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参考人(
成田頼明君)
成田でございます。よろしくお願いいたします。
先般の十一月二十二日の
地方制度調査会で「
地方分権の
推進に関する
答申」というものが出まして、
地方分権の基本的な
方向と
分権化の手順、過程、そういうものに関するおおよその傾向が明らかになったわけでございます。
政府の
地方分権に関する
大網方針というものも大体この
基本線で決まるというふうに願っているわけでございます。
本日、私は
地方制度調査会副会長ということでございますけれ
ども、その
立場ではなくて、戦後四十数年にわたりまして
地方自治に関する法的な側面を研究している
研究者としてここに
出席いたしているわけでございますけれ
ども、ただ、先般
自分で
答申をつくってこれを
総理に出しておりますので、
恒松先生のようにそれを
自分が批判するということは全くできませんので、それを一応
前提にしながら
お話を進めていくということにしたいと思います。しかし、単なるコメントではない形でこの先の問題も考えていきたいと思っています。
地方分権ということで
事務局の方から
お話がございましたけれ
ども、何分非常に広範にわたる問題でありまして、何を話そうかと思っていろいろ考えたのでございますけれ
ども、本日はちょっと初めに少し
お話を申し上げて、あとは
事務権限の国からの移譲と国の監督の廃止の問題、それからもう
一つは、今もちょっと
恒松先生から
お話がございましたが
都道府県と
市町村の関係、これは全く
先生とは違った
立場から
お話を申し上げることになろうかと存じます。それから第三は、
地方分権に対する正しい認識というものをもっと確立しなきゃならない。この
三つについて、時間が限られておりますので一応
お話を申し上げまして、もし足りない点がございましたら、後に御質問がございますればお答えしたいというふうに思っております。
ところで、この十二月中に
政府の
地方分権に関する
大綱方針というものが決定されるわけでありますが、そうなりますと次のステップは当然に
分権推進法、これは現在は仮称でございますけれ
ども、いわゆる
分権推進法の立案と
国会提出という段取りになると思われます。
村山総理大臣は、次の
通常国会に出しますというふうに
お話しになっております。
地方分権の
基本理念や
基本方針がどういう形で
分権推進法に盛り込まれるかということはまだはっきりしておりませんけれ
ども、この
法律の
性格上、具体的な既存の
地方行財政制度、これがどういうふうに今度具体的に変わるかということについては、恐らくこれには盛り込まれないことになるだろうというふうに思われます。恐らく、これに関する部分は多分に宣言的、プログラム的な定めになるということが一応考えられるわけであります。
そこで、
行財政システムの
分権化に向けての具体的な改革の
内容というものは、これは恐らく
分権推進委員会でつくられます
分権推進計画の中に盛り込まれるということになると思われます。これは六
団体の
意見ではかなりそこに盛り込むべきことも詳しく書いてありますけれ
ども、
地方制度調査会では角を取ってそこを丸くしてあります。結局、これは
内閣あるいは
分権推進委員会の判断に任されるということになると思いますけれ
ども、
分権推進計画の
段階から、恐らく各省庁との間で非常にホットな
戦争が始まるのではないかというふうに思っております。
これは御
承知でしょうけれ
ども、一方では
規制緩和があり、他方では
地方分権があり、さらに
特殊法人の整理ということがありますので、この
三つはいずれも
中央官庁にとりましては、一番
自分の大事な
権限なり地位なりを奪われるという形で
トリプルパンチを受けるということになりますので、恐らくこれは現
段階ではまだ音なしの構えかもしれませんけれ
ども、そこの
段階に参りますと、これはもういよいよホットな
戦争が始まるんじゃないかというふうに思っております。
今般の
地方制度調査会の
答申に盛り込まれた
理念、これを一〇〇%実現しようとしますと、これは
地方自治法、
地方税法、
地方財政法、
地方交付税法、こういった
地方行財政に関する現行の基本的な
法律あるいは
地方行政に関する万般の
個別法というものを全部根底から覆して、
法制度それ自体を完全に根本的に改めるということが必要になってくるかと思います。これをもし徹底してやりますと、これは第二次大戦後、内務省を解体いたしまして戦後の新しい
地方自治法をつくった当時に匹敵するような、そういう大変な作業が必要になるということになりますし、それはある
意味ではマッカーサーという
占領軍司令官の権力をもって初めて可能であったというふうにも考えられます。
そういう大きな重い
課題を五年間という限られた期間内で本当にできるんだろうか。
答申はいたしておりますけれ
