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1996-06-04 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年六月四日(火曜日)    午前九時三十四分開議 出席委員   委員長 和田貞夫君    理事 衛藤 晟一君 理事 木村 義雄君    理事 鈴木 俊一君 理事 青山 二三君    理事 石田 祝稔君 理事 柳田  稔君    理事 横光 克彦君 理事 荒井  聰君       稲垣 実男君    狩野  勝君       熊代 昭彦君    近藤 鉄雄君       田中眞紀子君    高橋 辰夫君       竹内 黎一君    戸井田三郎君       長勢 甚遠君    根本  匠君       堀之内久男君    持永 和見君       保岡 興治君    山下 徳夫君       赤松 正雄君    粟屋 敏信君       大野由利子君    北村 直人君       久保 哲司君    高市 早苗君       野田 佳彦君    福島  豊君       桝屋 敬悟君    山本 孝史君       五島 正規君    森井 忠良君       枝野 幸男君    岩佐 恵美君       土肥 隆一君  出席政府委員         厚生大臣官房長 山口 剛彦君  委員外出席者         参  考  人         (旧日本トラベ         ノール株式会社         元代表取締役社         長)      山本 邦松君         厚生委員会調査         室長      市川  喬君     ――――――――――――― 委員の異動 六月四日 辞任       補欠選任   鴨下 一郎君     野田 佳彦君 同日 辞任       補欠選任   野田 佳彦君     鴨下 一郎君     ――――――――――――― 六月四日  公的介護保障確立に関する陳情書外三件  (第二九四号)  男性介護従事者の養成と介護従事者待遇改善  に関する陳情書  (第二九五号)  重度心身障害者寝たきり老人とその介護者が  同居することのできる社会福祉施設の設置に関  する陳情書  (第二九六号)  HIV薬害被害者救済措置薬害根絶とエイ  ズ対策の充実に関する陳情書外二件  (第二九七号)  地域保健法改正に伴う人材確保及び事業費の財  政支援に関する陳情書  (第二九八号)  老人保健福祉計画に対する国・県の補助等に関  する陳情書外一件  (第二九九号)  福祉医療制度の実施に伴う国民健康保険国庫負  担金減額調整措置廃止に関する陳情書  (第三〇  〇号)  訪問入浴サービス事業に対する補助基準額の拡  大に関する陳情書  (第三〇一号)  患者地域住民にとってのより良い医療と看護  の実現に関する陳情書  (第三〇二号)  障害者小規模作業所に対する国庫補助制度の  改善拡充に関する陳情書外三件  (第三〇三号)  保育所措置制度を堅持し公的保育拡充に関す  る陳情書外一件  (第三〇四号)  放課後児童対策事業に係る対象児童数引き下  げに関する陳情書外一件  (第三  〇五号)  母子保健法改正における財政措置に関する陳  情書  (第三〇六号)  骨粗鬆症検診事業に係る補助金拡充に関する  陳情書  (第三〇七号)  予防接種法改正に伴う負担金補助金制度の充  実に関する陳情書  (第三〇八号)  廃棄物処理関連法の見直しに関する陳情書外一  件  (第三〇九号)  医薬品販売の規制に関する陳情書外二件  (第三一〇号)  国民年金保険料に係る印紙納付制度廃止に関  する陳情書外一件  (第三二号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  厚生関係基本施策に関する件(エイズ問題)      ――――◇―――――
  2. 和田貞夫

    和田委員長 これより会議を開きます。  この際、申し上げます。  本日は、委員室での喫煙は御遠慮願いたいと存じます。  また、報道関係者方々にお願いいたします。傍聴人の撮影は御遠慮願いたいと存じます。  以上、御協力をお願いいたします。     ―――――――――――――
  3. 和田貞夫

    和田委員長 厚生関係基本施策に関する件、特にエイズ問題について調査を進めます。  本日は、参考人として、旧日本トラベノール株式会社代表取締役社長山本邦松君に御出席を願っております。  山本参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。  議事の進め方といたしましては、初めに委員会を代表いたしまして委員長から総括的にお尋ねし、次いで委員質疑お答えをいただきたいと存じます。  なお、念のために申し上げますが、発言の際は委員長許可を得ることになっております。また、参考人委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  まず、委員長から山本参考人にお尋ねいたします。  旧日本トラベノール社は、アメリカ承認された自社の加熱血液製剤日本での承認申請をするため、早くから厚生省折衝を開始しましたが、最終的に承認されたのは、三年以上経過した後で、他社の製品と同じ時期でした。この間、厚生省からどのような意見や指示が出されたのか、簡潔にお答え願いたいと思います。
  4. 山本邦松

    山本参考人 ありがとうございます。  旧日本トラベノール社長山本邦松です。  ただいまの御質問ですが、トラベノール社としましては、大変早い時期から、詳しく申し上げますと七〇年代の後半から、加熱製品の開発に始まりまして日本への紹介その他、特に役所関係厚生省へのアプローチ、これは一九八〇年から差し上げておりました。  それで、八三年まで、いろいろな折衝が大変何回も行われまして、厚生省との間では技術的な問題に関してのやりとりもございました。果たして、この製剤が安全であるのか、肝炎の問題はないのか、チンパンジーの試験はどうであったのか、さらに、加熱することによってたんぱく質の変性が発生するのではないかというような御懸念もございまして、いろいろな技術的なやりとりがありました。  そういう中で、臨床治験等をせずに比較的早い、私ども一部変更一変ということで呼んでおりますが、この一変による手続でいけるであろうという感触ディスカッションの中から得ることが何度かできたし、その後、そういった示唆もございました。また、八三年の中旬以降、単なる我々が得た示唆だとか感触でなくて、一部変更に伴う申請案を提出したらどうか、こういうお話も八三年の中ほどではございました。  以上です。
  5. 和田貞夫

    和田委員長 また、旧日本トラベノール社は、一九八三年六月に、汚染血液原料とする血液製剤アメリカ国内での回収措置及び日本での出荷停止措置について厚生省報告しましたが、当時の非加熱製剤の問題を検討する上で、この報告がどのように活用されることを期待されたのか、簡潔に御説明願いたいと思います。
  6. 山本邦松

    山本参考人 確かに、八三年の六月に厚生省に対して、私ども住友化学を通しまして輸入しようとした、あるいは輸入した第Ⅸ因子製剤におきまして、これは、アメリカ採血を行って、それでアメリカ原料をつくって、それでアメリカ製品としてつくってきたものですが、採血時には必ずしもはっきりしなかったのですが、採血して生産に入った後で、一部の供血者、つまりドナー血液を提供する方の一人にエイズらしき所見が見られたということがわかりまして、アメリカの方で、これはFDA報告し、かつ自主回収すべきだという結論に達したようでございます。これが八三年の五月。  その後、日本にも直ちに知らせが参り、それから、もちろんヨーロッパにもトラベノールとして連絡その他ありまして、私も多少かかわりましたが、日本でどうすべきだ、こういう話になりまして、日本でも自主回収並びにそれなり役所、つまり厚生省へは届けを出すという手続を明確にいたしまして回収に入りました。幸い、まだ病院等へのディストリビューションが行われる以前の段階でして、輸入業者住友化学倉庫自主検査をしている最中でしたので、特に問題なくこれの回収を行い、その後、厚生大臣並びに通産大臣輸出許可を得まして、アメリカに返却いたしました。  こういうことで、私どもとしては、その当時、エイズ研究班が開催される前の時点だったと私は記憶しますが、したがいまして、厚生省に直ちに報告をし、かつまた厚生省薬務局安全課に対しても、副作用としての報告の必要があるだろうかという御相談も申し上げたわけです。その際に、安全課の方からは、特にこれは副作用というものではないので副作用報告の必要ないし義務はない、こういう御判断をいただきまして、特に副作用としての報告は出してございません。  以上です。
  7. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもちまして、私からお尋ねすることは終わりました。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中眞紀子さん。
  8. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 自由民主党、田中眞紀子でございます。  参考人にお尋ねをいたします。  このたびの薬禍エイズ事件につきましては、これはトータルに言いますと、根本的な原因は業界官界の癒着、これはもう行政犯罪ですし、最終的には国家の犯罪であるというふうに私は非常に厳しく受けとめております。  そして、そうした中にあって、今委員長質問に対していろいろ前社長さんお答えになりましたけれどもミドリ十字などに比べますと、やはりトラベノール社は違ったスタンスで今まで厚生省とのかかわりを持ってこられた企業だろうというふうな認識をしておりますので、また違った立場で率直に、しかも外資系でもいらっしゃいますし、具体的なお話をいただきたいというふうに思います。  その具体的な質問に先立ちまして、つい先日、厚生大臣が役人の処分を発表いたしました。いわゆる天下りの自粛でございますけれども、その中で、先日報道されました記事を見ますと、当面の間というような表現を、マスコミには配布はしていたけれども菅厚生大臣に対してはそういうものはなかったという非常にトリッキーなことをやっていますが、これは単なるいたずらなんかではなくて、この事件の本質が官界業界が癒着して起こしてしまった大変大きな大事件であるというふうな認識厚生省官僚にないというところに、このような処分に対しても「当面」なんという言葉を入れたり出したりするようなことが起こっていると私は思うのです。  これは本当に、被害者の苦しみですとか裁判での困難とか、それから、長い間の私ども国会審議を愚弄するものでありますし、被害者国民に対する厚生官僚の挑戦であるというふうに私は考えております。これは、単に減給とか訓告とかいう、そういう甘っちょろい判断ではなくて、むしろ大臣は、左遷とか罷免とかといった形でもって徹底的に処分をしていただかないと、こういうことはまた再発するのではないかなというふうに思うところであります。  そこで、この天下りですけれどもミドリ十字やほかの製薬会社と同じように、トラベノール社天下り人事を受け入れていらっしゃいますか。いるとすれば、どういうポストに何人いらっしゃるでしょうか。
  9. 山本邦松

    山本参考人 ただいまの御質問ですが、企業レベルをある意味で超えた大変厳しい、かつまた、本来厚生省並びに役所が毅然とした形で取り組まなければならない姿勢に関してお触れになられたというふうに受けとめております。  トラベノール、特に日本でのトラベノール社への天下りということにおきましては、私、一九七五年からトラベノールの方におきまして仕事をしておりますが、私がトラベノールを離れる八四年までの間においては、私が知っている限り、厚生省からの天下りと言われる人をお迎えした経験はございません。  八四年退社いたしました後のことに関しましては、申しわけございませんが、その辺の知識はそれほど持ち合わせておりません。特に、私、八四年、トラベノールを退社した後、アメリカでの仕事が長かったこともありまして、直接トラベノールと接触する機会が比較的少なかったこともございまして、その辺に関してはお答えのできる立場にございません。
  10. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 事情はわかりましたけれども、これは大変重要でございまして、トラベノール社も今回のことでもって、結局、裁判被告企業になられて和解金を、一五%のシェアでしょうか、そうすると、企業が三十億円ですか、メーカーは三十億円ということでもって分担金を担っておられて、その中でもって一五%のシェアのあるトラベノール社は四億五千万円近い分を多分負担なさらなければいけないことになると思いますし、さらにまた、安部財団を設立しますときにも一千万円の拠出金を出しておられますから、やはり外資系というのはもう少しクリーンといいますか、ミドリ十字とは全然違ったスタンスであるかなと思っておりますのですけれども、それも含めてもう一度、最近の情報とかうわさでも結構ですが、天下り人事を受け入れていらっしゃるかどうかということをお答えいただければと思います。
  11. 山本邦松

    山本参考人 安部先生が設立されました財団に関しましては、一千万円の寄附を行っております。これに関しましては、日本企業だからそういったものを提供したということはございませんし、事実、この金額、そして財団への寄附並びに貢献できるところは貢献しようという話は、アメリカ本部トラベノール社決裁を得ております。  そういう意味で、アメリカ企業としては、おっしゃるとおり、その辺の金のやりとり、大変厳しいところがございますが、少なくとも一千万円の支払いに関しましては事前説明アメリカ本社にしましたし、その中では、設立の趣旨、そしてまた今後どんな形でトラベノールがこういった血友病の方々に対して、そしてまたその治療方法、さらに新しい技術の展開、この辺で貢献できるだろうかというようなことも含めまして決裁を仰いで、そして、それが承認になってお支払いしたという経過がございます。  なお、天下りに関しましては、恐らく、これは推測の域を出ませんが、厚生省それなりの、例えば課長レベルあるいは課長補佐、そのレベル方々をお迎えしたということは、私の以後もなかったというふうに思います、私自身、一切聞いておりませんが。確認する必要はあるものの、私自身は、そういう話は一切聞いておりませんし、なかったものと信じております。
  12. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 ありがとうございます。  それで、一番このトラベノール社関連で私どもが得心がいかないことがありまして、それは一九八三年の七月四日、このときには、先ほど委員長質問にちょっと社長お触れになりましたけれども、要するに緊急輸入ですね、そのことについてどうも厚生省側認識をしていて、そして、先ほど参考人表現をかりますと、感触といいますか、あるいはそういう示唆もあった、そして、むしろ具体的な提案もその後にあったのだということをおっしゃっておられますが、そして、輸入承認申請を急ぐようにというふうな示唆があったにもかかわらず、その一週間後の七月十一日になるとそれを否定するような文書がつくられてしまったというふうなこと、これは非常になその時期であります。  そのことを伺う前に、トラベノール社ハイランド社長が、一九八三年の五月あるいは六月、いずれかはちょっと正確ではないのですけれども厚生省を訪問なさって会談をしておられますね。そのとき、必ず非加熱製剤回収について話があったと思います。  と申しますのは、事前トラベノール社が出した非加熱製剤というものが、エイズ患者血液が混入していることが判明したので、それを日本にも出荷しているから至急回収したいという文書トラベノール社が出されたという経緯があるわけですが、このことについて、当然、ハイランド社長厚生省の幹部ともお話しなさったと思いますが、その辺の経緯についてお話しいただけますでしょうか。
  13. 山本邦松

