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1996-04-19 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年四月十九日(金曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 和田 貞夫君    理事 衛藤 晟一君 理事 木村 義雄君    理事 鈴木 俊一君 理事 青山 二三君    理事 石田 祝稔君 理事 柳田  稔君    理事 五島 正規君 理事 横光 克彦君    理事 荒井  聰君       伊吹 文明君    稲垣 実男君       狩野  勝君    熊代 昭彦君       近藤 鉄雄君    田中眞紀子君       高橋 辰夫君    竹内 黎一君       戸井田三郎君    長勢 甚遠君       根本  匠君    堀之内久男君       持永 和見君    保岡 興治君       山下 徳夫君    赤松 正雄君       岩浅 嘉仁君    上田 清司君       大野由利子君    長内 順一君       鴨下 一郎君    北村 直人君       坂口  力君    高市 早苗君       福島  豊君    桝屋 敬悟君       山本 孝史君    田邊  誠君       森井 忠良君    枝野 幸男君       岩佐 恵美君    土肥 隆一君  出席政府委員         厚生大臣官房長 山口 剛彦君  委員外出席者         参  考  人         (元厚生省薬務         局生物製剤課         長)      郡司 篤晃君         参  考  人         (元厚生省後天         性免疫不全症候         群の実態把握に         関する研究主任         研究者)    安部  英君         厚生委員会調査         室長      市川  喬君     ――――――――――――― 委員の異動 四月十九日  辞任         補欠選任   赤松 正雄君     坂口  力君   粟屋 敏信君     岩浅 嘉仁君   北村 直人君     上田 清司君   久保 哲司君     長内 順一君 同日  辞任         補欠選任   岩浅 嘉仁君     粟屋 敏信君   上田 清司君     北村 直人君   長内 順一君     久保 哲司君   坂口  力君     赤松 正雄君 同日  理事五島正規君同日理事辞任につき、その補欠  として横光克彦君が理事に当選した。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  理事辞任及び補欠選任  厚生関係基本施策に関する件(エイズ問題)      ――――◇―――――
  2. 和田貞夫

    和田委員長 これより会議を開きます。  この際、申し上げます。  本日は、委員室での喫煙は御遠慮願いたいと存じます。  また、報道関係者方々にお願いいたします。傍聴人の撮影は御遠慮願いたいと存じます。  なお、傍聴人に申し上げます。御静粛に傍聴されるようお願いいたします。  以上、御協力をお願いいたしたいと思います。
  3. 和田貞夫

    和田委員長 厚生関係基本施策に関する件、特にエイズ問題について調査を進めます。  本日は、参考人として、午前、元厚生省薬務局生物製剤課長郡司篤晃君、午後、元厚生省後天性免疫不全症候群実態把握に関する研究主任研究者安部英君、以上両名の方々に御出席を願っております。  郡司参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。  議事の進め方といたしましては、初めに委員会を代表いたしまして委員長から総括的にお尋ねし、次いで委員質疑お答えをいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  まず、委員長から郡司参考人お尋ねいたします。  参考人は、一九八二年八月から一九八四年七月まで厚生省薬務局生物製剤課長を務められ、血液製剤によるエイズ感染が問題化してきた時期に血液製剤に関する行政を担当されました。  そこでお尋ねいたします。  当時、米国において血液製剤エイズ感染の関連について種々の情報が発表されましたが、米国からの原料製品に依存していた我が国での非加熱製剤によるエイズ感染危険性についてどのように認識を持たれましたか。また、これに関連して、一九八三年六月に後天性免疫不全症候群実態把握に関する研究班、いわゆるエイズ研究班を設置された経緯、同研究班目的及び検討テーマについてお伺いいたします。
  4. 郡司篤晃

    郡司参考人 まず最初に、血友病皆さんエイズ感染してしまわれた方々、また既にお亡くなりになっておられます方々には、本当に無念で悲しく、また心から怒りを覚えていらっしゃることと思います。  私は、当時の行政担当者として最大限努力はしたつもりでありますが、結果的にはこのように大規模な感染という事態を避けることができなかったことを心から悲しく、残念に思っております。今回、判決を待たずに和解という解決によりまして、一日でも早く、治療体制確立等残された課題解決が行われますことを心から期待したいと思います。  本日は、立法府におきまして、真実の姿を究明し、将来このようなことが起こらないように対策を御検討される、そのことのためにお呼びいただきましたので、お尋ねのことにつきましては包み隠さずすべてお話をする覚悟で参りましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。  さて、お尋ねの件でありますが、まずエイズ危険性を私が最初に認識いたしましたのは、一九八二年の暮れか八三年の初め、私の先輩でありました、そして職場を同じくしておりました輸血学の大家である村上省三先生から文献を送っていただきました。私の記憶では、その文献には、当時アメリカで数百人のエイズ患者が発生し、そしてその中に一%程度血友病患者さんが含まれているというものでありました。  一%という数字は明らかにアメリカにおける母集団の数字よりも多いわけでありまして、また流行の形態などを考えますと、これは明らかに感染症ではないかということが疑われたわけであります。しかも、病原体が不明であるということから、これはウイルス感染症である可能性が考えられました。しかも、はしかやインフルエンザのように急に広がるものではない。そして当時は、男性同性愛者からその奥様に対する感染もまだ報告されておりませんでしたので、これは血液が行き来するような交わりをしない限り感染しない、感染力の弱いウイルスではないかということが疑われたわけであります。しかし、血友病患者さんがその中に含まれていたということは、非加熱製剤危険性を疑わなければならない状況だったと思います。  そして、当時日本は、血友病患者さんの使われていた非加熱製剤の九〇%以上がアメリカ原料あるいは製品として輸入されたものであります。したがって、日本患者さんはアメリカ血友病患者さんと同程度のリスクにさらされるというふうに私は直観したわけであります。そこで、八三年の初め、その問題に取り組もうと決心したのだと思います。  通常は、行政におきましては予算がなければ仕事はできませんが、幸い私の課には、血液研究事業費といういわゆる枠取り予算、つまり、内容はその年によって決めるという予算がありました。その予算趣旨は科学的な血液事業を推進するということでありましたので、私は、その研究費を使いましてその問題に取り組む決心をしたわけであります。そして、かなり早い時期に、つまり予算作業が年の暮れに終わった後すぐ、その問題に取り組んで、大蔵省執行計画を持ち込みます。そして、大蔵省もそれを許可していただきましたので、六月半ばにその研究班が設置できたわけであります。  研究班設置目的は、当然のことながら、エイズ流行という危険に直面して日本血友病患者さんの治療をどうするか、つまり、危険をどう評価し、どのように治療方法を考えるかということでありました。  以上、経緯目的検討テーマ等につきましてお答えいたしました。
  5. 和田貞夫

    和田委員長 次に、加熱製剤緊急輸入クリオ製剤への切りかえ、原料血液国内自給などの対策について、厚生省としてどのような検討を行い、どのような結論に達したのか、簡潔に御説明願いたいと思います。
  6. 郡司篤晃

    郡司参考人 まず、血液自給体制確立てありますが、このエイズの問題の基本的な原因は、私は、次のようなところにあると考えました。  つまり、世界じゅうにおきましては、血液人体の一部であるからそれは売り買いしてはならないということがコンセンサスでありました。しかし、そのコンセンサスに従わない国が一カ国ありました。それはアメリカであります。アメリカは、赤十字社が独占的に血液事業を行おうとしたときに、それを独占禁止法違反であるとしてしまいます。その結果、アメリカにおきましては、私企業血液事業をやることになるわけであります。  その私企業が業界を形成し、その名前はAABB、アメリカン・アソシエーション・オブ・ブラッド・バンクスといいますが、その会のパンフレットに次のようなことが書いてあったのを記憶しております。世界じゅうには、血液人体の一部だから売り買いするなという意見を持っている者が多い、それは私たちはよく知っている、しかし自分たちは幸い輸出国だ、しかも、過去二十年の血液製剤に関する新規技術開発はすべて私企業によって行われてきた、こういうことが書いてあったわけであります。そして、それは事実であります。  一方、日本におきましては、建前はいわばヨーロッパ型であります。血液赤十字社によって独占的に集められておりましたが、それから濃縮製剤も含めまして分画製剤などをつくる技術がありませんでした。一方、企業は、技術はありました。しかし、原料がありませんでした。そして赤十字社は、その当時、私企業血液を渡すということは、大変ジャーナリズムの厳しい批判もありまして、やっておりませんでした。  したがいまして、赤血球その他、いわゆる生ものの段階では世界では余り流通できませんでしたが、分画製剤になりますと途端に世界で流通することになりました。そして、その技術アメリカから大量に輸入されたということであります。たまたまそこに同性愛という習慣アメリカ流行し、その習慣が、恐らく、アフリカの一地方地方病であったエイズビールスを急速に増幅した、そしてそれが混入して、残念ながらそれが日本に輸入されてしまったということだと思います、  したがって、自給体制確立、これは緊急の課題でありました。後でお尋ねがあれば詳しく申し上げますが、私は、基本的に、入るをはかり出るを制するという対策をとったわけであります。  緊急輸入につきましては、当時対象になりましたのはトラベノール社製品でありました。これは乾燥加熱という、そういう技術でつくられたものでありますが、それは大変魅力がありました。  それは、加熱製剤でありますと、通常加熱することによって活性が三分の一になる、だから使用量は三倍にふえなければならないということであります。当時日本は、世界血液資源の三分の一をたった一カ国で消費しているという状況でありました。ところが、トラベノール社製品は二五%ぐらいしか活性は落ちませんという売り込みでありました。値段も同じで結構ですということでありましたので、我々は大変興味を持って、直接その担当者から話を伺いました。  しかし、その製剤は、私の印象では必ずしも十分ではありませんでした。しかも、何かをまぜて加熱するので活性が落ちないのだという説明を受けましたが、それは何をまぜるのですかと聞きますと、それは企業秘密だから言えませんということでありましたので、私はその時点で、これは治験が必要だというふうに確信をしたわけであります。  したがいまして、緊急輸入ということを私が発言をしたということがいろいろな委員の口から報告されていることは知っておりますが、私は、それは極めて私の気持ちとしては考えにくいことであります。  また、クリオ製剤につきましては、私は緊急のテーマとして検討していただきたいと思っていたテーマであります。  お手元に、年表を整理してきましたので、これを見ていただきたいのでありますが、一九八二年の十二月に、アメリカのナショナル・ヘモフィリア・ファウンデーションのヘモフィリア・ニュース・ノートに次のようなリコメンデーションが載るわけであります。つまり、エイズの危険に直面して、幼児、新鮮例軽症者にはクリオを使った方がいいのではないか、つまりリコメンドするということが出てまいります。  それから、一九八三年の一月に、ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスンというアメリカの東部の大変権威のある雑誌に、二つ論文一つ意見が発表されるわけであります。私はこれを読んだらしいのであります。  それは、二つ論文は、概略申し上げますと、簡単に申し上げますと、要するに、濃縮製剤を使っている患者では細胞性免疫が落ちているけれどもクリオを使っている患者では落ちていないという報告でありました。そして、その後ろに一つ意見が付されておりました。それは、今アメリカエイズの危険に直面して、血友病患者濃縮製剤による自己注射はやめるべきではないかという意見でありました。  私は、もしこれが本当なら、これは日本にも先ほど申し上げましたような事情で当てはまるわけでありますので、何としてもこのことを専門家に相談したかったのであります。日本専門家意見は、必ずしも強制的に、つまり治療指針のような形で戻ることはしないという結論でありました。  以上、お尋ねのことにつきまして、簡潔にと申されましたので少し飛ばしましたが、お答えにさせていただきます。
  7. 和田貞夫

    和田委員長 それでは、ちょっとおかけください。  薬事法においては、医薬品安全性確保が重要な目的として規定され、病原物質による汚染のおそれのある危険な医薬品製造販売禁止危険防止のための販売の一時停止などが決められております。非加熱製剤についての当時の判断と対策は、このような薬事法趣旨に照らして十分であったと思われますか。  また、あなたは冒頭に現在の心境を吐露されたわけでございますが、今日、非加熱製剤使用による多大な被害の発生の事実を前にして、もう一度、参考人の現在の心境をお聞かせ願いたいと思います。
  8. 郡司篤晃

    郡司参考人 対策が十分であったかというお尋ね、大変厳しい御質問であります。なぜならば、結果としてこのように多くの感染者を発生させてしまったからであります。  しかし、当時、エイズに関することは、感染症らしいということがわかっていただけで、ほとんど何もわかっておりませんでした。. .  一九八三年に入りますと、アメリカギャロたち、これはNIHの研究者でありますが、そして最後にエイズウイルスを固定する人でありますが、その人たちが、エイズ原因HTLVのI型ではないかという、そういう論文を発表いたします。しかし、そのグループの中にも、いや、そのウイルス自身日和見感染の結果ではないかという意見もありました。また、フランスの学者は、いや、HTLVのI型とは違うのではないかという意見も出しております。それが確定するのは八四年の、そこの年表にもありますように、五月であります。そのときに、同時に検査方法開発も行われまして、こうやればできますということも公表されたわけであります。  したがいまして、その間、本態が何であるか、また、それがウイルス感染ウイルス症だ、ウイルスだとしてもそれがどの程度感染力があるのか、感染するとしてもどの程度発症するのか、どの程度の潜伐期間があるのか、そういうことが一切わかっておりませんでした。  当時、非加熱濃縮製剤は、よくわかっていたB型肝炎も予防できませんでした。その他の肝炎も予防できませんでした。したがって、原因不明のエイズも予防できなかったのであります。  なおかつ、キノホルムやサリドマイドのように、そのほかの薬の選択があれば避けることができたかもしれませんが、この濃縮製剤は、その当時はクリオ製剤からの極めて大きな進歩であり、便益をもたらしたのであります。したがって、専門家も、世界じゅう患者さんも、エイズの危険に直面しながらこの製剤を使い続けるという決断をするわけであります。  厚生省も、血液事業立場から、その危険は強く認識しておりましたけれども、我々は専門ではありませんので、血友病治療している方々のその濃縮製剤に対する評価をよくわかりませんでした。委員会の中でそのことを教えられたというわけであります。  しかし、結果的には、このような多くの感染を起こしてしまったわけであります。まことにこのことは残念でなりません。本当は、残念と言うだけではなくて、もう言葉がないというのが私の実感であります。
  9. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもちまして、私からお尋ねすることは終わりました。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。衛藤晟一君。
  10. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 それでは、郡司参考人お尋ねいたしたいと思いますが、本日わざわざお越しいただきまして、ありがとうございます。  我々は、ぜひ真実を知りたいというぐあいに思っています。特に郡司参考人は、一九八二年八月から八四年七月までちょうど二カ年間、最も大事な時期に生物製剤課長として血液行政を担当し、そして最も行政を知る立場にあったというぐあいに思います。  昨年十月六日に出されました裁判所所見には、和解についての解決の中でこういうぐあいに書かれています。  被告国としても、法的責任の存否の争いを超えて、広く社会的・人道的見地に立って、被告製薬会社と共同して被害早期、円満かつ適切な救済を図るとともに、エイズに対する研究をさらに進めて、これを根治できる治療薬早期開発及び治療体制整備拡充に向けて衆知を結集し、さらに、本件のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることがないよう最善の努力を重ねることをあらためて誓約することこそが強く要請されるというべきであり、かくすることこそが広く国民の支持と共感を得るゆえんであると確信するところである。 というぐあいに書かれておりまして、まさに裁判所の言われるとおりだというぐあいに思います。  そういう意味で、私どもは、真相究明を通じて何とかやはり再発防止に結びつけなければいけないというぐあいに思っております。そのためにも、ぜひ知り得ていることすべてお話をいただきたいと切望する次第でございます。  五千人の血友病患者方々の中から千八百人の方々に、約二千人に近い方々感染されて、既に四百人に近い方々がお亡くなりになったというぐあいに聞き及んでおります。今からまたさらに千四百人に及ぶ方々が死と直面しながら生きていかなければいけない。まさに、我々が今まで直面したことのない極めて厳しい現実であり、悲惨な状況でございます。  草伏村生さんは、三月十九日の新聞のインタビューにこう答えています。   血友病ならもう一度やってもいい。  確かに出血は耐えがたい痛みを伴います。でも、それは肉体的な痛みで、精神的な痛みではありません。何とかしのげば元に戻るんです。出血がない時の私は、元気に遊び回る普通の子どもでした。  しかし、HIVは、決して元には戻りません。一方的に衰弱が進んで、死んでしまうんです。HIVは一度でこりごりです……。 というぐあいに彼は言っています。  そういう状況でございまして、この重篤性ということを私どもも知るにつけて、極めてこの厳しい現実の前に何とかしなければいけないというぐあいに考えているところでございます。恐らく、参考人の先ほどのお言葉の中でもございましたが、そういうお気持ちだろうというぐあいに思います。この現実について今どう思われているのか、お伺いをしたいと思います。
  11. 郡司篤晃

    郡司参考人 先ほど冒頭にも申し上げましたように、大変私としては、そのような結果になってしまったということの重大さに対しまして、言葉がないのであります。また、その草伏さんまた多くの人の手記などの本も私はよく読んでおります。まことに言葉がないというのが実感であります。
  12. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 私もいろいろ資料を調べてまいりまして、実は、安部さんやあるいは郡司参考人は非常に早い時期にこのエイズのことを知られていたという感じがいたします。  一九八三年八月、安部先生が講演をされております。八月十四日午後、全国ヘモフィリア友の会の第十七回拡大理事会において講演されていまして、その要旨が残っています。   加熱によりウイルスを不活化した血液製剤も、今の薬とあまり変わらない値段で発売できるだろう。患者さんたちは、できるだけ運動をし、タンパク質とカロリーを充分に取っていてほしい。しかし、アメリカから血液を輸入するから、このような問題が起きるのである。早く日本国内で全ての血液が自給できるようにせねばいけない。 というようなことを安部先生も当時言っておられます。  また、全国ヘモフィリア友の会皆さんが八三年の九月に厚生省に申し入れています。「厚生省加熱処理製剤早期使用の実現を要望したが、厚生省の動きは相変わらず鈍かった。」というぐあいにこの本には書かれております。  そして、そのときに、同じく本の中にあなたの振り返った言葉がございます。  先輩血液学者資料提供などで、かなり早くから血液製剤によるエイズ感染の危険を感じていた。それを防ぐには、アメリカからの血液全面輸入禁止しかないと思い、八三年六月に、厚生省エイズ研究班の小委員会血友病製剤検討委員会に諮問した。委員会は「アメリカからの血液輸入をストップすれば、濃縮製剤による治療が後退する」と反対だった。専門医の協力がなければ無理だと思い、断念した。あのとき輸入中止にしていれば、血友病患者エイズ感染被害がもっと少なくてすんだことは否定できない。最終的に決断したのは行政側で、私は委員会責任を転嫁するつもりはない というお言葉もございます。  そういう意味では、特に郡司参考人は、先ほどお話ございましたように、相当早い時期からこれだけのことを知っておられた。  しかし、いろいろ調べてみますと、あなたの個人的な情報だとかいろいろのルートから、それがやはりなかなか行政としての対応になっていなかったという感じがするのですね。  このことについても、ちょっと話が戻るようになりますが、裁判所はこういうぐあいに言っております。  厚生大臣は、医薬品安全性確保について与えられた権限最大限に行使して、病原微生物により汚染され、若しくは汚染されているおそれがある医薬品製造販売されることがないよう措置したり、医薬品の副作用や不良医薬品から国民の生命、健康を守るべき責務があるというべきである。 これは東京でございます。大阪の地裁は、  薬事法の改正により医薬品安全性確保に関する厚生大臣権限が拡大強化されて、被告国厚生大臣)が負うべき医薬品安全確保責任はより明確になったということができる。 というぐあいになっておるわけでございまして、実は私どもも、私も自由民主党の社会部会長として、やはりそれまでの対応は甘かったというぐあいに思いました。そして、この十月六日の両地裁所見を読みまして、これは本当に徹底的にやらなければいけないなと思って、今やらせていただいているところでございます。  こういうことを考えますと、あなたは本当に一生懸命やられたと思うのですが、一人で背負い過ぎたのではないのかという気がするのですね。あなたの持っていた情報が何でもっと行政全般にちゃんと広がって、そして組織的に取り組めるようにならなかったのだろうかという思いが正直言って私にはします。恐らくあなたは、先ほどお話がありましたように、一番最初の段階においては、何とかしなければという思いで取り組んできた様子がいろいろなところから出てきます。しかし、それが何ゆえにこれを防ぐための結論に至らなかったのだろうかという思いを、どうしても私はぬぐうことはできません。調べれば調べるほどぬぐうことはできません。  ですから、私はあなたに、最低限の、法律のことについて話してもらいたいというぐあいに思っていないのですね、やはりこの真相を究明してまさに再発防止に役立つような形で行政上とらなければいけなかったことについて、ぜひこれを話していただきたいというぐあいに思っているのであります。  そういう意味で、あなたは、今回のこういう経過を通して、どのような反省をし、また、どのように今後行政として対応するべきであるというぐあいな考えを持っておられるのか、そこをぜひ率直にお聞かせをいただきたいというぐあいに思います。
  13. 和田貞夫

    和田委員長 郡司参考人に申し上げたいと思います。  質疑時間が限られておりますので、答弁は極めて簡単にお願いしたいと思います。
  14. 郡司篤晃

    郡司参考人 個人的対応が多かったのではないか、それから、行政として反省点はないかということであります。  委員長のお言葉でありますが、ちょっとだけ時間をいただきまして、お話をさせていただきたいと思います。  確かに、私は個人的な情報チャンネルから情報を得ました。それは、村上先生という方、それから、その先生から送られてきた封筒には東京都血液事業団という名前がありましたので、その組織も助けてくれているのだなというふうに思いましたが、その当時、エイズに関する文献はほとんど届けていただいておりました。  しかし、考えてみますと、それがなかった場合、恐らく情報は私の手元には来なかったのではないかと恐れるわけであります。したがって、こういった危機管理のためには、どのようにして情報を収集するかということをもう少し公的な形でつくっていただきたいというふうに思うのであります。  行政権限の問題でありますが、確かに、あの研究班は単なる研究費をもとにした研究班であります。つまり、行政の諮問機関でも何でもないのでありますが、結果的には、その研究班が大変重要な意思決定をする結果になってしまったということであります。したがいまして、私は、非常に不確定な情報の中で、たとえ今現在ベストだと思っている治療方法でもあきらめるという決断をいつの時点においてどのようにして行うか、この仕組みが必要だというふうに思うわけであります。  それは確かに、薬事審議会というのがあるではないか、行政にそういう権限が与えられているではないかという議論はありますが、それは形の上の話であり、形式の話でありまして、それを実質化する必要があると私は思うのであります。そのためには、大変な超専門家が合議によりまして結論を下す必要があると思います。薬事審議会の中には、必ずしも血友病専門家ウイルス専門家が十分な数いるわけではありませんので、私は、そのような体制がとられる必要があるのではないかというふうに思います。  そういう意味で、私は確かに、事態に対する対処、これに気をとられ過ぎて、そして研究班という行政上の位置づけから、必ずしも行政官として組織の中に十分説明をしていなかったかもしれません。そのことに関しては私の責任であります。  簡潔にということでありますので、とりあえず以上、お答えとさせていただきます。
  15. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 もう一点、確かに専門的な知識においてはそうかもしれないのですね。しかし、危険を察知したときに、その危険なもの、そういうものを早目に除去するということ、実態がわかるまで待っておくというものではなくて、行政の判断としては、そういう疑いがある要因というものはとにかく最初にじゃんじゃん切っていくということが僕はやはり行政としてとるべき態度でなかったかと思うのですね。  あなたも、初期のときはそういう形で動いているのですね。極めて早く、これは僕は対応したと思うのですね、確かに、本当に。しかし、専門家のところにゆだねればゆだねるほど、何か袋小路に入ってしまって、結局、何となく出口が遅くなってしまった、極めておくれてしまったという感をどうしてもぬぐえないのですね。  ですから、これが今私どもが実は抱えている行政上の極めて大きな問題ではないかという感がするのですね。あなたがもし本当にそこを心配したのならば、そこを徹底的についていって、それが除去するまではやはりやめないということをやっていった方がよかったのですね。また、やっていくべきだったと思うのですね。そうしていれば、うんと私は変わったのじゃないかと思うのですけれども、どうでしょうか。
  16. 郡司篤晃

    郡司参考人 御指摘の点は大変正しい面を含んでいると思います。しかし、こういう面もあるのであります。  それは、医学はあるいは医療は常に不完全技術であるという側面がございます。そして、今やっている治療の大きな改善がありますと、それが不完全でも使うということになるわけであります。まあ、いつの時点でそのような治療を断念するか、これは行政権限を超えて、社会としてどう判断するかということだと思います。そのことにつきまして、この事例については多くの研究すべき課題があるのは御指摘のとおりであります。  しかし、私はこう思います。医学はきちんとした記録を残しております。つまり、論文などの形で残しておりますので、ぜひ、そのような論文を評価することによって、いつの時点でこの問題につきましては治療を断念すべきだったのか、治療方法を変えるべきであったのかということを調査していただきたいというふうに思います。つまり、これは医学が抱えた本質的な、一般的な問題でありますので、私は、医学界がそのようなことを積極的に行っていただきたいというふうに思います。
  17. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 最後に、今の問題につきましては、確かに医学上の、確定する、あるいはいろいろなものがウイルスとして固定されるという過程はおっしゃるとおりだと思う。しかし、行政として、それらの極めて大きな疑いがあったときにとるべき道は、もっと、これは専門職の方に相談するのも結構でありますが、相談しながら、所期の目的であった、その疑いをいかに除去するかということについて、徹底的に最後まで私はやはりやらなきゃいけなかったというぐあいに改めて思いますね。  それは、いわゆる科学的根拠ということじゃなくて、今の例えば狂牛病でも、今の時点においては大変早い措置が日本においてはとられました。それは別に狂牛病の原因が固定されたからではないのですね。その疑いがあるというぐあいに感じた瞬間に今回のこのようないろいろな判断をしながら、今回のことも恐らく教訓になったと思いますけれども、やっていったというぐあいに思いますね。そのことを申し添えて、それから具体的な質問に入りたいと思います。  まず、血液製剤による感染危険性について、参考人は、このような非加熱製剤危険性を認識しながら、そして加熱製剤緊急輸入だとかクリオ製剤への転換だとか、あるいは国内血による濃縮製剤の生産等、具体的な対応を念頭に、危機意識を持ってその研究班を招集したのではないのかという資料がいろいろあります。  そういうようなことも指摘されておりますので、そういう状況の中で、この一九八三年夏ごろ、どのような認識を持っていたのか、エイズの重篤性、感染力、発症率についてどのような認識を持っていたのか、お尋ねしたいと思います。
  18. 郡司篤晃

    郡司参考人 一九八三年の夏というふうに特定をされますと、八三年一月には、先ほど申し上げましたニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスンで、クリオ製剤の方がいいのではないかというお答えがございますが、さらに重要なのは、五月に、サイエンスという雑誌に、ギャロ、モンタニエ、この二つ論文が掲載をされます。これが恐らく最初の、エイズの本態に迫る論文ではないかというふうに思います。私はその専門家ではありませんので、詳しい内容はわかりませんが、この論文を読んだことは記憶しております。  この論文は、簡単に申し上げますと、私の浅はかな知識ではありますが、ギャロは、エイズの本態はHTLVのIではないかと主張をするのであります。これは、日本で言うATL、つまり成人型T細胞白血病、日本でよく知られた病気であります。ただ、モンタニエはすぐ、直後に、ちょっと違うのではないかということを言うのであります。そして、この論争はその後ずっと続きますが、確定するのが先ほど申し上げましたように一九八四年の五月ということでありますので、この間はずっとそのような認識であったと私は理解しております。
  19. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 それでは、一昨日、参議院の厚生委員会委員会安部参考人が、この研究班日本エイズ患者がいるかいないか決めてくれというものだった、行政的なものには関係はないと言っていますが、そもそも参考人は、エイズ研究班の任務をどのように考えて、どういった点について検討をお願いしたのか、エイズ研究班行政との任務、役割分担をどのように考えていたのか、そのことをお尋ねします。
  20. 郡司篤晃

    郡司参考人 エイズ研究班お尋ねしたかったのは、当時アメリカで、つまり、したがって世界でということになりますが、数人の血友病患者さんの中にエイズ様の症状が出た、エイズになったという、そういう段階でありましたが、その危険に直面して、同じ製剤を使っている日本ではその危険をどういうふうに判断をし、評価をし、そして治療方法を変えるべきなのかどうか、このことをぜひ早急に検討していただきたいというのが研究班を設置した目的であります。  先ほど申し上げましたように、行政研究班の関係は、決して意思決定機関ではございません。しかし、この研究費はそもそも血液事業の科学的な推進に資するということが目的でありましたので、目的にかなう使い方ではないかというふうに思いましたので、とりあえずこの研究費によって研究班を組織したのであります。  一部の新聞に、研究班責任ではない、最終的な決定は行政責任である旨の記事が出たことはよく記憶しております。しかしそれは、新聞の取材のときに、じゃ、責任研究班にあるのですかという問いをされた記憶があります。私はそれを否定せざるを得ませんでした。そのことがああいう記事になったのであります。  以上です。
  21. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 いわゆる帝京大症例について、当時この症例が我が国のエイズ第一号と認定されればその後の血友病患者対応は変わったというぐあいに、一昨日、松田参考人発言をされておりました。これについて、そういうぐあいに認識するか、お尋ねします。
  22. 郡司篤晃

    郡司参考人 仮定の話ですので、大変お答えしにくい質問でございます。  しかし、この症例が疑似症例という形で報道されておることがありますが、これは決して疑似ではありません。当時私は、アメリカに見るような典型的なエイズとは言えないという言葉で考えておりましたし、研究班結論もそのようだったと思います。したがって、これは決して一〇〇%否定した言葉ではありません。したがって、それがたとえエイズということになったとしても、私は今、どういうふうにその後の対策が変わったか、ちょっと想像ができないのであります。
  23. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 松田参考人は、この帝京大症例をエイズ第一号と認定しなかったということについて、いろいろな経過がございますが、その原因を、決定されると困る企業厚生省上層部からの圧力、血液行政の汚点というぐあいに推察するとか、あるいは想像にかたくないという旨を発言をされております。参考人はそれについてどう思いますか。
  24. 郡司篤晃

    郡司参考人 この症例につきましては、研究班において何度にもわたり非常に医学的に厳密に議論されたという記憶を私は持っております。  また、はっきり申し上げますが、この症例をめぐりまして私に何か圧力がかかったとかいうことは一切ありませんでしたので、この場をかりて明言をさせていただきたいと思います。
  25. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 それでは、例えば血友病患者の中から第一号が出るということは血液行政の汚点だというぐあいに言われました。本当に私ども、やはりわからないところがあるのですね。皆さんが早い時期にこれだけの心配をしていながら、いろいろなことを考えていながら、何でその措置が最後までとれなかったのだろう。その難しさについての点をいろいろ御説明いただきました。しかし、それでもやはり残るのですね。  だから、そういう意味では、松田参考人が言った、本当に決定されては困る企業あるいは厚生省上層部からの圧力というものはなかったのか、そしてまた、厚生省内部でこのことを血液行政の汚点というように考えるような、そういう見方はなかったのか、それはあなたが一番恐らく知っていると思うのですね。その任にあったわけでございますので、ここはちゃんとはっきり答えていただきたいと思うのですね。
  26. 郡司篤晃

