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1994-11-30 第131回国会 参議院 地方分権及び規制緩和に関する特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成六年十一月三十日(水)    午後一時一分開会     —————————————    委員の異動  十月二十七日     辞任         補欠選任      寺澤 芳男君     小島 慶三君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         小林  正君     理 事                 斎藤 文夫君                 服部三男雄君                 山口 哲夫君                 星川 保松君                 鶴岡  洋君     委 員                 石井 道子君                 上野 公成君                 沓掛 哲男君                 高木 正明君                 野沢 太三君                 溝手 顕正君                 宮崎 秀樹君                 今井  澄君                 岩崎 昭弥君                 佐藤 三吾君                 竹村 泰子君                 峰崎 直樹君                 渡辺 四郎君                 足立 良平君                 小島 慶三君                 続  訓弘君                 橋本  敦君    事務局側        常任委員会専門        員        佐藤  勝君    参考人        前島根県知事   恒松 制治君        横浜国立大学名        誉教授      成田 頼明君        柳 井 市 長  河内山哲朗君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○地方分権推進及び規制緩和に関する調査  (地方分権推進に関する件)     —————————————
  2. 小林正

    委員長小林正君) ただいまから地方分権及び規制緩和に関する特別委員会を開会いたします。  まず、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  地方分権推進及び規制緩和に関する調査のうち、地方分権推進に関する件について、本日の委員会参考人として前島根県知事恒松制治君、横浜国立大学名誉教授成田頼明君及び柳井市長河内山哲朗君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 小林正

    委員長小林正君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  4. 小林正

    委員長小林正君) 地方分権推進及び規制緩和に関する調査を議題といたします。  本日は、地方分権推進に関する件について調査のため、三名の参考人方々から意見を聴取することといたします。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきまことにありがとうございます。参考人皆様から忌憚のない御意見をいただきまして、本委員会における調査参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  それでは議事の進め方について申し上げます。  まず恒松参考人成田参考人及び河内山参考人の順序でお一人二十分程度の御意見をお述べいただき、その後一時間三十分ほどの間、各委員質疑にお答えを願いたいと存じます。  本日は、あらかじめ質疑者を定めず、委員には懇談会形式で自由に御質疑をいただきたいと思います。質疑を希望される方は挙手を願い、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。なお、質疑は五分間以内にお願いいたします。  また、意見の陳述、質疑及び答弁とも、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず恒松参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。恒松参考人
  5. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 恒松でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  もう改めて申し上げるまでもないことでございますけれども、今、地方分権ということが大きな政治課題と申しますか、あるいは政策課題になっております。先日の地方制度調査会におきましても、その重要性を大変強く表現をして答申をいたしました。地方分権基本法をつくれとか、あるいは地方分権推進委員会を設置しろとか、あるいは地方分権推進計画を作成しろ、こういった提言がなされております。  これらの動きにつきまして、私は焦点を絞りまして三つ問題点を申し上げまして、国会での御検討あるいは実施に向けての御活躍をお願い申し上げたいと思っております。  その三つの問題と申しますのは、一つは、今なぜ地方分権か、こういう問題提起でございます。それから二番目には、地方分権といいます場合に、今、地方自治団体としては都道府県という組織とそれから市町村という組織がございます。この二つ自治体というものの存在が、果たして地方分権を進める上で大変いいことかどうかという問題が第二点の問題であります。そして第三番目としては、将来に向けて日本政治をもっと簡素化し、もっと能率化して、そして政治行政住民の近くに、あるいは住民の手元にと言った方がいいと思いますけれども、持ってくるためには一体どういう制度が必要なんだろうか、こういうことについて順次お話を申し上げたいと思っております。  そこで第一番目に、今一体なぜ地方分権か、こういうことに対して少し問題点を申し上げたいと思います。  私自身は、戦後ずっと一貫して地方の主体性の確立ということを訴えてまいりました。それでまた、現実島根県の知事として地方自治の第一線にタッチもいたしました。そういう観点から申し上げたいと思っております。  先ほど申しました今回の地方制度調査会では、その中間報告の中で、地方分権が今なぜ必要かということについて四つの背景を示しております。  その一つは、中央集権体制行政の非効率化を招く、こういう表現がございます。しかし私の考えでは、むしろ行政効率化という点では、あるいは非効率でないようにするためにはむしろ中央集権体制の方がすぐれていると私自身は思っております。  しかしその中央集権体制なるものは、日本国民経済が同じような姿をとっているのと同様に、いろいろなひずみを持っていることも事実でございます。国民経済の高い成長率が今日実現をいたしましたのは、やっぱり行政政治中央集権的な体制があったればこそだ、こういうような指摘も少なくございません。そういう面では、中央集権体制というものは行政の非効率化を招くから、だから地方分権が必要だということはちょっと説得力に弱い点があるのではないか、こういうふうに思っております。  それから第二番目に、地方制度調査会答申の中では、活力ある地域づくりが求められている、だから地方分権が必要なんだ、こういう御指摘がございます。確かにそのとおりだと思います。現在、必ずしも地域社会は活力のある社会にはなっておりません。例えば、大都市におきましては通勤時間が非常に長くかかるとか、あるいは住宅事情が大変おくれているとか、そういういろいろ活性化を妨げるような面も少なくはないと存じます。  しかし一方では、いろいろな地域活性化の運動、あるいは地域活性化を進めるための組織、そういったものがほとんど東京中心にして立地しているということは、私どもはやっぱり反省してみる必要があるのではないだろうか。言いかえれば、地方活性化ということを東京で訴えているというそういう姿の中で、果たして地方分権というものが本当に機能し得るんだろうかということに対しても、私は大変疑問を持っております。  そして第三番目には、政治行政分業体制が必要だ、こういう指摘でございます。これはもう申し上げるまでもないことですけれども国際化という状態の中でできるだけ行政府はそういう問題を分業化して、言いかえれば機能分担をしてやった方が望ましい。例えば、中央政府外交とか安全保障とかあるいは地球環境の問題とか、こういったような問題を専ら担当し、そして地方自治体は逆に国内の問題を中心にして、機能分担をした方がいいのではないかという考え方が非常に強いわけであります。  これは、私も確かに有力な考え方ではあろうと思いますけれども、こういう分業体制といいますか、中央政府地方政府との分業体制というのは、それは私は地方自治といいますか、あるいは民主主義基盤と言ってもいいと思いますけれども、そういう地方自治推進には必ずしもならないというふうに思います。それはただ単にいろんな権限を分ける、あるいは機能を分けるということであって、国民全体が政治行政に対してかかわり、そしてそれに直接参加をするという意味での地方自治推進にはならない、こういうふうに私は思っております。  それから第四番目に、地方団体地域住民から信頼が高まっている、だから地方分権が必要なんだ、こういう指摘もございます。果たして現実はそうでしょうか。こういう疑問を持つわけです。例えば、最近の国政選挙のみならず、地方自治体選挙にいたしましても、その投票率は極めて低い。三〇%そこそこの投票率であって、果たして地域住民から地方団体信頼されているんだろうか。むしろそういう信頼がされていないからこそこうした制度の改正が必要なんであって、信頼が高まっているから地方分権を進める必要があるという議論はいささか論旨が逆ではないか、こういうふうに思っております。  こういうふうな背景指摘されておりますけれども、私はやっぱりかなりこの背景には疑問を持つわけでございまして、分業論は確かに説得力はありますけれども住民自身自分たち地域社会自分たちの手で守るんだ、こういう基本的な民主主義課題というものに欠ける面が非常に多いというふうに思っております。言いかえれば、地方分権論というのはただ単に行政事務を、機能分担する、地方中央分業をしていくのがいいことだ、こういうふうなことには必ずしも私は賛成できないというふうに思っております。  これは、日本経済社会全体に見られる現象でございまして、例えば大企業、中企業、小企業というものが縦割りになっておりまして、決して横のつながりという基盤を持っていないということがございます。また、最近ゼネコン等でいろいろ問題になっておりますように、元請とか下請あるいは孫請、こういうふうな一つの縦の社会の仕組みというのが私は健全なる経済の発展に貢献するものではないと思っております。したがって、中央政府都道府県、そして市町村、これも同じような一つ縦割りの姿では日本地方自治は育たない、こういうふうに思っております。  私がこういうことに非常に強い関心を持ちましたのは、これもう皆様方承知のように、戦後日本財政の将来に対して指針を示しましたシャウプ勧告の中にそういうことがはっきり書いてございます。シャウプ勧告では、行政事務の配分に当たってはまず基本的に市町村権限を持つべきである、そして市町村でできないのは都道府県に、都道府県でできない行政分野中央政府に任せる、こういう姿が本当の意味民主主義社会である、こういうふうに指摘をいたしております。  こういう面から申しますと、現在地方分権が必要だという根拠と言われておりますものの中には、かなり非常に大きな問題点があるのではないか。言いかえれば、私たちはもっと住民の身近なところへ権限を移すべきだ、そのための地方分権なんだ、こういうふうな視点に立つ必要があるのではないかというふうに思っております。  そこで、最初に申しましたように、地方分権に当たっての第二の問題は、地方分権における地方制度、特に都道府県制度に対して問題はないだろうかということでございます。  今度の分権推進委員会、いわゆる地方団体推進委員会の中では、当委員会は二層の自治制度、すなわち都道府県市町村という二つの層の自治制度は当面維持されるべきものとの考え方のもとに検討を進めてきた、こういうふうに述べられ、そしてその結果が示されているわけであります。  しかし、そうした二層といいますか、都道府県市町村とも地方自治体であるというような現在の制度というものが、果たして本当に現実をあらわしているんだろうかということも検討すべき課題であろうと思っております。  これも申し上げるまでもないこととは存じますけれども府県という存在はもう明治以来百三十年の歴史を持っております。その意味では、大変都道府県というのは国民意識の中に定着をしているということは言えると思います。しかし、その府県制度地方自治充実に果たして貢献しているかどうかということとは別問題であります。国民意識の中には定着しているかもしれませんけれども地方自治充実に貢献しているかどうかということとは私は別問題だと思っております。  それをあらわしているものに、今度の第三次行革審答申がございます。その答申の中で、これまで国の出先機関的存在であった都道府県は、その内容を改めて真の自治体として機能すべきであるということが指摘されております。言いかえれば、行革審自身も少なくともこれまでは都道府県というのは国の出先機関であったということを指摘をしているわけであります。これは私は大変重要な指摘だと思っておりますし、むしろこういうことを改めるべきだと行革審答申は言っておりますけれども、そうしたいわばこれまで国の出先機関であったという、そういう性格を私どもは改めて見直してみる必要があるような気がいたします。  先ほど申しました地方団体で構成をいたしました分権推進委員会の中では、府県市町村の二層の自治制度は当面維持されるべきものと考えて審議をした、こういうふうに述べております。私はこれを読みましたときに、ああそうか、やっぱり当面維持されるべきものというのは、将来はこれを改めていかなければならない、しかし当面は維持されるべきものだと、こういうふうに私は理解をいたしまして、この二層制というのは当面のものとして考えるという点では賛成でございます。ということは、将来はやっぱり都道府県というものの存在をいろいろ考え直してみるということが前提になっているというふうに私自身は解釈をいたしました。  ある方に、この当面維持されるべきものというのは私が考えているように解釈していいんですかと言ったら、そうじゃない、大体官庁用語で当面というのはいつまでもずっとそのままだということが普通の表現でございますということをおっしゃいまして、いやこれは大変問題であるというふうに思いましたけれども、少なくとも当面維持されるべきものと考えて審議をした、こういうふうに言っておられます。先ほども申しましたように、そうした二層制の自治制度というのはやがては変えるべきもの、こういうふうに理解すべきではなかろうかというふうに思っております。  ところが、それに続いて、今度は行政事務あるいは役割分担をいたしますときにこういう表現がされております。言いかえれば、地方公共団体において処理するという観点から、市町村優先原則に立脚し、そして分担を明確にしていく必要があるということを指摘した上で、ここでまた再び当面という言葉が出るんですけれども、当面都道府県重点を置いた国と地方との役割分担の見直しを進めることが現実的かつ効果的である、こういうふうに述べております。言いかえれば、市町村優先ということは原則なんだけれども、当面都道府県重点にして中央政府行政事務都道府県に移すということが言われているわけであります。ここでもまた当面という言葉が使われておりますけれども、そういう考え方が今度の推進委員会報告の中に出ているということであります。まさにこの点は、戦前も戦後も都道府県性格というのは本質的には私は変わっていないというふうに思っております。  その証拠を幾つか挙げます。  一つは、四十七都道府県知事の半数以上は中央官僚の出身でございます。そして、都道府県の副知事総務部長も合わせますと、ほとんどの都道府県がそういう中央政府官僚が就任をいたしております。あるいは中央政府地方自治体行政に対して非常に大きな干渉をし、またこれに対して地方団体も過大な陳情攻勢をやっているということは、もう言うまでもないことでございます。こういう点から考えますと、私ども地方分権の中で都道府県市町村というものをどう位置づけるかということにもっと真剣な考え方がなされるべきだというふうに思っております。  そこで第三番目に、それでは一体将来どうしたらいいんだということでありますけれども、私は地方自治ということを考えます限りは、地方自治体二つあるということは住民意識を非常に混乱させるものだと思っております。例えば、ある一人の人間は市の住民であると同時にそれが属する県の住民でもある。それをうまく個人の中で調整することは非常に難しい。したがって、住民行政政治にかかわりたくないというような気持ちをだんだん最近持ち始めている、というのは先ほど申しましたように、投票率が非常に低いということにあらわれているわけであります。  私は、そういう意味では市町村中心行政体制というものが一番望ましいことであって、住民に最も近いそういうところに権限が移るというのが望ましいことだと思っております。そういう点から考えました場合に、一方では広域行政必要性と合わせまして、地方自治体としては市町村そして道州単位行政がその上にある。そしてさらに、外交国際などを除く広範な行政権限独立性の強いそうした道州単位政府に移行していく。こういう点では、これからは例えばアメリカとかあるいは西ドイツであるとか、そういうところに見られますように一つの連邦語的な体制をとることも私は地方分権一つの大きな進むべき方向ではなかろうかというふうに思っております。  大変簡単ではございましたけれども、時間が参りましたので、私の発言はこれで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。
  6. 小林正