    山本参考人 多分、今のお話は一九八三年の五月から六月くらいの時期ではなかったかと推察いたします。と申しますのは、実際にアメリカエイズの方がドナーの一人であったというのが判明したというか、最終的な診断はなされていないのですが、エイズ所見が見られるということで緊急にそのロットを回収すべきだというアメリカでの判断が成り立ったのが五月ですから。それで、厚生省に対しても自主回収するという報告を差し上げたのがたしか六月二日の手紙ではなかったかと思います。  その前後に、トラベノール社アメリカの方の副社長並びに社長来日、それから厚生省へのごあいさつがございました。五月の時点では社長が参りました。それから、六月の時点では副社長が参っております。六月の時点におきましては、私も同行したことを覚えております。五月の時点のときは、多分これは、第Ⅸ因子エイズ感染のおそれがある、つまり、エイズと疑われた人の血液がまじったということが発覚する前の時点だったと思います。  したがいまして、社長ないし副社長来日した際に厚生省とのミーティングの中でもしこの話が出たとするならば、六月に来日した、つまり副社長以下二人ぐらい来たのですが、そのときの話だったと思います。  ところが、その前に、もちろん厚生省との間ではトラベノール社加熱製剤早期承認すべくディスカッションがずっと続いていましたから、五月末か六月に厚生省担当官との話の中で、あるいは六月二日に自主回収ということでごあいさつに行った際に、エイズに関してもっといろいろなアメリカ情報を欲しい、また、ぜひその辺のことを説明してほしいという要請厚生省からございました。それに基づいて、六月の副社長来日それから説明会、こういうふうに続きまして、先ほども申しましたように、私、そのときは同席してそれなり説明アメリカの方の副社長といたしました。そのときは、ほとんどエイズ並びにどういうふうなエイズ対策を考えるかというお話が中心でございました。
  14. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 その六月の訪日のときの窓口厚生省はどなたでございましたか。
  15. 山本邦松

    山本参考人 私が直接その六月のときのミーティングをセットアップしたわけではございませんが、電話その他アポイントをとったのは私どもの方の薬事部の人間だったと思いますが、ミーティングのお願いの仕方としては、郡司課長並びに平林課長補佐だと記憶しています。
  16. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 そうしますと、その時点は非常にデリケートで重要なポイントだ、時期だというふうに思うのですけれども、非加熱剤回収といいますか、もちろん一番最初厚生省から、情報が欲しい、アメリカエイズについての情報が欲しいということの話があって来日なさった。しかし、非加熱剤の問題について、回収もしなければならないということと、それから加熱製剤承認申請の問題と両方あったわけだと思いますが、その前後ですね、時間軸は少しは狂いますけれども、どちらを優先しておられたでしょうか、そちらトラベノールとしては。それから、厚生省感触もいかがでしたか。
  17. 山本邦松

    山本参考人 それは厚生省の方がどちらを優先していたかというお話ですか。
  18. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 両方です。
  19. 山本邦松

    山本参考人 私どもとしては、第Ⅸ因子自主回収というのは、特に病院まで製品が行き着く前の時点で、つまり住友化学倉庫自主検査段階で食いとめることができたので、全製品回収が問題なく可能になったわけです。  したがいまして、その製品から予期されるような一切の悪影響というのはなくて済んだということでございますので、それはそれでもう輸出手続をするということだけでけりがついた、片がついたということで一安心する状況でございました。
  20. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 非常に誠実な対応をなさったというふうに思います。  では、先ほどもちょっと触れておられましたけれども加熱製剤緊急輸入に対する輸入承認申請を急ぐというふうな、この時点の方に話を移していきたいというふうに思います。  危険信号が、要するに、日本状態でいきますと、七月にいわゆる帝京大症例、第一号のエイズ患者らしき人があらわれていて、このときに危険信号がもう発せられていたわけですし、それからアメリカ側でも、そのように非加熱の中でもってエイズ菌がまざっている可能性があるから回収したいというふうなことがあったので、厚生省の中はまさしく。パニック状態であったと思うのですね。そうした中でもって緊急輸入承認申請を急ぐようにという指示があったそうでして、このことは「取り扱い注意」という厚生省文書のファイル四の一の中に具体的に書かれているわけです。  ところが、七月十一日になって、それを否定するような文書をつくられた。そのときに窓口になった担当官がおられるわけですけれども、そのときの前後、その十一日の段階で、それはしなくてもいいのだというふうな話になったときに、そちらの会社といたしましては、トラベノール社としてはどのような思いをなさいましたか。  さらに、八月十一日の段階になって、平林課長補佐さんが、小栗薬事課長さんとおっしゃるのですか、トラベノール社のその方に対して――この辺で一転二転、厚生省が混乱している状態なわけですけれども、そのときに、一つは、加熱製剤輸入承認申請書の案というものをしっかりトラベノール社がお出しになっている。二つ目は、加熱製剤の成分について、それから加熱の条件について、あるいは関連実験の内容、そういうものをしっかり添付資料も添えて厚生省に提出をなさっている。  その中身は、その年の三月二十一日にアメリカFDAでもって製造販売承認を既に受けたものであるからということで、自信を持ってこういう書類を出していらっしゃるわけですけれども、そのときには、平林氏は、治験というものを省くのだ、そして至急に緊急に輸入したいというような要請、ですから、このときには厚生省側もその緊急性というものは非常に認識していたというふうに思うのですけれども、それがまた一転したときに、トラベノール社はどういう印象を持たれて、厚生省内部ではどういう政策の変更があったというふうに感じられましたでしょうか。具体的にお述べいただきたいと思います。
  21. 山本邦松

    山本参考人 今のお話の中で一部補正させていただいた方がよろしいのではないかと思う箇所がございます。  それは、厚生省トラベノールとの話の中で緊急輸入という言葉は一切使っていないのでございます。したがいまして、厚生省がどういう形でその緊急輸入を、あるいは超法規的にどんな形で早期血液製剤輸入しようかという話は、トラベノール社の方には一切来ておりません。つまり、緊急輸入という形でのお話はなかったというふうに我々は認識しております。  むしろ我々は、超法規的というような言葉会社サイドも使っておりませんし、我々としては、やはり安全性確保が新製品であるからある意味では必要だろうということで、それなり日本での試験というものも必要だろう、しかしながら、事情事情であるのでなるべく早い時点早期輸入を実現したいというふうに願っていたわけです。  その間、随分時間がたちました。最初お話し申し上げたのは一九八二年の初めです。それで、八三年の五月、六月になっても、まだ厚生省としてははっきりした態度を我々に提示してはくれませんでした。もちろん、その間の感触だとか示唆だとかいうような形ではございました。  それから、そういう話の流れの中で、ある程度長期の安定性試験が必要だろうとか、臨床試験は要らないというような話は来たのですが、今、田中先生お話にありましたように、それは全然だめなんだ、そういう形ではなくて臨床試験もすべて行うべきだというような話が出てきましたのは、もうちょっと後の十月に入ってからでございます。  先ほどちょっと触れましたように、八三年の八月の時点では、我々に対して厚生省担当官は、申請の案を出してほしいというふうに要請をしております。ですから、その時点では我々は緊急輸入がどうのこうのという話は一切存じ上げなかったし、あるいは厚生省のファイルの中にあるようなことというのは一切私どもはわからずに、むしろ加熱製剤早期実現ということを願って、八二年から継続的に、厚生省に対して、どういう形でそれが申請上可能になるのか、明確に指示をお願いしたいという形でのアプローチをしておりました。
  22. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 今の御説明で、緊急という言葉とかあるいは超法規的とかいう言葉厚生省側が使っていなかった、そして、トラベノール社安全性確保という観点を一番大事にしておられたということはよくわかりました。  ですが、現実にはこのときは厚生省が非常にばたばたしておりまして、その証拠として、七月十五日付で平林課長補佐が、他社でございますけれどもカッター・ジャパンの河原潔さんへ電話をして、そして、加熱処理剤の供給は可能だろうかということを問い合わせている事実があります。ところが、そのときにはカッター社はまだ開発はできていなかったようでございますけれども。このように、非常に厚生省は慌てふためいている時期なんですね。  それで、そういうふうな印象をこの八月に、具体的に、今おっしゃったように、申請書類をと言われたのでお出しになって、書類を添付してすべて必要書類をお出しになったわけですが、そのときには、治験は省いてもいいというような表現厚生省側からありませんでしたか、いかがでしたか。書類をトラベノールが出されたときに、厚生省側治験についてどのような表現をしておりましたか。
  23. 山本邦松

    山本参考人 八三年の八月の初めでした。厚生省平林課長補佐から、申請案を提出してほしい、こういうことがあった時期は八三年八月の初めでございました。そのときは、一部変更ということがこれまでの話の中での了解事項であったということでございますので、私どもの方の申請は、したがいましてあくまでも一部変更にのっとった、したがいまして臨床治験なし。  それから、たしかそのときは、なるべく速やかに申請案の骨格となるものを提出しましょう、そして最終案は十月十日前後に提出できるようにしようという、これは約束だったのか、あるいは厚生省サイドからの要請だったのか、その辺はちょっとはっきりしないのですが、十月十日ということでのお約束もしております。
  24. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 そのときの厚生省側窓口はどなたでございますか、お名前を教えてください。
  25. 山本邦松

  26. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 ありがとうございます。  ところが、その平林課長補佐が、治験抜きで、要するに早期導入は取り消しますということを、八月三十日か三十一日か、いずれかと思いますけれども、そういうことを通告してきているわけですけれども、このときにトラベノール社はさぞ驚かれたと思うのですね、厚生省が突然政策を変更したわけですから。そのときに、小栗さんという方からどういう報告を受けて、どう感じられましたか。そして、それがだれのどういう判断だというふうに感じられましたか。お願いいたします。
  27. 山本邦松

    山本参考人 トラベノール社としましては、したがいまして、八三年の八月は申請書の案を作成するという準備に取りかかって忙しい時期でございました。  そうこうするうちに九月になりまして、九月になってから安部先生から、臨床が必要でしょう、しかも健常人でフェーズIを行いなさいという重大な、私どもにとっては非常にショッキングな御指示というか、お話が入ってまいりました。そして、平林課長補佐から、これまでの話とは逆転しまして、臨床をする必要がある、一部変更ではないということで、臨床の必要性を強く要請された話というのは十月になってからでございます。それで、二施設以上四十症例以上の臨床が必要である、こういうお話が正式に私ども薬事部に入ってまいりました。
  28. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 その間ですけれども、そうした厚生省の政策の変更、それは、メーカー側は何もとやかく言える立場ではないと言ってしまえばそれまでですけれども、やはり重要なことなわけですから。そして、日本の中でまだどたばたしているということは、情報はおありになったと思うのですね、メーカーさんはやはりこういうことで非常に神経質に情報を収集しようとするものですから。ですから、それを踏まえてどういうふうな判断があったというふうに、これは推測で結構ですけれども、当時どのように感じられましたか。
  29. 山本邦松

    山本参考人 九月並びに十月に、臨床が必要であるというお話安部先生並びにその後厚生省の方からあったときには、もう本当に我々としては大きな動揺が社内に、そしてまた失望感が強く私どもを打ちました。  どうしてこういうこれまでと全く違った話が、そして、これまで八二年から接触し、ディスカッションを誠意を持ってやってきて、そして、ここまでエイズの問題が、またそのおそれが大きくなっている中にあって、これまで一切出てきていなかった臨床までしなければいかぬ。しかも、フェーズⅠ、健常人に投与してその安全性確保する。科学的には、多分、安部先生安部先生なりの御判断があったと思うのですが、フェーズⅠ、健常者にこれを投与してみる。健常者というのは第Ⅷ因子、第Ⅸ因子が通常のレベルあるわけですから、その人にさらにこういったものを投与することによって血液凝固の心配が出てくる、血栓の問題があり得るという非常に問題になるフェーズⅠ、第一相試験からしなければならぬというようなお話があったときには、もう本当に信じられない思いでございました。  当然のことながら、社内で、厚生省あるいは安部先生レベルでどういうことがあったのだろうという推測はいろいろな形で行われました。多分、上の方でいろいろな圧力があった、あるいはそれなりの影響力というか、私どもの目に見えないところで動きがあったのではないかと。  そして時期的にも、これまで臨床が行われなくてよろしいという了解の中で来た話がここでひつくり返った、それが八三年の九月以降。どうしてもうちょっと前に、必要なら必要で八二年の段階で、あるいは八三年の初めの段階で言っていただけなかったのか、それが八三年の中盤以降になったのか。  それから、臨床に伴う時間のロス。さらにまた例えば第一相、フェーズⅠを行うということで一年延びてしまいます。それから第二相。これはアメリカ承認が八三年の三月に得られている製品でございます。そういう意味では、はかり知れない影響があるだろうということも心配いたしました。  したがいまして、社内としては、いろいろなうわさの中で、推測といいますか、ああだこうだ、しかしながら、我々としては対応の手を失ったというような状態が九月末から十月にかけて、さらにそれから十一月には、厚生省の臨床の説明会なるものが全八メーカーに対して行われるというようなことになりまして、そこで我々としては、臨床はやらざるを得ないのかということでのこれまた大きな失望感に打ちのめされたというのが事実でございました。
  30. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 大変誠実で正直にお答えいただいてありがたいと思います。  まさしくこの時期が、トラベノール社の中でいわゆる憶測やうわさもあったし、また動揺と失望感と信じられない思いであった。打ちのめされたとおっしゃいましたけれども、そういう誠実なメーカーが、そして、しかも治験をすればもっと時間がかかる。患者さんが救済をこのときに本当にされなければいけなかった一番大事な時期なんですね。ところが、このときに厚生省が一部業界の顔を向いていたのか。  でも、私は、業界ミドリ十字に対する、結果的には同時に一緒に治験をして開発をさせるというふうな時間を待っていたというふうなこともあるかもしれませんが、根本には、役所の体質として、これは厚生省に限りませんけれども、本当に役所というものは、自分が今までやってきた行政、政策を否定されるということに対しては物すごい抵抗をするものでございまして、殊にこのときは、自分たちがやってきた血液行政、薬事行政そのものが世間の批判にさらされる、その欠陥が出る。出ることは、やはりそれはやむを得ないわけですから、それに対して臨機応変に即危機管理をするべきなんです。それは政治家も役人もそうでなければいけないのに、そのときにむしろカバーアップに回ってしまったということが、トラベノール社の皆さんがごらんになって、普通の常識の誠実な対応から見れば、なぜここで改めて治験までしなければいけないのかということにつながったのだと思います。  チンパンジーに対するテストもなさって、B型肝炎の発症例その他、安全について云々ということをなさったという経緯もわかっていますし、それからまた、郡司課長がここに来られましたときにはいろいろと弁解もなさっていましたけれども、それも含めまして、このときに本当に厚生省が、そして政治家もそうですが、当時の次官、官房長それから薬務局長、そういう皆さんの責任は極めて私は甚大であるというふうに思います。  次のお尋ねですけれども、ここで今のような状態を経た後、トラベノール社は手も足も出ないで、言われるのを待たざるを得ないというお気の毒な立場にあったわけですが、その年の十一月になって、厚生省から治験説明会が各社一斉に対象として行われたわけですね。横並びになってきたわけです。  そして、その結果、加熱で一番立ちおくれていたミドリ十字が、ここをぜひ社長さん伺いたいのですけれども、今までミドリ十字はどういうやり方をしていたかといいますと、加熱ではないほかの方法で、非常に手おくれで、開発がおくれていたわけですが、突然、トラベノール社と全く同じ手法で加熱製剤を開発したわけですよね。  それを聞かれたときには、これは偶然の一致ということなのかもしれませんし、あるいはトラベノール社から技術者が流入したのか、あるいは産業スパイでもいたのか。あるいは、私なんかが思いますのには、多分、研究班があったわけですから、研究班を通じてトラベノール社のノウハウ、技術が、これは企業秘密に属するパテント物だと思いますけれども、それが流れてミドリ十字に行ったのではないか。そうでないと、同じ温度で、同じ状況で、全く同じ加熱製剤ミドリ十字社がつくり上げたということは、これはとにかく信じられないような偶然の一致というふうに思いますが、そのときどういうふうに感じられましたか、それから、その情報についてどのように感じられたか、事実関係に基づいてお話しいただければと思います。
  31. 山本邦松

