○
参考人(
大熊由紀子君) 御紹介いただきましてありがとうございます。大切な日に風邪を引いてしまいまして、さっきから滝上さんの話をせきで妨げてしまいまして申しわけなく思っております。
実は、風邪を引いたといいますのも、今三千三百の市町村、大変この問題に関心が深くて、休日であります土日、地方のいろんなところが私に話を聞きたいとおっしゃいます。私も取材をかねてお邪魔をしているというような関係で、過労になりまして熱を出しました。月曜日にゆっくりきょうに備えて休みましょうと思っておりましたらば、我が家に電話がかかってきました。レーガンさんがアルツハイマーだと告白したから、とにかく起きて原稿を書いてパソコン通信で送れというのです。そうして書いたものが今お手元にございます「レーガンさんが訴えたこと」という社説でございまして、非常に大使いの荒い朝日新聞というところで社説を書いております。もともとは科学技術の分野もカバーしておりましたけれ
ども、現在は
医療と
福祉と
年金に関する社説を受け持っております。
この
国民生活に関する
調査会にお招きいただいたのは、私としてはとてもうれしく光栄に思っております。なぜかと申しますと、こちらの
調査会のファンでございまして、お手元にお配りしてあります社説の四ページ目の左側、「
高齢社会は「バリアフリー」で」という社説の結びにも参院の
国民生活に関する
調査会の報告書を
鈴木省吾先生のお名前も付して御紹介してございますし、専門家向けの「
社会福祉研究」という雑誌をレギュラーで書いているのですけれ
ども、そこに、こちらの
調査会でオーフス方式というのに着目されたことについて御紹介をしたりしているわけでございます。このバリアフリーについてのこちらの
調査会の御提言が、建設省の政策転換の大きなきっかけになったのではないかなというふうに思っているわけでございます。
滝上さんがちょっとバックグラウンドをおっしゃいましたので私も申し上げますと、学校で勉強したのは科学史と科学哲学という理科八割文科二割という学科です。
社会部で少し記者修行をいたしましてから、科学部で医学から天文から原子力から、DNAからいろいろ受け持ちまして、デスクを五年間いたしまして、今から十年前に論説
委員になりました。
社会保障制度を本当に勉強し始めたのはこの十年間でございました、
社会部の時代に
現場の
福祉は見ておりましたけれ
ども。きょうは私がこの十年間に勉強したことのさわりを、滝上さんみたいに弁舌がさわやかじゃないものですから、前にありますスライドで、
日本全国、世界のあちこちを回って撮ってまいりましたスライドを映しながら御説明をさせていただきたいと思います。
レジュメには「
高齢社会をめぐる九つの錯覚」と「長寿
福祉社会十の条件」を書いてみました。この九つの錯覚の中のかぎ括弧でくくってある
言葉は、
高齢社会についてどなたか偉い方が演説されるときに始終出てくる
言葉でございます。それがどんなふうに錯覚であるかということを見ていただきたいと思います。
それから、レジュメの三ページ目に「長寿
福祉社会十の条件」というのが書いてございます。これをきょうは申し上げたいと思っております。
先週お届けいたしました
経済企画庁から出ている冊子に載っております十の条件と若干、またその後私も進歩したので変わっております。
それでは、スライドの右側から見ていただきたいと思います。(スライド映写)
「来るべき
高齢化社会」というのは新聞でも始終言われて、私は嘆かわしいと思っているのですが、
高齢化社会、エイジングソサエティーというのは人口の中の
高齢者の割合が七%を超えると申しますので、もう
日本は一九七〇年には
高齢化社会に入っていたわけで、ことしはこの化が取れまして
高齢社会、一四%になったわけでございます。そして、地方のいろいろな町や村を歩いてみますと、もう二〇%とか三〇%の
高齢化率のところがたくさんあるわけで、超
高齢社会の市町村がたくさんある。「来るべき
高齢化社会」などと悠長なことを言っていられる時代ではないということは、きょうおいでの
先生方はよく御存じのことだと思います。
右に映っておりますように、
高齢社会というのは要するに、坊ちゃんお嬢ちゃんがお
年寄りになる時代、お嫁さんが七十代になる時代でございます。評論家の樋口恵子さんは、「母寝たきり娘ぽけるや長寿国」というふうに言っておられますけれ
ども、この間お会いいたしましたら「下手をすりゃ老妻殺しの長寿国」というふうに言っておられます。七月二十四日の社説「老いを敬うこと」で、有名なとんち教室で活躍したあるコラムニストが奥様を殺された話を書きました。
鈴木先生などが介護にお疲れになって奥様の首をお絞めになったりすると、新聞では非常に大きく扱わせていただくということになるのではないかと思います。要するに、人ごとではないわけでございます。