    郡司参考人 私は、再度申し上げますが、この症例の認定をめぐりまして何ら圧力を感じたということはございません。  血液行政の汚点ではないか。私は汚点という言葉では考えておりませんでしたが、血液行政に問題があったことは先ほど申し上げましたとおりでございます。自給できなかった、このこと自身が、その結果、重大な結果でありまして、汚点とかという、そういう言葉では私は考えておりません。
  27. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 緊急輸入クリオ転換につきまして、いわゆる五十八年七月四日付の藤崎ペーパーは、アメリカからの加熱製剤緊急輸入を提案をしました。それから、七月十一日の書面では、緊急輸入をしないことを政策変更したと言われています。いわゆる一週間の変更と言われておりますが、どのような議論の中でこういうことが起こったのか。そして、七月十一日の書面には右上の方に「局内三役レク用」と書かれてございます。この書面を内部でどのようにレクし、使ったのか、お尋ねします。
  28. 郡司篤晃

    郡司参考人 私の課長時代、二年でありますが、その間に私の技官補佐は三人かわりました。最初の補佐は、血液行政に興味がありませんでした。藤崎さんは、大変興味があると言ってまいりました。そして、大変勉強されたのでありますが、そして藤崎さんの一つの特徴は、いろいろ物を書きまして、そして相談をするということを熱心にやった人であります。  最初の文書、つまり四日の方でしょうか、これは明らかに彼の字で書かれておりまして、私の書き込みがあります。それを見ますと、大変欠けてあるところがたくさんあるということが示されていると思います。その次の書類は、恐らく彼がそれを私はだれかに清書させたのではないかと想像しておりますが、これは想像であります。  しかし、はっきりしていることは、その間に生物製剤課として大きな政策転換をしたという事実は全くございません。したがいまして、これは内部のディスカッションのためのペーパーではなかったか、資料ではなかったかというふうに想像いたします。  それから、「レク用」と書いてある。これも彼の一つの特徴があらわれているなと私は思っておりますが、レクのための資料としてどうですかということだと思います。想像します。  しかし、二枚目のペーパー、十一日のペーパーの中にも、私の考えと著しく異なる点が幾つかございますので、このような考え方の違う資料をもとにしまして、私の上司などにそれを説明するはずもないと私は今考えております。
  29. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 時間が参りましたのでかわりたいと思いますが、最後に、このような悲惨な薬害が起こった原因、あるいはどういう点を反省し、今後の再発防止に結びつけていくべきかということについて、ある意味では一番お詳しいのは参考人でございます。ぜひ反省や対策を込めてお話を  いただきたい、こういうふうに思います。
  30. 郡司篤晃

    郡司参考人 幾つかの反省点がございます。  一つは、このような意思決定の過程が本当に正しかったのかどうか、もう一度、医学の専門家の目で客観的に評価していただきたいと思うことでございます。  第二番目は、そのような結論をもとにいたしまして、今回私がやってきた行政としての対応は、確かに、個人的な情報のチャンネルで、意思決定機関でない研究班に重要な意思決定をさせてしまったということでありますので、これを行政の仕組みとして考えていただきたいという点であります。  その次に、このような出来事が起こりましたら、とりあえずまず救済をする、つまり、アメリカのインスティチュート・オブ・メディスンのレビューにもありますように、ノン・フォールト・コンペンセーション、だれかが完全に悪いということがわかる以前にとりあえず救済をするというようなことが我が国にも必要ではないかというふうに思うのであります。このような事件が起こるたびに、裁判をして全面的に一方が悪くなければ補償が行われない、救済が行われない、これは余りにも国として貧しいのではないでしょうか。日本はもう少し豊かな国になったはずでありますので、まず救済をし、そしてその後に、争いが避けられなければ争うということにしていただきたいと思うのであります。  また、これは僭越ではありますが、今回、私は大変個人的な攻撃をいろいろ受けましたし、いろいろなことがありました。私は本当に、一時、日本は法の支配する国かと疑った、そのことを疑ったほどであります。できるだけそのようなことがないように、民主主義の発展のためにそのような仕組みもお考えいただきたいというふうに思うのであります。僭越ではありますが、希望も述べさせていただきました。
  31. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 交代します。終わります。
  32. 和田貞夫

    和田委員長 長勢甚遠君。
  33. 長勢甚遠

    ○長勢委員 先般来、厚生省調査また参議院での参考人質疑等いろいろ聞かさせていただいておりますが、どれだけ聞いてもよくわからない、きちんと整理ができない。正直言って、やりきれない思いでおります。どの答弁を聞いておっても、つまるところ、だれにも故意や過失はなかった、まして職務怠慢もなかった、ただ、結果は大変なことだった。大変不幸な事態なわけであります。それで、関係される方々もその結果には大変驚くというか、責任感じて申しわけないと思っておられるということに尽きるような気がしてしようがありません。それが真相であったとしても、それだけでは何にもならないわけであります。  ですから、何でこんなことになったのだろうということをぜひ考えてみますと、こういうエイズ問題というのが大変なときに、その所管の行政庁である厚生省に何ができたのだ、あるいは何もできないという仕組みになっておったのじゃないか、そういう実態ではなかったのかということが私はひとつ検討しなければならぬことかな、こう思っております。  そういうふうに考えてみますと、一つの仮説として、極めて専門的な問題ですから専門家に任せる以外にはない、ところが、専門家である医学界というのは、各分野ごとに細分化をされておって、それぞれに一種の、我々にはわからないような権威構造があって、相互にそれを尊重し合う、不可侵関係にあるというようなことがあるのではないか、そういうことがこの問題の経過の中で大きく作用しておるのじゃないかなということを感ずるわけであります。  そうなりますと、個々人がどれだけ一生懸命やっておっても、ある意味では総合的な責任ある議論というもの、結論というものを出すことができなくて、そして、その結果として大変な不幸な事態をもたらしたということもあり得ると思うのでございますが、参考人行政官であると同時に学界の方であるわけで、その方が、先ほどの答弁にも若干ございましたが、専門の人のことを専門外の者が尊重せざるを得なかったのだというふうに考えておられた節があると思うのであります。  そういうことも考えますと、行政と学界の関係あるいは学界の状況について私が今申し上げた、私の素人の仮説でありますが、当たっているのかなとも思うのですが、これは少しでも当たっているのかどうかについて、時間がありませんので、端的にイエスかノーかでお答えいただければありがたいと思います。イエスかノーかでお願いします、できる限り。当たっていると思うか思われな  いか。
  34. 郡司篤晃

    郡司参考人 当たっている面が多いと思います。医学は専門分野に余りにも分かれております。しかし、それなりに専門意味は極めて大きいと私は思っております。
  35. 長勢甚遠

    ○長勢委員 専門意味が当然重いことは、みんな尊重せざるを得ません。  それなりに当たっているということですと、厚生省の内部においても、いわゆる事務屋というのはこの種の問題については技官にお任せをするしかない、また、その技官も外部の医学界に依存せざるを得ない、こういう構図になるわけですから、当然、責任体制というのは大変不明確になって、みんな一生懸命やったけれども、大変不幸な方々を生み出したという本当にわけのわからないことが起こるわけであります。  こういうことは事柄の性質上やむを得ないということなのか、あるいは根本的に仕組みを手直しするという余地があるのか。厚生行政、医学界についての信頼が大変失われておるわけですから、回復をするためにはぜひこれから取り組んでいかなきゃならぬと思っておりますので、ぜひ参考になる御意見があれば教えていただきたいと思います。
  36. 郡司篤晃

    郡司参考人 医学界に対する信頼まで失わせてしまったとしたら、それは大変私は残念なことだと思います。  御指摘のように、英語では責任というのは二つ言葉がありまして、事態に対処する責任と説明する責任と両方あるわけでありますが、日本一つであります。しかし私は、その事態に対する責任、これに熱中をして、少し説明が足りなかったかなということを反省として持っております。  ただ、行政の位置づけといたしましては、確かに後になってみれば重要な決定ではありましたが、研究費の執行の話でありますので、これは技官が主としてそれに対応するという形に行政はなっていたということでございます。
  37. 長勢甚遠

    ○長勢委員 時間が来たようですので、残念ですが、終わらせていただきます。
  38. 和田貞夫

    和田委員長 石田祝稔君。
  39. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 新進党の石田祝稔でございます。  郡司参考人、私たちは、真相究明再発防止のためにおいでをいただいておりますので、ぜひ記憶も喚起をしていただきまして正確にお答えをいただきたいと思うのです。  私は、まず最初にお聞きしたいのは、参考人はあちこちで、専門家ではない、専門家ではないということをおっしゃっておりますが、参考人専門はそうすると一体何でしょうか。
  40. 郡司篤晃

    郡司参考人 私は、以前は、東京女子医大というところにおりまして、心臓外科の基礎研究及びコンピューターの医学への応用をやっておりました。今現在は、医療制度及び健康増進の、つまり健康管理、特に運動の健康影響ということを中心にうちの教室は研究をしております。
  41. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 厚生省の厚生科学研究の補助金というのがございますが、参考人は、六十一年、要するに厚生省をやめられて、東京大学へ行かれてから四年間続けて受けられておりますね。そのタイトルは、血液資源の有効利用に関する研究、それから血液製剤の規格設定と試験法、それから原料血漿の確保研究、これで補助金をいただいているわけですね。  そうすると、血液のことを全然おっしゃいませんでしたけれども、これで厚生省から四年間補助金をもらっているわけですが、血液は全然御専門ではなかったのですか。
  42. 郡司篤晃

    郡司参考人 確かに研究費でいただいておりまして、私たちのその当時行いました研究は、なぜ献血をするのだろうというそういった、基礎的な、医学的な問題ではなくて、血液事業の社会的な側面、そのことを中心に研究をさせていただいておりました。
  43. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 私は、じゃ、きちんとお伺いをしますが、参考人は、一九八二年、昭和五十七年の八月に生物製剤課長に御就任になられておる。それでお聞きをいたしますけれども、課長になられて、八三年の初頭から村上先生よりいろいろな資料をいただいて非常に危険性感じておった、こういうお話でございましたが、これは課長としての危険の認識ですか、それとも個人としてですか。それから、さらにお伺いしますと、局としても認識があったのか、省としても危険性の認識があったのか、これはどうでしょう。
  44. 郡司篤晃

    郡司参考人 個人としての認識か行政としての認識かという質問はなかなか難しい質問でありますが、私はこれを区別して考えてはおりません。  もしかしたら御質問の趣旨は、どこまでその危機意識を省内に説明したかという、そういう御質問だといたしますと、先ほど私は余り説明をしていないというふうに申し上げました。しかし、それは余り記憶がないということでありまして、説明していないはずはないのであります。  それは、私の記憶では、そのときの厚生大臣は林義郎先生だったと思うのですけれども、その先生が、国会質問がエイズに関してありまして、答弁をしております。したがいまして、そのときには、もちろん答弁書は私たちが準備したかもしれませんけれども、全部大臣まで説明を終わっていると思いますので、組織としての認識も私と同様だったというふうに思います。
  45. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 御卒業はたしか東京大学だろうと思うのですが、大変難しい大学に入られておりますし、記憶力がそんなに定かではないというふうに私は思えませんけれども。  引き続いて御質問をいたしますが、生物製剤課でエイズ研究班を設けられた。これは、参考人は裁判の中で、原因がわからない病気、そういうものは公衆衛生局でやるのだ、当初、エイズ研究班は公衆衛生局との共管でやろうというふうにしたというふうに述べられておりますけれども、それを生物製剤課でやられた。ということは、これは原因がわからない病気ではなくて、血液原因だということが御自分としてはわかっておったので生物製剤課の方で引き受けたということじゃないのですか。
  46. 郡司篤晃

    郡司参考人 先ほどお答えはしておるのですけれども、もう少し補足してお答えさせていただきます。  おっしゃるとおり、原因不明の疾病が流行した場合、その所管は公衆衛生局であります。しかし、その当時、日本エイズ流行はありませんでした。しかし、アメリカにその流行がありました。そしてそれは、国際化の時代でありますから、当然、我が国に入ってくる可能性がありました。そして、そのとおりになりました。  しかし、どのようなグループの人が最も危険が多いか、ハイリスクであるかということを考えますと、日本には同性愛者は比較的少ない。薬物使用者も少ない。しかし、日本血友病患者さんはアメリカ血友病患者さんと同じ製剤を使っているわけでありますから、もしその製剤がおっしゃるように危険があるならば、日本におけるハイリスクグループは血友病患者だというふうに私は考えました。  そこで、公衆衛生局と相談をいたしまして、予算もそのような研究費があるので、こちらでやるがよろしいかということを相談いたしまして、やらせていただいたということであります。
  47. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 ですから、今おっしゃったように、血友病の方に非常に危険があると。ですから、これは血友病の方が危険があるというと、通常の生活以外では、考えられることは、血液製剤を打っている、これ以外は普通の人の生活と変わらないわけですから、ですから私は血液研究費でやられたと思います。  それで、ちょっと確認をさせていただきますが、郡司参考人厚生省プロジェクトチームヘの回答の中でも、お金の枠があったので、その執行計画書をつくって、大蔵省にかけ合って計画を認めさせた、こういうふうに言われておりますが、AIDSの実態把握に関する研究、新規の事業で五十八年から六十年の研究期間で所要額が五百万、それで研究目的研究内容、これがずっと書かれておりますが、これは郡司参考人が起案をされたものですか。
  48. 郡司篤晃

    郡司参考人 済みません、その年度をもう一度言っていただけますか。
  49. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 AIDS(獲得性免疫不全症候群)の実態把握に関する研究、新規の事業で、五十八年から六十年、所要額が五百万、こういう文書です。
  50. 郡司篤晃

    郡司参考人 ちょっと手元に今その資料がないので確認できませんが。
  51. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 委員長、お見せしてよろしいですか。
  52. 和田貞夫

    和田委員長 はい、どうぞ。
  53. 郡司篤晃

    郡司参考人 今見せていただきました資料は、恐らく大蔵省に持ち込んだときの執行計画書ではないかというふうに思います。それは、私の課で作成いたしまして大蔵省に持ち込んだと思います。
  54. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 こういう計画書というのは、通常どこの方までが、例えば起案の場合、決定の判こを押しますか。判こを押す方をちょっと教えてください。
  55. 郡司篤晃

    郡司参考人 研究費の決裁がどこまで行くかについては、ちょっと今記憶がございません。申しわけございません。
  56. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 そうすると、私がちょっと申し上げますと、若干年度は違いますけれども、平成七年のものをちょっと例に申し上げますと、同じく厚生科学研究費補助金、血液研究費の国庫補助について、判こは、上から申し上げますと、薬務局長があります。それから審議官の判こがあります。企画課長の判こがあります。血液事業対策室長、そして大臣官房の厚生科学課長、研究企画官、それから支出の会計課長、ここまで判こがございますが、記憶はお戻りになりましたでしょうか。
  57. 郡司篤晃

    郡司参考人 申しわけありませんが、ちょっと記憶が戻りません。
  58. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 これは大変大事なところでございます。この起案について判こを押しているということは、その内容についてオーケーをした。中身を調べないでオーケーをするということは、これは逆に言えば職務怠慢でございますから。私は、五百万という金額からしても、一つの課の申請にしてはそんなに少なくない金額だと思います。このようなことが通常、課長だけの判こでいくということはとても考えにくいと思います。今回の例を見ましても、大臣、政務次官、事務次官、官房長は抜けておりますけれども、局長まで行っております。  ですから、先ほどお見せをしました実態把握に関する研究、これは参考人も、大蔵省にかけ合った、こういうことをお認めでございますから、これは少なくとも局長は知っておって起案をし、そして枠取りの中での補助金をとった、こういうことでよろしいですか。
  59. 郡司篤晃

    郡司参考人 それは、エイズ研究班と俗に言われている、その研究班を組織する、そういう執行計画だと思います。そして、それは記者発表をしております。そして、その後大変な報道がたくさん行われるわけでありますので、こういう班をつくるということ自身は、局長まで行っていることは間違いないと思います。
  60. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 それで、私は安部英さんとの関係についてお伺いをしたいのですが、参考人はプロジェクトチームヘの回答の中で、班長にするかどうかというのば決めて頼んだわけではない、こういうお答えをされておりました。しかし、この執行計画書の欄に人選もされておりまして、そこに主任研究者安部英ということがもう大蔵省との折衝の段階で実は書かれております。ほかの方は全部、分任研究者というところで塩川優一さんという方が書かれているだけで、主任研究者ということで、もう安部英という名前でメンバーを人選している。そして大蔵省と交渉されている。  ですから、これは、発足のときから中心者は安部先生で、安部英さんで、当然エイズ研究班が発足すれば班長になるだろう、こういうことだろうと思いますが、これはいかがですか。
  61. 郡司篤晃

    郡司参考人 確かに、それを今拝見しますと、安部英という名前のところに班長と書いてあります。しかし、私の記憶では、それは案でありまして、その証拠に、あの研究班の中に最終的に入るメンバーがそこに記載しておらない人もいるわけであります。  また、私の記憶では、研究班が発足をしたときに、研究班長は安部先生ですということを私から申し上げた記憶はないのでありますが。行政といたしましては、ある程度の予見を持ちまして人選をするということはやると思いますが、しかし、あらかじめ決定をしていて、それを前提に研究班を招集したということは私はないと記憶しておりますが。
  62. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 大変御答弁があやふやでございますが、私は、この人選されたメンバーを見ますと、ここに載っている方は全員、班に入っております。消されている方がいらっしゃいますから、どなたかこれはわかりませんけれども、ここに載っている方は全員、エイズ研究班に入っていらっしゃいます。  それで、厚生科学研究の補助事業の部分で、昭和五十八年、後天性免疫不全症候群(AIDS)の実態把握に関する研究ということで、安部英主任研究者でお金がおりているわけですね。ですから、これは、案というのは大蔵省に対する案であって、厚生省の中では決定をされて、厚生省としてはこう決めましたと。そのものを、大蔵省に対しては、それは交渉ですから案になるわけでしょうけれども、私は、最初から安部英さんがそういう立場に立つと。ですから、現に松田さんも、安部英さんから言われて、誘われて班に入った、こういうこともおっしゃっております。  そこのところをもう一度、記憶力を喚起していただいて、何らかの意図があって安部さんをトップに据えるということで厚生省として進まれておったのかどうか、お答えいただきたいと思います。
  63. 郡司篤晃

    郡司参考人 私の記憶では、大蔵省に対して、このような事業をやりますという案、これはおっしゃるとおりであります。  しかし、その研究班のメンバーを選ぶというのは、試行錯誤、いろいろな専門性を考えたりしながら選んでいくわけでありますので、そのプロセスは大変複雑多様でありまして、その経過を私は全部覚えてはおりません。そして、その中に入っていないで研究班の重要なメンバーになりました人も含まれております。例えば大河内一雄先生ですね。それはそのメンバーの中に入っていないのではないかというふうに思います。  したがいまして、それは最終的な決定案ではなくて、一応、大蔵省に対して、こういう事業をやるという目安の案だというふうにお考えいただければと思います。
  64. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 そのエイズ研究班が、その後、当初の予定が五十八年度から六十年度という三カ年度にわたる計画、執行計画書が出されているにもかかわりませず、途中で終わっております。終わるときは、この厚生科学研究費の補助金要綱では、大臣の承認が要る、こういうことになっていると思いますが、これは、大臣に理由を話して、承認を受けてやめたということでよろしいのですか。
  65. 郡司篤晃

    郡司参考人 残念ながら、私は詳細な記憶はございませんが、私の理解では、研究費は単年度予算だと理解しております。  案としては、こちらは主張する側としてそのように提案したかもしれませんけれども大蔵省から認められているものは、毎年毎年、執行計画を提出するのであります。したがって、単年度というふうに私は理解しております。
  66. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 それは大変おかしいと思います。予算は単年度主義、これは当たり前なんですよ。計画というのは三年で大蔵省と交渉しているわけですね。ですから、大枠、予算の、お金の問題については翌年度ももちろんもらわなくてはなりませんが、計画そのものは三カ年にわたってやる。これは、何らかの理由で私は安部英さんを班長のままでこのエイズ班を置くことはできないという理由があったのではないか、このように、これはそこのところをお答えいただかない限りはっきりしないわけでございますけれども。  もう一度、私の持ち時間がございませんのでお聞きをしますが、参考人は、当時、大変な危機意識を持った中でやられておったけれども、こういう結果になったことについて、今、当時を振り返って今後どのようにされるようにお考えなのか、お聞きをして、私の時間は終わりたいと思います。
  67. 郡司篤晃

    郡司参考人 安部先生のその研究班が一年で終わったことの私の記憶によります理由は、それまでは、血友病患者さんのエイズ対策として、しかも研究費という形で対応してきた。しかし、アメリカにおいて、例えばエイズ患者の中に占める血友病患者さんの割合は当初一%、だんだん減ってくるわけでありますが、したがって、百人いますと九十九人までが同性愛あるいは薬物使用者その他であります。日本においても、公衆衛生局におきまして本格的なエイズ対策に取り組むということが始まったために、こちらの研究班は解消してそちらにお任せしたというふうに私は記憶しております。  それから、これだけ多くの感染者を出した、これに関しては、繰り返し申しますように本当に残念でならないわけでありますので、ぜひこのようなことが今後予防できる体制を心から望んでいるわけであります。そのために私ができることは、あるいは私の体験なりがお役に立つのであれば、いつでも真実を申し上げますので、お役に立てていただきたいというふうに心から望んでおります。
  68. 石田祝稔

    ○石田(祝)委員 それでは、別の角度から同僚議員が質問いたしますので、よろしくお願いします。
  69. 和田貞夫

    和田委員長 この際、鴨下一郎君から関連質疑の申し出があります。石田君の持ち時間の範囲内でこれを許します。鴨下一郎君。
  70. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 今、石田委員から質問がありましたけれども、公衆衛生局と共管という形で設置されたわけですが、それで、今大蔵省に対する案というふうにおっしゃいましたけれども、最終的には安部さんが班長になって班が形成されていくわけですよね。その辺の、安部さんが班長になったということの意味というのは一体何だったのでしょうか。
  71. 郡司篤晃

    郡司参考人 この目的が、エイズのリスクに直面して日本における血友病患者さんの治療方法をどうするかということでありましたので、血友病専門家がその班の班長になるということは、私は、行政として恐らく判断して安部先生を選んだと思います。そのほかにも、安部先生と同級生の方も、塩川先生もいらっしゃいましたけれども、そういう理由で安部先生が班長になられたというふうに解釈しております。
  72. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 エイズはその当時まだ未知の部分が多かったわけですね。そうすると、血友病専門家が班長にならないで、言ってみれば、エイズという疾患全体の観点から眺められる人間が班長でしかるべきだというふうに私は思うのですが、あえてそのときに安部さんというようなことは、郡司さんが、血友病との関連性が非常に強いというふうに考えていたために、そういうような人選に関してある意味で示唆をなさったかどうかということを簡単にお答えください。
  73. 郡司篤晃

    郡司参考人 先ほど申し上げましたように、この研究班目的は、エイズのリスクに直面して治療方法をどうするかということでありましたので、これはほかの方よりも血友病専門家の方がよろしいのではないかというふうに判断したわけであります。
  74. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 実態把握をまず中心ということじゃなかったのですか。それから治療法、そして対策というようなことで、最初は、本邦にエイズという疾患があるのかないのかという調査そのものも目的の中に入っていたのじゃないのでしょうか。
  75. 郡司篤晃

    郡司参考人 おっしゃるとおりであります。  私が知りたかったことの重要なことの一つは、もし同じ製剤を使っているなら、もう既に日本にも同じぐらいの割合で患者さんがいるのではないかということが心配になりました。したがいまして、このことを早急に調べていただきたいというふうに思いまして、研究班が発足をいたしました一カ月の間にその調査を早急にいたしまして、そして症例を絞り込んで、第二回目、一カ月後の第二回目の研究班にその症例を諮るという形でやりました。
  76. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 ということは、血友病患者さんで非加熱製剤を使っている患者さんに発症する可能性があるということを想定したエイズ研究班だったということですか。
  77. 郡司篤晃

    郡司参考人 はい、おっしゃるとおりであります。
  78. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 当初は、エイズというのは、ある意味でゲイだとかそれから麻薬中毒の患者さんが多いというようなことで一般的でしたよね。そのときに、非加熱製剤を使っている血友病患者さんがエイズに罹患するというようなことの可能性があったということでエイズ研究班をつくったというふうに今おっしゃいましたけれども、そうすると、当初、厚生省のいわば最前線の担当の課長でいらっしゃった郡司さんがそういうような考え方でエイズ研究班というものを設置して、そして作業していこうじゃないかというふうに考えたことについては、これは相当の危機感があったというふうに判断していいわけですね。
  79. 郡司篤晃

    郡司参考人 おっしゃるとおりだと思います。
  80. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 危機感があったというのは、私は、学者であり行政責任者であった郡司さんがそういうふうにお考えになったのは、これはもっともな話だろうと思います。  その中で、エイズ研究班というものが設置されて、血友病専門家であり、非加熱製剤を使っていた安部さんが班長になって作業していくという中で、第一回目の会議の中ではどういう議論がなされましたか、簡潔にお答えください。
  81. 郡司篤晃

    郡司参考人 今、手元に資料がありませんので、すべて完全にお答えすることはちょっとできないかもしれませんが、私の記憶では、まず班を組織して、どのようにこの問題に取り組むかということを決めたと思います。つまり、調査をするとかですね。どういう調査をするかとか、こういう話を決めたと思います。  さらに、私の記憶では、本質的な問題の議論がかなりあったと思います。つまり、エイズの危険をどう考えるか、その危険に直面してその危険をどう評価し、そして治療方法を変えるべきかどうか、恐らく第一回目にクリオの話が出たのではないかというふうに記憶しております。
  82. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 第一回目の会議で、郡司さん、きょうの資料の中でもお示しになっていますけれども、リスクとベネフィットの関係について相当議論があったのだろうと思います。それで、結果的に、その第二回目のときにはリスクよりもベネフィットの方に重きを置いたような会にだんだんと変質していくわけですけれども、そのときに、第一回目から第二回目の間にどういったような議論が省内もしくは課内であったかというようなことについて教えていただきたいと思います。
  83. 郡司篤晃

    郡司参考人 その間に省の中でどういう議論があったかはちょっと記憶があいまいでありますが、事実としてどういうことがあったかということに関しましては、大変重要な事実が私はあったと思うのです。  それは、私がお示ししました年表にもありますように、第一回目、つまり一九八三年の六月十三日に第一回の研究班がありますが、第二回の研究班会議、つまり七月十八日の間に、六月の末、国際血友病連盟の大会というのがストックホルムで開催されました。そこで、世界血友病治療医のコンセンサスは、エイズの危険に直面しながらも現在の治療方法は変えないということと、変えるとしたならば、リスクとベネフィット、今おっしゃられたことを科学的に判断して決めるべきだという意見表明が行われます。そのことがこの研究班の雰囲気に影響した可能性は私はあると想像しております。
  84. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 厚生省調査プロジェクトチームに対する回答で郡司さんは、「濃縮製剤血友病治療を劇的に改善した。実は、私はその事実を十分承知していなかったことを、研究会の中で教えられた。」こういうふうにお答えになっていますね。  ということは、これは多分、郡司さんは最初にリスクのことを非常に懸念されていて、ところが、研究会を開いて、研究会の中で各研究者意見を聞いているうちに、これは、待てよ、リスクよりもベネフィットの方が大事なんだなというふうに考え方が変わっていったのかもわかりませんね。そうすると、研究会の中で、今、国際学会の中でのコメントをおっしゃいましたけれども、全体的にそのベネフィットを強調なさった方というのはどういう方がいらっしゃったのですか。
  85. 郡司篤晃

    郡司参考人 そのベネフィットにつきまして私が大変不勉強であった、そして、血友病治療をしている人たち濃縮製剤がいかに技術の進歩であったかということを教えられた、そういう実感を持ったことがございます。それは、親の研究班だけではなくて、主にこの小委員会、風間先生が委員長の小委員会の中で非常に自由なやりとりをすることができましたが、その中で厳しくその点は指摘されて、私は自分の不明を恥じたことを覚えております。
  86. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 先ほど衛藤委員からの質問の中でも、七月四日のいわゆる郡司ファイルの中にさまざまなことが書いてありますけれども、これは藤崎さんが白書したもので、郡司さんは、内部の討議用のペーパーであって、特別これに課の言ってみれば意思を反映していることではないのだというようなニュアンスのことをお答えになっていましたけれども、この中で、「トラベノール社に対して加熱処理Ⅷ因子製剤の輸入承認申請を急ぐよう指示する。」それから「AIDS研究班加熱処理Ⅷ因子製剤使用をrecommendさせる。」こういうようなことが書いてあるのですが、このことに関して生物製剤課の中では議論はどうだったのですか。議論はなかったのですか。これは藤崎さんの全くの私見なんですか。
  87. 郡司篤晃

    郡司参考人 行政の中では、意外にという言葉を使っていいのかどうか知りませんが、自由な議論が行われます。したがいまして、そういう議論が行われたかという御質問であれば、それは行われた可能性は十分にあります。十分にあります。  しかし、私の記憶では、その時期に重大な方針の転換を私がしたという記憶が全くないのであります。したがって、そういうことから、先ほど申し上げましたような私の推定を申し上げたわけであります。
  88. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 いや、私は、この七月四日から十一日の間に重大ないわば意思の変更があったというふうには言っていないのですよ。そうじゃなくて、そういう議論が、郡司さんの中にもリスクとベネフィットに関しての葛藤はあっただろうと思います。リスクもある、ただ疫学的には非常にまだ少ないというふうに認識していたし、それから、ATL類似性の感染症で、もしかすると発症する頻度も非常に少ないかもわからないという判断はあったのかもわかりませんけれども、少なくともリスクはあるというふうには考えていたわけですね。だからエイズ研究班を設置したわけですから。  そうすると、そういうような意味で、エイズ研究班の中での討議の中で、私は、第一回目のときには、生物製剤課の皆さんは非常に意気込んで、これは非加熱製剤はなかなか危険なものだからというような、だって危険があるというふうにおっしゃっていたわけですから。ところが、専門家意見を聞いているうちに、これはベネフィットの方が大きいぞというふうに判断していった。だから徐々に、急速に変化したのじゃないかもわかりませんけれども、徐々に変化していった。その中で、七月四日のような、例えばトラベノール社、それから、非加熱製剤を排斥して加熱製剤を早く導入しようじゃないか、こういう議論は生物製剤課の中では相当あったのですかということを聞いているのです。別にどっちに決めろということじゃなくて、そういう議論はありましたか。
  89. 郡司篤晃

