○
参考人(
田中克人君)
田中でございます。
本日は、私どもが日ごろやっております
社会貢献問題について国会の方でお取り上げいただきましたこと、大変ありがたく思っております。
この問題、ここ数年ぐらい
日本で盛んになってきたところでございます。これはかなり
日本の民主主義の根幹ともかかわる問題ですので、まだまだ研究途上でございますし、学者の先生方あるいは実務の方々初め、
意見交換しながら内容を深めている段階でございますので、私も皆さんに十分納得いただける
お話ができるかどうかわかりませんが、現時点での、私どもが今把握しているところを述べさせていただきます。
お手元にレジュメをお示ししていると思いますが、私に与えられたテーマは企業の
社会貢献の
あり方ということでございます。この中で、まず企業の
社会貢献とは何かということについて
お話をさせていただきまして、次に、二番と三番を入れかえて、三番の方から
お話をさせていただくという順で進めたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
社会貢献というと、何というか非常にお上の意識が強い
言葉だというようなことをよく言われますけれども、これはアメリカでのフィランソロピーという
言葉をどういうわけかこの
社会貢献という形で
日本で訳して、これが今定着しておりますので、必ずしもフィランソロピーイコール
社会貢献というイメージじゃないんだというふうには思っております。
フィランソロピーというのはギリシャ語の合成語でして、フィランという愛とそれからアンソロボスという人類という
言葉の合成語で、人類愛とか慈愛とかというふうに英語では訳されております。いわゆるフィランソロピー活動といいますか、ボランティアとか寄附活動を通じて世の中の問題点を
自分たちで解決していこうという考え方がフィランソロピーの
社会参加意識だと思います。そういった立場から考えますと、このフィランソロピーという
言葉の持つ
意味というのをもう少し広げていかなくちゃいけないというふうに思っております。
これを企業の中に当てはめていきますと、主として株式会社になるわけですけれども、株式会社の場合には、いわゆる資本主義
社会の中でやっぱり一番効率よくやっていく方法として会社組織というものがあると思います。その中で企業の使命といいますか、もともとは株主、出資者の
自分の
利益追求ということがまず第一にあったと思いますので、会社が
利益上げて
自分たちが
利益を取得するというような考え方。
それから、やはり
社会が発展する中で、そこで働く従業員の立場とか待遇ということも大事であるということになってきて、従業員の生活の安定向上というようなことも企業の中の役割の
一つになってきたと思います。
それから、やはりサービス、いい
商品を
社会に提供するということ、これは大事なことだと思います。悪い物を出してそれで
利益を上げるというようなこと、こういったことはもう今の
社会では許されないくらい今の
社会が成熟したということだと思います。
今の株主に対する配当、従業員に対する待遇、それからいい
商品を提供する、この三つのことで今まで企業というものが成り立ってきたと思うんですけれども、やはり企業が
存在するということによってその
社会がいろんな形で
影響を受けるわけです。企業が来ることによって学校もつくらなければいけない、それから
道路も整備しなくちゃいけない、そういったいろんな問題が出てまいります。そういったときに企業がそのままでいいのかという問題があるわけですけれども、やはり株式会社の場合には株主の権利というものがすごく保護されておりますので、アメリカといえども、企業がそういった
社会の問題に対して寄附をしたりするということはなかなか認められないということでずっとまいりました。
これの方向が変わったのが、一九五三年にニュージャージー州でA・P・スミス社というミシンメーカーといいますか、機械の製作会社ですけれども、そこがプリンストン大学に千五百ドルの寄附をしたということがございました。そのときに株主が、本来その千五百ドルは株主に対する配当である、そういう
意味では株主の権利侵害であるという訴えを起こしたわけです。それに対して裁判所が判決を下しまして、やはり企業が成り立っていくためには十分に教育を受けた
社会あるいは十分に教育を受けた
人々が
存在することが大事であるし、またそういった人が企業に入ってきてまたさらにいい