    委員長小林正君) ありがとうございました。  次に、成田参考人にお願いいたします。成田参考人
  7. 成田頼明

    参考人成田頼明君) 成田でございます。よろしくお願いいたします。  先般の十一月二十二日の地方制度調査会で「地方分権推進に関する答申」というものが出まして、地方分権の基本的な方向分権化の手順、過程、そういうものに関するおおよその傾向が明らかになったわけでございます。政府地方分権に関する大網方針というものも大体この基本線で決まるというふうに願っているわけでございます。  本日、私は地方制度調査会副会長ということでございますけれども、その立場ではなくて、戦後四十数年にわたりまして地方自治に関する法的な側面を研究している研究者としてここに出席いたしているわけでございますけれども、ただ、先般自分答申をつくってこれを総理に出しておりますので、恒松先生のようにそれを自分が批判するということは全くできませんので、それを一応前提にしながらお話を進めていくということにしたいと思います。しかし、単なるコメントではない形でこの先の問題も考えていきたいと思っています。  地方分権ということで事務局の方からお話がございましたけれども、何分非常に広範にわたる問題でありまして、何を話そうかと思っていろいろ考えたのでございますけれども、本日はちょっと初めに少しお話を申し上げて、あとは事務権限の国からの移譲と国の監督の廃止の問題、それからもう一つは、今もちょっと恒松先生からお話がございましたが都道府県市町村の関係、これは全く先生とは違った立場からお話を申し上げることになろうかと存じます。それから第三は、地方分権に対する正しい認識というものをもっと確立しなきゃならない。この三つについて、時間が限られておりますので一応お話を申し上げまして、もし足りない点がございましたら、後に御質問がございますればお答えしたいというふうに思っております。  ところで、この十二月中に政府地方分権に関する大綱方針というものが決定されるわけでありますが、そうなりますと次のステップは当然に分権推進法、これは現在は仮称でございますけれども、いわゆる分権推進法の立案と国会提出という段取りになると思われます。村山総理大臣は、次の通常国会に出しますというふうにお話しになっております。  地方分権基本理念基本方針がどういう形で分権推進法に盛り込まれるかということはまだはっきりしておりませんけれども、この法律性格上、具体的な既存の地方行財政制度、これがどういうふうに今度具体的に変わるかということについては、恐らくこれには盛り込まれないことになるだろうというふうに思われます。恐らく、これに関する部分は多分に宣言的、プログラム的な定めになるということが一応考えられるわけであります。  そこで、行財政システム分権化に向けての具体的な改革の内容というものは、これは恐らく分権推進委員会でつくられます分権推進計画の中に盛り込まれるということになると思われます。これは六団体意見ではかなりそこに盛り込むべきことも詳しく書いてありますけれども地方制度調査会では角を取ってそこを丸くしてあります。結局、これは内閣あるいは分権推進委員会の判断に任されるということになると思いますけれども分権推進計画段階から、恐らく各省庁との間で非常にホットな戦争が始まるのではないかというふうに思っております。  これは御承知でしょうけれども、一方では規制緩和があり、他方では地方分権があり、さらに特殊法人の整理ということがありますので、この三つはいずれも中央官庁にとりましては、一番自分の大事な権限なり地位なりを奪われるという形でトリプルパンチを受けるということになりますので、恐らくこれは現段階ではまだ音なしの構えかもしれませんけれども、そこの段階に参りますと、これはもういよいよホットな戦争が始まるんじゃないかというふうに思っております。  今般の地方制度調査会答申に盛り込まれた理念、これを一〇〇%実現しようとしますと、これは地方自治法地方税法地方財政法地方交付税法、こういった地方行財政に関する現行の基本的な法律あるいは地方行政に関する万般の個別法というものを全部根底から覆して、法制度それ自体を完全に根本的に改めるということが必要になってくるかと思います。これをもし徹底してやりますと、これは第二次大戦後、内務省を解体いたしまして戦後の新しい地方自治法をつくった当時に匹敵するような、そういう大変な作業が必要になるということになりますし、それはある意味ではマッカーサーという占領軍司令官の権力をもって初めて可能であったというふうにも考えられます。  そういう大きな重い課題を五年間という限られた期間内で本当にできるんだろうか。答申はいたしておりますけれども、おおむね五年というふうになっていますが、本当に五年でどこまでやれるのかということについては個人としていささか不安感を覚えているところでございます。  この点につきましては、政府、特に総理内閣の非常に強い指導力が必要であると思われますし、それから全国二千二百有余の自治体の盛り上がる力、それから何といいましても国民の世論の支持というものが不可欠でございます。しかし、分権化の実行というのは、これは四十年間いろんな形で叫び続けてきたわけでありますけれども、今このチャンスを逃しては今後再びチャンスは来ないのではないかというふうに思われますので、どこまでできるかわかりませんけれども、やっぱり段階的にでも、一歩一歩でも前進するように努力しなきゃならぬのじゃないかというふうに思っているところでございます。  そこで具体的な問題の第一として、事務権限の国からの移譲と国の監督の廃止、緩和についてお話しいたします。  現在、国は内政の各般にわたって非常に膨大な事務を抱え込んでおります。恐らくこれからも国際条約その他で新しい仕事がふえていくことがあるだろうと思われますけれども、そういった膨大な事務の総量をそのままにして今やっている権限事務を全部地方公共団体に移譲されても、とてもこれは処理が不可能であるというふうに思われます。  そこで、まず国の抱えている事務地方に関するものの総量を削減する。総量規制というふうな話がありますけれども、いわゆるそういうことで事務の総量というものをやっぱり削減する必要があるんじゃないかというふうに思っております。そのためには法律、政省令、告示、訓令、通達、こういったものが膨大な文書の山をなしているわけでありますけれども、こういうものをまず大幅に整理統合する。それから同時に事務処理の簡素化というものをそれとあわせて見直していくということが必要でありますが、この作業は当然に別に検討されています規制緩和というものと連動させていかなきゃいけないんじゃないかというふうに思うわけであります。  それから次は、国の事務以外の内政に関する事務は広く地方公共団体に行わせるのが建前であるというふうに言っておりますが、そう申しましても当面はやはり人間の問題もあります。それから財源の問題もあります。これにつきまして私は三ゲンと申し上げておりますが、これは長洲知事がおっしゃっている言葉をおかりしているわけですけれども権限と財源と人間ですね。この三ゲンをやはり地方に移管するということがなければ、地方は自主的に問題を処理するといってもそこにおのずから限界が出てくるのではないかと思われます。  市町村について申しますと、当面はこれまで非常に処理に苦慮しております町づくり、土地利用規制に関する権限、それから福祉サービス、福祉と言いましても所得配分的な仕事は国がやるということになりますが、福祉のサービス面の仕事、これをやっぱり重点的に市町村におろして、市町村が自己完結的にこれが処理できるようにすべきであろうというふうに思うわけであります。ただ、移管に当たりましては制度システムそれ自体を体系的、総合的に見直す、同時に簡素化するという必要もあると思うんです。  現在の法システムは、国が法律をつくり、政令、省令で枠組みをつくり、それをさらに告示、通達、訓令というような形で細目まで決めて地方に流す。地方はそれを単に執行するだけという体制ですけれども、それではいけないわけでして、やっぱりもともとの基準の定立のところから自治体が決めるような余地をやっぱり与える方がよろしいのではないかというふうに思います。それはある意味では条例制定権を拡充するというふうなこと、逆に国の法律はそういった問題については一般的、大綱的な事柄を決めるにとどめるということになるわけでして、そういう形で制度システムそれ自体を体系的、総合的に見直すという必要があろうかというふうに思っております。  それからまた都道府県について申しますと、例えば現在都道府県の中でも地域の交通計画の問題とか、あるいは通信情報政策、こういったことが可能になるように運輸省、郵政省からやはり権限を移管してもらう必要があるんじゃないかというふうに思います。  私が見ているところでは、運輸省、郵政省というのはあらゆる権限を全部自分で抱えておりまして、全然地方にはおろしていない代表的な官庁であります。運輸というのは人や物が動くんだから一つの県内にとどまっていない、電波、通信などもやっぱり空を飛んで歩くので一つの地域でおさまらない、こういう理屈をとっているわけですけれども、私はそうじゃないと思っております。  地方のCATVであるとか、あるいはいろんな情報ネットワークシステム、これは何も郵政省が権限持っていなくても都道府県知事中心になってそのネットワークを組む必要というのはやっぱりあるだろうと思うんで、そういった権限はやはり移していくべきだろうと思われます。それから地域のタクシーとかバスとかあるいは地下鉄、こういったような権限も私は地方におろすべきだろうというふうに思っているわけで、当然にそうなりますと地方運輸局というようなものはなくなるのがしかるべきであるというふうに考えております。特に運輸、郵政というのはもう全然権限をおろしてないので、そこに重点的にやはり今度はやってもらわなきゃ困るんじゃないかというふうに考えているわけであります。  それから次は、国の監督権のうちで必要があるものにつきましては個別法でやっぱり監督権として留保するものについての根拠を明示し、それで国が違法な監督をした場合には裁判所に訴え出て違法性の判定をしてもらうというような仕組みが必要だろうと思うんです。国が監督することは分権の趣旨からいっていろいろ問題がありますので、裁判所にそういう法的な面での監督というものをもう少し役割を担ってもらったらどうだろうか。これは条例の限界等についてもやはりいろいろな問題がありますので、最終的には条例の違法性の当否は裁判所に判定してもらうというふうな仕組みがこれから必要じゃないかというふうに思いまして、裁判所をどういうふうにこの地方制度改革なり分権の中にかませるかという議論が今のところまだ足りないんじゃないかという気がいたしております。しかし、これは事柄が司法権にわたる問題ですので、国会行政権がどの程度できるかというふうな問題はあるかもしれません。  それから、次は都道府県市町村の関係について申しますと、先ほど恒松参考人から非常に急進的なお考えございましたけれども、今度の地制調答申では、都道府県市町村の関係がどうあるべきかということは正面から取り上げておりません。恐らくこれから各論段階に入りますと、これは非常に大きな問題になる可能性があるわけであります。  当面は二層制は堅持するというふうに言っておりますが、この当面というのは、先ほどお話があったように将来抜本的に見直しますよというふうなことを予定しての当面ではないつもりであります。ここで言っておりますのは、むしろ全国の市町村三百に再編する、こういう廃県置藩構想というふうなのがございます。それから他方、恒松先生のような道州制構想がございますけれども、それはとらないよということを実はここに意味を含ませて、当面は二層制を堅持するというふうな言葉表現しているわけであります。  それから権限のおろし方、これはまず府県におろして、次いで市町村に移管する、その方が効果的、現実的であろうという点ではこれは両方、六団体意見も地制調答申も一致しているわけであります。市町村というふうに一口に申しましても、現在、規模、能力、置かれている状況、意欲、そういった面で非常に多様化しております。  特に市町村では、市だけをとりましても、今度中核市というふうな制度もできましたし、市の中にかなりそういう形での差が出てきております。それから町村になりますと、これは人口二万に近い村があって、いや自分のところは村としてあくまで頑張るんだという東海村のようなところもありますし、それから全国の中には人口が三百人しかいないというふうな村もあるわけであります。  特に中山間部の町村あるいは離島関係の町村につきましては、これは御承知のように人口の自然減がもう既に六〇%を超えているという状況で、非常に高齢化が進んでおります。高齢化がある時点に達しますと、それは地域共同体として崩壊するというそういう問題になってくるわけでありまして、こういう中山間部の小規模市町村というものをどうするかというのは、恐らくこれはポスト四全総、五全総になるかどうかわかりませんけれども、ポスト四全総の最大の課題であるし、それから同時に地方制度におきましても非常に重大な課題ではないかというように私は考えているわけであります。  そういう中山間部の町村が消滅することは私は日本の滅亡につながるんじゃないかという大きな危機感を持っておりまして、何とかそういうところがもう一遍活性化して、もう一遍人が住めないだろうか、そういうことをもう少し真剣に考えるべきである。場合によっては余裕のある地方自治体が、これは詰めてみなきゃわかりませんが、信託統治のような形で人が住むまで一時預かるというふうなそういう仕組みも必要なんじゃないかというふうなことさえ考えているわけであります。  それはともかく、そういった格差が非常に大きいということが一つありますし、それから国から直接市町村に移管するということは非常にしんどい。国もなかなか市町村にじかにおろすということについては抵抗がありますし、それから市町村も、国に当たって一々おろしてもらうことになると非常に労力もかかる。  そこで、まず府県に優先的におろしてもらって、規模、能力、意欲、希望に応じて府県から市町村に移管してもらう方が現実的である。それは府県に持っていって話をする方が自分たちは話しやすい、こういった意見が私がお会いしている市町村長の方々あるいは調査会等でヒアリングしました市町村長の方々の中に非常に多いわけです。  それでは都道府県は何をやるかということですけれども都道府県は伝統的に広域補完調整機能というのをやってきたわけですけれども、私はやはりこういった伝統的な広域補完調整機能というのは現代的な意味で少し内容を違えてやっぱりやっていくべきだというふうに思っております。  特に、小規模町村等に対する府県の補完機能というものほかなり期待される面があるわけです。それから、広域行政といいましても、現在地方自治法で挙げている府県広域行政以外にも新しい視点からの問題がいろいろございます。そういう形で私は広域補完調整機能というものをもっと強化すべきだろうというふうに思います。  それから、さらに新しい機能分野に府県は進出すべきであるというふうに思っております。  それは何かといいますと、地域交通政策とかあるいは地域情報政策、地域産業政策あるいは地域の農業政策、資源リサイクル政策、環境政策、それからODAと申しませんけれども行政的なノウハウを中心にして国際協力をするというふうな仕事、あるいは国連海洋法条約の批准、発効に伴って沿岸域の管理をする。こういった新しい仕事がやっぱりいろいろあるわけでして、補完的な仕事のほかにそういう新しい仕事の領域に府県が乗り出していく。そのために必要な権限をまたおろせるということが必要だろうと思います。  これは一県だけでおさまらない問題もありますが、それは隣接府県と一緒になって共同して、場合によっては広域連合というものを組みながらそういうものをやっていくということが私は現実的であり、必要なことだろうというふうに思っております。  いずれにしても、府県市町村とがこの際けんかをするということは好ましくないんで、やはり両方が協調して国に当たる。同時に、地方公共団体相互に横の関係で、いわゆるEUなんという組織もできているわけですので、やっぱり横の関係で協調、共同処理というものをもっと進めていくということが必要だろうと思いますね。現在、国の立場からいうと、府県の区域を越えるものはすべてこれは国の行政だと言っておりますけれども、そういうやり方はやっぱり地方の力で打破していかなきゃならないと思います。  もう時間がございませんので、最後に地方分権に対する正しい認識が必要だということですが、一般国民の間には地方分権といってもその理解と認識の程度はそう高くないと思われます。分権分権と言っているけれども、これは何かコップの中の要するに役人同士の権限のやりとりなんじゃないか。一般国民には全く関係ないんじゃないか。分権すればかえって自分らの税金が高くなるんじゃないか、こういったような危惧を持っている方がかなり多いわけですね。そこはもっともっと生活がこう変わるんだというPRをしなきゃならないというふうに思っております。  それからもう一つは、分権の大合唱は非常に盛んなんですけれども、多分にまだ情緒的でありまして、その具体的内容あるいは分権化のスケール、あるいは分権化が持つ意味というものはまだまだ不明な点がございます。私もまだわからない点があります。とても実現されそうもない空理空論、あるいは憲法改正をしなければならないような提言も行われていますけれども、そういう議論というのはこれは現在の段階ですることは余り得策でなかろうというふうに思うので、現在は地道な議論を段階的に五年間なり十年間の間で進めていくべきものではないかというふうに思っております。  それからもう一つ地方公共団体も国への非常に安易な依存心を持ち、同時に責任逃れをやってきたということがございますし、それから何分にもやっぱり地方公共団体相互の横並び意識が非常に強い、あるいは他の先進自治体の模倣というような体質が非常に強い。  分権が徹底しますと、これは自主性に基づく自己責任というものが中心になります。ですから、財源の乏しい市町村では自主財源の範囲内でしかサービスはやれないということになるわけで、それで他市町村よりもサービスが低下するというふうなことがあっても、これはもう分権の中では仕方がないです。ナショナルミニマムというような考え方はもう考え直さなきゃならぬというのが分権化社会だろうというふうに思うんですね。住民もすべて何でもかんでも行政に頼るというふうな体質ではなくて、自分でやることはやっていきますというそういう自己責任というものを確立しなければ、これはやはり世の中はうまくいかないんだろうと思います。  地方分権というのは一見華やかでありますが、華やかな夢ではなくて、本当に突き詰めてまいりますと、やっぱり自己責任が非常に強調される非常に厳しい現実に直面するということになるわけでして、そういう覚悟を住民地方自治体も国もやっぱり共通に持つ必要があるだろう。それらの覚悟が必要であるというふうに思っております。  時間が参りましたので、この程度で終わらせていただきます。
  8. 小林正

