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1994-06-20 第129回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成六年六月二十日(月曜日)    午前十時一分開会     ―――――――――――――    委員の異動  六月十七日     辞任         補欠選任      溝手 顕正君     佐藤 泰三君      刈田 貞子君     武田 節子君      西山登紀子君     吉川 春子君  六月二十日     辞任         補欠選任      板垣  正君     岩崎 純三君      大木  浩君     成瀬 守重君      小林  正君     笹野 貞子君      武田邦太郎君     小島 慶三君      武田 節子君     刈田 貞子君      吉川 春子君     西山登紀子君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         井上 吉夫君     理 事                 片山虎之助君                 久世 公堯君                 村上 正邦君                 梶原 敬義君                 北村 哲男君                 角田 義一君                 足立 良平君                 林  寛子君                 白浜 一良君    委 員                 岩崎 純三君                 遠藤  要君                大河原太一郎君                 大島 慶久君                 加藤 紀文君                 沓掛 哲男君                 佐藤 泰三君                 斎藤 文夫君                 下稲葉耕吉君                 成瀬 守重君                 野間  赳君                 服部三男雄君                 松浦 孝治君                 松谷蒼一郎君                 一井 淳治君                 上山 和人君                 川橋 幸子君                日下部禧代子君                 種田  誠君                 肥田美代子君                 三重野栄子君                 峰崎 直樹君                 山田 健一君                 藁科 滿治君                 池田  治君                 小島 慶三君                 笹野 貞子君                 直嶋 正行君                 荒木 清寛君                 牛嶋  正君                 刈田 貞子君                 武田 節子君                 西山登紀子君                 吉岡 吉典君                 吉川 春子君                 喜屋武眞榮君    政府委員        大蔵政務次官   北橋 健治君        大蔵省主計局次        長        竹島 一彦君        大蔵省主計局次        長        兼内閣審議官   武藤 敏郎君        大蔵省主計局次        長        中島 義雄君    事務局側        常任委員会専門        員        宮本 武夫君    公述人        三和総合研究所        調査部長     安川 龍男君        立教大学経済学        部教授      和田 八束君        青山学院大学国        際政治経済学部        教授       阪中 友久君        日本国際フォー        ラム理事長    伊藤 憲一君        中央大学経済学        部教授      一河 秀洋君        慶應義塾大学総        合政策学部教授  丸尾 直美君      ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○平成六年度一般会計予算内閣提出、衆議院送  付) ○平成六年度特別会計予算内閣提出、衆議院送  付) ○平成六年度政府関係機関予算内閣提出、衆議  院送付)     ―――――――――――――
  2. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  本日は、平成六年度一般会計予算平成六年度特別会計予算及び平成六年度政府関係機関予算につきまして、お手元の名簿の六名の公述人方々から項目別に御意見を伺います。  まず、午前は二名の公述人にお願いいたします。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。  本日は、平成六年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、財政税制につきまして順次御意見をお述べ願います。  まず、安川龍男公述人からお願いいたします。安川公述人
  3. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 三和総合研究所安川でございます。  私は、財政税制の必ずしも専門家ではございませんが、シンクタンクでマクロ経済調査分析に当たっている立場から、今後の財政税制あり方について日ごろ思っていることの一端を申し述べたいと存じます。  私の申し上げます点は、以下三点でございます。  まず第一は、我が国財政を取り巻く長期的な環境を考えた場合、住宅、下水道設備など社会資本中心とした国民生活の充実、あるいはODAなど国際貢献の必要の面からも財政需要は高まってまいりますけれども、最大の問題はやはり高齢化社会到来財政需要が大きく膨らんでくるということだと思います。二〇二〇年には四人に一人が六十五歳以上になるという急速な高齢化社会進展で、年金老人医療費などの社会保障費中心財政需要かなり増加してくることは不可避だというぐあいに考えております。  厚生省も先般二十一世紀福祉ビジョンをお出しになりましたが、私ども三和総研でも一昨年に独自の試算を行いましたところ、二十一世紀福祉ビジョンとは前提の置き方や試算結果には幅がございますけれども、ほぼ同様の結果になりました。  すなわち、公的年金老人医療費高齢者福祉費用、この三つ高齢化社会基盤を支える公的費用である、こう定義づけまして試算をしてみましたところ、経済規模との対比GDP国内生産でございますが、これとの対比で九〇年の実績の七・一%から三十年後の二〇二〇年にはこれが一三・五%、比率で見て二倍に高まらざるを得ない、こういう結果になりまして、やはり高齢化社会を展望すれば財政需要増大は避けられない、こういう結果になりました。  一方、この社会保障費を担います現役の勤労世代、これは二十歳から六十四歳の年齢層当たりますが、この若壮年層の人口は逆に減少してまいりますため税金社会保険料の一人当たり負担かなり重くなってまいります。私ども試算したところでは、就業者一人当たり所得に比べますと、九〇年の六・三%から二〇二〇年には一五・五%、二倍以上に高まってくる、こういう計算になります。したがいまして、負担の度合いや負担あり方いかんによりましては社会経済活力が低くなるおそれもある、こういうことでございます。  このため第一に必要なことは、どのような福祉社会、例えばスウェーデンのような高福祉高負担社会を目指すのか、あるいは中福祉負担福祉社会を目指すのか、どうした福祉社会を目指すかというビジョン政府国民に示していただいて、いわばコインの表と裏の関係にございます受益と負担あり方国民に問い、コンセンサスを得ていく必要がある、このように考えております。  もちろん、どの程度が妥当あるいは適正な福祉水準かにつきましては、数学のように正解があるわけではございません。最終的には、高福祉のためには高負担もやむを得ないと考えるのか、国民の選択にゆだねるべきであろうと考えますので、そのためには国民判断材料となる情報の開示が必要であろう、このように考えております。  この点、さきに出されました二十一世紀福祉ビジョン考え方方向性を打ち出されたものでございますけれども、今後の具体的な議論のたたき台となるよう期待しております。これからの政府行政当局におかれましては、国民に幅広く情報提供を行っていただくよう希望したいと考えております。  第二に、高齢化に伴う社会保障負担増加をできるだけ抑えていく方策一つとして、やはり行財政リストラ予算配分の大胆な見直しが必要と考えております。  行財政リストラとしましては、言うまでもなく省庁の思い切った統廃合や特殊法人の整理など、行政改革行政スリム化、これが必要であろうと考えておりますし、国民税金社会保険料負担増加を求めていくに当たりましての大前提でもあると、このように考えております。  それから、予算配分見直しにつきましては、いろいろと御意見はあろうかと思いますが、私どもいろいろ考えておりますところでは、例えば農業関係予算はやはり過大ではないかと、こういうような気がいたしますので、やはりこういう点の予算配分見直しも今後進めていかれるようお願いをしたいと思います。  それから、例えばもう一点例示をいたしますと、高齢化進展であるいは今後抑制できる歳出項目もあるのではないかというぐあいに考えております。例えば、高齢化の裏返しで児童の数が減少してまいります。したがいまして、教育というのは国の根幹をなす大事な仕事でございますので、もちろん今後も慎重に検討していく必要はあるでしょうけれども教育予算とて必ずしも聖域視すべきではないというように考えております。  現に出生率低下児童数が減っておりますので、民間の幼稚園や私立学校あるいは学習塾の経営も、子供が減ってくる中でどういうぐあいに対応しようかと、こういう影響が出ております。子供が二人から一人に減ればその一人のために二人分の費用を使うのが親の心であることはもちろん十分わかりますが、しかし、といってそれに税金を同じように使うのはいかがなものかという気がいたします。子供教育費を使うのはよくわかりますが、この点はなるべく自助努力というものを考えていくべきではないかと、このように考えております。  それぞれの省庁におかれましては、その役割と使命を果たすべくもちろん日夜努力されておられるわけでございますけれども財政による資源配分、これも時代の変化に応じて変えていくべきではないかと、このように考えております。  財政機能と申しますのは、皆様よく御存じのように、一つ景気調整機能、それから所得分配機能、それから資源配分機能、この三つがあるように思いますけれども、厳しい財政事情下にありまして優先的にどういった予算に金をつけていくのか、予算配分見直しにぜひ政治のリーダーシップを発揮されるよう期待してやみません。どうぞよろしくお願いいたします。  それから第三番目が、高齢化社会を展望して今後の税体系はどうあるべきか、税負担あり方検討も必要であるというぐあいに考えております。  我が国税制は、御高承のとおり、直接税、とりわけ所得税に偏っております。今後膨らんでいく税負担現行累進性のきつい所得税に頼ってまいりますと、勤労意欲低下、ひいては社会活力低下を招きかねません。やはり政府税調の答申にございますように、所得消費資産課税バランスをとっていくことが必要になるだろうというぐあいに考えます。こうした所得税に偏重しない税制改革という点は課税公平性確保する観点からも必要だと考えております。所得形態別の税の捕捉率が違う、ここからよくクロヨンとかトーゴーサンという問題が言われますけれども、やはりこうした問題を是正していくためにも所得税に偏った現行税制を変えていく必要があろうかと思います。  もちろん、捕捉を逃れた所得消費支出によって資産の蓄積に使われますので、所得減税資産消費増税した方が水平的公平が高まってまいります。したがいまして、所得消費資産課税バランスをどうとっていくか、こういう議論が今後必要ではないかというぐあいに考えております。その中でいわゆる直間比率見直し、すなわち個人所得課税負担を軽減し消費課税を強化していく方向はやむを得ない方向である、このように考えておりまして、各世代が広く薄く負担を分かち合うというような方向性をもう少し高めてもいいだろうというぐあいに考えております。  累進性の問題につきましては、いろいろと御議論があろうかと思います。確かに直接税には累進課税控除所得の大きい人ほど重い負担を求める垂直的公平の機能がございますけれども日本の場合には主要先進国の中でも比較所得格差の小さい社会でございます。例えば所得平等度などをはかります一つのメルクマールにジニ係数というのがございますけれども、これで見たところでもイギリス、アメリカ、西ドイツに比べましてはるかに日本所得格差は小さい、こういう結果が出ておりますので、この点からも所得税累進性はある程度緩和してもよいだろうというのが私の考えでございます。  しかし、識者がよく指摘しておりますように、消費税増税が必要ではございますけれども、その前に現在の消費税制度の改善が必要だと、このように考えております。現行消費税かなり問題点を抱えております。これらは税率が三%であれば許容し得るかもしれませんが、高い税率ではやはり問題点が無視できなくなるというぐあいに考えております。  すなわち、簡易課税限界控除免税措置などに伴ういわゆる益税発生があると言われておりますので、この益税発生をできるだけ排除することが必要であるということでこうした中小事業者に特例のいろんな制度見直しが必要であろうということを考えております。  それから、消費税納付方法でございますが、現在の帳簿方式から仕入れ先の伝票をもとにいたしますインボイス方式に変更して正確な納税を促進することが必要であろうというぐあいに考えております。  それから、所得税改革につきましての最後問題点は、消費税税率引き上げの幅と時期、これをどう考えるかということでございますが、この点につきましては短期的な観点と中長期的な観点の二つに分けて考えるべきであろうというぐあいに考えております。  短期的な観点と申しますのは、所得税減税を先行しております。その所得税減税財源を何に仰くかという問題でございます。これを短期的には赤字国債で賄うことはやむを得ないんですが、その財源消費税増税で賄う点でございますが、この点につきましては、税のバランス確保を目的とした税制改革と考えるということで、今行われております景気刺激のための所得税住民税減税財源をまず国債で賄い、その後消費税引き上げで賄う場合には増減税なるべく同額がよろしいのではないかというぐあいに考えております。  それから次に、中期的な観点からは、やはり今後の社会保障あり方とその財源確保について十分時間をかけて検討し、その中で先ほどからお話をしておりますように国民にどうした福祉社会を選択するかというような問いかけをし、コンセンサスをつくり、こうした十分な議論を行った上で徐々にこの福祉費用増大を賄う増税を考えていくべきではないかというぐあいに考えております。  それから最後に、なお日本の直接税の問題を考える場合に、実は法人税率が諸外国比で高いという問題がございます。法人税率見直しも長い目で見ればある程度必要ではないかというのが私の考え方でございまして、法人税減税せよというのはよく感情的な反発が出るかもしれませんが、諸外国比較をしてまいりますと、法人所得に対する課税日本かなり重くなっております。例えば対国内生産GDP比で考えますと、日本が六・七%、アメリカが一・七%、英国が四%、ドイツが二・二%でございます。  現在、急激な円高の結果、国内企業の多くが競争力を失いましてアジアなどに生産拠点を移す、こういった動きが非常にふえてきておりまして、このままでは日本産業空洞化するのではないかというような心配が最近とみに言われております。円高とかこうした経済環境の面からも産業空洞化が進むおそれがあるわけでございますが、やはり税制という点も国際的な整合性という観点から考えていくべき必要があるように思います。法人税制国際附にある程度競争力のあるものにしませんと、法人税が高いがゆえに日本企業が海外に出ていってしまう可能性もございますので、やはり今後の日本経済の活動のグローバル化、あるいは企業のグローバリゼーション、これに即応した措置として法人税見直しども検討する必要があるように思います。  以上が私の現在考えております財政税制に関します考え方でございますが、もう一度三点を整理いたしますと、やはり高齢化社会到来財政需要増大せざるを得ませんので、このための負担をどうするかという問題から、まず基本的に必要なことは、今後の福祉社会福祉レベルをどのように考えるのかといったような議論がまずもって大事であるということと、二番目に高齢化に伴います負担増加を抑えていく方策一つといたしまして、行財政改革が必要である、予算配分見直しも必要であるということでございます。それから、やはりどうしても税負担増加というのは避けられませんが、高齢化社会を展望して税負担あり方をどうするか、こういった検討も必要であるということでございます。  以上で私の意見表明を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  4. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ありがとうございました。  次に、和田八束公述人にお願いいたします。和田公述人
  5. 和田八束

    公述人和田八束君) 立教大学和田でございます。  本日は財政税制につきまして私の考え方を申し上げたいと思います。ただいまの安川さんのお話とも重なり合うところがあるかもしれませんけれども、御了承をいただきたいと思います。  九四年度予算でございますけれども、昨年できた新しい連立政権によって提案されたわけでありますけれども、編成途中ということもございまして十分に新鮮味を出せるまでに至らなかったような感じがいたします。  その中では景気対策としての減税が行われたという点と公共投資について一定の見直しか行われたということでございまして、生活重視型に幾分でも転換の兆しを見せる方向転換が行われたということでございます。それから、防衛費の抑制がなされたというふうな点で評価できるのではないか、こういうふうに見ております。  メーンになりますのは九四年度の所得税減税でございますけれども、これはもう九二年ごろから景気の低迷の中で広く要望がなされていたところではございますけれども、ようやく実施されたわけでありまして、期待していただけにその結果が大いに期待されるところでございますが、私は相当の経済効果が出てくるのではないかというふうに見ております。  所得税減税につきましては、その経済効果を否定する見解もございましたし、それからその財源として赤字国債を発行するということについての懸念する意見も強くありましたけれども、やはり減税による成長率の上昇ということによる税収の増加、それからそれに伴う国債の対GNP比低下という結果が期待されるわけでありまして、その面を積極的に評価すべきではないか、こういうふうに見ておるわけであります。  したがいまして、減税に対する代替財源としてこの赤字国債分を直ちに増税によって補てんするという考え方は政策論的にも適当ではないと思いますし、またマクロ経済的にも適当とは言えないというふうに判断しております。  しかし、ここで将来に向けての財政均衡を図る、財政課題見直していくというふうなことを踏まえまして税制改革を積極的に実行することは必要でありまして、そのために与党サイド税制改革協議会が設けられて議論がなされているということは、これは税制改革に対する手法としても妥当であり評価できるところだというふうに考えております。  税制改革は第二次抜本改革として位置づけられているわけでありますけれども、既に税制調査会などでも示されておりますように、直間比率是正あるいは所得消費資産課税バランス、それから世代間の負担の公平というふうなことが言われております。将来の福祉のための財政基盤の確立を図るということは非常に重要なことでありまして、こうした前提に立って税制改革が行われるということは重要な課題だろうと思います。この場合、何といいましても、消費税の位置づけとその消費税の量的な対応の問題というのが焦点になることは明らかなところだと思います。  このような税制改革をめぐりましては、一つには財政支出改革合理化を行うべきであるという意見が非常に国民の間に強いということは言うまでもありません。また同時に、税制上の不公平の是正をまず実行すべきであるという主張があることも事実でございます。いずれも正当な意見であり、政府もこの考え方に十分にこたえるべきであるというふうに考えているわけであります。  歳出構造あり方といたしましては、九四年度予算を見ましても不透明な部分が非常に多いように私は判断をいたします。  それはいろいろあるわけですけれども一つには、一般会計特別会計、財投、地方財政を含めました財政の全体像というものが必ずしも明確ではなくて全体を通した均衡というものが不明でありまして、しばしば一般会計だけで赤字あるいは不均衡が問題になっているということであります。特に一般会計のうちで一般歳出分は年々低下してきているというふうな実態からいいますと、一般会計のベースでの議論というのが果たして妥当であるかどうかということは大いに疑問であります。また、一般会計特別会計との繰り入れ、繰り出しか非常に多いというふうなことも不透明性を助長していると思います。  それから第二点でありますけれども公共投資などの状況につきましても、一般会計だけで伸び率あるいは構成比というふうなものが判断されるべきではないわけでありまして、やはり行政投資という全体像で評価されるべきものだと思います。  それから三番目になりますが、歳出構造あるいは歳出伸び率というふうなことがよく比較されるわけでありますけれども、これも一般会計の当初予算との比較というのは、補正が三回も行われるというふうな状況からいいますと、必ずしも実態に即している、意味があるというふうには言えないと思います。  それから四番目になりますが、予算につきましては主要経費別分類という形で発表がなされているわけでありますが、これは昭和三十年代以降のものでありまして、言ってみればかなり古くなっている、その他経費というふうなものが一割も占めているというふうなことを考えただけでも実態に即していないものでありまして、改められるべきではないか、こういうふうに考えます。  いずれにいたしましても、財政情報につきましては十分なディスクロージャーがないということが国民の間での一つの批判なり問題点になっているところでありまして、例えば財政白書というふうなものも、ほかに白書が何十冊も出ている中で、ないというふうなことは問題点ではなかろうかと思います。しかし、余りにも歳出の抑制といいますかあるいは見直し合理化というふうなことだけが先行いたしまして、そのことによって公共投資でありますとか福祉財政というふうなものが不当に圧縮されまして、例えば八〇年代のような形で圧縮財政が続けられるということは、これは現在の財政機能、役割からいいまして適当ではないわけでありまして、この辺は十分に財政の役割というものを評価すべきではないかと思います。  次に、不公平税制是正ということがしばしば強調されるわけでありますが、これはなかなか難しいところであります。  大別いたしますと、税制上の問題といいますか、例えば利子課税、キャピタルゲイン課税のような分離課税に伴う問題、それからその次にクロヨンと言われるような税の捕捉上の問題、それからさらに政策税制あるいは特別措置と言われておりますような問題、それに加えまして引当金等の会計上の問題もこれに含めて議論されることが多いわけであります。それから四番目に、公益法人とか赤字法人等の問題というふうなものがございます。  これらにつきましては、例えば十兆円とかあるいはそれ以上というふうな計算がなされているわけでありますけれども、この計算そのものについてはいろいろ議論もあるかもしれませんけれども、そのような減収額のベースだけで直ちに単年度で税収の増加というものが期待されるということにはつながらないわけでありまして、不公平税制の改善がなされるということは非常に重要なことでありますけれども、その減収額ベースというものが直ちに増収額にイコールであるということにはなりにくいというふうに考えるわけであります。  税制改革あり方といたしましては、所得消費資産バランスということが最近言われているわけでありますけれども、その意味、内容というのも必ずしも明らかではないわけでありまして、それは税収の構造、つまり税収額において所得課税消費課税資産課税のそれぞれのパーセンテージといいますか、そういうふうなものを指しているのか、それとも課税対象といいますか、納税者サイドにおける課税ポイントとして所得消費資産をそれぞれ適切に組み合わせるということを意味しているのかよくわからないわけでありますけれども、私はやはり課税対象のサイドで考えるべきではないかというふうに考えております。  それで、その場合、所得に対する課税というのは、個人所得について見ますと諸外国に比べても決して高い水準とは言えないわけであります。税率構造でありますとかあるいは所得控除の面で改善とか見直しとかというふうなことが行われるべきところはあるわけでありますけれども、個人所得に対する所得税負担率としては必ずしも高いものではないわけでありまして、それほどその軽減ということを将来の財政あり方からいって強調すべきものではないと思います。  また、最高税率の引き下げということも問題になっているわけでありますけれども、これはいわゆるブラケットの面を改善することの方が先決ではないかと、こういうふうに考えております。ただ、住民税につきましては必ずしも累進税率にしておく必要はないのではないかと、こういうふうに思います。  それから次に、消費税でありますけれども消費税は導入のときにおきまして政治的にもあるいは消費税という仕組みそのものにもいささかその瑕疵、傷といいますか瑕疵を持っていたことは否定できないわけであります。  このうち政治上の問題というのは、その後の参議院選挙あるいは参議院における廃止法案の審議、それから衆議院における改正、それから衆議院選挙等々大分政治的にいろいろな経過がございまして、一応決着を見たものというふうに考えるべきではないかと思います。  それから、社会経済的に言いましても、当時九つの懸念あるいは七つの懸念というふうなこともいろいろ言われましたけれども、物価上昇とかインフレとか、あるいはその他転嫁の問題とかいろいろ問題になりましたけれども、それらにつきましても一応定着を見たのではないかというふうに考えておりますので、そのような政治的決着と社会経済的な定着ということは、これは与野党ともに確認すべきことではないか、こういうふうに考えます。その上で制度上の欠陥を是正すべきであります。  それはこのインボイス方式の導入によるEU型の付加価値税にするということが最もすっきりした形でありますし、それに伴って中小企業等への特例というふうなものも十分に見直して縮小していくべきであると思います。  現在、税制調査会等において機械的計算がなされたり、あるいは具体的な税率につきましても議論が行われているわけでありますけれども赤字国債発行による減税というふうな分に関しましては、これは、自然増収といいますか、景気回復による自然増収が期待されるわけでありまして、そちらの方と対応されるべきものでありまして、消費税引き上げにつきましては、やはり消費税税率につきましては税制上の所得税等との税率構造の改善という形で増減税同額という形で行われるべきでありまして、なお福祉ビジョン等につきましては今後も十分に見直し検討すべき課題が残っているということで、これは先送りすべきではないかと私は思います。  そういった点におきまして、この景気回復の現状、それから将来の財政支出とかあるいは財政構造のあり方というふうなものを十分に検討をしていくということで、さしあたり大幅な税率アップということを考える必要はないのではないか。仮に税率アップが行われたにいたしましても大体二%程度になるのではないか、こういうふうに見ているところでありまして、複数税率どもさしあたっては慎重に扱った方がいいのではないか、こういうふうに考えております。  しかしながら、これからの高齢化時代を控えまして、財政の役割は次第に大きくなっていくということは否定できないわけであります。必ずしも単純に小さな政府を求めるということではなくて、適正な公共財のあり方というものを国民に明らかにして、そして税金というのはそうした福祉社会福祉財政のための公共財の支払いであるという考え方を十分に理解を求めていくということが非常に必要になってきている時代ではないかというふうに思います。  したがいまして、これまでのように、どちらかといいますと、財政支出といいますか歳出構造の方は不透明であり、それから税金国民の犠牲であるというふうな考え方あるいは国民感情といいますか、そうしたことを改めていくことが今日必要ではないか。  税制改革につきましても、しばしば技術的な面での議論というものが行われておりますけれども、租税思想といいますか、そうした面でのコンセンサスを得るということがやはり根底に置かれることが必要ではないかというふうに思います。特に、その点で歳出構造では、先ほども言いましたけれども一般会計だけではなくて特別会計財政投融資、地方財政を通じたリストラを必要としているのではないかと、こういうふうに思っております。  本日は、地方財政については特に申し上げることができなかったわけでありますけれども、最近の分権化の議論というふうなものを通じまして、地方財政の役割、そしてまた地方財源の拡充というものは特に必要であるということを強調しておきたいと思います。  このような財政あるいは税制に対応する政治的な条件ということを考えましても、現在の連立政権による政治転換、また与党による税制協議会の設置というふうな点などを見てみますと、新しい環境のもとで税財政あり方というものが考えられ、進められているということは明らかなことでありますので、そうした状況のもとで今言いましたような税財政に対する理念の確立と制度上の改革を進めることを特に期待したい、こういうふうに考えておるところでございます。  以上で終わらせていただきます。
  6. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  7. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 本日は、安川公述人和田公述人、大変お忙しい中を本委員会にお出ましいただきまして、ただいまは大変示唆に富んだ御説明をいただきまして、まことにありがとうございました。  それについてこれから御質問させていただきたいと思います。  まず最初に、安川さんにお願いしたいんですが、今、安川さんも和田さんも両方とも共通の話題として税制についてのお話がございました。これから社会福祉が非常にウエートが増してくる。そういう中で財源をどうするかということの税でございますが、その税を増す前にいろいろな税に対する不満を解消していかなければならないということなので、そのことについてちょっと具体的にお聞きいたします。  まず、今株などでは分離課税をやっております。所得の二割を払えば、それでいわゆる全部足して累進的な課税にしなくてもいいという、これはかなりお金持ち優遇のように思えるんですが、その辺をどういうふうにお考えかひとつお聞きしたい。  それから、クロヨンという問題は、これは庶民にとって根強いこの税に対する不信でございまして、例えば保育所のお金を払う場合でも十段階に分けて払っています。ところが、ある所得以下の人は、税、いわゆる保育料を払わないできているんですが、そういう方が、子供が夏には外国へ行ってきたとか、それから立派な車で送ってきたりというような、そういう非常に矛盾をしたことを感じ、そのことがやはり奥さん方を中心にして庶民のこの税に対する非常に不信が強いように思うんですが、このクロヨン対策について一体どういうふうな考え方があるのかということ。  それからもう一つ、私はいつも思うんですが、いわゆる課税最低限ですね、子供二人で大人二人、これは夫婦ですけれども、そうすると日本の場合は三百万円を少し超えでもいわゆる所得税がかからない。アメリカですと大体二百万で税金がかかる。英国だと百万円で大体税金がかかるのにかかわらず、日本は三百万円と課税最低限が非常に高いように思います。しかし、これからまた税を上げていくとき、例えば今のような消費税的なものを上げようとするとき、庶民の賛同を得るためにまたこれをもっと上げていこうということもあるんだけれども、この辺を非常に私はいつも問題に思いますので、その点について安川公述人から御説明をいただきたいと思います。
  8. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 最初の分離課税の問題につきましては、やはり基本的には所得税資産所得、こういったものにつきましては総合課税方向に進むべきではないか、このように考えております。そのためには納税者番号制度の導入をやり、所得捕捉漏れが起こらないように考えていくべきではないか、このように考えております。  それから、クロヨン、不平等の問題というのは非常に難しい問題でございまして、なかなか実効策あるいはこれといった妙案がないのも確かなところでございます。  今回、所得税への偏重から消費税をやや強化する方向への税制改革が論議されておりますけれども、その一背景として、どうしても所得税だけでは所得捕捉実態上差が出てしまう、したがって水平的な公平を図る観点からも消費税増税を行うべきであるという意見も一部にございますように、やはり消費税をある程度強化する方向で、あるいは資産性の所得あるいは相続税、この辺のバランスをとっていく形で、仮に所得を得た段階で税の捕捉を免れたとしましても、あと資産所得あるいは相続段階、こういったところで税を捕捉する、こういったような考え方に持っていくべきではないかというように考えております。  それから、課税最低限につきましては、確かに国際比較をしてまいりますと日本課税最低限はかなり高くなっております。先ほど和田先生がおっしゃいましたように、確かに日本の場合には所得税そのものは、例えばGDP比なんかを見てまいりましても余り高くありません。これは、課税最低限をかなり高く上げております。みずから所得税課税ベースを狭くし、その中で累進性をきつくしているということで不平等度が高まっておるわけでございます。もちろん税金は安ければ安いにこしたことはないんですが、余り課税最低限を上げていくという方向はどういうものかなというぐあいな方向で考えております。  以上でございます。
  9. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 和田公述人にお尋ねしたいんですが、これは和田さんというよりも安川さんが先ほど強調され、また和田さんも言われたんですけれども、これからいろんな税金の問題を取り扱っていく上においても行財政リストラということが何よりも重要だということです。しかし、行財政リストラというのは言うはやすく行うのは大変難しいんですが、これについてどういう方針なり手法でこの行財政リストラを行っていったらいいか、この辺、先生からの御意見をいただきたいと思います。
  10. 和田八束

