○
荒井(広)
委員 大臣初め
皆様、おはようございます。
雨模様ではありますけれども、朝の時間というのは非常にすがすがしいものでございますが、
新進党さんが御
出席をいただけないということは、涙雨のような気がしてまことに残念でなりません。
それでは、こういうふうに雨の中で落ちついた感じですが、
九段宿舎のところでも春を思わせるような、桜はまだですけれども、そろそろそんな息吹が感じられてまいります。また、新しい
選挙制度で
選挙が行われるということでございまして、今までは
選挙制度導入に伴ういろいろな
考え方、ある
意味では対立ということもあったわけですが、一面、落ちついてきたように思います。
そういう中で、さて、今度はどんな
選挙制度かなということで、
自分自身、どのような
選挙運動方法、これは
選挙期間に限ってでございますが、どんな
運動が許されているのかな、行えるのかなということを静かに考えて、
自分に当てはめてみました。そうしたところが、おやおや、これはこれは、新しい
選挙制度の
理念と、そして
自分は勝ちたいという
気持ちがどうしてもつきまといます。許された中で、その枠いっぱいに使って
選挙戦略上勝つようにしていきたい。そうなると、これは随分と
理念とは違った方に進むのではないかというおそれを抱きました。私
自身、一度
衆議院選挙で
落選をいたしておりますので、ある
意味においては
選挙に対して何とか勝ちたいという
気持ちが正直言ってうんと強いわけです。これは
大臣にはよく御
理解いただけると思うのですが。
そうなりますと、今度の新しい
選挙制度の
理念の中で、
政党本位、そして
国民の
皆様方に
政策選択肢を御提供し、そして選ばれた
国会議員が
政党政治のもとで
国会の場を
議論で活性化していく、その姿勢や姿や、とりわけ
政策によって
国民の
皆さんは、場合によっては
批判もあるかもしれませんが、国権の
最高機関としての
国会に、そして
政党に、
議員に
権威を感じ、そして
世の中が治まっていく。こうした
民主主義の
最低の根幹をもう一度、過去のさまざまな
反省に立って改めていこう、
国会に
権威を取り戻そう、
国民との距離を縮めて、
議論で、
政策で国と
世界に貢献していこうではないか、こういう
理念であったはずでございます。
しかし、私
自身、
選挙が近づくにつれて、
任期満了も近づくにつれて、そうは言いながら、
落選していた経験もあるので、何とか許された
範囲で
選挙運動期間、
選挙戦略上有利に進めていきたい、そういう
気持ちがある
自分を、ある
意味で
理念を追わなければならないけれども
当選を求めてしまう、こういった点を
自分自身反省をしながら、質問に立たさせていただいているわけでございます。
そうした中で、私の
落選の中で、これは
自分の
努力不足だから仕方ない、逆に言えば同じ
選挙区のほかの
先生方が立派で認められていたのだろう、こう思って、悔しさと同時にある
意味でのあきらめもありましたが、もし
選挙制度自体が、時間的、物理的、金銭的にある程度
本当の
平等性という、
本当と言うとちょっと大げさなのですが、
使いようによってどうにでもなるというのではなくて、
本当に限られた中で
選挙を戦っていくということでなければ、
落選した場合に悔いが残って仕方がありません。
候補者を
議員として決定するその
土俵が、それぞれの
政党や
個人の
戦略上のやり方に応じてゆがめられてしまう。ゆがめても何ら問題がない、最初から不平等な競争を強いられる、こういう
制度であっては、これは悔いどころか訴訟ということまで起こるのではないかと私は思うわけです。
そこで、今度の
選挙制度をもう一度読み直してみますと、私
自身は基本的な
認識としては次の四点を挙げたいと思っているわけです。
一つは、ただいま申し上げましたように、
選挙運動は、時間的、物理的あるいは金銭的なものでいうと、
全員に平等に保障されなければならない、これは
政党についても
個人についてもという
意味であります。相撲に例えるならば、その
土俵が公平でなければならない、こういうことでございますから、
公平性の
担保の上で初めて、
議員の、
政党の、そして
国会の
権威が守られていくということだと思います。
二つ目は、残念ながら過去にさまざまなスキャンダルがありました。
お金のかかる
選挙というものに集約されるように、どうしても
日常の生活も
政治活動が、
政治資金を集めなければならない。それは一点、
当選するというところに使われていく。そこに
選挙違反が出たり、あるいは
