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1996-05-22 第136回国会 衆議院 規制緩和に関する特別委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年五月二十二日(水曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 石破  茂君    理事 岸本 光造君 理事 橘 康太郎君    理事 松下 忠洋君 理事 西川太一郎君    理事 野田 佳彦君 理事 永井 哲男君       安倍 晋三君    栗本慎一郎君       小杉  隆君    福田 康夫君       宮路 和明君    村田 吉隆君       森  英介君    渡瀬 憲明君       伊藤 達也君    上田 清司君       岡田 克也君    河合 正智君       武山百合子君    秋葉 忠利君       輿石  東君    金田 誠一君       吉井 英勝君  委員外出席者         参  考  人         (経済評論家) 内橋 克人君         参  考  人         (専修大学教授)正村 公宏君         特別委員会第三         調査室長    金山 博泰君     ――――――――――――― 委員の異動 五月二十二日  辞任         補欠選任   枝野 幸男君     金田 誠一君 同日  辞任         補欠選任   金田 誠一君     枝野 幸男君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  規制緩和に関する件      ――――◇―――――
  2. 石破茂

    石破委員長 これより会議を開きます。  規制緩和に関する件について調査を進めます。  本日は、本件調査のため、参考人として経済評論家内橋克人君、専修大学教授正村公宏君に御出席をいただいております。  この際、参考人各位一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位には、規制緩和に関する問題につきまして、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、議事の順序についてでございますが、参考人にそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。  それでは、まず内橋参考人にお願いいたします。
  3. 内橋克人

    内橋参考人 内橋でございます。  規制緩和に関しまして意見を求められてやってまいりましたが、最近の情勢を拝見いたしておりますと、政治のテーマ国会ジャーナリズムテーマというものが既に他の分野に及び始めているのかなと、出席者の方々の数などを拝見しながら思いました。  私がきょう申し上げることは、当委員会の主流となっておりますような考え方とはかなり質的に違ったものであろうと思います。私にとりたててこうした意見を述べよという御指示をいただくということは、しかし、そうした異論というものについて少し耳を傾けてみよう、こういうところから声が発せられたのではないだろうか、こういうふうに考えます。  きょうは、最初から大変僭越でございますけれども、個別の細やかな問題と申しますよりは、もっと本質的な、深く掘り下げた大きなテーマとしていろいろ御質問をいただくことが私の最大の希望でございます。  規制緩和に関しましては、多くの問題を積み残したまま、一種陶酔現象と言ってよろしいと思いますけれども規制緩和さえすれば失業問題は解決して、景気はよくなって、そして新しい産業が開けて、しかも日米経済摩擦は解決すると、今や万能の神になりかかっていると思います。その間にもさまざまな当事者の声というものがほとんど吸い上げられていないというのが私の実感でございます。皆さん方選挙区にお戻りになりまして、どのような現象が既に、例えば駅前の非常に長い歴史を持った商店街で現在進んでいるのかということをごらんいただいただけでも、規制緩和という名において何が進んでいるかがおわかりになると思います。  私ども世界では、通常、私は一九五七年から経済記者をやっておりまして、かれこれ三十九年になりますが、私どもがジャーナリストとしてスタートをいたしましたころには、格別叱責をされる記者というものがおりました。それは俗に成り注記者というものでございます。成り注というのは成り行きが注目される、一つの文章を書きました場合に、最後に「成り行きが注目される」と書けばそれでやすやすと記事が通ってしまうという、俗に成り注記者と言っておりました。こういう記事デスクの手元に上がってまいりますと、デスクはその記者の頭をぽかりと殴りまして、そして、成り行きが注目されるとは一体何なんだ、一体だれがその成り行きを注目するのか、あるいは成り行きはだれがつくるのか、そう言って若い記者に対して忠告を与える、こういう習慣というものがございました。  成り注記者にかわって現在非常に流行しておりますのは、最後に「規制緩和が望まれる」と書けばそれでいっぱしの記事は書いた、いっぱしの記事として通用するという。コラムも、あるいは解説、傾向物も、最後に必ず「規制緩和が望まれる」、こう書いてあるわけですね。  最近ではいささか鎮静化してまいったと思います。一つ新聞再販の問題、それから純粋持ち株会社解禁の問題、こういうことが起こってまいりまして初めて、規制緩和一体何を意味しているのか。経済界を中心として、あるいは行政一体となって、マスコミがこれまでその全体を支えてきたような、いわばレッカー車で引っ張って走っていたようなものでありますけれども、それは一体現実に何を意味しているかということがようやくわかってきたのではないか、そういうふうに思います。  そういう中で、これまでの傾向をごらんいただくとよくわかりますように、例えば規制緩和に関する計画、五カ年計画、これは後に三年計画に縮小、前倒しをされましたけれども、こうした計画が発表されますと、やる気が見えない、これが見出してございましょうね。あるいは、内外の批判が高まる、そして、重要な項目はすべて先送りではないかという、そういう規制緩和のいわば推進スピードというものが遅いという議論マスコミ一般的な糾弾の声として浴びせられるわけでありますけれども一体それは何を基準にしてやる気が見えないのか、何を基準にして重要項目先送りされているのか。この先送りという言葉も私は大変問題だと思いますけれども、こうした状況。何を基準にしているかと申しますと、言うまでもなく、例の平岩委員会だと思います。  平岩委員会、手短に申しますと、これは例外なき規制緩和というものを原則として掲げたわけであります。つまり、一たんすべての規制を外せ、こういうことがこの趣旨であろうと思います。最も中心的な核心だと思います。こうしたことを、いわば当初は行政がそれに対して抵抗しているのかと考えておりましたけれども、実際には行政が先頭に立ちまして、官僚製規制緩和という、これは言葉の矛盾だと思いますけれども、同時に、行政マスコミそして経済界一体になって規制緩和を進めている状況、これが現実、現在の段階といいますか、ではないだろうかと思います。  一般人々は、規制緩和という言葉によって、単にがんじがらめの規制を外して自由闊達に人々の行動というものを認める社会、つまり、開かれた社会になると。こういう解釈というものが社会一般に大変強いと思います。一言で申しますと、官から民へという流れでございますね。官僚さんがあるいは国家が掌握しておりました権限というものを民間に移譲していくのだ、こういう解釈一般的であろうと思いますけれども、実際にはその中で何が進んでいくのかということについてそろそろ、私どもは当初から大変強烈なウオーニングを出してまいりましたけれども、国全体としても立ちどまって、もう一度議論を深めていくということがとても大事ではないだろうかと思います。  そういうことで、十五分ということでございますから、最初に、要点を五点ばかり挙げておきたいと思います。  まず、今日日本で進められようとしております規制緩和ということについて、五つの特徴、特質というものを指摘できるのではないだろうかというふうに思います。  一つは、つまり、規制緩和というこの言葉、あるいは政策選択というものが、薬に例えてみますと、薬品の効果ですね、効能、薬効と言ってよろしいと思いますが、それが大変強く強調されている、先ほど申し上げましたけれども。他方、薬には必ず副作用があるわけでありまして、その副作用についての告知というものがほとんど行われていない。一方でこういうプラスがあるけれども、片方ではこれだけのマイナスがあるのだと。  例えば、アメリカにおける規制緩和に関しましては、御承知のとおり、三年間の議会での長い議論を経て、最後にカーターさんが法案にサインをした、こういうことでありますけれども、その過程を拝見いたしますと、ケネディ・レポートには、負の影響マイナス影響というものが明快に指摘をされております。例えば、規制緩和によって破壊的な価格競争というものが起こる危険、あるいは寡占化が進むのではないか、さらには公共性撹乱ということですね、市場の自由な競争に任せた場合に一体公共はどうなるのか、そういうことについてそれぞれ予測、予想というものをきちんと示して、選択を求めているという点。日米においてこれだけ違うということがあります。  そのアメリカにおいてさえ、現在、規制緩和失敗であったという側面が徐々に明らかになっておりますし、そうした論文、レポートが限りなく今持ち出されているというのが現状だと思います。日本におきまして、こういうことでやってまいりますと、大と小の間の公正な競争ではなくて、力の大小の競争というものになってまいりますでしょう。その兆しというものが既に私たちは観測することができるわけであります。  そういうふうに、規制緩和が何をもたらすのかという結果についての、つまり一種予測でございますけれども、ほとんどエネルギーが注がれていないということについては、私は、むしろ驚くべきことではないか、そういうふうに思います。競争ゲート、仕切り、大と中、小を仕切っておりましたゲートが取り外された結果何が起こるのか、薬で申しますと副作用ですね、あるいはまた消費者にとっての問題、勤労者にとっての問題、さらに市民にとって一体何が問題か、こういう点について、やはりきちんとした正と負の両面からの結果についての予測、これを知らしむるというか、告知をする必要があるのではないか、これがまず第一点でございます。  それから、二番目でありますけれども、二番目は、すべて消費者利益という言葉に収れんさせて、一種免罪符としているということであります。消費者利益とは一体何なのかということについて、中身が明確ではありませんし、明快にしようという努力もなされていないと思います。  私どもは、消費者一般は存在しないというふうに考えております。皆さん方選挙区、地元の人々の一人一人のお顔を思い浮かべていただければよろしいと思いますが、例えば、過疎地消費者もおれば大都市消費者もいるわけであります。例えば、再販問題に関する、新聞再販戸別配達ですね、これに関する検討小委員会中間答申の中にございますけれども、例えば、同じ新聞戸別配達を受けるのに、過疎地料金とそれから大都会の便利な地域消費者戸別配達料金というものが同じであるのはおかしい、こういう項目が明示されております。ちゃんと盛り込まれております。つまり、非常に不便な地域の、過疎地の読者、ここに新聞を届けるために必要なコストをだれが負担しているかといえば、それは都市に居住している人々だ、こういう議論なのですね。消費者一般が存在しないという私の考えというのはおわかりいただけると思います。  消費者は、そのように過疎地消費者と大都会に住む消費者と明らかに利害が違っているわけでありますけれども、それは料金は違うべきである、情報を実際に伝達するに当たって、料金が違うのが当たり前で、料金が同じなのはこれは規制緩和趣旨に反する、こういう議論がなされておりますけれども一体消費者とは何なのかということだと思います。  それから、価格に関してでありますけれども、もちろん物の値段が安ければいいということは当然でございますが、この間に利潤が介在いたしまして不当に高くなるということは避けなければなりません。  しかし、私たちが二十一世紀に向けて本当に社会で育てていかなければならない消費者とは何かといえば、単に安ければいいのではなくて、なぜ安いのかということを問う、そういう消費者だと思いますね。なぜ安ければいいのか、あるいはなぜ安いのか、こういうことを問う消費者だろうと思います。実際に、生産者生産費あるいは生活費、また南の国との格差の問題、こういうことについてきちんとした認識を持って、いわば公正な取引ですね、フェアトレードですね、それを追求した上での安さ、値段の安さ、そうであるのかどうかを問う消費者、これが新しい消費者だと思います。言うまでもないと思いますが、安ければいいという議論は私どもはとらないところでございまして、事ほどさように、消費者についてのこの言葉の使い方、何かといえば消費者利益とおっしゃいますけれども消費者は、消費者一般というものは存在しない、こういうことが二番目に申し上げたいことであります。  それから、三番目でありますけれども、少し急いでまいりますが、いわゆる社会が、あるいは都市がこれからどのような方向に進んでいくべきなのかということを考えました場合に、世界には新しい思想というものがどんどん生まれてきていると思います。その一つは、例のサステーナブルコミュニティー、持続可能な社会というものは一体何なのだ、こういう考え方に基づいた新しい都市思想というものが生まれてきているわけであります。  そういう中で、これはアラン・ダーニングという、例の二十一世紀ウォッチ研究所の最新の書籍だと思いますが、「どれだけ消費すれば満足なのか」、こういう書物が近刊で出ております。この中にも、日本の大店舗法大店法ですね、このもとで次第に姿を消していく小さな専門店、つまり小売でございますね、パパママストアという言葉も振り仮名でつけておりますけれども、そういう 商店の減少していくスピードが余りにも速いことを憂えているわけであります。こうした商店街の小規模小売業一体どのような役割を今日本で果たしているのか、果たしてきたのか。これについて、むしろ、アメリカ人でありますが、ワールドウォッチ研究所ですけれども、この著者の方が見事に正確な位置づけというものを、日本の小さな小売業、今衰退しつつある小売業ですね、そこへ大店法改廃という問題が起こっているわけでございますけれども、そういう役割を評価しておられます。  フランスにおいては、御承知のとおり、ロワイエ法という日本大店法に匹敵する法律がございます。これは、小規模小売店をいかに保護するか、これの運営というものを強化する。これまでは一千平米以上の大規模店の出店に対して政府の許可が必要であるという状況でございましたけれども、この規模を三百平米に引き下げました。実に、どういうのでしょうか、規模で申しますと三分の一以下に対象範囲を広げたということでございます。  これは一つの例にすぎません。いわば日本規制緩和流れとは逆に、ヨーロッパにおいて、こうした形で小売店、小さな店舗の果たしている役割をもっと正当に評価しよう、そのことによって、雇用であるとかあるいは高齢化していく社会小売店がどのような役割を果たせるのか、それを真剣に考える時代に入っている、こういうことであります。生産性が低いから小さな店はつぶれて大きな店に集中すればいい、こういう考え方はとっていない、こういうことでございますね。  それから、四番目でありますが、規制緩和によってなぜ産業界寡占化独占化が進みやすいのかということについての認識がほとんど語られていないということです。  これについては、私どもの「規制緩和という悪夢」、この中に詳しく書いてございます。アメリカにおける航空産業あるいはトラック業界その他の状況について書いておりますが、要するに、消費者利益に最も適応できるようなそういうシステムとかあるいは制度というものをつくり得るのは最終的には大企業のみだということが証明されたということになると思います。こうした文脈の中で、例のコンテスタブル・マーケットの理論というものが破綻している、これもまた現実でございまして、間もなくこうした全体を総括するような議論が、アメリカにおいてはもう既に起こっているわけですが、日本にもこれから本格的に紹介されるようになるだろうと思います。六月にはその中の一つが翻訳、出版されるというふうに伺っております。  最後に、少しまとめて申し上げますと、経済政策論議を超えてしまってイデオロギーになっている、やはりこういうことではないかと思います。現在の規制緩和に関する論議、その渦中で私どもが拝見しておりますと、これは経済政策としての論議をもう既に超えている。  どうもアメリカにおいてもそのような状況であったようでございまして、これは、デンバー大学のポール・スティーブン・デンプシーという人が「規制緩和神話」という本を書いておりますが、その中で、プラグマチックな現実からというよりは、イデオロギー的な心酔から推進されたものであるということを明快に彼は述べているわけであります。  規制緩和に対して少しウオーニングを出せば既得権にしがみつくという突き放し方、あるいは守旧派というレッテル張り、それが我が国では平然と行われているわけでありますけれども、これを支持しておりますのは、要するに、これまでの官、官僚行政に対するいわば市民社会的な反発というものがとても大きいと思います。しかし、官から民へという場合のその民の中に、勤労者であったり市民であったり本当の意味での消費者が入っているのかということを私たち一つ一つの実例で実際に検証して、現場で検証して、そして、こういう事実があるではありませんかということをこれまで示してきたわけでございます。  大変駆け足でございますが、私が申し上げたい五点はそういうことでありまして、もう少し踏みとどまって、しかもアメリカにおける壮大な実験の結末というものも含めた議論、踏みとどまった新たな議論がここで起こるということを御期待申し上げたい、こういうことでございます。とりわけ、公共性撹乱という問題、それから階層分化階層がさらに二極にいく、分化していく、中間階級の崩壊あるいは安全の問題その他について、また御質問にお答えしながら私の主張を補強させていただきたい、こういうふうに思います。  時間、ちょうどだと思いますが、少し長引きました。以上でございます。ありがとうございました。(拍手)
  4. 石破茂

