○五十嵐(ふ)
委員 そのときにも、法制上、例えばそういうところでは点滴がどうかとか、保険診療の適用がどうかというような問題でトラブルがあったと伺っておりますから、そうした問題についても法制上これからきちんと私は御検討をいただきたいと思います。早急に御検討をいただきたいと思います。
それから、こういった
災害を、いかにその教訓を生かすかということが大切でございまして、例えばマスコミのヘリがたくさん飛びました、あの後。ボランティアの皆さんに聞きますと、マスコミのヘリが低空飛行で飛ぶために、その風によって火災があおられたという事実があると申しております。
それからまた、こうした被災が起きたときには、生き埋めになった方をいかに早く、迅速に救うかが大切でありますけれども、ヘリが飛ぶことによってそのか細い声がかき消されるということが確かにあったそうでございます。ですから、マスコミの方々も、だれかの責任を問うより、みずからあるいは何人かの命を奪ったかもしれないということを反省をしなければいけないわけであります。
外国では、確かにそういう経験をもとにしてヘリは飛ばさないのです。こういう
災害があったとき必要最小限のヘリしか飛ばさない、そういう法制をきちんとしているわけです。ですから、
我が国もこれを教訓にしてそうしたことも考えていかなければいけない。
それから、例えば救援物資についても、全国の善意が集まりました。集まったけれども、市役所にみんな山積みにされて、トラックの運転手さん、みんな次々置いていってしまう、どうしていいかわからない。市役所の職員の皆さんは、ふだんからデリバリーの専門家ではございませんから、それができないわけですね。そこで、ボランティアでそうした物流の仕分けの専門家を経験をしていた人が仮に指揮に立って、これはこのトラックからおろさないで、直接この避難場所に届けてくださいというような交通整理をやって、やっと物資が円滑に流れ始めた。
前にも、
総理がどこかの救助犬より遅かったか早かったかという質の低い
議論がありましたけれども、実務でありますから、この
世界は。ですから、指揮官はきちんと指揮できる場所にいるべきである。前線に飛んでいけばいいというものではないのであります。
実務という問題が非常に大切でありますから、そのときに、ですから官の
世界には、行政の
世界にはそうした専門家はいません。いかにボランティアの皆さんと、NGOと連携をとるか、あるいは、官の領分だ、いや民間の領分だと争わないで、あるいは官がメンツを捨ててやれるかということをやはり十分に検討しておく必要があるんじゃないでしょうか。官は官の
世界だけで、メンツにこだわってその
世界だけで処理しようとすると、これはできないんです。
NGOというものが脚光を浴びましたけれども、
日本ぐらいこれについて、このNGOについて地位が与えられていないところはありません。法的にも与えられていないわけであります。税制上の優遇
措置もございません。
私ども、本当に反省点の
一つなんですけれども、早くからこれに気づきまして、実は
大蔵大臣も含めて、昨年の十月には全国のNGOの重立ったところ十数団体と二時間ばかり
大蔵大臣のお時間をちょうだいをして協議をいたしました。何とかその寄附金が集めやすいようにできる工夫がないかということを協議をいたしました。そのときにもっと急げばよかったわけでありますけれども、私は、余り手がないなど、ただ、
一つの団体にあるいは幾つかの団体に協議機関として入っていただいて、そこを認定する形でそこに入っている個別のNGOの団体はすべて優遇
措置が得られるように、あるいは公益法人の法人格が得られるようにしたらどうかということも考え、
大蔵大臣からもそのようなお話があったわけですけれども、なかなか、その後検討が急速には進んでおりません。
このような点についても、私も含めて深く反省をして、早急に諸外国並みにNGOの役割を支援できるように、これは、今までNGOということに対して関心が薄かったし、あるいは官と対立感情というものがとかく生まれがちでありました。これからは、官と民とは、これは互いに足りないところを補うような存在としてなければならないと私は思います。
官庁は、これは大量に平等に運ばなければいけませんから、救援物資についても、なかなか小回りがきくところに行きません。これはボランティアの方々が自転車で必要なところへ運び届けるという方が早いに決まっているんです。官庁にはなかなかそれができないんです。官庁が本格的に動き出すまでの間、これはボランティアに頼らざるを得ない
部分があります。それも認めなければいけない。
全部官に頼るということではいけないと思うし、また、被災者、地域住民にとっても、官が本格的に救援に入るまでの間は、やはり互助組織というものが必要なわけですね。お互いにだれがどこに寝ているかということ、やみくもに救援隊が来ても、だれがどこにどういう構造のおうちに住んでいたかということがわからないと、なかなか有効に助けられないわけでありまして、それは、お互いに助け合うというふだんからのコミュニケーション、そしてコミュニティーのあり方というものが私は大切になってくるんではないかと、そういったことも含めて反省が必要だと思います。
また、きれいな話ばかり伝わっできますけれども、現地の、NGOとして働いていただいたボランティアの方々に聞きますと、お母さんが、自分の子供がまだ瓦れきの下に埋まっている、生きているかもしれないから助けてと言って泣き叫んでいるにもかかわらず、その脇を、これは笑いながら
関係ないよと言って手を振りながら通り過ぎていってしまう若者もかなりたくさんいたというふ
うに言っておりました。
私どもは、ただだれが悪いということではないんです。教育も反省をしなければいけない。大量生産、大量消費、あわせて
経済の成長をなし遂げてきた。その一方でそれは悪平等を生んだ、あるいは画一主義の教育を生んだ。その中から私たちは
経済第一に走り、ミーイズムということを前にも言いましたけれども、悪い
意味での個人主義だけが発達した
部分もあるし、それから、そうした他人のことを思いやるあるいは人のためになりたいという、役に立ちたいという気持ちが本来ならばある国民のはずなのに、それを失わせてきたところがないかという
部分がございます。そこは、こういったところにやはりいろいろな行政分野のひずみが断面としてこの大きな
災害の中にあらわれてきたというふうに受けとめるべきではないでしょうか。その謙虚さが私たち政治家や行政には必要だというふうに考えます。
先ほど申しましたけれども、実はあるラジオ放送を聞いていましたら、外国の小さなお子さんたち、将来何になりたいかという話の中に、人の役に立ちたいという話がたくさん出てくるのです。ところが、その人の役に立ちたいという、役に立つ人間になりたいというのが、一番その割合が少なかったのは
日本人だというふうに、実はそこでも出ておりました。ある統計があるとも聞いておりますけれども、そうしたことがないように、私どもは画一主義の教育を防いで、人の、自分以外の存在のために、自分の国を愛するのも大切ですけれども、自分の国以外の存在にも目を向け、また自分以外の人々にも目を向ける、そういった教育に力を尽くさなければいけないと思います。
私は、そういう反省を私ども一人一人が必要だということを申し上げたいわけでありますけれども、教育改革についてはまだ機会があればじっくりと話をさせていただきたいと思いますが、今回のことについて、文部省もそういった
意味で例外ではない、反省の例外ではないという観点から、文部
大臣から一言お話を伺いたいと思います。