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参考人(
石原邦君) ただいま御紹介にあずかりました東京農工大学の
石原でございます。このような席で
意見を述べさせていただくことを大変光栄に思っております。
ガット・
ウルグアイ・ラウンドの政府間の農業合意という新たな国際環境に対応して、今後、我が国の農業は一層の体質強化、充実が必要になると考えられます。現在、内外とも環境に対する関心が高まっておりまして、その中で今後の農業において環境保全に配慮した農業の展開が必要であると考えますので、本日はこの環境保全型農業を中心として、私の専門であります作物学「作物栽培論の
立場から
参考人としての
意見を述べさせていただきたいと存じます。
農業は、太陽エネルギー、土地などの自然を活用し、
地球上における
人間の営みのうちで環境と最も調和し、持続性の高い
産業と考えられてまいりました。しかし一方、
人間は農業を行うことによって環境を破壊し、不もの土地をつくり出したり、あるいは一度悪くした環境を修復しつつ農業を持続し、また発展もさせてまいりました。これから先もこのような状態を
人間が再び起こすという可能性を否定することはできないと考えております。
さて、作物栽培の基本は、耕地の地方、土壌肥沃度の維持向上を図りながら、その地域の気象、環境に合った作物あるいは品種を選択し、雑草や病害虫の被害をできるだけ少なくし、目的とする収穫物を多く、しかも品質のよいものを生産することにあります。これを実現するために、農業
技術の余り発達していない段階では非常に大きな努力が払われてまいりました。
例えば、病害虫が一度発生すると防ぐことができないために、収量や品質を犠牲にしても栽培時期や栽培方法は病害虫の被害を防ぐことを第一に決定し、また土壌肥沃度を維持するためにどんな作物を作付するか、その順序をどうするかが決められておりました。
ところが、化学肥料、農業などが開発され、機械が発達し大型化するに従って生産性の向上が第一の目的とされて、耕地の大規模化、作物の単作化が進められました。このようにして構築された栽培
技術は、多量のエネルギーと肥料や農業などの使用を通じて生産性の大幅な向上を実現しましたが、一方で、生産された
食糧の安全性などの問題が生じました。それだけでなく、環境にもマイナスの影響を及ぼしてまいりました。
その影響は、我が国では
水田農業を営み雨が多いということとも関連しまして
アメリカやヨーロッパに比べれば小さいんですけれ
ども、畑作地帯での地下水の硝酸態窒素濃度が高くなるなどの問題を生じており、農業環境の保全は重要な課題となり、農業環境への影響を軽減するのみならず、積極的に
人間の生存環境を保全する機能を維持増進する農業、すなわち環境保全型農業の発展が求められるようになりました。
我が国における環境保全型農業を推進する際の諸問題を概括的に列挙してみますと、例えば耕地の物質循環を基本とした輪作を中心とした作付体系の確立、
水田の高度利用、環境保全機能の活用、耕種と畜産との総合による物質循環を中心とした地域農業システムの確立、あるいは総合的病害虫防除の確立と発生予察、情報伝達の整備、施肥法、肥料利用効率の向上、耐病虫害抵抗性などの新しい品種の育成や新しい生物機能の開発などがあります。
また、少し違いますが、環境汚染の実態の把握も重要であります。あるいは社会
経済的な条件としては、農業の役割の認知と社会的な保障、あるいは生産者と
消費者の有機的連携などを挙げることができるかと思います。
以上のように、環境保全型農業を推進するに当たっては今述べた以外にも多くの問題に対応していかなければなりません。どの問題をとってもその対応あるいは
技術の確立は決して容易ではありません。このことについて輪作に例をとって少し説明したいと思います。
輪作は、同一の耕地に異なる種類の作物を一定の順序で繰り返し栽培する作付様式です。輪作は、化学肥料を減らしつつ物質循環を通じて土壌肥沃度を維持し、耕地の生態系を複雑にすることによって病害虫、雑草の発生を抑制するという点から環境保全型農業に不可欠な作付様式です。
輪作は農業の基本としてヨーロッパで発達したのですけれ
ども、
日本ではもともと
水田農業中心であったということもあって、この作付様式は必ずしも確立されませんで、畑においても必要に応じて作物を栽培するという、自由式と言われますが、それが行われてきました。この理由は、輪作といった複雑な作付様式をとらなくても、山林が多く耕地が狭いため地方維持は里山と結びつくことによって可能であり、雑草な
