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渡邉参考人 読売
新聞の
社長の
渡邉でございます。
新聞協会の
再販対策特別委員長をしている
関係から、
新聞協会を代表して参上いたしました。
本日は、このような機会を与えられたことを、
委員長及び
委員の
皆様に厚くお礼申し上げます。
私は、何十年間か
記者席で専ら取材する側でありまして、
委員会席で発言するのは生まれて初めてでありますので、大変光栄に存じている次第であります。
ただいま
金子教授から、
新聞再販をつぶしてしまえという理論についてるる御説明がありましたけれども、私は全面的に
反対であります。
まず、原則違法ということを盛んに強調されると、
新聞の
再販があたかも違法であるかのごとく思われますけれども、
独禁法という
法律によって、
法定再販という名のもとに
著作物というものは入っておるのでありまして、
法定で
再販されているものが何で違法であるか。
それから、
当該商品に
固有な
理由がないようなことを言われておりますけれども、
固有な
理由もあり、
目的もあります。
再販によって得られる
利益は
競争制限により失われる
利益よりはるかに大きいものであります。
当該商品、
新聞について自由な
競争が行われていないようなことを牽強付会で言われておりますけれども、
新聞ほど
競争激烈な
商品はないことは、
国会議員の
皆様の方が一番御存じだろうと思います。
紙面作成面、特だねを、あるいはいい企画をとか、あらゆる
方法で日夜物すごい
競争をしております。
販売面その他でもしかりであります。
価格が硬直的であると。私は
上方硬直性が強いと思うくらいでありますが、現在
東京にある
六つの
新聞、大
新聞でありますが、そのうち、
六つの
新聞について
四つの
価格があります。これは朝
夕刊セット価格でありますが、高いものは日経
新聞の四千三百円。それから、朝日、毎日、読売が三千八百五十円であります。産経
新聞は三千六百円であります。
東京新聞は三千円であります。上下の格差が千三百円あります。高い
商品の方がいいと思われる方は日経をおとりになればいいし、安い
新聞をとりたいと思われる方があれば
東京新聞、三千円という
価格があります。
六つの
商品について
四つの
価格があれば十分ではありませんか。
それから、
一般日刊全国紙が
同調的値上げが多かったとかいろいろ批判されておりますけれども、
一般日刊全国紙というカテゴリーは、
公取委員会がある日突如一片の
告示で
新聞五社に対してなされたものでありまして、
地域によっては、例えば七〇%から九〇%、
県単位で
普及率を持つ有力な
県紙があり、そういうところでは、いわゆる
全国紙というものは五%とか三%しかシェアがないのです。
全国的に
——言論というものは、ある一定の
地域で
寡占状態があるということは望ましくない、
独占状態があるということは望ましくない。いかなる場所でも四種、五種、六種という
新聞の
購読可能性があるということが大事なのです。そういう面から見ると、
全国紙五種だけが特殊な
商品であるようにくくった
公取の
告示に対して私は
反対であります。当時から
反対してまいりました。
そもそも
規制緩和というのは、一九八九年末よりの
日米構造協議によって
アメリカ側の
圧力で
日本の
市場の
閉鎖性に対して開放を求めてきた、それが動機で始まったと一応言えると思います。
アメリカ側の
要求は
カルテルとか
入札談合とかいわゆる系列問題でありました。
また、もう
一つの、
規制緩和が現在必要とされている、我々もこれを支持している
理由は、
バブル経済崩壊後の
不況打開策としての
日本経済の
活性化の
手段としてであります。そういう
意味で
規制緩和は大いにやらなければならないと思います。
ただ、
新聞、
出版という
活字商品は、
日本語の
特殊性からして何らの
意味でも
貿易商品ではありません。全く
貿易商品ではないのです。したがって、
日米構造協議の際も、
アメリカの
通商代表部の高官も
日本の
新聞の
再販問題なんかには何の
興味はない、
規制緩和に関連して、
市場開放問題に関して何ら
