○倉田栄喜君 私は、新進党を代表いたしまして、ただいま
議題になりました刑法の一部を
改正する
法律案につきまして、総理並びに法務大臣に質問をいたします。
現行刑法二百条の「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス」という尊属殺人の
規定は、
昭和四十八年四月四日の最高裁判決において憲法に違反するとされたものであります。この違憲判決から既に二十二年の歳月が流れております。
そこで、質問の第一は、この違憲判決から二十二年を経た今日に至って本法案を
提出するに至った
経過と本法案
提出の
趣旨を法務大臣にまずお尋ねいたします。
次に、尊属殺人並びに尊属傷害致死、尊属遺棄及び尊属逮捕監禁の各尊属加重
規定の削除についてお尋ねいたします。
まず、尊属殺人罪に対する
昭和四十八年の最高裁判決は、いわゆる手段違憲の立場であります。
すなわち、その法定刑が死刑または無期懲役しか
規定されていない点で、被告人たる子に最大の同情の余地がある一方で、
被害者たる親が最大に非難される場合であったとしても、現行法上、執行猶予の余地がなく実刑であるという点をとらえ、「立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもってしては、これにつき十分納得すべき
説明がつきかねるところであり、合理的根拠に
基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない」と判示しているのであります。
したがって、親に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持を目的とした点が違憲とされたわけではないのですから、違憲状態を解消するための立法政策としては、尊属殺人罪を廃止するか、あるいは同罪は廃止せずに合理的な法定刑を定めるという二つの選択の道があったわけであります。
そこで、法務大臣にお尋ねいたします。
本法案が、尊属殺を廃止せずに合理的な法定刑を定めるという政策を選択せず、尊属殺人の
規定を削除したのみならず、すべての尊属加重
規定を削除したのは、いかなる理由、いかなる立法政策に
基づくものか、お尋ねいたします。
尊属殺人について普通殺人より重い刑罰を科することには、長い沿革と立法例があります。古代ローマ法においては、自己の親を殺した者は、むち打たれた上、犬やマムシ及び猿などと一緒に革袋に縫い込まれて川や海に流されたそうでありますし、日本の徳川時代に例をとれば、親殺しは、引き回しの上、はりつけにされたそうであります。
昭和四十八年の違憲判決から二十二年間、国会は不作為の怠慢ではなかったかとの批判があるかもしれませんが、私はそうは考えません。それは、尊属殺人罪の削除そのものに、法と道徳、子の親に対する孝養の心を国家としてどう考えるかという世界観、
法律観の問題があったからだと考えるからです。
私は、親と子が自然的情愛と親密の情によって結ばれ、子が親を尊敬し尊重することは、個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立って、個人の自覚に
基づき自発的に遵守されるべき道徳であって、決して
法律をもって強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによって遵守させようとすべきものではないという立場をとりますから、今回の法案が尊属血重
規定をすべて削除した立場を妥当と考えます。
しかし一方で、これと異なる世界観、すなわち、親は社会的にも子の行為につき
法律上、道義上の責任を負うのであって、親に対する尊重報恩は社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は射法上の保護に値するものであると言わなければならないという立場も、強い説得力を持って存在するのであります。
そこで、総理にお尋ねいたします。
総理は、この二つの世界観、
法律観のうちどちらの世界観、
法律観に立たれるのでしょうか。子の親に対する尊重報恩は刑法でもって保護されるべきでしょうか。そして、
法律と道徳の関係をどのようにお考えになっておられるのでしょうか。総理の御所見を伺います。
今回の
改正が、違憲状態の解消という枠を超えて、尊属加重
規定を全面削除したとしても、それは子の親に対する尊重報恩の心を否定するものでないことは当然であります。
しかし、ともすれば、全面削除という
改正の結果が、
昭和二十五年の最高裁判決の指摘するようなことであってもならないと思います。すなわち、二十五年の最高裁判決は「子の親に対する道徳をとくに重視する遺徳を以て封建的、反民主主義的と断定したことは、これ親子の間の自然的関係を、新憲法の下において否定せられたところの、戸主を中心とする人為的、社会的な家族
制度と混同したものでありこ「封建的、反民主主義的の理由を以て既存の淳風美俗を十把一束に排斥し、所謂「浴場と共に子供まで流してしまう」弊に陥り易い」と指摘するのであります。
もとより、今回の全面削除が「浴場とともに子供まで流してしまうしものであるとは思えませんが、しかし、その指摘には十分耳を傾けなければなりません。そして、時代は今や少子・
高齢化社会であります。時代に沿った家族関係、親と子の関係を新しく再構築しなければならないと考えます。
そこで、総理にお尋ねいたします。
総理は、これからの時代の家族
制度をどのようにお考えになりますか一家族と法
制度、例えば戸籍のあり方、氏の記載の方法など、どのような基本的姿勢で臨もうとされておられますか。総理の御所見を問います。
次に、聾唖者の行為に関する
規定の削除の
趣旨と今後の刑法
改正について法務大臣にお尋ねいたします。
今回の
改正が八十八年ぶりの大
改正だとしても、いまだ残された問題も少なくないのであります。今後の
改正のあり方とスケジュールについての基本的な考え方をお尋ねいたします。
最後に、総理にお尋ねいたします。
既に総理も十分御認識されていると存じますが、最近の村山
内閣の支持率調査の結果についてであります。
村山
内閣を支持しないという数字は、一月三十一日、日本経済三八・○%、二月十九日、時事
通信三九・一%、三月一日、読売四四・〇%、三月七日、NHK四五%、三月八日、朝日四三%、三月十五日、毎日三四%と、すべていずれも不支持が支持を上回っております。総理は、この世論調査の結果をどう受けとめておられますか。
この村山
内閣を支持しないという厳しい数字の中で、村山
内閣を支えているのは総理御自身の人柄だという評価があります。総理、私も当初そのように考えていた一人であります。しかし、最近はその評価そのものにも疑問を覚える次第であります。
私なりの理由を申し上げます。
一つ。本
会議での「何分初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱があった」との発言を後で釈明され、初めてのことも混乱も、それは現場のことであるとされました。私は、これが総理御自身のこととして心底から出た言葉であった方が、五千四百八十名に至った
震災による死亡者に対する哀悼の言葉になり得たのではないかと考えます。総理が初めてであり混乱したとしても、その責任の大半は総理を指名した国会の責任に帰するものだと私は考えます。それを、現場の話などの言いわけは、現場で苦労されておられる方々を冒涜するばかりか、責任
回避という点からしても、亡くなられた方々をさらにむち打つ言葉になるのではないでしょうか。
二つ。これに関連して、万全の
措置とか最善の体制とかの発言であります。訂正の問題はともかくとして、総理、これは総理の実感から出た言葉なのでしょうか。それとも、答弁書に書かれた言葉を単に読み上げられただけの結果なのでしょうか。私は、答弁書を朗読されただけのように思えます。
総理、時代の危機を乗り越えるには、政治の確かなる復権が必要であります。国会を最高の言論の府にしたいと存じます。国会が唯一最高の立法機関であることに深く思いをいたしたいと存じます。
総理、衆議院規則第百三十三条は「
会議においては、
意見書又は理由書を朗読することはできない。但し、引証又は
報告のために簡単な文書を朗読することは、この限りでない。」とあり、
参議院規則第百三条は「
会議においては、文書を朗読することができない。但し、引証又は
報告のためにする簡単な文書は、この限りでない。」としております。