製品を出していくというようなことで、企業がそういった形の寄附行為することは差し支えないという判決が、これは非常に画期的な判決だったわけです。一九五三年といいますと、
日本の昭和二十八年ですから、これはもうごくごく最近のことと言ってもいいかと思います。それを契機にして、アメリカでいろんな企業財団ができまして、その企業財団を通じての
社会貢献活動というふうに変わってきたと思います。
そういった
意味で企業が、先ほど
お話しした三つのほかに、こういった形で
社会貢献していくというようなことをいわゆる企業市民という概念で呼ぶようになってきております。要するに、企業も一市民と同じように
社会に参加して
社会をよくしていくために協力していくのは当然のことであるというような考え方、これをコーポレートシチズンシップと言い企業市民というふうに
日本語では訳しておりますが、企業市民という考え方が出てきました。そういう
意味で、企業の
社会貢献とは何かという場合に、やはり企業の
社会に対する義務の
一つであるというふうに考えていいのではないかと思っております。
次に、そういう中で
日本がどうなのかということを考えてみたいと思います。
日本の場合、レジュメに書いてあります戦前のフィランソロピー活動と戦後の立ちおくれということで
お話ししたいと思います。
日本の企業の場合も、昭和二十八年以前、当然明治時代から企業は
存在しているわけで、資本主義が明治維新とともに
日本で芽生えて株式会社もできてきた。そういった中で明治二十九年に民法が施行されまして、その三十四条で公益法人に関する規定というものができたわけです。それを契機にして民間の学校ですとか病院ですとか
社会福祉関係の団体が出てきまして、そういったところが中心になって
社会貢献をやるというような風潮が出てきました。そういう
意味で、
日本も明治時代の後期から大正、昭和の初期にかけては非常にフィランソロピー活動というものが盛んに行われたというふうに考えられます。
例えて言いますと、三井財閥が三井慈善病院、三井報恩会とか、住友財閥は大阪の図書館とか美術館を寄附するとか、
日本生命は
日本生命済生会という財団をつくってそれを通じて
社会貢献したとか、それから渋沢栄一さんなんかも個人としては中央慈善協会、今の全社協ですか、全国
社会福祉協議会の前身になるようなものをつくって
社会貢献しておられます。個人ではたくさんおられます、森村さんとか大原孫三郎さんなどという方は非常に著名です。そういう形で明治、大正、昭和の初期にかけて
日本が本当に企業を通じて、あるいは個人を通じて
社会貢献をやっていた。
にもかかわらず、アメリカの場合は昭和二十八年まで企業の寄附というものが認められなかった。ここの違いは何かといいますと、明治初期のころの
日本の企業というのはいわゆる資本と経営が一体化していたというふうに思います。ですから、資本家イコール経営者ということで割と
自分の会社の
利益を自由に処分できたという面もあったと思います。アメリカの場合は資本主義が非常に進んでおりましたから、そういう
意味では資本と経営が分離していたということがあったと思います。また後ほどそれは触れたいと思います。
それから、やはり儒教の思想とか、留学した
人たちがキリスト教の考え方を身につけて帰ってきたりとか、当時はロックフェラー財団とかカーネギー財団というのがアメリカでできていました。これは企業がつくったんじゃなくて個人でつくった財団、いずれも個人てつくった財団ですけれども、判決の前からそういったものはできておりました。そういったところに触発されて
日本のフィランソロピー活動というのは非常に華々しくスタートしたと言ってもいいかと思います。
なお、もう
一つ見逃せないのは、ノーブレスオブリージュというような考え方がヨーロッパであるんですが、高貴な人というふうによく言いますが、要するに
社会的に身分の高い人は困っている人を助けるべきだという考え方が普通にあるわけです。そういった考え方が、
日本では明治時代の経営者というのは武士から変わっていったりなんかしていましたから非常に誇りを持っていましたので、
利益を上げるということよりは
自分たちが
社会に尽くすというような考え方がやはり強かったんじゃないかと思います。そういう
意味で、ちょんまげの時代から明治にかわってさまざまな
社会貢献が行われたということは我々は誇りにしていいことなんだというふうに思っております。