興味はないということを言っております。
それからまた、
金子さんの理想とされるように
新聞の
再販をなくす、その結果、
新聞の宅配は崩壊し、
新聞の
発行部数というものは現在朝夕刊合わせて七千二百万部ありますけれども、これは
世界最高の数字でありますが、半分とか三分の一とかにどんどん減っていく、これが一体
経済の
活性化に何の役に立つのか。
つまり、
規制緩和を論ずる際に
新聞というものは何らいい例にならないのですね。ならないのに、
公正取引委員会が設けている
私的研究機関である
研究会の
下部機構である
再販問題小
委員会、その座長をここにおられる
金子さんがやっておられるわけでありますが、もっぱら
新聞いじめをやっておる。まあ、
政治的感覚のないのが象牙の塔にこもっておる
学者の通弊であります。
それから、この
学者たちは、
新聞の持つ
文化的な
価値、
公共性というものを真っ向から否定してかかっているわけであります。
文化というものは、
物質文明、人類の技術の
進歩等で発展していくシビリゼーションというものと、
精神的文化に深くかかわるカルチャーというものがある。
著作物とは、人間の道徳、
社会的規範、
政治思想、文学、芸術、
思想一般を伝達する
手段であって、
民主主義を
維持するために不可欠なものでありまして、これは
著作権法によりましてこの
著作物とは何かというのは非常に具体的、詳細に書かれておるのでありますけれども、私は、きょうは
新聞と
出版に関してのみ申し上げたいと思うのですが、そういう
意味での
著作物は
文化的な
価値を持っております。
また、
公共性を主張する
理由でありますけれども、
国会は、
昭和二十六年だったと思いますけれども、
日刊新聞紙の
株式の
譲渡を
制限する
法律というものをつくりました。
言論の自由、
独立を守るためにやたらに乗っ取りをされないように
株式の
譲渡を
制限するという
法律であります。これも
新聞の
公共性を認めたからでありましょう。
それから、
郵便法二十三条三項三号、これは第三種
郵便物を低
価格で販売することの
規定でありますが、この
法律の中に、「
政治、
経済、
文化その他公共的な事項を報道し、又は論議することを
目的とし、あまねく発売されるものであること。」という
規定があります。ここでも
新聞の
公共性について
法律が述べておるということでございます。
それから、今
金子さんが
法人税の軽減の問題を取り上げられましたけれども、実は明治四十三年の
営業税以来、
新聞に対しては
事業税、当時は
営業税と呼んだ、その後
事業税と言われましたが、これは全く非課税であったわけであります。
昭和六十年に
半額課税になり、数年前、三、四年前から
全面課税に移行しようとしておりますけれども、これは
新聞の持つ
公共性に対して税制上
優遇措置をとってきたものであります。
また、
経済企画庁が発行している
物価レポートの中に、
経済企画庁は
新聞購読料値上げのたびに各
新聞社に対して
事情聴取をしているのでありますが、その
理由として、この
レポートで、「
新聞は
国民の
日常生活に必要不可欠な
社会の
公器であるから」
事情聴取をするのだということが書かれております。
社会の
公器だということを言っております。
それから、
公正取引委員会の
事務局が編集しました「
新聞業における
特殊指定」と題する
解説書の中で次のように書いてあります。ちょっと面映ゆいのでありますが、「
新聞のような
文化的に崇高な
使命を有する
一流の
商品はあらゆる
市場におい
て、すべて単一の
価格をもって販売されるべきもので、その定価を「
値引」して販売すべきものでは断じてないということが今日の常識であるとされている。この
特殊指定の
公聴会においても、
値引絶対反対の
意見が圧倒的であったこともまことに
理由のあること」だ。
新聞は「
社会の
公器としての
新聞の
使命の達成のため、」云々というようなことが書かれておりまして、今
金子さんの
委員会と一緒になって
公取の
事務局は
新聞の
再販を撤廃しようとしているのでありますけれども、その
公取の
事務局がかつてはこういう