    委員長小林正君) ありがとうございました。  次に、河内山参考人にお願いいたします。河内山参考人
  9. 河内山哲朗

    参考人河内山哲朗君) 山口県の柳井市長の河内山と申します。きょうは意見を述べさせていただく機会をちょうだいいたしまして、まことにありがとうございました。  恒松先生成田先生からかなり大きな枠組みの中からお話がございまして、私が本日は唯一現役の自治体の長ということでございますので、やや具体的に過ぎるかもしれませんけれども地方分権について考えておることを申し述べてみたいというふうに思っております。  まず、きょう十一月三十日、いよいよ予算の時期を迎えたわけでございまして、上京して参るのに羽田空港でたくさんの市町村長さんや議員さんにお会いをいたしました。  先般、内閣では閣議があるいは閣僚の皆様方の懇談会の席で、この時期の陳情というのは少しお重いに自粛をするような形がとれないものかというお話があったようでございますが、全く実態はそうではなくて、まさしく中央集権の象徴である陳情の方々がこの周辺にもたくさんおいでになっております。そういうことがよろしくないというお話を申し上げにきている市町村長は私一人で何となく仲間外れのような感じがするわけでございますが、そういうことが本当に実感できるような季節を迎えたような感じがいたします。  中央集権につきましても、もちろん功罪両方の面があると思いますし、私どももすべてが罪であると申し上げるようなことは決してないわけでございますが、地方分権を進めるに当たってかなり最近は中央集権の罪の部分もたくさん出てきておるようでございますので、その辺を少し具体的に申し上げまして、皆様方にも今後の立法活動にぜひとも生かしていただきたいというふうにお願いをしたいと思っております。  まず最初に、今の中央省庁がございまして、都道府県がございまして、そして基礎的自治体がおるというこの二層式の中で、非常に効率性が失われつつあるということが言えるんではないかと思っております。情報通信というものが非常に発達をいたしまして、民間の企業の本店と支店あるいは本店と営業所の関係で言いますと、かなり事務的に見ますと効率的になっておるわけでございます。陳情団の多さもさることながら、事務職員の東京への上京、それから各県庁所在地への出張というものも大変に今、これは年じゅう多いわけでございます。  しかも、担当の職員に話を聞いておりますと、ある事業について都道府県でヒアリングを受け、またそれに足らざる資料があればまた説明に行き、というふうなことで二、三度都道府県の担当者のところで、言ってみれば補助申請であるとか許認可の申請についての事前の審査を受ける。それから大体いいでしょうということになりまして、今度上京して中央省庁の担当者のところへ伺ってまたヒアリングを受ける。ヒアリングの内容はどうかといいますと、大体同じことを東京でも、私どもの場合は山口県庁でも同じことを聞かれる。それが済まないことには話が始まらないので仕方なくやっておるんだというような話をよくしております。これは本音の部分で言えば、決して行政職員はそういうことは申しはいたしませんけれども、大変むだが多い、あるいは何となく日ごろの仕事の邪魔だと思っている感もあるわけでございます。そういう意味では、効率的な社会あるいは非常に我が国というのは効率的な経済のシステムだといいながらも、まさしく行政中央地方関係で言いますと非効率きわまりないという感じがするわけでございます。  情報通信のネットワークが非常に発達をいたしましたけれども、例えばファクスあるいはパソコン通信でこれらのやりとりができるかといいますと、先日も私も決裁をいたしましたけれども、国のある省庁の事業に対しての許認可の申請でございますけれども、申請書の厚みが大体五センチぐらいあります。さらにそれに図表がついて、全部トータルで合わせますと四冊か五冊、二十センチぐらいの厚みの文書をヒアリングで持っていく、あるいは実際の正規の申請をする、こういうふうでございまして、とてもファクスもパソコンも使えないくらいの煩雑な手続をしている。しかしながら、これは補助金をちょうだいするための前提でございますので、私どもとしてはそんなことはむだだとなかなか言えないわけでございまして、その辺が現在の仕組みの中で仕事をしております市長としては発言の限界もあるわけでございますが、きょうは委員会の席でございますのでなるべく具体的に申し上げたいと思っております。  それから、非効率性の次に私が市長になりまして驚きましたのは、市町村における縦割りの物すごさといいますか、縦割り市町村のレベルにも厳然としてあるということでございます。半ば冗談めかして川柳風に言いますと、「キャビネット一つ挟んで別の国」というくらいに物の考え方、仕事の進め方も部署によって非常に違いがございます。  本当は市町村の場合は地域住民に目を向けて、言ってみれば自分たち地域住民のために何が一番正しいかという考えを基本にしまして、スタートラインにしまして仕事をすべきでございますけれども、建設にかかわる仕事をしておる人とあるいは福祉を担当している人は、全くこれは共通のテーマも話題もないわけでございまして、違う国で仕事をしているがごとくでございます。多分、福祉の仕事をしている人と道路を担当している人がお酒を飲んでも余り仕事の話は出ないと思います。あるいはひょっとしますと、特に建設省あるいは農林水産省というような非常に縦の関係が強い省庁と地方自治体の関係で言いますと、県の担当者、国の担当者と市町村の部長が酒を飲む方が多分話は盛り上がっておもしろいんだろうと思います。それぐらいに実は役所の中では縦割りがあります。  おもしろいことに、市議会は市議会なりに市長の答弁を各部長あるいは課長が下書きをしてくださいますが、それの打ち合わせをする庁議でもやりますと、少しでも自分の担当の部署から離れますことについては、部長方は全く子供の常識でもわかることでありながらも答弁書類には書かない、それぐらいに自己抑制的に縦割りの壁をまじめに守っておられるという感じがあるわけでございます。  それの最たる例としましては、地域における福祉、特に高齢者福祉はいわゆる保健と福祉というもの、これ連携してやらなきゃならないわけでございますが、大抵の役所ではそれぞれ違う部署で担当しておりますので、老人の方々、高齢者の方々に対しますと非常に不親切な対応をせざるを得ないというような状況が実際これは住民立場からしましても生まれております。  これはもとをたどっていきますと両方とも厚生省の所管にかかわることでございますが、厚生省の局が違うあるいは課が違うという中でそれぞれ県の担当も変わってくる。そうしますと、それぞれ市町村の担当者もあるいは担当課も変わってくる。したがって、高齢者の方が役所の窓口に来て、多分自分は年をとっているから福祉の窓口に行けばすべて用事は済むだろうと思って行っても、どうしても、保健のことはこちらですよ、医療のことはこちらですよというふうにたらい回しをされる。そういうような傾向が出てまいります。  私どもの役所では、ことしの四月一日から保健、福祉、医療、ひとつ窓口を一本化しようじゃないかという機構改革をいたしましたけれども、よその例を見ておりますとなかなか全部が全部そのようにまだなっていないところがたくさんございます。そういうふうに縦割りの調整を最終的に基礎的自治体で行わないと住民に迷惑がかかる。こういう面も功罪の罪の部分ではあるんではなかろかというふうに思っております。  ただ、いいこともございまして、中央集権のおかげで、市長として地域住民からあることを求められてできないときに、一番説明が明快にできるのは、これは国や県がとこう言っておけば、住民の方もそれはしょうがないですね、仕方ないですねと、こういうことで楽な部分もあるわけでございます。それは成田先生が先ほどおっしゃいました、やはり地方公共団体というのが非常に中途半端な存在になってしまっておりまして、自己責任原則というものが貫かれていないという一つのあらわれだと思っております。  同時に、公共団体住民との関係で申し上げましても、結局住民の方も、自分たちの目の前にある柳井の市役所ではできないかもしれないけれども、これは県知事さんにお願いをすれば、あるいは国会議員の先生方にお願いをすればできるんではないかといつも思っているわけでございまして、地域住民方々にそれは法律制度上、絶対できませんよとこういって市長が説明しましても、いや、私は市長よりも○○代議士と親しいから、市長以上に親しいから先生に頼んでみる、こんなことをおっしゃる方もおられる。これはやはり恒松先生が先ほどおっしゃったように、地方公共団体に対する信頼性というものにも非常に関係をしてきておりまして、最終的には地方公共団体において仕事をしなきゃならないことも、何となく地域住民からしますと、このことは国へ行けば、あるいは県に行けばもっといい話があるんじゃなかろうかというような、いつもあいまいな夢を抱かしてしまっている。これは自己責任原則が貫かれないという一つの側面でございますけれども地域住民方々にとっても決していいことではないと思っております。  また、うちの財源ではここまでしかできませんよという説明をしたときに、それじゃしょうがないというふうに思われるのか、あるいはほかをやめてこのことだけはぜひ実現しましょうというふうに、地域住民の方が非常に現実を直視した要望あるいは行政への期待をされるようになるかどうか。これは住民の自治意識にも非常に関係をいたしますが、今の状況のもとではなかなか住民の自治意識というのも育ちづらい。先生方に頼めば何とかなるんではないかということをいつも考えてしまう、こういう弊害もあると思っております。  それ以外にもたくさんございますが、町づくりに対する種々の権限というものについては、これは多くの市町村長が感じておるとおりでございまして、どうしても、同じ国土の中でございますが、農水省の土地があったり建設省の土地があったり、同じ海岸であっても運輸省の海岸があったり水産庁の海岸があるというのは地域住民からすると非常にわかりづらいわけでございます。  過去に市町村長が責任を持って町づくり、土地利用計画の計画を立てますと、それは土地利用の計画を立てることによって初めて農林水産省の補助金をちょうだいしたり、あるいは建設省の補助金をちょうだいしたりしまして、いつの間にか単に地図の上に絵をかいているだけじゃなくて、その背景には補助金という裏づけができておりますので、その後土地利用計画を大きく見直そうと思ったときにそれはどうしたってできない。過去の計画、過去の補助金に縛られて、洋服に体を合わせるような土地利用計画になってしまう、こういう弊害があると思うわけでございます。  そういう中で、今後の地方分権についての考え方あるいは進める上での第一原則というのは、地方分権地方公共団体にとってよいことか悪いことか、市町村にとってよいことか悪いことかというのをどうしても考えがちでございますが、そのことを余りにも基本に据えますと、結局国と地方権限、財源争いであったり、都道府県市町村の争いであったりということに問題が矮小化してしまう傾向がございます。私は、やはり地域住民にとって地方分権というのはどういういいことがあるのか、どういうふうに改めれば地域住民にとって地方自治体というのが本当に頼りになる存在になるのかという基本を見失ってはいけないと思っておるわけでございます。  先日、よその自治体の例で大変恐縮でございますが、静岡県掛川市の榛村市長さんがパイロット自治体制度の中でいわゆるパスポートの交付を基礎的自治体で受けられるようにしたいという申請をされました。このことにつきましては、多分全国の公共団体、基礎的な自治体で、今のように千二百万人が一年間に海外に旅行されるような状況になった場合は、本当にお年寄りから子供までパスポートの申請というのをするわけでございますが、それらはなるべく身近な公共団体で手続ができるにこしたことはないといいますか、住民サービスを考えますとそうすべきだ、こう思うわけでございますが、どうもパイロット自治体の申請というものはうまくいかなかったというふうに新聞等で報道されたところでございます。そういうふうに、ある分権あるいは分権に向けての動きは本当に地域の住民にとってよいことなのかどうなのかということを考え方の基本に据えなければ、どうも分権論について地域住民の期待だとかあるいは応援は得られそうにないというふうに私は思っております。  それから、分権についてやはりこれはもう多くの先生方御指摘のとおりでございますが、相当に大きな政治のリーダーシップがなければ実現ができないと思います。  どうしても中央省庁の方々というのは、決して悪気はないわけでございますが、自分たちのやっている仕事に手を触れられるというのはおもしろくないようでございます。これは単に中央だけではなくて、都道府県も同じでございます。もっと言いますと地方自治体、我々のような市役所の職員と住民の関係でも同じでございまして、人間というのはだれしも今自分たち前提としておる制度、仕組みというものを外的な力によって変えられるというのは、本当に動物的なといいますか、本能的な拒絶反応を示す傾向がございます。しかし、それはやはり変えていかなきゃならないということを決めるのはより上位の、言ってみれば日本の中で言いますと政治家が決めて、それらを実行できるだけの法律と仕組みをつくらないとこれは実現できないと思っております。  やはり中央集権制限法ということを兵庫県の貝原知事が提唱されましたけれども、基本の考え方としてはといいますか、あるべき姿としてはそれぐらいの考え方を示す中で当面二層制の地方自治体制度を維持するというような進め方といいますか考え方でないと、どうも中途半端に終わるのではなかろうかというふうに思っておるところでございます。  最後になりましたけれども、よく地方分権の議論の中で語られます受け皿論でございます。  確かに地方自治体の規模あるいは地方自治体の能力というものは、全国三千二百五十市町村がございますが、これは大差があると思います。あるいは首長の意識、これも大きな多様性があると思っております。私ども地方分権のことを申し上げましても、近くの町長さん方あるいは村長の方々は、いや分権をすると補助金がなくなるともうお手上げじゃないかというような話をすぐされるわけでございます。それはまさしく意識と能力が、あるいは規模が多様であるがゆえにこの分権論というのがそのイメージといいますか、進め方についてコンセンサスがどうも自治体側で得られない大きな理由だろうと思います。  私は規模の部分につきましては、もちろん政令市、中核市、それから私どものような人口の五万から十万程度、あるいは五万弱の自治体とそれぞれ差がございますが、私の感覚ではやはり五万人程度ぐらいまでは何とか自己責任で仕事を進めることは可能ではないかと。逆に言いますと、これから高齢者福祉あるいはハンディキャップを持った方が社会に参画をしていくというような優しい社会づくりを進める上では、狭域行政のメリットもあるというふうに思っております。やはり地域の住民を升でとらえるのか、あるいは一人一人を認識をするといいますか、一人一人の住民を粒々としてとらえるのかでは私は行政の進め方が全然違うと思うわけでございます。  甚だ恐縮でございますが、私ども自治体でこれからより心の通った福祉、特に高齢者福祉をやろうというふうに考えております中で、要援護老人というのが西暦二〇〇〇年になっても大体千人ぐらいだろうというふうに予測をされます。そうしますと、千人という規模であれば、○○町に住んでおられる何とかさん、あるいは大字何とかに住んでおられる○○さんというふうに一人一人の状況だとか、あるいはその人の居住の環境であるとか、周りの助ける、ケアをする方々のネットワークがどういうふうになっているかというのは、本当に粒々でとらえることができるわけでございます。そういう意味では今後地方公共団体の仕事の中で狭域といいますか、余り広域にならないメリットも私はあると思っております。  最後でございますが、地方公共団体で働いております人間の能力、職員の能力でございますが、これは昔の一握りの帝国大学出身者が中央省庁で仕事をし、田舎の市役所、町役場、村役場は農家の次男、三男さんで、しかも余り体が強くなくて役場でも行くかというような時代とは大きく変わりまして、本当に優秀な方々がたくさん仕事をされている。そういう意味では私は分権の仕組みというものを進めれば進めるほどこの方々の能力を高めていくことに必ずつながるというふうに思っております。  最後に、残った小さな中山間地域、離島の町や村のことにつきましては、これは成田先生のお考えと私も全く同感でございまして、これらはやはりより広域的なといいますか、より上位の公共団体になりますか、あるいは中央政府と申しますか、過疎代行事業というのはたくさん今都道府県で実施をされておりますけれども、それらでやはりバックアップをしないとこれはいかんともしがたいというふうに思っております。  ちょっと時間が延びましたけれども、そういうふうな考え方を持っているわけでございまして、地方分権というものがやはり地域住民の幸せにつながり、なおかつ地方公共団体それぞれが独自の方法を施策の展開の中で知恵を、全国知恵比べができるようなそういう仕組みをやはりこれからつくっていくことが大変に必要だというふうに思っているところでございます。  どうもありがとうございました。
  10. 小林正