    郡司参考人 議論はたくさんしたと思います。特に、具体的にはトラベノール社が先ほど申し上げましたような薬を開発した、三月にはアメリカで承認されている、これはB型肝炎対策としてではありますが、そういうことがありましたので、私は興味を持って、直接アメリカ技術者に来ていただいてスライドを使って説明を受けたのであります。したがいまして、加熱製剤につきましては、私は課内ではたくさん議論しているというふうに思います。
  90. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 今、そのトラベノール社の話が出ましたけれども加熱製剤が非常に臨床的に余り意味のないものだという判断を、郡司さん、先ほど専門家でないとおっしゃっていた郡司さんが判断なさったのですか、それともエイズ研究班に諮りましたか。
  91. 郡司篤晃

    郡司参考人 加熱製剤のことについて審議をお願いした記憶はちょっとないのでありますが、小委員会の中では議論されていると思います。  それから、製剤がどのような手続によって製造承認になっていくかということの相談は、窓口で、つまりうちの課でやるわけでありますので、そのような相談はしておりまして、その判断は課の中でしていると思います。
  92. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 大変残念なんですけれども、時間が非常に制限されておりますので。  せっかくの機会です。郡司さんの在任中に加熱製剤の治験が進んでいくわけですね。結果的に承認のところではもう既に後任の方に譲っているわけですが、例えば、最初エイズ研究班を設置したときにリスクは非常にあった、そしてクリオを導入しようと思ったけれども、なかなか制度上、それからさまざまな原因でうまくいかなかった。結果的に加熱製剤開発せざるを得ないということで治験に入るわけですね。そして、その加熱製剤が出てきて生産がされ得るところの直前でおやめになっているわけですけれども、そのときに、回収に関して、後任者に対しての申し送りのようなものは何らかなさったことはありませんでしたか。
  93. 郡司篤晃

    郡司参考人 私が在任したのは一九八四年の七月まででありますので、治験が始まった直後でありまして、まだいつ製剤が出てくるかということについては予断ができない状況でありましたので、私は引き継いでいないのではないかというふうに思います。
  94. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 それでは、加熱製剤をつくる経緯、それからその後に出てきたときの対処に関しては、後任者には何らかの形で申し送りはございましたか。
  95. 郡司篤晃

    郡司参考人 中央官庁は余り申し送りというのをきちっとやらないという、それはいい点と悪い点と私はあると思うのです。つまり、悪いところはちゃんと直してもらえるという面もありますので。しかし、私が地方に出たときに、引き継ぎ書というものに基づいて引き継ぎをさせていただきました。ああ、これはいい制度だなというふうに思いましたので、私は自分で紙にメモって引き継いだ記憶があるのでありますが、その内容はちょっと私は記憶しておらないのであります。
  96. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 その回収の件は、私は、エイズ研究班ができて、そしてリスクを考えて、残念ながらベネフィットを優先したがゆえに加熱製剤の治験を導入せざるを得なくなった、それで最終的に、そのてんまつの最後は、加熱製剤が出たときにいかにきちんと回収するかというところまでつながって初めてエイズ研究班意味があるわけですね。  そうすると、郡司さん自身はその回収に関してはどういうふうにその時点でお考えになっていましたか、加熱製剤の治験が始まった段階で。そのことだけ、最後にお伺いしたいと思います。
  97. 郡司篤晃

    郡司参考人 回収につきまして、私がそのときどういうふうに考え、どのように引き継いだかということについては、ちょっと今残念ながら記憶がございません。申しわけありません。
  98. 鴨下一郎

    ○鴨下委員 学者であり行政官であり、そしてエイズの問題について非加熱製剤ということで重大な任務を帯びていた方が、最終的に、事のてんまつの最後は、いかに危険な製剤を回収するかというところで初めて完結するわけでして、その辺のことを記憶なさっていないというのは私は甚だ無責任だというふうに思いますけれども、今回は時間がないものですから、これにて終わらせていただきます。
  99. 和田貞夫

  100. 五島正規

    五島委員 朝から既に一時間半にわたりまして郡司参考人に同僚議員からの質問が続いているわけでございますが、御回答を聞いていますと、我々が現在得ている資料に合わせまして疑問点が広がるばかりでございます。  まず第一に、このエイズ研究班を設置することになったその経過についてお伺いしたいわけでございますが、何のためにこの研究班を、どういう目的を持って設置したのか、だれと相談してこれを設置することになったのかということについてお伺いしたいと思います。  先ほど郡司参考人は、血友病患者治療をどうするかという問題で設置したとおっしゃいました。これはエイズの問題とどう関係があるのですか。要するに、血友病患者に対するエイズ感染を防止するという明確な目的を持って設置されたものであったのかどうか。  実は、先日薬務局から提出されました薬務局のファイルの中に、この研究班設置の前の五十八年五月二十五日の資料が入っております。それは、フランスの輸血用血液輸入禁止措置に伴う一連の問題でございまして、フランスの輸入禁止措置と我が国の対応ということの中に、血友病患者に対する凝固因子はその多くを輸入に頼っている、それを禁止することは患者に対して重大な影響を与えるということが一つ、もう一つは、血友病患者の日常生活の管理を強化することにより、他者への感染危険性は極めて少ないと考えるということが輸入禁止を行わない理由として挙げられています。そして対応として、いろいろございますが、血友病患者の管理指針の作成ということが挙げられています。  こうなりますと、明確にお答えいただきたいわけですが、もう既に血友病患者に対しては感染しているのだろう、だから血友病患者の問題はさておいて、その感染防止ということを主眼としてお考えになったのかどうか。そのために、血友病患者の問題については、あえてエイズ感染防止ということではなく、その治療方法というところに重きを置いた研究班の発足になったのではないかという疑いが出てまいるわけでございますが、そのあたりについて明確にお答えいただきたいと思います。
  101. 郡司篤晃

    郡司参考人 まず、エイズ研究班の設置の目的と相談の範囲でありますが、目的は、先ほど申し上げましたように、エイズの危険に直面して、その危険をどういうふうに評価して、その治療を、日本国内治療をどうするかということを検討していただくということの目的で発足をいたしました。  その当時、まだその原因が何であるか、感染力がどの程度なのか、潜伐期間があるのかどうか、発症率がどのぐらいか、全くわからない状況でありましたので、まだ御指摘のような他者への感染云々の対策までは私は考えておりませんでした。そして一研究班でもまだそのことについては検討はしていないというふうに私は理解しております。
  102. 五島正規

    五島委員 もしそのときにこういうメモがあったとしても、そのようなことは検討していないということであるとするならば、この研究班の設置の目的というのはどうだったのか。  今おっしゃいますが、少なくともこの時点において、エイズ感染性の疾患であり、そして血液を通じて感染する危険性が大であるという認識はあった。そして、血友病患者さんに対して感染している可能性あるいは感染者が発生する可能性ということは指摘されている。その点は先ほど郡司さんもお認めになったとおりの状況であったと思います。  そうであれば、感染性疾患であれば、経路対策と、それに先立っての感染対策あるいは感受性対策、この三面から検討されるわけでございましょうが、まだウイルスが見つかっていない段階において感受性対策はとれない。当然そこで感染対策と経路対策という点で検討されたというのは当たり前だろうと思う。その感染対策としての判断が問題であったのか、その目的でこの研究班を設置されたのか。それとも、そこのところはおいでおいで、もう既に感染しているかもしれない、しかし、それから先の問題としてどうするかという問題を前提にしながら、この問題を放置できないためにこの研究班というものを極めてあいまいな形でつくられたのではないかという感じがするわけでございます。  そうでないとするならば、この問題で公衆衛生局とどのようなお話になり、どのレベルにおいてこの研究班を設置するという経過になったのかということをもう少し明確にお答えいただきたいと思います。
  103. 郡司篤晃

    郡司参考人 今、研究班設置目的があいまいだったのではないかということでありますが、私は、実はあいまいではありませんでした。  私が聞きたかった最初のことは、先ほど申し上げましたように、そして年表にもお書きしてありますように、エイズのリスクに直面して、アメリカでは、部分的にでもクリオ製剤に戻るべきではないかという提案があったわけであります。その文献につきましては、後ほど同じ雑誌で反論がたくさん寄せられる、これもそこに書いてあるとおりであります。  したがって、私は、まずこのリスクに直面して緊急にとるべき対策は、治療の上でどうするのか、つまりクリオに部分的にでも戻るのかどうか、このことをまず検討していただきたいというふうに思ったわけであります。それから、中長期的な対策等につきましても相談をしたがった。あるいは、日本の国内に既にエイズ患者がいるのかどうか、そういうことも御判断いただきたい。こういうことでありましたので、私の頭の中では比較的、研究班設置目的は明確だったというふうに理解をしております。
  104. 五島正規

    五島委員 もしそのようなことであったとするならば、血友病患者に対するエイズ感染防止というものを一つ目的として、やはりそのための対応策ということも検討していたということであるならば、この研究班の論議の内容がエイズ感染問題というところから次第に外れて、経過を見る限りにおきましては、研究班の論議が血友病治療の便宜性といいますか、治療するサイドからの便宜性の論議にすりかわっている。  これは実は郡司さんがきょうお出しになったアメリカの勧告と非常に大きな違いのあるところでございまして、アメリカが、八二年の十二月にNHFが出しましたのは、例えば幼児、新鮮例あるいは軽症者にはクリオをというふうなことが明確になった。すなわち、医師の判断の中において、明確に、いかにその危険を最小限に繰り下げていくか、しかし、その状況の中において、生命に瀕するような危険な状況においては濃縮剤の使用も当然ある、こういう勧告です。まさに一例一例についてどのように医師が感染を最小限に抑えるかということを前提とした勧告です。  しかし、郡司さんが設置されたこの研究班というのは、基本的にクリオか濃縮剤かという論議が行われて、そして基本的に、まだ全体にクリオに戻すことは難しい、あるいはクリオ治療というのは時代おくれだよなんというような話まで出て、そして濃縮剤の治療の上における便宜性といいますか、その問題に議論はすりかわっているじゃないですか。  そのことに対して、行政目的としてエイズ感染の予防というところが明確であるならば、厚生省として、郡司さんとしてこの研究班に対してどのように働きかけをされたのか、お伝えいただきたいと思います。
  105. 郡司篤晃

    郡司参考人 便宜性ということに議論がすりかわってしまったのではないかという御指摘でありますが、確かに、血友病治療にこの濃縮製剤をどうするかということの場合には、先ほどもちょっと申し上げましたように、ほかの製剤に切りかえるということが、有力な対案がなかったという状況の中であります。  したがいまして、その当時、この濃縮製剤がベストだというふうに考えていたわけでありますので、その製剤のリスクとそれから便宜性というのは一体で議論をせざるを得なかったということがそのような印象を与えた結果ではないかというふうに私は思います。
  106. 五島正規

    五島委員 郡司さんとしては、この研究班の論議そのものの方向性に対して、厚生省のサイドから具体的に要望あるいは方向性をお示しするということはなされたのでしょうか。
  107. 郡司篤晃

    郡司参考人 それはかなり明確にやったというふうに私は記憶しております。
  108. 五島正規

    五島委員 先ほど石田議員の質問に対して郡司さんは、私は石田議員のあのお話は若干錯誤があるのではないかと思いますが、それに対して郡司さん、あえて否定されずにお話しになりました。  実は、この研究班というのは五十八年の六月十三日に設置されています。そして、これは厚生省研究班としていくわけでございますが、この十月十七日になりまして、例の厚生科学研究の委託事業のレフェリー委員会であります血液研究運営委員会が、五十八年度の研究課題研究目的研究期間、補助金などを検討しています。そこでもって、五十八年度の委託研究として、安部英さんを中心として後天性免疫不全症候群実態把握に関する研究、すなわち同名の研究班が五十八年の十月十七日になって委託研究にかかわってまいります。そうですね。だから、それまでの間のこの研究班の位置づけと、それから五十八年度の厚生科学の委託研究としてのそれ以後の取り扱いというのはどのようになっているのでしょうか。
  109. 郡司篤晃

    郡司参考人 済みません。ちょっと今その資料が手元にないので、御質問の趣旨が私には十分理解できませんでした。申しわけありません。
  110. 五島正規

    五島委員 いいですか、その前年度、五十七年度の厚生科学の委託研究として全部で八つの委託研究がございます。そして、それのレフェリー委員会として血液研究運営委員会というのが、村上省三さん、遠山さん、安部さん、河合さん、菊地さん、田中正好さん、安田純一さん、福岡さんというメンバーでやられています。それが五十八年の七月二十日のはずです。そして引き続きまして、その年の第二回目のこの運営委員会、すなわちレフェリー委員会が十月十七日に内幸町の飯野ビルの九階、キャッスルで開かれ、そして、五十八年度の研究委託、研究課題研究目的研究期間、補助金が示される。この五十八年の十月十七日の段階において、厚生科学研究で全部で十の委託研究がありますが、その一つとして、今言っております全く同名の研究班がこの五十八年度の委託研究として厚生科学の研究課題にのってきております。  そうしますと、このときまでに実は厚生省研究班は四回の会合を終わっているわけですよ。その間の関係はどうなっているのかということをお聞きしているわけです。
  111. 郡司篤晃

    郡司参考人 その運営委員会は、確かにおっしゃるように、血液研究に関して方針を決めていただくところだと思います。思いますが、その時間的なずれに対する御指摘だと思いますけれども、今ちょっと記憶がしっかりしておりませんで、お答えできなくて申しわけございません。
  112. 五島正規

    五島委員 時間がありませんので、ないと言われれば仕方ございませんが、ちなみに、この厚生科学の委託研究を、同じような運営委員会のレフェリー機関を通じて、郡司教授と申し上げますが、教授におなりになられてからも八回にわたって約四千数百万の委託研究を受けておられるはずでございますから、この間の経過がわからないということはちょっと理解できません。  続きまして、お伺いいたしますが、一昨日、参議院の厚生委員会の小委員会におきまして、松田重三帝京大助教授が、参考人の陳述の中におきまして、研究班の第一回の会議冒頭で、郡司さんが、血友病患者に対するエイズ感染を防止するため、加熱製剤の超法規的緊急輸入の措置あるいはクリオヘの復帰を含め検討を要請したと述べておられます。これは小委員会に対する参考人としての陳述でございますから、かなり責任は重いと思いますが、その点について、事実はどうだったのかということをお述べいただきたいと思います。  また、これに関連いたしまして、もしクリオヘの復帰ということになれば、当然、国内血由来の血液製剤あるいはクリオの増産ということのために日赤との交渉というものが非常に重要になってくると思いますが、郡司氏自身、この目的のために日赤と交渉したということはあったのかどうか、あったとすればその経過についてもあわせてお述べいただきたいと思います。     〔委員長退席、鈴木(俊)委員長代理着席〕
  113. 郡司篤晃

    郡司参考人 私がトラベノール社製剤を超法規的に輸入するということを明言したのだという記憶を述べていらっしゃる委員があることは、厚生省の文書による回答集の中で私は存じております。しかし、同数の人が、私も含めて、それは言っていないと申しております。したがいまして、これは記憶の問題でありますので、これを事実かどうかと記憶のみによって判断することは大変難しい状況だというふうに、公平に言って考えられると思うのであります。  したがいまして、状況から考えるというのも一つの手ではないかと思うのです。私は、それ以前にトラベノール社の方から、その製剤につきましてかなり詳しい情報提供を受けております。そのときに、私は、この製剤は必ずしも完璧な技術ではない、一言で言えばそういう印象を得たわけでありますので、そこで超法規的、つまり治験も何もせずに、日本の中に歴史的には一つだけポリオの生ワクチンの例がありますが、そのような形でこれを輸入するというようなことを私は言うはずがないのではないかというふうに思うのです。  したがいまして、この事実は、私は、これらの一件につきまして、記憶でいろいろ判断をするというのは大変危険なことだなと、実は私自身の反省も含めて考えております。
  114. 五島正規

    五島委員 日赤との交渉はされたのですか。
  115. 郡司篤晃

    郡司参考人 日赤との交渉につきましては、実は、テーブルを挟んで向こうとこちらで交渉事をしたという記憶はないのであります。しかし、日赤とは日常的に接触がありまして、いろいろな場面で議論をする機会がございます。したがいまして、それらの中で、こちらの考えも向こうの考えもお互いにぶづけ合ってきたと思います。  ただ、その当時、緊急対策として部分的ではあってもクリオに転換する可能性がある。もちろん、日本血液は献血であり、有効利用しなければならないことは明らかでありますので、実は私は、この新鮮凍結血漿、つまり原料でありますが、それがむだ遣いされている部分があるということもよく知っておりましたので、日本赤十字社に、この場合は生物製剤課長として、そして日赤もしかるべき人、私の記憶では副社長さんにお願いをしたと思いますが、その人に出ていただきまして、日本赤十字社におかれましても、このむだ遣い防止といいますか高度利用、このための啓蒙活動に御協力いただきたいということを正式に、のつもりでありましたが、申し上げた記憶がございます。ただ、時期はちょっと覚えておりません。  そういうわけで、日赤とはいろいろな形で交渉はしておりました。
  116. 五島正規

    五島委員 時間がないので質問が余りできないのですが、もう一、二お伺いします。  加熱製剤の治験に関してでございます。  五十八年の十一月に、郡司課長は、厚生省として加熱製剤について第一相の治験の省略と症例数を、特例をお決めになられました。しかし、この治験の総括をお引き受けになった安部教授は、第一相の治験が必要だということで、第一相の治験を一月ぐらいまでやらせておられますね。そして、しかもこの一月に、安部教授が例の、製薬メーカーからお集めになって治療普及のための財団をおつくりになったということに関連して、これは郡司課長が御指摘になったというお話を聞いているわけですが、御指摘になったところ、安部教授が非常に激怒して治験総括を辞任された。そして、それと同時に、あわせて他の、治験を担当される予定の学者辞任されて、三月に改めて安部氏が総括を引き受けるまで治験はできなかったというふうな話が伝わってきています。この間のことについてお話しください。
  117. 郡司篤晃

    郡司参考人 第一相試験の省略につきましては、長い間懸案事項でありました。これはなぜかといいますと、血液製剤というのは、もともと血液は人間の体の中にあるものでありますので、それを一度外に出してまた入れたって毒性試験は必要ないじゃないかというのが議論の趣旨でありました。しかし、これはもっと複雑な実は危険性の問題もありまして、懸案事項でありました。しかし、この懸案事項を早く解決すれば加熱製剤の治験の促進にも実は役に立つのではないかというふうに思いましたので、これを早急に片づけたというのが第一相試験省略の趣旨であります。  しかし、これは省略することができるという形になっていたと思います。したがいまして、安部先生研究班では加熱をしていましたので、加熱をすればたんぱくの変性が起こり、いろいろなことが起こるので、恐らくそういう意見があって第一相もやられたのではないかというふうに思っております。  第二番目の御質問の点でありますが、安部先生に寄附の関係で御注意申し上げましたということは事実であります。  この経緯は、八三年の暮れごろだったと思うのですけれども、複数の外資系の会社から、安部先生が寄附を要求しているが、あれは許していいのかというような趣旨の申し出がありました。時期が時期ですので、私は、あらぬ誤解を招いてもいけないと思いまして、安部先生に御注意申し上げました。  ただ、私が直接電話すればよかったのかもしれませんけれども、後輩の課長にそういう指摘を受けるのもどうかなというちょっと配慮もありまして、そういううわさがありますよという一言を、安部先生の親しい人を通じて言っていただいたわけであります。そうしたら御指摘のとおりのようなことが、安部先生が治験をやめると言い出したということも、実はどこから私は知り得たのかちょっと記憶にないわけでありますが、伝わってまいりました。大変これは困ったことになったなということで憂慮しておりました。私が直接電話をすればこんなことにならなかったのになということも含めて考えておりましたが、しばらくして、また安部先生がお始めになったということも伝わってまいりましたので、私は、大変よかったなというふうに思った記憶があるわけであります。  経緯はそのようなことでありました。
  118. 五島正規

    五島委員 時間がなくなりましたので、これで私の質問、残念ですが、終わらせてもらいますが、一言だけ申し上げさせていただきます。  盛んに治療の選択に際してリスクとベネフィットの比較ということをおっしゃっておられます。確かにそういう表現が方々に出てくるわけでございますが、この場合、学者である郡司さんに申し上げますが、複数の治療方法を比較する場合に、このリスクとベネフィットの原則というのは、リスクをいかに最小限に抑えるかということを前提としての比較であるはずでございまして、そのことを抜きにしたリスクとベネフィットとの比較という議論というのは成り立たないということを申し上げて、終わらせていただきたいと思います。
  119. 鈴木俊一

    ○鈴木(俊)委員長代理 枝野幸男君。
  120. 枝野幸男

    ○枝野委員 時間がございませんので、端的に伺わせていただきます。  まず、一九八三年七月ごろというのは、この血液製剤の問題もありますし、郡司さん、お仕事忙しかったでしょうね。
  121. 郡司篤晃

    郡司参考人 八三年七月、ちょっと今思い出すことはできませんが、私は、一般的に言えば、役所は予算の活動も盛りでありますし……。  なお、私は、文書で回答しておったことが間違いであることが一つわかった、今度資料が出てきてわかったのでありますが、実は、緊急対策が何もないということがわかってから中長期対策に取り組んだというふうに文書でお答えしたのでありますが、それは間違いでした。つまり……(枝野委員「端的に答えてください」と呼ぶ)はい。忙しかったかと言われれば、かなり一生懸命忙しかったのではないかというふうに思います。
  122. 枝野幸男

    ○枝野委員 いずれにしろ、役所の皆さん、いつも忙しいのはよく知っているのですが、だとすると、あなたの御説明はおかしいのですよ。  いわゆる藤崎メモ、七月四日藤崎メモに対して、これは藤崎さんが自分で勝手に検討用に書いたものでしょうというような説明をされています。ところが、あなたのファイルの中にとじられていた藤崎メモには、あなた御自身がお認めになっているように、あなた自身で手を加えているのです。順番を一番と二番を入れかえたりとか、大事そうなところに丸をつけたり線を引いたりとか。  忙しい役所の方が、藤崎さんが勝手にやって勝手に自分で議論をしていることを、何で一々こんな手を加えるのか。こんな手を加えるというのは、これをたたき台にして何かしょうと思わない限りは、忙しい役所の方がこんな手を加えますか。あなた、そんなに暇だったのですか。
  123. 郡司篤晃

    郡司参考人 先ほど申し上げましたように、役所の中ではかなり自由に議論をします。だれかが議論したいと言えば、ほとんど必ず議論します。そういう意味で、私は、藤崎さんが一生懸命、血液問題やりたいということを言っておられましたので、多くの議論を起こしたのではないかと思います。したがって、私はそれに応じたということでないかと思います。
  124. 枝野幸男

    ○枝野委員 この七月四日のメモは余りあなたのお考えとは違っていて、現実不可能なものもたくさんあってと言う割には、このあなたの書き込みの内容は、順番を入れかえた方がいいとか、例えば、トラベノール社に対して加熱処理の輸入承認申請を急ぐよう指示するというところへ「世界各国」と書いてある。これは、トラベノールだけじゃなくて、加熱技術を持っているところが出てきたらどんどん急げという趣旨としか読めないですけれどもね。  基本的に、藤崎さんが書いたスキームの中で、手を加えればいいものになりそうだなという意思がなければ、こんな手の加え方はないですよ。郡司さん自身が、藤崎さんの書いてきたものには現実性がないという話であるならば、こんな細かいところに手を加えたって意味がないじゃないですか。  それは、一応、藤崎さんが個人の意見として持ってきたものかもしれない。それにしても、これについては、あなた自身としても参考になるなと思ったから手を加えて、なおかつ手を加えたものを自分の手元に置いてあるわけですよ。それは、あなたの説明はどう考えても矛盾をしている。記憶を呼び戻してくださいということをここで言っても、記憶ありませんと言われるだけですからこれ以上は言いませんが、あなた自身の主張には矛盾があるということを十分御自身で認識をしていただきたい。  それからもう一つ、七月十一日のメモ、これも何か内部でいろいろ議論をしたものの云々かんぬんというようなことをおっしゃっていますが、先ほどの質問にもありましたが、藤崎さんのファイルの中から「局内三役レク用」という文字が書かれているものが出てきた。これは御存じだと思います。これは藤崎さんの字ですか、あなたの字ですか。
  125. 郡司篤晃

    郡司参考人 私の字ではありませんという記憶があります。ただ……(枝野委員「見てみていいですよ」と呼ぶ)私は彼の書体までは記憶しておりませんでしたが、今回いろいろ資料が出てきまして、それを……(枝野委員「あなたの字かどうかだけはわかりますか」と呼ぶ)ええ、僕の字はわかるのです。(枝野委員「あなたの字ではないのですね」と呼ぶ)僕の字ではありません。
  126. 枝野幸男

    ○枝野委員 ここも、郡司さんの御記憶が、あるいは御記憶がないという上で推測を御自身でされている説明がおかしいのでぜひ撤回をしていただきたいのですが、記憶がないなら記憶がないと言うだけで結構なので。  郡司さんのファイルには「局内三役レク用」というものが書いてないのですよ。藤崎さんの、つくったという藤崎さんのファイルの中に入っているのは「局内三役レク用」というのが書いてあるわけです。しかも、藤崎さんは、その前につくった七月四日のメモは、自分の字でなぐり書きをして、私も字が下手なので人のことは言えませんが、大変読みにくい字で書いてあります。この十一日のメモというのは、きれいに清書をして結論まで書いて、しかも、自分のところには「局内三役レク用」というなぐり書きが書いてあるものをとじておきながら、郡司さんのところには、そういったもののないきれいなものをお届けになっているわけです。これは、だれがどう見たって、局内三役レクをしたのだとしか読みようがないわけです。  ちなみに、一般論として、局内三役というのはどなたですか。
  127. 郡司篤晃

    郡司参考人 まず、三役というのは局長と審議官と企画課長でしょうか、そのように理解をしております。  その資料、今細かいところまではよく覚えておりませんけれども、先ほど申し上げましたように……(枝野委員「聞かれたことだけで結構です」と呼ぶ)そうですが。
  128. 枝野幸男

    ○枝野委員 次に、トラベノールが五十八年の七月に、自主的に国内で回収をしましたね。これは、あなたは御存じだったかどうか、それから、薬務局の中でほかに御存じだった方はどなたか、教えてください。
  129. 郡司篤晃

    郡司参考人 トラベノールの回収の話でありますが、実は、私はそのことを事後に、かなり事後に知らされたという記憶を持っております。そして、文書による回答にも申し上げましたように、そのことについては、局内の先ほどの三役の方々には私は通知していないと思います。     〔鈴木(俊)委員長代理退席、委員長着席〕
  130. 枝野幸男

    ○枝野委員 それは話が逆なんですよ。五十八年の七月二十六日に例外許可をしましたという通知は、厚生省薬務局長の名前で、厚生省薬務局長の判こを押したものを、これは輸入の代理店だか何だかよくわかりませんが、住友化学工業に出しているのですよ。七月の二十六日の段階で、薬務局長は少なくとも知らなきゃおかしいのですよ。今あなたは、あなたのところから薬務局長に報告をするようなタイプのものだと言いましたね。あなたのそのおっしゃったことは矛盾するのですよ。どう説明されます。
  131. 郡司篤晃

    郡司参考人 私の記憶で申しわけありません。私の記憶では、そのことについて特別の報告をしていないというふうに記憶をしているわけであります。
  132. 枝野幸男

    ○枝野委員 郡司さんは、このエイズは問題だ、血友病エイズは問題だと非常に強い危機感を持って、そしてエイズ研究班をおつくりになったわけですね。先ほど来そうおっしゃっています。しかも、自分で勝手に研究していたのじゃないのですよ。郡司さんは、税金使って研究班をつくって研究しなきゃならないというところまで真剣になられたわけです。  記者会見をやったら、マスコミがたくさん集まって報道したわけです。当然、それは局長さんにしろ、省内みんな知っている話ですよ。それにかかわるところで、回収をしたなんて話を、局長さんが判こを押しているのだから、おい、この話はどうなんだと、判こを押した局長さんが判こを押すときにあなたにお尋ねになるか、あるいはあなたの方からこういうことだといって説明をして判こを押してもらうか、そういったことがないのは、それこそ、その仕組み自体が厚生省として怠慢じゃないですか。どういう説明をされるのですか。
  133. 郡司篤晃

    郡司参考人 繰り返して申しわけありません。その辺の記憶は私はございません。私は、特別意味がある情報だというふうに考えませんでしたので、そのことを特別、局長に決裁をもらいに行って、そのときに例えば説明するというようなことはしていないというふうに思います。
  134. 枝野幸男

    ○枝野委員 もう一つおかしなことがあるので、後でまとめてこの話、聞きますけれどもエイズ研究班のメンバーを決めるのに、郡司さんは、あなたがお決めになったのですか、そして、あなたがお決めになったとすれば、だれと相談して、省内ではどなたと相談されたのですか。
  135. 郡司篤晃

    郡司参考人 委員会委員の決定はなかなか、先ほど申し上げましたように、複雑なプロセスをとります。つまり、どういう専門がいいかとか……(枝野委員「プロセスでなくて、具体的に相談をした相手を挙げてください」と呼ぶ)相談は、事前に各委員方々に打診をします。(枝野委員「省内で」と呼ぶ)省内ですか、省内では事前に打診をすることはないと思います。
  136. 枝野幸男

    ○枝野委員 昭和五十八年当時と今とでは状況が違うことはたくさんあるのですが、この五十八年当時でも、エイズ研究班をつくったことも、その研究班の活動も、その都度記者会見をやって、マスコミはビデオ、カメラまで撮ってあるわけですよ。そんな重大な話なわけですよ。研究班をつくりましたといったら、日本全国、報道されて知る話ですよ。そんな話をなぜ事前にあなたは上司に相談をしないのか。  そして、この回収の話も、局長さんみずから判こを押しているのに、なぜそこについて局長さんから何か発言を求められたり説明をしたりということをしなかったのか。もしそれが、あなたの上司、局長や次官がこんな大きな話を、マスコミでも騒がれている話を、郡司君、どうなっているのだといって聞いてこなかったということをあなたがおっしゃるのだとしたら、その上司はでくの坊だとあなたが言っていることになりますよ。そんなことあり得るわけないじゃない。テレビでみんな知っている話ですよ。きちんとみんなが納得できるように説明してください。
  137. 郡司篤晃

    郡司参考人 先ほど私は、委員の選定といいますか決定のプロセスは複雑だ、これは、どういう人を委員にするかということが複雑だというふうに申し上げました。これも、課の中で決定した後には、恐らく、外に出る場合には、局長、三役にもそれはお話はしていることは当然だというふうに思います。
  138. 枝野幸男

    ○枝野委員 今のお答えは、例えば厚生省調査班からアンケートで求められたお答えと明らかに矛盾していますよね。ほとんどのことは私が自分でやりました、上の人には報告していませんという回答をあなたはたくさん出されているのですよ。今の話では、少なくとも報道されているようなことがあることには話をしていたと。  それで、話をしていたら、具体的な中身まで説明しないのですか。こんな大事なことですよ。予算を使っているのですよ。どこまで説明をしていたのですか。あなたから例えば局長や次官に対しては、どんなことまで説明をしていたのですか。まあ、回収は重大じゃないとあなたが判断してあなたが握りつぶした、それはいいでしょう。ほかのことはどこまで説明していたのですか。
  139. 郡司篤晃

