○三上隆雄君 私は日本社会党・護憲民主連合の三上であります。
今回の
建設委員会の
質問については、それぞれ同僚議員からいろいろ
質問がございました。その
前提に当たって、五千名以上に及ぶ亡くなられた
方々、そしてまた多くの
被災者に対して、私もまた謹んで哀悼の意を申し上げ、御冥福をお祈り申し上げたいと思います。なおまた、多くの
被災者に対して心からお見舞いを申し上げる次第であります。
野坂、
小澤両
大臣については、今月の十七日からというそれぞれ皆さんの御発言がございましたけれども、私は、昨年の暮れから大変心労を煩わし今回の
災害に対して大変な御努力をされていることにまずもって敬意と感謝を申し上げたいと、こう思います。
先ほど来、今回の
地震の固有名詞についてもいろいろございました。一応
神戸南部
地震と言わせていただきますけれども、その前に、青森県の八戸市を中心としたいわば三陸はるか沖
地震、八戸市民にとっては、はるかと言わない、直下
地震というほどの
震災であったなと、こう私ども感じておりますし、あの段階では大変な
被害が出たわけであります。八戸にとっても、死者が二名、そしてまた重軽傷合わせて七百八十五名というこれまた甚大な
被害であったわけでありますけれども、先般の
神戸南部の
地震においてそれをはるかにはるかに上回る事態が生じたわけであります。
振り返ってみますと、一昨年の奥尻沖
地震、それから約三十年前の十勝沖
地震。今私の手元にあるこの
資料を見ると、まれに見る
地震だと言うけれども、一九二三年、大正十二年の関東
大震災からおおよそ七十年で、ことし一月十七日の
神戸南部
地震まで数えればマグニチュード七・五以上の
地震が十九回。我々の世代に入って、一九四六年の南海道
地震、これがマグニチュード八。それから見ても、十四回に及んでいるわけであります。
だとすれば、
地震というものは私どもがまれに来るものだと、そういう認識でこれから対処してはならないなということを痛感しながら、これからの復旧に当たって、あるいは復興に当たって対処していかなきゃならぬなと、こう思うわけであります。
我々人間は、その科学技術とそしてまた機械、物質文明を謳歌しているわけでありますけれども、果たしてこの工業技術、科学技術という人間のわざというものを過信していないか、そう思うわけであります。
今まで我々人間が生きてきたその態度というものは、安全よりも
利便性を求めて、国もそしてまた組織も国民それぞれが一心不乱に立ち働いてきた。そして、日本の経済的な一応繁栄があるものだと、こう思うわけでありますけれども、しかしこのような連発する自然の猛威には、いかに人間の力が微小微力なものであるかということを今回の
災害で痛感せざるを得ないわけであります。今回の余りにも悲惨な犠牲をこれからの人間社会にとって貴重な体験として、新しい国づくりに国民一丸となって取り組まなければならないと思うわけであります。
村山総理
大臣初め
建設大臣、
国土庁長官、内閣全体が、今までの危機管理が極めて不備な体制の中にあるにもかかわらず、今回の初動のおくれを
指摘、批判されながらもそれに屈することなく、真摯な努力と御苦労に対して改めて敬意とそしてまたこれからの復興に対する御期待をしながらより一層の御努力をお願いしたいものだ、こう思っております。
今まで衆議院、参議院、両特別委員会、あるいは予算委員会等々でいろいろな御議論、そしてまた御提言がございました。先ほどこの委員会においても復興法の制定云々、そしてまた
都市再開発
計画、
ニュータウン計画等々の
質問とお答えもございましたけれども、やっぱり
都市にこれほど人間が、経済が、科学が、すべてのものが集中すること自体に私は問題がある、こう思うわけであります。
これからの
神戸の復旧、復興に当たってそれぞれ新法も設けて検討に入っているようでありますけれども、少なくとも私は、今までの
東京一極集中から、多極分散型の国土形成というその理念に基づいて、単なる
神戸地域の再開発ということだけでなく、日本の
都市がどうあるべきか、日本国全体の開発発展がどうあったらいいのか、そういう基本に立ってこれからの
計画立案、そして
行政執行に当たっていただきたい。
その
意味で、両
大臣の御決意を伺って、具体的な問題に入ってまいりたい、こう思います。よろしくお願い申し上げます。