べたらよいかというのが議論でございまして、それが先生先ほどお読みくださいましたようなことをまとめて、そして、それを一応題目にいたした次第でございます。
  245. 坂口力

    坂口委員 わかりました。エイズ患者がいるかいないか学問的に研究してほしいということだけが項目であったというふうにこの前おっしゃったものでございますから。だけれども、そうではないということをお認めいただきましたので、一つその点はわかりました。ありがとうございました。  先ほども田中先生から、ギャロ博士との話が出ました。八四年の九月でございますか、ギャロ博士から、安部証人が出されました血液検体の検査結果が届きました。安部証人は、八四年の何月に、どなたの紹介でアメリカのこのギャロ博士のところにお送りになったのでしょうか、ちょっとお伺いをしたいと思います。
  246. 安部英

    安部証人 ちょっと、何日に出したかということはお許しいただきとうございますが、とにかく八四年の七月の終わり、あるいは入っても八月の初めごろに私はギャロ先生のところへ送ったのだと思いますが、ギャロ先生にそのようにお話をお願いをいたしましたのは、私と個人的な手紙やら会話の中で、新しい検体の測定法を今考究中であるということを伺いましたので、その考究中の方法はどうなったかというようなことを、私としては重大事項でございますから手紙で聞いたわけでございます。そういたしましたら、ちょっと説明がありまして、それではついでに私のサンプルを見てもらえないだろうかと。全く個人的な関係でございます。
  247. 坂口力

    坂口委員 検査結果を向こうがお出しになったのは九月の六日になっておりますが、お受け取りになりましたのは大体幾日ごろでございましたか。
  248. 安部英

    安部証人 少なくとも一週間以内には届いておったのではないかと思います。
  249. 坂口力

    坂口委員 前回の参考人出席のときに、四十八例中二十三例が陽性であって、その中にはいわゆる帝京大症例の六十二歳と四十八歳の二例が含まれているというふうにお答えになりましたが、そのほかにも、この時点で発症を疑われるような症例がこの二十三例の中にございましたかどうか、お伺いしたいと思います。
  250. 安部英

    安部証人 ほかにはございませんでした。
  251. 坂口力

    坂口委員 安部証人は、ギャロ博士のこの検査結果を電話で厚生省に伝えられたということを先ほども言われました。郡司課長さんにお電話をされましたけれども、郡司課長さんはお見えにならなかった。それで、かわりの方がどなたであったかは記憶にない、こういうお話でございました。  そのお電話をなさったのは手紙をお受け取りになりましてすぐの話でございますか。電話をなさったのはすぐでございますか。
  252. 安部英

    安部証人 はい。手紙を受け取りましてそんなには時間はたたないと。私は弟子どもが非常に慌て者だと言っているぐらいでございますから、多分、一両日、少なくとも一両日中であったろうと思います。
  253. 坂口力

    坂口委員 その手紙を厚生省の方に郵送で送ったということでございましたが、それは厚生省の方から送ってほしいという御要請があって送られたのでしょうか、それとも、先生がこれは送っておいた方がいいというふうに思われて自主的にお送りになったのでしょうか。
  254. 安部英

    安部証人 厚生省さんの方から送ってくれというお言葉はなかったのでございますが、私が、自主的とおっしゃいましたけれども、心を込めて、何とか見ていただきたいという気持ちで送りました。
  255. 坂口力

    坂口委員 厚生省が公開いたしましたファイルの中に、ギャロ博士から安部証人にあてられました九月六日付の検査結果報告の手紙が入っております。その手紙に添付されております四十八例の検査結果表もございますが、その下に、ケースニ「62才」、ケース一「48才」という日本語、「才」という日本語も含めて書いた記載がございますが、これは安部証人が書き添えられたものでございますか。
  256. 安部英

    安部証人 私が書いたものではございません。  実は私は、そういうギャロ先生との関係がそんなにあるものでございますので、私の弟子をNI Hに派遣いたしておりましたから、それを書いたのはだれであるかということは私にははっきりはわかりませんけれども、書いた人はその人ではないかと思うのでございます。それはギャロ先生の、その人はギャロ先生のすぐそばに働いておりましたから。
  257. 坂口力

    坂口委員 先ほど田中先生の質問にもございましたが、一九八四年にミュンヘンの国際輸血学会で村上先生にお会いになって、村上先生にこのギャロ博士からの検査の事実を告げられて御相談になった、それは事実であったというふうにお答えになりました。  それで、この公表については、委員会で公表すべきだというふうに思ったということも先ほどのお答えにございました。委員会で公表すべきだというふうに思ったというふうにおっしゃいました。厚生省は十分聞いてはいたけれども、コメントはなかった、こういうお話でございました。  先生がギャロ博士からの手紙をお受け取りになりましてから翌年の三月二十一日の新聞発表までの間、国内での発表はなかったわけでございます。一九八四年の十二月の米国におきますベセスダのエイズシンポジウム、ここで安部証人らがギャロ博士の結果を発表したというふうに言われておりますが、国内での学会等での発表はございませんでした。これは、三月二十一日の新聞発表までの間は、私たちが探しました範囲内におきましては、学会発表のものはございません。  国内で発表しなかったのは、これは安部証人御自身の判断でしょうか、あるいは厚生省がそういうふうにしてほしいというふうに言ったのでしょうか。・
  258. 安部英

    安部証人 申し上げます。  ベセスダで発表いたしましたのは、その年にすぐに発表いたしまして、これは非常にギャロ先生の御尽力をいただいたわけでございます。今度は、日本の場合は、私もそれから厚生省も発表がなかったということで、何も私が発表してはいけないなんて申したこともございませんが、ただ、一つ先生に申し上げれば、実は四月の初め、三月の終わりには、四月の初めでございますが、日本血液学会、血液学関係だとかあるいはその方面の学会がございますので、先生が御指摘になりましたそのときまでは、あるいはちょっとチャンスがなかったのか、あるいは遠慮してそのときに発表するからとみんなが考えたのではないかと思っております。
  259. 坂口力

    坂口委員 八四年の秋でございましたか、京都で皆さん方の代表のお集まりがございました。栗村先生を初めといたしました皆さんのお集まりがございました。そこへ先生に招待状が来て、しかし、先生は御出席にならずに松田先生が御出席になったというお話を聞いておりますが、そこでもこのギャロの報告はされなかったというふうにお聞きをいたしておりますが、そうでしょうか。
  260. 安部英

    安部証人 先生、お言葉でございますけれども、実は、この京都の学会にも私はひそかに行ったのでございます。それで、そこにも出席いたしておりましたのでございます。私のちょうど海軍の同期で、大阪大学の方におられました山村雄一君がそこの会長でございましたから、私が行くことを、行くというふうにも勧めてくれましたし、私は参りました。  そこで、やはり先生、学会で発表する以上は、これがエイズであるということを、私としては、せっかくギャロさんからそういうふうに資料をもらいましたものですから、そのように発表したいのでございますね。ところが、先生、そのギャロの方法が実は内容が学問的にどういうものであるかということがよく私にはわかっておりませんでした。でございますから、学問的な発表をいたしますときの条件が足りないわけでございます。  それで、実は、栗村先生は別の方法で私のデータ、ギャロさんから来たことをおわかりになったのではないかと思うのでございますけれども、別のルートでですね、あるいはどこかから聞きつけになられたのでございましょうが、私にすぐに御連絡がございまして、そして、このように私にお尋ねがございました。それは、自分もHIVの抗体を試す、検査する方法を発見した、だが、これがギャロさんのとどのように違うかということの検討をしたいので、そのギャロさんの報告とそれから検体を自分に送ってよこせということがございまして、それで私は送ったわけでございます。
  261. 坂口力

    坂口委員 学問的な内容がわかっていなかったから国内では発表しなかった、しかし外国では発表になった、いささかその辺に矛盾があると私は思いますけれども、こればかり聞いておりますと次が聞けませんので、これはこの程度にしておきます。  最後に、先ほど、NIHに送っていたお弟子さん、お弟子さんと言うと大変失礼でございますけれども、先生と同じグループの方があってと、こうおつしゃいました。その方は何というお名前の方でございますか。
  262. 安部英

    安部証人 先生、年寄りで、どうしてもだめです。
  263. 坂口力

    坂口委員 おわかりいただけなければ結構でございます。  一九八五年の三月二十二日の京英会の会合で、安部証人は、感染と発症とは違う、発症率は低いと患者の皆さん方に述べておられます。どういう根拠があったのか、ひとつお聞きをしたいと思います。  このころまでには、医学会誌を調べますと、発症者、死亡者の爆発的な伸びが報告をされておりますし、八四年秋から冬にかけまして、大体発症率は一〇%程度というふうに言われていたというふうに思います。八五年の四月でございます、米国の国際エイズ会議では、発症率一〇%ぐらいというような御意見もあったようでございます。  先生の二十三例の抗体陽性でございますが、この中で六十二歳と四十八歳の、完全にそれはエイズというふうに断定はされておりませんでしたけれども、何らかの症状が出ておりまして、先生としては非常に疑わしいというふうに思っておみえになった方がお二人少なくともおみえになったわけでございますから、二十三例中二名ということになりますとこれは九%ということになるわけで、そのパーセントの出し方はいささか学問的でないかもしれませんけれども、かなり発症率としてはこれは高いのではないか。氷山の一角で、そしてこのエイズというのは非常に潜伏期間が長いですから、今後出てくる可能性もあるということは当然のことながらお考えになったというふうに思いますが、いかがですか。
  264. 安部英

    安部証人 先生、お時間の方、私も心配になりますが、急いで申しますと、先生、この発症率というのは、これは大変難しいのです。  というのは、今二十三名のうちの二人だとおっしゃいますけれども、私どもが発症率と言うのは、もうちょっと、感染をいたしました中で発症が何名かというような計算をするのが普通でございますね。だけれども、ここは、先生、もう感染をしたということを全部を調べているわけではございませんで、私は実は、送りますときにはできるだけ陽性になっておるに違いないというような人を選んで送りましたものですから、ちょっとそこですぐにいいというふうに先生おっしゃいますと困るわけです。  それから、だから八三年のときは、まだ、先生、日本にそういうものが入って、HIVが入ってきてからもうかなり時間的にも差がございますから、それで発症率症状を呈する人というのは非常に少なかったわけでございますね。でございますから、そのころはもっと、発症率という計算になりますと、これは本当は感染の有無を検索する方法はなかったのでございますけれども、割合からすればやはり低いことになります。
  265. 坂口力

    坂口委員 その当時、医学的な知見が非常に乏しかったことはそのとおりだろうと思います。しかし、医学的知見が乏しければ、むしろ発症率が高いとかあるいは低いというのは断言できなかったはずでありまして、医学的知見が乏しいから発症率は低いと断言をされた根拠は何なのか、お聞きをしたいと思います。  わからないことの多いときには最悪の事態を想定をして対処するのが医学の常道ではないかというふうに思いますが、いかがですか。
  266. 安部英

    安部証人 発症率が低いとか高いとかいうことを言うのはけしからぬというようにおっしゃいましても、そのおっしゃいます一つは、私どもは文献をもって見ておりますから、この程度がその文献の発表の平均値と申しますか、一般的にはそうではないかというふうな考えを一ついたしまして、それを基本にして、何か先生の今のお言葉でございますと、想定をして対策を講ずべきではないかとおっしゃいますというので、私はよくわかります。  けれども、これもはっきり、先生、責任を持ってそういうことを言うということはなかなか難しゅうございますから、私どもは、実際に、日本患者さんで長年、というのは二年か三年ぐらいでございますから、七九年から八〇年、八一、八二、八三と、その間に使っております患者さんでどれぐらい症状が出ているかというようなことを考えますというと、先生、非常に少なかったのでございます。それで先はどのようなことを申したわけでございます。
  267. 坂口力

    坂口委員 医学的知見が非常に乏しかったというのは、私が申し上げたわけではなくて、先生の方がそういうふうに、証人の方がそういうふうにおっしゃったわけでありまして、私もそうではなかったかと思うわけです。  ですから、医学的知見が非常に乏しい中で高いとか低いとかということを決めることは、それはできないだろう。乏しいからといって、発症率は低いから大丈夫だというふうに患者さんたちを安心させたのは間違いではなかったか。それは、医学的知見が乏しければ、むしろ最悪の事態を想定をすることの方が医学としては大事ではなかったのかというふうに私は申し上げたわけでございます。今御答弁いただきましたが、若干方向が違います。  それで、最後になりますが、最後になるといいますか、この問題で、これは先ほどの後天性免疫不全症候群の実態把握に関する研究で、安田純一先生が報告書を書いておみえになります。安田純一先生はこう書いております。  凝固因子の濃縮製剤によるAIDS感染の危険  は、日本血友病患者にとって米国の同程度以  下ではあり得ない。もし、米国において赤十字  の献血血液由来の製品の危険率が市販の製品よ  り低いと仮定すれば、その供給を受けられない  我が国の患者は、その分だけ米国の患者よりも  AIDS感染の危険が大きいといえるかもしれ  ないこう述べておられる。  私は、これは非常に的確な表現ではなかったかというふうに思っております。しかし、このことについてもうお聞きする暇はございませんからこれだけにしておきますが。  一九八三年六月のWFHストックホルム総会、安部証人が組織されました日本血友病医二、三十人が参加をされたというふうにお聞きをしております。その旅費などの参加費は安部証人血液製剤メーカーから出資させたというふうに一部言われておりますが、いかがでございますか。
  268. 安部英

    安部証人 実は、WFHの学会と一緒に国際血栓止血学会というのが同じ場所で後でございました。WFHの後でございましたので、私は先輩といたしまして、できるだけ多くの人を出席させたいと思いました。これが、いけない、出しゃばりであるとおっしゃいますと、私は非常に困るわけでございますけれども。  それで、そう思って、でありますが、私は何とか自分のお金を一年ためてそういうところへ出ておりましたけれども、若い方々には、出たいけれども出られない方がたくさんおりました。それで、あるメーカーさんが私に、そういう若い人もおられるならば、一緒に先生案内してあげたらどうですかと。  ということは、先生、やっぱり私のような年をとったやつがそういう学会に出て、そして若い人を外国の適当な人に紹介するというようなことは、これは大切なことでございますものですから、私はそれを引き受けたかったのでございますね。  けれども、これは、私個人でございましたら結構でございますと言うつもりでございましたけれども、若い人も一緒に援助をしてあげるとおっしゃってくださいましたものですから、しかも、そのメーカー、本当はそのメーカーさんだけじゃなくて、私のそのときの印象では、その私にお話しなさいました方が、多分一社だけでお出しになるのではなくて、何人か、それは私はよく存じませんけれども、そういうふうな、共同でそういうふうに連れていってあげたい、その連れていく引率者に私になれとおっしゃいましたものですから、私は、これは自分のことを考えてはいけないと思いまして、それをお引き受けした次第であります。
  269. 坂口力

    坂口委員 国際学会に多くの若い医学徒が参加されることは大変大事なことでございますし、先輩の先生がそれを率先して行かれるということは大変重要なことだというふうに思っているわけでございます。そのことについてとやかく申し上げるつもりはさらさらございません。  ただ、この時期、血液の問題が非常に大きくなっていた。血液製剤をどうするかという、日本にとりまして最も大事なときでありました。その時期に私的企業からのそういう献金を受けてということで、そのことが大変疑いを持って見られるということは非常に残念なことだということで私は申し上げたわけでございます。  発言時間が終了したようでございますので、これで終わらせていただきます。
  270. 安部英

    安部証人 ちょっとよろしゅうございますか。一言だけお礼を申し上げたい。  先生、ありがとうございました。私は本当に、そこのところが心苦しくもございましたけれども、私はいいことをしたと自分では今では思っておりますから、お許しください。
  271. 和田貞夫

    和田委員長 これにて坂口君の発言は終わりました。  次に、横光克彦君。
  272. 横光克彦

    ○横光委員 きょうは安部先生、まことに御苦労さまでございます。  横光克彦でございます。  質問させていただきます。  さっきの、ギャロ博士の報告郡司さんあてに郵送したと。その郵送の中身ですが、二十三例の陽性者の中に帝京大症例の二例は含まれておりましたか。
  273. 安部英

    安部証人 含まれておりました。
  274. 横光克彦

    ○横光委員 ということは、これは大変なことですね。結局、エイズ第一号認定患者確定されなかった患者が、ギャロ博士によってエイズの陽性患者であるということになったわけですね。  ということは、先生、先ほど、心を込めて見てほしいという思いで出した。それは当然、一号認定患者厚生省が再検討してくれるという思いがあったわけですね。
  275. 安部英

    安部証人 先生、そのとおりです。
  276. 横光克彦

    ○横光委員 厚生省はしかし、それをやらなかったわけですね。あなたはなぜ厚生省に対して抗議しなかったのですか。
  277. 安部英

    安部証人 私はそれを、まあ昔のことでございましたから、一番最初は、ちょっとそこのところは忘れておりましたし、実は先生、八四年はもう私は、先生、正式な厚生省とのつながりがなくなつちゃったのです。ですから、私は普通の、どこにでもおられますお医者様と私とは何にも違いがないわけでございまして、私が、先生、それをおまえは何もしなかったのかとおっしゃいましても、それは先生、私には力がないのです。
  278. 横光克彦

    ○横光委員 これは非常におかしいのですね。先生は、一号認定にしてほしいという患者エイズというギャロ判定が出た、それを厚生省に一両日中に持っていった。ところが、厚生省から何の反応もない。何もしない。厚生省も、それだけ重要な症例が来ているにもかかわらず、郡司さんあてに行っているにもかかわらず、何ら反応がない。 非常にここのところがあやふやでこの問題は処理されてしまっています。  次に、先ほどの発表の件ですが、先生は、専門的にはっきりしなかったので発表しなかったと言っていますが、あれだけ大きい、日本で初めての、四十八例中二十三例が抗体検査の結果陽性であるという、そういった報告が来たのが、何で、専門的というのは別にして、重大な情報でしょう。それで海外では、先ほど坂口先生のお話のように、発表しているのですね、学会で。日本での初めての症例なのに、なぜ日本で発表しなかったのか。厚生省がとめたのですか、それとも自主的に発表しなかったのですか。
  279. 安部英

    安部証人 先生、今度は学術的な立場で申しますと、それは先ほどもちょっとお話しいたしましたように、NIHが中心になりましたエイズのシンポジウムで、というのは、これは先生、権威のあるところでございますから、そこへ出させてもらったわけでございます。  ところが、日本でどうしてやらなかったかとおっしゃいますと、確かにそのとおりでございますが、アメリカでギャロさんが自分で出て、何を質問されてもギャロさんは自分で回答ができるわけでございます。ところが、先生、仮に同じ質問が、私が日本の学会に出てしゃべって、私は、ギャロさんがそれに答えるほど上手にというか、皆さんを納得させる、あるいはリーズナブルなアンサーを差し上げることはできない。
  280. 横光克彦

    ○横光委員 何も答える必要はないのです。こういった情報が来た、それを報告するだけでもやるべきであった。それが一番大事なんです。ですから、何も答える必要ない。ギャロ博士へ私が送った中からこういった陽性反応が来ましたということをなぜ日本の学会で発表しなかったかと私は言っているのです。
  281. 安部英

    安部証人 その時期が、ちょうどそれが来ましたのが確かに十月で……(「九月」と呼ぶ者あり)九月ですね。九月であったのです。九月でありましたが、それを次に学会で発表するということになると、ある一つの学会で発表するには少なくとも締め切りがありまして、九月に出たから、今用意ができるからこれで発表するとしても、それをすぐにその年に日本の学会で発表するということはうまくできるとは限らないわけです。  それから、今度は、先ほど申しましたように、三月になりましたならばまたほかのチャンスがありますから、そのときには、先ほど申しましたように、そのギャロさんの方法とかなんとかをもうちょっと詳しく調べて云々ということも可能じゃないかと思いまして、やりました。
  282. 横光克彦

    ○横光委員 何も学会だけでなくたっていいのです。記者発表でもいいのです。新事実を、なぜ私はこれだけ重大問題を厚生省もあなたも発表しなかったか、非常に残念でなりません。  次に、先ほど坂口先生が御質問しました続きをちょっと質問させていただきます。  WFHのストックホルム総会、ここに二十人から三十人という参加が想定されておりますが、日本から出席したのはあなたのほかに何人でしたか。
  283. 安部英