    郡司参考人 残念ながら、どこまでそれを説明したかという細かい事情につきましては、正直言って、これはよく記憶しておりません。十三年前の話で、資料も見るまでちょっと、見てもなかなか思い出せないぐらいの状況でありますので、どういう説明をしたかまでちょっと記憶していないのであります。申しわけございません。
  140. 枝野幸男

    ○枝野委員 そういうお話だったら初めから話はわかるのです。何を説明したか記憶がない、どこまで説明したか記憶がないというのと、説明しなかったと思うというようなニュアンスのこととは全然違うのです。今のお話だったら、じゃ上の人に聞いてみなきゃ、郡司さんからどこまで報告を受けていたのですかと聞かなきゃならなくなるわけです。あなたは従来、そういった意味では、意識的かどうか知りませんが、上司をかばったのか無意識でやったのかどうか知りませんが、あなた自身がどこまで説明したのか記憶がないという話と、説明しなかったと思うという話と全然違いますからね。今回新しいことが出てきたというふうに認識させていただきます。  それから、ちょっと話が変わるのですが、血液製剤からエイズ感染するのではないかというような疑惑を持って、可能性を持って対処をしなければならないということになったときに、当然、血液製剤のシェアの半分をミドリ十字が占めているということはすぐにお気づきになっていましたよね。
  141. 郡司篤晃

    郡司参考人 直接そのことを私は記憶していたわけではありません。後で資料を見せていただきまして、そういう事実があることは承知しております。
  142. 枝野幸男

    ○枝野委員 後からというのは、研究班なんかの議論の中でですか。
  143. 郡司篤晃

    郡司参考人 今回たくさん資料が公開されたものの中にあったような記憶があります。
  144. 枝野幸男

    ○枝野委員 少なくとも、研究班の中で議論をしているときには、シェアがどこがトップで、どれぐらい持っているかということは、あなた、御担当の課長ですよ、しかも圧倒的な多数をとっているのがミドリ十字ということですよ。それを全然認識もせずにあなたはこの対策をとったのですか。
  145. 郡司篤晃

    郡司参考人 ミドリ十字社が大きな会社であるということは十分承知しておりました。ただ、マーケットが何%であったかということについては記憶しておりません。
  146. 枝野幸男

    ○枝野委員 マーケットが何%か知っていましたかなんて聞いていないのですよ。国内シェアの半分ぐらいの大きなシェアを持っているということは認識されていたのでしょう。
  147. 郡司篤晃

    郡司参考人 それは記憶していると言ってもいいと思います。
  148. 枝野幸男

    ○枝野委員 そこで、研究班をつくったりとか、それから省内でいろいろ議論していくときに、ミドリ十字のそれまでの歴史というか、残念ながら、この会社、今回の薬害事件の加害者になったというのが初めてではないわけですね。そういった歴史というものは、会社の体質というものは当然厚生省にいれば御存じのはずでありますし、それからまた、その会社が厚生省から多数の天下りを受けている会社であるというのも当然認知をしていなければおかしい話だと思います。  それから、ここは、あなたが違うと思っていたと言えばそれまでですが、ミドリ十字という会社の体質が非常に製薬メーカーとしては政治的である。それは政治家とのつながりということだけではなくて、役所やそれから学者との間でも非常に政治的であるというような評判というのは当時からあったわけであります。  さらに言うと、あなたがいずれにしろ最終的に責任者としてお決めになった安部英氏は、先ほど五島委員の質問にもありましたような、製薬メーカーに圧力をかけるような、それから、それで治験をとめちゃうようなことをしていたわけですし、しかも、それは研究班が行われて彼が研究班長としていろいろな取りまとめをしている過程の五十八年の段階で、彼は血液製剤をつくっている関連の会社に対して高額の寄附を要求して、それに対してクレームが来て厚生省から注意を受けている、そんな人物なわけです。  こんなもろもろのことを、周りの状況を、あなたは行政官としていろいろなことに気を使わなきゃならないな、まさか厚生省の天下りのOBが役所の後輩に圧力をかけることはないだろうけれども、そのことは留意しなきゃいけないなとか、安部という人はお金に汚いから何かするかもしれない、気をつけないとな、そういうことを行政官としては当然のことのように意識をしていなかったら、これはおかしいですよ。そういったことを意識していましたか。
  149. 郡司篤晃

    郡司参考人 実は、安部先生とは学生のころポリクリで一度御指導を受けただけでありまして、その後、全く交流もありませんでした。したがって、どういう人物かということに関しては私は余りよく知りませんでした。  ミドリ十字につきましては、その当時からいろいろな事件もあり、また、批判をするような文書もありましたので、私はある程度知識がありました。
  150. 和田貞夫

    和田委員長 枝野君、質疑時間が過ぎておりますので、よろしく御協力をお願いします。
  151. 枝野幸男

    ○枝野委員 今のようなことをどういったふうに配慮をしたのか、行政官としては、当然、中立公平な立場で物事を進めていくために、不祥事が起こらないだろうと思いながらも、そのことを留意して行政していただかなきゃならないのに、結果的に今回の場合は、あなた、安部さんが決めたのだということをおっしゃっていますが、その安部さんを選んだ責任というのは逃れられない。そのあたりのところを十分認識をしていただきたいと申し上げて、私の質問を終わります。どうも済みません、延びまして。
  152. 和田貞夫

    和田委員長 岩佐恵美さん。
  153. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 エイズ研究班の設置目的につきまして、再度確認をさせていただきたいと思います。  薬務局に設置をしたということは、エイズに関連して血液製剤の取り扱いをどうするか、そういうことを中心に議論するからであって、もしエイズ患者の認定だとかあるいは疾病対策、そういうことを中心に議論するのであれば公衆衛生局に設置をするだろうというふうに思うわけです。先ほどからの回答にもありますように、血液製剤に対して参考人が危機感を持った、だからこそ緊急にエイズ研究班を薬務局に設置をしたということだと理解をしますけれども、改めて、そのとおりでよろしいのかどうか、確認をさせていただきたいと思います。
  154. 郡司篤晃

    郡司参考人 そのとおりでございます。
  155. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 先ほどからまた議論になっております七月の四日付の文書でございます。藤崎さんが書かれたという文書ですけれども、このとおりの方針でいけば、現在のような被害が起こらなかったというふうに思います。その点について参考人はどう考えられるのか、伺いたいと思います。
  156. 郡司篤晃

    郡司参考人 厳しい御質問だと思います。つまり、仮定の話とはいえ、もし加熱がその当時日本に存在していれば、おっしゃるとおりになったと思います。  しかし、先ほども申し上げましたように、加熱製剤自身に問題があり、日本の制度におきましては原則として治験をするということでもあり、また、加熱をいたしますと収量が減る、輸入がふえる、また、その加熱の効果自身もまだ不明だ、そういう状況の中で、研究班は大変ある意味では常識的な、つまり世界コンセンサスと同じ決定を下して、結果的には大規模な感染を起こしてしまったということでございます。
  157. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 七月十一日の薬務局の文書ですけれども、これは七月十八日のエイズ研究班会議に臨むに当たっての血液製剤の取り扱いに関する問題点と対応を整理をしたものというふうに理解をしますけれども、これが薬務局三役にレクをした資料というふうになっていますが、これが最終的に薬務局の方針になったのかどうか。  それから、研究班が開かれる前にもう既に研究班の方向づけというのが決められていたということになると思いますけれども研究班にこの資料が出されたのかどうか、その点について伺いたいと思います。
  158. 郡司篤晃

    郡司参考人 繰り返し申し上げておりますように、七月十四日付の文書につきましては……(岩佐委員「十一日」と呼ぶ)十一日ですね。十一日の文書につきましては、研究班には出していない、そして、私の考えでは、それは課としての正式な文書ではなかったというふうに私は記憶しているわけであります。したがって、それは外に出ていないというふうに思っているのです。  それから、あらかじめ研究班を方向づけていたのではないかという御質問でありますが、ある意味では、ある程度何をするかということにつきましては予定をしておりませんと予算の計画も立ちませんので、予定をしていたと思います。  例えば、第一回の研究班のときに、日本にとりあえずエイズというような症状を呈している人はいないかどうか、非常に簡便な調査をさせていただきました。これは大病院だけの調査をやりましたので、一カ月後にそういう結果が出てくる。そういうわけで、何をやるかというようなことにつきましてはあらかじめ予定しておりましたけれども、その中身につきまして、結果につきまして、私が何かその結果を左右するとか、そういうことはしていないつもりであります。
  159. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 「AIDS研究班第二回班会議議事次第」、これは七月十八日に開かれたものですけれども、薬務局から出されている局内レク用、それから保健医療局からも出されているのですが、局内レク用とそれから保健医療局から出ているものは議事次第が同じなんです。それで、参考人のファイルから出てきたものが違うのです。  どこがどう違うかというと、その議事次第の五番目に、「AIDS対策検討」ということで(a)、(b)とありまして、(a)は「予防・広報活動」、(b)が「血液製剤の取り扱い」というふうになっていて、それで、参考人資料から出てきたものについては、5の(a)、(b)というその記号がなくなり、(b)の部分が、つまり「血液製剤の取り扱い」という部分がそっくり抜け落ちているわけです。  本来からいえば、先ほどから、設置目的からいえば血液製剤をどうするかということでこの研究班が設置をされているわけですね。第二回の議事次第からなぜその重要な部分が抜け落ちてしまっているのか、一体どちらがこの文書なのか、どちらが研究班に出されたものなのかということを伺いたいと思います。それで、参考人のファイルでないものから出てきたものは局内レク用資料というふうになっているのですね。これは薬務局の資料から出てきているわけです。その点について、どっちがどうなのか、何を研究班に出したのかということをお答えいただきたいと思います。
  160. 郡司篤晃

    郡司参考人 簡単に結論から申し上げますと、ちょっと私は、その細かいことについて、その文書の違いも知りませんでした。記憶もありませんでした。ありませんでした。  ただ、第二回であれば、相当エイズの症例の検討をしておりますので、製剤に関する検討はそして後に小委員会の方に移されますので、もしかしたらそういうことが関連しているのかもしれません。これは想像です。申しわけございません。
  161. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 私は非常に問題だと思うのですね。七月四日の文書から十一日に、これはもう明らかに方針の大転換が行われているというふうに思うのですね。しかも、その七月十八日のエイズ研究班の議事次第から、本来やらなければいけない「血液製剤の取り扱い」が消えてしまっている。大問題ですね。  しかも、私は、課長が知らなくて、それで、何かよく記憶にありませんと、これは非常に重要な問題だったと思うのですね。七月四日の議論から十一日に変わり、十一日からまた十八日の議事次第に至るまで何か大きな変化がある。先ほど、国際会議のいろいろな影響とかというような話がありましたけれども、ここのところについて、もっときちっと記憶を整理をして本当のことを私は語っていただきたい。  先ほどからの論議を聞いていてもちっともよくわからないということで、これは委員長に、場合によってはちゃんと証人喚問で、きちっとその当時のことを話していただきたいということで、呼ぶようなことを検討をしていただきたいと思います。
  162. 和田貞夫

    和田委員長 ただいまの御意見につきましては、理事会で相談をさせていただきましょう。
  163. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 それで、その七月十一日の文書ですけれども、「薬事法上の手続きでは、可及的速やかに処理しても本年十一月頃になってしまう。」というふうに書いてあるわけですけれども、これは薬の剤型変更、いわゆる一変ということを念頭に置いての文章だと考えるのが普通だと思うのですけれども、その点についてどうですか。
  164. 郡司篤晃

    郡司参考人 実は、その記載があることを、私は資料を、説明を受けて知りました。しかし、だれも、その十一月ですか、になるだろうということの意味を理解できないのであります。  それから……(岩佐委員「もういいです、それじゃ。わかりました」と呼ぶ)済みません。
  165. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 これもきちっと答えられないわけですね。  ちょっと時間急ぎますが、スピラ博士との会合が、この間、松田参考人は、学者の側からセットしたことはない、これは役所、行政の側からのセットだというふうに言っておられますけれども、その点についてはどうですか。
  166. 郡司篤晃

    郡司参考人 その経緯は、だれが主催したかということは私は正確には実は覚えていないのですが、経緯はこうでした。  CDCの方が京都で開かれる国際会議に出てくる、いい機会だから研究班の関係者みんなでできるだけ時間の都合がつく人で集まったらどうですかという提案を受けます。そして、そのアレンジをする、つまり通知をしたり、そういうことをするのは課でやったというふうに思います。ただ、もし会場を借り上げたりというようなことですと恐らく研究班の方にお願いしたかもしれませんが、どこでやったか、ちょっと私は記憶しておりませんので、その細かいことについてはわからないのです。
  167. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 八月の二十九日というと非常に重要な時期ですよね。そういう重要な時期に重要な会合が行われて、そのことについて記憶していないとか、これも肝心なところについて、伺いたいところについて厚生省の課長が記憶していない。これも本当におかしな話だと思うのですね。  この場で、帝京大の二症例がアメリカではエイズだ、そういうふうに言われて、そういうことを郡司さん、参考人は聞いておられたわけですね。それで、そのままだれにも、厚生省の内部の上司には報告しなかったのか、あるいは公衆衛生局の見解はどうだったのか、あなた自身、その結論を得てどうしなければいけないというふうに思ったのか、その点について簡潔にお答えいただきたい。
  168. 郡司篤晃

    郡司参考人 簡潔にということでありますので……。  エイズの確定診断はできないという状況だった、これはおわかりいただけると思うのですね。ただ症状だけ記載されてあるという、そういう定義でありました。だから、その症状の解釈によって、いかようにもというわけではありませんが、かなり幅が出てくるということはお認めいただきたいと思うのですね。アメリカの場合には、できるだけたくさんの似た症例を集めようという目的でやっておりました。  したがって、幅広にその定義を解釈した、これは私が受け取った感想でありますが。そして日本研究者は、日本のもしかしたら第一例かもしれないと。そして、かなり複雑な症例でありました、私の印象では。したがって、そのような結論になったと思います。しかも、その場には研究班人たちがたくさん出ておりましたので、研究班の班員はかなりの程度それを知るところになっていたと私は理解しております。
  169. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 終わります。
  170. 和田貞夫

    和田委員長 土肥隆一君。
  171. 土肥隆一

    ○土肥委員 郡司さん、五十九分にぴたっと終わって本会議へ参りますので、よろしくお願いします。  私は、たくさん質問あるのですけれども、要するにこの悲劇というのは、第一回の、エイズ研究班が設立されて、二年かかって加熱製剤がやっと認可を受けて出回る、この二年間という期間を置いたということですね。これは、だれの責任かというよりは、なぜそういうことになったのかということを考えたいわけです。  そのときに、エイズ研究班をおつくりになったときに、それは製剤課長である郡司さんが決められたことだと思いますが、先ほど衛藤氏の質問で、この研究班というのは単なる研究目的としたものであった、ところがこれが重要な意思決定をする場になってしまった、こうおつしゃったのは間違いないですね。  そうなると、行政担当者である郡司さんそれからエイズ研究班、意思決定の場が、最初の、郡司さんがこの研究班をつくろうとする意気込みから、研究班に移ってしまって、その研究班に引きずられてしまって、結局、行政的な作業ができなくて、意思決定ができなくて二年間たったというふうに私は理解するのですが、この辺についてどうですか。
  172. 郡司篤晃

    郡司参考人 私は、引きずられたという言葉では考えておりません。専門家というのはやはりある、そして専門家の判断というのはそのときにできるベストな判断だというふうに私は考えております。
  173. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうしますと、これはエイズ研究班ではなくて、血友病者がエイズ感染したのではないかという疑いを解明する研究班だったと思うのですね。エイズ研究班じゃないですよね。  したがって、エイズというこどがよくわかっていない、血友病原因もわかっていない時代の話です。そして、郡司さんは大変膨大な資料を読んでいらっしゃる。MMWRだとか、とにかくとてつもない研究をよくしていらっしゃる。海外の情報をきっちりつかんでいらっしゃる。そして、八三年の四月には藤崎さんがやってくる。藤崎さんも血液をやりたい。いわばその八三年の当初、二人はがっちりと、これは大変だ、解明しようということになったと思うのですよ。ところが、もう第三回目で藤崎さんは首を切られたというふうに週刊誌に、松田さんの証言に出てくるわけです。  これは、ここがもう最後で、つまりエイズ研究班行政の当局との対決の場は第三回目で終わって、後はもうずっと、四回、五回まであるわけですけれども、結局、行政的決断は、つまり郡司さん自身の決断はもうここで閉ざされてしまった、そしてエイズ研究班に引き回された、そう思っているのですが、いかがですか。
  174. 郡司篤晃

    郡司参考人 藤崎先生は岐阜県の方に、私の記憶では御栄転でありましたので、左遷とかそういうふうに書かれて、あるいはそういう証言があったようでありますが、私はそうは思っておらないのであります。  そして、その後に来た補佐は血液専門家でありました。したがって、その人とも私は一緒に仕事をした記憶があります。
  175. 土肥隆一

    ○土肥委員 安部先生研究班の班長であるというのを決めたプロセスがまだ解明されておりません。しかしながら、週刊誌で大変申しわけないのでありますけれども安部先生というのは血友病の分野では並ぶ者のない絶対的権力を握る者であった、安部天皇と言われていたと。ここは、血友病患者さんにエイズが混入したのじゃないか、エイズウイルスが混入したのじゃないかということを解明するときに、安部先生は、血友病の大家ではあるけれども、そしてみずからクリオを発明し、そして濃縮製剤が非常に有効であるということをもうかたく信じていらっしゃるわけですね。その人に一その判断は誤っているのじゃないですかと。そして、この次はリスクかベネフィットの議論に移っていくわけですね。  そうなると、もう郡司さんの介入する場はないのじゃないですか。人権威、血友病の人権威、しかし、あなたはずっともう一九八一年からアメリカ情報をずっと知っておられて、危ない、危ない、そして、例えば帝京大第一号もある、その点を勘案したときに、どうしてエイズ研究班にその実権というか判断をゆだねられたのか、その辺の変化をお述べいただきたいと思うのであります。
  176. 郡司篤晃

    郡司参考人 安部先生血友病の権威であられた、これは事実だと私は思います。そして、委員の先生方、小委員会の先生方も全部含めてでありますが、リスクに対する認識がいろいろばらついていたことも事実であります。しかし、安部先生は当初大変な危機意識を持っていたというふうに私は受け取りました。
  177. 土肥隆一

    ○土肥委員 それは一回目ですね。一回目の話で、二回目からがらっと変わるのです。そこもなぞを解明しなければいけないのです。なぜ安部先生は変わったのか、なぜ引っ込んだのか、そしてなぜ五回で切ってしまったのかということも含めて大変いろいろな問題が含まれておりますけれども、私は、郡司さんがやはり行政マンとして最高の血液製剤の、その当時は行政専門家ですよ。なぜ早くこれはおかしいということを言わなかったのか、その点の感想はどうでしょうか、お述べください。
  178. 郡司篤晃

    郡司参考人 行政として、あるいは血液事業立場からの危機意識は、私は随分表明させていただいたという記憶になっております。  それから、安部先生の態度が変わった、あるいは研究班の態度が変わったということに関しましては、私は、国際血友病連盟の会議が大きかったのではないかなというふうに解釈をしております。
  179. 土肥隆一

    ○土肥委員 ですから、結局、責任の所在がなくなったのですよ。もう郡司さんも国際血友病学会の結論に従ってしまう、そして片や安部委員会がある、そしていわば患者さんはどんどんふえていって二年間たってしまった。責任のない行政、状態に陥ったということを私は申し上げて、質問を終わります。
  180. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもちまして郡司参考人に対する質疑は終了いたしました。  郡司参考人には、御多用中のところ、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  午後二時から再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時五十九分休憩      ――――◇―――――     午後二時一分開議
  181. 和田貞夫

    和田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、傍聴人に申し上げます。  不穏当発言等秩序を乱す傍聴人には、国会法第五十二条及び衆議院規則第七十四条により、退場を命ずることとなりますので、御静粛に傍聴されるよう、あらかじめお願い申し上げます。
  182. 和田貞夫

    和田委員長 厚生関係基本施策に関する件、特にエイズ問題について、午前に引き続き質疑を行います。  安部参考人に御出席いただいております。  安部参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。  議事の進め方といたしましては、初めに委員会を代表いたしまして委員長から総括的にお尋ねし、次いで委員質疑お答えをいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  まず、委員長から安部参考人お尋ねいたします。  参考人は、血友病についての権威として知られ、一九八三年六月当時設置された後天性免疫不全症候群実態把握に関する研究班、いわゆるエイズ研究班の班長を務められました。  そこでお尋ねいたします。  当時、米国において血液製剤エイズ感染の関連について種々の情報が発表されましたが、米国からの原料製品に依存していた我が国での非加熱血液製剤によるエイズ感染危険性についてどのような認識を持たれましたか。  また、公開されたいわゆる郡司ファイルの中に一九八三年六月十八日付読売新聞の班長就任インタビューの記事のコピーがおさめられていますが、その中で、参考人は、感染危険性について明言し、加熱処理を行うことについても触れておられます。  また、ほぼ同じ時期には、いわゆる帝京大症例について、エイズ研究班における議論や、米国のスピラ博士によるエイズ認定の動きがあり、翌八四年には、米国のギャロ博士から参考人に対して大量のエイズ感染の報告がありましたが、これらはいずれも参考人自身の患者が対象になったものであります。  以上申し上げた事実にもかかわらず、参考人は、血友病患者治療を担当する一人の医師として、非加熱製剤危険性については重大な問題であるとは思われなかったのでございますか、お尋ねいたします。
  183. 安部英

    安部参考人 委員長先生の御質問、ありがとうございましたが、お許しをいただきまして、私は長い間血友病患者治療をいたしてまいりまして、大体その期間は、少なくとも班長になりますまでに四十年間やってまいりましたのでございます。その方々に私は治療いたしてまいりましたのでございますけれども、その方々エイズのビールスの感染が起こってしまいました。これは、初めは全然想像もいたさなかったのではございましたけれども、医者として実に残念でございます。  それから、その感染をなさいました方の何人かがエイズを発症されまして、症状が出てまいりまして、そして多くの方々がお亡くなりになってしまったのでございます。医者として、殊にこの方面の研究をいたしました者としては、断腸の思いで、そのきわみでございます。ここに謹んで、この感染の皆様あるいは発症さらにはお亡くなりになりました皆様に対して心からのお見舞いとお悔やみを、また、家族の皆様に対しても同じでございますが、お悔やみを申し上げさせていただきたいと思う次第でございます。  さて、委員長先生の御質問の内容についてお答えをさせていただきとうございます。  私が後天性免疫不全症候群実態把握研究班の主任研究員ということになりまして、その当時におきまして、これはどうして起こったのかということについて私がどのように考えておったかということでございますが、私はやはり、その当時、どういう病気であるのかということすらもわかりませんでございましたから、大変悩みまして、しかしながら、外国からの報告によりますと、これは血液製剤と関係があるのではないかということが示唆されておりましたので、と申しますのは、外国だって本当にその証拠はないわけでございます。  でございますが、私はやはり、自分の患者さんというふうに、皆様、一緒の患者さんでございますけれども、そのように考えてまいりましたものですから、一番悪いといいますか危険なといいますか、問題のある考え方をした方がいいと思いまして、委員長先生の御質問のとおりに、この感染の危険が血液製剤からあったのではないかと、そういうふうに心配したか、危険性はどう思ったかということにつきましては、私はそのように思いました。それをお答え申し上げたいと思います。  それから、その当時、私は主任研究員になりまして、読売新聞社から取材が、御質問が参りましたので、私はそのことを申し上げまして、そして同時に そのころいろいろと勉強しておりましたといいますか、向こうの報告を見まして、これは加熱をしたものがいいのではないかというふうなことを印象づけられましたので、そのように申し上げました。殊に、具体的に、ちょっと六十度で十時間も熱したらどうだというようなことまで言ってしまっておりますのでございます。  これは、しかしながら、当時はこのエイズのビールスがまだつかまっていない、発見されていなかった時代でございますので、これ以上私としては何も根拠がございませんのですが、しかし、皆さんの御発表によりますとその危険があるということでございますから、また、六十度に十時間も熱すればこれは大丈夫だろうということでございますので、少しでも確実な安全な方法がいいと思いまして、このような発言をいたした次第でございます。
  184. 和田貞夫

    和田委員長 次に、加熱製剤緊急輸入クリオ製剤への切りかえ、原料血液国内自給などの対策について、エイズ研究班ではどのような検討が行われましたか、また、非加熱製剤使用継続を認めた血液製剤問題小委員会結論は妥当であったと考えますか、簡潔に御説明願いたいと思います。
  185. 安部英

    安部参考人 お答え申し上げます。  実は、この私が参加いたしました研究班で、一番最初に、厚生省郡司課長さんから、どういうふうなことを検討する委員会であるかという御説明をちょうだいいたしました。それは、日本エイズ患者さんがいるかいないかということを学問的な立場検討してくれ、そして、それを学問的な立場に立って報告してくれということでございました。  それで、私はそういうことを心がけたのでございますけれども、そのことに関連をいたしまして、治療をどのようにするかということ、殊に、これの行政的な手段に関しましては私のお答えをすることはちょっと大変難しいと思いましたものでございますので、血液製剤委員会の設立を委員の皆様と相談をいたしまして、そしてそれをつくるということになりましたので、ただいま委員長先生から御質問がございました製剤に関するいろいろの問題点などは、その小委員会に一応お願い、ゆだねたわけでございますので、そちらの方でやっていただきたい、それから、それをまた私どもが伺わさせていただいて、それについてのまた意見を申し上げようということにしたわけでございます。  ちょっとここで、時間の関係もございますが、血友病というのはどういうものかということを簡単に御説明をさせていただきます。(発言する者あり)  それは、血友病というのは遺伝的な出血性の疾患でございまして、これは普通、出血というのは普通の人間はたびたび起こすものでございますが、簡単に治りますのにかかわらず、血友病の場合はそれができないのでございます。  したがって、これをもし治療をうまくいたしませんと、私が学生のころはもちろんでございますが、前の戦争から帰りましたころのいわゆる五〇年代のときは、二十歳まで生きられる人というのが非常に少なくて、大体八〇%は亡くなっているのでございます。殊に重症の方は、一歳まで、お誕生日まで生き延びるということが非常に困難でございましたのでございます。  したがって、この治療はこの遺伝的に失われております凝固因子を補わなければなりません。それで、これは患者さん、正常者からの血液からこの製剤を、その因子を補充しなければなりませんものでございます。いわゆる補充療法しかできないのでございます。  補充療法をやりますのには、いろいろと初めは輸血をいたしましたけれども、効きません。それは、輸血血液全体では濃度が低いからでございます。それで、今度は血漿にいたしましたけれども、これも余りよく効きません。それでクリオにいたしまして、これでやっと少し私どもは愁眉を開いたのでございます。しかし、これが私どもの第一歩でございまして、それから、これを基本に、クリオから、濃縮製剤をつくりまして、それから治療するようになったのでございます。  それでございますので、今申し上げました治療の方針をどのようにするかということは、この上に立ってでなければ治療を考えることができなかったのでございまして……。
  186. 和田貞夫

    和田委員長 参考人、ひとつ簡潔にお願いいたします。
  187. 安部英

    安部参考人 はい。  そういうことでございますので、その小委員会の先生たちの出された試案を私ども検討させていただきました。
  188. 和田貞夫

    和田委員長 参考人は、一九八四年に加熱製剤開発しようとしたメーカー五社の治験を担当されましたが、治験から承認への手続の中で、結果的に承認の時期が各社同一になったことについてどのように考えられますか。  また、時期は若干前後しますが、参考人が中心になって設立しようとした財団法人血友病総合治療普及会の財源として血液製剤メーカー各社から寄附を求められ、当時厚生省が人を介して注意をしたと言われていますが、この点について説明を願いたいと思います。
  189. 安部英