    石破委員長 ありがとうございました。  次に、正村参考人にお願いいたします。
  5. 正村公宏

    ○正村参考人 正村でございます。  限られた時間でありますので、誤解のないように冒頭に申し上げますが、自分にラベルを余り張りたくないのですが、私はラジカルな規制緩和論者だというふうにまず思っていただきたい。急進的な規制緩和推進派であります。ただし、無条件ではない。その条件を申し上げます。  規制緩和論はそれなりの背景があり、そこにいろいろな問題を含んでいることは事実であります。問題が含まれていることは事実でありますが、しかし、これまでの政府民間活動に対する過剰な関与は整理されなければならない、思い切って縮小されるべきである。端的に言えば、後発工業国型の過剰な政府関与は思い切って縮小しなければならない段階に来ているというふうに私は考えております。  これは、日本の大きな流れ近代化というふうに仮に呼んでおきますが、そういう大きな流れの中で、日本が新しい時期に来ているというふうに考えるわけであります。  もちろん、日本経済国際化が進み、国民生活の構造が大きく変動する中で、もっと違ったスタイルの暮らし方を見つけていかなければならない。その違った暮らし方の中には、国際的に通用する共通ルールを見つけていくという問題が含まれていると思います。もちろん、西洋化することが近代化ではありません。欧米化することが近代化することではありません。私たち自身原理に従ってその新しい共通ルールを探していかなければなりませんし、国際社会でそのことを進んで発言するという気概を日本政府は持つべきだというふうに思います。  しかし、近年の規制緩和論にさまざまな問題があることも感じております。  列挙いたしますが、まず、いわゆる規制だけが問題なのではないということですね。さまざまな分野でいろいろな助成が行われてきている、補助金が相当に、分厚い補助金便覧を一生懸命調べてみても、何をやっているのかわからないようなたくさんの補助金が使われている、そういう助成の整理を思い切ってやるべきだと思いますね。  それから、法律では何も決まっていないのだけれども行政指導の名のもとにいろいろな介入が行われてきた。その行き詰まりはいろいろな事件で既に明らかになっていると思うのです。いわゆる住専問題もその一つの典型だと思います。行政民間事業活動の間が余りにも密着しているために責任の所在が最後は明らかでなくなってしまう、こういうことが起こっているわけであります。  いわゆる規制、例えば大店法とかその他よく例に挙げられますが、そういう種類の規制だけが問題なのではなくて、政府個別的関与民間事業に対する政府個別的関与全体を見直す、そういう少し広げた視野に立つ必要があるというふうに思います。  それから二番目は、規制緩和とかあるいは私の言う行政機関個別関与を整理していくというこの大きな課題を追求していく過程といいましょうか、その先にどういう社会経済システムを目指すのかという展望がはっきりしない、そういうこと であります。ある意味では、市場原理に対する過信がかなりあるということは否定できないような気がいたします。  統制経済的なシステムをつくり上げようとした社会主義計画経済体制というものが完全に破綻したことは明らかであります。それは、私などは早くからあれはワークしないということを言ってきたわけでありますから、もう当然のことなのですけれども、しかしながら、市場万能に近い、市場経済のメカニズムを過信することも決していい結果をもたらさないということも歴史的には明らかでありまして、かつての自由放任経済に戻ることが我々の戦略ではあり得ない、混合的なシステムを目指す以外にない、維持する以外にないのであります。ただし、その混合の仕組みが変えられなければならない、何と何のどういう形の混合であるかということを見直さなければいけない。  混合というのは中途半端に響くかもしれませんが、混合以外に人間と社会現実に合ったシステムはないのですね。混合であるがゆえに我々は絶えず見直しをし、どういう原理で組み合わせたらいいかということを考え直すということが必要になるのですね。混合であるがゆえに知恵が要るし、経験に学ぶ慎重さが要ると思います。そういう姿勢で規制緩和論というのは考えないといけないのであって、神話の上に成り立っている、あるいはイデオロギーというお話がありましたが、市場神話というか、市場過信に戻ってしまってはおかしい。政府失敗を強調する余り、市場失敗を忘れてはいけないということであります。  それから、三番目に申し上げたいのは、これはもうちょっと色あせていますからあえて言うまでもないことかもしれませんが、ひところ規制緩和を通じて景気回復という非常にナイーブな議論が横行いたしました。規制緩和をし、価格破壊推進し、物価をどんどん下げていけば実質所得が高まって景気が回復するといったぐいの議論が行われましたが、これは経済学的に見てナンセンスな議論でありまして、価格破壊が余り急激に進めば雇用破壊が起こるし、賃金の下落も起こるわけでありますから、実質所得など上がるはずがないのであって、どうしてこんなナイーブな、素朴な議論が多くの人の心をとらえたのか。それを唱えた人に責任がありますけれども、それは非常にナンセンスな議論。何かはかにやる手がないので、規制緩和を通じて景気回復しようという、一番安上がりな方法でやろうというかのごとき議論のように響きましたけれども、これは社会に対して大変大きなコストを払わせることであって、そんな立場で規制緩和論を振り回されたのでは、規制緩和論そのものの意義が薄まってしまう、あるいは非常に誤解されてしまう。なぜならば、うまくいかないからであります。  今そのことが明らかになりつつあって、規制緩和論が元気がなくなっていると思うのですが、私はそうではなくて、もう少し根底的かつ長期的な問題として、規制緩和を含めた政府個別関与を思い切って縮小する、原則撤廃をするというぐらいの構えが必要であるというふうに思っております。ただし、規制緩和しさえずればいいのではないということを私は申し上げているわけでありまして、幾つかの条件を申し上げなければなりません。  大胆に規制緩和をし、後発工業国型の個別関与、個別助成、あるいは行政指導のような、非常に密室で行われているさまざまな行政民間に対する介入、こういうものを整理するためには、以下のようなことを十分に、思い切って強化することが必要だと思います。思いつくままに、幾つかの、何項目かを列挙させていただきます。  時間が限られておりますので、ほとんど列挙するにとどまりますが、まず第一に申し上げたいのは、市場原理に基づいて社会を動かしていくということは、分権的に管理するということなんですね。それで、ちょっと申し上げますが、混合的なシステムというのは、プライベートイニシアチブとパブリックイニシアチブがそれぞれ機能するようにするということなんですね。  市場メカニズムというと、価格理論を説明して、経済学者はすぐ需要と供給がどうとかこうとかと議論をするのですけれども、あれはイロハのイにもならないお話なんです。市場原理を見直すということの意味は、プライベートイニシアチブを尊重するということなんです。私的主体がそれぞれにイニシアチブをとって、新製品を開発したり、新しいサービスを供給したり、例えば福祉の分野でもありますけれども民間の団体がいろいろな形でこういうことをやってみようとか、ああいうことをやってみようという、そういう余地が非常に広がるような形にしようというのが市場なんですね。しかし、それでは足らないから、パブリックイニシアチブも必要なんです。  パブリックイニシアチブという言い方は、ちょっと別の意味に使われることもありますが、私が言っているのは、公共団体あるいは公共団体のガバメント、統治機関である地方政府や中央政府が、国民の意思を問いながら、あるいは住民の意思を問いながら、民間団体ではできないことを、公共部門を通してイニシアチブをとって、指導性を発揮して新しい事業を起こしていく、こういうことが必要なんですね。  混合経済システムというのは、政府市場混合なのではなくて、パブリックイニシアチブとプライベートイニシアチブがそれぞれうまく生きるようにするということが混合システム原理なんです。その混合システム原理を考えたときに、市場をもっと有効に機能させようと考えるのならば社会ルールを強化しなければいけない、これが第一の条件であります。法ということについての考え方を含めて、社会ルールを強化することを通じて民間活動を自由にする、ルールをきちんと守らせるということが前提になる。  例示的に申し上げますと、私的独占の禁止と公正取引の確保に関するルール、それから公害の防除と環境保全に関するルール、あるいは労働基本権の保障、特に労働基準の遵守を保障するような労働時間の問題とか、労働にかかわる安全衛生の問題とか、そういうことについての社会ルールをむしろ強化する。  これだけ残業が野放しになっているような社会でもって競争を激化させたら、労働破壊が起こりますね。労働者の生活破壊が起こります。日曜日まで百貨店を開こうとかなんとかいうような圧力でもって、多くの家庭が壊れていくわけであります。そういうことを放置するのではなくて、労働の基準に関するルールを確立するということが大前提になるはずであります。そっちの方を強調しないで、ただ規制緩和競争促進みたいなことばかりを言ったのではまずいと思います。  それから、消費者、あるいはこの場合の消費者の中には金融機関の預金者を含めるべきだと思いますが、消費者の保護といいましょうか、安全保障をどうするか、そのことについてきちんと考えておかなければいけない。金融機関の競争を促進し、政府関与を排除していくとすれば、当然、倒産する金融機関も出てくる可能性があるわけですから、預金保険機構の強化というような消費者保護のルールはきちっとつくっていかなければいけませんね。そういうことが大前提になって、その上で徹底的な規制緩和といいましょうか、徹底的な個別関与の縮小、撤廃ということを進めるべきだというふうに私は考えているわけであります。  第二に申し上げたいのは、情報公開のシステムを強化する必要があると思います。消費者、これも繰り返しになりますが、預金者を含むとお考えください、その消費者に対する情報の十分な開示を行うということが必要だと思います。そして、そのための社会的な監査の仕組みをつくり上げていくことが必要であります。これは、第一に申し上げた社会ルールの問題と関連があります。  長い間、日本行政機構の中で冷や飯を食わされていました公正取引委員会のような行政委員会の仕組みを、私はもっと機能させるべきだと思います。預金保険機構、もしくは預金保険機構と関 連づけを考えながらの証券・金融に関する行政委員会のようなものを、大蔵省とは別に考えるべきだろうと私は思っております。  それから、三番目は、今のことに全く関係がありますが、行政機構そのものを改革しないといけない。規制緩和ということのためには、あるいは規制だけではないということを繰り返し申し上げていますが、行政の過剰な個別関与を是正していくためには、農林省や通産省、通産省はもう余り権限がなくなっていますが、農林省とか建設省とか、その他、運輸省とかを含めて、行政機関が今までやってきたことの見直し、そしてその枠組みを見直し、既存の行政機関を大幅に縮小し簡素化すること、独立の行政委員会を強化し、または必要に応じて新設すること、そういうことが必要だと思います。公正取引委員会の強化、あるいは金融証券委員会のようなものを独立の組織として確立すること。それから、食品、薬品の安全についての規制は、これは規制という言葉を使いたくないのですが、ルールをつくり、そしてそれに基づいて監査する、社会的な監査をするということが必要ですね。  それで、エイズ薬害問題も住専問題も、同根なんですね、根っこは同じなんですよ。どこで何がどういうふうに決められたのか、よくわからなくなっている。かかわっている人が、自分に責任があると思っていないのですよね。  アメリカの例として、耳にしたり目にしたりしたことがあるのですけれども、かってサリドマイド児が生まれましたよね。その問題については、アメリカは被害が非常に少なかった。それは、たった一人の委員が、これは危険だということで頑張って、とめたのですね。  そういうことを、つまり個人の役割というのは非常に重要なのでありまして、個人の責任、個人の意識ということが問われないようなあいまいな、何か集団で委員会をつくって、審議会あるいは研究会だとかとやっていて、だれが責任を負っているのかわからないような仕組みになっている。これは日本的な、ある意味で、成長の過程では役に立った機構かもしれないけれども市民的な社会の基本的なルールを守っていくという、そういう仕組みをこれからつくっていく場合には、これではまずいのであって、だれとだれとだれが委員であって、その委員がどの段階でどういう意思決定をしたかということが見えるようにしておかなければいけませんね。そうすることで、エイズ薬害のときにあの委員会、あのときのこの委員会はこれだけの権限を持っていたのに、それを決めなかったということが問われますでしょう。食品の安全とか薬品の安全とかということについては、生命にかかわるわけでありますから、公害・環境問題と同様に、最優先の課題として機構の強化、それから意思決定の透明化ということが必要であります。  ついでに言いますならば、日本は、日本銀行は独立性が非常に弱いと言われているわけでありまして、政策委員会が余り機能していない。やはり、通貨の安定を優先する中立の機関として、政府の監査は受けますけれども政府から相対的に離れた、距離のある組織として、十分に機能するようにすることが必要であります。  それから、四番目に申し上げたいのは、生活環境の改善にかかわる公共的な計画の機能を強化するということであります。  私は、何よりも強調したいと思いますのは、都市計画の主体としての地方公共団体の役割が、日本は余りにも貧弱である。これはもう手おくれに近いのですけれども、地方公共団体がもっと公共用地を先行取得して、そして都市計画をきちんとやるということが重要なのですね。  都市商店街の繁栄とか、大規模店舗の進出と既存の商店街の利害調整をするというふうなことは、大規模店舗の進出に関する一般的な規制でもって、あるいは今までやってきました商調協のような利害関係者、特に商業をやっている人の側の圧力でもって大規模店舗の進出をとめるというような考え方ではなくて、どういう都市計画の中に大規模店舗を位置づけたら共存共栄ができるのか、消費者の利益も図られ、そこで働いている人たちの利益も図られるのかということを考えなければいけない。  そういう意味では都市計画の機能が日本の場合は非常に貧弱でありまして、これは生活環境改善の問題にもかかわるわけでありまして、東京の例を見ましても、あるいは地方でも同じことでありますが、図面の上では都市計画があってここは計画道路が通ることになっていても、二十年たっても三十年たっても道路はできない。そのうちにそこへどんどん住宅が建ってしまってどうしようもなくなっていくわけですね。こんなことをやってきた。  つまり、日本政府が大き過ぎるとか、政府が強過ぎるとか、余計なことをやっているとかいうのですけれども政府部門がやるべきことをやってこなかったのですよ、中央政府も地方政府もそうですけれども。やるべきことをやらないでおいて、ほかのところで余計に個別産業に介入するということをやっておられたわけで、そういう一般的な空間計画に関する公共団体の権限はもっと強化する必要があるし、財源の配分も考え直す必要があるでしょうし、地方公共団体の首長さんを初めとして、そういう責任の意識が余りないのですね、都市計画の責任の意識が。それで、都市計画の図面がいつまでもできなくてもだれも責任が問われない。東京都かにあります旧米軍跡地の利用も二十年、三十年ほったらかしにされているわけですよ。  こういうことを、計画をきちんとやらなければいけないという責任の意識がないし、それをまた市民からも問われない、そういう構造を変えていかないとまずい。  ですから、ある意味では、私は、小さな政府論とか弱い政府論を言っているのではなくて、大事なところをきちんとやるということを前提にして、余計なことから撤収する、そういう改革を問題にすべきだということを強調したいわけであります。  最後に、第五番目になりますが、生活の安全保障を高めるための社会保障と社会福祉の整備拡充を急がなければならない。  それで、年金、医療等さまざまな問題を抱えておりますが、高齢化が急速に進む中で、一番多くの人が不安感を持っているのは介護の問題でありますが、高齢者の介護に限定しないで、重いハンディキャップを負った人に対する一般的な共通社会的支援の制度を確立していくことが必要である。安心感と公平感を強めるための施策を思い切って拡充するということを前提にして、過剰な個別産業ごとの関与を撤廃するということ、私はその分野では原則撤廃論なのですが、そういうふうに考えるべきだと思います。  一つの例を申し上げます。  スウェーデンに行きまして向こうの専門家といろいろ議論したことがあるのですが、スウェーデンはこういう考え方で今まで産業政策をやってきているのですね。  それは、小さな国であるということがあるのですが、産業は保護しない、貿易はできるだけ自由化する、いや、原則全く自由化していくわけです。ドイツの製品の方が優秀であればドイツの製品を入れる。スウェーデンの産業がそれに太刀打ちできないならつぶれることをとめない。八百万かそこらの人口ですから、産業保護をやっていたら独占産業がいっぱいできてしまうわけですから、国際競争にさらすということなのですね。  非常に大きな構造変動をスウェーデンはある時期経験したのですが、産業は保護しないけれども労働者は保護する。その産業がつぶれていくことはとめないけれども、そこで働いていた人たちが再就職できるように、失業保険の期間も長くやりますし、技能訓練をすることに対して政府はサポートをする。逆に、労働者を保護しているから安心して貿易自由化を促進できる、つまり市場原理を活用できるということをやっているわけですね。  我々の社会の、生身の人間がかかわっているわけですから、この人間の生活の一番基盤のところは、社会的な共同の原理、公共的なシステムのもとで共同の原理で安全をきちっと保障する。  農業は、保護しないけれども、農業の構造変動に伴って転業を迫られた若い人たちがもしいるとすればそれは転換を図る、高齢化した人たちに対しては老後保障をちゃんとしているということを前提にして、今やっているような過剰な農業保護をやめていく。  ただし、つけ加えますが、農産物に関しては無関税完全自由化というのはあり得ないと私は思う。食糧の安全保障の問題がございますし、長期的に考えたときに、関税ゼロにしてアメリカの物が安ければ全部アメリカから買えばいいという発想では私はありません。しかしながら、関税化にまで反対するというのには私は反対なのであります。七〇〇%でもいいから関税をかけて、そして何割かの外国の米なら米と日本の米がそこで競り合うということは認めるべきである。  それは、政府が管理するというのは、枠組みをつくってその枠組みの中では競争を、それは一律減反のような方法で競争をとめてしまうのではなくて、競争を働かせるのだけれどもその競争の働き方をちゃんとコントロールする。レコードのボリュームを調整するように、政府はちゃんと調整する。コントロール不可能な状態に野放しにするということが私の規制緩和論ではないので、そういう枠組みづくりをきちんとやることを前提にして、今までやってきた政府の個別的過剰介入を撤廃する、原則撤廃するということで見直すべきだというふうに私は思っております。  限られた時間でありますので、とりあえずのことだけ申し上げました。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)
  6. 石破茂