    安部証人 正確には覚えませんが、数名はおられたと思います。
  284. 横光克彦

    ○横光委員 数名ですか、数十名ですか。
  285. 安部英

    安部証人 いや、数名でございます。多くても十名程度じゃありませんか。
  286. 横光克彦

    ○横光委員 若い人のためにという理由をおっしゃっていましたが、この人数、人選はいつごろ決めましたか。八三年の何月ごろですか。
  287. 安部英

    安部証人 初頭ではないかと思いますね。
  288. 横光克彦

    ○横光委員 これは血液製剤小委員会委員の方が多いのですね。血液製剤小委員会ができる前に人選しているのですか、できてから人選しているのですか。
  289. 安部英

    安部証人 小委員会とは全然関係がございません。
  290. 横光克彦

    ○横光委員 このストックホルムへ行ったときに、いつごろ、どのメーカーから、先ほどあなたはメーカーと言いましたね、どのメーカーから幾ら資金を出させていたのですか。
  291. 安部英

    安部証人 私は、初め、ミドリ十字の内藤先生からのお話を承りましたことは、今度初めて申しますけれども、そのとおりでございまして、これは記録に、風間教授が申しておりまして書いてございますが、そのほかに、ほかのどういうメーカーさんがその中にお入りになったかというのは、もう内藤先生の御一存でございます。
  292. 横光克彦

    ○横光委員 資金もわかりませんか。
  293. 安部英

    安部証人 はい。
  294. 横光克彦

    ○横光委員 この飛行機とかホテルの手配などの実際の参加者のための世話はどのメーカーがやりましたか。
  295. 安部英

    安部証人 メーカーさんが世話をしたかどうか存じませんが、恐らく、各先生方は自分のトラベルエージェンシーにお願いなさいまして、それぞれ手続をなさったのではないかと思います。
  296. 横光克彦

    ○横光委員 厚生省の役人も同行しましたか。
  297. 安部英

    安部証人 御同行はありませんでした。
  298. 横光克彦

    ○横光委員 あなたは、このような外国での会議に企業の資金で出席することは毎年何回くらいありましたか。
  299. 安部英

    安部証人 何回なんということはありません。まあ一年に、自分が出ることは出ますが、自分のお金で出ておりましたから。
  300. 横光克彦

    ○横光委員 あなた、一九八二年九月に、医師や学者四十名、五十名とともに、第六回国際代用血液学会出席のため、米国のフォートデトリック基地内の研究所へ行っていますね。一安部証人「ちょっともう一度」と呼ぶ)米国のフォートデトリツク基地内の研究所へ行っていますね、国際代用血液学会出席のために。
  301. 安部英

    安部証人 それは私はちょっと記憶がございませんのですが、恐らく、ほかのところの学会に出ましたときには、そこに出たのかもしれませんがね。ちょっと今記憶がはっきりいたしません。
  302. 横光克彦

    ○横光委員 このときにもミドリ十字の資金で行ったというような可能性もあるのです。やはり、こういうところから学界と業界がお互いに結び合っているみたいな実態が浮かび上がってくるのですね。  次に、ちょっとお伺いしますが、治験の調整についてお伺いします。  あなたは、加熱製剤の治験に対して、各社が一斉承認となるように時期を調整させたのではないかと疑われておりますが、このような事実はありますか。
  303. 安部英

    安部証人 その事実は全然ございません。
  304. 横光克彦

    ○横光委員 開発がおくれていた製薬会社のために、先行していた製薬会社の治験期間を長引かせる調整をしたということを、マスコミ、特に新聞記者やジャーナリストに対し答えたことはありませんか。
  305. 安部英

    安部証人 私は、そういうことを答えたことはありませんで、そういうふうに発表になったマスコミは読みましたけれども、非常に困っております。
  306. 横光克彦

    ○横光委員 絶対にそういうことは言っていないのですね。
  307. 安部英

    安部証人 事実がありませんから。
  308. 横光克彦

    ○横光委員 断言できますね。
  309. 安部英

    安部証人 断言できます。
  310. 横光克彦

    ○横光委員 わかりました。これはいずれはっきりすると思います。  次に、告知についてちょっとお伺いいたします。  あなたは、血友病患者さんのHIV感染の有無を調べるために抗体検査をしておりますが、その結果を患者さんに告知しましたか。
  311. 安部英

    安部証人 検査をいたします以上は、これを説明をしなければなりません。ですから、先に納得をしてもらいまして検査をするのでございますが、そのときに、私はその結果を発表するのにはいろいろなことがあるということを、いろいろな反応があるということを私自身が考えておりましたから、それを皆様に赤裸々に申し上げまして、そしてもしこの内容を知りたいという御希望があるならば、私のところにその都度各個人ごとにお いでくださいますように頼みました。
  312. 横光克彦

    ○横光委員 抗体陽性が出たときも告知したのですね。
  313. 安部英

    安部証人 いたしました。
  314. 横光克彦

    ○横光委員 あなたは、告知しないのは告知をすると患者が自殺をするおそれがあるからとか、また、二次感染のおそれがあるなどのときには必要に応じて告知したという弁解を、お話をされておりますが、結局、患者さんの希望に従ったということですか。
  315. 安部英

    安部証人 ちょっと伺いますが、希望とはどういう希望でございますか。
  316. 横光克彦

    ○横光委員 患者さんの要求に従ったということですか。
  317. 安部英

    安部証人 そのとおりでございます。
  318. 横光克彦

    ○横光委員 告知するということは非常に重大なことですよね、感染しているということを告知するということは。あなたはそれを、では陽性患者の方には必ず告知していたのですね。
  319. 安部英

    安部証人 要求でございますから。必ずではありません。
  320. 横光克彦

    ○横光委員 ということは、要求がないときは告知していないのですね。
  321. 安部英

    安部証人 それ以外は、私の判断ですることがあります。それは私の医者としての判断でございます。
  322. 横光克彦

    ○横光委員 どのような判断ですか。
  323. 安部英

    安部証人 それは個人的な状況もありますから余り言えないこともあるかと思いますが、とにかくこれは、今から結婚しそうだというような年齢の人には、またそういう患者さんには、そういう話をいたさなければなりません。
  324. 横光克彦

    ○横光委員 いたさなければならないと言ったのですね。
  325. 安部英

    安部証人 いたしました。
  326. 横光克彦

    ○横光委員 そのように奥さんや、あるいは結婚していなくても恋人がいる場合なんかは、やはり二次感染の可能性があるわけですね。そういった場合は告知をしたということなんですか。そういった場合は告知をした、それで、みずから進んでいろいろと聞きたい方にも告知をした、ということは、ほとんど告知したということになるのですか。
  327. 安部英

    安部証人 必ずしもそうではなかったように思います。また、実際は告知しても、実際に私が期待したようにセクシュアルなコンタクトがなくなったというようには考えられないこともあります。
  328. 横光克彦

    ○横光委員 やはり、告知されなかったために大分多くの方が二次感染の被害を受けているのですね。これがやはり、要するに情報を隠していたがために、これは先生の病院だけでなく全国に相当数広がってしまったという気が私はしてならないわけです。  私は思うのですが、長い間の参考人とかあるいは証人喚問とかの質疑をしているときに思うのですよ、なぜこんな判断ミスが生じたのだろうかと。あなたは自分の命が患者さんの命より重いと思っているのじゃないのですか。
  329. 安部英

    安部証人 ちょっとその答えは、ちょっと先生それは……。
  330. 横光克彦

    ○横光委員 もし自分の命も患者さんの今も同じように重いというように感じていたなら、私はとってきた行動が違ってくるのじゃないかと思うのですね。もしあなたが患者さん、いわゆる被害者の立場であっても同じような行動をとってこられましたか。
  331. 安部英

    安部証人 そのような、先生、想像のことを私にお聞きになっても、私は医者として一番いいと思う方法をやったわけで、私の本にもちゃんと書いておりますよ。
  332. 横光克彦

    ○横光委員 先ほどの二次感染ですけれども、先生、また「原告からの手紙」というのでちょっと読ませてもらいます。聞いてください。  あの頃は、帝京を信じてて、安部英様々が、ぜ  つたい安全だって言ってたから、信用して、血  液製剤打ってたんだよね。きっと、お父さんだ  けじゃないよね、自己注射できた人は、みんな、  お医者サマのいうとおりに、朝、晩、注射して  たんでしょうね。お医者サマが、ぜったい安全  だから、心配しないでどんどん使いなさいって  言ってたから……。  私がまだ、幼稚園の頃かな? 血液検査したよ  ね。遺伝子がどうとか言って、  もう、あの時、お父さんは、陽性と出てたんだ  よね。でも、その時はお父さんだけだったでし  よう? どうして、あの時言ってくれなかった  の? 言ってくれてれば、お母さんへの二次感  染は防げたかもしれないのに。帝京は、私の父から、足も奪った。  そして、私の両親の今も奪おうとしている。こういったお嬢さんの手紙が載っています。このお嬢さんに、あなた、どう申し開きするおつもりですか。
  333. 安部英

    安部証人 申し開きをする前に、事実をきちんと話さなければなりません。それから謝るのならば謝っても。  しかし、私としては、そのときにはちゃんと言うべきことは言ったと思いますよ。それから、その患者さんに対する私どもがやるべきことと思われる、自分が思いますことしかやれませんから、やれることはやったつもりでおります。先生、それは医者の、まあ本人の方針でございますから、それでお認めください。
  334. 横光克彦

    ○横光委員 しかし、この今の文章を読むとどうしても、ちゃんと言うべきことは言ったと言いますが、全然信じていないのですね、この患者さんたちはお医者さんを。そういったものが如実にあらわれている。  どうか、これだけの被害が出たわけですので、先生は先生なりにお医者としての立場を全うされたというお話でございますが、私は、お医者である前に人間である、そのことを強く訴えまして、質問を終わらせていただきます。
  335. 安部英

    安部証人 ちょっと一つお話しさせてください。よろしゅうございましょうか。  医者であることと、それから人間であるということの区別をなさっておりますが、私は両方であったつもりでおりますが。
  336. 横光克彦

    ○横光委員 終わります。
  337. 和田貞夫

    和田委員長 これにて横光君の発言は終わりました。  次に、枝野幸男君。
  338. 枝野幸男

    ○枝野委員 一九八三年のあなたのエイズ研究班に大河内先生が入っておられましたが、厚生省に対して、大河内先生を研究班に入れたのは困ったことだ、何とか外してくれないかというようなことを伝えて、厚生省から謝った、そういう事実はありますか。
  339. 安部英

    安部証人 そういう事実は全然ございません。
  340. 枝野幸男

    ○枝野委員 一九八三年十月十八日、東京ステーションホテルで家庭療法促進委員会という委員会がありました。その場において、あなたはそのメンバーの皆さんに対して、大河内君を入れたことについて厚生省が済みませんと謝ったという趣旨発言をされておりませんか。
  341. 安部英

    安部証人 そういうことはしなかったと思います。
  342. 枝野幸男

    ○枝野委員 これは後ほど、テープもございますので声紋を鑑定していただければ事実かどうかというのははっきりいたしますので、それで結構でございますが、先ほど、クリオは詰まるということをおっしゃいましたが、それはいわゆる凍結クリオのことでございますね。
  343. 安部英

    安部証人 私が一番最初にたくさん使いましたのは、凍結クリオです。
  344. 枝野幸男

    ○枝野委員 聞かれたことに答えてください。  あなたが先ほど指摘をされた、クリオを使っていたら詰まるというようなことをおっしゃいました。それはだから使えないのだということをおっしゃいました。それは凍結クリオについてのあなたの御認識をお話しになったのですね。
  345. 安部英

    安部証人 そのとおりでございます。
  346. 枝野幸男

    ○枝野委員 一九七〇年代初めに乾燥クリオというものが開発をされておりますが、乾燥クリオを使用されたことはございますか。
  347. 安部英

    安部証人 使用したことはございます。
  348. 枝野幸男

    ○枝野委員 乾燥クリオの使用と凍結クリオの使用と、どの程度の頻度で、どういうふうな割合でしたか。概略で結構です。
  349. 安部英

    安部証人 ほとんどが凍結クリオでございました。
  350. 枝野幸男

    ○枝野委員 では、どうした場合に乾燥クリオを使いましたか。一例だけで結構ですから、例を挙げてください。
  351. 安部英

    安部証人 乾燥クリオが手に入りますときには乾燥クリオを使うようにしました。
  352. 枝野幸男

    ○枝野委員 そうしますと、乾燥クリオは手に入れたくても数が足りなかったという趣旨でございますか。
  353. 安部英

    安部証人 それが一番大きな理由一つではないかと思います。
  354. 枝野幸男

    ○枝野委員 乾燥クリオはどこから入手をしていましたか、メーカーという意味ですが。
  355. 安部英

    安部証人 日薬さんです。
  356. 枝野幸男

    ○枝野委員 それから、じゃ、その乾燥クリオは、先ほどあなたが御指摘になったような凍結クリオのように固まってしまって、詰まってしまって使えないというようなことはあったのですか、ないのですか。
  357. 安部英

    安部証人 非常によく溶けましたときには、今のようなことは一その傾向は見られました。
  358. 枝野幸男

    ○枝野委員 しかし、あなたが凍結クリオにしても乾燥クリオにしても、クリオが詰まってしまって使えないという話については信用性に乏しいのですね。  一つは、これは前回の参考人質疑のときにもお尋ねをいたしましたが、自衛隊中央病院の加々美光安先生という方は、裁判所に出した意見書で、クリオを使って、要するに濃縮製剤を使わずに、ずっとこの方、自衛隊中央病院や国共連三宿病院というのですか、ここで血友病患者治療をしてきたということをおっしゃっております。  こうした例があることをあなたは御存じですか。
  359. 安部英

    安部証人 話には聞いたことはあります。しかし、私が……(枝野委員「結構です、聞いたことだけで結構です。委員長」と呼ぶ)待ってください。凍結……
  360. 枝野幸男

    ○枝野委員 あなたは、もう一つ、注射器が詰まるとか、固まってしまってできないとかという話に関して、やはり先ほど指摘をしました一九八三年十月十八日、東京ステーションホテルで行われた家庭療法促進委員会という場において、この間、早口だったのでよく聞き取れなかったとおっしゃられましたので、ゆっくり読みます。  それは、ある程度できるかもしれないけど、相  手は素人ですからね。僕は、ちょっと嘘かもし  れないよ、嘘だがこう言ったんだ。ああクリオ  を溶いたら、クリオを溶いてやってると、小さ  なシリンジが詰まるんですね。何にも質問が  ない。あ、そうですがときた。長尾君。嘘かも  しれないよ。…シリンジから、こうチューブだ  ろーね、というような御発言をされています。さらにまた、もう一つその後の部分で、  うん、あれは詰まるんですよ。誰もが文句言う  人いない。みんなあなたね、それは詰まらんこ  ともたくさんあるでしょう。だけど詰まる時が  一回でも二回でもありゃ詰まるんだよ。…あな  たの学問的な良心だったらあるいは嘘をついて  るということになるかもしれないがだ。しかし  一回でも詰まれば詰まる訳だ。こんな発言をされている。  先ほどの、詰まるのだという証言は信用できないのですが、いかがですか。
  361. 安部英

    安部証人 ええ、事実をそのとおり述べておるつもりですが、一つだけ申しましょう。  あなたが引用なさいましたその議事録は、いいですか、私の話でありますならば、当然前もって、こういうことをあなたは言っておりますが、これをよくわかるように話して、書き直してくれとか、訂正しなさい、それが義務であるというべきではないですか。
  362. 枝野幸男

    ○枝野委員 ここではこの録音テープを反訳をした云々ということの話をしているのじゃないのです。  あなたは、ここで今私が読み上げたような認識でいらっしゃるのですか、それとも、そうじゃないのですか。
  363. 安部英

    安部証人 ですから、その認識をはっきりさせるために今の発言をしたのでございます。
  364. 枝野幸男

    ○枝野委員 あなたは、うそでもいいんですよと、「嘘かもしれないよ、」「相手は素人ですからね。」というような趣旨発言をしたことはないとおっしゃるのですか、あるのですか、まずこの一点をお答えください。
  365. 安部英

    安部証人 ですから、そこのところを私はもう一回よく見たいと。そして、それを勝手に、私に黙ってそういうものを発表するというのは、これは人権じゅうりんじゃないですか。
  366. 枝野幸男

    ○枝野委員 人権じゅうりんだったら後で訴えてくださって結構ですから、それはどうぞ。ただ、聞かれたことに答えてください。あなたは証人なんです。  あなたはこういった場において、「相手は素人ですからね。」「嘘かもしれないよ、」というような趣旨のことをおっしゃったのか、おっしゃってないのか、それをはっきりしてください。
  367. 安部英

    安部証人 それは、その詰まっておるということについては、信じない人がいるということであれば、うそであっても仕方がないと言わざるを得ないじゃありませんか。
  368. 枝野幸男

    ○枝野委員 委員長、聞かれたことに答えさせてください。  もう一回、ではこう聞きます。  「詰まる時が一回でも二回でもありゃ詰まるんだよ。」あなたはこうおっしゃっているのです。一回でも二回でも詰まるということを、これではクリオは使えないという理屈に使われたのではたまらないのですよ。いろいろな事故があったりすれば詰まることはあるでしょう、何百回とやることには。そのリスク血友病患者の皆さんがエイズにかかるリスクと、そういったことを考えるのが専門家の仕事であって、一回でも二回でも詰まるのを全部詰まるようなことを言われては困るのですよ。一回でも二回でも、詰まるという話なんですか、全部詰まるのですか。
  369. 安部英

    安部証人 それが、そのために長尾さんに言ったかもしれませんし、ほかの人にも私は言いましたが、とにかく詰まらないようにしなければ治療はできないのですよ。
  370. 枝野幸男

    ○枝野委員 あなたが詰まる例を見たのは、では何例に幾つぐらいの割合なんですか。
  371. 安部英

    安部証人 私は成人の重症患者でやっておりましたから、非常にたくさんの人で見ました。何例ということは今ちょっと言えません。
  372. 枝野幸男

    ○枝野委員 それでは、クリオを溶いて、それが固まったり詰まったりしたことによって人が死んだケースは何例ありますか。
  373. 安部英

    安部証人 それは、すぐに死んだかどうかということの問題がありましたり、それから実際にどれだけ……
  374. 枝野幸男

    ○枝野委員 その詰まったことが原因で死んだケースは何例ありますか。
  375. 安部英

    安部証人 そのことを言うために、今時間的な関係とか量的な関係を申しておるのでございます。
  376. 枝野幸男

    ○枝野委員 結論から言ってください。あなたは聞かれているのです。結論から言ってください。何例ありますか。
  377. 安部英

    安部証人 何例とは言えません。そういうことを答えられません。
  378. 枝野幸男

    ○枝野委員 そういういいかげんなことで、クリオは詰まるから使えません、だからクリオには転換できませんでしたなんて、理屈にならない理屈を言われては困るのですよ。クリオに一例でも二例でも戻せばよかったのです。加々美先生は大人の例だってクリオ治療しているのですよ。それでも死んでないのですよ。  では、こういう聞き方をします。  濃縮製剤が開発されるまでの間、つまり、クリ オが開発をされてクリオ治療している間、あなたの患者さんで出血死をしたケースは何例ありますか。
  379. 安部英

    安部証人 私は、何例あるのか、はっきりは今すぐには言えません。しかしながら……
  380. 枝野幸男

    ○枝野委員 では、こう聞きます。  あなたは、いろいろな場所で、八割ぐらいは二十歳にならずに死んでいた、昔はそうだったんだ、だから治療が大切なんだということをおっしゃっています。では、クリオが開発をされて、クリオが普及をしてから濃縮製剤が普及をするまでの間、何割ぐらいの方が出血死をしていたのですか。
  381. 安部英

    安部証人 大変いい御質問です。それは、しかしながら、そのクリオが何例中の何例ということをするには十分の数字がないと困るのでございますけれども、私どもが日本でそういうデータをそろえますのにはまだ不十分でございましたから、もしお許しがあれば外国のケースをお話しさせていただいて、お許しがいただけますか。
  382. 枝野幸男