よく、昔は家族が介護していたけど今は核家族になって見られなくなったとか、それから、このごろは女が外に働きに出るようになったから介護力が落ちたということを申しますけれ
ども、専業主婦の方がおられても、それでも現在の介護は昔と違って非常に大変でございます。つまり、右のような風景は昔はなかったわけで、今も滝上さんがおじいちゃま、おばあちゃまがあっという間に亡くなったお話をされましたけれ
ども、終戦直後は二、三週間で亡くなるからいわゆる寝たきり老人、要介護老人というふうに呼ばれる人はそもそも存在しなかった。寝たきり老人を家族が見たという時代はなかったということをまず御認識いただきたいと思います。ところが、今は医学が進みましたので、
皆様の先輩であられる田中角栄さんも八五年にお倒れになってから七年八年と御存命になって眞紀子さんが御苦労になったという、そういうことでございます。
九つの錯覚の三つ目は、「家族の世話が愛情細やかで何よりである」。これも錯覚でございまして、最近はシルバーハラスメントという
言葉が新聞をにぎわせております。これは英語には本当はない
言葉で、向こうではエルダリーアビューズというんだそうで、和製英語でございます。この
言葉をつくったのは毎日新聞の大阪の記者の方
たちで、老人虐待というのではどうしてもうまく紙面に整理部が扱ってくれなくて、ある日シルバーハラスメントという
言葉をつくったらそれがどんどん新聞に載るようになったというふうに言っておられました。
つまり、非常におしゅうとさんやおしゅうとめさんにいじめられたお嫁さんが今度は介護をする側に回っていらっしゃったりするわけで、しかもお世話がよければよいほど長くお
年寄りは御存命になるわけですのでだんだんむなしくなられまして、おしっこが出ないようにお水を上げないとか、そういうことが日常茶飯に起きてくることになります。このシルバーハラスメントというのは報道されればされるほど、決して一部のことではなくてもう日常的なことだということが明らかになってきております。
今、またお手元に配られております大型の方のコピーでございますけれ
ども、「付き添って」という朝日新聞の家庭面の連載が載っでございます。先ほどは滝上さん、新聞社は臓器移植ばかり書いているというお話でしたけれ
ども、それであってはならないというわけで朝日新聞ではこういう問題も大いに書いているわけでございます。この「付き添って」が連載されますと、私も実は親をこういうふうにいじめてしまっていた、いじめたくないんだけれ
どもそういうふうに追い込まれるんだという手紙が殺到したわけで、家族の介護というのは細やかで美しいのだという神話も捨て去るところからまず始めていかなければいけないというふうに思います。
「家族を活用すれば公共部門の肥大化が防げる」というのは、一九七九年に
経済審議会の答申に格上げをされた俗論でございます。なぜ俗論だと言うかといいますと、家族や
ボランティアを活用した結果、かえって公共部門は肥大化してしまったというふうに私は思うからでございます。
右のスライドでは奥さんが見ておりますからあのおじいちゃまは殺されないんですけれ
ども、逆に奥様が倒れると老妻殺しになっちゃうわけでございます。そうならない、新聞種にならないためにどうするかといいますと、
病院にお
年寄りを連れていくということでございます。
先ほど
吉岡先生が、
日本の
福祉のレベルはどんなものか、
厚生省の言うとおりのものかということで御質問があったようでございますけれ
ども、この雑居部屋に横たわっている御老人の姿が
欧米と並ぶいいレベルかどうかというのは一目瞭然でございます。別にわざわざ悪い
病院に行ったわけではなくて、大変すばらしい老人保健施設があるから見てくださいというのである老健施設を見にまいりまして、渡り廊下でつながっているお隣の老人
病院の方をのぞいてみましたらこういう風景、時間は午後六時でございますけれ
ども、もうお
年寄りは眠っておられますしいんとしております。なぜこうなるかといいますと、晩御飯の中に睡眠薬がたっぷりとまぜ込まれているわけで、ですから、ことんと眠ってしまわれますので
付き添いさんは大変手が省けるという仕掛けになっております。
業界ではこれを薬縛りというふうに呼んでいるわけでございます。
看護婦さんを大切にせずに、
付き添いさんに下請をさせるという
日本の
医療の
構造からこういうことが生み出されてきた。また、
福祉を充実しない結果、家族を追い込む結果、障害を持っているお
年寄りを病人扱いして
医療保険の形で賄うということがこういう悲惨な風景になって、しかも
医療費はふえる、質は下がるということになっているわけでございます。
先生方のお手元に「「寝たきり老人」のいる国いない国」という本を先週お届けをいたしました。私
自身も実は科学部のデスクをしておりますときには、寝たきり老人という方
