○
五十嵐(ふ)
委員 国民負担率の上昇を抑えるという
観点から、また、
スクラップ・アンド・ビルド、肥大化しがちな
行政組織を常に
見直し、縮めていく
努力をしなければいけないということはそのとおりでございまして、これは先ほど言った、
日本の民の
経済力、民間の
経済力の
活性化を図るという
意味からと同時に、もう一方では
行政コストという
観点からやはりやらなければいけないということだろうと思います。
官僚の
制度、
行政システムというのは非常に硬直的でございまして、あるいは肥大化しがちだ。これは、例えばお役人、
官僚の
方々と話をしていればわかるわけですけれども、
予算は多ければ多いほどいい、それから、
仕事の面でいえば、省令でやるよりは
政令でやる
仕事、
政令でやる
仕事よりは
法律に基づく
仕事の方がいい、これをとれば手柄になるというのはすぐわかるわけでありまして、そういう
体質が必然的に備わっている。これを常に
見直していかなければいけないということは確かなことだろうと思います。
そして、その
官僚制度の
硬直性はいろいろなところにあらわれてくるわけであります。例えば、もう既に
民営化されていますけれども、JRの西
日本が、今回の
震災対策でも、いろいろな手抜きないしずさんな工事というのが発見されたにもかかわらず、
安全対策に間違いはなかったと言い
張っている記事が、本当かどうかはとにかく、見受けられました。あるいは、
ロス地震や
サンフランシスコ地震で、
日本の場合は安全なんだという
関係者の説明が、今ではかなり振り返られて問題になっているわけであります。
あるいは
厚生省関係でも、今回でも、
避難所で
点滴をしてはならないというような指導が
最初行政からなされているわけですね、これは
厚生省というより地元の
自治体でございますけれども。
法律には、確かに
医療法では
病院以外のところで
診療行為をしてはいけないということになっているわけですけれども、
病院がつぶれた
状態の中で、それではどうして、どこで患者を救うのか。
本来
病院外で
診療行為をしてはいけない、あるいは
点滴をしてはいけないということはどういうことかというと、これはかってはかなり
衛生状態に
心配があったからでありまして、今のような
社会になってからそういう厳格な運用というものが必要かどうかというのは問題になってくるわけですけれども、とにかく硬直的な、いわゆるしゃくし定規の官権の発動というのは行われがちであります。
これはどこに起因するかというと、
規制の問題と同じなんですが、
規制もなぜ行われるかというと、
国民のお上に対する、いわゆる
行政に対する
依存体質が問題でございます。これに対して、またその反動で裏腹に、何か問題があったときはお上の責任を追及をするということになりがちでございます。いわゆる
国民の自律的な判断と自己責任ということよりも、
行政の側、お上の側の判断に頼り、その責任を追及するという
体質があるために、安全を守るために
規制規制、むしろかけてくるわけです。
ここまで手を尽くした、ここまで
規制をかけて
国民の安全を守ったんだということを
国民に証明しようとする、これが
日本の
規制の発端であり、また今言った
官僚の運用面での硬直化といったものも、完璧主義、責任追及とは裏腹に完璧主義を貫かなければいかぬ、あるいは無謬論で貫かなければいかぬ。一度も間違ったことはございません、絶対に安全なんですということを言うわけでございます。
ここに大きな問題があるわけですけれども、
日本の国全体が、
行政全体が
一つの目標に向かっている間はいいわけですが、海図のないこの変化の激しい
社会に乗り出した今は、私は、むしろそれが
日本の将来にとって禍根を残すことになる、未知の事態、激変に対応できないということになるのではないかなと考えております。
私は大学
時代ギリシャ語を勉強した者でございますけれども、古代ギリシャでも、一番の罪はヒュブリスと言います。これは神々と自分を同等だと思うことであります。すなわち自分には欠陥がないと思うことが最大の罪であって、
日本語では傲慢と訳しますけれども、これが破滅に、カタストロフィに至る道なのであります。
あるいは、卑近な例で言えば、野球でも得意なコースのすぐわきに実は欠陥がある、重大な穴があるということをバッターの方でも言うわけですけれども、まさに
日本は、自分たちは正しい道を歩んでいるんだ、
日本の
官僚が自分たちは聞違っていないんだと思うところに、実は
日本の
経済がこのまま
発展できないもとが隠されている可能性がある。これを謙虚に反省をしていく、そして、自分は間違っているかもしれない、これは完全、絶対に安全というわけではないかもしれないというところをいつも自己検索をしていかなければいけないのではないかなと思うわけであります。
そういう
意味から、
担当大臣が来られておりますが、
経済企画庁長官、先ほど私、長々とお話を申し上げましたけれども、私見を申し述べましたけれども、
貿易摩擦と
空洞化に対処する方策として、私は
規制緩和が絶対とは言いません。まさに
規制緩和は必要だと思いますが、別の面もあると思っているのですよ、実は。
それはどういうことかというと、
規制を
緩和することによって、
日本の
経済の
体質の
一つの欠陥の象徴である過当競争というものがあるわけですね、この問題にも一方で対処をしていかないといけないということで、
アメリカの自動車
業界はなぜ怒っているんだろうか、いろいろなことを言うけれども、
日本の
業界が
アメリカという世界に過当競争を車の世界で持ち込んだからだと私は思うのです。これは、
日本型の薄利多売方式を押しつけたから
アメリカはその
日本の自動車輸出に対しては拒否反応を持ったのだろうと思っているわけでありまして、
規制緩和が生じるということは新規参入が多くなるということですから、もともと過当競争
体質のところには非常につらい面も出てくるかと思うわけですね。
その過当競争という側面も一方では持つけれども、しかしそれにしても
規制緩和というものはやはり必要なところはかなり続けていかないと、先ほど言ったように、私は、
日本は国際
社会の競争の中で生き残れないと思っているわけですけれども、そういった大きな
観点からの御所見をお伺いをしたいと思います。