    公述人和田八束君) リストラという場合にしばしば受ける印象というのは、非常にスリムになる、あるいはむだな部分といいますか、これを縮小整理していくというふうな意味があるわけであります。民間企業リストラというふうな場合でもそうした意味合いというものが強く出ているわけでありますけれども財政の場合には必ずしもそうした意味だけではなくて、やはり財政全体としての役割といいますかあるいは機能というものが十分に果たされているかどうか、どのようにしてその機能が果たせるのか、そしてまた、そうした財政の役割というものがどれだけ国民に理解されるのか、あるいは情報として開示されるのかというふうなことが主眼になるべきだろうと思うんです。  いたずらにゼロシーリングあるいはマイナスシーリングという形で抑制をする、あるいは比較的やりやすいところから削減をしていくというだけでありますと、そうした財政機能というものが必ずしも発揮できないということになるわけであります。  その点につきましては、過去におきまして、先ほどもちょっと言いましたけれども、八〇年代において財政かなり大幅な圧縮、公共事業の先送りということが行われまして、そして財政再建がなされたわけでありますけれども、これによって経済実態というものはむしろ悪くなったわけでありますし、それから、公共投資といいますか、社会資本は非常に立ちおくれた、それが今日ツケになって残っているという感じがするわけでありますので、やはり長期的に見て非常に財政あり方というものを十分に検討しなきゃいかぬということであります。  そのようなことは当然といえば当然のことでありますけれども、私がその問題点として考えておりますのは、先ほど言いましたように、一般会計というものを中心とした財政運営というものをここで見直して、一般会計特別会計財政投融資、地方財政を通じた財政バランス、それから機能実態というものをここで明らかにする方式といいますか、こうしたものを何か開発していただきまして、そして国民の理解を得るとともに、日本財政というのは一体どれだけ赤字でどれだけの役割を持っているのかということを見直してみるということがリストラではないか。  それで、その上で必要であるならば財政規模の拡大というものも我が国は諸外国に比べればむしろ低いわけでありますし、それから租税負担率も諸外国に比べれば低いという実態からいいますと、むしろ必要な部分は拡大するということも当然出てくるのではないか、こういうふうに考えます。
  11. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 引き続いて和田さんにお尋ねしたいんですけれども、これから国が行ういわゆるサービス水準、そういうものと負担との関係です。  いわゆる高福祉負担型、あるいは先ほどお話しになったように中福祉負担、あるいは小さな政府、そういうものがいろいろあると思います。これは先ほど安川さんからもお話があったように、いろいろ国民情報を提供して国民の中でそういう選択を進めるべきだということですが、先生はどういうお考えでしょうか。
  12. 和田八束

    公述人和田八束君) 例示的に今お話しになったわけでありますけれども、低福祉負担というのは論外だろう、こういうふうに考えます。高福祉負担というのはいいことはいいわけなんですけれども、そうなりますと高負担ということで出てくる内容だろうと思います。  それから、例えば福祉ということで言いましても、今後の高齢化社会ということを展望いたしますと、ほっておいてもかなり負担になってくるということは避けられないと私は思うんです。これは諸外国の例を数字で比較してみましても非常に単純な結果として出てくるわけでありまして、二〇〇〇年に入りますと我が国は世界一の長寿国になるわけでありまして、そうしたことはほっておいても明らかであるということであります。  その場合に、一体それを、社会保障負担といいますか保険料等の社会保険料負担するのか、それとも税で負担するのか。税といたしましても個人、企業あるいは個人の消費所得、どういうところで負担をしていくのか。  それからまた、最近議論になっておりますのは世代間の公平というふうなことでありまして、従来は高所得者と低所得者というふうなことで考えられていたわけですけれども、低所得者は必ずしも一生低所得者ではなくて若い人が低所得者であり、また名目所得が多い人が必ずしも可処分所得が高いということではないわけでありまして、そうした実態も十分に踏まえまして考えなければいけない。そういう前提をとらえますとある程度負担ということは今後は避けられないところでありまして、そうした前提に立つならば、やはり高福祉を十分に実現していただきたいということは強く要望したいところであります。
  13. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 安川先生の書かれたものも少し読んでみたんですけれども、それについてちょっとお尋ねしたいと思います。  不況は三年を超える長期に及んでいますが、その主因として、バブル期の過剰設備とか過剰雇用、不要な資産の取得等により企業の固定費が増大して企業収益の悪化が挙げられております。  先生は、立て直しには今言った大胆なリストラクチャリングが不可欠だと言われておりまして、その具体的な方策として規制緩和のことも言われているんですが、この規制緩和がリストラクチャリングに及ぼす影響、効果というか、そういうものを先生はどういうふうにごらんになっておられましょうか。
  14. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 景気判断につきましてはいろいろと御議論があろうかと思いますが、私ども三和総合研究所の見方では、これ以上悪くならないという意味での景気の谷、底と言ってもよろしいんですが、これは昨年の十-十二月期であったと考えております。その後、方向としては緩やかに持ち直しておりますが、その持ち直しのテンポあるいは水準が十分でない、こういうことでございまして、その中で企業が必死にリストラの努力をやっております。  景気が多少持ち直してきた一つの背景に企業リストラが進んできたことがあるわけでございまして、大蔵省の統計などをいろいろ分析してまいりますと、いわゆる固定費、人件費、減価償却費、金融費用、この三つを足したものを固定費として見ておりますが、この固定費はほとんどゼロ近辺にまで伸びが落ちてきておりますので、企業の収益もマクロから見ればようやく回復の素地が整ってきた、こういう段階でございます。  もちろん、これは平均の姿でございますので、どちらかと申しますと、製造業の中でも加工組み立て型産業は好調、素材は不調、こういうことになっておりますけれども、今後も売り上げが余り期待できないところはいろんな意味の多角化あるいはこれまでの本業の見直し、こういったことをやっていくであろうと思います。その際に不必要な規制がありましては業務の多角化も実施できませんので、よく言われますように経済的規制は原則撤廃する、そういう形でなるべく規制緩和の方向を目指すべきであろう、こういうふうに考えております。  ただし、規制緩和の効果がどの程度あるか、これは非常に難しい問題でございまして、規制緩和を行いますに当たりましては、一方でこれまで規制の中で売り上げを上げ従業員を雇っていた企業もあるわけでございまして、この問題をどう考えるかということが大きな問題でございます。しかし、やはりまずは規制緩和を推進して日本企業、ひいては経済活力を高める、その結果、規制の緩和で影響を受ける企業あるいはそこで働いている方々、こういうような問題につきましてはいろんな手当てを行っていくべきであろう、このように考えております。
  15. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 類似した質問なのでもう一度安川さんにお願いしたいんですが、これも日経金融新聞に出ていたんですけれども、それを読んで私なりに質問をまとめたんですが、景気をよくするには金融機関からの積極的な融資が必要ですが、それには金融機関の抱えている多額の不良債権の処理がなされねばならないと思います。既に共国債権機構などがつくられておりますが、その機能を強化するために公的資金の使用は考えられないのか、当然その前提として金融機関のディスクロージャーは必要だと思いますが。先生は三月四日のこの新聞で、まだ公的な資金をこういう不良債権処理に導入する段階ではないと言われているんですが、では一体いつならいいのか、またどんな条件が整えばこの不良債権処理に公的資金を使ってもいいのか、その辺差しさわりない範囲で教えてください。
  16. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 非常に難しい御質問でお答えしにくい側面があるんですが、まだ公的資金を導入すべき段階でないというぐあいに考えましたのは、特に中小企業金融機関などの不良資産の全貌がまだなかなか明らかになっておりませんので、そのためになかなか、例えばそこに財投の金あるいは税金をつぎ込むにいたしましても国民の了承が得られない、こういう点からその時期ではないだろうというぐあいに考えたわけでございます。  アメリカで八〇年代後半にやはり不動産投機がございまして、かなりの金融機関が影響を受けました。特に、商業銀行ではなくてSアンドLがたくさん倒産をしたわけでございますが、これにつきましては財政からたくさんの金を入れております。しかし、お金を入れるに当たりましては経営者の責任も問いいろんな手だてを講じておりますので、日本としましてはまだなかなかそこまで機運が盛り上がっていない、こういうところじゃないかというぐあいに思います。  ただし、大型の金融機関につきましては、時間がかかるかもしれませんが、どうやらこの不良債権対策をかなり地道に積み上げておるようでございますので、一部に問題が出てくる場合の対応策というものを恐らくは関係当局におかれましては考えておると思いますけれども、であるからして事前に公的資金を導入するというのはなかなか難しいのじゃないか、このように考えております。
  17. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 和田公述人に質問したいんですが、今現在、公共投資基本計画は四百一二十兆円、期間は一九九一年から二〇〇〇年の十年間ということですが、この四百三十兆円については、数度にわたる補正予算経済再建のためのいろんな補正予算等が組まれて、かなり前倒しになりました。あとどれぐらい残っているかどうかというのは、いろんな計算の仕方があるんですが、今のままの規模でこのまま進めていって、発射台を昨年のところに置くとすると、あとは一・七%しか伸び率がないとか、あるいは今後三%ずつ伸ばしていくとするとこの四百三十兆円は四百八十兆円に改定しなきゃならないとか、いろいろな数字が出ているんですけれども、この四百三十兆円の公共投資基本計画は私は質、量ともに拡大の必要があるのではないかというふうに思います。  それは景気対策の面でもまた日米のそういう関係での内需振興のためにも必要だと思いますが、これについて先生の御見解をいただきたいと思います。
  18. 和田八束

    公述人和田八束君) 私も今の御意見と大体同意見でございます。  ただ、質と量ということなんですけれども、質の点でどうかということは十分に見直しか行われるべきだろうと思います。  この点につきましては、いろいろ議論がありまして単純ではないわけでありますけれども、やはり都市地域といいますかあるいは大都市地域における社会資本のネックというものは非常に大きいわけでありまして、これをいかに改善していくのか。これは一つには住宅問題、住宅政策というこうしたものが非常に大きな課題でございますし、それから生活環境とかあるいは道路事情とか、いずれも大都市、中都市といいますか、そうした都市地域で問題になっているわけでありまして、それについては過疎地の重要性というふうなことも十分に議論としてはあるわけでありますけれども、やはり何らかの明確な転換ということを考えていくべきである。  それから、量的につきましても、そろそろ二十世紀の終わりということを考えまして追加的な公共投資というのも必要になってくると思いますけれども、これはやはり今の公共投資、特に長期計画というのがございますが、長期計画の見直しといいますか、そうしたことを含めてやりませんと、ただ量的に上へ積み上げるというだけではどうも十分ではないのではないか。  例えば各長期計画には予備費なども計上されているわけでありますけれども、そうしたものの実態というのは必ずしも明らかではないわけでありますので、そうしたものを中心にして少し各河川、道路、住宅等々の公共投資長期計画の予算配分見直しというふうなことも行いながら量的な点については検討をしていただきたい、こういうふうに考えます。
  19. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 先生から今この配分について都市と地方というお考えについて言われたんですけれども、これは都市派、地方派というのが役人の世界にも政治家の世界にもそれぞれあるんですけれども、先生が今言われたようなわけではなくて、地方に割合投資が多いんだというので一人当たり行政投資の額をよく言われるんですけれども、これは私は非常に問題だというふうに思っています。  というのは、東京都の人は東京都の中で生産されるものでこの豊かさが保っていられるのではなくて、近県においてダムをつくったりなんなりして水をため、その水が東京に来て私たちは飲ませていただいていて、そうすると、そのダムが群馬県で仮につくられたとすると群馬県での投資としてカウントされるとか、あるいは東北道にずっと高速道路がつくられるとその県々で単位になるんですけれども、その高速道路は、例えば我が国の乳牛はたくさん北海道にいるわけですが、その牛乳は東北道のこの高速道路を伝わって東京へ来るとか、やはり東京の豊かさというのはそういう地方に投資されたものを利用してくる面も多いので、一人当たり行政投資で地方がどうというようなことではないんではないかというふうにかねがね思っているんですが、それについて先生の御意見をいただきたいと思います。
  20. 和田八束

    公述人和田八束君) その点についてもおっしゃるとおりだと思います。  機械的に一人当たりということで計算をして多いとか少ないとかというふうな議論は余り意味がないと思いますし、それから逆に農村地域の立場から言いますと、大都市と同じような、例えば道路延長とかその他公共投資の規模というふうなものをやはり機械的に計算をいたしましてその整備が求められるという、両面あるのではないかと思うんですね。ですから、たまに私なども東京以外のところに出かけますと、非常に立派な道路がありまして、もう高速道路と同じような一般道路が整備されていて、そこをほとんど車の通行量もなくてすいすいとスピードを出して通れるというふうなことでございまして、それからその他の社会資本も東京よりもむしろ整備されているところが非常に多いわけであります。  それはそれで大変結構なことなんですけれども、ただ、例えば道路とかそういう公共施設だけを相互に比較するということでなくて、もう少し生活に根差した内容といいますか、こうしたものがそれぞれ独自にあるのではないかと思いますので、もう少しきめ細かくその辺を見ていくということでございまして、何か機械的な計算であっちがいいこっちがいいとかと取り合いをするというふうなことは、やはり一国の中で行うべきことではないんじゃないかという感じを持っております。
  21. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 安川さんにお尋ねしたいんですが、平成六年度政府予算案が二月十五日に閣議決定され、本来なら昨年の十二月の末に閣議決定されなきゃならない政府案ですけれども、大変おくれて二月十五日に閣議決定され、そして六月二十日のきょうようやく参議院で公聴会を開くことができたわけでございます。予算成立が仮に六月末と仮定しても三カ月おくれております。  景気回復が重要な段階にあるときに、この本予算執行のおくれは大きな影響があると思いますが、そのタイミングというものをかなり失してきたということも感ずるんです。このことについて先生のお考えをお聞きしたいと思います。
  22. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 景気と申しますのは、もちろん経済のいろんなメカニズムが動きまして、それで悪くなったりよくなったり、あるいは悪くなっている中にも均衡を探り回復をしていくわけでございますが、何分にも企業消費者が経済の活動の主体でございますので、やはり予算の成立がおくれますと企業の経営者心理が非常に弱くなってまいります。  そういう点から申し上げましても、やはり予算というのはなるべく早く成立をさせ速やかな執行を図る必要があろうかと思いますが、最近の予算の執行状況あるいは公共事業費の出方などを見ておりますと、昨年度の補正予算の効果でここのところ公共事業が地方を中心かなり出てきております。ですから、昨年度の補正予算に切れ目なく今年度の予算が早く通ってそのお金がスムーズに出るようにぜひ期待したい、このように考えております。
  23. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 今、公共事業が切れ目なく出ることが必要だとおっしゃいましたが、まさにそのとおりだというふうに思います。  ことしに入ってからの景気を見てみますと、一月-三月は国民生産に対する成長率として前期に比べて大体○・八%でしょうか、年に直して三・一%ぐらいの成長だったと思います。四、五、六は、いろいろな速報等が出ておりますが、前期の一月-三月に比べてはかなりダウンする、○・三ぐらいダウンする。そうすると、年率に直して一%ぐらいダウンする。  そういう中で、いわゆる公共投資は昨年の一月の受注額が物すごくふえております。これは三次補正によるものだと思います。四月はかなり三月から見れば落ちてきましたが、まあまあですが、五月がかなり落ち、そして六月は恐らくもう横ばい的になってしまうと思います。公共事業というのは予算が通っても実際受注するには二カ月ぐらいいろいろかかりますから、今通っても恐らく本予算による公共事業の発注を受注するのは八月の末になると思います。そうすると、六月、七月がかなり穴があいてくるんじゃないか。もちろん公共投資だけが景気の牽引車ではございませんけれども、大きなインパクトを与えるものですから、この六月、七月、八月というのは非常に問題ではないかというふうに思います。  先週でしたか、三重野日銀総裁が来て、いわゆる景気は底固めをしたというよりも明るい方に一歩踏み出したかなというような感じだということをにこにこ笑いながらおっしゃいましたが、三、四日前、経済企画庁の事務次官は慎重に見ているというようなことでございまして、私は経済企画庁の慎重の方が恐らく今の時点では正しいんじゃないかと思います。  こういう経済に対する見方等について、先生の御意見をいただければと思います。
  24. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 景気がいつ谷を打って改善方向に向かったかという議論は我々エコノミストの間では口角泡を飛ばして議論をやりますが、企業の経営者の方々あるいは政治を預かる皆様方にとっては余り意味がない面もあるんじゃないかと思います。  と申しますのは、やはり水準が問題でございまして、企業にとりましては、売り上げや収益がどの程度ふえたかということで新たな投資をやり新たな雇用をふやすわけでございまして、それから政治の世界で考えましても、景気がいい方向に向かいましても十分な回復テンポでなければ労働力が全体で見れば余っているわけでございまして、やはり日本経済活力を活用していくためにも、景気の谷はあるいは振り返ってみれば過ぎているかもしれませんが、まだまだ引き続き財政面から景気対策を続けていくべきだ、このように考えております。財政対策を打ったところで、前回のようなバブルなどの心配はまずない、このように考えております。
  25. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) 時間です。
  26. 沓掛哲男

    ○沓掛哲男君 どうもありがとうございました。
  27. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 日本社会党・護憲民主連合の峰崎でございます。きょうは、安川公述人和田公述人、大変御苦労さまでございます。  以下、時間がそれほど多くありませんが、主として税、財政の問題についてお聞きしたいというふうに思います。  最初に、予算あり方の問題で一点だけお聞きしてみたいと思うんですが、従来から日本の公共事業というのは、特に建設省、運輸省、農林省の公共事業の配分比がほとんど変わらない、こういうふうに言われてまいりました。今年度の予算について、安川公述人和田公述人、今年度の予算ではどのようにこの配分比の問題を評価をされているのか、まずお聞き申し上げてみたいと思います。
  28. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 今年度の予算だけではありませんで、二年ほど前からいわゆる生活関連枠とかということでこれまでの生産者重視の経済運営から生活者重視の経済運営と、こういうような方向性が政策段階でも出てきているわけでございますが、その点から考えますと、やはり今年度の予算におきましてもそうした方向性かなり出てきているように思います。しかし、まだまだ不十分ではないかという気がいたします。  それから、私などが拝見をしておりますと、どうも各省庁予算をふやすためにそれぞれが生活関連枠というものを要求いたしまして、結果として余り省庁の配分比も変わっていない、こういうような傾向もあるように思いますので、やはりこうした問題は行政だけに任せるのではなくて、政治のレベルで強力なリーダーシップをとって大きな資源配分の変革をやっていっていただきたい、このように考えております。
  29. 和田八束

    公述人和田八束君) ただいまのお話につきましては、公共投資配分シェアを見直すという方向は示されたわけでありますし、また財政制度審議会などの審議が、これは新聞、雑誌等で報道されたわけでありますけれども、そうしたものについてもその方向というのは出ていたわけでありますけれども、結果的には非常に微々たる改善ということでありまして、それほど特にとりたてて評価すべきところではないと思いますが、一つ問題点としては出たのではないか、こういうふうに見ております。  また今、各省庁、運輸、建設、農水というふうなお話でしたけれども、それぞれの省、例えば建設省の中でも治山治水と道路と住宅というふうな関係で言いますと、やはり見直すべきところがまだまだあるのではないかというふうに思います。
  30. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 今度は、安川公述人にお聞きしたいのですが、政治の出番だと、かねてからよく言われている説に大蔵省の主計局をいわゆる総理直属のといいますか、そういう方向へ変えたらどうだというふうな意見がございますが、この点について安川公述人はどのようにお考えでしょうか。
  31. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 私は、その点につきましては全く不勉強でございまして、今直ちにはちょっとお答えが難しいので、お答えは控えさせていただきたいと思います。
  32. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 これはまさに我々政治家のいわゆる政治改革課題かと思っておりますので、またぜひとも力をつけていきたいと思います。  さて、先ほど来福祉ビジョンの問題が出されておりますが、我々日本社会党は、安心して暮らせるような生活をしていくためには将来きちっとした高福祉というものを実現すべきだ、そのために必要な財源というのはやはりきちんと対応すべきだということで考えているわけですが、今回の厚生省の福祉ビジョン、これは適正福祉適正負担と、こういうふうに言われています。中には、いやいや、もう福祉というのは自助努力中心にしていけばいいんであって、低福祉負担と、こういう意見もあるわけでございますが、これは安川公述人和田公述人お二人に、そういった福祉ビジョンといいますか、福祉社会の将来像についてどのような見解をお持ちになっているのか、まずお聞きしておきたいと思います。
  33. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 厚生省の二十一世紀福祉ビジョンは私も拝見をしておりますけれども、私の公述の中にもございましたように、あの中でも、ある程度は高齢者の比率がふえてしまう、あるいは年金制度が成熟化する、これだけで社会保障費がふえてしまう、こういう要素がございます。  ですから、これは言ってみれば、財政で言いますと当然増経費にも当たるわけでございまして、それと、水準を上げていく、例えば寝たきり老人の問題がございますので、こうした高齢者の福祉政策をあとどう拡充していこうかと、両方の面があると思うんです。やはりこれは高負担にならざるを得ないんですけれども、結局は、その利益を受ける側で負担をする側があるわけですから、やはりここはお互いに、具体的なこういう福祉施策をやるとこれだけの財源が必要である、そうした積み上げをやり、それからそこまでやる必要があるのかどうか、こういった議論をやって、そのための福祉を賄う財源社会保険料で賄うのか税金で賄うのか、税金の場合にはどうすればいいのか、あるいは現在の年金制度にやや改善の余地はないのかどうか、この辺の議論をしていく必要があると思います。  それから、政治のレベルでぜひお願いしたいことは、今後も福祉社会を目指すのであれば、負担を伴うということと財政の現状というものを正しく国民に示していただきまして、国民の前向きの議論を引き出していただくようにぜひお願いしたい、このように考えております。
  34. 和田八束

    公述人和田八束君) 私は福祉問題についてプロパーということではございませんので、余り福祉ビジョンを見てその内容について十分に問題を指摘できるというふうな準備はありませんが、内容的に言いますと、年金と医療というのは従来からの課題でありましたが、それに加えて、介護といいますか、そうした面について非常に大きなウエートが出てきたということでありまして、これは当然のことだろうと思います。  そうしたものを財政税制の上でどういうふうに処理していくのかというのは、今もお話しございましたように、税と社会保険料との負担関係ということと、それから国と地方の分担関係ということと、それから公的な問題と、それから個人的な自助努力といいますか、そうした問題でありまして、それをどういうふうに組み合わせていくのかということについては、もう少しコンセンサスを得るということが必要ではないかというふうに思います。  そのうちでも、年金につきましては、私は日本社会ではある程度一定の水準の所得保障がなされてきたというふうに思いますが、将来ということを考えますとなかなか将来の年金制度の維持ということに難しい問題があるわけでありまして、私は、例えば消費税の一定割合を目的税化して基礎年金に充てるというふうな提案が最近しばしばなされていますけれども、これらは十分に傾聴に値することであるというふうに考えております。  また、医療保険と介護保険とを統合していくというふうなことは、特に高齢者の方は今一番介護というふうなことについての心配が大きくなってきておるときでありますので、この辺に抜本的な改革が必要ではないかと思います。
  35. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 和田公述人から私が次に聞こうと思った点について実はもう答弁が出たんですが、実は現在、国民負担率は三八・五%ぐらいまでいっています、これは税と社会保険料なんですけれども、実は私ども社会党の立場からしますと、社会保険の掛金でございますが、特にこの社会保険の掛金は極めて逆進性が強い。  調べてみますと、この基礎年金、これは国民年金であれ厚生年金であれ各種年金のいわゆる一階建て部分に該当するものでございますが、この国民年金第一号被保険者の加入実態を我々自身が推計してみますと、未加入者、加入適用漏れの方が我々の試算では三百三十七万人、免除者二百十六万人、未納者二百二十二万人、とにかく全体で国民年金第一号被保険者の加入すべき人員が二千万人いるうちの実際に払っている人たちは六二・三%。  逆進性である。つまり、所得が高いか低いかにかかわらず、国民年金の掛金の比率というのは一万一千百円という非常に低い金額でございます。そういった意味で、本当にある意味では逆進性が非常に強いというふうに思っておりまして、私たちは、基礎年金の部分で今現在国費が三分の一出されているんですが、当面二分の一、将来は全額この基礎年金について税で負担したらどうだろうかと、こういうふうに考えているんですが、安川公述人、この点についてはいかがでございましょうか。
  36. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 国庫負担率の引き上げにつきましては、年金負担を勤労所得以外にも広く求めていく、そういう意味では私はある程度評価できると思います。しかし、財源消費税に求めるのか、あるいは資産課税に求めるのか、こうしたことによっても効果は違いますが、やはり負担あり方議論なしには一概に判断できないというのが私の考えでございます。
  37. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 次に、それでは減税の性格についてちょっとお聞きしてみたいと思います。  今年度総額六・二兆円、うち所得税住民税減税は五・五兆円なんですが、これは景気が大変不況の状態だということで景気の回復のために進めてきた。  そうすると、最近私どもの支持組織の連合という労働組合の内部にも、こういう減税がされても自分たちに減税の恩典がない。今年度は御存じのように二〇%のいわゆる戻し税といいますか、上限はもちろんございますけれども、そうすると税を払っていない人は実は入ってこない。しかし、その分を三年後に消費税で、一説によれば七%とか一〇%とかいう大蔵省の機械的試算が出ていますけれども、そういうことが短絡的に入ってまいりますと、景気を回復するために減税をしたけれども、その恩典は自分たちに直接は来ない。しかし、消費税で薄く広くといいますか、必ず自分たちにもかかってくる。これでは減税をしてもらわない方がかえってよかったんではないのかということが一番減税を望んでいた労働組合の関係者の中から、これは全部とは申し上げませんが、出ているんですが、この点についてはいかがでございましょうか。  これはお二人の公述人から、ちょっと今年度の減税の性格とその評価についてお聞きしてみたいと思うんです。
  38. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 今回の減税、特に所得税減税住民税減税に限りますと、そもそも出てまいりました議論が、景気対策として公共事業などを増額してまいりましたけれどもこれだけではなかなか効果がない、したがって減税をというような議論になったわけでございますが、一方で財政に余裕があるわけじゃありませんので、この減税をやる際に、短期的には減税を先行しても後でその減税分の手当てをどうするかということで、いわゆる見直しの論議が盛んでございまして、この議論はやはり負担あり方とかそういった問題ではなくて、まずはマクロ、景気政策の観点から考えるべきではないかというのがまず第一点でございます。  その点を考えますと、個人消費が今回の平成不況の中で非常に不振を続けてまいりましたけれども、特に消費不振の原因の中で、昨年の初めごろからは所得が伸びてないことが消費の不振につながっている面が非常に強くなっておりましたので、その点からいきましても、今月から行われます所得税、住民税の特別減税景気刺激かなりの効果があるだろうというぐあいに考えております。  ちなみに、私ども試算をしてまいりましたところは、この六、七、それから八に若干わたりますけれども、この期間に行われます減税分のうち、仮に低く押さえて三割程度消費に回るといたしましても、この七-九月期中の日本の全体の消費を名目値で前年比一・三%引き上げまして、名目GDPも○・七%上がる。非常に大きな効果があるというぐあいに考えております。減税が戻ってこないといったような面があると思いますが、これは一律減税である以上、納めた税金が戻ってくるという仕組みで減税をやっている以上、これはやむを得ないんじゃないかというぐあいに考えております。
  39. 和田八束

