○笠原潤一君 自民党の笠原潤一でございます。
ただいま南野
先生の後を受けまして、
環境行政に対して数点にわたって質問をしたいと思います。
ただいま
宮下環境庁長官の御答弁を聞いておりまして大変私も意を強くしたわけでありますか、なかんずく特にドイツの教育等もお引きになりまして、かつて私どもは鉛筆とかすずりとかそういうもので小学校時代習ってきましたが、それも木の鉛筆ケースを使うとか、そういうことをおっしゃっておりまして、大変おもしろいと思いました。
実は私は今その御答弁を聞いておりまして思い出したのは、我が市で、御承知のように児童のための食器を何にするかということで大変に大きな問題になったことがあるんですよ。そのときに、プラスチック
製品は
公害を惹起するからといって随分反対がありましたけれども、メラミンですか、どこの学校もみんなそういうのを採用しておりましたから、岐阜市においてもそれを採用しようということで、それをやっておったんです。
今、大臣の
お話を聞きまして、私どもの東濃地域というのは、昔は瀬戸物といったんですが今は美濃焼といいますけれども、美濃焼というと何か焼き物と間違えられますが、大変有名でありまして、日本国の約六割から七割の茶わんとか血とかを生産しているわけです。したがって、やっぱり今の子供たちは重いものを持たないわけですから、そしてそういう食器のありがたみを知りませんから、考えてみれば私は、陶磁器の本物の血とかそういうもので、これは割れたっていいと思うんですよ、割れるとそれがいかに大事であるかということもわかるわけですから、そういう点で物の教育の面でも大変効果があると思って、今、大臣の
お話を聞いておりまして意を強くいたしました。今後とも
環境教育行政につきましてはそういう意味で本当に自然を愛するような立場で推し進めていただきたい、私はそう思って、今答弁を聞きまして大変意を強くしたわけであります。
特に私は、これから御質問をさせていただきたいのは、
平成七年度
環境庁重点事項をおまとめになりまして、いずれもまた本当に時宜を得た当然のことであるし、なお一層これを
推進していただきたい、こういうふうに思っています。
その中で特に4ですね、地球
環境保全に向けた国際的取組の
推進、非常にこれ大事なことであって、我が国といえどもいろいろ
環境破壊をしていますからそう大きなことを言えたことじゃないと思いますけれども、しかしいずれにいたしましても、私は、ちょっと古い話になりますが、一九七六年ですから昭和五十一年に実はアマゾンへ行ったんです。
それは何の意味がといいますと、ちょっと前置きが長くなりますが、澤田美喜さんという方が、澤田廉三さんの奥さんですが、エリザベス・サンダース・ホームというものをおつくりになったんです。終戦後、今いろいろ問題になっていますが、日比混血児とかいろいろなことで。今また参議院の女性の
先生方もフィリピンまで御
調査に行っていただいています。これもありがたいことですけれども、当時日本は戦争に負けて、御承知のように混血児がたくさんふえてきたんです。澤田さんはそういう点で人道主義的な立場でエリザベス・サンダース・ホームをおつくりになったんですけれども、残念ながら日本の国はある意味では非常にそういうことに対する−混血児が劣等感を持ってはいけない、世界で差別のない国はブラジルしかないということで、トメアスヘこのエリザベス・サンダース・ホームを移転されたんです。
このトメアスというところは、御承知のようにピメンタというものを生産しておりまして、かつてこしょうは世界一の生産量を誇ったんです。昔ヨーロッパとアジアが戦争をしたのはなぜかといえば、特にいろんな植民地の争奪をやったのは、
一つはこしょうでありまして、こしようというのは本当に西洋料理にとっては一番大事な香辛料、食卓にとって欠くべからざる一番の調味料だったわけですから。そういう点で香辛料を求めて英国もどこもかもインドのゴア、東南アジアあるいはそちらへみんな侵略、侵略というとこれも最近おかしい話ですが、宗主国はみんなそうやってきたわけです。それで植民地をどんどんつくっていきました。
こんな話は別といたしまして、そのトメアスで実はこしょうがたくさんとれたんですが、それは武藤山治さんという方がおられまして、非常にこれは立派な方で、この方がトメアスで実は移住地をおつくりになったんですよ。彼は岐阜県の出身で、偉大な方であります。そこへ澤田さんは目をつけてトメアスの移住地にエリザベス・サンダース・ホームをおつくりになったんだけれども、澤田さんは御承知のように三菱のお嬢さんですから、金銭感覚とかそういう感覚はありませんから、結果的には失敗してしまったんですよ。したがって、それをだれがかわったかというと、私どもの友人の県会議員の杉本という人がかわったんです。
そして、彼が私についてきてくれというものですから行ったんですよ。私はたまたまアメリカへ行って御承知のように牧場地を歩きましたから。彼はそこで、ピメンタではもうからぬからといって牧場をっくったわけです。最初三千ヘクタールぐらいを買ったんですが今や七千ヘクタールぐらいになりましたか、そして一万頭ぐらい牛を飼っています。そのときに私が行って、あなたこれは成功するよと言ったんです。なぜかといえば、牛というものは水と塩さえあれば必ずいいんです。きれいな水が流れておりましたから、その人は素人ですが、私が、あなたの牧場は間違いなく成功すると言ったら大変喜びました。牛には水と塩さえあればいいわけで、塩は買ってくれば幾らでもありますから。
そのときに私はアマゾンへベレンからずっと入っていったんですよ。何しろジャングル地帯、もう密林がうっそうと茂る、こう思っておったんですよ。そして、そのトメアスからずっとパラゴミナスというところまで行きました。そのときに、山形県から来た実習生連がそこでブラジルの方、女性と一緒になって牧場をつくっておりました。