ども人力によって除去するということができたからであります。
このような
背景がありますので、化学肥料、農業が発達し機械化が進むことによって、作付は完全に
市場の要求、
経済性の追求、言ってみれば商工業と同じ論理によって決定されることになりました。したがって、我が国では過去には確立された科学的輪作体系は存在しないと言えます。
実際には全く存在しなかったわけではなくて、耕地の利用度を高め、農家の自給自足を中心とした例えば大豆、小麦、陸稲、サツマイモ、大根などを組み合わせた作付様式は存在しておりました。しかし、食生活の変化とともに増加してきましたトマト、キュウリなどの果菜類や、キャベツ、レタスといった葉菜類を組み入れた輪作体系を確立する問題は、全く新しい課題として、
研究として取り組んでいかなければなりません。
我が国の輪作ではまた、
水田の活用を考えることも重要であります。
水田は耕地として極めて安定した生態系であると同時に、畑とは全く異なった生態系であります。すなわち、
水田と畑では土壌の理化学的性質は全く異なり、土壌中の微生物層、雑草の種類は違いますし、水稲と畑作物では発生する病害虫も異なっております。したがって、
水田を二、三年畑として利用し、再び
水田として水稲を栽培することを繰り返す、田畑輪換といいますが、この田畑輪換は地方維持活用、病害虫・雑草防除、さらに水稲、畑作物の収量から見ても環境保全型農業にとって最も望ましい輪作体系の
一つで、他の
先進国にはない特徴があります。
田畑輪換を行うためには、排水し地下水を下げれば畑になり、かんがいすれば
水田になるという耕地基盤がなければなりません。このためには大型機械による大規模経営を可能にする土地基盤整備よりもさらに高度な基盤整備が必要であり、これを実現することは我が国の稲作を含めた農業にとって最も重要な課題の
一つと考えます。
さらに、輪作に組み合わせるのは作物だけではありません。病害虫や雑草の発生を抑制する拮抗植物、例えばネコブセンチュウを抑制するマリーゴールド、耕地に残っている肥料などを吸収させるクリーンあるいはキャッチプラントな
ども輪作の中に加える必要があります。これらの植物の目的とする機能の高いもの、あるいは新しい機能を持った植物の育成が必要であり、そのためにはバイオテクノロジーなどの最近の発達した科学
技術の利用が考えられます。
今まで述べてきたことからおわかりのように、輪作だけを取り上げてみましても問題は非常に多岐にわたり、全く新しい課題を含んでおり、
研究すべき問題が非常にたくさんあります。
輪作体系についての
研究は、農学も含めた近代科学の常法である解析的な
研究ももちろんありますが、その大部分はいろいろな学問分野の
研究者が相互に密接な連携をとりつつ総合化を目指して行うもので、しかも
研究の組み合わせは多く、長い年数を要するものであり、当然のこととして地域、土壌などによって問題は異なってまいります。したがって、従来の解析を中心とした
研究に比べて環境保全型農業にかかわる
研究は規模が著しく大きくなり、
研究者、
研究費も多く必要となります。また、田畑輪換のところで述べましたように、条件整備にももちろん多額の資金を要することになります。こういったことは
アメリカのナショナル・リサーチ・カウンシルの農業
委員会も指摘しているところであります。
輪作体系は
一つの耕地、経営の問題ですが、畜産農家などでは経営内で物質循環を完結させ、環境を保全することはできず、こういう場合には地域全体として、ある場合には市町村、県、さらに県を超えての取り組み、合理的物質循環の構築が必要となってまいります。物質循環の規模が大きくなればなるほど問題はさらに複雑多様になり、解決すべき事柄も多く、そのためには生産者、農協、自治体の連携協力が非常に必要となってまいります。
これまでは生産面について述べてまいりましたけれ
ども、環境保全型農業は流通、
消費とも密接に関係を持っております。この点を害虫防除を例に御説明したいと思います。
農業が発達して以来、害虫が発生したらあるいは発生することが予想されたら農業を散布するというのが防除方法であります。しかし防除手段は、農業を用いる化学的防除以外に、天敵を利用する生物的防除、害虫の発生の少ない時期に栽培時期を変える生態的防除などいろいろあり、環境保全型農業ではこれらを組み合わせた総合防除が基本となります。