    委員長小林正君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑に入ります。  先ほど申し上げましたように、本日は自由質疑形式で質疑応答を行っていただきたいと思います。皆さんそれぞれ所属会派名と氏名、どの参考人に対して御質問があるのかをおっしゃっていただきます。着席のままで結構ですから、挙手をしていただきますと私から指名をさせていただきたいと思います。  なお、質疑時間はお一人五分以内とさせていただきます。  それでは、質疑のある方は順次挙手を願います。
  11. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 今三人のいろいろなお話を承ったんですが、成田先生の言われたのが現実的にはこういうところで進んでいくのではないかな。そして、理想的には恒松先生の言われたように将来いくのではないかなというふうに思うんですが、その言われた中で大変気にかかるのは、成田先生の場合、財源もそういう形で移譲する。そして、それぞれ市町村個人個人はみんな自己責任ということなので、財源の少ないところはそれなりのサービス水準で我慢していくというようなことになるんだと思います。  成田先生の言われたとおりだとすれば、教育の面であるとか、あるいは安全の面の消防とか警察であるとか福祉とか、そういう面でも当然市町村単位、もう少し離れたところ、別の県と県ならまた大きく離れるんでしょう。大きな差が出てくるんだというふうに私は思います。  明治政府以来日本が一生懸命にやってきたのは、いわゆるナショナルミニマムを達成する。貧しいところでも教育は市町村、県と同じように一生懸命してあげる、安全も確保してあげる、そういう中で日本人は一生懸命やってきたと思うんです。そういう意識がまだまだ強く残っている中で、こういうふうに分権したから財源についてもそれぞれおまえのところは少ないんだからその中でやれと。  確かに、欧州へ行けばドイツもそうで、ドイツの人に聞いてみれば、おれのところは空気もいいし環境もいいんだから所得水準は差があってもそれは仕方のないことだと言いますが、日本人はなかなかそういうことにはなりにくいんじゃないか。そういう点について成田先生、どういうふうにお考えになるのか。  さらにそうであれば、じゃ私はもう少し所得の得られるようなところへ移動していきたいというような、いわゆる所得の高い県、そういうところは今の大都市的なところですから、そういうところへ移動していきたいというようなことが強く出てくるんではないかというふうに思うんです。この点について成田先生とそれから恒松先生にも、いわゆる道州制でやっていけば、中国州と関東州では関東州がよくなるとか、そういう差が出てくるんだけれども、そういう差は我慢してもらうというか、やはり中国州の環境がいいからトータルでは変わらないというような、そういうお考えなのかどうか。そういう点についてお二方にちょっと教えていただきたいと思います。
  12. 成田頼明

    参考人成田頼明君) ただいまのお話はまことにごもっともでございますけれども、私は、一〇〇%完全に分権制にしたらという前提でそういうふうになるという極端な場合を想定したんですが、このナショナルミニマムというものは全く否定されるというふうには考えておりません。  それは、教育とか福祉というような問題は、憲法第二十五条以下のところでやはりこれは国の責任でやると。それは地方自治体も含めての国ということかと思うんですけれども、そこで一定の国の責任を強調している以上は、やはり一定のナショナルミニマム的なサービスは国が責任を持ってやるという思想をそこで出していると思うんです。ですから、それに対応するようなことは当然やらなきゃならないということになるわけですけれども、そうだからといって余りにナショナルミニマムが強調され過ぎてきたのではないかというふうに思うんです。特に、経済の高度成長期には何でもナショナルミニマムということでどんどん権限が国に上がってきてしまったという歴史があるわけでして、そこをもう少しバランスのいい形に直していくべきじゃないかということです。  それから同時に、これは財政上の問題にもかかわってくることですけれども、現在ナショナルミニマムを維持するために財政格差を是正するということで今地方交付税制度というのがあるわけです。基準財政収入額と需要額等を積み上げて算定をして、一定の枠内で調整をやっているという仕組みになるわけで、そこでやっぱり教育も消防も警察も福祉もナショナルミニマムを前提にした配分をやっているわけでして、これは財政的に私はやはり分権化した後でもある程度の財政調整は必要であるというふうに思っております。  その場合のナショナルミニマムというのは今とは少し違うわけで、今のは余り細か過ぎるという批判があるわけです。もう少し人口とか面積とか粗いところでやったらどうだろうか。これはまたこれだけ細かくしたのは、逆に地方公共団体自分のところはこういう特殊事情があるからこれを見てくれということをどんどん陳情して、その結果細かくなったということはあるんじゃないかと思うんです。  そういった意味でのナショナルミニマムは、財政格差の是正を交付税によってやっていくということは必要だと思うので、私はそういった意味でのナショナルミニマムというものを完全に否定してしまっているわけではございません。むしろ、ナショナルミニマムが余り強調され過ぎることによって、これは国の権限だということで権限を拡張してきた、そういう考え方をとるべきじゃないということを申し上げているわけです。
  13. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 人の移動についても一言。  要するに、そう言ってもナショナルミニマムは薄くなるわけでしょうから、そうすると所得差というのが当然出てくるわけですから、過疎地からまた大都市の所得水準の高いところへ、いろいろ主張していることから読み取ると、そういうことにはならないでしょうか。
  14. 成田頼明