    石破委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  7. 石破茂

    石破委員長 これより参考人に対する質疑に入るのでありますが、本日の参考人に対する質疑は、理事会での協議により、最初にあらかじめ申し出のありました質疑を行い、その後は参考人に対して自由に質疑を行うことといたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。松下忠洋君。
  8. 松下忠洋

    ○松下委員 鹿児島から出てきております松下忠洋と申します。自由民主党でございます。一年生のまだ三年目に入ったばかりでございます。中学一年生に話をするような形でぜひ教えていただきたい、そう思います。言葉がちょっとなかなかわかりにくいところもございますし、ひとつよろしく教えていただきたいと思っております。  今、内橋先生、それから正村先生、目からうろこがとれるような気持ちで伺っておりました。結局、規制緩和というのは、やはり行政改革も含めて、官と民の役割をどういうふうに仕分けして、どういうふうに考えて、そして望まれる社会をつくっていけばいいのか、こういう中で議論をしていかなければいけないのではないか、こういうふうに思っておりますけれども内橋先生、正村先生にお伺いしたいのは、その官と民の役割、それをどういうふうに分担し、そしてまた分け合いながら、望まれる社会、次の二十一世紀の本当に活力ある社会にしていけばいいのか、そこのところをもう少しわかりやすく教えていただきたいと思います。内橋先生、お願いします。
  9. 内橋克人

    内橋参考人 今、鹿児島からお見えになったということで、私どもは、鹿児島におきまして離島航空の航空運賃が、東京-大阪あるいは東京-札幌、幹線に比べて過去どのように値上げをされてきているかということについても詳しく調べて、これは報告、リポートをしております。著作の中に書いてあります。離島航空におきましては大体この間に二倍以上運賃が上がったわけです。しかし、幹線におきましては軒並みマイナス七%、過去十年ですね、そういう数字もございます。  今回、規制緩和によって幅運賃制度が導入されると、逆に運賃が上がったといって規制緩和万能という立場の人々はこれを非難して、なぜそうなるかといえば規制緩和が徹底していないからだ、こういう議論アメリカにおいても常になされるわけです。規制緩和の結果何が起こったかということについて問われますと、例えば、これは失敗ではないかと言えば、いや、それは不徹底だからそうなるんだと。今回の規制緩和、幅運賃、そして運賃が上がったという現実についてそうした議論が起こっているというのは、私たちから見ればもう予定内、予想内のことであると思いますね。  これは一例なのですけれども、私が申し上げたいことは、今官と民の役割とおっしゃいましたが、その間にもう一つ市民ということがあるわけです。市民社会というものを今回の議論の中で全く無視されている、除外されているということに大変な私は危惧の念を持つわけであります。先ほど申しました運賃の問題でもそうでありますね。私は、官から民への権限のシフト、移譲といいますか、それは当然のことだと思います、民主社会において。そのゆえに、いわゆる官僚独裁といいますか、裁量的秘密主義のまかり通る現在のような行政優位、絶対優位の社会というものは変えなきゃならないというのは私たちがこれまで言ってきたことです。  申し上げたいことは、官と民とおっしゃいますが、その民の中にも市民社会というものがもう一つある。民というものを皆さん方経済界、企業ということにイコールにしているわけです。すべてイコールと考えておりますね。しかし、その民の中に利害の対立があるということですから、私たちは、もし官と民というのであれば、その間にもう一つ市民社会というものを置かなきゃならない。私は、官から民へという場合のその民のあり方ということに関して申しますと、市民社会的な規制、制御をいかに強めていくか、それをバックアップするのが、その大きな枠組みをつくるのが政治家の、あるいは政治のあり方だ、こういうふうに位置づけることができると思いますね。  じゃ、市民社会に権限を移す、コントロールのもとに置く、市民社会的制御のもとに企業行動を置くということはどういうことか。いろいろなケースがございますが、例えば、既に都市の成長管理、都市というものは一体どこまで膨張させるべきなのか。例えば一つ都市において、サンフランシスコならサンフランシスコにおいて、事務所のオフィスの容積、今年度の建築の容量というものはだれが決めるのかといえば、市民が決めているわけです。上限、例えば都市の現在の過密の状況とかあるいはオフィスと住宅とのインバランスとか、そういうものをどう解決していくかという場合に、市民がそれを決めていく、そういう制度がきちんと成り立っている。それが成長管理という思想でありまして、都市の膨張を、無限大の膨張ということをいかに抑えるのか。規制緩和によって、企業が今回バブル期に見られましたように、都市の許容量を超えた野方図な拡大ということを防いでいくのはだれかといえば、市民なのですね。  ですから、市民による市民社会的制御というものがきちんと組み込まれておりますような社会におきましては、そうした景気の変動によって膨大な空き室、そういうものがオフィスに起こるということはありません。そういう変動というものを逆に市民がチェックしているわけです。市民社会意見をきちんと取り入れて、そして市民社会的制御のもとに置くということが逆に景気の変動による打撃というものを少なくしている、これも一例でございます。  要するに、市民社会的制御というものを私はいかにバックアップしていくかということが官のなすべきことである、あるいは行政の、あるいは政治のなすべきことである。  それから、民というものの中にだれが入っているかということについてよく考えていただきたい。例えば交通、運輸、トラックということについて自由化すればいいとおっしゃいますけれど も、例の国道四十三号線における最高裁の判決、西淀川訴訟における大阪地裁判決、これをよくごらんいただければおわかりになると思います。例えば自由という場合に、その高速道路を走る車の自由ということは御主張なさるけれども、その高速道路のすぐそばに住んでいる住民はどうなるか、こういう問題は全く入っていないということであります。  例えば、規制緩和が徹底しないから航空運賃は上がるのだ、中途半端な規制緩和だからだめだ、こうおっしゃいますが、純粋競争などというものは現在の資本主義社会にあり得るはずがありません。空港一つとりましても、自由に参入できるというのがコンテスタブル・マーケットの理論でございますけれども、もし今日彼らの言うように航空機を自由に空港に発着させる、そうすると周辺住民はどうなるのか。空港の許容量ということもございますでしょう。あるいは深夜の騒音ということもあるでしょう。そういうものを規制しているからこそ、今日、住民とそうした運輸、交通、これは公共でありますけれども、その間にある種の折り合いがついているわけですね。それを全部撤廃して自由にすれば安くなるということでございましたら、では、その空港なり高速道路の周辺に住んでいる住民、市民というのはどうなるのだということであります。そういう議論が全く欠落したまま、官と民の役割分担、そして官から民へとおっしゃる、その民の中に、勤労者市民あるいは消費者が入っていないではありませんか、こういうことを申し上げているわけであります。
  10. 正村公宏

    ○正村参考人 官と民の役割とよく言われるわけですが、大変基本的な御質問なのでお答えしにくい部分がありますが、私は経済学を専攻しておりますけれども、私どもは官と民というふうには言わないで、公共部門と民間部門、プライベートセクターとパブリックセクターの役割いかん、そういうことなんですね。  それからもう一つは、プライベートセクターという中に、企業だけではなくて、もちろん家族という生活単位もありますし、それから自発的なさまざまな市民団体もありますし、それも考慮に入れなければいけないわけでありますが、しかし多くの部分は、我々の社会現実には市場原理、交換の原理、貨幣経済の原理で動いていますね。そうしますと、私たちはできるだけ民にゆだねた方がいいというふうに今は考えるようになっている、多数派の経済学者は。そうなっていますが、すべて民にゆだねていい、あるいはすべて市場にゆだねていい、基本的に市場にゆだねていいと考えているわけではないんですね。  やはり、まず経済全体の安定ということに関しては政府が相当責任を負わなければいけない。政府、中央銀行が政策を誤りますと、大変な混乱が起こります。財政の経済安定化機能も無視できません。第二に、資源配分が極端にひずんでしまう、あるいは十分にうまくいかない。プライベートイニシアチブにゆだねておいたのでは例えば老後保障がちゃんとできないというときには、パブリックイニシアチブで年金システムをつくったり、医療システムをつくったり、介護システムをつくったりいたしますね。それはどうしてもやらなければいけない。民に任せておいたのでは、できないことはないかもしれないけれども、余りにも時間がかかり過ぎて国民の安心感が得られないという場合には、当然、税なり保険料なりを徴収してきちっとやりましょう、民間の生命保険会社にゆだねるよりはその方がいいですよ、こういう話になりますよね。  そういうふうにして区分けをしていって、ミニマムどうしてもこれとこれとこれをやらなければならないということが幾つかあるわけです。それは我々、市場失敗と言っていますが、独占の問題が発生しますし、情報が不完全な場合もありますし、それから余りにも経済が不安定化しやすいという問題もあります。我々は外部効果と言っていますけれども、公害問題を発生する場合には規制をしなければいけませんし、それから、直接の利益は得られないけれども住民にとっては必要であるという、緑豊かな公園をつくるなどという事業は民間に期待できませんから、公共部門がやらなければいけませんね。そういうところをちゃんと見きわめて、やるべきことをきちんとやる、そのかわり余計なことに政府は口出ししないで民間の自己責任でやらせる、民間のイニシアチブでやらせる、イニシアチブが自由に発揮できるようにする、この区分けをやらなければならないところに今来ていると思います。  ただし、もう一つ踏み込んで言えば、現実の経済社会がうまくいくかどうかということの非常に大きな部分は、人的資源がどういうところに配分されているか、責任の意識があり、そして物事を判断する能力のある人材がどこにどういう形で集まっているかということが長期的には決めるんですね。ちょっと唐突に響くかもしれませんが、かつて、明治時代に軍の学校を優遇したことが昭和の軍国主義的な方向へ国家を引っ張っていくことに非常に響いたわけですよ。人的資源がそこへ流れている。  今までのような仕組みの中では、人的資源の相当部分が、潜在的に優秀な人材が相当部分、官庁に流れて、そしてそれが国家を背負ったような気分になって一生懸命やってきた。これが機能しなくなってしまったんですよ。それは、彼らの仕事、自分がやっている仕事の公共性についての確信がなくなってしまったんですね。余りにも個別利益の泥沼にはまり込み過ぎてしまって、大蔵省にいたしましても、その他の官庁にいたしましても、パブリックの感覚がなくなっちゃったんですよ。  だから、パブリックとは何だということについて考え直すことによって、私は行政をつぶせと言っているのではなくて、行政の本当の機能を見直すことによって、行政にもっとしっかりした人材が集まるような仕組みがつくられなければならない。そこまで掘り下げた社会経済システム論が要るんじゃないでしょうか、人材のアロケーションまで含めてですね。そういうふうに思っております。
  11. 松下忠洋

    ○松下委員 両先生からの大変示唆に富んだお話、本当にありがとうございます。  私も鹿児島の七万三千の小さな地方都市に住んでおります。先ほどは、地方航空のお話がございましたけれども、私の選挙区の中に、枕崎という、薩摩半島先端にカツオで有名な都市がございますけれども、そこにありました地方航空、離島に飛んでいく、それから周辺の観光をするという小さな飛行機会社、これが十年努力して、結局つい二週間ほど前に、もうこれ以上できないと言って手を引いてしまった、そういうような状況がございます。  それから、今七万三千の地方都市ですけれども、大きな現象が起こってきておりまして、既成市街地からどんどん外の方に商店が逃げていく。そして、既成市街地の小さな中小商店街がどんどん閉めていく。残念ですけれども、シャッターが閉まっている。そこで、町おこしのグループが、閉まっているだけのシャッターでは、これはもうどうにも手の打ちようがないから、せめて絵をかいてにぎやかにしよう。その絵のかかれたシャッターがずっと既成市街地に出てきている。そういう既成の町。  それから、今まで努力してきたいろいろな努力の成果が実らないまま別の方面に展開していって、郊外に大きなスーパーができていく、いろいろな店が出てきているというふうな状況です。  やはり、この仕事をやって、規制緩和も含めていろいろ議論していくと、本当に既成の社会、既成の市街地そのものが壊れていく、その中で培われてきた人間関係までが壊れていくというようなことになってくる。この辺を、単なる町おこしどうしようかという議論では済まないところに来ているのですね。それについての基本的な考え方。公共事業に頼って、そこで用地補償をする、家を買い取ってもらう、そのことを楽しみにして、そのお金でもうよそに移転して逃げていってしまう という、公共事業に対する認識もそういうふうになってきている。非常につらい現象が地方で起こっております。  そういうところから、やはり踏み込んで何かをしていきたい。規制緩和議論から外れるかもしれませんけれども、そういう根本的なところについての御示唆がございましたら、両先生、ちょっとお願いしたいと思います。  これで、私の質問を終わりたいと思います。
  12. 内橋克人

    内橋参考人 大変に重要な現実を御指摘になったと思います。まさに、中小の専門商店の閉店という現象日本のコミュニティーというものを破壊している、そういうところまで来たと思います。  私は、個人的なことで恐縮ですが、相当以前から、そうした地方都市における古い歴史を持った商店が、シャッターを閉めたままで、そして近寄ってみると一枚の張り紙がしてあって、御連絡の方はここに連絡してください、そういう電話番号が書いてあるという風景ですね。地方に参りますと、もう午後六時になるとほとんど人っ子がいない。人々が集まっていらっしゃるのはパチンコ屋さんだけ、あるいは夜になると盛り場だけ。これは、悪いと言っているのではございませんが、事実なのですね。そういう状況の中で、小売店の方々は、まさにもう意欲をなくしているという状況です。  これは、数字の上で御必要でございましたら、幾らでもお伝え申し上げますが、九一年から九四年の間に、零細な小売店の減少は、既に九・七%、一〇%、一割減ってしまったのですね。これはその前の三年間に比べて、これは商業統計が三年ごとですから、その前は三%程度の減少でございました。これにかわって今何がふえているかといえば、先ほどおっしゃいました大手チェーンのコンビニエンス、これは大体一五・七%、同じ三年間にふえております。それから、大型総合スーパーは一八・一%ですね。  つまり、そうしたこれまでの、地域社会にありました歩いていけるそういう専門小売店が店を閉めて、それが郊外にできた大規模な、アメリカにおいてはモールと呼ばれますけれども、この商店街、ショッピングセンター、そちらの方に消費者が移っているということの大きな証明であります。これをどう考えるのか。個別のお店、どのような店が減少に転じているかということなどについては、御必要でしたら数字がございますが、相当大きな幅でどんどん小売店の数が減っております。  そこで、この現象をどうとらえるのかということについての認識というものが、日本社会で余りない。むしろ、規制緩和の立場から申しますと、こうした小さな店は生産性が低い、生産性が低い店からもっと合理化された、生産性の高い大手のそうしたモールにリプレースメントされていくことが、日本の流通を整備したり合理化したりして物価高を解消して、内外価格差を解決していく道である、だから、むしろ加速すべきだ、こういう議論が現在の主流だと思いますね。  しかし、先ほども申しましたけれども小売店役割というものはとても重要です。先ほどお話をいたしましたように、「どれだけ消費すれば満足なのか」の著者は指摘をいたしておりますけれども、つまり、日本のこうした、パパママストアと言ってよろしいかと思いますが、小売店は何をしてきたかと申しますと、それは要するに、徒歩圏で歩いて物を買うことができるということなのですね。わざわざガソリンを使って空気を汚染して、遠い郊外に殺到していく、そこに駐車場もあるでしょうけれども。しかも、人々を引きつけるために、直接物を売るということとは関係のない娯楽の施設とか、ある種の文化を、疑似文化をそこにつくって、そしてそこに人を吸収していく。このことが何を失わせているかということだと思いますね、日本社会で。  私たちは、例えば夜遅く帰ってまいります。例えば主婦が、最近は共稼ぎが多いわけですけれども、そういたしますと、地域のコミュニティーの中で実際に営業を行っている小さな店があれば、店がたとえ閉まっておりましても、トイレットペーパー一本ない、それを少しいただけませんかと裏口をたたいて、そのトイレットペーパーを得て、そして用を果たすことができたわけですね。  それが全部つぶれていくということになりますとどうなるかといえば、郊外のモール、あるいはまた都心部の百貨店が営業時間を延長せざるを得ない。延長しているところで働いている人はだれかといえば、パートタイマーです。パートタイマーの賃金は、それでは本社員とどれくらい違いがあるか。契約スチュワーデスのケースを持ち出すまでもなく、これは合理化しなければなりませんから、したがってとても安いわけでありますね。  そういうことで働く。働いて帰ってくれば店が閉まっている。こういうことになりますが、人々がやむなくそうした大手のところで物を買うようになりますと、いや、我々はこうした人々から、つまり支持されているのだというふうに、経営者もあるいはまた経済学の方々もおっしゃるわけですね。  しかし、本当にそうかということが私はとても大事だと思います。先ほど申し上げたサステーナブルシティーという考え方においては、中心部にすべてのショッピングとか公共の交通機関の発着場を置きまして、人々は徒歩であるいは自転車ですべての用を果たせるような町をいかにつくるかというのが、新しい都市づくりの概念になりつつあるわけですね。  そういう観点から申しましても、今お話をいたしましたような中小小売店役割というのは、単に生産性の高い低いということではなくて、高齢化社会を支えているのはだれかといえば、そうしたコミュニティーにある専門店である。  専門店の主人が、例えばよくございますけれども、孤老死、つまり孤独死。御主人が入院しておられて、お年を召された御婦人がひとりいられて、そしてその方が亡くなったときにだれが一番最初に発見したかといえば、近所の御用聞き、いまだに残っている近所の御用聞きの商店の方が、おかしい、そういうことがわかって通報なさって、子供さんが飛んでこられる。そういうことは日常茶飯事に起こっているわけです。  これは、生産性の高い低いという、マクロの極めて抽象的な数字で分けることはできない。何をもって生産性というのか、こういうことになると思います。中小小売店の問題はとても重要だというふうに考えます。
  13. 正村公宏

