○
武田邦太郎君 前回の
委員会に引き続きまして、若干時間をいただいて
日米安保についての
大臣の御意見を伺います。例によって基本的な、いわば長期的視点に立った話でございますので、御辛抱いただきます。
日米安保というものがどういう役目を持っているかといえば、常識的に言って三つあると思います。
一つは、中国とか北朝鮮の
軍事力に対して
日本を守る。これは軍事的空白を埋めるとかなんとか抽象論的な言葉がありますが、こういうことはちっともわからないですね。はっきり言えば、中国、北朝鮮を主とする近隣の
軍事力から
日本を守る、これが一つですね。
もう一つは、これはこの前申しましたが、中国からイラクにかけての
アジア、
中東へのにらみをきかす
アメリカの軍事
戦略の最大の拠点として
沖縄その他がある。これは必ずしも
日本を守るだけの
意味ではない、より多く
アメリカの軍事
戦略の拠点として使われている、これが第二点。
第三点は、近隣諸国は、
日本がまた
軍事大国になりあるいは核兵器を持つかもしれないから
アメリカに抑えてもらおう、こういういわゆる瓶のふたですね。これは我々の方ではなくて近隣諸国が、中国なんかもそうらしいですけれ
ども、本当は
日米安保は嫌なんだけれ
ども、もっと嫌なのは
日本が
軍事大国になるのは困るから
アメリカに抑えてもらおう、この三つだろうと思うんですね。
ところが、この三つはことごとく我々にとっては好ましくありません。この前、私の見解は
大臣からごらんになると小さな軍備での中立を守る
立場というふうにおっしゃいましたが、全くそうではありません。できれば軍備は持ちたくないんです。そして、
アメリカに対しても中国に対しても、もちろん北朝鮮その他の国々に対しても中立じゃないんです。積極的に戦争をやめると、戦争によって国を守るという
立場は必ず相手をも傷つけることになるから、お互いの平和と安全には適合しないと。
特に核兵器のあらわれた後においては、核兵器は抑止とかなんとか言うけれ
ども、抑止にはならないんだ、抑止になるならばすべての国が核兵器を持てばいいので、これをだれかがフランスの大使に言ったら大使は参ってしまったそうでありますけれ
ども、抑止というのはいいかげんな言葉であって、抑止力は核にはありません。それは眼前の事実だけとらえているのであって、そういうことを十分に頭に入れて、私は少しでも早く
日米安保が不必要な条件をつくっていくことが正しいと。
ややもすると未来永劫に
日米安保を守らなければ
日本は立っていかないかのごとき錯覚が横行するのでありますけれ
ども、少しでも早く
日米安保の要らないように、それはこの前も若干申しましたが、中国や北朝鮮が
日本を攻めるような条件をなくしていく。簡単に言えば本当の親友になると。もちろんその場合には
アメリカを敵にしてはならない。
アメリカをも心からの親友にして、まず第一に、
大臣も賛成なさいましたが、日中米が心からの親友になる。この可能性を信ずるならば少しも早く、先ほど照屋
議員がおっしゃいましたけれ
ども、今後二十年の間に基地を返すんだと。時間は十分にあります。これからの二十年は過去の五十年以上の速さをもって歴史が進むのです。この二十年の間に
アメリカの基地を
アメリカの心からの賛成において解消することができるかできないか。
日本はややもすれば各国の動く間をうろうろ歩いている、ちっとも歴史をみずから打ち開く努力をしないという批判があるかに聞きますけれ
ども、それは困るわけです。これだけの
経済力を持ち、どうしても我々は過去の戦争の反省の上に立ちまして
日本が世界平和の先頭に立つんだと。こういう
意味で、まず核の廃絶は
アメリカが唱道しろと。第二次大戦で勝った国は核兵器を持つ、ほかの国は持つな、そういうことが長く国際間に通用するはずはまずない、これが歴史の論理だろうと思うんですね。
アメリカのような国がまず核兵器を廃絶するから、持っていない国は持ちなさんな、それだけの努力があるならばもっと国民の生活
レベルを高めなさいとか、そういうふうに言うのが指導国のトップたる
アメリカの言うべきことだろうと思うんですね。
私はどこまでも
アメリカと仲よくなりたいので、まずこういうことも、
大臣は今後とも長く
日本の政治を担う重要な
政治家だと期待するのでこういう抽象論を言うのでありますけれ
ども、
アメリカに向かって堂々と核廃絶の先頭に立ちなさい、人類史においてあなたの国はさん然と輝くだろうというぐらいのことは、やはり国連の広い
立場でもいいし、あるいは親しい間柄の食事のときでもいいから、ああ、
日本の
