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国務大臣(
羽田孜君) ただいま御
指摘のあった点でございますけれども、最後に御
指摘のあった点から申し上げていきたいと思いますけれども、三十八年の自民党の政権というのがああいう形の中で交代したということ、これは私は
一つの歴史的な意義があったと思います。
私は自民党の中にあって、この国が復興し、そして大きく経済発展し、また国際的な役割を果たしていく、このことについて誇りを持っておりました。ただ、やっぱり政権が長く続きますと、どうしてもそこによどみですとか、あるいは難しい問題になりますとどうしても先送りしてしまうとか、そういったことがあったということで、やっぱり
一つの流れというものは長いことたつと必ずよどんでしまうという
現実があるんだろうというふうにも私は思います。
しかし、私たちは別に何もそれをひっかけるために、変わるために飛び出たということじゃなくて、政治改革ということで飛び出てしまったわけでありますけれども、しかし、そのことを契機としてやっぱり新しい政治を起こしていくことが必要であろうというふうに思ってまいりまして、そのために社会党、
公明党、
民社党、
日本新党、さきがけ、社民連も含めてでありますけれども、そういった皆様方と一緒に実は仕事をやってまいったところであります。
このやった経験は、私はお互いにそれぞれの政党の生まれですとかそういった生い立ちというものがあったろうと思います。しかし、
時代が大きく
ポスト冷戦という中で変わり、
世界もやっぱり価値観というものに対する見方が非常に変わってきておりますね。こういう中で、各党と一緒に、今までの場合だったらどうしても同じ土俵で
議論できなかったような問題をお互いの垣根を乗り越えて
議論ができるようになったということは、これは私は大変な成果であったというふうに思いますし、私はこの八カ月間というものに対してその点では誇りに思っておるものであります。
そういう
意味で、確かに私が投票していただいた、そしてその結果が、まあいろんな
言葉の違いとかあるいは思い違いとか、ああいうときでございましたからいろんなものがあったんでしょう、こういった中で社会党が政権離脱をされたということは大変残念に思っております。その
意味では、お互いが本当に率直な話し合いをする中でまた合意を求められるのであったならば、こういった流れというのはたった八カ月じゃ私は本物にならぬと思うし、そして自民党という勢力はやっぱり厳然としてあるわけですから、この勢力とこの勢力、新しい勢力がお互いに真っ正面からこの国の行く末について語り合うことができるような枠組みというものは何とかもう一度再構築していきたいな、そういう思いが私の偏らない気持ちであるところでございます。
さて、そういう中にあって、今
お話がありましたように、私どもは少数政権で発足せざるを得なかったわけでありますけれども、しかし、やらなければならないことというのは、これは幾ら少数といえども私は避けて通ってはならない問題だろうというふうに思っております。
今
お話がありました政治の改革にいたしましても、これをやらなかったならば、残念ですけれども、この政治の場から発信するものが
国民に理解されないということになろうと思っておりますので、これはやっぱりつらくてもこの問題はどうしても、今、区割り法が出てきておりますけれども、区割り法をもしだめにしてしまったならば政治資金規正法すべてが流れてしまうということになるわけでございまして、これはどうしても一日も早くこれを成立させることが重要であろうと思っております。
そのほか、経済改革にいたしましても、これはやっぱり行政改革の中には規制緩和ですとかあるいは地方分権なんという問題がありますけれども、この規制緩和の問題というのは、きょうも実は朝いろいろと
議論しましたけれども、これからの物価の問題ですとかあるいは公共料金の問題ですとか、こういうものを抑えていったりあるいはむしろ逆に安くしていく、この問題も、規制が余りにももうこの
時代に通用しないような規制があるために、どうしても余計な部品をつけるとか余計な手当てをしなければならないというところに非常に高物価をつくり上げて、要するに高物価というのは、今のところ
日本の上がり方というのは低いんですけれども、基礎的にはやっぱりよその国と比べて高いというようなこともある。
こういうものを正すためにもこういったことをやらなきゃいかぬ。しかし、こういうものを進めると、中小企業とか零細企業にしわ寄せして製品をつくって市場に出すなんということになると、これはもう中小企業、零細企業はたまったものでないわけでありますので、そういったところには配慮しながら本当の
意味でのリストラをやっていく。しかし、今の規制によって守られている分野というものはあるわけでありまして、これは私は間違いなく痛みを伴うものだと思う。しかし、痛みの伴わない改革というのは、政治改革にしても経済改革にしても行政改革にしてもあり得ないというふうに思っております。
それから、地方分権についても、これは長いこと地方分権が言われてまいりましたけれども、じゃ地方が本当にこれを受け入れようという姿勢があったのかということを
考えると、私は今までの場合にはそうでもなかったと思う。しかし、この数年来、地方が自分のところの置かれた歴史、宿命的な歴史あるいは置かれた自然、こういったものの中で、この点をこうしていくならば自分たちは特色のある地域をつくり出すことができるという確信をそれそれの地域が持ち出したということであります。
私はその
意味でも、今ちょうど戦後五十年を迎えるこのときに地方に対して分権をしていくといいますか、あるいは大きな権限を与えていく。それと同時に、やっぱり財源的な問題等についても
議論をしながら、地方が自分の力で自主的にやるような体制をつくることが、私はこの国に今求められていることであり、これは自民党も社会党さんもどこの政党といえども、これは回り道はもう許されない問題なんだというふうに自覚するときに、少数政権でも懸命に誠心誠意を持って皆様にお訴えをしていくならば、私はこれらをなし遂げることはできるという確信を持ちながら、ともかく一日一生のつもりで懸命に努めてまいりますことを申し上げたいと思います。