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樋口参考人 ILO百五十六
号条約、いわゆる
家族的責任条約の批准を目前にいたしましたときに、このような
介護休業法案の
審議の席に加わらせていただきまして、まことに光栄に存じます。
私は、
自己紹介をさせていただきますと、恐らく最近はやりの
無党派層の一人だろうと思っております。しかし、この
法案に関する限り、私は、
政府提案よりもはるかに
新進党提案の方がよろしいと思ってここに参りました。
私が
代表をいたしております
高齢社会をよくする
女性の会は、一九八二年、昭和五十七年に、進行する
高齢社会において
女性の側から発言し政策提言しようという目的を持ってつくられた会でございます。その第一回の会は、本来は単なる一回限りの会のつもりでおりましたが、そこにおいて、
女性のみに一方的に偏っている
介護を
男女ともどもに分かち合っていかない限り本当に豊かな
高齢社会はできないという確認のもとに、会を設立し、現在に至っております。現在、
会員数は超党派で各市町村の議会の議員な
ども含めまして千五百名、そして各地にグループが百以上ございます。
介護休業法に関する私
どもの会とのかかわりは、この第一回の会のときに
アンケートをとりましたときに、集まった人の二分の一の約三百名から
アンケートが寄せられましたが、その中の九七%が
女性の
就労の
継続のための何らかの
社会的条件整備を叫んでおりました。
日本の
女性の
就労継続を妨げる大きな原因として、
労働省の
調査などを見ましても、まず
育児がございます。それから、夫の転勤などがございます。そして、このごろふえてきておりますのが
老人、病人の
介護による退職でございます。
育児の方は、御承知のとおり
育児休業法ができて、大分問題の見通しはできてまいりました。
育児峠を越えて、これからいよいよ職業的な正念場と思い、時には一
たん育児で退職した人が再
就職の
機会を得て働き始めたときに、第二番目にぶつかるのが
老親介護でございます。
私
どもの会のシンポジウムにおきましても、せっかく再
就職を果たし、この人は
研究者として一
たん育児のために
仕事を
中断した人でございましたが、子供の手が離れたころから、
家族の協力を得まして営々
辛苦アメリカへ留学しておりました。そのときに、おしゅうとめさんが病気で倒れ入院なさり、そしておしゅうとさんの身辺の世話もしなければならないという理由で
留学先から
国際電話で呼び帰されるということで、また二度目の
中断をしなければならなかったわけであります。
育児というのは先の見えることでありまして、そしてまた
育児峠は越えていくことができます。
介護の方は峠と言うより
介護谷と言った方がよいのでございまして、
谷底に落ちてそのまま二度と
就労の
機会を得られないということを私たちは多々目にしてまいりました。
そして、この
女性のライフサイクルの上で二度も起こる
就労の
中断というのは、単に
女性にとって職業上の
自己実現や
経済的自立がそのときできないというだけでなく、老いの
女性の
貧困、つまり良好な安定的、
継続的な
雇用機会に恵まれなかったがために、資産も乏しく年金もごくわずかであるという
高齢者の
女性の
貧困に直結しているわけであります。というわけで、私
どもは、
介護休業法というのはもう緊急につくらなければならないといつも提言してまいりました。
そこで、今回具体的にこうした
法案の形が見えてきたのは喜ばしいことと存じますけれ
ども、まず第一に申し上げたいことは、この
期間の点でございます。
三カ月、もちろんないよりましでございます、すべて。しかし、この三カ月というのは、
高齢者の
病院、
施設などの受け皿から見まして、これは今医療のさまざまな
制度が変わって、三カ月たちますと、特に慢性的な
症状で固定しているような場合には
退院を迫られているということはよく御存じのとおりでございます。しかも、今
病院におきましては
付き添い廃止の
方向が進んでおりまして、これも私は
方向としては望ましいこととは存じますけれ
ども、
家族に対する
負担が大変多くなっていることもこれまた明らかな事実でございます。
三カ月というのは、仮に
症状が固定したとしても、あるいは家に辛うじて連れて帰ることができる方はいいのですけれ
ども、そうでないと、三カ月というのがめどで
病院から
病院へという転送がよく起こっていることは御案内のとおりでございます。三カ月というのはまさにその節目の時期でございまして、私は、この三カ月というのは余りにも短過ぎると思います。
そして、仮に自宅へ帰れたといたしましても、