日常の中で汚職が生まれたりという構造的な問題。それは、本来は
人間の
理性の強さによって克服されるべきであり、克服できる人が
政治家たるべきだろうとは思いますが、残念ながらそうしたことが、
人間の弱さとでも申しましょうか、そういったところからなかなかできない。そうなれば、
制度的なものに頼るというのはいささか残念な話ではありますが、
制度的な問題を
指摘し、それを改めていく以外にない。
それから三番目は、やはりこれだけ
政治に対する
信頼が薄らいでいる。もう一方で、非常に速い
テンポで、そして
世界的な規模で関連しながら
世の中が動いていく、
社会経済が動いていく。
政治はそれに十分に対応できる機能を持ち合わせているのか、対応できるだけの新しい仕組みになっているのだろうかということを考えますと、
政党中心による
政策によって、この速い
テンポで、しかも目まぐるしく変わる
世界と国内のさまざまな
案件に対応していく必要がある。それは一点、
政策で解決をしていくしかない、こういったことで
政党による
政策中心の
選挙ということを考えたわけでございます。
また同時に、
政治に期待は持てないという声があります。これは
世界的な潮流でもあります。アメリカの
大統領選挙の現在の
選挙戦、共和党の
予備選を見てもそうですが、なかなか
投票率が上がっていない。
国民の
皆様方の心は一体どこにあるのか、こういうようなことを考えますと、やはり
国民の
皆様方の、
批判であろうと賛意であろうとあるいは御意見であろうと、十分に声を吸収していく、そしてこちらもまたそれに対して
政策としてお訴えをしていく、そしてその
選択肢の中から、
国民の声を大切にして集約した形で
国会が
一つの
政策決断をしてまいる、こういうことでなければ
信頼がとれない。
信頼がとれるということは、
投票率が上がるということでございます。つまり、今回はいかにして
政治離れを食いとめるかということも非常に大きな問題としてあったわけです。
この
公平性の
担保、金のかからない
選挙、
政党による
政策中心の
選挙、
投票率を上げていくための
選挙、こういうようなことを
基本認識として、
必要性として私は
理解をしている次第でございます。
さて、そういった中で、私
自身の例で甚だ恐縮でございまして、他の
先生方にそれが当てはまるわけではありませんが、お恥ずかしい話ですが、私
自身の考えに照らしてまいりますと、今言いましたような中で、
公平性というのは
選挙制度そのものですから別にいたしまして、特に
政党本位、
党営選挙の
理念ということを考えながら、金のかからないように
政策中心でお訴え申し上げていく、そういう中で
国民の
皆さんが
政治に関心を持ち、
信頼を持ち、
投票率も上がっていく。しかし、そうした新しい
選挙制度の
理念と許された
選挙運動期間の
選挙運動方法を、
選挙戦略上勝たなければならないという
気持ちの中で、許された
範囲でこれをフルに生かしていこう、こうなりますと、その
二つの
バランスで非常に
問題点が出てくるということを後ほど御
指摘させていただきたいと思うわけです。
そして、
二つ目は、今回党の
政策あるいは
候補者の政見なり人柄ということも十分に
理解をしていただかなければならないわけです。しかし、そうした
最低の
選挙運動方法によって、
数量によってですが、
政策や、ある
意味で
政党の
人格、
候補者の
人格、こういったことをどれぐらい有権者の
方々に周知できるのかということをもっと検討していかないと、この
理念と
選挙戦略上の
バランスが崩れていくのではないか。
二つ目は
費用の問題です。
小
選挙区
選挙、これは
候補者個人に認められておりますが、この場合は
法定選挙費用が定められているわけです。しかし、
届け出政党は、今度は県と
比例区といったところに
活動が認められるわけでございますので、そこに新たな
裏費用とも言うべき
費用が
候補者個人に求められても何ら問題がない。
法定選挙費用と別な
選挙費用がかかることが認められていますから、
法定選挙費用というのはどういう
意味なのだろうというような
問題点、それから公営の
範囲をどこまでにしたらいいのかという検討、これによっての
費用の問題が大きく
指摘できると私は思います。
さらに、
候補者本人、小
選挙区
届け出政党、そして
比例届け出政党の垣根を越えて
複合的選挙運動ができるために、ある小
選挙区をとりますと、これは複数にわたりますが、そしてそのおそれはますます。あるわけでございますが、ある小
