○林(義)
委員 そこで、御
答弁がありまして、味村
参考人から
お話がありました。この
審議会設置法につきましては、
審議会設置法そのものが
国会で慎重に御
審議の結果
成立したものでございますので、これは当然
憲法上問題がないものと考えます、それに基づいて先ほど申し上げましたような基準をつくり案をつくったところでございますので、この
審議会の作成しました画定案は、
審議会設置法案に適合するものである以上、
憲法上も問題ない、こういうふうに考えておる、こういうふうな
答弁がまずあったところでございます。
しかし、「仮に具体的な定数配分
規定のもとで投票価値の不平等が存在する場合、それが
国会において通常考慮し得る諸般の要素をしんしゃくしてもなお合理的とは考えられない程度に達しているときには、原則として定数配分
規定は
憲法違反である、こういうのが累次の最高
裁判所の
基本的な考え方であろうかと思います。」ということがありまして、
最後になりまして、
委員長から御
指摘のありました東京高等
裁判所の判決につきまして、これは傍論として、
委員長がお示しのような判示につきましては、「
選挙権として一人に二人分以上のものが与えられることがないという
基本的な平等原則をできる限り遵守すべきもの」と言っておるのでありまして、「できる限り」ということでありますから、いろいろな
事情を考慮してもいいんだ、こういうふうな御
答弁があったところであります。
ところで、この問題になっております、
委員長も御
指摘になりました本年六月三日の東京高裁の考え方は、判決文を読むと、必ずしも
お話があったように「できる限り」という形で解釈されるようなものではないというふうに私は読むところでございます。それは、ちょっと長くなりますけれども、この文を改めて私は読ませておいていただきたいと思います。
議員定数の配分において投票価値の平等が確保されていることは、代議制
民主主義の下における国家意思形成の正当性を基礎づける中心的な要素をなすものであり、国家統治の
基本にかかわるのに対して、
議員定数の配分において考慮される他の要素は、その性質上このような国家意思の正当性とは直接かかわりのないその時々の社会経済情勢や
政治情勢によるのである。したがって、
憲法上国家意思形成の中心機関とされる
衆議院について、これを構成する
議員の
選挙の定数を配分するに当たっては、投票価値の平等は、他の考慮要素とは異なる本質的な重要性を有するのであって、
議員定数について、他の要素に重点をおいた配分を行い、投票価値の平等につき他の要素と同列または第二次的な考慮をしたにとどまるときは、その配分は、
憲法十四条に
違反するんだ、こういうことを言っておられるわけであります。
このような
観点からすると、
衆議院議員の定数を、人口以外の他の要素をも考慮して配分す
るとしても、
選挙権として一人に二人分以上のものが与えられることがないという
基本的な平等原則をできる限り遵守すべきものであって、 このことは、
議員定数の配分をめぐる世論の等しく
指摘するところであるばかりでなく、これまでの公選法の
議員定数の
改正をいずれも緊急措置あるいは当分の間の暫定措置であるとして、その抜本
改正を必要としてきた
国会自身の
認識でもあったといえる。
ということであります。
こうしたようなことから、今後新しい
立法を
国会がやる場合におきましては、特に、実現すべき
選挙制度の抜本
改正における定数配分についても、これまでのような基準で違憲
判断をするのが相当であるとはいえず、
基本的には前記のような世論及び
国会自身の
認識に即した基準によるべきであるということをはっきりとこの高裁の判決では言っておられるわけでありまして、高裁の判決を縮めて申し上げますならば、やはり一票の原則、二票以上になってはならないというこの原則は、私は、大変重たい原則だというふうにこの高裁は言っているのだと思うのであります。こうした
意味で、私は、
裁判所が求めておりますのは
国会のまさに
憲法感覚である、
国会の見識であろう、こういうふうに思うものであります。
ここで私は、
憲法第十四条の問題について少し調べてみました。
戦後の
憲法学者である宮沢俊義先生の
憲法の論文があります。「
基本的人権」の中から調べてみましたけれども、そもそも
憲法第十四条の定める法のもとの平等の原則というのは一体何だろうかということでございます。日本国
憲法が近代法としてあるゆえんは、
基本的人権などと並んで、この法のもとの平等の原則にあると考えるところであります。フランスの一七八九年の人権宣言、革命の前の宣言であります、人権宣言が、権利において平等、フランス語でエゴー・アン・トロワという言葉であります、またドイツのワイマール
憲法、これも極めて民主的な
憲法と言われたものでありますけれども、これが法の前の平等、フォール・テム・ゲゼッツ・グライヒといったものと同じものと私たちは考えなければならないだろうということを宮沢先生は言っておられるわけでありまして、その解釈として、いろいろと解釈があるようであります。
古い
時代にはこういう説がありました。すなわち、
法律が平等に
適用されるべきであるという原則でありまして、差別を内容とする
法律を制定することもこれを禁止するものではありません、差別をもってやるような
法律をつくったところで差し支えないんだ、こういうふうな解釈がありました。すなわち、それは
立法権に対して何ら拘束するものではないという説でありました。
しかしながら、この説によりますと、例えば女子の
選挙権を禁止をする、拒否をする、こういったことだって
法律をつくってやればできるんだ、こういうことでありますが、私は、これはこの法のもとの平等の精神には明らかに反する、この法のもとの平等の精神は、そういった女子にも差別をしないというところに私はこの法のもとの平等の意義があるのだろうと思うわけであります。法のもとの平等とは、法を不平等に
適用することを禁止するだけではありません。不平等な取り扱いを内容とする法の定立を禁ずる
趣旨と私たちは考えなければならないと思うのであります。この考えなくしては、近代法におけるところの法のもとにおける平等ということを語ることはできないと思うのであります。
私はあえて申し上げましたけれども、こういった点につきまして、政府の方は、先ほど
自治大臣御
答弁ありまして、
自治大臣は御
提出されました
法案は
憲法違反ではない、こういうふうな
お話でありました。しかし、これは政府の方は当然、先ほども
お話し申し上げましたようなことで
国会で
審議会設置法ができました、できてそれに基づいてやったのでありますし、いろいろな点を考慮してやったのですから、それは合憲だとおっしゃるのは私は当然のことだと思うのですね。しかしながら、私たちは
国会でありますから、
国会が
憲法をどう
判断するかということを本当に私たちは考えていかなければならない、これは
国会議員の責務でもあろうか、こう思うわけでございます。
それで、ここで、私はうかつにして知らなかったのですが、平成五年十一月二日に、
国会に
参考人として元最高
裁判所の長官の岡原昌男さんが出席して、意見を述べておられます。そのときにジュリストの一九九二年六月十五日号の論文を配付しておられるという話を聞いたわけでございますが、
委員長があるいは事務当局から、そういったことがあったのかどうか、ちょっと御
答弁いただきたいと思いますが。