    山本参考人 ミドリ十字社の技術、加熱の方法に関しましては、加熱条件である六十度C七十二時間というものは、トラベノール社のものと合致しております。しかしながら、ほかの条件が同じであるかどうかというのは一切我々サイドにはわかっておりません。  それから、前に郡司さんもお話しになっていたのじゃないかと思うのですが、トラベノール加熱をするという際には、非加熱のものに対して何かを添加する、加える、それによって加熱の条件が可能になってくるというような推察をされていたようです。  トラベノールの技術は、これまでの非加熱の上に何かを添加して、それで加熱するという方法をとっておりません。むしろ、非加熱で使っていたものの中のブドウ糖を取り除いているのです。ですから、ここは、根本的に技術の解釈の上で、あるいは推測の上で郡司さんあたりが、あるいは厚生省方々が推測していたのとちょっと違いがあって、私どもではどうしてなのかわかりませんが、そんな状況もあったということで、しかしながら全体としては、ミドリがその同じような条件をどういう形で技術導入したのかというのは、私どもからは推測の域を出ておりません。恐らくアルファ社あたりの技術が導入されたのではないかという推測もされております。
  32. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 今おっしゃったとおりだと思いますけれどもミドリ十字最初は液状法ということをやっていて失敗をした。そして、摂氏六十度七十二時間の加熱という方法ですけれども、その乾燥法の中で、郡司さんは、そこでもって何か特殊なものを加えているらしいけれども、それは企業秘密らしいというようなことをたしか証言なさったと思うのですが、今社長がおっしゃったのは、技術的にはブドウ糖を取り除いているのだということをおっしゃっていましたが、当時の業界の技術のレベルでいきまして、こういうことを偶発的といいますか、長い間開発できなかったミドリ十字社が、超後発企業が、技術的に開発をキャッチアップしてできるものなんですか。どこかからそのいわゆる情報をもたらされて、こういうヒントがありますよというようなことを言われなくても突然できるようなものなんですか。技術的なことを伺います。
  33. 山本邦松

    山本参考人 先ほど申し上げましたように、詳細はわかりませんが、日本の他社メーカー、化血研であるとかほかのメーカーも、同じように加熱ということでは、いろいろな温度並びに時間を検討されておりましたし、あるいはミドリの場合はアルファ社という子会社アメリカに持っておりましたし、そこでもそれなりの検討が行われていたというのはわかっております。アルファ社はアメリカ日本ミドリ十字社よりも先に、私の記憶に間違いがなければ、八四年の初めに、アルファ社はアメリカ加熱製剤承認を得ております。したがいまして、そういうタイミングからしますと、八三年の中ぐらいで加熱の技術開発がある程度進んで、そういったものが、加熱のものが入手可能になったという推測はできるものと思います。
  34. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 大変冷静で客観的な分析をしていらっしゃることに私は本当に感激をいたしますけれども、そういう企業が、つい先日、エイズ患者さんや弁護団の皆さんの前で、ミドリ十字会社の幹部は土下座をしました。文字どおり平身低頭をしたわけですけれども、あんなことをする会社と同等に、やはり安部財団に、先ほども伺いましたが、同じように、そういうような会社の幹部が土下座までするような、その程度の会社と、私が言いたいことは、トラベノールが同列に並べられることはさぞ不本意ではなかろうかというふうに今思うわけですが、それだけれども、やはり安部財団に対しては一千万円の日本式に寄附をするとか、それから結果的に被告企業としてメーカー責任も分担させられる。それは初めに非加熱製剤という問題もあったと思いますけれども、やはりミドリ十字と同じような感じでもって被告企業に並べられるということは、私が見ても余りフェアネスがないのじゃないかなというふうにむしろ思うのですが、そこら辺のことはどういうふうに思われますか。  それから、安部財団に対する寄附は、どなたが具体的にトラベノール社に言ってこられたのでしょうか。
  35. 山本邦松

    山本参考人 トラベノール社に対しまして田中先生が大変評価してくださったということでは、感謝申し上げます。  一つだけ私の方からお伝えしておきたいと思いますのは、この血友病の分野というのは、長い歴史の中で技術革新というものに支えられて、本当に一九六〇年になってから初めて、血友病の方々が一般の人と同じように社会生活を送ることがぼつぼつできるようになったというのが事実でございます。  濃縮製剤がそもそも導入され、開発されましたのは、トラベノールが一番最初にこれを開発したのですが、一九六〇年の半ばぐらいです。それまでは、御存じのように、血友病の治療といいますと、クリオを用いるか、あるいは全血輸血ということで、これは患者さんの方々はもちろんのこと、先生方に対しても大変御苦労な話だったのですね。ほとんどがお子さんが中心の血友病の方々です。手術は全くもう不可能、抜歯さえも止血ができないということで大変な時代だったわけです。  もちろん、自分の生まれたところから一歩も外に出たことがない人たちがほとんどで、これが六〇年の半ばから、日本では七〇年から濃縮製剤というものが可能になって、それで初めて血友病の方々の手術ができるようになった。飛行機に乗ってほかの町へ行くこともできるようになった。あるいは、ずっと最近になりますと、海外へも比較的安心して行けるようになった。子供たちが夏休みにビーチに行くことができるようになったのも、この濃縮製剤のおかげなんです。  そういう意味では、濃縮製剤が残した貢献の足跡というのは大変大きなものであったということを我々は忘れてはいけないと思うのです。特にそれは、エイズが到来するまではそういう状態であったと思います。  こういう中にあって、安部先生初めほかの先生方、特に血友病の先生方というのは大変熱心で、患者思いで、患者さん並びに家族の方々、またこの分野に対して大きな貢献をしたというのも間違いない事実だと思います。そして、安部先生のこの財団の設立も、趣意書並びに安部先生お話によりますと、やはり今後も血友病の治療に対してさらに……(田中(眞)委員「どなたからそういう拠出についての話があったかと伺っているのですが」と呼ぶ)これは趣意書にも述べられておりますし、また、安部先生御本人からも伺った気がいたします。
  36. 田中眞紀子

    田中(眞)委員 質問を終わるに当たりまして一言申し上げたいと思います。  返す返すも、この一九八三年七月に帝京大症例の第一号の患者さんが出られた、その疑わしい方が出られたときに、非常にみんながアラートな状態で前向きに対応を、業界官界ももちろんですけれども、政界も、みんなでもってアラートな状態で対応しようという姿勢がなかったことが本当にすべての原因だろうと思います。  そして、繰り言になりますが、やはりそのときに情報公開をして、そして、クリオ製剤があったわけですから、それを一生懸命少しでも増産できるようにして、そして海外からの緊急輸入もできるように適切な緊急態勢、臨機応変な対応ができていれば、これほどたくさんの方々が、二千人もの方たちが発症し、四百人もの方が亡くなったというこんな悲惨なことが起こらなかったというふうに思っています。  トラベノール社は一メーカーとして最善も尽くされたし、日本の薬事行政の中でもって振り回されて、その中でも誠実に対応もしていらっしゃったのだというふうにも思いますけれども、やはり今社長さんがおっしゃったような企業の姿勢といいますか、そういうことをぜひ今後も堅持していただきたいというふうに思います。  ありがとうございました。質問を終わります。
  37. 和田貞夫

    和田委員長 山本孝史君。
  38. 山本孝史

    山本(孝)委員 新進党の山本孝史でございます。  山本さんには、きょうはお忙しい中お越しをいただきまして、ありがとうございます。  今お話をお伺いしておりますと、大変に記憶が鮮明なのでございますけれども、きょうここに来ていただくに当たって、小栗さんが陳述書を出されておられますけれども、小栗さんとお会いになって御記憶を御確認されたり、そういう作業をこれまでの間になさっておいでになったのでしょうか。
  39. 山本邦松

    山本参考人 小栗さんの陳述書は読ませていただきました。それから、バクスター社に出向き、これまでのファイル、これを二度の機会にわたって私個人のメモにとらせていただいたということがございます。
  40. 山本孝史

    山本(孝)委員 ということは、バクスター社の中に今残っている記録に基づいてお話しをいただいているということで、単に山本さんの御記憶の中での話ではないというふうにお受けとめをさせていただきたいと思います。  お伺いをさせていただきたいのですが、八〇年から加熱製剤の開発をされ、そして、日本国内における承認を求めて活動されておられた。その中で、具体的に、八三年の五月、六月と米国本社からも社長あるいは副社長がお越しになって、厚生省に対してのアプローチをされておられる。そのときの窓口が郡司さんであり、あるいは平林課長補佐であったというお話ですけれども、薬務局長であった持永さんにその過程の中でトラベノールとしてお会いになったことはあるのでしょうか。
  41. 山本邦松

    山本参考人 持永さんは当時の薬務局長という職責であられたというのは記憶しておりますし、また、お目にかかったことも過去ございましたが、この血液製剤ないし加熱製剤ということでお話をお伺いしたとか御相談に行ったということは、私の記憶では一切ございません。
  42. 山本孝史

    山本(孝)委員 そうしますと、このいろいろな交渉事の中でトラベノールとしてお受けとめになっているのは、生物製剤課としての御見解であるのか、あるいは薬務局全体としての御見解であるのか。すなわち、一担当の見解なのか、厚生省全体としての見解なのか、そこのところはどういうふうにお受けとめをされておられたのでしょうか。
  43. 山本邦松

    山本参考人 現在はどうかわかりませんが、厚生省の生物製剤課というのは、厚生省の中でも特別なセクションとしての色彩が強く、比較的独立した取り扱い、申請書の取り扱い、そしてまた生物製剤としての専門のグループであるという位置づけですので、恐らく、課長であられる方がポリシー以外の意思決定はほとんどなされていたということでありましょうから、一々局長に相談して何か判断するということは、恐らく、相当な意思決定でない限りなかったのじゃないかというふうに推察いたします。  したがいまして、私ども加熱製剤に対するアプローチは、ほとんど生物製剤課ということで、しかし、それはあくまでも厚生省の薬務局を代表している、それが唯一のセクションであるという認識でございましたので、生物製剤課と薬務局を切り離して判断して、生物製剤課はこうだけれども、薬務局はまた違う考えだろうという取り上げ方は一切していなかったと思います。
  44. 山本孝史

    山本(孝)委員 その平林課長補佐は、具体的に一変の見解をずっと表明されておられた。この一変について、厚生省は、加熱処理に伴うたんばく変性が有効成分の変更に当たるのかどうか、中央薬事審議会の血液製剤調査委員に意見を求めたところ、その委員は、有効成分変更に該当せず臨床試験は不要と回答した。つまり、一変でよいということになったわけですけれども、これを受けて平林課長補佐一変という認識をお示しになっておいでだというふうにトラベノールとしてはお受けとめだったのでしょうか。
  45. 山本邦松

    山本参考人 それ以前の時点から、この加熱製剤は、プロセスとしては、一部のものを取り除く、そしてまた加熱するということで、基本的にはたんぱくの変性ということへの影響は少ないだろうという見解が最初時点からございました。  したがいまして、先ほどお話にもありましたように、八三年の後半に至るまでは、一部変更、しかしながら、安定性の上での試験日本ではしなきゃいけないかもしれないというお話がずっと継続してまいりました。そして、調査会のメンバーの方にお聞きするというのは確認の意味もあったのじゃないかと思いますが、それを経まして、私どもとしては、調査会のメンバーの方もそう言っておられるから、これはもうほぼ間違いないことだな、こういう認識で、その後、大変ある意味では安堵して、これでもって一部変更で確かにいけるのだなという理解になったわけでございます。
  46. 山本孝史

    山本(孝)委員 その血液製剤調査会の委員の方ですけれども、どの委員がこういうふうな見解を表明されたというふうに受けとめておられるのでしょうか。あるいは委員全員が、この有効成分の変更に該当しないというお話だったのでしょうか。この具体的なお名前は御存じですか。
  47. 山本邦松

    山本参考人 調査会の主力メンバーであった、あるいは調査会の委員長か何かされていたか、ポジションはいずれにしても私、記憶にないのですが、主力のメンバーであったことには間違いない東京医大の藤巻教授でした。私、直接会ってその話をしたわけでもございませんが、担当者からはそういう報告を受けております。
  48. 山本孝史

