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参考人(
暉峻淑子君) 衆議院において行われた
介護休業法についての記録を全部丁寧に読ませていただきました。これを読みますと、かなり一般的に広い
部分について国
会議員の方がいろいろ質問をしたり勉強したりしていらっしゃるということがわかりました。この衆議院で議論をされたことの中で、まだ不十分と感じられることだけを私はここで申し上げたいと思います。
私の場合は、
政府案がどうかとか
平成会が出している野党案がどうかというような
立場をちょっと超えて、これだけは必要ではないかと思われる点を指摘させていただきたいと思います。
まず、今多くの方がおっしゃった
介護の
期間ですけれ
ども、私はやっぱり三カ月というのは短いということです。私は父が亡くなったときに
介護もしましたし、今母は九十三歳でまだ生きているわけですけれ
ども、それから私は友愛の灯協会という老人
介護をしている社団法人の理事もしていますけれ
ども、そういういろいろな経験からいって、やっぱり三カ月は短いと思います。
それで、この国会の議事録をつぶさに見まして、三カ月というのが一体どこから出てきたのかという根拠をかなり綿密に追ってみたわけですけれ
ども、三カ月というのは根拠がありません。これはただバランス論というようなもので答弁されている。それから、あるところでは突然に、さっきある
参考人の方が言われたように、
高齢者の典型的な症例である
脳血管性疾患、これを見ると三カ月
程度の
期間が必要とされると。最低、回復期を
経過し、状態が安定してくる慢性期の初期に至る約三カ月
程度の
期間が必要とされる。そういうことで、このため、最低限としては、この三カ月
程度の
期間につき
介護休業が認められることが必要であると考えられるという専門家会合の報告が百三十二回国会の議事録にあります。
ところが、こういうものをもし根拠とされるならば、何ゆえに二週間も前に
介護休業の開始日を申し出なくちゃいけないんでしょうか。ここに出てくるいろいろな
脳血管性疾患というのは突然に起こることが大変多いわけです。私の父親の場合もそうで、突然に倒れたんですね。もう三週間前なんということは言っていられない。しかも、突然に倒れた当初が一番大変なんです。どうやって看護する人を見つけるか、一体
病院はどこが入れてくれるんだろうか、いろんな老人ホームな
ども探し歩く、それから自治体には一体どういうホームヘルプの
制度があってそこにどうやって申請書を出すかという、こういうこともたくさんあります。それからお金の出し入れの問題もありますし、それから家庭の中の看病する部屋を一室どうやって、寝たきりになった人をそこに置いておかなきゃならないかという、そういう部屋の整備もあります。
ですから、二週間前なんということを事前に言っておいて、そこにはある
程度の融通は考えられていますけれ
ども、それは
企業が決めるということなんですね。二週間前に申告した、申請したものと本人があした休みたいという、その
期間の間のどこに決めるかは
企業が決めるということになっているんですね。これは本当に実際この
法律の
意味を
理解してないと思います。ですから、この三カ月というものを見ていてもあちこち穴だらけで、なぜ三カ月にしなきゃいけないのかというのはとうとう私は
理解できませんでした。
そして、先ほど私のお隣の
参考人が言われたように、この私がいただいた
介護休業等に関する
法律案参考資料という、これを見てもやっぱり一年から三年未満というところを一番多くの人がとっているわけですね。つまり
介護というものをいかにもここで
実態に即して三カ月にしましたという答弁を、これは松原局長がなさっているわけですが、そういうことをなさるのならば、やっぱり
実態に即して
介護の開始日をどうしたらいいのか、あるいは先ほどから何度も言われているように、何回にも分けてとるということは既に東京都ではそれがやられているわけで、三回に分けてとっても、一回だけとった人と三回に分けてとった人との間にはそれほど大きな支障もないということもわかっているわけですから。
それからもう一つ言えば、これもお隣の方がおっしゃったことですけれ
ども、例えば午前中は出勤して午後は
介護に回るとか、あるいは午前中は
病院で必要なことをやってそれで午後は出勤するとかということも含めて、私はやっぱり最低一年はあった方がいいという考えです。
それで、例えば年次有給休暇の付与日数などを見ても、これもお隣の方がおっしゃったのと一致するんですけれ
ども、大体付与日数の半分ぐらいを皆年次有給休暇でとるんですが、付与日数が多いとその半分をとるから結局とっている年次有給休暇も多いんですね。付与日数が少ないとまたその半分近くをとりますから結局とっている日にちも三日ぐらいということになっていて、
政府がその