高齢者の病態というものは一
症状で固定するものではございません。私
どもが具体的に
調査いたしました中でも、七つぐらいの病名を持っているお年寄りは
ざらでございました。ごく一般的な場合でも、例えば、がんその他の手術で入院なさる、三カ月
程度で一応
退院できて家に帰り、リハビリもしたし、どうやら動けるようになっているときに、
日本の
住宅事情は決して障害を持ちあるいは虚弱になった人に住みやすくできておりませんから、敷居などにつまずいて、今度は
複雑骨折で、
退院わずか一、二カ月でまた
病院へ舞い戻らなければならないなどということは、ごく
ざらに見る症例でございます。
このような場合に、果たして三カ月ということで
対応できるでしょうか。長ければいいというものではないという御
意見もわかります。しかし、ある
程度の方は一年間の中で亡くなる方もありますし、そのときにはもう
介護休業をとって親なり
家族なりの最期を見送れて本当によかったというふうに言っていらっしゃる方もあります。
少なくともこの一年間という
期間をもって、そして願わくは、それを
症状に応じて、
高齢者の
症状というものは、
介護を要する方の
症状というのはまことに個性的なものでございます。どうかすると、
高齢者というものは、一つのあり方、例えば寝たきりなら寝たきりになってそのままというような政策が多いのでございますが、実は
高齢者は、起き上がることができるようになってみたり、そして今度骨折したり、あるいはまた別な
症状が出たり、すごろくじゃございませんけれ
ども、上がりかと思ったらまた振り出しに戻ったり、そしてまた行きつ戻りつしながら、しかし人間としてどうしても避けられない死に向かうのでありますが、その
期間をどれだけ人間らしく、自分らしく過ごせるように支えるかということにこそ政治は動いていただきたいと思っております。
これが、
期間の問題と、一
症状につきというふうに言われた案の方がよいと思う点でございます。
それから、短時間
勤務ということ、これは私は、
育児休業以上に
介護休業には大事なことではないかと思っております。
もちろん、
在宅の
介護を支えていくということは大事でございますが、少なくとも今までの
状況では、フルタイムの
仕事を持つ夫婦あるいは
労働者が、完全に
施設に頼らないで
在宅だけでということはなかなか難しいものがございます。
症状が固定して、ある一定の
待ち時間を経て、これも残念なことに、例えば
特別養護老人ホームに入りますには、都市におきましては必ずまずは一年から時には三年近い
待ち時間を要します。そうした
施設あるいは比較的恵まれた
病院に入ることができましても、なるべくその
施設は近いところにあり、たびたび
家族が見舞うということが心情的にも大事であると同時に、現在では
システムの上で
家族の助力を必要といたしております。私
どもは、こうした
システムとして
家族が来なければいけないというようなことは、つまり
付き添い廃止のツケが
家族に回ってくるというようなことは避けてほしいと思っておりますが、
家族が心情として毎日のように見舞いたいということは大切にしていかなければならないことだと思っております。
さて、親族の
範囲でございますが、これもまた兄弟、祖
父母を
介護しなければならない場合も意外にございます。特に
女性の兄弟同士一緒に住んでいる場合というのは比率にしてもかなりあるものでございますし、親が倒れてしまったり何かの事情で祖
父母を見ている二十代、三十代の
介護体験記な
ども私はよく見る
機会がございます。こういうときには、必ずしも同居でなくても祖
父母、兄弟まで入れてほしいと思っています。
最も強調したいことの一つは、
施行期日でございます。もうきょうにも
介護休業制度は本当に発足していただきたい。年間八万人の
労働者が
介護を理由に退職し、その大半が
女性であるということは御案内のとおりでございます。ということは、先ほど申し上げましたように、今その人たちが退職せざるを得ないというだけではなく、大半が
女性であるその人たちの老後の
貧困を手をこまねいて再生産しているわけでございまして、
施行がもし五年後になるとするならば、これはその五倍と言いたいところですけれ
ども、あるいはもっと多いと思います。なぜならば、
日本の
高齢化はこれまた御案内のとおり世界一の超スピードで進んでおりますから、今八万人が要
介護のために退職しているとすれば、来年はもっと多く、再来年はもっと多く要
介護の
状況が出てくるに違いありません。だとすれば、この
高齢者の
介護休業制度を一年おくらせることは、それだけ未来の
女性たち、特に
女性労働者たちの