たちがいるのは仕方のないことで、しかも万国共通のことだと思っておりました。若い同僚が寝たきり老人用ベッドが開発されたという
記事を書いてまいりましたときなどは、これは大変いいベッドだと思ってそれを健康欄に載せてしまいまして、朝日の読者の皆さんを大変惑わしたという、今は後悔しているようなことがございます。その寝たきり老人用ベッドというのは、あるボタンを押しますとお尻のところがぽかっとあきまして、寝たまま排せつができる。だから
看護婦さんも家族も助かる。また別なボタンを押すと、お湯がぼこぼこと入ってまいりまして、寝たまま入浴ができる。これも
看護婦さんや寮母さんや家族が助かるという話だったわけでございます。
こういう寝たきり老人用ベッドというような考え方が非常に間違っているということに気がついたのが一九八五年のことでございました。論説
委員になってから一年目の一九八五年に私は、
高齢化が
日本よりもっと進んだ国々、ヨーロッパの五つの国を回りました。よく
日本は世界にまれな
高齢化国だというような方がおられますけれ
ども、そんなことはなくて、
日本より先に
高齢化が進んだ国はヨーロッパに幾つもあるわけでございます。そういう国々に行きまして寝たきり老人がどういうお世話をされているかというのを見ようと思って行きましたところ、ベッドの上にお
年寄りが寝ていないということに遭遇をいたしました。
それだけではなくて、もう本をお読みくださった方には二重になってしまいますけれ
ども、寝たきり老人、これを直訳をしてもらいますと、ドイツ語でもデンマーク語でもスウェーデン語でも先方が何のことを言われているかわからないということで、そこで取材が途切れてしまうという大変新聞記者としては困った経験をしたわけでございます。もちろん、どの国にも寝たきりのという形容詞はあります。老人という
言葉もあります。ところが、寝たきり老人というふうにこの二つで合成した
言葉をつくると、そういうことを想像できないという様子であるわけでございます。
私、
日本の寝たきり老人の皆さんの様子を一生懸命思い浮かべまして、「脳卒中で
半身不随になっておむつをしていてベッドから
自分で起きられない、そういうお
年寄りがお国にもいるでしょう」とくどくどと聞いたわけでございます。訪問した五つ目の国、デンマークに行ってやっとそういう質問を思いついたんですけれ
ども、そういたしましたらば先方は、あなたが言っているのはお世話が必要な
年金生活者のことではあるまいかというふうに言ったわけでございます。言われてみれば、右のスライドに映っている寝巻き姿で天井をうつろな目で見ている
日本の
方々もお世話が必要な
年金生活者でございます。ところが、この方
たち、私
どもは寝たきり老人というふうに公式文書にも書いて、そのようにお
年寄りを見ているわけでございます。
そこで私は、お世話が必要な
年金生活者は例えばどんな人ですかということを伺いました。そしたら、例えばああいう方がそうですというふうに答えられました。これはデンマークのコペンハーゲンのデイセンターで撮ったものです。デイセンターは小学校区に
一つぐらいずつございます。ここにお昼の御飯を食べに来たお
年寄りでございます。ごらんのように、脳卒中の後遺症で左半身が全く動かない方でございます。おむつもしていらっしゃるそうでございます。
そこで私は、非常に重大かつ簡単なことに気がつきました。
日本の寝たきり老人の皆さんというのは、だれも起こしてくれないから一日じゅうベッドに横たわっている方
たちなんだ、寝かせきりにされたお
年寄りなんだということでございます。
一九八五年から朝日新聞ではなるべく寝たきり老人という
言葉を使わないように、寝かせきりにされたお
年寄りとか要介護のお
年寄りという
言葉を使おうということを言っているわけでございます。これ、つくった当時は大変ばかにされました。聞いたことのない
言葉だと言われましたけれ
ども、今では寝かせきりという
言葉を学者の皆さんも使ってくださっておりますし、この夏出ました新ゴールドプランの中に「寝かせきり老人ゼロ作戦」、寝かせきり老人というのも失礼な
言葉だとは思うのですけれ
ども、そういう
言葉が使われておりますので、特許でもとっておきますと私は巨万の富を築けたのではないかなどと思っているわけでございます。
この方は、決して大金持ちの方のお母様とかいうのではなくて、一番安い、
日本で言う老齢
福祉年金で暮らしていらっしゃる方でございます。
日本のように要介護の身になったらどうなるかわからないという国では、
年金を幾らもらってもそれが心配で貯金してしまいます。どれだけ
年金の額を上げても
人々は安心することができません。そういう
意味で、
年金財政をやたらに膨らませないためにも、安定した
介護サービスが提供されるというのは非常に重要なことだということにまた気がついたわけでございます。