期間を幾らと定めるかということはとても大きな問題なので、私は三カ月はやっぱり短いと思います。
それから、雇用の継続ということですけれ
ども、この資料で見ますと、やはり四十代ぐらいの働き盛りの女の人が老親の
介護ということでやめていくわけですね。これはもう
企業からいっても、
企業内の研修とかあるいはいろいろな
仕事になれてきて全く働き盛りの一番大事な時期で、この時期にやめられるということの損失を考えたら、そっちの損失の方は余り議会の議事録に出てこないんですが、これは非常に大きな損失だろうと思います。ですから、三カ月にしてどれだけ損をするとか、そういう損に比べたら私はこの何十年も積み重ねられた実績ある働き盛りの人がやめるということの損失の方がはるかに大きいのではないかというふうに思います。
それから、現在ではこれは公的
介護の肩がわりとしてこの
介護休暇がとられるわけではないのですから、このことははっきりしなければなりませんが、しかし現実を見れば公的
介護というのは余りにも貧弱です。
ゴールドプランはまあ有名なものですけれ
ども、消費税をかけるときにこれは老人がふえていくのでそのための費用がかかるということで消費税がかけられるようになったわけですけれ
ども、一九八九年から九三年の間に消費税は二十九兆円の上がりがありました。しかしゴールドプランに回されたのは、そのうち一兆七千億にすぎません。それで、今回九五年、新ゴールドプランといって七千億円の要求がされましたけれ
ども、大蔵省はこれを三千三百億円に削ってしまいました。それでホームヘルパー、特養ホーム、デイサービス、これはすべて削減されましたし、削減だけでなくて見送りということになったものに地域リハビリ
事業、痴呆性老人
疾患センター、給食サービス、特養ホームの
介護職員増、これは見送りになってしまいました。これらのことが、先ほど言われた
病院や
施設でも
家族が
介護しなきゃならないということにつながると思います。
それから、
在宅介護のサービスの目標値というものもこれは厚生省がある目安を示しているんですが、現行では長野では二八%だけれ
ども、計画とすれば四二%必要だと、厚生省がこれを抑えに抑えているわけですけれ
ども。例えば、奈良県の當麻町では大変細かく調べたものを出していまして、この町で必要なのは最低七十人である、だけれ
ども今のところは十一人しか認められていないと。上から押しつけられた水準では三分の三は
家族介護を前提としてホームヘルプのサービスの用意が決められている。
病院の
長期入院は六カ月以上が三十万人もありますというようなことを考えても、私はどうも三カ月というのは、公的
介護というもので大きくは原則的にはやるということを考えてもなお少ないのではないかと思います。特に、二〇〇〇年にはひとり暮らし老人は二百九十万人にもなり、二〇一〇年には四百六十万人にもなります。
働いている人というのは人間です。人間は自分の
家族を抜きに働くことはできません。
家族を持った人間なんです。ですから
家族の
介護の問題を、これは不払い
労働と言われてきたんですが、やみからやみに押し込んでただ働け働けと言っても、これはやめざるを得ないか、あるいは何らかの形で老人が大変悲惨な病床に置かれるという、そういうことです。
中小企業の場合、しきりに弱者、弱者と言われますが、これは衆議院でも樋口
参考人が言っていることですが、弱者というのは
中小企業だけではなく、本当に寄る辺もなく体の自由もきかない老人こそが弱者なわけですから、そこから考えてみてもバランス感覚からしても三カ月というのは私は少ないと考えております。
それからもう一つは原職復帰の問題なんですが、これは私が一番長くいたドイツでも、三年間
職場を離れても原職復帰または原職と同等以上の職につくということがうたわれていて、これは厳しく守られております。ただ不
利益を受けないという
程度の表現ではとてもだめで、これが守られないと男の人はなかなか休むという気持ちにはならないでしょう。
今はボランティア休暇というのもありまして、
企業によっては一年間ボランティアに従事する社員にはちゃんと有給でボランティアに従事しなさいと言っているわけですが、これはなぜかというと、ボランティアつまり
介護とかそういう
社会福祉の
事業に従事することは大きなキャリアになるということですね。なぜ
職場の中でのキャリアだけがキャリアなんでしょうか。
職場の中でだけのキャリアをキャリアと見るから、例えば大蔵省の最も頭のいいと言われている人がああいういろんな接待の中に加わったり、もう常識とうんと離れたことをやらかすんですね。私はむしろ常識的な一般の生活の現場のキャリアをみんなに積んでほしい。そのためにはやっぱり原職復帰でないといけない。
それから、これは衆議院の報告と先ほ
どもちょっと
アメリカの例が出ましたが、ほかの国では
介護休暇はないというのがありますが、これは非常に表面的なつまみ食いの表現でありまして、例えばドイツなどの場合は確かに
