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参考人(吉川弘之君) 吉川でございます。
技術開発と
研究体制の
整備等ということで、今のお二方の
エネルギー問題とやや視点が異なりますけれども、そちらの
研究体制といったようなことのお話をさせていただきます。
一口に言って、
我が国は今まで技術立国というようなことで高度成長をなし遂げてきたという面がございます。しかしながら、今までの方法では空洞化が起こるとか、あるいはアジア諸国の日本化というようなことで、日本が持っているいわゆる高品質の製品を低価格で生産するということによってたくさんの製品を輸出するという形で日本の経済を維持するということはほとんど不可能であるということは、これは世の中で言われておりますように非常に難しくなってきております。
そのために、今後は独創的な人材による創造技術を
開発するということで、少なくとも技術的な面で国際
貢献をし、かつ日本が発展していくためにはその方法しかないだろうと、こう言われているわけでありますが、そういう
観点から、現在日本が持っている
資源としての
研究能力、それを生かすものとしての
研究体制、これをどういうふうに考えたらいいかということについて若干お話ししたいと思うわけであります。
まず、大変貧弱な
資料で申しわけないんですけれども、お配りいたしました一枚紙の
研究機関、
研究者、
研究費等と書いてあるこの順に沿って大体お話ししようと思います。
まず、
我が国の
研究機関がどういうふうになっているかということで、これは既に御存じのとおり、いわゆる
研究機関と呼ばれるものは国立の
研究機関、公立の
研究機関、民間の
研究所、さらに大学があり、
一つ落としてしまったんですが、この後に
産業というのをつけ加えていただかないといけないわけでありますが、そういった
産業の中で
研究も進めておりますので、そういったものが
研究機関というふうになっております。
さて、これを非常にマクロに
我が国の
研究機関の
状況というのを見るために、これが一体どういうふうな
研究費がそれぞれのセクターで使われ、かつどれくらいのパーセントの
研究者がそこに存在するかというのを簡単に見てみるわけですが、いわゆる国立、公立の
研究機関の
研究者が全体の五%。
我が国は
研究者と呼ばれる人は全体で五十万人おりまして、
研究費は十四兆円使われているというふうに言われております。まずそのパーセンテージでいきますと、国立、公立まぜて
研究者が五%、
研究費が八%、民間
研究所は
研究者が二%、
研究費が四%、それから大学でありますが、
研究者が二七%いるのに対して
研究費が一一%使っている。そして
産業でありますが、
産業は六六%の
研究者がいるのに対して
研究費を七七%使っている、こういうような流れになっているんですね。
これで全くマクロに見るとすぐ理解いただけますように、これはとにかく大学というのは人ばかりいて金がない、こういう印象をまず受けるわけでありますが、これはどういうことなのかということですけれども、例えばアメリカを見ますと、アメリカでは
産業に人が七四%いて、
研究費を七〇%使っている、それから大学には人が一四%いて
研究費は一五%使っているということで、大体
研究者の数に比例して
研究費を使うというのが普通なんでありますが、
我が国の場合はややここに異常な
状況が見られるというのが
一つの特徴であります。
さてそこで、
我が国がこういった過去における
技術開発を
中心とする
産業立国というようなことで、あるいは技術立国ということでやってきたということと
関係があるわけですけれども、
産業の力というのが非常に強く、そこで
研究が行われているというふうに言われて、これは最近アメリカなどから大変批判を受けていることで、民間で行われた
研究というのは外へ出ていきませんから、外から見ようとしても見にくいので、いわゆるエクイタブルアクセスというものが非常に難しいと言われる点でありますけれども、そのことを考えなくても、最近のいろいろな
調査によれば、この次の
役割と書いてありますけれども、結局、基礎
研究というのは大学あるいは一部の国立、公立の
研究所でしか行えない。その他はほとんど応用
研究だということになりますと、
我が国の
研究は際立って応用
研究に志向しているということを言わざるを得ないというふうに考えられるわけであります。
そこで、相互