    ○正村参考人 時間がありませんので一言だけ。一言が五言ぐらいになってしまうかもしれませんが、一つだけ申し上げますと、経済全体の運営がうまくいかなくて変動が激し過ぎるときには、個別に保護をしたり規制をしたりしても救えない、そういう問題が起こってくるのですね。  日本の過去の経過を見ますと、いろいろな、社会政策的なといいましょうか、社会政策的な仕組みをきちんとつくることがおくれてしまったために、経済の成長が早過ぎたという局面がしばしば見られたわけですね。それから、そのことのために対外不均衡が非常に大きくなってしまって、そして目減りをすることがわかっているドル建ての資産をどんどん買い込むという大変愚かなことを日本国民はやりまして、そして大変激しい円高が起こって、御承知のような大きな内外価格差が発生している。  規制緩和をやって価格破壊を促進して内外価格差を縮めるという議論がありましたが、それがほとんどナンセンスだということを申し上げるのは、国内の流通とかいろいろな分野のコストを漸次下げていかなければならないという課題がないわけではないけれども、今日の内外価格差のほとんどの部分は円高の行き過ぎなんですね。なぜ円高が行き過ぎているかといえば、輸出が伸び過ぎていることであります。輸出が伸び過ぎたのはなぜかというと、国民生活の改善のために国内にやるべき投資なり消費なりをきちんとやってこな かったから。国内需要が不足すれば輸出が伸びるというのが原理なんです。貯蓄が過剰で投資が不足の場合には必ず貿易の黒字が大きくなるというのも、これは我々経済学をやっている者にとってはイロハなんでありまして、そういう構造になったら円高になりますよね。そうすると、地方のいろいろな部品産業や何かを含めてどんどん崩壊していきますよね、今アジア諸国との競争で。それで、都市がつぶれますよね、崩れていきますよね。  そういう全体のあり方、マクロ、私たちはマクロと言いますが、マクロの経済安定化についての政府の政策が根幹において間違った状態が長く続けば、構造変動が激し過ぎてだれも耐えられない。それに対しては規制をやったり保護をやったりしても絶対に間に合わない、マクロの政策をきちんとやらないで、ミクロの政策はマクロの政策のかわりはできないというふうに私は思っているわけであります。  限られた時間でちょっとなぞめいたことを言ったかもしれませんが、どうぞ御検討いただきたいと思います。
  14. 松下忠洋

    ○松下委員 どうもありがとうございました。
  15. 石破茂

    石破委員長 秋葉忠利君。
  16. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 社民党の秋葉でございます。  まず、二人の参考人内橋先生それから正村先生、実は私は以前からお二人の著作を読ませていただいたことがありまして、実はアメリカに長い間住んでいたのですが、「匠の時代」、それから正村先生はお子さんのことをお書きになった本がありますが、そういったものを読ませていただいて大変感動した記憶がございます。きょうは御意見を伺えるということで大変光栄に思っておりますが、残念ながら時間が余りありませんので、事によったら、こちらの私の方の考え方を一方的に押しつけるみたいな質問になるかと思いますが、失礼な点はお許しいただければと存じます。  実は今、最初のお話を伺いながら、私にとってはお二人ともそれほど差のある御意見ではない、視点は違いますし、それから全体の枠組みは違うけれども大変貴重な、何といいますか、知的な枠組み、それから視点を提供していただけたというふうに思います。松下議員もおっしゃっていましたけれども、まさに目からうろこの落ちるような思いということでは私も賛成です。  その中に、私が伺いたかった二点についてのお考えが既に最初の十五分ずつで十分に私にはわかったような気がいたしますけれども、せっかくですので、ある程度事実関係を委員会の皆さんにも御理解いただきたいと思いますし、今後の議論のためにも改めて簡単に、どういった問題意識を私が持っているのか説明をさせていただければと思います。  実は、最終的に規制緩和を行う、それが行政機構の改革であるとかあるいは社会的なルールをきちんとつくるということ、それから市民社会を健全に発達させる。そういったいろいろな、別の言葉でお話しになりましたけれども、そういった考え方は全く賛成なんですが、具体的に、私たちがそういった仕事を始める際に非常に大きな問題になっているのが、最初内橋先生がおっしゃいました、議論が深まっていない、そういう嫌いが社会全体にあるように思います。国会の中の議論もそうだと思いますけれども。  その中で特に、私は再販価格制度が重要なんではないかというふうに思います。それはなぜかといいますと、再販価格制度を維持すべきだと言っている人たちのほとんどが活字文化の送り手の側にいるわけで、その人たちが模範的な議論を展開しない限り、ほかの分野における議論で知的な批判にたえ得るような、あるいは後世に対してきちんと説明ができるような議論ができるとは思えないからなんですけれども、残念ながら再販制度の議論において何かとんでもない事実誤認が平気でまかり通っている。これはかなり親切に言っているつもりなんで、うそっぱちが平気で横行しているようなところがございます。あるいは極論と言った方がいいかもしれませんけれども。  例えば一例を挙げますと、これは文化庁がつくった文書ですけれども、再販制度を維持すべきだということを言っている中で、例えば、再販を廃止すると民主主義発展の危機に陥る、それから、文化の普及振興の危機に陥るというようなことを平気で言っているわけです。あるいは、文化庁が音頭をとっております、今度は別の何か懇談会というのがあるのですが、民間の人が集まっているというようなことなんですが、例えばこれですと、アメリカでは通常、一つ地域新聞は一紙しか存在しない。これもうそです。こういううそを平気で並べて議論が行われたことになっている。あるいは、新聞を見るとこういったたぐいの議論しか出てこない。  この議論の質を何とか高める必要がある。議論を深めるという以前に、事実がきちんと提示されて論理的に議論が行われるようなことがないと、ただ単に今のレベルの議論では、じゃんけんをして勝った方の言い分を通すといった方がよりフェアな決定になるかもしれないぐらいの私は危惧を持っております。  そこで、一つはお願いなんですが、ぜひ先生方にそういった意味での事実を基礎にした議論、論理的な議論の先頭を、さっきのお話のような形で切っていただきたいと思いますし、それから我々の立場も含めて、一体そういった議論を起こすためにどんなことをしたらいいのか、よいお知恵があったらぜひそのあたりをお聞かせいただきたいと思います。  それからもう一つ、二番目の問題として、後で申し上げますけれども、これは公正取引委員会役割についてですので、それを後半伺いたいと思いますので、時間の配分もよろしくお願いできたらと思います。     〔委員長退席、野田(佳)委員長代理着席〕
  17. 内橋克人

    内橋参考人 現在の著作物に関する再販の問題だと思います。  これは、ある意味では新聞マスコミにとりまして再販問題というものが規制緩和全体についてもう一度考え直す大きな機会になったと思います。  私は、若干、再販、とりわけ著作物についての再販については皆さん方意見が違うのではないかと思います。私は、著作物について再販制というものは現行のままでいいと言っているのではございませんけれども、基本的に維持すべきだ、こういう考えなんです。  手短にちょっと申し上げます。「再販適用除外が認められる著作物の取扱いについて」という公正取引委員会の再販問題検討小委員会の中間報告なども大変詳しく吟味をさせていただいておりますし、いろいろ発言もしているわけでありますけれども、著作物について縦の、ブランド内の競争、横の競争というのは内容とそれから価格競争、いろいろあると思いますけれども、ブランドの中の競争、例えば朝日新聞であれば、朝日新聞は東京で購読するのとそして鹿児島で購読するのと値段が同じなのはけしからぬということをおっしゃっているわけですね。こういうふうな意味での再販廃止という主張については私は承服しかねるということであります。  それから二番目に、どうすればいいかということなんですが、私はやはり、再販問題につきましても開かれた社会をつくろうという議論が密室で行われているという、これはとても不思議なことだと思うのですね。現実に、この再販問題検討小委員会の方々は、最近になっていろいろ発言をなさって、新聞各紙が我々の意見を一切採用しない、こういうことを非難なさっておりますけれども、この小委員会において検討、討議がなされているそのプロセスというものがほとんど公開されませんでした。ですから、私たちが、今何を彼らは検討しているのかということについて取材をしたりニュースを集めたり、事実を実際に確認するために大変な苦労をしているわけです。  つまり、開かれた社会を開かれたところで築くということが基本ではないか、こういうふうに考えます。そのために具体的に何が必要だというこ とだと思いまして、再販問題に、これは著作に関して今申し上げましたけれども、縦の、ブランド内競争が本当に必要かどうか、これはちょっと異論のあるところだ、開かれた議論は、開かれた制度をつくるべきだ、そこで行うべきだ、こういうふうに考えます。
  18. 正村公宏

    ○正村参考人 簡単に申し上げます。  私は、著作物、新聞等を含めて著作物について、その価格、再販売価格維持制度を維持する根拠は希薄であると思っております。  それで、市場にゆだねる、自由な競争にゆだねるということにはそれに伴うコストがあります。いろいろなコストがあります。それについては一々申し上げませんが、安いものが、競争が行われているという状態の中で、私たちはできるだけ安いお店を探し回るという行動をとらざるを得ない、それも一つのコストでありましょうし、カットスロート・コンペティションといいますが、相手を倒すまで値下げをする、そういう行動に出る人がいないとは限りませんね。  市場原理にゆだねるということは、初めからコストがあることはわかっているのですが、そのコストがあるからという理由で、著作物に関してだけ価格の自由な競争を排除するという原理は私は見当たらないと思っております。     〔野田(佳)委員長代理退席、委員長着席〕
  19. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 ありがとうございました。  私が伺いたかったのは、その議論のやり方について、今のようなお二方の議論ということではなくて、今新聞紙上をにぎわしているような、事実に基づかないうそや、それからデマによって議論が進んでしまって、事実の確認とかあるいは論理性といったことについて何の考慮も払われていない議論では、結論がどうなっても、どちらになっても、そんな結論は信用できないということを申し上げたかったので、後ほどそれはお答えいただきたいと思います。  例えば、今、内橋先生がおっしゃいました同一物の同一価格ということでも、私は広島に住んでおりますけれども、広島の朝日新聞の朝刊というのは典型的に二十四ページです。同じ日に東京でそれを買うと三十六ページある。しかし、値段は同じです。例えば、そういったところがあるにもかかわらず両方とも百十円だというようなところもある。確かに、同一物が同一価格ということであれば、二十四ページで売られているところはみんな同じ百十円払っているわけですけれども、しかしながら、それが同じ朝日新聞だからどこに行っても同じだよというような形で売られているというところは全く議論にはなっていないわけですし、その他にもこういった例はるるあります。  アメリカ新聞の配達にいたしましても、日本新聞が典型的に百十円であるのに対して、例えばワシントン・ポストは宅配されて二十五セントです。二十五円です。それが日曜版になってもちょっと高くなるだけですし、それから、都市部では確かに配達してもらえるけれども、田舎では配達してもらえない。それにはコストがかかります。しかし、そのコストを入れても、都市で生活する方が生活費が高いという現実があるわけですし、そのために給料の調整をしなくちゃいけないという現実アメリカにはございます。  例えばそういった文脈を与えることによって議論の質がまるっきり変わってくるにもかかわらず、非常に単純な、そしてデマに近い議論しか行われていないというところを私は危惧をしているわけです。  時間がないので、ちょっと次の公正取引委員会の問題にもかかわってきますので申し上げますが、そういったさまざまな主張に対して、公正取引委員会というのは、私は、消費者の立場、市民の立場からきちんとした判断を行う場所だというふうに思っておりましたけれども、資料として送らせていただきましたけれども、その中にありますように、化粧品関連の問題で特にこれがシャープにあらわれてきているんですが、公正取引委員会がその機能を全く果たしていないところか一方に加担しているような節さえ見えるということでは、そもそも我々がその目的としている、それが規制緩和であってもあるいは混合経済であっても、どういう形であってもいいんですけれども、そこに行き着く出発点からして、もうそもそも大きく狂っちゃっているというような危惧がございます。  具体的にその整理をして私の問題意識を申し上げたいと思うんですけれども、一九九四年の七月十八日に、東京地方裁判所は花王化粧品販売に対して、独占禁止法違反をしているという裁定をいたしました。それで、これを裁判に出した原告が仙台の安売り店の江川企画というところなんですけれども、この裁判では結局、花王側が定価を守らせるということを強制している、価格拘束をやっているということが認められた。  それで、これが裁判で認められたわけですから、しかも、この江川企画に対して花王側から与えた圧力というのは、別にこの店だけではなくて全国一律にやっているということは常識でわかるわけですから、それ以後このような価格拘束を大手の化粧品会社がしなくなったということであれば、それはそれでめでたしめでたしなんですが、事実はそうではなくて、全く事態は改善されていない。  それどころか、例えば、化粧品会社側はセルフ用の化粧品というのをつくって、そのセルフ用の化粧品については、これも調査をしてみましたけれども、大体一律一五%の値引きをさせるというような、いわばやみ再販制度をつくって、それでこれを実施しているということがわかりました。それで、同時に、安売りをしようという店にはこういった大手の化粧品メーカーから商品を卸さないとか契約を破棄するとか、さまざまな形でその後も圧力がかかり続けております。  それに対して、安売り店が何度にもわたって公正取引委員会に対して申告書を出しています。独占禁止法違反の疑いがあるからちゃんと調べてほしい、消費者の立場を守ってほしい、自分たちの小さな店の立場を守ってほしいという申告書を出したんですけれども、公正取引委員会からそれに対して通知書というのが出されていますが、ひどい場合には四年もたってからこの通知書が届く。もう一つの問題は、その四年の間に、申告書を出した当事者には全く何の聞き取りも行わない、申告をした当事者に対して、事情をもう少し詳しく説明してくださいというようなことは一切行っていない。  それで、さらにひどいのは、この中には、東京地方裁判所が独禁法違反だというふうに判断をした事柄、これがおかしいから調べてくださいということを公正取引委員会に対して申告をしている者に対して、違反の事実はないという答えを公取が出している。しかも、裁判所の裁定が下った後で出しているという事実もございます。  これだけだったらまだ、一方の当事者の言い分だけだという可能性もあるんですが、実はその公正取引委員会は、一方では大手メーカーに対して極めて親切です。これは半分皮肉で言っているんですが、親切という言葉は。  例えば、公正取引協会という、大手メーカーの業界団体がありますが、これは一九九一年の六月から九四年の五月まで約三年間、百十七回、講師を派遣して、独禁法その他の法律についての説明をしています。しかも、この講師としてこういった場所に、メーカー側に丁寧な説明、これは大体一週間に一回ぐらいの割合で行われているわけですけれども、しかも講師は複数です、その独禁法の内容について講義をしているんですけれども、これは公正取引委員会の正当な業務であるというふうに説明をしながら、同時に、年次休暇をとって行っています。そして、一時間当たり二万円の報酬を受けている。  申告に対して何らの調査も行わないで、四年もかけて通知書一枚で独禁法違反の事実はないという結論を一方で出している公正取引委員会が、業界側に対しては毎週のように講師を送って、しかも年次休暇までとって送って、丁寧な説明をして いる。これだけ見ても、公正取引委員会の態度が、フェアという観点、バランスという観点から非常に大きな問題を持っているということがおわかりいただけると思います。  これがさらに問題なのは、独占禁止法違反というのは、これを告発できるのは公正取引委員会だけということが法律に書かれております。その公正取引委員会がこのような態度をとっていたのではとても、市場のメカニズムどころか、公正なルール、あるいはそれ以前の問題として、日本社会システムそのものの改革ということで、本当にもう恥ずかしいようなレベルから私たちは仕事を始めなくてはいけない、そんな気がいたします。  こういったことを改善する上で私たちが考えられるまず第一歩としては、最低限公正取引委員会委員長の大蔵省からの天下りはやめさせて、民間の法曹界から、あるいは法律知識の十分ある市民団体の代表といったような人を公正取引委員会委員長に充てて、中立的な立場から、公正取引委員会市民の立場であるいは消費者の立場できちんとした機能を果たすように改善していくというあたりだというふうに考えているのです。公正取引委員会あるいは行政委員会の改善について、今のような第三者的な立場からそのリーダーを決めていくというあたりから始めるのが現実的には一番やりやすい方法なのかなというふうに私は考えておりますけれども、そのあたりについてお二人の御意見を例えれば大変ありがたいと存じます。
  20. 内橋克人