    山本(孝)委員 トラベノール厚生省に提示された資料を見て、郡司課長が、チンパンジー試験の結果としてB型肝炎対策が不十分ではないかということをおっしゃった。でも、実際的には、通常の三百倍という大量のウイルスを製剤に混入してのいわば実験的な結果ですから、通常製剤に含まれていると思われるウイルス量に対しては感染を十分に防止できるのだという理論立てをしておられたのだと思います。  それで、郡司さんが肝炎対策の方に興味を示されたというのはわかるのですけれども、そもそも、この年の初めから村上省三さんからいろいろな情報を得ながらエイズということについての危険性を認識され、あるいは外国から入ってくる情報、あるいはトラベノールも御提供されておられたいろいろな情報の中で、血液製剤によるエイズ感染の危険性というものは十分に郡司さんは認識をしていた。そういう中で、トラベノールが開発された加熱製剤に対して、肝炎対策がどうこうという話よりも、エイズ対策としての加熱処理というものについて郡司さんがもっと興味を示されてもよかったのではないか、あるいはそれが普通なのではないかというふうに思うのですけれども、郡司さんのそのときの加熱製剤に対するエイズ対策としての、あるいはかもしれない話ですけれどもエイズ対策としての加熱製剤への郡司課長の興味の度合いというのはどの程度のものだったのでしょうか。
  49. 山本邦松

    山本参考人 郡司さんの、肝炎ということでの、トラベノール社からのチンパンジー十匹を使ったデータその他の解釈の仕方には、私ども、同意しませんでした。したがいまして、当然日本でも、ウイルス学者、血液学者とも、私どもデータをお見せして評価を仰いだわけでございます。  その際に、今ちょっとお話がありましたが、三万CID、三百というのはミスプリントでございまして、実際、三万CIDの肝炎ウイルスをチンパンジーに投与しました。これは普通の投与量の三万倍です。これは、極端な場合そこまで投与したということで、投与しないものもございます。  そういうものをデータとして実験してとらえて、確かに陽転はしたのですね、結果としては。ただし、陽転した時期が、三万倍の投与量で三十六から四十週かかっているのです。ですから、普通の肝炎のウイルスを投与したならば当然これは感染しないだろうというようなお話がございまして、その確認の意味でも、ウイルス学者並びに血液学者の先生方と日本でも相談し、私どもと同じ結論を得ております。  したがいまして、現時点でへ郡司さんのあの辺の判断というのは、誤っていたか、あるいは何らかの、我々の結果を受け付けないということの一つの反映されたものであったかもしれません。  いずれにしましても、八三年当初、私どもは生物製剤課ともいろいろなディスカッションを持ちました。また、社長、副社長来日もいたしました。そのときに、八三年の前半、少なくとも五月ぐらいまでの郡司さんのエイズに対する関心の度合いというのは、比較的、私どもが想像する以上に冷ややかというか、それほどの関心を、どちらかというと穏やかな、余り自分の喜怒哀楽といいますか感情を外に出さない方ですから、比較的、私どもが想像する以上に関心の度合いというのは低かったというふうに今私は思っております。
  50. 山本孝史

    山本(孝)委員 八三年六月二日に厚生省に提出をなさった回収報告書ですね、回収の対象になったのはプロプレックス、第Ⅸ因子製剤だったというふうに思うのですけれども、当時、この六月から研究班の中で検討されておられた帝京大症例、これも第Ⅸ因子製剤、血友病B患者ですね。  したがって、直接的にプロプレックスを使っている患者さんがエイズの症状を呈しておられるという話が片一方にあって、片一方でその第Ⅸ因子製剤を皆さんの方は回収をされたという話で、極めてこの血友病B患者ということに関して近い関係にあるわけですけれども、郡司さんがおっしゃっているのは、この回収報告の話が研究班に報告をされても余り結果には関係がなかった、あるいは、私は後でその回収報告を知ったのでというふうにおっしゃっておられるのですけれどもトラベノールのお立場で、もしこの回収報告の事実が研究班にもっと早く伝わっていれば研究班の結果に何がしかの影響があったのではないか、その辺はどんなふうにお受けとめになりますか。
  51. 山本邦松

    山本参考人 自主回収の届け、報告を差し上げたのが八三年六月でございます。その時点では、血液製剤エイズウイルスの感染の関係は立証されていなかったのですね。  したがいまして、トラベノールとしては、あくまでもドナーの一人がエイズに近い症状になったということで、万が一に備えて、向こうではプリコーションという言葉を使っているのですが、プリコーションのために自主回収するという手続をとったわけでございます。したがいまして、FDAに義務づけられて回収したということでもございません。  また、日本におきましてもあわせて自主回収と、もちろん厚生省にも御相談に行きました。その上で、自主回収報告書を出せ、こういう形になって、六月二日付で出させていただいたわけでございます。  これがエイズ研究班に速やかに報告されていたならば何らかの影響があったかどうか、こういう御質問だと思いますが、それは非常に難しいお話のようにも受けられます。といいますのは、あくまでもドナーの一人がエイズだと思われる症状を示したということであって、第Ⅸ因子が感染したということではないのです。  したがいまして、そこの関係を研究班の先生方がどう受け取ったかということにもかかわってまいりまして、研究班の方、かなりポリティカルな要素もおありになったようでございますし、私としては、ちょっとその辺、どんな影響があったかというのはここでお答えできるお話ではございません。
  52. 山本孝史

    山本(孝)委員 質問、一つもとへ戻ります。  チンパンジー試験の話ですけれども、ウイルス学者と血液学者に御相談をなさった。具体的にそのお二人のお名前を教えていただけませんか。
  53. 山本邦松

    山本参考人 清水先生と志方先生でございます。
  54. 山本孝史

    山本(孝)委員 済みません。清水、下のお名前は。
  55. 山本邦松

    山本参考人 清水勝先生だったと思います。
  56. 山本孝史

    山本(孝)委員 問題の、八月初めの厚生省から要求をされて提出をなさった承認申請素案のお話なんですけれども厚生省トラベノール承認申請素案を出せというふうにおっしゃった、そこのところの厚生省側の意図というか目的というのはどんなものだというふうにお受けとめになっていたのですか。
  57. 山本邦松

    山本参考人 八三年の八月の一日か、八月の初旬であったことは間違いないのですが、そういう研究班もでき上がってエイズの問題が大きく取りざたされている時期でもございましたので、本当にこれで申請を行える運びになったということで、我々は、これまで願って八二年から長い期間をかけて厚生省と誠意を持ってディスカッションしてきたものがやっと報われたという思いがして、それで八三年の八月以降、申請の準備に入ったという次第でございます。
  58. 山本孝史

    山本(孝)委員 問題は、厚生省がどういう思いを持ってその承認申請素案を出せということを言ったかというところだと思うのですね。  それで、その際に、加熱製剤の成分あるいは加熱条件、あるいは関連実験の内容というような一連の情報も、あわせてこの八三年八月初めの時点厚生省にお出しになっているのでしょうか。
  59. 山本邦松

    山本参考人 八三年の八月にそういう要請がありまして、その後一カ月ぐらいたった後、資料を添えて、一応中間的に、こういうものでよろしいだろうかということで資料をお届けしております。その中には、今言ったような細かい資料も、チンパンジーのデータ、それから加熱条件その他、そういったものも入っております。
  60. 山本孝史

    山本(孝)委員 郡司さんは、トラベノールにいろいろお伺いをしたら、添加物については企業秘密で言えないのだということで断られたというふうにおっしゃっているわけですけれども、今のお話でいきますと、八月、あるいは一カ月ぐらいして九月の時点で、トラベノールとしては、加熱条件、六十度七十二時間あるいは添加している内容物という話、そういったものすべて厚生省の方にお渡しをしているというふうに理解をしてよろしいのですか。
  61. 山本邦松

    山本参考人 結構でございます。
  62. 山本孝史

    山本(孝)委員 先ほどの御答弁、田中議員の御質問に対して、その八月に提出された承認申請素案は一変に対応した承認申請素案であったということなんですけれども、最終案は十月十日ごろに出せというこの十月十日ごろというのは、どういうふうな意味合いだったのですか、出すとすればすぐに出せたのかなというふうには思うのですけれども
  63. 山本邦松

    山本参考人 申請書というのは大変手間がかかる、準備に時間がかかるものでございまして、開発に至った経緯から、必要なデータ、それから、今回の場合は一変ということで治験は行わないのですが、安定性それからたんぱく変性の問題、先ほどの肝炎のいろいろなもの、製造条件、そういったものを全部資料としてまとめなければならないので、多分、二カ月ぐらいの余裕が存在したというのは、準備時間にそのぐらいかかるだろうという推察の上での話だったと私は推測いたします。  具体的にどういう話し合いの中でその十月の初めというものが決まったのか、その辺は存じ上げておりません。
  64. 山本孝史

    山本(孝)委員 この八三年の八月の承認申請素案の提出云々の話ですけれども、国の方の大阪訴訟における釈明の中で、厚生省は五十八年ごろ、日本トラベノール株式会社から米国における加熱製剤承認申請のデータの提示を受けて、検討の結果、同年八月、臨床試験のデータが必要であると判断し、その旨、同社に口頭で回答したというふうに言っているわけですね。  結局、承認申請素案を出せと八月の頭に言われて、それでニカ月ぐらいかかるところで十月十日ぐらいをめどに承認申請素案をお出しになった、あるいは九月ぐらいになってその一連の条件等を厚生省の方にお出しになったということは、少なくとも厚生省側としては、この時点において、一変という対応でもって加熱製剤日本国内における承認に向けての動きを早めようということをしていたのだと、この点は今のお話の中では、確認なんですけれども、ということなんですね、結局は。
  65. 山本邦松

    山本参考人 八三年の八月の時点では、私どもはそういうふうに解釈いたしておりました。
  66. 山本孝史

    山本(孝)委員 その承認申請素案なんですけれども、もしバクスターあるいはトラベノールの資料の中に控えがありましたら、ぜひこの委員会に御提出をいただきたいというふうに思うのです。その点はどうでしょうか、御対応はいただけませんでしょうか。
  67. 山本邦松

    山本参考人 先ほども申し上げましたとおり、このときに提出した資料というのは、データも含まれて、いろいろな私どものこれまでの資料を、わかりやすく申請書としての順序を考案しまして提出いたしました。したがいまして、多分、厚生省のファイルの中に存在しているのではないかというふうに推察いたします。
  68. 山本孝史

    山本(孝)委員 厚生省に提出要求をしてみようと思いますが、なかなかこの資料が出てきませんので困っております。  厚生省がこの八三年八月の時点で明らかに一変で対応しようとしていたということを決定的に裏づける資料になりますので、ぜひ理事会の中で御協議をいただいて厚生省から提出を求めていただきたいというふうに思います。
  69. 和田貞夫

    和田委員長 ただいまの山本委員の発言につきましては、理事会の方で相談を改めてさせていただきます。
  70. 山本孝史

    山本(孝)委員 参考人、安部教授の件についてお伺いをしたいと思います。  八三年四月に安部教授にインヒビターに関する臨床試験計画について打診をされて、六月のストックホルム会議から戻ったら実施しようというふうな回答を得ておられた。でも、実際的には実現しなかったように思うのですけれども、この辺のいきさつは、なぜ実現しなかったのかという点についてはどういうふうなお受けとめですか。
  71. 山本邦松

    山本参考人 ストックホルムの学会があったのは、たしか八三年の六月の終わりだったと思うのです。その前に、安部先生に対してインヒビターに関して、インヒビターというのは血友病の治療薬としては常について回る問題でして、一部これまでのディスカッションの中でもインヒビターの問題は折に触れて出てまいりましたので、インヒビターの試験を本当にする必要があるのかということで安部先生に御質問を提出いたしました。  その際に、学会の準備等もあったのでしょう、学会が終わってから相談しましょうという形になって、結果的には、その後、その話というのは、八三年の九月以降の、特に九月ですね、安部先生からフェーズIの臨床のお話があるまでは立ち消えとなりました。
  72. 山本孝史

    山本(孝)委員 安部教授が八三年六月に新聞のインタビューに答えて、研究班ができたときのインタビューなんですけれども、その中で、輸入血液を六十度十時間で加熱をしたい。加熱をして対応したいというふうにインタビューに答えておられるのですけれども、それは、その当時のあるいは他の製品も考えて、どの製薬会社製品を念頭に置いて六十度十時間というような具体的な数字をおっしゃったというふうに考えられますか。
  73. 山本邦松

    山本参考人 その記事は残念ながら私個人見ていなかったものですから、そしてまた今のお話で、六十度十時間というのが果たして実現可能なのかどうかということも大変疑問を残す御発言だったように今思いますし、私どもの方の条件と合致しないこともございますし、特にどの会社製品安部先生が頭の中に入れていたのかということは、私個人は全く想像がつきません。
  74. 山本孝史

    山本(孝)委員 アメリカでの承認申請の各社の条件を見ますと、べーリンガーが八三年の三月、ちょうどこの時点の、六月、三月で直前ですけれどもアメリカで液状加熱承認申請をしています。これが六十度十時間という安部さんがおっしゃっているのと同じ数字になるのですけれども、当時、開発申請されていたのは、既にでき上がっていたトラベノールの乾燥加熱製剤と、続いて三月の時点ではべーリンガーの液状加熱の六十度十時間、五月にアルファのヘプタン方式の六十度二十時間という形の申請が来るのですけれども、六十度十時間加熱ということになると、べーリンガーの製品を念頭に置いておられたのかなというふうにも考えるのですが、どうでしょう。
  75. 山本邦松

    山本参考人 そういうことであれば、そうかもしれません。  しかし、私個人は、その辺のことに関して安部先生お話ししたこともございませんし、社内でディスカスしたこともございませんので、お答えしかねる課題であろうかと思います。
  76. 山本孝史

    山本(孝)委員 当時のミドリ十字加熱製剤の開発状況というものを横からごらんになっていて、どのような状況であったというふうな御認識でいらっしゃいますか。
  77. 山本邦松