この方、じゃどうして起きておられるのか、それは朝晩ホームヘルパーさんが自宅へやってきて起こしてくれるからだということでございました。この一九八五年当時の
日本のホームヘルパーさんの働き方というのは、一週間に一遍とか低所得の人のところにとかそういう働き方でしたから、朝来てベッドから起こしてくれるというホームヘルパーさんがいるというのは大変私には驚くことでございました。
それから、ここはデイセンターで働いている
職員ですけれ
ども、こういうところに男性の姿が見られるということも九年も前の私が大変驚いたことでございます。つまり、男の方がこういう
仕事をしているということは、この
仕事が将来性のある、男子一生の
仕事に値するものであるということです。ホームヘルパーという
仕事をそういう
仕事にしなければいけないということを八五年当時考えたわけでございます。
幸い、
日本も随分質の面では進歩してまいりまして、秋田県の鷹巣町へ行きますと
大学の法学部を卒業したヘルパーさんがおりますし、枚方にも男性のヘルパーさんがおりますし、この間大阪でホームヘルパーを募集しましたらば何十人もの男性が応募をしてこられた。長野市のようにヘルパーさんのお
給料の体系を市
役所と同じに近づけたところでも、
福祉大学卒業の男性がこういうことを手がけるようになってきております。
ですから私、地方に、いろんな市町村に行きましたときに、その市町村は首長さんが口で
福祉を唱えているだけなのか、本当に
福祉を大事にしているのかを見分ける手段として、その町に男性のヘルパーさんがいらっしゃるかどうかというのを見るようにしているわけでございます。
それから、驚きました四つ目ぐらいになりますでしょうか、
日本では脳卒中の後遺症でおむつをしているということになると、一日じゅう寝巻きを着ている、頭は養老院カットと申しますざんぎり頭に女でもされてしまうのに、髪をきれいにセットして、イヤリングをして、爪にはマニキュアをして、そしてきょう着たい洋服を着ているということに驚いたわけでございます。つまり、要介護の身の上になっても、おむつをしていても、おしゃれをして誇り高く生きられる、そういう
社会がこの地球上に存在をしているということでございます。
それから、この方が御自宅でひとりで暮らしていらっしゃるということにも驚きました。この方
たち、なぜ
病院に入っていらっしゃるかというと、自宅で見てくれる方がいない、だから
病院に入らざるを得なかったわけでございます。
寝かせきりにされると、廃用症候群というのが起こりまして寝たきり状態になってしまうだけではなくて、このようにおしりに床ずれができてしまう。骨が見えるほどです。ところが、左のスライドのように、毎日起こしてもらうデンマークのお
年寄り、スウェーデンのお
年寄りには床ずれがないということも発見でございました。
これが一九八五年の敬老の日に書きました一面の「座標」の「「寝たきり」少ない訳」という大型コラムでございます。今申し上げたようなことを書きました。そして、「老人
福祉と小学校」というタイトルをつけました。明治のまだ貧しい時代に
日本は全国津々浦々に小学校をつくりまして、そこに小中学校の先生をみんなで出し合った税金で配置をした。今東京都では特養老人ホームに入る人が一万人待っているそうですけれ
ども、小学校に入る子供が一万人待っているという話は聞かないわけでございます。そのように、小中学校の義務教育と同じように、お
年寄りの
社会サービスというのを考えるべきではないかというふうに書いたわけでございます。
私は、ホームヘルパーは五十万人ぐらいにふやすべきだということをきょう提言したいと思っております。この五十万というのは決してとんでもない数字ではないと思います。義務教育の
先生方、七十五万人おられます。それから今、専業主婦ということで三号被保険者になっていらっしゃる方が千二百万人おられるわけですから、ヘルパーは女の方だけがなるわけじゃありませんけれ
ども、千二百万人の専業主婦のうち五十万人くらいの方がヘルパーさんになってくださるというのは、いともたやすいことではないかというふうに思います。
でも、九年前に直ちに
厚生省がゴールドプランを始めてくださったわけではありませんし、お医者さん
たちの中にも随分と反論が多かったわけで、最もそれを疑われましたのが、前にこの
調査会にも呼ばれていらっしゃいました岡本祐三先生とおっしゃる方でございました。大変疑り深い先生で、あれほど疑り深い先生がデンマークの
福祉を手本にすべきだと言うわけですから、まあ信用していただいてもいいんではないかなと思うわけでございます。
経済審議会の一九七九年の答申では、
ボランティアを活用すべきであるということを言っておられます。
ボランティアが盛んだというアメリカヘ行ってみました。
ピンクレディーというふうな名前で呼ばれているこういう