ども、おおむね五年というふうになっていますが、本当に五年でどこまでやれるのかということについては
個人としていささか
不安感を覚えているところでございます。
この点につきましては、
政府、特に
総理と
内閣の非常に強い
指導力が必要であると思われますし、それから全国二千二百有余の
自治体の盛り上がる力、それから何といいましても
国民の世論の支持というものが不可欠でございます。しかし、
分権化の実行というのは、これは四十年間いろんな形で叫び続けてきたわけでありますけれ
ども、今この
チャンスを逃しては今後再び
チャンスは来ないのではないかというふうに思われますので、どこまでできるかわかりませんけれ
ども、やっぱり
段階的にでも、一歩一歩でも前進するように努力しなきゃならぬのじゃないかというふうに思っているところでございます。
そこで具体的な問題の第一として、
事務権限の国からの移譲と国の監督の廃止、緩和について
お話しいたします。
現在、国は内政の各般にわたって非常に膨大な
事務を抱え込んでおります。恐らくこれからも
国際条約その他で新しい仕事がふえていくことがあるだろうと思われますけれ
ども、そういった膨大な
事務の総量をそのままにして今やっている
権限や
事務を全部
地方公共団体に移譲されても、とてもこれは処理が不可能であるというふうに思われます。
そこで、まず国の抱えている
事務で
地方に関するものの総量を削減する。総量規制というふうな話がありますけれ
ども、いわゆるそういうことで
事務の総量というものをやっぱり削減する必要があるんじゃないかというふうに思っております。そのためには
法律、政省令、告示、訓令、通達、こういったものが膨大な文書の山をなしているわけでありますけれ
ども、こういうものをまず大幅に整理統合する。それから同時に
事務処理の簡素化というものをそれとあわせて見直していくということが必要でありますが、この作業は当然に別に
検討されています
規制緩和というものと連動させていかなきゃいけないんじゃないかというふうに思うわけであります。
それから次は、国の
事務以外の内政に関する
事務は広く
地方公共団体に行わせるのが建前であるというふうに言っておりますが、そう申しましても当面はやはり人間の問題もあります。それから財源の問題もあります。これにつきまして私は三ゲンと申し上げておりますが、これは長洲
知事がおっしゃっている
言葉をおかりしているわけですけれ
ども、
権限と財源と人間ですね。この三ゲンをやはり
地方に移管するということがなければ、
地方は自主的に問題を処理するといってもそこにおのずから限界が出てくるのではないかと思われます。
市町村について申しますと、当面はこれまで非常に処理に苦慮しております町づくり、土地利用規制に関する
権限、それから福祉サービス、福祉と言いましても所得配分的な仕事は国がやるということになりますが、福祉のサービス面の仕事、これをやっぱり
重点的に
市町村におろして、
市町村が自己完結的にこれが処理できるようにすべきであろうというふうに思うわけであります。ただ、移管に当たりましては
制度システムそれ自体を体系的、総合的に見直す、同時に簡素化するという必要もあると思うんです。
現在の法システムは、国が
法律をつくり、政令、省令で枠組みをつくり、それをさらに告示、通達、訓令というような形で細目まで決めて
地方に流す。
地方はそれを単に執行するだけという
体制ですけれ
ども、それではいけないわけでして、やっぱりもともとの基準の定立のところから
自治体が決めるような余地をやっぱり与える方がよろしいのではないかというふうに思います。それはある
意味では条例制定権を拡充するというふうなこと、逆に国の
法律はそういった問題については一般的、大綱的な事柄を決めるにとどめるということになるわけでして、そういう形で
制度システムそれ自体を体系的、総合的に見直すという必要があろうかというふうに思っております。
それからまた
都道府県について申しますと、例えば現在
都道府県の中でも地域の交通計画の問題とか、あるいは通信情報政策、こういったことが可能になるように運輸省、郵政省からやはり
権限を移管してもらう必要があるんじゃないかというふうに思います。
私が見ているところでは、運輸省、郵政省というのはあらゆる
権限を全部
自分で抱えておりまして、全然
地方にはおろしていない代表的な官庁であります。運輸というのは人や物が動くんだから
一つの県内にとどまっていない、電波、通信な
どもやっぱり空を飛んで歩くので
一つの地域でおさまらない、こういう理屈をとっているわけですけれ
ども、私はそうじゃないと思っております。
地方のCATVであるとか、あるいはいろんな情報ネットワークシステム、これは何も郵政省が
権限持っていなくても
都道府県知事が
中心になってそのネットワークを組む必要というのはやっぱりあるだろうと思うんで、そういった
権限はやはり移していくべきだろうと思われます。それから地域のタクシーとかバスとかあるいは地下鉄、こういったような
