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渡瀬委員 渡瀬憲明であります。きょうは、新しい
防衛大綱の
策定を
中心に、
長官初め
関係の
担当者から
意見を承りたいと思います。
実は私、御
案内のとおりこの間まで
防衛庁の政務次官を務めておりましたものですから、
気持ちの上では若干、二重のと申しますか、そういう感覚も残っておるわけでありますが、きょうは、
自民党の
議員として
自民党の立場から
意見を申し上げ、そして
防衛庁当局の見解もただしたいと思うようなわけであります。
目下沖縄の
問題等いろいろ緊急の課題もありますけれ
ども、きょうは私は、申し上げましたように、新しい
防衛大綱の
策定、そのことについて
意見を申し上げ、
当局の
意見も聞いてみたいと思うわけであります。と申しますのも、戦後の大半の
日本の
安全保障は
日米安保条約を抜きには語れない、そういう考えを持っております。これまでの経緯を振り返りながら、今、新しい
日米安保の
位置づけをどう考えたらいいのか、
防衛庁はどういうふうにそれを把握しておられるのか、そのことを申し上げたいのでございます。
私ごとで恐縮ですが、私は、
昭和二十五年に学校を出ると同時に
議員秘書になりました。ちょうどそのころ
朝鮮動乱が勃発をいたしまして、それを機に、急に
警察予備隊の設置とか、それが
保安隊になる、その後、
昭和二十七年
安保条約締結後は、これがまた
自衛隊に変わっていく、そういう過程も身をもって体験した一人であります。
当時の
気持ちを率直に申し上げますと、新しい
憲法のもとで
日本はもう永世中立的なことを国是としてこれからやっていくんだということを、一生懸命勉強もし、たたき込まれたわけでありますが、急にまた
武装をするんだということになりまして、
アメリカもいいかげんなものだなという率直な
感じを持ったことを実は思い出しておるわけであります。
同時に、でき上がっていくものをずっと勉強してみますと、どうも
日本の
防衛を全うするためには、半端といいますか、これでいいのかなという気がしてなりませんでした。今振り返ってみますと、当時の
日米安保、これも後ほど当時の
文献からあれして
内容を申し上げたいと思いますが、実は何か半端な
感じがしてなりませんでした。そういうことを今思い出しているようなわけであります。
きょうの質問に備えて当時のことをいろいろ思い出しているうちに、
エピソードをいろいろ思い出しました。
その
一つは、
昭和二十七年、
単独講和で
日本の占領が終わるわけでありますが、同時に
日米安保が締結された。それをめぐって、衆議院の
予算委員会で
吉田総理と
芦田元
総理がホットな
論争をされました。そのとき傍聴しておった一人でありますけれ
ども、非常に強烈な
印象を持ったことを覚えております。そのとき
論争になりました
自衛権の問題とかあるいは再
軍備の問題とかその問題が今でも大体基軸になって
論争が引きずっておることを、今思い出しておるようなわけであります。
当時のことを少し思い出して、
ゆうべ本を引っ張り出してみたので、ちょっと御参考までに申し上げたいと思いますが、その両雄のやりとりが、本当に、聞きごたえがあったといいますか
印象が深かったわけであります。
当時の新聞にも、「両雄相譲らず、その
内容といい貫禄といい、
国会の論戦としては近ごろ見られぬもので、正に圧巻だった。
芦田氏は再
軍備論を
中心として論陣を張り、皮肉と諧謔(
かいぎゃく)を混えながらも、緻密極まる理論を展開すれば、
首相また笑みをたたえながらも、現
首相として譲れない線は厳として守り、しかもツボをはずさぬ老練な
答弁であった」ということがここに載っておりますが、まさに本当にそういう
感じが、傍聴しておって私
自身もしたようなわけでありました。
当時問題になりましたのは、
吉田総理が、新
憲法を審議するときに共産党の
野坂参三さんに
答弁された、
自衛権も本当はないんだというような踏み込んだ
答弁をしておられますが、そこを
芦田さんが突かれたわけであります。
聞いておりますと、国として
自衛権がないなどというそんな不見識な話があるかという論旨でずっと押していかれる。ああ、これは
総理も
答弁に図られるなと思って聞いておりますと、のらりくらりと逃げられるわけであります。
事国益に関する
領域に入ったなという
印象を与えると、今度は攻める
芦田総理の方がその辺でぽっと
論争を打ち切って次へ移っていかれる。そこの、何と申しますかステーツマンと申しますか