    公述人和田八束君) 後の方につきましては私も今の安川さんと同意見でございまして、減税の仕方ということにもなってまいりますし、どうしても若年層につきましては所得総額が少ないので納税額も少ないわけでありますので、マクロ的な減税というものと、それからそういう個人の一人一人の減税実感というものとのずれというのはやむを得ないところではないか、こういうふうに思います。  ただ、全体としての減税ですが、所得税減税で五・五兆円というのはどういうふうに見るかあれといたしましても、私は当初からの期待で言いますと十兆円程度の大幅減税が必要ではないか、こういうふうに考えておりましたし、またその程度減税が行われるならばかなり経済効果があるという試算もなされていたわけでありますので、もう少し大幅な減税であってもよかった、こういうふうに思います。
  40. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 それでは、個々の税目を少しお聞きしてみたいと思うんですが、安川公述人にお聞きしたいと思うんですが、所得税について、先ほどお聞きしておりますと、累進性が非常にきつくなる。私どもも、確かに累進課税制というものが入っているということについては当然だというふうに思っているんですが、これについては現段階において緩和すべきだというふうにお考えなんでしょうか。  私ども社会党としては、一応、所得税、国税では五〇%、自治体の住民税では一五%というのは堅持すべきだろう、そして税率のブラケットが非常に狭まっているところを八百万円から一千二百万円ぐらいのブラケットに広げればいいんではないか、こういう考え方を持っているのでございますが、その点ほどのようにお考えでしょうか。
  41. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 国税合わせて六五%と申しますと最高税率お話じゃないかと思いますが、基本的な方向としましては、国際比較をしてまいりました場合にはやはり日本の最高税率が高いという要素がございますので、これはどう考えるかというと、私も実は今のところこの点につきましては明確な意見を持っておりません。  しかし、よく言われますように、中堅所得層、七百万から一千万、このクラスの所得の人につきましては急に累進カーブがきつくなるということでございますので、減税をやる場合にはこの層の負担を軽くする方向で、やはり累進カーブをなだらかにする方向減税すべきでないか、このように考えております。
  42. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 同じくまた安川公述人にお尋ねしたいんですが、昨年の十一月の政府税調の中期答申の中で、所得資産消費バランスの問題が出されましたけれども、私ども所得税というのはやはり基幹税であるべきだというふうに考えております。  そのバランスというのがなかなか言い得て妙なのでございますが、人によっては所得税というものは累進性が効いてくるとやる気を失わせる、その意味では活力ある、例えばやる気のある人間が本当に個性的な生き方ができるように、むしろ間接税、消費税を重視して十兆円ぐらいの所得税減税をやって、そのかわり消費税は一〇%ほど上げる、そういうふうに間接税を中心に移行すべきだというような見解があるのでございますが、この点について安川公述人はどのような見解を持っておられますか。
  43. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 税調の答申にございます所得消費資産バランスというのは、これは例えば福祉水準がどの程度が妥当かという論議と全く同じ論議でございましで、どの程度が一番最適な組み合わせかというのは、これはなかなかだれもわかりようがないという気がいたします。  所得税消費税資産課税、相続税、それぞれ一長一短、あるいはそれぞれの機能があるわけでございますので、やはりその機能に照らしてある程度は試行錯誤はやむを得ないと思いますけれども、これの組み合わせをやっていきまして、何か不都合が出てくればその中で考えていくということがやはり方向としては大事じゃないかというぐあいに考えております。
  44. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 今度はお二人にお聞きしたいんですが、消費税、まあ非常に焦点になっている税目なんですが、その中で私たちがいつも地方に行って困るのは、これはやはり益税が出るじゃないかというふうに言われて、先日も予算委員会で大蔵省の主税局長からは、約○・五兆円、五千億円ぐらいは益税が出ているということを、例の三点セット、簡易課税限界控除そして免税点、この三つで出ているということなんですが、どのぐらいあるというふうにお考えでしょうか、安川公述人及び和田公述人、それぞれお願いしたいと思います。
  45. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 益税がどのぐらいあるかというのは非常に難しいと思うんですが、これはいろんなところで試算が出ております。ある大学では〇・七兆円というような試算を出しておられますが、私どもでは国民経済計算からマクロ的に計算をしてまいりますと、ほぼ一兆円ではないか、このような見方をしております。  見方によりましては、これが五千億円に減りましたりあるいは一兆円を超える益税があるというような試算をしているところもございますけれども、現実問題としまして、こうした益税発生してこの分の幾ばくかは課税漏れなっているという点が問題であると同時に、益税の金額の多い少ないとは別に、消費者が益税発生している、こうした疑いを持つこと自体が問題だと思いますので、やはり益税発生を極力抑えるような制度見直しが必要だというぐあいに考えております。
  46. 和田八束

    公述人和田八束君) 私はよくわかりません。もともと益税というのはどういうものなのかということについても私はよくわかりません。  定義的に、何といいますか、消費者が払った税が納税されていないというんですが、しかし、納税義務者というのは事業者でありまして消費者ではないわけであります。消費者と納税義務者である事業者との関係というのは市場における価格関係でありまして、転嫁帰着関係というのはその市場の状況によって変わってくるわけでありまして、経済理論的には両方に転嫁帰着が行われるということでありますので、あえて益税ということで言えば、事業者においても益税が出てくると同様に消費者においても益税が出てくるわけでありまして、内税であれ外税であれ、ある価格の商品において消費税分が一体どれだけなのか、本来の価格はどれぐらいであってその消費税分はどれくらいであるかということは、これは全く価格現象として市場ではあらわれるわけでありますので、消費者が支払うというふうなことは一体何を意味しているのか、この辺はちょっとよくわからないわけであります。  逆進性ということもよく言われるわけでありますけれども、これも同じことでありまして、その議論というのは、しばしば家計調査などによる消費支出に一定率を掛けて出てくるわけでありますけれども、それが真実の消費税なのかどうかということがわからないわけでありまして、その上で益税が幾らとか逆進性の程度がどれぐらいであるかというふうな議論というのは余り正確には出てこないんじゃかと思います。
  47. 峰崎直樹

    峰崎直樹君 時間が来ましたので終わります。ありがとうございました。
  48. 笹野貞子

    笹野貞子君 新緑風会の笹野と申します。  きょうは、安川公述人和田公述人、大変ありがとうございました。十分参考になりました。  そこで、質問をさせていただきたいというふうに思います。  お二人の書かれた論文やエッセイを読ませていただきまして、全くそのとおりだと思うところが十分あるんですけれども、先ほどのお話の中で安川公述人は、増税をする場合にはやっぱり行政改革をしなきゃいけない、思い切った行政改革歳出の削減をしなきゃいけないと。その例といたしまして、教育費などは子供が少なくなるからこれは思い切ってした方がいいという御発言がありました。その部分だけ聞いておりますと、確かに子供が少なくなっているんですけれどもアメリカの二十人学級なんということを思うと、そうかなと思いながら聞いておりました。  そこで、子供が少なくなる、だからそれに財源を使わなくてもいいとおっしゃる反面、それではこの少子化現象、子供を産まなくなるという現象に対して財政措置というのはとらなくてもいいものかどうかということをちょっと考えたんですけれども安川公述人にお聞きしたいと思います。
  49. 安川龍男

    公述人安川龍男君) これは高齢化の裏返しとして少子化が進んでおりますので、その面からを考えますと、教育予算とて聖域にすべきでないというのが私の考え方でございます。  確かに教育というのは非常に大事なテーマでございますし個々の家庭においても非常に大事なテーマなんですが、むしろ今起こっていることは、少子化の結果子供が減ってくる。今、たしか平均的な世帯では三・三人ぐらいですから、ほとんどが長男長女しかいないというような世帯構成になっていると思いますが、ある面では子供が長男か長女しかいないのでこれに十分な教育をしてやりたい、こういうような発想になっていると思います。ですから、教育水準と少子化というのはむしろ別問題。  逆に言いますと、見方によりましては教育水準が高くなってきて晩婚化現象が起きたり、あるいは女子の経済力が備わってきたことによって少子化が起きているというようなことも言われておりますので、私は教育水準と少子化というのは一概に関係があるかどうかはよくわかりません。  むしろ問題は、今後、高齢化社会を控えましてお年寄りの年金あるいは介護といった費用がふえてくるわけでございまして、この費用負担するために女子がもっともっと社会参画をしてより働き手をふやして、こうした高齢化社会を支える役割をぜひ果たしてもらいたいとは思いますけれども、そのためには、やはり育児休業制度とかそうした女性が安心して子供を産めるような制度の拡充整備は大事なことじゃないか、このように思っております。
  50. 笹野貞子

    笹野貞子君 確かに教育水準と少子化の問題は違いますけれども、しかし、高齢化社会に対するいろいろな問題点はやっぱり人口のバランスというのが非常に重大になってくるわけですから、そういう点でも私たちは女性が安心して子供が産めて育てられるようなそういう財政的なものが必要だというふうに思っておりますので、どうぞまた安川公述人にもそのために御協力、御努力をお願いいたします。  続きましては和田公述人にお聞きいたしたいんですけれども、先生はお書きになっている論文の中でも消費税のことに随分力を入れてお書きになっておりますので、消費税のことについてお聞きをしたいと思うんです。  先ほども消費税政治的に決着がついた、そしてもし税率をアップするんだったら二%ぐらいがいいというふうにおっしゃいました。しかし、二%アップするためには消費税が今持っている欠陥を是正しなければいけないというのがありましたけれども消費税が持っている欠陥というのはどのような部分であり、それを是正するためにはどのような先生の御意見があるのか、お聞かせください。
  51. 和田八束

    公述人和田八束君) 欠陥といいますか、消費税というのがもともと当時のEC型の付加価値税をモデルといいますか範にとって導入したということでございます。    〔委員長退席、理事久世公堯君着席〕  そもそもこのEC型の付加価値税というのは、歴史をたどれば日本でも行われた取引高税とか売上税とかいうふうなものであったり、あるいは各国においても個別消費税ども行われていた。我が国においても、間接税制としては物品税等の個別消費税体系であったというふうないろいろな歴史がございます。やはり間接税というのはいろいろ制度的にも多様でありますし、それから、いろいろな課税対象につきましても生活必需品でありますとかそうした点に重課されるというふうな問題点もありましたし、それから税務行政上十分にきちんとできるのかどうか、そういうふうな問題があったわけであります。  そういったいろんな諸問題をクリアしてできたのが付加価値税ということでございます。付加価値税制というのは、結局のところ、基本的にはインボイスというふうなものを導入いたしまして、そしてそれによって各取引段階ごとに前段階の税額を控除していくというふうな制度であるとともに、言ってみれば脱税者が損をする、脱税者が得をするんじゃなくて損をするという、こういう巧妙な仕掛けになっているというところで発達してEC諸国でも採用されるようになったわけであります。  我が国でもそうした点を範にとったわけでありますけれども、残念ながら帳簿方式という形でかなりラフな形で行われたということで、こういう取引の複雑な状況のもとで帳簿方式ではやっぱり付加価値税のメリットというものを発揮することができない、そして先ほどもお話のありました益税等の疑問というものを消費者なり事業者にも持たせるというふうなことになってまいりますので、したがいましてインボイスを導入するということが一番の欠陥是正であろう、こういうふうに私は思っております。  その他、やや事業者といいますか納税者の賛同を得るために特例措置などをかなり大幅に導入したということがございますので、簡易課税でありますとか免税点とか、こういうものはちょっとやっぱりその当時やり過ぎたなという感じがいたしますので、その辺はもう少し縮小していくということが第二の問題点であると思います。
  52. 笹野貞子

    笹野貞子君 先生のお書きになったものの中でも、今のお話でもそうですけれども、物品税のお話がちょっと出ました。  消費税のことを振り返りますと、私たち参議院では消費税の廃止法案が通りまして、衆議院の方に行きました。そのとき衆議院は見直し法案というのを出しまして、食料品の非課税という法案をっくりましたけれども、廃案になったことがありました。    〔理事久世公堯君退席、委員長着席〕  それで、お二人に聞きたいんですけれども、結局この複数税率、先ほど和田公述人は慎重であるべきだという御発言をなさいましたけれども、この複数税率、特に食料品に対して非課税にするというこの考え方に対してお聞きしたいと思います。
  53. 安川龍男

    公述人安川龍男君) いわゆる消費税の複数税率化につきましては、税率が低い間は基本的に必要がないだろう、私はこのように考えております。  と申しますのは、そもそもこの商品は軽減する必要があるのかどうか、あるいは非課税の対象になるのかという線引きが容易ではないということと、税制度が非常に複雑になりまして納税事務負担が重くなってまいりますし、脱税しやすくなるという要素もございますので、仮の話でございますが、税率が一〇%未満であれば基本的には必要ないだろうというふうに考えております。  現にヨーロッパの付加価値税率などを見てまいりますと、確かに軽減税率を入れてはございますが、この場合の付加価値税率そのものが一五からあるいは二五、こういったような段階でございますし、それから軽減税率も五・五%、一二、いろいろございますが、九二年十月のEC指令では軽減をするにしても五%以上、こういうような形になっております。
  54. 和田八束

    公述人和田八束君) 簡単に申し上げますけれども、今の安川さんと同じことでありまして、複数税率を否定するわけではないんですけれども、まあ三%や五%水準ではどうかなということでございます。  それから非課税につきましては、現在、教育と家賃が非課税になっておりまして、これはやはりいろいろそうした点に配慮しているというのは大変結構なことだろうと思います。それをなお食料品にまで拡大して、食料品についても非課税にするということは、これは政治的あるいは我々の生活信条からいいましても望むところなんですけれども、しかし教育と家賃に比べますとその範囲とかそれから流通経路とか非常に複雑でありますし、それから生産者たる農家の人たちも多いわけでありまして、その非課税という措置はちょっとどうかと。あえてするならば、前回の見直しのように軽減税率一・五とかいうふうなことにすれば税額控除の対象になるわけですからまだしもいいのではないかというふうに思いますので、そういう点からいって十分に検討すべき問題だろうと思います。
  55. 笹野貞子

    笹野貞子君 ありがとうございました。
  56. 牛嶋正

    牛嶋正君 公明党・国民会議牛嶋でございます。非常に限られた時間でございますので、早速質問に入りたいと思います。できるだけ公平に時間を使いたいと思いますので、まず最初にお二人に一問ずつお尋ねをしたいと思います。  安川公述人に対しましては、先ほどの御意見は私の考え方に非常に近いもので、非常に示唆に富んだ御意見を賜ったことをまず感謝させていただきます。  その中で、公述人は、国民が二十一世紀に建設する長寿社会、どういうふうな長寿社会をつくっていくかということを判断するために国はもっとその判断材料を提供しなければならないということをおっしゃいました。私もそうだと思います。  ただ、その場合、国から出てくるその情報というのはどうしても数字が多いわけでございます。国民一人一人にしてみますと、自分が高齢者になったときに実際にどういう毎日の生活ができるのかということを知りたいわけでございます。毎日の生活の心配をしなくていいのか、あるいは病気になった場合にきちっとした治療を受け、看護サービスを受けることができるのかということが気になるわけでございます。  ですから、情報提供当たりましては、ただ数字だけを提供するだけじゃなくて、そういった具体的な情報も提供しなければならないと思いますけれども、その点についてちょっと御意見をお聞きしたいと思います。
  57. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 確かに、具体的な福祉の内容、例えば何年ごろには平均どれくらいの年金がもらえるのか、あるいは例えば寝たきり老人になった場合にどのような介護を、あるいは費用が受けられるのか、こういう点は大事なことなんです。やっぱり数字でもってその福祉の水準なりあるいは福祉の内容を裏づける、こういう観点からは私はやはり数字の開示というのは必要だと思います。  今、年金問題が世の中の大きな関心事になっておりますので、私どももいろいろと分析をやっております。しかし、これは我々の力不足が原因の大半だと思いますけれども、我々のような数字をしょっちゅう分析しております人間にとりましても、なかなか年金あるいは財政の仕組みや中身、これがわかりづろうございまして、やはりこれから我々民間もいろいろと議論を提起し、国民的な議論を高めていきたいと思いますけれども、ぜひ政府行政におかれましても、なるべく情報開示に努められまして、ぜひ前向きな議論を今後ともやっていただきたい、このように考えております。
  58. 牛嶋正

    牛嶋正君 和田公述人に対しましては、先ほど、最近国の財政状況かなり不透明になってきたというふうなお話があって、できるだけディスクロージャーを進めなきゃいけないと。そうでないと、納税者としての国民は自分たちが負担した税金が何に使われているかということが非常に不明確で、それが今度はまた負担感を募らせているというお話。これはもっともだと思うんですけれども、その不透明にしている最も大きな要因といたしましては、全体的に税収不足でどうしてもやりくりをしなければならない、国債の方もとうとう二百兆を超える残高になってしまいました、こういうふうに考えますと、私はこれから財政状況をディスクロージャーしていくためのポイントとしましては、公債管理政策が最も大きな問題になってくるのではないかと思うんです。  そこで、和田公述人にお尋ねしますけれども、今後公債管理政策の目標をどこに定めてどのような管理をしていったらいいのか、これについて御意見を賜りたいと思います。
  59. 和田八束

    公述人和田八束君) 牛嶋委員は私の財政学の先輩でございまして、いろいろ御著書などで教えられるところが多いわけで、本日御質問をいただきまして大変光栄なわけですが、大変難しい話でなになんですが、管理政策ということになりますと、非常に範囲も広くて難しいんですが、国債一つの目安といいますか、そういうものとして国債費の支出に対する割合、つまり公債費比率とかあるいは歳入に占める国債費の割合とかというふうなものがしばしば普通目標になっておりまして、大蔵省が出している財政の見通しというふうなものも、そうした歳入に占める割合、こうしたものを一つの基準にしていたようなんですけれども、しかし国際的な観点でいいますと、国際的というか対外的な見地からいいますと、やはりGDPないしはGNPに占める国債残高というふうなことがマクロ経済的にいっても一つの目安になるのではないかと思うんですね。  そういう点で言いますと、これまでの流れを見てみますと、やはりかなり変化があるわけでありまして、それがある意味では財政政策とかなり関連しているというふうなことです。八〇年代で見てみますと、公債残高のGNPに対する比率は次第に上昇をしてきまして四〇%を超えているんですが、その後平成に入りましてから低下してきているということです。  これはバブル経済というふうなこともあるわけですけれども、やっぱり経済実態との関係というのは非常に重視されなければならないわけでありまして、いたずらに公債発行額を抑制して財政を圧縮するというだけでは問題が済まないんじゃないかと思いますので、そうしたところが管理政策といいますか公債政策の目安としてもっと重視されるべきではないかということだけ申し上げさせていただきます。
  60. 牛嶋正

    牛嶋正君 どうもありがとうございました。
  61. 吉川春子

    吉川春子君 日本共産党の吉川春子です。よろしくお願いいたします。  安川公述人は、高齢化社会到来社会保障負担が重くなるので、公務員労働者の数は減らせ、農業保護の予算は過大だ、児童減少に伴って教育予算も減らせと、一方、法人税はもっと下げて産業空洞化を防ぐということをおっしゃいましたけれども、これは国民に大変大きな負担を強いるものであると私は思うわけです。  それで、伺いますが、二十歳から六十四歳年齢の国民が減少するために、社会保障負担率が現在六・三%が二〇二〇年には一五・五%になる、倍増すると言われましたが、人口が高齢化することは社会保障のコストがふえる、これは紛れもない事実だと私も思うわけです。労働人口はどうかといいますと、これは女子とか高年齢者を中心にふえていくことが予想されますし、それから労働人口と非労働人口の比率は現在でも二〇二〇年でも変わらないということは統計上でも明らかで、大蔵大臣もこれは衆議院ではっきりお認めになっているわけです。今、政策として行われなくてはならないことは、女子の正社員の給料が男性の五〇%程度という、こういう状況をなくしていって、また、中高年齢者の給料の頭打ちあるいは引き下げ等、年齢による差別とも思われるようなことが今大変横行しているんですけれども、こういうようなことをなくしていくことが社会保障費確保の点から考えても重要ではないんでしょうかということが第一点です。  それから、時間がないのでもう一点続けて伺いますが、産業空洞化について。東南アジアなど、日本と比べて人件費が何十分の一、こういう安い水準を求めて企業が海外に進出していく、こういうことにこそ歯どめをかけるべきではないかと思います。  その二点、安川公述人にお願いします。
  62. 安川龍男

    公述人安川龍男君) 歳出見直しの中で、例えばということで農業関係予算とか教育予算を聖域視すべきでないというぐあいに申し上げましたが、これは高齢化のためにそちらに優先的に金を使うのであれば、やはり財源が乏しい中では見直しが必要であるということでございまして、財政に余裕があればもちろんいろんな予算をふやせればそれにこしたことはありませんので、この点は私の真意といたしますところをぜひ御理解願いたいと思います。  それから、高齢化の問題というのは、日本におきましては例えば二〇二五年に二五%、四人に一人が六十五歳以上になる。あるいは最近の推計では二〇四五年がピークだという話がございますけれども、あくまでも過渡期の問題でございまして、急速に高齢化比率が高まる、到達する水準とテンポの両面で日本高齢化は世界に例がない、こういう問題がございまして、この問題に対応するためにいろんな方策があるわけでございます。  確かに、おっしゃるように女子の就業の拡大あるいは高齢者の就業の拡大というのは大事でございまして、これをやはり政策的な手当てをやって女子や高齢者の就業がふえるような、こういうような政策誘導が必要だと私も考えます。それと同時に、企業も目先は労働力が余りますけれども、長い目で見れば今度は労働力が減少に向かいますので、企業側もそれぞれ今度は女子の採用の拡大とかあるいは高齢者の雇用の延長とかそういったものに努力していくだろうと、このように考えております。  それから、空洞化の問題につきましては、非常に難しい問題でございましてこれだけで一時間かかると思うんですが、企業にとりましては、円高などの結果競争力を失った、競争力を取り戻すためにアジアなどに出ていかざるを得ない、これは企業にとりましては非常に合理的な行動でございます。  問題は、企業のこうした合理的な行動と国とがしょせん利害が対立する面があるということでございますので、海外に出ていくというような面を政治の力でなかなか押し戻すことは難しゅうございまして、むしろいわば加工技術の低いレベルのものはやはりアジアなどに移していきまして、そこの国の経済を高めて、日本も言ってみれば共存共栄、プラスサムの世界へ持っていく、日本はもっと技術レベルの高い商品をつくることによって産業が発展し国民生活が豊かになっていく、そのための技術開発とかそういったような企業の努力を国がなるべく費用をかけない範囲内で助けていくべきじゃないか、このように考えております。
  63. 吉川春子