    山本参考人 当然ながら、他社も、加熱製剤ということではトラベノール社に追いつけという形での努力をされたと思います。  しかしながら、他社の開発状況というのはなかなかわかりにくくて、正直言って、臨床が始まるまでは、どの辺の加熱を、どんなふうな技術で、どう展開しているのか、また、どういうところまで来ているのかというのはほとんどわかりませんでした。臨床に入りまして初めて、各社がそれぞれの病院で臨床を始めたわけですが、私どもの方の記録では、ミドリ十字社に関しては、臨床に使うサンプルですね、製品サンプルの提供がなかなかスムーズにいかなかった、おくれがちであったということは事実として私どもは把握しておりました。
  78. 山本孝史

    山本(孝)委員 六十度十時間のべーリンガーの製品、八三年三月にアメリカ承認申請されているわけですけれども、小栗さんは、べーリンガーの製品というのは微々たる生産量で、厚生省がべーリンガーと接触したということも聞かないというふうに小栗陳述書の中で述べておられるわけですね。  当時の日本べーリンガーインゲルハイムの社長は、七七年八月から八〇年一月まで厚生省薬務局長を務めていた中野徹雄さんが日本べーリンガーの社長を務めておられる。したがって、中野さんから薬務局長経由で、いろいろなべーリンガーのつくっている製品加熱開発条件等について、私は、厚生省は入手をしていたのではないか、あるいは情報を提供し得る立場にあったのではないかというふうに思うわけですね。  先ほど田中委員も聞かれていましたけれどもミドリ十字の六十度七十二時間という開発条件、くしくもバクスターというかトラベノールがつくっておられた加熱条件と全ぐ同じで、それで、あの八三年の八月の段階で、あるいは九月の段階で、厚生省にすべての情報を御提供なさっておられる。当然、ミドリ十字にその情報が流れていっても不思議ではないというふうに考えるのですけれども、そんなふうには受けとめておられませんか。
  79. 山本邦松

    山本参考人 可能性としては存在していたと思うのですが、それから開発に入ったということでは恐らく間に合わなかったのではないかというふうに推察できますし、たとえそれが流れていたとしても、そういう意味では開発にそれほどの、確認だとかいうことでは参考になったとしても、恐らく、ミドリとしてはそれ以前に加熱の条件というのは当然設定して開発を進めていたものと私は推察いたします。
  80. 山本孝史

    山本(孝)委員 結局、一変で対応しようとしていて、ミドリ十字もそうやって開発をしていたとしても、実際のところ、今から考えると、ずっと後ろへ後ろへとずれていくわけですね。  先ほどの御答弁の中で、一変が、結局治験が必要だと九月に安部さんに言われ、あるいは十月に平林課長補佐からそんなふうな話もされという形で全面的にひつくり返ってしまう、八月から十月の間にかけて。この間に、あるいはそれ以降も、安部教授は共同治験の提案もするし、治験の開始を八四年の三月というふうにも言うしということで、これは、我々から見ていると、まさに調整というか時間稼ぎをしているとしか思えないわけですね。  その話の中で、こうした安部教授とか厚生省の動きというものを、先ほど山本さんは、上の方の圧力、動きがあったのかというふうに思うというふうにおっしゃっているわけですけれども、上の方の圧力あるいは動きというのは具体的にはどういうことを念頭に置いて先ほどそういう御発言をされたのか、あるいはそういうようなことを思わせるような、意図を感じさせるような動きがあったのか、その点はどうでしょうか。
  81. 山本邦松

    山本参考人 八三年の八月までは、一部変更という形で話が進んでいました。それが、八月を過ぎて九月、十月、そして十一月には、厚生省承認申請に関する説明会という形に入っていきました。したがいまして、その時点で私どもは大変驚きとともにまた大きな動揺を持ったというお話を差し上げたわけです。  これまでのディスカッションの中では、担当者あるいは生物製剤課との話の中では、そういう大きく変更するというような要素は一つも感じ取れなかったわけです。したがいまして、あれだけ急激に大きな、臨床までやらなければならない、そして、それはもう明らかに長い時間がかかるということの示唆でございますので、私どもの目に見えないところでの何かが動いたのでないかということでの推察でございます。
  82. 山本孝史

    山本(孝)委員 先ほど、ほとんどの方は生物製剤課が独立した機関としてやっている、大きなポリシー以外はというふうにおっしゃったわけですけれども、一部変更でやってこようというのが臨床試験が必要だという話になるというのは、当時の血液製剤におけるところのエイズ感染の危険性が、認識度合いがどんどん深まっていく中において、大変に大きな変更であったのではないか。これは軽い話ではないのではないか。  当然のごとく、これは八三年の、微妙なところなんですけれども、八月二十六日に持永薬務局長から正木薬務局長に交代をされておられるわけだけれども、この時点においても、生物製剤課単独の判断なのか、あるいは薬務局長も御相談に加わられてのこういう変更であるのか、その点はどうでしょうか。
  83. 山本邦松

    山本参考人 先ほども申し上げましたように、生物製剤課としては割と独立していろいろな生物製剤に関する諸案を処理していたというふうに思います。そして、今回のこのような大きな変更は、恐らくそれを超えた、生物製剤課が扱う、生物製剤課だけが判断できることかどうかというのは大変大きな疑問に思いました。  したがいまして、それを超えたところで、これは厚生省の中という意味に限定せずに、もうちょっと広い段階で、安部先生をも含めた形で、あるいは他社、後発の他社、そういったものも含めて、何らかの動きとそれに伴う判断がどこかからかあったのではなかろうかという推察を社内でしたことはございます。
  84. 山本孝史

    山本(孝)委員 今回の血液製剤の、加熱製剤承認という話を少し離れてというか、それも含めてもう少し大きい観点で見たときに、戦後の日本血液事業全体の中で、日本の国内で使う血液製剤については献血で賄っていこうという国内自給体制を閣議決定をする。あるいは、厚生省が検討会や研究班を置いて、この血液事業の一元化であるとか、あるいはWHOの勧告でいけば国営化だとかというような形で動きが進んでくる。すなわち、民間ではないところでやろうという話で動いてくる。そういう方向がずっと流れていたことは、多分、当時の社長である山本さんも御存じだったというふうに思うのですが、そういう動きが戦後の動きの中でずっとある中で、なぜそれがその方向に行かないのか。  今回のこの一変治験が必要だという形に変わるのと同じように、そこのところで何か大きな力が働いて、全体この方向に行かなければいけないと思っているものが常にとまってくるというところに、厚生省を超えるとおっしゃったけれども、結局、それは政治家でしかあり得ないのではないか。そんなふうにしか思えないのですけれども、そういう血液事業全体の流れをとめていたということ、阻害をしていたという要因になっているという点も含めて、この血液事業全体に対して、あるいは今回の加熱製剤のことに関しても、政治家の影というのはどの程度に感じておいでになりますか。
  85. 山本邦松

    山本参考人 閣議決定であるとか、たしか一九五四年あたりのお話だと思うのですが、血液事業に関する閣議決定、そしてその血液事業を日本としてどう行っていくべきかという目指すところ、あるいは自給の確立というようなことに関しては、目標ないし目指すところとしては私自身反対するべきものは何もございません。  ただし、余りにもその目指すところと現実、この乖離が大き過ぎる、果たして本当にあそこに何年たったら到着てきるのだろうかということばかりが血液事業のその当時の現状であったと思うのです。  そして、その立ちおくれの一つというのは、やはり技術革新に、日赤にせよ、ほかのところであろうが、ついていけない。そして、日赤にいたしましても、血税あるいは善意のドーネーション、そういうものによって莫大な投資をしているにもかかわらず、もうおくれおくれで技術が陳腐化してしまうという中にあっての血液事業でございました。危機管理も十分でございません。そして、こういう新しい技術に対する取り上げ方も右往左往して、明確な指針のないままにやたらと時間ばかり経過してしまうという中で、そういう意味では、今回のこのエイズの問題というのはそういうものが複雑に絡み合って大きなこのような悲劇になったのだというふうに私は思っておりまして、大変残念でいたし方ございません。  そういう中で、政治家の動きがどうであったか、何か黒いものを感じたかということでございますが、個別に、こういう人が、あるいはこういう場面で、こういうことがあったのじゃないかと思われるような政治家の動きというのは、私、残念ながら察知しておりません。
  86. 山本孝史

    山本(孝)委員 いわゆる厚生のドンと言われている橋本龍太郎先生あるいはもろもろの方たちの声を、そういう動きがあるというふうにお聞きになったことがあるのか、あるいはそういう方たちが力を持っておられるというふうにお聞きになっておられたのか、その点はどうですか。
  87. 山本邦松

    山本参考人 影響力があるというお話は、これまでにも何度もお聞きしたことはございます。しかし、事エイズのこの問題に関して、何らかの形でそういう方々が動いたかどうかということに関しては一切存じ上げておりません。
  88. 山本孝史

    山本(孝)委員 きょう、一連の話をお伺いしていて、当時の平林課長補佐あるいは藤崎課長補佐がどういう判断をされておられて、どういうふうに接触をされておられたのか、思いのほかに生物製剤課が全部をやっていたという今のお話をされるのであれば、やはり厚生省の当時の担当者をこの参考人としてお呼びをしていただかないと話は進まないというふうに思います。当時の薬務局長の持永さん、あるいは正木さんのところでちょうどおかわりになるところなので正木氏、当時の薬務局長のお話もぜひ聞かせていただきたいというふうに思います。ぜひ理事会で御協議をいただきたいというふうに思います。
  89. 和田貞夫

    和田委員長 理事会で協議いたします。
  90. 山本孝史

    山本(孝)委員 時間になりましたので終わりますけれども、いみじくも血液事業の理想と現実が違い過ぎたというふうにおっしゃいますけれども、国はその方向にやろうとしてきた日赤の技術革新が遅かったのかもしれないけれども製剤業者というか製剤メーカーのお一人としても、理想と現実は違い過ぎたのだから仕方がなかったのだということではなくて、その合間に今回の大きな薬害エイズの被害が起きているわけですから、ぜひこれまでの御経験の中でお持ちの知識、見聞等を御活用もいただいて、この日本血液事業が真っ当な方向にいくようにお力添えをいただきたいというふうに最後に思いました。  そういうお話をさせていただいて、質問を終わります。ありがとうございました。
  91. 和田貞夫

    和田委員長 横光克彦君。
  92. 横光克彦

    ○横光委員 社民党の横光克彦でございます。  きょうは参考人、まことに御苦労さまでございます。  これは当然のことですが、参考人は、今回の和解裁判での所見そしてまた和解条項、確認書、これをしっかり読まれましたか。
  93. 山本邦松

    山本参考人 正直言って、詳しく読んでおりません。
  94. 横光克彦

    ○横光委員 その所見の中に「被告製薬会社が第一次的な救済責任を負うべきである」こういうふうに書かれております。この責任のあり方はそのとおりだと受けとめておりますか。
  95. 山本邦松

    山本参考人 加熱製剤承認される前に、私どもとしましては、会社としましてはできる限りの努力をしたということは、特に早期承認に向けてそういう努力をしてきたということはこれまでお話ししたとおりでございますが、しかしながら、この間、それにもかかわらず非加熱製剤ということでエイズの感染が患者の皆さんに発生した、そしてまた多くの方が亡くなり、また今なおこの病と闘っているということでは大変心苦しく思うし、遺憾に思います。  また、会社としても、それに対する償いというか、それからまた今後の恒久的な対策、そういうものが速やかに実現し、展開されて、また、単に血液製剤が今の段階でとまるのでなくて、これからも、この分野でより安全な医薬品が今後さらに開発され、もう実際に目に見えておりますが、次の加熱製剤にかわるべく新製品が出始めましたけれども、こういうことで、今後これをいい経験としてさらに進展されることを、そしてまた皆さん方の、特に患者の皆さん方、御家族の皆さん方のこれから安心できるような社会、また治療体制というものが確立されていくことを切に願っております。
  96. 横光克彦

    ○横光委員 今のお言葉、どうぞ忘れないでいただきたいと思います。その責任感において真実を、どうか短い時間ですがお話しいただきたいと思います。  まず、今回の裁判で証拠として提出しております小栗陳述書、この小栗陳述書の内容は、参考人そしてまた旧トラベノール社の総意と、意見と同じだ、そういうふうに受け取ってもよろしいですね。
  97. 山本邦松

    山本参考人 陳述書の小栗さんともお話しする機会がありましたけれども、そしてその後、先ほどお話ししましたように、二度にわたって、私自身会社のファイルを見せていただきました。  そして、小栗氏の陳述書は、基本的には事実に基づいたものを彼が書きあらわしたということで、事実に一部記憶の違い、その他というのが一〇〇%ないかどうかということではわかりませんが、基本的に事実に基づいた陳述書だというふうに理解しております。
  98. 横光克彦

    ○横光委員 厚生省への働きかけに小栗さんが中心になっておられるわけですが、トラベノール社としては、小栗さんをその中心として役割を与えたのはどういった形で決められたのですか。そしてまた、その小栗さんの厚生省での行動の逐一の御報告が当時の社長にありましたか。二つ。
  99. 山本邦松

    山本参考人 小栗さんは、現在、薬事関係の部長ということで仕事をしておりますが、当時は、血液製剤関係の担当の課員でございました。したがいまして、彼の上に課長が存在し、また部長が存在し、そしてその上に私が報告を受ける形で責任をとっておりました。
  100. 横光克彦

    ○横光委員 トラベノール社では加熱凝固因子製剤、いわゆる加熱製剤を他社に先駆けて研究開発しておりましたね。
  101. 山本邦松

    山本参考人 そのとおりでございます。
  102. 横光克彦

    ○横光委員 その動機はどういうことですか。
  103. 山本邦松

    山本参考人 濃縮製剤は、一九六〇年前後から開発が始まり、一九六〇年の中ごろにアメリカ承認されて、そして日本ではたしか七〇年くらいに承認、販売されたというふうに記憶しておりますが、この濃縮製剤は、先ほどちょっと申し上げましたが、血友病の分野でエイズの問題が発生するまでは大変な貢献をした製品でございます。  それで、その当時から問題にされていましたのが、肝炎のウイルスを伝播するのじゃないか、感染の媒体になるのじゃないかという危険というか、コンサーンが学会でも叫ばれまして、肝炎対策が大変そのころ重要な課題になってまいりました。特に東南アジアにおいては、肝炎はもう蔓延するというおそれがございましたので、血液製剤の次の技術革新というのはやはり肝炎対策だということが会社としての一つの大きな課題になったわけでございます。
  104. 横光克彦