国益のぎりぎりのところでは
論争をとめるんだという、そういう配慮がありありとわかってきまして、非常にその点も感銘を受けたわけであります。
もう
一つの
テーマは、その
安保条約を結んだ直後でありまして、
吉田さんがダレスさんに再
軍備を約束したんだということ、いろいろ報道されておったことを
芦田元
総理が取り上げられて、そこをずっと攻めていかれるくだりでありますが、そのこともこういう
表現になっております。「
日米安全保障条約の
前文の末尾に、
米国は
日本が直接及び間接の
侵略に対する自国の
防衛のため漸進的に自ら
責任をとることを期待する、と書いてある。
防衛のため自ら
責任をとるというのは具体的にいえば、どういうこと」かということを
芦田さんが攻めていかれるわけであります。それに対して
吉田さんは、そういう約束はしたことはないと言いながらも、そこをのらりくらりいろいろな
論争があるわけであります。
これは、後で
吉田総理がごく内輪の
人たちに言われたことが
吉田総理自身の「回想十年」という本に出てきますが、それも夕べ引っ張り出して見ましたけれ
ども、「
独立国である以上、将来は軍隊が絶対に必要だ」ということを口にされた、そして「今、幸い
芦田がそういうことを一生懸命いっとるから、それはあいつに言わせておけばよい。」おれの口からは今言うわけにはいかないのだ、「しかし必要ですよ。当然ですよ」ということを周囲の人に語ったということを、聞いた人がそういうことを本に書いておられるわけであります。
そういうわけで、今問題になっているような
テーマも、当時から非常に
国会の場で
議論されておったということ、そういうことを合しみじみと思い出しておるようなわけであります。
なお、
吉田総理が、再
武装といいますか再
軍備といいますか、そういうことを
気持ちの中では考えておられたなという、これもまたおもしろい
エピソードを
一つ思い出しました。これは、先年亡くなられた
吉田総理の
秘書官をしておられた依岡さんという人から聞いた話でありますが、これも
吉田総理らしい非常にユーモラスなおもしろい話ですからちょっと御披露申し上げます。
あるとき、
吉田総理のところにどなたからか
スズキという大きな魚が届いたんです。で、
吉田総理が
秘書官連中を集めて、この
スズキという魚は
出世魚と言うがその
意味を知っておるかいということを聞かれた。
秘書官連中、非常に秀才の
人たちばかりでありますから、それは小さいときから
名前がどんどん変わっていく、大きくなるに従って
名前が変わっていく、そういうことから
出世魚と言うんじゃないですかと。私の田舎では、子供のときはこれはセイゴと言います、少し大きくなるとフッコと言います、そして大きくなった魚のことを実は
スズキと言うんですということを解説を
総理にしたそうであります。
ところが、
総理がにやにや笑いながら、それじゃ君たち、
タイは大きくなるかねということを反間されたそうでありますが、それには、がやがや
秘書官連中答弁に詰まったそうであります。
吉田総理は、
タイも大きくなると
名前が変わるんだよと。
警察予備タイ、
保安タイ、これで
自衛タイになったけれ
ども、将来は
軍タイになるかもしらぬよということを言って
秘書官連中をからかわれたということを実は思い出しておるわけであります。当時からそういうことで、
自衛権の問題、再
武装の問題、そういうことが非常に真剣に
議論されてきたなということを今思い出しておるようなわけであります。
ところで、くどくどとわき道を申し上げましたけれ
ども、旧
安保条約、これの
内容をちょっと今さらってみますと、四、五点あります。
第一には、
日本が
米軍駐留を希望した、
米軍がその希望を受け入れる形でこの
安保条約をこしらえたということが書いてあります。それから、
米国は
日本の
防衛力整備を期待するということが
前文に書かれてありました。それから二番目は、
米軍の
日本における
施設・
区域使用権を第一条に明記をしてありました。それから、
米軍の
日本駐留の
目的は
日本の安全への
寄与ということと、これは
内乱条項も実は含んでおるような書き方でありました。それから、有名な
極東条項、
極東における国際平和及び
安全維持への
寄与、それが書いてあります。それから、
米国の
日本防衛義務は規定されていない。これが後でいろいろ問題になったわけでありますが、そういうことが書いてありまして、何か六〇年
安保に比べますと非常に偏ったといいますか、そういう
印象が強い第一次の
安保であったわけであります。