それが戦後どうなったかといいますと、戦後は何といいましても第二次世界大戦で経済も国民
社会ももう壊滅的な破壊を受けていますから、ほかの
人たちのことを見ているというよりも、
自分自身が生き残らなくちゃいけないというような精神的ゆとりがなかったということもあると思いますし、何といってもゼロからの出発ですから、欧米に対して追いつき追い越せという考え方、これがい
言葉であったと思います。そういったところから
日本は独特の経済
システムというものができ上がったと思います。
それは政官財、政界、官界、財界が一体となった複合体制といいますか、これが
日本を代表する組織みたいになって動いたと思います。ですから、政府が大体これからの
日本社会の青写真みたいなものを描きますと、それに対して企業はその指針にのっとって仕事をするというようなことで、
海外に行くときも、どうしても政府や何かが先に行って道をつける。その後を
日本の企業が行くというようなことで、非常に
日本の企業が
海外にも進出しやすかったし、国内で事業を展開するにしてもそういったバックアップが非常に強かったというようなことがあったと思います。
そういったことから、やはり公のやることに対して民間が口を出さない方がいいというような雰囲気が自然と広まっていったのではないかというふうに思います。そういう
意味で、
日本の
社会というものは
一つの価値観で動いてきた、政官財一体になった
一つの価値観で動いてきたというふうに思います。そういう
意味で一元主義というふうに言われるんでしょうか。
そこがアメリカや何かになりますと、非常に自由主義の国ですから、いろんな価値観を認める、いろんな考え方を認めるという立場からいきますから、何か問題があったときに政府や何かに気兼ねするというようなことじゃなくて、とにかく
自分たちがこの問題は、
社会で必要だと思ったらすぐやっていくというような形、いわゆる多元主義といいますかプルーラリズムといいますか、そういった形で
海外なんかは進んできたと思います。
日本の場合は、どうしても
日本株式会社というような形で一体として動いてきたためにそういった動きができなかったんじゃないかというふうに思います。
それから、法人に対する考え方の違いというのもあると思います。
日本の場合は、企業というのは法人実在説的な考え方で、企業というものは
存在しているんだ、現に
存在しているんだからこれは長く継続させなければいけないという考え方が強いと思います。そのために、株式なんかもいろんな銀行とか証券とかそれから同業者で持ち合うというような形で、いわゆる株の配当に関する感覚というのが薄いと思うんです。継続的な営業ができればいいんだということで、株を持っている人も、それはお互い監視し合ったり協力し合っていくので株を持っているというような感じですから、株の配当を求めるということがないんだと思います。
それに対して、アメリカあたりの会社に対する考え方は、これは確実に、法人というものは単にトンネルだというふうに考えていると思います。
自分がその会社の株を五〇%持っていれば
自分はその会社の五〇%を所有しているという、要するに法人擬制説というんですか、法人は単なるそういった
利益を獲得するための方便であるというような考え方をしていますから、どうしても株式の配当というものに関してはシビアになってまいります。
そういった考え方からいきますと、アメリカの場合は、個人がそういう形で株の配当を受ける、
社会貢献は
自分のその得た
利益でやっていくというような形で、やっぱり個人の
社会貢献活動というものも非常に盛んになっていく。
日本はそういった
意味でやっぱり立ちおくれていくし、戦後は資本と経営の分離というのがだんだんと進んできましたので、こういった
社会貢献問題というものがなかなか脚光を浴びなかったということ。
それから、もう
一つ見逃せないのは、憲法八十九条の規定が
一つの
阻害要因になっているのではないかというふうに思います。
憲法八十九条の規定は「財政」の中にあるもので、公の財産の支出、
利用の制限ということで、これはこの間の政治改革法案の中の政党助成法の問題とも関係してくるんではないかと思います。これをちょっと簡単に読んでみますと、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、
