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石破委員 要するに、今回の
阪神大震災の教訓とは何だろうかということを我々はみんな謙虚に考えなきゃいかぬことだろうと思っています。何を学べばいいのか、何が我々に突きつけられておるのかということだと私は思います。
要するに政府というものは何をするためにあるのか、当たり前の話ですが、その当たり前のことが今問われているのではないか。政府とは何であり、
内閣総理大臣とは何であるかということ、それが突きつけられている問題だと思います。
つまり、政府というのは、最終的には
国民の生命財産をいかにして守るか、これが究極の仕事である、究極ですよ。そのために我々は、どういう政府をつくり、どういう方にそれをお預けするかということをみんなが考えていかねばならぬ、
国民全部が考えていかねばならぬ、そういうことなんだろうなというふうに思っております。
いろいろな論説を読みますと、今の時代というのは大正年間に似ているんじゃないかという方があります。
総理もあるいはお読みになったことがあるかもしれません。つまり、大正時代に起こったことと今とかなり似ているねということであります。
つまり、大正時代には、第一次世界大戦が起こった。それは遠いヨーロッパで起こったことですから、日本の国は余り
関係がないので、いろいろなものを売りまくって大変ないい景気になった。成金なんぞというのが出たのはそのころの話であります。ところが、戦争が終わった途端にがたんと不況になって、大不況というものが起こった。そして、富山で米騒動が起こったのもそのころの
お話であります。軍縮軍縮の呼び声が高くて、ワシントン
会議なんぞというのが開かれたのもそのころの
お話であります。
そして関東
大震災というのが起こる、大正十二年の
お話ですね。そして、その後何が起こっていくかというと、強烈な政治不信が起こる。政治家なんというものは信用ならぬ、政治家はみんなろくでない、こういう話になる。行き着く果ては、五・一五が起こり、二・二六が起こる、こういうことになる。
別に牽強付会的な議論をするつもりはございませんが、起こっていることというのは似ているんじゃないか。つまり、冷戦構造のおかげで日本の国が漁夫の利を得たということは、これは間違いない事実である、そうだと思います。そしてまた、冷戦構造の終わりとバブルの崩壊というのは決して全く無
関係だと私は思っていない。そして米不足というのが起こり、そしてまた軍縮予算ということが起こって、そして
阪神大震災害。何もそれが必然的に結びついているとは思いません。
しかしながら確かなことは、いろいろなこと、
大震災そしてまた大飢饉、そういうものは必ず起こるものである、天変地異というのは必ず起こるものである、これは真理だと思いますね。
そしてまた、近隣の大国に政変が起これは、これは世情、世界情勢が不安定になる、これも真理でありましょう。そしてまた、軍縮をやりますと、必ず抜け駆けする国が出てくる、これも真理なんですね。
いろいろなことがそういう連鎖の上に起こってくるとするならば、最終的に起こることもまた必然性なしとしない。やはり根底にあるのは、政治なんというものは信用ならぬねということがあるんじゃないかというふうに私は思っておるのであります。
さて、
総理にお尋ねをしたいのですが、先ほど来
山本議員がるるお尋ねをしております。
山本議員がいろいろおっしゃっておられるのは、要は、政府とは何だ、政治とは何だ、
最高責任者である
内閣総理大臣とは何だという問題であります。
私は、これを一度お尋ねをしたいと思ってとうとう今日まで機会を逸してしまいましたが、
総理の七月一日の
内閣総理大臣に御就任になって初めての
記者会見であります。
私は、今回の震災のニュースを見たときに、たまたま選挙区におりました、大変な揺れでございました、これは震源地は物すごいことになっているんだろうなということを直観いたしました。すぐテレビのニュースをつけた。六時のニュースです。知ったのは
総理と同じ時刻ですね。一般の議員と
総理と、同じ時間に知っている。そのことを別に私は悪いとは言わないのです。