ボランティアが生き生きと働いておられます。けれ
ども、ナーシングホームヘ行ってみますと、お
年寄りは非常に寂しそうでございました。確かに寝たきり老人というコンセプト、そういう変な概念はないというふうにアメリカの専門家は言うのですけれ
ども、そしてベッド・イズ・バッドでベッドに寝かせたままは悪いことだというので起こしておられますけれ
ども、ただ起こして並べてあるだけと。これはお茶大の袖井孝子先生の表現ですけれ
ども、そういうふうでございました。そして、目のよろしい方ですと起こしていすに縛ってあるということにお気づきになると思います。つまり、アメリカの場合はこういう介護の
仕事をだれにでもできる、
日本では外国人労働者に当たるような人がつく
仕事とされておりますけれ
ども、そういうことにおとしめますと、結局私
どものを後が悲惨なものになるわけでございます。
そこで、私いろんな国を訪ねてみました。これはデンマークのネストベズという町でございます。先ほどは脳卒中、こちらはリューマチで手がこぶのようになった方でございます。デンマークのほかにベルギー、オランダ、スウェーデン、フィンランド、イタリー、イギリス、ドイツ、ハンガリーというような国々を回りました。いろいろ比べた結果、私はデンマークが一番いいという結論に達しました。一般的にはスウェーデンの
福祉が進んでいると言われますけれ
ども、そのスウェーデンよりもデンマークの方が効率的に安い
お金で、しかもお
年寄りが満足することをされているということで、スウェーデンよりデンマークを推奨するようになったわけでございます。
その一番の手がかりはお
年寄りの笑顔だったわけですけれ
ども、笑顔などという非科学的な方法ではなくて、もうちょっと厳密に、アメリカのペンシルベニア
大学のリチャード・エステスという教授が、これは本にもなっておりますけれ
ども、世界の百三十四カ国でしたかしら、ちょっと私近眼なのであれがちゃんと今読めませんけれ
ども、国連とか世界
銀行とかそういうところが出している客観的な数字を組み合わせて、どこの国が本当の
意味で豊かかという番付をつくりました。デンマークが一位、二位ノルウェー、三位がスウェーデン、
日本はずっと下がって十四位、アメリカが十八位、ソ連が四十二位、そういう評価を出しておられます。
デンマークがなぜ進んでいるかということをいろいろ調べてみますと、第一に
高齢者の
福祉医療を国がやるのではなくて市町村が
高齢者医療の権限を持っている。そして、
医療と
福祉と住宅が切れ目なく総合的、包括的にサービスが提供されているということでございます。例えば、この方が
病院に入院をいたしますと、入院したその入院先に市町村のお役人が参りまして、そこで退院後の計画が立てられる。退院したときに車いすが必要な身になるとすれば車いすで外に出られるように、階段があればこのスライドのようにその階段を車いすでおりられるような仕掛けがつけられてしまう。入浴やトイレのところも改造されるということでございます。
ただ、住宅についてはこの
調査会のずっと前に外山義先生が、スウェーデンの住宅が一九七七年から建築基準法によってバリアフリーでないと許可がされないということになったことを多分御説明になったんじゃないかと思いますが、スウェーデンの方が進んでおります。スウェーデンでは余り物を考えない人が家を建てても、基準どおりにつくっていくと自然にバリアフリーになっていますので、要介護の身になったときに何にも改造しなくてもその家に住み続けられるわけでございます。その点はちょっとデンマークの方が遅れておりまして、それから古い家もありますので、その際は市町村の
お金で改造をされるということでございます。
そして、退院したその日からホームヘルパーさんがやってくる、それから訪問
看護婦さんが全体をコーディネートするということで、この男性は、奥様は大変御病身でベッドから起こしたりできないけれ
ども、それでも自宅に住み続けることができるというわけでございます。
一方、何か
厚生省が一流だとか言ったそうでございますけれ
ども、
日本の在宅はこんな気の毒なありさまでございます。介護者が一人というのでは、介護嫁が先に死んじゃう、そういうことが起きてしまいますので、せいぜい女手が二人ぐらいないと自宅での暮らしをすることができません。しかも、専門的な知識に欠けておりますので、悪気がなくても寝かせきりにして、寝たきりのお
年寄りをつくってしまいます。左のデンマークの
写真をごらんいただきますと、目は放さず手は出さずという、プロの
仕事です。プロとアマではこのように違ってしまうわけでございます。ただ親切にすればいいというものではないわけでございます。
それから、住宅改造も
日本の多くの市町村では貸し出しというしみったれたことをしておりますので、なかなか改造が進まず寝かせきりが続いてまいります。