便益若しくは維持のためこ、この後が関係あるんですが、「又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその
利用に供してはならない。」というのが憲法八十九条の規定なわけです。
ここのところでは、私立の学校であるとか、いわゆる慈善、教育、福祉団体に公の金を使ってはいけないという規定になっているわけです。ですから、この憲法の精神は、そういう
意味では官民一体ではなくて、官と民とを切り離すという考え方がこの条文の中にはあると思います。これは、連合軍がこの憲法をつくるに当たって、
日本はすぐ大政翼賛会的に官も民も一緒になってかかってくるからというようなことがあったんだろうと思います。アメリカにはない規定を
日本の憲法につくったということは、官と民を切り離しておくことが
日本の力をそぐことになるという考えがあったんだろうというふうに思います。
この中で、公の支配に属するというのはどういうことかということですが、これはその組織の予算権とか人事権、事業に関して、公、国が発言権を持っていなければいけないということだと思います。今の私学教育に出しているのも私学振興法がそういった法律を通じてやっているんだと思いますし、
社会福祉法人法とかというものを通じてやっているんだと思います。厳密に言えば、ここのところでどの
程度公の支配が及ぶのかということが争いになるんだろうと思います。
それから蛇足で恐縮ですが、この間の政党助成法なんかの場合もこれに当てはめて考えた場合に、果たしてどこまで助成金に関して公の支配が及ぶのかということを考えた場合、この問題に必ず抵触してくるのではないかというふうに思っております。
そういったようなことで、戦後どうしても立ちおくれてしまったということがあると思います。にもかかわらず、今フィランソロピーというものが非常に重要だと言われてきている。なぜ今そういった状況になってきているかということを考えてみますと、国内的要因としましては、企業が高度経済成長の中で公害問題を発生した時期があります。その時期に、やはり企業の
社会的責任というものが問われましたし、初めて企業というものをどう考えるかということが市民レベルで
議論されていきました。
それから、一九七二年に
日本列島改造論が発表されたときに、これが全国的な土地の高騰につながって物価の上昇につながるということで、企業の行動の
あり方、企業の経営姿勢というものが問われましたし、反企業ムードというものも非常に高まってまいりました。そのときに、一九七三年の三月に経済同友会が「
社会と企業の相互信頼の確立を求めて」という提言、それから同じ五月に経団連が「福祉
社会を支える経済とわれわれの責務」という提言を出しまして、公害防止や地域
社会との調和、融和、それから
消費者の立場を考えるとか、福祉
社会をつくっていかなければいけないということを、このときに経営者側としてかなり真剣に取り組もうという姿勢を示したわけです。
ところが、その翌年に
石油危機が起こりまして、その間企業としてもそれから一般の
人たちにしても、企業の
社会的責任を追求しているよりも、今どうやって
日本はこれを乗り切ったらいいかというようなことの方に関心と重点がいきまして、何となくせっかく盛り上がったそのムードが後退していったという経緯が
一つあると思います。
それがしばらく続いて、その間に今度は
日本も公害を克服しましたし、それから企業もやはり
社会的責任をということで、その間いろんな財団やなんかをつくって
社会貢献をする姿勢を示してきました。
そうしているうちに、今度問題は、むしろ
海外の方から飛び火してきまして、アメリカに進出している
日本企業が非常に評判が悪い。これは貿易摩擦という面だけじゃなくて、アメリカの地域
社会から非常な非難を受けているというようなことが起こってきました。これはなぜ起こるかというと、
日本の企業がアメリカに土地を買って工場進出するわけですけれども、アメリカ
社会というものをやはり
日本が十分に理解していなかったんだと思います。
アメリカの場合は、御存じのように、メイフラワー号で大陸にたどり着く。例えば、ボストンにおり立ったもうその日から、食事をつくる、雨露をしのぐというのは一緒に行った
人たちみんなでやっているわけですから、そういう
意味では、本当にその
人たちが中心になって毎日を生き延びる。その中で教会をつくる、学校をつくるという形で、コミュニティーというものを非常に重視して発展させてきた国なわけです。
ところが