    参考人成田頼明君) その点ちょっとお話を省略して済みません。  憲法に居住、移転の自由というのがあるわけですから、好きなところに移って住むということは当然憲法上の権利としても保障されるべきだと思います。ところが、現在それをしたいと思っても、地方に行くと働く場所がないとか、あるいは土地が高過ぎて自分の思うところに住めないとかいうことで、実際に憲法上の居住、移転の自由というのが日本の場合には余り権利として行使できないという状況にあるわけで、やはり税金が安いから行こうとかサービスがいいから移っていこうというふうな状況にないわけです。ですから、今申しました土地問題とか、それから地域の雇用の場というものを確保するというような前提がないと、なかなか人の自由な移動というのはできないんじゃないだろうかというように思います。
  15. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 今、沓掛委員からの御質問でございますけれども、私はやっぱり基本的には自己責任を非常に大事にすべきだというふうに思っております。  もちろん、今、成田さんおっしゃったようにナショナルミニマムということを否定するわけではございませんし、地方交付税というのは、制度が変わるときの出発点が全然違いますから、交付税というのはやっぱり仕方のないことだと思っております。  ただ、今、最後におっしゃいましたように、所得格差が拡大して人口がどこかへ移動する、今の場合はどっちかというと過疎地域というか、農村から都市へ移動をしているわけですけれども、私はそれはやむを得ないことだと思っております。ある場合には、所得水準は低いけれども、さっきちょっとおっしゃいましたように、東京へ行ったって汚い空気と汚い水しか飲めない、少しぐらいは所得が低くったって自分の生まれ故郷に住みたいんだということも、それは比較の上でやるべきことであって、それはやっぱり個人の自由だと思っております用地方団体がやるべきことは、自分のところにできるだけ住んで、その地域社会のために尽くすというふうな方向をむしろ助長するような努力を地方団体がするところに地方自治のいいところがあるわけでございまして、それを今いろいろな制度によってそういうものを抑えているというのが現状じゃないかというふうに思います。  例えば教育にいたしましても、私は地域地域で教育のあり方というものはもっと違っていいと思っているんですけれども、今や全部一律の教育しかやってない。特に、国立大学が全国各県にございますけれども、みんな文部省の言っているとおりの教育しか、方針しかやってない。それよりは、やっぱり地域に根差した教育というものをもう少しやった方がいいというふうに私自身は思っておりまして、ナショナルミニマムに余りこだわる必要はないのではないかというふうに思っております。
  16. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 ありがとうございました。
  17. 山口哲夫

    ○山口哲夫君 まず、成田参考人にお伺いしたいんです。  分権大綱がこれから出るわけですけれども先生お話ですと、なかなか行財政制度はまとまらないんじゃないかというお話もありました。しかし、もし大綱の中にそれが盛り込まれないということになりますと、先生がおっしゃったように、推進計画の中で盛り込まれるようになるだろう。しかし、推進計画というのは内閣がつくることになるわけです。ですから、私は、むしろ大綱の中でそういう具体的な行財政の方針というものをきちんと盛り込まれないとすれば、もうここで大体分権の行方は見えてくるんではないか。役人に自分の仕事を移管させるようなことを書かせるといっても無理な話ですから、どうしてもこの大綱が勝負どころではないだろうかというように考えるんですけれども、いかがなものでしょうか。  それから、恒松参考人の、投票率が非常に低いという問題が何回かお話にありました。特に、制度上の問題と関連させてのお話でちょっと気になったわけですけれども、私は若干意見がここのところが違うんです。選挙を見ていますと今候補者も非常に少なくなってきました。それから公約も余り対立するものがない。そうしますと、住民が魅力がなくなってきたという、むしろそういうところに非常に大きな原因がありはしないだろうか。分権をすることによって自分たちの町は自分たちが選んだ首長なり議員なりの考え方で大体つくっていける。そうするとそこに非常に個性のある町づくりというものが出てくるんではないだろうか。個性のある町づくりということになりますと、そこにやっぱり政策の対立というのも当然出てくるので、そんなところから地域の住民地方政治に大変関心を持ってくるようになる。そんな中で主権在民とか民主主義というものが発展していくのであって、そういうことからいきますと、私はむしろ分権というものを、できるだけ市町村基盤を置いてできるだけの権限を与えていくということの方が投票率も上がっていくことにもつながっていくんではないだろうかな、そんなふうに考えたんですけれども、違うでしょうか。  それから、河内山参考人ですけれども、実は質問したいと思ったことを一番最後にお話しいただきました。今度は二層制で当面は県に移譲しようというそういう方針が出ていますね。当分の間ということをさっきからお話があったように、これからいきますと市町村に移管されるのはいつのことになるかわからないので、私は県に移譲された中でこれは市町村に移譲できるというものも随分あると思うのです。それは市町村と協議をする中で、市町村もここまでは私の方でできるから移譲してくれという、そういう部分的に協議の中で修譲をさせるような方向というものをこれからの大綱の中に盛っていくべきではないんだろうかな。そういうふうにしていけばそう無理もなく移譲できる、そんなふうにも考えるんですけれども、そういう手法の方がいいのか、それとも全面的に移譲させた方がいいのか、その辺をお伺いしたいと思うんです。
  18. 成田頼明

    参考人成田頼明君) ただいま内閣の分権大綱のお話がございました。分権大綱は内閣が閣議決定をするということになりますので、それは内閣がどういうふうにお決めになるか、私の方ではまだよくわかりません。それについてはこういうふうな中身にしてくれということをこの前答申したということでございます。  これは結局、どういうものを国の仕事とし、どういうものを、どういう基準で権限をおろすか、あるいは補助金等についてどうするかということは、今までの答申や六団体意見では地方分権推進計画の中に決めるということになっているわけですね。ですから、私の理解は間違っているかもしれませんけれども、恐らく分権推進のための法律のところでは、基本的な方針というか方向は出ましても、今度具体的な制度、例えば地方自治の中身になるような制度は恐らく入ってこないんだろうと思うんです。それはさっき申しましたように地方分権推進計画の問題になるわけで、そこで、これは政府に任せてもうまくいかないというので、六団体意見では国会がこれを議決することになっているんですね。国会がいろんな形でこれに関与する形になっていますけれども地方制度調査会の方はこれは総理大臣の諮問機関であるということもありますので、国会がかむ形になっておりません。そこに非常に大きな違いがあるわけで、これはどっちをとられることになるのかという問題ではないでしょうか。
  19. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 今、山口委員からの御質問でございましたけれども、おっしゃったことを私は全くそのとおりに理解しております。先ほど申し上げました投票率が低下をしているというような現象は、地方分権が進んでいないというところに問題があるのであって、もう少し地域が自分たち自分たちの町づくりをやるんだということ、あるいは個性ある町づくりをやるんだということのためにはやっぱり分権が必要なんだということを先ほど申し上げたつもりでございまして、投票率が低いというのはそういう意味で憂うべき現象である、こういうふうに思ったわけでございます。
  20. 河内山哲朗

    参考人河内山哲朗君) 権限の移譲について県と市町村の間で協議をしていくということでございますが、そういう方法がとれれば私は大変に市町村としても今後の分権に対する大きな弾みになってくるというふうに思っております。  特に、先ほど来福祉を例にとってお話を申し上げましたので、同じように福祉のことについて例示を申し上げるならば、現在、ハンディキャップを持った方々に対する行政の責任所在でございますが、身体障害者あるいは心身障害者あるいは知恵おくれの方々、いわゆる知的障害、これらにつきましては、大半の県で市町村長が、あるいは市町村がこれらの方々の福祉の仕事というのを担当しておるはずでございますが、どういうわけか山口県におきましては精神病の方々につきましては県が所管をしておられます。したがいまして、おもしろいことといいますか大変不幸なことに、そういうハンディキャップを持った方々のボランティアのグループというのが、結局、県の保健所が事務局をするボランティアグループと、私ども市役所が率先して事務方を務めていくボランティアグループと二つ流れができまして、ボランティアの方々からしましてもよくわからない。福祉の祭りをやっておりましても、精神病の社会復帰を助けるグループの方々だけぽつんと小さなグループでやっている、そういうふうな、言ってみれば非常に心寒々しいような状況が生まれてくる。  そういう意味では、個別具体的にこれは市で権限を持って措置した方がいいですよというような問題は、福祉に限らず、環境の問題あるいは先ほどの土地利用の問題、たくさん具体的にございますので、それらについて都道府県から市町村への権限の移譲というのも進めていくべきだと思っております。  ただ、前提といたしましては、現在、市の行っております事務事業というものが非常に高度成長時代に膨れ上がっております。そういうリストラといいますか行政改革が前提として行われませんといけないということが一点あります。  例えば、ゴールドプランあるいは新ゴールドプランで、大体私ども自治体で算定をいたしましても、現在の職員数の七%から八%職員を増員しないと持ちこたえられないだろうというような試算をいたしております。  したがいまして、県と市町村との権限の移譲に当たりましては、まず我々が身軽になるということと、加えて、それらの権限を担っておられました都道府県の職員というものの市町村への移管というものも同時に行われませんと、この辺は大変な事務事業の増大に市町村は耐えられなくなるだろうというような感じがいたしております。
  21. 山口哲夫

    ○山口哲夫君 どうもありがとうございました。
  22. 星川保松

    ○星川保松君 新緑風会の星川と申します。  お三方にお伺いをしたいのでありますが、いわゆる地方分権ということで盛んに各種団体等で論議がなされておるわけですけれども、その中身を見ますと何を分権するかということに大体終始しているような感じがいたします。  私は、何を分権するかの前にいかにして分権するかという方がもっと大事なんじゃないか、こういうふうに思います。今回のいわゆる特殊法人の問題にしても、各省庁みずから考えてみてくれということになったら、みんな何もありませんということになってしまったわけです。  ですから、この権限を譲るということについては、既得権限という観念があってこれはなかなか離したがらないというのが現状じゃないかと思うんです。ですから、分権できるものは各省庁ずらっと出してみてくれなんといってもとても出てくるものじゃないし、もし出してきたとしても、言葉は悪いんですけれども要らないがらくたみたいなものばかり出してくるということになるんじゃないかと思うんですよ。  ですから、国から県への分権の際もこれはやはり第三者の立場に立ってきちんと方針を定めて、そしてここは分権するようにしなさいというふうに指摘するぐらいにしないとなかなか実現できないんじゃないか。それはまた、県に一たんやって後は県から市町村にといっても、やはり同じような現象が県の段階で出てくるんじゃないか、こう思うんですよ。  ですから、県と市町村の関係の分権についても第三者機関のようなものを設置して、そこできちんと指摘をして分権を進めるというふうにしないと、さっぱりこれ進まないんじゃないかなという心配をしているんですが、お三方から一言ずつこの点についてのお考えをお願いしたいと思います。
  23. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 今、全くおっしゃるとおりでございまして、何を分権するかということよりどうやって分権したらいいのかというのがやはり基本的だと思うんです。  その場合に、私どもみんな国民全部そうなんだと思いますけれども、国が全部今まで権限を握っていて、それの幾つかをいろいろ情勢が変わったからといって地方へ分け与えるという考え方じゃなしに、本来住民に一番近いところの政府がいろんな権限を持つべきだと。先ほどもちょっと申しましたけれども、そういうことで地方団体でできないことはより大きな政府にそれを任せるというような、今機関委任事務なんというような話も出ましたけれども中央から地方へ委任するんじゃなくて、地方から中央へ委託をするというふうな考え方を入れてこないとなかなか容易には進まない、私自身はそう思っております。  その場合に、私は先ほどからかなり県の存在に対して厳しい意見を申しましたけれども、それは今そうした一つの流れを変えるときに県という存在がかなり大きな問題だと。今おっしゃいましたように、例えば県に移譲しても、それでは今度県から市町村権限を移す場合にまた同じような非常に難しい問題があるんだ。いっそ県なんというのはない方がいいんじゃないかというような、私は極めて単純なものですから、県なんかない方が地方分権というのは進むんじゃないかというふうな感じがしておりまして申し上げたわけですけれども、おっしゃるとおり、どうやってやるかというのは非常に難しい問題だと思います。
  24. 成田頼明

    参考人成田頼明君) 確かに、今おっしゃいましたようにいかに分権するかというのが非常に大事なんですが、これは地方制度調査会答申は今までそういうことを余り書いていなかったわけです。今度は、その手順についても推進法をつくり、しかも分権のための推進委員会をつくるというのは、これはそういう推進の手順を示したものとしてある意味では画期的なものじゃないかというふうに思っております。  ただ、御質問は府県市町村との関係はどうかということですが、これは国の答申でそういうものをつくれということを強制するわけにいかないので、これは自治体相互の関係ですから、できれば同じようなことをやった方がよろしかろうというふうに私は思っております。  ただしかし、先ほどから協議でということですけれども、かつてこれは宮澤弘先生知事をなさっていたときに、県の権限市町村におろそうとなさったわけです。それから同時に、ほかの県でもそれを見習ってかなり権限をおろそうとしたところが、権限だけをもらっても人も金も来ないのでは困るということで、非常に多くのものを突き返されたということがございます。ですから金と人というのが非常に大事で、それが一体でなければ仕事を引き受けるのは非常に困るという立場はよくわかりますけれども、そういうことで権限は余り欲しくない。欲しいのはお金と自由にやることだということになりますと、ちょっとこれまたそれでいいのかなということで若干また疑問に思うわけであります。
  25. 河内山哲朗