    吉川春子君 ありがとうございました。
  64. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言お礼申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。(拍手)  午後一時まで公聴会を休憩いたします。    午前十一時五十八分休憩      ―――――・―――――    午後一時一分開会
  65. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  平成六年度一般会計予算平成六年度特別会計予算及び平成六年度政府関係機関予算につきまして、休憩前に引き続き、四名の公述人方々から項目別に御意見を伺います。  まず初めに、二名の公述人にお願いいたします。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。  本日は、平成六年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、外交・国際問題につきまして順次御意見をお述べ願います。  まず、阪中友久公述人からお願いいたします。阪中公述人
  66. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) 御紹介いただきました青山学院大学で教えております阪中でございます。  本日は、参議院予算委員会の公聴会で意見を述べる機会を与えられましたことを光栄に存じます。  私は、国際関係、中でも安全保障政策の分野に関心を持っておりますので、その観点から最近の国際情勢についての意見を述べさせていただきたいと存じます。  過去数年間の国際関係を観察して国際関係の研究者の間でコンセンサスとなっておりますことは、冷戦後の世界で安定し平和な世界秩序を構築することや、安定した国際システムを建設することは極めて難しいという認識だと存じます。冷戦後に見られた世界新秩序建設といった楽観的雰囲気は全く姿を消したように思います。そのことは、アジア・太平洋地域にも当てはまると思います。  私たちは、過去数週間にわたって、朝鮮民主主義人民共和国の核疑惑とそれをめぐる国連安全保障理事会を舞台にした北朝鮮制裁をめぐる動きを息をのむような思いで見てまいりました。言うまでもなく、北朝鮮の事態は我々の安全保障と直接関係するものであります。平和の維持と安定には国際協力が必要で、そのためには政治的コストを支払うことを覚悟しなければならないことも広く認識されたように思います。  最近、カーター元米大統領のピョンヤン訪問、金日成主席との会談によって米国と北朝鮮並びに南北朝鮮の対話の動きが見えてまいりましたが、それが全面的な対話に発展するのか、あるいは再び対立に逆転するのか、予断を許さないものがあります。  実は私は、昨年三月、当予算委員会にお招きを受けて公述をいたしました。その際、冷戦終結後の歴史的転換に際して我が国がどのような構想を持って世界の秩序の建設に参加していくか、つまり未来へ向けて我が国の役割が重要になってきているとの認識を持っておりました。過去一年間に発生したことを見ておりますと、将来への展望をいかに描くかというよりも、むしろ現実の切迫した困難をどう乗り切っていくかの方が重要と思われるほど国際環境は深刻化しているように思います。  去る五月に発表されました国際戦略研究所の「ストラテジック・サーべイ 一九九四年」では、世界の戦略状況を戦略的関節炎、英語で申しますとストラテジック・アースライティスというような表現を使って述べております。冷戦期を支えてまいりました平和維持の骨格が老朽化、つまり金属疲労を起こして平和の維持が難しくなり、世界の至るところで破壊、殺りく、流血が続いているという意味であります。北朝鮮の核疑惑もその一つであると思われます。  ここ数年間の北朝鮮の態度を振り返ってみますと、国際原子力機関IAEAの査察を巧みにごまかして核武装へ向かおうとしているのではないかと疑われても仕方のないものがあります。  北朝鮮が旧ソ連の原子力発電の技術提供の代償として、核拡散防止条約、NPT条約に加盟したのは一九八五年のことでありました。二年以内に締約を義務づけられておりますIAEAの保障協定締結を引き延ばし、それを批准したのは一九九二年一月でございました。IAEAは九三年五月から六回にわたって核査察を行いましたが、核開発の疑惑は消えませんでした。アメリカの偵察衛星によって北朝鮮の二つの施設の特別査察を認めるよう要求いたしましたが、北朝鮮はこれを拒否し、三月にはNPT条約を脱退すると声明いたしました。こうした経緯を見れば、北朝鮮が査察をかいくぐって核兵器開発を続けているのではないかとの疑いを持たれても仕方がないと存じます。  万一、北朝鮮が核武装いたしますと、第一に東アジアの平和は政治的、軍事的両面で大きな衝撃を受け、複雑な影響を受けることが予想されます。戦略的に言えば、数発の初歩的な核兵器を深刻な脅威としてとらえるべきかどうかは議論があります。しかし、北朝鮮がもし核武装をすれば、その核保有を背景に政治的なてことして使用してくることが予想されます。そうなりますと、三十八度線を挟む南北朝鮮間の緊張が増大することは間違いありません。我が国はもちろん、アメリカ、中国、ロシアにとっても深刻な脅威になると思います。  それにとどまらず、第二には、核時代の平和と安定のための重要な柱であった核拡散防止条約体制、NPT体制への挑戦の意味をも持っております。もし北朝鮮が核兵器保有へと進みますと、核兵器保有に対する心理的な障壁を突き崩し、世界の核兵器保有国は一挙にふえるかもしれません。  北朝鮮の核疑惑は、冷戦時代につくられたアメリカ、旧ソ連を中核とした核拡散防止体制が老朽化し、第三世界の諸国の核開発のコントロールが困難になったことを意味しているように思います。といって、NPT条約にかわる体制は現在存在いたしません。この体制を維持しながら、新しい事態に対応できる核兵器拡散防止の体制を模索するしか方法はないと存じます。  北朝鮮の核開発が何を意図しているかについては、いろんな推測ができます。しかしながら、北朝鮮がIAEAの要求する査察に応じない場合、国際連合の安保理事会による制裁という措置も予想されます。私は、北朝鮮の意図の分析も重要ですけれども、もっと重要なことは、我が国として北朝鮮の核保有阻止にどのような政策をとるのか、また国連安保理による制裁が決定された場合どのように対応するのか、また安全を脅かす危機的状況が生まれた場合どのように対処するのかなと、危機管理の体制をどう整えるかの検討がもっと重要であると思います。こうした対策の準備があって初めて我が国は柔軟な対応ができると思います。  危機になってからの対策の検討は冷静さを欠きやすいし、また危機になってからの重要な政策変更は相手の対応をエスカレートさせ、危険な状況をつくりかねません。平和なときに危機管理について論議を深めておくことが極めて重要であると考えます。  北朝鮮の核疑惑への対応は目下の焦点ですけれども、私は長期的な視点から我が国の安全保障政策について意見を述べさせていただきたいと存じます。  最初に申し上げたいことは、冷戦終結後の現在が、我が国の安全保障政策について国民基盤を構築するチャンスをつくり上げているということであります。東西冷戦時代、我が国の安全保障政策は、ソ連の拡張主義的政策に対して西側の一員としていかに対応するかを焦点にしてまいりました。このため、国内的には西側の一員として国際社会の平和と安全への貢献を重視する勢力とこれに反対する勢力に二分されてまいりました。  冷戦の終結とそれに続くソ連の解体は、我が国が戦後の国際的、国内環境の拘束から解放されたことを意味いたします。我が国は今、これからの安全保障政策を国民的規模で見直し国民コンセンサスを形成するのにふさわしい国際的、国内環境の中に置かれていると言えます。政府・与党が主要政策について自民党政権の政策の継続を確認したことは、こうしたコンセンサス形成への第一歩であり、歓迎したいと存じます。  我が国の安全保障は、我が国の安全と周辺地域の安全を確保すれば済む問題ではありません。世界の相互依存関係増大の中で、世界の平和と安定は我が国の安全に直結いたしております。冷戦後の我が国の安全保障は、我が国の安全は世界の平和と安全に直結しているとの認識のもとに、その貢献を視野に入れた政策を構築することが必要であると思います。  冷戦時代の我が国の安全保障政策は、日米安保体制と自衛隊を中軸にしたものでありました。これからの国際環境は、冷戦時代の双極的な対立と異なって、もっと不確実かつ複雑になることが予想されます。経済の相互依存関係増大、欧州連合から多国籍企業に至るまで、国家を超えた国際政治上のアクターも登場しております。第三世界を中心にした民族・宗教・国境紛争、政治的安定性の欠如から生まれる紛争、資源をめぐる紛争、さらにテロ、サボタージュなど紛争のレベルは低いかもしれませんが多様な脅威の発生が想定されます。  冷戦期の国際関係は、米ソの双極的体制のもとで比較的に安定してまいりました。しかし、今後は将来の予測が不可能で、国家間の関係はもっと変動しやすく、そしてもっと複雑な性格の紛争が増大してくる可能性があると思います。  こうした点を考えますと、これからの安全保障政策は、グローバルなレベル、地域的なレベルなどへの対策を配慮した、私は重層的という言葉を使っておりますけれども、幾つも重なり合ったようなアプローチが必要になってくると存じます。  第一は、グローバルレベルの問題です。冷戦の終結に伴って、国連の国際安全保障上で果たす役割は大きくなってきております。我が国でも一昨年六月、国際平和協力法が成立し、自衛隊が国連の平和維持機能に参加する道が開けました。我が国は、当面、PKO参加の実績を積み重ねて、国連の平和維持機能を強化することが重要であると思います。  第二は、東アジア・西太平洋地域には欧州に見られるような地域の安全保障を推進する枠組みができておりません。地域の諸国が多様な価値観を持ち、経済社会の発展段階が異なっておりますので、地域的安全保障の枠組みをつくることは容易ではありません。しかし、二十一世紀を展望してこの地域の諸国による安全保障上の協力を考えていく必要があると思います。  第三は、日米安保体制を堅持し、その活性化の努力を継続することが重要であると思います。日米安保体制は日米の協力体制の基礎となっており、安全保障の側面にとどまらず、政治経済、文化面の協力関係の基礎となっております。また、日米両国の国民生産を合計すると世界のGNPの四割にも匹敵いたします。この両国が安定的な関係を維持することは、我が国の安全だけでなく、世界の平和と発展のためにも重要であると思います。  第四に、我が国がみずからの安全を確保するための自主的努力が必要であります。冷戦後の国際社会の中で、国連の平和維持活動や欧州における軍縮・軍備管理交渉の進展に見られるように、国際関係安定のための多角的な努力が続けられております。しかしながら、安定した国際秩序を確立てきる見通しはいまだ生まれておりません。こうした環境のもとでは、各国がそれぞれの置かれている国際環境に適応した自主的な防衛上の努力を続けることが必要であると存じます。  私は、冷戦後の防衛政策について二点申し述べたいと存じます。  第一は、冷戦後といえども防衛力近代化の努力を継続する必要があります。現在の防衛力整備は、防衛計画の大綱に沿って独立国として必要最小限の基礎的防衛力の整備を目指しております。この考え方は冷戦後の事態にも基本的には妥当するものと存じます。しかしながら、冷戦後の国際環境と二十一世紀を展望して大綱を見直すことが必要であると思います。現在、羽田総理のもとに諮問委員会が設けられてその検討を続けていることを歓迎したいと存じます。  第二は、戦後の防衛政策の枠組みを再検討することが必要です。我が国の防衛政策は、憲法第九条のもとで防衛力を必要最小限のものとし、自衛以外の目的に使わないことを基本的枠組みとしてまいりました。この政策の中で、専守防衛、海外派兵の禁止、非核三原則など、我が国の防衛政策の基本的概念が生まれました。こうした戦後政策は、第二次世界大戦に対する反省と平和を求める国民的世論を反映したものであり、国民の意識に定着し、我が国防衛政策上の重要な指針になっていると言えます。  しかしながら、国連憲章第五十一条は加盟国が個別的・集団的自衛権を固有の権利として持つことを規定しております。政府は、憲法解釈上、個別的自衛権は認められるが集団的自衛権の発動は認められないとの立場をとっております。現代の安全保障は一国だけで達成することは不可能です。集団的な安全保障が世界の大勢です。冷戦の終結に伴って地域紛争に対する国際協力が一層必要となってくることが予想されます。国連や国際社会への協力のため、憲法を含めた諸制度見直しに着手することが私は必要であると存じます。  最後に、国民の一人として国会に対する期待を申し上げたいと存じます。  折に触れて周辺諸国から日本脅威論があらわれます。その中には、日本側の不注意な発言から発生する誤解もあります。しかし、根本的な問題は、日本が将来、世界でどのような役割を果たそうとしているのかについて日本自身の方向がはっきりしないことから生まれているように思います。日本の政策は状況対応型であって、国際の平和と安定のために積極的に行動しないこと、さらに将来のグランドデザインが示されていないことがこうした日本脅威論があらわれる原因であると思います。対日警戒心の根源は、日本経済の分野を除いて積極的に行動しない、そういったことから生まれているように思います。  私は、冒頭、北朝鮮の核疑惑をめぐって息をのむような気持ちでこの成り行きを見ていると申し上げました。国民の大多数もそうであると思います。安定した時期には政治がつくり上げた枠組みに従って行政が政策を実行すれば十分でした。しかし、転換期においては政策の座標軸そのものを動かすことが必要になってまいります。これは政治の仕事でございます。戦後の半世紀にわたって、我が国は国際環境に恵まれて平和を享受し、かつてない経済繁栄を謳歌してまいりました。このために、何らのコストを支払わなくても平和と繁栄が維持できるといった気持ちが生まれていることは否定できないと思います。  我が国が世界第二の経済大国となった現在、過去のような国際平和のために何もしなくてもよい時代ではなくなったと思います。政治が国際情勢の行方を見定めて、これからの我が国の生きる道について大胆なグランドデザインを提示し、国民をリードしてくださるよう期待したいと存じます。  これで私の陳述を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。
  67. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ありがとうございました。  次に、伊藤憲一公述人にお願いいたします。伊藤公述人
  68. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) ただいま御紹介いただきました伊藤憲一でございます。  本日は、外交・国際問題について私の意見を述べる機会を与えていただきましたことを冒頭御礼申し上げたいと思います。  ただいま阪中公述人から大変格調高い分析及びそれに基づく提言があったわけでございます。私はお話を今初めて伺ったわけですが、ずっと伺っていて、全面的に同感だなと思って聞いておりました。したがいまして、私がこれから申し上げることは、阪中公述人意見を踏まえ、それをさらに発展あるいは延長した議論であるというふうにお受け取りいただいて差し支えないのではないかと思います。  阪中公述人からも冒頭御指摘がありましたが、冷戦の終えんに伴いまして、一時期は直ちに新世界秩序、いわゆるNWO、ニューワールドオーダーが招来されるかのごときユーフォリアが広がったわけであります。NATOにおけるパリ宣言であるとかあるいは湾岸戦争における集団的安全保障の力の発揮であるとかいうあたりまでが、そういったユーフォリアの広がっていた時間であったと思います。  その後、次第次第に冷戦の終えんが意味するところが、そのようなユーフォリアの期待していたものではなく、むしろ非常にこれから長期にわたる過渡期であり、その過渡期においてこれまで冷戦期の世界を動かしていたいろいろなシステムや体制が崩壊しあるいは破壊されていき、それにかわって次第に新しいシステムや制度が台頭してくる、あるいは建設されてくる過程であるということが明らかになってきたのではないかと思います。  しかし、それにしてもその破壊や崩壊というものは急速に進んでおりますものの、建設や台頭は徐々に徐々にと進んでいるだけであり、またその方向も極めてあいまいとしたとらえがたいものであるわけであります。  しかし、それにもかかわらず、我々は古い制度、システムが崩れ去った後に新しい制度、システムが築かれつつあるという基本認識を持って国際関係の現実を見ていく必要があるという点において間違いはないのではないかと思っているわけでございます。  政治・安全保障関係の問題に入ります前に、経済の分野において起こっていることに一言触れておきたいと思うわけであります。  冷戦の終えん後、経済の分野で起こっている著しい現象は市場経済の世界的な拡大であります。かつて国家計画による国有企業社会主義経済体制というものが世界の三分の一ほどを占めていたわけでありますが、今やこれらの国々においても急速に市場経済化への道がたどられているわけであります。また、ほぼ軌を一にいたしまして、いわゆる第三世界諸国におきましても市場経済化への動きが広がっていっております。  これまで旧植民地であった第三世界の諸国はとかく外資に対して警戒心が強かったわけで、保護主義的な政策をとっていたわけでありますが、そういう中で、積極的に外資を導入し外国の技術を入れることによって飛躍的な経済発展を遂げる国々が特に東アジアを中心として誕生してきたことを契機として、第三世界にも市場経済が拡大しつつあるわけでございます。そして、このようないわば国境を取り払うボーダーレスの現象というものは、また軌を一にして起こっております情報通信革命というような新しい技術革命、産業革命の進行によって加速されているわけであります。  こういう状況の中で何が起こっているかと申しますと、投資と貿易を通ずる地域経済圏形成の動きが急速に力を得ているということでございます。  実は、私ども日本国際フォーラムは、去る六月十六日、「地域経済圏形成の動きと日本の対応」と題する政策提言を完成し、羽田総理大臣に提出するとともに、翌十七日、新聞発表を通じて発表いたしたわけでございますが、ここで取り上げたテーマがまさにこの問題でございます。  地域主義が最初に姿をあらわしたのはヨーロッパでございますが、この欧州共同市場という動きは冷戦の当時においてどちらかというと保護主義的な、ヨーロッパの域内市場くらいはヨーロッパの企業で独占したいという防衛的な発想によるものでありました。また、これに対抗して北米において構想されたNAFTAも当初はそういうものであったわけでありますが、冷戦の終えん後一挙にボーダーレス現象が進行する中で、今や地域主義は全く異なったプラスのイメージを帯びるようになっておるわけでございます。  と申しますのも、その間におきまして、東アジアに日本の資本が進出し技術が流入することによって御承知のような東アジアの、英語でフライング技術と言っておりますが、一団となって次々に離陸、テークオフしていく実態を見、またそれが世界経済を引っ張っていく力であるという現実を見るにつけても、ここにアメリカもヨーロッパも参入したいというそういう希望が生じ、そういう中で、東アジアの地域経済圏というのは、閉鎖的ではなく開放的なそういう世界経済をむしろ牽引していく力として台頭してきたわけであります。これを受けて、NAFTAが同じように開放的な性格を帯び、またEUもその後旧東ヨーロッパあるいはロシアを経済圏の中に取り込んで世界経済の新しい発展の中核となろうとしている形勢ができているわけでございます。  しかし、ここにおいて明らかになりつつあるもう一つの要因は、経済競争というものが世界の最適資源を結合して、つまり先進国の技術、資本と旧社会主義国あるいは第三世界の労働力を結合することによって、最も先進的な製品、商品を最も低価格で提供するという熾烈な経済競争をグローバルな範囲で広げることになっているということでございます。その中で、日本企業も皆さん御承知のとおり海外に工場を移転し、必死の生き残りを図っているわけでございます。日本の技術も次々と海外に移転しております。  こういう中で、今後の日本の生き残りということを考えると、日本企業努力においてさらに最先端の技術を開発し、そのことによって日本国内における工場の操業を確保するということも必要ではありますが、国家全体としての将来を考えるならば、日本はやはり一国市場主義、自国の中だけですべての製品、サービスを自給自足して生き残るという閉鎖的な行き方ではなく、国際分業の中で最適分業を担うことによって生き残りを図るという道を選ぶよりないのではないか。  今そういう中で日本に最も求められているのは、さらに一層の市場を開放するということ、規制の緩和を通じて日本国内における内外価格差を是正し、もってこれまで既得権益に守られてきた比較優位を失いつつある産業をある程度犠牲にしても、生き残ることによって日本経済と国力を担うべき比較優位にある産業を生き残らせる選択をしていくことではないかと考えるわけであります。  以上、経済につきまして所感を申し上げましたが、国際政治の分野に目を移しますと、古いシステムの崩壊と新しいシステムの台頭というものはより混迷した状況を示しているように思われるわけでございます。  一言にして申し上げて、一番典型的な現象形態といたしましては、いわゆるイデオロギーというものが国際政治を動かす力としてほとんど死滅したということであります。これにかわりまして、各国の個別の国益が国際政治を動かしていくという姿があらわになってきております。  先ほど阪中公述人からも北朝鮮の問題が取り上げられましたが、ここ数日来の新聞、テレビなどを見てもこの問題は世界の耳目を集めている問題でございますので、この問題を例にとりまして、残りの時間、この国際政治の分野において起こりつつある変化の本質を探ってみたいと考えるわけでございます。  核開発問題をめぐる北朝鮮の一挙手一投足に文字どおり全世界が振り回されているという感がございます。新聞やテレビしか情報源のない一般市民の立場から見ますと、一体何がどうなっているのか混乱するのみであります。ただ、だれの目にもはっきりと見えているのは、ほとんど頼るべき友邦も持たず、これほど孤立した小国であってさえ、超大国米国を相手にこれだけ対等のゲームができる時代になっているということであります。  軍事力がほとんど威嚇力として機能していないのは十九世紀には考えられなかった国際政治の姿であります。しかし、イデオロギーにかわって各国がそれぞれの個別的国益を追求し、もってゲームを動かしている姿はむしろ十九世紀の国際政治を想起させるものがあります。関係各国の動きがばらばらなのはそのせいでありましょうか。  中国は制裁に反対だと言っております。しかし、だからといって何らかの有効な代案を示すわけでもありません。ロシアは国際会議を開けと言っております。韓国は自分たちの頭越しの米朝直接取引に疑心を燃やしております。日本は憲法の枠内で協力すると言っておりますが、この問題を自分自身の安全保障にかかわる問題と受けとめている気配はほとんど見られないわけであります。米国から要請があればこれにどう協力するか、そういう問題の受けとめ方をしているように見られるわけであります。これでは米国もやりにくいはずであろうし、また他面、北朝鮮から見ればおもしろくてしょうがないということであるかもしれないと思うわけであります。  新聞やテレビを通じては各国の声明や発表などいわゆる各国の建前が伝えられるのみでございますが、ここであえて各国の本音を見抜いていくということも一つ重要なのではなかろうか。国際政治がある意味で先ほど申し上げたように十九世紀的な姿を示しているのであるとすれば、なおさらそれは重要なことであるのかもしれないと思うわけであります。  以下、全く私見でございますので、これは日本国際フォーラムともあるいは青山学院大学とも関係のないことで責任は私の個人的なことでございますが、あえて私の個人的な判断によって各国の本音なるものを探ってみますに、こういうことではないかとも思われる節があるわけであります。  中国は、北朝鮮が核爆弾を何発か持つことになっても自国の安全保障上の重大な問題は生じないと見ているのではないか。もっとも、この点はアメリカもロシアも同じことであります。むしろ、中国は対米取引上の有用なカードとしてできるだけ長くこのカードを使っていきたいとさえ考えている筋もないとは言えないと思うわけであります。  ロシアも、発想は同様で、この問題の解決を通じて極東における自国の発言権をできるだけ強化したいと考えているのではないか。  韓国は、戦争は困るというのが第一で、第二はいずれ北朝鮮は崩壊するのだからそのときまでの時間を稼げばよいという思いもあるのではないか。また、これは韓国のほんの一部にある考えであって韓国の全体を代表する考えでは毛頭ありませんが、北朝鮮の核は統一すれば統一朝鮮の核になるのだから今ここで頭から反対する必要はないとの考えも一部にあるやに私のところには伝わってきている次第でございます。  米国でありますが、その本音がNPT体制の擁護にあることは自明であります。明年に迫ったNPTの期限切れに際し、その無条件無期限延長を実現するためには北朝鮮のNPT離脱を何としても防ぎたいということではないでしょうか。NPTこそは冷戦後世界におけるパクス・アメリカーナの基盤だからであります。  さて、問題は北朝鮮の本音であります。それが現体制の永続化の保障であることはまず間違いのないところであろうかと思います。しかし、核の入手はそのための絶対目標なのか、それとも米国から何らかの妥協を手に入れるための取引材料なのかということがより直近の問題であります。そこが読み切れないということから、クリントン大統領は金日成主席の手玉にとられてきたと言ってよいのではないでしょうか。  最後に、問題は日本であります。日本は建前だけで本音がないのかというと、そうでもない。そのくせに問題をタブー視するばかりで、国内でも率直な議論が行われていないような気が私はするわけであります。もしそうであるとすれば、危ういかな日本であります。  にしきの御旗としてのイデオロギーによって紋切り型の政策選択が許される時代が去り、各国はそれぞれに自国の個別的具体的な国益を見詰めて、その実現のために秘術を尽くすという国際政治の今後の姿が目に見えてきているとすれば、我が国はそのような新しい台頭しつつある世界政治の現実に直面しつつ、その中でいかにして日本の、ひいては世界の平和と安全を確保していくか、その長期的な大戦略を考えなければならない段階に立ち至っていると思うわけでございます。  そういう観点から申し上げますと、私もまた、先ほど阪中公述人から最後に提言のありましたPKOなどの国連平和協力に対する全面的な協力、またアジア・太平洋地域における地域的な安全確保のための協力の枠組みつくり、そしてこれらの努力のかなめをなす日米安保体制の維持と一層の強化、こういった点について全く賛成をいたしたいと思います。また、日本の防衛政策について、防衛力整備を続ける必要のあること、防衛計画大綱を見直す必要があること、憲法問題を含めて戦後の防衛体制を見直す必要があること、いずれも賛成でございます。  日本は、状況対応型で国際政治の次々と迫りくる試練に対応するのではなく、それらを貫いて日本が追求するグランドデザインを打ち出し、その方向に国際政治、国際情勢を引っ張っていく能動的なリーダーシップを発揮すべき時代、段階に到達していると考えるものであり、世界もまた日本にそのような役割を期待していると考えてほぼ間違いはないと言えるのではないかと思う次第でございます。  以上、私の意見を陳述させていただきました。
  69. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  70. 成瀬守重

    成瀬守重君 自由民主党の成瀬守重でございます。  阪中公述人に、ただいまから昨日の日本経済新聞の記事を読ませていただきますが、それについてのお考えを聞かせていただきたいと思います。  「「北朝鮮は核兵器持ってない」 街頭演説で首相見解 開発の意図なし」、こういうタイトルでございます。  羽田首相は十八日夕、都内のJR錦糸町駅南口前で街頭演説し、朝鮮民主主義人民共和国の核開発疑惑をめぐって「本当は私は持っていないと思う。作ろうとしてもいないと思う」と述べ、北朝鮮は核兵器を保有していないうえに、核開発の意図もないとの認識を初めて明らかにした。そのうえで「何でも脅かされて見せるのは嫌だというのがあの人たちの気持ちかもしれない」と語り、北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)の全面的な核査察をかたくなに拒否しているのは国際社会の圧力が原因との見解を示唆した。   北朝鮮の核開発疑惑に関しては、先にペリー米国防長官が記者会見で「一-二個の核兵器の保有の可能性」を表明。日本政府も「北朝鮮が核開発を進めている疑いは濃厚」(外務省筋)とし、米韓などと協調して国連安全保障理事会を通じた制裁協議に踏み切った。北朝鮮の核保有と核開発意図を否定した首相発言の根拠は不明だが、日米韓の協調体制や制裁協議の行方に微妙な影響を与える可能性もある。こういう記事でございます。  北朝鮮は核兵器を持っていないとか、つくろうとしてもいないというのは、たしか北朝鮮の金日成主席も同じような意味のことをおっしゃったと思うんですが、羽田首相が外務省筋とは違ったそういう見解をお持ちということは、一体どこからそういう情報を得られたのか、そういった面について阪中先生、続いて伊藤公述人、お二人にお伺いしたいと思います。
  71. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  私は、羽田総理の発言が日経新聞の報道のとおりであるのかどうか全く存じませんので、それについてコメントは差し控えたいと思います。  ただ、そういうふうに報道をされているといたしますならば、ただいままで国際連合の安保理を舞台にして行われてまいりました制裁の動きが、過去数年間の北朝鮮の動きを見ながら制裁への動きを強めているわけでございまして、こういった歴史的事実と申しましょうか、歴史的な発展を、もし報道されているとおりであるとするならば無視しているものだと私は存じます。
  72. 成瀬守重

    成瀬守重君 続いて伊藤公述人も今の記事について、これは日本経済新聞の記事でございますが、このことについての羽田総理のそういった考え方についてどのようにお考えになられるか、御意見なりお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  73. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) お答えいたします。  私、その日本経済新聞の記事を読んでおりませんので、その記事について直接コメントを申し上げることは差し控えたいと思います。  しかし、北朝鮮の建前と本音というものを的確に理解することが、この際、北朝鮮の核開発問題に対処する上で極めて重要な問題であり、建前につきましては北朝鮮側の公式の発言等によってこれをつまびらかにすることができるわけであります。  本音につきましては、もちろん先方がこれを本音だといって言うわけではありませんし、言ったところでそれもまた建前であるわけでありますので、これはそれぞれの人がそれぞれの力量において推察するよりないことでありまして、これが決定版というものがあるわけではないわけでございます。  羽田総理の発言として伝えられるものが羽田総理のそれまた本音であるのか建前であるのか、これまた私はつまびらかにいたしませんので、それに対する直接のコメントは差し控えたいと考えるところであります。  私自身が北朝鮮の本音であると考えるところにつきましては、先ほど申し上げましたように、一つ明確なことは、金日成、金正日親子の現政権体制を永続化させたい、これが北朝鮮の本音であろうかと思います。  しかし、御承知のとおり、北朝鮮は経済政治、文化、あらゆる面においてライバルである韓国からはるかに引き離され、これまで韓国に対して優位を誇ってきた軍事面においてすら武器の近代化においておくれをとっている現状において、今や核を入手することによって、あるいは核を入手しようとする過程において、取引をすることによって金日成、金正日政権の永続化の保障を得ようとしていると考えるのが常道ではないか。  また、これまで過去において核開発を行ってきたかどうかということになると、先ごろ実験用原子炉から燃料棒を一方的に抜き取ってしまったということは、過去において核開発の努力をしていなかったことを証明できる唯一のチャンスをみずからの手で消し去ったということでありまして、これは言いかえてみれば、過去においては少なくとも核兵器開発の努力を行っていたと考えるのが合理的な推理であると考えせしめる北朝鮮側の行為であったのではないかと、私はかように考えております。
  74. 成瀬守重

    成瀬守重君 この新聞記事もさることながら、私は実際に総理がどのような発言をしたかをぜひ確かめたいと思いますが、このような開発の意図なしとか核兵器を持っていないなどということを発言されたとしたら、日米韓の協調体制だとか、あるいは国連の安全保障理事会を通して制裁協議に踏み切ったわけですが、こういったものに対して日本は一体どうするのか、どのような影響があるか、阪中先生、伊藤先生にお伺いしたいと思います。
  75. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  今一番大事なことは、国際社会の中で違ったシグナルを北朝鮮に出さないことだと思います。もし多様なシグナルが出ますと、それが北朝鮮を勢いづけたりあるいは興奮させたりするわけでございまして、そういった言葉遣いが適切かどうか私は存じませんけれども、つまり、国際社会が一致して行動して我々は北朝鮮の行動に深刻な懸念を持っている、そういうことを十分に理解させることが重要であると私は存じます。  それから、今御質問いただきましたので、重ねて日本、韓国の問題を申し上げさせていただきたいと思います。  私は伊藤先生とともに戦略問題を研究いたしておりますが、冷戦時代の核抑止戦略はグローバルな脅威、つまりソビエトが世界全体にわたって核脅威を及ぼしているのに対していかに対抗するかということが中心的な問題でございました。現在起こっております北朝鮮の核脅威、核疑惑と申しますのは、ローカル、影響する範囲が地理的に限定されている問題でございます。つまり、東アジア地域に限定されている問題でございます。  そういたしますと、アメリカの対応がグローバルな脅威に対応したときと同じような対応になるかどうか、私は実は疑問を持っております。グローバルな脅威であれば、それは当然のことながら旧ソ連に対抗いたしますアメリカとして措置をとらなければならない問題でございます。ローカルな脅威であるとしますならば、つまり脅威を受ける周辺諸国がどのように核開発を考えているか、周辺諸国の考えが極めて重要になってまいります。  つまり、日本と韓国が仮に北朝鮮の核疑惑に対して関心を持たない、それかあるいは我々は懸念していないということになりますと、アメリカの北朝鮮の核疑惑に対する姿勢は私は変わってくるんであろうと思います。これは戦略論から申し上げる論理でありまして、現実にアメリカの政策がそういった方向へ歩んでいるという意味で私は申し上げるわけではございませんけれども、ローカルな脅威、つまり地域的に限定された脅威に対して周辺諸国がどう対応するかということがアメリカ並びに世界の世論の方向を決定するものだろうと私は思っております。
  76. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) 私も阪中公述人と同意見でございます。  冷戦の終えん後、世界の平和と安全に対する主たる脅威は地域紛争という形で地域ごとに地域の状況を背景として生起しておるわけでございまして、これに対して世界的なグローバルな力で対応することはまずます困難になってきております。それが国連の平和維持機能というものがソマリアで挫折し、ボスニア・ヘルツェゴビナで力を発揮することができなかった理由であります。そして、今ある意味でそれがこの北朝鮮の核開発問題を通じて提起されているのであろうと考えるわけであります。  そのような中で、地域内の問題はそれぞれの地域の国が中心になって解決すべきだという声が高まっております。特に、何事につけても常にリーダーシップを求められ、自国の犠牲において世界の平和のための警察官の役割を務めさせられてきたアメリカ国内においてそういう声が高まっております。  そういう意味で、北朝鮮の核開発については、まず何よりも韓国そして日本という二つの非核保有隣国がどういう対応をとるかということが重要なかなめであろうと思います。  しかし、と同時に、この問題にはグローバルな側面がございます。それは、明年に期限満了を控えこれを延長するかどうか、延長するとしても無期限に延長するか無条件で延長するか等の懸案を控えている核不拡散条約、NPT条約の有効性を維持することができるか、あるいはそれが形骸化するか、そういうグローバルな問題がかかっているわけであります。アメリカが北朝鮮の核問題について今のところリーダーシップを発揮し陣頭に立って闘っているのは、地域の平和、安全ということももちろんございますが、それ以上に、私の見るところ、このNPT体制の擁護ということに危機感を持っているからではないかと考えるわけであります。  そういうNPT体制の擁護、維持という観点から申しましても、日本としてはこの問題に対して態度をはっきりと明確に打ち出していく必要があろうかと思うわけであります。
  77. 成瀬守重

    成瀬守重君 先ほど伊藤公述人は本音と建前ということをおっしゃいましたけれども、羽田首相が北朝鮮は核兵器を持っていないとか開発の意図がないと一方で国民に向かって言いながら、他方、国際連合だとかあるいは日米韓の協調という面において、もうまさに核兵器ありのそういったところから制裁措置についての検討を進めると言う。そうしますと、全く国民に対してうそをついたというか背信行為で、単なる本音と建前ぐらいでは済まない問題じゃないかと私は思うんですが、こういった一国の総理として最も重要な国の安全保障の問題について国民に対してそういった発言をするということについて、伊藤公述人はどのようにお考えになられるでしょうか。
  78. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) その問題につきましては、冒頭申し上げましたように、私、実は日本経済新聞を読んでおりませんので、ただいま初めて成瀬先生からお伺いいたしたばかりでございますので、直接その御質問にお答えするのはただいまは遠慮させていただきたいと思います。
  79. 成瀬守重