    安部参考人 加熱製剤の治験の状況をまず御説明させていただきます。  治験と申しますのはいわゆる臨床検査でございますが、新しい薬をつくられましてこれを患者さんにあてがう、使おうと思いますときには、勝手にすぐにやるというわけにはまいりません。結局、その薬が私どもの希望の効果があるかということと、それから、副作用のような安全性の点ではどうかということを調べなければいけないわけでございます。これを調べますために、私は非常に苦心をいたしましたのでございます。  私が加熱製剤がいいと思っておりますのは、一番冒頭で申し上げましたように、これは絶対に変えたことはございません。これをいかにこの線に沿ってやるかということが私の治験の目的でございましたのでございます。  それで、この治験をいたしますについては、治験の先生方に頼まなければなりません、私が持っております患者さんはわずかでございますから。それで二十名余りの方々に全部お願いをいたしたのでございますが、その治験をいたしますときの説明をいたしますときに、これは私どもでは副作用がないかどうかということ、効くかどうかということを調べさせてくれなければ嫌だと皆様がおっしゃいますものですから、私は早くこの加熱製剤を通していただきたいというふうにお願いをいたしましたけれども、たんぱくを熱して得るのでございますから、加熱しておるわけでございますからそれでたんぱく熱変性ということが起こり得る、そういうことで、そのためにどんな悪影響が起こるかわからない、例えば凝集とか凝固とか凝塊形成その他のことが起こります、それから免疫性能が変わるかもしれないとか、そういうことをみんな調べさせてくれと先生方がおっしゃいますので、それを調べなければ自分たち患者さんに対して責任を持ってこれの治験をお願いをするわけにはいかないと、この先生方のお心、お気持ちでございます。  私は早く治験をやっていただきたいということをお願いをしておるのでございますが、ただいまのようなお言葉が出ますと、これをむやみに、それはそういうことはないと言うわけにはまいりませんのでございまして、結局、非常に困りまして、提案をいたしました。それは、すぐには、一相といって調べることは時間がかかりますから、今までお使いになった方々の報告とか、あるいはその印象を皆さんと一緒に私も含めまして伺いましょう。それで、私のアメリカの友達に頼んでその成績を集めようということでございます。それから薬屋さんにも頼みまして、今の治験の検査をなざいました方々の成績ももらいたいというふうにいたしまして、それで治験を、後で報告いたしますから治験を始めてくださいというふうに頼みました次第でございます。  それで、そのために、次の一カ月ばかりいたしましてまた会を開きまして、こういうことでございます。確かに新しい加熱製剤には今までなかった副作用はある、しかしながら、それはそれぞれに適当な方法をすれば何とかなるという結論でございます。それから、これを熱してはいますけれども、まだ作用は残っているということでございます。それで、これでお許しをいただいて治験を始めた次第でございます。  このために、始めましたならば、あとは私は何にも言うことはございませんで、その治験をやります先生と患者さんと薬屋さんの三者がいろいろと議論をしたり連絡をして治験をお進めになるのでございまして、私がそれをとやかく言う筋合いはなかったのでございます。ましてや、厚生省に申請をされまして、薬の許可を得られるところはもちろん私の関係するところではございませんので、こういうわけで、時間が一致したということは、これはたまたまそうなったのであろうと思うのでございますが、少なくとも、このところで私が関係をすることはできなかったのでございます。  とにかく、私がスタートしてもらいましたときには、すぐには五社の治験が同時に始まったわけではございませんで、早いところは早く始まる、遅いところはやはり遅く始まっておるのでございます。それが結果として承認の時期が同一になつたということでございますが、これは私としてはどうしようもなかったのが私の実情でございます。  次は、財団法人血友病総合治療普及会の設立の財源についてお話してございますが、実は、この財団をつくりますことにつきましては、これはここで申し上げてはあれでございますが、大変、血友病というのが、これは遺伝でございますから、実にお気の毒なのでございます。でございますから、だれかがこのお世話をしなければいけない。それで、思っておりましたところが、製剤会社の皆様がおつくりになっております日本血液製剤協会というのがございまして、その代表者になられる方が私のところにお見えになりまして、先生は長く、私が、安部は長くやっているのでこの財団をおつくりなさい、それでお金は自分たちで出すということでございます。  私は、財団などつくるのはなれておりませんし、お許しを願いたかったのでございますが、結局そういうことを引き受けまして、結局お金が、そのうちに厚生省さんから伺いましたら、初めの、製剤協会から提案がございましたお金では足りないことになりまして、それで、私は何とかしてつくりたいと思いまして頼みましたのですが、治験というものと関係のある方は既にもう出しておいでになりまして、何にも治験とは関係がなかったのでございます。  それで、残っておりますのは、もうお金の入りようがないものでございますから、私の大学の学長さんにいろいろ相談をいたしまして、少し援助をしていただきました。それでもまだ大変足りませんでしたので、私は、自分が長くためておりましたのを少しずつ時間とともに出しまして、そしてそれで、これは結局拠出したわけでございます。皆様のお出しになりましたのも、これを使いなさいとおっしゃいますし、私もそれに倣ってお金を集めまして出しまして、そして、この財団法人の財源にといいますか、その基本金にした次第でございます。
  190. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもちまして、私からお尋ねすることは終わりました。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中眞紀子さん。
  191. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 自由民主党の田中眞紀子でございます。  のどが渇かれませんでしょうか。私どもの国会議員もかなり能弁の士がそろっているというふうに思いますが、なかなか先生には太刀打ちができなくて、きょうはこの持ち時間内でお尋ねができるかどうか、私ちょっと心配になりましたのですが。  おとといの水曜日の日に、参議院の厚生委員会に先生がお出ましなさいましたときに傍聴をさせていただきました。そして、そのときに私が一番感じましたことは、物事にはハインドサイトといいますか、必ずその時々の背景の事情というものがあるわけですから、その当時の事情というものをしっかり踏まえて、認識した上でもって物事は判断しなければならないということを考えました。  それから、私ども会議員でございますから、こういう薬害というものを再発を防止するためには、我々は、政治家は何をなすべきなのかということを本当に考えるような場でなければいけないというふうにつくづく思った次第でございます。それは、私どもは医療の専門家でもございません。もちろん、検事でも弁護士さんでもないわけですし、こちらは国会という場所でございますから、私ども、本当に医療に対する皆様の不満それから不信というものを払拭しなければならない立場におります。  そして、この間の世論調査を見まして、八五%の日本国民の方たちが、何らかの形で今後自分が薬禍、薬害に冒される不安を持っている、そして九六%もの国民の方たちが今の医療制度に不満を持っているという数字が出ております。それを踏まえまして、私たちは、本当に日本人が安心して医療を受けられるような体制をつくるために我々はどうすればいいのであろうかということを、立法府の一員として私どもはしっかりと考えていくべきだろうというふうなことを思っております。  それと同時に、お医者様には一人の人間として良心がおありになると思いますし、同時に、ドクターとしてのモラル、倫理観、当然おありになると思います。そして、そうしたことをすべて踏まえた上でですけれども、人がやはり人を信じることができるのだというような医療体制をつくるためにはどうすればいいかということを、本日、自分の時間をいただくまでの間に私はずっと考えてまいりました。  そして、全然別のことですが、大勢の、きょうもそうですが、これだけたくさんの報道陣、そして被害者の皆様、御家族、そして議員のたくさんいる中で、もうすぐ八十歳に多分おなりになると思いますが、先生がお一人でああしてお答えになっていらっしゃるお姿を拝見しておりまして、御家族はさぞつらいであろうなということを私は個人的に思いましたが、ですが、先生もやはり新しい医療体制を確立するために、ぜひ率直に、手短にで結構ですが、お話をしていただきたいと思います。  それで、お渡ししてございます質問の柱の第一でございますが、エイズに限らず、薬害というものは過去にもございましたし、今後も起こさないようにするために、今後どうあるべきか、ぜひ一言で。  と申しますのは、私は、今回は、先生は大変今回の事件でのキーパーソンでいらっしゃいますから、世間が注目をしておりますし、こうしてたびたびお出かけいただいているわけでございます。ですが、やはり基本にありますのは、政界と官界と業界と、そして学界までもが本当に一体となって今の医療、これは厚生行政だけではないと思います、通商産業もそうですし、あらゆるものが、全部が癒着構造の中でもって動いていっている。だれもが責任の所在を明確にしないし、だれが意思決定をしたのかということもはっきりしないという中で、この人間の生命にもかかわるような事態が起こってしまったわけですので、エイズだけでは、御専門ではなくて一人の生活者として、薬害を起こさないためにどういうふうなことが一番重要であるというふうに思われるか、お答えいただければありがたいと思います。
  192. 安部英

    安部参考人 田中先生、大変難しい御質問でございます。  私は、確かに五十年間、医者をやってまいりました。そして、私の師匠が教えてくれましたとおりに、師匠が私に三つのことを教えてくれました。それは、患者の苦痛を救うこと、それから、患者に自分の人生をやっていくのに後遺症を残すような治療をしてはいけない、それから、ましてや命を捨てさせるようなことにするのはこれは非常に慎まなければいけないということを教えてくれましたのでございますが、薬害は、そのどれにも今関係を持っておるわけでございます。一つ薬害のためには、患者さんは苦しむこともございますし、副作用とかその他で後遺症も出ましたり、時には今もなくなってしまうわけでございますが、このことを、先生、よく見きわめるということはどうしたらいいのかということに、私としてはそう考えざるを得ないわけでございます。  これらの内容を見きわめますためには、やはり医学というものをしっかり勉強しなければいけないのだ。私はそれに努力をしてまいったつもりではございますが、先生、わからないということもございます。殊に、このたびのエイズのごときは、初めて私どもの前にあらわれた病気でございます。でございますから、やはりこういうのは、先生、もうちょっと私どもに、ゆっくりと落ちついて、そして患者と取っ組んでやれるというように、こんなことを言っては失礼でございますが、精神的なあるいは時間的な、さらには金銭的な経済的な余裕を与えていただきたい。  これも、こういう場所で私が発言ができるというのは、これは私としては遺言のつもりでございます。どうか先生皆様に、先生方に、私はもう非常に貧乏な中で研究をしてまいりました。ですから、これをもうちょっと解決、改良していただけたらというのが私の印象でございます。
  193. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 具体的なことについて伺わせていただきます。  たびたび、何度も何度も聞かれて先生はうんざりなさっているかと思いますけれどもエイズ研究班のことについて伺いたいと思います。  私は、先生はこの間の参議院のときにも、患者の苦痛を除く、生命を救済し、そして後遺症をなくすのだと、これがお医者様の三つのモラル、今おっしゃいましたことですね、それは参議院でもおっしゃっておられましたから、それは十二分に理解しておりますが、それはもう当然原点だろうというふうに私どもは思っておりますし、また、メディカルというふうな面が完璧であるというふうにだれも思っておりません。午前中の郡司さんも、医療はいつも不完全な技術であるのだということをおっしゃっておられましたから、ですから、常にチャレンジをしていくのだ、いいものを、パーフェクトなものを目指してみんなで努力をしていくものであるということは認識できておりますが、この研究班についてなんですが、どうしてもこれが得心がいきません。  と申しますのは、まず、この間参議院のときも、先生はどうしてエイズ班に入られたか、そして班長になられたのはどうしてかというお尋ねがありましたし、ほかのメディア等でも、互選であったと、互選で班長になられたとおっしゃっておられましたが、これに間違いはありますか、ありませんか。
  194. 安部英

    安部参考人 私は、自分で班長にしてくれと頼んだことは一度もございません。
  195. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 わかりました。  そうしますと、どなたがこの班の、まず班長になる前にメンバーになってほしいというような連絡を最初に先生になさったのはどなたですか。
  196. 安部英

    安部参考人 これは郡司課長さんでございます。郡司課長さんから、あなたは長く血友病をやっておる、ですから、これについては、それぞれの、あなたの知識で貢献をしなければいけない、してもらいたいということでございましたから、私は光栄でございました。
  197. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 それで、その班長は互選とおっしゃいましたけれども、今いろいろなところで、各省庁でたくさんの、いろいろないわゆる諮問委員会がございます。  このエイズ研究班は特別なものでございますけれども、昨日厚生省からもらいました資料によりますと、平成七年で厚生科学研究費をもらって、それによる研究班は何と四百三十八班もあるそうでございます。それから、検討委員会とか諮問委員会とか研究会というのは、厚生省が十五もありますし、通産省は三十四の審議会、これは審議会ですが、文部省も十六もございまして、そういうときには大体において、結構互選でリーダーが決まっていくわけです。  それは、お互いの互選ということは、異議なしというような形で決まりましたのでしょうか。
  198. 安部英

    安部参考人 私が互選をされましたときは、異議なしという前に、私についての御説明がございました。というのは、私は自分の患者さんがエイズではないかということを非常に気にいたしておりましたから、それを拾っていただいたということが一つあるのじゃないかと思います。  それからその次は、私が年をとっておりました、シニアであったということが一つの理由ではないかと思いますのでございます。
  199. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 先生について説明したのはどなたでございますか。
  200. 安部英

    安部参考人 郡司先生でございます。
  201. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 これは先生の担当なさった研究班とは違いますが、諮問委員会とか役所にかかわるものは、ほぼ一〇〇%と言っていいほど、私はこれは確信持って言えますけれども、大体、メンバーの選定自体に問題がありきなんです。  これは厚生省だけではございませんで、まず先に答えありきなんです。高級官僚といいますけれども、役所のトップに都合のいいような人たちを結構上手に推薦していく。もちろん先生のような権威者であります。権威者という人たちは、往々にして意外と人の意見を聞かない人が多いのですね。そして、その議論というもの自体が役人の一種言ってみれば政策決定にお墨つきを与えるといいますか、悪くいえば官僚の隠れみのかもしれませんけれども、そういう形でもってどんどんこういう審議会やら特殊な研究会や班というものが進められていくということが私は往々にしてあるというふうに思います。その実態を自分のささやかな大臣経験の中でも見せていただいたこともございます。  そして、その人選も中の議論も、だれがどういう責任において発言をし、だれの本当の責任によって決定されていったのかという意思決定のプロセスがさっぱり我々国民には見えてこないのです。それは単に今のエイズの班のことだけを申し上げているわけではありませんで、要するに、日本の基本的な政策、我々国民の福祉やら生命財産にもかかわるようなことが、本当に我々には見えない密室の中で、特殊な一部の専門の方たちによって意思決定されてしまっている。  ここの衆議院の厚生委員会で、前回でしたか、原告の方がいらっしゃいましたときに、だれが、どこで、どういう形で、だれの責任でこういうことが決まったのかということを質問なさいましたけれども、それは、私は全体の責任であるというふうに思っておりました。ですけれども、それには権威づけというものが必要でございまして、やはり役人は絶対に責任をとりません。先ほどの郡司さんもそうでしたが、大変率直に正直にとおっしゃいますけれども、ポイントになると記憶がはっきりしないとか、あいまいなことをおっしゃったりしておりました。  ですから、そういうものなわけですから、先生が本当に先ほどおっしゃったような三つのお医者様としての気持ちを持っていらっしゃって、そして、今回の輸血についても非常に危険があるのだということを認識なさっていたことは、かなり早い段階からそういうことを思っていらっしゃったわけです。  これは四月十七日の、この間先生が参議院にいらっしゃった日の毎日新聞の朝刊でございますけれども、先生は八三年、八四年にかけて「メディカル・テクノロジー」とかあるいは「免疫と血液」というような専門誌にしっかりと投稿をしていらっしゃいまして、そして、非加熱製剤によるHIV感染危険性は十二分にあるということを発表なさっていますね。これは間違いございませんか。
  202. 安部英

    安部参考人 書きましたことについては、私は間違いございませんけれども、内容につきましては、そのときはHIVがまだ発見されていなかったわけでございます。でございますから、HIVについて学問的、科学的な根拠はどこであるのかとおっしゃいますと、私は大変困るのでございます。  ただ私は、そのときに思いましたことは、今、HIVということについての関心を高めて、そして、これの研究をどんどん進めさせていただきたいという気持ちがございましたので、そういう立場で書いたものでございます。
  203. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 科学的な根拠がなくても、そのような御示唆をなさったこと自体は非常に前向きであるし、プラスというふうに私ども国民サイドとしては考えるものでございます。ところが、それが、この研究班の中でもってだんだんと先生のお気持ちが変わっていってしまったということの原因が那辺にあるのかということを私は知りたいと思います。  それで、参議院、四月十七日のときでしたけれども、先生は、行政と御自分との役割については明言なさいましたけれども、御自分の立場行政とは違うのだ、区分をはっきりしなければいけないということをおっしゃっておられました。そして午前中の郡司さんも、基本的な重要な意思決定というものをするところではなかったということをおっしゃっておられます。ですが、その後、郡司さんは、ほかの同僚議員の先生の質問に答えて、しかし、意思決定をする機関ではないにもかかわらず、結果として意思決定をさせてしまったことに問題がある、まず患者の救済ということを考えるべきであった。すなわち、先生がこの新聞に書いていらっしゃるような、そういう科学的根拠がなくても疑わしいということがあった場合にはすぐに手を打つべきであったのだということを郡司さんははっきりとここで先ほどおっしゃったのですけれども、そこのところについてもう一度、先生は行政との関係についてどう思われますか。
  204. 安部英

    安部参考人 私がこの研究班の主任研究員という立場をいただきましたのですが、これはあくまでも私自身の理解でございますが、これは学問的な、科学的な立場を守るべきである、だが、その結論厚生省の方にお届けすべきであるということで努力をいたしてまいりました。  でございますから、その私が出したのをどのように行政に反映させていただけるかということは、これは、そういう行政を担当なさいますところの人がおやりいただかなければ私としてはどうすることもできないというのが私の考え方でございました。
  205. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 それは理解はできますが、しかし、冒頭におっしゃった、後遺症を残さない、命を助ける、その他のこと三点から申しましたら、先生のそういうお気持ちの方が非常に強ければ、やはりもう少し熱心に働きかけるということはおできになったのではないかというふうに思います。  そこで、ここで申し上げますけれどもエイズ研究班の中での小委員会がありましたが、前回、参議院で伺ったのでは、先生は、小委員会に対しても、先生は親の方の委員会の中心でいらっしゃるのでコミットは余りしていないというふうに発言なさったというふうに理解してよろしゅうございますか。
  206. 安部英

    安部参考人 コミットは原則としては私はなるべくしたくないと思いましたのは確かでございます。しかしながら、実際は、中間報告というのを私どもはいただきました。そのときは、私どもは一生懸命にそれを論議いたしました。そうして、これについて小委員会委員長にもその趣旨を申しまして、小委員会としてまたいろいろと表現の方法やその他の対策やらなども変えていかれたと私は思っております。
  207. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 小委員会の風間睦美先生との関係について伺いたいと思いますけれども、伺っていると、大変これは民主的で客観的であったように思いますが、ある報道によりますと、安部先生みずからが主宰なさる家庭療法促進委員会、定期的に東京ステーションホテルで開催なさっていらっしゃいましたのでしょうか。(安部参考人「はい」と呼ぶ)  そこで、八三年の十月に、風間先生に対して、この段階ではもう既に安部先生のお考えは変わっていたのだというふうに私は思いますが、要するに、行政との関係で最初の志、研究者としてのお気持ちが随分変わってしまったのではないかなというふうに推察しておりますが、風間先生に対して安部先生が、クリオにこだわっていれば君は終生浮かばれないよ、あくまでも非加熱血液製剤で行くべきなんだと言った、こういうふうなことを風間さんは言われたということを認めておられて、それが、あるテレビ局のテープにも入っているというふうに聞いております。  そうして、先生は小委員会に任せているのだということをいつもおっしゃっておられますけれども、意思決定に先生はどのようにかかわっておられたのか、どのようなやりとりがあったのか。  これは、こういう言い方をするということは、この風間さんという方はもちろん安部先生の後輩でいらっしゃいますし、先生がお連れになった方でございましょうから、人間の社会のルールとしましては、そういうふうなことを言われると、これは一種の圧力なわけでございまして、風間ドクターには風間ドクターの考えがあったにしましても、やはりそれに屈せざるを得なかったというふうなことがあったのではないでしょうか。そのことがやはり非加熱製剤が大量に使用され続けて多くの人たち感染することになってしまったということになっている。そこのところが一番批判されている部分だと思うのですけれども、ぜひこの風間先生とのやりとりについてお聞かせいただきたいと思います。
  208. 安部英

    安部参考人 風間教授というのはまあ私のお弟子さんでございますけれども、この方と私は一緒に仕事をしてまいりました。しかしながら、その判定といいますか評価は、これは私だけがするわけではございませんで、風間教授は風間教授の立場で評価をいたしておるのでございますから、しかも私のお弟子さんでございますから、私が少し気を許してどなりつけたようなこともあるかもわかりませんけれども、そういうことはあったとしても、学問的な立場患者さんのためにやるということについては、風間教授といえども私の言うのを、はいそうですかというふうに聞くわけにはいかなかったのでございます。ですから、私が言い方が悪かったのだろうと思いますが、そういう誤解を招いたわけでございます。  しかしながら、あくまでも家庭療法促進委員会というのは私的な同好の委員会でございまして、これが結論的にどうこうという筋のものではございません。もう一つの、先ほど申しましたのは、小委員会はこれは公的な委員会でございますから、これと今の家庭療法促進委員会とはその発言の内容の評価もかなり違ってくると思うのでございます。
  209. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 当時、エイズ研究班ではどのような議論があったのかは本当に見えてこないわけで、この辺のことを非常に私どもは知りたいわけです。  クリオには戻れないということのようですけれどもクリオは、先生がいろいろなメディアを通じて発言なさっているもの等を拝見しますと、まず絶対量が少ないということ、それから粘性が高くて自己注射がしづらいとか、そういうふうなこともある。しかし、それは先生が御自分の血を毎週採血しながら開発なさったものでもあるということも伺っております。  しかし、この加熱製剤緊急輸入ということ、超法規的なことということはやはりできたわけですから、そういうことについて、例えば患者さんたちに、科学的に証明をされてないという、安全を見るという科学者としての、メディカルドクターとしてのお立場もわかりますが、やはり片や本当に生きている人間の命というものに対して、苦しんでいる人たち現実にいるわけですから、それを忘れては絶対に医学というものは成り立たないわけです、患者さんが多いか少ないかは関係なくとしてですよ。  ですから、その面でいきますと、やはりその緊急輸入というものについて、御自分がもっと頑張ってみようとか、そういう思いがきっとおありになったのだろうと思います。クリオに対する思いもきっとおありになったに違いないと思うのですが、なぜ変わられたのか、そこがどうしてもわかりません。
  210. 安部英

    安部参考人 私は、先ほど申し上げましたように、行政的なことには非常に慎重でございました。でございますから、その点は、それを行政的なところまで口を出してやるべきであったとおっしゃいましても、私はそのときにはそういう判断をすることができませんでしたから、そういう点ではちょっと田中先生と違うところでございます。  それからその次は、だんだんと意見が違ってきたというようなお話でございましたけれども、私には二つの面があるのでございます。一つは、私自身の意見として勝手に言えるという場面と、それからもう一つは、そういう研究班の班長であるという立場とがあるわけでございます。  班長としての立場で申し上げますときは、これは私自身の意見をそのまま言うわけにはいかないのでございます。でございますから、初めから、前と後を比較されましてトーンダウンしたのではないかとおっしゃいますのは、私はそれはそのとおりだと思うのでございます。それはしかし、私の意見を班長としてそのまま出すわけにはまいらないというのが私の信念でございます。というのは、私は班員の全体の意見を代表するということが大事なわけでございますから、多少は私の意見そのものではないことも言わなければいけませんという考え方でございます。
  211. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 あとは、例の一九八四年九月のNIHのギャロ博士にサンプルを送られた、そして四十八分の二十三が陽性であるということが確認をされてきたということを、これをなさったお気持ちは、確定ではないけれども、御自分の患者さんの中でHIV感染する可能性がある人がいる、陽性になる人がいる可能性があるということを証明したいというお気持ちがあったわけですよね。
  212. 安部英

    安部参考人 田中先生のおっしゃるとおりでございます。
  213. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 そこでまた、先生があそこで頑張られたのになぜか急に変わってしまうのは、これは私どもの推測ですし、また、ちまたでマスメディア等が言っていることですけれども厚生省はとにかく血液行政はおくれているわけですね。ですから、本当は、先生の日赤等血液行政全体に対する思いというのはたくさん、厚生省血液行政に対して思いがたくさんおありになるのだろうと思います、だれよりも。  ですけれども、その血液行政のおくれを天下にさらして厚生省は世間から指弾されたくない、そういう思いもあったでしょうし、それから、当然、すさまじい天下りをやっているわけですから、そういう中での業界との癒着もあって、そして、国内での開発を待たなければいけない、ヘキストやらほかでもできているけれども、やはりミドリ十字を筆頭とするような大きなシェアを持っていて開発がおくれているところに合わせるのだという視点になってきて、そこが営業的といいますか、そういう役人と商売の方に、業と官の方にくっついてしまっているわけです。  一番大事な、お医者様の最初のポイントであるところの生命、人の心の痛み、体の肉体的な、フィジカルな痛み、それをどうするのか、まずできるところから先に手を打たなければいけないのです。そこがお医者様が違うところではないですか。そこで先生が気持ちが変わられてしまったということが、あのまま堅持なさっていればむしろずっと違ってきたはずなんです。だからこそ先生がキーパーソンでおられるわけですけれども厚生省血液行政をどう思っていらっしゃいますか。
  214. 安部英

    安部参考人 大変痛いところをおつきになりましたけれども、私は自分の意見意見として持っておりまして、それで、ギャロ先生のところに私が頼んで、ギャロ先生は簡単に調べてなんかくれないはずなんですけれども、私が頼んで調べました。しかし、これを見たときに、結果を見ましたときに、私は愕然といたしましたですね。  というのは、私どもが今まで持っておりますデータは、発症という、感染をしました後の症状を出してくる、本当の病気になった人しか私どもは診ることはできなかったわけでございます。ところが、今度初めて感染ということについての視野ができたわけでございます。でございますから、私は非常に、これはどうしたらいいかということに頭を悩ましたわけでございます。  でございますから、それについては、いろいろ考えはございましたけれども、実は先生、私は、そのギャロの成績をもらいましたときには、もう班員ではなくなっておった、班員ではないのでございます。私はもう班長はやめておったわけでございます。でございますから、これ以上私はどうすることもできなかった。ただしかし、できるだけ皆さんに発表することに努めました。
  215. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 班員でなかった、班長でなかったということは私も理解しておりますが、それでも先生、やはり一人のドクターとして、最初に言ったこの新聞、医学専門誌に載せてあると同じように、先生はそういう、ちゃんと良心といいますか、研究者としての気持ちかもしれませんが、そういうものは原点にやはり班長をやめてもお持ちになっていたわけですよね。あったのですから、それを本当に頑張り通していただきたかったし、そういうことが、私は、むしろ逆に裏返して聞きますならば、インフォームド・コンセントということを、時間がなくなりましたので、友人が聞いてくださると思いますけれども、インフォームド・コンセントということをどのように考えていらっしゃるかということについても聞きたいと思いました。  そして、先生が今回、こうしてまたつらい思いを多分なさったと思います、個人的には。ですから、こうして御出席くださったことが、必ずや日本の薬禍を将来なくし、冒頭言いました、たくさんの日本人の人たちが医薬行政に対して不安と不満を持っていることを払拭するために、先生が長い目で見て、ああ、あのときやはり衆議院の厚生委員会に行ってよかったと思っていただけるようにしなかったら、お出かけいただいた意味は絶対ないというふうに思っています。  私ども会議員は本当に責任の重さを感じますし、こうした業界の指導も、それから官僚の指導もすべて私ども政治家がどれだけ一生懸命やるかということにかかっているわけでございます。  あとは、もう時間が切れましたので、私の質問はこれだけにさせていただきます。ありがとうございました。
  216. 和田貞夫

    和田委員長 長勢甚遠君。
  217. 長勢甚遠

    ○長勢委員 先ほど委員長からも御質問がございましたが、血友病総合治療普及会ですか、これの献金の状況について御説明が、御答弁がありました。何か、さっきの答弁では、製剤協会ですかが自発的に金を出してくれた、しかし、足りなかったので御自分でお集めになった、こういう御説明でありました。  昭和五十八年設立時における一億円のうち、自主的に出していただいた分は、出すといって申し出のあった分は幾らだったのですか。
  218. 安部英

    安部参考人 一番最初は二千万でございました。それが、どうしてもまだそのときは七千万足りませんでしたから、それでまた私は一年ばかり貯金をしたりなんかしまして、そして、その昔外国に留学したときのそういうお金を集めて、またどんどん少しずつ出しました。
  219. 長勢甚遠

    ○長勢委員 私の手元の資料では、先生御自身が四千七百万出しておいでになられます。その後、五千万出して一億円で設立をされておられますが、そうすると、あと三千万を先生がいろいろお頼みをされたりしてお集めになったということですね。
  220. 安部英

    安部参考人 私が出しました。
  221. 長勢甚遠

    ○長勢委員 四千七百万を除く三千万は、二千万先にお申し出があったわけですから……。
  222. 安部英

    安部参考人 いや、初め向こうから、製剤協会からいただきましたのは四千三百万でございます。
  223. 長勢甚遠

    ○長勢委員 そうすると、先生がどこかに頼んでお集めになった分はなくて、御自身が出した分と自発的に出された分だけで設立ができたということですか。
  224. 安部英

    安部参考人 はい、そのとおりでございます。
  225. 長勢甚遠

    ○長勢委員 自発的にそういう多額のものを使うということは、協会の方々の社会的な貢献の意思ということもありますけれども、同時に、先生の学界における大変な評価というものがその根拠になっていると私は思いますが、そう考えてよろしいですね。
  226. 安部英

    安部参考人 私は、一遍にお金が集まりませんでしたから、そのお金が出せませんでしたから、一年のうちに五百万とかそういうふうなもの、例えば懸賞論文を出しまして二百万をもらってみるとか、あるいはエイズ感染を防ぐためにムービーをつくりまして、それでそのビデオで例えば百万幾らもうかるとか、そういうふうなものを集めて今のような金額にしたのでございます。
  227. 長勢甚遠

    ○長勢委員 ちょっとこの問題にかかずらわっておるわけにはいかないのですが、私の手元の資料では、先生が、参考人が四千七百万出しておられる。これは六月から十一月にかけて約四千七百万。そのほかに、例えばミドリ十字ですとかトラベノールだとか五社で五千万、各一千万出しておられるわけで、私が聞きたかったのは、これは自発的に出た金ですか、それとも先生が頼んで出してもらった金ですかということを聞きたかったのですが、さっきの答弁では、全部自発的に、四千三百万ですか、出されたのだ、こういう御説明でしたから、そういうことでいいのですね。
  228. 安部英

    安部参考人 この後で一億円になりますためには、ですから、初めは製薬協会から四千三百万と、それから少しずつの寄附金を向こうから出していただきましたから、それである程度多くなりました。しかしながら、私自身も、この四千七百万というのは、これは一遍に出したのではございません。
  229. 長勢甚遠

    ○長勢委員 一遍に出したわけではないということはよくわかっておりますが、何かちょっといま一つ不明な点が、私自身が整理がつかない点がありますが、これにかかずらわっておるわけにいきませんので、この程度にいたしておきます。  私がここで申し上げたかったのは、一般に医学界は我々というか一般の社会とはちょっと違った、一種の強固な、独特の権威構造があるということがよく言われておって、参考人につきましても、血友病に関しては並ぶ者なき比類ない権威ということで評価をされておって、参考人意見に対しては反論など及びもつかない、こういう雰囲気であったというようなことが多くの方々から評価をされておるわけであります。  この基本財産ができたこともその一環だったのだろうな、こう私は理解をしておったわけでございますが、先生が血友病についての比類なき第一人者として評価をされておった、大変な、先ほど天皇という言葉も出された方もおられましたが、それについてどう思っておられましたか、そのとおりでしたか。
  230. 安部英

    安部参考人 お答え申し上げますと、私は普通の医学界の者であるということを否定することはできませんけれども、特に私にお金がたくさん集まったとは思っておりません。
  231. 長勢甚遠

    ○長勢委員 血友病の分野における比類なき権威者である、一種の俗に言うボス的存在であったということについてはどうですか。
  232. 安部英

    安部参考人 それは皆様がおっしゃることでございまして、私は自分でそんなに思ったことは一度もございません。
  233. 長勢甚遠

    ○長勢委員 それはそのとおりだろうと思います。そういう評価であったことは御存じだったということだろうと私は今理解をさせていただきます。  それで、先ほども答弁ございましたが、参議院の答弁でも、そのような大変な権威者、反論も許されないとまで人が評価をしておった方でありながら、エイズ研究班結論を出すについて、何といいますか、自分の意見をそのままというか、相当程度影響力を持って強力にリードをして結論を出すということができないのだ、できない立場だったのだというお話がたびたびあったわけであります。  参議院での松田参考人の答弁では、研究班ではほとんど安部班長がしゃべっておられたというようなことが答弁としてありました。また、厚生省内部に、当時は安部が言うことを聞かないのだといったようなことが言われていたという話を聞かせてくれた人もおられました。  そういうことを考えますと、参考人研究班を強力にリードをしておられたのではなかろうかと考えるのが、私にとっては自然に見えるわけであります。しかし、参考人は、そうではなくて、まとめ役に徹して、必ずしも自分どおりの、自分の御意見が通らなくてもそれは仕方がないというか、そうなったのだというふうに言われているのですが、そのとおりですね。
  234. 安部英

    安部参考人 おっしゃいますとおりでございます。  もし、そうでなかったならば、私が一番最初に申し上げましたように、帝京大学症例はエイズであるということを、私は私なりの学問的な根拠で、殊にCDCというアメリカの基準に従って提案しておるわけでございますから、それが通るはずでございますけれども、それは通らなかったわけです。
  235. 長勢甚遠

    ○長勢委員 恐らく、先生正直にお答えいただいておると思いますが、ただ少し、私も疑り深く考えますと、何か意見が変わったのかどうだったのかよくわからないわけですが、一般にこういう会議において、座長が中立的な立場におりますけれども、だれかに自分の意見を代弁をさせて会議をリードするということはよく行われるパターンであります。まして、先生は人権威者でありますから、先ほど田中先生からもお話がありましたが、お弟子さんを使って指示をするとか指導するということは一般論としては十分あり得ることですが、そういうことを具体的に指示したことはなかったのですか、あったのですか。
  236. 安部英