    参考人河内山哲朗君) 星川先生がおっしゃいましたことは私も同感でございまして、行政改革というのは大体過去の経緯を見ておりましても、国民からわかりやすい理念とか将来像というものが非常にシンボリックに示されて、そのことが非常にわかりやすく、なおかつ効果があらわれるということが明快になったというような、例えば土光臨調のような形で第三者的に非常に信頼性の強い方がリーダーシップをとられて、本当は私は政治家そのものがリーダーシップをとられるべきだと思いますが、そういうふうに第三者が非常に大きな国民的な支持を得ながら行政改革を行っていくということでなければ、先ほども言いましたが、これは中央省庁に限らず都道府県市町村もそうでございます。現在行っておりますことに対する大きな変更というのは、なかなか自己変革では、あるいは自己改革ではできないというのが日本人の特質かもしれませんし、やはり人間の特徴ではなかろうかというふうに思っております。
  26. 星川保松

    ○星川保松君 どうもありがとうございました。
  27. 竹村泰子

    ○竹村泰子君 どうもきょうはお三人の先生方ありがとうございました。社会党の竹村泰子でございます。  今、機関委任事務お話が出ましたのですけれども、その中でも非常に大きな問題となっておりました例の在日の方たちの指紋押捺の問題がございました。今は一度押せばあとは強制的なことはなくなったわけですけれども、そういったことなども含めまして、これは御参考までにお伺いしたいと思いますが、地方のきちんと税金を納めておられる立派な市民で、さまざまな形態があると思いますけれども、市民としての義務を果たしておられる方たちに対する地方参政権の問題などが今あちこちで運動が少しずつ起きているように聞いております。  中央ではなかなか決断ができないことも、地方自治体ではむしろきちんとした対応、それから公務員採用の問題なども含めまして、将来的な御意見でも結構ですから何かお考えがありましたらお聞かせを。地方分権ということとは直接関係がないかもしれませんけれども地方の貴重な財産であるという意味で御意見を伺わせていただければ幸いでございます。
  28. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 私は、外国人の地方参政権の問題は各地方団体でそういうものを決めたらいいと思っておりまして、国の段階でできないことでも、それは一種の社会的な取り扱いとしてやるべきだということであれば、地方団体がやったって構わないというふうに私自身は思っております。  ただ、指紋押捺については私は知事時代に大変苦い経験がございまして、それはもう国の権限だから地方団体で勝手にやったら困るという意見が国の方でありました。私は、そういうことであれば国自身がいろんな機関を地方にも持っているわけですから、国自身が、中央政府自身がやりなさいと。それを勝手に地方団体事務だけ押しつけておいて、これやっちゃいけない、あれやっちゃいけないなんというのはおかしな話じゃないかといって随分抵抗をいたしました記憶がございます。たしか、実際には国の機関、司法の何かそういうのがありまして、そこでやるようになったというふうに思っております。  そういうものを、それは国の事務だから地方で勝手にやったら困ると、こういうふうに言いながらその事務だけは地方にやらせるという姿は、私は中央政府の大変なわがままだと思っていますし、いけないことだというふうに思っています。もしそれをやるんだったら、地方に全部権限を移すようなことをした方が私自身は望ましいと思っておりまして、大変悩んだ経験があるものですからお話し申し上げたわけです。
  29. 成田頼明

    参考人成田頼明君) 在日外国人の地方参政権の問題が出ましたけれども、この問題につきましては、外国人は住民がどうかという問題が一つあるわけですが、私はこれは現行法のもとでも、例えば住民監査請求とか、あるいは情報公開についての公開請求、あるいは個人情報保護条例による閲覧請求、こういった問題につきましては、これは外国人といえども住民であるということになると思います。  ただ、参政権絡みの話については現在またこれは行われてないわけで、どっちみち国の法律の改正を要することでありまして、条例で単独にやることはできないだろうと思うんです。その場合にドイツでは、御承知でしょうが、連邦憲法裁判所でハンブルクかどこかでやりましたのは、憲法違反であるという判定を受けたケースもあるわけで、これはドイツがそうだから日本がすぐそうだというわけにはいきませんけれども、そういった先例もあります。  この問題は、余り早急に踏み切るべき問題というよりも、当面、例えば川崎市で検討しておりますように、別個の在日外国人の協議会みたいなものをまずつくらせて、その協議会のメンバーが参加をするというふうなところから始めるというふうな方法もあるのではないかというふうに思われます。  ただ、これはいずれ国際社会で問題になる可能性もありますから、国際社会の動向というものをよく調査し、諸外国の情勢もいろいろ把握するということをしなければなりません。  それから同時に、御質問の範囲外かと思われますけれども、在外日本人の参政権も現在ないわけです。これは十年前に自治省が一つの法案を用意したんですが、これを実現していない。これは技術的な問題もいろいろあったと思いますけれども、そういう問題を広く人権問題との角度でぜひこれはお取り上げいただきたいというふうに思っております。
  30. 河内山哲朗

    参考人河内山哲朗君) 基本原則からしますと、やはり代表なければ課税なし、あらゆる市民的な義務も果たしておられる方が政治に参加ができないというのは異常な状態、異常といいますか、不正常な状態だというふうに私も思っております。  現在、私ども自治体の中で現実具体的にそういう問題が提起されているわけではございませんけれども、私もちょっと今これは条例だけで可能なのかということはわかりかねるところがございますし、成田先生おっしゃいましたように法律事項ではなかろうかと思いますが、これはこれから各自治体にとりまして徐々に現実味を帯びてくる問題といいますか、課題だというふうに認識をしております。
  31. 橋本敦

    ○橋本敦君 日本共産党の橋本でございます。  先ほど恒松先生の御意見の中で、大事なことは基本的には民主主義推進だという観点から、住民参加の住民自治を大きく進めるということがやっぱり基本でなくちゃならぬというお話がございまして、私もその御意見に賛成なんですね。  だから、そういう点からいいますと、地方分権ということがよく言われますけれども、基本は中央権限をどれだけ地方に分けるかという権限の分け合いの問題じゃなくて、住民参加の地方自治をどう進めるかということ、ここを基本にして、そしてそれにふさわしい権限地方自治体にどう与えるかということと、それから、それに応じた自主財源の確保をどのように総合的にセットするかということがやっぱり考え方の基本としてなくちゃならぬのではないかというふうに思っております。  そういった考え方で自主財源も含めた総合的なことこそまさに大綱としては進めるべきではないかと思うのですが、この点はいかがでしょうかということが一つです。  それから、山口委員からも御指摘がございました、投票率の低下という問題について私も大変関心を寄せて心配もしておるんですが、一つは、確かに山口委員も御指摘になりました政策の大きな違いがなくなっているという問題、それから町づくり等に魅力が持てない状況になっているという問題、確かにございますね。  それと同時に、やっぱり今指摘をした住民自治が本当に進むという条件がつくられていない。中央政治がもろに地方政治に直結をして持ち込まれるような、言ってみればそういった中央集権的政治住民参加の地方政治をおもしろくなくしているという面があるのではないか。  それからもう一つは、最近、地方政治でも汚職・腐敗事件が多発をしておりまして、そういった面の政治不信ということが非常に深く住民の中に広がっているのではないか。この点も地方分権と直接かかわりはない問題ということになるかもしれませんが、本当に地方自治体政治家、長が住民に密接にかかわっていく中で、清潔な政治をつくるということに自覚的に取り組む必要があるのではないかということが一つ考えられるんですが、こうした点についていかがであろうかということであります。  それから二つ目には、これは成田先生の御意見にかかわっておるんですが、確かに地方自治体の自己責任ということがそれなりに大事であることはわかります。同時に、沓掛先生からも指摘された福祉や教育のレベルの問題ということとのかかわりもあるんです。国の方が責任を負うべき福祉その他の問題、住民の安全の問題、そういった問題について国の責任を放棄とは言いませんが、軽減させることが主目的になって、それが地方自治体の負担として押しつけられる、こういったことが分権ということで行われるなら、これは私は正しくないと思うんです。  だからそういう意味で、おっしゃる自己責任という問題と、それから国の責任ということとのかかわり合いをもう少し合理的にどう考えるかという点で御意見がいただければというように思っております。  それから三つ目には、河内山参考人にお伺いしたいんですが、受け皿づくりとしての広域行政がいろいろ言われる中で、狭域でも行き届いた目の細かい行政が可能だというお話を伺いまして、私もなるほどなと思いましたが、そういった場合に、そのおっしゃる理想的な行き届いた目の細かい、粒とおっしゃいましたが、そういったことに行政がかかわっていくということが、分権ということを考えれば、もっとこういう権限地方自治体にあれば、あるいは自主財源としてこういうものがあればという、そういった具体的な要求を踏まえた何か例がございましたら、ひとつお願いしたいと思うんです。  と言いますのは、先ほどパスポートの例がございましたが、例えば民生委員の選任につきましても、これは地方自治体の長が地域と密接してやられればいいというように私も思いますが、これは厚生省まで行かなきゃならぬということになれば、これまたなぜかということにもなりますね。したがって、現場の苦労していらっしゃる責任者として、住民の利益になる分権としてはこういうものが欲しいんだよというものがあれば、要望として大いに挙げていただくことも大事だと思いますので、そういう意味で御意見があれば伺いたい、こういうことでございます。  以上です。
  32. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 最初に、地方自治というのはまさに民主主義の基本だということを私も申しましたけれども、今、橋本委員からもそのような御指摘がございまして、私は、地方分権ということが、ただ単に非常にテクニカルにこういうふうな権限地方へ、こういう権限中央へというふうな、そうしたことではなくて、もっとやっぱり基本的なところにさかのぼって考え直さなければいけないんじゃないかと思っております。  それは明治以来もう百二十年、中央集権体制で来ちゃったものですから、これを崩すというのは容易なことではないんですけれども、そこへ向かっていろんな諸制度が改革していけるようなことでないと、やっぱり問題は一つも進まないというふうに思っております。  先ほど、そういう点で自主財源の確保という問題がございましたけれども、私は財源そのものが、例えば地方交付税であってもいいんですけれども、財源そのものが大きくなるという、そういうことではなくてやっぱり税源確保の手段も地方団体に自主性がなくちゃいけない、例えば税率の決定であるとか課税標準の決定であるとか。そうでないと、私は、自主財源と呼ばれているものが幾らふえても、それは地方住民にとっては何の関心もないことだというふうに思っておりますので、そこら辺までやっぱり立ち入らないといけないのかなという感じがいたします。  それから第三番目に、最近は何か地方団体でも汚職が多くて政治不信があるということなんですが、全くおっしゃるとおりだと思いますね。政治不信が自分たちがかかわることによって改善できる問題ではなくなってきているというのが今の姿でございまして、例えば首長、都道府県知事を選ぶ場合にも、中央政府の重立った人たちが総勢で行ってある特定の知事を応援するなんというのは、私は戦前の体制から言えば内務大臣が任命するのと大して変わらないんじゃないかと。そんなところで、一体地方自治とかそういうものが言えるんだろうかということを痛切に感ずるんですね。ここら辺は私も大変苦々しくいつも思って見ているんですけれども、これは先生方をいろいろ非難するわけでは決してございませんけれども、少なくともそういう傾向が非常に強い。しかも投票率が低いということになると、戦前内務省が知事を任命した、地方住民はそれを安易に受け入れてきたということと大して違わないんじゃないかという気持ちでもって見ているわけでございます。
  33. 成田頼明

    参考人成田頼明君) 私あての御質問は自己責任と国の責任との関係いかん、こういうことでございますけれども、これは今度の分権大綱に向けた六団体意見も、地方公共団体意見も、国の責任、国の事務というものを限定しろという考え方に立っております。これは私は個人的にはそういう考え方をどこまで徹底できるかということについてはかなり疑問を持っているわけでありまして、国民の安全とか教育の基幹的な部分とかそういった問題については、やはり国が当然責任を負うべき分野というのはあると思うんですね。先ほども憲法二十五条以下の話をいたしましたけれども、憲法でもやっぱり福祉国家、社会国家の体制をとっている。これは憲法改正をしなければ国家体制は私は変えられないと思っているんです。もしそこを変えるというんだったら、私は憲法改正が必要であると思っております。  憲法論はともかくとしまして、私が非常に心配していますのは、分権と称して実は国の負担のツケを全部地方に押しつけるということを非常に心配しているわけで、例えば義務教育費の国庫負担分、教員給与等がそうですけれども、国はやっぱり自分のところの財政も苦しいものですからいろんなものをカットして、カットした分は地方に負担せよというふうなことになっているようです。それから私立学校の補助等についても、やはりこれをカットして地方に負担せよと。こういう形の分権というのは望ましくないわけでして、金をくれてしかるべきところをむしろ国の負担を押しつけて、国は何にもしない。これはまさにおっしゃるように、私は国の責任の放棄につながるんじゃないかというふうに思います。  同じことは、これはきょうのちょっと審議のらち外ですけれども規制緩和についても私は言えるというふうに思っているわけでして、規制緩和は片一方に自己責任のいろんなルールがなければバランスもとれませんけれども規制緩和の名のもとにいろんなものを規制緩和しますと、やはりあるものは私は国の責任を放棄することになるんではないかというふうに思っております。そういった意味では、分権の問題と規制緩和の問題というのは共通の面があるなというような感じがしております。
  34. 河内山哲朗