    内橋参考人 それでは、私の考えを述べさせていただきます。  第一点の、新聞につきまして二十四ページと三十六ページ、値段が同じだという広島の秋葉先生のお話でございますね。  これは逆に、現在の再販問題検討小委員会、つまり規制緩和を進めるべきである、再販廃止という立場の人々の御意見にむしろ沿うものなのですね。つまり、一ページ当たりの単価が地域によって違う――これは現在違っているか違っていないかという認識はいろいろあると思いますよ。その一ページ当たりの単価が違うようにせよというのが検討小委員会議論でございますから、これは皮肉な結果として、現実として……(秋葉委員「評価ではなくて、事実として、事実のそういう認識がないままに議論が行われていることが変ではないかということで提起をしているので、その解釈についてはまた別のところで話ができればと思います」と呼ぶ)この認識新聞界の人々は皆さん御存じだと思います。その上で、新聞協会においてもあるいは新聞労連、出版労連においても議論がなされているわけです。(秋葉委員「いや、同一紙同一価格ということしか新聞界は言っていないのです。同一紙同一価格ということでしか出てきていないのです。まあ、あれですから、要するに事実の認識の問題だけ……」と呼ぶ)その事実の認識はあるという点をお答えしておきます。  それから、公取がいわゆるウォッチドッグとして役割を果たしていないということについてどう改革すべきであるか。これはもうおっしゃるとおり、少なくとも公取委員長に関して大蔵省からの天下りはやめるべきだ、こういう御意見に対しては全く賛成です。  もう一つ、私訴という、つまり一人一人の市民がこの問題はおかしいということを訴えるという、それが可能な制度ですね、それはやはり採用すべきではないかという点を、感想としてちょっとつけ加えさせていただきたいと思います。  それから、公取内部のスタッフの人々意見というものがなかなか外に見えてこないのですね。今回の純粋持ち株会社の解禁問題についても、お一人お一人は独自の意見をお持ちのように思いますが、そうした声が外に出てまいりません。私たちもそのお一人お一人の意見について聞いたことがございますけれども、それはなぜか沈黙です。そして、あっという間に、わずか一年そこそこの間に原則解禁という方向に公正取引委員会の基本的な態度が変わってしまった。これは大変不思議なことだと思います。  以上でございます。
  21. 正村公宏

    ○正村参考人 簡単に申し上げたいと思います。  前者の方の問題について、著作物の問題ですが、私は、日本新聞界が、いわば私たち言葉、経済学者の使う言葉で言えば寡占的な状態、少数の大新聞がかなり大きなシェアを持っているという構造の中で、幾つかの新聞がその地位を利用して一方的に再販制度撤廃に反対する論陣を、これは文化の危機だとかいろいろ言っておられますが、そういう論陣を張っておられるのは、私は、それこそが非常に民主主義を破壊するおそれがある。そういうことに対していろいろな意見があるということを公平に報道していないということはマスコミュニケーションの病理の一つのあらわれだというふうに思って、私は憂慮をしております。  それから、二番目の公正取引委員会の強化については御指摘のとおりであります。大変貴重な御意見を伺いましたが、基本的に私は賛同いたします。  どういう人を委員長にするかということは具体的に決めなければなりませんが、今までは、公正取引委員会そのものの存在について国民も注意を払ってこなかったし、政府もまたないがしろにしてきたというふうに思いますし、ややもすると産業界の、大手の企業の要求に沿って公正取引委員会が行動するような圧力をかけかねないような空気が存在していたというふうに私は理解しております。それを変えなければいけないというふうに思います。  先ほど申し上げたように、私は、既存の行政官庁のあり方を見直して、独立の、独立といっても政府がかかわらなければいけませんけれども、総理大臣が委員長を任命するぐらいのことはちゃんとやらなければいけません、日銀総裁もそうですけれども。ですから、公正取引委員会のみならず、全く政府から独立して動くことはあり得ないのですけれども、相対的に独立した権限を持った強力な、何をやっているかが国民から見えるような委員会をつくっていくべきだ。預金保険機構がありますが、最近それがどこにあるかだれも知らなかったというような、そういうことではいけないのであって、大蔵省が金融機関を監査するのではなくて、預金保険機構なり独立の機関が監査をして情報公開をする、そういう仕組みをつくらなければいけませんから、公取から始めるといいましょうか、公取はその中の一つとして思い切って強化する方向を考えていただきたいというふうに私は思います。
  22. 秋葉忠利

    ○秋葉委員 ありがとうございました。  これで私の質問を終わらせていただきますけれども規制緩和の問題、例えば書籍等のあるいは新聞の再販価格維持制度問題だけを取り上げても非常にたくさんの議論をしなくてはならないということは皆さんおわかりいただけたと思いますし、委員長理事の皆さんにお願いですけれども、こういった問題について、あるいは参考人にまた来ていただくことも大事だと思いますし、我々の間でもっと議論を深めることも大事だと思いますので、委員会を開く時間をできるだけ長時間とっていただいて、こういった実質的な問題について十分な議論をさせていただきたい、こういったことを、私は理事ではありませんので、与野党の理事の皆さん、そして委員長にお願いいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。
  23. 石破茂

    石破委員長 河合正智君。
  24. 河合正智

    ○河合委員 新進党の河合正智でございます。  本日は、内橋先生また正村先生、貴重といいますよりもむしろ大変本質的な御教示を賜りまして、心から感謝を申し上げます。内橋先生もおっしゃいましたように、本質的な質疑、論議を希望するということでございまして、私もそういった観点からいろいろ御教示願いたいと思います。  まず、お二人の先生の御意見を拝聴いたしまし て、一体何のために、だれのために規制緩和をするのかという本質的な議論、それが日本の国に今欠けているのではないかという御指摘は、私たちの胸を打つものがございます。  そこで、お伺いさせていただきますが、例えば公的規制の緩和につきましても、各省庁が出してきましたメニューが、推進したのか、なぜ規制緩和が進まないかといった議論に集約されておりますけれども、私は、お二人の先生が御教示くださっているような観点、本質的なことから考えますと、むしろやはり最低全省庁横断のタスクフォースを設ける、もっと言えば英米のようにきちっと独立規制委員会をつくって、規制緩和をしなければいけない部分と、そして規制緩和によって生じた市民社会における弊害、これをそこできちっと適正に政策的にフォローしていく、そういったことをするために、私は独立規制委員会まで高めるべきだと考えておりますけれども、お二人の先生の御意見を賜りたいと思います。
  25. 内橋克人

    内橋参考人 御意見には全く賛成でございます。現在の規制緩和の進め方は、各省庁に割り当てまして、その割り当ての中で、つまり、これを出せばいいかな、あれを出せばいいかなと、いわゆる数合わせと言われるような現状になっていると思いますね、各官庁におきまして。そうではなくて、実際に現実市民なり生活者なり消費者が、あるいはまた地域社会においてさまざまな問題に取り組んでいる人々が、こういう規制は時代の流れの中で組みかえるべきだ、規制の組みかえ、これを主張していく。これを今おっしゃった独立のタスクフォースでもってきちんと吸い上げまして、そしてそれを行政に要求をしていく、突きつけていく、これが私は本来の正しいあり方だと思います。  そういう意味では、おっしゃるように、規制というもの、そして規制の組みかえということ、残すべき規制、あるいは新たに設けるべき規制とは一体何なのか、それを峻別するということがとても重要ではないかと思います。そういう意味で、全く賛成です。そういうふうに力を入れなければ、規制緩和というものは、社会の根底から大きく体制を変えるということにつながる。非常に軽く、軽々しく考えられ過ぎているというのが私の現状認識でございます。  規制規制緩和は同時並行的に進める。これはアメリカにおいて、オープン・スカイ・ポリシー、いわゆる航空自由化ということで、自由化は航空から始まったと言われておりますね。しかし、その前に通信における自由化があるわけです。これは軍事用に上げました衛星を民間に開放するということで、自由化なんですね。しかし、このときに何をしたかといえば、巨大なる企業であるAT&T、それには通信衛星は使わせない。通信衛星を使いますと、御承知のように、地球の三分の一を一個の衛星がカバーいたしますから、通信費は劇的に下がるわけです、コストは。三〇%、四〇%安く通信をすることができますね。その利便をだれが使うかといえば、当時のベンチャーです。SBSその他、新たに起こってまいりました小さな小さな企業はこれを使いなさい、しかしAT&Tは、これは何年まではその使用を禁ずる、つまり規制ですね。その規制規制緩和を並行して進める、それでもなおかつ、たくさんの問題が起こってまいりました、他の分野において。  ということですから、私は、そういう意味で、まさに何のために、だれのためにやるのか、もう一度議論をしていただきたい、こういうふうに思っているわけであります。  以上です。
  26. 正村公宏

    ○正村参考人 冒頭に申し上げましたように、私は、既存の個別関与を徹底的に見直すべきであるけれども、そのためには、政府がやるべきこと、地方公共団体を含めて政府部門がやるべきことをむしろ強化するという、セットにして、いわばパッケージにしてお考えいただく必要があるのではないかということを申し上げました。  規制だけに限定しましたときにも、もちろん、既存の官僚機構の縦割りの枠組みのままで、それを個々に規制をどうするかというふうな形で問題を出させても、それは私は非常にマイナーな改善、改悪もあるかもしれませんが、改善にしかならないだろうと思うのですね。ですから、おっしゃっている独立の横断のタスクフォースをつくるということの考え方そのものについては理解できますけれども、私が強調したいのは、全体の枠組みですね。つまり、この部分はむしろ新しいルールをつくるなり、あるいは既存の独占禁止政策にしても環境政策にしても労働政策にしても、既存のルールを思い切って強化する。そのためには、こういうシステムの改革をするということとセットにして既存のものを整理し、切り捨てていくということをおやりにならないと、国民的な合意を得ることもできない。ただの国民的合意などという生易しいことではこれはできないのであって、やはり、我々のこれからの行き方はこれなんだということで、多くの人が熱意を持って取り組まなければ改革はできないわけですね。  私は、公共部門のやることについては、スクラップ・アンド・ビルドといいますけれども、古いものを壊して新しいものをつくるという、改革ですね、スクラップしてからビルドするというのは不可能だと思うのですよ。工場だったら、一度壊してそこに新しいものをつくるということで、スクラップしてからビルドするということをやらなければなりませんが、社会経済システムの改革は、革命をやるなら別です、ロシア革命みたいな革命をやるつもりなら別です、それをやらざるを得ないなら別ですけれども日本は革命をやらなければならない状態ではないと私は思いますね。改革ですね、それはスクラップ・アンド・ビルドを時間差でやるのではなくて、ビルドすべきものを明確に示しながら、あるいは具体的にそれと取り組みながら、ビルドするという仕事をきちんと打ち出しながら、スクラップすべきものを大胆にスクラップする、そういう方法論が要ると思うのですね。  そういう、何といいましょうか、言葉が適当かどうかわかりませんが、いわば戦略的な取り組みを政治の側で、つまり国会の側でお示しいただくことが必要だろうと思います。国会ではなかなかそれはできないよということであれば、国会が決議をなさって、少数の能力のある人を集めた、改革推進の期限を切った委員会をおつくりになる。ただし、利害調整機関にしないということですね。いろいろな団体の代表を集めて今までの審議会みたいにやって玉虫色の報告をつくる委員会なら、国会はおつくりにならない方がいいと思いますけれども、この人にとにかく徹底的にそのビルドとスクラップをあわせて検討させよう、それを尊重しようということを国会がおやりになるのも一つの方法かもしれませんね。もちろん、議員の皆さん方が御自分で委員会をつくって、ああでもない、こうでもないという議論をいつまでもやるのではなくて、そういうきちっとした、思想のはっきりした報告書をお出しになることを私はお勧めしたいと思いますけれども
  27. 河合正智

    ○河合委員 国会がきちっと明確な意思を戦略的に持つべきであるという御意見については非常に参考になりました。また、これは内橋先生が一貫してお述べになっていることでございますので、私なりによく理解させていただきました。  次に、非常に現実的な問題でございますけれども、どの先生もそうかと思いますが、例えば、私の岐阜県におきましては、繊維、刃物、陶器、木工といった、ある意味で地場産業が県内産業を下支えしているという産業構造でございまして、そこにおきまして抱えている問題というのは非常に切実なものでございます。これは、産業革命そのものが日本の伝統的な三世代というものを崩壊させましたし、お隣同士を他人同士にさせてしまいましたが、今それ以上の深刻な、雇用の創出、そして新産業の創出が待望されているわけでございます。  そういった現場からの声としまして、やはり何とかしてほしいという話の中で、規制緩和という 対応論もあるわけでございますが、そういった現場から見た、また現場のニーズにこたえた規制緩和論に対しまして、内橋先生、正村先生の具体的な御教示がございましたらぜひともお伺いしたいと思います。
  28. 内橋克人

