○星川
保松君
地方分権について
お尋ねをいたしますが、最近、現役の
市長をなさっておる友人と会いましたら、今回の
地方分権はベストチャンスでありラストチャンスだと、こういうことを言っておられました。私も、今回やらなければまた何十年か本格的な
分権はできないのではないかということからして、関係の両
大臣には大変大きな期待を持っておるところでございます。
それで、今この思い切った
地方分権をやらなければならないということは、今までは大変な中央集権的な日本の政治の形になっておるということなわけでありまして、なぜこういう中央集権的な形になったんだろうと思って、ずっと歴史的に私調べてみました。
その最初の形ができたのはやはり明治維新だと思うんですね。明治維新の際に、明治新
政府がいわゆる慶応三年に大政奉還ということで幕府の
権限を移譲させたわけです。しかし、幕府というのは大名の中の
一つの頭領にすぎないわけでありまして、三百諸候が残っておったわけでございます。それで三百諸侯の今度は
権限を取り上げるということで、初めにいわゆる版籍奉還をやらせて、それで廃藩置県をやったわけです。
そのときのことを調べてみますと、これはもう大変な
仕事であったわけです。何しろ三百諸侯みんな武力を持っている
地方団体なわけでありますから、それから全部
権限を取り上げたということで大変な苦労をしているわけなんですね。そうしていわゆる近代的な
統一国家日本をつくったわけでありますけれども、そういうことでずっとあの戦前の七十数年間、いわゆる大日本帝国憲法のもとで中央集権的なことをやってきたわけですけれども、ただその際
地方の
権限を根こそぎ取り上げたというのは、日本の
統一国家をつくる際の
一つの特徴であったと思うんです。
そのときにそれぞれの
地方の
権限をそのまま生かしながらやったのがいわゆる連邦
国家なわけなんです。
アメリカの場合はいわゆる入植者がコロニーをつくってそのコロニーがそれぞれ国をつくっていったと。スイスあたりを見ましてもやはりそういう
地域の
権限を生かして連邦
国家に持っていったんですね。
そういうことから比較しますと、もう根こそぎ取り上げてつくったというのが日本の特徴だと思うんですよ。戦前はそれでずっとやってきて、いわゆる戦後の新憲法ができて初めてこの
地方自治という思想が入ってきたわけです。ですから、そのときに、憲法の中に「
地方自治」というあの第八章に規定をした際に、私はそれまで根こそぎ
地方から集めてしまった
権限を思い切って分け与えなければならなかったと思うんです。それをほとんどやっておらないので、まあ目につくのは官選の知事を民選の知事に変えたとかということで、
権限そのものはほとんどそのときに移譲しておらないわけなんですよ。
ですから、戦前七十数年、戦後五十年ずっとそういうのが続いてきた。百二十数年間続いてきたいわゆる中央
政府の
権限を、言うなれば明治維新の逆をいって今度は
地方に返さなければならないというのが今日の
地方分権の問題ではないか、こう思うわけなんです。ですから、
地方から取り上げるときには幕府ももちろんそれから三百諸候も大変な抵抗を示したわけで、今それを今度分散していくということになりますと、官僚の皆さん、各省庁の皆さんが明治維新の逆の
意味で大変な抵抗を示しているんじゃないかなと、こう思うんですよ。ですから、お二人が今後どういう気持ちで
地方分権を進めていくか、その意気込みといいますか、それに大変大きくかかっている、こう思うわけなんですよ。
そういうことで、まず
機関委任事務のことでありますけれども、だから新憲法ができて
地方自治という考え方が入ってきたときに、本来なれば思い切って
分権すべきことをやらないで、
権限と財源は中央
政府が握ったまま、
仕事だけは
自治体にさせるというような極めて私はこれは変則的なものだと思うんですよ。それが今日の
機関委任事務としてずっと
別表に長官がおっしゃったような形で残っているんじゃないかと思うんですよ。私のような
地方の
行政経験をしてきた者からすれば、あの
別表をずっと読んでいきますと腹が立ってくるんですよ。何でこんなことまで
法律でやって
地方に移譲しないで
政府がやっておるのかと。まさしく
地方を無
能力者扱いしているなという気がして腹が立ってくるんですよ。
ですから、そういう
意味でまず第一に私がお聞きしたいのは、なぜ新憲法のときに
権限移譲を思い切ってしないでこんな
機関委任事務などという形で大量のいわゆる
事務をこういう形で残したのか、そこのところをまずお聞きしたいと思います。