外務大臣はいいことを言ってくれた、あれが本当の親友だと思われるような発言ができないかと。もちろん中国に対しても同じことです。そういうことが第二点ですね。
第三点は、現在の
情勢はどんどん変化するんですね。今の
情勢ではもう
日米安保以外に行き道がないように思われるかもしれないけれ
ども、さっき申し上げたように、今後の二十年は過去の五十年以上の変化がある。その変化はどういう方向に変化するのか。防ぎ得ない重大な変化は途上国の前進であります。途上国の前進でありますから、これは相対的に先進国はむちゃなことは要求できない。そういう
状況でありますし、やがて先進国が途上国に援助するのは、富める者が貧しい者に施し物をするんじゃなくて、当然の責務として知性とヒューマニズムにおいて
経済援助をする。もちろん軍事援助は絶対にやらない、こういうことであるべきだろうと思うんですね。
ちょっと私も口が滑り過ぎまして、農業について申し上げる時間が参りました。
大臣のお返事をいただいているとそっちの問題ができなくなりますので、こちらの同僚と同じように、この次にやっていただきます。
それで、農業についての問題は、今、大部分の人が
日本の農業というものは自由化に耐え得ないと思っているんですね。だから、農水省でもどれぐらい伸びれば自由化に耐え得るという基準を持っておりません。輸入価格と
国内の価格とは、幾らか品質の違いはありますけれ
ども、算術的に言えば五倍から六倍の格差がございます。ところが、五倍から六倍の値段で売って農業者一人当たりの年間付加価値は二次、三次産業の方が三倍半くらいあるんですね。それを掛け合わせれば二十倍です。だから、農業側の生産性が一人二十倍になれば輸入価格とバランスしながら都会並みの収入が上がるというそろばんが成り立つわけです。しからばそれはできないかと。
農水省は、御承知のように、平成四年の新政策では一戸当たり十ヘクから二十ヘクと、こう言っております。私が申し上げているのは、三十ヘクあれば十分なんです。そうしますと、十ヘク、二十ヘクにするのができて三十ヘクができないかというと、そういうことはありません。むしろ三十ヘクの方が農家が希望と自信を持って立ち上がる条件ができまして、平成四年以後、農水省はちっとも農村に工作しておりませんから、新政策についての農村の理解は全くできておりません。市町村もそれをやるという意気込みはできておりません。
ここで、このAPECをチャンスといたしまして、あなたたち、自分の村がどういうように若者がいなくなってどういうように農業がつぶれつつあるかという現実をよく知りなさいと。ことしは農業センサスの年でありますから、これはもう手にとるようにわかります、ことしの暮れごろには。ああ、おれの村は、おれの町はかくのごとく農業がつぶれている。若者は十人ちょっとしかいない。我々が年とったら後はもうやる者はいない。こういう実情をよく見て、ある家は息子が三十ヘクやるのか、それとも相当の小作料を取っておれの方は地主になるのか、二つに一つを選びなさいという決意を、盆、正月、その次の盆と三回ぐらい家族
会議を開いて、一軒一軒の農家の方針を確定させなけりゃだめだと、私はこう言い続けております。これが第一。
第二は、大学試験場あるいは
地域の前
向きの農家が協力して、これくらいの農業ができれば自由化されても大丈夫だというモデルファームをつくって農家あるいは国民の眼前に提示する。こういう段階を踏まないでいきなり政策を出したって、それはやろうとはいたしません。
そういうことで、時間が参りましたが、お金は十分にあるわけです。第四次土地改良長期計画では四十一兆円を計上しております。しかし、
日本の平野部にある二百万町歩の田んぼを自由化に備えるように、稲作の国際競争力をつけるのに幾ら金が要るかというと、四十一兆円の中で半分も要りません、四割あれば十分でしょう。したがって、先ほどの
沖縄の基地返還の二十年ではありませんけれ
ども、十五年あれば十分です、これは。
もう時間が来ましたので、お招きあれば幾らでもお伺いしていきますが、とにかく議長国として、みんなが自由化しろと言っておるのに、おれの方はできないといって逃げ回るような醜態だけは演じないように。
大臣は直接は担当なさらぬでしょうけれ
ども、直接の担当の方々にとにかく頑張ればやれると。これはもう農水省の
人たちはよく知っているんですよ、私が何回も言っているから。だから、それをやろうとするのかしないのか、それだけの話でありますので、これから先、
日本が国際間で大いに発言するためにも、農業の自由化に対してはこの前は時間さえ与えればやるとこう申しましたけれ
ども、本当を言えば十五年で余ります。ぜひお願いいたします。
終わります。