    内橋参考人 大変持ち時間が少ないようでございまして、今そういう注意書が回ってまいりましたので簡単に述べますが、これもまた重要な御指摘だと思います。地場産業地域産業が――実際に私もここ数年、ほとんど地域、地方を歩いております。具体的には、私が実際に新聞に連載をいたしまして本にしました「共生の大地」の中で詳しく述べております。  どのような悩みを持っているか、一言で申しますと、やはりこれは、ゼロ一つ少ないものがアジアから入ってくる、これをけた違いと申しますね。ですから、従来型のコストダウン――コストダウンというのは、御承知のとおり百のものを九十にする、九十のものを努力をして八十にするということですね。百円のものを八十円コストダウンいたしますと、二十円で我が国に入ってくる。つまり、価格競争値段競争世界に入ってしまいますと、そのように、従来の日本型のコストダウンとかあるいは品質管理とか、単なる生産性向上というふうなキャッチフレーズ、こういうものでは到底太刀打ちできないということですね。これは、私はいろいろなケースでもって実例を紹介いたしております。  そういう観点からも、新たな生き残り、サバイバルと申しますか、それは各地において試みられているわけですが、要するに、従来の日本型の地場産業は量産効果、量をたくさんつくることによって付加価値を得る。量をたくさんつくればコストが下がりますから、その下がったものが付加価値であるという量産効果ですね、多量につくって効果を生むというこの方式でなべてやってまいりました。もともとはそうではなくて、その地域の周辺にあるさまざまな資源とか技術とかノウハウを生かしてこれまで歴史を重ねてきたわけですけれども、そこから離れて、やはり大量生産型の高度成長型の、つまり膨張大量生産の構造の中に組み込まれてしまったんです。それを今、どの地域も構造を転換したいと思っているわけです。具体的に言いますともう時間がありませんから、お調べになればすぐわかります。  そういう努力を行政なりあるいは皆さん方が助けていくということこそが今最も必要で、北の国々、我々の国で物づくりを続けていく意味一体何なのか、あるいはそれをつくっていくことのできる条件は一体何なのか。それをまさに規制緩和のこうした主張とともに繰り広げるべきだ、こういうふうに思います。ちょっと具体例からは欠けるかもしれませんが、何に悩んでどのように方向転換しようとしているかといえば、今申しました中に集約的に語ることができると思います。
  29. 正村公宏

    ○正村参考人 これも先ほど申し上げたことですけれども、私は原則、規制をなくすべきだという考え方でありまして、企業が構造変動に対応して新しい事業機会に挑戦しようというときに、もし規制が障害になっているのであれば、それこそ撤廃するべきだと思います。  ただ、この機会に申し上げたいのは、日本近代化の歴史を振り返ってみますと、欧米から近代産業を導入しながら実は在来産業を大変巧みにつくりかえて、そのことで多様な製品を生み出し、多様な雇用機会を維持するということに成功したんですね。これは大変重要な成功例だと私は思っておりますし、今御指摘のような地場産業というのでしょうか、岐阜といいますと陶器などもあると思いますが、そういうさまざまな産業が生き残ってきた、それは非常に重要なことなんですね。  しかし、私は今ちょっと絶望に近い状態にあります。非常に厳しい状態に日本は追い込まれたなというふうに思っているんです。残念ながら、ここまで追い込んでしまった過去二十年なり三十年なりのマクロの経済政策の致命的な失敗についての御自覚が政治家の皆さん方にないのではないかという疑問を率直に言って持っているわけでありまして、ちょっと失礼かもしれませんが。それが、さっき申し上げたようにマクロの政策が非常にますければ、どんなにミクロで頑張ったってうまくいかないんですね。  私は、七〇年代に低成長が来たということを多くの方がおっしゃったときに、いや、日本の経済の潜在力は六、七%の成長はできる状態にあるんだから、低成長を目指すべきではない。やはり資源の制約はあるけれども差し当たり六、七%ぐらいは目指すべきだと思いますし、それから、高福祉を目指さなければならないとすれば相当の高負担を国民に訴えて、やるべきことを政府がやらないと不均衡が拡大しますよということを言った人間であります。同時に、当時から、七〇年代の半、ばからでありますが、個別介入型の政策はやめて社会ルール型の政策にこの際転換しないとすべてうまくいきませんよという発言、活字が残っていますから私のアリバイは立つんでありますけれども、言い続けたんですね。残念ながら、過去二十年以上やってこられなかったんですよ。そのツケが回ってきたということをやはり考えていただきたい。このままいったら大変なことになります。非常に難しい状態になってきていると私は思います。規制緩和ぐらいで乗り越えられるものではないと私は思っている。  お答えになりませんが、触発されてつい、余計なことを言う癖があるものですから余計なことを申し上げたかもしれませんが、お考えいただきたいと思います。
  30. 河合正智

    ○河合委員 それでは最後、二つの問題について御質問させていただきたいと思います。  先ほど秋葉先生も仰せでございましたが、公正取引委員会の機能、権限強化の問題でございます。  私ども、細川政権のときに体験したことでございますけれども、要するに、私と伊藤達也議員が復活の要望を担当したわけでございますが、すべての省庁に対する復活要求というのは圧倒的にございましたが、公正取引委員会に対する要望というのは、三日間私たち待機しましたけれどもゼロでございました。こんなところに要望したらしかられる、こういうことでございまして、公正取引委員会の機能、権限強化というのは、言うはやすく、日本の国内では全く認知されていなかった世界だったということを体験的に知ったわけでございます。  ただ、まさにこの規制緩和また市場原理ということを言われます。その世界市場原理世界では公正なルールというものがどれくらい確保されているかということを競い合う、それがこれからの世界であると私は確信しているわけでございます。  そういった公正取引委員会の強化といったことについての具体的な示唆並びに情報公開、これは行政の透明性確保といった観点からの質問でございますが、公正取引委員会それから情報公開法につきまして、お二人の先生の示唆を賜りたいと思います。
  31. 内橋克人

    内橋参考人 まさにそれが論点でございまして、二つの御指摘に対して詳しくお答えを申し上げるわけにはなかなか時間の関係でいかないと思いますが、一つ、どのように強化をするかということとともに、なぜ強化しなければならないのかという点についてそもそも明確にしなきゃならないというふうに思います。なぜ公正取引委員会を強化しなければならないのかということですね。  これについては、実際に独占、寡占あるいは先ほどお話がありましたような日本的談合、癒着、やみ再販その他ですね、こうしたことがますます表からはわかりにくい社会の構造になり始めている。同時に、例えばこれはアメリカにおける航空産業でありますが、大変な論議が巻き起こったわけですね。それは、御承知だと思いますけれども最初に私が、規制緩和によってなぜ大手に集中していくのか、このことを注意すべきであるということをお話しいたしました。  例えば、アメリカにおいてユナイテッドあるいはアメリカン、そういう二大航空企業になぜ最終的には市場が集中していったのかということについて、これはよく言われますようなCRS、コンピューター・リザベーション・システム、あるいはFFP、フリークエント・フライヤー・プログラムという、この二つのシステム、巨大資本でなければ生み出せないシステムでございますけれども、コンピューター・リザベーション・システムというのは全世界一つのコンピューターのネットワークでつなぐというシステム、それからFFPというのは、いわゆるマイレージと言われますが、差別的運賃制度ですね、要するに、何マイル乗ったかということによって、次に乗るあるいはさらに次に乗るときにはそれを運賃上優遇をしていくという制度がございました。これを、つまり規制緩和によってニューカマーが入ってくる、競争者が、ライバルが破壊的な価格でもって入ってきますね、それを排除していくために採用した、大手企業だけができるシステムだったんですね。  CRSにおきましては、ユナイテッドは「アポロ」というシステムをつくりました。それからアメリカンは、これに対して「セイバー」というシステムをつくりました。このシステムでもって世界を覆いますから、中小零細なところは入っていけないわけです。あるいはまたFFP、これの方で申しますと、全世界、全地球にネットワークを張りめぐらした大手を利用することが消費者にとっての利益なんですね。例えば、東京-広島しか飛べない飛行機に乗るよりは、全世界にネットを広げたエアラインのシートを利用する方が、次にそのマイレージを利用する場合に、ハワイへ行くこともできますし北京に行くこともできますから、それが結局最終的には消費者利益消費者利益と言っておりますと、そうした大手の、つまりCRSとかFFPというシステムを巨大な資金を投入して完成させ得るところに最終的には集中するという、この必然ですね。  ここで、CRSにおきましては、そのホームページ、つまり予約を受けますと順次我が社の機体から顧客を埋めていって、余裕があれば代理店を通じて新しい中小零細な航空会社に席を譲るというシステムになりましたから、これは独禁法上、反トラスト法上問題があるのじゃないかということで大きな論争になりましたが、時のレーガン政権のもとでは、これは反トラスト法違反ではない、こういうことになりました。結果において、アメリカでの市場の集中というものが起こったわけであります。  したがって、どのように公正取引委員会を強化するかということとともに、その方策を考える上で最も重要なことは、なぜ強化しなければならないか、こういうことだと思います。もっと複雑になってきているということではないでしょうか。余り具体的なお答えはできませんが、それは当然、さまざまな制度、システムの改革ということが考えられると思います。
  32. 正村公宏

    ○正村参考人 大変重要な御指摘だと思います。  公正取引委員会は、当然、私が主張しておりますようなその他の分野行政委員会を今後考えていかなければならない一つのモデルケースでもあると思いますし、その機能、権限をどう強化するかということを十分に検討していかなければならない、検討するだけではなくて実行していかなければならないと思います。  私は、日本の、さっき御体験のお話がありましたが、さもありなんですね。日本に限らないのですが、民主主義のもとで多くの国がそういう弊害に陥っていると思いますが、個別利益代表型になるわけですね。国会議員の皆さん方も、個別利益代表型と言っては失礼ですけれども、どうも個別利益を十分に考慮に入れないと議席を確保できないという現実があるわけでありますし、日本の場合には、労働組合まで企業別になっていますから、個別利害しか考えないのですね。サラリーマン共通の利害を考えないという非常に個別利益型になっていますよ。その個別利益代表型の仕組みが、経済成長の過程ではプラスに作用した、しかし、社会的公正を実現するという今の課題が前面に出てきたときには機能しなくなってしまったということだと思うのですね。  私が差し当たり申し上げたいと思うことが幾つかあるのですが、一つは、これは個々の議員の皆さん方がばらばらの行動で動いておられる限りは改善されないのですね。ですから、冒頭に申し上げましたような、どういう社会経済システムを目指すのか、その中で行政はどうあるべきかということについてのトータルな、全体としての見通しといいましょうか考え方を、それぞれの政党が十分に、個々の議員ではなくて政党として責任を持ってお示しいただくということが非常に課題ではないだろうか。  個々の議員さんはそれぞれの選挙区をお持ちでございますから、なかなか個別利害に踏み込んだ改革が言いにくいかもしれませんが、政党としては全体としてこういうことを考えているということをお示しになることです。その中に、公正取引のルールというのは極めて重要なのだ、これを、個別利害代表的な感覚ではなくて、日本社会全体のあり方として考えるということをお示しいただいて、政策として推進していただくと、国民にとってもわかりやすいというふうに思います。  それから、公正取引委員会はますます重要になりますし、その機能は強化しなければならない、課題は大変複雑になってきていると私は思うのです。実際に、消費者の立場というのですけれども消費者の立場といっても、短期的な消費者の立場だけ考えればいいのではなくて、長期的に、例えば研究開発がやれないような体制に企業をばらばらにしてしまっていいわけではありませんね。やはり研究開発をやって、長期的に社会の進歩、発展に企業が寄与することができるような条件を残さなければいけないわけでありましょう。  それから、国際的な関係になってきておりますから、私は、六〇年代から、貿易自由化賛成論を言うときに、公正取引のルールとか環境保全とかを強化して、外国の企業であるか国内の企業であるかを問わず共通ルールでもって規制するという、それを強化するということをやって貿易の自由化を促進すべきだという意見だったわけですが、今まさにそういうことが非常に重要になってきていますね。  そうすると、国際競争がありますから、国内におけるシェアが非常に高くても、国際的な競争の圧力が十分機能しているのであれば有効な競争が働いていると判定されますから、だから、この企業を分割する必要がないのだとかあるのだとかということを国民に納得のいく形で示す必要がありますね。そういう能力、つまり、国際化時代に対応した公正取引のあり方を考えることが必要になっているのではないでしょうか。  それから、もう一つつけ加えますと、私は、持ち株会社の禁止はやめるべきだというふうに、やめてもいいというぐらいに言っておきましょうか、とは思っております。持ち株会社を禁止するという制度は、実は財閥復活を防ぐために占領軍が入れてきた制度だろうと私は理解しておりまして、アメリカ本国でも、これはないわけであります。持ち株会社を認めるということになれば、事実上、それは表向きは持ち株会社ではないけれども実質的に持ち株会社のようなことをやっているところはたくさんあるわけですから、しり抜けになっているところもありますので、こういう一律の規制ではなくて、持ち株会社という制度をつくってもいいよ、そういう機関をつくってもいいよと。  しかしながら、それを撤廃するならば、実際に、間接的にいろいろな持ち株を通じて産業界を支配する動きは、危険は今だってありますし、持ち株会社になればそれはそれで出てきますよ。例えば、買収や何かにしても、これはむしろこの産業界競争を促進する方向に機能するのか、競争制限的に機能するかというのはケース・バイ・ ケースで調査し、審決していかなければいけませんよ。そういう能力を公正取引委員会は持っていかなければいけないのですね。そういうことをやることに生きがいを感ずるような人材を集める機関にしていかないと、私は、公正取引委員会はこういう国際化時代に長期にわたって国民の利益を守れないと思うのです。そういう観点で、公取のあり方全体を御議論いただきたいというふうに私は思いますけれども
  33. 河合正智

    ○河合委員 非常に本質的な、また日本の行く末を見詰める歴史観を持った御教示を賜りまして、そのことに感謝申し上げまして、質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  34. 石破茂

    石破委員長 伊藤達也君。
  35. 伊藤達也

    ○伊藤(達)委員 新進党の伊藤達也でございます。私は、東京の三多摩選出の一年生議員でありますが、引き続き質問をさせていただきたいと思いますので、どうかよろしくお願いを申し上げます。  先生方の今までの議論をお伺いしまして、大変本質的な、今までの規制緩和の具体的な問題点、そして課題についてお話がありました。私自身、いろいろ今までの先生方の議論をお伺いして、本当に何のための規制緩和をしなければいけないのか、そのための国づくりをどうやって進めていかなければいけないのか。正村先生からも御指摘がありましたように、政治家個人だけではなくて、政党もこの点について明確に自分たちの方向性を明らかにして、そして先生方からいただいた貴重な意見をもとに実質的な議論をしていかなければいけないというふうに感じております。  一方で、先生方からも、この点についてどういう国づくりをしていかなければいけないのか、そのために規制緩和というものをどういうふうにとらえていったらいいのか、その点についてお話をお伺いしたいというふうに思います。  内橋先生からは、今までのお話の中で、これからの日本の国づくりを考えていった場合に、市民社会の足腰をもっとしっかりつくっていく、そういう社会づくりが必要であるというようなことをお話しいただいたのではないかと思います。  正村先生からは、今までの日本というのは混合経済、その機能というものを十分理解して、その混合の組み合わせというものをしっかり組みかえていかなければいけない、その組みかえに当たっては、ルールというものを明確にして、そしてその自由というものを広げていく、そういう社会というものをつくらなければいけないのだ、こういうお話があったと思うのですが、両先生に、もう少し具体的にこの点についてお伺いできればというふうに思います。よろしくお願いをいたします。
  36. 内橋克人

    内橋参考人 より具体的に話せということでございますが、再び基本的な問題に戻るかと思うのです。  規制緩和の問題を考えます場合に最も重要なことは、ゴール、つまり目標地点ですね、それからそのゴールに到達するためのルート、道筋という、このゴールとルートというものを明快にすることが大変大事ではないかと思うのです。それは、まさに政治家の皆さん方に御期待申し上げなければならないことだというふうに思います。つまり、ゴールを描くというのは、日本社会がこれからどのような社会を目指すのか、あるべき姿をまず描くということがとても大事だと思います。そのあるべき姿をきちんと描くことができれば、そのゴールを目指すに当たっての最適のルートというものを築いていくことができると思うのです。ゴールは決して変えない、しかし、ルートは時代の変化に応じて、その時代その時代に最も適したものに変えていけばこれはよろしいと思うのです。  ところが、日本現実というのは全く逆のように私は思います。それは、逆にルートというものが先にある、ルートというものを緻密に築いていける、行政の方々がそうだと思いますが、きょうにあすを継いで、あすにあさってを継ぐというふうにいたしましてルートをとにかく緻密につないでいく、こういう人々が我が国においては尊敬される。そして、ゴールを描いてこうあるべきなんだということを説く人々は、どちらかと申しますとくちばしが黄色いとか青臭い、こういう批評を浴びせられがちですね。  こういうことから、本当に今必要なのは、二十一世紀ということをよく言いますけれども、二十一世紀を待たずとも、日本社会はどうあるべきなのか、それを人々の前に明快に示す。私などは、そういう点に関して極めて多元的な経済社会を目指すべきだということで、二つのセクターということを主張しているわけです。例えば、競争セクターも大事だけれども、もっと大事なのは共生していくセクターだ、そういう二つのセクターがきちんと築かれておれば、常にお互いに車の両輪のようにバランスをとりながら社会を極めて安定した性質のものに維持していくことができるだろう。それでは、そのために規制はどうあるべきなのか、規制緩和はどうあるべきなのか、こういう考え方をすべきだと申し上げているわけです。  具体的にということになりますと、もちろん、市民社会の足腰を強くするために何が必要か、これはもうさまざまにこれまでも私は書いたりあるいは発言したりさせていただいております。申し上げたいことは、やはりゴールとルートということでありまして、ゴールをどこに置くのか、ルートは変えてよろしい、ゴールは変えない、それほどの熱意が必要ではないか。  とりわけ、エネルギーとか環境に関しまして、デンマークにおきまして、あの低い自給率から、そしてそれを、再生可能なエネルギーを組み入れた新たなエネルギーの、つまり立国としてですね、変えていった。それはもう、やはりゴールをきちんと描いて、そのために何が必要かをきちんと政策選択をしていったからです。ですから、国際的な原油価格の変動に対して、原油の価格が安くなればどうするかといえば、国内のガソリンの値段は絶対に変えない、安くなっても変えない、それは環境税とかその他によって吸収していく、こういう政策を選択しているわけです。  現在では、規制緩和の名においてガソリンが安くならないということが不満の種になっておりますけれども、それでは、本来ガソリンは安くすべきなのか、ある一定の価格にとどめるべきなのか、それもやはりゴールとルートということで私たちは考えというものを定めていかなければならない、こういうふうに思います。具体例はそうしたことであろうかと思います。  以上でございます。
  37. 正村公宏