表現をしていたということもひとつお忘れないようにしていただきたい。それは昔の話だと言われても、
独禁法というのは非常に若い
法律でありまして、戦後GHQの
圧力でできて、二十八年に、
独立直後改正されて、そのときに
法定再販としてこの
新聞、
出版物等が取り上げられたわけであります。
また、今
公取委員会の
金子さんの属しておられる
委員会というものは、非常に偏見に満ち、
新聞を何とかつぶしてやりたいと思っておられるとしか思われない。三人のイデオローグがおりまして、ここの
金子さんを初めとして、親
委員会の
鶴田という
委員長と三輪という
東大の
教授と三人がおりますが、それが、まあ、きょうもおまきになったかどうか知らぬが、「
三田評論」その他を使って、
ミニコミを使って
新聞に対するあらゆる悪罵を続けているわけであります。これは
ミニコミとは言えないかもしれませんが経団連の「
経済広報」という
雑誌に、三輪
東大教授、これは
金子小
委員会のメンバーでありますが、そこにこう書いてあります。「
新聞にも伝える内容の
選択は許されるが、
業界団体として一斉に、しかも、
雑誌・書籍両
協会と同調して行動した点は」——行動したというのは
再販廃止反対について行動した点は「きわめて凶悪である。場合によっては
刑事罰の
対象になる
価格カルテルに劣らぬ反
社会的行為である」と書いております。これは、まあ
ブラックジャーナリズムに書く文章としては適当であるかもしれませんが、
一流大学の
学者が、極めて凶悪で
刑事罰の
対象になる反
社会的行為である、我々
新聞の報道をそう批判しているわけであります。これは大変な侮辱でありまして、何らかの
手段で抗議したいと思います。このような発言は、三輪、
鶴田、
金子、三氏によって相次いで発言されております。
そうして、この小
委員会には、
新聞の
再販に賛成する著明なる
独禁法学者、例えば舟田正之さん、これは立教大学の
教授でありますが、あるいは伊従寛さん、元
公取委員で、中央大学の
教授でありますが、こういう人たちは全然入れられておらない。
それから、
新聞が購読を
制限されておる、購読
手段が
制限されておるというお話が今ございましたけれども、宅配というのは、全国津々浦々、至るところでも同一
価格で、早朝、都市部においては夕刊がありますから夕刻、定時に配達する。これは、郵便料金が、普通郵便が八十円、はがきが五十円という
価格に比べますと、一日百円強という
価格はかなり安い。そこに記事内容として印刷されている活字の数は、大体新書版一冊もしくは二冊に該当するだけの量があるわけであります。それだけの情報を定時に配るのでありますが、これをコンビニで売らないのがけしからぬということをこの小
委員会の方々が盛んに言っておられる。
コンビニで売った場合、一体どういうふうになるか。
現に売っているんです、大阪とか名古屋とか。首都圏で売ってないのがけしからぬということを言っておりますが、首都圏でも私どもは実験的にやっております。
それで、既に至るところでコンビニで売られているスポーツ
新聞を見てみましても、駅売りが大体五割が返品であります。それからコンビニでは八割ぐらいが返品になります。現在、我々が春日部とか各地でコンビニに試験的に
新聞を置いて販売しているのでありますが、十部置いて売れるのが二部というのが平均値であります。八部は返品になるのです。八割の返品ということは恐ろしい数字でございます。
それからまた、朝夕刊七千二百万部印刷されて毎日発行されているこの
新聞を、コンビニの
新聞売り場及び駅売りのスタンドに一体置き切れるか。七千二百万部、到底置き切れるものじゃないのです。七百二十万部置くこともできないのです。七、八十万部が限度でありましょう。すると、
新聞は宅配をやめたら一体どこに置いておけばいいのかということになるわけであります。
だから、
日本は宅配が発達しておるので世界で最高の
発行部数を持っているわけでございます。各国の
発行部数、一人当たりの部数等、もし御必要があれば、もう時間がないので申し上げませんが、後ほど申し上げます。その他いろいろ申し上げたいことがありますが、あと、諸先生の御質問に応じて追加発言させていただきたいと存じます。
ありがとうございました。(拍手)