    ○枝野委員 結局あなたは、自分の経験とかなんとかということで、クリオでは人がどんどん死ぬのだ、濃縮製剤じゃないと人が死ぬのだと思っていたわけではなくて、何か文書か何かでちょこつと読んだとかそういったことで、クリオは使えないのだ、そういうことを言っていたということになるわけですね。それで濃縮製剤は全然使えないと、初めから結論ありきのようなことをやられたのでは困るわけですよ。  どうしてクリオに戻しちゃだめだったのですか。加々美先生はクリオでやっていたわけですよ。少なくとも、エイズ研究班の班長の間はともかく、エイズ研究班として、国全体としてクリオに戻すかどうかというのは、量が足りる足りないという話はありますよ、帝京大の現場の医者としては、クリオを最大限使おうとしなかったじゃないですか。一例でも使おうとしたのですか、クリオを。
  383. 安部英

    安部証人 たくさんお話しなさったからちょっと答えられない……
  384. 枝野幸男

    ○枝野委員 最後の部分だけで結構です。一例でも使おうとしましたか、クリオを。
  385. 安部英

    安部証人 クリオを使おうとしましたよ。
  386. 枝野幸男

    ○枝野委員 実際に使いましたか。
  387. 安部英

    安部証人 私が使ったのはあります。けれども一あります。
  388. 枝野幸男

    ○枝野委員 それは八三年夏以降ということでよろしいですね。
  389. 安部英

    安部証人 それはちょっと、もう八三年の夏以降は私は実際に外来で治療をすることはできなくなりましたから、今ちょっとそこの点を、区別はよく調べなければなりませんね。
  390. 枝野幸男

    ○枝野委員 あなたは、要するに非常に危機感を持っていた、非加熱製剤では危ないと。それで、クリオについての判断は、今私が追及しましたとおり、なかなかはっきりしない。少なくとも、クリオでは人が死ぬ、必ず死ぬというような話とは到底思えないような話で、あなたは帝京大の名誉教授であって、副学長であった状況の中では、自分のコントロールし得る帝京大の中だけでも可能な限りクリオに切りかえて、あなたの御主張のとおり全部が切りかえられなかったとしても、少なくとも多くのケースはクリオでも、特に乾燥クリオを多数取り寄せる努力をすればできたのじゃないかと思います。  それで質問ですが、お尋ねは、あなたは八三年の夏以降、帝京大学の名誉教授として、あるいはあなたのお弟子さんなどに対して指示をして、乾燥クリオを大量に入手をしようという努力をされましたか。
  391. 安部英

    安部証人 乾燥クリオを大量に入手することは無理でした。
  392. 枝野幸男

    ○枝野委員 できたか、できないかと聞いているのじゃありません。乾燥クリオを入手しようという努力をされましたか。
  393. 安部英

    安部証人 皆さんと相談をしたことは幾らでもあります。
  394. 枝野幸男

    ○枝野委員 皆さんとはどなたですか。
  395. 安部英

    安部証人 私の医局の医者たちです。
  396. 枝野幸男

    ○枝野委員 時間が過ぎたので、次の方に迷惑かけますから終わりにしますが、そういった場合は、相談をするというのは、メーカーあるいはほかに乾燥クリオを使っている医者と話をしなければ、入手できるのかどうかという結論は出ない。あなたの内側のところで足りる足りないだなんという話をしていたってできるわけないということを最後に御指摘して、終わらせていただきます。  今度、東京地裁の刑事部でお会いするのを楽しみにしていますので、それまでお元気でいてください。
  397. 和田貞夫

    和田委員長 これにて枝野君の発言は終わりました。  次に、岩佐恵美さん。
  398. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 死亡している帝京大の二症例を含む検体をギャロ博士には四十八例送られました。新潟県の信楽園病院の青木忠夫医師には五十例送っておられます。どうして二カ所で検査をされる、そういう気になったのか、まず伺いたいと思います。
  399. 安部英

    安部証人 ちょっと聞き損ねまして……。
  400. 和田貞夫

    和田委員長 もう一度ちょっと言ってください。
  401. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 ギャロ博士に四十八例送られましたね、死亡二名含む。同時に、新潟の信楽園病院の青木忠夫医師アメリカで活動されておられる方ですけれども、たまたま日本におられて、その方に五十例送られましたね。なぜ同時期にニカ所で検査をしたいというふうに思われたのか、伺いたいと思います。簡潔にお願いします。
  402. 安部英

    安部証人 私は、青木先生のところへ出すつもりはございませんでした。ですからへ青木先生の新潟に送ったというのは今記憶ありませんが、もし送ったとしても、私は、そういう初めからの計画ではありませんでした。
  403. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 それは大変な問題なんです。私、青木忠夫医師に直接この耳で聞いたのです。帝国ホテルに先生がお見えになって、青木医師が言われるには、安部先生みずからお見えになって、やってくださいというふうに頼まれました、そして、上野の駅の上越新幹線の改札口で木下医師から私はその検体を受け取りましたというふうに言っています。これは事実ですので、そのことを指摘をしておきたいと思います。あなたはうそを言われたということになります。(安部証人「いやいや、そういうことは、ちょっと」と呼ぶ)ちょっと時間が、私の持ち時間は限られておりますので、後で検証してもらいたいと思います。  この二つの検査の結果は、二十三例が陽性であるということで、全く結果は同じでありました。そして、八四年の十一月には、国際血友病治療シンポジウムで、日本血友病患者エイズ死亡を報告をされておられます。これはギャロ報告、つまり血友病患者の四十八例中の二十三例が陽性、そういう部分については触れていないのです。二症例、亡くなられた二症例だけが報告をされています。  ところが、ギャロ報告あるいは青木医師報告については、八四年十二月に、アメリカのベセスダのエイズシンポジウムで、証人の名前もありますし、青木医師の名前もあります。そういう何人かの名前で発表しています。  国内で、しかしそのときには、ギャロ報告そのまま、あるいは青木医師のやられたそういう報告は発表していないわけです。つまり、血友病患者のHIV感染率を示すそういう部分を証人が発表しないと判断をされたように先ほどから伺いますけれども、私は、そういう意味では、そういう判断がその後の薬害エイズの被害を拡大をしたというふうに思います。  その判断は間違っていたというふうに思うのですが、どうですか。
  404. 安部英

    安部証人 先生にちょっと、岩佐先生にはっきりさせていただきたいと思いますのは、私は青木先生にその今の二例の検体の多いのをお届けしたということは、私、持っていきました木下教授にもう一回確かめなければいけないと思いますけれ ども、私は、一番最初にギャロ先生のところに送るので同じものを多分送った、それも含まれて二例だけ多くなっているのだと思いますので私は先はどのようなお答えをしたのでございますから、その青木先生のものを出さなければならなかった理由はなかったわけでございます。  それから、その次は、青木先生は実はいろいろのことがある方でございまして、私の論文も発表はしても、私がちょうどそのときにおりませんでしたから……(岩佐委員「ちょっと、余り関係ないので、聞いたことに答えてください」と呼ぶ)じゃ、簡単に。  ですから、しかし問題は、青木先生のところで発表しなかったとおっしゃる、日本語では発表しなかったとおっしゃるわけでございましょう。アメリカでは青木先生が発表なさったかもしれませんです、私どもの成績を。
  405. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 私は、日本で発表したときにはギャロ博士の全体像を発表しなかったではないか、亡くなられた二例だけだったじゃないですかと、アメリカでは全体像を発表されたではありませんか、日本でも全体像を発表すべきだったということを伺っているのです。
  406. 安部英

    安部証人 実は、その全体像を発表をしなかった理由は、まだ日本で生きておられる方がたくさんそのプラスの中にはあると思いましたのであったのでございます。ですから、これはなるべく、プライバシーの関係もありまして伏せたのでございます。
  407. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 それは大変おかしいと思うのですね。名前を出さなくたって、これだけの大変な事態にある。非常に証人だってショックを受けられたわけですね。事実というのは明らかにしなければいけないですね、日本国内の病人の問題なんですから。そのときにやらなかったことが今につながっているのじゃありませんか。私は、そういう、プライバシーだから発表しなかったというのは何の理由にもならないというふうに思います。  それで、私の持ち時間が十分しかありません。安部証人は何か私の持ち時間を非常にあれこれあれこれ減らしていってしまって、もうないわけですけれども、どうしてもちょっと伺っておきたいことが二点あります。それに簡潔に答えていただきたいと思います。  それは、四十八例中二十三例の抗体陽性、二十五例は陰性だったわけですね。陰性の患者にはどういうふうな対応をしたのか、これが非常にみんな関心があるところです。  なぜ国内産の濃縮製剤に切りかえることをしなかったのかという疑問が、以前の質問者もみんな指摘をしているわけですけれども、少なくとも幼児、症状の軽い人などに対してはクリオにかえるということが、アメリカ血友病財団の八三年一月の勧告を初め、当時言われていたことだと思うのです。そして、少なくとも血友病Bについては、これは国内産で間に合うという実態にあったわけですね。証人は先ほどから血友病Aのことをいろいろ言われていますけれども、少なくとも幼児、症状の軽い人あるいは血友病Bについては、これはかえられたはずだと思うのです。  それで質問ですが、証人または帝京大学の病院では、加熱製剤が認可をされた後、いつまで非加熱製剤を使用したのか、その点をまず第一点伺いたいと思います。
  408. 安部英

    安部証人 加熱製剤が認可されましたら、すぐに入手いたしまして、入手ができましたから、それを皆様に使いました。一岩佐委員「時期は」と呼ぶ)だから、たしか八五年の七月から八月ごろであると思います。
  409. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 もう一問は、先ほどのストックホルム会議の問題ですが、証人がミドリ十字と相談をして組織をされて、血友病の担当医などをストックホルム会議にメーカーの費用で送られたということですけれども、この学者の方々の中に血液製剤小委員会メンバーの方はすべて含まれていたのかどうか、伺いたいと思います。ここにリストがあります。
  410. 安部英

    安部証人 この方々は、大部分は、全部がということではありませんが、大部分は小委員会の方でございます。  しかし、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、小委員会とは無関係なんですから。
  411. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 その小委員会のメンバーの中に血友病医がおられますね。(安部証人「はい」と呼ぶ)その方々は全部含まれているかどうかだけお答えください。
  412. 安部英

    安部証人 血友病医がたくさん含まれておられます。
  413. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 全部ですか、たくさんですか。
  414. 安部英

    安部証人 たくさんです。
  415. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 いや、それをちょっと見てください。全員かどうかを確かめたいのです。
  416. 安部英

    安部証人 必ずしも全員とは言えません。
  417. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 だれが外れていますか。
  418. 安部英

    安部証人 それは後でお話しします。
  419. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 血友病医です。ちょっと、どなたが外れていますか。
  420. 安部英

    安部証人 例えば、徳永栄一さんは……
  421. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 血友病医ですか。
  422. 安部英

    安部証人 違いますでしょう。
  423. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 血友病医じゃないでしょう。
  424. 安部英

    安部証人 ないですよ。
  425. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 いや、だから血友病医の中でだれが外れているかを見てくださいと言っているのです。血液製剤小委員会だけじゃなくて、血液製剤小委員会の中の血友病医師がどうですかということを伺っているのです。
  426. 安部英

    安部証人 だから、これ以外のお医者さんが
  427. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 いいえ、それはメンバーですから、血液製剤小委員会のメンバーですから。
  428. 安部英

    安部証人 メンバーでございますね。この中から……
  429. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 中に全部含まれているのですね。その中の、血液製剤小委員会の中の少なくとも血友病医は、皆さんストックホルムに行かれたということですね。よろしいですね、それで。
  430. 安部英

    安部証人 いえ、私は必ずしもそうじゃないと思います。
  431. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 ちょっと納得いきませんけれども、私はそうだというふうに思うのですけれども、これで終わりたいと思います。
  432. 和田貞夫

    和田委員長 これにて岩佐さんの発言は終わりました。  次に、土肥隆一君。
  433. 土肥隆一

    ○土肥委員 六月に厚生省エイズ研究班が設立される、そして安部先生がその班長になる。その前後にいろいろな会議が開かれておりまして、安部先生も相当積極的に参加しておられるようですが、一九八三年五月の中旬ごろ、カウンシル・オブ・ヨーロッパ、欧州評議会というのが開かれたということは御存じでしょうか。――御存じない。
  434. 安部英

    安部証人 ちょっとわかりません。
  435. 土肥隆一

    ○土肥委員 その後、六月二十九日にWFHの総会がストックホルムで開かれますね。これは御記憶です。その前に、六月二十六日に理事会が開かれた。これはメディカル・アドバイザリー・ボードというのだそうですが、安部先生はこれに出席なさいましたか、理事会に出席なさいましたか。
  436. 安部英

    安部証人 理事会に出たか、それもよく覚えませんが。  というのは、私は実は、理事ではありましたけれども、そこの、国の代表であることは確かでございますけれども、それが全部理事になったというわけではありませんでしたから。
  437. 土肥隆一

    ○土肥委員 なぜ理事会に出られなかったのですか。理事なのに、なぜ理事会に出られなかったのですか。
  438. 安部英

    安部証人 理事には、もしそういう私が出るべきところ、いわゆるクオリファイドされる、出てしかるべきでしたならば出ておったと思います。
  439. 土肥隆一

    ○土肥委員 実は、そのストックホルム総会の前の前、二十六日ですけれども、その理事会が開かれて、そして、五月中旬に開かれた欧州評議会の勧告でクリオを選択するようにという説明がこの 理事会に出されて、そしてそれを理事長は読み上げた、理事会で読み上げたというふうに説明されているのですが、それも御記憶にないですか。
  440. 安部英

    安部証人 だから、それもよく記憶いたしておりません。
  441. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうしたら、ストックホルム総会に出られて、クリオを選択すべきだという欧州評議会の勧告はお知りにならない。
  442. 安部英

    安部証人 いえ、全体のゼネラルアセンブリーがありましたから、そこで長々と議論がありました。
  443. 土肥隆一

    ○土肥委員 そこでクリオ選択をすべきだという勧告は聞いていらっしゃらないのですか。
  444. 安部英

    安部証人 そこの場所で出ておりました。
  445. 土肥隆一

    ○土肥委員 出ておりましたね。
  446. 安部英

    安部証人 はい。
  447. 土肥隆一

    ○土肥委員 それは、今度先生がいよいよエイズ研究班の班長になられる、そのときに全く反映されていないのですが、それはどういう意味ですか。
  448. 安部英

    安部証人 それはどういう意味でございましょうか。反映されていない……
  449. 土肥隆一

    ○土肥委員 そういう国際会議にも出、そして、この研究班はもうその前に開かれておりますが、第二回以降にクリオの選択を全く先生は主張しておられないのですが、ストックホルムの会議で出されたクリオ選択の決議について、あなたは全くそれを顧慮しなかったということはお認めになりますか。
  450. 安部英

    安部証人 いえ、認めません。認めません。  というのは、私は、クリオがあるということも十分に知っておりましたから。それで、皆様がクリオ議論をしておられるのも十分によく聞いたわけです。しかしながら、皆さんはクリオはだめだ、使わないということになったわけですから、そのことを報告いたしました。日本へ帰りまして、研究班報告いたしました。
  451. 土肥隆一

    ○土肥委員 私の理解によると、先生はみずからの経験と判断に基づいてクリオはだめだと判断したのじゃないのですか。世界血友病連盟でそういうクリオ選択の勧告がなされた。それをあなたは自分の考えではそれは無理だということになって、したがって、もうエイズ研究班では全く打つ手を全部縛られてしまって、クリオもだめ、加熱製剤もだめ、こうなると、もう何もすることないじゃないですか。何のためにあなたは班長にずっと座って五回も班会議を開かれたのですか。
  452. 安部英

    安部証人 これはちょっと、全然私には意味がわからないのですが。  というのは、私は自分が、クリオは難しいと、クリオで注射を、治療を維持することは困難な場合が多い、それは確かにそのように思いました。思いましたけれども、この国際会議の席上で聞いたことはちゃんと、両方が厳しく議論されたということはよく覚えております。ですから、私が、自分が考えておったから、それでそういうことを皆無視した、何も考えなかったとおっしゃいますと、私は非常に困るわけです。
  453. 土肥隆一

    ○土肥委員 厚生省郡司さんは、役所として整々と行政を進めたけれども、エイズ研究班結論に引っ張られて、そして、加熱製剤、治験までの期間を余計にかけ過ぎてしまった、要するに、エイズ研究班厚生省行政的な緊急対応を阻止したと言わんばかりのことでございますが、その辺についてはどうですか。
  454. 安部英

    安部証人 私は、先生、初めから申し上げましたように私の研究班行政的な、厚生省が行われるべき行政的なことについては何も、力もなければ意見も差し挟む余地はないと思っておりましたから、先生、それは全く違ったことでございます。
  455. 土肥隆一

    ○土肥委員 前回にも先生にお尋ねしましたけれども、そうすると、今回のエイズ研究班が設定され、極めて緊急事態で出発したエイズ研究班、そして、結局最後に加熱製剤が導入されるようになって、その間二年間、二年四カ月ですか、その時間差の間で大勢の薬害患者を生み出してしまったということについての責任はどこにあるとお考えですか。
  456. 安部英

    安部証人 責任とおっしゃいますと、時間がたったことですね。(土肥委員「そうです」と呼ぶ)私は、ですから、終始、初めから加熱製剤をつくろうと努力してきて、それがうまく実を結ばなかったということはありますよ。しかし、それは私の責任といったって、私が努力をしておるけれども、それができなかったわけです。
  457. 土肥隆一

    ○土肥委員 もう一問。じゃ、先生は研究班加熱製剤の製造促進についてどういうふうなリードをなさったか、おっしゃってください。
  458. 安部英

    安部証人 先ほど申しましたように、加熱製剤に関しまして行政的な努力をすることは私にはできないわけです。
  459. 土肥隆一

    ○土肥委員 先生は進めたのですか。
  460. 安部英

    安部証人 私は進めましたよ。
  461. 土肥隆一

    ○土肥委員 急ぐようにと言ったのですね、研究班では。
  462. 安部英

    安部証人 いや、言わなくてもいいですよ。そのようなことをいろいろ考えてやればいいのです。それは……
  463. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうやって自分の責任範囲に属していることを、言わぬでもいいということではなくて、言って、クリオがだめなら次は何だ、次はどうしたらいいかということをなぜ積極的に先生は専門家として発言しないのですか。もう一度お答えいただきたいと思います。
  464. 安部英

    安部証人 私は何回でも答えます。私が幾ら言っても、言ってもじゃなくて、私は、そういうことを言うのが私の任務ではないと。
  465. 土肥隆一

    ○土肥委員 わかりました。  終わります。
  466. 和田貞夫

    和田委員長 これにて土肥君の発言は終わりました。  以上をもちまして安部証人に対する尋問は終了いたしました。  安部証人、御苦労さまでございました。御退席くださって結構でございます。  速記をとめてください。     〔速記中止〕
  467. 和田貞夫

    和田委員長 速記を起こしてください。     ―――――――――――――
  468. 和田貞夫

    和田委員長 厚生関係基本施策に関する件の調査に関し、エイズ問題について、塩川優一君より証言を求めることといたします。  この際、証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によって、証人証言を求めるときには、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人または証人配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人後見人後見監督人または保佐人並びに証人後見人後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師歯科医師、助産婦、看護婦、弁護士、弁理士公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。  証人宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。  証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  以上のことを御承知おきください。  次に、今回の証人喚問に関する理事会申し合わせについて申し上げます。  その第一は、資料についてであります。  証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。  その第二は、証人メモをとることについてでありますが、尋問項目程度は結構でございます。  以上の点を御承知おきください。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めることにいたします。全員起立。     〔総員起立
  469. 和田貞夫

    和田委員長 議院証言法第五条の三の規定により尋問中の撮影許可しないことになっておりますので、これより塩川優一君の証言が終了するまで、撮影は中止してください。  それでは、塩川優一君、宣誓書を朗読してください。
  470. 塩川優一

    ○塩川証人 宣 誓 書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、  又、何事もつけ加えないことを誓います   平成八年七月二十三日                塩川優一
  471. 和田貞夫

    和田委員長 宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  472. 和田貞夫

    和田委員長 御着席願います。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。  なお、こちらから質問をしているときは着席のままで結構でございますが、御発言の際には起立してください。  委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で重要な問題について証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないように特に御協力をお願いいたします。     ―――――――――――――
  473. 和田貞夫

