○土肥
委員 私は
神戸を選挙区とするものでございますけれ
ども、今、それぞれの
発言、そして大臣の答弁を聞きながら、これは
相当時間をかけてじっくりと今回の
災害の分析をしなければならない。私は
災害特別
委員会でも質問いたしましたけれ
ども、本当に五千二百名を超える亡くなられた方の思いを
考えますときに、すべての情報を、そして記録を公開し合って、そして今後の激甚
災害にどう
対応するかということを、やはり半年、一年あるいはそれ以上かけて検討しなければならないことだと思います。
それで、だれが悪いのかとか何が不備だったのかというのは、もう少し時間をかけなければ本当のところは出てこない、そのような感想を持っております。自然
災害というものはこんなにも恐ろしく、そして突然やってくるものかということを思いますときに、万全の備えなんというのはほぼ不可能だというふうに私は思っております。
しかしながら、
災害が起こった後どう
対応するかしかももう三週間を超えている今日、なお二十五万人の方が苦しい避難
場所での生活をしていらっしゃるということです。そして、今やもう本格的に
神戸市も復興の兆しが少しずつ見えてまいりました。そして、
自衛隊の皆さんが懸命になって作業をしていらっしゃる。これからは、
瓦れきであるとか建築廃材の撤去にもかかわっていただくということでございまして、それは大変結構だと思います。
今、
神戸市役所の本庁舎は、これは倒壊することなく立派に残った建物でありますけれ
ども、その一階は全部避難民が、歩くところもないくらいのところに、もう本当に足のそばで寝ていらっしゃる、過ごしていらっしゃるという
状況の中で、私は、壁に張ってある一枚の文書を見たのです。それは、
自衛隊ありがとうと書いてありました。市民のこれまでの生活の、あるいは震災直後のいろいろなエピソードというのはたくさんございまして、恐らく
自衛隊の皆さんに
人命救助にあずかった、あるいは家族がそういう救助をしてもらったという経験があるのでしょう、いろいろなありがとうがいっぱいあるのです。例えば、たまたま家の前にだれかが不法駐車していて、それに柱が寄りかかって、その陰で助かったという人もいるのですね。そうすると、今度は自動車に、持ち主さんありがとうと張ってあるのですね。生き残った方、亡くなられた方、みんなそれぞれの悲喜こもごもの事例がたくさんございます。それも拾い上げていかなければならない。そして、すべての情報を公開し合う。
我々が危機管理というような言葉で一言で言うことは本当にたやすいわけでありますけれ
ども、私は、
現地におりまして一番思うのは、やはり震災直後からどんな
救援体制がとられたかということを思うわけであります。
当日十七日午前十時に貝原知事が
自衛隊に
出動要請をしたということが事実上残っているわけでありますが、知事さんと話してみると、
自分もどういうことなのか、どういう程度の震災なのかということがわからなかったとおっしゃいます。知事公邸は
県庁の少し山側にありまして、
県庁から山側は
被害の少ないところなのです。その反対に、浜側、南側がだあっとやられているわけでありまして、電気も切れている、
電話もないわけでありますから、御本人もなかなか戸惑っておられたということです。市長さんに聞きますと、市長さんはちょっとまた別のところに住んでおられて、割に
災害に近いところだったものですから、慌てて市庁舎に出かけられたということであります。
ここに
兵庫県防災行政無線の図が出ております。ここにあるのですけれ
ども、新聞などにも出ておりましたように、
兵庫県は八十億円をかけまして、そして衛星回線を使いまして、二十五カ所に同時に通信ができるようになっているのです。天網恢々疎にして漏らさずというのがありましたけれ
ども、実にもうこれ以上ないという無線図が出ているわけであります。
県庁が発信源なのですけれ
ども、ここが一挙にやられてしまいましたから、この衛星回線を使っての二十五回線のパラボラアンテナが全部死んでしまったわけですね。
とにかく通信が途絶えるということが最大の
悲劇です。なぜあんなに