権限も私は
地方におろすべきだろうというふうに思っているわけで、当然にそうなりますと
地方運輸局というようなものはなくなるのがしかるべきであるというふうに考えております。特に運輸、郵政というのはもう全然
権限をおろしてないので、そこに
重点的にやはり今度はやってもらわなきゃ困るんじゃないかというふうに考えているわけであります。
それから次は、国の監督権のうちで必要があるものにつきましては
個別法でやっぱり監督権として留保するものについての根拠を明示し、それで国が違法な監督をした場合には裁判所に訴え出て違法性の判定をしてもらうというような仕組みが必要だろうと思うんです。国が監督することは分権の趣旨からいっていろいろ問題がありますので、裁判所にそういう法的な面での監督というものをもう少し
役割を担ってもらったらどうだろうか。これは条例の限界等についてもやはりいろいろな問題がありますので、最終的には条例の違法性の当否は裁判所に判定してもらうというふうな仕組みがこれから必要じゃないかというふうに思いまして、裁判所をどういうふうにこの
地方制度改革なり分権の中にかませるかという議論が今のところまだ足りないんじゃないかという気がいたしております。しかし、これは事柄が司法権にわたる問題ですので、
国会や
行政権がどの程度できるかというふうな問題はあるかもしれません。
それから、次は
都道府県と
市町村の関係について申しますと、先ほど
恒松参考人から非常に急進的なお考えございましたけれ
ども、今度の地制調
答申では、
都道府県と
市町村の関係がどうあるべきかということは正面から取り上げておりません。恐らくこれから各論
段階に入りますと、これは非常に大きな問題になる可能性があるわけであります。
当面は二層制は堅持するというふうに言っておりますが、この当面というのは、先ほど
お話があったように将来抜本的に見直しますよというふうなことを予定しての当面ではないつもりであります。ここで言っておりますのは、むしろ全国の
市町村三百に再編する、こういう廃県置藩構想というふうなのがございます。それから他方、
恒松先生のような道州制構想がございますけれ
ども、それはとらないよということを実はここに
意味を含ませて、当面は二層制を堅持するというふうな
言葉で
表現しているわけであります。
それから
権限のおろし方、これはまず
府県におろして、次いで
市町村に移管する、その方が効果的、
現実的であろうという点ではこれは両方、六
団体の
意見も地制調
答申も一致しているわけであります。
市町村というふうに一口に申しましても、現在、規模、能力、置かれている状況、意欲、そういった面で非常に多様化しております。
特に
市町村では、市だけをとりましても、今度中核市というふうな
制度もできましたし、市の中にかなりそういう形での差が出てきております。それから町村になりますと、これは人口二万に近い村があって、いや
自分のところは村としてあくまで頑張るんだという東海村のようなところもありますし、それから全国の中には人口が三百人しかいないというふうな村もあるわけであります。
特に中山間部の町村あるいは離島関係の町村につきましては、これは御
承知のように人口の自然減がもう既に六〇%を超えているという状況で、非常に高齢化が進んでおります。高齢化がある時点に達しますと、それは地域共同体として崩壊するというそういう問題になってくるわけでありまして、こういう中山間部の小規模
市町村というものをどうするかというのは、恐らくこれはポスト四全総、五全総になるかどうかわかりませんけれ
ども、ポスト四全総の最大の
課題であるし、それから同時に
地方制度におきましても非常に重大な
課題ではないかというように私は考えているわけであります。
そういう中山間部の町村が消滅することは私は
日本の滅亡につながるんじゃないかという大きな危機感を持っておりまして、何とかそういうところがもう一遍
活性化して、もう一遍人が住めないだろうか、そういうことをもう少し真剣に考えるべきである。場合によっては余裕のある
地方自治体が、これは詰めてみなきゃわかりませんが、信託統治のような形で人が住むまで一時預かるというふうなそういう仕組みも必要なんじゃないかというふうなことさえ考えているわけであります。
それはともかく、そういった格差が非常に大きいということが
一つありますし、それから国から直接
市町村に移管するということは非常にしんどい。国もなかなか
市町村にじかにおろすということについては抵抗がありますし、それから
市町村も、国に当たって一々おろしてもらうことになると非常に労力もかかる。
そこで、まず
府県に優先的におろしてもらって、規模、能力、意欲、希望に応じて
府県から
市町村に移管してもらう方が
現実的である。それは
府県に持っていって話をする方が
自分たちは話しやすい、こういった
意見が私がお会いしている
市町村長の
方々あるいは