    和田委員長 これより証人に対して証言を求めます。  まず、委員長より委員会を代表して総括的にお尋ねをして、その後、委員各位発言を願うことといたします。  それでは、私からお尋ねいたします。  あなたは塩川優一君ですか。
  474. 塩川優一

    ○塩川証人 はい、そうであります。
  475. 和田貞夫

    和田委員長 生年月日住所職業をお述べください。
  476. 塩川優一

    ○塩川証人 生年月日は、大正七年六月二十七日。住所は、東京都文京区千石四丁目三十七番の十四です。
  477. 和田貞夫

  478. 塩川優一

    ○塩川証人 職業は、医師であります。
  479. 和田貞夫

    和田委員長 それでは、お尋ねいたします。  エイズ調査検討委員会による患者認定についてお尋ねいたします。  あなたは、一九八四年九月に設立された厚生省エイズ調査検討委員会委員長に就任されましたが、それ以前にエイズ研究班に参加され、いわゆる帝京大症例の検討に当たられ、さきの本委員会において、帝京大症例は、断定はできなかったが、限りなくエイズに近い症例であったと述べられました。また、血友病患者の中にエイズ患者がふえていくのではないかという認識も持っていたとも言われました。その後、エイズについての医学的知見も蓄積され、血友病患者の大量のエイズ感染を証明するギャロ判定及び栗村判定情報が伝えられたこともうかがわれるところであります。  あなたは、帝京大症例を初め、血友病患者症例報告調査検討委員会に提出されるのを待っていたと言われましたが、あなたの帝京大症例についての見解等を考慮すれば、事務局である厚生省とも協力して積極的に安部教授へのコンタクト等を図り、早急に帝京大症例を第一号患者に認定することが当時のエイズ問題への対策を促進させることになったのではないかと思いますが、どう思われますか、簡潔にお答え願いたいと思います。
  480. 塩川優一

    ○塩川証人 私は、昭和五十九年九月、エイズ調査検討委員会ができまして、それで委員長に任命されました。  御承知だと思いますけれども、エイズ調査検討委員会といいますのは、当時、エイズ対策を国で取り上げられまして、そして「AIDS調査実施要綱」というものをつくられました。そして、厚生省の保健医療局長が全国の都道府県知事に協力を求められてできたわけでございますが、その調査の中でそういう患者あるいは疑わしい患者が出た場合には各医療機関はこれを都道府県を通してこの委員会報告する、そしてそこでこの患者の認定を行うということでございました。そして、この委員会は大体委員が十一名おりまして、十一名によってこの認定を行ったわけでございます。  それで、この場合は協力医療機関というのがございまして、これは約六百の日本全国の医療機関がこれに協力いたしております。そして、もちろん帝京大学もこれに参加しておられまして、十分御趣旨が皆さん御理解いただいていたと思います。  それからまた、安部教授につきましては、当時もなお厚生省の輸血後感染症の委員会委員として厚生省と密接な関係を持っておられまして、長い間厚生行政血液行政に参加し、御理解が十分あったと思っております。  そういう中で、当然こういうエイズのサーベイランスのシステムができましたら進んでこれについて御報告がいただけるだろうということを思って、私もずっとお待ちしていたわけでございます。  しかし、なかなか御報告がなかったわけでございまして、私は、早く帝京大学の症例に新しい成績を加えて報告していただいたら、いろいろな今のような問題はなかったというふうに残念に思っている次第でございますけれども、しかし一方、血友病の御専門の方々は、患者さんの心情を考え、また患者さんに対する告知、あるいはそういう報告に対する承諾を得るということについて、またほかの患者さんに対する影響についていろいろお考えだったのでなかなか御報告が難しかったと私は医師として、個人としては思っておりますけれども、こういう国の制度についてぜひ御協力し、そして報告していただきたいということで、もういつでもお待ちしていたわけでございますけれども、これが御報告が大変おくれまして、昭和六十年の三月二十七日に御報告があったということでございます。  以上、事実を申し上げました。
  481. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもって、私からお尋ねすることは終わりました。  次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。長勢甚遠君。
  482. 長勢甚遠

    ○長勢委員 自由民主党の長勢甚遠でございます。  この委員会でもたくさんの参考人方々においでいただいたわけでございますが、今委員長からの御質問があったとおり、一番というか、一つの大きな疑問は、帝京大症例がなぜ早期にエイズとして認定をされなかったか、それができればいろいろなことが変わっていったのではないか、こう思っておるわけであります。  エイズ研究班でもそのことは議論になり、また、スピラ判定の段階あるいはギャロ報告があった、そのたびごとに若干情報が追加をされていったわけですから、帝京大症例を認定する機会は十分あったと思うわけであります。このいずれの段階にも証人は重要な役割を持って関与されておられたわけでございますから、証人が認定に積極的にお取り組みになれば相当早い時期に認定されることになったのではないか、これが私の最も聞きたい点であります。そういう観点から御質問をさせていただきたいと思います。  まず、スピラ判定についてでございますが、五十八年十月ですか、第四回のエイズ研究班でこのスピラ判定というものが報告をされておると伺っております。証人もその第四回に出席をされておられるわけですから、当然その内容をお聞きになっておられると思いますが、そのとおりでござい ますか。
  483. 塩川優一

    ○塩川証人 そのスピラ判定につきましては、八月二十九日に行われたということでございますけれども、私はちょうどそのときに外国におりまして、この会には出席しておりませんでした。  次の第四回の班会議におきまして安部班長からこの結果について御報告があったということでございますけれども、私もこれについて非常に責任があるということで考えておりましたけれども、どうしてもこの班会議でこの御報告があったということの記憶がございません。  それからまた、いろいろ厚生省調査についての回答書を見ましたけれども、どうも余り聞いておらないという方もおられるようでございます。しかし、これはほかの方のことでありまして、私自身は、これはどうも聞いた覚えがない、あるいは聞いたとしても非常に印象が浅かっただろうというふうに考えている次第でございます。
  484. 長勢甚遠

    ○長勢委員 聞いていなかったか、あるいは聞いてもほとんど印象に残らない程度の話であったということでございますね。  そうすると、具体的にスピラ判定というものをお知りになったのはいつですか。
  485. 塩川優一

    ○塩川証人 実は、このスピラ判定につきましては、ただいま大変有名になっておりますけれども、私は、このようなことがあったというのは、数年後に、どうも時間が、時日を断定はできませんけれども、数年後じゃなかったかと思います。どうもそれまでは、このお話は私自身聞いたことがございません。しかし、聞きまして、これはそういうことがあれば非常に大変なことだったと思って、そういういろいろ調べたりした次第でございます。
  486. 長勢甚遠

    ○長勢委員 次に、ギャロの抗体検査報告についてでございますが、これについても、先ほど安部証人に対していろいろ御議論がありましたが、五十九年の十一月二十二日に、輸血後感染症研究班エイズ分科会で、具体的な内容はともかくとして、ギャロに血清を送って検査をしてもらっておるという事実が話題になったというふうに伺っております。  そして、そのことを含めてかもしれませんが、同年の十一月二十九日のエイズ調査検討委員会、これは先生が委員長をなさっておられるわけでございますが、その議事録メモでは、当日その委員会でギャロ報告が話題になった、そういう記載があるわけでございます。  そういう意味で、この時期には既に証人は、ギャロ抗体報告というものがあった、内容はともかく、そういうことがあったことは御存じだったと思いますが、どうですか。
  487. 塩川優一

    ○塩川証人 昭和五十九年の十一月二十二日ですか、この京都で行われました班会議におきまして、栗村教授、鳥取大学の栗村教授から、これは初めて血清の検査が開発された、そして、二十二例の血友病患者さんを見たら四例陽性だったという御報告がありまして、これは私も次の二十九日の、その栗村先生の会議に私は欠席しておりましたけれども、二十九日のときに厚生省から聞きまして、これは大変なことだということを感じたわけでございます。  しかし、このギャロ博士の帝京大学の症例についての検査の結果というのは、私は、文書としては、次の年の六十年のあるいは四月かあるいは三月、そのときに、実は、安部教授が新聞に発表されてから後、入手しております。  今お聞きになった、十一月二十九日にそういうことが議事録に書いてあるということでございますけれども、この議事録は最近厚生省から公表されまして、私もこれを読みまして、時日から、時日といいますのは十一月二十九日というときですから、私の主宰するエイズ調査検討委員会メモじゃないかということは、もうこれは確かに私も思いました。そして、その初めに、ドクター安部アメリカのギャロに血清を送って検査をしたということが、それらしいことが書いてございます。  この文書は非常に読みにくい文書でございまして、全般的にどういうことが書いてあるかということはぜひ解明していただきたいというふうにお願いしているわけでございますけれども、この中には、帝京大学がドクター・ギャロに血友病の血清二十二例を送って四例が陽性だったということが書いてあるのでございます。  それで、これは栗村教授が二十二例中四例と言ったのとまさに同じことでございまして、この点でも私は、この文書についてもっと検討していただきたいと思っておりますし、それから私自身も、このときにそういうお話を聞いた覚えがありません。  そういうことで、このギャロ博士の報告というのは、私は、次の年の三月の二十一日に新聞発表で安部教授の御発表があるまではどうも聞いたという記憶がありませんけれども、もしこの文書が本当のものであれば、それは私はそのとき聞いたということにしなきゃいけないと思います。  しかし、いずれにせよ、私は、栗村教授の御発表を聞いておりますので、日本に確かに血友病患者さんの中に抗体陽性者がいる、これは大変だということはその時点から次の年までよく認識いたしていたと存じます。
  488. 長勢甚遠

    ○長勢委員 十一月二十九日のメモが、安部先生の名前と二十二中四例というよくつながらない記事が載っていることは事実でありますから、先生のお疑問も、解明をしてほしいというのはわからぬでもありませんが、しかし、栗村先生の話に安部先生の名前が載ったり、ギャロがつながるということは常識的ではないわけで、二つ情報が二十二日にあって、それが何らかの形でメモに違った形で載った、あるいはそういう発言が間違って、あるいは何らかのミスでこういう記事になっておると考えるのが私は自然だと思うのです。  それ以上に、安部先生の名前、ギャロの名前が載っているということは、何の発言もないのに、だれが発言されたかは別にして、メモに残るということはあり得ないことだと私は思いますので、どうも先生が、内容の数字その他まで発表があったかどうかは別にして、そういう事実があったということも全く知らなかったというのは非常に不自然に私は思うのです。  それ以上に、十一月二十二日のエイズ分科会でそういうことが話題になったと私は聞いておりますし、その会合には調査検討委員会のメンバーの先生を初めとして何人か先生のよく御存じの方が出ておられるはずですし、一説では、先生のお弟子さんの松本さんもそこへ出ておられたということも聞いております。そうすると、ましてこういう重大な事実が、委員長の職にあった先生がうわさであれ何であれ少しも耳に入らないで三月まで徒過されたということは信じがたいことなんですが、本当にうわさとしても聞いたことはないのですね。
  489. 塩川優一

    ○塩川証人 ただいま御指摘になりました十一月二十二日の京都における研究班報告でございますけれども、これにつきましては、厚生省の当局が、もうこれは公開されておりますけれども、そのときの議事録を書いておりまして、これは私たちも見ております。しかし、これには、栗村教授は二十二例中四例の陽性ということを報告した、その後にいろいろ、これを公表するかどうかというようなことが書いてあります。  そういうことでございまして、私は、当時はそのことはよく知っておりますけれども、そのときにギャロ博士のことについてどなたかがお話しした、もしそういうことでありましたら、私たちも非常に重大な関心を持つことが当然でございますから、と思いますけれども、残念ながら、どうしてもそこのギャロ博士の報告については記憶がございませんけれども、もちろんこれは、いっそういうことがまたはつきりすれば、それはそれで結構です。  それからなお、ちょっと一言申し上げさせていただきますけれども、その報告の中でも帝京大学の二症例の要するに患者が陽性ということは書いてなかったということだけは申し上げておきます。
  490. 和田貞夫

    和田委員長 証人にお願いしますが、質問の内容だけをひとつお答え願いたいと思います。
  491. 長勢甚遠

    ○長勢委員 内容はともかくとしても、それから十一月二十二日はともかくとしても、これだけの話ですから、安部先生が国内、国外を問わずギャロに抗体検査をしてもらったことをひた隠しに隠しておられたのであれば、絶対にわからない努力をされておられたのならともかく、全くうわさも耳にされなかったというのは、私にとっては信じがたいことです、先生がこの問題の権威であるだけに。まして、中に二例があったかなかったかということを殊さらにおっしゃること自体も大変私は不思議に感ずるわけであります。  この問題は、ないということでありますから、これ以上追及してもどうもならぬのですが、本当に三月二十一日まで、安部先生がギャロに抗体を送られたことはうわさとしても聞いたことがなかったのですね、うわさとしても。イエスかノーかで。
  492. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、私は、もう十二年前のことでございますから記憶はございません。このことについては記憶はなかった。もし、しかし、そういう何か証拠が出れば、もちろんこれで私はお認めします。記憶がないということだけお返事しておきます。
  493. 長勢甚遠

    ○長勢委員 大変この点も重要な問題ですから、記憶がないということですが、あれば云々とおっしゃると国民は不信感を持つだけです、はっきり言いまして。逆に言うと、うわさでもいいですから、重大な問題ですからうわさでも聞かれれば重大な関心を持って安部先生にお聞きになるなりするのが当然だったと我々は思うわけであります。  そこで、次の質問に移りますが、先ほどエイズ調査検討委員会のお話をいただきました。検討委員会の任務についてお伺いしたいと思いますが、お話ありましたように、六百余の病院から協力をもらって疑いのある方を報告をさせる、そして迅速にエイズの侵入の状況を確認して流行防止を図る、これが任務であったというふうに私は理解をしておりますが、具体的には、報告のあった症例についてエイズであるかどうかを認定をするということが大きな任務であったわけですね。間違いございませんか。
  494. 塩川優一

    ○塩川証人 この委員会の任務は、調査検討をするということで、常に、上がってきました症例について検討をし、そして御報告をするということだったということでございます。
  495. 長勢甚遠

    ○長勢委員 厚生省がこのエイズ問題に取り組むについて、五十八年にエイズ研究班がつくられ、その後、この調査検討委員会になったわけでございますが、両委員会の役割というのが、特にエイズの認定についてどういう違いがあったのかなということを私は少し知りたいと思っております。  また、エイズ研究班は薬務局の生物製剤課が所管をしておった。そしてエイズ調査検討委員会は、課は移って、保健医療局の感染症対策課に所管がかわっております。しかも、委員長安部先生から塩川先生におかわりになっておる。ここら辺の経過というか理由というか、なぜこういうことに、こういう所管がかわったり、委員長がかわられるということも何らかの理由があったのかどうか、これらについて、証人は当時どのように認識をされて、あるいはどのように厚生省から聞いておられたのか、お聞きをいたします。
  496. 塩川優一

    ○塩川証人 ただいまの御質問でございますけれども、このエイズ実態把握に関する研究班、これは、私もはっきり目的は実は聞いた覚えがないのでございますけれども。  確かに、第一回、第二回、第三回を通して、まず日本患者がいるかどうかということを調査したわけですけれども、結局、非常にクロに近い灰色ということで終わったわけでございます。そして、このときに、その診断基準がアメリカのものであったということで、やはり日本でしっかりした診断基準をつくらなければいけないだろうということになったわけでございます。  そして、実は私は、その中で、疫学調査あるいは診断基準をちゃんとつくるということについて何回か発言しましたので、診断基準の小委員会をつくって私にやれということでございまして、次の年にその結果を御報告しました。そして、それをもとにして今度は全国調査をするということで、今度はエイズ調査検討委員会ができまして、そのつながりの中で私が委員長になったわけでございます。
  497. 長勢甚遠

    ○長勢委員 エイズ研究班のときは、専ら血友病患者方々血液製剤によるエイズ感染ということに重大な関心があったような印象を私は持っておるのですが、それに引きかえて、調査検討委員会になった時点で、主たる目的が血友病患者についての問題意識だけではなくて、全体といったらいいか、いろいろな感染経路があり得るわけですから、そういう意味で、総体的にといったらいいか、逆に血友病患者エイズ問題が一段落、その問題についての関心が薄まって別の問題に重大な関心を持って取り組みをされておられたのではないか、このように思いますが、違いますか。
  498. 塩川優一

    ○塩川証人 余り細かいことはお話はいたしませんけれども、このエイズ実態把握研究班におきましては、まず第一に、やはり日本患者がいるかどうかという調査をしたのでございます。実態把握という目的だったと思います。そして、その後、診断基準小委員会血液製剤の小委員会に分かれて、血液対策とそれからそういう調査検討の方に行ったわけでございます。  そして、この調査検討委員会におきましては、これは日本全国に、すべての医療機関を含めて調査検討しておりますので、当然、もう血友病患者さんであっても、そのほかの原因患者さんであってもここへ報告される。もちろん、ですからその点で帝京大学の症例を早く報告していただきたかったのですけれども、私自身も日本の最大の問題はやはり血液製剤だというふうに思っておりましたので、その点で認識が低下するということは私はありませんでした。
  499. 長勢甚遠

    ○長勢委員 御答弁でございますが、お話しのとおり、エイズ研究班以来、先生も関与されてこられたわけですから、血友病に大変関心があったというのが当然だとは思いますが、そうであればこそ、当然まず何よりも、エイズの認定が任務である検討委員会としては、帝京大症例についてどうするかということがまず頭に浮かぶはずだと思うのですね。  それについて、先ほど来の御答弁でも、早く出てこい、早く出てこいと、悪く言えば手あぐらをして待っておったような感じで私は聞こえたのでございますが、ちょっと私には理解できない。それを理解できるのは、もうそういう話については余り関心がなくなっておったとしか思いようがないというのが先ほどの私の質問であります。そうでないと言われるのであれば、どうもつじつまが合わないなと私は思うのです。  五月八日の当委員会では、証人は、三月二十一日の新聞報道があったと、ギャロ判定について。その一カ月前に、非公式ではあるけれども、帝京大に報告をお願いしてあったという答弁をされておられます。一カ月前ということになれば二月ということになるわけですが、ところが一方で、七月十二日の当委員会で、野崎元課長は、三月二十二日の調査検討委員会で初めて帝京大に調査票を提出をさせる、促すということに決まったという答弁であります。  これは食い違いがあるわけですが、帝京大にその症例について報告をせいということをいつ、だれが依頼をされたのか。先生が直接されたのか、あるいはされないとすれば、そのことをだれに指示をされたのか、具体的に教えていただきたいと思います。
  500. 塩川優一

    ○塩川証人 ただいまの御質問でございますけれども、二月の末に、二十二日だと思いますけれども、男性同性愛の症例が出てきた時点におきまして、当然私も、もう十年も前のことですけれども、日本血友病患者さんが非常に重要である、どうしてこういうのが先にならないのか、あるいは将来こういうことについていろいろ皆さんが御質問になるという考えは持っておりまして、そして 委員会の中でも、この帝京大学の症例はどうなったかということを話し合いましたし、また……(長勢委員「いや、一カ月前の話」と呼ぶ)はい。課長ともお話し合いをいたしました。  しかし、この時点ではまだ、帝京大学から必ず報告があるだろうということを考えて、皆さんがお待ちをしていた。そして、三月の二十一日に新聞報告がありましたので、やはりこの事実はどうしても調査票として出していただきたいということで、二十二日のエイズ調査検討委員会で正式に当局に申し入れました。これは議事録に載っておりまして、私も、ああ、この時期だったかということがわかったわけでございます。
  501. 長勢甚遠

    ○長勢委員 そうすると、一カ月前にお願いをしてあったという御答弁は前にありましたが、今のお話ですと、具体的にだれが、いつ帝京大にお願いをしたかはわからない。ただ内輪で、早く出てほしいものだなという雑談をしておったというような話ですか。
  502. 塩川優一

    ○塩川証人 これはそういうことでなくて、私たちは真剣にこの帝京大学の症例を考えていたわけでございますけれども、当局にもこの点を御相談をしていたということでございます。それで、その時期につきましては、しかし、やはりこの発表、新聞に発表があった時点ということできようはお答えしておきます。
  503. 長勢甚遠