私が直観しましたのは、
総理が七月一日の
記者会見でこういうことを言っておられる。記者団から、PKOの問題ですが、法案の採決に対しまして、
総理初め社会党議員の
方々が反対されたり、もしくは議員を辞職されたという過去の経緯があったわけですが、その
総理が今度自衛隊の最高指揮官になる、こういう問いがある。
総理は、それに何とお答えになったかというと、最高指揮官じゃないですと明確にお答えになっていらっしゃいますね。なるということですが、そのことについてどう考えられていますか。記者団も余りびっくりしたのか、その後追及をしていませんが、私これは文章で読んで、もう一度
総理の
記者会見のビデオを
見直したのです。
総理の
記者会見、私、ビデオに撮りました。
見直しました。確かにこのようにお答えなんですね。
そして、大変失礼な話でございますが、
総理、ずっとにこにこ笑みを絶やさずに御答弁になっておられた。そして、あなたが今度最高指揮官になるということについてどう思いますか、最高指揮官じゃないですということをおっしゃって破顔一笑なさっているのです。このことを私はすぐに連想したのです。
野外病院がどうのこうのという議論、そのことに自分は直接関与もできないし、そういうこともあればあるかもしらぬ、そういう御答弁でございました。
しかし、湾岸戦争のときに、私、自由民主党におりました。自由民主党の中でさんざん議論をされたのは、こういうときに役に立つ組織は何なのかということだったのです。自衛隊を出すわけにはいかない、そういうわけにはいかない。では、何ができる。自己完結型の組織でなければいけない。自分で何から何までできるものを持っていかなければ、こういうときに役に立たないんだ。そういう組織を持っているのは自衛隊しかないであろう。自衛隊のそういうような組織を
派遣することができるか、できないかということがあのときに一番の議論になった。そのことをよもや
総理が、自分は社会党であったから知らない、そのようなことは私は思っておりません。
今ごろそのことを蒸し返すかと言われるかもしれませんが、私がどうしても得心がいかないのは、七月一日の
記者会見で、あなたは最高指揮官になるということをどう思いますかということについて、最高指揮官じゃないですと明確にお答えになり、破顔一笑なさったというのは、これは
一体どういうことであるのかということであります。
それで、
内閣総理大臣がオールマイティーだとは思いません。スーパーマンだとも思いません。私に何もかも要求されても、それは無理だ。さっきから組織だ、組織だ、政府の組織だというような声があちこちから上がっていますね。確かに組織なんですよ。独裁国家でもありません。しかしながら、
総理大臣が自衛隊の最高指揮官であるということを認識なさらずに、そのことを御存じなく
総理大臣に御就任になった、これは
一体どういうことであるのかということなんです、私が問いたいのは、基本的な認識として。
そして、それはかなり恐ろしい話だと思うのですね。
総理大臣が自衛隊の最高指揮官であるということが、これは自衛隊法にきちんと書いてございます。よもや御存じなかったわけではないでしょう。そしてまた、憲法の中にも、
内閣総理大臣その他国務
大臣は、文民でなければならない、そういう規定がある。護憲の旗を高く掲げられた
総理が御存じないはずはない。六月三十日に認証式が済んでいるのです、七月一日、その次の
記者会見でそういうことをおっしゃった。
私は、
総理大臣というのは幾つもの顔を持っていますが、一つは行政の
最高責任者という顔ですね、当たり前の話。もう一つは、それともちろん密接に連関を持つことですが、自衛隊の最高指揮官であるという顔を持っておって、それがシビリアンコントロールの根幹であって、一番それが大事なところじゃないか。過去の大戦の、あれを繰り返さないために、絶対そういうことがあってはならない、これが我々日本
国民の一番の平和のよすがとするところじゃないか。そのあなたが、
総理大臣が、指揮官じゃないですとお答えになっているというのは、これはどういうことですか。御存じなかったのか、照れてそうおっしゃったのか、どっちですか。