日本の場合は、そういったコミュニティー意識というものが全くありませんから、
日本の企業がアメリカに進出して、土地を買って、そこのところに現地要員を
派遣しても、その
人たちが地域との交流というものに関して意を介さないできたと思います。例えて言えば、日曜日になれば、向こうの
人たちはほとんどが教会に参りますが、
日本からの
派遣社員は、奥様がデパート、御主人はゴルフというようなこと。そういったものをやっぱりアメリカの
人たちが見ていて、それでも学校はちゃんと公立学校、
自分たちは
便益を受けている。にもかかわらず何も地域に対してやっていないといったようなことが、やはり
日本の企業批判になってきたわけです。
現地に行った人は、だんだんとその批判がどういうことなのかというのがわかってきて、本社に対してやっぱり現地で寄附とかコミュニティーに参加しなくちゃいけないというレポートを送っても、本社の方ではそんなことわかりませんから、冗談じゃないまだ土地を買っただけで工場もできていない、
商品もできていない、
利益も上がっていないのに寄附なんてとんでもない、それはできて
利益が上がってからのことだというようなことで、現状がわからないからぼんと返していく。それで、現地の人はかなり悩みながらやっている。それで時間が経過する。そういう中でやっぱりだんだん悪化してきたというようなことがあったと思います。
そういった
意味で、
日本の企業が
海外に出ていった場合、その地域でどういうふうにしていくかということが問われ出したことも、企業がその
社会貢献を考えていく
一つのきっかけになっていったんじゃないかというふうに思います。
それから、今国際的な要因としては、やっぱりソ連、東欧の民主化ということ、東西ドイツの統合、それから湾岸戦争に代表される地域紛争、難民問題、発展途上国の
社会問題、
環境問題もそうですけれども、
一つの国だけで、その当事者国だけでは解決できない、ほかの国がバックアップしなければいけない、むしろ地球全体として考えなければいけない問題というのがどんどんと発生してきています。こういった問題を解決していく場合に、政府サイドだけではなかなかきめ細かなものができない。そうすると、それは政府以外の組織、団体あたりがやっていかなくちゃいけないんじゃないかということで、そういったところでも企業あるいはそのほかの組織の必要性というようなことでこの
社会貢献問題というのがクローズアップされてきたと思います。
そういった中にあって、経団連は何度もアメリカに
調査団やなんかを
派遣していったわけですけれども、その成果の
一つとして、
海外事業活動関連協議会というようなものを一九八九年に発足させます。CBCCと訳しておりますけれども、これはアメリカに進出している企業が中心になって財団法人をつくりまして、そこに各企業が金を拠出して、その金をアメリカのボランティア団体とか
社会貢献団体、そういったところに寄附をするという形で、
日本に対するそういった批判を和らげていこうというねらいがあったのだろうというふうに思います。向こうのユナイテッドウェイというようなところとかコミュニティー財団とか、そういったところに寄附をしたり、それから識字運動を広めたりというようなことで、
日本という国はやっぱり思い切ってその気になってやるととことんやっていきますので、ほかの国よりも評判がいいくらいやっていったという面もあるかと思います。
そういったようなことで、今企業としてもやはり
社会貢献をやっていかなけりゃいけないというようなことになってきたと思います。
それで、その
海外事業活動関連協議会に続いて、経団連が一%クラブというものを提唱しました。これは御存じと思いますが、企業の
利益の一%、個人の場合も
所得の一%相当を
社会貢献のために使っていこうというような呼びかけでございます。これ
自体はまだ数はそれほど集まっておりませんが、この一%クラブの提唱というのが各企業に与えたショックというのは大きかったんじゃないかと思います。これを契機にして各企業が企業の
社会貢献というものを真剣に考えるようになっていったというふうに思います。
それから、続いて企業メセナ協議会というのができました。メセナというのは文化学術支援というようなことで、
日本の場合はスポーツなんかも入るんだと思いますけれども、そういった方面の支援をしていこうということで、企業メセナ協議会というのができました。