    ○長勢委員 一カ月前から言っておったのと、新聞発表があって慌てて指示したというのとでは、我々の受けとめ方はまるで違うわけです。  ですから私は、一カ月前にどうされておったのですかということを聞いたのですが、野崎さんは、そういう指示は受けていないと答弁をされておられる。先生は当局に話をしておったというのは、当局というのは、名前は出ませんが、責任者は野崎さんであったのではないかと思いますけれども、話し方によって、ちゃんとした、野崎さんに通ずるようなお話ぶりであったのかどうかも現場におりませんからわかりませんけれども、いずれにしても、余り性根の入った頼み方ではないなという印象はぬぐえないわけであります。  次に移りますが、順天堂大症例についてお伺いをいたします。  先生は、ゴットリーブ博士という方とはどういうおつき合いでございますか。簡単にお願いします。
  504. 塩川優一

    ○塩川証人 ゴッツトリーブ博士は学会などで会っておりますけれども、つき合いはございません。
  505. 長勢甚遠

    ○長勢委員 順天堂大症例が第一号認定ということになっておるわけでございますが、ゴットリーブ博士というのは大変な権威だそうでございまして、そういう権威のある方の診断を受けたという方がわざわざ順天堂大へ診断のために来日をされるということは、常識的には非常に不自然で、何か意図的なものをだれもが感じておるわけです。  今、博士と特段のつき合いはないということでございますが、何かわざわざゴットリーブ博士に依頼して来てもらったのではないかということすら疑問に思うわけでございますし、まして、先日の当委員会では、松本参考人はゴットリーブ博士のことは知らないとおっしゃっておられて、実際診断に当たられた松本参考人が知らないのに、塩川証人はゴットリーブ博士の診断があったということを当委員会でも答弁をされておられる等々、非常に不思議なんですね。  何か先生とゴットリーブ博士との間のことが松本参考人に、参考人から上がるのではなくて、先生からおりているのじゃないかという印象を私は持つのですが、少しそこら辺のことについて解明ができるように御答弁いただきたいと思うのです。  もっと言えば、先生のお弟子さんですから、証人が松本参考人に殊さらにサーベイランス票を出すように指示をされたのではないかという疑いすら持たれておるわけですから、これは正確に真実を述べていただきたいと思います。
  506. 塩川優一

    ○塩川証人 ちょっとこれは長くなるかもしれませんが、なるたけ簡潔に申し上げます。  この患者はどういうふうにして来たかということは、もう既にこの衆議院でもお話ししたとおりでございまして、これは松本医師エイズに詳しいからということで訪ねてきたのでございまして、私のところへ来たのではございません。  ゴットリーブ博士のことは、この患者アメリカで数カ所で診断を受けております。昭和五十八年にニューヨーク、昭和五十九年にロサンゼルスで、そのときにゴットリーブ博士の診断を受けておりますけれども、両方ともはっきり診断をしてもらっていないわけでございます。まあ五十九年の一月ということですから、私の推測では、恐らくまだ血清の検査ができなかったのでお返事がなかったのだと思っております。  そして、六十年に順天堂へ来たわけでございます。そして、私が申し上げたのは、何もゴットリーブ博士から送られてきたということでなくて、この患者アメリカで診察を受けた中でゴットリーブ博士も診察をしたということを記憶として申し上げ、また、私のメモにも書いてありますので、その点を申し上げました。  この松本医師につきましては、これは委員長あてにこの訂正書を出しておりますけれども、私は、順天堂大学の岡田暢雄弁護士を通して松本医師に、果たしてこれは本当に会ったことがないのかということを聞きましたところが、松本医師は、いや、どうしても聞いていないと実は初めに言いました。ところが、調べてもらいましたら、自分のところから、確かにロサンゼルス、ゴットリーブ博士という資料が出てまいりまして、これを委員長あてに提出をした次第でございます。  ですから、これはもう私は自分で、ゴットリーブ博士に診てもらったということを言ったわけでございますけれども、これは正しいことを申し上げているということを申し上げます。
  507. 長勢甚遠

    ○長勢委員 今の松本参考人についての御答弁ですが、先日、参考人は、大変自信を持って、そういうものは見たことがないと明確におっしゃっておられたわけで、にもかかわらず、旬日を出ずしてこのような文書が出てくるとなると、大変失礼ですけれども、何か先生から資料が渡ったのではないかということすら疑われるわけで、どうも不思議なことが多いというのが印象であります。これは御答弁は要りません。  最後に、一つだけ御質問させていただきますが、この調査検討委員会の認定というものが一号、二号ということで大変争われておるわけでございますが、これは何なんだろうというのは、私、若干疑問に思っているのは、順天堂大症例も、臨床症例からすると、大変、本当にエイズだったのかどうか疑問があるという意見がたくさんこの委員会でも議論になっておるわけです。どうもやはり抗体検査が陽性ということで強引に認定したのではないかという印象もあるわけでございますが、同時に、この三月二十二日に認定をされて、その新聞記者発表メモを見ますと、「AIDSである疑いが極めて濃いとの結論となった。」こういうことになっておるわけで、「疑いが極めて濃いとの結論」というのはエイズであるということなのかどうなのか、どういう意味で認定という表現を先生方が使っておられたのか。  さらに言えば、五月三十日の帝京大症例についても、エイズ研究班時代とどこが違うかといえば、抗体陽性が明らかになったという点だけが違っておるような気がします。しかも、その調査検討委員会結論は、順天堂大症例と同じように、「AIDSである疑いが極めて濃い」という表現になっておると思います。  そうなると、この調査検討委員会の認定というものは何だったのか、逆に言うと認定の目的は何だったのかということが大変私は疑問に思っておるのです。そういう意味で、一号だ、二号だと言っておるわけでございますが、どういう意味でこういうことになったのか、教えていただきたいと思います。
  508. 塩川優一

    ○塩川証人 この認定につきましては、もしお許しいただければ、また詳しい、どういう過程で認定されたかということを御説明したいと思いますけれども、もし今の御質問だけにお答えいたしま すと、この調査検討の目的というのは、エイズ日本に広がらないようにする、そして、その報告された患者に十分な注意を与え二次感染を起こさないように注意する、あるいは、これは、一般の人たちにこういう情報を開示しまして、そして知識を広めてもらうという目的でございます。ですから、目的は、防疫といいますか患者が広がらないようにという目的でございます。  今の、「疑いが極めて濃い」ということでございますけれども、当時は、この診断につきましては、当時の診断基準というものがありまして、それで診断をしたということで、これは申し上げているとおりでございますけれども、同時に、このときにまだ血清検査が日本で自由にできるようになっていなかったわけでございます。ですから、栗村教授のところにお願いするとか、あるいはアメリカにお願いするということだったわけでございまして、その点が疑いがあると。これでもう日本の検査で間違いなく認定されるであろうということになっておりますけれども、あくまで趣旨は、日本にこういう患者がこれ以上広がらないようにするという目的であったということでございます。
  509. 長勢甚遠

    ○長勢委員 終わります。
  510. 和田貞夫

    和田委員長 これにて長勢君の発言は終わりました。  次に、鴨下一郎君。
  511. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 新進党の鴨下一郎でございます。  まず、塩川証人にお伺いしたいのですが、いわゆる帝京大症例について、エイズ研究班会議の中でどんな議論があって最終的にエイズという診断に至らなかったのか、この辺の経緯についてお聞かせいただきたいと思います。
  512. 塩川優一

    ○塩川証人 この帝京大学症例でございますけれども、これはまず第一に、九人の委員が皆さんでこれを討議したということを申し上げておきます。  それから、班長がこれを学問的に認めるかどうかということをはっきりさせろということで、御諮問があったわけでございます。それに沿って、皆さんがいろいろお話をしたわけですけれども、先ほどお話ししましたように、アメリカのCDCの診断基準というのは、当時唯一の頼りだったわけでございます。  この中に、まず、ステロイドの投与はこれは除かなきゃいけないということも書いてあったのですが、そのほかに、この患者につきましては非常に難しいことがいろいろあったかと思います。  それは、エイズというのは免疫機能が低下してくるということですけれども、この患者はまず第一に血友病である。血友病というのは、血液製剤を使い、あるいは輸血をして、それだけでもう免疫機能が低下するということがあります。それから、肝硬変症がございまして、肝臓というのは免疫機能が低下する原因である。それからさらに、これは最近指摘されたことでございますけれども、この患者さんは、T細胞白血病、HTLV-Iという、エイズウイルスに非常に似た、しかも日本に多いウイルス感染症が合併していたということが当時血液でわかっております。  そういういろいろなこと、それに、さらにエイズでないかという疑いが持たれているということでございまして、皆さんからいろいろな問題点が出た。しかし、私たちは、これはもうほとんどエイズと言っていいのじゃないか。  しかし、ただ、一番困ったことは、当時は血清の抗体検査がなかったわけでございます。ですから、決め手がないために、四つか五つの要件のどれでこの患者さんがこういう症状を呈したかということがわからなかったということでございまして、約一年半後に、先ほどもお話がありました、ギャロ博士を通して抗体検査で証明されたということで、これはもう明らかにエイズだったということでございます。
  513. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 塩川証人は、その会議の中で、言ってみれば、どちらかというと慎重派のような形での御議論をなさっていたように聞いているのですね。  一つは、例えば順天堂の病理の先生にコンサルテーションするというような話。それからあとは、その結果を見て、最終的に標本を見ないで、その四回目のときに、これは塩川さんと西岡さんが、最終的にこれはエイズという診断に至らないのではないかというようなことをおっしゃったというような証言もありますので、その辺のことで、なぜ順天堂の病理にもう一度病理所見を見ていただくというようなことをなさったのか、その辺についてだけ教えてください。
  514. 塩川優一

    ○塩川証人 ちょっと今、お話の中の、私が委員会の中で非常に慎重だったというお話でございますけれども、これはもう九人の委員の方がいろいろな意見を言っておられまして、どなたが特に積極的、どなたが消極的ということは言えないと思います。  この間、参議院におきまして、大河内先生が証言しておられましたけれども、自分は塩川さんよりもシロだった。シロだったというのは、否定する方だったという御発言もしておられますし、これは、私が特に慎重だったということはちょっと保留させていただきたいと思います。  それから、病理の標本の話ですけれども一これは委員長、よろしいでしょうか。配付、お願いしてありますけれども。
  515. 和田貞夫

    和田委員長 はい。
  516. 塩川優一

    ○塩川証人 きょうこの資料を、これは実は参議院委員会に配りましたけれども、こちらでお配りしてないので、あるいは御存じかと思いますけれども、当時の委員会で私が報告したことを述べたいと思います。  一枚目は「病理学教室」という紙でございますけれども、二ページ目に……(鴨下委員「これはもう熟読しておりますので」と呼ぶ一どうも済みません。じゃ、もう簡単にさせていただきます。  今御質問がありましたけれども、これを見てみますと、この委員会の一日前に、十月十三日に、「報告をみせてもらいましたが、いずれにせよ標本をみていないのでこれで責任をもったcommentは出来ません。とにかく、思いついた点だけを書いてみました。あまり参考にならないかもしれません。」と書いてありますので、標本を見ないでということで私は御報告したわけでございます。  今、鴨下先生のお話しの、御質問になった一つは、どういういきさつでこういうことを、病理の標本という話が出たかということですけれども、私もこれは自分でどういう経緯だったということも実はよく覚えていないわけでございますけれども、多分、病理の標本について皆さんがいろいろ言ったために、じゃもう一人、病理の先生に見てもらったらいいのじゃないかというようなことだったかと思いますけれども、残念ながら、この標本は病理の先生に渡っていなかったわけでございます。  事実としてはそれだけでございまして、その経緯については私はもうわかりません。
  517. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 いや、私が伺っているのは、先生のところの順天堂大学の病理になぜ依頼したのかという話なんです。
  518. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、この白井教授という方がこの診断基準の小委員会委員であったということが一つございます。  それから、私自身、もう学者はみんな一人一人独立しておりますので、この順天堂の大学の学者が私に特にいいようなことはするというようなことは全く頭にありませんで、診断基準小委員会に入っておられた教授で、エイズについて知識を持っておられるからいいだろうということでお見せしたわけでございます。
  519. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 それじゃ、白井先生にはどういうような形での依頼をしたのですか。例えば、帝京大の剖検所見ペーパーを渡して何と先生はおっしゃったのですか。
  520. 塩川優一

    ○塩川証人 実は、ここのところは私は記憶がございません。ただ、お渡ししたのは、帝京大学の病歴とそれからその病理解所見は確かにお渡しして、白井教授、見ておられます。  しかし、当然、病理学者に見てもらうわけですから標本を渡して見てもらうつもりだったのです けれども、それがどういうわけで渡っていないかということについては、私はもう全然記憶がございませんし、また、その委員会の後で、ぜひ病理標本を見てもらってもう一回報告しろというお話もなくて、これで終わったという次第でございます。
  521. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 そうすると、今先生が配付なさった、白井先生が先生にあてて書いたものは、これは要するに帝京大学の剖検所見を、言ってみれば向こうの先生が書いた所見を見て書いたコメントなんですね。
  522. 塩川優一

    ○塩川証人 そのとおりでございます。
  523. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 そのときに、先生は白井先生に、このケースはエイズなのか、それともエイズでないのかというような意味では、どういうような形で白井先生に相談なさったのですか。
  524. 塩川優一

    ○塩川証人 ただいまお話ししましたように、実は、との経緯については私は全くその記憶がありません。しかし、病理の先生に見てもらうのだから病理の標本を見てもらうつもりだったと思いますけれども、それがなぜ帝京大学から渡らなかったかということについては、私は特に調べておりませんし、事実だけを今申し上げておきます。
  525. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 帝京大学の病理の解剖学の診断は「血友病、AIDS(の疑)」というふうに書いてあるのですよ。それを、そういう所見が書いてある剖検の診断書を白井教授に渡して、そうしたら、それから返ってきたものが、これは原発性の胆汁性の肝硬変というような形での診断名がくっついてくるというのは、標本も見ていないのにこういう診断がどうしてつくのですか。
  526. 塩川優一

    ○塩川証人 この文書について私は十分理解しておりませんけれども、確かにこの三ページの上に「自己免疫疾患だとすると」と書いてありまして、この帝京大学の症例の病理の標本のところに自己抗体が出ているということがあったものですから、そういうものを見て、これは自己免疫によるものではないかということで、自己免疫の肝硬変症のことがここに書いてございます。  しかし、これは、それを読んでの感想というふうにとっておいていただいて、帝京大学の症例所見を肯定する、否定するという意味ではないというふうにお考えいただきます。
  527. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 いや、ですから、帝京大学では、解剖をして、標本を見て、そして血友病とそれからDICとそれから全身性のカンジダ症があると、特に心筋のカンジダ症に関しては、これは症例報告物だというふうに所見として書いてあるのですよ、帝京大学の病理の先生は。それを白井先生がごらんになって、全く触れないで、突然肝硬変のことだけに言及するというところに私は非常に不可解な部分を感じるのですが、その辺のことを、いかがでしょうか。
  528. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、病理の先生がこの記述を読まれてそういう意見を述べられたということでございまして、私は病理の知識がありませんので、これ以上のことは申し上げられません。
  529. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 ですから、この記述が、エイズなんですかというコンサルテーションをすれば、そうすれば白井先生は、確かにそういう所見が多い、ただ少し疑う場所もあるから確定診断には至らないかもわからないというコメントを出しているのだったらわかるのですよ。でも、この返事というのは、はなから、エイズでないとしたら何か、どういうものが考えられるかという、こういうコメントなんですよ。  だから、それは私は、先生がこの剖検所見を白井先生に見せて、そしてエイズでないとしたら一体何が考えられるかというようなことをおっしゃったのじゃないかというふうに疑ってかかっているのですけれども、その辺についてはいかがでしょう。
  530. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、ただ、病理の先生も皆さん立派な学者でございまして、私がこうしてもらいたい、あるいはこういう方向じゃないかと言ったことでお書きになったのではないと思います。  また、病理の先生は一人一人いろいろ意見を持っておられますので、この記載だったらこう考えるということがあったのじゃないかと思いますけれども、これはもう私は、ただ、これはエイズじゃないかもしれないというようなことで御依頼したということは絶対ございません。これを、こういうエイズの疑いの症例がある、この病理についてどうかということを聞いたということを私は思っております。
  531. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 それでは、白井先生がエイズのことをほとんど触れずに自己免疫疾患の方に方にと持っていったようなこのコメントについては、白井先生がそういうふうに感じたということで解釈していいのですね。
  532. 塩川優一

    ○塩川証人 この内容につきましては、もう私はよく理解しておりませんので。もちろん、白井教授が書かれたのはそれだけの意味があっただろうと思います。
  533. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 このケースは本邦の第二例として、最も典型的なエイズ症例として最終的に認定されているわけですから、そうすると、この白井さんという病理の教授は、この時点で、帝京大学の、言ってみればほかの医者が書いた剖検所見を見て違う診断をしたということになるのですけれども、それでいいのですか。
  534. 塩川優一

    ○塩川証人 これは御本人に聞かなきゃわかりませんけれども、記載の中で、それからもう一つは、私は白井教授にその後聞いたのですけれども、白井教授も、エイズについて十分知識がないのにこういうのを持ってこられて、非常に何を書くか大変だったということを言っておられましたから、そういうふうに御理解いただきたいと思います。
  535. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 エイズ研究班の第四回のときに最終的に、三回のときですね、八月に、帝京大の症例については、病理の標本と、それから順天堂大学の病理で再検討となって、その結果として、エイズということの確定診断に至らなかったという経緯があるのですよ。そうすると、エイズを診たことない病理の先生が、しかも標本も見ないで、そしてエイズでなさそうだというようなことをにわかに信じて、そういうような重大な結論を出したというようなことなんですか。
  536. 塩川優一

    ○塩川証人 この第四回の委員会につきましては、松田博士の報告があった、それからその後。  これは実は、私は本当に記憶がないので、この文書があって初めて御報告しているわけですけれ、ども、そういうことがあったということで、何かこれが決定的にエイズを否定することになったというようなことが言われておりますけれども、少なくもこれに書いてあるところでは、これでエイズではないということを一言も言っておりませんし、白井教授も、これで頼まれたので、自分が見たところを書いたということだと思っております。  少なくも、これが帝京大学のエイズ症例を否定する大きな動機になったということだけは、そうでないとはっきり申し上げておきます。
  537. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 時間がありませんので、これから先の事実の関係については、まださらに白井先生あたりが真実を知っているのだろうと思います。  次に、エイズ第一号症例、これは順天堂症例と言われている方ですが、この患者さんの当時の主治医は順天堂大学の松本孝夫さんですが、塩川証人との御関係はどういう関係になりますか。
  538. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、私は昭和五十九年に定年退職で順天堂大学を退職いたしましたけれども、それまでは私の医局員でおりました。
  539. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 第一例の症例報告の、日本内科学会の関東地方会の症例報告の中に、先生の名前も共同演者として載っていますか。
  540. 塩川優一

    ○塩川証人 私も、これは記憶がなかったのですけれども、松本に聞きましたら、先生のお名前も関係しているからっけたということでございました。
  541. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 その松本先生はUCLAに八〇年以前に留学なさっているというようなことが経歴の中でありますけれども、そのUCLAに先生の方の教室から医局員を留学させるというようなことは慣例的に割合多かったのですか。
  542. 塩川優一

    ○塩川証人 私のところからはアメリカの各地に 留学生を出しておりましたけれども、UCLAではピアソン教授という非常にリューマチの有名な専門家がおりまして、そこを経てもう十人近くの人がUCLAに留学しております。
  543. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 そのUCLAに最初の患者さんはかかったことがあるわけですよね、そのゴットリーブというお医者さんのところへ。  これは、塩川さんの五月の八日の参考人のときに、アメリカで診察し、治療を要しないと言われたにもかかわらず、順天堂ではエイズ認定された、日本の医療の方がはるかに進んでいると言われるという、そういうような問いに、先生が、当時アメリカは非常に進歩していると言っておりますけれども、十分な検査ができないような病院がまだたくさんあったというふうに聞いています、しかも、日本人ですから、日本で診断、治療してもらいたいというので来たのだと思いますというふうにお答えになっています。  それから、その後に、六月の十日には、カリフォルニアではエイズを初めて発見したゴットリーブ博士という方の診察も受けている、既往歴についてもかなりございますというふうに発言なさっているのですが、UCLAというのは十分な検査のできないような施設なんですか。
  544. 塩川優一

