○田中
参考人 本日は、
情報・通信に関する
意見を述べる機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
私は、今の
経済社会の大きな変化の
一つが、
情報時代というものに入ってきている、このことによって大きな変化が生まれているというふうに認識しております。同時に、我々は今グローバル化、グローバル
経済という
流れの中にあるわけですが、このグローバル
経済という動きと
情報化という動きが重なって起きているところが新しいのかなと思います。
これまでも、例えば企業の内部において
情報をうまく使おうとか、
情報をうまく使うことによって新しい経営形態を確立しようという動きが何度かありましたが、その都度テーマとしては上がりましたけれども、大きな実態の変化は生まなかったというのが実際かと思います。そういう
意味では、コンピューターは入れたけれども、果たしてどこまでコンピューターを使いこなしたのか、
情報化ということでコンピューターは入れたけれども、その成果は、経営者、例えば
社長にとってみますと、必ずしも明確ではなかったという面がございます。
ところが、今日の
情報化、そしてグローバル化はまさにあすの企業のありようが変わるということでございますし、国民一人一人の立場からいきますと、自分たちの生活、職場が一挙に変わっていくということでもあろうかと思います。
このグローバル化と
情報化をどういうふうに
理解したらいいのかということでございますが、これは必ずしも私一人だけの
考え方ではございません、多くの方が言われ始めていることでございますが、三層
構造になっているというふうに
理解したらどうかという
考え方でございます。
すなわち、基礎的なところにディストリビューション、配分とか流通とかという漢字を当てるのが普通かと思いますが、機能、役割を具体的に担っているディストリビューションの仕組みがある。これは電気通信でいいますと、線をつないでいった先と、それから交換器を間に入れていろいろなサービスをしていく、これ全体をディストリビューションということになろうかと思います。
ただ、ただ単に線だけではなくて無線の場合もありますし、CATVのように映像も送るということもあるわけでございまして、映像もそれから電波もということになるでしょう。そういうディストリビューションのシステムというものが
一つある。その上にプラットホームというものが介在
しているという
理解も非常に多いわけでございます。
このプラットホームは何かというと、ディストリビューションの使い勝手というものを飛躍的に
改善する
一つの共通の基盤というものだと
理解したらいかがかと思いますが、ここで重要なのは、
情報が交換できる、相互接続が簡単にできる、そしてネットワークというものを組み上げることができる。そこには共通の
基準や規格が成立している。このプラットホームというのを間に入れますと、ディストリビューションのそれぞれがまた新たにつながりが出てくるといいますか、さらに広い脈絡の中で
意味づけをされる。そういう共通の基盤としてのプラットホームというものがあるという
考え方でございます。
このプラットホームの上に、コンテンツというふうに片仮名を振ってございますが、ソフトウェアと言う人もございますし、あるいは
本当の価値だというふうに言う方もあります。要するに内容でございまして、共通のプラットホームを使って、したがって共通のプラットホームの根底にはディストリビューションがあるわけですが、それを使って一体何を実現するのだという、この部分がコンテンツと呼ばれるところでございます。
今まででももちろんこういう
考え方はあり得たわけですが、あえてこういう図式を出すことの
意味は、今付加価値が最も生まれているのはこのコンテンツにかかわるところでございまして、ディストリビューションがもちろんなければこういう仕組みは成り立ちませんが、ディストリビューションのところで新たな価値がどの程度創造されるのかということになりますと、もちろんユーザー、
消費者に対して便宜をよくするためのいろいろな技術革新もございますし、いろいろなサービスの提供もございますが、しかし、そこの上に花咲くものはまた別の価値を持ったものだということになるわけでございまして、このコンテンツにかかわるところでどういう
経済社会が花開くのか、ここに今
ポイントがあろうかというふうに思います。
これは
情報化と言われる、
情報時代と言われるものの内容でございますが、非常に重要なのは、これが国境という枠組みを越えて成立し始めていることでございまして、このディストリビューションとプラットホームのところは