関係ということになりますが、これは共同利用研とかあるいは国立研とか人の流動問題、これは後で触れますけれども、そういったことで現在の体制の中でも随分こなせることはありますけれども、
現状ではそういった相互
関係が必ずしも強くないということで、今申し上げたような
数字というのはかなり確定的な性格を持っているのではないかと思われます。
さて、そういうことで、今度は
研究者ということなんですけれども、
我が国の
研究者は少なくとも質的に言うと非常にすぐれているということはこれは指摘していいと思います。と申しますのは、大変優秀な初等中等教育であるとか、あるいは大学進学率が非常に高いとか、いわゆる教育熱が非常に盛んであるというようなことで、
研究能力というものを身につけるという
意味では大変有能である。事実、論文数であるとかそういったものは米国に次ぐ非常に大きな
研究成果を上げておりますし、実際に今そういったことで優秀性というのは
世界的に結構認められているんです。
しかしながら、ここでまた数の問題になりますが、
研究者というのは先ほど約五十万人ぐらいいると申し上げたんですが、先ほどのパーセンテージで見ると
産業には三十数万人、大学が十四万人、そのうち国立大学が八万人と言われるんですが、その大学八万人のうち、実は二万人が博士の学生ということで統計がとられているわけで、言ってみればこれは学生ですから、博士の学生というのは授業料を納める立場で給料をもらう立場じゃないんですね。したがって、お金を納めながらしかも
研究に
貢献しているというまことに不思議な集団がそこにいるということになっているわけであります。
そういったこともありまして、もう
一つの問題は、大学に関して
研究補助者というものが非常に少なくなっておりまして、一九七〇年には一人の
研究者に対して〇・五人の補助者がいたんですけれども、九二年では〇・一四人ということで約四分の一近くに下がってきてしまっている。これは、現実には国立大学の場合には定員削減の影響を受けて、これは大学の責任だと思いますけれども、削減をそういった補助者に集中して行ってしまったということで、
研究を実体的に進めるためには非常に大きな制限、すなわち補助者が必要な
研究ができなくなっているというような
状況が出てきてしまっている特徴があります。
それから
供給という点では、最近大学院重点化ということが、特に国立大学
中心に行われまして、この点で
研究者の養成ということについては大変着々と準備が進んでいるということが言えます。
ただ、問題は次の流動性でありまして、
研究者ができても大体において卒業生がその大学の
研究者になるというような形があるために大変流動性が低い。これは何とかその流動性を拡大しませんと非常に難しいということがあります。あるいは流動性というのはそういった国内の問題だけではなく、例えば外国人をより多く
研究者として雇用する問題とか、さらには、特に女性の教官が現在は非常に国立大学では少ないのでありますけれども、こういった問題にも非常に重要な配慮をしなければ、現在の質的な構成という
意味ではとてもいい構成とは言えないというような
状況になろうかと思います。
それから
研究費ですが、これは少ない、少ないと書いてありますけれども、要するに
研究費と呼ばれるものは、
産業が出しております
研究費まで入れれば、例えばGDP比で言うと、これはほとんど国際級というか、このGDP比でとりますと大体どの国もみんな似ているんですけれども、むしろ問題なのは国費負担問題であって、自分たちの出している
研究費、日本の場合は十四兆円でありますが、欧米で言えば自分の
研究費の三〇%から四〇%が国費、国庫負担ということになっておりますけれども、
我が国では現在これが一七%ということで、この面でも非常に大きな
産業依存ということがある。
もう
一つ簡単なことで申し上げますと、先ほど
産業が
研究者六六%を擁しているというお話をしましたが、しかも
産業が七七%使っていると申し上げましたが、基本的には
産業というのは自分でお金を出して自分で使っているという形の
研究が行われているわけで、ここにその応用
研究、目的
研究という特徴があると言えば言えますけれども、基礎
研究がどうしても量的には少なくなっているということが言えます。
それからもう
一つ、今、額のお話をしましたが、種類について言うと、種類が比較的指摘されていないんですが、種類が少ないというのは
我が国の問題かと思います。
例えば科学
研究費というのが、これは文部省の管轄のもとで支給されているわけですけれども、他の
省庁の
研究費というのは大学の人間にとっては使えない、科研費は民間からはほとんど使えない。こういうふうにいわゆる