    ○正村参考人 大変基本的なことを御質問いただいていると思うのですが、私の考え方は冒頭に申し上げたつもりであります。  どういう社会経済システムを目指すのか、それはどういう暮らし方を国民に保障しようとしているのかということを意味するわけですが、そういう基本的な展望を示すということが一つ非常に重要だということを強調いたしました。しかし、それを示せばいいのではもちろんないわけでありまして、そういうものを明らかにしながら幾つかの具体的なブレークスルーをやる必要があるのですね。突破口を開くような幾つかの具体的な取り組みが必要だろうというふうに私は思います。  過去において、アメリカの経験、ヨーロッパの経験を見ましても、日本の場合もそうなんですが、社会経済システム全体が大きく変わるような、あるいは大きくかどうかわかりませんけれどもかなりの程度変化させるような改革というのは、一般論からではないのですね。一般論から演繹して一つの公式でもって社会を変えるというのは大体うまくいかないわけでありまして、やはり何に、どういう問題に直面しているかということから、基本的なビジョンは考えながら、それに沿って具体的な個別分野に取り組む必要があるのです。その意味では、例えば金融行政のあり方とか農業政策のあり方とか、それから今ここで議論されております独占禁止法の運用の仕方の問題とか環境問題とか、最終的には個別分野におけるブ レークスルーを考えていかなければならない。  ただ、それをアドホックに一つ一つつぶしていけばいいのじゃなくて、それが共通のある考え方に立って進められているという確信を国民の多数に持ってもらうことができるようにしないと運動になりませんよね。行政と政治の間のやりとりだけで何かができると私は思わないのです。やはり国民の一つの大きなムーブメントとして、運動として、社会経済システムのあり方についてこういう方向に向かって進もう、日本はここまで来たのだから、この先はこういうふうにという、そういうことがなければいけないと思うのですね。だから、総論と各論のいわば有機的な結びつきを創造していくという非常に大きな困難な課題に直面していると思うのです。  私は幾つか思い出すわけですが、一つは、具体的に改革を進めるイニシアチブはもう官僚機構には期待できない。既存の官僚機構が機能不全に陥っていることは余りにもはっきりしていますよね。残念ながら議会が機能しているとはどうも私は思えないので、お願いしますよということを申し上げたいのですが、例えばアメリカの例でありますが、ニューディールというのがあったのは御存じと思います。一九三〇年代にフランクリン・ルーズベルト大統領のもとでいろいろな政策を推進したのですが、あの時期に議会が決議をいたしまして、反独占政策に関する調査委員会、テンタティブコミッティーですから、臨時委員会特別委員会みたいなものをつくりまして、専門家を集めてかなり長い時間かけて、三八年だか九年だか忘れましたが、第二次世界大戦の直前ぐらいのときに大きなレポートを出しているのですよね。その成果が、すぐにというわけじゃないです、例えば日本の戦後の財閥解体を含めた独占禁止政策、反独占政策、日本にやってきた総司令部のスタッフがその影響をかなり受けているのではないかと私は思うのです。そういう歴史の大きな流れの中で、新しい方向を打ち出すということについてやはり議会がイニシアチブをとっている。第二次世界大戦後におけるアメリカの反独占政策の方向づけも、かなりの程度はそこで与えられているのですね。  それから、御承知と思いますが、イギリスの福祉国家づくりの基盤として非常に重要な役割をしたと思いますのは、一九四二年だったと思いますが、第二次世界大戦の戦争中であるにもかかわらず、議会は戦後の福祉国家づくりのための委員会をつくりまして報告書を出させているのですね。ベバリッジ報告といいますが、社会保険及び関連サービスに関する報告書というのは大変有名であります。これも議会がイニシアチブをとって、ベバリッジという人は、ロンドン大学の初代の学長をやられた経済学者でありますが、自由党の議員もおやりになった方であります。この方をチーフにして少人数の委員会でもって、これからの福祉のあり方について一貫性のある社会保険と関連サービスのあり方をどうしたらいいかということで膨大なレポートをつくっているのですね。これが第二次世界大戦後のイギリスの福祉国家づくりに非常に大きな影響を与えたと私は理解しております。  報告書を読んだチャーチルは、戦争が終わった時点でイギリスはこれだけのことをやる財力があるだろうかとつぶやいたというのですけれども、そういうことをやっている。これは議会がやっているのですよ、行政機関がやっているのじゃないのですよ。やはりそういう突破口を開くための具体的な仕事を――知的な仕事でなければならないのですよ。人間はやはり知的な要素に刺激されて統一行動をとるわけです。情報を共有し、方向性をみんなで見出して、これが行き過ぎると全体主義になってしまいますが、そうじゃなくて、やはり情報を共有し、方向性を共有し、そしてそれを具体的な政策において推進する、こういうことをやらなければいけませんね。行政機関ではだめなんですね。  私は、行政機関の審議会はもう断ることにしていまして、縦割り行政にいろいろちまちまサービスするのは学者として堕落だと自分は思っていますからお断りしているのですけれども、このごろは向こうも呼びに来なくなっていますが。今までつき合って非常に感ずることがあります。  例えば環境庁、国土庁は非常に重要な調整機関でありまして、中央政府がやるべきことの大きなものは、個別会議をやめて総合調整をやる必要があるのですね。その意味では環境庁や国土庁は非常に重要だと思いますけれども、御承知と思いますが寄り合い世帯なんですよ。大蔵省から来ている人もいるし、厚生省から来ている人もいるし、企画庁から来ている人もいるし、いろいろなんですね。それで、課長が二年たったら帰ってしまうのですよ。こういう仕組みでは腰を入れた環境行政できないじゃないですか。  だから、それをどう変えるかということについては、これは国会の皆さん方がはっきり提起していただいて、これを根本から変えようと。やはり本当の専門家が育つような行政委員会の組織をどうやってつくったらいいかという。環境問題、一つ一つ本当に議論しなければならない問題ですね。それを幾つか突破口を開く議論をなさったらどうかと。  繰り返しになりますが、議員の皆さん方の手に負えないなら、信頼できる専門家を集めて議論をなさったらどうですかというふうに思います。
  38. 伊藤達也

    ○伊藤(達)委員 引き続き、正村先生にお尋ねをさせていただきたいのです。  日本は人類史上経験をしたことがないようなスピードで高齢化社会に突入をしていく。したがって、これからの国づくりのあり方の中でも、活力ある福祉国家をつくっていくというのは一つの大きな目標になっていくだろうというふうに思います。  先ほど先生からお話があった中で、七〇年代後半から日本の貯蓄というものを国内の投資に向けていく、そういう流れというか工夫というものが日本は十分できていなかったのではないか。日本の経済力というものをもっと将来に向けての生活基盤の充実に充てていく、そのための工夫をどうやっていったらいいのかということを今本当に真剣に議論をしていかなければいけないというふうに考えているのです。  これは規制緩和議論だけではなくて、本当に行政の改革あるいは財政構造の改革という問題にもかかわってくると思うのですが、この点について、先生のお考えをお聞かせをいただければというふうに思います。
  39. 正村公宏

    ○正村参考人 御指名でございますので、とりあえずお答えをします。  これも先ほど申し上げたことでありますが、規制緩和をやりますときに、政府がやらなければならないことについて力を入れてやりながら、既存のさまざまな個別的な、産業別、企業別の介入、補助――私は農業補助金もいつも念頭に置くのです。日本の農業の足腰を本当に強くするような政策は必要だと私は思いますけれども、今までのような一律減反に象徴されるようなやり方では、産業政策としても間違っているし、所得保障政策としても間違っている。  産業を保護する政策というのは、必ずその産業で、例えば農業でしたら、大規模な農業をやって非常に経営が大きな方たちを優遇してしまうことになりますよね。そういうことをやりながら、つまり所得分配政策としても非常におかしい、資源配分上の政策としてもおかしい、産業政策としても間違っているということを随分おやりになってきているように思うので、この際それを見直す。見直すときに、これは切り捨てますよということではなくて、さっき申し上げたビルド・アンド・スクラップ、やるべきことを示して、そして整理すべきことを整理するというこの発想がやはり政治的な過程としても要るし、社会経済システムのあり方としても、国民生活の観点からしても必要なのであって、まず切り捨ててからということではないと思うのです。ですから、御質問にありました社会福祉、社会保障のあり方についてもそういう発想が要るのだと思います。  今までの日本では、何か国民負担率が一律何%以上になったら困るとか、そういう種類の議論が多過ぎましたし、何か非常に単純な、一般化された小さな政府論が横行し過ぎていたというふうに私は感じているのです。六〇%だと経済が滅びるけれども五〇%だったら大丈夫ということはないのですね。五〇%の負担だけれども政府がろくなことをやらないために国民の安心感が保障できない、五〇%しか政府が負担してはいけない、負担させてはいけないというふうに考え過ぎてやるべきことをやらないために、国内需要が縮小してしまって、そして対外黒字がなかなか減らないとか、不均衡は拡大する、失業率は増大するということであったら、何のための数字なのかわかりません。  ですから、負担すべきものはきちんと負担していただきながら、政府がやっている余分なことは、余分なことというか時代おくれになりつつあることは思い切って整理をするという考え方が私は必要だと思うのです。  ですから、ビルドすることによってスクラップができる、やるべきことを政府が示すことによって、国民に対して規制緩和に伴う痛みも――ある程度は痛みを伴いますよ。しかし、より公平で自由な活力のある社会を維持するためにこれは必要だということで説得しなければいけませんが、ある程度の痛みを伴うということを承知してもらう。しかし、ここはきちんと安全ネットが張ってありますよということをやらなければいけません。その意味では、福祉は非常に重要なのだと思います。  今、介護保険の問題がここまで議論をされて、どういうふうに政府がなさるおつもりなのか私は承知しておりませんが、しかし何らかの形で老後の不安を大幅に緩和することが必要であって、そのかぎは介護の問題なのですね。要介護状態になるリスクは何%かはすべての人が負っているわけですから、その人たちに対して、その場合にはここまでのことが公的介護のシステムでできますよということを今早急に確立することが必要です。  そのための費用はそんなに大変なことではない。年金や医療に比べるならば、要介護状態の人たちを介護するための公的サービスを供給する。サービスは公的ではなくてもいいのです、民間がやってもいいのですが、その費用をある程度公的部門から負担し、ある程度は受益者負担で年金から出してもらうという形でやる場合に、どれだけこれから負担増をお願いしなければならないかということについて冷静に考えれば、腰が抜けるほどすごいお金がかかるわけではありません。  ですから、しょうがないから垣根をつくって、こっちには使いませんよ、これは介護に使いますよということで負担増をお願いしてサービスシステムを構築するという真剣な取り組みをすることで、政府に対する信頼を取り戻す、確立するということですね。そのことを通じて、既存のいろいろな過剰介入を整理するという戦略も有効性を取り戻していく。今議論しているだけではなくて、本当に取り組むことができる、国民に納得させることができる。  そういう形で、私はこれはセットにして考えるべきだ。セットにして考えるということは、何もかもごっちゃにして雑炊をつくれという意味ではないのですね。介護の問題について総合的な問題提起をしながら、一日も延ばさないで、個別具体的にちゃんと具体化していくということですね。そういう取り組みが必要であろうと思っております。
  40. 伊藤達也

    ○伊藤(達)委員 どうもありがとうございます。  続きまして、内橋先生にお伺いをしたいのです。  先ほどの、これからの国づくりの方向性の中で、先生から二つのキーワードがございました。一つ競争という言葉、そして共生という言葉、この二つのバランスがうまくとれるような社会をつくっていく、それぞれを強化できるような社会をつくっていかなければいけない、こういうお話であったというふうに思います。また、先生の今までのお話の中で、規制の組みかえというものを時代に合った形でやっていかなければいけないのだ、こういうお話であったと思うのです。  その中で、私も読ませていただいて、先生も今のような論文の中で御指摘はされているのですが、どういう部分を市場に任せて、どういう部分を市場に任せてはいけない、その区分けをしっかりやっていかなければいけない。その中で、組み合わせの変化というものをやっていかなければいけないということだと思うのですが、特に市場に任せなければいけない部分は何なのかということについて、先生からこの点のお話をいただきたいというふうに思います。  私からしますと、特に新しい産業を育てていく、ベンチャー企業を育成していく、そういう意味での規制緩和というのは非常に大切ではないかというふうに思います。  私自身も八年前、短い期間ではありましたけれどもアメリカで生活をしてまいりました。先ほど先生から言われたように、そのときから規制のプラス面とマイナス面がきちっと議論されて、その中で規制をこういうふうに緩和をして新しい産業社会をつくっていこうという議論があったわけであります。その延長線上に、今日アメリカの経済が復活していった一つの理由の中に、中小企業が非常にたくさん起きてきた。日本は、開業率と廃業率を比べてみると、残念ながら廃業率の方が上がってきてしまっている。一方で、アメリカの方は中小というものが非常に元気を出して、そして新しい産業社会をつくろうとしているということではないかというふうに思います。  そういう意味からも、先生はこの点についてどういうふうにお考えになられているのか、お話をいただければと思います。
  41. 内橋克人

