○
萩野浩基君 新緑風会の
萩野でございます。
医療面とかまたライフライン、
住宅面につきましては同僚
委員の方から質問がありましたので、重複をなるべく避けたいと思います。
宮城県沖
地震、これは今回とは比較になりませんけれども、やはり二十名以上の方が亡くなっており、私の家もそのときに一部破壊いたしましたが、そういう体験もしております。
それからまた、私は福祉教育にかかわる大学の教員として、また一市民としてじっとしておれない
状況でありました。だけれども、払うれしかったのは、私がそう思っているよりも先に学生たちが駆けつけたということであります。そこで私は、実際に学生には申しわけないと思ったんですが、後から追いかけたというのが
実情でございます。
宮崎委員も現に行かれたというのをきょう冒頭に聞きました。シーイング・イズ・ビリービングということわざがありますが、もちろん大臣も二度もいらしておられるのでわかると思いますが、私はとにかく
国会議員のバッジは外して一市民として行く、そしてやはりそうせざるを得ないというので駆けつけた若者たちを激励し、またこれから未来に向かって何ができるかと、そういうことを考えて、電車のちょっと使えるところは使う、タクシーにちょっと乗せてもらえるところは、もうここからは無理ですというところは長靴でずっと歩きました。
そして、うれしかったのは、私のところの大学だけではなくてよその大学の、私はいろんなところの大学に
関係しておりましたので、声をかけられて、若い者も本当にやっているなというので涙が出る思いでありました。
私はきょうは、このボランティアに絞って質問をさせていただきたいと思います。
ボランティアというのが重要なことはもう叫ばれておりますけれども、公的機関に登録したボランティアというのは、御案内のとおりに大半は指定の
避難場所で活躍しております。御案内のとおりに
神戸には外国の方もおられます。そういう中から、そういう指定の
場所ももちろん行きましたけれども、私は特に、そうではない個人で組織されたまさに草の根ボランティアというかそういう未指定の
避難場所に行ってまいりました。
青いテントが四つ、五つというようなところで炊き出しをしたりしている、そういうのを見、またあるところには、日本語をかなり話される外国の方なんですが、やっぱりオーバーステイだとかいろんなことがあるんでしょう、こっちがかなり質問をしても、ある以上は貝のごとく口を閉ざされている人もあります。
だけれども、人道的な立場に立ち、ヒューマニズムに立つ日本としましては、そういう点では差がなくやっておられますけれども、そういうのを根っこで支えておるのが若者たちのボランティアだということを私はこの目で見てきましたので、それをまず最初に申し上げておきたいと思います。
民間ボランティアというのは非常に迅速性があるんですね。だから、やっぱり民間ボランティアというのをこれからもう一度今回を経験にしながら
見直していかなきゃいけない、そのようにも私は実感として感じました。
それはなぜかといいますと、画一的な視点から見るのではなくて、
社会福祉の面からいいますとケースワークというのがございますが、個々の
ニーズにこたえるそういう援助体制というようなものが必要ではないかと思います。そういう必要性を感じた若者たちは、もう自分たちでテントの中で寝袋で過ごしながらやっております。
私は福祉の施設にも行きましたが、そこにおる方は本当に狭いところに、何十畳ぐらいですかね、四十畳、もうちょっとあったと思いますが、その中に百何名いらっしゃるんです。普通あそこは老人ホームと言わないで、憩いの家とかそういう呼び方をしておるところが多いんです。
そこに行きましたら、私なんかは本当にありがたいんだと、隣のお見ちゃんが引っ張り出してくれた、あのままおったらもう焼け死んでおったんだと。そういうので涙ながらに、私は
国会議員のバッジを当てていないからある意味ではそういう本音が出たので、もし当てておればいろんな要求がぽんぼん出てきたかもしれませんが、私は言いました。私も
国会議員ですから、行って頑張りますと、私はもうこれ以上身分を隠す必要はないと思いましたので、そのように言った。これは私の実感でございます。
いずれにしましても、私は百聞は一見にしかずと言いましたけれども、一見は体験にしかずと、そんな感じがいたしました。だから、
状況を知らずして語ることはできない、そういうので、これから後のケアということが非常に大事じゃないか。特に人災かどうかというのは、もう起こったこと幸言っても仕方がないので、これからどのようにしていくかということが私は特に大事じゃないかと思います。幸いにも今日、自然災害ということになっておることの裏にはボランティアの存在と支えがあったということを教訓として学ぶべきだろうと思います。
これは、特に参議院の
厚生委員会でございますから、私はもう少しロングスパンで考えてみたいと思います。
まず、これはとりとめもないアトランダムに話しますけれども、このごろの若い者はどうしようもないということをよく言います。だけれども、私が行ったところの数多くのお年寄りの方が、このごろの若い者はもう本当に感心したと言うのを聞きました。私はこれで教鞭もとっておる一人として、大変心強く思いました。逆に私なんか怒られました。私は大分年寄りに見られたかもわかりませんけれども、そういう人よりも若い人の方がよっぽど役に立つんだというようなことを言われたような気持ちがいたしました。それが一点。
それから、これも先ほど来出ておりましたが、年老いた方また障害を持った方、こういう
方々に対して手厚いものがやっぱり必要だということを本当に感じました。そういう方が本当のボランティアといいますか、もう自分の命は考えずに飛び込んで引っ張り出して、助けられた方の生の声も聞きました。
これから先を見ますと、慢性疾患の病気を持った方とかいろんなのはあると思いますが、とりあえずけがをされた方のいろんな処置はかなり進んでおります。だけれども、施設に私が行ったときも感じたんですが、何か話したいんです。だから、今度はメンタルな心の悩みというものが大変出てきております。そういう点もこれから特に注意していかなきゃならないだろうと思います。
私は、文化的に進んだ国かどうかをはかるバロメーターは、福祉、
医療、教育、
環境、こういう問題が大体どこまで進んでいるかまた災害のときでもどういうように
対応できるか、これが
一つのバロメーターだと考えております。そういう点から今後この問題を十分取り上げていくべきだ、そのように考えております。
それから、ここで私、最初に申し上げましたが、何かボランティアに頼る、ボランティアは確かに無償だということでありますし、ボランティアという話源はもともと義勇兵というところからきているのはもう大臣も御案内のとおりと思いますが、だからみずからわき出るものであることは確かなんですが、それが日本は外国に比べて完全におくれております。私もしょっちゅう外国に出かけて、また向こうで教鞭をとったりしたときにもうそれを本当に感じます。私は、それを補うのには何としても小学校、中学校、高校、この辺から教育の中に完全に織り込まなければだめだ、このように思います。
ですから、そういう意味で、大学入試等に関しましても、私のところなんかはボランティアをやっていた者は推薦入学ではちゃんと特別扱いにしておりますし、このボランティアに関してもっともっと
厚生省と文部省がリンクして、どっちが先でもいいですから、特にできればリーダーシップは
厚生省の方から文部省に働きかけてボランティア教育をカリキュラムの中に確実に入れる、その方向で努力するという言葉を大臣からいただきたいと思います。