省庁を越えたクロスファシディングがないということは、いわば非常に
研究財源というものがある特定の
研究者、それが民間であっても大学人であっても決まってしまうんです。決まってしまうということは、言ってみれば
一つの財源からしかもらえませんから、日本的な感じで言うと比較的横並び、去年上げたからことしはやめよう、こういうふうになりまして、比較的COE、集中投資ということができにくい構造になっております。
そうではなくて、複数のところが独立にいい
研究者に
研究費を出すというようなことになれば、結果的にはそれは
社会的な評価が成立して、いい
研究者がいい
研究環境を獲得するというCOEの発生、センター・オブ・エクセレンスの発生ということが可能になるんですけれども、現在はそれが非常にしにくくなっているということが言えます。
それからもう
一つ、使途の問題がありますが、使途というのは、国立大学は当然国の財政法に規定されておりますので大変
現状では無理なんですけれども、最近は大学の設置基準の大綱化ということが行われて、それぞれ個性ある教育
研究を行えということになっているわけです。
そうしますと、例えばある大学はしばらく対外的な
調査ということを大いにやって将来
計画を立てようというような時期があるとすると、教官の活動というのは、例えば外国にいろいろ
調査に行くというようなことがふえるということもある。ある年はそれを
研究資材に投資して実験を集中的に行う。こういったような大学ことによって、金額の大小だけではなくて何に使うかということで個性を持たざるを得ないと思うんですけれども、しかし現実にはそういうことは現在できないようになっておりまして、少なくとも国立大学の場合には、その使途に関しては非常に厳格な枠というのがあって、これは財政法上やむを得ないんですけれども、こういったことが大きな問題になるというような
状況がございます。
幾つか申し上げましたけれども、こういう中でちょっと今のようなデータで考えますと、先ほど
研究者が五十万人と言いましたけれども、アメリカは約九十五万人いると言われておりまして、そのうち大学の人間は十四万人なんですね。そして、日本は五十万人、約半分というのはこれはいい数ですけれども、五十万人のうち大学人がやはり十四万人いるということになりますから、大学に非常に多くの
研究者を抱えながらその大学人には余りお金を上げない、こういうような形が非常に日本を特徴づけているということになります。
しかし、逆に言えば、これは大学にまだまだ活用可能な頭脳が存在しているということで、これを遊休頭脳と私は呼んでいるわけでありますが、遊休施設ではなくて遊休頭脳で、これは一種の財源であるというふうに考えれば、ここを非常に
活性化するということで、最初に申し上げた
我が国の独走的人材による独走技術というものが可能になるんじゃなかろうかという気がいたします。
さてそこで、
現状の大学が一体どういう可能性を持っているかということが非常に大きな問題になるわけでありますが、それはまず今申し上げましたように大学の数が多いということ。それから、大学にいい人間が集まるというのは、これは非常に今日本を特徴づけておりまして、日本の大きなパワーというのは、
国民的パワーとでもいいましょうか、そのうちの
一つは、かつて数十年前の豊かになりたいということよりも、現在では子供にいい教育を受けさせたい、これは極めて大きな
エネルギーであろうと思います。これは受験過熱であるとか受験戦争であるとか、悪い面を幾つも露呈はしておりますけれども、日本の
国民が非常に勉強したがっている。親も子供に期待しているということは、これはやはり
一つの
エネルギーでありまして、これを使わなければいけないということになります。
それから、
制度として
我が国はほかの国にない国立大学と私立大学、国立大学は九十八あり、私立大学は約五百ありますが、こういったものが相携えながらうまい形でバランスして存在しているというのは、問題点もありますけれども大変すばらしいということも言えるわけでありまして、この形をうまく使わなければいけない。
それから、我々が身近なところで考えるものとしては、若者は依然として大学の教師になりたがるんですね。こういった幾つものことを考えると、私たちはやっぱりかなり大きな潜在的なパワーというものを大学の周辺に
研究という
観点から見て持っているんじゃなかろうかという気がいたします。
そこで、ここから先はちょっと提案になるんですが、どうやら我々はここで技術立国というものに加え、
