○
石橋(大)
委員 この前
説明を聞いたときと違いまして、十分配慮するということですから、これはこれでそういうふうに承っておきたいと思います。問題は、ちゃんとした
識別ができるということが非常に大事ですから、その辺の処置をちゃんとやっていただきますようにお願いしたいと思うのです。
残された時間が余りありませんが、次に、一般の被災
住民をどう
規制するか、被災
住民の動きをどう
規制するか、こういうことについて伺っておきたいと思うのです。
作家の吉村昭さんが文芸春秋の三月号に、「歴史はくり返す
関東大震災の「教訓」を忘れてしまった日本人」という一文を、
神戸の
大震災に関連して寄せておられるわけです。その中で吉村さんは、
関東大震災後に出版された「震災予防調査会報告」なるものを引用しながら、こういうことを
指摘されているわけであります。簡単に要点だけ申し上げます。
関東大震災は、甚だしい家屋の倒壊をひき起したが、それによって起った
火災が猛威をきわめた。
東京市の四三・五パーセントにあたる千四十八万五千四百七十四坪という広大な
地域が焼きはらわれ、全戸数四十八万三千戸中三十万九百二十四戸が焼失、死者・行方不明者(圧死・溺死をふくむ)は六万八千六百六十名に及んだ。報告書でこの
火災について取り組んだのは、理学博士中村清二という人でありますが、まず
火災発生原因について、中村博士は、薬品の落下によるものが四十四個所もあると
指摘している。学校、試験所、研究所、製造所、工場、医院、薬局等にあった薬品類が、棚等から落下して発火した。これはここでは本題でありませんから省略をしますが、そういう薬品の落下による
火災の
発生、これが
一つ。
第二に中村博士は、延焼をうながした最大の原因は、避難者の携行する荷物であったと
指摘している。
人々は、家財を荷馬車や大人車に載せたり背に負うたりして逃げまどい、路上はそれらの人と荷物によって、充満した。火がそれらの荷物に引火し、
人々は荷物や大人車等に逃げ道をぶさがれて焼死。火勢はさらにつのって延焼していったのである。こう言っているわけであります。
東京は江戸時代にもしばしば大火に見舞われておりまして、幕府はその
対策に腐心をし、結局、最も危険な物は、火事の折に避難する者が家財その他を積んで引出す大人車と断定した。
それらの大人車は、
道路をふさいで火消しの動きを阻害し、避難する者を身動きできなくする。
さらに積んだ荷物とともに大人車に引火し、それが延焼の媒介となっている。
幕府は、出火時に大人車を引出す者を厳罰に処すると警告し、宝暦十年(一七六〇)の大火の後にも、「出火之節 建具並諸道具等大人車ニテ積候儀有レ之候ニ付 往還通路之妨ニ相成候。前々モ相触候処不届至極ニ付 自今見付次第召捕」として、当人はもとより家主も処罰すると通告している。こういう通告を出しているわけですが、それでもなかなかおさまらぬわけですね。
今回の
法律改正は、現代の大人車ともいうべき、車を大人車に例えるのはちょっとよくないのですが、
車両は
規制対象にする。しかし、ガソリンを積んでいますから、車は大人車の何倍も危ないわけですね、これは
説明するまでもないと思います。どっちにしましても、車はこの
法律改正によって
規制をされる。しかし、これは車が
対象ですから、荷物を背負う人はなかなか現代にいないかもしれませんが、どっちにしても、人間の
通行の
規制は一応
対象外になる。
私は、
関東大震災だとか江戸時代からの数々の大火の経験などに照らして、車だけ
規制をして万全だということは言えないのじゃないか。
人々の
通行についても
一定の
規制をしないと、やはり緊急
車両の
通行は
確保できないのじゃないか、こういう感じがしておるわけであります。
最後にこの点はどうかということだけお聞きをして、時間が来ましたから、終わります。