貧困を約束することになってしまうのであります。
以上が、私が
新進党提案の方がよりよいと思った理由でございますが、もちろんこのためにはちゃんと受け皿があることが大事でございます。
介護休業制度について、これはむしろ
家族介護を固定するものであって、しかも大半を担っている
女性に
介護を押しつけるものであるから、緊急避難として認めるにしても短い方がいいという御
意見もあります。私の周辺にもそういう
意見の持ち主もおります。理論的には私もそのことを納得いたします。しかし、現に
高齢者を抱える人々に聞きましたときには、この三カ月でいいと言う人はだれもいませんでした。
今、
日本人の不安の中で
最大の不安が老後の
介護の問題でございます。これだけ行く先が不透明な
日本社会におきまして、これほど確実に見えていることは急激な
高齢化でありまして、特に
介護を要する後期
高齢者がふえていっているということでございます。それに追いつく福祉サービスが十分でない中で、私たちはさまざまな選択肢を、さまざまなものをとにかくたくさんにつくっていくということが今や
国民的課題であって、そして
中小企業の御困難な様子というのはよくわかりますけれ
ども、そこはもう国を守る気概を持って、政府が何らかの形で支えることを通して
企業も国民も
家族も政府も行政も
高齢社会を支える責任を分かち合う、痛みを分かち合いながら支えていくということを、新しい
日本の国の一つの品格ある目標としていかなければならないと思っております。
最後に、きょうは傍聴席には大変
女性も多くていらっしゃるのですけれ
ども、この
労働委員会は全員男性と承っております。今、
女性の先生もいらっしゃって心強うございますが、特に男性の先生が多いからこそ、私も今までは
介護休業制度は
女性の
就労継続及び
女性の地位の問題として申してまいりましたけれ
ども、実はこれは男性の問題でございます。
育児休業制度が発足いたしましたけれ
ども、今までに
報告されている
調査で見ますと、男子の取得は〇・二%と聞いております。これに対しまして、現在
介護休業制度を持っているところでございますけれ
ども、そこで見ますと、これは
労働省の
調査の一つでございますが、男子が
介護休業を取得いたしましたのが二三・一%と言っております。これは男性がとらなければならないのはもはや必然的でございます。
昨年私は、カイロの人口開発
会議に政府間
代表の中に加えていただいて、たまたまピラミッドも見てまいりまして、そこに立ちまして本当に感無量でございました。
日本の人口構成は、ピラミッド型だったのが、今やコカ・コーラ・ボトラーズのそのボトルの形にその姿が崩れております。つまり、親は二人に子は五人で三世代やってきたのが、今は親は二人に子は二人になり、その方々が今四十の声を聞こうといたしております。今までの
日本の
労働者は、いつも上りの片道切符を持って働きに出てまいりました。そしてそれは、親の
介護や村への責任からある意味で解放された
労働力を使って
日本は来ていたのだと思います。しかし、今や一億総長男長女
社会ということは、これは男も女もなく、
介護から逃れられない人がふえてくるということでございます。
しかも、考えようによっては、
介護は男性の適職であります。
労働委員会の先生方は百も御承知のとおり、男女
雇用機会均等法とともに改正された
労働基準法において、女子に対する危険有害業務はほとんどなくなりました。残っておりますのは重量物制限でございます。断続的作業三十キログラム、連続的作業二十キログラム以上の重量物は女子は
雇用労働者においては扱ってはいけないことになっております。それが
家族におきまして
介護はほとんど
女性に今のところ任せられ、例えば私を二人がかりでおふろに入れるとしたら、これはもし
雇用労働者であったら明らかに
労働基準法違反なのでございます。そういう意味からいいますと、私は、現状でもう既に男性の
介護休業取得が
育児休業を上回っているのは非常にむべなるかなと思っております。
昔の新しい男、与謝野鉄幹は、今の与謝野文部大臣のおじい様でありますが、「妻をめとらば才たけてみめ麗しく」と言いました。今これからの新しい男は、どうぞ妻が倒れたり親が倒れたりしたときは「妻をみとらば飯炊けて、みめはともかく力ある男」、これこそ二十一世紀を担うすばらしい男性であり、そして、そうした
介護、ケアをシェアし合うシェアリングソサエティー、ケアリングソサエティーはシェアリングソサエティーと存じます。その
介護を国民的に分かち合っていくことこそ、男女共同参画の、しかも老いを決して見捨てない品格ある
社会であると申し上げて、終わりたいと思います。(拍手)