○土岐
参考人 御
紹介いただきました土岐でございます。
このたびの地震に際しましては、五千四百余名の方々のとうとい命を失ったことはまことに痛切の思いがいたしておりますし、また、多くの構造物や施設が損傷や損壊を受けまして、社会
経済的な面からも多大の被害、損失を受けるに至りましたことは、その
分野にかかわりを持つ者の一人といたしまして、まことに残念であり、かつ申しわけないという思いをいたしております。
私自身は、地震工学あるいは耐震工学と呼ばれる
分野を専攻してまいりましたが、ここしばらくは、地震に限りませず、もう少し広く災害一般を、どうすれば軽減できるであろうかとか、あるいは、一九九〇年からは国際防災の十年というのが始まっておりますが、そういうものが始まる前から、これをどういうふうにすれば国際的な場で
推進できるであろうかというようなことにかかわりを持ってまいりました。そういう立場の者からいたしまして、今回の地震がどういうことであったのかということを、これから四つの点に焦点を絞りまして
意見を申し述べさせていただきたいと思います。
まず第一点は、何が今回の地震をしてこういう大きな災害とならしめたかということであります。
この問題につきましては、いろいろな
分野の方々あるいはいろいろな方々が、さまざまな観点からお考えになり、あるいは議論を展開しておられるわけでありますが、私が考えますには、これは、戦後五十年の間、非常に大きな都市というものが次々と
発展をし、かつ既にあった都市が変貌を遂げたわけでございますが、その都市化の過程において地震の洗礼を受けなかった、地震によってそういう都市がどういう欠陥を持つのか、こういう複雑な大都会になりますと必ずやいろいろな弱点を持っておるわけでありますが、特に地震に対してどういう弱点を持っておるかということが露呈をするチャンスが全くなかったということが、こういう事態になった大きな理由の
一つであろうと思います。
一九四八年に福井で地震がございました。これはまさしく福井という都市を襲った地震ではありましたが、戦後まだ三年しかたっていない、皆さんがそれぞれ自分のことにかまけていた時分でありまして、そこから何を学び、都市というものを考える場合に地震との関連においてどうしなければいけないかというようなことを反省をするよすがに、とてもなり得たものではなかったと思います。
ところが一方、風水害というのは日本でもまたもう
一つの大災害でありますが、この場合には、今でもそうでありますが、一年に何回かは台風が
国土を襲います。三回、四回は上陸いたします。戦後ももちろん同じことでありまして、毎年のようにジェーン台風だとかカスリン台風だとかいろいろな名前のついた台風が来るたびに、何千人もの命が失われました。しかしながら、その場合には、毎年のことでありますがゆえに、我が
国土のどこにどういう欠陥があるかということを学習をし、また手当てをする、さらに強いものにするという機会がいわば与えられたわけであります。
食べるものを十分に食べない状態ででも、我が国は治山治水と申しますか、そういうことに先人たちは鋭意努力をしてきたわけでありまして、当時は国家予算の多分一〇%以上を使っていたと思います。今でも四、五%は災害対策、治山治水も含めてでありますが、使っているはずであります。こんな国は世界じゅうにどこにもないはずであります。そういう努力が実りまして、
昭和三十四年の伊勢湾台風、これは四千八百名余りの命が失われたわけでありますが、それ以後、風水害による人命というのは極端に失われることが少なくなりました。
ところが、翻って地震の話になりますと、先ほど申し上げましたように、福井地震、
昭和二十三年以来五十年間なかったわけです。新潟地震というのはありました、一九六四年です。しかしながら、これは海岸から三十キロほ
ども離れた日本海で起こった地震でありました。一九七八年の宮城県沖地震で仙台及びその周辺がいろいろな被害を受けました。これも七十キロ、八十キロ遠くで起こった地震でありまして、都市の直下で起こった地震ではございません。あるいは、マグニチュードその地震が直下で起こったこともあります。それは長野県の西部の地震でありましたが、これは幸いにも山岳地帯等でございました。
そういう意味で、申し述べましたように都市が、大都会が直下の地震に襲われるという経験が全くなかったことがこういう大きな被害に至った
一つのというか、私にとってみれば最大の理由ではなかったかと考えております。
したがいまして、これほどの地震の大被害という経験はめったにないことでありますからして、私
どもは今度の経験は決して一過性のものとしてはいげないわけでありまして、国としては当然のことながら、さらにはいろいろな自治体あるいは企業その他の団体、ひいては一人一人の個人のレベルでも、この地震から自分たちが何を学ぶべきか、そして次の備えはいかにあるべきかということをいろいろと考えるべきであるし、そのための大変いい機会ではなかったかというふうに思っております。
第二番目の問題は、直下型の地震という問題であります。
