○寺前
委員 一九四九年に
制定されて、長年にわたって
就労と
生活を保障する
事業として大きな
役割を果たしてきたと
大臣も先ほどから何回かおっしゃっていました。私も、今度の
法律が準備される過程で、失対の分野で「じかたび」という機関紙を出しておられます組合があり、いろいろずっと歴史的に最近読ませてもらいました。
労働大臣様あてということで書いてある記事がありましたので、ちょっと
紹介をしておきます。
思えば、私が失対に入れたのは、
昭和三五年、主人は長期の心臓病で年中、病床暮しでした。娘は、上が小学三年、下が小学一年でしたが、その娘たちもそれぞれ結婚して、子どもの親になりました。
いま、私が寝ても起きても胸を痛めるのは、
平成八年の時です。その年、私は六三歳です。今では恥ずかしいかぎりですが、私は国民年金をかけていません。かけることができませんでした。
年中、病床の主人と子ども二人をかかえ、毎日苦しい
生活がつづきました。
私ひとりの力でなく、里方の兄が多分に協力してくれました。その兄に恩返しもできず、主人は他界しました。
このころ一番無情であったのが固定資産の差し押さえ通知です。そのハガキを子どもたちに見せたくなく隠しました。
兄が何年も払ってくれ、いまは納税にいっても冗談話にしています。これもひとえに失対
事業の収入のおかげと、いまさらながら身につまされます。いまでは六〇歳になりましたが、まだまだ元気いっぱいです。この体で嫁いだ娘をあてにすることはできません。娘は、子育てに懸命です。自分が死ぬことがあっても、娘の嫁ぎ先の
生活を圧迫できません。
大臣さまのお力で、どうか六五歳まで失対で働けるよう、また任就も十分できますようにご尽力のほど
お願い申し上げます。こう書いてあります。私は、率直に言ってそういう気持ちであろうと思うのです。
そこで、第百三十二回の国会の衆議院労働
委員会における
労働大臣の所信表明を改めて読んでみました。「急速な
高齢化の進展に対応するため、二十一世紀初頭までに、少なくとも六十五歳まで現役として働けるような社会の実現を目指していくことが重要でございます。このため、六十五歳までの継続雇用をさらに推進するとともに、高齢者がその就業ニーズに応じた多様な形態により働けるよう、環境整備を行ってまいります。」
大臣は所信表明でそう述べられました。今日、日本の公的
就労事業として失対
事業というのは積極的な
役割を果たしてきた、
大臣が、六十五歳まではみんな働いてもらうんだ、こうおっしゃるんだったら、六十五歳まで
経過措置もくそもなくちゃんと働かして、今までどおりやったらどうなんだろうかというふうに、私は、何でこんなもの廃止しなければならないのかわからぬなというふうに率直に感ずるんです。何でこういうことをやらなければならないのか。
ちょっとこの間も
民間に
就労の
状況を調べてみたら、ことし一月の有効求人倍率は全国平均で〇・六六倍、失対
事業に従事している者が多いところの京都では〇・四六倍、
高知で〇・五六倍、福岡で〇・四九倍。そのうち五十五歳以上の
年齢者は〇・一四倍、六十歳から六十四歳は〇・〇八倍と、高齢者ほど
民間に
就職するのは難しいとちゃんと数字も出ている。だから、そういうときだけに、何であえて、六十五歳までの雇用ということをやろうというときに、逆行するようなことを考えなければならぬのだろうか、私は
理解に苦しむんですが、これはひとつ
大臣に、おっしゃったお話との矛盾を感じますので、お聞きをしたいと思います。