調査会等でヒアリングしました
市町村長の
方々の中に非常に多いわけです。
それでは
都道府県は何をやるかということですけれ
ども、
都道府県は伝統的に広域補完調整
機能というのをやってきたわけですけれ
ども、私はやはりこういった伝統的な広域補完調整
機能というのは現代的な
意味で少し
内容を違えてやっぱりやっていくべきだというふうに思っております。
特に、小規模町村等に対する
府県の補完
機能というものほかなり期待される面があるわけです。それから、
広域行政といいましても、現在
地方自治法で挙げている
府県の
広域行政以外にも新しい視点からの問題がいろいろございます。そういう形で私は広域補完調整
機能というものをもっと強化すべきだろうというふうに思います。
それから、さらに新しい
機能分野に
府県は進出すべきであるというふうに思っております。
それは何かといいますと、地域交通政策とかあるいは地域情報政策、地域産業政策あるいは地域の農業政策、資源リサイクル政策、環境政策、それからODAと申しませんけれ
ども行政的なノウハウを
中心にして
国際協力をするというふうな仕事、あるいは国連海洋法条約の批准、発効に伴って沿岸域の管理をする。こういった新しい仕事がやっぱりいろいろあるわけでして、補完的な仕事のほかにそういう新しい仕事の領域に
府県が乗り出していく。そのために必要な
権限をまたおろせるということが必要だろうと思います。
これは一県だけでおさまらない問題もありますが、それは隣接
府県と一緒になって共同して、場合によっては広域連合というものを組みながらそういうものをやっていくということが私は
現実的であり、必要なことだろうというふうに思っております。
いずれにしても、
府県と
市町村とがこの際けんかをするということは好ましくないんで、やはり両方が協調して国に当たる。同時に、
地方公共団体相互に横の関係で、いわゆるEUなんという
組織もできているわけですので、やっぱり横の関係で協調、共同処理というものをもっと進めていくということが必要だろうと思いますね。現在、国の
立場からいうと、
府県の区域を越えるものはすべてこれは国の
行政だと言っておりますけれ
ども、そういうやり方はやっぱり
地方の力で打破していかなきゃならないと思います。
もう時間がございませんので、最後に
地方分権に対する正しい認識が必要だということですが、一般
国民の間には
地方分権といってもその理解と認識の程度はそう高くないと思われます。分権分権と言っているけれ
ども、これは何かコップの中の要するに役人同士の
権限のやりとりなんじゃないか。一般
国民には全く関係ないんじゃないか。分権すればかえって
自分らの税金が高くなるんじゃないか、こういったような危惧を持っている方がかなり多いわけですね。そこはもっともっと生活がこう変わるんだというPRをしなきゃならないというふうに思っております。
それからもう
一つは、分権の大合唱は非常に盛んなんですけれ
ども、多分にまだ情緒的でありまして、その具体的
内容あるいは
分権化のスケール、あるいは
分権化が持つ
意味というものはまだまだ不明な点がございます。私もまだわからない点があります。とても実現されそうもない空理空論、あるいは憲法改正をしなければならないような提言も行われていますけれ
ども、そういう議論というのはこれは現在の
段階ですることは余り得策でなかろうというふうに思うので、現在は地道な議論を
段階的に五年間なり十年間の間で進めていくべきものではないかというふうに思っております。
それからもう
一つ、
地方公共団体も国への非常に安易な依存心を持ち、同時に責任逃れをやってきたということがございますし、それから何分にもやっぱり
地方公共団体相互の横並び
意識が非常に強い、あるいは他の先進
自治体の模倣というような体質が非常に強い。
分権が徹底しますと、これは自主性に基づく自己責任というものが
中心になります。ですから、財源の乏しい
市町村では自主財源の範囲内でしかサービスはやれないということになるわけで、それで他
市町村よりもサービスが低下するというふうなことがあっても、これはもう分権の中では仕方がないです。ナショナルミニマムというような
考え方はもう考え直さなきゃならぬというのが
分権化の
社会だろうというふうに思うんですね。
住民もすべて何でもかんでも
行政に頼るというふうな体質ではなくて、
自分でやることはやっていきますというそういう自己責任というものを確立しなければ、これはやはり世の中はうまくいかないんだろうと思います。
地方分権というのは一見華やかでありますが、華やかな夢ではなくて、本当に突き詰めてまいりますと、やっぱり自己責任が非常に強調される非常に厳しい
現実に直面するということになるわけでして、そういう覚悟を
住民も
地方自治体も国もやっぱり共通に持つ必要があるだろう。それらの覚悟が必要であるというふうに思っております。
時間が参りましたので、この程度で終わらせていただきます。