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木宮和彦君 これは私見で大変恐縮でございますが、どうも二十歳の前半の方というのは、大体今の二十の人は昭和五十年に生まれたわけですね。それからまた、二十五歳の人は四十五年に生まれたわけです。言ってみれば、四十四年、五年というのは東大紛争のあった時期でこざいまして大変世の中が混乱をしておりました。そして、そのころ生まれた
子供さんがいよいよ物心がついて、そして落ちついて
学校で
教育がある程度なされるような時期にちょうど入っていったということで、私は、これは勝手な
意見ですから当たってはいないと思いますけれ
ども、どうも
学校生活が
充実したり落ちついてしっかり勉強できれば、やっぱりそのときに培われた思いやりの精神というものが年をとってからもある程度それが出てくると。
五十歳以上もそうだと思う。これは戦後、ちょうど戦前に生まれた方が戦争を経て、そして平和になって新しい
教育体制になって、混乱はしたけれ
どもしかしそこで
教育がなされた。その思いが、やはり五十五になっても六十になってもそのときのことを思い出して、やっぱり何とかして
日本の国をよくしたい、こういう意図が私は何となく出てきているんじゃないか。
そこへいきますと、その中間の人は、
教育の中で何かぼうっとやってきたり、あるいは混乱の中でやってきたからなかなかそれが芽生えなかったんじゃないか。これは勝手な私見でございますから、決して私は学者でもなきゃ分析したわけでもございません、勘でございますが、そんな気がしてなりません。
さあ、ところで、きょうは三月十日でございます。もう
与謝野大臣はよく御存じだと思いますが、三月十日は東京大空襲があった日です。私にも思い出がございます。私は別に東京に住んでいたわけではありません、静岡に住んでおりましたけれ
ども。
私のおやじがたまたま歴史の学者でございまして、特に遣唐使、遣隋使については当時も非常に立派な業績を残し、戦前にも立派な著書をつくりました。そして、それをそのときに改訂いたしまして、新しく模様がえをして、当時は日華
文化交流史と言いましたけれ
ども、実は原稿が書き終わって、そして冨山房という本屋に、出版するというんで原稿をその出版社に送った。ところが、その原稿が墨田区の下町の印刷所に回されておって、それが一夜にして全部灰じんに帰しちゃった。今まで自分が三十年かかって、あるいはもっとかかって一生懸命研究したことが全部そのときに一瞬にして灰になってしまった。そして、電報が来て、原稿が焼けましたというそれだけの電報だったと思いますが、その電報を自分が受け取って見た、そのときのおやじの何というか、がっかりしょぼんとしたその姿をいまだに私は思い起こすことができます。五十年前です、ちょうどね。それが東京の大空襲の日であったと思います。
さあ五十年たちました。国会でも平和と不戦の決議をするのしないのと、私はしない方がいいと思っていますが、まああっちの人はするかもしれませんけれ
ども、これは政治的な問題でございまして、私は、いろいろ歴史観、特に戦争に関してはいろんな
意見があると思います。私も戦争中はどちらかというと戦争大反対だった。
自分のことを言って大変恐縮でございますけれ
ども、昔は軍事教練というのがありまして、甲乙丙丁とあった。甲と乙にならないとこれは上の
学校、上級
学校を受けてもそれだけでもう文句なしに、操行不良ということですな、はっきり言えば、受けたところでみんな試験の点数を見ないで落とされちゃう。私は残念ながらそのとき丙を一回とりまして、もうこれで将来は全くなくなりましたが、たまたま
高等学校の教師を私のおやじが知っていたので、うまいこと校長に頼み込んで、何とかしてくれということで、言ってみれば横から入ったようなものでございますけれ
ども、そんなことがございました。
もう五十年たった。私は、その間、
日本という国はやはりいろいろ反省し、平和を有し、理念もあったけれ
ども、残念なことは
教育においてはまだ足かなる国是といいますか、
日本はこういう人間をつくりたいんだというね。戦前は
教育勅語というのがありました。私もいまだに覚えています、いい悪いは別として。今読んでみても何が悪いのかよくわかりません。まあ、天皇が
中心になったというところが戦争を起こし悪かったということであると思いますけれ
ども。
しかし、ああいうものじゃなくても結構です。もっとわかりやすい、
子供にわかりやすいもので、平和を愛しましょうとか、親を大事にしましょうとか、友達を大事にしましょうとか、何かあったら、災害があったときにはみんなでもって助け合いましょうとか、やはりそういうわかりやすくて、しかもみんなに受け入れられるようなもの。
小学校なり
中学校に、
学校教育の中に、昔は修身、今は道徳があると思いますが、それを活用して、国家意識、特に今安保がありますけれ
ども、安保はもう空洞化して機能をこれから果たさないと思います。みずからはみずからの力でもって、
日本人は
日本人でもってこれからはしっかりと生きていくような人間を私はつくっていかなきゃならない、こう思います。
この間も
予算委員会で私言いましたけれ
ども、よくリベラルと簡単に使っちゃいますけれ
ども、リベラルというのは自由じゃないんです。自分の意思で決定してそれを自分で行って、そして最後の責任は自分が負うというのが私はリベラルの本当の精神だと思うんです。だから、今度の日教組の問題も大変私は残念に思っております。
そういう
意味で、人間に例えますと、
教育というのは私は体だと思うんですよ。それで、例えば産業とか経済とかいろんな基盤のことについては、これは洋服なんですね、言ってみれば、人間にとってみると。だから、幾らきれいな洋服を着たって、幾ら立派な服装をしたって、やはり体や心が汚れておったり薄汚かったらこれは何にも人間としての価値がないと思う。だから、
日本においても、
教育というものはまさに体だと思いますが、その体が侵食されたり不健康であったりしたならばこれは本当の
教育の効果が上がらない、私はこう思うんですね。
ですから、もうちょうど五十年たった。
社会党さんも自民党と組んで今連立与党になっています。ぜひこれから未来に向けて、これからの五十年間に向かって、
日本の
教育はこういうふうな
子供を育てるんだという旗を自信を持って
文部省が高々と上げてもらいたい。それをみんなでもって、大勢の人の
意見を聞いて、こういうものがいいだろうということをやるなら結構です。別に
文部省だけでかつてのようにつくることはないと思う。しかし、そういうものがないということは、価値観の多様性は結構ですけれ
ども、やっぱり最小限度、平和であるとか隣人を愛するとか、親に孝養を尽くす、あるいは
先生に対しても敬愛する、そして友達同士が仲よくやるというようなことは、これはもうぜひ必要。
それからもう
一つ大事なことは、やっぱり宗教的を雰囲気といいますか、別に宗教に利用されちやいけませんけれ
ども、何か
子供たちがそういうことに接することにおいて私は効果が上がってくると思うんです、これは私の
考えでございますが。
文部大臣として、私の今の
お話を聞いて、いやそれはあかんとおっしゃるならそれで結構でございますし、それも少しは
考えた方がいいということでしたら、それもまた将来必ず
考えていただきたい。これはすぐ、きょうあすの問題じゃございませんけれ
ども、ひとつその御感想をお願いいたしたいと思います。