○猪木
寛至君 余り時間がたいものですから、きょうはとりあえず二十六日から行ってまいりました報告をちょっとさせていただきたいと思います。
出発に当たって
アメリカ政府も大分気を使ったようで、モハメッド・アリ氏を同行させたんですが、出発前まで許可がおりなくて、彼は恩義を感じてというか、
日本へお断りの
記者会見ということで来たんですが、出発前にいろんな
議員さんが動いてくれて許町がおりたということで一緒に行くことができたんです。アリという人の存在というのは我々が考えている以上に大きいというか、そういうことで北朝鮮としても大変歓迎をしてくれたわけたんです。
イベント自体は、大変な盛り上がりというか、あちらの
政府の方の肝の入れようというのは大変だったんですが、とにかくイベントが終わるまではいろんな話が一切できないという
状況でした。そして二十八日にイベントが行われたんですが、これは初めてプロレスを見せるということであちらの方にとっては戸惑いがありまして、なかなか
日本のような反応が返ってこたいということで、
関係者が私のところに来てこれで大丈夫ですかというので、翌日の二十九日は私がメーンイベントをとるということで、任せてくださいと、私も三十五年のキャリアがありますから。そんなことから十五万人という
発表になっていますが、実際は十八万人から十九万人、立ち見が入っだということです。私も初めての経験なんですが、とにかく会場がずらっと。
そして、本当の、ある意味ではマスゲームとか人文字とかいうのは何か全体の北朝鮮の顔みたいな感じで出ているわけですが、今回は全く反社会主義的なもの、要するに個人のスポーツという部分で、これがいろんな外人の記者からも質問があったんですが、それをドッキングさせたということで非常におもしろかったと思うんです。
最後には、とにかくその十五万人あるいは十九万という
人たちが一体になりまして、猪木コールがかかったということで大変私自身も先栄だったんです。
例えば私のテーマミュージックというのがありますけれども、非常に音楽の
規制もあったり、例えばリングヘ登場するときに「アリラン」という音楽がかかってもちょっと気合いが入らない。そういう意味では
アメリカのロック的な音楽が初めて流れた。テレビが全部これを放送していたんですが、そういうことで今回のイベント自体は大変成功だったろうと思うんです。
その中で北朝鮮の
人たちが何をそのイベントを通じて訴えたいのかということは、言葉にはなってないんですが、
一つはやはり平和ということを願っているんだろうし、大変緊張が高まる中でそういう
一つのきっかけが欲しかったんではないか。
それからもう
一つは、金正日書記が出てくるという話があったものですから我々もそれを期待していたんですが、当日姿を見せることはなかったんです。でも、多分来週あたりどこかの週刊誌がすっぱ抜くかもしれませんが、当日会場に来られていたようですね。それは、ちょうど試合の始まる前に車を置くところが大変されいに整理されて、前日はずっと車が並んでいたんですが、貴賓室があって、入ったところから大変警戒が厳しくて、ある一時期全く我々もそこに入れたい
状況ができて、そのときにもしかしたら来られたという気がするんです。本当はここで出てこられたら一番「平和」というテーマでよかったのじゃたかったかなという気がするんです。
そういう中で、我々も大変な歓迎を受けてレセプションをやっていただきまして、答礼のレセプションをやったときに金容淳さんがつきっきりでずっと我々に応対してくれました。
最後に、三十日に夜会という形で金日成広場でダンスがあったんですが、我々の一行もその中に加わって踊りました。そのときに我々は貴賓室の中でいろいろ閣僚の方ともあいさつをさせてもらって、特に李鐘玉さんという副主席、それからもう一人、朴成哲さんという二人の副主席ともごあいさつさせてもらって、そのときに金容淳さんとも約三十分ぐらい、大成功で終わりましたねということで話をしたんです。南北問題とか、それから全く私は個人的な
立場ということでいろいろ質問をさせてもらいました。
一つは、やはり大変厳しいなというのは、韓国における国家保安法というのがあります。この保安法の
内容を私は詳しくはよくわからないんですが、北朝鮮と接した人間は罰せられるという法律なわけです。そうすると、対話を求めても、要するにだれかがそれをやったらそれは処罰の対象になるということ、これを何とか撤廃したい限り我々は
交渉に応じられないという話がありまして、私ももうちょっと勉強したいと思うんです。もう
一つは、去年の主席の逝去のときに哀悼の意を表さなかったということが大変民族的な意識というか、これは我々が想像する以上に、もっとあれすれば歴史的なものというのか、そういうものも考えていかないとなかなか理解しにくい。
そういうようなことで、今回の目的はイベントを成功させるということで、お互いがそれなりの目的を達成したなという満足感を得て帰ってまいりました。
次の
段階として、日朝の
交渉も進んでもらいたいし、それから南北問題も進んでもらいたいしということです。ところが、きのうあたりの新聞を見ますと、金泳三大統領の発言なんかに北朝鮮の内部混迷軍事態勢に万全をしとか、記事が出ております。
それからもう
一つ、金正日は父なる領袖と。私も行っている間に何回かお礼の手紙を書きまして、そのときにやはり敬称、偉大なるあるいは親愛なる金正日閣下、あるいは敬愛なる、偉大なる指導者金正日閣下。きょうの新聞には、今度は父なるというのが出てくるわけなんです。私もちょっと理解しにくい部分たんですが、開会式のあいさつのときにそういう言葉が何カ所か入っておりますと会場の皆さんがうわっと一気に沸き立つわけなんです。ここでその
体制がどう変わっていくかということ。恐らく逝去一周忌を迎えたときには出てこられるんだろうと私なりに思うんです。
最後に、時間が来ましたので、要するに今後の北朝鮮の私なりに見た部分と、それからまた
政府が今とらえている北朝鮮というものを聞かせていただきたいと思います。