    成瀬守重君 では、先ほどのコメントから視点を変えまして、阪中先生にお伺いいたします。  ヨーロッパにおいて東西の冷戦は終結したと言われておりますが、アジア・太平洋地域においては決して私は冷戦は終結していないんではないかと。特に、北朝鮮がIAEAを脱退して核の開発を秘密裏に進めている疑いがあり、また報道によっては射程千キロのミサイル、ノドン一号の実験が行われて、能登半島の沖三百五十キロに撃ち込まれたと。その延長線上に東京があり、射程千五百キロのノドン三号が完成したならば大変危険な状態になるんではないかというようなことも危惧されております。また、ロシアが旧ソ連の巨大な軍事遺産を引き継いで、耐用年数に達した古い戦車や航空機や艦船を廃棄する一方で、最新式の航空機や戦車、艦船をヨーロッパ方面から新たに転用することによって現実の極東ロシア軍の軍事的な存在は実質的には変わっていないのではないかと推測されるわけでございます。  また、中国は既に核を保有して、ウクライナから六万トン級の本格的な航空母艦を購入する交渉を進めているとも言われておりますが、六万トンの本格的な空母が極東海域を航海するようになったら、まさに極東太平洋地域の国際情勢は多大な衝撃を受けることになります。  ヨーロッパ地域の冷戦は終結されたかもしれませんが、極東太平洋地域においては決して冷戦は終わっていない、状況によっては地域的な戦火が起こるのではないかと危惧されるのであります。  こういった中にあって我が国の安全保障を考えると、さまざまな対策が考えられるわけでありますが、その一つとして、ヨーロッパにおけるCSCE、全欧安全保障協力会議に匹敵するようなものを育成する必要がどうしてもあるんではないか。私は来月ヨーロッパの安全保障協力会議に参議院から派遣されますけれども、こういったものがこの極東太平洋地域においても今後構築される必要があるのではないか、そういった場合にあってどのような条件が必要なのか、そういった面についての先生のお考えを伺いたいと思います。
  80. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  成瀬議員が当初例提議されました極東地域に対するロシアの軍事力の移転並びに朝鮮半島における北朝鮮の新しいミサイルの開発というような事態が発生しているのは、私は事実のように聞いております。ただ問題は、冷戦時代と異なっておりますのは、東西の対立関係ではなくなってきているわけでございまして、今、議員が御指摘になりましたような事態は、東西という枠組みよりも地域的な紛争の原因としてそういった軍事力の強化が行われているというふうに私は認識すべきだと思います。  特に、御指摘のありました中国の海軍力の増強、空母を購入する計画があったというのは、真相は定かではおりませんけれども、そういった動きを見せたのは事実であろうと思います。中国が将来オーシャンネービーといいますか海軍力を強化するのかどうかということは、中国の経済力の発展と関係すると思いますけれども、我々は注意して見守っていかなければならない点だと思います。  ただ、私が繰り返して申し上げさせていただきたいのは、冷戦時代と紛争の構造が変わってきている。つまり、冷戦時代にもしこの地域で紛争が起こりますと東西の対決に発展するような紛争の性格を持っておりましたけれども、今御指摘のような軍事力の増強は、我々は確かに注意しなければならないものでありますけれども、そこから発生するものはいわばローカルコンフリクト、地域的な紛争になるであろう。そうなりますと、地域諸国がどういった姿勢、態度をとっていくかということが私は重要になってこようかと存じます。  これはちょっと挑発的な言い方をするかもしれませんけれども、私は、冷戦時代に日米安保体制が発動されないような紛争に日本が巻き込まれる可能性は皆無に近かったと考えます。つまり、日本というような大国が東側に入るのか西側に入るのかによりまして世界のバランス・オブ・パワーは随分と影響をされますから、そういった意味で日本が巻き込まれる紛争にアメリカが介入しないということは私は除外してよかったと思いますけれども、今後の事態の中では、低い水準の紛争が発生した場合に、それが日米協力の枠組みの中で解決できるかどうかというのは、非常に個人的な意見でございますけれども、私は疑問に思っております。  二番目の問題は、ヨーロッパ型のCSCEというものの必要性あるいは可能性という点でございますけれども、私は必要性がある。特に、先ほど申し上げましたように、東西対決というような冷戦の構造が崩壊した中では、地域的な協力体制が地域の平和と安定を維持するために非常に重要になってまいるわけでございます。  ドイツと日本はよその国から見ますと大変置かれている環境が似ているように思いますけれども、根本的な相違は、ドイツはヨーロッパの一国でございます。日本もアジアの一国でございますけれども、残念なことにヨーロッパにおけるドイツは価値観を共有できる周辺諸国と共存いたしておりますけれども、我々はなかなかそういった状況をつくり得ないわけでございまして、私どもはやはり難しくてもそういった新しい事態に対応できる地域的な安全保障の対話を始め、そしてその対話を協力関係に移行できるような手順を考えていくことが私は重要ではないかと思っております。
  81. 成瀬守重

    成瀬守重君 続いて、アジア地域の平和のために兵器の拡散という問題についてちょっとお伺いします。  冷戦終結に伴って欧米諸国がおおむね軍事費を抑制している中で、最近アジア地域において軍事費を増加させたり近代的な兵器を購入する国が相次いております。先ほど中国の例について申し上げましたが、その国の経済が成長して余裕が出てくれば、国力に応じて兵器を近代化していくということはある程度やむを得ないことかと思われますが、実際最近のアジア諸国の動きにもこうした側面がかなり見受けられます。しかしながら、このような動きが進行して兵器の拡散、蓄積が進めば、いずれ将来的には、地域の不安定要因となり地域紛争を引き起こす危険が極めてあるわけでございます。したがって、今のうちから何らかの形でこれらを適度に抑制する必要があると思われるのであります。  既に自由民主党の内閣の当時に我が国が提案して実現した国連の軍備登録制度があり、昨年第一回目の登録が行われたところであります。また同じく自民党内閣の当時に、政府開発援助大綱を制定して、ODAの供与に際して被援助国の軍事力の動向を考慮するようにいたしておるのであります。今後はこういった制度をより一層強化するとともに、さらにこれをより実効性のあるものにするためにも何らかの手だてを講じていく必要があると思われますが、こういった点についての阪中公述人のお考えをお伺いしたいと思います。
  82. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  ただいま御指摘のとおりだと思います。私は、現在東南アジアで進んでおります新しい兵器の導入は、もともと防衛費あるいは国防費の基盤が非常に低いところに最近ふやすような傾向が出てまいりましたので、それが非常に大きくとらえられておりますけれども、短期的にはそれほどの問題はないかと存じますけれども、長期的には御指摘のとおり非常に大きい深刻な問題を惹起することになるだろうと思います。  議員御指摘のとおり、自民党政権の時代に行いましたいわゆる軍備の透明性の強化あるいは兵器輸入の登録制度、それからODA援助に当たっての兵器購入国に対する措置などは、いずれも兵器の拡散防止の側面から非常に私は有効な措置であろうと思います。
  83. 成瀬守重

    成瀬守重君 次に、国連の平和維持機能あり方についてお伺いしたいと思います。  冷戦後の今日の世界では、旧ユーゴスラビア、ソマリアまた最近のルワンダや南イエメン等々に見られますように、各地でいわゆる地域紛争が多発いたしております。このような事態に対して国連への期待が非常に高まっており、一昨年にはガリ事務総長から「平和への課題」と題する報告書が出されて、平和執行部隊等を含む国連の平和維持活動の改革案が提示されました。しかしながら、最近の国連の平和維持活動は、我が国が参加したカンボジアのUNTACでは成功いたしましたが、武力の行使を伴う平和執行部隊的な要素があるソマリアでは成果が得られず、また旧ユーゴスラビアなどでもいまだに紛争は泥沼的な状態にあります。  このような冷戦後の地域紛争の新たな展開に対応して国連の平和維持活動が有効に機能し得るように見直しを行っていかなければならないと考えますが、以上、国連の平和維持機能の今後のあり方について阪中公述人のお考えを伺いたいと思います。
  84. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  御指摘のとおり、ガリ事務総長のもとでピース・エンフォースメント・ユニットというような従来にない新しい構想、平和維持のための新しい構想が持ち出されているわけでございます。しかしながら、ソマリアに対するアメリカの参加、それから参加に対するアメリカ国内の批判を見てもおわかりいただけますように、国連の平和執行部隊あるいは強制力をもって平和を維持しようというものは、新しい試みでありますだけになかなか成果を上げにくい、そしてその上国内的な反発を呼んでおるのも私は否定できないところであろうと思います。  もちろん、我が国としてはそういったものを前広に実行していくような準備をしていく、特にPKFに対して、PKO法ができたときにPKFについて参加を禁止いたしておりますけれども、そういったものも含めて前広に私は検討をしていく時期に来ているのではないかと思います。
  85. 成瀬守重

    成瀬守重君 ありがとうございます。
  86. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) 時間が余りありませんので、時間内にやってください。
  87. 成瀬守重

    成瀬守重君 次に、核不拡散条約、NPT体制の今後のあり方について伺いたいと思います。  来年はNPTの核不拡散条約の改定の時期が到来いたしますが、冷戦が終結しソ連が崩壊した今日において第三世界への核兵器の拡散の危険性が増大しております。こういった中において、九五年以降も核兵器の拡散を防止するための何らかの実効的な制度的な枠組みを維持していくことが必要であると思います。しかしながら、現在のNPT体制については既存の核大国に対する規制が行われていないなどの批判もあり、また核兵器の保有について取りざたされているインドやパキスタンが加盟していないなど、その実効性の点において必ずしも問題がないわけではありません。  このような今後のNPT体制をめぐる問題について先生のお考えを伺いたいと思います。
  88. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) 阪中公述人、時間が来ておりますので簡略にお願いします。
  89. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) 今御指摘の点は、改定の会議で十分に論議されることだと思います。  ただ、NPT体制にかわるものは、先ほど冒頭の陳述で申し上げましたけれども、現在はないわけでございますから、これを引き続いて維持することが世界の平和と安定に貢献するものだろうと考えております。
  90. 成瀬守重

    成瀬守重君 ありがとうございました。
  91. 角田義一

    ○角田義一君 社会党の角田でございます。きょうは両先生から御高説を賜りまして、心から感謝申し上げます。  御案内のとおり、来年は終戦五十年という大きな節目の年でございまして、日本の戦後の大きな転換点になろうかと存じますが、過般、羽田内閣のもとに就任をされました法務大臣の発言をめぐりまして国内外大変大きな反響があったことは両先生も御案内だと思うのでございます。  政治家が一人一人いろいろな信念を持って、またあの戦争観というものについてどういう考えを持つかというのは、これは全く私は自由だというふうに思っておりますし、その発言を云々するということではないわけでございますけれども、やはり政府の大変枢要の地位にある人がああいう発言をして国内外に大変な影響を与えたということであります。  そこで、私は考えますに、歴史の大きな転換点に立ちまして、もう一度やはりアジアの中で生きていく日本として、その辺のけじめなりあるいは反省なり今後の未来志向なり、これは押さえるべきところはしっかり押さえておかなくてはいけないのではないかなという気が率直にいたします。閣僚の発言をめぐって陳謝をしたり罷免をされたり、それからアジアの諸国に対して外務省がいろいろ大使を通じて釈明をしなきゃならぬというようなそういう事態は決して私は国益に合致しないのではないかというふうに思うわけでございまして、この辺はやはりこれからのアジア外交を進める上で極めて大事な一つの原点を提起しているんじゃないかというふうに思っておるわけでございます。  アジア外交を進める日本の原点、基点というものについて両先生はどういうふうにお考えでございますか、御両者から承りたいと思います。
  92. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  私はヒストリアンではございませんので、歴史についての評価を申し上げることは大変難しいと思いますけれども、歴史は何年たってその真相を明らかにするかというのはなかなか難しい問題で、おのおの言い分があろうかと思います。今まで戦争を起こした国でみずから侵略をしたという国ばどこもないわけでございまして、歴史認識の問題としてその問題を取り上げるといたしますならば、私は非常に難しい問題を生じるだろうと思います。  ただ、私が冒頭申し上げましたように、永野発言が醸し出しました反響というのは非常に大きいわけでございますけれども、その根底にあるもの、つまりああいった批判を噴出させるものは何かと申しますと、私だけの感じではないと思いますが、日本が行動しないこと、つまり行動した結果として批判されているのではなくて、戦後の日本が平和と安定のために行動しないことに対する不安感、そしてそういった行動しない国が持っているポテンシャル、つまり可能な力の大きさ、そこから絶えず周辺の国は神経質になって日本を見ているんだろうと思います。  非常に難しい問題だと思います。カンボジアに派兵する際に、数百人の自衛官を派遣しても周辺の国はそれほど大きな懸念を持つまいと私は思っておりましたけれども、非常に強い批判を受けた。つまり、カンボジアにおけるPKOを周辺の国はエントリーポイント、つまり日本が国際社会に出ていく、入っていくポイントとしてはつかまえたんでしょうけれども、その後のエグジットポイントと申しますか、出ていくポイントが見えないわけでございます。  私が先ほど申し上げました日本がグランドデザインが必要だということはそういう意味でございます。  歴史認識の問題も重要でございますけれども、歴史認識よりもそういった発言を神経質に反応させる日本という国が持っている体質の方が私はもう少し真剣に検討する必要があるんではないか。つまり、日本の対外政策の枠組みがはっきりしない。そして、日本がアクションを起こさない。アクションを起こさないことの意味が何なのかということに対する不満であって、私はそれに対して現実的に回答することが必要なのではないかと思います。
  93. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) お答えさせていただきます。  永野発言につきましては、永野さんが意図した発言の内容が何であったのか必ずしも究明されることなく、永野さんはそもそも南京大虐殺なるものは全く存在しなかった、したがって一人の犠牲者も出なかったという主張をしたという前提で永野発言が喧伝され、永野さんはそれすらも撤回してしまったわけでございますが、そういうことであったのか。あるいは、世上伝えられる三十万人の大虐殺があったというのは正確ではない、二十万人だったのではないか、十万人だったのではないか、五万人だったのではないか、そういう趣旨の発言であったのか。そういう趣旨の発言であったのならば、その後の世界の反応や永野さんの対応はそういう前提を間違えていたのではないかというようなことになりますので、永野発言に対するコメントということになりますとその点を確かめませんとコメントをいたしかねるということでございますので、永野発言を離れまして歴史の問題をどう考えるかという点について、私が日ごろ考えていることを二点ほど申し上げさせていただきたいと思うわけであります。  その二点を申し上げる前に申し上げたいことは、日本人はこの問題を純粋に学問的問題、科学的問題、真理究明の問題というふうに受けとめ、その観点から真理を発見したいと考えているということでございますが、国際政治上においてこの問題が諸外国を含めて議論されます場合には、これは現に進行しつつある国際政治における権力闘争を含むいろいろな駆け引きの一環として提起されているという現実を日本人は視野におさめつつ、なおかつ問題の本質を明らかにしなければならないという側面があるということでございます。  その点を申し上げて、私が特に申し上げたいと思う点は二点でございます。  一つは、すべて日本人が悪かったんだ、何でもまず謝ればよいんだという無条件謝罪派が一方におります。他方において、日本は何も悪いことはしなかったんだという完全開き直り派が他方におります。私は、この両方とも間違っているのではないかと思います。  この問題に対する正しい対応というのは、歴史の客観的な真実は何なのか、それを判断する日本人の基準、原則は何なのかということを明らかにして、謝罪すべきものは謝罪するかわりに、謝罪する必要がないものは謝罪しない、そのことによって逆に日本人の基準や原則が浮き彫りにされ、その存在が世界の目に明らかになることによって日本人に対する信頼もまた回復される。何でも謝罪するということは何でも開き直るのと同じように決して日本の真の信頼をから取る道ではないのではないか。そういう意味で、謝るべきものは謝らなければならない。そもそも日本軍が朝鮮あるいは満州あるいは中国大陸に存在したということ自体、これは当時の基準はともかく今日の基準をもってすれば、これは謝罪しなければならないことだと私は考えております。  次に、もう一つ申し上げたいと思うことは、すべて日本とドイツは同じであるという前提で、なぜドイツがやっていること言っていることを日本は同じようにやり同じようにできないかと聞くのは、全く先ほどの無条件謝罪派と同じことになるのではないか。ドイツがああいう行動に出たことの意味、環境日本がこういう行動に出たことの意味、環境の中には、単に付随的、副次的では狂く、本質的、根本的に異なる面がございます。  一言で申し上げれば、日本は十八世紀、十九世紀を通じてイギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、ロシアなど、ありとあらゆる西欧諸国がやったこと、つまり植民地主義、帝国主義をおくれてやってきて二十世紀にやったということであります。これに対しまして、ドイツがやったことは全くそういうことではございません。対等な主権国家が存在するヨーロッパという近代国際システムの中において、他の主権国に対する不正義かつ非人道的な一方的侵略行動を行ったということであります。  たまたま時期が同時期に起こったということと日独が形式的な軍事同盟を結んでいたということのゆえをもって、日本がやったこととドイツがやったことと本質的に同じであるとする思い込みが諸外国、特にヨーロッパ人の間にあるわけでありますが、これは歴史の客観的な見方、評価ではないと私は考えるものでありますから、ドイツと日本とは置かれた状況の相違に対応した対応をする必要があると同時に、ドイツと違う要因を無視してドイツと同じような謝り方をすることを求められる必要はないと考える次第でございます。
  94. 角田義一

    ○角田義一君 いろいろお尋ねしたいことがあるんですけれども、あと二、三ちょっと時間の関係もありますから申し上げたいと思うんです。  アメリカのカーター元大統領が北朝鮮へ行ったわけでありますが、これはいろいろ評価があると思いますけれども、少なくとも外交上から見れば、片一方で制裁というようなことをやりながら片一方でああいう特使を派遣するということですから、はっきり申し上げて大変したたかな外交をやっておるなと。結果はどうなるかわかりません。わかりませんが、あらゆる方法を使ってやはり外交戦というものを展開しているなど。  それに比べますと、日本は、例えば中国にお願いするとかロシアにお願いして北朝鮮を説得してくれというのは、ちょっと私は外交としてはいささか寂しいなという感じを持つんですよ。もう少し独自外交、アメリカとのもちろん協力はするけれども、やはりアジアの一員でございますし過去のいろいろな歴史的な経過もあるわけでありますから、もちろん韓国ともよく協力もしながら、日本の独自外交というか顔が見える外交というのを展開できないものかなと。これは私は率直に国民的な感情として皆持っておるんじゃないかというふうに思うのでございますけれども、御両者はどういうふうにお考えでございますか。
  95. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  この問題は、伊藤先生が御専門ですから後でお聞きいただきたいと思います。  私は、独自外交と申されますけれども、こういった国際的な大問題に対して一国だけのシグナルというものが果たしてあり得るのかどうかに対して非常に問題を感じます。つまり、国際社会の動きを誤解させるようなシグナルなら、先ほど自民党議員から御指摘もありましたけれども、出さない方がいいわけでございまして、独自外交という名前は非常に美しいわけでございますけれども、何も内容のない独自外交ならやめた方がいいと私は思います。  ただ、言葉を返すようでございますけれども、独自外交をやるためには何といたしましても安全保障の基盤がきちっとしていないと独自外交は展開できないわけでございまして、これはキッシンジャーの言葉でございますけれども、力の準備のない外交は無力であるということを彼は言っております。私は何も独自外交が悪いと言うわけではございませんけれども、そういったことも考えるべきではないかと思います。
  96. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) お答えいたします。  私も基本的にただいまの阪中公述人の考えと同感でありますので、それは繰り返さないということで、その先ということでございますが、角田先生の真意は、しかし日本外交にもこれだけの大国になったのだからもう少し独自の貢献というものが工夫されてよいのではないか、こういう御趣旨であると承れば、私はこれからそういう日本の独自の貢献というものはいよいよ世界から求められていると思います。  それではどのようにしてそれを可能にしていくのかということになりますと、まず第一は安全保障でありまして、これは阪中公述人からただいま御指摘があったわけであります。私は、引き続き日米安保体制に基本的に依存する道は正しいと思いますが、と同時に、それだけに依存して日本の安全をあらゆる場合に完全に守り切れなくなるという展望もあるわけでございますから、そういう中で地域的な協力の枠組みの強化あるいは国連などを通ずるグローバルな貢献、そのためにはPKOなどにも日本はより積極的な参加をすることが必要であろうかと思います。  そういうような実績を積み重ねた上で例えば日本が特使を派遣したとき、現在の日本が派遣するよりもはるかに先方も耳を傾けるでありましょうし、国際社会もその動向に関心を払う、こういうようなことになって日本の外交の選択肢がふえていく、こういう関係なのではないかと考える次第であります。
  97. 角田義一

    ○角田義一君 先ほど両先生がこれからのいろいろ安全保障なり日本の国際的な役割なりを考える中で憲法改正の問題についても言及をされたわけでございますが、ここは議論する場ではありませんから私の考えをあえて申し上げるつもりはないんですけれども、私は、自民党の政権が長く続きましたが、自民党の政権も中国なりアジアに行ったときには必ず、日本は平和憲法がある、平和憲法があるから軍事大国にはならない、こういうふうに言ってきたと思うのでございます。これは間違いないことだと思うんですね。それはアジアに対する日本の歴代の政府の国際公約だというふうに私は理解をしておりますし、アジアの諸国もそのように理解をしておるのではないかと思うわけでございます。  そういう中で、日本のこれからの世界への役割を考えると、やはり憲法まで手をつけるといいましょうか、そういうことを日本日本としての立場でやったらいかがかというふうに御両者はおっしゃると思うのでございますけれども、果たしてそういう日本の動きというものをアジアの人たちは、長年にわたる自民党政府の、私どももそれを支持しておりますけれども、平和憲法があるから軍事大国にならないということはずっと私どももそのとおりだと思ってきておりますけれども、その辺、日本は憲法に手をつけることによって一体どうなるんだろうかというやはり不安というものをアジアに醸し出すことになるのではないか、それは果たして日本の国益に合致するのかどうかという疑問を私は率直に持っておるわけでございます。  私は、憲法というものは五十年、百年、日本の場合は手をつけないでいくべきではないのかなというふうな一つの感じを持っておるわけでございますが、御両者はその辺はどういうふうにお考えになっておるのか。特にアジアとの関係でどういうふうなお考えを持っておるのか承りたいと思います。
  98. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  憲法の問題は、実態、つまり日本が持っている実力と憲法という問題二つどちらを重視するかという問題があろうかと思います。その議論をし始めますと長くなりますので、私は実態的側面が非常に大事であると。よその国も周辺諸国も実態を見ているのであって、言葉にどれほどの信頼性を置いているのかということは私はちょっと留保させていただきたい。  ただ、私が申し上げております憲法の問題は、何も日本の国益、日本の利益のために憲法を改正する必要があるということではございませんで、ここ数年出ております憲法改正論の中心的な問題は、国際連合の集団的安全保障に対する貢献に対して日本の憲法が拘束要因になっている、それが正しいのか正しくないのかということでございます。特に、政府は集団的自衛権の発動を憲法解釈上認めていないわけですね。そういったことが今問題になっているのであって、何もこれは日本の国益といいますか日本だけの利益のために憲法改正の論議が提起されているのではないと私は思っております。
  99. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) 手短に答えさせていただきたいと思います。  憲法改正というと、平和憲法を見捨てるのか、軍事大国になるのか、そういう受けとめ方に根本的な誤解があるのではないか。平和憲法を護持することは言うまでもないことであり、より平和を前面に打ち出し、単に受け身の消極的な平和主義ではなく、前向きの積極的な平和主義を実現するための改正であるとお考えいただくわけにはいかないでしょうか。  また、その場合、軍事大国にならないことは言うまでもないことであって、主として世界各国が力を合わせてグローバルに国連等を通じ平和を維持する機能を強めようとしているとき、それに参加するのを妨げあるいは禁じていると解釈される憲法の部分を、国民が一人残らず、そうではない、それをむしろ憲法は許すだけではなく求めているんだと解釈できるような憲法を持った方がよいのではないかという意味であるわけで、これは平和を実現する方法として現在の憲法が時代に適合しているのかという観点からの問題提起とお受けとめいただければありがたく、またそのような議論を経て実現されるものであり、そのような文脈で実施され、そのような日ごろの行動があるならば、アジア諸国においてもこの憲法の改正をもって日本が軍事大国になると懸念するようなことはないのではないかと思うわけであります。
  100. 角田義一

    ○角田義一君 時間がもうありませんから、質問しても答えをいただけないと思いますので、大事なことを三点お尋ねしましたので、結構でございます。  どうもありがとうございました。
  101. 池田治

    ○池田治君 きょうは公述人の先生方、大変御苦労さまでございます。私は新緑風会の池田と申します。二、三、先生方のお話を伺った上で気になることを御質問いたしますので、よろしくお願いします。  まず、阪中先生。  安全保障の問題のお話を伺いました。非核三原則は平和と安全を求め戦争の惨禍を反省したもので、今まで戦後から今日まで大きな意義があった、こう申されました。そして、冷戦後数年たった今日では、集団的安全保障が世界の通念となってきて、一国だけの平和ということは考えられない時代になってきたと。私もそのように思うわけでございます。  国連憲章の第七章では、集団的安全措置の規定がございまして、平和の侵害に対しては平和回復措置がとれることが定められております。これは武力の行使をも容認するものだと伺っておりますが、そこで、集団的安全保障が世界の趨勢だということになりますと、我が国の憲法との間でどうしても衝突もしくは疑問の点が出てまいると思っております。我が国の憲法解釈としましては、国内法学者の間では、集団的安全保障は認められないというのが今までの多数説だったと思っております。  先生のきょうのお話を聞きますと、これはもうちょっと時代が古いので新しく考え直すべき時期に来ているのではないかというような趣旨に伺いましたが、そこで、我が憲法と集団的安全保障の関係について先生の御見解をもう少し詳しくお尋ねしたいと思います。
  102. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  国連憲章には御承知のとおり、ちょっと条項は忘れましたが、個別的自衛権と集団的自衛権は各国の固有の権利として保持を認めているわけでございますのですが、政府は今まで憲法解釈の上で、集団的自衛権は固有の権利として持っているけれども憲法九条の解釈上その発動は認められないという立場をとってきたわけでございます。ですから、政府そのものも集団的自衛権を固有の権利として持っているということは認めているわけでございますから、この解釈を変えれば私はいいのではないかと思います。  それは先ほどから議論になっておりますように、日本の国の安全を目的としてそういった解釈の変更をするわけではございません。国際連合の平和維持活動、平和への脅威、平和に対する破壊行為に対する行動として集団的自衛権を認めるということになれば、私はそこで矛盾はないのではないかと思います。  もっと具体的なことでお答えさせていただきますと、例えば、私は北朝鮮に対する制裁が好ましいものとは全く思いませんけれども、我々は国際連合に加盟しているわけで、その義務を遵守する必要があるわけでございます。もし安保理事会がそれを決定した場合に、我々はいろんな措置をとらざるを得ない。ところが、現在の政府の憲法解釈によりますと、多分あらゆる場合に自衛隊の使用というのは不可能、現行憲法上は集団的自衛権の発動を認めませんから、日本が攻撃されない限りあらゆる場合に集団的自衛権の発動は認められないという立場になります。そうしますと、国際連合がいかなる措置を決定しても自衛隊はその列外にいるということになります。これは、特に我々の周辺で起こっている問題に対してそういうことで国際社会を納得させ得るかどうかは私は極めて疑問だと思っております。
  103. 池田治

    ○池田治君 ちょっと問題もございますが、国際連合の話が今出ましたので、国連の安保理常任理事国入りの問題についてお尋ねします。  我が国では、GNPがもう世界第二位の経済大国になったので常任理事国入りを要求してはどうかという声が多々聞こえるわけでございます。常任理事国入りをするということは世界平和のために積極的に貢献できる地位につくということではございますけれども、一方、国際連合の中にはまだ敵国条項が残っていて、少なくとも形式上は我が国は敵国視されているわけでございまして、こういう国際連合の内部の改革をした上で、そして我が国の平和に対する要望というものをきちんとまとめた上でなければ常任理事国入りを急ぐべきではないと私は思いますけれども、先生のお考えはいかがでございますか。
  104. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  私も御指摘の点は幾らか懸念を持っております。私が懸念を持っておりますのは、先生御指摘の点と少し違います。常任理事国にはそれに相応した責任がございまして、例えば軍事参謀委員会というものが決定、設置された場合に、常任理事国は当然それに参加しなければならないわけでございまして、そういったことを果たして日本が決意しているのかどうか。そういった決意がないままでこの常任理事国入りを決意するということは、私は少し平仄が合わないんではないかと。つまり、政策の全般的な整合性の追求が私は重要な問題ではないかと思っております。
  105. 池田治

    ○池田治君 ありがとうございました。  次に伊藤先生にお尋ねいたします。  先生は新地域主義ということを盛んに強調なされまして、けさの読売新聞にも大きく先生の名前が写真入りで出ております。この経済の地域主義ということは、昔は古くから言えば大東亜共栄圏の言葉もその一つであっただろうと思っております。世界がブロック、ブロックに分かれて経済活動をしていこうということだと思っておりますが、冷戦の終結によりましてヨーロッパ社会のボーダーレスといいますか国際関係は非常に広がってまいりました。世界市場も拡大してきました。  そこで、日本はアジア、ヨーロッパ諸国はアフリカ、中近東、アメリカは南アメリカというように、そのブロック別の経済中心とした文化の繁栄ということを考えておられるようでございますが、これは何も新という言葉を使わなくても地域主義と言っても悪くはないのに、わざわざ新ということで新たな構想をまとめられた理由といいますか、ねらいはどこにあったのでございましょうか。
  106. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) お答えさせていただきます。  実は、まさに御説明させていただきたいと思っていた点をつかれた、非常に核心をついたよい質問と言うと失礼でございますが、ありがたい質問なわけでございます。  と申しますのは、地域主義と申しますと、つい最近までどうもマイナスのイメージが非常に強かったわけであります。それは一九三〇年代のブロック経済を連想させる、あるいは植民地主義国家が植民地を従えてその経済的ヘゲモニーを追求する、そういうイメージが地域主義に非常に強かったわけであります。  第二次大戦後、そういうイメージは少しずつ変わってまいりましたが、それでもEUとかNAFTAが言われ始めたころにおいては、EUはEUで貿易障壁をつくりNAFTAはNAFTAで囲い込みをやるのではないかというイメージがあったわけであります。  それに対しまして、ほんのここ一、二年のことでございますが、地域主義というものを全く逆の方からプラスのものとしてとらえる必要があるのではないかと。開放的地域主義あるいは建設的地域主義などと申しておりますが、新しい地域主義が生まれつつあるのではないか、そういうことが学問的にも指摘され、また実務家の、実務家と申しますのは日本のビジネスマンを含め現にこの世界企業で地域主義の流れの中に身を置いている人たちの体験でございますが、を踏まえると、まさにこの地域主義こそが、ガットあるいはWTO、ウルグアイ・ラウンドなどだけではまとめ切れないでいる、あるいはこじあけることのできなかった各国、特に第三世界あるいは旧社会主義国の保護主義的なドアを押し広げ、そこへ世界の最新の技術と資本が入ることによって逆にこれらの国の経済を活性化させ世界経済の成長の促進剤になる、そういう役割を現に地域主義が果たしているのではないか、そういう学問的な分析と経済人の実体験を踏まえて地域主義というものを前向きにとらえていこう、こういう発想から実は新地域主義と、これまでの地域主義から区別して呼ぶことにしたゆえんでございます。  もちろん、これは意識的に努力してそういう方向に持っていかないと、すぐ古い地域主義、閉鎖的な地域主義に逆戻りしかねない要因も抱えているわけでありますので、それだけに問題を的確、正確にとらえて誤らずに対応していくことが必要ではないかと考えております。
  107. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) 時間が参りました。
  108. 池田治