選挙区の
候補に著しい不平等な
選挙運動を強いる、
選挙活動を強いることになる。つまり、小
選挙区
立候補者間に不公平が存在する。この
問題点を
指摘させていただきます。
それから、小
選挙区
候補者が
比例区
名簿に
重複立候補が認められておりますので、
純粋比例と
重複立候補者の関係をいま一度整理し直しませんと、私が申し上げました今回の
選挙運動方法の四つの原則が非常にゆがめられてしまう。ゆがめられた中で
選挙を戦ってきて勝ち負けが決まる。これは、
信用、
権威というものを考えた
選挙制度の
あり方としては、まさにその
信用と
権威というものを汚すおそれがある
制度になっているのではないかということを私は御
指摘させていただいて、各論に移らせていただきたいと思います。
新進党さんは、
小沢党首が
解散すべきであるという言葉を言っておられますが、
解散をする前に、この
特別委員会理事会でも、
選挙制度はいろいろ
問題意識は違うけれども幾つかの点で
選挙の前に
改正をしておかないと
お金がかかり過ぎますね、こういう話にもなっておったわけでございます。そういう
意味では、政局に左右されず粛々とこの場で
議論が
与野党合意のもとで進められていくべきでありますが、
委員長初め
理事の方からの呼びかけにもかかわらず本席に
新進党が欠席をされているということは、
解散を言っている
政党にしては極めて無責任きわまりないものであるということを言わざるを得ません。
この
選挙制度の
問題点、それぞれの
先生方も
問題意識を持っておられます、何をどうするかについては
議論があるところではございますが。
選挙運動方法について私は言っているわけでございまして、
選挙制度自体ではございませんのでお間違いのないようにお願いしたいと思います。そういう
認識の中で、やはり
新進党さんはこの席に出ていただいて
議論をしていただくべきであるし、また、この
制度の
問題点が払拭されない限りにおいては
衆議院の
解散は
現実論として行うべきでない、こう私は申し上げておきたいと思います。
例えば、それを言う根拠は何でしょうか。
大臣、こういうふうに私は考えておるんです。小
選挙区
選挙の
候補者本人については、先ほど申し上げましたが、
法定選挙費用が定められているんです。ところが、今回の
選挙制度では、
候補者届け出政党という、言ってみれば
県単位にございます、それから
比例名簿を届け出た
政党にございます、この
二つには
選挙費用というのは認められていないわけでございます。
そうなりますと、与えられた
範囲の中でどういうぎりぎりの
活動が許されるかというと、例えば、私
自身が小
選挙区に出ていて、県でも
届け出政党による
選挙活動は許されているわけですから、そして
比例区に
重複立候補しますと、これは小
選挙区の
候補者の
荒井さんの
活動の分ですよ。
チラシなり
ビラなり、これは認めましょう、お使いください。しかし、その
費用については、我が党としても負担し切れないので、あなたが必要であればあなたが党に
活動費を提供して、それは党が印刷すればいいわけですから、党が発行することになるわけですから、結局、
個人の私あるいは小
選挙区
支部あるいは
後援会、こういったところが
政党に
お金を捻出するということは可能なんです。
そうすると、
個人の小
選挙区での
選挙運動には
法定選挙費用が認められながら、
比例区の
ビラというものを私の
選挙区にも配らせてください、ではその分については
自己負担してくださいよ、こう言われた場合に、
自己負担の
あり方はいろいろですけれども、そこに合法的に
費用をつくることが認められるということになりますと、実質的には、
裏費用と言うとちょっとおかしいのですが、表
費用なのですが、
法定選挙費用ということに対して言えば
裏費用的な
お金がかかる
可能性が存在するということなのです。
いやいや、それは
政党の
良識の問題だ、
個人に与えているのではない、
政党に与えている
活動だからそれは
政党の問題だと言えばまさにそれはそうなんです。しかし、内容的に
制限がありませんから、
自分の
選挙区に有利に展開したい、それがひいては
政党のため、こういうことになるわけでございますので、これは与えられた
選挙運動の
範囲でどんどんと
お金がつぎ込まれる道をあけている。これは、金のかからない
選挙の実現という今回の
政治改革の
理念に大きく反するものではないかと御
指摘をさせていただきたいと思います。
この点についての御
見解を
自治省の方でお願いします。