この直下型地震というのは、実は科学的な表現ではありませんでして、地震には直下型という形はございません。しかしながら、一般にそういう言い方をした方が話が通じやすいものですから、きょうはそういう言い方をさせていただきますが、この直下型の地震というのは、これも最近言われます内陸にあります活断層が動くことによって生ずる地震で、より浅い地震であるというふうに言えるかと思います。マグニチュードという
言葉はもはや皆さんおなじみだと思いますが、マグニチュードも七前後の地震というのが直下型の地震では多うございます。
それに対するものとしては、海洋で起こるような地震でありまして、三陸沖だとか房総半島、さらには東海沖、さらに南海道、こういったあたりでプレートが日本列島の下に沈むところで起こる地震だということは既によく御承知のとおりでありますが、この辺の地震は一けた大きくて、マグニチュードが八ぐらいの地震であります。
それで、私
どもがこれまで構造物や施設の設計をする、耐震的な配慮をするという場合に一体どうしてきたかと申しますと、結論から申しますと、この直下型に対する地震というものは余り配慮をされていなかったと申し上げるべきであろうと思います。
それは理由がございます。先ほど申し上げました海洋型の地震というのは、
一つの場所に注目をしてみましても、七十年、百年、百二十年というくらいのサイクルで起こることが大体わかっております。人の今から見ましてももちろん長うございますが、長くて二回分の人生ぐらいのものです。ところが、直下型の地震というのは、先ほど申しましたように活断層が引き起こすわけでありますが、これは、
一つの断層に注目をしますと、五百年とか五千年に一回しか起こらないというわけなんです。
ところで、私
どもが物をつくるというときには、百年、二百年ぐらい使おうかというスパンで物事を考えます。五百年、千年という形では到底考えることはございません。そうなりますと、五十年、百年、二百年ということになりますと、内陸で起こる、活断層による直下型の地震というのは余りにも
可能性が低いということになります。いろいろな確率計算をするわけでありますが、そういう算術をいたしますと、計算をいたしますと、そちらの方はかすんでしまうわけであります。結果的には海洋で起こるようなマグニチュード八ぐらいの地震ということになってまいります。それだけだとは決して申しません。もちろん、直下で起こる地震に対しても安全であるかどうかということを
検討はいたしますが、問題は直下ということであります。
地震の影響の強さというのは、大ざっぱな話としまして、距離の二乗に反比例すると言ってもいいと思います。したがって、例えば距離が半分になれば強さは四倍になると考えなければいけないわけでありますが、直下の地震ということは、都市の直下ということはもう距離がほとんどないということでございますから、極めて強い地震になるということであります。
したがって、直下の地震を考えましても、これも後で申し述べますが、断層のすぐそばでの地動などというのはこれまで余り私
どもに知られていないわけです。観測ということが余り行われていないわけでありまして、よくわからないから、どうしてももう少しわかったところのものについて配慮するということになってしまいます。そういういろいろな理由があるわけでありまして、なかなか内陸の直下の地震というものに対しての配慮というのが少のうございました。
例えば、今度の神戸の地震で
地域の防災計画をつくるときに、ああいう六甲山のふもとにたくさんの活断層があるにもかかわらず、なぜそれを考慮しなかったのだと言って後で責めることは非常に簡単でしょう。しかしながら、神戸で、じゃ一体どういう活断層が、どういう直下地震が過去に起こったかということを調べてみますと、一九一六年にマグニチュード六の地震が一回起こっております。死者は一名であります。
それから、ずっと日本の地震の歴史をさかのぼってまいりますと、神戸の付近で大きな地震が起こっておりますのは、西暦八百四、五十年ごろであります。約千二百年前であります。その当時の記述ですから今日のような科学的な計測はありませんが、換算をしてみますとマグニチュードが七を超えていたということですから、今回の地震程度かもしれません。そういうものが千二百年前にしか起こっていないわけです。千二百年起こらなかったものを、今対策を立てようというときに、地震防災計画をつくろうというときに、考えたさいといったってそれはなかなか、千二百年なかったのだからまあ来年もないのじゃないかとだれしも思いたくなるのじゃないかと私は思うわけです。
かといいまして、私はそれでいいと言っているのじゃなくて、こういう経験をしたからには、今回のような経験をしたからには、やはり私
どももこれからこれまでの考えは少し改めなければならないかもしれない。
申し上げたいのは、五百年間起こらないかもしれないけれ
ども、一たん起こりますと何千人の命が失われるような、あるいは大変な
経済損失を伴うような災害が起こるという事例を知ったからには、やはりこれは、これまでよりはもう少しそういう地震に対する配慮を深めなければいけないのではないか。かと申しましても、どんな活断層がどんな動き方をしたって絶対に被害が起こらないようなことをするなんということは、これはできっこありません。しかしながら、これまでとは少し違って、もう少しそういう地震に対する配慮というものを考えなければいけないのではないかと考えております。
