○本岡昭次君 朝から久しぶりに
文教委員会の
質問を聞かせていただきまして、いろんなことを
思い浮かべたのであります。事前に通告しておった
質問じゃなくてそういう午前中からの
質問に、また先ほどの
篠崎委員の
質問に絡めながら私もひとつ議論に参加をしたいというふうに
思いましたので、一応
質問は通告しておりましたが、そこからちょっと外れますことをお許しいただきたいと
思います。
実は、一九八六年一月三十一日、今から八年前ですが、参議院の本
会議で当時の中曽根総理に私は代表
質問を
教育と人権ということで行いました。そのときも私が大きく取り上げたのが
いじめの問題であり、不登校児の問題であり、
高校中退をする
子供たちの問題であったわけですね。八年たっても結局同じ議論を我々はしなければならない。ここにその問題の深刻さがあります。と同時に、我々は本当に
子供たちのこの問題を解決してやるための努力をしたんだろうかという深刻な反省も同時に私はしております。
文部
大臣が次々とおかわりになるわけであります。一体どういうことがバトンタッチされているのか。まさか文部
大臣が終わられるときに、無事任期を満了させていただきましてありがとうございますというようなことではないだろうと
思います。しかし、今の
質問を聞いておりまして、本当に
文教行政が
日本にあるのかという感がします。
私は、そのときの
質問に材料として
いじめの問題を取り上げたんですが、そのときに私が
数字で挙げたのが「
いじめなどを
原因とする小
中学校の
登校拒否児は」、
登校拒否児と言わぬのですか、不登校児と言うんですか、「三万百九十二人に及び」ということを言ったんですが、先ほど聞いておりますと七万二千人というふうになっているわけでございまして、これは大変なことであります。今、文部
大臣も、
学校が楽しくないんだろうと、こうおっしゃいました。
そして、この当時でも
学校が楽しくないということの理由に、
いじめられるから楽しくないんだという
生徒がアメリカの六倍もいました。これは
日本とアメリカの中
学生の意識
調査であります。
それで、この
いじめへの対応では、アメリカの四割の
子供たちが
いじめがそこにあればとめに入ると、こう言う。
日本ではほとんどの
子供が見て見ぬふりをする。この純真な
子供社会からさえも小さな正義や小さな勇気が消えようとしておる。
いじめの内容では、相手の欠陥や弱点をしつこくいたぶる、そして仲間外れにする。結局、他人の人格や人権を大切にするというこの根本のところを
子供社会が全部失っでいっている。一体この
子供たちのつくる未来は何なのかというところに私たちは愕然とするという問題を私は警告を発し、もっと大げさに言えば、
日本の民主主義が揺らいでしまうんじゃないかということをここで申し上げました。
総理は私のその
質問に対して、「
いじめの
原因については、やはり
思いやりとかいたわりとか、心の大切さというものが見失われがちな
教育の内容やあり方が問題であります。政府としても、これらの点について、人権尊重というものを小さいときからはぐくむように
学校教育を改革していかなければならないと
思います」と、こうおっしゃったんです。
一体この「人権尊重というものを小さいときからはぐくむように
学校教育を改革していかなければならない」という、今ここで文部
大臣の責任を問いかけても、さあ私はとおっしゃると思うのでありますが、こういうことをおっしゃっても一体それではどのようにして
文部省の中にそうしたものが引き継がれていっているのか。もしそれがうまくいっているとしたら、今日のような
いじめが依然とあり、
自殺が次々と起こり、不登校児が二倍も三倍もなるというようなことはなかった、こう私は思うんです。だけれ
ども、これは
文部省の責任に私は全部を責めても無理だと思うんです。
しかし、
文部省もこうした問題に対しての、今、私が申し上げているようなことに、こうします、ああしますという対応策をその都度おっしゃっているわけです。そして、このことに苦しむ現場の教職員や親に対してやはり希望を与えてきたけれ
ども、そういうことについてはほとんど問題が解決していないという
現状に対して、文部
大臣のひとつ所感をいただきたいと
思います。
ちょっと細かいことはいいです。私、文部
大臣を責める気は少しもないんですから、率直に文部
大臣の感想をいただければいいんです。