    ○池田治君 もう時間でございますので終わりますが、そうしますと、新というのをわざわざお入れになったのは、世界に目を向けた開かれた地域主義、こう解釈してよいわけですね。  どうもありがとうございました。
  109. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 公明党・国民会議の荒木清寛でございます。  まず、阪中先生に日本の安全保障につきましてお尋ねをしたいと思います。  先ほどの冒頭のお話で、日米安保条約は日米協力体制の基礎であってこれを強化すべきである、そういう趣旨のお話がございまして、私も全く同感でございます。    〔委員長退席、理事久世公堯君着席〕 ただし、この安保条約といいますのはあくまでも冷戦構造の中で生まれた条約でございまして、あるいは片務的である、そういう批判もあるわけでございます。そこで、新しい時代に即したこの日米安保のあり方につきまして、見直しをする必要があるんではないかというのが第一点でございます。  二つ目に、この日米安保条約というのがいわゆるアジア・太平洋地域における安全保障の枠組みづくりとの関係でどのように位置づけられるのかということをお尋ねしたいと思います。  三点目に、日本としても自主的な防衛努力をすべきである、そういう意味では防衛力の近代化が必要である、そういう御示唆もございました。それ以上の御解説はなかったわけでございますけれども、世界的な軍縮という流れの中で、それも踏まえて日本の防衛力というのは今後どのように考えていったらいいのか。  その三点につきましてお尋ねをさせていただきたいと思います。
  110. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  第一点の、つまり片務的な性格を持っているから双務性に変えるべきではないか、あるいはそういった必要が出てきているのではないかということでございますけれども、私の知る限り、現在の状況アメリカは格別困るという意見は出ていないように思います。むしろ、片務性を双務性に強化することによって日本の軍事的役割が増大するのにアメリカの方は懸念を持っているだろう。つまり、片務性を是正して双務性ということになりますと、これは日本の憲法改正の問題とも関連してまいりますので、私はそう容易なことではないであろうと思っております。  二番目に地域的枠組みの問題でございますけれども、日米安保条約は冷戦期に確かに御指摘のとおりつくられたものでございますけれども、既に地域的な安定の基盤を形成しているわけでございます。それからさらに、国際的な各種の機構に、特に経済的な側面でございますけれども、世界的な機構への日本の参加も安保条約による日本の地位の安定ということが背景にありますので、日米安保条約を単にバイラテラルな二国間の条約としてとらえるのには、二国間の条約でございますけれども、実際的にはそれを超えた広がりを持っていると私はお答えしたいと思います。  三番目、防衛力をどういうふうに考えるかということでございますけれども、私が申し上げたいのは、日本の置かれている地政学的な条件はヨーロッパと違っております。それから、日本の防衛力の構造がほかの国と違っております。つまり、日米安保体制に依存した結果として、アメリカに依存する部分が明白に大きくなっておるわけでございます。それからさらに、予備兵力というものは自衛隊にないわけでございまして、もし――もしと申しますか、NATOの国々は現に存在する現有兵力を削減いたしましてもクッションとして予備兵力、つまり予備とか、何と申しますか、ミリティアと申しますか、そういう形でクッションがあるわけでございます。日本は、私はどうこうしろということではございませんけれども、そういった特殊な構造を持っている。  それからもう一点、地域的な枠組みとも関係してまいりますが、ヨーロッパは集団的な防衛体制の一つの輪を形成しているわけでございますけれども日本の場合にはそれがないわけでございますから、そういった構造的な差異がある。したがって、私は冷戦の終結だから防衛力を即座に削減したり縮小したりしてよいとは考えておりません。もしそれをやるとすれば、それを補うような措置を並行して行わなければ片手落ちになるだろうと思います。
  111. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 次に、伊藤公述人にお尋ねをしたいと思います。  きょうのお話にはなかったわけでございますけれども、昨年の毎日新聞九月二十九日付を読ませていただきましたが、先生は日本国際救援行動委員会のボランティア活動としてロシアに行かれた体験を引かれまして、物と金だけの援助は不毛である、そういう御提言をなされております。  そこで、二点でございますけれども、ロシアに対してはどういった日本としての援助のあり方が望ましいのか、二点目には本当に我々が援助することによってロシアが自立をすることができるのか、その点につきまして先生のお話をお伺いしたいと思います。  以上です。
  112. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) ロシアとの関係につきましては、援助だけではなく安全保障そのほかを含めまして、まず幻想を抱くことなくロシアの現実、リアリティーを正確に把握、認識することが第一の必要条件ではないかと考えておりますしかるに、ロシアにつきましては、とかく幻想あるいは特定の思惑からくるスローガン的な政策目標が先行し、そのために実態との関係でむしろ結果的に逆効果をもたらすような政策が一時期のムードによって熱病的に追求されるという結果があることを指摘せざるを得ないと思うわけであります。  はっきり申し上げまして、私は、G7を総動員して行われてきたいわゆる対ロシアのマーシャル・プラン並みの援助というものにつきましてはかねて批判的な意見を述べてきたわけでありますが、今日振り返ってみますと、あの援助の前提になったロシア認識というのは現実から遊離したファンタジーに近いものであったのではないかと今にして思っているわけでございます。    〔理事久世公堯君退席、委員長着席〕 そのような立場からロシアに対する援助ということを考えるならば、まず第一にロシアは援助を必要とするような国であるのかということについて認識をはっきりさせる必要があるのではないか。  私は、ウラジオストクにおいて孤児院であるとか養老院であるとか貧困家庭であるとかいう家を一軒一軒回って、毛布であるとか小麦粉であるとか洗濯粉であるとかを配って歩いたものでございますが、一言で申し上げまして、ウラジオストクはヨーロッパ、ロシアから最も遠い僻地にある軍事拠点であったということで最も経済的に困窮していると思われた地帯でございますが、実際は全く困っておりません。むしろ、日本の貧困家庭、日本の養老院の方がよっぽど困っているのではないかと思うような実態があったわけであります。  したがいまして、品物を渡しても、こんなものを受け取る必要はないというような人から何でこんなものを持ってきたのかというような人までおりましたが、しかし最後に私が感じましたことは、それにもかかわらず私どもの気持ち、なぜやってきたかという心がわかりますと、握手をし、抱き合い、そして一緒に記念写真におさまって、心を開いていろいろな思いを語ってくれるということでございまして、私は、そういう意味でロシアが必要としているのは心であり、人と人との接触であり、開かれた窓を通じた世界との触れ合いである、決して物でもなく金でもないんじゃないか、そのように痛感した次第であり、また、このことは多くのロシア人が私に語ってくれたことでもあります。
  113. 西山登紀子

    西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございます。  阪中公述人にお伺いいたします。  先ほど北朝鮮の核開発疑惑についても触れられましたけれども、私は今、最も人類に脅威を与えているのは核兵器の存在そのものであり、実際この核兵器が使用された場合の核戦争の恐怖だと思います。先般、羽田政権が国際司法裁判所に核兵器の使用は国際法上違反でないとの陳述書を報告しようといたしまして、広島・長崎市長を初め国民の批判の前にとりあえず削除をいたしました。被爆者の方にお会いいたしますと、こうした羽田政権の態度は二度原爆を受けたほどの痛みを感じたと訴えておられます。  そこで、御質問ですけれども、私は、唯一の被爆国の日本が今とるべき平和のための国際貢献というのは、核兵器と人類は共存できないことを世界に警鐘乱打し、核兵器の使用禁止、核兵器廃絶の国際協定の締結にイニシアチブを発揮すべきだと考えますけれども、その点の先生の御意見と、もう一つ、国際法上、現在使用禁止になっている兵器との関連で核兵器の使用禁止は不可能なのかどうか、阪中先生の御意見をお伺いいたします。
  114. 阪中友久

    公述人(阪中友久君) お答えさせていただきます。  第一点の核兵器の使用の問題は、これは国際法上の問題でありまして、私は、実体的な核兵器をどうするか、削減せよとかあるいは廃棄せよとかというそういった政策イシューとは関係のない、単に国際法上どう解釈するかという問題であろうと思います。そういった観点からいえば、政府が現在、国際法的に、核兵器の使用は国際法上違法ではないという見解があってもおかしくないと私は思います。  それから、二番目の使用禁止をめぐる問題ですが、毒ガス、生物兵器は明らかに国際法上使用は禁止されているわけでございます。ただ、核兵器についてはこういった規定はないわけでございまして、どちらが危険かということになりますと、破壊力の大きさということになれば当然核兵器ということでしょうけれども、国際法上の使用禁止の規定がない以上、国際法上この使用を禁止する、国際法上核兵器の使用が違法であるということを断言していいのかどうかということは私は疑問を持っております。
  115. 西山登紀子

    西山登紀子君 それでは、時間がないと思ったんですが、その二つの点について伊藤先生の御意見もお伺いいたします。
  116. 伊藤憲一

    公述人(伊藤憲一君) 核兵器使用に違法性がないという日本政府の当初の陳述書案に多くの国民が違和感を持ったのは国民感情として理解できるところではございますが、しかし違法性があるかないかは立法論ではなく解釈論でございますので、これは解釈の問題として言えば、核兵器使用を禁ずる条約あるいは慣習法は確立されていないと言うほかはないのではないかと思います。  しかし、立法論としては、そのような核兵器を明示的に使用禁止にする条約というものはこれは制定する必要があるということで、これは日本政府国民挙げて努力してきたところであり、今後も努力すべきことかと思いますが、その場合において重要なことは、ただそのような条約をつくって署名すればそれで終わりということではなく、その合意事項を完全に履行させ、違約国が発生したときにはこれに対して履行を強制するシステムを国際的につくるということが同時に伴わなければ、それは単なる紙の上の一片の約束事にすぎず、正直者がばかを見るだけの結果になるおそれがあるということでございます。
  117. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言お礼申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。(拍手)
  118. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) 速記をとめてください。    〔速記中止〕
  119. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) 速記を起こしてください。     ―――――――――――――
  120. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) それでは、引き続き二名の公述人方々から項目別に御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。  本日は、平成六年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、まず経済景気について一河秀洋公述人からお願いいたします。一河公述人
  121. 一河秀洋

    公述人(一河秀洋君) 一河でございます。  本日は、この席で意見を述べさせていただく機会を与えられまして、大変光栄に存じております。  本日、私に与えられております課題は、経済動向との関連で平成六年度予算についての意見を陳述させていただくということでございます。  そこで、最初に景気の動向について少し触れさせていただくことから始めたいと存じます。  申し上げるまでもなく、現在の景気後退はこれまでになく深刻であり、長期間にわたっております。この数年間の実質GDPの前年同期比を跡づけてみますと、昭和六十二年あたりから平成景気と言われた時期が三年間ほど続き、この間、平均して五%前後の経済成長率になっています。これが平成四年あたりから下り坂になっておりまして、経済企画庁によりますと景気のピークは平成三年春ということでありますから、現在まで三年以上にわたって不況、景気後退が継続をしているということになるわけでございます。  この間におきまして、平成四年八月に十・七兆円、五年四月に十三・二兆円、九月に六・二兆円、そして六年二月に十五・三兆円と、繰り返して景気対策が実施されております。合計すれば史上最大の財政出動になっているわけでございまして、不況に対して金融、財政両面からの対策が行われたと言って差し支えなかろうかと存じます。しかし、それにもかかわらず、これらの財政による対策の効果と低金利の効果は、財政あるいは金融による景気下支えの作用はあったと存じますが、住宅投資を除いて民間需要を回復させる効果は今のところ十分には見られておりません。  もっとも、最近は消費需要の回復など幾らかは明るい指標も出ているようでございまして、六月の経済企画庁の月例報告におきましても、「総じて低迷が続いているものの、一部に明るい動きがみられる」、このように述べております。しかし、基本的には景気の柱でございます設備投資がなかなかよくなってくるという気配が今のところ見られませんので、景気が本格的に回復に向かうかどうか、この見きわめは極めて難しい段階だと言わなければならないだろうと考えております。  ところで、このような不況の原因といたしましては、一般的には二つの原因が指摘されております。  一つは、生産能力の過剰と申しますか、総需要、総供給のアンバランスでございます。  平成景気あるいはいわゆるバブル期におきまして、低金利による資金調達が可能だった、あるいは株高の中で、エクイティーファイナンスを行うことにより低コストの資金調達が可能だった。この結果として大きな設備投資が行われ、生産能力が過大になって、結局はそこで過剰となった資本ストックの調整が現在まで継続をしているということでございます。  この数年間の総需要の動向を振り返ってみますと、一つ消費需要でございますが、バブル期には極めて大きかったものの、平成三年以降は極めて低い伸びになっております。消費需要は総需要の約六〇%と大きなウエートを占めておりますので、消費需要の伸び悩んだことが景気の後退に大きな影響を与えたと存じます。しかしながら、最近は先ほども申し述べましたように下げどまりの兆候が見られますが、まだまだ本格的に上昇したということは言えないようでございます。  第二に、設備投資でございますが、平成三年初めあたりまでは前期比一〇%増と伸びが極めて大きく、その後落ち込んで、平成四年以降はマイナスの伸びになっております。これが景気を落ち込ませる最大の原因の一つになっております。  ただ、同じ投資でありましても住宅投資については、昭和六十二年ないし六十三年に大きな伸びを示した後、六十三年中ごろから平成四年にかけて落ち込み、最近はかなり回復の傾向を示しております。  また、輸出につきましては、ドルベースでは大幅の増加になっておりますが、円高のため、円ベースではその伸びが低迷をしております。  全体として見ますとき、昭和六十二年から平成三年の初めまで続いた好景気がそこでピークになり、その後は総需要の低迷のために大きな設備の過剰が現在まで続き、設備投資の回復をおくらせ景気の回復をおくらせている、こういうのが大体のところ現在の景気の流れだと言って差し支えなかろうかと存じます。  このような生産能力の過剰、総需要の不足による不況に対して繰り返して実施されてきた景気対策、これは少なくとも景気の下支えとしてはかなりの効果を持ったはずだと言えるかと存じます。景気に対する深刻さの認識に必ずしも十分なところがなくて、景気対策が小出しになってしまったという批判は免れ得ないと思いますけれども景気対策方向としては間違っていなかったと言ってよかろうかと思います。  殊に今年度所得減税中心とした大規模な景気対策が行われているわけでございますが、ある程度の効果は期待できるかと存じます。しかし、現在のところまでの景気の動きから考えてみますと、これをもって景気の回復がすぐに期待できるというような十分な効果を予想できるかと申しますと、この点については疑問に存じます。  また、不況のいま一つの原因といたしましては、構造的な原因がございます。実際のところ、景気対策が繰り返して実行されているにもかかわらずこれが本格的な景気回復に結びついてこない。本格的な景気回復に結びついてこない最大の理由の一つは、不況の原因が単なる総需要の不足、設備投資の過剰によるだけではなくて、構造的な制約要因が重なって生じているからだと言えるかと存じております。  すなわち、需要面におきましては、円高による賃金コストの上昇があり、我が国産業の国際競争力が著しく低下をしております。また、産業構造の変革に対して必ずしも適切な対応が行われていないということもございます。またさらには、円高、賃金コストの上昇のために産業空洞化が生じつつあることも指摘されるかと思います。また、供給面におきましては、高齢化があり、技術革新のスピードの低下があり、また高成長期のようにリーディング産業が次から次とあらわれてこない。リーディング産業が存在をしない。これらの事情が存在をいたしまして、いわば経済の体質が高成長から低成長に転換をしている。  昭和四十年代の後半から五十年代のごく初めにかけまして、技術革新の停滞と労働力の増加率の停滞によって高成長から低成長に転換したということが言われ、それまで年率にして一〇%前後の経済成長であったものが五%前後の経済成長に落ち込んだわけでございますが、現在の我が国経済はいま一段と低成長の体質になっていると考えてよかろうかと思われるわけでございまして、この低成長経済に対する適応が十分に行われていない。これが不況を長引かせているいま一つの原因だろうと存じます。  このような景気動向と経済の体質の変化に対する適応のおくれ、これは財政の運営にも痕跡を残していると言えるかと存じます。  この十数年間の一般会計歳出伸び率と公債依存度の推移を振り返ってみますと、昭和五十年代後半以降六十二年度までは財政再建ということで歳出増が抑制され、この間、財政収支バランスの回復が図られた跡がうかがえます。しかし、その反面で、六十三年度以降になりますと歳出増がかなり大きくなっています。しかし、それにもかかわらず公債依存度が低下し、殊に平成二年度から五年度には特例公債からの脱却が実現をしております。歳出増が回復をしながら財政収支バランスが改善をされた。しかしこれは、財政収支バランスの改善が必ずしも財政体質の改善によるものではなくて、平成景気、バブル経済への依存によって財政収支バランスが回復をしたにすぎない。財政体質そのものは必ずしも改善をされていないと言って差し支えなかろうかと存じます。  言うならば、現在の財政運営には是正されるべきひずみが残っているということでございます。すなわち、前年度実績増分主義という従来の財政運営の継続から生じているひずみであり、経済社会情勢の変化に財政運営が十分に対応していないことのひずみでございます。  経済社会情勢の変化と申しますのは、現在の我が国経済が高成長経済から低成長経済への体質変換に迫られており、その中で体質改善が迫られているということでございます。すなわち、保護、規制による政府主導の経済成長、近代化から自己責任への変換、自由競争経済への転換に迫られております。あるいはシェア拡大、成長志向型の企業経営から収益志向型の企業経営へと転換せざるを得なくなっております。あるいは年功序列、終身雇用の日本型雇用慣行による労使安定関係が崩壊をしてきております。また、近代化のおくれている流通産業の保護、規制による内外価格差の是正に迫られている。これなど既得権益を保護するいわば助け合い、もたれ合い方式、俗に言う護送船団方式による社会的な安定を基盤とした経済成長が国際化、高齢化の進行の中で崩壊せざるを得なくなっているということでございます。しかし、経済体質としてはその適応がおくれております。  財政についても同様でございます。従来の歳出予算の配分は、省庁別の前年度実績増分あるいは一律削減の減分主義による硬直的な配分でございます。このため、省庁内での歳出配分の見直しは行われても、省庁間の見直しは十分に行われておりません。  そこで、例えば公共事業費の配分一つをとってみましても、過去二十年間、事業別、省庁別に見てほとんど変わっておりません。現在、見直しか進められていると伝えられます公共投資基本計画におきましては、生活関連分野の投資比率を高める方針だと言われております。しかし、省庁別配分の硬直性がネックになりまして、投資配分の見直しは制約されざるを得ないであろうと考えられます。結果として、高成長期に重視された産業基盤としての社会資本整備は進んでも、生活基盤としての社会資本の整備はなかなか進まないということにならざるを得ないだろうと考えられます。既得権益としての歳出が継続されていることの結果だと言えるわけであります。  この既得権益が整理されないままに、そしてそれによる歳出の削減が行われないままに、高齢化社会への対応、国際化社会への対応、社会的ニーズの変化への対応、地方の時代への対応など多くの避けることのできない新規経費が上積みされることになりますと、今後歳出の肥大化傾向はむしろ大きくなっていかざるを得ないだろうと考えられるわけでございます。  このように見てまいりますと、今年度の財政運営には特に問題とされるべき二つの点があろうかと存じます。  一つは、景気対策としての適切性でございます。この二月の公共投資増加所得税、住民税の減税等の決定による景気対策は行われています。しかし、必ずしもこれで民間需要に大きな刺激効果を持ち本格的な景気回復が生ずるものとは考えられません。景気対策を重視するならば、減税よりも公共投資にもっと重点を置くのが適切ではなかっただろうかと考えます。  経済企画庁の試算によりますと、名目で一兆円の公共投資の一年目の波及効果は一兆三千九百億円であるのに対して、一兆円の個人減税の一年目の波及効果は五千三百億円にすぎません。公共投資の方が減税よりも景気刺激効果が大きいと考えられるからでございます。  これに加えて、所得減税が今後の財政運営に与える影響も問題でございます。主税局のいわゆる機械的試算では、減税の継続、つなぎ公債の十年間償却、社会保障予算増加前提とすると、消費税率を一〇%にしないと収入不足になるとされております。もちろんこの試算にはさまざまの問題があることは存じております。しかし、方向としては結局のところ今年度の減税は将来においてなし崩しの税制改革を避けがたいものにするという懸念が極めて強いと考えられるわけで、この点問題だろうと存じます。  いま一つの問題は、構造的対応の姿勢が今のところ財政運営に基本的には見られないということでございます。我が国財政が先ほど申し述べましたような経済社会構造の変化に対応し得るためには、財政運営につきまして長期計画性の導入と従来の前年度実績尊重主義の見直しの必要性が極めて強いであろうということでございます。  例えば、このためには、予算の単年度制の見直しでありますとか、省庁別の予算編成方式の見直しでありますとか、PPBS方式の再検討でありますとか、ゼロベース予算の導入の検討ですとか、さまざまな政治主導での財政運営方式の基本的な見直し、その意味で本格的な財政改革、毎年毎年の数字の問題ではなくて仕組みの問題としての財政改革の必要性が極めて緊急であり、差し迫っていると考えております。この点、諸先生の御配慮をお願いしたい次第でございます。  どうもありがとうございました。
  122. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ありがとうございました。  次に、社会保障につきまして丸尾直美公述人にお願いをいたします。丸尾公述人
  123. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) こういう機会を得まして非常にありがたいと思っております。できれば、こういう機会があったり、あるいは政府委員会に入らなくてもこういうような資料が時宜を得て学者や大学にさっと配布されればどれだけいい議論ができるのかと、ちょっと残念に思われます。今後、できれば、こういう公述をしたり審議会等に入る人以外にも即時に資料が手に入れられるような仕組みを考えていただきたいと思います。余分なことをまず最初に申しましたけれども、本論に入ります。  社会保障といいますと、二十一世紀の福祉ビジョンというのが一つの柱になっていると思います。ですから、そこと関連させながら話させていただきたいと思います。  まず、二十一世紀福祉ビジョンは、私の理解では、所得税減税消費税率等の引き上げと三点セットになっている、いわば一種のポリシーミックスであると考えております。所得税減税に加えて消費税引き上げとセットになりますと、所得税減税所得の低い人には恩恵がありませんし、あるいは少ないし、他方、消費税は低所得者にむしろ重くかかるということですから、これを考慮しますと、低所得者層に有利な政策をセットにしないと不公正になるということで、低所得者に有利な福祉政策を組み合わせるという形で二十一世紀福祉ビジョンが出てきているというような感じを持っております。そういう意味で、三つは総合的に考える必要があると思っております。  ただし、所得税減税消費税引き上げを同時に行えば、総需要曲線を右上方にシフトさせながら総供給曲線を左上方にシフトさせることになりまして景気回復効果を相殺しますから、景気回復を待って、必ずしも消費税ではないけれども増税をするというのが方向としては妥当であると思いますし、そのときやはり需要拡大に役立つ所得税減税福祉充実を先行させるというのは妥当な方向であると思います。ただ、そのままで財政収支の均衡をやりませんと責任ある政府ではありませんから、景気の回復を待って早目に何らかの形の増税をするということが必要であると思います。  それから、今回の二十一世紀福祉ビジョンを機会に、政府福祉政策の最もおくれていると思われていた二つの分野、一つは老人の介護、それからもう一つは育児期の女性と家族に対する家族政策が重視され、一つの理念に革命的な変化が起ころうとしているということは歓迎すべきことであると思います。  老人福祉サービスに関しましては、ゴールドプランによって既に選別主義から普遍主義の方向に動いておりました。しかし、女性とその家族に対する家族政策に関しましては、いまだに保育に事欠くような人を対象とした形で社会保障の中に普遍主義的な位置づけを持っていませんでした。それが今回、社会保障として普遍主義的な方向を位置づけられたということは好ましいことであると思っております。  これはまた男女の雇用の平等という観点からも、あるいは長期的には、もし女子の就業率が上昇しないで労働時間が非常に短縮していきますと、生産年齢人口が低下する段階で景気がある程度維持されていれば労働力不足が生ずるという問題もありますし、将来の社会保障負担に重要な影響を与えるということもありますから、やはり一方で女性の就業を促しながら、他方で出生率低下を阻止して若干回復させるという政策をとる上からも、今、家族政策に大きな焦点が当てられたということは非常に結構なことだと思います。  皆さんのところに配られている資料、これ、非常にミスプリが多いまずい資料ですけれども、二ページにグラフがありますように、これは偶然かもしれませんけれども、初婚年齢と出生率との間には明瞭な逆相関関係がありまして、この初婚年齢が就業率と正の相関関係があります。ですから、就業率が高まると出生率が下がるという一つの傾向があることは否定できないわけですね、今の制度のままですと。ただ、北欧などの例に見ますように、就業率が男性と数%ぐらいしか違わないほど非常に高まりながら出生率を回復した国もありますから、そういう国の政策をも十分に配慮して政策を講ずることは非常に好ましいことであると思います。  しかし、その他いろいろ二十一世紀福祉ビジョンには長所がありますし、数字をいろいろと大胆に示してくださったということも非常に結構なことであります。ただ、いろいろな点でまだ問題が残っておりますので、そういう点に関しまして、ぜひ政治の方で間に合うものは今回の予算でも具体化していっていただきたいと思います。  まず第一に、老人福祉サービスと育児期の家族政策のビジョンは非常に結構であるし、そしてマクロの数字も示されたということは非常に画期的なことでありますが、その割には具体的内容がはっきりしない。特にお金がかかると思われる高齢者の介護保険の方向社会保障制度審でも示唆されております。それからもう一つは、出産・育児期の女性の就業者が休業したときの休業の給付、この制度を保険にするのかどういう形にするのか、そして給付率はどれくらいにするのかというのがあいまいなままにマクロの数字だけ出てきているというようなところはかなり問題を残している。そういう点を具体化していく必要がありますし、今回の予算の中にもできる限り反映していくということが必要であると思います。  それから、社会保障給付費の中の公費負担がどれくらいになるか。機械的試算でも、一応機械的試算ですから余り変えないでやっておるわけですけれども、四ページの図表2に見ていただけますように、近年、社会保障給付費に占める公費負担の比重は一九七八年ごろから傾向的に低下してきているわけです。この傾向がもしある程度続くとすれば、そして老人介護も保険化されれば、そしてまた育児休業も社会保険化されれば、公費負担の比重が今の大蔵省試算のほどにはならないという計算が出てきます。そうしますと、大蔵省が出している消費税率の数字が必ずしも必要でないとこの点だけからは言えます。  もっとも、負担自体が社会保険に転嫁されるわけですから全体として負担が減るわけではないわけですし、大体私は、二十一世紀福祉ビジョンが出している社会保障給付費の対国民所得比は二〇〇〇年の数字も二〇二五年の数字も大体妥当な線だと思います。実は私がいろんなところに書いている数字とほぼ一致しておりますから、それが間違っていると言うわけにはいかないわけですけれども、あれくらいの線にはなると思います。  ただ、その構成比に関しましてもうちょっと見ていきますと、次に図表3があります「社会保障給付費の構成比の動向と予測」、そこで御承知のように、全体の社会保障給付費の中の医療と年金の部分が構成比が下がりますね、要するにその他が上がりますから。二〇〇〇年までは上がるということ、これはわかるんですけれども、その後再び構成比が下がってきます。そして、医療費は二〇一〇年から再び構成比が上がりますけれども、この二〇〇〇年以後のなぜこうなるかについては二十一世紀福祉ビジョンも具体的には示していない。その辺のところの根拠づけが必要であろうかと。私自身も福祉ビジョン懇談会の委員でしたから余り批判的なことを言うことはできないわけですけれども、この辺のところはまだ十分詰めてないということで、将来予測をする場合にはこの辺をもう少し詰める必要があると思います。  それから、将来の国民負担率につきましていろいろ議論があります。今度の二十一世紀福祉ビジョンは、大胆にも二〇二五年には国民負担率が五一%ぐらいにはなるであろうということを示唆しています。公的支出のデフレーターはちょっと大きいと。公的部門は生産性の上昇率が低いから、相対的に物価が上がることを考えますと、あれ以上、五一%以上に国民負担率がなるという可能性は大きいわけです。  国民負担議論というのは、いろいろ議論される割には内容がはっきりしていないということで、ここに国民負担率を左右する技術的要因というのを六項目ぐらい挙げておいたんですけれども、こういう要因を考慮しないと、単に国民負担率の数字を五〇%以下にしなければならないというようなことが義務づけられますと、例えば何か給付をするかわりに所得控除方式にしていく、そうすれば税金を払っている人は場合によってはその方が得になったりしますけれども税金をもともと払っていないような低所得者には損になったりしますから、余りに国民負担率という数字にこだわることは若干問題があるということです。  もしそれで数字を出すならば、ここに入れましたような六項目の数字をきちっとどういう想定の上で計算したかということを出してやる必要がある。私はむしろ、税金の限界は何%ぐらいか、国民所得の何%かというよりも、手取りの実質所得税金がかかったにもかかわらずふえていくということが必要であると思っています。そういう動態的な基準を示していく方がいいんではないかというふうに考えています。  今度の福祉ビジョンにおきましても、あるいは政府の方針としまして税金負担を出す場合に、やはり一方において給付がどれだけになるということで給付を受ける人々に安心感を与えるということ、そして、それが長期的持続可能であるということを財政的に示して安心感を与えると同時に、負担をする人にとってもどれくらいの負担になるか、そして、それだけ負担があっても経済が成長していけば手取りはちゃんとふえていくんですよと、そこを見せてあげることが必要であると思うんですね。  単に負担率が高くなると言いますと、時々講演をやる先生方の中にもおかしな先生がいたりして、スウェーデンは国民負担率が七七%だ、それじゃ給料をもらっても七七%税金社会保険料で取られてしまうなら働きがいかないというようなことを言っていますけれども、実はスウェーデンでも八割の人は三〇%以内の税金で直接税はやっているわけですから、そういう点、非常に誤解があるわけです。  五〇%以上の国民負担率になると言うと、税金が半分以上取られるんじゃないかというようにサラリーマンは思ったりしますけれども、恐らく国民負担率で五〇%といっても、消費税率がある程度上がっていけば実際に勤労世帯にかかる税金社会保険料負担率は今の一五、六%が三〇%に近づくという程度で、決して五〇%なんかなるわけではないですか。そして、その場合に手取りがどれくらいになっていくか、そこの数字を試算して示してあげるということが負担をする人に安心感を与えるわけです。少なくとも実質手取りが減っていくような、そういう政策をやったらおしまいだと思うんですね。それを可能にするには経済の安定成長が必要で、私の計算ですと経済が二%以上成長していけば手取りはふえていくと思います。  一九七五年から九一年まで、結構我々は豊かになったと思っていますけれども、その間でも勤労世帯の実質手取りは一%ぐらいしかふえていないんですね。それくらいずつ実質ふえていればまあまあいいわけですから、これからは負担が重くなるとしてもその程度はふえるんだというような、そういう数字をもうちょっと出してあげる方が国民負担率が何%かと言っておどかすよりいいんじゃないかという感じを持っています。  それで、政府の数字、いろいろ出していただいて試算したわけですけれども、どうしても一部の人しか試算ができないということで、さっき言いましたように、私もいただいて急いでコンピューターに入れていろいろやったんですけれども、十分な関係をつくって確たる試算をするまでには至らなかったんですけれども、だんだんとコンピューターは発達してきていますし、こういう因果関係というのは全部数式になるんです、数字になったものは。ですから、きちっとこの因果関係が、言葉で示すと同時に数式でも全部示されて、もうこごが何%動けば消費税率に何%反映するかというような、そういうのを裏できちっとつくる必要があると思うんです。そういうことは、そういうことが得意な学者をうまく協力させれば、資料さえ出してあげれば自動的にかなりの人がいろいろやるでしょうし、議論が沸き起こるでしょうから、そういう点でも今後情報公開というようなことをもう少しお考えになっていただくと、もっと実りある議論が出てくるわけです。  学者というのは確かに余り、一河先生もおっしゃいましたように余り当てにならない予測をしておりますけれども、事後的には、二、三年たってからあのときはこうだったということは出るんですけれども、大体統計がおくれて出ますし、社会保障統計は三年ぐらいおくれて出てきますから、それを使っていろいろやっていたんではいい予測ができないのは当たり前なんですよね。  そういうことをお考えいただきまして、予算編成や景気予測にも、たまたま審議会に参加できたりあるいは公聴会で資料をもらったりしただけが参加できるんではなくて、多くの有能な若い学者なども参加できるような機会をつくっていただきたいと思います。  今回のこの福祉ビジョン、もうちょっと問題点としまして幾つかあるんですけれども、やはりだれもが言うとおり、これは社会経済生産性本部で加藤税調会長が講演されたんですけれども、やはり一般の庶民の感じとしては、行財政改革とか規制緩和とか、いろんな外郭団体がいっぱいできたり、いろんなところを考えていきますと、そういう点でまだ効率化できる面があるんではないかとかいろいろ疑問ありますし、その他、やはり政府所得消費資産バランスを考えた公正な税制を考えよと、税調にも細川前首相はそういうふうに諮問しているわけです。  やはりさっきの三点セットの中の消費税等の等をもうちょっと重視していただいて、資産課税とか、それから環境税とか、国によっては既に環境税をエネルギー税まで入れますとGNPの三%まで取っている国がありますが、それがいいかどうかはともかくとして、そろそろ環境税もGNPの一%ぐらいは寄与できるようにもなってきています。  今は景気が悪いんですけれども、しかし長期的には資産というもの、資産課税は確かに割に比率は低いけれども、しかし、日本国民所得、GNPに対する資産比率が非常に高いわけですから、バランスということが単にほかの国と比べて比率がどうかということじゃなくて、所得資産との関係でどうかということも考えますと、長期的には資産課税ということがもうちょっとあっていいと思います。  そういうことをセットにして考えていきませんと、先ほどのような三点セットだけでは、まだ必ずしも納得は得られてないと思います。私、個人的にはやはりその三点セットは必要だとは思っていますけれども、その辺の御配慮をぜひお願いしたいと思います。
  124. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  125. 佐藤泰三