    ○横光委員 やはり濃縮製剤における肝炎対策が必要だ、そういう認識だった。それが後に、これがエイズにも大変効果があるらしいということになったわけですね。  小栗陳述書によりますと、一九八一年五月にアメリカトラベノール社が開発に成功した、そして一九八三年の三月にヘモフィルTがFDAアメリカ食品医薬品局で製造販売承認されております。この製造販売承認された新加熱製剤日本に導入するために厚生省に働きかけをしたわけですが、このトラベノール社による厚生省に対する働きかけは、小栗陳述書に書かれていることでほぼ網羅されていると思って間違いないですね。
  105. 山本邦松

    山本参考人 事実関係では陳述書に書かれているとおりでございます。  ただ、やりとりの細かい経緯、そしてどんな感じで受け取ったか、また相手がどんな感じで対応したかという、その辺のことに関しては基本的には書かれておりません。
  106. 横光克彦

    ○横光委員 八二年の三月に、先ほどから出ております当時の生物製剤課の担当官平林課長補佐一変の考え方を示した。その後に、また八三年の五月にも平林課長補佐一変の方向性を示している。そして、八三年の六月二日にトラベノール社製剤自主回収について厚生省報告に行ったところ、平林補佐がエイズについての情報が欲しいと言ったというふうに書かれております。  この八三年六月の時点では、厚生省ではエイズに対する危険性というものを相当に認識しているな、このように思われましたね。
  107. 山本邦松

    山本参考人 八三年の六月の時点では、多分、私の推測ですが、相当認識していたというふうに言ってよろしいのではないかと私は思います。
  108. 横光克彦

    ○横光委員 この後に、厚生省からの提案で、エイズについて情報交換をする会議が行われております。先ほどお話出ましたが、郡司さん、平林さん、そしてアメリカの五名、そして日本トラベから山本邦松社長、吉原博規さん、小栗さん。  社長出席したわけですが、社長が行くということは、課長クラスだけでなく、当然、局長クラスの方にもお会いになったのではないかと思います。先ほど持永局長にもお会いになったと言っておりますが、それ以外の局長には、どのような方にお会いになりましたか。
  109. 山本邦松

    山本参考人 私ども日本トラベノール社は、そのころそれほど大きな会社ではございませんでした。特にミドリ十字社等と比べると、本当にマーケットシェアも小さいということもございますし、また、会社全体の売り上げ、社員数、もう比較にならないほど小さな会社でございました。したがいまして、若い我々が一同になって新製品の開発、そして医療に貢献するという熱意を持って仕事に邁進したわけです。したがいまして、厚生省との折衝もあるいは話し合いも、私みずから足を運んだことも何度もございます。  しかし、今の御質問の件に関して、持永局長を初めほかの局長にお会いしたかどうかということに関しましては、事この加熱製剤ということでは、持永局長を含めて、ほかの局長の方にも私自身お目にかかっておりません。
  110. 横光克彦

    ○横光委員 この八三年の六月にそういった会議があって、社長がわざわざ厚生省に行かれている。そして、先ほど、持永局長とお会いになったけれども、この問題で会ったのではないというお話でしたが、この行った趣旨は、いわゆる新製品承認申請という目的が結局一番大きいと思うのですね。そうした場合、それはだれが権限を持っているかというと局長になるわけです。当然、この問題で会っていなければおかしいのです。そこのところをもう一度お聞かせください。
  111. 山本邦松

    山本参考人 この六月の時点説明会というのは、厚生省からの、特に生物製剤課からの要請に伴って私ども参ったわけでございまして、全面的に、新製品加熱製品説明したり、加熱製品の特徴、そして申請につながる直接的なミーティングだというふうには解釈しておりません。  要請が、エイズに関する説明会をしてほしい、こういう要請でございましたので、説明のほとんどが、一九八〇年前後からエイズがどうして発生したか、CDCのレポート等のデータも含めまして、どういう頻度で、どういうハイリスクの方々に、そしてどういう対応が今後考えられるかというようなことが中心でございまして、製品に一部触れたとも思いますが、加熱製剤が果たしてエイズに有効かどうかという話はしておりません。
  112. 横光克彦

    ○横光委員 陳述書によれば、その後に、八月に加熱製剤承認申請案を提出するように要請されております。ここで感想として、いよいよ最終的な詰めを行うのだな、こういうふうに思ったと。ところが、そのニカ月後の十月に、平林補佐が臨床例が必要になると言う。いわゆる一変で行けるという暗黙の了解があったと思っていたのでがっかりした、こういうふうに書かれているわけですね。  これは、八二年の三月に一変の考え方を示し、そして八三年の五月に一変で行けるという意向であったことを示しているのですが、社としてそのように受け取っていた、そのように理解して間違いないですね。
  113. 山本邦松

    山本参考人 そのとおりでございます。
  114. 横光克彦

    ○横光委員 ところが、わずかの間にこういうふうに大きく変化したわけでございます。  この八三年の六月に自主回収したことを生物製剤課に報告したが、その結果を郡司さんは当時ほぼ同時期に設置されたエイズ研究班には報告していないわけですね。社としては、当時、自主回収報告に行った同時期に厚生省内にエイズ研究班が設置されたことはその当日もう知っていましたか。
  115. 山本邦松

    山本参考人 当日というのは、エイズ研究班が設置された報告がなされたその当日ですか。一横光委員「いや、第一回のエイズ研究班が開かれた」と呼ぶ)それは新聞紙上で当然存じ上げておりました。
  116. 横光克彦

    ○横光委員 そこで、自分たちが回収報告した、非常にこういった危険性があるのでこういう行動をとったということを厚生省報告した。厚生省からそこにそういう話が行くだろうという期待感は持っていましたね。
  117. 山本邦松

    山本参考人 その辺のことに関しましては、私どもは、第Ⅸ因子自主回収に関しましては事前厚生省お話しを申し上げて、報告書の形で書くように、こういう御指示を受けまして、それで、そのとおり提出いたしております。  それから、研究班の、何をして、どういうふうな形で、また、どういうメンバーで、それがどういう情報に基づいて研究が進めていかれるのかというのはほとんどわかりませんでした。基本的には、研究班の内容に関しては一切外部に出ておりませんので、私どもが提供した情報がそこで活用されるかどうかというのは一切わかりませんでした。
  118. 横光克彦

    ○横光委員 今、研究班が設置されていることはマスコミ等で知った。その研究班はエイズ研究班という名前で、要するに、皆さん方が非常に危険性を感じ始めて、そして、アメリカからの連絡で回収して返送したというようなことが密接に結びつく研究班であるから、関心がないわけがない。恐らく、あらゆる情報を得ようと努力をされたのだと私は思うのです。  それはともかく、その後に郡司さんが、なぜ報告しなかったのかという理由に、回収した事実はこれらに関し何の情報も与えない、回収報告しなかったのは意味がないと判断したからだと。参考人はどこでこの郡司さんのお話言葉を聞きましたか。つい最近ですか。
  119. 山本邦松

    山本参考人 その当時の記憶にはございませんでした。したがいまして、郡司さんが参考人としてお話しされたときに初めてその言葉を私自身は知りました。
  120. 横光克彦

    ○横光委員 回収した事実はこれらに関し何の情報も与えない、意味がないと判断した、この言葉を聞いてどう思われましたか。大変これは間違いであると思いましたか。
  121. 山本邦松

    山本参考人 当時、血液製剤エイズ感染との関連性というのは極めて科学的に立証されておりませんでした。したがいまして、第Ⅸ因子自主回収も、ドナーの一人がエイズということで診断されたようだということに基づいて自主回収しましたので、この製品が実際にエイズの感染の媒体になるという、あるいは感染を受けた製品だという認識は一切ございませんでした。事実、後でこれはエイズの感染は受けなかったということが判明されたぐらいでございます。  したがいまして、結果的に郡司さんがどういう判断でそういう発言をされたかはわかりませんが、恐らく、これとの関連日本エイズ患者さんとの間ではなかったというような判断の中での御発言でなかったかと思います。私どもとしては、多少おやつという気はしましたが、彼は彼なりの判断だったのだろうというふうにとらえました。
  122. 横光克彦

    ○横光委員 これは私は大変な判断の誤りという気がするのですね。エイズ研究班の方たちも、後々、もしそのような回収のようなことが行われたというのが事前にあったのなら、おのずと研究班での結果も違ったであろうというふうに答える人もいるわけです。ですから私は、ここで大変大きな過ちを犯したのではないか。  そして、厚生省がそういうふうに公表しなくても、会社としては、こういったアメリカから非常に危険な、原料血漿の供血者が後にエイズと診断されたのでロットを回収したという報告を公表しませんでしたね。これはなぜ公表しなかったのですか。
  123. 山本邦松

    山本参考人 これは、一つは、販売あるいは病院等へのディストリビューションをする前に、いわば自社内のといいますか、輸入業者倉庫の中で自家試験段階で食いとめることができたということと、もう一つは、あくまでもこの当時、八三年の六月時点で、エイズに感染された製品であるかどうかというのは判明しておらずに、この第Ⅸ因子製剤エイズに感染されていないことが判明するのは実は八四年の十月、一年ちょっとかかってからなんですが、したがいまして、その当時としましては、これはエイズに感染された製品であるということはまだ疑わしいという状況でもございましたし、特に出荷前の状況でもございましたので、外部に対しての報道その他は、特にあの当時は大変微妙な時期でもあったし、私どもとしては、プレスリリースその他は、アメリカにおいても日本においてもいたしておりません。  ただし、先ほど言いましたように、FDAその他の機関にはお届け申し上げたという次第です。
  124. 横光克彦

    ○横光委員 ということは、患者方々医療機関にも伝えなかったということですね。
  125. 山本邦松

    山本参考人 そのとおりです。
  126. 横光克彦

    ○横光委員 それは製薬会社として、今になってみたらどうですか。やはり伝えるべきだったと思いますか、そういった危険なことがあったのだぞと。どうですか。
  127. 山本邦松

    山本参考人 多分、研究班その他、厚生省も含めて、もうちょっと真剣な討議をすべきであったということは十分に考えられると思いますが、私ども会社から、エイズに感染した製品であるかどうかも判明することができない段階で、病院ないしエイズ患者さんあるいは家族の方々にそういうことの報告を差し上げるということは、今考えましても、果たしてすべきかどうかというのは、混乱を招くということからもいいことかどうか、判断が難しいところだと正直思います。
  128. 横光克彦

    ○横光委員 一九八四年九月に、国際ウイルス学会でエイズウイルスが固定されました。ということは、これ以降、血友病患者が非加熱製剤を通じてエイズに罹患する危険性が非常に強くなった、はっきりしたという危険性を多くの方が持ち始めたと思うのです。にもかかわらず、結局、非加熱製剤はそのまま販売され続けた。使用され続けた。  この陳述書でトラベノールはすばらしいことを書いているなと私は思うのです。ここに、  供血者が後にエイズと診断されたことを受けて  予防措置として自主回収に踏み切ることにした  のです。当時は、このような場合は自発的に回  収するというのが米国トラベノールの方針でし  た。この方針は当時も今も変わっていないこと  は強調したいと思います。供血者が罹患した病  気と血液製剤との因果関係について何の証拠が  なくても、予防措置として回収するというのが  基本方針なのです。それが顧客である患者にと  って最善の利益になるというのが理由です。確かに、すばらしいことを書いて、すばらしい行動をとった。  ところが、その後、国際ウイルス学会でエイズ菌がはっきりと認定された後であるにもかかわらず、このようなすばらしいことを言っていながら、何ら方策をとっていない。八五年の七月に加熱製剤承認されて出荷されるまで、私は、何らかの形、とるべき道があったのではないかと思うのですが、危険危険とわかっていながら販売を続けたわけですね。
  129. 和田貞夫

    和田委員長 横光克彦君、持ち時間が経過いたしておりますので、御協力をお願いいたします。
  130. 山本邦松

    山本参考人 加熱製剤が販売されましたのが八五年の八月以降でした。したがいまして、血液製剤エイズ感染関連性が暫定的に証明された、CDCが証明したわけですが、この八四年十月から八五年の八月までの間、特に判明した後も非加熱製剤を売り続けたのではないかという御指摘だと思います。事実、そのとおり販売が継続いたしました。これは私ども大変残念なことだと思っております。  といいますのは、一日も早く加熱製剤早期承認ということで、アメリカに続き承認されるべきだということで努力したわけでございます。しかしながら、その後、ストックホルムの学会、これは八三年の六月末でしたが、それから帰ってまいりましたいろいろな先生方、血友病のリーダーの人たちの声明も出されまして、非加熱製剤は今後も続けて提供するというようなことだとか、それからまた、私どもとしましては、血友病の患者さんが加熱が存在しない限りはある意味で非加熱に依存せざるを得ないということで、この濃縮製剤の大きな役割を否定するわけにはいかないということで、代替品が存在しない限りある意味ではメーカーとして販売を継続しなければいかぬ。  それからまた、どの病院も大体二、三メーカーの製品をお使いになるということで薬局で保管しているわけですが、私どものところの製品をたとえやめたとしても、他社の非加熱製剤が販売されるということで、一社だけの努力ではとても、私どもがたとえ非加熱製剤の販売をやめたということを行ったとしても、今のこれだけ大きな被害を食いとめるには至らなかったろうという意味におきましても、大変な悲劇であったというふうに思い、残念でございます。
  131. 横光克彦

    ○横光委員 終わります。
  132. 和田貞夫

    和田委員長 枝野幸男君。
  133. 枝野幸男

    ○枝野委員 さまざまな争点、いろいろとお話しをいただいているのですが、一つ確認をさせていただきたいのですが、加熱製剤について一変でいけるという感触を持っていた、それが途中で変わってしまった、これに対して会社としてどういう対応をされたのですか。
  134. 山本邦松