神戸市にどっと人が車で入ってきたかというと、安否がわからないからなのです。みんな肉親を心配してどっと
神戸市に入ってまいりましたから、もうどうにもこうにもならなくなってしまいました。
私は、
防衛庁の
関係ではございませんけれ
ども、通信網というものを何回も
バックアップ体制をとりまして、そして最後は無線網で、しかも基地がやられるようなこういうものではなくて、基地がだめだったら次の基地、バックアップ基地をつくっておかなければならないなと。そして、
自衛隊がすぐ入ってまいりまして、我々
自衛隊の本部も行かせてもらいましたが、もう
自衛隊の無線がどんどん活発に動いているわけですね。なるほど、自己完結型の
部隊というのはこういうものかということを初めて経験したわけであります。
きょうは私は、
自衛隊の皆さんが大変献身的に作業をなさっている中にありまして、やはり初期活動、
初動がどうだったかということをどうしても聞かざるを得ないのです。なぜならば、もう大抵の職場に行きましても、あるいはある種の団体に行きましても、あるいは商店街の皆さんのところに行きましても、必ず数名から十数名、学校の教師も死んでおります、もちろん
子供も死んでおります。五千二百名というのは
相当な、百五十万県民のうちでパーセントとしては非常に少ないのですけれ
ども、その密度からいうと、この四区か五区にわたった集中的な
地震によりますと、ああ、生きていたんですかというのが私たち
神戸市民の合い言葉なんですね。
自衛隊が八十三条に基づいて
災害派遣ができる。
自衛隊が動きましたその記録をずっと拾ってまいりますと、
自衛隊の皆さん大変親切に——これは
警察に行ってもまだ教えてくれない、
県警はどうだったんだ、
消防本部はどうだったんだという
人命救助や遺体収容に関する
報告ができない、このように言いますので、また後日それはやらなければいけないと思いますが、
自衛隊の
報告によりますと、十八日から毎朝六時にその日の活動の
報告が出ております。
十七日は
人命救助も遺体収容も何にもございません。消火活動もございません。十八日も実は何名救助したか何人収容したかも出てまいりません。消火活動は実施した、こうなっておりますけれ
ども、どういうふうに実施したのかは
報告されておりません。いずれまた落ちつきましたら詳しい
報告が出るでありましょう。そして十九日に、三日目でありますが、
人命救助百三十四名、こう書かれております。四日目、二十日に百七十六名、こう出まして、そのとき初めて五百二十八体の遺体を収容した、こういうふうに書かれております。百三十四から百七十六、こうふえてまいりましたが、当然数字が後で狂ってまいりまして修正されております。そして十一日目の二十七日、百五十七名が恐らく確定数字のようでありまして、
人命救助をなさったのは
自衛隊では百五十七名。
海上自衛隊もかかわりを持っておりますが、これは八名であります。では遺体はどれだけ収容なさったかというと、先ほど言いましたように、第四日目の二十日から最後の十八日目の二月三日の記録しかまだ手元にありませんけれ
ども、千二百十六遺体を収容なさったということです。
これは全部記録をとってみなければいけませんけれ
ども、
県警はどれだけの救助をしたのか、そして遺体はどれだけ収容したのか
消防局はどうなのかというようなことを全部とらなければいけませんけれ
ども、
自衛隊の活動としては、以上出ている数字でございます。
人命救助で百五十七名、遺体収容で千二百十六名、これは
陸上自衛隊。
海上自衛隊は、
人命救助八名、遺体収容は十八名、こうなっております。
私は、一番疑問なのは、五千二百体を超える大量の死者を出したということで、どうしても
救援に入られた
自衛隊の活動がどうだったのかということを、批判などするつもりはございませんで、実際どうだったのかということをお聞きしたいわけであります。この第一日目、第二日目、十七、十八と最も大事なときにどういう活動をしたのかそして、もし今できるならば、そのときのそういう活動の中から
反省点があれば、あるいは改善点があれば説明していただきたいと思います。