○小野
委員 今大臣は、完全な安全、安心と、
現実はそうはいいながら問題が起こり得るというこの落差をいかに埋めるかということが
原子力行政の最大の課題であるということをおっしゃられまして、それを実現する姿勢として、
情報公開であり、謙虚であり、そして安全に対する慎重さというような要素をお取り上げになられました。私は、今お話をお伺いしながら、先日亡くなられました司馬遼太郎さんの言葉をちょっときょうは準備させていただいたのですが、まさに大臣がおっしゃられることと一緒だなという印象を持ったわけでございます。
それはどういう言葉かと申しますと、司馬遼太郎さんが日露戦争のころのことを描いた文章でございますけれ
ども、ちょっと御紹介をさせていただきたいと思います。
日本海海戦勝利を経て、日本がロシアに勝利した後、大山巌、児玉源太郎は、
早期講和を戦勝にうかれる東京に要請した。
それは、彼らが日本の国家は、まだ、ひ弱なものでしかないということを、徹底的に
認識していて、それを戦略と政略の基礎にしていたからである。それだけではなく、彼らは自分達こそが、日本国家を作ったという実感があり、国に対して薄いガラスの器を扱うような感覚があり、それに対する
責任意識も強い。
弱者だから、常に臆病で、常に危機感があり、綱渡りのように、一歩踏みはずしたら奈落の底だという意識が、彼らをして、知者たらしめた。
という文章でございます。
人間というのは、またいかなるものであれ組織というものは、悲しいことでございますけれ
ども、厳しい
環境を一度脱して、他人から褒め言葉をいただくような
環境になってくると必ず油断が出てくるものでございます。また、その油断とともにおごりも出てくるところがあると思います。しかしながら、大きな力を持つ者は、その
責任において決して細心の注意を怠ってはならないし、またおごりを持つような人生姿勢を持ってはいけないというふうに私は思います。
大臣は以前、実体がないにもかかわらず期待だけで膨らんだバブル的なものは、経済であれ政治であれ必ず破裂してしまうのだということをあるテレビ討論会の席で言っておられたのをお伺いしたことがございます。私は、この
原子力の問題におきまして、実体として、実質として私たちが決して忘れてはならないものというのは、絶対的安全と世界人類への貢献という目的意識、この二点であろうと思います。この両者を忘れて表面的成功に浮かれるとするならば、それは必ず、力を持つがゆえにバブル的感覚に陥りがちである、そしてそのバブル感覚は必ず大きな失敗を導き出してしまう、こう感じているわけでございます。今回の
事故の
報告書を全編読ませていただきましたけれ
ども、技術的解明、また
科学技術庁自身の問題、
動燃の問題、さまざまな視点が持たれているわけでございますけれ
ども、もう
一つ、やはり本質の
部分にさかのぼってどうあるべきかという議論もこれから必要であろうかと考える次第でございます。
ところで、最近、京セラの会長の稲盛和夫さんが「成功への情熱」という本をお出しになられました。これを私は読んでみまして、京セラという会社が、アメリカの企業、経営がうまくいかなくなった企業を買収したときにまず何をしたかというと、心から相互に
信頼し合う
関係をつくり、そのために基本的な思想における共有
関係を持つことの必要性を唱えたということでございました。アメリカという国は非常に個人主義的な国でございますから、思想の面まで、親会社といいながら、そんなものを持ち込んでくるということに対しては会社内挙げて大変な反発があったそうでございますけれ
ども、その反発を超えて説得に
努力をしながら最終的に役員皆さんの共感を得たときに、この会社は見事に立ち上がって立派な収益を上げる企業になった。その実績をもとにして、アメリカで出版した本をもう一度日本語に訳したのがこの本だということでございます。
この本の中で基本を貫いている
部分の
一つの柱に、成功の方程式というのがあるわけでございます。それはどういうものかというと、あるものの結果、ここでは「人生の結果」ということで書かれているわけでございますけれ
ども、それは「
考え方×熱意×能力」であるというのであります。そして「熱意」や「能力」というのは、全く何もないならゼロである、一番フルに発揮したら一〇〇である。だから、ゼロから一〇〇までの幅を持つのが「熱意」であり「能力」である。ところが、もう
一つ残りました「
考え方」というのは、これは悪い方向に「熱意」と「能力」を持って作用すればマイナス一〇〇になってしまうんだ、それに対して、いい方向でベストを尽くしてやればプラス一〇〇になる。だから、マイナスからプラスまでの非常に幅広いものを含むものであって、まず一番大事なのはこの「
考え方」の
部分ではなかろうかということを語っているわけであります。
そこで、この
部分に非常に私は示唆を感じたわけでございますけれ
ども、日本はいろいろな大きなプロジェクトを推進するときに、外国からその技術
体系を導入してまいりました
関係上、その管理手法というものも同時に外国から輸入をしている
部分があると思います。その外国というのは多くの場合に、日本の場合はアメリカという国でございましょう。ですから、非常にアメリカ的な個人主義的な
考え方をもとにして、大きなプロジェクトにいかにトラブルが少なく、また期日内にそれを実現できるかという視点に立つプロジェクト運営をやってきたように私は思います。恐らく、今回
事故を起こしました「
もんじゅ」の開発におきましても、かなりの
部分このアメリカ流の管理手法を導入しておられるだろうと思っております。
しかしながら、この稲盛さんの本を読んでみますと、むしろ私たちに今必要なのは、そのドライな手法というものを超える開発者間の心の交流であり、また
考え方の共有であり、そして全体を個々の人が見詰める視点というものなのではないだろうか、こんなことを感じたわけでございます。技術領域が今大変細分化されてまいりますと同時に、
責任や権限もミクロ化をしております。技術者は、自分の存在する場所もよくわからない、一個の歯車として仕事を推進することを余儀なくされております。
私は、このようなビッグプロジェクトの管理手法をこの際やはり見直すべきではなかろうかということを感じている次第でございます。研究者や発注者、開発者、
施工者、いろいろな人が絡みながら大きな計画を動かしてまいるわけでございますけれ
ども、その皆さんが、単に全体の中の一部を担う存在というのみではなくて、全体として大きく
考え方が共有されながら、ある意味では
一つの方向に向かっての運命共同体であり、さらに言うならば使命共同体であるというような
認識を涵養しつつプロジェクトを進行させるということを日本的な管理手法として再
認識をする必要があるような気持ちがしております。
この
報告書を見ますと、マニュアルを再
点検をして、マニュアル上でトラブルが起こらないようにという
観点から今後の方向を考えておられますけれ
ども、それのみではなくて、先ほど言いましたように、開発側の皆さん方が心の共有をいかにしてなし得ていくのか、また、仲間として、他人の領域であったとしてもおかしな
部分についてはきちんと指摘をし合っていきながら、よりよきものをつくっていくというような気持ちを持ち合うような運営というものが実現できるためにはどうしたらいいのかというような
観点をこれから大事にしていかなくちゃならないような気持ちがしているわけでございます。
ちょっとこれも抽象論に終始するようなお話を申し上げてしまったわけでございますけれ
ども、大臣におかれましては、このような視点から、開発側の皆さん方が心や
考え方を共有し合うような
体制をつくっていくというようなことに対しまして、どのような御所見をお持ちになられますでしょうか。