○木宮和彦君 自民党の木宮和彦でございます。
いろいろ世の中が非常に目まぐるしく今展開をしております。これは政治もそうですし、また経済もそうですし、
社会もそうですし、
教育もそうではないかなと私は常々こう思っております。それに対して、
教育行政といいますか、
文部省の
対応がやや後手後手に少しずつ回っているのではないか、
社会の動きの方が早いんじゃないかなというような気がして私はなりません。
いろいろありましてまとまらない質問で大変恐縮でございますけれども、私は昭和二十四年から既にもう四十六年間、私立
学校の経営と教える方に回って
関係をしてまいりました。私のおやじも私の兄弟も全部いわゆる背の官学出身といいますか、私学というものを全く知らない世界におりまして、それがある口突然、終戦後ですが、昭和二十一年の六月八日から私のおやじが私立
学校を始めたわけです。
始めだとはいっても初めは潜りでございまして、戦後すぐのことでございますので、浅間神社という神社の回廊を借りて、今でいう短大生ですね、背の高等女
学校の
生徒さんたちが学徒動員でみんな工場へ行って何にも勉強していなかったからひとつ再
教育をしてやろうというのが最初のきっかけで、同時にまた、戦後復興といいますか、
日本を興すためにはやはり女子
教育をまずやらにゃだめだと、こういう信念で始めたわけでございます。
そして、私もおやじと一緒に昭和二十四年からずっと
学校に携わってきたわけですが、ちょうど六年たったとき、中
学校を始めて高等
学校の一回生を卒業させましたときに、私立
学校というものは本当に一体将来どうなるんだ、ひとつ勉強しようというので、当時まだ非常に経済
状態も悪かった、なかなか汽車の切符も買えない、ましてや住むところもないし食うものもない時代ではございましたけれども、昭和二十九年に約半年間おやじに暇をもらって東京へ出まして、東京の私立
学校をあちこち約半年間、長いところで大体二週間、短いところでも三日か四日、あちこちの東京の有名私学と称せられる
学校に全部お邪魔して、つぶさに自分の目でその
内容を実は
検討してみました。
先輩たちが大変いろいろと教えてくださいまして、今でもその教えは鮮烈に残っておりますが、中でも玉川学園という
学校へ行きましたら、創立者は小原国労
先生でございまして、あの
学校はふざけていると言っちゃいけませんけれども、駅から歩いていきますと、当時は正門もございません。岩がありまして、そこに刻んでありまして、「働かざる者食うべからず」と書いてある。あれが正門だとおっしゃるので私もびっくりいたしました。小原
先生に実はお会いいたしまして、白髪で、当時幾つでしたか、恐らくもう七十近かったと思いますが、私はまだ二十七歳の小僧でございましたけれども、行っていろいろ見ますと、大変感心しました。
特に図画の教室などへ行きますと、我々の
学校ではせっかく教材を買ってきても
生徒にさわらせないんですね、みんな戸棚にしまっちゃって。必要なときにちょっと出して、またつぶれちゃいかぬからすぐしまっちゃうんですけれども、そこへ行きますといろんなものが散らかっているという言い方は失礼でございますが、作品がオンパレードで、大井から壁かられの上から、
子供たちがそこで絵をかいたり作業をしたりするのに本当に手にとるようにわかるような
教育を私はじかに見まして大変感心いたしました。
そして、チャペルがありまして、そこでもってミサ、礼拝もいたしますが、小学生が全部集まって何か行事をやろうというときには、一人の代表の
子供が壇の上に立って、そして賛美歌第何番と言うと、そうするとみんなそれを歌い出す。その
生徒がタクトをとって歌をだんだんだんだん歌い出す。それが終わると静かになって朝礼が始まる。大変合理的なんですな。私の
学校は、
子供は私語をしますから、当時まだ私は若かったですから、壇の上に乗って、うるさい黙れ、静かにせいと、こうやってやっとこさ静かにさせて朝礼が始まるというような
状況でございましたけれども、玉川の小原
先生の
学校はそういうすばらしい
教育をしておりました。
そして私は、実はその創立者の小原
先生のところへ行きまして、この
学校はクリスチャンの
学校ですかと不用意に聞いたわけです。そうしたら、その温厚な小原国労
先生が烈火のごとく怒りまして、君、違いますよと言うんですよね。違いますよといったって、賛美歌を歌うし、そこにチャペルもあるじゃないですかと言ったら、君、よく聞きなさいと。クリスチャンの
学校というのは宗教が
教育を利用して布教するためにやる
学校だ。私の
学校は逆だ、