    山本参考人 先ほどからお話がありましたように、一変でいけるだろうという感触、そして示唆もあり、そしてまた申請書案の提出という要請もありまして、ずっと八三年の八月までは、一変でいけるだろうということで私ども進めてきたわけです。それが、八三年の九月、十月、そして十一月には、最終的に臨床までやらなければいかぬ、こういうことでございました。  そして、十一月の、臨床までやらなければいけないというこのことは、これは厚生省の正式な説明会におきまして、加熱製剤承認申請にかかわる説明会ということで行われまして、厚生省の正式な見解であるというふうに受けとめましたので、その時点で私どもは、もう臨床をせずにこの加熱製剤申請するということは不可能というふうに判断し、それ以降速やかに臨床、特に九月の時点では、フェーズIを行うのだという安部先生の強い御意向もありましたものですから。  我々としては、フェーズIはすべきでないと。非加熱製剤もフェーズIは行っておりません。したがいまして、加熱に関してなぜ改めてフェーズIをしなければいけないかということで、また、健常人に行うということでもございましたので、私どもは、大変それは危険であるということの認識の中で、フェーズIだけは食いとめなければならないということで、九月の時点ではそっちの方の努力に傾注いたしました。しかし、十一月以降からは、正式な厚生省のフェーズⅡからの臨床の準備に取りかからざるを得ませんでした。
  135. 枝野幸男

    ○枝野委員 別に責めるわけではないのですが、それまでの経緯の中で、一変で大丈夫そうだという感触をかなり担当の方から受けていたわけですね。しかも、少なくともそれでいこうと会社として思っていたわけですから、筋としても治験をやるよりも一変でいくべき性質のものだろうという認識をお持ちだったわけですね。  そうすると、仮に厚生省からそういった正式な決定だとしても、そして一応の方針が出ているわけですから治験治験でやるとしても、それと同時並行して厚生省に対して働きかけを続けるというのがむしろ普通ではないか。むしろ、何でそこの段階であきらめてしまったのか。それは、厚生省に盾突くといろいろと不便なことがあるからではないですか。
  136. 山本邦松

    山本参考人 多少、厚生省に対するそういう、今後の、何といいますか、取り扱いの上で盾突くことが不利になるだろうという思いも担当官の中ではあったかもしれません。ここで否定するものではございません。  しかしながら、安部先生を含めまして、臨床を厚生省として正式に展開していくのだという十一月の時点説明会以降は、これは安部先生の影響力を考えたならば、臨床なしで承認をとるなんということは基本的には不可能である。これまでもいろいろな話の中で、時間ばかりかかってしまうから社内としては臨床をそれではしたらどうか、もう一変なんということを考えずに臨床に入って、臨床を速やかに展開することによって、あるいはごたごたして時間ばかりかかる状況を回避できるかもしれないということも考え、それなりの先生にアプローチしたらいいのだろうということも案としては実際存在いたしました。しかしながら、どの血友病の先生方も、安部先生をリーダーに置かずに臨床は当時不可能でございました。  そういう中で、十一月の時点以降、臨床をせずに、それから、ほかの、全部で八社この説明会に行ったと思うのですが、血液製剤協会のメンバーと独自に、それからさらに厚生省に働きかけて、一変でいくべきだ、皆さんは一変でいいということで了解していたじゃないかということでの話をしても、もう逃げるばかりだということで、私どもとしてはそれ以降一切、一切というか、一変の話は何度もその後もいたしましたけれども、それ以降は臨床を速やかに行うということでの社内決定をいたしました。
  137. 枝野幸男

    ○枝野委員 今、大変注目すべき御発言をいただいたので、そのことについてお伺いしますが、要するに、この薬、この病気に関しては安部英の指導のもとでなければ治験が進まないだろう、承認は得られないだろう、こんなことが――トラベノールはほかにもいろいろな薬をやっていらっしゃいますよね。要するに、血液製剤以外の薬も国内でやっていらっしゃいますよね。こんなことというのは医学界では常識なんですか。要するに、一人のボスの意向で新しい薬の承認についても大きく左右される、その人の意向に逆らったら承認もらえそうもないような話というのは、この血友病の話の安部英が特別なんですか、それとも、こんなことが医学界一般にあるのですか、どちらなんですか。
  138. 山本邦松

    山本参考人 それぞれの分野でそれなりにリーダーということで目される先生方、それは、非常に権力志向の強い先生、それから逆に、非常にどの先生方もリーダーとして好かれて本当にリーダーの資格のあるような先生方、いろいろな先生方がございます。  しかし、多かれ少なかれ、やはりあの先生を中心に臨床は行っていくべきだというそれなりの、そしてまた特定な分野では、必ずしも一人だけでなくて、二人いたり三人いたりというようなこともございますが、血友病に関しては、八〇年代前半は、特に安部先生の御意向というのは、私どもがはかり知れないくらい強かったものが存在していたというふうに思います。
  139. 枝野幸男

    ○枝野委員 ありがとうございます。大変ありがたい御発言をいただいていると思っています。  さらに少し、ちょっと追及するようで恐縮なんですが、トラベノールとしては加熱製剤について一番先行して技術を持っているという客観状況であったと見ていいと思いますし、また、それについての安全性についてもかなり自信を持っていた。そして、どのタイミングからかは別として、いろいろ議論があるとしても、肝炎対策ということだけではなくて、エイズの防止のためにもこれが非常に意味がある、エイズはどんどん心配だ心配だという声が広まっている。  これは、トラベノール立場からすれば、まず企業倫理として、一日も早くみずからつくった加熱製剤が市場に出て危険な非加熱製剤から加熱製剤に切りかわるということが求められると同時に、企業利益という観点からしても、ミドリ十字みたいなばかでかいシェアを持っているところ、あそこは多分自分のところよりも技術がおくれているだろう、うちの加熱の技術が今進んでいるのだから、むしろこの加熱の技術を使った方がエイズの防止にはいいですよということを、世間に向かって余り危険をあおるようなことはともかくとして、学者や医者に対して、非加熱だと危ないかもしれないけれども、うちが今開発をして、少なくとも技術的には確立をしている、厚生省許可だけを待っているような状況の加熱製剤を使えばエイズの心配もないですよという一種のキャンペーン的なことをどんどんすればするほど、ミドリはおくれているわけですから、ミドリのシェアを食ってシェアを拡大できる。むしろ、どんどんそういった情報を外に対して出すべき、それは企業倫理という観点からだけじゃなくて企業利益という観点からも出すべきだったというふうに、少なくとも今から見れば思うわけですね。  なぜそういったことがなされなかったのか。これはやはり厚生省が怖かったのでしょうか。
  140. 山本邦松

    山本参考人 御記憶していただきたいと思うのですが、今話している八三年というのは、加熱製品承認される前の開発段階の話でございます。したがいまして、製品が一たび開発されて市場に出たならば、その製品の特徴を、先生方、患者の皆さん、そしてそれなりのPRをいい意味ですることは可能だったと思うのですが、私ども会社企業理念としては、開発前のものを、あたかもこれがあらゆる意味で、特にエイズに有効であるという形で宣伝することは企業の私どもの考え方にはそぐわないというふうに、私自身も思っておりましたし、会社としても思っておりました。  特に、アメリカで八三年の三月にこの加熱製剤承認があったわけですが、その後、たしか五月ぐらいに、あちらのFDAの担当の方、ブラントさんが、肝炎を目的にして開発されたこの製剤が願わくばエイズにとっても有効であるようにという期待声明を出しているのですね。私どもとしては、大変意識しました。これは覚えております。FDA担当官があれだけの期待声明を出すのだから、これをもっと利用して、今お話にあったような形であるいはPRしたらいいのじゃないかという話も一部存在いたしました。  しかしながら、果たしてエイズに有効かどうか、これは完全に証明されたわけでもないし、さらに一年を待たなきゃならない時期にあって、私どもとしては、その加熱製剤をあたかも万能のごとく、あるいはエイズに有効なごとく宣伝するという、そういう姿勢はその当時持ち合わせませんでした。
  141. 枝野幸男

    ○枝野委員 キャンペーンという言い方がよくなかったのかもしれませんが、ばんばんこれは間違いなくいいのですよと言うようなことはもちろんできない時期だったと思いますが、今おっしゃったような情報アメリカでの期待声明のような情報ですね、こういったものが、例えば患者さんや現場のお医者さんや、そういったところにはなかなか伝わっていなかったのは結果的な事実なわけですね。  もっとそういった情報トラベノールとしてこれはいいものをつくったのです、安全です、アメリカでは承認されているのだからどんどん日本で使いましょうよというキャンペーンはできなくても、アメリカで実際に加熱製剤承認をされているし、それについてエイズに有効かもしれないという期待の声明があるというような客観的な事実はどんどんむしろ流して意識を啓蒙することが自然であって、実際にミドリ十字は、自分のところで金を出したわけのわからぬ学会をスウェーデンか何かでやって、そこに研究班の医者を連れていっていろいろ見せているわけです、あれはある意味では情報をゆがめられているかもしれないけれども。正しい情報だったならば、客観的な情報であるならば、どんどんむしろ流すべきだったのじゃないですか。そういったことを申し上げているのです。いかがですか。
  142. 山本邦松

    山本参考人 そういう意味では、トラベノール社も、あるいはトラベノール社は、八二年の後半から、特にアメリカのCDC、それから血友病の団体NHF、そして医学雑誌ニューイングランドジャーナル、ランセット、そういうものに掲載されましたエイズ関連する、あるいは血液製剤関連する情報をまとめまして、私どもの方の社員が取捨選択するのでなく、外部の血友病の先生にお願いして、どういう記事を載せたならば病院の先生方に、そしてまた患者さん方にこれが参考になるのだろうかということをお諮りして、そして編集しましたものを八二年の後半から、これは病院関係の先生方を中心に提供をし始めております。それから、もちろん厚生省の担当の窓口にも同じようなコピーを提出しております。  したがいまして、私どもは、今先生が言われたような形での情報の提供というのはいち早く行っていたというふうに自負しております。
  143. 枝野幸男

    ○枝野委員 努力はされたのだろう、ゼロではなかったのだろうと思うのですね。ただ、どうもその努力が腰が引けていたのじゃないか。どうも先ほど来のお話を伺っていると、例えば安部英の意向と違うことをやったら後でいろいろなところでいじめられる、厚生省の意向と違うことをやったら後で厚生省にいじめられる、そういったところへの意識があって、そのことを責めているわけじゃないですよ、客観的な事実としてそういうことがあったのだとすればということをお伺いしているのですが、そういったことが、当時は、意識に出てくるのではなくて無意識のうちかもしれませんが、そういった意識があって、若干その情報の出し方というものが十分でなかったというふうな側面はありませんか。トラベノールが持っていた情報というのがちゃんと伝わっていれば、こういう結論には僕はなっていないと思うのですがね。
  144. 山本邦松

    山本参考人 お言葉ではございますが、トラベノール社の性格としては、私どもが信ずることを、役所であれ先生であれ、比較的アグレッシブに展開するということを歴史的にやってまいりました。私自身の性格からしても、厚生省担当官と机をたたいて議論したこともございます。  そういう意味では、かなり積極的に、むしろ日本会社よりは厚生省を恐れずに、私どもが正しいと、あるいは信ずるところはどんどんお話しに行く、それからまた、データの解釈等を通しまして議論するところは議論するという形でやっておりましたので、その結果が必ずしも反映されてこなかったであろうということで御批判いただくとしたら、あるいは御指摘いただくとしたら、今回はそのとおりだったかもしらぬけれども、私どもとして、アプローチの上で積極性が足らなかったというふうには、私、今の時点でも考えておりません。
  145. 枝野幸男

    ○枝野委員 ちょうど時間になりましたので終わりますが、トラベノール日本会社に比べて相当そういったことはしっかりされたということは私も思っておりますが、それでもこういう結果になったということは、どこかその周囲、特に周囲を中心に問題点があったのではないか、しっかりとした情報を握りつぶしていいかげんな情報が中心になるというようなことがどこかで行われていたのではないか、そこがどこなのかをはっきりさせなければならぬという趣旨でお尋ねをさせていただきました。また今後も、いろいろな情報があったらぜひきちんと提供するようなことを後輩の皆さんにもお伝えください。  ありがとうございました。
  146. 和田貞夫

    和田委員長 岩佐恵美さん。
  147. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 アメリカの本社では、八三年の三月に加熱製剤アメリカで受理をされているわけですけれどもアメリカで、その市場に出荷をされた製品で何かトラブルがあったというようなことはあったのでしょうか。
  148. 山本邦松

    山本参考人 それは血液製剤ということでございますか。(岩佐委員加熱製剤」と呼ぶ)加熱製剤に関しては、私ども製品に関しては、その後、リコールがあったということは聞いておりません。  ただし、加熱製剤も、皆さん御存じのことだと思いますが、あらゆる意味で、ウイルスから自由になっているとか、ウィルスフリーではございません。現に、ことしに入ってもアメリカにおいて肝炎Aの感染がございまして、これは別の会社でございましたが、FDAで取りざたして大きな問題になっております。  それから、未知のウイルスに対する対応ができておりません。  それから、今盛んに問題になっておりますスローウイルス感染症というのがございまして、この感染源もわからずに、これが血液製剤を伝播して感染する可能性FDAは大変心配しておりまして、加熱製剤が一〇〇%安全であるという状態は現時点で抜け出しておりません。
  149. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 私の聞き方がまずかったのでしょう。  アメリカで、日本で言う一変扱いで加熱製剤承認をされたわけですね。そういう承認のされ方をした加熱製剤が、日本で、その後いろいろ臨床試験までやらなければいけないというところまで議論されるわけですけれども、当時、そういう意味でのトラブルが何かアメリカであったのかどうか、そういう意味で伺ったわけです。当時、恐らくなかったということだと思いますけれども、改めてお願いします。
  150. 山本邦松