日本の中だけで議論するのはもう明らかに実態とそぐわなくなっております。このプラットホームというのは、まさに国際的に使いこなすことができて当然ということになっているわけです。
消費者レベルでこのプラットホームを実感できますのは、我々がカードを持っておりますと、そこにクレジットカードを持っていきますと、パリでもロンドンでもニューヨークでも、カードを入れて端末を押しますとそのままキャッシュが出てくるわけでございまして、これはまさにプラットーホームとディストリビューションを使いこなしますと、我々は最初に
東京を出るときに銀行に行ってお金をかえて米ドル、フランス・フランあるいはポンドを持っていく必要はないわけでございまして、飛行場に着いて、クレジットカードをその機器に入れますと必要なだけのキャッシュが手元に出てくるということで、
消費者レベルでもこれは大変なことだ、このプラットホームが
整備されたということは、我々の便宜をいかに
改善したかということがわかるわけですが、これはもうあっという間にお金が出てくるわけでございまして、両替屋さん、銀行の窓口に並ぶ必要もない。しかも、手数料率は
改善されておりますし、明らかに
消費者が便宜として受けとめているプラットホームでございます。
これは、衛星を通じてコミュニケーションが自由に行き来する、その
値段も安いということがこうしたサービスを生む形になっておりまして、その次に、そこまで
整備されるのだったら、その上にもっと大きな内容を盛り込むことができるのではないかということになってきているわけでございます。そういう
意味では、このプラットホームの構成もディストリビューションのありようについても、これはもう国際的に
統一した
基準というものが次第にでき上がってきているわけです。
そう考えてみますと、我々は、例えば通信と放送というものが全然違うものだというふうに受けとめてまいりましたが、考えてみますと、これだけプラットホームとディストリビューションが
整備されてまいりますと、通信と放送の垣根というものはもう実際上はなくなるものを提供できる、そんなものはない、原理上はない、
制度上はもちろん別の仕組みになっておりますが、原理上は通信と放送は同じ処理方式、同じプラットホームの中で処理できるというところに来ているわけでございます。
このように考えてみますと、新しい
時代において、例えば通信について主権概念を持ち出すということはもう
時代おくれというよりも実態とそぐわなくなっておりまして、もし国会の場で通信が主権概念とのかかわりで専ら論じられているということになりますと、国会での議論は実態との間で適切ではないのではないかという国民の判断が生まれるのではないかというふうに思います。
そういう
意味において、内外はもはやこの新しい
時代においては無差別になっておりますし、そのもとにおいて新しい
ビジネスが起きているということだと
理解しております。そして、このような仕組みができてまいりますと、一体どれが最適か、どれが我々にとって選択すべきかというのは、個々の小さな選択の積み重ねが結果として道になる、結果としてこれが代表的な仕組みだというものになるわけでございまして、これが道ですよ、ですからこの道路を通りなさいということをあらかじめ指定する、だれかが何らかの立場から指定するということはもはや難しい、皆がそれぞれに小さな選択を積み重ねる中で、勝者といいますか、結果として生き残るものが道だ、こういうことかというふうに
理解いたしております。
このように、社会の情勢を考えてみますと、
規制撤廃が、
経済的
規制の撤廃がいかに重要かということになるわけでございます。
我が国の電気通信にかかわる分野を考えてみますと、依然として、新たな業務の展開、新たな業務を始めようといたしますと、実施上の需給調整条項がかかっている。そして、通信事業者として新しい
仕事をしたいというふうに言いますと、役所がそれを許認可の対象にして、しかもそれは供給過剰になってしまって業者が共倒れになるのではないか、例えばそういう
視点からの参入についての考慮がなされているわけですが、今申し上げましたように、結果として選択されるわけですし、そこでは料金がどうなるのか、ユーザーがどういう反応をするのかはやってみなければわからない。そういう中での道筋が国際的にもつくり上げられている中で、
我が国のこの電気通信にかかわる行政は、これまで余りにも後退的なものではなかったか、古い
基準を持ち込み過ぎていたのではないかというふうに思います。
こういう三層
