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小野委員 まず、
質問に先立ちまして、先日、一月十七日の
阪神・淡路の
大震災に際しましては、
田中長官初め
科学技術庁の
皆さん方が早急に
対応を進めていただきまして、
地震の
各種研究への
取り組みの指示、ないしはまた、今後の
取り組みについて万全を期せられた
対応をしていただきましたことに心から敬意を表したいと思います。
また、
田中長官におかれましては、早速に
国民が非常に不安を持っておりました浜岡原発の方への視察もいただきまして、
国民に原発の安全性を印象づけていただいたことに心から感謝を申し上げたいと存じます。
今先ほどの
原田委員の御
質問にございましたとおり、
日本列島全体が
活断層と言われる
ような国でございます。
地震の
予知の問題、また不幸にして
地震が起こった場合の
災害を極力小さくする技術開発の問題等、
科学技術庁を初めといたしまして、技術開発の舞台に求められる問題は随分多いだろうと思います。今後のそれぞれの部署におきます御活躍を心からお願いを申し上げたいと存じます。
さて、きょうは時間が少し短くなってしまったのですけれ
ども、二十一世紀という時代を展望する中におきます科学技術のあり方ということについて、私見を交えながら御
質問をさせていただきたいと
考えている次第でございます。
実のところ、私自身も子供時代、二十一世紀という時代を夢見ることが多々ございました。科学技術の力によって生活が豊かになり、そして、この
社会がバラ色に輝いた未来という印象でとらえていたものでございます。
しかしながら、もうあと六年というところまでやってまいりましたことしになりまして、では、その私たちが子供時代に夢見た二十一世紀の姿が展望できるかといいますと、残念ながら、現状で見る限り、国際
社会には多くの問題が山積もいたしておりますし、人類の未来を展望いたしますと、科学技術の発展と裏腹に、人類の活動が活発化したことに伴って、地球環境問題を初めといたしまして、多くの地球問題と言われる
ような深刻な課題が投げかけられているところでございます。
こういう中で、私たちの国
日本がこれからどうなっていくのだろう、そして人類の未来は二十一世紀の時代においてどういう姿忙なってくるのだろう、こういう
ような根源的な問いが私たちに次々と突きつけられているところでございます。
私は、未来
社会を展望するとき、胸の中にこんな言葉が去来するのでございます。著名な民俗学者でございます柳田國男
先生、
皆さんも御存じかと存じますけれ
ども、この方の言葉でございます。「美しい村など初めからあったわけではなくて、そこに住む人が美しく住もうと努めて初めて美しい村になるのである。」至って単純明快な言葉でございます。現在を生きる私たちが、今何を思い、そして何を
考え、何を夢見ていくかということによって、私たちの未来はつくられていくものでございます。何者かによって未来
社会というものが与えられるのではなくて、今現在を生きる私たち自身が未来というものをつくっていくのだということを再確認させられる言葉だと私は
考えているわけでございます。
巨大な国際
社会の中にあって、ややもすれば忘れられがちな言葉でございますが、この視点に立ち返りましたときに、過去の歴史を振り返りつつ、私たちは科学技術というものの持っている意味をここに再確認をする必要があると
考える次第でございます。
過去の人類の歩みは、まさに科学技術に伴って発展してきた歩みであったと私は
考えております。単に、ある技術が開発されて、その技術によって人類が今までできなかった新しいことができる
ようになったというのみならず、その技術というものは大きく大きく
社会全体にさまざまな影響を及ぼしてまいりました。その技術を生かせる
社会をつくろうと努力していけば、
法律を含め、
社会のさまざまな仕組みがつくり変えられてまいったのでございます。そしてまた、人間はいかに生きるべきかという思想まで含めて、科学技術の進歩とともに人類は移り変わってまいったのでございます。
このあたりのことを
考えてまいりましたとき。に、今大きな時代の転換点と言われる意味をもう一度