第三番目の問題でありますが、今度は再発防止に対してどうするかということであります。災害の再発でありまして、もちろん地震の再発ではございません。
先ほ
ども申しましたように、私
どもは、過去五十年間大変静かな、地震学的に言って静穏な、極めて恵まれた五十年間でありました。こういうことは過去の歴史にも繰り返し起こっていることのようでありまして、地震学の専門家に言わせしめますと、東南海あるいは南海道あたりでマグニチュード八ぐらいの大地震が起こるときには、その前後数十年の間にマグニチュード七くらいの、今回の地震程度のものが何回か起こっておる。
例えば、一九四四年の東南海、それから一九四六年の南海道地震、立て続けにマグニチュード八で起こりましたが、その二年後には先ほど申しました福井地震が起こりました。一九四三年には鳥取地震がありましたし、二七年には北丹後の地震というのがありまして、これも三千人近い生命が失われております。こういうことが繰り返し日本では起こっているということだそうであります。
そして、先ほど申しました一九四四年、四六年の大地震はどうもエネルギーを全部吐き出してはいないようである、そして、百年、百二十年を待たずして、七、八十年で南海道あたりで地震が起こりそうだということを地震学者は申します。ということは、残りあと二、三十年しかないわけであります。二、三十年の間に今回のような地震が数回起こるという
可能性が高いというわけであります。それは、これまでの繰り返しの状況を見るとそうだということであります。となりますと、そう時間があるわけではありません。すなわち、今回の地震でも、地震に対する配慮が十分でないものあるいは古い基準でもってつくられたようなものが多く損傷、被害を受けたわけでありまして、そういうものは我が国のほかの
地域にも多々残っております。そういうものをいち早く調べ出して、足らざるものについては補うということを急いでやらなければならないのではないかと私は今考えております。
そういう問題につきましては、ただいま申し上げましたのは関西地方、近畿地方での地震活動との関連でありますが、日本の国の他の
地域にも似たようなところがあるのではないか、そこのところは私は詳しくは存じませんが、あるかもしれない。
関西あるいは近畿地方での例を申し上げますと、阪神間の被災があったということで、今度は大阪府です。大阪府が、自分のところの所管のインフラストラクチャーにつきましては全面的にこれを再
検討をする、見直しをする、そして地震に対して不十分なものについては幾らお金をかけてもそれを必ず安全なものにしましょうということを一大決心いたしました。そういう準備を始めております。そういう考え方、そういう活動というのが、大阪府のみならず、いろいろなところに広がるであろうことを強く期待しておる次第でございます。
こういう耐震の観点からの補強、見直しというようなことは、実はカリフォルニア州では既に行われました。
一つの例として、都市内の高架道路のことを申し上げますと、一九八九年のロマプリータの地震で高速道路が崩壊をしまして、一カ所で六十数名の生命が失われました。これは大変だということで、カリフォルニア州の道路局は管内の高速道路を見直しをし、点検をいたし、そして補強の作業を進めておりました。御存じのように、昨年、すなわち四年半ぐらいでしょうか、経過した後で再び、場所はもっと南ですが、ロサンゼルス近郊で地震が起こりました。このときには、補強をしたところで崩壊したところがわずかに一カ所であった。全部で大きくつかんで六カ所ほどで高速道路が崩壊いたしましたが、対策をしたところは一カ所だけであった。あとは、対策の順番待ちであったとか、あるいはこれは必要ないという判断をしたところで崩壊した例はありますが、対策した例では一カ所しかなかったという例があります。したがって、そういう努力というのは報われるという事例は私
どもも知っておるわけであります。そういう努力をこれからしなければいけないのではないかと考えておる次第であります。
最後の問題は、地震観測の重要性ということであります。
これは、今までの三つとはにわかに違ってえらく細かい話のようにお耳に達するかもしれませんが、決してそうではございません。皆様のお
手元にこういう赤や黄色や緑の丸のついた地図をお届けしてございますが、これは今度の地震で観測されました地動の最大値でありまして、丸の中に二十七というような数値がありますれば、これにゼロを加えていただければ二百七十という数字になりまして、これがその地点での加速度の最大値をあらわしております。随分たくさんあるではないかとごらんになるかもしれませんが、実はこれは最大値しかわからないもの、あるいは企業なんかが自分のところの目的にかなっためだげの地震計というようなものもありまして、後々の
検討や解析というようなものにたえられるのはこの半分ぐらいしかございません。
ところで、一般の方々あるいは皆様方は、私
どものような技術にかかわる人間に対して、地震に対して安全なものをつくれと言われます。あるいは、直下型地震に対しても壊れないものをつくれとおっしゃいますのでは、直下型地震というものが一体どういうものなのか、直下型地震のときに土地がどういうふうに揺れるかということを私