提言の中に補助器具についての提言をしておきました。先ほ
ども御質問があったようでございますけれ
ども、補助器具は非常に重要でございます。それも、ただ提供すればいいというものではなくて、体に合っているということが重要でございます。
皆様方も、おじいちゃまが死んで残っている入れ歯が家にあるから、もったいないから口の中に入れようなんという、そういう方はおられないだろうと思います。口に合わない入れ歯を入れたら口がめちゃめちゃになるように、体に合わない車いすに乗っておりますと、やはり床ずれに似たものができてしまうわけで、デンマークやスウェーデンでは
作業療法士という
方々がここで大変活躍をしているわけでございます。
この方は糖尿病がもとで足を切断することになった方ですけれ
ども、このようにして残っている能力を活用して御
自分でお料理をつくったりなんかするわけでございます。
私が
最初に北欧へ行きましたのは一九七二年でございましたけれ
ども、そのときにハンディキャッパデという
言葉を覚えました。つまり、
障害者という
言葉ではなくてハンディのある人という表現をいたします。ハンディというのは
社会の側の条件次第で限りなくゼロに近づけることができるわけでございます。
デンマーク生まれのアンデルセンの書きました人魚姫という童話がございますけれ
ども、あの人魚姫は海の中では全くハンディなくすいすいと泳いております。ところが、これが一たん陸地に上がりますともう歩けなくて、大変ハンディの重い人になってしまう。王子様に恋をしたばっかりに大変なハンディをしょい込む。そこで、
自分がしゃべれないようにすること、声を失うことと引きかえに足をもらうという話がございます。さまざまな補助器具を体に合わせるとハンディを小さくできるということが重要で、これがクオリティー・オブ・ワイフを高めるだけではなくて、介護の費用や
人手を減らすために非常に重要でございます。
日本だったら後ろから車いすを押さなければいけないような方が、車いすが体に合っているものですから、片足でもすいすいとこいで御
自分で動き回っていらっしゃる風景にデンマークやスウェーデンではしばしば会います。
これはエレベーターでございますけれ
ども、エレベーターのボタンをまず上の方につけて、
お金が余ったら下の方にもつけて、ここに車いす用ですよというふうな表示をつけるのではなくて、エレベーターのボタンというものはまず子供や車いすの人が使える位置につける、なお
お金が余ってしようがなかったら上にもつける、そういう法律を
皆様方につくっていただきたいというふうに思うわけでございます。
先ほど申し上げましたように、スウェーデンでは一九七七年に一般住宅についても建築基準がバリアフリーになっております。そういう
規制を嫌うアメリカでもそのようなものがもう既にできているわけでございます。
それから、先ほど森先生の方から、学校での
福祉教育についてのお尋ねがあったようでございますけれ
ども、そういう
福祉教育をしなくても、学校をバリアフリーにして、学校助手の人が付き添って、スライドのような脳性麻痺の子供もまざって勉強するようになれば毎日が
福祉教育、この級友
たちが成長して建築家になれば、必ず車いすの人を念頭に置いた住宅をつくるであろうと思われます。
そして、小学校区に
一つずつ、このようなデイセンターがございます。ゴールドプランでは値切りまして中学校区に
一つというようなことを言っておりますけれ
ども、小学校区というのはちょうどお
年寄りでも歩いて通える距離でございます。
日本の場合でしたら今小学校は空き教室がたくさんございます。今はパイロット自治体ということで、わざわざ名のりを上げないと学校の教室を
高齢者福祉に使えないようになっておりますけれ
ども、
皆様方のお力で文部省と
厚生省の壁を取り払って、小学校を使って食事や趣味を楽しんだりリハビリ訓練をできるようにしていただきたいと思うわけでございます。よその国に参りますと、
日本は
お金持ちの国だけれ
ども、我が国は貧乏だから同じ学校に昼の校長と夜の校長を置いて、夜も使っているんですというようなことをよく聞かされます。
デンマークの車いすに乗って笑顔で食事しているお
年寄りと、
日本の寝たきり状態のお
年寄りと随分表情が違いますのでも、起こしてさしあげると左のデンマークの女性と遜色ないようなお顔になられます。寝かせきりにしていますと目をつぶって口をあいていらっしゃる方が、起こしてさしあげれば目をあいて口がつむるというぐあいでございます。
これは群馬県の愛老園という特別養護老人ホームでございますけれ
ども、五十人のお
年寄り全員を起こして食事ができるようにという試みをなさいました。一年たったら全員が起きてお食事ができるようになりました。さらに一年たったらお
年寄りのおしりから褥瘡が全部消えてしまいました。