子供のための
介護休暇は十日間なんですけれ
ども、そのほかに非常に長い有給休暇というのがあります。
それから、
法律としてはそう決められていなくても各
企業ごとにベトリープスラートというのがありまして、これはドイツの場合は
労働者の
企業に対する参加権というのが憲法で保障されていますので、
労働者も本当に納得できる
制度を各
企業がやるということで、その
中心を担っているのがベトリープスラートという人です。これは
労働組合から出ている人が半分以上なんですけれ
ども、そうでない人もなれます。この人が一人一人の
労働者の生活の状態を聞いて、
企業に対して、この
労働者についてはこういう
介護を認めるべきだ、しかも不
利益処分をしてはならない、原職復帰という提案をしますと、これはもうほとんど一〇〇%守られます。
そのベトリープスラートの外側にまた地方自治体のラートというのがありまして、ベトリープスラートで納得できない場合は地方自治体のラートにまた持っていって、それが非常に大きな権限を持って
労働者の
利益を守りますので、そういうことを抜きにして
外国ではありませんと言うのは大変表面的であります。
それから、私が長くいましたオーストリーでもアルバイターガンマーという特別のそういう
労働者の生活を
調査する中立の機関がありまして、ここがオーケーと言わない限りは国も国会も
法律で
労働者に不
利益なものを定めることはできないという強い権限を持っています。特に
福祉について
労働者の
権利が侵害された場合は、裁判の第一審からこのアルバイターガンマーが
労働者の保護のために弁護士を用意してその裁判にかかわるという非常に強い
労働者保護というのがあります。
ですから、そういう全体を考えて、
日本の
労働者の
権利は本当に守られているかということを考えるべきです。
それで、宮澤元首相が、これからは経済大国から生活大国にならなくちゃいけないとか、いろんな
審議会が、今までのようなただ
企業利益を考えているだけではだめだということを続々と出したというのはこういう
日本のおくれというものを言っているわけで、先進国というのは人権という面において先進国であるということが一番大事なことなんです。ただお金を持っているというのは先進国ではありません。そのことを強く言いたいと思います。
それから、これは全然衆議院で指摘されていない大事なことですが、婦人少年問題
審議会がこういうふうに答申しておりますからという答えがしばしば
政府側
委員から出されています。しかし、
審議会と国会とはどっちが一体大きな権限を持っているんでしょうか。中曽根さんのときに、
審議会というのが何か国会抜きにあることを決めてそのとおりにどんどん諮られるという習慣が根づいたようですけれ
ども、
審議会というのはある
意味では
政府側の、
政府側といいますか役所の側の隠れみのと言われているみたいで、中立
委員というのも本当に批判的な中立の
委員というのは大体
審議会に余り選ばれません。
ですから、国会こそが国民の
意見を代表するものでありますから、婦人少年問題
審議会がこう言いましたといっても、なお
福祉に関すること、
労働者の
権利に関すること、
実態にそぐわないことについては国会が
責任を持っていろいろ議論し、決めていただきたい。
次に、法人をつくるというのが出ているんですね。これは大問題ではありませんか。これはどうして衆議院ではそういうことが余り議論されなかったんでしょうか。
調査をするとかお金の出し入れをするとかということに新たにまた法人をつくる。こういう法人は、今行革でもう整理するのが大変なんです。
それで、今私が持っている資料を見ただけでも、過去五年間に制定、改正された
労働省
関係法律で新たに指定法人に業務を行わせることとしたもの、
介護労働者の雇用管理の改善等に関する
法律、
平成四年、第十五条、財団法人
介護労働安定センターです。それから
労働時間短縮の促進に関する臨時措置法、社団法人全国
労働基準
関係団体
連合会。短時間
労働者の雇用管理の改善等に関する
法律、財団法人21世紀職業財団。
育児休業等に関する
法律の一部を改正する
法律では財団法人21世紀職業財団というふうに、一つ
法律が改正されたりつくられたりすると必ず法人がくっつくんですね。何でそういう必要があるんですか。役所こそが本当に自分で
調査をして、婦人少年室な
どもお持ちなんですから本当に必要なことは役所がやるべきじゃないんでしょうか。
このことについても、役人の天下り先を一つ
法律をつくるたびに一つつくるというようなことが国民の間では言われているわけですけれ
ども、本当に法人が必要なのかどうかということは、衆議院ではそれが行われていませんのでこの参議院ではぜひ行ってほしい。これは行革の精神にも反することでありますし、一遍つくったらやめさせるのは大変なことなんです。
この点の論議が欠けているということを指摘して、私の話を終わります。