    ○塩川証人 そこに私も書いたのをよく覚えておりませんけれども、これは、アメリカも非常に広いわけでございまして、検査のできないところがたくさんあったわけでございます。  それから、このUCLA、これはカリフォルニア大学ロサンゼルス校でございますけれども、この患者が受けたのは昭和五十九年の一月でございまして、このときはアメリカでもこの抗体検査がまだできておりませんで、ゴットリーブのところでも免疫の検査を受けております。しかし、抗体の検査がまだ受けられないということで、疑いで終わったのじゃないかというように思っています。
  545. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 そうすると、例えば、もし日本の方がある意味で信頼感があって松本先生のところにいらっしゃったのだとすれば、これは私は間違っているかもわかりませんけれども、一月の十七日に一回受診して、中旬にもうアメリカに戻っていらっしゃるのですね、その方は。そういうふうな意味でいうと、たまたま日本に寄って、そして松本先生に受診して、そこで一回抗体検査して、そしてエイズというふうな診断に至ったわけですけれども、この前の、例えば先生おっしゃっていたゴットリーブ博士の診断を受けているというようなことの情報については、これはだれからの情報なんですか。
  546. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、私が患者に会いまして、そしてこれはアメリカではどうだったかということで、このゴットリーブ博士、あるいはニューヨーク大学で受けたということを聞いております。  松本のところに来たことにつきましては、先ほどもお話ししましたように、これは、日本に帰ったときに、自分はエイズを心配しているけれども、どうもアメリカでもはっきりしない、だれか詳しい人がいるかということで、知人の紹介で松本のところに来まして、その時点昭和六十年の二月、三月には日本でも検査ができるようになって、ここで初めてエイズの検査を受けたということでございます。
  547. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 最初に立ち寄って一回だけ受診して戻られた患者さんが、例えば、先生のところへ来たときにお話しなさったのでしょうけれども、そのときに、その既往歴の中で、免疫学的検査でCD4が何ぼでというような話をその時点でおっしゃったり、それから、さまざまな検査についての情報を正確にその患者さんは知っていたのですか。
  548. 塩川優一

    ○塩川証人 その来院したとき、これは一回ではありませんで、二回かあるいはそれ以上かもしれませんけれども、順天堂大学松本医師の診断を受けまして、そのときに、アメリカで受けた検査のわかるものは全部聞いたはずでございます。そして、そのときにCD4の値も聞いております。  このCD4につきましては、昭和五十八年のニューヨーク大学、昭和五十九年のゴットリーブのところ、ロサンゼルスのところ、そしてまた順天堂でもう一回検査をするということで三回の検査が行われておりまして、これは厚生省に提出したということでございます。
  549. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 繰り返しになりますが、その一九八三年にニューヨーク大学、八四年にUCLAというふうに受診しているのですが、そのときの臨床のデータをそんなに正確に患者さんは把握して先生におっしゃったわけですか。
  550. 塩川優一

    ○塩川証人 これは私が聞いたわけではございませんで、松本医師が聞いたのですけれども、非常にエイズを心配して、エイズに対する成績を自分で知っているものを述べたというふうに聞いております。
  551. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 時間がないので次へ進ませていただきますけれども、この患者さんは、松本参考人の供述の中では、昨年亡くなったということがありました。八五年にエイズを発症し、なおかつ十年生存するということは非常にまれなケースだろうというふうに思います。  私は八四年のエイズ委員会が設けた診断基準の中でいろいろと考えてみますと、このケースについては、一つは、大規模なというか広範囲な日和見感染がない。カンジダの口腔内カンジダが多少あったけれども、松本医師の供述によると、食道に及んでいたかどうかは患者に聞いてみないとわからない、こんなふうにコメントしています。それから、十年生存した。それから、抗体検査は先生のところでは一回だけ。それから既往歴については、例えば帝京大症例はステロイドの使用が問題視されましたけれども、このケースについては、正確ないわば既往歴についての記載がありません。それから、体重減少がどの程度か調べていない。本人が体重が減ったからというふうに松本医師は言っています。それから、下痢が一過性である。それから、易疲労感というふうにおっしゃっていたけれども、著しい疲労感ではなさそうだ、仕事で来たわけですから。  そういうようなことを総合すると、当時のこのケースはエイズの発症例ではないというふうに私は考えるのですけれども、先生はどういうふうにお考えになりますか。
  552. 塩川優一

    ○塩川証人 この症例の診断につきましては、エイズ調査検討委員会におきまして、まず小委員会が二回行われました。そして、今のお聞きになっているようなことを含めてだろうと思いますけれども、小委員会委員からいろいろ質問が出まして、これを厚生省の当局から松本医師に問い合わせる、そして十分そういう疑問を解決して、そして本委員会にのせまして、そしてそこで、聞いてみたところによりますと、皆さん異議なく、これは間違いないと言ったということでございます。  それで、なお、エイズという診断につきましては、エイズは、HIV感染症がある、そして免疫機能の低下がある、それから特に大事なのは日和見感染でございます。日和見感染というのは、免疫力が低下していると起こってくるウイルスあるいは真菌の感染症ですけれども、これは今もお話にありましたけれども、カンジダ症とそれから単純ヘルペスという、これは肛門の周囲に非常に強い感染症が起こったりして、明らかに日和見感染を伴っております。こういうことで、委員会では慎重に審議してこれを認定したわけでございます。  それからなお、今、十年ということをちょっと申し上げさせていただきますけれども、この十年生きたということについて、この患者さんがどういう生活をしていたか、どういう治療をしていたかということはわかりませんけれども、最近、先日もある有名なエイズの基幹病院の医師に聞きましたけれども、カリニ肺炎で非常に重症でもうだめだと思っていた人が、今、六年たってまだ元気でいる。それから別のところでも、順天堂大学にもそういう症例がありまして、だんだん長生きする例が出てきている。これは今、医学の方では、何かウイルスの種類によって非常に長生きするのがあるということも言われておりまして、これは 御参考までに申し上げさせていただきます。
  553. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 ここに、八五年の八月号でメディカルイミュノロジーという雑誌があるのですけれども、その中で、「AIDSの臨床」という項目の中で、コナントという学者と松本さんの対談のペーパーがありまして、その中で松本さんが、「しかし、彼にはカポジ肉腫や重症な日和見感染症はみられませんでした。」というふうに言っているのですね。それで司会の澤田さんという人が、「ドクター・コナント、CDCの分類ではARCですね。」それでコナント、「そうですね。この症例のごとく、明らかにAIDSレトロウイルスに感染しているような症例」云々ですね、「この、日本で初めて発見された症例はARCということになります。」ということを座談会の中で主治医は認めているのですよ。  ということは、これはエイズでなくARCだったのじゃないのですか。
  554. 塩川優一

    ○塩川証人 ただいまのお話ですけれども、エイズは、先ほどもお話ししたように、HIV感染症、それから免疫機能低下、不全、日和見感染があればエイズということは、これはもう発見以来今までずっと続いて間違いありませんけれども、その中でいろいろ概念が変わっております。ARCという、エイズ関連症候群という言葉は最近出てきておりまして、昭和六十年の認定を行った時点ではそういう言葉がなく、今考えてみますと、そういうものもエイズとして認定されるということになっていたのじゃないかと思います。  いずれにせよ、昭和六十年と平成八年のエイズというのは、いろいろな形で、根本は変わりませんけれども、いろいろな点で、いろいろな新しい情報が入っているということで御理解いただきたいと思います。
  555. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 もう一つ、最後の質問なんですが、そういうことで、仮に百歩譲ったとして、このケースは、アメリカに二十年在住して、そしてたまたま日本に数週間だけ来て、そこで順天堂大学に一回かもしくは数回受診したということで、そしてまたアメリカに戻られたわけですね。  そういうようなケースについて、先ほど、サーベイランス委員会は防疫上の観点から認定したというふうにおっしゃいましたけれども、もう既に日本にいない方について防疫上の話というのはどういうような意味があって、本当に本邦一例というのが、日本に住んでいない方について、たまたま旅行で立ち寄った方を本邦一例と果たして言えるのかどうか、このことについて最後にお答えいただきたいと思います。
  556. 塩川優一

    ○塩川証人 この患者さんは日本に何回も来ております。それから日本国籍を持っております。ですから、今の最後の、防疫上ということでありましたら、この方はまたこれから日本に何回でも来る可能性があるわけです。実際、その後も日本でまた診察を受けているわけでございます。  ですから、そういう意味で、こういう日本国籍を持って日本に出国しまた入国するという人については、やはりこれを認定して、本人に十分注意するということが必要だと思いますし、私はこれでよかったというふうに思っております。
  557. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 終わります。
  558. 和田貞夫

    和田委員長 これにて鴨下君の発言は終わりました。  次に、五島正規君。
  559. 五島正規

    ○五島委員 今の鴨下議員の質問に引き続きまして、やはり私も、いわゆる順天堂症例と言われているこの症例についての疑問から証人にお伺いしたいと思います。  余りにもやはりこれまで御説明あった経過の中から見ましてでき過ぎているというのは、私は率直に感じるわけで、そういう意味では、この第一号認定患者になった患者さんにつきまして、例えばこの患者さんが順天堂においでになったときに、ゴットリーブ博士あるいはニューヨーク大学での検査のデータ、そういうふうなものをお持ちになったのではありませんか、あるいは紹介状のようなものをお持ちになったということはございませんか。
  560. 塩川優一

    ○塩川証人 先ほど申し上げましたとおり、本人はエイズを非常に心配しておりまして、エイズに関連するそういう検査成績は持っていたということを聞いております。
  561. 五島正規

    ○五島委員 本人がそのゴットリーブ博士もしくはニューヨーク大学でやられた検査データをお持ちになったということですね。
  562. 塩川優一

    ○塩川証人 松本医師からはそういうふうに聞いております。また、そのことは厚生省に当時やはり資料として提出したというふうに聞いております。
  563. 五島正規

    ○五島委員 その点につきまして、順天堂大で診察なさった後、改めてゴットリーブ博士の方に、この症例について問い合わせをされるというふうなことはなさったということはございましたでしょうか。
  564. 塩川優一

    ○塩川証人 これは聞いておりませんけれども、このエイズ調査検討委員会としては、やはり患者さんをその時点で認定する、そして、必要な防疫上の処置をとるということが大事だったと思います。あとは、ゴットリーブに問い合わせるとか、あるいはその先どうなったかということは、これは主治医の、自分でやっている、自主的にやるべき仕事でありまして、この調査検討委員会としては、そこまでお願いもしませんし、結果も聞いておりません。
  565. 五島正規

    ○五島委員 ゴットリーブ博士の方から、先ほど先生もおっしゃっておられました、これまでの留学生受け入れ等々の関係の中で先生の大学に行くようにというふうな、そういう患者に対する、日本で行くなら順天堂へ行ったらどうだというふうな形の御示唆を患者に与えられているということはあったわけですか。
  566. 塩川優一

    ○塩川証人 ゴットリーブ博士に診察を受けたことは事実でございますけれども、それで日本に行くようにというようなことを言われたということは聞いておりません。  少なくも日本で松本医師のところへ来たのは、日本国籍であり、そして友人があそこへ行って診てもらえと言ったので来たということでございます。
  567. 五島正規

    ○五島委員 先生は、この順天堂大の症例を第一号患者として認定されるときに、先生御自身の気持ちの中で、このケースが日本における本当に、いわゆる調査検討委員会の中に上がってきたケースの中で第一号であるという御確信をお持ちになったですか。
  568. 塩川優一

    ○塩川証人 私は、エイズ調査検討委員会委員長をしておりまして責任を持っておりましたし、ほかに十人の委員がおりまして、皆さんがこれを十分審査して、そして認めたということでございます。
  569. 五島正規

    ○五島委員 その当時、このケースのCD4が三百五十ということでございますので、現在の時点からいいますと、やはりちょっと発症と言うには早過ぎるのじゃないかという感じを率直に持つわけでございますが、その辺は先ほども先生おっしゃっておられましたのでおくといたしまして、先生自身がこのケースを取り上げられるときに、帝京大の症例の方が実はそれよりも第一号だというふうな認識をその時点においてお持ちになりませんでしたか。
  570. 塩川優一

    ○塩川証人 私は、この症例につきましてよく皆さんが日本第一号ということを言っておられますけれども、エイズ調査委員会としては、参りました症例を次々に認定していく。前もお話ししましたけれども、これまでに四例の報告がありましたけれども、これは認定しないということで、ちょうどそこへこの症例が来たわけでございます。  そして、この血友病症例が重要だということは私も前からよく認識していたことは申し上げたとおりでございますけれども、ですから、帝京大学の症例であっても、そのほかの症例血友病患者さんの中のエイズ発症者があれば、御報告いただければですね、当然、それが第一例と、委員会としての第一例ということになると思います。  それから、今の帝京大学の例が日本第一例ということがよく言われておりますけれども、これは だれが日本の第一例を認定するかわかりませんけれども、松本医師意見のように、確かに、日本で診断された第一号ということであれば、帝京大学の症例は、この委員会でも認定されておりますから、間違いないというふうに思っております。
  571. 五島正規

    ○五島委員 帝京大の症例についてでございますが、先生は、この帝京大症例をいわゆる疑似エイズという形で委員会として結論を出されることに合意されたわけでございますが、その際の理由として、CD4が百八十である。それは、血友病患者としての免疫低下の中において、エイズに感染していなくても起こり得るかのような御発言一つございます。  それからもう一つは、当然でございますが、当初、この帝京大症例が検討された段階では抗体検査ができていないという問題があったと思います。  それで、この抗体検査につきましては、いわゆる帝京大がギャロに頼んでやった四十八例中二十三例の陽性者が出ていますが、このケースの中にこの帝京大の症例が入っているという事実を先生お聞きになりましたか。
  572. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、私の記憶ではどうも聞いた覚えがありませんで、三月二十一日の新聞発表で初めて知ったように思います。  しかし、この辺は非常にいろいろな情報がたくさんございまして、私はもう自分の記憶ではそうでございますけれども、何かそういう別のことで知っていたのじゃないかと言われれば、私は何ともお答えすることはありませんけれども、しかしいずれにせよ、帝京大学では、こういう症例が確かに抗体陽性というこどをギャロのところで確かめられたという時点で早急に調査票を書いて、そして御報告いただいて、日本エイズ調査協力していただきたかったという思いは今でも非常に強く感じております。
  573. 五島正規

    ○五島委員 これまでの、先生が当委員会参考人としてお述べになられたお話を含めて、率直に申しまして、先生、やはり帝京大の症例に対して非常に懐疑的な姿勢でもってお臨みになった、それに対して、順天堂大の症例については非常に積極的に認定をしていくという立場をとられたというふうに感じるわけであります。そこのところがみんなの大きな疑問なわけですが、これは率直にお伺いします。  この点について、先生は、感染症という立場から、血友病患者の問題というものについてよりも、より性感染症のエイズ感染というところに大きな関心をお持ちになってそのような態度をおとりになったのか。あえて私は厚生省圧力があったかどうかということは言いませんけれども、そういう観点でそういうお立場にお立ちになったのか。  あるいは、もう一つ率直に申しまして、先ほど鴨下議員も質問していましたけれども、例えば帝京大症例の病理の所見に対する白井教授の返答を見てみる限りにおいては、これはどう見ても、この所見を見てどうだという形で、病理の医者が病理所見に基づいて自分のコメントを出すような内容ではないわけです。あれはどう考えても、これは違うとしたらどういうことが考えられるんだという質問に対して出されたコメントとしかやはり思えない。  そういう点から見ましても、やはり帝京大の症例、もっと言えば安部さんのそういうエイズに対する診断なり症例報告に対して非常に不信感をお持ぢになっていたのか、もう二つ一つじゃないかという感じがしてなりません。それについて率直にお伺いしたいと思います。
  574. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、私も申し上げましたし、またほかの方もお話しになったのですけれども、この第三回の委員会で帝京大学の症例について御発表があったわけですけれども、そのときに私は安部教授に、ぜひあなたがもう間違いないと思っているなら学会で報告するなり論文報告して、そして、自分は血友病に対して非常に重大な関心を持っている、対策を進めるようにと、もっとそういうお話をしてちっとも構わないのじゃないかということをお話ししました。  それから、その後どうも、これはですから先ほどもお話ししたことに戻りますけれども、血友病患者さんのほかの患者さんへの影響とかいろいろなことがあったので無理もなかったのですけれども、こういう帝京大学で抗体陽性であったということがあり、またギャロ博士のところで報告があったということがあれば、もうこれは何も厚生省の仕事だけではありませんので、広くやはり社会に訴えてよかったのじゃないかと、私はそういうことを非常に痛感しております。  私自身は、先ほどもお話ししましたように、エイズ調査検討委員会は、どういう症例が来ても、これはもう隠すとかごまかすということはないわけでございます。調査票が来て報告があれば、全部これは認定する。ですから、昭和五十九年に、何十例の血友病エイズ患者さんの報告があるのじゃないかと実は私もそのころ非常に思っていたのですけれども、いろいろな御事情があって皆さんから報告がなかったわけです。そして、とうとう第四例が同性愛だったために私が今こういうところで皆さんの御質問を受けることになったと思っておりますけれども、私ども誠心誠意やってきたのにこういうことになった。  特に順天堂大学の症例が、第四例はおかしいということも出ておりますけれども、これは、私もほかのところのことはわかりませんけれども、恐らく普通のところじゃなかなか、自分のところでエイズ患者が出たということになると大変だと、これはもうよく御存じのとおり、患者が来なくなるのじゃないかなんということを皆さん心配している中で、松本医師が、敢然としてといいますか、自分の学問の良識で報告をしたということについて、私は評価すべきだと思っておりますし、それは、私があるいは厚生省がそういう方向に持っていったということは絶対ないわけでございます。私ども誠心誠意のところをお認めいただきたいと思っております。
  575. 五島正規

    ○五島委員 そうであるとすれば、もし帝京大のこの症例が帝京大の安部教授以外から出された場合には、先生は同じような態度をおとりになったでしょうか。
  576. 塩川優一

    ○塩川証人 今の御質問は、きっと安部教授と私が仲が悪かったという御質問だと思いますけれども、私は安部教授とは大学の同窓生でございまして、今でもクラス会なんかで会いまして、もうこのエイズの話は実はいたしませんけれども、和気あいあいと談笑をしている仲でございます。そして、彼は血友病専門家でございますし、私はリューマチという別の専門家でございますから、何も私と安部教授が競争するようなことはございません。みんな自分の領域で最も一生懸命に仕事をしているわけでございます。  ですから、そういう、どうもしかし、このエイズ問題を見ますと皆さんが疑念を持たれるような状況が起こっているわけですけれども、これは、先ほどお話ししたいろいろな事情があって、そこをひとつ御理解いただいて、正しい姿を見ていただいて、今後のエイズ対策に生かしていただきたいというふうに思っております。
  577. 五島正規

    ○五島委員 同級生の名誉教授というのは我々からいうと非常にやりにくい存在なので、先生のおっしゃっていることをそのとおりには受け取りにくいところもあるわけなんですが。  実際問題として、では、十月の第四回の会議でスピラ認定というものについてもその報告があったという事実はあるようですが、先生にとっては非常に記憶に薄いような内容としてしかそれは受け取れない。後でマスコミその他の情報を聞いてみて、そのことの情報の重さというものにお気づきになる。そこには、何かすっきりしない、あるいは医療専門領域の違いというのも当然あるでしょう。そういうふうなところの中でのこの帝京大症例に対する、どちらかといいますとそういうカンファレンスの中では必要かもわかりませんが、必要以上に否定的にその症状について検討してみる立場、あるいはより積極的に肯定してみる立場、それぞれあるかと思うのですが、このケース について先生のお立場というのは、帝京大の症例についてその当時非常に否定的であったのではないか。  また、そのことを受けとめて、けさも安部元教授がおっしゃっていましたけれども、これを疑似エイズという、日本語名に直しますと非常にわかりにくいわけですが、常識的に考えて、疑似エイズというのはプソイドなんだということになりますと、エイズではないというふうに受け取られて、安部さんは、エイズを否定された、こうおっしゃる。ところが、先生は前回のときも、そうではなくて、ヘルダハアト・アウフはっくけれども、しかし、限りなくクロに近いけれども、まだ確定はできない、確定診断できないというふうにおっしゃる。この違いというのは、診断の中にあっては非常に大きな違いだということは、先生、当然おわかりになると思います。  それだけ大きな違いが一つ委員会の中で一つ症例をめぐって起こって、それが解消されないままに来たところに、やはり結果においては、血友病患者さんがそこで少なくとももう感染をして発症しているかもしれない、あるいは亡くなったケースはそうであったかもしれない、その疑いが濃厚であるにもかかわらず、いや、あれは否定されたのだからもう手はつけられないのだというようなことによって非常に対策が後におくれてしまう。この点について、先生はどうお考えでしょうか。
  578. 塩川優一