総合防除はFAOによって、「いろいろな防除手段を相互に矛盾しないように有機的に調和させながら併用することによって被害が
経済的許容水準以下に維持されるように害虫の発生を統御する防除体系」というふうに一九六五年に定義されました。
ここで
経済的許容水準が問題となります。想像ですけれ
ども、この定義をしたときには恐らく収量の問題であって、害虫を全部殺すのではなく、収量が許容範囲以上に低下しないレベルに害虫を防除するという
意味であったと思います。
現在の我が国では、その
経済的被害がどの程度かは生産物の品質、これは味ではなくてむしろ主として外観によって決まります。外観が悪ければ
価格が著しく安くなります。流通業者、
消費者に満足してもらえるような外観を維持するためには、害虫の密度を非常に低いレベル、ある場合にはゼロに抑えなければならないということも生じます。こういった場合にはもう農業に頼るしかなくて、このことは環境保全型農業の
実施を著しく困難にしております。
先ほど述べました生態的防除として害虫の発生時期を考慮した栽培となりますと、いつでも食べたいものが食べられるというわけにはいかなくなり、食べ物にはしゅんがあるというような
考え方が必要になりますし、さらに言えば、その国、その地域で生産された農産物がいろいろ加工されて食料となり、それから食文化が生まれたという農業と食料の根源的な関係を思い起こすことも環境保全型農業を考える上で重要なことと思います。
ここで特に強調しておきたいことは、環境保全型農業は生産者だけの問題ではなく、流通、
消費の問題とも密接に関係しているということであります。
最後に、環境保全型農業から見た
世界の
食糧需給の将来を考えてみたいと思います。
農林水産省の新政策、「新しい食料・農業・農村政策の方向」の中で、中長期的には急激な人口の増加や
地球の温暖化、熱帯林の消失、砂漠化の進行などの
地球環境問題を考慮した場合には、
食糧需給が逼迫する可能性があるというふうにしております。
また、国際的な
食糧、環境、人口問題の
研究所、ワールドウォッチ・インスティチュートの報告では、最近、穀物生産量の増加が停滞し始めており人口増加は続いているので、一人当たりの穀物供給量は一九八四年の三百四十キロを最大として減少し始め、一九九三年では一一%減少し、二〇三〇年には一九五〇年代の水準の二百四十八キロまで減少するという予測が出されております。また、米の需要は二〇二五年には現在の七〇%増が予測されております。
世界の耕地面積、
水田ともに一九七〇年以降はほとんど増加しておりませんし、今後増加する可能性はほとんどないと言われております。したがって、不足分を補うにしても需要の増加に対しても単位面積当たりの収量増で対応しなければなりません。
既に述べましたように、農業生産にとって環境保全型農業の
重要性はますます大きくなっております。この
重要性は我が国だけではなく、
アメリカ、ヨーロッパにおいても同様です。
経済的生産性を追求した大型機械化、化学化、単作化した生産様式によって、
アメリカでは土壌が大型機械で踏み固められることによる硬盤の形成、土壌侵食、地下水の枯渇などが問題となり、ヨーロッパでは肥料、農業による土壌・地下水汚染、硬盤の形成などが問題となっております。こういった問題に対しては、
研究、普及を通じて、あるいは補償制度を設けて、環境保全に配慮した農業を進めようとしております。
このような
先進国の実態を見てみますと、この三、四十年の間に高度に発達した近代的農業
技術によって環境と調和しつつ安全な
食糧を持続的に生産できるという保証があるとは言いがたいように思われます。
一方、既に述べましたように、人口増加に伴う
食糧需要に対応するためには単位面積当たり収量増が求められており、そのためには品種改良など他の手段を用いるとしても、特に発展
途上国では一層の機械化、化学化を避けて通ることはできません。このように考えますと、農業あるいは農業
技術は
世界的に見ましても現在大きな壁に直面しつつある、あるいは既に直面している状態にあると言っても過言ではないように思います。
このような状況のもとでは、我が国の農業基盤の強化充実を図っていかなければなりませんし、国際化の中では、
先進国の農業はもちろん、発展
途上国における農業生産量の動向だけではなくて、農業生産の基盤となっている農業
技術の実態、その変化、動向に注目しつつ、中長期的な見通しを持って我が国の農業、
食糧問題に対応していくことが極めて重要であると考えております。
以上で発表を終わらせていただきます。