それから、一九九一年には大阪コミュニティー財団というのができました。これはアメリカにあるコミュニティー財団をそのまま
日本に取り入れたんですが、大阪の商工会議所が中心になって始めたもので、これはマンション型支援というふうに言われています。普通の場合寄附をしますと、その寄附をその企業がいろんなところに割り振るということですが、これはもう寄附するときに、これは教育に使ってほしい、これは青少年問題に使ってほしい、これはがん撲滅に使ってほしいと、拠出者があらかじめ目的を指示して出していくというようなことで、こういうふうに指示できるというのでマンション型というふうも言い方もされております。
それから、私どもの
日本フィランソロピー協会というのは、九一年ごろから企業市民会議という形でこの問題を取り上げてやってまいりました。その当時は昭和三十五年にできた社団法人国民政治研究会というジャーナリスト中心の不偏不党の団体だったんですが、なぜそれが
社会貢献問題に入っていったかといいますと、これは要するに、
日本が民主主義国家がどうかという民主主義の問題どこのフィランソロピーというものは切っても切れない関係にあるというふうに考えられます。
それで、こう言っては大変失礼ですが、永田町中心ではなかなか政治もよくなってこない。しかし、これは何に
原因があるかというと、やはり国民の意識というものが非常に低くなってきているんじゃないか、国民が物を考えなくなってきていると。それは高度経済成長の中で企業の採用の仕方にも問題があったと思います。ある
程度のレベルの大学を出れば、学部、学科を問わず全部採用する。それで採用した後、企業研修という形で
自分の企業になじむ教育をやっていく。それでまた、企業の中にいれば大体人生
最後までいけるんじゃないかという安心感みたいなものを持っている。したがって、
社会参加しなくとも何となく生活できるんじゃないかという雰囲気があったと思います。
そういった中で、やはり国民の意識をどうして変えていくかということを考えた場合に、こういった
社会参加、国民をまず
社会に参加させる必要があるだろう。そうした場合に、一番人間を抱えている企業が今までの企業戦士の育成ということではなくて、やはり今までの企業戦士を
社会に戻していく、そういう考え方が必要じゃないかということで、三年前から各企業の
社会貢献担当者の方々の研究会を中心にやってまいりました。
この三年間でかなりのところが、大手のところはほとんど
社会貢献セクションというものをつくってきたと思います。やはり
日本の企業の担当者というのは優秀ですから、この三年間で相当勉強しちゃって、あらゆることを大体把握してしまった。そうすると、今度次にやることがなくなってくる。じゃ、何をやるかというので、結果的には一番横並びでできたのが、ボランティア休暇・休職制度というのがいろんな企業でこれは採用されました。ただ問題は、そういう制度はできたけれども、実際にそれを活用している人というのは非常に少ないし、つくったけれども全然活用者がいないという企業も現にあります。
そういう
意味で、どうしてもやらなくちやいけないと思うとすぐやってしまうんですが、やはり社員一人一人の意識
調査をして、その意識
調査の積み重ねの中で、
自分の企業はどんな形の
社会貢献がいいのかということを考えていかなければいけないんだと思います。非常に悪い癖で、横並びでやってしまうものですから、せっかくの制度も疑心暗鬼を生むという結果になって、これはこれからの
課題だろうと思います。
それからバブルの崩壊で、広告費、交通費、交際費の三Kに加えて
社会貢献費も削るというふうなことになって、それで今この
社会貢献問題は下火になってきているんじゃないかと言われますけれども、決してそうではなくて、むしろ企業が寄附ができないという分、社員の
社会参加を非常に促すという方向に来ております。社員の意識がどんどん変わってくるという
意味で、私は、本来の企業の貢献の
あり方としては健全な方向に進んでいるのではないかというふうに思っております。
時間がないので、とにかく早口でしゃべって大変申しわけありませんが、もうちょっと時間をいただきたいと思います。
企業の
社会貢献というのは、まだ緒についたばかりですので、これからの問題だと思います。基本的な考え方として、要するに今風題なのは、個人が家を出てから会社に行くまでは
社会じゃなくて、会社に行ったところから
社会が始まるというのが現状だと思いますが、これをやっぱり変えなくちゃいけないんだと思います。