    参考人河内山哲朗君) 橋本先生の具体的な要求をどんどん出すべきだという御指摘でございまして、おっしゃるとおり、狭域で行政を進めていく上で必要な権限、財源というのは本当に多種多様でございますが、私は狭域の方が非常に福祉の分野ではいいんではないかという考え方を持っております。その福祉に限定して申しますならば、今の老人保健福祉について、余りにも事細かな国の目標値の設定が、これは少し地方の実情というものを踏まえた形で、レディーメードではなくてオーダーメードでできるようにしていただきたいなと思っております。  だから、霞が関でということは語弊がございますけれども、やはり三千三百も自治体がございますと、都市部もあれば農村部もある、中間的なところもある、離島もある。それで福祉というのは、最終的にはマンパワーというものが非常に大事な要素になってまいります。マンパワーも公的なマンパワー、いわゆる保健婦さんであるとかホームヘルパーさんというような公的な部分もあれば、在宅介護の中で、御家族、親族という自助努力的なところもあるんです。  私はその中間段階の互助的なもの、地域の中でお互いに支え合うという部分、その地域の中で互いに支え合う部分というのがどうも施策の中あるいは政策の中に、ゴールドプランの中で明記できづらい事情があるわけでございます。しかし、地方公共団体の中で大きく期待を寄せているのはその部分でございます。ゴールドプランの中で位置づけをはっきりさせませんから、それに見合う制度がない。制度がないといわゆる補助金の仕組みがつくれないということで、大きく期待をするけれども制度、補助金というものがないという部分がこの老人保健福祉改革の中に出てくるわけでございます。  したがいまして、その部分をオーダーメードで進めるための財政的な措置ということになれば、当然今の財政制度で言いますと、交付税で措置をしていくということになるだろうと思うんですね。ことしから、交付税のそれこそ基準財政需要額の中に高齢化の比率というような補正が行われることになりましたけれども、そういうふうに細かにメニューを、メニューといいますか交付税の算定基礎をつくっていくのはいかがなものかとは思いますが、すべてがすべてレディーメードの補助制度ではなくて、やはりその地域の実情を踏まえた形で、自由にあるいは独創的に仕事ができるような財源の措置というものは最も市町村が望んでいることだというふうに思っております。
  35. 橋本敦

    ○橋本敦君 ありがとうございました。
  36. 続訓弘

    ○続訓弘君 本日は、お三方、貴重な御意見を拝聴させていただきまして大変ありがとうございました。  私はかねがね、地方分権推進は憲法九十二条に基づくその実現だと。具体的に言えば、地方自治法二百三十条がその規定に基づいて地方公共団体の起債の自由を保障している。しかし二百五十条では当分の間自治大臣の許可が必要だ、こういう規定がある。その二百五十条の廃止こそ私は地方分権の原点だ、こういうふうに主張してまいりました。  そこでお三方に伺いたいんですけれども恒松参考人は先ほどの御意見の中で、地方公共団体に対して、数こそおっしゃいませんでしたけれども、副知事やあるいは総務部長財政課長、そういうのが天下りしてとにかく地方中央集権的に押さえておられると。その数は八百人弱ございます。それに対して、河内山参考人は先ほど、羽田空港の出会いから控え目ながらいかに地方公共団体の首長として苦労しているのか、そしてまたそういうものに対してどんな感慨を持っておられるのかということを吐露されました。そして、五万大規模の地方団体ではちゃんと受け皿もあるよと、地方分権をあるいは地方権限を移しても大丈夫だというような力強い御発言がございました。  私は、過日、高木委員長のもとで地方分権推進委員会の現地視察をやった。それは北海道でございました。トマムという地方に出かけたときの私の実感であります。人口は最初は千人以上あったけれども、だんだんだんだん過疎化して千人を割ってしまった。これではどうにもならぬということで、その住民が寄り寄り相談をして、どうすればこのトマムが活性化できるだろうかということを真剣に語り合った。  その結果、あのトマムの自然を生かしてリゾートをつくったらどうだろうかと。それにはどこか民間のそういうお金を出すところはないだろうか。ということで所々方々手分けをして探した結果、やはりちゃんとした民間人がおられて、五千人規模の大リゾートをつくった。その結果、人口はむしろふえたと。今や千二百人を超える住民が居住しておられる。そして、財政規模も貧乏であったものがだんだん自主財源がふえるという、そういう状況をみずからの努力によって生み出したということの経験談を私は拝聴してまいりました。  したがって、五万大規模が云々じゃなくて、そういうみずからの本当の地方自治をやろうという意欲がもう各地方団体に私はあると思うんですよ。そういう意味で、成田参考人はこの間第二十四次、あのおまとめになったときに私は御質問申し上げました。何としても二百五十条を廃止してほしいと。こういう話に対して、当時の自治省の答えは今の受け皿論、地方には人材がいない。そして同時に、地方に任せてもどうなるかわからぬ。だからある程度のことは国がやらなくちゃいかぬ、こういう趣旨のことがございました。  しかし、まさに今のトマムのお話を申し上げたり、あるいは河内山参考人自身の御発言等からしても、私は地方団体に任せても大丈夫だという状況になっていると。そうだとするならば、やはり二百五十条を廃止して名実ともに地方の時代をつくっていただきたい、こういうふうに思っているんですけれども、それに対してお三方の御意見はいかがでしょうか。
  37. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 私はもう随分前から起債の制限については反対をしておりまして、それは地方の主体性に任すべきだ。それは地方団体に対する信頼以外にない。しかも、最近ではそういう信頼が、先ほどちょっといろんな汚職で不信感があるというお話もございましたけれども、その一方ではもっともっとたくさんの信頼できる地方団体があるわけです。だから、それはむしろそういうところへ権限を移すことによってそういう信頼住民から信頼が得られるような行政がやっぱり生まれてくるわけですね。  いつまでも信頼をしない、おまえのところは何をするかわからないという形で権限を移譲しなかったら、いつまでたっても問題は解決しないわけでございます。私は、ここはそういう意味では、今、続委員おっしゃいましたように、二百五十条を廃止しまして自由にした方がいい、あるいはもし一括して自由というのは難しいのであれば、過渡的な措置を講ずるにしても、とにかく廃止をする方向に進むべきだと私自身は思っております。
  38. 成田頼明

    参考人成田頼明君) この問題につきましては、地方制度調査会でもいろいろ御意見を承りましたし、それからこれは行革審でも平成元年十二月に答申を出しました国、地方関係のところで大いに議論をしたところでございます。  なるほど御指摘の二百五十条は、金融統制時代の戦時統制経済の名残みたいなもので、これが当分の間ということで今まで続いているのは非常におかしいということはまさにおっしゃるとおりでございます。それで、分権化の中でこれを外すという意見もかなりのやっぱり説得力があるというふうに思うんですけれども、ただ、おっしゃるように、地方公共団体が何をするかわからぬという不信感だけとは必ずしも言えない面がございます。  それは、一つは、果たしてそういう形で起債の自由化をした場合に、そういう起債の市場というものがちゃんと確保できるかどうか。特に、大都市の場合にはそれはよろしいということになるかもしれませんけれども地方に参りますとそういう金融市場というのが果たして十分にあり得るかどうかという問題がございます。  それからもう一つは、現在は許可制のもとで許可がありますと一応お墨つきがあるということで、それ以上の金融機関での審査は余りないんですけれども、許可制が外されると、現在より以上に厳重ないわゆる審査を金融機関が行うんじゃないかというふうな問題がございます。  さらに、大きな自治体はこれは自由化されてどんどん起債をするということができるようになりますけれども、小さな町村になりますとかえって起債ができにくくなるんではないか。現在では許可を与えられている、それが一つの権威となって銀行が金を貸してくれるというふうなことがあるわけですけれども、そういった問題、いろいろ絡みまして、地方公共団体の間でもこれをめぐってやっぱり両論あるようであります。余り制度の建前で許可制がなくされると困るという意見もないわけではございません。  これは、将来の問題としては、私はやっぱり段階的にこの制度は見直すべきだというふうに思っておるわけでして、例えばアメリカでありますと債務限度額ですね、デトリミットというものを設けてその枠内であればこれは自由にやってもよろしいというふうな形で制度的な枠を設けている。これは起債は全く自由じゃないんですが、一定の枠を設けてその範囲内の自由を認めるというふうな制度をとっております。  それから同時に、アメリカではまた逆に地方公共団体の倒産制度というのがあるわけですね。借金をたくさん抱えた場合に民間企業と同じように倒産をする。これはやっていることは公共サービスですから倒産した場合どうなるかということになると、これはまた後の始末がいろいろ問題になるんでしょうけれども、そういった制度もやっぱり考えていかなきゃならない。非常に安易に個人の破産みたいに国が全部面倒を見てくれるということではまたおかしいわけであります。  さらに、金融市場という面では、ドイツでは貯蓄金庫というのがありまして、ちょうど日本の郵便貯金のような形で住民のお金、預金を預かっている。これは金銭営造物というんですけれども市町村にそういうのがあるわけですね。そのお金を集めて地方公共団体の起債の原資にしているわけです。  日本でも、かつて公営企業金融公庫にそういう形でお金を集めさせて、それで地方の起債を賄ったらどうかと。資金運用部だったらやっぱり大蔵省がいろいろ茶々を入れますので、そういう起債の面での自由な資金というものを自治体サイドで確保するような方法がないだろうか。こういうことが問題になったことがありますけれども、これは何分財投資金というのは第二の予算と言われるくらいに非常に膨大なもので、これは郵政と大蔵がなかなか放そうとしないということがありますので、起債の自由化を図るためには、そういう周辺の制度もいろいろ考えながらやっていかなければいけないんじゃないかというのが私の意見でございます。
  39. 河内山哲朗

    参考人河内山哲朗君) 金融市場の問題は私も不勉強でございますが、地方公共団体が地域の経営を上手にやるか下手なのかということは、現行制度の中ではほとんど差がつかないような状況になっているわけです。  起債というのは、もう当然どこの自治体もこれがなければ財政運営ができないというぐらい一般化しているわけでございますが、だれが市長であっても、あるいはだれが財政担当者であっても、今は大体よほどのミスがない限りは損をするようなことはないといいますか、起債の上手下手というのがあらわれないような仕組みになっておりまして、私はそれは少し誤りではなかろうかと。やはり民間の市場の実態あるいは経済の実態というものを踏まえながら、地方公共団体といえども最も合理的、効率的な借金の仕方を考えていくというのが大事なことだと思うわけでございます。  事実、今後の起債が小さな地方都市でも可能かどうかということでございますが、私の個人的な経験といいますか、今の感触から申しますと、地方銀行あるいは第二地方銀行、非常に競争が激化しておりまして、各行の頭取さんあるいは幹部の方々はしょっちゅう私ども市役所においでになりまして、市長室にもおいでになりまして、ぜひ縁故債でお願いをしたいというふうに逆に頼まれるぐらいでございます。  私は、今の金融市場が変わってまいればまたそれは状況は全く一変するわけでございますが、やはり安定性、安全性というものを、あるいは財政の健全性というものを維持しておる限りは、市中の金融機関も含めてでございますが、十分にリスクの少ない貸出先だというふうに判断をされるのではなかろうかと思っております。  そういう意味では、二百二十条の問題につきましても先生指摘のとおりだというふうに思っております。
  40. 鶴岡洋

    ○鶴岡洋君 公明党の鶴岡でございます。きょうは大変御苦労さまでございます。  恒松参考人に簡単に一点だけ教えていただきたいんですが、先ほどの話の中の一番最初に、なぜ今地方分権がというところでございますけれども、先ほどのお話の中でいくと、行政効率化という面で恒松参考人は、中央集権化は非効率化をもたらすので、だから地方分権だといういわゆる答申があるけれども、これは逆だと、こういう御意見のように伺いましたが、そうですか。
  41. 恒松制治

    参考人恒松制治君) はい、そうです。
  42. 鶴岡洋

    ○鶴岡洋君 実は、こちらにいる特別委員会委員方々は市長さんの経験者だとか知事さんの経験者だとか、それから地方議員の経験者がほとんどなんですけれども、私は首長もやっていませんし地方議員も全然やっておりませんので、非常に不勉強なのでお聞きするわけです。  大方、地方分権ということについては、私の今までの知識からいくとやはりやった方がいいんじゃないかなと、こういうふうに今考えているわけです、これはおぼろげですけれども。というのは、やっぱり地域性もございますし、地域の主体性ということもございますし、さらにいまだにまだ三割自治ということがずっと、財政的にもそれから機能的にも、構成においてもそういうふうに言われて現在も来ているわけです。  そういった意味で、地方分権というのはいいんじゃないかな、こういうふうに思うんですけれども、今言いましたように、恒松参考人お話だとむしろ中央集権体制の方が効率的なんだと、こういうお話だったので、具体的に言うとどういうことなのかなということで、その点についてお伺いしたいんですが。
  43. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 私が申し上げましたのは非常に経済的な側面でございまして、国の政策がもう全国一律に、ある一定の経済成長の面に全部向かって進むという体制の方が経済の発展にとっては私は効率的だと思っております。しかし問題は、そういう効率化経済成長をした日本が果たして今国内的に望ましい状態であるかどうかということを考えますと、その効率性を無視してでもあるいは効率性を少し低めてでも、やっぱり地方分権というのをやって、地域地域の活力のある地域社会ができるということの方がずっと私は正しいと。  言いかえれば、経済的な効率だけを求めてそれで中央集権体制をとったのを反省すべき時期にあって、経済的な効率は少し低下してもなおかつ人々の暮らしが本当に豊かさを実感できるような、そういう社会をとる方が私は望ましい。その意味では地方分権というのは大変に大きな今意味を持っているんだと、こういうふうに私自身は思っているわけです。そういうふうに申し上げたわけでございます。
  44. 鶴岡洋

