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寺前委員 そこで、私は次に、
気象庁の問題について、自分が感じた問題で質問をさしてもらいたいと思うんです。といいますのは、ちょうど私の住んでいる地域でも、私の家もかわらが落ちるし、灯籠が倒れるということがありました。私は、朝電気がつかないし、ガスはつかないし、テレビはつかないし、情報をどうしてとろうか、結局ラジオだ、ラジオは電池を入れんならん、さあ電池が、そんなの準備してない、慌てて時計から引っ張り出したりして、結局八つの大きな電池をつけてラジオから聞くことができました。
その情報を聞いた最初のときに、大阪は震度四だ、京都は震度五だ、
神戸の方が穴と、こう出るわけです。ああそうか、相当ひどいことが起こっているのはあっちの方だな、それはまあ感覚的にわかりました。淡路島の話は出ませんでした。私は自分の仕事の関係もありましたので、早速山越えで
現地の方へ行きました。だから私の念頭からは、大阪というのは四なんだから全然念頭にないんだというふうに頭から決めてかかっておりました。ところが、後から見ると、私、随分責められました。あんたは
神戸、西宮、あっちの方ばっかり行くけれ
ども、大阪を何と心得ているんだ、西淀で液状化現象が起こって堤防がこうなったよとか、まあ次々に言われました。私自身も頭の中の切りかえを必要としました。
そこで調べてみたんです。
震度計というのはいろいろ配置するけれ
ども、情報の元になる
震度計は一体どこにあるんだろうか。京都には京都測候所がある、大阪には大阪の管区気象台のところにあります。あそこは非常に岩盤の強いところで余り震度に
影響ないらしい、そういう話も聞かしていただきました。そうすると、結局大阪にはそこにしかないんだ、だからそこの判定だけで大阪を律することができるのか。
そこで不信が生まれたわけなんです。大阪の西淀の諸君とか豊中の諸君たちはあの情報というのはインチキなものだ、自分らの現に受けている、屋根が落ちてくる、つぶれていく、そういう事態と全然違うじゃないか、何が四だ、こういうことになってきた。
私は改めて大規模
地震というのか、あるいは直下型
地震というのか、どういう
体制になっているのだろうかというので、
気象庁の方がお出しになっている「
地震と津波」というこの本をいただきました。これを見ると、「東海地域常時監視」というところでは、大規模な
地震の直前の前兆現象をとらえるために、
地震、地殻変動、その中には地殻岩石ひずみとか伸縮とか傾斜とか、それから地下水、潮位など、延べ百三十三項目にわたる観測網が
整備されている、こう書いてある。
ところが、東海地域というのは何かというと、観測強化地域というふうに
地震の予知連の方では位置づけている。この近畿のこういう地域については特定観測地域なんだ、ちょっと違うんだ。違う地域についてはどうなんだと聞いてみたら、このうちの
地震の点についてだけやっております、こういうわけだ。
それなら、
地震の点についてどういうふうにやっているのかという資料をもらったら、北海道で計測
震度計をつけているのは二カ所だ、秋田の地域においては三カ所だ、宮城、福島の方面では七つ、新潟県では五つ、長野県では四つ、名古屋、京都、大阪、
神戸地域は十三カ所、島根県東部で三つ、伊予なんとかでは九、こういうふうに書いてある。細部にわたって見ると、なるほど大阪に
一つあるだけだ、こうなる。私は、こういうことでは、向こう二十年から二十五年、非常に危険な段階に来ているよという指摘があるのにもかかわらず、指摘どおりの方向についての検討がこれでされていたというふうに言えるのだろうか。
私はそこで疑問に思った。だから、もう少し細部にわたって
震度計を配置しなければいかぬのじゃないだろうか。あるいはまた、ひずみ計その他も準備しなければいかぬのじゃないか。
地震列島というのだからこういう内容について検討してもらう必要があるのじゃないだろうか。私の体験から感じた
一つはそのことなんです。だから、特定観測地域と言ったけれ
ども、それにふさわしいことにはなっていないのじゃないだろうか。
あるいはまた、今度
地震が起こってから特別に機動班が出てきて、そして四カ所に常置されました。これは後からの話。しかし、その人たちは必死になってやってくれて、十七日じゅうには入り込んでくれています。私は感謝しますけれ
ども、本当にもう少し管区の
体制としては、そういう
体制自身も管区ごとに置かなければいかぬのじゃないだろうかということを感じたのが
一つ。
それからもう
一つは、今度のことを通じて淡路島の問題がいつも問題になります。山の中腹にあるところのあの測候所、あれは人がおらぬようになっている。人がおらぬようになって、その人が飛び込んでいって初めて
連絡をして報道するようになった。人がやはり最終的に決定をしていくということが情報の根源になるのじゃないだろうか。機器を強化することは大切だけれ
ども、機器がどういう事態になるかという監視は人がやらなければならぬのだから、人の命にかかわる問題は最終的に人が
責任を持つ
体制というのは、気象の分野では外してはならないのじゃないだろうかということを私は体験から感じました。
そこで、最近ここ二、三年の釧路沖
地震や北海道南西沖
地震や北海道東方沖
地震を見ると、私はその当時の地域の新聞を読みますと、機械がうまく動いていずに何分おくれになったという報道が全部出ておる。私はますます確信を深めたと言えばおかしいけれ
ども、人が最終的に決めるものではないだろうかということを強く感ずるものなのです。
ところで、
気象庁の出しておられるところのニュースを見ると、ニュースにもそういうことが書いてあるのです。
気象庁のニュースの平成三年四月二十五日号にこう書いてあるのです。「我が国における震度観測は一八八四年「
地震報告心得」に基づき組織的な観測が始められた。以来、震度は原則的に人間の体感や周囲の
状況等から決定され、
地震動の強さを総合的かつ簡便に表現できる量として、防災応急
対応の情報として、また、
地震学、
地震工学の分野でもきわめて重要な情報として活用されている。」原則が人だということは、最近の
気象庁の総務部総務課が発行しているニュースにも載っている。僕は、専門家だったらそういう結論をお出しになって当然ではないだろうか。私は、この二つの点を自分の体験からはっきりしてほしいなということで、もう時間がありませんので、
大臣に
お願いしたいと思います。