○正森
委員 今御説明がございましたが、時間の
関係で詳しくは申しませんが、第二説というのが田上穣治教授の説であり、第三説というのは佐藤功教授などが主に唱えておられる説であるというように私は
理解しております。
そこで、第一説が現在のところ通説になっておりますが、この点については、今我が国であるいは文明国で宗教団体が統治権を直接行使するなんというようなことは考えられないので、この説は多分に沿革的な意義を有するにすぎないという批判もあることは事実であります。そこから第二説、第三説が出てきたわけであります。
そこで、それを
前提にして議論を進めたいと思いますが、九月の十九日に朝日
新聞の社説が出ました。また、昨年の十二月二十三日付の社説では、「教団にとって選挙とは何か」という社説が出ました。これが言ってみれば創価学会の選挙活動について触れたものであるというように思われておりますために、ここに持ってまいりましたが、九月二十日付の公明
新聞に、これらは制限的宗教観であるという見出しのもとに、非常に激しい反論が載りました。この反論は、当然のことながら最も狭く解する第一説ですね、それを採用した上で、こう言っております。
「宗教が選挙という一般的
方法を通じて政治に
意見を反映することには寛容であり、」我が国の憲法はという主語がありますね、「ただ二点、一つは国や地方公共団体が統治的・行政的権限を宗教団体に移譲して宗教団体が戸籍編製や徴税、裁判、立法、公務員任免などの「政治上の権力」を行使することを信教の自由を侵害するとして禁じ、もう一つは権力を使って布教することを禁じた。」こう言っております。
つまり、公明
新聞によって表明された恐らく創価学会の
見解と思われるものでも、徴税や裁判や立法や公務員任免などの政治的権力を行使すること、これはよろしくない、こう言っているわけであります。
そこで、私は、閣僚に来ていただきましたので事実を聞いていただきたいのですが、ここにありますのは
毎日新聞の昭和四十二年、一九六七年二月一日の夕刊であります。これはなぜ二月一日かといいますと、その少し前に衆議院選挙が行われました。ここで初めて公明党は、これまでは衆議院に進出しないと言っていたんですが、その言明とは異なって衆議院に進出し、三十二人立候補して二十五議席を獲得いたしました。それについての記事であります。
この記事でどういうことを言っておるかといいますと、竹入義勝氏にインタビューをしたとみえて、「代議士に初当選したとたん、
委員長とは責任重大ですな。」こういう
質問を
マスコミはしているんですね。それに対して竹入氏は、「池田会長から申し渡されたばかりで、正直いって面くらってます」と堂々と言っております。つまり、公明党という政党は、宗教団体である創価学会の池田会長から、おまえが
委員長になれと言って申し渡された、だからそのとおりやっているということを臆面もなく
マスコミに言っているわけであります。
これはまだ二十五名で野党だからよろしゅうございますが、我が国は言うまでもなく議院内閣制であります。ですから、多数党の場合には、おまえが
委員長になれと言われてなったということは、おまえが
総理大臣になれと言ってなったのと同じことになるわけであります。
そこで、その後出版妨害事件を起こしまして、それが非常に問題になったときに、池田大作氏は、政教分離、今後は大事にも介入しない、組織も別だということを言われたということもこの間申しました。それが守られたかというと、これは必ずしも守られていないのですね。
ここに持ってまいりましたが、九三年ですから二年前です。何か年月をはっきりせいとかいう声がありますから申し上げておきますが、九三年の十一月号の文芸春秋に、公明党の矢野絢也前
委員長、これは書記長も長らく務められた実力者であります、その矢野前
委員長が手記をお書きになりました。その手記を見ますとこう言っておるのです。
二階堂擁立劇というのがありました。これは二階堂さんを
総理大臣にしようというので画策したがうまくいかなかったという事件であります。それには公明党も深く関与しました。そこで、竹入
委員長がその責任をとって
辞任しようということが非常に話題になったわけであります。それで、竹入氏が辞意を漏らしたのは二階堂擁立工作が失敗した直後の一九八四年十月のこと。ですから、もちろん、政教分離だ、大事に介入しない、組織は全く別だ、こう言っていた時代であります。そして、翌十一月十七日に、竹入、矢野両氏や現在の石田
委員長らが池田氏の招待を受けた際、池田氏は、「竹入君、声を聞いたら党も学会もな、やっぱり君だよ。皆の声だ、もうしばらくやったらどうだ。」こう言って続投を要求した。さらに、党の事務連絡のパイプは、今後は矢野と山崎尚見学会副会長でやれ、こう指示した。これが矢野前