    山本参考人 そういう意味では、一部変更承認されましたが、問題になるようなリコールというのはございませんでした。
  151. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 一変という方針になった場合、当時、日本では血液製剤メーカーの間で開発に差がありました。ですから、競争に負ける企業が出るのじゃないかということが心配をされていたし、また、八三年七月四日の厚生省の内部メモというのがありますけれども、そこでも、もし加熱製剤にかえた場合、国内メーカーへの打撃というのが議論されているわけですけれども参考人はこの点について、もし一変トラベノール加熱製剤承認されるということになったら他の国内メーカーに影響が出ると考えておられたのかどうか、どの程度の影響が出ると考えておられたのか、その辺について伺いたいと思います。
  152. 山本邦松

    山本参考人 他のメーカーに対して、特に後発メーカーに対して影響が出るであろうということは、これは推察するのにそれほど難しいことではございません。  医薬品の研究開発、そしてまた申請ということでは、一日も早く承認を得て、そして市場に出し、願わくは医療において貢献する、そして患者の皆さんに大いに役立ってほしいというところでございます。また、一刻も早く市場に出ることによって特に新製品の場合は他社に対して競争上の優位性が出るということで、当時、八二、三年の場合、トラベノール社血液製剤におけるマーケットシェアは多分一六、七%だったと思います。これが、私どもだけの製品早期承認を得て、他社がおくれるということになれば、私どもの方のマーケットシェア増加につながるだろうということは十分に推測されました。
  153. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 先ほどから議論があるところですけれども、八二年末から八三年の初めにかけて、厚生省ももちろんですが、学者の皆さんにもいろいろ資料を、血液製剤によるエイズ感染に関する資料をお渡ししたということですけれども、これは裁判所に出された「トラベノール文献配布先一覧表」というものなんですけれども、ちょっとこれを見ていただいて、この点、間違いがないかどうか。ちょっと確認をしていただきたいと思うのですが、委員長、いいですか。
  154. 山本邦松

    山本参考人 間違いございません。
  155. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 それで、そこに帝京大の安部氏や木下氏、それから風間氏などにも資料は渡っているわけですね。それから、エイズ研究班に入っておられる先生方にも結構渡っているわけですけれども、この方々からどういう意見が出され、どんな反応があったのか、御記憶の限り、簡単でいいのですけれども、おっしゃっていただきたいと思います。
  156. 山本邦松

    山本参考人 私自身、直接、先生方のコメントなり質問、その他反応をお聞きするような立場にございませんでしたが、資料の配布が大変喜ばれたというのは確かでございます。それは山口というのが担当して、資料を準備したり配布したり手続したのですが、これは厚生省においても、担当の人からは、非常に有益だというようなコメントをいただきました。それが一番大きいコメントだったと思います。  それで、個別の、記事の特別なものに対するコメントもあちこちの先生からそれなりに入ったと思いますが、現時点で、それがどんなものであったのか、私自身、今申し上げるベースを持ち合わせておりません。
  157. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 先ほどおっしゃられた治験の問題なんですが、八三年十一月の厚生省説明の後、十二月十三日に安部氏が製薬八社との合同会議で共同治験を提案したわけですけれども、通常、共同治験というのはよくあるのかどうか、どういう場合に行われるのか、その辺について伺いたいのと、もう一つは、メーカーでない安部氏がなぜ提案したとお考えか、そして、トラベノールとしてそのことについてどう感じられたのか、その辺、伺いたいと思います。
  158. 山本邦松

    山本参考人 加熱製剤に関するその辺の、八三年の十一月以降の、あるいは九月ぐらいからの進展というのは大変複雑でございまして、今先生のお話で、共同開発というお言葉を使いましたか、共同治験ですか、実際はそうでなかったのです。  共同という意味でございますけれども、非加熱製剤も、共同で申請し、共同で承認を得るという、ある特定な時点、メーカー何社かが同時に申請をいただいております。ですから、申請の日にちは同じなんです。  加熱製剤に関しては、共同で行うという話を安部先生は持ち出して、しかし、聞くところによりますと、財団とのことがございまして、安部先生は、そんな共同臨床治験を自分はやらないよということを厚生省に、どういう形で話したか知りませんが、それで、ああだこうだ、すったもんだして、最終的には共同のような形でやろうというお話を承知されたようでございます。  それで、十一月ぐらいになって、皆さん一緒に、メーカー八社ですか、一緒にやろうということで、血液製剤協会を通していろいろなアレンジがなされたわけです。あくまでもプロトコール自体は各社が自分のプロトコールで行っていく。それから、患者の取り合いにならないようにというような注意もございました。そして申請は、治験を行っていって、そして完了して、準備ができたところから申請を各自行っていく、ただし承認は同時点、こういうアレンジになっておりました。  ですから、共同申請ということで今は理解されていますが、多少、共同申請という中で個別の準備だとか個別の申請だとか個別のプロトコールだと、そういうものが実態でございます。
  159. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 ストックホルムで開かれたWFHの会議のことですけれども、これは日本トラベノールとして参加をされたのかどうか。それから、総会の決議自体が、非加熱製剤を使い続ける、そういうことになったわけですけれども、これを受けてトラベノールとしてどういうふうに感じられたか。その点について伺いたいと思います。
  160. 山本邦松

    山本参考人 トラベノール社からは、あの学会へは二人か三人ぐらいの血液製剤の部署の人間が参加いたしております。  それから、その決議として、その後も当分の間非加熱製剤を続けて使おうという決議といいますか方針が出されたわけですが、それに関しては、当時、八三年の六月の時点では、これはやむを得ない措置だなというふうに私自身感じました。  特に、日本においては全然加熱の見通しさえもできていない。私ども感触としては、厚生省とのやりとりの中で、もう早期承認へ向けて進めていくという努力はしていた最中でございますが、承認がいつになるかというのは皆目わからない状況でございましたので、そういう中で非加熱を続行していかざるを得ないのは、これはやむを得ない進め方だなというふうに感じました。
  161. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 時間が来ているのですが、もう一点だけ、ちょっと先ほどやりとりで気になっているところをお聞かせいただきたいのです。  生物製剤課を超えた判断厚生省を超えて大きな力が動いたというそのくだりなんですけれども、安部氏も含めてというふうに先ほど言われました。これはどうして安部氏も含めてということになるのか、その点、ちょっと伺いたいと思います。
  162. 山本邦松

    山本参考人 先ほどお話ししましたように、一九六〇年代から安部先生は、血友病の分野で大変なリーダーで、また、世界的にもこの分野では第一人者ということで評価を受けていた方でございます。それから、血友病の薬の自己注射、こういう点でも大変な先導的な役割をされたし、そういう意味では大きな貢献もあったし、また実力もあったし、権威もあったし、日本において、彼を差しのいて、何か物事を血友病の分野に関して進めていくということで彼にある意味で対抗できる、ある意味で彼をのけて物事を進めていくということができる方は、学会においてはいなかったのではないかというふうに思います。  そういう意味で、彼抜きで血友病の治療にかかわるところのいろいろな施策、方針、そして研究開発、こういうものが日本においては極めて難しかった時代でございます。
  163. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 終わります。
  164. 和田貞夫

    和田委員長 土肥隆一君。
  165. 土肥隆一

    ○土肥委員 最後でございます。  トラベノール社加熱製剤を開発なさったという、非加熱はあったわけですが、加熱製剤を開発なさったというのは、最大の目的は何でございましょうか。何の効能が一番期待されて加熱製剤を開発なさったのでしょうか。
  166. 山本邦松

    山本参考人 先ほどちょっと触れましたように、加熱製剤の開発は一九七〇年代の後半から行ってまいりました。そのときの開発の目的は、肝炎対策です。特に肝炎Bでございます。その当時、エイズというようなものは一切まだ言葉もできていないくらいの時代でございましたし、エイズの知見は一切ございませんでした。そういう中で、もう明確に、その当時、これは私も多少なりとも関与いたしましたが、加熱製剤の開発目標は、あくまでも肝炎、特にB。そのころまだノンAノンB、今の肝炎のC型はまだ固定されておらずに、C型対策でもなかったのです。そういう意味では、肝炎Bを対象とした開発でございました。
  167. 土肥隆一

    ○土肥委員 その加熱製剤の製造方法というのは、技術というのは、比較的容易にできるのか、あるいは、当時の、八〇年代の技術からいってトラベノール社が卓越した技術力を要求されたのか、その辺はどうでしょうか。
  168. 山本邦松

    山本参考人 私、現在、遺伝子工学の方の仕事をしていますが、それに比べたならば、この加熱製剤の開発というのはこれまでの非加熱の開発の延長線上にあったということが言えると思うのです。非常に大きな技術的なブレークスルーを、あるいは言ってみればノーベル賞級の科学的な知識、経験を必要とするということではなかったと思います。
  169. 土肥隆一

    ○土肥委員 素人ですからその辺の微妙な差はわかりませんけれども、それでは、加熱製剤一変で売り込んで、製造して市場に出せば、容易に他の七社なり八社なりが追いついてくるということは、もう簡単に考えて考えられるものでしょうか。
  170. 山本邦松

    山本参考人 多分、一年、二年の差でもって他社メーカーも追随をしてくるだろうという想像はできました。
  171. 土肥隆一

    ○土肥委員 郡司さんにトラベノール社の何人かが会いまして、スライドか何かつくって加熱製剤説明をした。そのときに、何か添加物がどうだというような話にもなるわけですが、そのときに参考人はおいでになったのですか。
  172. 山本邦松

    山本参考人 六月二十一日の、たしか日にちはそのとおりだと思うのですが、アメリカからトラベノールの副社長それからまた技術の人間を含めて生物製剤課とミーティングした際には、私も同席いたしました。そのときは、スライドというよりもオーバーヘッドのプロジェクターを使って、アメリカの現状といいますか、そういうものを御説明いたしました。
  173. 土肥隆一

    ○土肥委員 そのときに、郡司さんを初めとする生物製剤課の厚生省の職員は、極めて興味深いふうに見たのか、その説明を受けたのか、あるいは、もう全く取るに足らないようなふうに感想を持ったのか、その辺の雰囲気はどうですか。
  174. 山本邦松

    山本参考人 私も同席した関係でこのミーティングはよく覚えていますが、特色としては、極めて珍しいミーティングだと思うのです、こういう厚生省からの要請を受けて説明会を行うというのは。  したがいまして、ミーティングが始まりまして間もなくの間、十分か十五分ぐらい、最初のころは、郡司さんは、席を外したり、また戻ってきたり席を外したりということを何回か繰り返されて、それでよく覚えているのですが、そういう中で、平林課長補佐あるいはそのほかの担当の方もおりましたけれどもミーティングを続けまして、正直言って、彼らの反応を、非常にエキサイトした、もう本当にこれだけのデータをよく提供してくれましたねという印象は全くございませんでした。と同時に、逆に、何だこんなミーティング、時間の浪費だったということでもなかったようでございます。
  175. 土肥隆一

    ○土肥委員 ところが、エイズ研究班をつくるときに、郡司課長は、今や血液製剤が危ないという認識を非常に強く持っていて、彼のデータを見ますとずっと勉強しているのですね。そして、いよいよエイズ研究班を設定するときに、明らかに加熱あるいはクリオということを口頭に出しまして、早く変換したいということを言っているのですが、どうもその辺のギャップは私、理解できないのですが、どうでしょうか。
  176. 山本邦松

    山本参考人 私もその辺は理解に苦しむところでございますが、やはり役人というのはえてして余りメーカーサイドに自分の気持ちを率直に伝えるというようなことはむしろしない方ではないかという解釈をしまして、私自身理解している次第でございます。
  177. 土肥隆一

    ○土肥委員 なぜ、加熱あるいはクリオということを言いながら、郡司さんが第二回目のエイズ研究班から後退していく。あるいは、エイズ研究班安部先生も揺れていくわけですね。あるときには帝京大症例を出しながら、あるときにはそれを引っ込める。そして、二年たってしまってこれだけの結果が出てしまうということなんですが、エイズというものを明確に認識しなくても、かなり危険だという認識トラベノールにはあったのですね。
  178. 山本邦松

    山本参考人 エイズ研究班ミーティングの中身というのは、ほとんど外部に知らされるところはございませんでした。したがいまして、これは我々にはわからなかったわけです。  トラベノールとしては、採血所をアメリカに持っております。採血からやっております。血漿を一万数千人のドナーの方から集めて、それをタンクに入れて分画精製して、これは第Ⅷ因子、第Ⅸ因子、いろいろな血液製剤をつくるわけでございます。  したがいまして、八二年の後半、七月くらいからですか、血友病の患者さんがエイズに罹患したという報告がCDCからなされて、三名の方なんですね、それをもって、ごれはもしかすると、まだはっきりはしないけれどもエイズとの関連血液製剤にある可能性があるかもしらぬということも考えまして、八三年の一月くらいから、アメリカの方では、献血あるいは供血する方々に対して問診ということでのスクリーニングをいたしました。これは、あなたはどこに今住んでいらっしゃいますか、それで、住んでいる場所によってはその血液を打ちとめる、それからドナーの方の健康状態までやりまして、最終的には、ハイリスクの地域は全部採血所を閉鎖いたしました。そういう措置に八三年の初めから入っております。
  179. 土肥隆一

    ○土肥委員 最後に、ですから、トラベノール社はそれを知って、プリコーションまでかけて回収までしたという緊迫感があるわけですけれども厚生省の側に、そういう何かわけのわからない、印象の浅い説明会であったとよくおっしゃるけれども、皆さんの持っているそういうアメリカの経験というものは、厚生省の側ではそれをきちっと受けとめるような素地はなかったのですか。生物製剤課にはそういう素地はなかったのですか。そういうふうに判断していいのでしょうか。
  180. 山本邦松

    山本参考人 素地があったかどうかというのは、これは認識の問題ですので、明確に私の口からはお答えできませんが、八三年の初めのあたりは、少なくとも外部に対してはそれほど熱心でなかった、あるいは一部の担当の方には、対岸のもの、アメリカサイドの話だというようなところも一部見受けられたのじゃないかと思います。  したがいまして、全体的には、八三年を境にして変わったと思いますが、八三年当初においては、まだ関心の度合いはちょっと低かったのではないかと私どもは推察いたしております。
  181. 土肥隆一

    ○土肥委員 終わります。
  182. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもちまして山本参考人に対する質疑は終了いたしました。  山本参考人には、御多用中のところ、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  次回は、明五日水曜日午前九時二十分理事会、午前九時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時十三分散会