我が国は教育立国ということをこれからうたっていいんじゃなかろうかという気がいたします。教育立国というのは、今言ったように明治以来大変すばらしい初等教育から大学高等教育までやってきた経験、しかも教育によって国の経済をよくした国の
一つの非常に典型的な例、あるいは政策によって教育というものを高度化し、それによってうまく国力を強めた国の例であるというような
意味で、教育立国と言うに大変ふさわしい国であると思いますし、また現在
我が国が国際
貢献をしようといったときに、技術による国際
貢献の限界が日に日に見えてきているというようなことであるとすれば、これはやはり教育、もちろん技術による
貢献というのは今まで以上にする必要はありますけれども、それに加えて、例えば留学生を、現在は十万人
計画というのがありますが、より多く引き受け、それに対して国費を投入し、さらに留学生の勉強
環境をよくするといったようなことをしながら国際
貢献をする。さらには教育の輸出、教育方法の輸出というようなことも含めてやはり大学を
中心に国際
貢献をすることが非常に多いんじゃないかという気がいたします。
さらに、きょうの話題の
技術開発という
観点からいえば、大学の一部を
研究機関と位置づける。現在、大学というのは基本的には教育機関と位置づけられているわけですが、
研究機関というふうに位置づけまして、これはもちろん国立も私立も含めてでありますが、そういった形で
役割分担を明らかにしながら、大学の
研究機能というものを非常に大きくしていく。そしてまた、
研究というのはただ単に
技術開発だけではなくて、そこでは教育の方法に関する生産、新しい方法を考案するというようなことも含めて、大学の機能が多様になっていくというような必要があろうかと思われるわけです。
そこで、先ほど来申し上げていることの中で何回か触れましたけれども、こういった基礎
研究における国庫負担が欧米に比べて半分であるということ、また同時に、高等教育に対する国庫負担も、これも御存じと思いますが諸外国に比べたらちょうど半分なんです。そういったことがありますので、この
分野の国庫負担というものを倍増することによって、現在日本が持っているやや偏った妙な構造、大学にたくさんの人間がいるにもかかわらずそこが活用されていないというようなことの活用に向けて一歩が踏み出せるんじゃなかろうかというふうに考えます。
そこで、あと四、五に
研究課題であるとか産学協同というのを書きましたけれども、時間もございませんのでやや省略して申しますと、現在の学問というのは十七
世紀にできたと言われているわけですけれども、
我が国としてはそれを十八
世紀、十九
世紀に輸入し、そうして今百何十年ということで定着しているわけですけれども、
研究課題としてはいろいろな
環境条件の
変化であるとか人口の増加を
中心とし、
環境問題等も含めていろいろな
環境が
変化する中で、現在実はあらゆる学問が改変を迫られているという
状況がございますので、そういった学問というものを、ここにございますような領域、新領域を創出するというような
努力も含んで大学が新しい学問をつくっていく。実は日本は新しい学問をつくったという経験が少ないので、そういった
意味での
貢献はほとんど国際的には皆無なんですけれども、ほとんど借り物の学問で今我々が教育もし、
研究もしているんですが、新しい学問を日本が
中心になってつくるというような投資も含めて、
我が国が国際
貢献をしていくというような
課題に関しても現在力をようやくつけてきまして、こういった新しいことができるということが可能になっていると思います。
また、産学協同ということは、これは今までの話とやや
関係があるんですけれども、実は
産業というのが非常に進んだということは、
産業の中にこれからそれを学問化するような
一つの種、たくさんの種というものが
我が国の
産業に潜在的に含まれている。そういったことで、産学協同を通じてそういったものを抽出しながら、伝達可能で将来に継承可能な体系化された学問として、日本の戦後のいわば
社会的な経験というものを教育可能なものに構成していくという
努力も同時に必要であろう。そういったことに対する投資というのは、少なくとも現行の
研究費あるいは
研究体制という中ではなかなかしにくいということがありますので、今申し上げたような幾つかの改変を通じて、現在あるパワーとしての、
資源としての頭脳、これをどういうふうに生かすかということをやはり政策的に実現していかなければいけないのではないかということを申し上げて、御報告を終わります。