びっくりしたのは、アマゾンが余りにも切り尽くされておったわけですよ。いや、これは密林どころじゃないな、こう思った。飛行機に乗りましても、結構あの森林地帯が伐採されておりました。御承知のように、アマゾンの木というのは太いんだけれども根が浅いものですから、切れば幾らでも開墾可能なんですよ。したがって、もう大牧場がどんどん出現する。ブラジル政府も当時、どこでも開発ブームでしたから、ちょっと今その名前は忘れましたが、SUDAMとかなんとか幾つかが、トランスアマゾニカもありますが、とにかくアマゾンを大開発しようということで大道路をつくりまして、そしてさらに地域のいろんな開発を世界銀行とかのいろんな金を借りてやったんですよ。
したがって何が起きたかというと、一九七五年、有名な暑い夏がヨーロッパを襲ったんです。御承知のようにテムズ川は干上がってしまう。セーヌ川も水がなくなってくる。ライン川は御承知のように船が航行不能になってきた。どういうことかというと、アマゾンの木を切り倒すものですから、結局、葉緑酸素とかそういう地球に異変が起こってきて、非常に暑い夏で水が枯渇していったものですから、当時ローマ・クラブで、いわゆるローマの賢人クラブをおつくりになって、いや、余り開発しちゃいけないぞと。同時に、アマゾンのジャングルを守ろう、密林を守ろうということが当時、一九七七年でしたか、提唱されて、そして今日世界的に森林保全とかそういうことが言い出されてきたわけです。
車ほどさように、いかに森林が果たす役割といいますか葉緑酸素の偉大さというか、地球の
環境保全にいかに森林が役立つかということは、これはもう私が申すまでもなく大臣も最も御承知のところでありまして、そういう点で、森林保全のために、もちろん今アマゾンは、御承知のようにブラジルは何か
法律をつくりまして、直径二十センチ以上、二メートル以上の木を伐採するときには必ず政府の許可を得なきゃならぬ、こういうことになってきたんです。
それで、一九九二年になぜリオデジャネイロで
環境サミットが開かれたかというと、私は一番大きな問題はアマゾンにあったと思うんです。したがって世界の大統領、総理大臣、みんな集まってきましたけれども、残念ながら我が国は宮澤総理大臣はあのとき出席できなかったんです。本当に残念でありますが。本来ならばやっぱり出席して、世界の
環境を守るために、
地球環境を守らなきゃだめですから、そういう点で言えば、当然日本は国際国家でありますしODAにも随分金を出しているし、世界の
環境保全のためには日本国があえて、本当にどんなことがあろうと、やっぱり主導権を握ってやるべきではなかろうか、こう思っております。
しかし、
宮下環境庁長官は大変そういう点では非常にこの点に熱心にお取り組みであります。将来、地球
環境保全のために、いろいろなこれから問題が起きてくると思うんですよ。あにアマゾンだけじゃないんです。熱帯雨林じゃない。むしろ反対に、これはちょっと話は長くなりますが、私は四十数回ぐらいアメリカ初め各地を往復しておりまして、特に私は若いときにアメリカのバーモント州の山の中で木を切っておったんです。威張るわけじゃありませんけれども、恐らく日本人でチェーンソーを使ったのは私が最初じゃないかと思うんですよ。御承知のように木を伐採するときは、日本だと、がんどうのこぎりという大きなのこぎりで木の根元を切るんですよ。当時は石幾らでしたから、今は立米ですけれども。だから根元を切って、いわゆるよきというかおので切って、それで伐採するんです。そうしないともったいないですからね。ところがアメリカへ行きますと、木をどんどん胸の辺で切るんですよ。だから白ろう病なんか起きっこありません、振動しませんから。そんなことを言うと、林野庁の方がおられますが、そういうことで、話が前後いたしましたが、あの白ろう病も大きな
公害病の
一つだったんですけれども、事は、日本人は下から切るものだから結局手に振動を与えるけれども、ここら辺から切れば大丈夫なんですよ。
それで、アメリカとかカナダはどんどん今木を切りまくっておるわけですね。日本へどんどん輸出しできますから、日本の林業農家はもう悲鳴を上げていますよ。話の前後はいたしますけれども、空の上から見まして、最近よくカナダも回ってきますが、余りにも木が少なくなっているんです。ナイアガラの辺なんというのは本当にもうほとんど開発されていますし、いつもワシントンあるいはニューヨークから飛行機に乗りますと、ナイアガラを通ってずっとカナダの森林地帯、それからアラスカを通って日本へ入ってくるんだけれども、もうカナダもアメリカも本当にかってのことを思ったら木が減ってきましたよ。そうかといって、これをいわゆるプランティング、植林するというのも余り向こうもおやりにならぬし、そして大体が何十年、何百年たった木ばかりですから、ヘムロックでもスプルースでも。木というのは恐らく最低でも、日本でよく雨が降るところは別としましても大体五、六、七十年か百年かかるんですから、成木にしようと思った場合。そうなったっていったら、あの偉大な森林帯がどんどん消えていく。何もアマゾンばかりではありません。さらにこれからシベリア開発になっていきますと、またこれもどんどん伐採していったら、これは
地球環境が余計おかしくなると思うんです。そういう点からいって、今こそ本当に地球の
環境保全のためにどうするかということが一番大事なことだと思うんです。
そういう点で、ひとつ大臣にこれから、もちろん
環境庁長官として、さらに外務省あるいは日本の内閣としても本当に真剣にこの問題を取り組んでもらうことが、これから人間が生存していく上において一番大事なことだと思いますので、その辺、大臣にひとつ所見をお伺いしたいと思います。