ただ、まだ顔がちょっと無愛想でございますけれ
ども、これはまだ起きたばかりでございます。同じお
年寄りが半年後、こちら九〇年十二月、こちら九一年六月でございますけれ
ども、こんなふうに生き生きした表情に変わられました。髪の毛が養老院カットから美容室へ行ってきれいになっております。そして、それぞれのお
年寄りの人生に合ったお世話、これは伊香保温泉に連れていってもらったときのお顔でございますけれ
ども、寝かせられたきりのお
年寄りもこのようになることができるということ、決してデンマークやスウェーデンの遠い話ではないということが、
日本では非常に使命感に燃えた方
たちによって実証されているわけでございます。
ただし、残念ながら、多くの御老人はそういうところに、今東京だと一万人待ちの特養ホームでございますから、東京ですと神奈川県の老人
病院なぞへ入ることになります。これは朝日新聞から出ております「ルポ老人病棟」の中に紹介されている
写真でございますが、神奈川県の真愛
病院という美しい名前の
病院で、夜になるとこのように縛られてしまう。実名を出して報道いたしましたけれ
ども、全く反論はございませんでした。こういう現状でございます。
ぼけの世界にお
年寄りを追いやらないための二百条というのがあります。「急激な変化を避ける。頼りの人となる。安心の場を与える。孤独にさせない。尊重する。」。こうしたことがぼけの世界に追いやらないことに非常に重要なのに、
日本ではお
年寄りを縛って誇りを傷つけ、ぼけの世界に追いやっているわけでございます。
でも、
先生方は
お金持ちの方も多いでしょうから、私は要介護の身になったら
有料老人ホームに入るから安心だとお考えかと思いますので、一番有名な聖マリア・ナーシングヴィラというところに御案内をいたしたいと思います。これは
有料老人ホーム協会の
理事も務められまして、介護型ナーシングのモデルとなって、ここへみんな勉強に行って介護専用のナーシングを開くというようなところでございます。
中に入りますと、じゅうたんがふかふかに敷いてございまして、宮様が御視察になった
写真なぞが張ってございます。橋幸夫さんとか宮沢りえちゃんのお身内が入っていらっしゃるということでございます。パンフレットには、「ぼけても失われていないプライドと感性を大切に、神に召される日まで、大切な御老親様のお世話をさせていただきます。」などというふうに書いてあるわけでございます。
これは九三年の三月に見学に行ったときの風景でございますけれ
ども、こんなふうに美しいお部屋、月々七十万円ぐらい取っていて雑居でございます。
ところが、同じお部屋で夜になりますとこのように、抑制帯と
業界では言っておりますけれ
ども、要するに練るわけでございます。磁石つきの抑制帯で、ガッチャンという音がするので中ではガッチャンと呼ばれておりますが、そのように縛られてしまう。これも朝日新聞で出しております
週刊朝日で報じられました「素晴らしき
有料老人ホームの裏と表」という連載に出てくるホームの現状でございます。大家の奥様もこんなぐあいに縛られてしまう。
お金を出しても
お金を出さなくても縛られるというのが
日本の現状でございます。
寝たきり老人と呼ばれている
方々について、ついに「寝かせきり老人ゼロ作戦」まで
厚生省がお始めになってくださいましたので、私はぼけのお
年寄りのことが心配になりまして、またデンマークヘ行きました。
これはカリタスという特別養護老人ホームでございます。こちらがぼけてしまわれたお
年寄り、元精神
病院の総婦長さんだった方です。清水先生は看護職でいらっしゃいますけれ
ども、そのような方もおぼけになることがあるわけでございまして、今はぼけたお
年寄りとして特養ホームに入っていらっしゃいます。こちらはその精神
病院の婦長さんだったピエギッタ・ミケルセンさんという方で、今特養ホームの施設長さんになっておりますのでも、
お金はこれより安いのにデンマークでは公的な特養ホームでこのように思い出の品に囲まれて暮らすことができるわけでございます。
こちらは庶民のぼけたお
年寄りでございますけれ
ども、東京の精神
病院のおりのような部屋に閉じ込められているぼけてしまわれたお
年寄り、身の回りの品は何にもなくて、排せつ物を食べたりこねたりするからといってこんなような扱いをされておりますのでも、デンマークでもほんの二十年くらい前までは精神
病院でお仕着せの寝巻きを着て縛られたり薬でよれよれにされたりということがあったそうで、このピエギッタさんが先頭に立って改革をなさった結果、今のような状況になったわけでございます。
老人
病院はかぎがかけられませんのでベッドに犬みたいに縛るということが行われます。これは兵庫県でございます。これも中の上と言われる老人
病院でございます。ただ、兵庫県の名誉のために申しますと、すべての兵庫県の