それが、六〇年
安保になりますと、いろいろこれが変わってまいります。旧
条約からそのまま継承した点は、
米軍に
日本国内の
施設・
区域の
使用を認めたということ、
米軍は
日本に常時
駐留できるということ、それから、
米軍は、
日本の安全のためには言うまでもなく、
極東の安全のためにも
日本の
施設・
区域を
使用できるということ、それから、
駐留の
目的は、これは前と同じで、
日本の安全のため及び
極東の安全のためであるということ。
ここからが問題でありますが、旧
条約を手直しした点は、
国連憲章との
関係を明確にしたということ、それから
米国の
日本防衛義務をはっきり書きあらわしたということ、これが一番大きな特徴であります。それから、
日本の
施政下にある
領域においては
米国を守る
日本の
義務を明確にしたということであります。
それから、一番特徴的なもの、旧
条約にはなくて新しく規定された点、これが四、五点ありますが、
一つは
政治的、
経済的協力を定めたということ。単なる
軍事的な問題じゃなくて、もっと高い次元の、いわば
日米同盟じゃないかという批判があったそのことがこれにあらわれておるわけでありますが、
政治的、
経済的協力を新しく定めたということ。それから、
条約期間を設けた。十年の
期間をつくって、十年後は一方的にどちらからか廃棄の通告ができるというようにしたこと。それから、
事前協議制を新設したこと。それから、
沖縄、
小笠原と
条約の
関係を明示したということ。これがもとになって
小笠原返還と
沖縄返還につながっていったという事実があるわけであります。
そういうわけで、六〇年
安保と旧
安保を比べますと、非常に
日本に、何と申しますか有利なといいますか非常に変わったことがこうやって改めてわかるわけであります。
こういうことを経ながら、申し上げましたように長年推移してきたわけでありますが、最近
冷戦が終わった。それを機に、
安保の再
定義論がいろいろ起こってきております。きょうの主題はここにあるわけであります。
冷戦時代、
ソ連を
意識をしてこれを運用されてきたことは、これはもう歴史的な事実でありますが、
ソ連がなくなった今なぜ
安保が必要かということ、これを今明確な
問題意識として提示する必要があるのではないかと思うわけであります。
アメリカでももう御
案内のとおりに、
肯定論、
否定論、いろいろ論議が起こっております。過激な
意見も出ておりますが、これは最近
発表になりました
CATO研究所の
報告でありますけれ
ども、さまざまな
議論が出ております。
我が国でも、それなりの解釈といいますか対応といいますか、それが求められておるんじゃないかと思うようなわけであります。
このことも少し
文献を引っ張り出して調べてみましたら、
防衛白書の
平成六年度版、これに明快に書いてありました。これは外務省の
外交青書も読み比べてみましたけれ
ども、
防衛白書の方が非常に具体的に書いてあります。
日米安保体制は
日本の安全に直接的な
貢献をしているという
評価、二番目は、
極東の平和と安全の
維持にも
寄与しているということ、三番目は、
日本にとって一番重要な二
国間関係である
日米関係の中核をこれがなしておるんだという
評価、それから
日本外交の
基盤となっておるというこの四点を
防衛白書が
指摘しております。この一番目と二番目はもちろんこれは
軍事的な
機能と申しますか側面でありまして、三番目、四番目は
政治的な
機能をそれぞれ
評価したと整理することができると思うわけであります。
日米関係の
重要性を語るときには、
政治、
軍事だけではなくて、
経済、文化などを含めた総合的な
関係の深さ、
相互依存度の高さに触れなければなりませんし、何よりも大事なのは、それが壊れたときに両国のみならず世界が受ける打撃、影響、それがどういうふうになっていくかということも考えざるを得ないのであります。
そういうように考えますと、
日米安保を継続していく
意味を説得のある論理でこの際説明する必要があるのではないか、そういうことを考えるわけでありまして、この点、
長官の御
意見を承りたいのであります。こういう
日米安保の再
定義を新しい
防衛計画大綱にどう取り入れていこうとしておられるのか、
長官の御
意見をまず承りたいと思うわけであります。これから、
冷戦後の新しい
東アジアの
軍事情勢、それに
我が国が対応していくためには、ここのきちんとした
位置づけと申しますか、それがないといけない、そういう
認識のもとでそういうことをまずお伺いしてみたいと思うわけであります。