    安部参考人 そういう適当な人もおりませんでしたし、チャンスもありませんでしたし、私が大体そういう意思はございませんで、皆様のおっしゃるとおりに素直に聞くといっても、議論はいたしましたよ、学問的な立場では。いたしましたけれども結論としてはそのとおりに従ったのでございます。
  237. 長勢甚遠

    ○長勢委員 しかし、小委員会の風間小委員長は先生のお弟子さんですから、具体的に指示をすることは十分あり得たわけですが、そういうことはなかったのですね。
  238. 安部英

    安部参考人 小委員会の風間教授は、今の私の症例について、それがエイズであるかどうかということを決定する場面には出ていないのでございます。
  239. 長勢甚遠

    ○長勢委員 先ほども申しましたが、研究班の議論の雰囲気は班長がほとんど独壇場でしゃべっておられたという証言も、証言というか答弁もあったのですが、そういうことはなかったのですか、あったのですか、どういう雰囲気でしたか。
  240. 安部英

    安部参考人 私がほかの人の意見をつぶしてしまうような独断的なような振る舞いはいたしておりません。それは私の意見が通らなかった事実からもはっきりわかっておりますし、御了承ください。
  241. 長勢甚遠

    ○長勢委員 もう一つ考えられるのは、民主的にやったということでないとすれば、御自分の御意見を抑制する根拠としてあり得るのは、我々が、素人が考えてあり得るのは、御自身の専門分野以外の学会というか、学会の方の先生方の御意見を尊重せざるを得ないという立場に医学界というのはあるのではなかろうか。そういうことが医学界の常識だということがあって、その結果として不承不承でもまとめ役に徹せざるを得なかったということがあったのかなと勘ぐるのでありますが、医学界の常識として、先生の血友病専門分野以外の、私、余り学問のことはよくわかりませんが、ビールスだとかあるいは免疫だとか、その分野の先生の意見については、自分が意見が違っても尊重せざるを得ないというのが医学界の常識であり、それに従われたのではないかと思いますが、それについてはどう思われますか。
  242. 安部英

    安部参考人 先生のおっしゃいますとおりです。  私は、それは自分の意見をちゃんとは持っておりますけれども、自分の意見専門が違います方がその立場からちゃんとお話しになるときには、私はそれを素直に伺いました。
  243. 長勢甚遠

    ○長勢委員 それは実態としてあったことだろうと思いますが、これは我々国民にとっては、お医者さん方が専門の分野でちゃんと議論してきちんとした総合的な結論を出しておられると信用しておるわけであります。  しかし、そのお医者さん同士が、医者というか学者さん同士がお互いに遠慮し合っておる。それから、先ほどのお話ですと、これは行政の話で学問の話じゃないとか、行政の方はこれは学問の話だとか言ってお互いに分離し合っておれば、総合的に責任を持って結論を出してくれるという者は  一人もいない。つまり、我々が持っておった信用というものは相当限定して信用しなければならぬ、こういうことになるわけで、これは今後こういう問題に対処するときに一番大事な問題だと私は思うのです。  そういう意味で、行政と学界、あるいは学界の中での今のような常識というものを踏まえて、これからこういう問題にどうやって対処していったら国民の信頼が得られると思うか、先生、もし御意見があれば聞かせてください。
  244. 安部英

    安部参考人 先ほど申し上げましたように、今のこの研究班ということを土台にいたしますときは、私は、研究班行政的なことには口を出すべきではないというのが私の信条でございましたから、それはお許しいただきたいと思います。  それを離れて、個人的にどうしたらいいのかとおっしゃいますならば、それは、そういうところへ私をもう一回出していただきたいのです。
  245. 長勢甚遠

    ○長勢委員 時間がなくなったようですから、もう一問だけ質問させていただきます。また、今の先生のお話はそのとおりだと思いますので、また御指導いただきたいと思います。  最後の質問ですが、先般の参議院での松田答弁では、研究班に対して厚生省の幹部あるいはOB、あるいは政治家も含んでいたのかどうかわかりませんが、何らかの圧力があったというような推測としての答弁がありました。これは、先生御自身あるいは先生以外のメンバーの方々にそういうものがあったと先生はお感じになったかどうかということ、もしないとすれば、松田さんも先生のお弟子さんと聞いておりますが、松田さんについての先生の人物評価について、一言でもあればお聞かせいただきたいと思います。
  246. 安部英

    安部参考人 私の自分自身の印象といたしましては、私は厚生省とは学問的な立場でいろいろと議論をいたしまして、先ほど先生がおっしゃいましたように、厚生省の言うことを聞かないやつだというふうな評価をいただいたということはあるかもしれません。しかし、それはあくまでも患者さんを中心にしてそういうことを言っただけでございまして、何も厚生省に学問的なことで私が譲歩したということはございません。(長勢委員「あったのですか、なかったのですか」と呼ぶ)はい、ございませんでした。それだけは、私はそんないいかげんというか、自分の信念を曲げるわけにいかないのでございます。  それからその次は、松田博士のことについてのコメントでございますが、これは、自分のお弟子さんといえども、自分が考えるとおりを言ったり、それをまた出したりすることについては、私はどうすることもできません。お許しください。
  247. 長勢甚遠

    ○長勢委員 終わります。
  248. 和田貞夫

    和田委員長 坂口力君。
  249. 坂口力

    坂口委員 参考人には御苦労さまでございます。新進党の坂口でございます。お疲れと思いますけれども、引き続いてお聞きをさせていただきたいと存じます。  ただいままでの御議論、それから先日参議院の方でなさいました御議論等を踏まえまして、少し基礎的なことを整理をさせていただきまして、そして、さらにその後時間がありましたら進ませていただきたいというふうに思っております。  先生が一九八三年の六月に研究班の班長をお引き受けになりましたその当時でございますが、まだエイズ病原体と申しますか、ウイルスは発見されておりませんでした。しかし、血友病患者さんの中から、アメリカにおきましても他の国におきましても、血友病患者さんの中から感染者が出ておりますし、感染だけではなくて発病された方も出ておりました。亡くなった方もございました。それから、輸血を受けられた皆さんの中からもこの感染者が出ておりますし、発病された方もございました。また、母予感染、お母さんと子供さんの間の感染もございました。  こうしたことから、ビールスは確定されていないけれども、どうやら真犯人は血液の中にいることだけは間違いないということはその時点でわかっていたのではないかというふうに思いますが、御意見を伺いたいと思います。
  250. 安部英

    安部参考人 先生のおっしゃるとおりでございます。CDCもそのことをそのように言っておるのでございました。私はそれを信じたかったのでございます。  ただ、私はその証拠がないものですから、それに、私が私の患者さんがエイズであるということを仮に主張いたしましたとしても、それはそうではないと言われましたときには、私は、あなたよりも私の方が正しいのだと言う証拠がないわけでございます。
  251. 坂口力

    坂口委員 私の手元にサイエンスという雑誌の一九八三年六月号の写しがございます。  それを拝見いたしますと、八三年の一月十五日現在でございますが、アメリカでの患者数は八百九十一人、そのうち三百三十三人が死亡しておりまして、最初にこの病気にかかった患者さんの四分の三が死亡している恐るべき伝染病であるとこの中で書かれておりますし、しかも、六カ月ごとにこの発生件数が倍々になってきている恐るべき病気であるということが書かれてございます。  また、この中には、血友病患者に対する一回分の第Ⅷ因子の製剤注入量は、その一回分で二千五百人以上の献血分が含まれている。したがいまして、血友病患者の一人の人が年間に受けます献血者の数というのは二万五千人か七万五千人に上るということを考えると、エイズ原因となる何かが第Ⅷ因子の注射を通じてどんどんと広がっていく可能性がある。「何かが」と書いてありますが、何かが第Ⅷ因子の注射を通じてどんどんと広がっていく可能性がある。そこで、アメリカのCDCは八二年の七月に血友病財団と合同会議を持ちまして、エイズ危険性検討、第Ⅷ因子製剤の汚染度検査、安全な製剤検討などを進めていくことになっていたわけです。  こういう状況がもう幾つもデータとしてございましたから、恐らく先生の手元にもたくさんのそうしたデータがあっただろうと思うのです。ですから、先生も第Ⅷ因子製剤が非常に危険であるという認識はこの時点でお持ちになっておったと思いますが、いかがですか。
  252. 安部英

    安部参考人 先生、私どもは、その当時は、この感染ということと発症ということをはっきりと、心の中でだけでございますけれども、というのは証拠がないわけです。感染をしたということを知る方法がないわけでございますね。結局これは、感染ということがわかりますためには、エイズのビールスがっかまって、それに対する抗体がっかまりまして、そして、このように検査をすればいいのだ、これは今でもかなり問題がございますけれども、そういうことがわかりまして初めて感染ということがわかるのでございます。ところが、発症ということになりますと、そういうことが何もわからないでも、とにかく症状が出てきちゃうわけでございますから、私どもはそれで知るよりほかにはなかったわけでございます。
  253. 坂口力

    坂口委員 私が申し上げておりますのは、その当時として、血液の中に真犯人がいることは間違いない、先生、それはお認めになりました。そして、第Ⅷ因子の製剤というのは、二千五百人分もの、あるいはそれ以上の人の血液を一回分に注入するという、それほど多くの人の血液が混入しているということでありますから、血液が非常に危険だということであれば、その第Ⅷ因子の製剤は非常に危険性が高いということを認識になっておりましたねということを、念を押しているわけでございます。
  254. 安部英

    安部参考人 私どもは、実は、想像はいたしますけれども、しかし、先生、本当にその製剤に菌がおるかということを証明することはできないのでございます。それは確かに、たくさんな人からとるから、その中にはHIVがたくさんいるに違いないということは、想像はいたします。しかしながら、それはすぐ証拠にはならない。
  255. 坂口力

    坂口委員 いや、血液が非常に危険だということは認識になっていた、そして、多くの人の血液が入っておれば、さらにそれは危険性としては高いということは、当然のことながら、これは認識になるはずだと私は思うわけでございます。それは製剤でございますから、普通の血液そのものではございませんから若干の違いはございますが、アメリカにおきましては、既にこの血液製剤を使いまして、第Ⅷ因子の製剤を使いまして発症しておるわけでございますから、第Ⅷ因子製剤が非常に危険性が高いということの認識はおありになったと思うのですが、いかがでございますか。
  256. 安部英

    安部参考人 おっしゃいます可能性は十分にございます。それは私は否定はできません。  しかしながら、先生、たくさんとってくる製剤のつくり方は皆同じでございますが、このロットからとってこれを注射しました患者さんには結局患者さんが出なかったということも幾らもあるのでございます。そうすると、とにかくその薬を使ったらみんな感染をしてしまったというふうに言う、私どもはすぐ結論をつけるわけにはいきかねたのでございます。
  257. 坂口力

    坂口委員 それはよくわかります。危険性として非常に高い、日本血液でありましてもそれは言えたわけでありますから。血液の中に真犯人がいるらしい、そして多くの血液がミックスされているこの第Ⅷ因子製剤はさらに危険性としては高かったということは、これはやはり我々にもわかることでありまして、先生は専門家でございますから、よく御認識をしておみえになったのではないかというふうに思います。  そこで、時間がございませんので、もうこの論議を続けておりましてもあれでございますから。そういたしますと、これにかわるべき――今までのこの血友病患者さんが、第Ⅷ因子の製剤ができまして、大変それで潤いになった。先生は、前回もおっしゃいましたが、今まで長く生きられなかった人たちがこの出現によって長く、普通の人と同じように生きられるようになったというお話もされました。  そのとおりだろうというふうに思いますが、そういういい面もありますけれども、しかし、その中にそれだけの危険性が含まれているということになりました場合に、それにかわるべき治療方法をどうするかということが問題になるのは当然のことでございます。そこで、その研究班が私は生まれたのだろうと思います。  それで、先生は、エイズ患者さんが日本にいるかどうかを決めるのがこの研究班目的だったというふうに先生はおっしゃいましたけれども、けさの郡司さんのお話ですと、郡司さんは、血友病患者さんに対して治療方法を変えるべきかどうかを研究するのが目的であった、こういうふうに言っておみえになりますし、それから、厚生省の方にお聞きをいたしましたら、厚生省の方では、血液事業の科学的な推進に資するために我が国におけるエイズ患者の実態の把握、それからエイズ診断基準の設定、それから血液製剤に関する研究、こうしたことをやってもらうのが目的であった、こういうふうに言っておみえになる。先生がおっしゃるのと若干ここは違うわけですね。  先生、簡単で結構でございますから、エイズ患者日本にいるかどうかを決めるのがこの研究班目的だったと先生は言っておみえになるのですけれども郡司さんのお話も違うし、厚生省お話も違うのですね。その全体の背景からいきましても、今申しましたように、血液が非常に真犯人として、これはもう間違いなく血液だということはわかってきた、その第Ⅷ因子の製剤は多くの献血者の血液をその中に含んでいる、こういうことになってくれば、さらにここは危ないということになれば、血友病皆さんに対する治療もどう変えなければならないかということで厚生省研究班をつくるということは、流れとしては当然それはその方が合っているように私は思うのですが、いかがでございますか。
  258. 安部英

    安部参考人 先生のお話は、非常に論理が私にも理解ができます。  しかし、一番最初に申しましたように、私が参加させていただきました研究班はそういう行政的なことは関係しないのだというふうに、私どもは初めからそのように理解をさせていただいておりました。それは、あるいは私どもが主張しておりました、あの患者さんがエイズだということになりましたならば、それを利用して、これから、エイズがいるからいろいろのことをまた考えるということも言い得たかもしれませんです。しかし、とにかくエイズではないのですから、エイズであるということを根拠にしていろいろと私どもの考えを、私自身にも多少の夢はございましたから、それを押し出していくというわけにはまいりませんでした。  これが一つの大きな問題でございまして、これは郡司さんもそのとおりにお話しに、私どもにされておりまして、郡司さんは非常に正しかったと私は思っておりますのでございます。
  259. 坂口力

    坂口委員 研究班行政結論を出す場所ではなかったと、とうおっしゃいました。私、多少異論はございますけれども、先生のこの主張に私もここは合わさせていただきましょう。  そして先生は、学問的結論を出すところであった、科学的結論を出すところであった、こういうことでございますが、ならば、先生、科学的な結論として、よろしゅうございますか、科学的な結論として、この血友病患者さんに対してどのように治療方法を変えていったらいいというふうに結論を出されたのか、お聞きをしたいと思います。
  260. 安部英

    安部参考人 この結論は、私が一人で出すわけにはいきません。この研究班の全体の空気として出さなければなりません。これは、私はただ班長という、そういうまとめ役を承っておるだけでございまして、私自身の考えをこの班の意見として出すわけにはいきません。  ところが、班全体としては、これはエイズではないという結論になっております。ですから、私がそれを基本にして、エイズであることを仮定して、それをベースにしていろいろと主張をすることはできなかったのでございます。残念でございました。
  261. 坂口力

    坂口委員 いや、せっかくの御答弁でございますが、ちょっとそこはおかしいと思うのですね。  エイズであるかどうかは、それはわからないのですよ。まだこの時点では、ビールスもまだ決まっておりませんし、いたしますから、わからないのだろうと思うのです。しかし、将来エイズが発生する可能性というのは多分に秘めている、その血液である。だから、そういう治療に使っているこの第Ⅷ因子製剤あるいは第Ⅸ因子製剤であるから、だから、ここは早くこれを変えておかないことには将来大変になるぞというので研究班が私はできたのだろうと思うのです。そこでの、研究班の、先生のおっしゃる学問的、科学的結論として、例えばクリオならクリオヘの転換をしようとか、あるいはまた、国内において加熱製剤製造する方向に早く決めてほしいとかいうような学問的結論が出たのなら、私は了解ができるわけでございますが、クリオヘの切りかえも拒否される、そして、加熱製剤早期実現につきましても一番遅い企業に合わせたスケジュールが組まれる、こういうことになってしまったわけでございますので、その学問的結論が一体どうだったのか、そこを私はお伺いしたいわけでございます。
  262. 安部英

    安部参考人 先生、私はそれは納得ができません。  と申しますのは、エイズであるということがわかれば、それはエイズのことを言うことができるのですが、エイズではないと言っているわけですから。だから、これはエイズである可能性があるから、将来エイズがたくさん出る可能性があるからと、それは可能性としてはあるでしょう。しかしながら、それを基準に、基本にして私どもが学問的にこうやるということは、私の班の意見としてまとめることはできなかったのでございます。
  263. 坂口力

    坂口委員 いや、それはちょっとおかしいですね。  そうしますと、先生が入られましたこの研究班というのは、エイズというものを念頭に置かないでやっておみえになったのですか。エイズというものが現在は日本の中で診断はされていないけれども、将来多分にエイズが発生してくる可能性があるということによってこの研究班は組織をされて、そこで先生方に御意見を求めていたのだと私は思うのですね。その時点でエイズが発生していないから、だからといってエイズのことはオミットするというのは、それはちょっとこの研究班の方向からいってもおかしい、その趣旨目的からいっても私はおかしいと思うのです。安全な血液製剤をつくるという意味で五百万円がここに研究費としてついておるわけでございます。
  264. 安部英

    安部参考人 私どもは、この班のディスカッションをいたしますときに、想像であるからということが、私どもの班員の、私もその一人ではございましたけれども、それは並行するわけにはまいらなかったのでございます。それは当然、先生の論理からすれば、この血液製剤の中にビールスがいるであろうということは考えましたです。考えましたけれども、しかし、それがあるからそれではどうしたらいいのかというようなことは、これにはやはり厚生省からある程度はそういう示唆がなければいけないのです。
  265. 坂口力

    坂口委員 厚生省は、そのことを研究してほしいと言ったのではなかったのですか。いや、それは、大先輩のお言葉でございますけれども、ちょっと納得できかねますね。厚生省は、日本ではまだきちっと診断はされておりませんけれども、諸外国において血友病患者皆さんあるいはまた輸血を受けた方、母予感染、そうしたことで、血液にかかわるところで多くのエイズの発生が見られている、だから日本においても血液製剤、とりわけ多くの献血者の血液が入ります第Ⅷ因子、第Ⅸ因子の血液製剤について手を打たないと大変なことになるぞというので先生方にお願いをしたのだと思うわけです。それが、日本においてその当時エイズが発生していないからエイズのことについては結論を出すことはできなかったというのは、これはちょっとおかしいと思うのです。
  266. 安部英

    安部参考人 私どもは、今の患者さんの中にエイズがいるかどうかということを探して、エイズがいれば、そのエイズをこれから蔓延するのを防ぐとか、あるいはこれから新しくエイズができるのを防ぐということの議論は成り立つのでございますけれども、それは、先生はそうおっしゃいましても、学問的に議論をしてくれということでございますし、私もそのとおりだと思いますから、それを、想像をもとにして、確かにその可能性を考えるということは私はもちろん考えましたけれども、それはちょっと先生と私は、むしろ先生の方が論理の飛躍がある。
  267. 坂口力

    坂口委員 ですから、私も学問的に先生にお答えを申し上げているわけでありまして、外国から入ってまいります血液日本血液じゃありません、アメリカから入ってまいります。その血液は、アメリカにおいて、その同じ血液を使っている、あるいは血液製剤を使っているアメリカにおいてたくさんエイズが発生している。だから、同じ血液を使った日本の、入ってきたその血液日本エイズが発生しないわけがない。そういう段階の話でありますから、だから、日本でこの血液をこのまま使っていいのかどうかということを先生方に議論をしてもらい、この血液以外の、代替の血液をどうするかということがそのときの最大のテーマではなかったかと思うのです。  それが、日本の中でエイズが発生したかどうかを調べる、発生したらその人に対してそれがそこから広がらないようにするというのが先生の研究班の仕事ではなかったと私は思うのです。それだったら、ほかの課でもっとやられていたと私は思うのです。先生の、生物製剤課のその課の中にあります研究班の仕事というのはそういうことではなかったと私は思うのです。最後にしますから、最後の御答弁をお願いします。
  268. 安部英

    安部参考人 それではお答え申し上げますと、とにかく私どもは想像でそこの場所、私が属しておりました班の議論は成り立たなかったのでございました。これは先生、厚生省にそういう意思があったのだ、あるいは郡司先生からそういうふうにあったのだとおっしゃいましても、私どもの前にそういうことについての諮問が来れば話は別でございますよ、だけれども、そういうことは後からそういうふうにおっしゃいましても、私どもがやっておりましたときにはそういうことは議論の対象にはならなかったわけですから。
  269. 坂口力

    坂口委員 時間が参りましたので、終わります。
  270. 和田貞夫

    和田委員長 この際、山本孝史君から関連質疑の申し出があります。坂口君の持ち時間の範囲内でこれを許します。山本孝史君。
  271. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 新進党の山本孝史でございます。  御苦労さまでございます。  この研究班のことについてまずお尋ねしますが、先ほど先生、この研究班に入るのに、郡司さんから電話をもらってこの研究班に先生参加をすることになったというふうにおっしゃいましたね。それで、郡司さんに厚生省の方が事情をいろいろお聞きをしたペーパーがあるのですが、それによりますと、安部氏から研究班が発足する前に、研究班に入れてほしいという電話があったというふうに郡司さんは厚生省お答えになっているのですね。先生はそういうふうにお電話をされたのですか。
  272. 安部英

    安部参考人 私はいたしてはおりません。
  273. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 ここは郡司さんとおっしゃっていることが違うと思うのですが。そうしますと、この辺は、郡司さん、もう少し証人喚問なりしてお話をお伺いしないといけなくなりますね。  先生の名前で第一回の会合の案内をお出しになっているのじゃないですか。
  274. 安部英

    安部参考人 私が班長になりましたのは、第一回の会合のときになったのでございます。
  275. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 この辺も、先ほどから出ています厚生科学研究費の補助金の書類に書かれている内容と違う部分があるので、この辺も整合をとらないといけないのですが、もう一つお伺いします。  この予算書というか補助金の執行計画書、先生もごらんになっているかと思いますが、五十八年から六十年という期間を設定して、三年間でこの血液事業研究をするのだ、先生にお願いをするのだという形の内容になっているのですね。実際のところは研究班は一年足らずのところで終わってしまうわけですけれども、何で一年足らずのところで終わってしまったのですか。
  276. 安部英

    安部参考人 私の理解いたしますところでございますから、厚生省のお考えがどうであったかなんというのは存じませんが、とにかく、私が属しておりました班の結論が、九カ月の後にはちゃんと最終報告が出たのでございます。ですから、そこで終わったのだろうと思います。
  277. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 先ほど先生、第一回の会合で班の目的を聞いたのだ、この研究班はこういうことでつくられているのだと第一回の会合でお聞きになったとおっしゃったのですが、普通でいきますと、郡司さんからお電話をもらって、先生、今度こういうことで研究班をつくるので入っていただけませんかというのが普通だと思うのですけれども、その辺は何か違うのじゃないですか。
  278. 安部英

    安部参考人 お電話をいただきましたから入りましたけれども、手続が違うとおっしゃいましても、私はこれで普通のスムーズな方法だと思っておりました。
  279. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 普通でいきますと、お忙しい先生を拘束をするわけですね。したがって、厚生省として、お電話をかけて、先生、今度こういうことで研究班をつくりますので入ってくださいますかというふうに御都合をお伺いされて、先生はそれに対して、じゃ入りましょう、いや入りませんというふうにお答えになるのが、こちらが普通であって、第一回の会合で、そこで班の目的を初めて聞くというような研究班はないのじゃないですか。
  280. 安部英

    安部参考人 いえ、その目的最初のときに聞きましたのは、それは一般の皆様と一緒に聞きましたのですが、エイズ研究班をつくるからあなたはその中に入ってくれとおっしゃいましたのは確かですよ。
  281. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 つまり、エイズ研究班をつくるので入ってくれとおっしゃった。エイズ研究班で何を研究するから入ってくれというふうに先生はお聞きになったのですか。
  282. 安部英

    安部参考人 何を研究するかって、エイズのことについて研究するのだということで、それで私は了解をいたしましたのですがね。
  283. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 エイズのことについて研究するのに、先生は血友病の先生でいらっしゃいますよね。一安部参考人「はい」と呼ぶ一厚生省は、そうすると、先生をエイズ研究者ということで先生に入ってくれというふうに言ったのですか。
  284. 安部英

    安部参考人 私は血友病研究者であるから、それでエイズ血友病の場合に今注目を集めているから、ですから、それでやりなさいと、入ってくれという意味であると私は解釈いたしました。
  285. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 今のお話でいくと、やはり血友病患者さんにエイズ危険性がかなり色濃く迫っている、だから先生入ってくださいという話にこれはならざるを得ないのですね。  質問の仕方を変えて、先生のところで患者さんをたくさん診ておられて、中に、後でエイズ患者さんだというふうに判断される患者さんをお持ちだったわけですね。実質的には日本で第一号の患者になるわけでしょうけれども、本当でいけば。その先生のところで、そういう患者さんを先生が診察に当たっておられるというお話を、この研究班ができる前に厚生省の方にお伝えになったようなことはありますか。
  286. 安部英

    安部参考人 正式にお伝えしたことはありません。
  287. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 わかりました。  その第一号患者の認定についても少しお伺いをさせていただきたいのですが、この研究班ができましてから、塩川先生の態度ががらっと変わったというお話があるのですね。  第一回の会合のときには、感染症だから発表した方がよいのではないか、すなわち先生のいわゆる帝京大症例を見て、そんなふうに塩川先生は最初おっしゃっていた。でも、二回目の会合になりますと、極めて疑わしいけれども保留というふうに、塩川先生の態度が、発表しようという方向から発表しないでおこうという方向にがらっと変わったというふうに言われているのですけれども、そういう事実はあったのでしょうか。あったとすれば、なぜ塩川先生はそんなふうにお変わりになったのですか。
  288. 安部英

    安部参考人 私が感じておりましたのは、塩川教授は私の症例を見ましてかなりいろいろな議論をふっかけてきました。ですけれども、それはあくまでも学問的なことでございまして、そして後で、これは自分の、感染症というよりはもっと別の立場であるのかもしれないというふうに考えて、私には、ステロイドを例えば使ったことについての免疫機構の低下であるというふうな主張をなさったように思いますが、そういう全く学問的な立場から私の考え方に反対をなさったのだと思います。
  289. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 そのステロイドが使われていた云々の話はあるのですが、先生は八四年の九月に、アメリカに検体を送られて、その患者さんのものも含めて陽性であるということがわかりましたね、八四年の九月の段階だったと思いますが。  その時点ではもう研究班は解散していますので班長ではありません、したがって、班長という立場ではなくて自由なお立場で、実は一人の学者として、こういうふうにかつて問題になっていた方が抗体も陽性であったと、すなわち、あのときのいろいろなデータでもっての判断の上にさらに確定的に加えられる一つの要件が加わったわけですね、抗体陽性という意味で、そういう意味で、その時点でなぜ先生は外に向かって発表されなかったのですか。
  290. 安部英

    安部参考人 外に向かって発表いたしました。厚生省にもお届けいたしました。それはすぐに、私は頭がもう年をとったからわからなかったのでございますけれども、だんだんと、私のところに来ました手紙を厚生省に送り届けておりました。
  291. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 先生のお考えでいけば、あとは厚生省がどういうふうにそれを処理するかというお話になるのだと思うのですが、そうすると、翌年になって塩川先生の委員会のところで、いわゆる日本の第一号症例が塩川委員会で発表されますね。その前日に先生、新聞の方に、私のところの患者は実はこうだったというお話をされているわけですけれども厚生省に発表して、そこで先生の中で一つ話は終わっているのだけれども、なぜ塩川さんが発表するという前の日に先生は自分の症例がエイズであるということをもう一度発表されるのですか。
  292. 安部英

    安部参考人 実は、ここで申し上げますのもどうかと思いますが、とにかく、あれは朝日新聞でございます。朝日新聞の、これはスマートな記者さんだと思いますが、それが栗村さんのところへお話しになって、いろいろ話をしておられる間に、私のところにギャロさんからのデータが来ておって、そしてギャロの方の成績と自分の成績とがどうも同じ成績になってきたというようなことを栗村さんからお伺いになったらしいのです。それで、じゃ安部のところにそういう資料があるに違いないと考えられまして、その方が私のところへ寝込みを襲うようにやってみえまして、それでとうとう私が泥を吐かされたのでございます。  それで、これはどうして発表したかとおっしゃいますと、私も非常に困るわけでございますけれども、とにかく発表しちゃったことは間違いないのですから、それでひとつお許しください。
  293. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 治験について、先生、お話を聞かせてください。  先ほども加熱した方がよいと思っていたというふうにおっしゃいました。早く加熱製剤を通してほしいというふうにお願いもしたというふうに、先生、最初委員長の答弁でおっしゃいました。  治験のプロセスの中で、十二月の十三日、各メーカーを東京ステーションホテルに先生お集めになって、治験の進め方についての説明をされます。その中で、治験の開始を五十九年三月というふうに抑えられるわけですね。これは厚生省の方の調査からそんなふうに先生のお答えで来ているわけですが、五十八年の十月の段階で既に、先生御承知のようにバクスターそれからカッター、化血研はもうできていますね。既に治験が始まる状況になっているというふうに思うのですが、なぜそこのところで、五十九年の三月に治験を開始するのだというふうに先生おっしゃったのですか。
  294. 安部英

    安部参考人 五十九年の三月ですか、そんなことは一遍も言ったことはございません。勝手にそういうふうにして私がコントロールしたかのごとく皆さんに流布されておりますけれども、私はそういうことをした覚えはないのでございます。  山本先生にちょっとその治験の状況を……(山本(孝)委員「いや、結構です」と呼ぶ)それが非常に大事なんですよ。というのは……。
  295. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 これは、三月一日の我々衆議院の厚生委員会の中で質問して、厚生省に調べていただいた話なんですね。  そこのところで、バイエル、ミドリ、化血研からの回答によると、この十二月十三日に開かれた会合で、安部氏から、第一相試験が必要であること、患者対象の治験は各社統一のプロトコールにより共同治験として実施することが示されたとのことである、また、患者対象の治験の開始は五十九年三月とされたというのが一応厚生省の回答になっているので、何か先生の今おっしゃっているのと違うという部分は、製薬会社の皆さんにも一度この場に来ていただいてお話を詰めてみたいと思いますが、一応製薬会社からはそういう答えが来ております。  先生、それと、この治験の長さなんですけれども、十一月十日に説明会が開かれて、各社参加をしました。ミドリ十字の報告、当時の平林課長補佐の、治験の進め方といいますか、の文書だと思うのですが、治験は一回投与と頻回投与で行って、頻回投与は、三、四カ月の観察後、二、三カ月の追跡を行うというのが、厚生省が一応各社に示したプロトコールといいますか、こういうことでやったらどうかというのがこの案だったわけですね。  実際のところは、申し上げているように、秋には三社はもうできていた。実際の治験は、翌年の、五十九年の二月、三月、五月、六月というあたりに治験が始まりますね。
  296. 安部英

    安部参考人 そうです。
  297. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 この厚生省が示した治験の進め方でいきますと、半年ぐらいで治験は終わるのじゃないですか。第一相試験はしないわけですから、二月、三月から始めても、夏あるいは秋口にはもう治験は終わるのじゃないでしょうか。しかし、申請は翌年の四月になるのですね。この辺はどうなんですか。
  298. 安部英