委員長が文芸春秋で明らかにした事実であります。この池田
発言から十二日後の十一月二十九日に行われた公明党本部の企画
会議で、竹入氏は、「諸般の事情で続投いたします」と辞意を翻しました。そして、十二月の党大会でも了承されたという経緯になっているわけであります。
つまり、政教分離だ、大事には介入しないと言ったって、ちゃんと大事に介入してきたのです。しかもそのとおり決まったんだということを公明党の
委員長が言っているわけであります。
そしたら、これは野党の時代だから問題ないではないか公務員の任免権とはいまだ
関係がない、こう言うなら、最近ではどうだろうか。
九三年に細川内閣ができました。そのときに公明党が
大臣を、枠をとりまして四名出したことは
皆さん御承知のとおりであります。組閣が行われたのは同年の八月九日であります。ところが、その一日前の八月の八日に、長野県の軽井沢町にある長野研修道場での創価学会第六十九回本部幹部会で、これは衛星通信システムで全国の学会施設で会員が聞いている、こういう
状況の中で行われました。その中で池田大作名誉会長は、組閣の発表前でしたが、学会の女性幹部の夫を褒めるという形でこう言ったことは皆様まだ記憶に新しいところであろうと思います。
念のためにそれを読みますと、「すばらしいご主人。これは、労働
大臣ね、または総務長官、または郵政
大臣になってもいいくらいのご主人です。すばらしいご主人とよく、ご結婚あそばされた。」こう言って、中略した後、「すごい時代に入りました。ね、そのうち、」デイジンと言うのですね、
大臣とは言わないのです、「デイジンも何人か出るでしょう、ね、もうじきです。まあ、明日あたりです、出るから。」こう言って、「あの、みんな、みなさんがたの部下だから、そのつもりで。」こう言っているのです。
これについては、秋谷会長が、部下だと言ったのは、公務員というのは
大臣も含めて
国民の公僕だからそういう
意味で言ったんだ、当然のことだという反論をその後いたしました。しかし、その翌日に、このとおり、石田総務長官ができ、神崎郵政
大臣ができ、坂口労働
大臣ができたわけであります。そしてもう一人の広中和歌子環境庁長官は、なるほど
大臣ですが、学会員ではないとされているのですね。非学会員だとされているのです。だからこれは除いているというように思われても仕方がないのですね。
これは、非常に秘密である
大臣を、つまり特別公務員を任免するという
行為を、
総理大臣もまだ発表していないという段階で、ある宗教団体の最高責任者と思われる人が事前に連絡を受けて、そして、おれは了承しているんだぞということを
国民全体に、あるいは創価学会員全体に誇示した。自己権威欲か顕示欲か何か知りませんが、慎み深い宗教者なら知っておっても言わないと思うのですが、わざわざおれは知っているぞと。それで、
皆さんの弟子ですからね、
皆さんの弟子ならもちろん
自分の家来、弟子であります、そういう
意味のことを言っているのですね。もし本当に公務員は公僕だということが言いたいなら、
皆さんの公僕ですからなと一言えば済むことを、「みんな、みなさんがたの部下だから、そのつもりで。」と、わざわざ「部下」という言葉を使っているのです。「みなさん」、こういう言い方をしているのですね。
私はこれは、いいですか、連立内閣のときには特別公務員の任免権を事実上ある宗教団体の最高幹部が握ったか、あるいは握らないまでもその了承を事前にとっておるということを示していると思うのですね。そう思われても仕方がない。宗教者には慎みというものが必要なのです。
そこで、私は憲法論議として今二つ学説を挙げましたが、そのうちの、政治上の強い影響力を行使するといいますか、そういう説をとれば非常に問題がありますが、私はここでこれが憲法違反であるとかなんとかいうことを論議しようとは思いません、多くの説があるわけですから。しかし、三、四名の閣僚の方に集まっていただきましたが、私が申したいのは、この間の十一月六日の
質問で言いましたように、ここまで政治に深く介入するような宗教団体に特別に課税上の優遇
措置を与えて、そして政治活動をするのを放置するということが果たしてよいことであるかどうかというのは非常に問題であるというように思わざるを得ません。
きょうは、文部
大臣の所管のこととはちょっと離れるかもしれませんが、国務
大臣として、十一月六日の私が述べたことを
前提にして、今のような事実に立って、課税上の問題について国務
大臣としてはどういう識見をお持ちになりますか、まず最初に伺いたいと思います。