構造の中において最も価値が出てくるのが一番上のコンテンツの部分だというふうに考えますと、その間できるだけ安く、そして最も新しいサービスを備えたものを使って初めてそのコンテンツに一日の長が出るわけでございまして、ここはもう民間事業者の自由な工夫にまつべき領域がと思います。
もちろん、それでは
規制は全部撤廃していいのかということになりますと、確かに
幾つか
規制の必要がある分野があります。それはいろいろ学者も研究しておりますし、こういう分野は
規制した方がいいということはありますが、私はそれは、この分野については自由は認めません、許認可が必要ですとかいうことは書き込む。法律に書き込んで、逆に言いますと、法律に書き込んでいないものは全部自由、そういう
規制を
規制として提示し直す必要があるというふうに思います。
例えば、有線テレビ放送法というのは、私はもうこれは要らない法律だというふうに思っていますが、もし必要な
規制があるということだったら、その必要なところだけ書き込んだ法をつくる、それ以外は全部自由、そういう仕組みにすべきだろ
うというふうに思います、
なぜそういうことを申し上げるかというと、どうも我々は
経済の動きに相当おくれ始めているわけでして、特にそれはどういうことで言えるかというと、アジアの勃興が言われまして、アジアにおいて
経済活動が盛んでございます。したがいまして、
我が国はアジア向けの輸出をふやしておるわけでございますが、アジアの比率は
我が国の輸出の中でどんどん高まりまして、四〇%ぐらいにまでなっております。あと十年もすると、これが五〇%にまでなるということが言われているわけです。
ところが、電気通信、
情報の分野で考えてみますと、このアジアにおいて成立し始めている規格、
基準はもはや
日本のものではありませんし、
アメリカの
基準、実質上自由な競争が行われていく中で、デ・ファクトというふうに呼んでおりますけれども、実質上の
基準が米国の企業なり米国のソフトウエア会社が提供するものによってでき始めておりまして、
日本勢は提案がなかったわけではありませんが、完全におくれをとっておるわけです。
なぜこういうことになったのかということになりますと、米国における
規制撤廃の動きが、この分野において新しい
基準競争を各企業がそれぞれ、あるいは企業グループが行うことによって、大変
消費者、ユーザーにとっては使い勝手のいいものが登場した。それは、使ってみるとこれは大変便利だということで、ユーザー、
消費者がこれを使いこなす、そういう波が既にアジアの地において起きております。
我々は、輸出品で工業化社会というもののリズムを持っていて、その工業化社会の規律というのは、それはそれで尊重すべきものでございますが、新しい
時代が
情報時代になる、
情報化と言われる社会を迎えるというときに我々がこれだけ後退してしまったということは、これは
我が国の内部におけるこれまでのありようの問題ではないかというふうに思っております。
今後は、例えばシビルミニマムに相当する電話料金等については料金
規制は残すべきだと私は思いますが、新しいサービスはすべて自由に事業者とユーザーとの間で、あるいは事業者間の競争ということを前提にして決められるべきものだというふうにもうはっきり、だれにもわかる形で新たな仕組みを書き込むべきではないかというふうに思います。
そしてもう
一つ、
我が国において
情報化を進めるために必要なのは、
我が国における従来の法
制度がこの
情報化を阻んでいることでございます。医療とか教育とか、それから商法上、会社の帳票がべーパーレス社会に見合わない形になっているわけですが、医療、教育についてももっと多角的な選択が許されるものにするためには、法の
改正が必要なのではないかというふうに私は思います。少しずつ議論も行われ、今国会にもこういう分野における法
改正が出ているようでございますが、しかし、根底的なところではまだ十分
検討は進んでいないというふうに思われます。そういう
意味では、立法府の皆様方に対する国民の期待は大変大きいものだというふうに思います。
そして、政府部門自体がこの新しい
時代にふさわしいディスクロージャーを実施いたしますならば、納税者にとって、国民にとって、我々の政府がもっと透明性のある、そして、いろいろな形で、何が起きているかを家庭内端末からも知り得る、そういう社会にすることが望ましいと思われます。そういう
意味において、
情報化を政府部内においても行われることが、
情報化
時代に我々が備える非常に大きな要因ではないかというふうに思います。
どうもありがとうございました。(
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