    佐藤泰三君 ただいまは一河公述人、また丸尾公述人から御高説賜りまして、ありがとうございました。  自民党の佐藤泰三でございますが、両公述人にさらに何点か御教授願いたいと思うわけでございます。  まず最初に、一河公述人経済景気につきましてお尋ねしたいと思います。  景気の見通してございますが、御案内のように、四十数年前、あの壊滅的日本国土から、国民の勤勉と時の政府の指導方針よろしきを得て、世界の経済大国に成長したわけでございます。しかし、冷戦構造終結により機構が変わりましたし、この辺でいろいろな形で円高あるいは人件費高騰等によりまして日本経済の先行きも今までのようなわけにはまいらないんじゃないかと思うのでございますが、今後の景気の動向につきまして、今までは日本だけの景気だったんですが、これからはもう世界が一つになりましたから世界的動向を見ないと景気判断できないと思いますが、どうぞその点ひとつ河先生に、今後の動向としまして、政府は今年度の経済成長の見通しとしては二・四%としておりますが、その達成見込みにつきましてまずお伺いしたいと思いますので、よろしくどうぞ。
  126. 一河秀洋

    公述人(一河秀洋君) 御質問いただいてありがとうございます。  非常にお答えしにくい難しい問題でございます。先生は戦後の混乱の中から構造的な変化を経て現在にまで至っている経過をおっしゃいました。その点は全く私も同感でございます。よくここまで来れたという感じがいたします。しかも、現在構造的に非常に難しい局面になってきているということが一番の問題でございまして、先生御指摘の円高、賃金高による国際競争力低下産業空洞化、これが確かに景気の立ち直りを妨げている大きな壁だということを十分に認識しなければいけないだろうと考えます。  殊に、最近ハイテクのハードの分野につきましては十分な地歩を固めたつもりのところが、ソフトの分野で非常に立ちおくれてきている。これは今後の我が国経済にとって生き死ににかかわる問題だろうと存じます。しかし、石油ショックを経験し、円高を経験し、何とかそれを乗り越えてきた日本経済活力に期待をすると言うことができるだけでございます。  総需給のバランスという点だけから考えますと、今後の景気対策のよろしきを得れば政府見通しの二・四%は必ずしも達成不可能な数字ではなかろうと存じます。ただ、しかしながら、現在に至るまで本格的な景気の回復が見られておりませんので、構造的な要因まで含めて考えますと、二・四%の成長率達成は極めて困難ではなかろうかという感じがしております。  結果として、財政は税収の自然減収、歳入欠陥を生ずることになるでありましょうし、たとえ海外の景気の立ち直りがあったといたしましても、現在の円高の中ではこれが我が国の輸出増ということには結びついてこないし、輸出増があったとすると国際摩擦が起きるし、いわばがんじがらめの状態でございますから、二・四%の成長は結果としては極めて困難だと言わざるを得ないと考えております。
  127. 佐藤泰三

    佐藤泰三君 次に、所得税住民税減税によりまして景気浮揚を図ろうということで、政府は個人消費の刺激策として六月と年末に五兆八千億円の所得税及び住民税の減税を実施するわけでございますが、減税分の大半は貯金に回るのではないか。また、年金保険料の二%アップもございますし、医療保険による入院患者給食費一日六百円、これ合算しますと一兆一千億円になりますので、約二〇%が景気浮揚策としての効果が減るわけでございます。これ、先ほど先生がおっしゃいましたように、この減税景気刺激に余りならないのじゃないかというふうに私も考えておるのでございますけれども、この点につきまして、この疑問をいま一度ひとつお願いします。
  128. 一河秀洋

    公述人(一河秀洋君) 先ほど申し上げましたのは、経済企画庁の世界経済モデルによる試算を参考例として申し上げた次第でございます。  世界経済モデルによる試算では、減税公共投資の一年目の波及効果として公共投資は一兆三千九百億、減税の一年目の波及効果は五千三百億ということでございまして、同じ金額の財政赤字であるならば減税よりも公共投資の方が景気刺激が大きい。そういう意味で、公共投資の方にもう少しウエートを置いてもよろしかったのではなかろうかという趣旨のことを申し上げた次第でございます。  ただ、それでは減税が全く必要ないかということになりますと、矛盾しているようでございますが、この点も正直に申しまして必要がないとは言い切れない気持ちなのでございます。それは現在の所得税負担構造に極めて大きなひずみがあるということなのでございます。  実際に、所得税は建前としては総合累進課税でございますけれども、実質的には分類所得課税化しております。利子配当所得は分類課税でございますし、あるいは有価証券、土地等の譲渡益は分類所得課税でございます。そして、所得税収の五〇%以上が給与所得からの税収によって徴収されておりますが、現在の累進税率は中間所得層において急に税率が高くなってくるため、中高年齢層税負担が偏っている。そして、中高年齢層は生活の負担が重いものですから、実際には税負担能力が大きいとは言えない。税負担能力の余り大きくないところに重い税負担が偏っているということで、今年度のような一律二〇%減税課税最低限を上げるとか控除額を上げるよりは、かえって思い切った減税でよかったのではないかという感じもいたします。  したがって、景気政策という観点だけに絞って考えるならば、明らかに減税よりも公共投資の方が効果は大きい。しかしながら、負担公平性ということもあわせて考えるならば所得減税も必要であった。矛盾しているようでございますが、そのように考えております。
  129. 佐藤泰三

    佐藤泰三君 減税もあれでございますが、日本所得税は最高税率が地方税と合わせて六五%、また資産評価の相続税も七〇%、法人税の最高税率約五〇%と、これまた世界のダントツの高い税率であるわけでございますが、日本企業はそのために非常に海外に転出しております。東マレーあるいはペナンに行ってまいりましたが、百三十社以上の会社が向こうに移転しておる。その点、だんだん日本国内の優秀な企業が海外に出て空洞化してくるんじゃないかということを考えますときに、やはり世界の趨勢を見ながら税制問題あるいは人件費の問題等を考えませんと、非常に経済の成長、将来不安じゃないかなと。  先日も日産の関係に聞きましたら、日産の下請で高校卒の男子が大体十五万円で、なかなか集めるのに苦労していると。青島に工場をつくったら、五千円でもって何十倍と来る、三十分の一だ、とてもこれは勝負にならないということを聞きました。  それやこれや考えますと、非常に日本経済の将来に危惧を持つのでございますが、今の恵まれた日本のこの社会状況を守りながら、これを落ちないようにするのにはどのような対策がよろしいかということについて伺いたいと思うわけでございます。
  130. 一河秀洋

    公述人(一河秀洋君) ますます難しい御質問でございます。  税収の点で申しますと、佐藤先生御指摘のとおりでございまして、確かに最高税率は、所得税におきましてもあるいは相続税におきましても、法人税におきましても、世界に類を見ない高い税率になっております。これが経済のインセンティブを阻害し空洞化を招いているのではないかという御指摘で、確かにそのような側面が存在しようかと存じます。  そこで、最近よく言われますのはOECDの統計でございまして、所得課税消費課税資産課税三つに分けますと、日本はOECD加盟国の中で所得課税が飛び抜けて大きくて消費課税が飛び抜けて低い。見直しの主張の極めて強い論拠の一つにされております。  ただ、この場合、あえてここで申し上げたいのは、資産課税については余り注意が払われていないということでございます。資産課税はOECD加盟国の中では中位に属しておりますが、しかし、だからといって我が国資産課税が現状のままでよろしいということではなかろうと存じます。相続税が最高税率七〇%、確かに非常に重いのでございますけれども、しかしその反面で、現在の我が国社会高齢化社会等とともに資産社会に移行している。平成元年の経済白書でも、我が国経済はストック化社会になっているという指摘がございます。そのストックの中心はといえば土地資産と金融資産、ウエートから申しますと土地資産が圧倒的に大きいわけでございます。  そこで、この土地の資産に対して非常に重い税金がかかる。ところが、七〇%の税率ということも問題でございますが、この評価額も問題だろうと存じます。相続税の評価基準になります路線価が必ずしも実態に見合ったものになっていないということでありますとか、従来は右肩上がりと言われた土地神話を信じていたことが崩れてきている。これが最近の相続税の物納などにもあらわれてきているわけでございまして、こういう点の調整は必要だろうと存じますが、私自身は相続税の税率かなり高くてもいいと思っております。  現在の資産社会におきましては、所得分配も重要であります。社会保障も重要でございます。しかし、それと同様に資産の再分配ということがもっと強調されてよかろうと思っております。二、三年前の総理府の調査でも、生活程度については中流程度と答えている人が国民の九割を占めている、ほとんどでございます。しかし、これに対して、資産程度では下流であるとか中の下流であるとか答えている人が五〇%と高い比率を占めております。今や社会の不満は所得格差の不満よりも資産格差の不満にあるということで、相続税について、親からもらったものは子供のものだ、親の残したものは子供のものだという感覚から、少なくとも土地につきましては、土地は公共的なものだという土地基本法の精神がここでもう一度思い出されてよかろうと思っております。  その意味では、あえて付言をいたしますと、現在固定資産税の評価がえに伴う負担増がいま一つ社会の問題になっております。確かに急激な負担増でもありますし、平成五年度の評価に基づいている、公示価格に基づいているということもあって、その後の値下がりが反映していないことからの不満も出ているかと存じます。  しかしながら、例えば最近の富士総合研究所の研究によりますと、日本の土地が高いのは、一つは土地生産性が高いからだと。しかし、それで説明できない要因がある。それは日本の土地保有税の低さによるのじゃないかと。日本の土地保有税は平均して○・二%程度であるけれども、欧米では二、三%になっている。この保有税の低さが日本の高地価の一つの原因だということが指摘をされております。こういう点では、所得課税消費課税と並んで資産課税について抜本的な見直しの必要性が極めて強いと考えております。  どうも御質問に比較して的の外れた余計なことを申し上げまして、お許しをいただきたいと存じます。
  131. 佐藤泰三

    佐藤泰三君 ありがとうございました。  次に、社会保障問題につきまして丸尾公述人にひとつお尋ねしたいのでございますが、社会保障といいますと当然福祉になるわけで、福祉政策のあり方につきましてお尋ねしたいと思っております。  先ほど申しましたけれども日本は東京オリンピックごろまでは働け働けと一億国民ががむしゃらに働いてきて、東京オリンピックが無事済んだ。あのころ生産性が上がりまして、非常に各地区で税の余裕が出てきた。昭和四十四、五年だと思うのでございますが、急に福祉という言葉が日本列島に充満してきて、福祉ってすばらしい言葉だな、列島がバラ色になると我々も当時夢中で思ったものでございまして、立ちおくれの福祉政策もあのころから急激に充実して今日になったわけでございますけれども、これから経済が低迷してくると今までのようなわけにはいかないという点を考えるのでございますし、また今までの考え、福祉といいますとどうしても物質本位できましたし、現在もそうだろうと思うんですが、決して福祉は物質だけではないし、心も大きな要因であるんじゃないかというふうに私は強く感ずるわけでございます。  日本では、ロシアで物がない、じゃ何をやろうと。一昨年私も行きましたけれども、ちっとも困っていない。大使に聞いたら食糧は困っていませんよ、そんなことだれが言いましたといってあべこべに言い直られました。何か日本は、困れば物をやればいいんじゃないかということは結構なんですけれども、物質万能できましたからやむを得ぬと思うんですが、物にも限度がございますから、その点これからの物と心の福祉にどのように対応したらよろしいか、ひとつお教え願いたいと思います。
  132. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) 福祉というのはやはりニーズの最も緊要なところから始めるということで、貧しい時代には基礎年金とか、基礎的な医療とか、基礎的な介護とか、重介護とか、そういうところから始めるのが筋であると思いますけれども、だんだん豊かになってきますと、おっしゃるように、一つは、福祉もだんだんと単なる物質的な福祉だけではなくてディーセントな生活を保障する、さらには生活の質とか心の豊かさまで広義の福祉と考えるようになっていくのが筋であると思います。  それからもう一つは、従来の福祉国家の一つの欠陥は、フローに注目し過ぎて、フローを右のポケットから取って左のポケットヘ入れるような、あるいは右のポケットヘ入ったのを左から取るというような、再分配型の福祉政策中心であった。これをやはり、一河先生もおっしゃられましたように、もう少しストック型の福祉政策が必要になってくると思うんです。基本的には、やはり福祉国家の行き詰まりもフローだけで分配の公正をやろうとしたところに問題がある。  これは福祉国家論者だけでなくて、保守本流とも言うべき良心的な保守主義者は、一方で税率は緩和して簡素化する、タックスペースを拡大する、そういうようなことを言いながら、他方においては資産の平等化というのに非常に力を入れました。サッチャーさんも株式所有が国民の成人の七%ぐらいであったのを二五%ぐらいまで引き上げた、そういうようなことをしまして一応保守本流的なことをやったんですけれども、どうも日本の保守本流であられる政党にはそれが少しないような気がします。だから、一方でタックスペースが高過ぎるとかそういうことを言われる場合には、他方で資産を平等化する。資産さえ平等であれば税率は非常に平等化していいわけです。福祉国家もそういう、一方において基礎的な物質的な福祉から生活の質や心へと、そして他方フローからストックヘと、それが新しい時代の福祉社会ではないかと思います。
  133. 佐藤泰三

    佐藤泰三君 福祉という非常に幅広いテーマでございますが、一億二千万の日本人がいて、先天性の弱質、弱いお子さんあるいは疾病や災害によって身体の障害になった方もいらっしゃいますけれども、やはり若いころ一生懸命家族のため、社会、国家のため身を粉にして働いて定年を迎え、老妻と二人でわびしく暮らす。しかも、今、核家族時代でございます。そのような体力が衰えて高年になってのお年寄りのいわゆる老人福祉、これこそこれからの大きな眼目になるんじゃなかろうかというふうに思うわけでございます。ましてや疾病に弱くなります。  今、厚生省試算によりますと、介護を要する要介護老人の数が一九九三年で百万人、二〇一〇年には二百万人に増加すると見込まれているわけでございますが、この百万人の方は家庭でもって在宅で療養している方、あるいは病院、特別養護老人ホーム、老健施設、各施設に入ってそれぞれ老後の健康を守りながら暮らしているわけでございますが、これからもさらに増大しますと、財政的に考えますと、私も実は特別養護老人ホームを一つお預かりしておるんですが、老人お一人当たり一カ月二十八万円の措置費をちょうだいしています。非常に清潔なシーツで至れり尽くせりの介護が大体できるんでございますが、そうしますとこの割合でいきますと、百万人といいますとざっと年間三兆二千億円出ます。二百万人というと六兆四千億出ます。そのほかにまた老人医療費、これまた大変でございます。今、日本の医療費が大体二十四兆三千億ぐらいだと思いますが、そのうちの七兆は老人医療費でございます。  そう考えますとき、非常にこれからも老人の、ましてお年を召した老人の健康管理というものは大変なものでございます。  よく聞いてみますと、老人ホームで至れり尽くせりなんでございますが、やはり望んでいることは孫と一緒に暮らしたいよというのが切なる願いでございます。夕方になると玄関でぽかっとしている。どうしたのと言ったら、もう孫の帰る時間だよというふうに、ぼけ現象でございますから何人もいます。それを見ますときに、日本人もやはりもう少し福祉で心を大事にして、でき得れば親子三代同居、孫の監督、教育はおじいちゃんおばあちゃんというふうにしたら、少年非行も早く抑えられますし、また夫婦間のトラブルの解消にもなるし、親子三代住めるような家庭をつくるのが福祉の原点じゃないか。ただ国で施設をつくって預かろう預かろうというんじゃどうしようもないだろうと。  聞くところによりますと、ドイツでは親子三代同居ですと月何がしかの手当を国で出して奨励していると聞きました。まだ調べておりませんが、ちょっと聞きましたんですけれども日本も将来やはりこういう形にして、親子三代同居できるような減税措置あるいは優遇措置をすることが経済的にも非常にプラスになります。そうしないととても国の施設は追いつかないと思います。  このような在宅看護でございますが、今は日本看護協会でも一からやりまして、在宅看護を一週間に一遍二通回っていって健康管理を指導しながらやっている。これからさらに在宅看護を重点にするわけでございますが、在宅看護できる方は同居しているから恵まれているんです。そうでない方がいるんでございますが、これからやはり精神的にその方の指導もしていきませんと、いかに財政が豊かでも追いつかないし、また老後のお年寄りの方に非常にお気の毒しますんで、個人的意見でございますが、できれば私は三代同居して、たとえ多少の物質的な不自由はあっても親子三代仲よく暮らせるのが本当の福祉の原点じゃないかなと思うんでございますが、これらに対しましてどうぞ御見解を賜りたいと思うんでございます。
  134. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) おっしゃるように、親子間の人間的交流というのが非常に大切であります。  スウェーデン、デンマークですと、独居老人というのがどんどんふえてきまして今五〇%以上になっています。しかし、独居というのは、孤独の独ならこれは非常に問題ですけれども、独立の独ならば、独立居住でしたら結構なことだと思います。  前に、ここにおいでになる日下部さんにたしか教わったんですけれども、インディマシー・ウィズ・ディスタンス、距離を置いた親しさ、日本語でスープの冷めない距離ということを言いますけれども、そういうのもありますけれども、やはり基本は、独立てきながらしかも近くに住めるというのが一番いい、そういう条件をつくっていこうというのが最近の福祉政策であるわけです。  そして、おっしゃるように在宅ケア重視、独立しながら人間的交流もある、それが好ましいというのが最近の福祉政策の考えてあります。それはおっしゃるとおりです。ただ、そのためには条件があります。  まず一つは、そうは言いながらもどうしても介護をしなければならない施設が少なくとも三、四%は要るということです。日本の場合は特養はまだいろいろ入れましても一%台ですから、そういう点を考えますと、在宅ケア重視だから施設は要らないということにはならないわけです。それはそれで一つ必要である。それからもう一つは、施設の拠点が要ります、在宅ケアをやるには。そのケアをやるデイセンターを、今一万といっていますけれども、やはり将来もう少し、本当に在宅ケアをやろうと思ったら中学校区に一つでは足りないんです。小学校区に一つぐらいあればやれます。  それからもう一つは、マンパワーが要ります。ホームヘルパーがたくさん要ります。それから訪問看護婦がたくさん要ります。  それからさらにもう一つの条件は、それをつなぐネットワークができるということです。ネットワークができて、その拠点から在宅の人に対しても押しボタンとかいろんなことですぐ連絡できるような装置があり、そしてボタンを押せば巡回中のホームヘルパーやナースが駆けつけるようなそういうシステムができていくということ。  それから第四にもう一つ必要なことは、住宅が在宅介護に適するようになるということです。これができないと、二階のどこか一部屋に置きっ放しのような人を在宅介護すると、おふろに入れるだけでも大変な労力になるわけです。住宅を在宅介護に適するように改造していく、そういうことをあわせておやりになりながら在宅ケアを強調される、そして親子の交流を促すというような、そういうことは非常に好ましいと思います。  今は、たとえ同居していても、もう部屋はない、住宅も悪い、二階にたまたま一部屋あるとそこで置きっ放しで、おりてきたときは棺おけの中というような、そういうような同居では余り好ましいことではないわけです。やはり本当の心の通い合う交流、おっしゃることはまことにそのとおりだと思います。
  135. 佐藤泰三

    佐藤泰三君 同居と申しましたのは、実は私は親友の精神科の医者の何人かに聞きまして、非常に老人ぼけが多い、これはどういうことだ、昔は余りなかったじゃないかと言いましたら、その仲間の言うのには、昔は大体孫が半ダースから一ダースいた、おじいちゃんおばあちゃんは孫の勉強の面倒からお小遣いからけがの心配をやっているからぼける暇はないんだと。今は二人だけでひっそりテレビを見ているから、人間の細胞はどんどん老化しますから、特に使わない脳細胞はどんどん老化しますから、そのためにふえるんじゃないかと。ですから孫を一緒に押しつけるのが一番いいんだよと。  これは精神科の病院の考えでございました。私もそうじゃないかなと思ったんですが、これからも、ぼけの予防ということもございますし、また孫というのは大体おじいちゃんが一番いいのであって、我々もそうだったわけでございますが、そんな形でできればそんなふうな社会が望ましいなと思うのでございます。  いろいろ御高説ありがとうございました。
  136. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 きょうはお忙しいところ一河先生、丸尾先生、大変貴重な御意見をいただきまして本当にありがとうございました。  そこで、まず最初にお二人の先生にお尋ねしたいことがございます。それは社会保障経済関係でございます。  この社会保障経済というのは深い関係があるということは申すまでもございません。しかし、その関係あり方が時代によってあるいは国によって異なっていくわけでございます。そのことが国、地方との関係あるいは公助、自助、共助それぞれの役割分担というものに大きな影響を与えるわけでございます。  我が国の場合でございますと、一九六〇年代のいわゆる高度成長のとき国民年金の体制が整いました。そして、老人福祉法を初めいわゆる福祉六法が制定されまして、本格的な福祉の時代が到来する、そのような期待と意気込みが込められて一九七三年を福祉元年というふうに言ったわけでございます。しかしながら、その年の秋、石油ショックということで、七四年、福祉元年は福祉見直し元年というような経過がございます。次に低成長時代、減量経営の時代を迎えます。そして、八〇年代には日本福祉ということで、八〇年代福祉の世界では施設入所の有料化、それからまた地方自治体の高率補助金のカットというふうなことが起きたわけでございます。  例えば、厚生白書の論調というのも大きく変わっております。  一九六〇年度版の厚生白書におきましてはこのように述べられております。もともと福祉国家における社会保障の実施というのは、基本的には社会連帯と生存権尊重の思想から要請されるものであると。したがって、まず経済成長を、しかる後に社会保障の拡充をというような見解は福祉国家において安易に述べられる余地がないと言わねばならない、社会保障政策と経済成長政策を同じはかりにかけてその優先度を見いだすことはしょせん困難と言わねばなるまい、というふうに述べております。  ところが、一九八五年度の厚生白書を見ますと、社会保障制度を支える経済基盤を維持強化し社会保障の充実に資するものとして、経済成長を挙げております。そこで、過剰な給付や過大なサービスはかえって経済社会活力をそぐことにもなりかねないというふうに述べておりまして、六〇年度の厚生白書と八五年度の厚生白書というのはまるっきり違って逆転した論調になっているわけでございます。    〔委員長退席、理事久世公堯君着席〕  さらに、六〇年代のいわゆる高度経済成長時代におきまして、これは一九六六年に発表されました国民生活審議会の答申、「将来の国民生活像 二十年後のビジョン」というのには、次のように述べられております。社会保障や最低賃金制のための支出というのは経済成長のための経費という性格を持っているというふうに述べております。  そしてまた、一九七九年、これは低成長時代でございますが、いわゆる日本福祉社会方向を理論づけたと言われております新経済社会七カ年計画におきましては、欧米先進国に範を求め続けるのではなく、新しい国家社会を背景として、個人の自助努力と家庭や近隣、地域社会等の連帯を基礎としつつ、効率のよい政府が適正な公的福祉を重点的に保障する、いわば日本型とも言うべき新しい福祉社会を目指すというふうに述べられております。    〔理事久世公堯君退席、委員長着席〕  すなわち、高度成長期における社会保障の役割は、経済成長のための必要経費であり、経済の効率化のための安全弁とみなされてきたということが言えると思います。したがって、低成長時代に入りますと、経済発展のマイナス要因となります。直ちに福祉見直しというふうに方向転換が行われてきたのではないかなという気がするわけでございます。  今、新たにいわゆる人口構造の高齢化、本格的な高齢社会を迎えようとする二十一世紀に向かいまして、経済社会保障あり方、あるいは経済成長率負担、その関係につきましてどのようにお考えでいらっしゃいましょうか。お二人の先生の御意見を賜りたいと思います。
  137. 一河秀洋