    ○塩川証人 第一例のお話でございますけれども、先ほどから申し上げましたように、この患者につきましては、これは否定されるということではなくて、しかし、どうしても問題点が多くて、少なくも抗体検査がないからここでは決定できない。これは学問的に決めろということだったからそうだったわけでございますけれども、しかし、それによって何ら血友病の対策をおくらせていいというようなことは、これは委員全般、あるいは安部教授も、恐らく血友病の対策はどんどん進めなければいけないと思っておられたと思います。  ですから、ただ、私もこれも参議院で申しましたけれども、そのときに、日本では血友病血液製剤に対するエイズの脅威がこれからは大いにある、みんな注意しなければいけないということをもうちょっとコメントとしてはっきり言っていただけたらよかったのではないかと思います。  何しろ、先ほどお話がありましたけれども、スピラ博士のときも、私が非常に印象が深かった一つは、それでは、これはスピラ博士があったからここでこの前出た疑問が全部解消された、これでどうですか、認めますかというお話であれば、先ほどもどなたか言われましたけれども、私はちっとも、これは反対をするということは一つもないわけでございまして、そういう御発言が私はあったとは思っておりません。  ですから、先ほどもお話ししましたけれども、帝京大学症例につきましては、いろいろなことで、まあ血友病専門家としての信条もあっていろいろ難しかったのかなと私は御想像しているわけでございます。
  579. 五島正規

    ○五島委員 先生はその後、調査検討委員会委員長におなりになるわけですね。この調査検討委員会というのは、もちろんまず国内における実態調査というのは、それはよく理解できるわけですが、これは単に実態調査をすることだけが厚生省からの依頼なんでございましょうか。  これは保健医療局の感染症対策課からの依頼事項だと聞いておりますが、といたしますと、この調査検討委員会というのは、そうした情報の収集とともに、その対策ということについての検討も当然入ってくるだろう。そうしますと、先生自身がおっしゃっておりますように、血液製剤を使っての感染者の問題というのが一つは集団的に非常に大きな問題として、先生が委員長に就任された段階から実はあったわけでございますね。  そのことについて、特にそういう血液製剤との関係について、先生はこの問題について、血友病専門家でない立場から、このエイズ対策の問題としての御発言というものをどのようになさってきたわけでしょうか。
  580. 塩川優一

    ○塩川証人 このエイズ調査検討委員会は、先ほどお話ししましたように、「AIDS調査実施要綱」というのに基づいておりまして、これは国を挙げてのエイズ対策が昭和五十九年の九月に始まったわけでございます。ですから、今のお話がありましたような血液に対する対策あるいは血友病患者さんに対する対策も、当然、国としてはこれは進められていただろうというふうに私は思っております。  それで、調査検討委員会としては、そういう調査をしてエイズ患者さんがいたということでありますと、これは国に報告し、それから必要な我々も提言もする、そして都道府県にもそれを通じて、それからまた主治医を通して患者さんにいろいろ御注意をし、それから二次感染を防ぐ。  いろいろなことで私たちは仕事をしてきておりまして、決して血液製剤の感染者をおろそかにするということは私はなかったと思いますけれども、ただ、この血液製剤の感染者については、私たちは、当時も薬務局の方がやはり委員会に出ておられましたから、そこを通して向こうへ情報が行っていた、対策が進められたということを私は思っているだけで、具体的には存じません。
  581. 五島正規

    ○五島委員 時間が参りました。終わります。
  582. 和田貞夫

    和田委員長 これにて五島君の発言は終わりました。  次に、枝野幸男君。  この際、枝野委員に申し上げます。  先刻のような本件と直接関係のない発言は控えて尋問願います。
  583. 枝野幸男

    ○枝野委員 確認をさせていただきますが、いわゆる帝京大症例について、これは塩川証人認識としては、クロに近い、真っ白ではない、そして、それがクロと断定できなかったのはいわゆる抗体検査のような確定的な手段がなかった、こういう認識でよろしいでしょうか。
  584. 塩川優一

    ○塩川証人 抗体検査がなかったということと、それから、血友病エイズ症状二つでしたら、もうこれはすぐ断定できるわけでございます。  ところが、そこに肝硬変症それからT細胞白血病というような、それからステロイドの使用というようなほかのいろいろな要素があって非常にこの患者さんは複雑な様相を呈していたということが、当時いろいろ議論が出た理由だと思います。
  585. 枝野幸男

    ○枝野委員 では、こうお尋ねします。  仮定の質問ですからお答えにくいかもしれませんが、その帝京大症例をいわゆる安部研究班で検討しているときに、抗体検査が可能であって、抗体反応がもし出ていたら、これは認定できるような症例でしたか。
  586. 塩川優一

    ○塩川証人 厳密に言いますと、当時の診断基準というのがあるわけでございますけれども、しかし、これは昭和六十年の五月に認定されておりますので、少なくも昭和六十年の五月の段階では、これは明らかなエイズということで結構だと思います。
  587. 枝野幸男

    ○枝野委員 ところが、一九八五年の三月二十二日、サンケイ新聞の夕刊の中で、これはその前日の朝日新聞がいわゆる帝京大症例についてのスクープをした翌日、それを受けての報道ですが、そこで塩川さんの談話が出ているのですが、「研究論文を見ないと何とも言えないが、」ここまではいいのですが、「二人の患者のうち一人は既に前の研究班で疑わしいが〝シロ〟との結論が出ている。HTLVⅢ型の抗体を持っているからといって、直ちにエイズと証明されたことにはならないと思う。」という談話が載っているのですね。  私もマスコミの取材を受ける立場ですから、こういった談話が要約されてすべてが正確に載るわけではありませんが、少なくとも趣旨が百八十度違っているとか、言っていないことが載るということは基本的にはあり得ないわけで、今の御発言とまるで矛盾をするのではないかな。  シロではなくてクロに近い灰色だったという御認識、あるいはその例については、少なくとも抗体を持っていたらエイズと言えるような事例だと いう予備知識を持っていらした。もちろん発言が慎重になるのはわかりますが、ちょっとこの談話と今の証言とは食い違うように思いますが、いかがですか。
  588. 塩川優一

    ○塩川証人 その談話について私は覚えておりませんけれども、少なくも厚生省あるいはエイズ調査検討委員会としましては、必要な事項調査票に記入してあって、そして、それに基づいてこれを診断するということでございますので、ほかの新聞にも私のコメントが載っておりますけれども、この症例についての報告を早く出してもらいたいということが趣旨であったというふうに思っております。
  589. 枝野幸男

    ○枝野委員 これは、報道の方のこのときのメモとか残っていれば検証していただけるのだろうなと思いますが。  若干視点を変えますが、一九八七年、神戸で女性の方が、性的交渉を多数の男性と持っている経歴のある女性がエイズと認定をされて、パニックと言っていいのかどうかわかりませんが、かなり大騒ぎになったことは御記憶あると思うのです。  そのときに記者会見をされた塩川さんは、例えば、身に覚えのある人は必ず血液検査を受け、医療機関や保健所の指導を受けてほしいとか、あるいは、この女性について、神戸市内で多数の日本人男性を相手に売春を続けていたようだというようなことを御発言をされているという記録が残っています。  正確ではなくても結構ですが、こういった趣旨のことを御発言をされた記憶はございますか。
  590. 塩川優一

    ○塩川証人 新聞記者の方がたくさんおりますから、まあ今の私の気持ちだけを申し上げますけれども、この事件につきましては、いろいろな問題がたくさん社会にも起こったわけでございますけれども、そこまでどうもはっきり露骨にお話ししたかどうかというのはちょっと覚えありませんけれども、いずれにせよ、こういうことで、日本ではそういう異性間性的接触によってエイズが広がる可能性があるということを申し上げた、そして、そういうことを注視して今後広がらないようにしてくれということを御注意したということは間違いありません。
  591. 枝野幸男

    ○枝野委員 こういったことを注意してほしいということをサーベイランス委員会委員長の立場としておっしゃられるということは、エイズサーベイランス委員会としては、調査研究、要するに実態把握という目的以上に、行政から、要するに感染者の拡大等についても仕事をしてくれということを目的として受けていたのですか、それとも、そうではなかったのですか。
  592. 塩川優一

    ○塩川証人 調査検討委員会は、そういう上がってきた症例を検討して認定といいますか、と同時に、皆さん御存じだと思いますけれども、厚生省がこういう事実を発表する、そうするとそこで、記者会見の中で委員長に、今どういうことを注意したらいいか、社会の状況はどうなっているかということが皆さんからは御質問がありますし、こちらもこれが新聞、マスコミを通して広報されるべきことだということを申し上げたというのは、もうこれは毎回そういうやり方でやっております。
  593. 枝野幸男

    ○枝野委員 それでは、その記者会見等をされるに当たりまして、サーベイランス委員長としての塩川さんの御見解というものを事前に厚生省とはすり合わせをした上で、私はこういう事態なのでこれに対してはこういうことを世間に伝えるべきだとか、そういったことについて事前にすり合わせをされた上で、意見交換をされた上で記者会見に臨んでいらしたのですか。それとも、独自に勝手にお話しなさったのですか。
  594. 塩川優一

    ○塩川証人 サーベイランス委員会は学者の集まりでございますので、学者として皆さんがいろいろ意見を言っておられまして、それをまとめて私は報告しております。特にこれについて、私は厚生省からこういうことを言ってくれというような特に指示を受けたことはございませんけれども、厚生省の発表に沿っていろいろお話ししているということも事実でございます。
  595. 枝野幸男

    ○枝野委員 そこは非常に大事な問題なんですが、その御記憶がない。  正確ではないかもしれませんが、例えば今の件で、神戸市内で多数の日本人男性を相手に売春を続けていたようだというような御発言はかなりプライバシーに踏み込んだ話であります。医者として公表できる話であるかといえば、できる話ではないでしょう。それは、疫学上の必要から、そういったこともあるから注意をしろということを行政的に判断をして予防を訴えかけるということであるならわかるのですが、そのあたりは行政が指導をとったのですか、それとも、これは医者としての、学者としての塩川先生の御判断だったのですか。
  596. 塩川優一

    ○塩川証人 今の件につきましては、どうも、その前に行政の方でどういう発表をされたかということを私は記憶しておりませんので、全然別のことを言ったかどうかということも言えませんけれども、しかし、その言葉が、お話を聞いて非常に今驚きましたけれども、その本筋というのは、もうこれは明らかに間違いないことだったと思います。言葉が的確かどうかということを今聞かれますと、非常に私も、余り、少しひどい言葉だったなと思いますけれども、これは新聞の記者にいろいろお話しした中でそういうことがあったのかもしれません。  いずれにせよ、行政もそれからエイズのサーベイランス委員会協力して日本エイズ対策に向けて努力していたということでございます。
  597. 枝野幸男

    ○枝野委員 もう一点。いわゆるエイズ予防法の成立に当たっていろいろと御関与されているようでございますが、昭和六十三年十二月六日の参議院社会労働委員会参考人としておいでになって、このエイズ予防法について意見を述べられていらっしゃいますが、この中で塩川証人は、「この法律を根拠として日本エイズ対策が行われて、現在かかった方も結局は幸福になるという目的である」という御発言をされています。  結果論として、エイズ予防法によって、あの当時感染をされた、病気にかかっていらした方が幸福になったと思っていらっしゃいますか。
  598. 塩川優一

    ○塩川証人 エイズ予防法の中には、この法律によって日本エイズ対策が進む、特に治療研究が進む、それからいろいろ医療が進むということで、確かにこれによって患者さんのために一歩前進したというふうに思っております。  例えば、最近エイズ……
  599. 枝野幸男

    ○枝野委員 結論だけで結構です。  現実に、例えば薬害エイズの訴訟を起こされた被害者の皆さんのかなり多くの部分の方が、今、エイズ予防法を廃止してくれということを要求されています。その事実を、今、これによって幸福になったという御判断であるならば、どのように理解をされるのですか。
  600. 塩川優一

    ○塩川証人 エイズ予防法につきましては、いろいろ確かに問題があるということは当初からも言われております。それで、この問題点というものは、もうこれで、予防法が平成二年にできてもう六年たっておりますから検討していただく。それで、恐らくその反対というのは、私は詳しく知りませんけれども、いろいろな問題があるだろう。そういう問題があれば、これについて、この法律の問題点を検討される。  私は法律家ではありませんから、そういうことは素人としても思っておりますけれども、ただ、例えば、最近エイズのための基幹病院が日本全国にできたというような一つのことをとり、また、エイズ血液検査が無料で行われている、また、医療について医師がいろいろ研修をしてエイズの診療を少しでもよくするようにしている。これは確かに、かかられた方の中には、かかられた方はいろいろ御不満もあると思いますけれども、やはりそういうエイズ対策について一歩一歩進めていくためには確かに一つ役に立ったこともあるだろうというふうに思っている次第です。
  601. 枝野幸男

    ○枝野委員 今、法律専門家でありませんしというおっしゃり方をしましたが、法律専門家でもない方が、このエイズ予防法が成立のときに、 この法律によってこういう効果が出そうだとか、だからプラスになりそうだとかという判断をされたというのは、ある程度法律の知識のある方、つまり厚生省からのサジェスチョンを受けていたのじゃないかと思いますが、この法案をつくるときに厚生省とどのようなお話をされましたか。
  602. 塩川優一

    ○塩川証人 今、法律専門家でないと申し上げましたし、それから私自身は、このエイズ予防法について、自分が法律をつくるのに非常に重要な立場にあったということは全くございません。  ただ、例えば患者報告について、医師が診断したら一週間以内に診断する、そういうような条項がありますけれども、そういうようなことについて、皆さんから医者としての意見を聞かれたという点で何か申し上げたということです。  しかし、今お話ししたように、エイズ予防法の成立について、私は、自分の、医師としてのお手伝いをしたというふうにお返事しておきます。
  603. 枝野幸男

    ○枝野委員 時間でございますので最後にいたしますが、確かに、医者の立場から見て、いい部分というのもあったのだろうと思いますね。だけれども、全体像をごらんになっていたわけじゃなくて、全体として逆に問題の部分があるかもしれないところについては御存じないわけですよね。ただ厚生省もこれで進めようとしているとかという話について、私が参議院の議事録を読ませていただく限りは、この部分がいいからというお話をされているのではなくて、全体としてこれが必要なんだということをおっしゃっているというのは、これは厚生省のリードで発言をされているのじゃないか。そして、それが例えばサーベイランスなどの局面において、塩川先生が意識をされていたのかどうかは知りませんが、無意識のうちにでも厚生省の描いたシナリオに沿った行動をさせられていたのではないかという疑念を挟まさせていただいて、終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  604. 和田貞夫

    和田委員長 枝野ざん、答弁はいいのですか。
  605. 枝野幸男

    ○枝野委員 いいです。(塩川証人「一言」と呼ぶ)
  606. 和田貞夫

    和田委員長 塩川証人
  607. 塩川優一

    ○塩川証人 この法律につきましては、私たちは確かに法律ができたためによかった面があるということで参議院の労働委員会で御発言したと思いますけれども、これは医師としての立場であって、それ以上のものではないと、これは私の職業上当然のことですけれども、ちょっと一言申し上げておきます。
  608. 和田貞夫

    和田委員長 これにて枝野君の発言は終わりました。  次に、岩佐恵美さん。
  609. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 八四年四月にエイズウイルス株が固定をされて、五月に論文が出たということです。スピラ博士アメリカではエイズ患者判断する、そう認定した帝京大症例について、エイズ調査検討委員会としてエイズ患者かどうかその検証をすべきだったのだと思いますけれども、その点どうでしょうか。
  610. 塩川優一

    ○塩川証人 エイズ調査検討委員会ができた時点で、これは帝京大学症例ばかりでなくて、日本のたくさん、恐らくたくさんおられるのじゃないかと思っていたエイズにかかった血友病患者さんのために、これはぜひ検討すべきだということは当然なことでございます。そして、そのためにはやはり、その調査票に事実を記入していただいて、それに基づいて検討をするということが手続でございまして、そういうことを推進するということは国もされたと思いますし、私たちもいろいろな点でぜひ報告をしていただきたいと申し上げております。
  611. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 先ほど証人は、輸血後感染症研究班に一日も早く報告してほしかった、報告を待っていた、そういう発言がありました。  十一月二十二日のいわゆる輸血後感染症のエイズ分科会、京都で開かれた会議ですけれども、この会議に突然、安部教授が呼ばれるわけですね。現実には、この会議安部教授は出席していなくて、かわりに松田教授が出席をしているわけですけれども、どうしてこの会議安部教授が招集をされるというか、会議に出るようにというふうに言われるようになったのでしょうか。
  612. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、私は一人の班員でございまして、欠席しておりましたから全く知りません。これは班長あるいは分科会長の栗村教授に聞いていただきたいと思います。
  613. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 ギャロ博士の報告を第一号患者発表の八五年三月二十二日の前日まで知らなかった、これはどう考えてもおかしいというのは先ほどからも指摘があります。十一月二十九日のエイズ調査検討委員会の議事録にもはっきり載っているわけですからこの点疑問なんですが、第一号患者の検体検査、これを栗村氏にやってもらっているわけですね。つまり、栗村氏の検査とギャロ博士の検査結果、これがクロスチェックが行われて同じであるということが検証された、そのことを知っていたから、だから栗村教授に依頼したのではありませんか。
  614. 塩川優一

    ○塩川証人 ちょっと今よろしゅうございましょうか。栗村教授に依頼というのはだれがでございましょうか。
  615. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 抗体検査。
  616. 塩川優一

    ○塩川証人 だれからでございますか。
  617. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 皆さんの方から。
  618. 塩川優一

    ○塩川証人 委員会ですか。(岩佐委員「はい」と呼ぶ)いや、調査検討委員会からはそういうことはなかったと思いますけれども。検査をしてくれと頼んだという覚えはございません。そういう機能はないわけでございます。
  619. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 抗体検査は栗村氏がやっているわけですよね、この第一号患者の。そうすると、だれが依頼したのですか。
  620. 塩川優一

    ○塩川証人 いらっしゃったといいますと……。
  621. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 どなたが依頼をされたのですか。
  622. 塩川優一

    ○塩川証人 これは、私は、栗村教授に聞いていただかなければわかりませんし、調査検討委員会としてはそういう抗体の検査を依頼するというようなことはないと思うのでございます。
  623. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 これまた随分不思議な話ですね。一応抗体検査をやって、それで抗体が陽性であるということがわかったから第一号患者ということになっていくのだと思うのですけれども。  この患者の件で、先日の参考人質疑で松本氏は、私の質問に答えまして、口腔内カンジダで食道に及んでいたかどうかわからないということだったわけです。日和見感染を重視しているにもかかわらず、口腔内カンジダだけで食道カンジダ症とも言えないとすると、とてもエイズを発症しているとは言えないはずだと思います。これは厚生省の出した診断基準があるわけですね。  少なくとも、ギャロ博士が検査をした四十八例中二十三例、これが抗体陽性だったわけですけれども、うち二例は発症後死亡しているわけですね。そういう帝京大症例こそエイズ患者だったというふうに思うのですけれども、八四年の段階で認定しなかったということは、血友病患者からエイズ第一号を出さないという厚生省の方針があらかじめあったからなのではありませんか。
  624. 塩川優一