企業の方も、例えば車いすを百台寄附した、そうすると新聞に載った、広報部は頭をなでて褒められる。これは決して
社会貢献じゃないんだ。そこの社員が、駅で階段を上がれなくて困っている車いすの人のところを素通りしているのが現状ですから、そういった形では企業が
社会貢献しているとは言えないと思います。社員一人一人の意識が変わっていって初めて企業が
社会貢献していると言われるのであって、やはり社員の意識というものに重点を置いた形でこれからいろんなテーマをやっていかなければいけないんじゃないかと思っております。人と企業の意識はそういう形でやっぱり変えていく必要があるだろうというふうに思っております。
それから
日本の場合は、この下に
参考図として書いてありますけれども、政府と企業、この
二つのところで今まで回してきたと思うんです。それに対して、これから必要なのがフィランソロピーセクターと言いますが、これはインディペンデントセクターとか第三セクターとかいろんな呼び方がされておりますが、いわゆるここはNPO、NGO、ノン・プロフィット・オーガナイゼーション、非営利の民間公益活動をやる
グループというふうに見ていただきたいんです。
要するに、ボランティアとか公益法人、企業がつくる企業財団、そういったものも位置としてはここに位置する。ここに対して企業が寄附行為を行って、このフィランソロピーセクターに属している団体が
社会のいろんな問題を解決していくということだと思うんです。ですから、このセクターが大きくなれば、政府のその部分の役割が少なくなっていくという
意味で、小さな政府が志向されるという考え方になると思います。
この間も厚生省で高齢者
社会の問題が提起されていましたが、本当に高齢者
社会になって介護者が必要になったときに、その人を全部公務員として国で雇っていったら、それはもう財政の破綻は目に見えていると思うんです。やっぱりフィランソロピーセクターを充実してここでボランティアを養成する。それで、そういったボランティアの
人たち、ボランティアというと
言葉はあれですけれども、もうそういう時代になったらボランティアというんじゃなくて、国民一人一人が義務として
自分たちの
社会をつくっていくということで
社会参加をしていくという意識が出てこなければいけないわけですから、そういう形でこのセクターというものを強化していく必要がある。
そういった場合に、今
二つの大きな問題点がある。その
一つは、やはり企業がこういったセクターに寄附をしていく場合の税制面の問題があると思います。
それからもう
一つは、こういったところで公益法人としてやっていく場合に、法人の今の許認可、これはもう二年三年とかかる上に、原則として認めない方向であったり、それから目的が
一つずつ役所ごとに変わってくる。ある企業が
環境問題、青少年問題、老人問題をやりたいといった場合に、それは
環境庁、労働省、全部
一つずつ財団をつくらなくちゃいけないというような状態になります。やはり多目的財団というものを認めていく方向、それから許可制じゃなくて、ある
程度の
条件をそろえたら認めるという認可制に。
それから、やはり極端な言い方をしますと、例えばカンボジアあたりに行く場合に、三年間か五年間行ってくれば十分できてくるというようなときに、法人格があるとないとでは非常に動きが違いますし、企業の方も寄附がしやすいかしやすくないかという問題が出てきます。そういった場合、例えて言えば、時限立法的に五年間だけ法人格を認めるというようなことがあってもいいんじゃないか。
このフィランソロピーセクターの育成という点から考えていった場合に、法人の許認可問題それから税制問題、この
二つの問題は避けて通れない問題だろうと思いますので、いずれこれはまた先生方に御
検討いただきたいというふうに思っております。
こういった形で、国民一人一人が
社会参加して、
自分たちが
社会をつくっていくんだという考え方、この考え方が今ありませんから、
日本は権利意識は持っているけれども義務感がない、
社会参加意識がないという
意味で、
日本は民主主義国家ではないんだというふうに私は今考えております。
そういう
意味で、こういった
社会貢献問題を通じて国民の
社会参加を促して、
日本を本当の民主主義国家にしていくということがこれから国際化
社会に出ていく
日本にとって非常に重要なことであるというふうに考えております。
以上です。