    安部参考人 先生、私がお世話をいたしましたのは、治験の世話人でございまして、その世話人というのは、皆さんにこういう方針で治験をやるということを納得していただきましてから、それで、さあお願いいたしますと言ったら、その後は結局、半年かかろうが一年かかろうが一年半かかろうが、私としてはどうすることもできないのです。それが治験なんでございますよ。
  299. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 安部先生血友病治療の最高峰にお座りになっておられて、ほとんどの血友病の先生方というのは安部先生の薫陶を受けたお医者さんじゃないかというふうに思うのですね。そういう意味では、先生が先ほどおっしゃったように、できるだけ早く加熱製剤を通したいのだというふうに思っておられる部分の気持ちがなぜそのお医者さんの方に伝わっていないのだろうというふうに思うのです。  それで、先生は違う違うとおっしゃるのだけれども、これは「薬理と治療」という本ですね。八五年の八月に出ておりますが、加熱処理第Ⅷ因子濃縮製剤(HT84)、カッターの製品の臨床試験の最後の報告でございます。ここのところ、申し上げたように、カッターそのものは秋にはもうでき上がっている、いつでも治験が始められる状態になっていた。この中を見ましても、頻回投与の期間は六カ月なんですね。しかも、筆頭には安部先生のお名前が来るのです。安部先生以下二十三人の臨床担当医のお名前が来る。  だから、先生おっしゃっているように、始まってしまったらもう担当医のことだとおっしゃるけれども、先生自身、トップにお名前が来る話であって、そういう意味では治験の全体の進み方を先生はコントロールされるお立場にあるのじゃないですか。
  300. 安部英

    安部参考人 それは、形式上は、そういう論文が出てきておりますから、私が全然知らぬというわけにはまいらないかもしれませんけれども、実際には、とにかく治験というのは、治験をやるお医者さんと、それから、その患者さんで出血をしたときに薬を上げるわけですから、その患者さんと、それから、その成績をみんなまとめたものを薬屋さんに出して、それで薬屋さんがこれで申請をするという場面になるわけでございますね。  そういたしますと、私はもうそういうところにはお呼びがないのです。それは、最後は、その報告の中に私の名前が出てきたということは確かでございますけれども、その途中で、これはどの医学の論文でも、全部が全部その一番最初責任者が目を通すというかタッチするということはないのは、先生おわかりでしょう。
  301. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 先生、もう一つ、ミドリ十字の話なんですが、六十三年二月五日の毎日新聞に先生のインタビューが載っていまして、先生がおっしゃっているのは、「ミドリ(十字)は各社に比べてはるかに遅れていた。」というふうに毎日新聞のインタビューにお答えになっているのですね。今回の厚生省からの質問にも、「日本のメーカーの開発状況は、加熱製剤に関しては、外国メーカーに比べ半年程度遅れていた。」というふうに先生は厚生省お答えになっているのですが、そうしますと、一体どのくらいミドリ十字はおくれていたのですか。
  302. 安部英

    安部参考人 どのくらいとおっしゃいますのは非常にお答えが難しいです。というのは、とにかく一生懸命に加熱製剤をおつくりになったことは確かです。
  303. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 そうしますと、どのぐらいと言うのは難しいとおっしゃったので、ミドリ十字はいつから治験ができるようになったのですか。あるいは、聞いているところではやはり加熱技術開発に随分困っていた。先生最初におっしゃった六十度十時間というのは、これは液状加熱ですね。液状加熱ですと随分収量が減ってしまいますから、やはり乾燥加熱をしないとトラベノール等に太刀打ちできない。それがミドリ十字だったと思うのですが、そういう意味で、ミドリ十字の開発というのはかなり苦しんでいたのではないか。  だから、どのぐらいに先生は苦しんでいるというふうにミドリ十字からお聞きになっていて、あるいは助けてくれというふうにお聞きになったのか。あるいは、ミドリ十字はいつから治験ができるようになったのか。そこを教えてください。
  304. 安部英

    安部参考人 助けてくれと言われたことは一遍もありません。それから、私にどれぐらいおくれているなんということの報告も、受けたことはございません。  ですから、確かにおくれておったということは、私は、治験をやるときには、加熱したものの製剤がなければ治験ができないわけですから、だから早くつくってくださいよと頼んだことは確かでございますけれども、それがまだどれぐらいでできますかということの質問はしたかもしれませんけれども、どれぐらいという時間的なことは、向こうがはっきりと言うことはできないだろうと思いますし、私もそれをつかまえることはできませんでした。
  305. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 治験の世話役として、ミドリから治験医薬をもらって病院に配るのだということは、先生、おやりになったのではないですか。
  306. 安部英

    安部参考人 私は、治験薬を各病院に配ってはおりませんでした。それはミドリ十字さんが自分で配ったのです。
  307. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 もう一問だけ、確認の意味で先生お話を聞かせてください。  先生のおつくりになった普及会ですね。基本の財産一億円になります。製薬業界から四千三百万円、先生自身四千七百万円、先生の先輩である沖永学長が一千万円お出しになって一億という形になると思うのですが、二つ教えてください。  四千三百万円は、トラベノール、カッター、日本臓器、ミドリからの一千万円ずつ、化血研の三百万で四千三百万になるのですが、これは各製薬会社が先生のところに直接持ってきたのか、あるいは、さっき先生二つおっしゃった、日本製薬工業協会なのかあるいは日本血液製剤協会なのか、そこをはっきりさせていただきたいのですが、協会を通じてなのかという点が一つ。だから、その四千三百万円は会社から直接来たのか、あるいは協会のあっせんで来たのかというところが一つ。  先生がお出しになった四千七百万円というお金。先生さっき冒頭の方で大変に貧乏していたというふうにおっしゃったのですけれども、貧乏している方にしては四千七百万円ぽんと出てくるのもすごいなと感心したのですが、この四千七百万円は、失礼ですけれども、先生のお貯金、資産の中からお出しになったのか、あるいはどういう形で四千七百万円おつくりになったのか、もしお差し支えなければお聞かせをいただきたいと思います。
  308. 安部英

    安部参考人 一番最初の方の四千三百万は、あの方々が御自分でその財団の口座にお入れになりました。ですから私は……。
  309. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 協会とかは関係していないのですか。さっき協会とかとおっしゃった。
  310. 安部英

    安部参考人 だから、協会として、協会が割り当てられたらしいのですね。
  311. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 先生おっしゃっている協会というのは、正式名称は何なのですか。
  312. 安部英

    安部参考人 日本血液製剤協会だろうと思います。それが相談をなさいまして、そして、あなたのところは幾ら幾らというふうにお決めになったのではないかと思います。一番最初お話しに見えて、財団をつくってくれとおっしゃいましたときも、そういうお話でございました。ですから、そこが逐次お入れになったのだと思います。  それから今度は、私自身がどうして出したかというと、私は、その間にいろいろな、例えば学会をいたしました。学会をいたしましたのもありますが、とにかく一番なのは、私が東京大学を退職いたしますときの退職金が入っています。それから外国で、私はもうアメリカに三年おりましたから、それで毎月五百ドルもらいましたから、それをまとめて、そのときには四百五十ドルできてございましたから、それを全部入れたわけでございます。そういうものやら、それから、要するに懸賞論文したり、原稿料なども皆集めて、そしてそれを、四千七百万というのを、あれは長い間にたまったものをあそこへぼんと入れたのでございます。お許しください。
  313. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 時間になりますので、終わります。ありがとうございました。先生、また機会がありましたら、ぜひ来ていただきたいと思います。  ありがとうございました。
  314. 和田貞夫

  315. 五島正規

    五島委員 午前中、郡司元課長のお話を聞きまして、今先生おいでいただきましてお話を聞いていまして、やはり非常に大きな食い違いがあるように思うのです。  それは、厚生省が設置いたしましたこのエイズ研究班目的はどこにあったのかということでございまして、先ほど来先生のお話を聞いていますと、この研究班というのは、症例検討であり、そして日本エイズ患者がいるかどうかということの検討をするところが中心であったようなお話でございます。しかし、郡司課長の方は、明確に、日本における血友病患者に対するエイズ感染の防止というところに力点を置いてその研究を行ったのだというふうにおっしゃっているわけでございまして、その点が非常に意見が食い違うと思いますので、その点について少し詳しくお聞きしたいと思うのです。  先生は、お電話でというふうに話がございましたが、私は、電話一本で東大名誉教授でございました安部教授に対して、この研究班への参加依頼がそれだけであったとはちょっと思えない。出発はそうであったかもわかりませんが、研究班が成立するまでの間に厚生省のどなたかが先生のところにお伺いし、そして、この研究班目的について御説明あったのではないかというふうに思うわけですが、その点いかがでしょうか。
  316. 安部英

    安部参考人 大変難しい、ちょっと言いにくい質問でございますけれども郡司さんと私は、実は私が郡司先生を教えたのです。ですから、私は彼をよく知っておりました。しかも、学生紛争がございましたときには、あのクラスというのは私を研究室から追い出したのです。そういうふうな事情がございますから、電話を一つかければ、ああ君かというようなわけでございましたので、私は理解をしたわけでございます。
  317. 五島正規

    五島委員 その場合に、他の研究班のメンバーはまだ決まっていなかったと聞いておりますが、先生の方にどういうメンバーを選定すればいいかという御相談はあったでしょうか。
  318. 安部英

    安部参考人 今初めて、ほかの班員が決まっていなかったということを伺いました。私は、私以外の班員をどなたにするかということにつきまして、御相談も受けたこともありませんし、私からこの方を入れてくれとお願いしたこともございません。
  319. 五島正規

    五島委員 そうでございましたら、厚生省のこの研究班が、いわゆる帝京大症例を含めまして、エイズ患者のそういういわゆるコンファレンスのようなものですね、あるいは臨床症例を各地から集めて検討するという、そういう研究家の場にしていくというその方向性はどこで、どなたがお決めになったのでしょうか。
  320. 安部英

    安部参考人 それは、まず班の第一回の班会議で、皆さんとこれからどのようにやっていったらいいでしょうかと相談をいたしましたら、ただいまのような線が出てきたのでございます。
  321. 五島正規

    五島委員 先生も先ほど御指摘のありましたように、その当時既に、エイズ血液を通じて感染する感染症であるだろうということはほとんどの医者が想像できた状態でございます。感染症であるということは、まず間違いなく理解できる。ただ、エイズウイルスというものはまだ見つかっていない。  したがって、先ほどから先生がおっしゃっておられますように、潜伐期にある状況においてその患者エイズ感染しているかどうかということの確定はできないという、そういう時期であったというふうに理解しているわけでございますが、違うのですか。
  322. 安部英

    安部参考人 これは、私がほかのお医者さんのことを簡単に申し上げることはできないのでございますが、私が理解いたしておりますほど、エイズ原因血液製剤から入ったのではないかと考えられる程度は、私ほどは強くなかったのではないかと思いたいのです。
  323. 五島正規

    五島委員 研究班の班員におなりになられた先生方は、その程度の認識があったと考えてよろしゅうございますか。
  324. 安部英

    安部参考人 私は、よろしいと思います。
  325. 五島正規

    五島委員 そうでございましたら、血液を通じて感染する感染症であり、したがって、それは当然、濃縮液を使われる血友病患者に対して感染の機会が他の場合よりも非常に大きいということは容易に推測がついたはずでございます。  したがいまして、その患者さんの危険をどのように予防するのか、そのリスクをどのように排除していくのかということについてこの班会議において検討すべきであるという意見は、その班員どなたからも出なかったのでございますか。
  326. 安部英

    安部参考人 郡司課長さんは、たしか加熱製剤のことを聞きたかったようです。それから、クリオのことも聞きたかったようです。だが、それは大変大事な問題であると私は思いましたのですが、そのためにこそ、親委員会では血友病に関する専門家が少ないということが皆様の御意見で出まして、それで小委員会を早くつくってそこで議論をしよう、検討してもらおうということになりました。
  327. 五島正規

    五島委員 先生のおっしゃる研究というのは、症例検討のことでございますか、それとも、いわゆる感染症としての感染対策あるいは経路対策として、ウイルスが見つかっていない段階であるからきちっとやっていこうという形で、今おっしゃいました加熱製剤の問題あるいはクリオの問題を取り上げようということであったのでございましょうか、その辺はどうなんでしょうか。
  328. 安部英

    安部参考人 感染症である可能性皆さん考えてはおりましたでしょうけれども、それをどのようにアプローチするかということを、私にはいい方式が、私にはもちろんですが、皆様からも御意見が出ませんでした。
  329. 五島正規

    五島委員 先生自身がお書きになられましたペーパーで、先日毎日新聞にも報道されましたが、「帝京医学雑誌」の、これは八三年の第六巻四号の中ででも、このエイズ問題について「病原体を含有する危険をもつ血液ないし血液製剤の輸注などを止めることが大切である。」とお書きになっておられますし、また「メディカル・テクノロジー」においても同様に、「病原体混入の危険がある血液製剤使用しないことが必要である。これまで血友病製剤は大部分がアメリカから輸入されてきたが、できるだけ国内の献血血液を材料としたものを用いることが望ましく、」云々というふうにお書きになっておられます。大体、この八三年の段階において、先生はそのような認識でペーパーをお書きになっておられる。  この認識があったとするならば、この研究班の中において、臨床医として、そして血友病治療に当たっておられる医師として、当然、その危険性があるのだから、そのリスクをどのように最小限に抑えながら血友病治療を続けていくかという議論があってしかるべきだし、そのための研究班ではなかったのでしょうか。
  330. 安部英

    安部参考人 私は、そういうこと、そういうことと申しますのは、結局、危険なものだからそれをなるべく使わないようにしたいということはもちろん私はもうとっくに考えておりまして、だって、クリオだって私がつくったのですから、これを広げていきたいのです。ところが、うまく使えないケースがたくさんあって、しかも、クリオ、もう材料が足りなくてこれは結局できないということになりましたから、これは新しくひとつ意見を出してもらわなければいけないというふうに思っておりました。  ところが、先はどのように、それではどういうふうに新しくいい方法を考えたらいいのかというのを検討すべきであろうという先生のお言葉でございますが、そのとおりでございまして、だからこそ小委員会で一生懸命に論議をしていただいて、それを私どもの方にお出しいただこうという決心をしたわけでございます。それで、皆さんは納得しました。
  331. 五島正規

    五島委員 先ほどもおっしゃいましたが、先生は今クリオの問題をお話しになりましたが、家庭療法促進委員会の中において、風間教授、先生のお弟子さんであった風間教授に対して、クリオ使用ということについてかなり激しい形で否定の御発言があったというふうに報道されています。これは私的な形で話をされたというお話でございますが、公的、私的を問わず、今先生おっしゃったように、クリオの材料が困っていた、あるいは先生、クリオ、一体どのクリオを言っておられるのか、乾燥クリオを言っておられるのかどうかわかりませんが、クリオ使用というものをどのように考えておられたのか。  私は少なくとも、極めて危険性が強い状況にさらされた患者さんに対して、同時に血友病患者さんのその焦命を救っていくという状況が相矛盾する場合があるだろう。あるがゆえに、例えばアメリカのNHFは、そのリスクを最小限に抑えるために、医師として、どのようなケースであればクリオでいいじゃないか、感染予防するためにクリオでいいじゃないかということを指示しておられます。  そういう形でこの結論が出されたのであれば、随分と多くの患者さんが感染の危険から予防されたと思います。ところが、言いかえれば、それだけの学者が集まっておられながら、結局定食メニューで、しかも最悪の選択をされたというのが、結果論的にはなりますが、現在の状況だろうというふうに思います。それについてどのようにお考えなのか、お話しいただきたいと思います。
  332. 安部英

    安部参考人 クリオを使いたいという、また、クリオが使えればクリオがいいということは、私はもういつも、先ほども申し上げましたとおりでございます。  ただ、クリオは、先ほど申しましたが、足りないのでございますよ。実際は、先生、日本血友病Aの患者さんに対しては一億単位の第Ⅷ因子が必要なんです。ところが、百万しかないのです。そうしますと、あとの残りをクリオでやりましょうと申しましても、私は、どうしたらいいかということをこれは次の瞬間には考えなければいけませんでしょう。それが私としては大変困難というか難しく、努力はいたしましたけれども、だめでございました。  もう一つは、これはクリオはだれでもできる、どなたでもやれるというものではないわけです。殊に私の患者さんなどは、私どものいわゆる成人の患者さんのときは、これはたくさんな、普通の子供さんとか軽症の方とは違いまして、随分たくさん使わなければいけないわけです、一人について。そうすると、完全にクリオを全部注射を終わるということだけでも非常に困難なことが多いのでございます。  そういうことから、私は、とにかく私自身がこれはクリオでやりましょうと決めるということは、これは大変その影響力があるからというので、一応はクリオクリオで使うけれどもクリオが使えなかったら仕方がないというふうな形で、先はどのような先生のお言葉のとおりにしたわけでございます。
  333. 五島正規

    五島委員 先ほど、学問的に結論を出すという研究班だったというお話だったと思います。そういう意味において、現状においてクリオ剤が足りないという事実があったということは私も認識いたしますが、しかし、クリオでやるべきところはクリオでやれということ、それから先はやはり血液行政としての責任であるという立場学者研究班としてはとることができたのではないか。その点について、なぜそこまで国内においてクリオの材料を確保することについて御配慮なさらなければならなかったのかということがわからない。  それからもう一つの問題は、おっしゃるように、私は血友病専門家ではございません。専門家でないだけに、場合によってはクリオですべて治療できなかったかもしれないということについては想像はつきます。しかし、少なくともクリオ治療できたケースというものがかなりありながら濃縮剤を使い、その結果として非常に感染危険性が増し、感染された多くの患者さんがおられることもまた事実です。この研究班としてなぜ、せめてアメリカのNHFが配慮した程度の、こういうケースであればクリオでいきなさい、こういうケースについてはどうしなさいということについてやれる程度結論を出さずにこの問題がああいう結論になったのかということについて、なぜなのかということが理解できないということです。
  334. 安部英

    安部参考人 御質問の意味はよくわかります。けれども、その小さなこういうケースにはクリオをやりなさいとか、これは幾らぐらいのクリオで十分であるとか、そういうことを決めるのが小委員会であったのでございます。でございますから、小委員会にそれをやってくれと頼んだわけです。  ですから、私は、自分自身はクリオをできるだけ使いたいのです。けれども、自分は使いたいけれどもクリオはないのだから仕方がない。
  335. 五島正規

    五島委員 いや、その小委員会において風間教授がお出しになろうとした結論に対して、クリオを強く、私的ではあれ、御否定になったという報道が流れておりますので、お伺いしているわけです。
  336. 安部英

    安部参考人 小委員会は、風間教授が委員長ではございますけれども、風間教授だけが小委員会のメンバーではございませんで、十数名の、十名超えておると思いますが、その人たちがそれぞれに独立した考えを持ってその小委員会結論を出しておられるのでございますから、それは、私が多少自分の弟子だからといって声を大にしたからと申しましても、その小委員会結論を私のせいで翻したということは私はないと思います。
  337. 五島正規

    五島委員 いや、先生の発言でひつくり返ったかどうかということは私にはわからないわけでございますが、先生がなぜ、今ここでお話しになっているように、クリオ使用というものも状況によっては当然とおっしゃりながら、その点について注意深いアドバイスをお弟子さんである風間さんにされずに、濃縮剤の使用というものを、報道のとおりであったとするならば、強くお勧めになったのかということについての、その当時の先生のお考えを聞きたいということでございます。
  338. 安部英

    安部参考人 私がクリオについて風間教授にそのように申しましたのは、もしこのクリオがいいのでクリオを使うべきであると言ったら、クリオを供給する背景をつくってもらわなくちゃ困るわけでございます。それは、失礼でございますけれども、ある方は、それを口で言えば、我々はクリオをつくってあげたのにとか、あるいはクリオはつくれるのだとかいうようなことをおっしゃいましても、大体、あの当時の施設で、あの当時に入手できる血液の材料でどれぐらいができるかと私どもがちょっと考えましても、もうやはり一年以上はかかるのではないかというふうに思って、それならば加熱製剤を急いだ方がいいじゃないかというような結論になったわけです。
  339. 五島正規

    五島委員 私は、医師として大先輩である先生に対して失礼ですが、少なくとも私であれば、論文のペーパーにお書きになっている話というものは最後まで残るものです、永遠に残るものであるという意味において、そこに先生のその当時の本音があったはずだというふうに理解します。しかし、今のお話と、先生が論文の中において結論づけておられる内容とにどうしても食い違いがある。なぜそうなるのかということについて大変悲しい思いがいたします。  次にお伺いしたいと思いますが、先ほども山本議員の方から御質問ございましたが、加熱製剤の治験に当たって、先生がいわゆる取りまとめというお話をされましたが、総括責任をお引き受けになったわけでございますが、この治験の総括責任というのはどういう経過で、どなたからの依頼によってお引き受けになったのか、お話しください。
  340. 安部英

    安部参考人 各製剤メーカー、会社、メーカーさんですね、その方が、おのおの独立して私のところに、自分の会社のものについて治験をやってくれというふうに、三々五々お見えになりました。
  341. 五島正規

    五島委員 その際、メーカーから先生に直接この治験の総括の依頼があったとすれば、当然のことでございますが、この治験を主として行われる医師あるいは医療機関についても御相談があったと思うわけですが、どうでございましょうか。
  342. 安部英

    安部参考人 まさしく、先生のおっしゃるとおりに御相談がございました。それは、例えば、御依頼がありました会社の方に、だれがおたくの製剤を一番よくお使いでしょうかというふうに聞いて、それで向こうの御希望も入れて、そして先生に委嘱いたしました。
  343. 五島正規

    五島委員 メーカーの依頼に基づきまして先生が直接治験医を御指定になったということでございますから、そうであれば、先ほどのお話ではございますが、治験の方法、時期等について先生が直接御指示あるいは御要請なさる、そういう幅というのはかなり大きかったのではないでしょうか。
  344. 安部英

    安部参考人 私が指示いたします幅というのはどういう種類の幅かということが伺いたいのでございますけれども、私流に判断をしてお答えさせていただきたいと思います。  それは、メーカーさんが私に御依頼になりまして、そして、そのメーカーさんもおいでになるし、そのお医者さんたちもみんなおいでになったところで、これはどのようにプロトコルを進めていくかというようなことを御相談をしましたのでございます。でございますから、そこで決まりましたのですから、それは皆様が納得なさらなければ仕方がないのでございまして、そういう意味では、私は、そこで決めたという瞬間にもう私のそういう、何といいますか、自由度はもう決まってしまうわけでございますね。ですから、どういうふうにメーカーさんにそのお願いをするかということを、今度は医者の側からメーカーさんの御希望もございます。  しかし、私どもがそのときに問題がありましたのは、お医者さんが、実は厚生省さんから十一月の十日に御説明がありましたその中に、ちょっと先ほど申し上げましたけれども、これでは治験をやることを患者さんに納得してもらうわけにはいかない、やはりやる以上は、この薬はこういうふうにやったけれども安全であったという、それが効いたということを出していかなければ、後はとにかく人体実験のようなわけにはいかないというのがありました。
  345. 五島正規

    五島委員 この治験の中で、厚生省は第一相治験は必要ないというふうに言っていたわけですが、この治験をやる医師たち意見を取りまとめたところ、第一相の試験や治験をやるということになっておやりになったという話を聞いています。  続いて、一月になって、先生自身の例の財団問題について指摘があったということで、先生は一たん治験総括を辞任されましたね。そして、三月になって再び治験総括をされることになったと聞いています。しかも、先生が治験総括を辞退された結果、他の治験担当する医師もほとんど辞任してしまって治験が一切とまってしまったというふうに聞いていますが、その間の事情についてお話しください。
  346. 安部英

    安部参考人 結論から申しますと、私が辞任を申し入れましたことは確かでございます。そういたしまして、そのときに辞任をいたしますことを決心をいたしましたのは、一つは、郡司さんからのお言づけを持って見えたわけでございます。それでございますから、そのときには私は、先ほどちょっと申し上げましたけれども、治験を、お医者さん方は、これだけの条件がはっきりしない以上は自分は責任を持って患者さんに薬を差し上げるわけにはいかない、だから、これだけをはっきりさせてくれ。ということは、結局、第一相試験のようなことをやりたいという御希望で、現実にそういうことをやっておられた方もあったようでございましたけれども、それはその場で伺いました。とにかく、そういう条件が満足しなければいけない。そして、私はどうかと申しますと、私は一刻も早く加熱製剤を通していただきたい、治験をやっていただきたいのでございます。ですから、これを何とか納得して治験をやろうという気になってもらいたいために、私は提案をいたしたわけです。  その提案は、一つは、私が先生方と一緒になつて、実際に加熱製剤を使った先生方の論文だとかあるいは個人的な意見というようなものを集めよう、あるいは今度は薬屋さんが治験をやっておられるときの……(五島委員「第一相の方はいいです。わかりました」と呼ぶ)ですから、そういうことがありますから、それでその話をして、そして八四年の一月の末にもう一度会議を開きまして、その調べたところを報告いたしますから、それで納得してくださいと言ったわけです。ところが、その一月の上旬のときに、私に、早く始めてやつてくれ、治験をやってくれとおっしゃいますが、それは皆様が一応そういうことで納得しておられるのですから、ちょっとお待ちくださいというふうに申し上げました。  ところが、もう一つ、これは郡司さんが非常に好意的な考えから私におっしゃったのだろうと思いますが、先生は財団のお金を集めるためにこの治験を利用しようとしておられるという風評が立っておる、それはいけない、だからそれはやめなさいということでございました。  私は、これはびっくりいたしました。そういうことを考えたことがないのですね。ですから、そんなことをおっしゃるならば、僕は身のあかしを立てたいと思いまして、一番あかしを立てるためにはやめた方がいいだろうと。それで、やめました。やめて、そのおっしゃった若い方々三人に、済まないけれども、おれはやめるから後を頼むよ、僕は早く許可になってもらいたいのだと言いましたけれども、結局これも進みそうになくて、そのうちに、今度は薬屋さんがまた私のところに見えたわけです。それで、すぐに始めて、初めの予定どおり八四年の一月ごろになりまして、一月の終わりごろに、初めの約束どおりの会をいたしまして、そこで、それでは治験をやりましょうと皆さんがおっしゃってくだすったわけです。ですから、もうそれから、それが決まった以上は、先ほど申しましたように、もう私とは、直接私がどうすることもできなかったということでございます。
  347. 五島正規

    五島委員 時間が参りましたので、まだ重要な質問が残っておりますが、私の質問、今回これで終わりますが、最後のお話につきましても、率直に申しまして、郡司さん、学生運動のときにもつと頑張っておってほしかった。非常に狭いそういう医療の世界の中において、いかに大先輩であろうとも、先生お一人が辞任をされたらもう非常に重要な治験もとまってしまう、そういうふうな医学界の構造というものも非常に問題だというふうに思います。  どうもありがとうございました。
  348. 和田貞夫

    和田委員長 枝野幸男君。
  349. 枝野幸男

    ○枝野委員 時間がございませんので、端的にお答えをください。  確認をさせていただきますが、今、五島委員からの質問にもありましたが、クリオに転換をしたがったけれどもできなかった理由として、クリオでは治療が十分にできない、そして供給量が足りない、そういうふうにお考えになっていた。これは間違いございませんね。
  350. 安部英

    安部参考人 そのとおりでございます。
  351. 枝野幸男

    ○枝野委員 ところが、別の考え方を持った方もいらっしゃったわけであります。  例えば薬害エイズの東京訴訟に出されました加々美光安先生という自衛隊中央病院の院長などをされたお医者様の意見書の中には、クリオ治療を十分にできるという記載がございます。そしてこの先生は、御自分の病院でクリオによって治療を続けられた、そのせいでここではエイズは発生をしていないという例がございます。これは裁判所意見書として署名の上で出されたものであります。  さらに、東京地裁で安永医師は、クリオでも十分に治療ができる、クリオでは治療ができないという方に対しては、「クリオに対する十分な御経験がない方ではないかと思います。」などというようなことまでかなり明確におっしゃっています。またさらにこの裁判の中では、患者さん二人も、自分はクリオで十分に治療を受けていたということをおっしゃっています。  この考え方についての先生の評価は結構でございます。こうした意見があったということは知っていましたか。
  352. 安部英

    安部参考人 よく記憶いたしておりません。加々美先主とか安永先生……。
  353. 枝野幸男

    ○枝野委員 それから、供給量が足りないというお話がございましたが、徳永栄一先生、この方は日赤の血液センターの所長をこの当時ずっとされていました。  この方は、これは大阪HIV訴訟だったと思いますが、その中で、「赤十字としましては、クリオを使うという大前提があればいかようにも調達するんですが、あれは使えないという結論にのっかって、赤十字が何をやりましょうということはありえないんですね。」とか、それから、言っていただければ、「クリオでいいんだと言ったら、いかようにもいたしましたよ、それは。採血量増やしたっていいんだし、いかようにも対策はあるんです。」ということを、日赤というまさに供給側の血液センターの最高責任者が裁判所で証人としてお話しになっております。  徳永先生がこういったことをおっしゃっているということは御存じですか。
  354. 安部英

    安部参考人 そういうことを聞いたことはございます。
  355. 枝野幸男

    ○枝野委員 私も先生の御発言が先生の御発言どおりですべて正しければ大変いいことだなと思いますが、残念ながら徳永先生は、先生も血友病専門家としてのお立場に自負をお持ちでしょうが、徳永先生は血液を供給するまさに当事者サイドの責任者ということでは、供給量がどれぐらいできるのかということについては先生以上の専門家という立場であります。しかも、今先生が供給量が足りないとおっしゃっているのは、残念ながら参考人という形でのお答えであります。徳永先生は裁判所で証人としてお話しになっています。これが間違いだとしたら、徳永先生は偽証で刑事処罰を受けます。そのような立場でおっしゃっている発言と今先生がおっしゃっている発言とどちらを信用できるかといえば、世間一般では、それは偽証の担保のある方の発言、そして、みずから供給の当事者である側の発言ということを信頼されると思います。それについて、先生どうお考えになりますか。
  356. 安部英

    安部参考人 私は、小委員会結論を中心に話しまして、私が正しいと思っております。
  357. 枝野幸男

    ○枝野委員 先生は医師としての学問的な問題で正しいことをお話しになっているということを繰り返しになっておられますが、しかし残念ながら、先生の御発言には、必ずしもそれをすべて信用することはできないというふうな先生御自身の発言があります。それは、きょう何度も既に委員から話が出ております家庭療法促進委員会での先生の御発言であります。  一九八三年十月十八日にステーションホテルで行われました家庭療法促進委員会、その中で、先はどのように風間先生に圧力をかけたのじゃないかなどという発言もありますが、それ以上に私は先生に御指摘をさせていただきたい大切なポイントがあります。  それは、その会の中で安部先生は、  相手は素人ですからね。僕は、ちょっと嘘かもしれないよ、嘘だがこう言ったんだ。ああクリオを溶いたら、クリオを溶いてやってると、小さなシリンジが詰まるんですね。何にも質問がない。あ、そうですがときた。長尾君。嘘かもしれないよ。…シリンジから、こうチューブだろーね、それで患者さんがこうして自分で刺しているわけですよ。 あるいは、別のところではこう言っています。  あれは詰まるんですよ。誰もが文句言う人いない。みんなあなたね、それは詰まらんこともたくさんあるでしょう。だけど詰まる時が一回でも二回でもありゃ詰まるんだよ。…あなたの学問的な良心だったらあるいは嘘をついてるということになるかもしれないがだ。しかし一回でも詰まれば詰まる訳だ。  あなたは、うそをつくことを正当化、御自身で発言されているのです。この発言、どう思いますか。
  358. 安部英