病院や施設がこうだというわけではありませんで、兵庫県の生野町というところの生野喜楽苑という特別養護老人ホームは、こんなような、かわら屋根の個室の特別養護老人ホームが建てられております。
そして、目線は下からということで、何々してくださいと言ってはいけない。何々してくれはりますかというような尊敬語でお
年寄りのお世話をしております。思い出のお嫁入りのときのたんすとかそういうものを全部持ち込んだ、これは生野喜楽苑と申しますけれ
ども、介護のやり方は尼崎にある尼崎の喜楽苑の方法を取り入れてやっているわけでございます。つまり、
日本では使命感に燃えた方
たちが一生懸命やってデンマークのレベルに近づいているというわけでございます。
レーガンさんの社説の中に、スウェーデンのグループホームを御紹介いたしましたけれ
ども、スウェーデンでは一九九二年から五、六人ずつで住む、グループボーエンデと向こうでは申しますけれ
ども、やり方で、このお二人はぼけの大変重い、家族ではもう面倒を見切れない方でございます。こういうふうに暮らしておられます。
これに匹敵いたしますのが、この間も行ってまいりましたけれ
ども、福岡県にございます託老所「寄り合い」と申します。建てて七十年という古い
日本風のおうちに思い出のある品々を持ち込みまして、昼間ここでお預かりをしております。そして、おうちがなくなった方はここに泊まる。ショートステイのことはお泊まりというふうにここでは言っているわけでございます。
それで、精神
病院や老人
病院で縛られていた方もああいうお世話をすれば人間らしい表情をなさいます。そして、よくあります特養ホームのてんぷら揚げ機というようなああいう機械的なおふろではなくて杉のおふろの中で、
職員の方が先に入って「よかふろですよ」と言うと、普通はおふろに入るのを嫌われるお
年寄りもお入りになって、よかふろですね、よかふろ、よかふろというふうにおっしゃるそうでございます。
この
調査会で下村先生がオーフス方式について御質問になったと聞きました。そこで、そのオーフス方式の生みの親である工ーバルト・クローさんが
日本に来ましたときの姿をちょっと御紹介をいたします。右の二人は来たときについてきたヘルパーさん、
自分で選んだヘルパーさんです。ただし、
お金は国と市町村から二分の一ずつ出ます。二週間働きましたので、これ以上こういうきつい労働というのは基準法違反なんだそうで、札幌で左の二人のヘルパーさんと交代をいたしました。そういう風景でございます。
日本でも
自分で選ぶヘルパーさんという考え方は特に東京の三多摩で進んできておりまして、例えば右のスライドの町田のヒューマン・ネットワークというところでは、障害を持った御本
人たちがそういう方
たちのマネジメントをしております。
結局、お嫁さんとか家族だけで長い年月お
年寄りを支えようとするそのことが非常に無理なわけで、友人の政治漫画家の所さんがかいてくれた絵でございますが、家族だけで頑張りますと支え切れなくなりまして、右に映っているような雑居で寝かせきりの
病院にお
年寄りを入れてしまう。これは
皆様方の運命であるというふうにお思いいただきたいと思います。そして、
医療費をただむだにふやしてまいります。
お
年寄りを起こすためには優しい心とかいたわりだけじゃだめで、ちゃんと
お金をかけなければだめなわけでございます。今、与党の
先生方が野党のとき一生懸命言っておられた新ゴールドプラン、この
お金を何とかつけないと公約違反になってしまうんではないかなと私は思うわけでございます。
日本でもすべて公立でやるのがいいかという先ほど御質問があったようでございますけれ
ども、全部公務員でやる必要はないわけで、これは会社組織でもかなり非営利の会社でございますけれ
ども、デンマーク式の二十四時間巡回型のホームヘルプ、ホームヘルパーさんと
看護婦さんが組になって回るということが九州で始まっております。そういう活動にきちんと
お金を出すということが重要かと思います。
これで最後でございます。
おもしろいことに、
高齢者が安心して年をとれる、介護をとるか
仕事をとるかということに女の人が追い込まれない
社会では、つまりデンマーク、スウェーデン、ノルウェーというような国では今出生率が上がっておりまして、保育所が足りないくらいでございます。出生率が上がりますれば
高齢化率も自然にとまるわけでございますので、このような子供を育てるとかお
年寄りの面倒を見るというようなことを
社会全体で見ていく仕掛け、法律、
お金、そういう面できょうここにおられる
先生方が力を尽くしていただくことをお願いをしたいと思います。
ちょっとスライドの関係で長くなってしまったことをおわびしたいと思います。そのかわり答えをなるべくはしょるようにさせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。