    公述人(一河秀洋君) いろいろと従来のいきさつを教えていただきまして、しかも非常に難しい問題を提出されまして、お答えに窮するところでございます。基本的には、やはり社会保障を継続していくためにはそれを支えるに足るだけの十分な経済的な基盤が確固としていなければならないということは確かだろうかと存じます。  ただ、基本的にどちらを優先して考えるかということでございますが、これはどちらを優先して考えるかということよりも、経済的な基盤をもとにして、望ましい社会保障を実現することができるような社会的な仕組みを構築することができるかどうかということが大切ではなかろうかと思っております。  例えば、私の分野は主として財政の分野でございますから、財政の分野から一つ申し上げさせていただければ、一つの点として高齢化社会が進行してくると、高齢者の介護でありますとか高齢者の生きがいの問題、あるいはそのためには高齢者の自由時間の行政の問題が社会保障一つ問題点となってよかろうかと思っております。  ところが、これらの行政サービスというのは地域によって非常にニーズが異なっているわけでございまして、国の一律の行政によるのではなくて、その地域地域によって異なるニーズに対応する自主的な決定が必要でございます。このためには、現在のような国が企画をつくり基準をつくり地方が実施をするという福祉行政から、地方が基準をつくり地方が実施をするという福祉行政への転換が図られるべきだと考えております。  経済が先かあるいは社会保障が先かということの前に、一体そこで実現されるべき社会保障というのは何だろうか、何が本当に求められているんだろうかと。その何が求められているかということを真剣に考え直して、第一歩を踏み出すべきではなかろうかと存じます。
  138. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) 福祉経済成長の関係につきまして歴史的に発展段階を非常に明確に御説明いただきまして、私もそういう関係は非常にあると思います。  それをもう少し単純化して言いますと、やはり貧しい段階では経済的に福祉を充実することができない。それがある程度豊かになってきて、日本ですと一九七〇年代に入って、韓国もそろそろそうなってきていますけれども、そうなってきますと貯蓄率も非常に高くなる。労働供給も潤沢にある。そういう段階ですと、福祉に回す余裕ができると同時に、かえって福祉が成長に有利に働くという面もあるわけですね、需要が足りなくなりますから。供給能力は十分あると。そのころの佐藤首相が「福祉なくして成長なし」と言った時代が、そういうときがあったわけですね。  しかし、やがては必ずしも経済成長と福祉は両立しないという面もだんだんと出てくることは否定できないわけです。長期的に時系列で見ますと、成長率を横軸にとって社会保障国民所得比を縦軸にとりますと、日本の場合、明らかに右下がりの反比例になっていることは否定できないわけですね。ただし、同時に、高齢化成長率とも反比例の関係になっています。ですから、これは高齢化のせいなのか社会保障がふえたせいなのか、同じに動いていますから必ずしも言えないですけれども、そういうトレードオフの関係があることは否定できない。  特に日本の場合、労働力がこれまでずっと上がってきて、全く労働供給には飛び抜けた成長をしない限りボトルネックはなかったわけです。それから、貯蓄率もずっと高かったわけです。今不況でちょっとまた反転して高まっていますけれども、これがもうちょっとたっていきますと、供給能力の面で問題が出てきますと成長と福祉とはそう両立すると言えないという面が出てくるということは事実ですね。ですから、成長と福祉が文句なしに割に両立するのは、日本で言ったら一九六〇年代から七〇年代の中ぐらいじゃないかと思います。韓国はこれからだということですね。そういう発展段階というものをある程度考慮に入れていかなくちゃならないと思います。  しかし、成長自体がそんなに高い成長はもう必要ないんであって、むしろ大事なのは、ある程度着実に完全雇用を維持しながら成長しつつ、生活の質を着実に高めていくというようなことではないかと思います。
  139. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 ありがとうございました。  それで、次にお尋ねしたいのは介護の問題でございます。  多くの国民が年とったときに不安になる。それは寝たきりになったりあるいはぼけの症状が出てきたときにだれが介護してくれるのだろうかという、そういう問題が非常に日本国民の大きな不安でございます。そのことが、平均寿命世界一と言われながらなかなか長寿というふうに長生きを喜べないという、そういう状況を生み出しているというふうに思うわけでございます。  その介護につきまして、介護の負担というものをどのようにするか。デンマークの場合にはこれは地方税でやっております。それからスウェーデンの場合には雇用主の社会保険料ということでございますし、ドイツの場合ですと、今度、介護保険という制度ができまして、一%を労使折半でございます、賃金の一%を労使折半。これは一九九六年から一・七%になります。  しかしながら、我が国の場合には、このような負担というものをどのような形でこれから制度と申しましょうか、つくっていったら日本社会に一番なじむのかという、この観点について丸尾先生にお願いいたします。
  140. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) まさにこれから政府が非常に考えなくちゃいけないところだと思います。先ほども言いましたように、介護の費用をどう負担するのかほとんどはっきりしていない。  私の考えは、今おっしゃられましたように国によっていろいろ違いはありますけれども、結局は三つに分かれると思います。一つは公費負担をする。中心はやはり社会保険かなという気がします。社会保険、それに公費負担があって補助する。そして一部自己負担がある。この組み合わせであり、そのウエートをどこを重視するかというのは考え方によって違います。  確かに、介護に事欠くそういう人に対して、特殊な人に対して措置をするという時代には公費全面負担が妥当であったわけですけれども、介護が普遍化してくる段階におきましては、やはり社会保険的性格でいいと思います。そしてそれを、医療のように、老人保健施設のように公的に補助する。そして、普遍化しできますとかなり所得者の人も恩恵にあずかるわけですから、一部自己負担をする。その負担が必ずしもすべて比率として同じでなくても、所得による負担比が若干あるということもあり得るんではないかと思います。  その負担三つの組み合わせがどこが最適かというのは試行錯誤的に決まるでしょうけれども、いずれにしましても、どれか一つというのではなくて、その三つの最適な組み合わせが必要ではないかというのが私の考えでございます。
  141. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 次に重要なのはマンパワーでございますが、福祉ビジョンでは、今のゴールドプランを見直して新ゴールドプランを策定すべきだという提言がございます。  例えば、ホームヘルパーさんにいたしましても、現在の目標値十万人でございますが、これは高齢者人口十万人にいたしますと四百七十人でございます。それを二倍にして二十万人にするといたしましても九百四十人、現在のスウェーデンの五分の一でございます。  このような水準をどう見るか、高いと見るか低いと見るかということはございますけれども、このマンパワーにつきまして、丸尾先生の御試算をしていらっしゃる論文を拝見したことがございますが、ホームヘルパーさん、そしてまた福祉施設の質をさらに高くした、高めたという点も試算の基準に入れた御試算がもしございましたら、どのくらいこれから必要になるのかという丸尾先生の御見解を数値をもって教えていただければと存じます。
  142. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) マンパワーが福祉政策の一つの基本的な条件になると思います。  そして、おっしゃるように、今の十万人になるという数字ですと、高齢者の数が非常にふえますから高齢者当たりで見ますとそんなにたくさんふえてないんです。そういう点を考えますと、恐らく二〇〇〇年以後はもっとかなり必要になってくる。少なくとも二十万人ぐらいまでは将来は必要になるという見通しは正しいんじゃないかと思います。ただ、もちろんその場合の二十万人というのは常用換算ですから、恐らくこれからはパートを有効活用していくことが非常に必要であろうと思います。パートを有効に活用し、しかもパートといっても百万円以下は働かないとかそういうパートではなくて、まともに働いて保険料も払って十分な給料を得るようなパート、これを非常にうまく生かすことがホームヘルパーやナースにおいても基本だと思います。ですから、パート労働に就業しやすいような環境をつくるということがこれからの福祉政策に関連する政策として極めて大事だと思います。  スウェーデンの場合も、御承知のように、九万人ぐらいいるホームヘルパーのうちの九割はパートであるわけです。日本の場合、やはりほかのヨーロッパなんかと比べますと家庭機能というのが残りますし、独居老人の比率が十年やそこらのうちにデンマーク、スウェーデン並みに五〇%を超すというようなことはあり得ませんから、かなり低い数字でいいとは思いますけれども、今の数字ではもちろん足りないと思います。  それから、ホームヘルパーという場合、スウェーデンの数字の中には、いわゆる日本で言ったらケアハウスとかサービスハウジングで働いている人はサービスハウジングの従業員ではなくてホームヘルパーなんです。そういう人をホームヘルパーと見るか従業員と見るかで違ってくると思うんですけれども、やはり在宅ケア中心になっていきますと、非常に機動的にいろんなところで動くそういうホームヘルパーのシステムということを考えていく必要があると思います。  どれくらい必要になるという数字は、連合で前に詰めましたとき一度やりました。今もちょっとやっていますけれども、まだいろんな想定で違いますから確たることは言えませんけれども、とにかく政府自身も認めておりますように、今のゴールドプランでは恐らく二〇〇〇年に近づいた段階では非常にまだ不足してくることがはっきりするだろうということ。  それから、先ほどもちょっと示唆しましたように、日本政府がつくった二十一世紀福祉ビジョンでは、二十一世紀まで社会保障給付費の中の介護等の費用の比重がぐっと上がってきますけれども、そこでまた下がり始めるんですね。下がり始めるということは、そこまでは充実するけれども後は余り考えてないということですから、これは恐らくそうならないと思います。その後、やはりゴールドプランを延長していくというふうなことが必要になってきて、マンパワーの問題というのが非常に重要な問題になる。  幸いといいますとしかられるかもしれませんけれども、女性に適した職場でもありますから、その分野で女性が就業しやすいように、特にそういう分野では今の学校の先生とか看護婦さんではかなり優遇はなされておりますけれども、やはりそういう職場で働く人々にいい条件を供給していくということが労働供給を福祉確保する上で基本的に重要なことだと思います。
  143. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 今、女性の就業ということに触れられましたので、その点に関しまして最後に質問をさせていただきたいと思います。  日本におきましては、先ほどお話ございましたように、女性の就業率が高くなると出生率が下がるという形になっておりますが、スウェーデンではそうではなくて女性の就業率が高くなると同時にまた出生率も上昇しているという。それでは、どのような政策がとられた結果そういうふうなスウェーデンの状況が実現したのか。その点につきましてスウェーデンにお詳しい丸尾先生にお話を承りまして、私の質問を終わりたいと思います。
  144. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) そのところはちょっと話したいと思っておりました。  私の「スウェーデンの経済福祉」という本の中でも十項目ぐらい理由が挙げてあります。確かにスウェーデンはここ七、八年の間に出生率が非常に上がった。他方、女性の就業率は急速に上がって、一九六〇年ぐらいには日本と同じぐらいだったのが、今や八〇%台の女性の就業率になっているわけです。それにもかかわらず、一度下がった就業率の上昇とともに一度下がった出生率が回復してきて、一度は二・〇二から二・一まで上がって、今二・〇九ぐらいですかね。それにしましても、ちょうどいい線になっているわけです。  そういうことを考えますと、何が中心かというと、十を全部説明するわけにはいきませんけれども、やはり一番中心は休業休暇、有給の休業休暇。これが恐ろしく寛大な休暇で、従前賃金の九割の保障で十五カ月の休暇という制度。それからもう一つは保育ですね。スウェーデンは保育が非常に普遍化しまして、そして保育所と幼稚園がもう統合されてきています。そして保育は当たり前というふうな感じになってきています。この二つが一番きいている。  それからもう一つは、男性の意識の変化です。やはり同じように労働するようになれば、そういう仕事をしていきながら家庭のことは女性が今までのとおりやるという意識である限りなかなか困難であるわけです。そういう意識の男性が多いと、やっぱり結婚しない女性もふえてしまうから、晩婚とかいろいろふえできますから、そういう点でまず意識が変わることが必要です。この意識がまだ日本は変わっていないですね。就業するにも女性は体力はないし出産もあったり不利だから、同じ賃金を払ったり同じように昇進していくのはむしろおかしいではないかというその意識が変わらない限りだめですね。  保育はもう社会的なことであり、そういう保育の責任は男女平等に社会的に負担するという意識にならない限り、それを女性や企業に押しつけているとやはりうまくいかないです。その辺のところが変わってくれば出生率は再び上向くんじゃないかと思います。
  145. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 ありがとうございました。
  146. 小島慶三

    小島慶三君 きょうは、一河先生、丸尾先生、御多用のところ御出席いただきましてありがとうございました。  両先生に少しお伺いしたいんですけれども、私は、今の日本経済、いろんな見方があると思うんですけれども、いろいろ明るさは見えてきたというものの、このまますんなりと底離れをして右上がりに回復していくというそういう循環型の過程をたどるというのは無理じゃないかというふうに思っております。むしろ、どちらかと言えば中長期的に成長の減速を免れない。前の細川総理は成熟した関係という言葉を使って日米関係を表しましたから、日本自体が成熟経済の、成熟社会といいますか、そういう段階に来ているのではないかという感じがしてならないわけであります。ですから、かつてケインズがイギリスの経済について一%の成長も中期的に困難だということを言ったと、そういうことを記憶しておりますけれども、そういう段階に来ているのではないかというふうに私は思っております。  その一つの理由は、やはり今お話のありました人口の増加率というものは低減していく、あるいは人口のマイナス現象も起こってくるかもしれないということで、人口面から見た成長力というのがこれは期待できない。  それから二番目には、そういうことで労働力率とかいろいろその辺の問題が出てくると思うんですが、やはりこれからの高齢化、高賃金、それから高福祉のニーズとかいろいろニーズがふえる中でそういうものを十分にカバーしていくだけの技術力といいますか技術の発展といいますか、いろいろ資本係数の見方とかあると思うんですけれども、そういった面から、技術の成長力でそれをカバーするということはなかなか困難であると。もちろん唐津先生のように非常に日本の技術力に信頼を置いておられる方もありますし、そういう意見も無視できませんが、そういった面からどうか。  それから三番目には、従来の海外投資とかそういったものは円高でいろいろ加速されまして海外に随分日本の資本が出ていく、同時に技術もトランスファーされるということで、海外から逆に、篠原君が言っているようなブーメラン現象が起きて日本にどんどん物が入ってくる、電気製品なんかでも今では輸入の方が輸出より多いというふうな信じられないような現象が出てきているということで、国内産業がだんだん空洞化するのではないか。  そういう心配はないとおっしゃる人もありますが、どうも私どもいろいろ地方を歩いてまいりますとそういった現象がだんだん顕著になってきつつあるというふうな、三つの現象が起きていて、そういうことで、ちょっと私もよくわかりませんが、これからの成長率というものをむしろ低く構えてそれに応ずるような体制をつくることが必要なのではないかというふうに思っているんですけれども、ひとつ両先生の御見解を伺いたいと思うんです。よろしくどうぞ。
  147. 一河秀洋

    公述人(一河秀洋君) もう全く小島先生のお説のとおりであろうかと存じます。  我が国経済、たとえ現在の資産と申しますか生産能力の過剰の整理が終わったとしても、それによって再び五%台の成長が回復するとは考えられないところでございます。また、底離れをしたからといって、すぐに急激な景気上昇のプロセスに入るであろうということも想像できません。  それは先ほど陳述をさせていただきましたように、総需給のアンバランスによる不況だけではなくて、構造的な体質の変化による不況、高成長から低成長への転換が重なっているからだと言わなければならないだろうと思うんで、これから先の我が国経済にとっては、景気回復もさることながら、体質の改善が極めて重要な課題であろうと存じております。  従来の高成長のプロセスでは、生産性が上がり高成長になる、これが賃金の上昇にはね返る、この賃金の上昇が消費需要を中心とした需要の増大を生じさせる、そういう高成長の循環のプロセスが続いたわけでございますが、低成長のプロセスはこの循環を断ち切ってしまう。そうなってまいりますと、賃金の引き上げ幅も抑えざるを得ない、あるいは今年度のように初任者の給与は前年並み据え置きということにならざるを得なくなってくる。その中で生活のレベルを維持していくためには物価の下落ということがぜひとも必要な問題でありまして、いわゆる内外価格差の是正でありますとか流通コストの削減でありますとか、まだまだ直さなければいけないところがたくさんあるだろうと思っております。
  148. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) おっしゃるように、日本の場合、成長率にも段階がありまして、経済発展段階でもそうですね、一九七三年の石油ショックを機に、それまでの二十年間平均九ないし一〇%の実質成長であった経済がその後次のバブルまで大体四、五%と半分になりました。今度のバブルの崩壊後恐らく四、五%のまた半分ぐらいの成長率になると思います。そういう意味では、大蔵省の機械的試算が名目ではありましょうが五%の成長としているのはちょっと高いかなという感じがします。  それから、それでいいんだと、要するに、経済の規模が本当の意味で四倍になれば成長率は四%から一%へ下がっても絶対額の伸びは同じですね。先進国がある程度段階的に成長率低下していくのは、そういう意味でも問題ないと。  それから、もちろんおっしゃられたように、労働力、技術、いろんな点である程度低減していきますね。時代がまた大きく変われば別ですけれども、リカードもケインズもそれにかわる人も恐らく今いるでしょう。ですから、当面はそうだと思いますね。  それからもう一つは、やはりこれだけ豊かになってきますと物質的な成長から生活の質へということになってきますから、成長率は今後二、三%でも十分に生活の質は向上していくことが可能である。そうする方向でいいのじゃないかと思います。
  149. 小島慶三

    小島慶三君 どうもありがとうございました。  残された時間も余りなくなりましたので、両先生に本当はお伺いしたいんですけれども、ちょっと時間の関係で丸尾先生にお尋ねをいたします。  そういうふうになりますと、従来の生活大国十カ年計画とかあるいは今度策定された福祉ビジョンとか、確かに前提が五%から後半四%というようなことになっておりますが、そういうふうな前提を少し変えて、成長観の修正というものの上にやはり将来の福祉ビジョンといったようなものを考えるべきではないかと思うんですけれども、この点について一つお伺いをいたします。
  150. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) 今も申しましたように、これからは三%を越せばいいということだと思います。特に一九九五年から生産年齢人口が減りますから、同じ生産性の伸び率でも成長率は自動的に下がりますから、それでいいと思います。そういう意味では、今後、成長推計をしたり計画を立てる場合には、三%台ぐらいでいいと思います。  今回の大蔵省の機械的試算は名目だからあれでいいかもしれないですけれども、実質で考えているとすればこれは過大であると思います。ただ、安定成長は非常に必要であり、高い成長があったりこんなに下がるのではなくて、安定成長を三%台維持していけば非常に立派なことだと思います。
  151. 小島慶三

    小島慶三君 どうもありがとうございました。  私、今、税制改革やなんかのメンバーでやっておるものですから、大変その点が気になるんでお伺いしたわけでございます。  終わります。
  152. 刈田貞子

    刈田貞子君 両先生におかれましては、きょうは大変お忙しいところありがとうございます。  私は先生方の御答弁を含めて七分しか時間を持っておりませんので、端的に問題を伺わせていただきますと同時に、きょうは各委員会が開かれておりまして、私は三つ委員会を飛び歩いておりました関係上、先生方の御意見を伺わないままに質問をさせていただく非をどうぞお許しください。  まず、一河先生にお伺いいたします。  先ほど隣におりました同僚に伺いましたところ、先生はこの六年度予算に対して厳しい御批判をなさったように伺いましたけれども、一体何点ぐらいの点をちょうだいいただけますのかお伺いいたします。  それから二番目には、私は消費者団体の出身の関係上、消費者問題をやってまいりましたけれども、かつて消費者は王様と言われてまいりましたけれども、私は今でも消費者は王様だと思っております。消費者意識、それから消費者行動あるいは消費性向、こうしたものをもっと的確に把握して今の経済社会構造に反映するならばもっと違った形のことが生まれてくるのではないかと私は思っておりますので、こうした消費者意識と経済に関する関係性について、先生にお伺いをいたします。  次に、丸尾先生にお伺いをいたしますのは社会保障の問題でございます。  先般来、当委員会でも社会保障の問題についてはいろいろな角度から論議をされてまいりましたけれども一つ論点が欠けていたのは、民間部門の課題にもっと細かいメスを入れるべきではないかという持論を私は持っている関係上、民間が公的な部門とどんな形で組み合わせをされていくのが的確なことなのか、これはこれから非常に民間に頼らなければならない部分が出てまいりますので、ぜひその辺のところをお聞かせ願いたいと思います。  ちなみに福祉ビジョン懇では、こうしたものに対して福祉サービスの内容の評価の確立や情報を得られやすくするような条件整備をしていくのがもう欠くべからざる要件だというようなことも書かれておりまして、この点について御意見を伺わせていただきます。  最初に質問させていただいてしまいましたので、順次お答えをちょうだいいたしたいと思います。よろしくお願いいたします。
  153. 一河秀洋

    公述人(一河秀洋君) 時間もないようですので簡単にお答え申し上げます。  まず第一に、平成六年度の予算は採点をすると何点かということでございますが、まあ答えにくい問題でございます。  正直に申しまして、私は採点の基準が二つございまして、一つ景気対策としての視点から考えると何点かということでございますが、六十五点か七十点ぐらいつけていいと思っております。それは、従来、財政再建ということに非常にとらわれまして、赤字国債の発行、特例国債の発行をゼロとするということに固執してきたのを、たとえつなぎ国債とはいえ特例国債を発行してまで減税に踏み切った。この点は景気対策として評価さるべき点だと思っておりまして、もしこれがもっと公共投資にウエートが大きかったならばさらに景気刺激効果は大きかったということは言えるかと存じますけれども、積極的な景気刺激対策の姿勢を見せているという点は評価をして六十五点ないし七十点ということでございます。  しかしながら、いま一つの視点といたしましては構造的な問題がございまして、先ほどの御質問に日本経済の体質が変わっているということがございました。財政の体質も変わらなくちゃいけないわけで、財政の体質を変えるためには、現在のような省庁別の予算編成方式、前年度実績増分型の予算編成方針というのは根本的に改める必要がございます。この点についての姿勢は全く見られないということで、こちらは零点とさせていただきます。  第二番目に、消費者主権の回復ということでございますが、消費者が賢明になるということは仰せのとおり非常に大切なことでございますし、景気回復にもつながる問題だろうと存じます。殊に、最近、消費に明るさが見えておりますとはいうものの、安いものを中心に売れているというわけで、バブルの時期のように何でも売れているというわけじゃございません。消費者が価格に非常に敏感になった。その意味では、さまざまの規制を緩和をすることによって物価にさらに下げる圧力をかけるということが消費行政にとって一番大切なことだと思っております。
  154. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) 欧米の場合と日本の場合はちょっと事情が違いますけれども、御承知のように、北欧等では福祉は公的が中心であった。サービスハウジングも近年まではほとんど全部、老人ホームも大部分、九〇%以上が公的であったわけです。日本の場合には、サービスハウジング的なものに関しましては民間が先行しまして、最近になってやっと公的なのが少しつくられたという段階です。  そういうことを考えますと、スウェーデンの場合は、今もうちょっと民間を重視していいんではないかという風潮がありまして、協同組合とか民間とか、それから特に保育に関しては本当の民間の施設ができてきています。民間でやりましても補助が出るわけです。日本の場合、民間でやりますと非常に金持ちのところで、そうなると補助が要らないということでやらないんですけれども、他方、公的になりますと、公費が圧倒的に中心になってくるわけです。やはり日本の中間層あたりは、ある程度負担はしてもいいけれども、今の有料老人ホームみたいなマンションなどでは仕方ないということですね。そういう点で、公私をうまくミックスしたいいものができていいんじゃないかと思います。  スウェーデンは、今、保育所とそれから老人ホーム、学校等でかなり民営化の動きが出てきています。それから老人施設などを見ましても、例えば民間のレストランや喫茶店を入れたり、そういう点など、物によっては民間の方がサービスもいいし雰囲気もいいというものがあるわけですから、そういう点は生かしていくべきだと思うんです。  そして、日本的な言葉かもしれませんけれども、医療におけるアメニティー部分とか福祉におけるアメニティー部分というものに関しましても、ある程度民間的な要素、民間の弾力性、サービスのよさ、そういったものは生かしていくべきだと思います。  ただ、日本の場合は、先ほども言いましたように、基礎的な施設等が公的なものがまだ不十分ですから、民間だ民間だということで公を軽視するということがあってはならないと思うんですね。何らかの意味での福祉ミックスが必要だということは私もそのとおりだと思います。
  155. 刈田貞子

    刈田貞子君 どうもありがとうございました。
  156. 西山登紀子

    西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございますが、丸尾先生にお伺いをいたします。  ことしは国際家族年ということもありまして、家族のあり方が大変注目されているわけですけれども、先生も先ほど、政府が二十一世紀の福祉ビジョンを作成して国民的な論議を促したということを大変評価しておられるわけです。私も読みましたけれども、その中で、少子高齢化社会という言葉が頻繁に出ておりますし、この言葉がひとり歩きするのではないかということが懸念をされます。長寿というのはだれしもが大変喜ばしいという未来社会あり方ではあろうかと思うんですけれども、二十一世紀を固定的に少子化社会というふうに見る点についてはどうかと思うわけです。先ほども御質問がありましたけれども、もちろん結婚、出産というのは個人の選択に属する問題ではありますけれども、希望する家族が持てるような環境をつくるということも社会の責任ではないかと思うわけです。  日本の女性の社会進出は著しいものがございます。これは女性の望む方向でもあり、また社会の進歩の方向でもあると思うのですけれども、一方どのくらい子供が欲しいかという数字は、平成四年、夫婦の希望する子供は二・六四人なんですけれども、実際の出生率は一・五〇です。中身を見てみますと、有業の女性は〇・七、無業の女性の場合は三・〇という出生率です。明らかに職業と育児の両立が非常に困難になっているという実情を訴えている数字だと思います。  丸尾先生は、スウェーデンの普遍主義的家族政策というのを先ほど若干御紹介がありましたけれども日本の現状を見まして日本で今どのような家族政策が必要だとお考えでしょうか、お教えいただきたいと思います。
  157. 丸尾直美

    公述人(丸尾直美君) 先ほどもちょっと言いましたように、やはり基本は介護休暇の有給化、そして少なくとも一年はじっくり休めるという制度を早急につくることです。政府の今の二十一世紀福祉ビジョン試算では、介護休暇のときたしか二五%ぐらい給付を想定していますけれども、やはりある程度保険化して、ある程度掛金を掛けてきた人にはもうちょっと、でき得れば傷病手当並みぐらいまでいくという方向まで検討する必要があると思いますね。  それからもう一つは保育です。これがやはり公だけで間に合わなければ民に補助する方式もありますし、それから企業がやる場合もありますし、今少し芽が出てきていますけれども、やはり保育を本当に、育児しながら勤めようと思えばだれもが可能になるような条件を整える、この二つがもう基本的だと思います。お金を少しふやしたりなんかするというのは、まあいろいろ固まれば効きます。スウェーデンの場合も児童手当と住宅手当と両方から出ますから、それから教育費や授業料は無料ですから、そういうのは効くことは効きますけれども、やはり重点を置くとすれば今の二つの政策が一番効き目があるんじゃないかというのが私の考えです。
  158. 井上吉夫

    委員長井上吉夫君) ありがとうございました。  以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言お礼申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。(拍手)  明日は午前九時に委員会を開会することとし、これをもって公聴会を散会いたします。    午後五時七分散会