どもが知っているかと申しますと、知らないんです。そんな記録はないんです、今まで。私
どもの
手元にないわけです。断層のすぐ近くで、一キロも行かないところで、すぐそばでどういうふうに土地が動くかなどという記録は、今まで日本ではとれていないんです。
そういう地震が土地を動かし、物を壊すわけですから、その大もとのことを知らずして安全にせよといったって、それはなかなか難しい話なんです。人の顔を教えないでおいて人を探してこいと言っているのと同じようなことです。したがって、私
どもが今までやってきていることは、目をつむって顔をなでて、こういう人かなということをやっているぐらいの話です。したがって、地震の観測ということは、やはり科学的な研究、
検討、技術を高めるという問題になりますと、最初のステップなんであります。それがない。
皆様方既にテレビや新聞で御存じのように、今度の地震で震度が七であったというところ、この細長い阪神
地域のベルトが即頭に浮かぶと思いますが、ああいう幅広い長いベルトの中で、一体今度の地震できちんとした地震記録が何カ所でとれているとお思いでしょうか。この絵を見ればたくさんありそうに思われるかもしれません。実は一カ所だけなんです。JRの鷹取という駅がございますが、そこでとれた記録が唯一でございます。もちろん、そのベルトから離れた地点ではほかの記録もいろいろとれております。だけれ
ども、皆さん方がおっしゃる、私嫌いですから余り言わないんですが、震度七という地帯でとれた地震の記録は一カ所なんです。それほど地震の観測ということはお粗末なんです。
先ほ
ども申しましたロマプリータの地震の際には、失礼、ノースリッジですね、昨年のロサンゼルス近郊のときには、土地の運動をはかるためだけの地震記録でも百十九地点でとれているわけです。日本でいうと二、三十しかないです。要するに数分の一しかないわけです。そういう状況を私
どもは手をこまねいていたわけではございません。
ここから先は、ひょっとしたら自慢話に聞こえたらお許し願いたいんでありますが、私
どもは、関西といえ
ども遠からずして大きな地震が来るに違いない、そのときにこういう地震の観測の体制では後世に対して記録も残せない、技術を高めようといったって何もできない、それではならないということで、
地域の自治体であるとかあるいは国の皆さん方にも、もっと地震の観測をきちんとやろうではないかということをいろいろ働きかけましたけれ
ども、だれも耳をかしてくれません。しかしながら、必要だという考えだけは採るぐわけもありません。結局どうするかと申しますと、企業の方であるとかあるいは建設関係の会社の方々に
お話をして、るる説得をして、その人々からのカンパでもって機械を買っている。そして、私
どものネットワークはやっと十カ所に機械を置くことができました。昨年の四月から観測を開始しておりまして、このたびの地震でも記録が得られました。その皆様方のお
手元の資料の中に用意させていただきましたけれ
ども、詳しいことはもうやめますが、そういう記録はとれております。
こういう活動は、本来であれば国なり自治体たり、そういうところがやってしかるべきことではないかと私
どもは思います。私
どもが人様にお願いをして、頭を下げて、そして物もらいのようにしてお金をいただいてやらなげればこういう記録がとれないということは、甚だ恥ずかしいことではないかと私自身は思っておる次第であります。したがって、私
どもに安全なものをつくれとおっしゃるからには、私
どもにそういう物事を勉強する機械なり道具なりも与えていただきたいということを申し上げたいわけであります。
JRであるとかあるいはガスの会社、電力の会社というようなところも、そういう努力は彼らなりにしております。JRは記録は出してくれませんが、ガスや電力の会社の人々というのは、彼らの費用で賄ったものであっても、技術の
発展、研究のためならどうぞ使ってくださいということで使わせてくれますが、国の研究
機関はそういうことはさせてくれません。国の費用でそういうものは観測しておっても、そういうものは私
どもに提供はしていただけません。もちろん全部ではなくて、出していただけるところもあります、語弊があってはいけませんから申し上げますが。そういう体質というのはいかがなものか。
最初の話に戻りますが、こういうめったにない地震の経験をするということは、そこで得られたものは自分たちだけで抱え込むというようなことではなくて、やはりそれはみんなが全体の財産としてこれからの技術なりなんなりの
発展に活用するべきであるし、さらには今後起こるであろう地震に備えましても、その次の世代の技術の
発展あるいは物事を明らかにするというためにも、こういう地震の状況を把握するという意味での観測ということはもっと大いに進めなければならないことではないかと私は考えております。
最後は少し理屈っぽい話になって申しわけございませんでした。与えられた時間も超えてしまいましたので、とりあえずここで終わらせていただきまして、また後ほど機会があれば
お話しさせていただきます。失礼いたしました。(拍手)