    ○塩川証人 ちょっとその前の御質問で、多分、松本症例についてだれが依頼したかということかと思いますけれども、これは松本医師が自分で栗村先生に依頼したということでございます。  それから、今の後の御質問ですけれども、なぜ帝京大学より順天堂大学の方が先になったかということは、先ほども申し上げましたけれども、まことにこれは私にとっては不運だったのですけれども、一例一例報告があったものをそこで検討していく、たまたま第五例が順天堂大学症例であったということでございまして、先ほど何回も申しましたけれども、帝京大学の症例を含めて、ほかの血友病症例がこのエイズ調査検討委員会に御報告いただければ、それは一号なり二号なりで認定するということがあったというふうに考えている次第でございます。
  625. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 第一号症例について厚生省は見直しをするというようなことになっているわけですが、第一号症例の認定をされた責任者としてこのことについてどうお考えですか。
  626. 塩川優一

    ○塩川証人 第一号症例の場合に、これは、私が調査検討委員長でございましたし、先ほどもちょっと申しましたけれども、小委員会を設け、また委員会を設け、いろいろ受け持ち医とやりとりをして、そして十分疑問を晴らして、そして認定したわけでございますし、それから、当時の診断基準から考えてこれは間違いないということを私のほかの十名の委員が賛成して発表したことでございますから、私はこれについては責任を持っております。
  627. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 もし当時、帝京大症例、つまり血友病患者からエイズ感染者が出る、血友病からの第一号患者が早く認定されていたならば、危険な非加熱製剤アメリカからの輸入をストップをする、安全な国内クリオにかえる、あるいは加熱製剤に切りかえるなどの対応がすぐにとられたはずだと思います。  私の質問に対して、神奈川こども医療センターの医師長尾氏は、参考人質疑の中で、もし八四年の暮れか八五年の初期に加熱処理製剤を使用できていれば、少なくとも四分の一の方はHIVに感染しなかった可能性があると受けとめていると答えています。  さらに、非加熱製剤の使用を禁止し、すぐ回収をしていれば、二次感染や第四ルートのエイズ感染を防ぐこともできたはずであります。  わかっていた事実を隠した、その上に非加熱製剤の使用を放置をした、多数の被害者が出ることがわかっていながら何の措置もとらなかったということは、私は人道上許されないことだと思うのです。私はそういう意味で、第一号患者を同性愛者ということで認定された証人の責任は非常に重いのではないかというふうに思うのですけれども、改めてその点を伺いたいと思います。
  628. 塩川優一

    ○塩川証人 もし、先ほど申し上げましたとおり、帝京大学の症例は十分可能性があったということでございますし、十分あったということをその第三回の委員会の後で広く知らせるということがあれば、これは今からでございますけれども、もっとそういう問題はなかったのではないかと思いますけれども、帝京大学の症例、そのほか血友病患者さんの症例は、昭和五十九年の九月以降、抗体の検査ができるようになってから、当然報告があれば認定するということでございまして、そういう点が私たちも本当に残念だと思っている次第でございます。
  629. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 時間が来てしまいましたので、ちょっと申し上げておきたいのです。  安部氏は、八三年八月にギャロ博士に抗体検査を依頼をしたわけですけれども、それと同時に、先ほど指摘しましたように、新潟の信楽園病院の青木忠夫医師にも同じ検体を依頼をして、そして同じ結果を得ているわけですね。つまり、当時、日本でもギャロ博士と同じような方法で抗体検査ができていたことになります。さらに、安部氏が依頼したギャロ氏だとかあるいは青木氏のその抗体検査の結果については、国内及び外国で報告をしているということがあるのですね。そういうことを調査検討委員会委員長である塩川氏が、証人が御存じないということは本当に不思議でならないのですね。どうしてそんなずさんなことになるのだろう。これは理解に苦しむわけであります。  そういうことを申し上げて、時間が来てしまいましたので、私の質問を終わりにしたいと思います。
  630. 和田貞夫

    和田委員長 これにて岩佐さんの発言は終わりました。  次に、土肥隆一君。
  631. 土肥隆一

    ○土肥委員 このきょうの証言で、先生はエイズ研究班の目的をよく知らなかったとおっしゃっていますね。おっしゃいましたね。もう一度おっしゃってください。目的は知らなかったのですか。
  632. 塩川優一

    ○塩川証人 知らなかったと申しましたけれども、これは厚生省からお話があったと思いますけれども、エイズ実態把握に関する研究班という名称であったということと、それから、後で診断基準小委員会それから血液製剤小委員会ができたということで、血液製剤とそれから診断基準と両方が検討されたということで、後から恐らくこういうことが目的だったろう。これは、研究班員というのは班長の御諮問でやっておりまして、その点はもう私は覚えていないということでございます。
  633. 土肥隆一

    ○土肥委員 それは大変困ることで、まさにこれは、血友病患者さんがHIVに感染しているのではないか、その対策をということが冒頭の出発なんですね。したがって、安部先生が委員長になって、しかも、自分のところの大学の帝京大症例を出して、これでどうだということからスタートするわけです。これが先生の話だと、一遍でこれはシロだと、疑似症例だと否決されますと、もうそこに判断材料がその研究班の中になくなつちゃうわけです。安部先生が持ち出してこられたこの帝京大症例について、先生自身はどういうことをおっしゃったか、中の中心的なことを簡潔におっしゃっていただけますか。
  634. 塩川優一

    ○塩川証人 この会議で一々どういうことを私が言ったかということは、全く思い出せません。皆さんの御意見はこうだったと、私もそういうことでいろいろ議論したということを先ほど申し上げた次第でございます。
  635. 土肥隆一

    ○土肥委員 そのときに、この帝京大症例がシロだ、疑似症例だと言われたとき、安部先生はどういう反応を示されたのですか。
  636. 塩川優一

    ○塩川証人 私たちは、安部先生は確かにこれはそうだということを言っておられまして、皆さんがいろいろ質問したり答えたりしておりました。そして、この結論が出ないままに委員会が終わって、そこで安部教授が、安部班長が記者会見をして、さっきおっしゃったようなことを御報告されたわけでございます。
  637. 土肥隆一

    ○土肥委員 そのときに、そのときじゃなくて、三回目、四回目ですか、順天堂大に要するにこの症例を持っていこうと先生が提案なさるわけですね。そのときに安部先生はどうおっしゃったのですか。
  638. 塩川優一

    ○塩川証人 これはやはり、もうこの経緯については自分で記憶がありませんけれども、研究班の中でそういう話が出たと思いますので、安部教授が反対したということはないということだけは間違いありません。
  639. 土肥隆一

    ○土肥委員 塩川証人が積極的に順天堂大に持って帰りますと言ったのですか。どうですか。
  640. 塩川優一

    ○塩川証人 ごれはそういうことではありません。ただ、この病理解剖の症例について皆さんがいろいろ意見を言っている中でおのずから出てきたということだったと思います。
  641. 土肥隆一

    ○土肥委員 そこで、私が想像するのには、安部先生は、それにもかかわらず、スピラ博士に見せたり、ギャロに問い合わせてみたりしているわけです。つまり、彼はなおも自分なりに検討しているわけです。しかし、きょう塩川証人は、全くそれは知らない、知らないことなんだと。そして、いきなりおたくの、順天堂大のゴットリーブという博士、その診断が出てくるということの構図を見ますと、先生は盛んにそれは何も対立や対決の構造じゃないと言うけれども、安部教授は安部教授なりに努力していることが研究班の中で全く出てこなかったのですか。
  642. 塩川優一

    ○塩川証人 研究班の方では診断基準小委員会をつくりまして、そして、帝京大学の症例のときに出されたいろいろな問題がないように日本の診断基準をつくるということで、ずっと流れで努力をしてきたと思います。  それから、後の、これは確かにギャロ博士に血清を出しまして、そして抗体の証明をされたというところでは、どうも私は、そのときに安部先生が積極的に私たちにこういうことがあった、もしそういうことを聞いていれば大変なショックで、絶対、どういう印象だったかということを聞かれるようなことはないと思いますけれども、私は聞いたという記憶がありません。しかし、これは十年以上前のことですから、間違いであればまたお許しいただくよりほかありません。
  643. 土肥隆一

    ○土肥委員 塩川先生はリューマチの研究家で、 血友病の研究家じゃないわけです。しかしながら、血友病原因とする帝京大症例を、いわば私なりに言えば葬ってしまったというふうに思うわけです。そういう証拠が、一九八五年にエイズ検討委員会が第一号認定患者を三月二十二日に発表されるときに、二十一日、前日にわざわざ安部先生が記者会見で発表する、こういうスタイルにあらわれてくるのじゃないかと思いますが、その辺のことの先生の判断をお示しいただきたいと思います。
  644. 塩川優一

    ○塩川証人 三月二十二日にこの症例報告をする、発表するということだったのですけれども、前の日に新聞発表されたということでございまして、私たちもこれは大変驚いた次第でございます。  そして一方、厚生省の方にはこの御報告がなかったわけでございまして、前から申し上げますとおり、厚生省では、あるいは調査検討委員会ではこういう御報告があればすぐ検討するという体制をとっていましたので、やはり血友病患者さんのいろいろなことを考えてお蔵へ入れたのじゃないかというふうに私は思っておりまして、決して同性愛の症例厚生省の意向なりだれかの圧力で第一例ということで報告したのではないということを申し上げておきます。
  645. 土肥隆一

    ○土肥委員 最後にお聞きいたします。  どうでしょうか、血友病患者さんのいわばエイズ感染及び症例などなど、今もこのサーベイランス委員会には積極的に名前が出てくるのでしょうか、ケースが出てくるのでしょうか、それとも出てこないのでしょうか、その今の状況。先ほど塩川証人は、血友病患者さんの独特のプライバシーなどを配慮して安部先生は出さなかったというふうにおっしゃいますけれども、今でもそういう傾向が続いていると理解していいのでしょうか。
  646. 塩川優一

    ○塩川証人 現在は、初めの時期は血友病を含めてすべてのエイズ患者報告するようになっておりましたけれども、エイズ予防法が平成二年にできましてから、この血友病については報告しないということに決まったわけでございます。そしてその分は、HIV感染者予防・治療研究班というところがありまして、そこへ報告されていくということで、その研究班では、私は、自分は班員ではありませんけれども、日本血友病患者エイズの感染状況については十分把握していると聞いております。
  647. 土肥隆一

    ○土肥委員 終わります。
  648. 和田貞夫

    和田委員長 これにて土肥君の発言は終わりました。  以上をもちまして塩川証人に対する尋問は終了いたしました。  塩川証人、御苦労さまでございました。御退席くださって結構でございます。  速記をとめていただきたいと思います。     〔速記中止〕
  649. 和田貞夫

    和田委員長 速記を起こしてください。      ――――◇―――――
  650. 和田貞夫

    和田委員長 厚生関係基本施策に関する件について調査を進めます。  病原性大腸菌O-157による食中毒の発生状況及び対応について菅厚生大臣より報告を聴取いたします。菅厚生大臣。
  651. 菅直人

    ○菅国務大臣 病原性大腸菌O157による食中毒の発生状況及びその対応、この関連について御報告を申し上げます。  まず、このO157の食中毒に関連いたしまして、多くの皆さんが食中毒にかかられ、あるいは中には亡くなられた方もおられまして、そういう点について本当に心からお悔やみを申し上げたいと思いますし、感染されている皆さんには一日も早い回復をお祈りをいたしたいと思います。同時に、こうしたことに対応して、厚生省も精いっぱい対応してきたつもりでありますが、必ずしも拡大が防げなかったことについては大変遺憾だと思っておりまして、おわびを申し上げたいと思っております。  病原性大腸菌O157といいますのは、赤痢菌と類似の毒素、ベロ毒素を産生する大腸菌の一種でありまして、昭和五十七年、一九八二年にアメリカにおいて、ハンバーガーを原因とする集団下痢症で初めて見つかったものであります。我が国では、平成二年十月、井戸を利用した飲用水が感染源となり、集団発生をした例があります。これは埼玉であったと思いますが、発生をいたしました。その後、毎年、集団発生や散発的な発生報告されております。  この菌は、家畜等のふん便中に時々見られる菌であり、本菌に汚染された食品等を通じて人に感染するおそれがあるものであります。感染後、四日から八日ないし九日の間潜伏するというふうに見られておりまして、その後、腹痛や水様性の下痢に続き出血性の下痢等の症状を呈することがあります。  健康な成人では、一般的には自然治癒するケースが大半でありますが、昨日、京都では成人で亡くなられる方が出ましたので、必ずしもそうではないということも明らかになってまいりました。乳幼児などでは、溶血性尿毒症症候群など重篤な合併症を引き起こして、死に至る可能性があるわけであります。後ほど申し上げますように、現在、その京都の例を含めて五人の方が亡くなっておられます。  予防対策としては、手指や調理器具の洗浄、消毒や食品の十分な加熱などが効果的でありますが、万一、感染、発症した場合には、すぐに医師の診療を受けるとともに、患者のふん便の衛生的な処理等、二次感染防止対策を徹底する必要があるわけであります。  本年の病原性大腸菌O157による食中毒の発生状況について述べさせていただきますと、平成八年五月二十八日、岡山県邑久町において、保健・所に食中毒様症状患者の届け出がありまして、五月二十九日に食中毒菌、このO157を検出、同町においては、現在まで四百六十八人の患者、つまり有症者が発生し、うち二人、いずれも小学校一年生の女の子でありますが、二人の方が亡くなっております。  しかし、残念ながら、このケースにつきまして、どの食べ物から感染したかということが、いろいろ調べたわけですけれども、どの食材によって引き起こされたかということがまだっかめておりません。  その後、O157による食中毒は一都二府三十五県で発生し、七月二十二日、昨日の十八時現在、有症者累計八千三百十四名に上っており、入院中の者が五百六十五名、亡くなられた方が五人に及んでおります。  なお、この中で、堺市については、七月二十二日十六時現在、有症者累計六千三百三十三名、入院中の者四百七十八名、まだ幸いにして亡くなられた方は出ておりません。  厚生省の対応といたしましては、まず本年までの対応ということでは、平成二年の埼玉県浦和市における発生に対しては、専門家による会議からの意見を踏まえ、発生状況等の実態把握に努めるとともに、当時原因となった井戸水による飲用水の衛生管理について全国的な徹底を図ったほか、あわせて、食中毒の発生防止について監視指導の充実を図ってまいりました。  さらに、病原性大腸菌O157の早期発見のために重要な検査法に関する講習会を開催し、地方衛生研究所への普及に努めてまいりました。こういったことで、患者さんから出る便の検便等については、現在、各地方衛生研究所へ持っていっていただければ基本的には検査ができるという体制になっております。  本年の一連の発生に対する現在までの対応につきまして申し上げます。  これまで、文部省、関係団体と連携をとりまして、全国の都道府県等の行政機関や関係団体に対する病原性大腸菌O157による食中毒防止の徹底の要請をいたしました。  食品衛生調査会食中毒部会の中に大規模食中毒等対策に関する分科会を設け、さらに、腸管出血性大腸菌に関する研究班においても対策の検討を 行っていただいております。  また、テレビ、インターネット等を活用した国民の皆さんに対するPR活動を行っております。  さらに、医療機関に対する治療方法や予防方法の周知徹底なども実施をいたしております。  また、厚生省に対策本部を設けまして、検食期間を暫定的に一週間に延長することを決定し、周知徹底を図ってまいりましたが、後ほど報告いたしますように、現在はそれのさらなる延長を決定をいたしております。  また、堺市における大規模な発生に対しては、厚生省から人員を派遣し、堺市、大阪府、厚生省から成る病原性大腸菌O1157食中毒原因究明三者連絡会議を設置し、原因究明、二次感染の防止、医療体制の整備に当たっているところであります。  多くの方々が発症している堺市における医療体制については、大阪府なども協力し、万全の体制を組んでいるところであり、厚生省も、治療経験のある専門医を現地に派遣するなどの支援を行っているところであります。  今後の対応といたしまして、昨日七月二十二日に、腸管出血性大腸菌に関する研究班においてさらに検討していただいた結果、検食の保存方法につきまして、マイナス二十度以下で二週間以上保存することとする検討結果が示されまして、本日夜開催される食品衛生調査会食中毒部会において審議されることになっております。潜伏期間が長い場合は八日とか九日ということですので、一週間では足りないということもありますし、また、長期間の保存ですので、これまでの冷蔵による貯蔵から冷凍による貯蔵ということで、マイナス二十度以下ということにしたいということの趣旨であります。  また、七月二十九日には全国食品衛生行政担当者緊急会議を開催するとともに、夏期食品衛生強化月間を七月だけではなく八月にも延長し、監視指導の強化などを図ることといたしております。  原因究明の状況につきましては、O157による食中毒の原因究明に当たっては、どの食材が、どの段階でO157に汚染されたかといった感染ルートの解明が最も重要な課題であると認識しておりまして、全力を挙げて取り組んでいるところであります。  具体的には、病原性大腸菌による食中毒が発生した都道府県等において、食中毒の原因となった可能性のある食材の流通経路を全国的に、かつ早急に調査を実施しているところであります。  こうした原因究明の努力の中で、七月二十日土曜日に、神奈川県内で病原性大腸菌O157による食中毒を発症した患者が食べたと思われる同県下の飲食店から持ち出しました牛のレバーから、病原性大腸菌O157の検出が確認され、厚生省、神奈川県から公表したところであります。  今後、この神奈川県の事例も含めて、流通経路を調査し、厚生省及び全国の都道府県等が協力して、関係者への立入検査を実施するなど、原因究明を実施したいと考えております。  なお、この件につきまして、私も先週の火曜日に堺市の方に行ってまいりまして、実際の給食のプランを練っておられるところにも行き、その食材のリスト、あるいはその食材が購入されている業者が幾つあるといったようなことも聞いてまいりまして、この中にも述べましたように、これは市だけで対応していただくには余りにも大きな問題であると考えまして、府と厚生省の方で第三者機関を設け、今、すべての食材がどういうルートで来ているのかということを確認した上で、それぞれについて調査の指示を出し、さらに、調査を実施した結果を順次待っているところであります。  これにつきましては、食品衛生法に基づく報告命令ということもあるいは必要になるかということで今検討を始めておりますが、現在までのところは、それぞれの自治体、それぞれの省庁の協力のもとに進めているところであります。  また、官邸におきましても、総理が大変心配をされ、早い段階で農林省や文部省を含む対策推進会議を官房副長官のもとでつくっていただいておりまして、きょうもその会議が行われ、そうした結果を踏まえて、総理の方からもあるいは発言があるというふうにも漏れ聞いているところであります。  なお、この菌がもともとアメリカの方で発見されたという経緯などから、アメリカのCDCに対してもいろいろ問い合わせを出しておりますとともに、近く厚生科学会議を開いて、その専門家会議の中に、米国国立保健研究所微生物学感染症課長、NIHというのでしょうか、そこの課長が今来日されておりますので、その方にも御出席をいただいて、アメリカにおけるこの菌のいろいろな知識についてもいろいろお聞きをしたいというふうに思っております。  また、これは食中毒であると同時に、いわば感染症、つまり伝染病としての要素も大変強く持っておりますので、厚生省内でいえば、生活衛生局だけではなく保健医療局もあわせて全力を挙げて対応するように特に指示をしているところであます。  こういったことで、各省庁の御協力やあるいは総理の指導を含めて全力を尽くしているわけですけれども、残念ながら、どの食べ物からこのO157が口に入っていくのかという点では、これまでの中では二つだけ検出がされております。岐阜における、おかかサラダから検出されたものと、川崎の先ほど報告した牛レバーから検出されたもの以外は、まだ食べ物の方からは検出ができておりません。  これは、ないのか、あるいはあっても微量であるために検出できないのか、そういったこともまだ確たることが申せませんが、とにかく感染経路を明確にしないことには根本的な対策もなかなかとり得ませんので、とにかく危ないと思われるものについてはできるだけのことをやっていきたいというふうに思っております。  また、国民の皆様には、まずは、一般的に言えば、肉等においては十分熱を加えて食べていただくこと、あるいは手や包丁などをよく洗っていただくこと、あるいは水なども場合によっては煮沸をして飲んでいただくことなど、それぞれ御注意をいただくこと、また、患者さんが発生した場合にはその第二次感染を防ぐための対応を確実にやっていくこと、こういうことをお願いいたしたいと思っております。  若干長くなりましたが、御報告とさせていただきます。
  652. 和田貞夫

    和田委員長 以上で報告は終わりました。  本日は、これにて散会いたします。     午後五時十四分散会