教育が宗教の雰囲気を利用して
教育しているんだ。だから、私の
学校は別にキリスト教じゃなくてもいいし、仏教でもいいし、神道でも回教でも何でもいいんだ。要するに、
教育の中には宗教的な雰囲気を入れないと
教育効果は上がらないんだ。今の
子供たちに一番導入しやすいのはどの宗教かなと見たところ、どうもキリスト教が一番手供たちが抵抗が少ないだろうと思って私はキリスト教のやり方をただ利用しているだけだ。決して私はキリスト教の普及だとか、あるいはキリスト教の教えをやるんじゃないんですと、こういう
お話がありまして、私も何か目からうろこが取れるようなそんな気がいたしました。
今、
日本の
教育で最も欠けているものは何か。やっぱり心の
教育だと思います。
特に最近
テレビを見ておりまして、
オウム真理教の若い
人たちが、しかもそれが東大だとか京大だとか筑波だとか、あるいは信州
大学だ早稲田だ慶応だと、いわゆるエリート中のエリート、しかも
大学院まで出た方がそれにのめり込んでしまう。そして、それを本当に何の反省もなく信じ込んで、言われれば、言われることをみんなやっちゃう。サリンまでつくっちゃう。しかも、それも無差別に。あれはオウムがやったことかどうかわかりませんよ、まだわかりませんが、どうも
状況証拠としてはたくさんありますから。もしもそうだとすれば、なぜそんな現象が起きたか。
私はこれはやっぱり
教育の欠陥がそこにあらわれたような気がしてなりません。ともかく視野が非常に狭窄的ですから、ここしか見えないんですね。だから、全体のことがわかれば、もう少し何かわかれば、決してあそこまでのめり込まなくたって済んだものを、自分のやっていること、特に今の
大学教育もそうでございますけれども、専門ばかと言っては悪いんですけれども、すなわち専門のことはとうといことだ、価値のあることだ、そうでないことはだめだということで、今の
大学改革もそうですが、教養科目を専門科目に取り入れていいという
改正が行われると同時に、特に有名
大学はこぞって教養のカリキュラムを減らして専門にどんどんどんどん回しているのが現状でございます。果たしてそれでいいのか。
かつて私も旧制の高等
学校で三年
間教育されましたけれども、あの三年間というのは、今でも同窓会をやりますともう七十、八十のじいさんがみんな大勢来て、そして昔の青春を思い出して、寮歌を歌ったり、あるいは変な格好をして寮歌祭をやったりしています。
私は、あの三年間のいわゆる何でも自分の好きなことを一生懸命、哲学だとかあるいは倫理だとか宗教だとか、そういうものに自分で悩んで悩んで悩んでいろんなことを三年間にやって、言ってみればあれは昔は帝国
大学の予科ですから、一応高等
学校を卒業すればどこかの帝国
大学に入れるような仕組みになっておりましたので、その三年間の何といいますか、勉強と同時に幅広いことをやったことが非常に背の
教育のよかった点ではないか。決して全部がいいとは私は思いませんけれども。そういう意味で、ともかく現在の
教育の欠けたるものは、やはり何といったって私はそういう心の
教育が足りないのではないかと、こう思います。
ところで、これは大変大きな問題でございますが、憲法第二十条の三項にはこう書いてあるんです。「国及びその機関は、宗教
教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」、こう規定してございます。これは当たり前のことと思いますけれども、しかし、宗教的活動はしてはいけませんけれども、宗教の
社会生活上の意味を明らかにして宗教的な寛容を養うことを目的とする
教育というものは私は許されてもいいんじゃないかなと、こう思うんです。
今はともかく知的なことに余りにも走り過ぎて大事なことを忘れている。例えば、読み書きそろばんというのは小
学校でこれは大事なことですけれども、それ以外にやはり
日本の伝統
文化であるとか、あるいは作法であるとか習字であるとか、あるいは茶道、お花、あるいは体育でも剣道だ柔道だ弓道だというようなもの、こういう
日本の伝統
文化というものを今の小
学校、中
学校、高等
学校が抹殺したとは言いませんけれども、少なくとも正規のカリキュラムの中には組まれていないのは事実だと私は思うんです。これからの
教育というものは知育だけあるいは
偏差値だけでなくて、もう少し人間を豊かにするようなそういう
教育を私はすべきだと、こう思うんですが、
文部大臣、これはこれからの
教育の大変大事なことだと思いますが、御
所見がありましたらひとつお聞かせを賜りたいと思います。