○
北村委員 確かに防災
局長さんの述べられたとおりだと思います。
ただ、この二年間の中に、今回の大
震災を含めれば五回の地震がございましたね。
平成五年の一月十五日の釧路沖地震、その年の南西沖地震、昨年の十月四日の東方沖、あるいは十二月の三陸はるか、そして一月十七日の阪神大
震災。私は釧路沖、南西、東方、三陸はるか、こういった地震のことを
考えていったときに、
国土庁の防災局としてどんな教訓をそこから得て、そしてどのような対策をきちっととられていったのかな、実は非常に疑問を感じている一人であります。
特に、
平成五年の一月十五日の釧路沖地震、そのときにはちょうど私は北海道開発の政務次官を拝命をしておりました。ちょうど北海道の羅臼という町におりまして、そこで地震を知って、電話が通じなくなった。たまたま自動車電話で釧路の開発
建設部と連絡をとって、実はそこから車で三時間半かかって迂回路を通りながら開発
建設部に入ったのを今でも覚えておるのですが、そのときに、非常に
民間の方々がてきぱきと
役所の方々の
行政指導よろしくというのでしょうか、この区間はあなたの
建設会社が管理しなさいということなんでしょう。
これはその後、北海道開発庁なりあるいは
建設省なりいろいろなものがあるのでしょうけれども、羅臼から釧路までの約百五十キロ
程度の道のりの中で、橋の決壊も何カ所かありました、あるいは道路の破損箇所で迂回をするのもありました。しかし、夜の八時ちょっと過ぎにあってすぐ飛び出して、二十キロも行かないうちにもう
民間の方が出て、右の方へ行ってください、あるいは左の方へ行ってください、この橋は大丈夫です、こういう指示をされている。
しかし、それに対して
国土庁のとられた措置、特に、これも別に
局長さんをどうこうというわけじゃありませんけれども、昨年の東方沖地震では釧路よりも根室、中標津、別海の方が大変大きな被害があった。しかし、視察に入ったのは釧路だけである。そこから
国土庁の方々、
政府の視察の方々はすぐ帰られてしまった。今回のように、一目瞭然わかるような地域であれだけの被災があれば、そこを一カ所見て大体、
一つを見て百を知るということがあるでしょう。
しかし、例えば北海道やあるいは九州、そういう広い地域で地震があったときに、これは気象庁のマグニチュード、あるいは災害の大きさによってのあれもあるでしょうけれども、そこの地域の住民の
皆さんにとっては、やはり
政府の視察、あるいは
政府からいち早く来ていただいたということが非常に心強いものを感じる。そこまで来て帰られる。たまたま次の日、私たちが行っておりましたから、
国土庁にお願いをしてすぐ入っていただいたという経過がありますけれども、今防災
局長さんが
お話のあった、国土審に乗っかって、安心して質の高い国土を目指すというときに、
国土庁の防災に対する
認識というものが、ことしの大
震災でなくて過去の四回を見たときに、どうも生かされていないのじゃないかな、私はそんな感じがして仕方がないわけであります。
そういった
意味で、
行政改革等々で
国土庁のいろいろな問題も出ておりますので、ぜひ防災についてもっともっと前向きに、そして今までの教訓というものを生かしつつ、
対応というものを迅速に敏速にやっていただきたい、このように思います。
そして、特に先ほど申したように、
民間の方々の手助けというものがなければ地域での防災に対する緊急な対策というのはできない、そのことを十二分に
国土庁の
皆さん、あるいは
政府の
皆さんはわかっていると思いますけれども、その点について防災
局長のお
考えをお聞かせをいただきたいと思います。