考えてまいりますと、私は、実は技術自身の転換点でもあるのだろうという気がしてならないのでございます。
田中長官は、今回の方針発表の中におきましても、みずからのことを未来担当
大臣と言っておられました。そして、平成六年度の科学技術白書を拝見しておりますと、「科学技術による新しい価値の創造」ということを掲げられて、独創的な技術に基づく新産業の創成の必要性ということを幾たびも幾たびもこの一冊の白書の中に述べておられるのでございます。私は、この
ような姿勢というものを非常に高く評価いたしますと同時に、これからまさに
科学技術庁というこの官庁が、この大きな難局に立ち向かっているところに遭遇しているのだということを心新たに
取り組みを進めていただきたいと念ずるのでございます。
すなわち、科学技術そのものが、今までの流れの延長線上にその未来の姿があるのではなくて、それと同時に、科学技術をつかさどってこられました
科学技術庁の仕事自身も、これまでの延長線上をただ駆け続けていけば、それで事足りるのではないということを再確認する中に、これからの二十一世紀の
日本社会、ひいては人類
社会を切り開いていく非常に重要な役割を担う
省庁としての自負を持っていただいてこれからの
取り組みを進めていただきたい、こう思っている次第でございます。
細かいことをもう少し申し上げ
ようと思ったのですが、時間の都合がありますので、これを前段の話とさせていただきまして、
質問に移らしていただきたいと思います。
まず第一点目でございますけれ
ども、
田中長官は御就任早々に、科学技術のあり方について、単に高級な、ハイレベルな科学技術だけではなくて、もっと
国民の生活面を重視した科学技術という問題に光を当てて、その部分の
取り組みを進めていかなくてはならないということをおっしゃっておられました。私自身もこの点非常に
同感の部分がございまして、昨年は若者の科学技術離れという問題が随分あちこちで語られた一年であったわけでございますけれ
ども、その若者が科学技術を縁遠いものと感じさせている原因というのも、実は、自分たちの身近な部分にその技術が感じられなくなっているという
ような要素もあっただろうと
考えている次第でございます。
このあたりをいろいろと
考えてまいりましたときに、科学技術は、戦後ここまでの間においては、先導的な役割をひたすら果たしながら
日本の先端部をつくってきた。この役割は非常に高く評価するものではございますけれ
ども、それと同時に、もう一方の、
田中長官がおっしゃっておられる
ような
国民にわかりやすい、
国民の生活レベルにおりた技術の存在というものももう一度確認しなくちゃならないんではなかろうか、こんなことを思った次第でございます。
例えば、医療の現場で例え話を申し上げますと、象牙の塔というふうなことが言われた時代がございました。高級な医療技術を
研究開発する、そういう
研究者の集まった場が白亜の殿堂としての象牙の塔と言われる
研究所であったと思いますけれ
ども、それだけで
国民の病気が克服できるかというと、そうではなくて、やはりはだしになって
国民の中に入り込んで、病人がいればその病人のところにみずから足を運び、その病状を問いただし、そして適当な薬を与え、注射をする、相談に乗っていく、こういう
ような医者が一方におられて、そして初めて高級な医療技術開発というものが生きてくるのだという教えがあったと思うのでございます。これをはだしの医者と呼んだ国もありました。
ですから、
科学技術庁に私自身この時代転換の中で
一つ御要望を申し上げたいと思いますのは、このはだしの姿勢を持った
科学技術庁という部分をどうこれからつくっていかれるかということだろうと思います。
現実に、いろいろと聞いておりますと、宇宙少年団という
ような財団法人を設けられて子供の科学啓蒙に取り組んでおられたり、発明教室を各地に持たれて、そこで子供の発明意欲を喚起されたりしておられるということでございますけれ
ども、こういう活動も含めまして、今後このはだしの
科学技術庁というものを志向していかれるという
ような姿勢について、
長官はどういうふうにお
考えになっておられるのか、お伺いをさせていただきたいと思います。