    ○鶴岡洋君 ありがとうございました。
  45. 斎藤文夫

    ○斎藤文夫君 ただいまの鶴岡先生の御質問にも関連をしてくるんですが、先ほど来先生方のお話を聞いておってそうだなと、それと同時に自分の持論もあわせまして一点お尋ねをしたいと思います。  今お話がありましたが、確かに中央集権化していった歴史あるいはいろいろ効率というような問題を考えますと、国を治めるには均一的であるとか能率的だとか、そういう意味ではこれは中央集権が確かにより効果的である。しかしながら、現在国民の多種多様なニーズとかあるいは地域の特性とか、それから地方の活力というような問題から考えていきますと、手間暇はかかるけれども真の地方の時代というものをつくり上げるのは言うなら地方の自主性を高めることである。その自主性を高めるということは、具体的に言えば中央集権からいかに地方に分権をして、その中で地方が生き生きとした活力ある政治を通じて地域住民の福祉向上に貢献するか、こんなようなことだろうというふうに認識をさせていただいておるところでございます。  そこで、村山内閣は今年内に地方分権の大綱を出す、御関係の先生もおられるわけでありますが、そして五年を目途に相当思い切った地方分権を具体的に進めていこう、こう考えつつ今いろんな作業が行われているんですね。役人というのは常に保守的ですし、縦割り行政の中で自分のテリトリーを必死で守ろうとするんです。これに対してどういう新しい切り口でばらばらにして、思い切って時代の要請にこたえるか。これから我々議会と行政官僚との戦争の場面がこの地方分権の綱引きで始まるんだろう、こういう認識を持っているんです。  例えば分権をしていく上において一番大きな問題は、どこまで地方現実にそれを受けて住民の期待なりなんなりにこたえられるか。ちょうど柳井市長さんもおいででありますが、今既に現実都道府県あるいは市町村、それぞれの地域において力関係あるいは首長のお考えによって市民サービスという点で見ますと非常に格差がある。ある都市ではきめ細かい、言うならば包むようなサービスを住民にしている。ところが一方、なかなかそこまで手が回らないよという理由で他都市と比較をして非常におくれている、ハード、ソフトあわせてある。こういう問題を今後どうするんだと。  現実に今でもそれだけのばらつきがあって、その上今後地方にいろんな分権が仮に行われる、仮にじゃなくて行っていく。そういうことになると、果たして受け皿として人的にも質的にも消化ができる体制には今現在ないんじゃないかなと。なれば今後五年、十年かけてどういう体制をつくっていくかということが、私たちけんかをしたりこれから勝負をしていく立場に立つ者として非常に不安に思うわけですね。  それから同時に、財源をどうつけるか。これは先ほど来お話があるんですが、私は交付税なんというのはまさに自治省の特権の中で、さじかげんでいろんなコントロールをしてきていた。これをまずぶっ壊す必要がある。そうすることは即地方の自主財源というものをどこまで高めていくかということだと思うんです。  ですから、地方消費税という形で一%でも二%でも明確にして、これは私個人は国が取って地方にお渡しをするというようなテクニックもおかしいような、本当だったらその分、県民税、市民税を取っているんですから、地方の独自財源として当然地方がそれをお取りになるような時代がきっと来るんだろうなと思っておりますけれども、財源というものをきちっと仕事の量に見合ってつける、そういうことをこれからしていかなきゃいけないのかなと。さりながら、分権する本当の範囲というのは、例えば地方団体の御意向も拝聴いたしました。  あるいは、もしもリストラを政府がすれば余剰人員ができてくる。この余剰人員を一体どうするんだと。地方だって中央がリストラしたその分をいただけばいいというんじゃなくて、地方自身もリストラをしてもらう。あわせて、既に地方事務官という制度もあるんですが、どんどん減ってきていますけれども、そういう人たちばかりではなく、もう分権に伴って中央には相当な余剰人員ができちゃうんですよ。それをどう受け取ってくれるか。  これは、自治労の幹部の方々ともヒアリングを通じて論議をさせていただいているんですけれども、本当に明治以来の中央集権をひっくり返す歴史的な出来事ができるかできないかという、今瀬戸際だと思っているんですよ。それだけに少し長く説明というわけじゃありませんが、私のいろんな思いがあるものですから長くなりましたけれども、三先生それぞれのお立場で、一体本当にそういうことを踏まえてこれからの地方分権の具体的なプロセスというか、具体的というのは難しいんですが、例えば外交だよ、国防だよ、財政、年金、それから国土の問題あるいは産業の問題、この程度は中央で、あとは全部地方分権だよと、こういう格好のものだけで割り切れるのかどうか。  現実に、地方はこの程度のものまでは受けられるよとか、またこういう問題はもっと積極的にやらなきゃいけないんだとか、一口でお話を聞かせていただくというお願いの方が無理かもしれませんけれども、要するにこれから具体的に進めていくのに、もう考えれば考えるほど実は壁壁壁に私自身もぶつかっちゃっているんです。  それで、私はなぜそういうことをお訴えしたかというと、実は今、与党の地方分権のプロジェクトチームで勉強させられている。もう聞くたびごとにだんだん難しくなってきちゃっているというのが実感でございまして、その意味でぜひお教えを請いたい、こんな気持ちで、不十分ですがお尋ねをいたしました。
  46. 恒松制治

    参考人恒松制治君) 本当に大変難しい問題を投げかけられたわけでございます。今よく言われますように、分権してもいいよ、しかし受け皿ができていないじゃないか、こういうふうな話がよくありますけれども、これは私はそういう形で分権しなかったらいつまでたってもだめだと思うんですね。だから、やっぱり一遍分権をして、やれるところまでやらさなきゃだめだと思うんですね。  実は、私は随分昔、まだ大学の先生をしていましたときに、ある県に研修会に行きまして、本質的に、例えば保健所行政なんていうのはそれはもう住民に一番近い市町村が当然やるべきと言いましたら、これは県の職員なんですけれども、いやそれは先生無理ですと。何が無理だと言うと、さっきの三ゲンの話じゃないですけれども、財源が伴わないと。私は、その分は今まで県で支出していたんだから、それを市町村にばらまけば簡単に問題は解決するんではないかと、こう言った。  そうしたら、問題は人間だというんですよ。人間は確かにおらぬかもしれぬ。しかし、もしそういうふうになったら君自身市町村へ行って行政担当すればいいじゃないかと言ったら、いや私は県の職員でございまして、市町村の職員ではないと言うんですよ。それで私は猛烈に怒ったんですね。行政というものはそういうものじゃない。住民に対していかにサービスをするかということが大切なんであって、それは市町村であろうと府県であろうと、そんなことをこだわるようでは本当の地方自治というのはできないんだといって随分怒ったことがあるんです。  しかし、十二年間知事をやってみまして、あるんですよ、それがね。私は自治労というような組織もそういうところにやっぱりメスを入れないと、意識の問題だと思うんですよね。自分たちは県の職員でございまして、お前さんたち市町村の職員とは格が違うんですよというふうな、そういう形では一切問題は解決しない。  だから、受け皿論を論ずる場合にやっぱりそこら辺を考えませんといけない問題で、根が深いと思いますのでなかなか難しいとは思いますけれども、やっぱりそっちの方向へ物事を向けていかないと、そういう状態があるから地方分権はできないんだということで構えていたのではいつまでたっても地方分権というのはできないというような感じがするんです、ちょっと何だか話が横道にそれましたけれども
  47. 成田頼明

    参考人成田頼明君) その点については私は全く恒松先生意見は同じでして、意見が同じであるというのは非常に珍しいんですけれども、全く同じでございます。  これは、受け皿の問題というのは従来合併の問題とか道州制とかいう形で議論されましたけれども、それ以外にも規模、能力、意欲、人材それから財源、こういった面でやっぱりそれを支えるような完全な仕組みがなければ、分権というのはやってみてもあっぷあっぷするだけじゃないかというふうに思うんですね。  ですから、自分答申をしていてこういうことを申し上げるのは何ですけれども、あの理念を一〇〇%実現するということは、私は諸般の事情から見て不可能なんじゃないかと。だから、何点までいけば、何%までいけばまあ満足するかというふうな問題だと思うんです。  特に財政の問題になりますと、恒松先生財政の専門家ですけれども、例えば国家財政地方財政というのは違っておりますけれども、例えば内需の喚起とかそういった問題になると、所得税の減税とかいうふうな問題だってやっぱり両方同じような形で発動されていかないと効果を上げないわけですね。フィスカルポリシーというのは経済政策の非常に大きな意味を持つわけで、国が考えている政策と全く違った政策を地方財政の世界でとるということは不可能だろうと思うんです。  そういうことを考えますと、やっぱり国の税財政制度地方の税財政制度というのは、実は別でありながら一体不可分であると。一方では減税の必要性があり、一方ではまた消費税をふやしていくと。それにも枠があるという中での財源のやりとりですから、これは恐らく限界があると思うんですね。そういう限界の中で考えなきゃいけない。  それからさらに、国庫補助を一般財源に振りかえると言いましたけれども、これは地方交付税ですから振りかえはないわけですけれども地方交付税を積み上げてその額が決まるのじゃなくて、これ自治省と大蔵省があらかじめ折衝して枠が決まっていて、それをもっともらしくつじつまを合わせて配分するだけなわけですね。ですから、やっぱり補助金を交付税に切りかえるとそれはもうおのずから限界がある。そういうことを考えますともう非常に絶望的になって私も混乱しておるわけですね。  しかし、そこまでで一番賢明なしかも納得が得られる、そういう解決をどこに求めるかということがこれから各論段階ではやはり詰められなければいけないんですね。今の段階では忙しく旗を上げていればいいということですけれども、これからだんだんそうじゃなくなってくるんじゃないか。そうかといって、中途半端でこれが終わってしまうということを私は非常に心配するわけで、十年かかってもいいから段階的にやっぱりそれを実現していくということじゃなければならぬというふうに思っております。
  48. 河内山哲朗

    参考人河内山哲朗君) 私は、やはり法律でかなり明快に期限を決めまして、中央省庁の仕事、都道府県の仕事、それから現在の税源の配分というものが非常に大きな所得税、法人税、酒税それから消費税、それぞれきちんと国税に位置づけられておりますけれども、税源の配分というものもきちんと決めていく。それから、当然のことながら仕事の中身が決まってくれば定数も、中央省庁の定員、地方公務員の定員というものも大方これも決めていく。私は、そのことがございませんと地方分権というものは進んでいかないような気がいたします。  言うはやすく行うはかたしてございますが、じゃ今どれくらいの事務事業が中央地方にあるのか。あるいはこれはよく行革審等でも議論されましたけれども、許認可事項というものは対民間のものもございますが、いわゆる官官関係といいますか、公共団体中央との関係でいかなる今やりとりが部内の関係ではあるけれどもあるのかというようなものは、一つずつ探していくというのは大変な大作業でございますけれども、やはりそれは現実を踏まえて、どの部分については明快に地方の仕事にしていくというものをまず最初に掲げませんと、その後の税源の配分、定数の適正化というものもできないというふうに思うわけでございます。そういうふうに法律で決めていけば、今度いかに実行していくかということにつきましては、これは中央地方も優秀なる公務員の方々が、これはその気になれば私はなし遂げられないことはないと思っております。  だからその方向性というものが決まらないと、やはりあいまいな形といいますか、不十分な形にならざるを得ないと思っております。ただ、リストラをしていく中で、恒松先生お話しになりましたような、リストラをする中で職員の皆さん方の意識というものが大きく変わっていきませんといけないというのは、市長としてよく感じております。  昨日も労使交渉をやりまして、大変ちょっと時間をちょうだいして恐縮でございますが、清掃関係の職員の方々が大変頑張ってくれまして、今までよりも一台清掃収集車が少なくて済むように来年度からなりそうなんです。私は大変これよかったと褒めました。三人も新しい仕事をやってもらえてと言ったら、その辺がどうも定数が減るということに非常に職員の組合員の方々というのは抵抗がありまして、私は一生懸命本当に心からありがとうというふうに褒めてさしあげたんですけれども、職員の方々は、どうも皮肉で市長が数が減ることを褒めてくれたというようなことを言っています。  だから、それではいけないわけでございまして、職員の意識、それから住民も大きく役所の仕事が変わっていく、全く今までとは、今までは何となくねだったりあるいは大きな声を出したりすると、役所というのはだんだんと少しずつだけれども補助金をくれたりあるいは事業をふやしてくれたけれども、そうでもないというような、意識を少し変換しないとこのリストラはできないような気がいたしております。
  49. 斎藤文夫

    ○斎藤文夫君 ありがとうございました。
  50. 小林正

    委員長小林正君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は長時間にわたり御出席を願い、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時三十三分散会