    安部参考人 非常に速くお読みになりましたから、全部はフォローできませんでした。しかしながら、私が言おうとしておりますことを先生がどれぐらいよく理解してくだすっておるかということに私は大変自信がないのです。
  359. 枝野幸男

    ○枝野委員 じゃ、こう聞きます。先生は患者さんに向かって、クリオでは、注射器なのか注射器から出てくるチューブなのかどちらかわかりませんが、そういったものが詰まることがあるということをおっしゃったことはありますか。
  360. 安部英

    安部参考人 申しましたことはございます。
  361. 枝野幸男

    ○枝野委員 それに対して、そのことについて先生は、この家庭療法の会のところで、「相手は素人ですからね。僕は、ちょっと嘘かもしれないよ、嘘だがこう言ったんだ。」ということを先生御自身がおっしゃっているのです。これはおっしゃっているわけですね。
  362. 安部英

    安部参考人 「素人」というのは、私の申しましたのは、その「相手は」というのは患者さんだろうと思いますね。そうしますと、私の考えは、今から理解をいたしますのは、その素人の患者さんが上手にクリオ自己注射でやっていくためには大変な苦労が要る、うまくいかないことが多い、私はそれを書いたかったのでございます。
  363. 枝野幸男

    ○枝野委員 先生の御主張が、クリオでは素人の方が自分で注射をするのは難しいという主張をされているのはよく存じております。そういった主張とそうじゃないという主張と両方あるのも存じております。問題は、「嘘かもしれないよ、嘘だがこう言ったんだ。」というおっしゃり方です。そんなおっしゃり方を、相手は素人だからうそでもいいのだ、うそでも納得してもらえばいいのだというような態度で先生は医学の仕事をされておったのですか。
  364. 安部英

    安部参考人 とんでもないことだと思います。そんなことを私は、患者さんをばかにしたなんていうようなことは、それはちょっと、何と申しますか、速記録を私は見せてもらってはいないのです。私に黙って勝手にそこを印刷されちゃったのです。
  365. 枝野幸男

    ○枝野委員 おっしゃっていないとおっしゃるのは結構ですが、私は、テープの反訳も持っておりますし、それから、そのテープそのもののコピーを持っておりますので、後ほどマスコミの皆さんには、お聞きになりたい方がいたらお聞きください。  それから、このことだけじゃなくて、先生の御発言にはいろいろ、ちょっと素人が見て、素人が見るからこそそう思うのかもしれないのですが、疑問な点がたくさんあります。  先生は、一九八三年の八月十四日、全国ヘモフィリア友の会拡大理事会において講演をされておりますね。
  366. 安部英

    安部参考人 しておると思います。
  367. 枝野幸男

    ○枝野委員 その中で、八三年の八月当時、その当時先生は、エイズの「そのものを千人の人に注射しても本当に起こる人は一人かあるいは一人までいかない、三分の一人ですね。だから、三千人おって一人位に起こるとか、その程度のものでございます。」という趣旨のことを御発言になっていますね。
  368. 安部英

    安部参考人 それは発症でございます。
  369. 枝野幸男

    ○枝野委員 それはどういう根拠に基づいて三千分の一とおっしゃっているのですか。
  370. 安部英

    安部参考人 それは、その当時のアメリカの方では、千人に一人というのがアメリカの大体の評価でございました。ところが、日本ではそれは、とにかく私の患者さんさえも認めてもらえないのですから、一人もないわけです。
  371. 枝野幸男

    ○枝野委員 安部先生は、厚生省が認めたものが患者であると思っていらっしゃるのですか、それとも、先生御自身が医学的に判断をした結果が患者だと思っていらっしゃるのですか。その点、今のお話はちょっとおかしいなと思いますし、それから、そもそも、申し上げますが、先生、その後にも潜伐期間があったり何やかんやということはいろいろこの同じ講演の中であるわけです。  現状ではアメリカでは、人口千人当たりに一人なんですか、それとも血友病患者千人当たりに一人なんですか、しか出ていないとしても、それが今後どうなっていくかということについては、まさに先生は、一番最初委員長からの冒頭の質問の中で、どういう病気かわからずに悩んでいたという八三年の八月ごろの状況のときに、こんな断定的なことをおっしゃれるほどのエイズに対する知識をお持ちだったのですか。まだ出てきていない患者もたくさんいる、潜伐期間の患者もたくさんいる、潜伐期間がどれぐらいなのかということも全然わからない時期ですよ。
  372. 安部英

    安部参考人 私がそのお話をいたしましたのには、二つの条件があります。  その一つは、まだ何もわからないから患者さんが出ないのですよ。ですから、その時点においては患者さんの数が少なくて三千人に一人だという結論になるわけでございますね。しかし、後からになったら、それは今の時代はもっと多くなったかもしれません。  もう一つは、今先生は感染ということと発症ということに少し分けておいでになるはずでと……。
  373. 枝野幸男

    ○枝野委員 結構です。  この今のお話を学問的な場でおっしゃっているのだったら今のような話でもよろしいのですが、これは患者さんたちに向かって患者さんの会でおっしゃっているのですよ。そして、三千人に一人ぐらいしか起こらないから安心して使ってくださいということを先生はおっしゃっているわけですよ。学問的に、先生は何度も何度も学問的にということをおっしゃっていますが、学問的に確信を持って三千人に一人しか出ないのだから安心をしてくださいと到底言えないような段階に、先生はあえて今のようなことをおっしゃっているのだということを指摘しておきたいと思います。  もう一点お伺いします。  先生は、先生の症例、いわゆる帝京大症例をできるだけ早く認定してほしいというお気持ちでいた、ところがそれが認めてもらえなかった、そういう認識でよろしいですね。
  374. 安部英

    安部参考人 そのとおりでございます。
  375. 枝野幸男

    ○枝野委員 先生は、スピラ博士に対して、帝京大症例のデータを送って、それについて判定をしてもらっているそうですが、これは、いつスピラ博士に症例を送ったのですか。
  376. 安部英

    安部参考人 私がスピラ博士に症例報告を送ったことはございません。
  377. 枝野幸男

    ○枝野委員 先生御自身がお答えなのです。「スピラ博士が私に帝京大学症例について質問したので、私は大体別紙図1及び表1の内容について説明をした。」と。説明したことない、スピラ先生に。
  378. 安部英

    安部参考人 説明は十分にいたしました。
  379. 枝野幸男

    ○枝野委員 それはいつですか。
  380. 安部英

    安部参考人 たしか八三年の八月の、何日でありましたか、ちょっと記憶はありません。
  381. 枝野幸男

    ○枝野委員 先生は厚生省からの質問に対して、「八三年八月以降の部分を除いたもの」、つまり八三年の七月までのデータを送ったと先生御自身お答えになっています。  このデータを見せていただきますと、これはOKT4とOKT8の比率という、これが免疫の数値を示す大事な数値というふうなことでありますが、この数値を見ていきますと、三月が〇・九、四月が〇・二、六月が〇・二、七月が〇・四、こういう数値がスピラ先生には説明をされていることになるわけです、そうしますと。  これは一が基準になって、一を超えるかどうかというのが大事な数値なわけで、平均は一・幾つとか二とかという数字があるものの数字でございます。〇・九というのと〇・二というのは致命的に違う数字でございますね。そういった中で……(安部参考人「〇・九と幾らですか」と呼ぶ)〇・二。致命的に違う数字でございますね。
  382. 安部英

    安部参考人 そうですね。
  383. 枝野幸男

    ○枝野委員 ところが先生は、何とか、研究班で帝京大症例がエイズじゃないかということを説明をされるのに、先生御自身がこういう報告をしています。「帝京大学症例については、研究班会議で私が報告した。その報告の際には、資料として添付別紙図1及び表1(但し八三年四月以降の記載を除いたもの)を提出をした。」  その図を見ますと、三月、〇・九までのデータなわけです。〇・二というふうに致命的に下がった四月以降のものは出していない。何でこんな致命的な数字を、決定的な数値を出さなかったのですか。
  384. 安部英

    安部参考人 その点は、厚生省から、先生がお持ちになっている、後に指摘をいたされまして、というのは、とにかく私は、現在は、その返事を書きましたときはどういうように書いたのかすらの資料さえも集めることができないような状態なのでございます。でございますから、私は、八月にやったのは八月に発表したのでございますから、先生がおっしゃいましたように、その数字をそのまま入れたと思いますね。四月とか五月ならば、まあ七月の亡くなる前のデータまでは入れれば入れられたかもしれませんが、亡くなるすぐ直前のデータはないかもしれません、だけれども、それに近いところはデータは入れた。それを私は、もう年をとったということもございますが、ちょっと今生活が非常に乱れておりますから、ですから、そういうことにちょっと錯誤を起こしたかもしれません。だけれども、先生が御指摘のとおりに、改めましょう、それは厚生省にもそのように改めて訂正させていただきました。
  385. 枝野幸男

    ○枝野委員 四月以降のデータもエイズ研究班には出したのですね。
  386. 安部英

    安部参考人 そうです。
  387. 枝野幸男

    ○枝野委員 最後に一つお尋ねをしたいのですが、例の、先生がおつくりになった財団法人血友病総合治療普及会についてですが、こちらの理事のお名前はすべてもちろん御存じですよね。
  388. 安部英

    安部参考人 はい。
  389. 枝野幸男

    ○枝野委員 その理事の中に国会議員はおりますか、いたら教えてください。
  390. 安部英

    安部参考人 小沢辰男さんがおいでになります。
  391. 枝野幸男

    ○枝野委員 先ほど来何度も指摘をさせていただきましたが、先生の御発言がすべて正しいものであればそれはそれで結構なんですが、どう見ましても矛盾があって、説明には十分納得できない。  特に、日赤の供給量の問題については、当事者である徳永先生が偽証の担保のあるところで御発言をされている話と先生のお話とは決定的に食い違っていて、これが真相究明でも決定的に違っている。先生が、むしろ先生の側から、今の御発言に自信がおありでしたら、証人として出てきてもう一回御発言し直していただいたら、先生もまたきっと信用されるかもしれません。どうですか。
  392. 安部英

    安部参考人 その徳永さんと私がどちらが正しいかという御質問でございますね。  ですから、そこのところは、どちらが正しいかということは、私が自分で、どれだけできそうであるかとか、とにかくまだつくってくださっていないのですから、これからこれは希望すればどれだけできるかという問題でございますので、私は、余り大きなことは、何にも断定的なことは言えなくて、それで小委員会結論をここで利用させていただいたということです。
  393. 枝野幸男

    ○枝野委員 時間になりましたので。今の御発言というのは、要するに、先生は私の質問の一番最初のところでも、クリオは足りないのと使い勝手が悪いのと両方で使わなかったということをおっしゃっているのです。ところが、足りないということについてはやってみないとどうかわからないと今発言を変えられているのです。こうころころ変えられては、何が先生の御意見なんだかよくわからないのです。ちゃんと、言うたびにごちゃごちゃ話を、違うことをおっしゃらないでいただきたい。  終わります。ありがとうございました。
  394. 安部英

    安部参考人 とにかく、足りなかったことは、私がつくろうとしておりますときは足りなかったのです。だから、使いようがないのですよ。使えない。  それから、これから、あなたのようにおっしゃって、今から足りるようになるだろうとおっしゃいますのは、それは希望はいたしますけれども、私の小委員会ではそれは不可能であると言っておるわけでございますから、それを信ずるよりほかにはなかったのです。
  395. 和田貞夫

    和田委員長 岩佐恵美さん。
  396. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 先ほど同僚議員の質問に対しまして、八三年のエイズ研究班の設置前に、参考人患者さんの中にエイズ患者さんがおられるということを厚生省に伝えられたかどうかという問いに対して、正式にはありませんというお答えでした。正式にはないということは、非公式に何かそういう答えをされたのかどうかということについて確認をさせていただきたいと思います。
  397. 安部英

    安部参考人 大変デリケートな御質問でございますからあれですが、非公式にというのは、私が正式に厚生省に届けたものでないということで、あとは私がほかのところで発表したかもしれませんが、それについて厚生省がインフォメーションを持っておられるというのは、それはそちら様のことでございますから、これを否定までできないと思いましたから、先はどのような回答にいたしました。
  398. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 そうしますと、エイズ研究班の設置の前に、参考人エイズ患者の問題について何か厚生省にインフォメーションを与えるようなものがあったということになるのでしょうか。
  399. 安部英

    安部参考人 私は、学会などに私の教室員が、例えば私ども患者さんの中で免疫機構が下がっているというような発表をしておるということがございますね。これはそのままそれで通せばそれでいいのでございますけれども、私どもでは、あっ、これはエイズと関連はないのかというふうにすぐ思うわけでございます。そういう意味のことは十分に考えながら発言したこともございますけれども、それはエイズであるということは言えなかったわけです。
  400. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 先ほど議論がありましたことについてなのですけれども、八月十四日の血友病患者さんの集まりでの発言に関連してなのですが、参考人は、六月の十八日の読売新聞では、このエイズの問題について、「私としては、もう居ても立ってもいられない」という思いだということを言っておられます。これは読売新聞の「顔」という欄に出ておられるものですね。それで、その後、今お話がありましたように、八月十四日になると、千人に注射しても本当に起こる人は一人かあるいは一人までいかない、その程度のものだということで、安全性について強調されるという状況になっているわけです。どうしてこの発言が変わられたのか、その点について伺いたいと思います。
  401. 安部英

    安部参考人 今の六月十八日の読売新聞の考えは、いまだにもうずっと持ち続けてまいりました。ですから、これは間違いはございませんのですが、今の家庭療法促進委員会の席上で、そういうふうにちょっと患者さんには楽観的な印象を与えるかのような発言をいたしましたのは、実際にそのときはまだエイズというものがはっきり私どもにはわかっていない。どれが、この患者さんはエイズである、この患者さんはエイズでないということの区別が、実際は診断基準もはっきりしなかったのでございます。ですから、そういうふうに、私どもは自分でこれぐらいのものであろうと思って、私は申し上げたわけでございます。  もう一つは、こういうことで、そうしたら一体何で治療してくれるのだという御質問が来るに違いない、また来たのでございますが、そのときは、もう今までどおりにやるよりほかにはないというふうにお答えしたわけでございます。
  402. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 これは先ほどちょっと郡司参考人に確かめたいと思っていたのですけれども、できなかったものですから伺いたいと思いますけれども、スピラ博士にお会いになったのが八三年八月の二十九日ですね。そのときに、アメリカからもう一人出席をされていた方がおられるのじゃないでしょうか。ローレンス博士ですか、そのことについて御記憶はございますか。
  403. 安部英

    安部参考人 そこの記憶がはっきりいたしませんのです。思い出そうと思って随分努力いたしました。けれども、スピラさんとの話でいっぱいなものですから、そして私は、彼の顔をにらみつけて聞いたものですから、ほかの方の顔を余りよく覚えていないのです。お許しください。
  404. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 それから、ギャロ博士に検体を送られました。この検体は何件送られたのでしょうか、正確な数字を教えていただきたいと思います。
  405. 安部英

    安部参考人 ちょっと私の記憶が、少しは間違ってもお許しくださいませんか。私は、四十八例送ったのじゃないかと思うのでございます。
  406. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 そのうち、亡くなられた方の例も入っていたのでしょうか。
  407. 安部英

    安部参考人 入っておりました。
  408. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 何名入っていましたか。
  409. 安部英

    安部参考人 いや、入った方は、一番最初のと言われるから、帝京大学症例の患者さんのものです。
  410. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 何人になりますか。
  411. 安部英

    安部参考人 ですから、少なくともあそこでは二人がせいぜいでございますね。
  412. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 この結果について、厚生省に届けられたということを伺いました。届けたというのは、何か書類を届けたということを言われましたね、ギャロ博士のデータについて。それはどこに届けたのか。薬務局だったのか、保健医療局だったのか。つまり、この間、一昨日の場合、郡司さんという言葉も言われました。郡司さんはもう当時薬務局におられませんでしたから、でももしかしたら郡司さんにも連絡をされたのかもしれない。その辺、どこに、どなたに届けられたのかということについて伺いたいと思います。
  413. 安部英

    安部参考人 先生、私はもう年をとりましたから、そこの記憶が余りはっきりしないのです。  ただしかし、申し上げたいのは、これは厚生省にはお届けすべきであると思いましたから、それで私が知っているのは郡司先生ですから、郡司先生のところへ電話をかけたのだろうと思いますね。そうしたら郡司先生はいないわけです。ですから今度は、それがだれが電話にお出になったのか、それから、それがいつであったのかということは、残念ながら、申しわけありませんが、よく覚えていないわけです。  それで、私は、まあそれもあるでしょうから、郡司先生あてにだろうと思いますが、私のところへ来ました手紙のコピーをつくりまして厚生省にお届けしたのです。
  414. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 鳥取大の栗村教授に、先ほども話がありました、資料を提供されたということでしたけれども、直接栗村教授から参考人のところに資料を要求されたのか、それとも厚生省を経由してその資料を渡したのか、その点はいかがですか。
  415. 安部英

    安部参考人 非常に厳しい御質問でございまして、私の記憶では、直接御本人から私に請求があったと思います。
  416. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 それで、私は、抗体陽性二十三件のうち、少なくとも先ほどお答えがありました二例については、亡くなっておられるという方の症例ですね、そうした場合に、エイズ研究班の班長ではないということで私はどうすることもできなかったというふうに言われましたけれども、八四年の五月にエイズウイルスが固定され、そして日本でも参考人患者さんの半数が抗体陽性、そして亡くなっている方もいらっしゃる、これは非常に重大な事態だと思うのですね。  私は、医者として、命を守る医者として、そのとき、当然この結果についてみずから公表する、そういうことがあってよかったというふうに思いますけれども、その点についていかがですか。
  417. 安部英

    安部参考人 私は、そのデータをもらいましたときには、これは二つのことを考えました。  一つは、厚生省に今のような手続をとること、もう一つは、これをオーソリティーのみんながそろっております学会に報告すべきであると思いまして、そしてすぐにギャロさんと相談をいたしまして、十二月にアメリカでありますHIVの国際シンポジウムに演題を出しましてエントリーをいたしました。それがたしか十二月の六日か十六日か、ちょっとそこはもう忘れましたけれども、とにかくそこのところで発表をしてもらいましたわけでございます。  ですから、私としては、それぐらいが、自分の判断では、できる最も強力な訴えであると思ったわけでございます。
  418. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 先ほど、この結果を知って愕然としたという発言をされました。  それで、非常に重大な結果だったわけですから、私は、一番この利害関係にあるのは患者さんだと思うのですね。それは参考人は愕然とする、それはもう患者さんはもっと大きな衝撃を受けるし、そのときに発表してちゃんと手だてを打っていれば、その後の、少なくともいろいろな手だてが変わっていったというふうに思うのです。  その点について、私は本当にもっと、学会に発表するとかそういうことではなくて、やるべきだったというふうに思いますけれども、少なくとも参考人患者さんについて、非加熱製剤をその時点で見直しをするということをやられたのかどうか、その点について伺いたいと思います。
  419. 安部英

    安部参考人 重大なデータであるということは私はすぐに思いましたので、すぐではなかったと思いますが、私の患者会の皆さんにお集まりいただきましたときに、この話をそれとなくいたしました。  ただ、皆さんの前で、だれだれがプラスである、だれだれはマイナスであるということを大きい声で、何といいますか、機械的に申し述べることはできません、いたしませんでした。それで、ひそかに集めまして、危ない方とか、それから殊に奥さんがおられるような場合には、その説明もちょっとしたということであります。
  420. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 そうではなくて、非加熱製剤を投与する、注射をする、そういうことについてやめられたのか、やめられなかったのかということについて端的に伺いたいと思います。
  421. 安部英

    安部参考人 大変大事なことで、私は非常に悩んだわけでございます。大変悩みましたけれども結論はこうでございます。  もしここで、今まで使って、そのときには非加熱製剤しか私どもが持ち合わせていないわけでございます。いや、クリオがあるではないかと。クリオもありますから、クリオも使いたい。それで、これは、クリオが使える人はクリオを使う、物がありさえずればですね。それはそれとして、そういたしますと残るのは非加熱しかないわけでございます。加熱はそれからもう随分後になってやっと手に入るわけでございますから、使えない。だから、もし非加熱を使わなかったら私は患者さんを殺してしまうかもしれない。患者さんを生かさなくちゃいけないというのが私の信念でございました、先ほど何回も繰り返し申し上げましたのでございますが。それのために私は患者さんには同じように注射をし続けました。
  422. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 最後になりますが、一昨日、安部氏と藤崎氏が第三回のエイズ研究班会議で激しく議論をしたというようなことが、松田参考人からお話がありました。どういうことで激しい議論をされたのか、御記憶はありますか。
  423. 安部英

    安部参考人 私はほとんど記憶がございません。  まだ藤崎さんは厚生省の、そのときには課長補佐であられたと思いますね。私は、課長補佐でなくても課長さんに、非常に親しいわけでございますから課長さんに十分話をすればいいわけで、できますから、藤崎さんとそんなに議論をして、そしてそのために藤崎さんがポジションを失って外へ、別のところへ移ったなんというようなことは、私としては全然覚えがないのです。
  424. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 これで終わりますけれども、課長補佐ですから、通常では考えられないことです。ですけれども、そういう非常に特異なことが起こったときには、人々の記憶に鮮明に残るのですね。それで、そういうことが起こったということは、これは、人の命にかかわる重大な、本当に路線上の問題について議論されたのではないかというふうに思うものですから、またこの委員会で、きょうでおしまいというわけではありませんので、いろいろな問題について、解明できない、できていない問題についてはさらに解明していきたいというふうに思いますけれども、きょうはこれで終わりたいと思います。
  425. 和田貞夫

    和田委員長 土肥隆一君。
  426. 土肥隆一

    ○土肥委員 先生の話を聞いておりますと、一見非常に論理立っておりますけれども、要するに、先生の主張を限りなく述べておられて、どうも他人の言うことは余り耳を傾けられないような傾向のお方ではないかなと思うのであります。  私ども、午前中、郡司さんから話を聞きましたときには、彼は非常に血液製剤に危機意識を持っておりまして、何とかこれを改善したい、変更したい、そう思っていたようであります。それは加熱であるとかクリオを採用するというようなことかもしれませんけれども、そして、安部先生を班長にお願いしてエイズ研究班ができた。  それで、そのときに、午前中ですよ、郡司さんはこう言ったのです。この研究班というのは単なる研究目的としたものであって重要な意思決定をする場ではなかった、しかし、それが重要な意思決定をする場になってしまった、こういうふうに言ったのですよ。  先生は繰り返し、自分は科学的に、そして今の現状、血友病患者さんの置かれている現状を分析して、エイズウイルスというのがあるかないかわからない、発症も十分わからない、そういう中で、科学的に、科学的に詰めようとしたけれども、詰め切れなかったということですね。だけれども郡司さんはそれを早く変えようとしたのです。  そのエイズ研究班会議で、郡司課長は何か積極的に意見を出しましたか。
  427. 安部英

    安部参考人 積極的とおっしゃいますのがちょっとわかりませんが、血液製剤のことでございましたならば、血液製剤のことで諮問されたといたしましたら、それで今答えさせていただきますと、そういたしますと、それは、間もなく、そのときに今度血液製剤に関しましては小委員会をつくるということを相談しておりましたから、そこでやつてもらおうと私どもは思いましたし、私もその一人でございました。
  428. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうすると、郡司さんはエイズ研究班の中で積極的な役割は果たしてこなかったというふうに先生は思いますか。ただもう研究班に、お願いします、エイズ研究をしてくださいと言っただけですか。もう一遍おっしゃってくださ  い。
  429. 安部英

    安部参考人 郡司さんも、ちゃんと御相談をしながら、これは小委員会で決定をしてもらうべきであるということで、そして、その中間報告から最終報告まで全部私どもは見せていただいておりますから、それで十分ではないかと思っていました。
  430. 土肥隆一

    ○土肥委員 私は、その辺が解せないところです。郡司さんも、なぜここで手を引いてしまったのかということです。既に一九八三年三月にトラベノール社加熱製剤が承認されている、そういうことも彼は十分に知っているわけです。そして、かなりアメリカ文献ども読みまして、この血液製剤の中にエイズが混入しているということをはっきり知っていたのです。それを何とか打開したいとして、考えて、エイズ研究班を構成したようでありますが、結局うまくいかないのですね。  そして、第一回、五十八年の六月十三日から、一カ月、一カ月、ニカ月、今度は五カ月、こういうもう決まったようなルーチン委員会、ルーチン班会議になっておりまして、要するに、決まった期間を置いて、何の緊張感もなく、そしてとうとう最終的には二年たってしまうのですね。そうですね。結局、加熱製剤を承認して売り出すまでに二年たつわけでしょう。ですから、そういう二年間の間、その二年間がいわば一番重大な二年間だったわけです。そのときに安部先生は、全く関係ない、これはもう学問的にいたし方のなかった二年間だ、こう思われますか。
  431. 安部英

    安部参考人 まず第一に、私は、私が二年間の間責任を負わなければならないということを、そのときは意識がなかったです。
  432. 土肥隆一

    ○土肥委員 エイズ研究班の代表です、先生は。単なる議事進行係じゃないのです。これはやはり先生、特別な使命があって、そして安部先生にとお願いしたのじゃないのですか。どうですか、その辺は。
  433. 安部英

    安部参考人 私の理解は、まず第一に申しましたが、エイズというものが日本にあるかどうかというので、たくさんな症例を全国から集めまして、それを吟味するということが大きな目的であって、それをやったつもりでおります。
  434. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうすると、その間に二千人のエイズ感染者が生まれ、二千人弱、千八百人とも言われておりますけれども、そして、五日に一人死んでいかれるような発症者が出てくる。この二年間、先生は全く責任感じられませんか。
  435. 安部英

    安部参考人 それは私は、十分に責任といいますか、責任は感ずるわけにはいきません。感じてもしようがないわけですけれども、それは非常に残念でございますよ。
  436. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうしたら、お尋ねします。厚生大臣は、原告団の皆さんにおわびをなさったですね。あれは何のためですか、おっしゃってください。
  437. 安部英

    安部参考人 お尋ねの用件がよくわかりませんけれども、何のためにおわびをなさったと。私は……。
  438. 土肥隆一

    ○土肥委員 どういう理由で厚生大臣はおわびをなさったのでしょうか、患者さん皆さんに。
  439. 安部英

    安部参考人 それは、厚生大臣厚生大臣のお考えでおわびをなさったのだろうと思います。だけれども、私は、一生懸命にやってきまして、何が悪かったのかということにつきましては、その……。
  440. 土肥隆一

    ○土肥委員 そこが問題だと思うのです。それでは、ミドリ十字の役員たちが関西の原告団の皆さんに、床に手をついて、頭をこすりつけて謝ったのは何のためですか、言ってください。先生の理解はどうなんですか、その理解は。
  441. 安部英

    安部参考人 私は、ミドリ十字さんにはおじぎをしなければならない理由があったのだろうと思いますよ。しかし、私は一生懸命にやらせていただきましたから。これは、医師としては私の良心に恥じるところはございませんけれども、自分の能力が足りなかったということをおっしゃいましたならば、それはそうであったということを私は残念に思いますけれども、これをそれではおじぎをして謝るということは、それはちょっと私としてはできかねますね。
  442. 土肥隆一

    ○土肥委員 厚生省に生物製剤課がエイズ研究班を特別に置いて、安部先生を班長にして、そして、今緊急に問題になっているこの血液製剤の問題について解決をしてくれというのが所期の目的なんです。  そうすると、だれも責任がないのです。厚生省責任を負わない、当時の薬務局も責任を負わない。そして、その中にありました研究班皆さんの一部の方は、松田先生などは済まないとおっしゃっているけれども、肝心の安部先生が何もおっしゃらない。そして、ミドリ十字社は謝った。何が原因なのかがわからないと謝れないとおっしゃいますけれども、世の中はそうじゃないですよ。その原因がわからないにしても、そのとき最高責任者がいて、二千人からの患者さんが感染したということについて、それは、知らないから罪がないのじゃないのですよ、そういう責任にある者の当然の意識なんです。それをやはり先生、理解してもらわないと、この話は初めから全然通じないのです。もう一遍おっしゃってください。
  443. 安部英

    安部参考人 とにかく、そういう二千人のそれが出たのがすべて私の責任であるという、その論理はどうして出るのかがわからないのですよ。
  444. 土肥隆一

    ○土肥委員 すべて先生の責任だとは言っておりません。だけれども、そういう重要なエイズ研究班の班長になられたという職務上から発生する責任は、当然問われてしかるべきだということです。もう一遍おっしゃってください。
  445. 安部英

    安部参考人 残念ながら、先生がおっしゃるような意味でその責任を問うとかなんとかと言われたら、私は、そういうことを先生に、納得してそうですと言うわけにはいかないわけです。
  446. 土肥隆一

    ○土肥委員 私が自動車の運転をした、うっかりしていて人をはねて殺した。うっかりしていました、それで免責になるはずないですね。やはりそこには運転をちゃんとする責任があって、責任を果たそうとしたけれども、果たし得ていなかったということはあるわけです。ですから私は、先生の立場からいうと、当然職責上の責任がある、このように思います。
  447. 安部英

    安部参考人 問題が私にとっては非常に複雑になりまして、ちょっと、どのように考えていいのかわからないですよ。自動車の運転で人をひき殺したときに、それが、私がこのエイズの問題を一生懸命にやってきましたのに、私が自分の患者さんに生懸命やってきました、それとこれとをどうもどのように結びつけていいのかというのが、これは先生の御期待とは違うかもしれませんけれども
  448. 土肥隆一

    ○土肥委員 要するに、一種無責任体制が、この非加熱製剤を打った血友病患者さんの、この責任を問うときに、一種の無責任体制が広がっているということなんです。厚生大臣厚生省行政を代表して謝りました。メーカーはメーカーを代表して、ミドリ十字その他のメーカーも謝りました。しかし、肝心の郡司さんがつくったエイズ研究班は不問にされているということを申し上げて、終わります。
  449. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもちまして安部参考人に対する質疑は終了いたしました。  安部参考人には、御多用中のところ、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。どうぞお引き取りください。      ――――◇―――――
  450. 和田貞夫

    和田委員長 理事辞任の件についてお諮りいたします。  理事五島正規君から、理事辞任の申し出があります。これを許可するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  451. 和田貞夫

    和田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  引き続き、理事補欠選任の件についてお諮りいたします。  ただいまの理事辞任に伴い、現在理事が一名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例により、委員長において指名するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  452. 和田貞夫

    和田委員長 御異議なしと認めます。  それでは、理事横光克彦君を指名いたします。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時二十一分散会