    内橋参考人 大変難しい御質問だと思います。しかし、二点お答えしたいと思います。  まず第一点は、日本において規制緩和を積極的に提言しているある経済団体がございますけれども、詳細にその提言書というものを読みますと、その中に、規制緩和の結果九百六十何万人かの失業が出る、こういうことを前提にしているわけです。九百六十何万人かの失業と申しますと、現在日本の就労者の人口というのは五千五百万あるいは六千万ぐらいだと思いますから、それで申しますと、まさに七人あるいは少なくとも十人に一人は、こうした規制緩和を徹底して行う結果として失業するわけですね。そうすると、そういう職なき人々一体どうするかという問題について、そういう政策提言というのは一体何なのだというふうな声を私ども上げておったのです。そういたしますと、新産業創出だと言い始めたわけです。新しい産業を創出するのだということですね。  では、その中身は何だということで申しますと、それも非常に詳細な提言書が出ておりますが、今おっしゃったベンチャーなのですね。ベンチャービジネスを起こせばいい。そうすると、九百何十万人かを超える、一千万を超える人口が新しい産業に吸収される。そのために労働の移動というものを自由にすればいいのだ、こういう筋書きでございますが、私たちはそれに大変に疑念を感じます。非常に強い疑いを感じます。  ベンチャーについては、第一次ベンチャービジネスの時代からずっとフォローアップをいたしまして、昭和四十年代半ばに誕生したベンチャービジネスがどのような運命をたどったかということについてもよく承知をいたしております。ただの一社も残ってはおりません。ベンチャーに求められる条件というのは数年間に何百倍という成長をしなければなりませんが、そうしたベンチャー、これは一か八かでありますけれども、まさにそれが本当に可能なのか。  ですから、その提言書を拝見いたしますと、いや、実は大企業がベンチャーをやるんだ、コーポレートアライアンスなどと格好よく書いてありますが、そういうことからベンチャーは必要であると。もちろん、人々の自由な発想によって新しい 技術、新しい産業を起こしていくということはとても重要だけれども、それがあなた方が言うほど雇用の問題を解決するように可能なのか、こういうことを私たちは声を上げているわけです。  二番目の問題につきまして申し上げますと、やはり何を任せるべきかとともに、最も重要なのは何を市場原理に任せてはならないかです。  私は三つの点があると思うのですね。それは、第一は食糧です。それから二番目はエナジーだと思いますね。つまりエネルギーです。それから三番目はケアですね。私はそれをFとEとCをとりましてFECと呼んでいるわけです。ケアの中には高齢化社会に対応するさまざまな問題、あるいは雇用ということも含んでいるのですが、このFとEとCについて、少なくとも政治家の方々がいろいろな公約をなさったりあるいは信念をお述べになるときに、FとEとCについて一切触れていないような御発言というのはほとんど夢物語だというふうにさえ思うわけです。  要するに、少なくとも食糧それからエネルギーそしてケアという、これは高齢化社会に当然必要なんですが、同時にそれは、単に高齢化した社会への対応というのみならず、雇用の問題も含めてとても重要だと思います。  とりわけこの雇用につきましては、日本における大変低い失業率というのは、トンネルの入り口でシャットアウトしているわけですね。つまり、若い人々を入れない、それからトンネルの出口からはどんどん排除をしていく。つまり、高齢者、六十歳、五十五歳以上の人々の失業率というのは大変に高い。完全失業者の中の二二%以上が高齢者の失業者ですね。失業者というのは、働く必要があって、働く能力があるが仕事がないということですよね。これは、年齢で各国ともに、例えば年齢差別禁止法とかその他によってほぼ相似形になっているわけです。ほぼもう同じになっているのですね。年齢によってそれほど大きな違いはないというのが現在の雇用問題に対する対応の姿勢だと思いますが、日本は、若い人々を高い失業にし、そして高齢者を高い失業にする、失業者をそちらの方に押しやって辛うじて三・何%かを維持しているという状況だと思います。  そういうことですから、今御質問のお答えになるかどうかわかりませんが、これからの問題、F、E、Cという三つは、少なくともいうところの市場原理というものに任せてうまくいくとは思いません、それはあるべき姿を考えますと。こういうことでございます。
  42. 伊藤達也

    ○伊藤(達)委員 実は私からは、どういう部分を市場に任せたらいいのか、この点について先生のお考えをお伺いしたかったのですが、また別の機会にお願いを申し上げます。  時間が参りましたので、これにて質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  43. 石破茂

    石破委員長 吉井英勝君。
  44. 吉井英勝

    ○吉井委員 本日は、お二人の参考人の先生方にはお忙しいところどうもありがとうございます。  これまでのこの委員会出席していただいた参考人の方々は、どちらかといいますと規制緩和推進のお考えの方、あるいは行革委や小委員会のメンバーの方たちでありましたので、批判的見地というのはきょう内橋参考人のお話がほとんど初めて、こういうことにもなりますので、そこで私、十五分の私の持ち時間の中で、主に内橋参考人の方にせっかくの機会ですのでお聞きしておきたいと思います。  一つは、規制緩和万能論とでもいいますか、そういう中で、従来航空の問題などがよく論じられ、それに対する批判的な見解もありましたが、最近この航空問題では、アメリカのバリュージェット航空の旅客機がフロリダ州のエバーグレーズの沼地に墜落した。非常に蛇やワニの多いところで大変だという話も伝えられておりますが、このバリュージェット航空というのが、航空運賃のディスカウントを徹底的に進める中で、古い航空機の買い付けとか整備の手抜きなどで事故発生率が極めて高かったということなども既に報道されておりますけれども、これは一つの問題だなというふうに、近い例では思っているところです。  もう一つ日本では規制緩和で逆に航空運賃が上がって、先ほども少しお話ありましたが、鹿児島の商工会議所などから南九州等遠隔地の航空運賃引き下げと現行制度の存続を求める要望書なども出されてきております。こうした具体的事実を見ていくと、規制緩和万能論というのは既にもう破綻が始まっているというふうに思われるのです。  そこで、私は、航空機だけに限らないで、航空など主として交通、運輸の分野規制緩和というものをどういうふうにとらえていくかという、この点についての内橋参考人の御見解を伺いたいと思います。
  45. 内橋克人

    内橋参考人 航空問題につきましては、「規制緩和という悪夢」の中でグループ二〇〇一が詳しく分析をいたしております。このことに関していろいろな誹謗、中傷がなされておりますが、これがまさに客観的な現実であったことを裏づけるような著作が間もなく日本でも翻訳、出版されるというふうに伺っております。  それはともかく、今のバリュージェットですね、まさに規制緩和一つの帰結だと思います。  それで、既に「規制緩和という悪夢」の中では、当時米国第五位であったUSエアの状況について詳しく触れております。USエアは、規制緩和が生んだ、まさに規制緩和の申し子としての航空会社でございますけれども、それがどのような事故を起こし、そしてだれがそれを報道したか。これはまさにニューヨーク・タイムズが調査、報道をやりまして、二人の記者がUSエアを調査しまして、ニューヨーク・タイムズに三面ぶち抜きで特集で報告をしたわけなんですね。そのUSエアにおける死亡した、つまり航空機事故によって犠牲となった人の数は実に二百三十二名に及んでいるのです。バリュージェットは、まさにこのUSエアのある意味では次に生まれた子供であろうと思います。  規制緩和によってある時期、なるほど、人々が言っているとおり、運賃が下がったりたくさんのニューカマーが生まれてきました。しかし、一九七八年から一九九二年の間の経過というものを長期のスパンで分析したわけでありますけれども、そこで発見されたことは、まさに規制緩和のパラダイスが生まれたのは最初の数年にすぎなかったということなんですね。  もっと重要なことは公共性の攪乱でありまして、採算の合わないところからは撤退することが自由であるということによって、全米百四十五都市、これはどんどん膨らんでいくのですが、そこは足を失ってしまいました。飛行機が飛ばなくなりました。同じことは日本でも、先般の航空審議会の答申書によれば、最終的には採算の合わないところから撤退することは自由である、運賃の値上げも自由である、そういう答申がなされておりますけれども、この答申どおりまいりますと、まさに公共性が攪乱されてしまう、乱されてしまうという現実が起こると思います。  バリュージェットのケースはそうした最後最後に行き着いた姿だと私は思いますが、これを規制緩和との関連でとらえた日本のジャーナリズムはとても少なかったと思います。しかし、なかったわけではないと思います。やはり、どのようにして競争運賃、破壊的競争が進展していったのか、その後詳細に我々は他山の石として調べる必要があると思います。  日本においても、現在のようないわゆる企業行動完全自由化運動という側面を持った規制緩和が進んでまいりますと、公共性が攪乱されたり、それからこうした安全の問題ですね、安全というのは予防でありますから、化粧品の問題についてもそうでございまして、例の顔面黒皮症という問題があったので化粧品の成分を表示しなければならないという過去のいきさつがあるわけですね。  そういう必要性について、今値段が高いからや めろという議論になっていくわけですが、それでよろしいか、そういうことがお答えになるかどうかわかりません。しかし、自己責任原則ということを言うのであれば、自己決定権も人々に与えなければならないわけですね。我々は情報というものも得ていない、その中で、あなたの責任だよ、消費者は甘えているということを言われましても、我々としては納得ができないということだと思います。
  46. 吉井英勝

    ○吉井委員 次に、規制緩和との関係で問題になってまいりますのに、大スーパーの進出問題、大店法規制緩和問題というのがよく論じられているわけですが、既存の商店街というのは、これはお祭りとか消防団とかそれからボランティア活動など、直接的でない町づくりのコストを負担してきたというのがこれまでのところだと思うんです。そういう歴史的な積み上げがあり、また固定資産税とか都市計画税とか、税としての直接の負担もしてきて、そういう中でつくられてきたと思うんですが、そうして買い物のできる地域社会があり、人も集まり、自治体も一定の負担をする、これでつくられてきた中に、今度大スーパーが進出してくるときに、企業の側から見ますと、消費購買力にだけ着目をする、そしてそれ以外の、その購買力が集積された地域社会形成に至る地域住民の社会的費用の負担とか、逆にそれに見合う負担をみずからしようということは全く計算外。これでは、自由で公正な競争だ何だといったって、出発点からして全然狂っているじゃないかということにならざるを得ないと思うわけです。もし社会的費用などのコストの相当部分を負担するとなれば、必ずしもその地域に進出するメリットがないということで、大スーパーが果たして進出するかどうかということも問題になってくると思います。  そういう点では、規制を加えるコントロールという面で、大店法というのは必ずしもそういう仕組みをつくったものではありませんが、ただ結果的に、大店法によるコントロールによって実質的なそういうコントロールがなされていったという面は、率直に言ってあったと思うわけです。それを関係業者の利害調整だけでしかないというふうに見るのは、私はどうかなというふうに思うわけです。  ですから、消費者にとって真の利益とは何なのかという視点とともに、社会的コストの負担も行って、やはり公正な競争条件を守らせていくというふうな、そういう視点も持って大店法規制緩和問題について考えなきゃいけないんじゃないかなというふうにも思うわけですが、この問題についての内橋参考人のお考えを伺っておきたいと思います。
  47. 内橋克人

    内橋参考人 先ほどフランスにおけるロワイエ法のお話をいたしましたけれども地域を形成している商店、極めて小規模専門店をどう守っていくかということが、ヨーロッパにおいてはもう大きな潮流です。  それで、小売店はこれまでどのような役割をコミュニティーの中で果たしてきたかということを考えてみると、もちろん雇用という問題がありますね。そこで働く場があるということでありますね。大企業とか既存の企業に雇われなくとも、被雇用者にならなくとも働いていくことができる、食っていくことができるという、そういう形の自立した、つまり働き方が可能な場所だと思いますね。  そういう意味で雇用ということもございますが、同時に、今おっしゃいましたように、二番目に、地域社会に対して数字にはならない下支えということをやってきたと思います。それは、実際、高齢化社会を支えているのはだれかといえば、地域の極めて小規模な零細店なんですね。それでいまだに、地方都市に参りますと、昔とは少し違いますが、御用聞きの方が実際に回っていらっしゃる、あるいは電話で済ませてそして夜配達をする、そのついでにそこに住んでいるお年寄りお一人お一人に実際に健康にきょうも無事であったかと声をかけているわけですね。  こういうふうな役割というのは、先ほどのいわゆる生産性とかあるいは消費の量とか、そういうことによる数量的な数値化できない部分だと思います。それを、これから本当に私たちが成熟した社会に生きていくのであれば、その数字にならない部分を評価をしていくということが大変に大事ですが、現在の大店法改廃問題というものを拝見しておりますと、むしろがけっ縁に立って飛び込もうかと思っている人を後ろから押す、突く、そういう状況にあるんではないかと思います。  これは、地方都市に参りますと、九州なんかではもうしばしばお目にかかるところであります。人口四万五千人ぐらいのところで、わずかなところに、二万八千平米もの大規模なスーパーが進出をする。それで調整して一万四千平米にすると、それは規制緩和流れに反するということで、学識経験者の方々がまたこれを一万八千に拡大する。そうすると、また次がやってくる。どうせ小さくなるんだから初めからもっと大きくやろう、こういう状態が今現実に進んでいる。そして、採算が合わなくなれば撤退をする。撤退をした後どうなるかといえば、小売店はもはやもとに戻れない、そういう地域がもう日本全国あるわけですね。  こういう状況を判断いたしますと、私は都市のあり方はどうあるべきなのか。先ほど申し上げた持続可能なコミュニティー、社会、市、都市とは一体何なのだ、こういうこともやはり考慮の中に入れながら、実際に徒歩圏、自転車圏、その中で用を果たすことのできるような、そういう都市のあり方が今理想として求められている中で、日本の中小の小売店あるいは商店街、見直すべきではないか。現に、そういう形で地域の環境保全のために商店街が一生懸命やっている、あるいは売上高の二%をそれに寄金するとか、たくさんの行動が今起こっているんですね。これは東北なんかでは特に目立ちます。そういう運動を私たちはやはり支持して、支援していくということが第一ではないであろうか、こういうふうに思います。
  48. 吉井英勝

    ○吉井委員 あと二分ほどになってまいりましたので、最後にもう一点、著作物の再販制度の問題について伺っておきたいんですが、この問題で大事なのは、やはり自分の考えを著作物にしたい、出版したい、世に問いたい、こういうときに、大小の出版社があって、みずから出版したいというときにだれでも出版社にアクセスできるということが一つ大事な要素ではなかろうかと思うわけです。それが実質的に出版活動、言論、表現活動が保障されるということになりますし、もう一つは、本屋へ行っても、売れ筋のものは確かに並んでいるんだけれども、もっといろいろなものにアクセスしたい、それが保障されないということになりますと、これはやはり困った社会であるわけで、私は、そういう点で、多様な著作物にアクセスできる、その両面があってこそ民主主義というものあるいは文化というものが守られ、発展していく土台なんじゃないかなというふうに思うわけです。  そういう点で、著作物のこの再販制度というものを考える上では、私はそういう視点が今求められているんじゃないかと思うんですが、この点についても内橋参考人の御意見を伺っておきたいと思います。
  49. 内橋克人

    内橋参考人 もうおっしゃるとおりだと思います。再販問題については、私もかなり何度も発言をいたしておりまして、最も重要なことは、私たち社会を民主的な社会として維持していくために最も必要なことは、少数者、少数派の意見を尊重していく、少数派の意見というものを世の中に知らしめる、少数派がやがて常識になり、多数派になっていく、そういうふうな健全な形、それをどう維持するかということだと思いますが、現実に著作に関する再販が廃止されてまいりますと、そうした少数意見がまさに世間に対して一種のお目見えといいますか、こういう意見もありますよ、あるいは著作物が本屋において、こうした値段は少し高いかもしれない、部数の少ない、平積みはしていない、しかしこれは委託販売で、今委 託されている、売れなければ返す、しかし一たんは皆さん方の目の触れるところに並べましょうと。  これは現在何によって可能かといえば、現在の再販によって可能なのですね。そういう人々のあるいはそういう少数派の意見というものが、もし現在の再販制度検討小委員会のおっしゃるような方向で廃止をされれば、恐らくもう既に始まっていると思いますが、ブックコンビニですね、コンビニエンスの本屋さん版という、これは九州においては、私も大分空港から臼杵とか佐伯とか南に向けてずっと見学して歩きましたけれども、もう既にブックコンビニエンスというのが大変な勢いで成長しているわけです。そういうところでは、セブンイレブンと全く同じように、もちろんセルフサービスでありますけれども、まさに、並んでいるCDとか、あるいは並んでいる書籍とか並んでいる雑誌を見ますと、大変に偏りがある。売れるものという、偏りがとても激しいと思います。  そして、先ほど申しましたような、少数派といいますか、売れないかもしれないけれども非常に貴重な意見であるといったもの、歴史として残すべきもの、そういうものはそういう本屋から追放されていく。そういうものが出てまいりますと、その近くで必ず古い形の本屋さんがつぶれているのです。つまり、これはまたリプレースメントが行われているわけですね。  古い本屋さんはどのような役割を果たしてきたのか、新しいブックコンビニエンスは今何をしようとしているのか、これを実際に調べてごらんになれば、著作物に関する再販というのは、もちろん細部にわたって問題はございますけれども、基本において守らなければならない、私はそう思います。
  50. 吉井英勝

    ○吉井委員 どうもありがとうございました。  時間が参りましたので、終わります。
  51. 石破茂

    石破委員長 以上であらかじめ申し出のありました質疑は終了いたしました。  この際、委員各位に申し上げます。  予定の刻限をかなり超過いたしておりますが、これより特に重ねて質疑のある委員は、挙手の上、委員長の許可を得て御発言願いたいと存じます。――御発言ないものと認めます。  以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人の方々におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。      ――――◇―――――
  52. 石破茂

    石破委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  規制緩和に関する件調査のため、参考人出席を求め、意見を聴取することとし、日時、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  53. 石破茂

    石破委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時五十二分散会