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宮里委員 型どおりの答弁になりましたが、三
事案のうち
最後の、
実弾射撃訓練場、砲弾演習をやっているところ、ここはもともと
沖縄戦のときには第四遊撃隊、岩波隊が駐屯しておったところです。この岩波隊はほとんど戦闘作戦をしておりません。したがって、そのときの弾薬がまだ残っているだろう、こう言われております。その後、
米軍が演習地に接収をいたしまして、ほぼ五十年、一時期切れたころもございましたが、実弾を打ち込んでいるわけです。
まず、あの狭い
地域で
実弾演習をするということは、
地元の人たちにとっては耐えがたいことなんです。しかも、あの
地域に行ってごらんになればわかるように、実弾を打ち込んで、樹木はもちろんのこと山の草まで焼き払って、裸にしてしまっている。私は、この
実弾演習はぜひひとつ廃止をしていただきたい。
そして、ここを
返還するに当たっては、もとどおりに森林に戻さなければならぬわけでありますが、まず不発弾の処理をしないことには危険で入れません。そのようなことも考えて、ひとつしっかりとした対処策を考えていっていただきたい。あなた、自分の命の役職が終わったから、あと次の人に引き継ぐころになるからと思って軽く見ちゃいけませんよ。
防衛施設庁としてしっかりとした
対応策を考えていただきたい、こう
思います。
読谷の落下傘の降下訓練が移せるところは、先ほどの答弁でも、金武のキャンプ・ハンセン
地域、金武町と宜野座村にありますキャンプ・ハンセン
地域に
移設をしたいということでありましたが、恐らく金武町
当局、宜野座村
当局、
地域住民の人たちも、素直にそれを受け入れるとは思えません。
というのは、これまで読谷で訓練しているときにも、かなり無謀と思われる訓練も今までしてきた。したがって、空からジープを落としてみたり、あるいは補助タンクを落としてみたり、あるいは武装した兵士が
住民地域に風に流されて落ちてきてみたり、さまざまなことをしてきている。ですから、それを金武のキャンプ・ハンセンに移すというなら、まずその前に、
日米間でそういうことを決める前に、
移設先の金武や宜野座の
当局あるいは
地元の人たちともしっかりとした協議をして、そして、これまで繰り返してきた事件、事故といいますか、住民に迷惑をかけてきたそういう事態を引き起こさないという措置がまず必要である。
時間がありませんので全部一括して申し上げますが、
那覇軍港の
移設にいたしましても、仄聞するところによりますと、これは浦添
地域、浦添の西海岸に
移設したいというのがどうやら皆さんの本音のようである。玉沢
長官も皆さんも、名指しをしてそこへ移したいということを言っておりませんが、これまでの一連の流れからいいますと、浦添の
米軍の兵たん部の先、西海岸に移したい、これが本音のようであります。
ところが、これはすんなりといきませんよ。既に浦添市議会や
当局は議会の議決をして、
反対の意思を表明しておりまして、浦添市
当局も、これには賛成できないという旨の意思表示がなされております。
もともと
那覇の軍港は、浦添にあります兵たん部、これとペアでつくられたものですね。
那覇に軍港があるから浦添の兵たん部がつくられている。だからこれはペアだと思うのです。しかし、
那覇軍港はどう見ても
沖縄の表玄関でありますから、そこへ軍港をいつまでも残して、そして、何か極東に妙な動きがあるとそこへ戦車が来たり大砲が来たり、あるいは揚陸船がそこへ接岸をされたり、要するに戦争色の強いものがそこにずっと並べられるということは、これは
県民としては認められないと。一方、
移設先についてもそのようなことがあるわけであります。ですから、それを浦添
当局や
地元の人たちとよく事前に協議をしていかないといけないと
思います。
県で
調整してくれといっても県がやれるわけがありません。恐らく国だけでやるわけにもいかぬでしょう。これまではどちらかというと、
復帰後二十二年たった今まで、国も県もみんな逃げてしまって具体的な協議に入っていない。だから、前進しないわけであります。戦後五十年を
節目にこの三
案件を、本
事案を少なくとも形のある形で処理したいというなら、国も逃げずに県としっかりと話をしてその問題を
解決していただきたいと
思います。
その場合に、
一つは、今ある
那覇軍港地域はもともと波止場のあったところではないのです。桟橋のあったところではないのです。そこは戦後
米軍が勝手につくったものです。しかも、そこは一戸当たりの所有面積が数十坪と言われます。世代が変わって、相続が介在してまいりましたから一人当たりの所有面積は恐らく非常に細分化されてきております。したがって、通常の跡利用計画にしても区画整
理事業などでやれるものではありません。それに対しましても、
沖縄開発庁も
防衛施設庁とひとつ連絡をとられながら、その跡利用については
努力していただきたいと私は
思います。
移設先をもし浦添にするというのであれば、先ほど申し上げましたように浦添市
当局あるいは関係地主とも十分協議して――それは永続する形ではしてないと思うのですよ。先ほ
ども指摘しましたように、浦添
地域は西海岸の総合的な
開発計画があります。そして、第一次計画が済んで、既に物流の拠点はそこへ移っております。そして、今第二次計画がずっと進んできている。それが完成いたしました後、今の
米軍基地はドーナツ現象を呈しておる。
今のところ、私が聞いたところでも、地主の全員が
返還を求めているわけではありません。まだ半数近くが
返還には
反対だということも聞いております。しかし、考えなければならぬのは、
那覇の上ノ屋
地域、これがしっかりとした開発ができて新しい町並みができる、あるいは、時間ですからあと簡単に言いますが、軍港
地域の跡利用計画で危険になる。そうすると、そこも地主から
返還を求めてくることは明らかです。ですから、いつまでもそこへ移せると思って交渉しても私は無理だと
思います。
そういうことを含めて、時間がなくなったようでありますから、私の強い
要望としてお聞きを願って、ひとつ対処をしていただきたいと
思います。
質問を終わります。